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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
252/335

TRACK 1

あらすじ


 第一テンペスト・シリンダーで誕生した電子的生命体が第三テンペスト・シリンダーに寄生し、宿主たるスーパーノヴァの現界に成功した。

 現実世界に現れたスーパーノヴァは、プログラム・ガイアと共にいた延終末監視装置群を経由してガイア・サーバーに接触、未曾有の事態が発生した。

 マリーンを外界から守っていた自動修復壁の機能が停止し海水が侵入、大地そのものが海に飲み込まれ陸地面積の約七〇パーセントを失うことになった──。


 彼女が目を覚ます。

ブルーアウェイク



 体にまとわりつく暑さを感じ、ナディ・ウォーカーは目を覚ました。

 まとわりつくのは暑さだけではない、ずっと長い間眠っていた時に感じる特有の重たさもあった。

 ナディは覚醒する間際、くぐもった波飛沫の音が聞こえたような気がした。けれどここはベッドの上だ、背中に当たる感触は柔らかく自分の体を優しく包み込んでくれている。


(今…何時…なんだろう…)


 薄らと開けたカーテンから朝日が溢れている、その光りが天井を照らし、そしてすぐに違和感を覚えた。


(あの黒い染みは……ん?)


 寝惚けていたナディは天井のその染みに手を伸ばそうとして、視界に入った自分の手にも強い違和感を覚えた。

 大きい、自分の手ではないように感じられる、いやとても大きい。


(何…これ…お母さんの手みたい…)


 閉じたり開いたり、自分の意志で動かせる。痛みもないしおかしな所は何もない。

 いよいよこれは何だとナディは混乱してしまった。


「んん…ん?あ〜あ〜あ〜…風邪でも引いているのかな…」


 手だけではなく声もいつもより低く感じる。喉に痛みは無い、けれど明らかに自分の体に異変が起きていた。


(ああ…もしかしてここは仮想世界…でも、体の軽さは感じないし寧ろ重たい、怠すぎる…)


 ナディは体の不調を確かめようとし、ゆっくりとベッドの上で体を起こした。

 はらりと落ちるベッドシーツの下から現れたのは、大人の女性を思わせる胸の膨らみだった。


「ん〜?んん〜〜〜?」


 その膨らみに手を添える、胸パッドではない、揉んでみる、確かな弾力と柔らかさが手のひらに返ってきた。

 本物だ、自分の胸の膨らみは本物である。いよいよ訳が分からなくなってきた。

 自分の胸を揉み揉みしながら室内に目を向ける、天井にあった物と同様の染みが壁の至る所にあり、木製の家具はその殆どが腐食して色も黒ずんでいた。

 まるで水の中に浸かっていたよう、自分の胸から手を離したナディは腕を組み、頭を横へ捻った。


(一体何なんだこれは………)

 

 鼻腔をくすぐる空気の中にも磯の香りが混じっている、それは決して窓の外から入ってくるものではなく、直近に感じられるものだった。

 ナディはカーテンを開け放った。酷く錆び付いたレールの上を金具が滑り、途端に部屋の中が明るくなった。


「……………」


 天国だと思った、ここは天国で、ここは天国の海なんだと思った。

 一面に広がるのは青い景色、それから一つのしわもない海面が空を見事に映し出している、鏡のように。

 生命の息吹きが感じられない大自然は恐ろしく、そして壊してはならない芸術品のように思えた、だからナディはここが天国なのだと思ったのだ。

 眼前に広がる、途方もない海の上を何かが横切るのが遠くに見えた、気のせいかとナディは目を凝らす、眠っていた間に凛々しさも持ち合わせたその瞳が細められていた。

 ナディが見かけたのは黒い点だ、それも縦に長い、棒が海に刺さってそのまま横滑りしているような光景だった。


「何じゃありゃ」


 目覚めたばかりのナディは好奇心をくすぐられ、磯の香りが満ちたこの部屋から出ることを決意する。

 体を覆っていたシーツを跳ね除け、ろくすっぽ床を確認せずその長くて綺麗な足を下ろした。


「うぅうぎゃああ?!何で濡れてんの?!──え、水浸し…?」


 そう、床一面が浸水しているのだ、所々ではなく文字通り。

 

「何なのここ〜…何でこんな所にいるの私…」


 状況が全く掴めない、これ程浸水しているならこの家もそう長くは保たないかもしれない。そう思い至ったナディは濡れることも厭わず両の足を床に付け、約五年ぶりに立ち上がった。

 足は覚束ない、体の怠さも残っている。それでもナディは一歩ずつ歩き、ベッド脇に置かれていた姿見の前に立ってみた。

 母だった、その鏡に映っていた姿は若い頃の母にそっくりだった。


(どれくらい眠っていたんだろう…少なくとも一年は…いいや、それ以上だ)


 ナディはベッドの回りをくまなく見渡し、長年使い続けた携帯端末を見つけた。

 まだバッテリーが残っているなら日にちを確認できる、けれど電源ボタンを押せども反応せず、黒い画面から何も変化が起きなかった。

 浸水した水の影響を受けないように切り取られた扉の下から、波が広がってきた。それはとても細やかで、けれど他者の存在を思わせるのに十分なものだった。


(とりあえず外に出よう、ここが天国なのか現実なのか調べないと)

 

 すっかり高くなった視点に戸惑いつつも、ナディはゆっくりと歩き部屋の外に一歩足を踏み出した。

 左右に延びる廊下も勿論浸水している、並んだ窓の外は向かい側にある建物の壁があり、やはりあちこちに海藻がへばりついていた。

 ナディから見て左側に建物のエントランスがあり、右側の端は壁が大きく切り崩され天国の海が広がっていた。早く外に出たかったナディはその足を右へ向け、ぱしゃりぱしゃりと音を立ててながら進んだ。

 切り崩された壁は人の手によるものらしく切断面は滑らかだ、さらに一隻のボートが止まっており、つい最近まで誰かが使っていた痕跡も見受けられた。

 ナディはそのボートの前でお尻が濡れるのも構わずしゃがみ込む、果たしてどこまで足がつくのか調べたかったからだ。


(う〜ん…いけるっぽい)


 水面の底には地面がある、そこまで深くないらしい。

 おっかなびっくりとナディが外に出ると、暑い空気が一気に押し寄せてきた。


「あっつ…今夏なの?」


 その暑さは真夏を思わせる、どうやらこの建物は風通しが良いらしく、日陰の中が冷んやりとしていたので汗をかかずに済んでいたようだ。

 視界いっぱいに広がる海を眺める、ナディが作った波紋などまるで影響を与えておらず、鏡のような海面がどこまでも広がっていた。

 先程部屋の中から見かけた棒状の黒い点はどこにも──いや、あった、ナディから見て右手の方にその物体があった、それも今度は複数だ。

 ナディは自分の額に手を添えてぐっと目を細め、その物体が一体何なのか確かめようとした。


「うう〜ん…ここからじゃ見えない…」


 しわ一つない鏡のような海面だと思っていたが、ごく僅かな波があった。その波はどうやら正体不明の物体から発せられているようであり、こちらにまで届くからにはそれなりの重量があることをナディは薄らと理解した。

 見て確かめることを諦めたナディは額から手を下ろし、付近に停められていたボートの縁に腰を下ろした。その弾みでゆっくりとボートが沈み、新しい波が足元から広がっていった。

 その波を打ち消す大きな波が館の向こうから現れた、その波は力強くぐんぐんと進んでくる。


「──ん?もしかして…」


 遠くに見えていた物体がこちらに近付いてきたのかな、とナディが思った矢先、懐かしい音も耳に届いてきた。

 それは金属が擦れる甲高い音であり、燃焼を終えた圧縮空気を排出する音であり、超重量物が上げる鉄の歪んだ音だった。

 さらに、勢いよく水を吐き出す音もそれらに混じっていた。

 ──次の瞬間だった。


「──っ!!」


 館の向こうからそれ──特個体が姿を現したのだ。

 ナディから見て直上、つまり館を特個体が飛び越えてきたのだ。その足元には長い板のような物がセットされており、特個体の進行方向とは逆の端から盛大に水を吐き出している。

 ナディはその光景を真下から見上げ、自分が押し潰されてしまうかもしれないという恐怖を感じながらも、まるでスローモーションになっている特個体を見つめ続けた。

 ナディから約数十メートル先に着水、その瞬間、絶対に抵抗することができない波がナディに迫ってきた。


「うわうわうわうわマジでマジで──」


 ざっぱーん!と、ナディはその波に押し流されてしまった。



「はあ〜…最悪な目覚めだよちくしょう…」


 気絶していた、館のエントランスまで押し流されてしまったナディは水に浸かった状態で再び覚醒した。

 幸いにも、浸水しているが水の高さは足のくるぶしぐらいで口や鼻まで届いておらず、窒息せずに済んだようだ。

 それでも最悪な目覚めであることに変わりはなく、ナディは起きて早々大きな溜め息を吐いた。

 水浸しになっている床に手を付いて体を起こす、撥水性が高い衣服のお陰でそこまで重たくはない、けれど体がすっかり冷えてしまった。

 まさしくブルーアウェイク、見渡す限り青い景色もナディの暗い気持ちに拍車をかけていた。


「と、とりあえず…外に出よう…体を暖めないと…」


 ナディの服装は端的に言って水着である、それはユーサ時代に着用していた社員服と酷似しており、すっかり豊満になった胸を包む水着の上からベストを羽織り、下は短パンだった。

 これらの服はナディが眠っていた部屋に置かれていた物であり、つまり誰かが用意したという事である、そう思いたい。

 立ち上がったナディはぱしゃりぱしゃりと水を蹴りながら外へ向かい、沈み始めていた太陽に目を向けた、気絶していたのは数時間くらいのようだった。

 特個体の波によって中に水溜りができてしまったボートに乗り込む、暑い日差しとうだるような熱気のお陰で体の冷えが徐々に取れてきた。

 調子が戻りつつあるナディは先程見た光景について考えてみた。


(あれは紛れもなく特個体だった…でも何でサーフィン?あれ、サーフボードだったよね…前に働いていた所でも良く見かけてたけど…)


 生憎ナディはサーフィンに馴染みが無い、けれど特個体の足に装着されていた物はやはりサーフボードだった。

 一面見渡す限りの青い海、ナディが滞在している館からは陸地が一つも見えない。


「──あいったあ…頭が…」


 ナディは自分の記憶を手繰りよせようとした。それは眠る前の記憶であり、こうなってしまった原因を自分なりに探ろうとした。

 けれど、こめかみからおでこにかけて強い痛みが走り上手く思い出せなかった。

 ここは現実だ、ナディはそう実感し確信を得た、だが、こうなってしまった原因が分からない。それを知ろうにも周囲に人がおらず、目覚めてからずっと独りぼっちだった。


「ふう…ちょっとはあったまったかな〜風邪引かなくてよかったよ…」


 さてと、自分の太ももをぱしん!と叩いてナディが再び立ち上がり、海に浸かっている館を見上げた。


「ここを探索しよう、何か分かるかもしれない」


 ナディは陽が沈み、空が深い群青色に染まるまで探索を行なった。

 結果は、


「何も分からんわ!いや、ここがハリエだっていう事は分かったけどそれ以外の事が何も分からない!」


 そう、この世界が水浸しになってしまった原因やそれらに関する事が書かれた物、あるいは写真、というよりやっぱり人がおらず、探索する前と何ら変わりがなかった。

 けれど面白い物を見つけられた、それはナディの手に収まっている干し肉だ。

 ナディはその干し肉を持って眠っていた部屋に戻り、干し肉以外にも発見した食糧と一緒にベッドの上に並べた。

 まずは干し肉、それから魚の干物、それから瓶の中に詰められた何かの実(とても良い匂いがする)、そして水である。水は意外にもしっかりとした水筒に入れられていた。


「う〜ん…干物系ばっかり」


 食糧以外にも、ナディの体格に合った衣服が何点か見つかった、それはどれもきちんと洗濯されており人の手が加わっているのが明らかな物だった。


「誰かが私を看病していた…って事だよね。この近くにいるのかな〜う〜ん…考えても分からない!行くしかない!もうここは嫌だ!」


 テンションがおかしくなっているのは自分でも理解している、けれど先程の特個体がいつ現れるか分からないし、次はこの館を潰してしまうかもしれない。

 それに、数年間にも及ぶ長い時間を誰かがずっと看病してくれていたのだ、きっとこの近くにいるはずだ。

 それなりの考えといい加減人恋しくなってきたナディは発見した食糧と衣服をボートまで運び、それからバッテリーが切れてしまった携帯端末をポケットに忍ばせ、館から旅立つ事を決意した。


「あばよ!」


 深い群青色の空の下、黒色に近付きつつある大海原へ向かってナディはボートを漕ぎ出した。

 何故自分がここに眠っていたのか、この世界はどうなってしまったのか、その疑問に答えてくれる人を求めて。


「……………」


 何の灯りも持たず、また地図も持たず、黒い海へ旅立った彼女を見守る一つの影があった。

 それは群青色の空に溶け込んでいた一つのドローンだった。

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