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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
257/335

TRACK 6

チャイルド・ウォー



 『人』という生き物にとって最も大きな力を発揮する器官はどこであろうか。

 食べ物を溶かして栄養源に換える胃袋?

 あるいは、その栄養源を必要なエネルギーに換える各内臓器官?

 それとも、動物界において唯一言語機能を獲得した脳?

 ──この問いに答えられる人は決して多くはない。


「ヒト型が三体そっちへ行った!──さらにケモノ型も複数!何処から湧いてきたんだこいつら!」


 新都にアーキアが侵入してから数時間が経過していた。最初に確認されたアーキアは少数であったが時間が経過するにつれて増え始め、機星教軍の手に余るようになっていた。

 城外の排水口の出口付近に作られたポートにいた男性は歯噛みした。


(このままじゃここもいずれ襲われてしまう)


 間違いなく自分たちの救助は後回し、男はそう考えていた。

 隔てられた扉の向こうから殺気だった兵士の声が届いてくる、ポート内にいた他のウルフラグ人たちも落ち着かない様子で街を眺めていた。


「おいハンズ!もう今しかねえだろ!さっさとやっちまおうぜ!」


 ハンズと呼ばれた、バハーで司厨長を務めていた男が仲間たちへ振り返った。


「まだだ!まだスミスが来ていない!」


「──こんな街とっとと食われてしまえ!俺たちを奴隷のように扱いやがって!」


 バハーの元乗組員である一人の男性が、アーキアに襲われて混乱に陥っている街に向かってそう唾を飛ばしていた。

 彼らは大災害の後、カウネナナイに拾われ新都での生活を余儀なくされていた。その扱いは決して公平と呼べるものではなく、数年間に渡って蓄積された鬱憤が怒りとなって表れていた。

 ハンズも同じ思いを抱えている。アーキアに襲われ逃げ惑う新都の市民を見ても、同情の思いは湧かなかった。

 ハンズたちがいるポートは城壁の真横、本人たちが逃げないよう、また市民たちが誤って進入しないように高い柵が設けられていた。

 このポートと他のポートへ通ずる道は一つだけ、その道の入り口にも高い門があった。内側から開けることはできない、彼らが差別されていると感じている最もな所以だった。

 その門がゆっくりと開き始めた。


「──っ!」

 

 ハンズたちは身構えるが、ポートにやって来たのはアリーシュだった。


「スミス!驚かせるな!」


「すまない!遅れてしまった!」


「バハーの艦長さえ来ればこっちのもんだ─「待ってほしい!──ナディだ!ナディもこっちに来ているんだ!」


 ポートにいた全員が固まった、柵の向こうから届く銃声音が良く聞こえるほど静かになった。


「何だって…?あのスーパーガールがこっちに来ている…?──あいつ生きていたのか!」


「ああ!どうやらハリエ方面で匿われていたらしい!その彼女が起きて一人でボートを漕いで──ああとにかく!作戦の決行を遅らせてほしい!ナディも一緒に連れて行きたい!」


 バハーの乗組員として、あるいは元セントエルモ・コクアのメンバーとしてナディ・ウォーカーの名前を知らない者はいない。だから、ポート内にいた殆ど人がナディの生存を聞いて喜んでいた。

 それにハンズが待ったをかけた。


「ウォーカーは俺たちの味方をしてくれるのか?あいつはここの王族だったんだろう?」


 ハンズの問いかけを耳にした全員が再び静まり返った。

 その静けさにさらに水を打つ者が現れた。現在のバハーを預かっているヘンダーソンだ、彼はアリーシュの跡をつけていたのだ。


「──いかにも、彼女は王家の血を引き継ぐ人間だ、君たちの味方をするとは考え難い。すまないアリーシュ・スミス、いつか必ず謀反を企てると睨んでいたから監視させてもらったよ」


 ヘンダーソンの背後からアサルトライフルを所持した兵士が複数人現れた。

 ヘンダーソンが言った通り、スミスたち元セントエルモ・コクアのメンバーは新都から逃げ出す算段をずっと立てていた。

 アリーシュがヘンダーソンに立ち向かった。


「──我々はただ自由が欲しいだけです、ここにいても母国に帰るどころか帰る手段すら探すことができません」


「自由を手にしてどうする、どうやって生活を営む、我々人間はどんな環境になっても腹が減るし眠たくなる生き物だ。その場を君たちは自分の手で用意できるというのかね」


 ハンズもヘンダーソンに応戦した。


「ありもしない事実を広めて他国の人間を差別することがお前の言う生活の場だと言うのか?」


「そうだと言った」


「──っ!!」


「汚れ仕事を君たちに押し付けている代わりに、こちらは食べ物や住処を提供している。今になって行われたやり方ではない、昔からずっとそうだったさ」


「悪びれもせずによくもまあ堂々と──」


 アリーシュの押し退けてハンズがヘンダーソンへ向かって行く、付近にいた兵士が素早くライフルを構えた。

 だが、発砲するようなことはなく、代わりにヘンダーソンがよく通る声で一喝していた。


「ならばお前たちにこれだけの人間を救うことができるのか!他人を利用して何が悪い!お前たちのせいにして何が悪い!だからここにいる市民たちは一つにまとまっているんだ!」


 事実をただ告げられ、確かに生き残った人たちを救っている機星教軍を前にして、ハンズは返す言葉を失った。

 

「状況を顧みずに己の欲求に従うのは子供のする事だ!!この街から抜け出してアーキアに襲われるのは貴様たちだぞ!!──っ?!」


 激昂したヘンダーソンが突然、誰かに引っ張られてたたらを踏んでいた。周囲にいた兵士たちもどう対応すればよいのか分からず、ただ成り行きを見守っていただけだ。

 ナディだ、彼女がヘンダーソンの服を引っ張っていた。


「──なん?!な、何でこんな所にいる!」


「皆さんとお話をしたくて来ました、お時間いいですよね」


 ポートの入り口には困り果てて今にも眉が落ちそうになっている給仕たちがいた。


「私が無理を言ってここまで案内してもらいました。──お時間、いいですよね?」


「うぬぅっ…」


 ナディはヘンダーソンの言葉を聞いていたのだ、だからちょっとだけ怒っている。それを分かっていたヘンダーソンも強気な態度に出られなかった。


「──兵士を一人だけ残していく!いいか?!くれぐれも早まった真似はするなよ!」


 そう捨て台詞を吐いたヘンダーソンが一人の兵士を残してポートを去った。

 皆んなの視線がナディに集まっている。


「お久しぶりです皆さん、私はこうして元気です──き、聞こえてます?」


 ナディが挨拶をしても誰も反応しない。

 皆んな、ナディの代わりように度肝を抜かれているのだ。

 そんな皆んなに向かってアリーシュが助け舟を出した。


「驚くのも無理はない、この五年間でナディは立派な女性に成長していたんだ。寝る子は良く育つと言うし」

 

「お、おお…五年前はうんと小さかったのに…」


 ハンズがそう言い、固まっていた皆んながようやく動き出した。

 しかし、再会の喜びに耽るほどの時間がない、街の中にはまだまだアーキアたちが存在していた。


「皆さんはここから逃げ出すおつもりですか?」


「そうだ、ずっとそう計画を立てていたんだ。スミスの先導で船溜まりまで行って俺たちの船に乗って逃げる、それだけだ」


「それはどうしてですか?」


 彼らの実情を知らないナディがそう尋ねるのは無理もない事だった。


「どうして?俺たちの事は何も聞かされていないのか?」


「…大災害を引き起こしたのはウルフラグ人だと教えてもらいました。──差別を受けているんですね」


 この時、ナディの中で機星教軍に対する自身の考えが変わった。

 助けてくれた恩義はあれど、人を差別する組織に組みするつもりはない──それを口にする暇は無く、背後から女性の悲鳴が上がった。

 入り口で待っていたナディの給仕たちだ、酷く慌てた様子を見せながらポート内に駆け込んできた。


「アーキアが!アーキアがこっちに!」


 兵士が素早くセーフティを解除し門へ移動した。

 ポート内に駆け込んだ給仕は二人だけだ。


「あの人は何処ですか?!」


 ナディはもう一人足りないことにすぐ気付いた、だが、兵士が門を閉め始めた。


「待って!あともう一人外にいるんです!」


「駄目です!もうすぐそこまで──」


(私がここに連れて来たんだ!)


 ナディは閉まりかけていた門の隙間を潜って表に出た、手袋をはめた女性は呆然とした様子で立っており、その背後からヒトの形をした黒い物体が迫ってきていた。

 この時、ナディは初めてアーキアという生物を目の当たりにした。

 全身が黒い化け物と教わっていたが、実際に見た姿は薄らと光沢を放っており、アーキアの体が動く度に太陽光を反射してキラキラと光っていた。

 顔のパーツは何も無い、体型は成人男性程だろうか、そのアーキアたちがナディたちを目がけてひたすら足を動かしていた。


「──あなたも早く!!」


 ナディはその人の腕を掴んでポート内に引っ張り込んだ。あまりに力を入れ過ぎてしまったためか、ナディが尻餅をついてその上に手袋をはめた女性も倒れてしまった。

 間一髪である、けれど誰もナディたちに近寄ろとしない、アリーシュでさえも。


「だ、大丈夫ですか?」


「……………」


(この瞳の色…どこかで…)


 その女性の瞳、虹彩と呼ぶ部分が端の方から白くなっていることにナディは気付いた。


「な、ナディ…その人はもう…手遅れなんだぞ…」


 アリーシュの言葉にナディが頭を上げた。


「それはどういう意味なんですか?」


「その人は既にアーキアと接触している。今朝も言っただろう?アーキアと接触した人はいずれ廃人になると」


「ええ、聞きましたよ、それがどうして触ってはならない事になるんですか?」


 ハンズが痛ましい顔をしながら答えた。


「感染する──と、言われている。アーキアに接触した人間に触れると次はその人がアーキアに襲われるんだ」


「それは本当の話なんですか?」


「そうだと言われているだけだ、何の確証もない」


「それだけの理由でこの人を見捨てようとしたんですか?」


 ナディの言葉でポートが水を打ったように静かになった。

 もう一度ナディは女性に視線をやった、心なしか虹彩の白色が進んでいるように見受けられた。

 給仕が彼女について答えた。


「この方をカルティアン様のお傍においたのは白化症(びゃっかしょう)について知ってもらうためなのです」


 もう一人の給仕も説明した。


「アーキアに触れた人は例外なくこの病にかかります。彼女のように次第に魂が抜けたようになっていって、動かなくなって、それから全身が白色になってしまうのです。それが白化症です」


 ナディは二人に尋ねた。


「他にもその病にかかった人はいるんですか?」


「はい、城を挟んだ向かい側に隔離されたポートがあります、そこで病にかかった人たちをまとめています」


「治療することはできないんですか?」


「あ、あの…カルティアン様…?それはどういう…」


「ナディ、君はまさか…その人たちを助けに行くと言うのか?」


「はい」


 ポート内がざわめきに満ちた。


「助からない人を助けに行こうって?」


 ハンズの言葉にナディが反論した。


「自分たちだって差別を受けていたのに、ハンズさんたちも他人を差別するんですね、私からしてみれば皆んな同じですよ」


「……っ」


「感染するって?自分たちを差別していた人たちの言葉を信じるって言うんですか?」


「──何も知らないからそんな事が言えるんだっ!俺たちの仲間だってもう何人もアーキアに襲われた!──そっちがのうのうと眠っている間になっ!「──ハンズっ!!」


 アリーシュの制止も間に合わず、勢いに任せた言葉は止まることなくナディに突き刺さった。

 白化症に罹患した女性が手袋をはめていた理由は他者への感染を防ぐため──そうだと理解したナディは湧き立つ怒りを感じた。


「こんな状況になっても助け合う事ができないなんてっ!そんな人たちが幸せになれるわけないだろっ!」


 ナディも怒りに任せてそう言葉を放った。

 それからナディは抱き抱えている女性の手から手袋を外して自分に付け、ゆっくりと床に寝かしつけてからすっと兵士に近付いた。

 ライフルを構えていた兵士はナディの突然の接近に戸惑っている。


「これで触っても問題ありませんよね」


「──え、え?」


 ナディはその兵士のホルスターから自動拳銃を抜き取り、手慣れた動作でマガジンを確認しながら門の外へ出て行った。


「待ちなさい!ナディ!!」


 アリーシュの呼び止める声を門で遮り、ナディはそのまま駆けて行った。



✳︎



「なあああにいいっ?!ナディ・ゼー・カルティアンが病院に向かったあああ?!何でそうなる!!」


「わ、分かりません!病院ポートへ向かって行ったと報告を受けました!」


(はあ〜たたた…人を惑わせるのはその美貌だけにしてほしいわ…馬鹿なのかあの娘は?)


 侵入してきたアーキアの掃討作戦の指揮を取っていたヘンダーソンは頭を抱えた。

 機星教軍のトップからナディを丁重にもてなせと命令を受けている、彼女は良いプロパガンダになると、けれどこれ以上兵を裂きたくなかったヘンダーソンは机を強かに殴った。


「馬鹿たれが!!──船溜まりの防衛隊を病院ポートへ回せ!!あの馬鹿娘に死なれたら私の首が飛んでしまう!!」


「お、お言葉に注意された方が…誰に聞かれているか分かりませんよ…」


「首が飛んだところで失業手当ても出んけどな!!!!」


「そういう問題では無いと思いますけど…」


 城内の一室、作戦室となっている部屋からでも街の様子が一望できた。街の至る所から黒煙が上り始めている、被害が拡大している証だ。


(何故だ?何故すぐに制圧できない…こんな事は初めてだ)


 ヘンダーソンは頭を抱えた。


(今までならアーキアは一挙に押し寄せてきたはず…それがどうして波状攻撃のように時間を置いて侵入してくるのか──まさか…先日逃したあのオオ型のアーキアが…?)


 ヘンダーソンは部屋の中から海へ視線を向けた、今まさしく、街の外れにあるポートにヒト型アーキアが這い上がってくるのが見えていた。


「このままでは…」


 通常とは異なるアーキアの侵入に兵士たちが追いついていない、いずれ対応し切れなくなって市民たちに被害が出てしまう。

 

「城門前はどうなっている?」


「まだアーキア出現の報告はありません!」


「なら─「駄目だヘンダーソン、避難する市民に釣られたアーキアがこちらにまでやって来る。屋内戦になったらこちらが不利になるぞ」


 作戦室に入って来たのはダルシアンだ。


「しかし!このままでは市民を守れなくなってしまいます!」


「構わない、城を落とされたらこの世界で生き抜く場所そのものを失ってしまう」


 彼の非情かつ合理的な判断が作戦室にいるヘンダーソンたちを苦しめた。


(確かにその判断は指揮官らしいと言えるが!血も涙もない!)


 良く油が塗られた軍靴を鳴らしながらダルシアンが作戦テーブルへ歩き、ヘンダーソンと肩を並べた。


「門を閉じよ」


「…………」


「聞こえたな、そのように伝令しろ」


 軍人にとって上からの命令は絶対だ、アリーシュが悩んだようにヘンダーソンもまたその事に悩みを抱えていた。

 しかし、身体構造と同じように脳から指令がなければ手足は動かせない、だからヘンダーソンは従うしかなかった。


「──了解しました」


「街にいる兵士たちを集めて態勢を立て直せ、このままではアーキアの波に飲まれてしまうぞ」


「信号弾放て」


 命令を受けた兵士が窓から街に向かって信号弾を打ち上げた。


 ナディは城から打ち上げられた信号弾を視界の隅に捉え、病院ポートへ向けていた足を止めた。


(あれは何?)


 信号弾は白い煙の尾を引きながら空へ昇り、その途中でぱんと弾けた。何かしらの合図である事はナディも一目で分かっていた。

 ナディは城壁に沿うようにして設けられたイカダの道にいる、その途中には街と城を隔てる門もあり、この道は謂わば兵士たちの連絡路としての役割があった。

 車二台分の広さがある道の右手には市民たちの家屋が並んでおり、家と家の間からいくつもの道が延びてこちらにも届いている。

 その道からライフルを抱えた一個小隊が現れ、城門方面へ向けて走っていた。

 

(そんなまさか──)信号弾の意味を知ったナディは先頭にいた兵士を呼び止めた。


「待って!まだアーキアっていう敵が街の中にいるんでしょ?!どうして戻るんですか!」


「──っ」


 声をかけられた兵士はナディに驚き、そして何も答えず罰を悪そうにしながら無視して走り去った。

 もう一つ呼び止める声があった。一個小隊が通った道の奥から、幼い子供を抱えた女性が彼らに助けを求めた。


「──待って!すぐそこに敵が──」


 女性は木の繋ぎ目に足をひっかけてしまい倒れ込むようにして転んでしまった。背後からヒトの形をしたアーキアが迫っており、彼女に応えようとしない兵士たちに代わってナディが拳銃を構えた。

 五年前、士官学校にて受けた射撃訓練を思い出しながらトリガーを引く。想像していた反動は少なく、成長した大人の体にナディは感謝していた。

 けれど、外れてしまった。


(──そんな)


 立て続けに発砲する、二発目はアーキアの頭部にヒットし数秒と経たずに事切れた。

 だが、子供を抱えていた女性が襲われた後だった。


「くそ!──くそ!」


 慌てて女性へ駆け寄る、子供を抱えたままぐったりとしており動く気配がまるでない。抱えられていた子供は殺されたとも知らずにただ胸に顔を埋めて泣いていた。

 襲われた女性に目立つ外傷は殆ど無い、子供を大事そうに抱えている腕を取って脈を確認する──脈は既に無かった。

 

「そんな──ほら、こっちにおいで」


「いや!──いや、お母さんもいっしょに!」

 

 泣いていた子供の腕を掴んで無理やりひっぱり上げた、母親の身に起こった事を未だ理解していない子供はそれだけでさらに泣きじゃくった。


「いや!いや!どうしてわたしだけなの!!」


「いいから!──お願いだから大人しくしてて!」


 ナディたちの背後から別のアーキアたちが迫っていた。子供を片手で抱えたまま、もう片方の手で照準を合わせてトリガー引く。

 今度は一発で当ててみせた。

 拳銃の発射音に驚いた子供が一瞬だけ泣き止み、そしてすぐにまた泣き始めてしまった。


「おかあさん!──おかああさん!!」


(くそ!くそくそくそ!何でさっきは一発で当たらなかったのよ!!)


 ナディは激しい後悔の念と子供を抱えたまま、病院ポートへ向かって走った。



 望みは残っているかもしれない、とナディはそう考えていた。

 けれど、その願いは到着した病院ポートで砕かれる事になった。


「無理です、アーキアに襲われてしまった人は二度と目覚めません…」


「そんな…」


 そう答えたのは患者たちを預かっている壮年の医者だった。

 

「アーキアは触れた人間の魂を抜き取ってしまうのです、様々な治療を試してきましたが一度として助かった事はありません」


 ナディが助けた子供は手を繋いだままぐったりとした様子で俯いている、彼女は気遣わしげな視線を送っただけで何も言わなかった。

 助けられない患者たちを目の当たりにし続けたせいもあり、加齢だけではない疲れを見せている医者がナディへ街の様子を尋ねた。


「酷い有り様です、お城から撤退の指示が出たみたいで兵士たちが引き上げていきました」


「そうですか…」


「その、どうされるんですか…?私はここにいる人たちの事が気になって、皆んなはもう助からないと諦めていたから…何だかそれが気に食わなくて」


「カルティアン様はお優しいのですね──そうです、ここにいる人たちはいずれ連れて行かれてしまいす──もしかしたらそれが幸せなのかもしれない」


「え?」


 医者の信じられない言葉を耳にしてナディが訝しげに眉をひそめた。

 医者がどこか遠い目をしながら答えた。


「患者たちが言うのですよ、アーキアに触れた時、とても心地良い景色が広がっていたと。それはこの世にある景色ではなくて、見ただけで心が満たされて…患者たちはそこへ行きたがっているようにも見えるのです」


「そんな事って…」


「ええ、人命を預かる私の立場で言えた台詞ではありません、ですが…この世で生きる事に執着を見せない患者たちを前にして、医者はあまりにも無力なのです」


 病院ポートは他よりも高い柵に覆われており、数人の兵士たちも常駐している。だが、突破されてしまえばひとたまりもない、ナディが加勢したところで助けられるものではなかった。

 アーキアが病院ポートにも足を運んできた、閉ざされた扉をこじ開けようと体当たりをする不快な音がナディたちの元に届いてきた。

 その音を聞いた子供が反応し、また泣き出してしまった。


「カルティアン様の行動は決して無駄ではありません、その子を救えたのですから。──こちらで預かりましょう」


「あなたたちはどうするんですか?」


「どうも致しません、私は患者を見捨てて逃げるつもりはありません。ですが、患者たちは逃げようともしません、必然的に答えは決まっています」


「──そんな!それではただの死ぬのを待つだけ──どうにかして助かる方法はないんですか?!」


 不快な音はまだ続いている。それからアーキアの数が増えたのか、音に厚みが増してきた。常駐している兵士たちが扉の前に立ってライフルを構えてはいるが及び腰だ、何かの弾みで逃げ出してしまいそうだった。

 ナディは自身の無力さを痛感させられていた、そしてそれを糾弾する者がポートに現れた。


「お前に何が出来る?五年前、この城から逃げ出したお前が、ここにいる人間たちを救おうってか?」


「──!あんたは…」


「よおう、まあすっかり綺麗になっちまって。そんな美人になるならあまりおいたはしない方が良かったかもしれないな──ナディ」


 抜け殻になったプログラム・ガイアを連れたバベルだった。

 彼らは門とは反対の位置にある桟橋からやって来ていた。ナディたちの場所からは見えないが、小型の船も停泊させてあった。


「バベル…」


 ナディはバベルに対して良い感情を一つも持っていない、基本他人には礼儀正しい彼女だが彼だけは違った。

 ──バベルはアネラの実母であるキシュー・マルレーンの仇でもあった。


「あんたがこの街を作ったの…?」


「それが何だ」


「何がしたいの?私たちに殺し合いをさせたかと思えば今度は人助け?──それならどうしてアネラのお母さんを殺したのよ!」


「そんな事が言いたいのか?今?頭がおかしくなっているんじゃないのか」


「何だって──」


「早くこっちに来い、今お前に死なれたら困るんだよ。──全く無駄な事しやがって、城の中で大人しくしていればいいものを」


 ナディは手にしていた拳銃をバベルに向かって構えた、もう片方の手には助けられなかった母親の子供の小さな手が握られていた。

 

「無駄な事って──この子の命が無駄だって言いたいの?!」


「ああん?──ああ、誰かのガキか、それ?お前が助けたのか?それが何だ、今となっちゃ誰が死んでもおかしくないし誰が助かっても不思議じゃない」


「そんな不安定な環境で生活を強いらせているのはそっちでしょ!!こんな世界になったのにどうして未だに古いやり方で人を束ねようとするの!!」


「なら、お前は新しいやり方でも知っているっていうのか?」


「……っ」


「──は!大人になったの外見だけってか?中身はガキのまんまじゃねえか。今の新都の有り様は確かに古い、災害前の態勢をただ真似ているだけだ。けどなあ、それでも俺たちはこれだけ大勢の人間を確かに生かせている──お前にこれが出来るのか?そのガキ一人救うのにやっとのお前に何が出来る!」


 それはナディに対する痛烈な批判であり、そして事実でもあった。

 バベルたちが再構築した街は既成社会の骨組みを再建したものだ、ナディはこの事に対して強い疑念と人々を歯車のように扱う不快感を持っていた。

 だが、バベルが言ったように今の彼女には何も無い、何も持っていなかった。

 バベルに批判され、沸き起こった忸怩たる思いを拳銃のグリップに叩きつけるようにして、ナディは強く握り締めた。


「それでも私は!──諦めて良い命が許容されるここは絶対におかしい!新しい社会を求める事が間違っているとは思えない!」


 それは子供染みた発露だった。バベルたちが築いたこの街を否定するにはあまりに弱い言い分。

 ──だが、ナディの言葉に突き動かされる者たちがいた。

 門を守っていた兵士たちだ。彼らは自ら門を開けてアーキアたちへ一斉射撃、瞬く間に撃破していった。


「──リンドール先生!今のうちに早く城へ!」

 

 駐在兵を指揮する指揮官が勝手な行動に出た兵士を叱責するも、まるで言う事を聞かなかった。


「俺たちは兵士だ!人を守る為にこの銃を握っている!──ただの見張り役じゃない!」


 軍人としてあるまじき行為だ、命令もなく勝手にトリガーを引くなど。

 けれど、彼の行動がリンドールと呼ばれている医者の心も動かした。

 彼もまた諦めていた一人だ、患者が生を望んでいないからと、消極的に自らの死も受け入れていた。


「──分かった!動ける者だけでも城へ移動させよう!──君!病室を回って声をかけてきなさい!」


 にわかに活気づき始めたポートを目の当たりにした指揮官がついに折れ、どこかやけっぱちになりながら城へ合図を出す信号弾を手にした。


「──ああもうくそ!どうなっても知らないからな!」


 指揮官が手にした信号弾は『進軍』を報せる物だった。


 病院ポートから打ち上げられた信号弾を確認した一人の兵士は、信じられない思いでその光りを眺めていた。


(進軍だって?!どういう──こっちに来るのか!)


 彼は慌てて作戦室へ駆け込み見たままのものをヘンダーソンに伝えた。


「進軍?!何故!!状況が分かっていないのか?!」


「わ、分かりません!」


 ヘンダーソンの傍に仕えていた下士官が彼に進言していた。


「もしかして、病院ポートにいる患者たちをこちらに移すつもりなのでは…?」


 未だに状況は芳しくない、撤退を指示してからも街の被害は拡大していた。

 それから、ウルフラグ人も自分たちのポートから脱出しており、さらに武装まで行ない既に閉められた門の前にいた。


(奴らの狙いはバハーだ、城の中を経由しなければそこへは行けん!────だが…)


 病院ポートに駐在している隊の任務は『守備』であり『進軍』することではない、それなのにも関わらずその隊は進む事を選んでいる。

 おそらく誰かが命令違反を犯したのだ、けれどこの事にヘンダーソンはある種の"希望"のようなものを見出していた。

 新都の現状を不服に思う者が自分以外にも存在する、それはほんの灯りに過ぎないが──集まれば大きな火になる。

 ヘンダーソンは素早く判断を下した、男というものは大事な決断ほど早くするものだ。


「ヘンダーソン中佐?!い、一体何を…」


 彼は長年飾っていた勲章を一つずつ外してテーブルの上に置き、軍帽も脱いでみせた。


「──私はここを放棄する、ここにいても市民を救うことはできない。ウルフラグ人をバハーに乗せて周囲にいるオオ型のアーキアを討伐する。奴らを乗せて特攻するのだから上も文句はあるまいて」


「中佐…」


「私に続きたい者だけ付いて来い!──ただし後ろから撃つなよ!撃つなら事が終わってからにしろ!それから付いて来たところでお前たちの将来は保証できんからな!そこは自己責任で!」


 締まらない最後の挨拶をしたヘンダーソンが颯爽と作戦室を後にし、それから数分もしないうちに作戦室が空になった。


 門の前では武装した元コクアのメンバーとアーキアとの戦闘が発生しており、彼ら以外にも城へ助けを求める市民たちで溢れ返っていた。

 自分たちを嘲っていた人間を守らなければならない事を不服に思いながらも、ハンズはライフルをアーキアに向けてトリガーを引き続けていた。


「──くそったれ!ここが開かなきゃ船に乗れないってのに!」


 傍で同様にライフルを構えていたアリーシュが唾を飛ばす。


「文句を言う暇があるなら撃て!」


「マガジンの数は?!」


「これが最後だ!」


「こんなこったらもっと複製しておけば良かった!」


 ハンズたち以外にもコピーしたライフルを持っているメンバーがおり、彼らのお陰でアーキアの侵入を何とか防いでいた。

 けれどマガジンの方が先に底を突きそうになっていた、それ程にアーキアの数が多かった。


「何だってこんなに増えてんだよ!今までの比じゃねえだろ!」


「知らん知らん知らん!──ああくそっ弾切れだ!」


 残弾が尽きたアリーシュのライフルのトリガーにロックがかかった。その隙を突いたアーキアが一体前線を掻い潜り、一人のメンバーが犠牲になってしまった。


「──下がれ下がれ!」


 誰ともつかぬ怒号が門の前に上がる、それを耳にした市民たちがさらに混乱し暴動が起きかけていた。

 虹色の光沢を持つ黒いヒト型がさらに押し寄せてくる、表情は無い、あるのは人に対する異様な執着のみ、えも言われぬ恐怖が辺りを包んでいた。

 一体のアーキアがハンズの目の前まで接近し、彼は顔がないと思っていた異様な生き物を真近で見る羽目になった。


(──笑っているのか──)


 窪んだ口は角が上がっているように見え、ぞわりとした悪寒が背筋を這い上がった。

 アーキアの手がハンズへ伸ばされたその瞬間、そのアーキアが真横へ吹っ飛んだ。


「っ?!」


「撃て撃てー!撃て撃てー!」


 門の前を通る道、ハンズたちから見て左手から、検査衣を来た人たちを連れている小隊が現れ、今まさに襲いかかろうとしていたアーキアを射撃した。

 間一髪の所をハンズは助けられた。

 その集団の中にはポートを飛び出したナディの姿もあった、その胸にはカウネナナイの子供が抱かれていた。


「──ナディ!!」


「──アリーシュさん!無事だったんですね!」


「何だこの隊は──病院ポートから移ってきたのか?!何て無茶な事を!」


「助けられたのに文句を言うな!」とナディが吠え、「何で門が閉まっているんですか!」とやっぱり吠えていた。


「城にいる奴らが閉めやがったんだよ!これだけ市民がいるのに自分たちだけ閉じこもりやがった!」


「それを何とかする為に自分たちがやって来たんだ!──市民たちを守ってくれて感謝する!この際その銃の出所は訊かないことにする!」


「お、おう…」


 ハンズは肩透かしを食らった気分になった、あれだけ嫌っていたはずの人間からこうも真正面からお礼を言われてしまったからだ。

 病院ポートの隊が合流した所で状況は好転の兆しを見せない、アーキアの数は増すばかりである。

 その兆しを持って来たのはヘンダーソンだった、閉じられていた門が内側から開き、これでもかと兵士たちが出て来たのだ。


「──コクアのメンバー!!お前たちをバハーに乗せてやる!!代わりに私に付き合え!!周囲にいるオオ型アーキアを討伐する!!」


「ざけんなてめえ!てめえのもんじゃ──「お供しますとも!!──ハンズ!!お前もぐだぐだ文句を言うな!!」


「市民の誘導を最優先しろ!不必要な戦闘は行なうな!収容が完了したらすぐに門を閉じるんだ!」


 その号令にナディが異を唱えた。


「待って!向こうのポートにまだ動けない人たちがいる!すぐに閉めたら駄目!」


 ヘンダーソンがまた吠えた。


「なあにいい?!お前という奴は「中佐!王族に向かってお前呼ばわりは「喧しい!この状況で王族もクソもあるか!──小隊をそっちに回す!死ぬ物狂いで行って来い!それまでここを死守しろ!「私も行きますから!」


「なあにいい?!」と吠えたのはヘンダーソンとアリーシュだ。


「馬鹿か君は?!せっかくここまでやって来たのにまた戻るって言うのか?!」


「そりゃそうでしょ私が言ったんだから──この子を預かって!代わりにそのライフルを寄越して「それ弾切れだぞ!」


 ナディがアリーシュに半ば無理やり子供を預け、もぎ取ったライフルを「使えねえ!」と言いながらアーキアの群れに向かって投げていた。


「ああ?!勿体ない!」


「ナディ・ゼー・カルティアン!お前の底意地見せてみろ!私のライフルを預ける!」


「馬鹿か!」とヘンダーソンに向かって吠えたのは下士官とアリーシュだった。


「行かせてどうするんだ!あの子は民間人だぞ?!それでも軍人か!」

「さすがに見損ないましたよ中佐!女の子に銃を持たせるだなんてそれでも軍人か!」


「五月蝿い!──さっさと行け!」


 罵倒されまくったヘンダーソンは銃を預けたナディの背中を見送った。


「ここはお前に預けたぞ!──コクアのメンバーよ!私に付いて来い!船まで案内する!」


 アーキアの大進行を前にして歪み合っていた彼が一つになって動き出した。

 ──人間にとって、最も強い力を発揮するのは『心』である。それはちょっとしたきっかけで─例えば、ナディの子供染みた文句であっても─変化が起こり、瞬く間に人から人へ伝わっていく。

 閉鎖的だった彼らは自らの生に対して活発に取り組むようになり、その結果として軍の規律を乱し、カウネナナイとウルフラグの垣根を越えてみせた。

 彼らに動き出すきっかけを与えたのは、彼らの生活の有り様について悩んでいたナディだった。

 

 ──それは、『王の気質』と呼べるものかもしれなかった。

※次回 2023/5/6 20:00 更新予定

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