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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
255/335

TRACK 4

ウォーターメロン



 彼は常に"不満"を抱えていた、という事である。

 厳密に言えば性別の区別は後付けでしかないが、グラナトゥム・マキナの一人であるバベルは確かに男性の姿をしていたし、また本人の性自認も男性であった。

 第一テンペスト・シリンダーから脱出し、避難場所の第三テンペスト・シリンダーを転々としていたバベルは常に不満を抱えていた。


(女がいないのはやる気出ないな〜…)


 その不満は大災害を経てなお続いており、彼は自分の周囲に女性がいないことを嘆いていた。

 彼は今、新都の城に居を構えていた。生き残ったカウネナナイ人たちに手を貸し、その見返りとして彼はある種の『国王』のような待遇を受けていた。

 新設された機星教軍にドローンを与えたのは彼だ、そして、スーパーノヴァとガイア・サーバーが接触を果たして起こった電子的大衝突、『エレクトロ・インパクト』の後に発生した生命体に『アーキア』と名付けたのも彼であった。

 バベルの目的は()()にあった。


(けどまあ…こんな世界になったお陰で俺のやりたい事がようやくやれる)


 概念の全掌握。

 『概念』とは、"そういうもの"だと人が認識する形が無い理論体系の事を差す。"理論"とは言うが、それは一重に共通認識であったり共通の感情の事も差す。

 例せば、海を知らずに山の中で育った村民たちに対し、海の生き物を見せたらどのような反応を示すだろうか。

 『驚き』、『嫌悪』、『好奇心』、これら三つの感情が湧き起こるに違いない。そして村民たちは考える、「外からやって来る人間は良くも悪くも刺激をもたらす」と。

 この考えこそがバベルの言う『概念』というものであり、彼はこの概念を自らの手に収めたかった。

 彼は身辺の贅沢を好まない、簡素な客室で一人、いつもと変わらない思考実験を海を眺めながら行なっていた。

 彼の元に一人の軍人が訪ねてきた、無遠慮なノック音に思考を遮られ、バベルは眉を顰めた。


「入れ」


 錆びついた蝶番の扉が開き、軍人が報告を行なった。


「かねてから監視していたノラリスのパイロットが覚醒、無事に保護致しました!現在ルカナウアの西端にて治療を受けています!到着は明日の早朝頃を予定しています!」


「もっと早くに到着できないのか?」


 報告に来た軍人が顔を曇らせた。


「空に大量のハフアモアが存在しているため飛行は難しいかと…」


「──ちっ、面倒臭い…まあいい、分かった」


 軍人が踵を返して部屋から退出した。

 再び一人になったバベルが思案を巡らせた。


(花粉のようにうじゃうじゃと…そのせいで特個体が飛行できない…移動の大幅な制限は何をするにしても障害になる)


 大気中にハフアモアが存在していても飛べない事はない、だが、内熱機関に紛れ混んだ異物のせいで飛行ユニットが必ず故障し飛行を難しいものにさせていた。

 現在のマリーンでは空中、海中における特個体の運用がほぼ不可能になっていた。

 それらを一掃する手段は今のところ存在せず、その取っ掛かりになると睨んでいるのが『ノラリス』だった。


(欲しいものがいっぺんに手に入った、まずは成長したあいつの姿を堪能させてもらうとするか)


 まだ朝日が遠く、暗い室内でバベルは一人、微笑みを溢した。



✳︎



 新都ルカナウアの軍に救助されたナディは心から安心し、アリーシュの案内でやって来た艦内の食堂で一息つくことができた。

 大災害前にはナディもお世話になった食堂だ、数年経っても変わらないその姿に安堵を覚えるが、それは時間が経つにつれて薄らいでいくのを感じざるを得なかった。

 アリーシュも然ることながら、他の乗組員たちの様子がおかしいのだ。


(何というか…皆んなが元気がなさそう…)


 アリーシュの采配で食事を用意してもらっているところだ。ナディは食べ物が用意されるまでの間、アリーシュに尋ねていた。


「あの…本当に良いんですか?」


「何がだ?」


「食べ物を分けてもらっても…アリーシュさんもあまりお元気そうには見えないんですけど…」


 アリーシュは重ねた年齢だけではない寂しい笑顔を浮かべた。


「…そうだね、先に話しておこうか。五年前に起こったあの災害は、私たちウルフラグが引き起こしたものとされているんだ」


 その言葉にナディは驚いた。


「──どうして?!世界がこんな風になってしまったのはあの化け物の仕業でしょう?」


「その化け物をこちらに連れて来たのが私たち、という事だよ。それで、生き残ったコクアのメンバーはカウネナナイでお世話になっているが…まあ…あまり良い待遇ではないのも確かだ。それに世界がこんな風になってしまったから食糧や資源も乏しくてね、皆んなひもじい思いをしている」


「いやそんな…それだったら食べられませんよ」


「気にするな、保護した人では誰でも飯を食わせるという決まりがあるんだ。…気にしなくていい」


「わ、分かりました…。いやでも、どうしてウルフラグのせいにするんですか?」


「…………」


 アリーシュがぴたりと口をつぐみ、代わりに食堂にやって来た軍人が答えていた。


「失礼、この艦を預かるヘンダーソンだ。何故、という事だが、それは君が一番良く理解しているのではないのかね?ナディ・ゼー・カルティアンよ」


「それはどういう…意味ですか?」


「君が乗っていたノラリスという機体を追いかけてあの化け物がウルフラグからカウネナナイに渡った、という見解だ。そしてこれを否定できる材料が今のところない、だから君たち、というより──」


 ヘンダーソンと名乗った艦長が、いくらかの迷いを見せながら「君のせいだ」と言い切った。

 これにアリーシュが素早く反応した。


「艦長!救助されたばかりの怪我人にかける言葉ではありません!」


 ナディは困惑した、様々な感情が胸に沸き起こった。

 五年間に及ぶ長い睡眠、すっかり変わってしまった世界の景色、海の中で出会った父と思しき人物、それから「お前のせいだ」と糾弾された事。

 

(何で私が…──ああそうだ、あの時は皆んなに伝えようと必死になっただけで)


 段々と腹が立ってきた。

 下げていた視線をきっと持ち上げ、ナディはヘンダーソンを睨んだ。室内の明かりは電気からカンテラに変わっており、弱々しい灯りに照らされた強面の軍人もナディのことを睨み返していた。


「何かね?」


「…私たちのせいではありません、あの時、私は迫っていた危機を皆んなに伝えようとしただけです。それなのに──……」


 何が起こったのか、どうしてあんな混乱が起こってしまったのか、ナディはまだ知らない。

 何が起こったのか知っているヘンダーソンがまたも言い切った。


「あの時、この船で騒動を起こしたのはグガランナ・ガイアというマキナだ。奴めはブリッジにいた人間を皆殺しにして戦場を混乱に陥れた。奴めが混乱を起こすまでは我々機人軍もウルフラグに協力することを了承していたのだ。──それなのに!場を乱したのはやはり君たちだ」


「…………」


 ヘンダーソンの声には怒りと後悔が滲み出ていた、その気迫にナディは気圧され何も言い返せなかった。


「この世界は変わってしまったよ。どれほど願おうとも、我々が育った大地が元通りになることは二度とない。──邪魔をした、今は体力の回復に努めてくれ」


 軍服ではない、麻で出来た衣服に身を包んだ女性二人が食事を運んで来た。それと入れ替わるようにしてヘンダーソンが退出し、ナディは出されるがまま食事の手を進めた。



「気にするな、君が悪いわけではない」


「はあ…でもあんな言い方されたら…」


「そりゃ腹も立つだろうな。寧ろ私は君が腹を立てて安心したよ」


「それはどういう意味なんですか?」


「変に塞ぎ込まれるよりそっちの方が健全だと言いたいんだ。新都には生きる意味を見出せずに──ああいや、何でもないよ」


 変な所で話を区切ったアリーシュが、食堂前から続く廊下の途中で立ち止まった。彼女の隣にはシャワールームの入り口があった。


「とにかく今日は休みなさい、私も君に訊きたい事があるしそれは君も同じはず、けれど休息は取らなければならない」


 不満気な態度を見せるナディの背中をアリーシュがシャワールームへそっと押し出した。その時、子供から大人の体付きへ変わった事にアリーシュは驚いていた。


(たった五年でこんなにも…寝た切りだった彼女を介抱していた人が何処かにいるはずだ…)


 それはもしかしたら、ナディを救助する際に出現したジュヴキャッチなのかもしれない、アリーシュはそのように考えた。


「明日、きちんと話してくれるんですよね」


「勿論」


「分かりました。──あ」


 足を一歩踏み出した状態でナディが立ち止まり、そのまま姿勢でアリーシュへ振り返った。


「助けてくれてありがとうございました」


 そう素直にお礼を言い、ナディがシャワールームへ向かった。


 程よい温度の湯が頭上から流れ落ちてくる。その感触に身を委ねながらナディは、起きてからここに来るまでに出会した出来事について考えを巡らせていた。


(私の面倒を見てくれていたのはきっと…マカナだ)


 ナディはアーキアに打ち上げられ、海に没するまでの間でスルーズの機体を視認していた。

 純白だった機体は汚れてくすみ灰色に、あちこちを損傷しているようだったが確かにスルーズだった。

 あと少し、という所で鋼鉄の(かいな)から逃れてしまった。


(マカナは生きている…?つまりヴァルキュリアも近くに…いる?)


 ナディは閉じていた目蓋を開け、すっかり濡れてしまった自分の体を見下ろした。

 もう疑いようもない大人の体だ、高い視点にも慣れ、持て余しぎみの長い腕で髪を掻き上げた。

 

(ヴァルキュリアとアリーシュさんたちは敵対しているのかな…攻撃しているようにも見えたけど…分からない…分からないと言えばあの人もそう…あれは私のお父さんだった…?)


 面を上げ、シャワーの湯を顔に受ける。少しだけ潮の香りがした。


(他にも分からない事はある、グガランナさんの暴走やあの化け物の正体…それからウルフラグにいる皆んなのことも…ピメリアさんとだってあんな別れ方をして…)


 ナディとピメリアは半ば喧嘩別れのような形で別々の立場についていた。ナディはコクアのメンバーとしてカウネナナイに残り、ピメリアは責任者としてウルフラグに帰国している。

 ナディはその事を少なからず後悔していた。


(こんな事になるなら──)その言葉は唐突に口から出てきた。


「──ああ、ライラ」


 喉の底から、体の奥からその言葉が口元へ迫り上がってきた。

 ナディを愛し、そして彼女もそんな相手に心を広いて好意を抱き、いつの間にかなくてはならない存在になっていた人の名前を思い出していた。


「どうして──ああ、ライラ…ライラは生きているのかな…」


 ナディの目の前には酷く汚れたタイルがあった、スルーズの機体のように白だった物が汚れて灰色へ、所々ひび割れて今にも剥がれ落ちそうだった。

 そのタイルを見つめながら、ナディは湧き起こった『帰りたい』という欲求を堪えた。今すぐにでも帰って安否を確認したかった。

 けれど、世界がこんな形に変わってしまい、アリーシュたちでさえ五年間もカウネナナイに留まり続けている、きっと帰る方法が無いのだ、だからここにいる。

 今はただ、堪えるしかなかった。



 良い眠りに付けなかったナディは朝日が昇ると同時に目を覚まし、とくに言われたわけでもないのに自らブリッジへ向かっていた。

 いくら五年前と言っても船内の構図はきちんと覚えており、ナディは何ら迷うことなく寄り道もせずにブリッジへ到着した。

 ブリッジには昨夜「お前のせいだ!」と言ったヘンダーソンが詰めており、他数人の管制官の姿もあった。

 ヘンダーソンはナディの登場に驚いていた。


「──びっくりした!……無言で立つな幽霊かと思ったではないか」

 

「おはようございます」


「ああおはよう、ぐっすり眠れていなさそうだな」


「勿論です」


「壁の向こうにいる家族が心配か?」


「壁の…向こうとは?」


「本当に何も知らんのだな。──地図を出してくれないか」


 白髪を刈り上げているヘンダーソンが管制官にそう声をかけ、「先に食事を取ったらどうだ」と言葉を返されていた。


「艦長、出航してから休息なしでしょう?いい加減倒れますよ」


「気にせんでいい、社会が崩壊したから労働法も消え失せたわ」


 それは嫌だなとナディは思いながら、管制官から差し出された地図に目を落とした。

 ヘンダーソンの大きな指が、カウネナナイとウルフラグの間に存在する海を上から下へなぞっていた。


「この海域に高さ四〇〇〇メートルを超える白い絶壁群が横たわっている、通称ホワイトウォール」


「ホワイトウォール…」


「そうだ、そのホワイトウォールが両国間の行き来を断ち切っている、船で迂回しようにもまるで抜け道が無い」


「航路が駄目なら空路は?特個体でその壁を越えたらいいのではありませんか?」


「無理だ、大気中に存在している小型のハフアモアがエンジンに紛れ込んで満足な飛行の妨げになっている。これまで何度も試してきたが全て失敗に終わった」


「そんな…──なら、特個体を使ってその山を登ることは…」


 ヘンダーソンが顔色を変えずに「それも無理だ」と言った。


「お前も見ただろう?あの黒い化け物を。ホワイトウォールはあの化け物が産まれている所だとされている。それに絶壁だと言っただろう、傾斜は四〇度に近い、どんな装備があっても不可能だ」


「四〇度って…ほぼ垂直じゃないですか…」


「だからそうだと言った。結論から言えば、カウネナナイからウルフラグへ渡る手段は無い」


「わ、分かりました…それと、あの黒い生き物は何ですか?シルキーとは違うんですか?」


「名前はアーキアという、お前たちの言うシルキーを核にした生命体だ。全身がただ黒く、そして人間を取り込む力がある。触れたら最後、廃人になる」


「何ですかそのチートみたいな敵」


「ちーとという言葉は良く分からんが「良ければ教えますよ「結構だ。とにかく質の悪い生き物だ、大型から小型まで存在してこいつの対処に苦慮しているのが現状だ」


「そうですか…その敵と戦いながらルカナウアの街があるんですね」


 ヘンダーソンとナディの会話を遠巻きに聞いていた管制官たちは、少しだけ呆気に取られている様子だった。

 ジュヴキャッチの出現を警戒していた管制官が隣に座っていた別の管制官に小声で話しかけている。


「…ねえ、あの人って五年間も眠ってたんでしょ、何であんなに元気なの?」

「…お前知らないのか?あの人カルティアン家のご息女様だぞ」

「…え、あのカウネナナイの宝石だって言われている?」

「…そうそう、王族は俺たち一般人とは造りが違うんだろ」


 そういう問題ではないのだが、ナディはただ、『帰りたい』という衝動的な欲求に突き動かれているだけだった。

 ヘンダーソンに教えられるままナディは今現在の世界について、ある程度の知識を得られる事ができた。

 分かった事は『今は帰れない』ということだけ、焦りに似た感情が増すばかりだった。

 世界の現状について話し終えて次はナディやノラリスの話に移ろうとした時、遅まきながらアリーシュがブリッジに姿を見せていた。

 そして彼女もナディがブリッジにいることに驚いていた。


「何でここにいる!朝食はどうした?!」


「え、食べてませんけど」


「駄目だめ!病み上がりなんだからきちんと食べないと!」


 ブーツの踵を鳴らしながらアリーシュがナディに近寄り、そして羽交締めにしていた。


「いや急な過保護──私は大丈夫ですから!」


「ブリッジで騒ぐな!!──今から彼女の身の上に起こった事を聞くところだ。アリーシュ、お前も参加しろ」


「先に食べさせてきますからお一人で勝手にどうぞ!「誰に向かって口を聞いている!!「──ほら!行くぞ!絶対食べさせてやるからな!「それもう殆ど暴力ですよ」


 鍛え抜かれたフィジカルにナディが勝てるはずもなく、アリーシュに引きずられるままブリッジを後にした。



✳︎



「…もうすぐカルティアン様がこっちに…」

「…一度もお目にかかったことがないから楽しみ…」

「…ヨルン様に似て大変お美しく…」


(──けっ、見窄らしい女ばっかりじゃないか)


 新都の城では、保護されたナディの出迎えの準備が進められていた。

 バベルの周囲にいる給仕係の女性たちは、カルティアン家の話で持ち切りだった。その事を面白く思わないバベルは一人で悪態をついていた。

 いや、給仕係の女性たちに向かって暴言を吐いていた。


「一度はこの国を捨てた女だぞ?また逃げ出すかもしれねえぞ」


「…………」

「…………」

「…………」


「──ちっ」


 エントランスに集まっていた女性たちはバベルをきっと睨んだだけで何も答えず、その態度にいよいよ不貞腐れてしまったバベルは自分の部屋へ足を向けた。

 今日は海の水位が高い、そのお陰で廊下の窓から潮騒が入り込み、バベルの耳朶をいつもより震わせていた。

 

(ノラリスのついでだろうが、何をそんなに期待するような事があるのかねえ〜女は良く分からんわ)


 すっかり慣れてしまった潮の香りを嗅ぎながらバベルは自分の部屋に到着し、ドアノブに手をかけたところでぴたりと動きを止めた。

 誰もいないはずの室内から人の気配がする、だから動きを止めたのだ。


(こんな所に一体誰が?入るなと言っているはずだ、それに好き好んで誰が俺の部屋なんかに…)


 何かをしている様子は見受けられない、部屋を荒らしに来たわけではなさそうだ。

 固まるバベルの前で、室内から獣の鳴き声が届いてきた。その鳴き声を聞いたバベルは弾き出したように扉を開け、室内を確認した。


「……………」


 室内には一人の女の子と一匹の動物がいた。その女の子はベッドに腰をかけてじっとしており、動物は床に転がされているスイカを食べていた。

 

「何でお前がここに……いるんだ」


 女の子の髪は長くて黒い、季節にそぐわない厚手のワンピースと可愛らしいコートを羽織っていた。

 動物は四つん這いになってその長い口をスイカに突っ込んでいる、背中やお腹に黒い模様があり、バベルの視線に気付き頭を上げて、喉を震わせながら低い声で鳴いてみせた。

 プログラム・ガイアとその友人だった、すっかり変わり果てた姿でバベルの前に姿を現した。


「ガイア、何でお前がここにいるんだ?スーパーノヴァのハッキングを受けてサーバーがダウンしたはずだぞ」

 

「……………」


 プログラム・ガイアだった女の子はバベルの言葉に反応を見せず、ただ床の一点を見つめているだけだ。


「エレクトロ・インパクトでガイア・サーバーは崩壊、お前たちマリーン所属のマキナも全滅だ。仮想風景が機能しているのはラムウが自分の身柄をヴァルヴエンドに移していたお陰だ。──聞いているのか?」


 バベルは女の子に近寄り、細くて小さな子供の肩を揺さぶった。ぐらぐらと頭が揺れるだけ何ら反応を見せない、スイカを頬張っているアリクイの赤ちゃんも我関せずといった様子だった。


「──そうか、お前さん、抜け殻になっちまったのか…これは面白い…この体、何かに使えそうだな」


「…………」


 何故ガイアがここに来たのかバベルは分からないし調べようもない、ただ、マリーンのガイア・サーバーを管理していた管理者の『抜け殻』が手元に転がり込んだことは僥倖だと捉えた。

 


✳︎



「ホシ、それ食ったら移動するぞ」


「はい。──にしてもこのスイカ、まるで味がしませんね、いや薄らと味がするだけで全然甘くない…」


「コピー限界が来ているかもしれん、次の群店街(ぐんてんがい)でまた盗むしかない」


「五年前まで国家公務員をやっていた事が信じられませんよ、今となっては立派な盗賊でその日暮らし。所帯を持たなくて良かったですね」


「俺は元からするつもりがなかった。──食べ終えたな、行くぞ」


 海水の侵食によって崩壊し、もう誰も使わなくなった廃ビルに彼らがいた。

 大災害前は国家公務員として、またある時は特個体のパイロットとして働いていたヴォルター・クーラントとホシ・ヒイラギの二人だった。

 彼らもまた生き延びていたが、ホシが言ったように生活必需品を盗んで生計を立て、その日暮らしの盗賊稼業に身をやつしていた。

 そうならざるを得ない理由があった。

 ウルフラグはカウネナナイと違ってまだいくらか社会性を維持しており、国防軍こそ姿を消したが民間人が組織した武装団体が存在していた。

 その団体の名は『レイヴン』。民間軍事団体が現在のウルフラグの秩序を守っており、彼ら二人は団体が設立した当初から『重要参考人』として謂れの無い嫌疑をかけられていた。

 一度逃げてしまえば後はもうズルズル、盗みを働かなくても食い扶持はあったが日陰者になってひたすら逃げ回っていた。

 彼らの足元には瓦礫と海が広がっている、階段の途中から水に没し、その先は水の屈折によって良く見えなかった。

 ホシはそれらを目に入れながら、皮だけになったスイカを未だに頬張っていた。


「貧乏臭い、皮まで食うな」


「皮って栄養が詰まっているんですよ。未だに煙草を手放せないヴォルターさんに比べたらマシ」


「おい、互いの嗜好品に文句は言わない取り決めだろうが」


「皮は嗜好品じゃありませんよ」


 どんな建物だったのか分からないビルを後にした二人は群道(ぐんどう)に出た。

 スイカの皮を食べ飽きたホシが、廃ビルの周辺に築かれたイカダとビルを繋ぐアンカーボルトへ目がけて皮を捨てていた。


「栄養が詰まっているんじゃなかったのか」


 その行為を目敏く見つけたヴォルターがホシへ突っ込みを入れながら、小さく揺れるイカダの上を歩き始めた。


「腹は膨れても心が虚しくなるので程よい所で止めるのがマイルールです「そんなもんどうでもいい」はあ〜…たまには山地海(さんちかい)産の魚を食べたい…コピー品は味気無いから食べても食べても膨れて具合が中途半端なんですよ」


 二人はレイヴンから追われる身である、外へ出た時にヴォルターはその義眼を隠すためサングラスをかけ、ホシはツバ付き防止を目深に被っていた。


「俺たち日陰者には縁遠い場所だ、叶えられない夢は見ないこった」


「この国の山地は何処も政府所有でしたから、行けばきっと政権争いに巻き込まれるんでしょうね。唯一安全と言えば大学くらいなものでしょう」


「けれどそこはレイヴンと協力関係にある。最後の晩餐に侵入するのはアリかもしれないがな、俺は御免だぞ、行くなら一人で行け」


「行きませんよ、彼女を放って自暴自棄にはなれません」


「そうかい。所帯を持って良かったな」


 ビルの合間に作られたイカダの街には様々な出店が並んでいた。熱い日差しの中、道行く人たちは玉の汗をかきながら店々を冷やかし活気を見せている。

 ヴォルターとホシは手筈通りに盗みを働き、時にはバレて追いかけ回され、時には失敗してやっぱり追いかけ回され、今日は幸運にも無事に働きを終えたのだった。



 レイヴンの情報は闇市の人間から聞かされることが多かった。今日もそうであった。


「気を付けなよ旦那、あんたらの事を追いかけている男がさっきここにもやって来た」


「そいつは一人だったのか?」


「そうだな、ちょっと身なりは変だったが旦那と坊やの名前を口にしていたぞ──おお、おお、今日も良いモンばっかり……うへへへ」


「この歳にもなってまだ坊や呼ばわり」


「俺と比較しての話だろ、いちいち気にするな。おい、さっさと値段を付けてさっさと払え、ここは臭くてかなわない」


「仕方ないだろ、レイヴンに指名手配されて風呂屋にも行けねんだから。あ〜やだやだ、せっかく警察も潰れたってのに何で偽善者が湧いてくるのか、秩序の為だと言って武器を手にしてトリガーを引いてくる奴の方がよっぽど悪人だわ、こっちは生きるのに必死だってのに──ほらよ、こんな上物ならお金よりシルキーの方がいいだろ」


「助かる。煙草はあるか?」


「また煙草かよ、いい加減物を食えよ死ぬぞ。──ほら、それもう四度目だからそれごとやるよ」


「助かる」


「ほんと煙草の何が良いのか…」


「坊やの言う通りだぜ、酒や女の方がよっぽど良いってのに」


 盗んだ分の換金を終えたヴォルターとホシの二人は、闇市に関わりがある店主のボロ船から外へ出た。

 時刻は昼を過ぎた頃合いだ、天高らかに昇った偽物の太陽が街や二人を容赦なく照らし、体から水分を奪っていった。

 ヴォルターが店主から買い付けたコピー品の煙草の封を空けて早速一本口にしている、社会が崩壊して『健康促進法』なるものも半ば形骸化しているので誰も注意しないし、そもそも違反者を取り締まる警察も存在しない。街の至る所で喫煙者が増え、そしてやっぱり誰も注意しなかった。

 ヴォルターは昔のように何処でも煙草が吸えるようになった今の環境を好ましいとさえ感じていた、惜しむらくはシルキーでコピーしていく度に味が劣化していく事だけ。


(やはり味が薄い…まあでも、吸えないよりかはマシだ…いずれオリジナルを手にしたいものだ)


 ヴォルターは残った煙草と店主から貰ったシルキーを同じ箱の中にしまった、これで半日程経てばもう一箱の煙草が手に入る。


「さっきの男が言っていた人物は誰なのでしょう、レイヴンが単身で追いかけてくるなんて珍しいですね」


「知らん。とっと次の群店街に行くぞ」


 ビルとビルの合間を縫うようにして設けられたイカダの道を『群道(ぐんどう)』と呼び、その郡道から船溜りとなっている桟橋へ道が続いていた。

 ヴォルターたちの前には太陽の光りを遮るようにして二棟のビルが建っており、その足元には出店が並ぶ群店街があった。

 煙草を吸い終えたヴォルターが靴底で火を揉み消し摘み上げ、先程出てきたばかりの店主の船へ向かって「ついでに捨てといてくれ」と言いながら放っていた。

 

「ポイ捨てしているのかしていないのか…」


「さすがに墓地でポイ捨てはしない」


 そう言ったヴォルターが先に歩き出し、その跡にホシが続いた。



 他の闇市業者から食料品を買い付け、二人は元いた廃ビルの中に戻って来ていた。

 世界が海に没しても太陽の運行には何ら変わりがなく、午後に入ると熱い日照りのせいで体力が奪われてしまう。この二人に限らず、無駄な体力消費を抑えるため午後を過ぎた時間に出歩く人は殆どおらず、屋内で過ごすのがウルフラグの通例となっていた。

 コピー品の炭酸飲料で喉を潤したヴォルターが煙草に火を付け、一つ紫煙を吐き出してからホシに話しかけていた。


「この生活はどうだ、もう慣れたか」


 廃材で組んだベッドの上に寝転んでいたホシが、穴だらけになった廃ビルの天井を見上げながら答えた。


「慣れた、というよりかはまだ夢を見ているようですね。世界がこんな事になっているのに未だにこの世界が信じられません」


「ほう」


「一種の現実逃避が五年前から続いています、だから案外平気です、いつか醒めるだろうと思っているからなのかもしれません。そういうヴォルターさんはどうなんですか?」


 ホシが視線を落とし、海に没してしまったフロアを見やった。海水の侵入によって穿たれた壁の隙間から太陽光が入り込み、すぐ目の前にある海面をきらきらと反射させていた。


「世の中ってもんは、自分でも信じられない事が簡単に起こるもんだと思い知らされた、そんな気分だ。五年前のあの日、全てが流されてしまった、セレンの後悔も同僚の遺体も自分の立場も世間の常識も全部だ、こんな事ってあるんだなと今でも思っている」


「同じですね、僕も未だに信じられません」


「だが、信じようが信じまいが生きなきゃならない。──そうだな、人間ってもんは実に図太く出来ているんだなと勉強になった、こんな状況でも腹が減るんだから」


「ほんとですよ、少しぐらい食べる量が減っても良いくらいなのに」


「お前は子機なんだろ?食べる量を調節できないのか、金がかかって仕方ないんだが」


「それを調べる術がありませんので諦めてください。僕だってプログラム・ガイアに言われて、そうかなと納得しかけていた所であんな目に遭ったんですから」


「そうだな、世界がこんな風になってしまった責任は誰のものでもない、皆んな状況や環境がいっぺんに変わって順応している最中だ。それだってのに何で俺たちだけのっけからレイヴンに指名手配されなくちゃならない」


 昔は複数の会社が入る総合ビルだったその場所、ヴォルターたちが寝ぐらにしているのは吹き抜けになっているフロアの一角だった。

 そのフロアは上下に階段が伸びており、群道へ出られる階段の途中でごつりと大きな物音が鳴った。

 

「──!」

「くそっ」


 その物音を立てたのが侵入者だと即座に判断した二人が立ち上がった、ちらりと見えたその向こうでは、今まさに階段を降りてくる一体のランドスーツと複数の武装した人間たちがいた。


「ランドスーツ?!生身の人間相手に投入してきたっていうのか?!血も涙もねえ!」


「いやにしても…あのランドスーツ少し小さいような…」


「どうでもいい!とっととずらかるぞ!」


「もうほんと悪人の台詞ですよね、それ」


 二人はとくに打ち合わせをしたわけでもなく、それぞれ別のルートから脱出を図った。目的地はビルの屋上、大災害を生き残った人たちと比べて大きなアドバンテージを示す物がそこにはあった。

 そう、厚生省が管理していた二機の特個体だった。

 瓦礫に埋もれて道ではなくなった道を走り、時には駆け登った。ホシの背後には武装した人間が追いかけてきており、どうやらランドスーツはヴォルターの方へ回ったようだ。


(万が一捕まった時は緊急停止!やってる暇があればの話だけど!)


 何故レイヴンに追いかけられているのか、それは二人も承知していた、おそらく特個体が目当てなのだろう、それは分かっていた。

 だが、二人はまだ諦めていなかった、この世界を元に戻す事を、その鍵を握るのが特個体であると、半ば直感的にそう信じているのだ、だから今日まで逃げ回ってきた。

 そして、この逃走劇が報われることになった。

 ビルの屋上に一足早く到着したのはホシだった。

 スーパーノヴァが引き起こした災害はビルの屋上にまで届いており、五年前から放置されてすっかり風化してしまったヘリポートがあった。

 そのヘリポートに一人の人間が立っていた。この季節にも関わらずフード付きのコートを羽織っており顔を隠している。


「そこを退け!!」


 ホシは胸に忍ばせていた自動拳銃を取り出し、不審な人物に向かってそう脅しをかけた。

 脅しをかけられた人間が見るからに慌て出した。


「ま、ま、待ってくれ!俺は敵じゃない!」


「だったらそこを退け!撃つぞ!」


「お、俺はあんたたちを追いかけているレイヴンじゃない!今日までずっと探してきたんだ!」


 ホシが拳銃を構えたまま一歩前に出る、それに合わせてヘリポートで待っていた人間が一歩後ろへ下がった。

 その弾みで被っていたフードが取れて顔が露わになった。

 この国、いや、このマリーンでは珍しい風貌をした青年だった。

 ウルフラグ人のように肌が白く、そしてカウネナナイ人のように深い彫りを持った人だった。

 彼が言う。


「お、俺はマキナ!ぽ、ポセイドンだ!俺をカウネナナイへ連れて行ってくれ!」

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