TRACK 5
ビビット・ガイド
光り輝く大海原の上を駆けているのは三機の特個体だ、脚部に装着させたサーフボードを華麗に扱い海面を舐めるようにして進んでいる。
ただ、その内の一機は満身創痍の様相であり、サーフボードを操るのがやっとの様子だった。
マカナの機体だ、ナディの救出に失敗したマカナたちは急ぎジュヴキャッチのラフトポートに向かっていた。
ラフトポートを出発したのは夜も遅い時間、それから日付を跨いで深夜に機星教軍と邂逅し出現したアーキアと戦闘に突入、それから損傷したスルーズを海上で簡易的な整備と応急処置を行ない、昼を前にしてようやくマカナたちはラフトポートへ出発していた。
ウィゴーはほとほと疲れ果てていた、たった三機で大型のアーキアを相手にしたことも然ることながら、聞かん坊のようにやんちゃなマカナの相手をしていたせいもある。
「ああ、ああ、確かにマカナはセレンにいた時からやんちゃだったさ」
ウィゴーの機内は音楽で溢れていた。彼がウルフラグで出会った楽曲であり、お気に入りの後付けスピーカーからお腹を揺さぶるような激しいリズムが流れている。
「だからって整備している人間を急かす事はないじゃんか!こっちだって必死にやってるのに!ほんと昔からそういう所はちっとも変わらない!」
彼は器用にも、リズムに乗りながら愚痴を盛大に溢しながらアタッチメントデッキを操作していた。
今日の天気は晴れ、風は穏やか、けれど波は彼の心情を表したように荒れ模様だった。
足に伝わってくる波の感触は固く、波同士が何度もぶつかり合っているのでまるで先が読めない、けれど彼は乱暴とも言える方法で無理やり機体を動かしていた。
急がなければならない理由は一つ、マカナとアネラが看病をし続けていたナディが機星教軍に連れて行かれてしまったからだった。
「──よし!向こうに着いたら一言文句を言ってやる!優しいだけの男じゃないって所を見せてやるんだ!」
しかし、
「ウィゴーがちんたらしてるからお昼過ぎちゃったじゃない!──ああもう!こうしている間にもナディがどんどん遠くに行っちゃう!馬鹿──もうほんと馬鹿!」
「ご、ごめんよ〜僕も頑張ったつもりなんだけど…」
ラフトポートに到着し、特個体の駐機場にもなっている船内に機体を停泊させた途端、怒りを爆発させたマカナが機体から飛び出しそう罵倒してきたのだ。
彼の代わりにマカナを叱ってくれたのはアネラだった。
「こら!ウィゴーさんだって頑張ってたんだからそんな事言ったら駄目だよ!それにナディを救出できなかったのはマカナが一人で先行したからでしょう?!」
「あの状況でどうやって連携取れっていうのよ?!目の前にアーキアがいて?!軍の船もあって?!私のライトに気付かなかったそっちが悪いんでしょ?!」
「…チカチカしてた?」
「させてたわ!ずっとチカチカさせてたわ!」
「マカナ、もう一度確認なんだけど間違いなくナディちゃんだったんだね?」
荒ぶる猫のようにフーフーしていたマカナが、ウィゴーにそう尋ねられた途端すっと怒りを収めた。
「そう…間違いなくナディだったよ、目が合ったもん、きっと私だって気付いてくれたはず。まあ、向こうがスルーズを覚えていればの話だけど…」
友人を救えなかった後悔からか、マカナは見る見る意気を沈ませていった。
「とにかくナディちゃんは無事に目覚めて、一人でボートを漕いでいけるくらいの元気も戻ったっていうことだよ。皆んなの反対を押し切って看病を続けていた二人のお陰だよ」
「うんまあ…」
マカナが落ち着きを取り戻した所で辺りの様子を窺う余裕ができた、ウィゴーは倉庫を見渡し感じた違和感をそのまま口にしていた。
「誰も来ないね?何かあったのかな」
「言われてみればそうですね…それに当直の人もいないようですし…」
本来であればウィゴーがやっていた当番制の当直(見張り役みたいなもの)であったり、帰投した機体の整備を行なう整備士たちがいるはずである。
それなのに誰もいなかった、広い倉庫には帰ってきたばかりの三人しかいなかった。
「とりあえずヴィスタを探そう、ナディちゃんの事を彼に伝えるんだ」
ウィゴーの言葉に従った二人が、どっと押し寄せてきた眠気と疲労を無理やり抑えつけて歩き出した。
駐機場になっている倉庫からジュヴキャッチのメインポート(大広場のようなもの)へは一本道である。船の横っ腹に空いた穴からイカダで組まれた道が続いており、高さ二〇メートルを超す船が太陽を隠してくれていたので日陰の道になっていた。
その道を歩いて到着したメインポートも、もぬけの殻でしんと静まり返っていた。
「何かあったどころの騒ぎじゃないよ。何があったの?」
「知らないわよ、私たちを放ったらかしにしてバーベキュー大会でもしてるんじゃない」
「そんな呑気な…──あ、ミガイがこっちに来た」
メインポートは直径一〇〇メートル程の広さがあり、その上にジュヴキャッチの本部であったり店であったり個人の家であったりが所狭しと建てられていた。
ミガイがやって来たのはメインポートの北側、その先は対アーキア用に設置された迎撃装置が並ぶ非戦闘員立ち入り禁止のポートがあった。彼はそこから走ってやって来た。三人は嫌な予感しかなかった。
「──やっと帰ってきたてめえら!こっちは大変な事になってんだぞ!」
「私ら今日当番じゃないから戦闘はあんたたちで勝手に──「ノラリスが起動したんだ!勝手に!いいからこっち来い!!」
三人は言われるがままに走り出した。
走ってやってきた立ち入り禁止のポートには、当番で詰めていた人たちが行なったらしいバーベキューの跡があった。
それを目敏く見つけたマカナが一言文句を言ってやろうと口を開くが、結局何も言えなかった。
それはパイロットと同じように眠り続けていたはずのノラリスが目の前にいたからである。
下半身は海の中に没し、上半身だけを露わにしていた。
口の端がバーベキューソースで汚れている人たちがノラリスに銃口を向けている。
「──何やってんの!ノラリスは敵じゃない!」
「だ、だけど!こいつが突然あ、現れて!ナディは何処にいるって──そう!喋ったんだぞ?!」
バーベキューの串を咥えていた男がそう錯乱気味に答えていた。
マカナはノラリスを見上げた、顔の左半分が日光を反射していたため眩しく、目を細めた。
当番の男が言ったように、機体の外部スピーカーから男性の声が流れてきた。
「ナディは何処にいる、私も彼女が目覚めたことを確認した」
「──!!ほ、ほんとに喋った…な、中に誰か乗っているの?!」
真っ先にその事を疑ったマカナがノラリスに声をかけると一人でにハッチが開き、五年前のどこか懐かしさを覚える無人のコクピットが露わになった。
「私のパイロットはナディだけだ、故に誰も乗っていない。ここにいる人間たちからナディの行方を知っているのは君たちだけだと教えてもらった。で、何処にいる?」
「そ、それは……」
また一人でにハッチが閉じ、ロックボルトが作動して密閉状態になってもマカナは答えられなかった。
あと少しというところで友人を救うことができなかった、その事を責められているように感じたから何も言えなかった。
助け舟を出したのは共に同行したアネラだ。彼女は五年前までカルティアン家の影武者を務めていたこともあり、こういう対人関係は滅法強かった。
「ナディは機星教軍に捕まってしまったと思われます。場所はここより北東方面にあるルカナウア・カイです」
「そこにナディがいるんだな?」
「はい、私たちも助けようと思ったのですが…マカナの話ではアーキアによって乗っていたボートを転覆させられて海に落ちてしまったようです。それから早朝になって軍の船が突然動き出したので…推測ですが軍に救出されたのではないかと…」
「君たちと軍の関係性についてはこの際考慮しない、ナディが無事であればそれで良い」
鋼鉄の喋る巨人と相対する二人の前に割って入る者が現れた。
「──今日まで面倒を診てくれた二人に礼もしないとは、耳にしていた程大した存在ではないのかもしれないな、ノラリスよ」
ヴィスタだ。
そう糾弾を受けたノラリスの声音に変化が起こった。アネラと話をしていた時は堂々としていたのに、鋼鉄の巨人が人間相手に慌て出した。
「い、言おうと思っていた!それなのに君が先にそれを言ったんだ!」
「本当か?」
「ほ、本当だ!──どうもありがとう、主に変わって一先ず礼を言わせてもらう」
「ど、どうも…」
「ど、どういたしまして…」
ノラリスの不思議な間合いに困惑する二人、堂々とした佇まいを見せたかと思えば、ヴィスタに指摘されて子供のように慌てた姿を晒していた。
対アーキア用迫撃砲の台座から姿を見せたヴィスタが二人の前へ移動した。
「ノラリス、お前に訊きたい事がある。ナディが目覚めたのを確認したと言っていたが、お前には遠隔通信の力があるのか?」
ノラリスが再び堂々とした佇まいに戻って「いかにも」と答えた。
「私とナディは月面基地のサーバーを経由して常時オンライン状態である。彼女が目覚めるまでバイタルサインはチェックしていたし、ある程度の距離であれば位置情報もフルタイムで取得できる」
ヴィスタは耳慣れない言葉がと飛び出してきたので少しだけ焦っていた。
「げ、げつめんきち…とやらは良く分からんが…位置情報の取得ができるのなら何故アネラたちに居場所を尋ねた?」
「大気中に散布されているナノルーターの影響を受けて無線通信が困難な状況になっている、故に彼女たちに尋ねた」
「ならば俺たちと取引きをしよう、ノラリス」
潮風に煽られはためく髪を抑えながら、ヴィスタがさらに一歩踏み出した。
「ナディの救助に俺たちも力を貸そう、代わりに我々ジュヴキャッチに組みしてほしい」
「──元よりそのつもりである。君たちが悪人であれ善人であれ、ナディを見捨てずに面倒を見てくれていたのだから恩は返さなればならない」
「…………」
ヴィスタは冷や汗が出る思いだった。
以前は目覚めないナディを見切るべきだとポート内で協議が交わされた事があった、その取り決めを無視してナディを救ったのはマカナとアネラの二人だけである。
二人の身勝手とも言える行動にジュヴキャッチが救われた事になった。
(ナディを見捨てていたら…こんな得体知れない機体に報復を受けていたかもしれない…くわばらくわばら)
「時にジュヴキャッチのリーダーよ、私からも頼みたい事がある」
「何だ?」
「この海や空はとにかく移動がし辛い、ナノルーターが機内に紛れ込んで運動機能が低下し十分な力が発揮できない。だから君たちがやっているように私の機体にもサーフボードを付けてほしい。波乗りにちょっと興味がある」
ヴィスタは即座に了承できなかった。
「そうしたいのはやまやまだが、生憎資材が不足している…準備をするにしても時間がかかるぞ」
ヴィスタの後ろに控えていたマカナが、それなら自分の機体を使えと提案してきた。
「いいのか?」
「いいわよ、損傷しているのは機体部分だけだし、サーフボードとアタッチメントデッキは健在だから交換だけで済むんじゃない?」
「交換にはどれくらいかかる?」
「──二日だ」
まだいくらかノラリスのことが怖いのか、マカナがヴィスタの背中に隠れながら話しかけていた。
「ねえノラリス!私をあなたのパイロットにしてくれない?勿論ナディが戻ってくるまでの間だけでいいから。波乗りに興味があるんでしょ?私が教えてあげるわ」
「いいだろう、部品交換も含めてよろしく頼む」
「取引き成立だ」
張り詰めた空気から一転し、迎撃用ポートがにわかに活気づいた。
バーベキューを再開する人、整備を始める人、その場で眠り始める三人など、無秩序かつ底抜けに明るい声がポートを包んでいた。
✳︎
風車がからからと音を立てて回っている、その背後には世界を飲み込んだ海と、すっかり丸裸にされてしまった山があった。
大災害を生き残った新都の城には、風力発電用の風車がいくつも取り付けられていた。
得られた電力は城内に回され、新都に住む人たちのライフラインになっている。
その恩恵をナディもまた受けていた、いや、受けさせられていた。
「だから!幻覚じゃありませんってば!この目で見たんですから!」
ナディを診察していた担当医が腕組みをして顔を曇らせていた。
「だからね、海の中で人と出会ったと言われても、医者としてはまず頭の障害を疑うの、分かる?その障害を放置することはできないの」
「けれど検査に問題は無かったんでしょう?!」
「それが──そうなんだよね〜…全く異常が見られない…」
ナディたちが新都に到着したのは随分と前、まだ二度寝ができる時間帯であった。だが、ナディがアリーシュに「海の中で父と会った」と言ってしまったがために、昼を大きく跨ぐまで検査を受ける羽目になっていた。
ナディの検査を担当していた医師が腕組みを解き、大きく息を吐き出してから言った。
「一日に使える電力にも限りがある、今日のところは一旦止めにしよう。長時間お疲れ様でした」
(はあ〜〜〜やっと終わった………)
医師がリノリウムの床を鳴らしながら診察室を後にし、代わりに数人の女性が入ってきた。
「カルティアン様、お疲れ様でした。お食事のご用意ができております」
「ど、どうも…」
その女性たちはナディの身辺を任された給仕の人たちである。ナディは自分とそう歳が変わらない相手に傅かれる事に慣れておらず、新都に到着してからずっとむず痒い思いをしていた。
ナディの元に付いたのは三人だ、そしてその内の一人だけが手袋をはめていた。
(──ああ、料理を運んでくれる人なのかな)
ナディはそう思った。
◇
ナディはそう思った。
(意外とミーハーなのかなこの人たち)
食事を終えたナディは給仕の案内で城内を回っているところだった。
五年前と比べて城の中も随分と様変わりをしている、権威を示す調度品は全て退かされ日用品が並べられていたり、長い廊下の途中には簡易型のテントが張られたりもしていた。
それらの様子を眺めながら、ナディは世界のみならず日常までもが変わってしまったんだと、給仕たちの相手をしながらひしひしと感じていた。
(こうなってしまったのは私のせい…?)
「──カルティアン様?」
「──あ、いいえ、何でもありません」
張られていたテントを抜け、差しかかった階段の手前でそう声をかけられていた。
給仕を務めるうちの一人、ナディの一歩を前を行く女性が首を傾げている。耳にかけていた揉み上げがはらりと落ちていた。
「申し訳ありません、喋り過ぎたでしょうか?」
この給仕は城内の説明、というより日頃の鬱憤やら誰それがムカつくなど、所謂愚痴がメインになっていた。ナディも相槌をうつのがやっとだった。
「そんな事ありませんよ、少し考え事をしていただけです」
もう一人の給仕が割って入ってきた。
「カルティアン様、そのような丁寧な言葉遣いは必要ございません。何でしたら乱暴に扱ってくださっても構いませんので」
「いやそう言われましても…私こういう事は経験がありませんのでどうしてもかしこまってしまうんです」
先を歩いていた給仕が胸の前で両手を合わせてこう言った。
「今まで様々な方のお世話をしてきましたが、そのどの方よりもカルティアン様が一番お優しいです…」
(どうせ皆んなにも同じ事言ってるんでしょ)とは言わず、「いや単に慣れていないだけです」とだけ答えていた。
「…………」
ナディの傍らにいる給仕が話している中でも手袋をはめている女性は会話に参加せず、窓の外に広がっている海を見やっているだけだった。
その女性を気にかけたナディが声をかけるも、他の給仕に先を促されてしまった。
「上階は教軍の方たちのお部屋になっています。そこから新都を見渡せますので是非お越し下さい」
「は、はあ…あの、あの方は…」
「後ほどご説明させていただきます」
(後ほどって何?)
ひっそりとした雰囲気がある階段を上り、客室がずらりと並ぶフロアにナディが到着した。
恭しく、けれどどこか他意を含ませた給仕の案内に従って廊下を歩く、その先はバルコニーになっているようで給仕の一人がガラス戸を開け放った。
屋外に出たナディは潮と雑多な匂いに包まれた。匂いだけではなく、人々の喧騒もバルコニーにまで届いていた。
ナディはこの時に初めてイカダで作られた街を見た。
「うわあ…凄い…イカダの上に家が建ってる…」
「はい、家のみならず大地そのものが海に飲まれてしまいましたから、今となってはイカダを組んでその上に家を建てています」
イカダの街は複雑に入り組んでいるようだ、家と家の間に道が延び、それは不規則で思い付いたかのように増設され、その道を人々が肩をぶつけながら歩き回っていた。
ナディから見て右手に軍艦が停泊している桟橋があり、中央から左手にかけてイカダの街が延びていた。
ナディたちがいる位置からでは見ることはできないが、イカダの街と城を分けている門扉があった。
バルコニーから街を眺めている彼女たち一陣の強い風が吹きつけた。その風は夏にそぐわない冷たい風であり、どこか不安を煽るようにして通り過ぎていった。
「この街に住んでいる人たちの生活はどういったものなんですか?」
「食べ物に関しては全て配給制です、個人で漁をすることは禁止されています」
「配給制…それは誰が決めているんですか?」
「機星教軍の方たちです」
「きせいきょうぐん?──それって私を助けてくれた人たちですか?」
「はい、機人軍と威神教会が合併して誕生したと聞かされています。軍の方たちがこの街を守り、私たちは生活に必要な物を作ったり、あるいは皆んなで食べる物を摂ってきたりしています」
「それは何というか…」
「何でしょう?」
説明していた給仕が風で煽られる髪を抑えながら首を傾げた。
ナディは胸に蟠る違和感を上手く口にする事ができず、思い悩んだ結果、結局思っていた事をそのまま言葉に代えた。
「ただあなたたちが使われているだけではありませんか?自由が無いというか…守ってやる代わりに食べ物を用意しろだなんて…そんなの──」
給仕がはっきりと答えた。
「ええ、昔と何ら変わりません。その土地に住む貴族様に日々の糧を納め、そして代わりに守ってもらう──何かおかしいでしょうか?」
ナディは覚えた違和感がさらに強くなり、給仕の言葉を前にして黙ってしまった。
(こんな状況になってもまだ昔のやり方を続けようとするの?五年前ですら不完全だったというのに、その不完全なやり方をこの人に押し付けているの?)
それはあんまりだ、とナディは思った。
けれどやはり、覚えた違和感を上手に説明することができない、ただ、現状について思う所は無いかと問う他になかった。
「その…辛いとか、自由がないとか、他にやり方はないのかなとか、思ったりしませんか?」
「そう…申されましても…」
尋ねられた給仕は困ったように眉を寄せ、質問の答えの代わりにこう言った。
「──やはり王家に名を連ねるお方は私どもとは違います。そのような深いお考えをお持ちなのですね」
「深いってわけでは…」
「私たちは今日明日の仕事を気にするばかりでございます、為政についての考えなどとんとございません」
(そうなの…?私の考えって深いのかな…いや単に変な所を気にしているだけだと言われたらそれまでのような気がするけど)
自分の思考に没しかけた時、軍艦の船溜まりになっている桟橋から騒がしい鐘の音が届いてきた。
ナディの相手をしていた給仕たちの顔にもさっと緊張が走った。
「──カルティアン様!どうぞこちらに!」
「──えっ、何かあったんですか?」
「アーキアです!アーキアが現れました!この鐘の音はそれを報せるものです!」
人々の逞しい喧騒も敵を警戒するものに代わっており、家屋の扉が次々と閉まっていく、その音に混じってイカダの道を軍靴が踏み鳴らしていた。
ナディも城内へ急ごうとしたが、手袋をはめた給仕はこの状況になっても未だぼんやりとしており、どこを見るでもなくただ空を眺めていた。
ナディは彼女の手を取ろうと腕を延ばすが──
「なりません!彼女に触ってはいけません!」
「──なっ」
別の給仕に止められてしまった。
✳︎
「またアーキアが出たのか?」
「はっ!海よりヒト型のアーキアが三体出現したと報告を受けております!」
「しっかりやれよ、これ以上病人を増やされたら堪らないからな」
「…はっ」
「…………」
甲板警備に出ている兵士は、バベルにそうぞんざいな物言いをされて思わず文句を言いかけていた。
(自分はマキナだからといって…病人が増えたら困るだなんてよく言えたもんだ)
それから今日は見慣れない子供もいる、見ているだけで汗が出てくる冬用のコートを羽織った女の子だった。
(それに何だあの生き物は、よく生き延びられたな…)
バベルとその女の子の足元には一度も見たことがない動物の赤ちゃんもいた、兵士はただ困惑するばかりだった。
彼がいるのは新都から少し離れた所にある何も無い海の上である、だが下にはマリーンにとってとても重要な物があった。
稼働が停止してしまったガイア・サーバーだ、彼らはバベルの命令で水没した電森林室を守っていた。
新都を守護する本隊から外れた一隻の軍艦に彼らはいた。新都の城の向こうにはイカダの為に木々を伐採された山があり、生き残った数少ない家畜の姿もあった。
後部甲板から乗り込んできたバベルが少女の手を引き船内へ入った、他の兵士らの視線を集めながら勝手知ったると中を歩き、船首の下に位置しているアンカー室に入っていった。
到着した二人を出迎えたのは艦を預かっている男性だ、心なしか無理やり上げた口角が歪んでいた。
「ば、バベル様…既に連絡を受けていますが…ほ、本当に?」
「二度も同じ事を言わせる奴は好かん。さっさと準備を始めてくれ」
「しょ、承知しました」
彼がバベルから受けていた連絡は「アンカーで自分たちを電森林室まで下ろせ」というものだった。
マキナについてよく知らない彼からしてみれば、それはただの自殺行為だった。
(水中ボンベも持たずに海へ下ろせ?)
艦を預かる男性が士官たちへ指示を出し、バベルに言われた通り準備を進めた。
アンカー室の天井は低く、船首の形に沿った造りになっている。その三角形の作業場は中央にアンカーの上げ下ろしをするチェーンが置かれており、その先が二つに分かれていた。計二つのアンカーの片方は既に海に没しており、もう片方のアンカーにバベルたちは足を乗せていた。
「ガイア、肺呼吸の機能を停止しろ。無酸素でも一時間程度なら平気なはずだ」
「…………」
ガイアから返事はない。バベルは少女の鼻と口を押さえて確かめた。
ガイアはバベルと出会ってから一度も言葉を発していない、けれど言葉は理解できるのか、彼の指示に従ってこの海までやって来ていた。
五分経過してもガイアの様子に変化はない、ほんの少しだけ膨らみがある胸にバベルが手を当てて最後の確認を取った。
「──よし。下ろしてくれ」
チェーンを固定している分厚い金属製の杭を乗組員がブロックハンマーで叩いて外し、バベルたちを乗せたアンカーがずるずると下りていった。
アンカーの自重によって落下速度が増し、海面に叩き付けられるような形でバベルたちは海の中へ潜った。
彼らはマキナだ、人とは違う。いちいち潜水装備を身に付けなくても短時間であれば潜水は可能であり、だからバベルはこの雑なやり方でガイアを電森林室へ連れて行こうとした。
激しく立ち上る泡が彼らを包む、電森林室がすぐに見えてきた。
五年前までは露呈するのを防ぐために展開していたドームも、今となっては破損し何の役にも立っていない、ただ半端に開いてガイア・サーバーを覗かせているだけだ。
アンカーが海底に着き、バベルはガイアの手を引きながらサーバーとなっている生きた中央処理装置へ向かった。
(果たしてどうか…こいつでも反応しないならキラの内部にある炉も深刻なダメージを負っている証拠だ…)
いくら水深五〇メートルとはいえ、水圧は存在している。地上とは違う圧力に二人のマテリアル・コアが小さな悲鳴を上げ、そのせいもあって歩みがひどく遅かった。
ガイア・サーバーの前に二人が立った。バベルがガイアの手を取り、手のひらをサーバーに向かって広げさせている。本来であれば、これでログイン画面が出現してアクセスする事ができる。
けれど何も反応が無かった。ただ水流に任せて、決して枯れることはない葉が揺らめているだけだった。
(ちっ、こいつでも駄目なのか…こんな事になるならオーディンの子機で悪戯していた時に細工をしておけば──いや後の祭りだ)
バベルはガイアの手を取ってすぐに引き返した。
少し歩いた先にアンカーがあり、そこから海面に向かってチェーンが延びている。そのチェーンを伝いながら、船と彼らの連絡役を務める一人のダイバーがゆっくりと下りてきていた。
突然、激しい水流が押し寄せアンカーチェーンが大きくたわんだ、バベルは辺りを見回し、そしてすぐにその発生源を見つけた。
アーキアだ。イルカの形を模したアーキアが二頭、ダイバーに向かって真っ直ぐ向かってきていた。
(運の悪い)
ダイバーはまだ気付いていない、バベルはその時を何もせずにただじっと待った。
アーキアは人間にしか敵意を見せない、バベルたちマキナには一切の反応を見せなかった。
ダイバーがアーキアにようやく気付いた、だが互いの距離はもう一〇メートルも無い。慌てたダイバーの口から大量の酸素が漏れ出て、無抵抗のままアーキアの体当たりを食らってしまった。
たったそれだけの事でダイバーが事切れてしまい、糸が切れてしまった人形のように漂い始めた。
(連れて行かれたか…)
アンカーによる引き上げを諦めたバベルが、再びガイアの手を取って自ら海面へ向かっていった。
✳︎
「びびっと来た!!」
「っ?!」
「ナディが危険な目に遭っている!──心拍数増大!アドレナリン分泌!」
「うるさい!!静かにして!!」
「っ?!」
マカナが放ったスパナが、整備中のノラリスの頭部にクリーンヒットした。
時刻は茜差す時間帯、夜通しナディの探索を行なっていた三人は迎撃用ポートで眠りこけており、ノラリスは整備士たちの力を借りてアタッチメントデッキの換装を行なっていた。
「八つ当たりされたのは生まれて初めてだ…マカナ!君はナディのことが心配ではないのか!」
ノラリスの怒鳴り声に他の二人も目を覚まし、イカダの上で寝返りうった。
「ん、んん〜…もう、なに…」
「いたたた…変な所で眠ったから体が…」
アネラのすぐ隣で眠っていたマカナが体を起こし、胡座をかいて大きく伸びをした。
「ん〜〜〜はあ…ノラリス、あんた、確か居場所は分からないって言ってたわよね、それがどうしてナディに危険が迫っているって分かるの」
「居場所は分からずともバイタルサインは分かる。彼女が何処にいても心拍数は常にチェックしている」
「ひどいストーカーみたい」
「っ?!」
マカナの暴言にびくりと反応したノラリスの腕が持ち上がり、その腕の上に立って整備をしていたジュヴキャッチの一人が海に落ちた。
機体を浮かせるために取り付けられたブイに、落ちた整備士が上がってきた。
「──マカナ!変な事言うんじゃねえ!仕事にならねえだろ!」
「整備はあとどれくらいで終わるの?」
「二日だって言っただろ!」
「ナディがピンチになっているみたいだから早くして!今日中!」
「あんだと──代わりにその胸揉ませろ!」
「今日中に仕上げてくれるんならね!──アネラ!ウィゴー!あなたたちも準備して!ノラリスの換装が終わったらすぐに出発するわ!」
二人はさっと立ち上がり、メインポートへ向かって走っていった。
寝起きに文句を言っていた割には、素早い対応をしてくれたマカナにノラリスは驚いていた。
「私の話を信じるのか?」
「そういう約束でしょ。あんたがナディのことを守っていたのは昔から知ってるし、私たちに嘘を吐くメリットがない」
「…………」
「聞こえてる?」
「ああ、きちんと聞こえている。ナディは友に恵まれているようだ、安心したよ」
「そりゃどうも。私も準備をしてくるから、それじゃあまた後で」
そう手を振るマカナは夕焼けに染められており、ノラリスは茜色に変わった彼女の瞳に『暖かさ』を感じ取った。
(粗雑な態度が目立つが根は優しい人間だ、そう…実りを宿した黄金色のように)
それはこの世界から失われた大地だった。
※次回 2023/5/3 12:00 更新予定