表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
251/335

ゼロ

.What for?



 私は海のために生きる。

 海のために生きて、海のために死ぬ。

 それが私、ピメリア・レイヴンクローという人間の生き方である。

 それは、私たちの街の空に現れた、あのクソみたいなデカい球を前にして慌てふためく人間たちを前にして強く意識した。

 やはり陸は五月蝿い、海は静かだ。命のやり取りをするには海がいい、漁師が命を釣るか、漁師が海に飲まれるか、どれだけ技術が発展し安全性がより強固になったとしても、その関係性だけは変わらない。

 異常現象を前にし、街の人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。海へ山へ、金持ち共は地下のシェルターへ、その逃げ様に秩序は無く一体感もまるで無い。

 小魚の方がよほど一体感がある。

 ああ、そうだとも、海は命の神秘だ、そこに魅入られずして何に魅入られることがあるというのか。

 自前の車に乗り込みエンジンをかける、港へ続いている道路はまだ混雑していない。ライラが滞在している港へ向かい、後は海に逃げよう。

 誰も逃げようとしない海へ。



✳︎



 私は人のために生きる。

 人のために生きて、生きて、生き抜いて、作られたこの命を全うする。

 それが私、グガランナ・ガイアというマキナの紛れもない信条である。

 それは、ガイア・サーバーを通じて取得した映像を見て強く意識した。

 第一テンペスト・シリンダーで作られた電子的侵略者が、ついにこの街でその本意の姿を表した。

 マリーン内に散布された全てのノヴァウイルスがホストとなって、"スーパーノヴァ"を顕現せしめようとしているのだ。

 あれは人を取り込む、そのように報告も受けている。人を取り込む時は頭部を切断し、その人の命を奪う。

 守らなければならない、私は"他者"という存在があって初めて成り立つマキナだ。

 ウルフラグの上空に顕現したスーパーノヴァの卵は今なおインストールが続いている。それを横目に入れながら、私は旗艦バハーのブリッジへ急いだ。



✳︎



 俺は空のために生きる。

 空のために生きて、飛んで、鳥になって、空の中で死ぬ。──いいや、死にたい。

 それが俺、リー・キングという人間の生き方である。

 それは、管制室に備わっている全てのレーダー類が異常を表し、耳障りなアラート音が奏鳴曲となって俺を不愉快にさせている中で強く意識した。

 情報の取得に戸惑い、善後策を立てられない大将に声をかけた。


「ガーランド、ここは当初の予定通り出航すべきだ」


「馬鹿な──あんな物が街にあるのにか?!」


「あれが即ち街に影響を与えるという危険性はまだ確認されていないはずだ。だが、カウネナナイに渡ったセントエルモのメンバーには目に見えた危機が迫っている」


「…………しかし、ここで出航すれば我々は批判の的だ」


「いつ、俺たちが国民から応援したもらったことがある?何をやっても批判の対象だ」


 空軍を預かる男が自嘲気味の笑みをふっと漏らした。俺の言葉に落ち着きを取り戻したようだ。

 ──すまないガーランド。救出任務も俺にとってはただの口実に過ぎない。


「──お前の言う通りだ。予定通り作戦を開始しよう」


 あんな物、街の空に現れた汚い星のような──さながらジャンクスターは俺の敵ではない。

 乱れていた足並みがようやく揃い、俺たちはカウネナナイへ向かうべく街を後にした。



✳︎



 私は自分のために生きる。

 自分のために生きて、自分のために死ぬ。

 それが当たり前の生き方である、決して私の器が小さいわけではなかろう。

 ナツメ・シュタウトという人間が掴んだ、平凡な生き方だ。

 それを教えてくれたのはフロックだ、ただの子供で生意気で、けれど私の傍から離れようとせずいつも一緒にいてくれる。

 それは、ヴァルキュリアの本拠地から望む生まれ故郷の景色を見ても何ら変わりがなかった。


「これは…これは、何なんだ…?」


 この中で一番図体がデカいオーディンもといヒュー・モンローが、モニターに映し出されていた映像を見て後ずさっていた。


「正体は不明だ、ただ…ノヴァウイルスが原因であることは確かだ…」


「………」


 モンローはゆっくりと被りを振っている、アンテナがこの場にそぐわない、可愛らしい動きを見せた。


「ナツメさん」


 フロックだ、こいつはいつも気配を感じさせず、それでも傍らにいる。


「私はここにいるよ、戻ったりしない」


 モンローが私の方へ振り返った。


「…いいのか?あれを放置するというのか?」


「立ち向かった所でどうにかできるものなのか?それなら私はここに残るよ」


「…………」


 ここを預かる老人が「やむを得ない」と言葉を漏らし、誰に連絡を取った。


「私だ。ドゥクスよ、あれは何だ?」


「………っ」


[調査中だ。連絡は取らない約束だったと思うが…やむを得ないか。──お前たちはその場で待機していろ]


「しかし、ただ黙って見ているのは…あれはもはやマリーンの危機だぞ」


[お前たちの存在意義は他と一線を画している、その事を夢ゆめ忘れるな]


「見捨てろ、と?それは正気なのか?このマリーンが滅べば私たちも死ぬ運命にあるのだぞ?」


[既に手は打っている、自分たちの命だけなら何も心配は要らない]


「マリーンの外へ…我々だけ逃すつもりなのか…?」


[いかにも]


 老人が目に見える怒気を放った。


「…それが貴様の言う師の教えというものなのか?大した事はなかったなドゥクスよ、他者を見捨てて生き永らえた命が幸福に辿り着けると本気で信じているのか?」


[…………]



✳︎



 私は師の教えを体現をするために生きる。

 教えに生き、教えに生き抜き、師が今際の際で見た景色をこの目で見られたら、この命にピリオドを打つつもりでいる。

 それが私、ドゥクス・コンキリオというマキナの、あるいは男の生き様だった。

 それはウルフラグの街に顕現したノヴァウイルスの総決算の姿を見ても変わらず、ヴァルキュリアの育成と教育を任せた男に詰られて──少しだけ変化した。


[聞こえているか、ドゥクスよ]


「…こちらが調べた限りでは、あのノヴァウイルスはいずれカウネナナイに渡り、ガイア・サーバーと接触するはずだ。それだけは防がねばならぬ、それ以外は全て些事と思え。王都の防衛をお前たちに任せよう」


[…承知した]


「──では、これが最後の通信になるだろう。己が選択した命の使い道に後悔なきよう、僭越ながら祈らせてもらう」


 これでヴァルヴエンドに要請した救難隊は無用になった。

 あの男は自ら命を捨てることを選んだのだ。

 だから私はそちらを選んだ、奴の意志を尊重した。

 それが例え無謀な試みであったとしても、その場限りの詭弁にしかならぬと分かっていても──

 あの場で生きる者たちがこの世界にとってどれ程の希望になるのか、その可能性を私は自ら捨てた。

 初めてだった、自ら師の教えに背いたのは。



✳︎



 わたしは人の為に生きる。

 そうプログラムされ、システムを組まれ、そのようにデザインされている。

 だからわたしは人の為に生きなければならない。

 それは第一の母が寄越したドラ息子を前にしても変わらず、サーバーの復旧作業を続けていても呪わずにはいられなかった。


「誰だこんな事したのー!!!」


「くぅ〜…」


「何もう…何でこんな時にわたしはここにいるの?!我が友よ!何とかして!」


「…………」


「そのスルーは今まで一番腹が立つ」


 ああ、ああ!あのドラ息子からどんどん枝葉が伸びてくる!具体的にはアクセスルートの事、本来であればこんな事はあり得ない、何の保証もされていないアドレスからのアクセスを許可するはずがない!

 これだ、この為に誰かがガイア・サーバーに遅効プログラムを仕組んで一時的に機能不全に陥らせた、だからスーパーノヴァが容易にアクセスすることができたのだ。

 未曾有の危機が迫っている、第一テンペスト・シリンダーでは顕現直後にハデスが撃破したと聞く。けれど、こちらにはそのような攻撃手段は無く、あったしても今は絶賛喧嘩中だ、こんな時ですら人間たちは同じ種族同士で銃を向け合っている。

 カウネナナイもウルフラグも、共に手を取り合いあれに立ち向かってくれるのならまだ希望はある。

 だが──。


「人類みな兄弟〜〜〜!!」


「くぅー」


 わたしはマリーンに住まう人たちの為に、ガイア・サーバーにアクセスし、ファイヤーウォールの構築に勤しんだ。



✳︎



 私は──私は...

 私は何の為に...未だ答えは出ていない。

 何の為に生きるのか、何の為に日々生きるのか、その明確な答えを持ち合わせていない。

 敵味方、その区別を付ける必要性とやり方は学んだ、だが、それだけである。

 誰かが生きる目的を提示してくれるわけではない、それが『お前の生きる道だから』と無責任な責任を押し付けてくるだけで何ら手を貸そうとしない。

 そのくせ、既に出来上がった社会の枠組みにこちらを嵌めようとしてくる。それがいくら不完全で不十分で、もう維持することが困難であったとしても"先に生まれた"というだけの人間たちが、私たち子供たちを利用しようとしてくる。

 この世界は不完全だ、まだまだ変えていかなければならない。

 けれど、その変え方が分からない。


「──走って!!」


 王城を後にした私とテジャトさんは今、追いかけられていた。

 国民投票をご破算にし、リゼラさんの期待も裏切り、空に上るたんぽぽの群れには目もくれず、ひたすら私たちのことを追いかけてきた。

 テジャトさんは私を逃すために敵対してくれた、もう止めてくれと言えず、ただその掴まれた手に成すがままになっていた。

 街へ入る、守備隊の人たちも何事かとこちらに目を見張り、後から事態に気付いてやはり追いかけてきた。

 "拒否権"が認められない生き方など、それではただの"奴隷"ではないか。"こうする事が良い"んだと押し付け、こちらの意見はまるで聞かない。

 その押し付けが人に姿を変えて迫って来ているようにさえ感じられた。

 テジャトさんの手だけが今の私にとって何より頼もしかった。

 街を抜け、あの日と同じ一本道に出る。広大な平野を見下ろす空にはやはり夥しいたんぽぽが飛んでおり、鋪装されていない通りの向こうにぽつんと造船所があった。


「──っ!」

 

 走るのに向いていないドレスだ、その裾を踏みここに来て転んでしまった、掴んでいたテジャトさんの手も離れる。


「ウォーカー──」


 酷い転け方をした、胸を打って肺の空気が押し出され息もできない、鼻の奥がつんとして痛み、走り続けたこの足もまるで感覚がなかった。

 背後から押し付けの波が押し寄せる、その勢いを止めることなく、私たちを自分たちの波に飲み込んでしまえば、それだけで自分たちが正しかったという証明になるかのように──。

 

《ナディ、それでは世界を救えない》


《…………》


《彼もまた、君と同じ疑問を抱いている赤子なんだ。だから──》


《それは私がしなければならない事なの?》


《…………》


《助けてノラリス、もうここにいたくない、テジャトさんにも迷惑をかけたくない》


《…分かった》と、ノラリスが言い、最後に《すまなかった》と謝ってきた。


《…何の話?》


《君を巻き込んだことについてだ。いずれ話そう、まずは救援に向かう》


 カウネナナイの兵士たちはすぐそこだ、拳銃を構えるテジャトさんを警戒して踏み込んでこない。

 テジャトさんが言う。


「この子はウルフラグに帰す、だから手出しはしないでいただきたい」


 足の感覚が戻ってきた私は立ち上がり、テジャトさんの背後に回った。

 子供を助けてくれるのはこの人だけ。


「…テジャトさん、ノラリスが来てくれます、だからそれに乗って「──ああ、君はそれで逃げて」


 え、と呟きを漏らす。


「…テジャトさんは…」


「僕はここに残るよ、落とし前を付けていないから」


「そんな…」


「リゼラさんにも恩があるんだ、そして君にもそれがある、だから助けたんだ。すまない、僕は君の味方ではないんだよ、だから気にせず行って、いいね?」


「…そんなのって」


「大人はこんなものさ、皆んな何かに縛られている」


 程なくしてノラリスが上空に現れた、その鋼鉄の檻はどんな波からでも守ってくれるもので、見ているだけで安心できた。

 ノラリスに慄いた人たちが下がり、私は簡単にコクピットに入ることができた。

 ──私一人だけで。


(──違う、ノラリスだって万全ではない)


《──そうだナディ、私は万全ではない、一人の人間すら助けられない不完全な存在だ》


 地に残ったテジャトさんは決して悲壮な顔つきをしておらず、寧ろ精々とした、晴れやかな顔をしていた。

 テジャトさんが私へゆっくりと頷き、私は誠心誠意の思いを込めてコクピットシートから立ち上がり、深々と頭を下げた。

 テジャトさんの口が「それはやり過ぎだよ」と、動いたような気がした。

 その後、テジャトさんがどうなったのか、私には知る由もなかった。



✳︎



[拒否する。既に部隊はマリーン上空にて待機中だ、今さら命令の取消しはできない]


「そんな馬鹿な話が──私を一体誰だと思っている?指揮官の命令に背く部隊がこの世のどこに──」


[お察しの通り、あなたはもう我々の指揮官ではない。予定通り、人命救助を開始する。あなたの研究成果には価値がある、ということだ──通信以上]


「──っ……クソったれ!」


 ヴァルヴエンドはマリーンより、ヴァルキュリアの乙女たちを優先した。

 カウネナナイ近海は今なお一触即発の緊張状態の中にある、これでは下手に船を動かすことも難しい、ましてや私は公爵の位を持つ存在だ、そんな奴が船を動かせばこの緊張状態に亀裂が入るのは容易に想像できた。

 全てが裏目に出た。この苦難は自らが作り上げたものだ、誰のせいにもできない。


 ──ドゥクス、人は眼前の苦難に足を取られがちだ、だかね、その苦難というものは自分が乗り越える為に長い時間をかけて自らが作ったものなんだ。そうだと捉えたら肚に力が入るだろう?


(ああ、全くもってその通りだアッシリアよ…)


 ──その自覚から生まれる力が希望だ。それを忘れるな、忘れない限り希望はお前と共にある。いいか?捉えるんだ、疑問も疑念も全部踏みつけてそうだと捉えるんだ。


(それが未だに分からない、自分の疑問を踏みつけることが何故希望に繋がるのか…)


 だが、やる事は決まった。

 艦内にある全てのレーダー機器とシンクロした私の視覚野に異物が現れた。

 方角は北東、人工島周辺だ、救難隊のリーダーが言った通り救助作戦を開始したのだ。

 本来であれば、この作戦は恙無く終わり、私も何ら関与することはなかった、だが、救助されるべき人間がそれに反し、マリーンの為に戦うと宣言したのだ。

 私はそれを是とした。

 数え切れぬ程の異物を内包した海が眼前に広がっている、公爵専用の軽巡洋艦の周辺にはカウネナナイの部隊も展開しており、極端に高度が低い雲の下で息を詰めていた。

 ただでは終わらない、無傷では誰も済まない、そんな空気に溢れた中でガイアから通信が入った。


[──しくじった、失敗した]


[猶予は?]


[スーパーノヴァの速度からしてあと半日程、今日の日暮れまでにはこちらに到着する見込みだ、そうなったらもはやここがどうなってしまうのか、誰にも分からない]


[良い、元よりファイヤウォールは間に合わせだ]


[それまでに両軍は仲良くなるのかな、カウネナナイとウルフラグの火力が合わさればあるいは…だけど]


[それよりも、君は友人との別れの言葉を考えておきたまえ]


[それは──……[その可能性を考えなかったわけではあるまい。月面基地に本拠地を置くその監視装置に向こうのガイアは目を付けたのだ]


[…………]


[後は君の判断に任せる、どのみち物理的接触を果たされたら君の言う通り、誰にも予測できない事態が起こる。──では、恙無く]


 通信を切ったと同時に、ヴァルヴエンドの部隊が動き出した。

 マキナとウルフラグ国防軍が力を合わせて補修した穴から部隊が突入を試みた、剥がれ落ちる複製モニターに混じり、救難用ポッドを担いだ人型機が出現し──さらに私の視覚野に異物が表示された。


(これは…?)


 位置は近い、いや真下だ。

 セバスチャン・ダットサンが作り上げた飛翔体の発射台となった石油プラットフォーム、そこに無数の反応が出現した。

 その反応は特個体のものではなく、かといってミサイルの類いでもない。

 ぽつぽつと、ぽつぽつとその反応が増大し、人型機がマリーン上空に侵入した時に、パッと消え失せた。


「……──!」


 気付いた所で遅い。


[──グレムリン!!いやセバスチャン!!]


[……ヒルダの弔いだ、見逃せドゥクスよ]


 奴からの返答はすぐにあった、その声は亡霊と何ら変わりはなかったが。

 星管士から逃れたあの男は石油プラットフォームに潜伏し、反撃の機会を窺っていたのだ。あそこには過去の遺物がごまんと眠っている、元は工学博士だったあの男ならば手作りのミサイルを作ることもそう難しい話ではないのだろう。


[この時を待っていた、必ず来ると思っていたさ、外側の奴等の話を統合するにな。──散れえええ!愛しの妻を屠ったその罪!空に上げるのもおこがましい!]


 彼の慟哭を否定する権利はこちらには無い、ただ見守るしかなかった。

 直下からの予想外の攻撃に救難隊の人型機は呆気なく破壊され、空の中でガラクタとなった。

 それでも憎悪を宿したミサイルは救難隊を襲い続け、後方に控えていた別働隊すら屠ってみせた。

 私に反旗を翻したリーダーからの連絡も無い。


「……………」


 次に、カウネナナイの軍に動きがあった、セバスチャンが放ったミサイルを感知し第二種戦闘配置が発令され、次に空へ上がったカウネナナイの特個体を感知したウルフラグも同様に戦闘配置が発令された。

 さらに高まった緊張状態の中へ、飛び込んで来る別の飛翔体があった。

 それはウルフラグ空軍で"爆速プライム"と呼ばれているものであり、過去においてカウネナナイの防空圏を荒らした存在だった。

 ──これで確定的になった。セバスチャンが放ったミサイルもウルフラグのものと断定され、爆速プライムの来訪によってカウネナナイの軍は後戻り出来ない命令を放った。

 第一種戦闘配置、及びスクランブル発進。

 スーパーノヴァの脅威を前にして、人類が喧嘩を始めてしまった。



✳︎



 私は未来の為に戦う。

 過去を払い、未来に目を向けるべく戦う。

 それが私、スルーズという戦士の大義名分であった。

 ──マリオネットの反応を捉えた、それは心待ちにしていたものであり、否応なく私を惹きつけた。

 私と共にある人たちが「止めろ」と制止を求めてくる。


「マカナ、今は戦う時ではない、辛抱しろ」


「無理です」


「マカナ、ここにいなって」


「嫌です」


「もう戦う必要は無いんだよ?自分から傷つく必要はもう無くなったんだよ、だから行っちゃ駄目」


「行きます」


 ミルキージャーキー、ガング、ダンタが私を止めてくる。三人揃って溜め息を吐いていた。


「私一人でも行きますから」


 だって、これは仕方がない事なんだ、私がスルーズになったのも全てはマリオネットを倒す為なんだ。


「現にウルフラグの軍がカウネナナイに攻撃を開始しています、今こそ私たちヴァルキュリアが戦う時ではありませんか」


「スーパーノヴァを前にして貴重な戦力を割くつもりは毛頭ない、聞き分けなさい」


「では、機体だけ貰います、私の骸は海に返しますからお気になさらず」


「聞いていたのか人の話を、何がでは、なのかね?」


「マカナ…」


 お人好しのガングが泣きそうになっている、それだけ私を思ってくれている証拠だ。

 けれど、この頑固な性格は妹の手すら払ったのだ、こんな事で聞き分けられるならそもそも私は戦士などになっていない。

 ──ここに来てずっと頼りない姿を見せていた司令官が「船は俺が出す」と言った。


「モンロー!!」


「こいつは頑固だ言っても聞かん。やると言ったら絶対にやる、だから俺が付き合う」


「……司令、本当にいいんですね?死にに行くようなものですよ」


「その死地から生還させるのが俺の務めだ」


 ありがとうございます、とは言わずに私は、


「──じゃあさっさと出航の準備をしてきて!今もこうして皆んな戦っているんですよ!」


「こいつっ──後悔するなよ!!」


 司令官が足を引きずりながらモニタールームを後にし、私もそれに続こうとするとリンとオハナも続こうとした。


「手前も行こう」

「私も付いて参ります」


「……………」


 ガングたちに歯向かった手前、駄目とは言えない。

 けれどスザクには言った。


「スザクは駄目だから」


 ナツメさんの元から離れてこっちに来ていたスザクが「何で?!」と言った。


「あなたにはナツメさんがいるでしょ?だか

ら駄目」


「ボクもヴァルキュリアの一員です、ナツメさんにも話はしてあります」


「ナツメさん」


「こいつの言った通りだ、いくらそういう関係だからといって生き様まで文句を言うつもりはないよ、好きにさせてやれ」


「………ほんと馬鹿な人たち」


 そう言うと、全員から「お前が言うな!」と怒られてしまった。

 モニタールームを出て工場も後にする、これが最後の出撃になるのかまだ続くのか、それは分からない。

 だが、私たちが結成されてから初めての戦闘出撃だった、ウルフラグとカウネナナイがついに銃を向け合ったのだ。

 ある程度修復作業が終わったヘイムスクリングラに乗船する、思っていた以上に乗組員が残っており、「私たちもお供します」と言ってくれた。

 スザクがそんな彼らを前にして冗談を口にした。


「皆んな馬鹿なんだね〜」


「こら」


「マカナにそれを言う資格はないぞ」


「それこそリンにも言う資格はないと思うけど」


「手前はただの罪滅ぼしだ、だから気にせず使え」


「そうするよ、終わったら私に添い寝してね」


「それをフラグというのでは…」


 自分たちの機体があるハンガーへ向かう、そういえば後一人足りないと気付いた時に、その相手から声をかけられた。


「遅い!!」


 フランだ、フランはヒルド機に搭乗して私たちのことを待っていた。


「あれがいれば安心でしょ」


「あれとか言うな」


 戦闘狂だ、歴代最強のスルーズとガングを圧倒したフランも私に付いて来てくれるらしい。

 確かに安心だ。

 スルーズ機に乗り込み彼女へ話しかけた。


「本当にいいの?」


[当たり前よ、だから私は戻って来たの「黒歴史を携えて?」


 通信機から「それは言わないで〜!!」と断末魔の叫びが。

 何とも締まらない感じだが、それはきっと──

 皆んな、これが五人揃って出撃する最後の作戦だと分かっているから、だからそれを感じさせないようにしているのだ。

 誰が帰ってこないのか、分からない。私は誰かを見捨てるつもりは一切ない、けれど戦場はそんな生優しい所ではない、それを誰よりも自分が分かっていた。

 全員機体に搭乗しブリッジへ報告する。艦長席に収まった司令官から発令がなされた。


[これより王都近海へ向けて出動する、目的は本国の防衛とマリオネットの撃破、停戦協定は無いものと思え]


「スルーズ了解」

[ヒルド了解]

[レギンレイヴ了解した]

[フロックおっけー]

[ヨトゥル了解しました]


[お前たちは歴代の中でもとくに優秀であると教えてもらった、必ず成功させて帰還してくるように]


「全機了解しました。あなたが私たちの司令官であることを誇りに思います」


 もう皆んなから「フラグを立てるな」と怒られた。



 誰も私たちには気を留めず、ウルフラグとの戦闘に集中していた。

 それは空のそこかしこで命が散る戦場であった。

 規模が凄い、空の至る所に機体があり、生まれて初めて見る光景だった。


[出撃スタンバイ、全機リニアカタパルトへ]


 司令官の命令がこれほど怖いと思ったことはない、いかに今までの作戦が遊びだったのか、それを今さらながらに良く理解した。

 スルーズ機が後戻りできないレールに乗せられる、滑らかなこの動きが自分を死地に向かわせるものだという恐れを抱いた。

 ヒルド機、レギンレイヴ機、フロック機、ヨトゥル機もスタンバイ状態に入った。後は司令官が周囲の状況を読み号令をかけるだけ──。

 震える自分の手を押さえつける。

 皆んなをここへ連れて来たのは私だ、私があの場で言う事を聞いていればここに来ることはなかった。

 後悔した、これ程に恐怖を抱くのなら来るんじゃなかったと激しく後悔した。

 出撃前にヒルドから通信が入った、「ありがとう」と。


「──え?」


[あんたのお陰、私たちが私たちの役目を果たせるのはあんたがマリオネットと戦うと言ってくれたから]


 そこへレギンレイヴも便乗した。


[そうだ、だからマカナが気に病む必要はない。──怖いのだろう?手前もそうだ、いかに今まで遊びだったのか、ここに来てよく思い知らされたよ]


 フロックも。


[ボクは慣れてるけどねー皆んなが子供過ぎるんだよ]


[一番見た目がガキなくせしてよく言う]


「ねえ、怖いんならどうして私を責めないの?皆んなをここに連れて来たのは私なんだよ?」


 ヨトゥルが答えてくれた。


[私たちは皆んな、初めの頃は喧嘩をしておりました、仲が悪く歪みあって…そんな私たちをまとめてくれたのは他でもない、スルーズ様なのです。恩返しがしたいのです、絶望に彩られていたあの日々に安らぎと希望と仲間を与えてくれたスルーズ様の御恩に報いたいのです。──そうですよね?皆様方も]


[ヒルド同意]


[レギンレイヴ同意する]


[フロックも〜]


「……………」


[ですから、使ってください我々を、恩人に報いるこの瞬間は私たちにとって一番の時間なのです。──たとえこの命が潰えようとも、この瞬間こそが私たちにとって最良の一日になるのですから]


 私が皆んなに答える暇もなく、司令官が号令をかけた。


[──全機発進せよ。繰り返す、全機発進せよ]


 出撃ステータスがオレンジからグリーンへ。

 

「──全機発進します」


 全身を強烈なGが襲う、あっと言う間に外へ飛び出し、重力の軛から解き放たれ、空を舞う。

 どこに視線を向けてもそこは戦場だった、敵味方関係なく機体が爆発し、いつ自分たちがああなるのか予測も──

 ──いいや、予測する、絶対に墜ちない、墜とさせない、見える範囲全ての機体の動きを読んで生き残ってみせる、それだけの力は持っているはすだ。


「フロック、索敵開始」


[フロック了解]


 フロック機が直上へ高度を上げて周囲の索敵を行なう、その間私たちは周囲に散開しているウルフラグ軍へ攻撃を開始した。

 レギンレイヴ機のレーンガンに散り、ヒルド機の剣に散り、ヨトゥル機の対機兵装に散り、私のトリガーで散っていく他人の命。

 "やらなければやられてしまう"という酷く理不尽な環境下で戦い合う私たち、この応酬に終わりは来るのだろうか。

 ヒルド機の猛攻から逃れたウルフラグ機が、付近にいた機人軍の軽空母へ攻撃を見舞った。運も悪くブリッジに直撃し行動不全に陥る、さらにエンジンルームも被弾しあっという間に海の藻屑になった。

 失われた命は数えられない。


「────」


 船を落とした機体へレティクルを合わせる、互いに進行方向が異なるため補正も容易ではない。

 だが──。


[ナイスキル、スルーズ!]


[あれを当てられるのが凄いわ。──ごめん、私のせいだ]


「気にしないで」


[──フロックから全機へ、マリオネットを補足]


 ついにこの時が来た。

 マリオネットとの全面対決の時が。


「フロック、こちらに合流して。レギンレイヴ先行、ヒルドはその後ろ、ヨトゥルは私の隣」


[フロック了解!]

[手前に任せろ!]

[ヒルド了解!]

[ヨトゥル了解しました!]


 レギンレイヴ機が周囲へ牽制射撃を行ないがら進み、それでも近寄ってきた敵機体をヒルド機が斬りつける、それに漏れた機体を私たちが対処し──


[──スルーズ様!]


 いた、いたいたいたいたいた!!

 それを視認した時にはもうペダルを踏み抜かんばかりに踏み、機体の速度を上げてフォーメーションから飛び出てしまった。

 あの声だ──ああ、そうだ、この男は容易に話しかけてくる。


[──来たかヴァルキュリア!この時を待っていたよ全力で戦える時を!!]


 マリオネット!


[良い戦場だとは思わんか!あの時とは違う!命のやり取りが認められたこの空こそ俺が待ち望んだ場所だ!]


「──レギンレイヴ!」


 またあの動きだ、吊るされた糸に引っ張られるようマリオネットがその場で高度を上げ、レギンレイヴのレールガンを追わせた。

 

「フロック!」


 私たちもあの時とは違う、同じ轍は踏まない。


[大丈夫!きちんと捉えているよ!]


 奴の動きはまるで読めない、三六〇度方向に舵を切れるからその進路が先読みできないのだ。

 そして奴は近接戦を最も得意とする、間合いに入ったらお終いだ。

 マリオネットがヒルド機に狙いを付けた。


[お前はお初だな!その力!試させてもらう!]


「──っ」

 

 マリオネットがヒルド機へ接近、ヒルド機が剣を構える。

 接敵するその刹那、マリオネットが真下方向へ舵を切り再び浮上、ヒルド機の背後を取ったつもりだろうがそこへ私が奇襲を仕掛けた。

 すんでの所で私に気付いたマリオネットがさらに直上へ上昇、レギンレイヴ機のレーンガンが火を吹きピンポイントで捉えるも──さらに上昇、およそ生身の人間が取れるマニューバではない。


[──化け物めっ!!]

 

 けれど、その動きでようやくマリオネットの背後を見ることができた。

 ぎょろぎょろと目玉のように動く無数のブースター、それがある方向へぱっと切り替わった。


(──そこっ)


 当ててやった、動きを読んでマリオネットの右脚部にライフルを一発。

 途端に動きが鈍くなるマリオネット、そのマリオネットが私にではなく、初めて見るライフルを高高度へ向けて──


「──フロック!!」


[そんなっ──長距離武器は持たないはず──]


 レーダーを展開させているフロック機はすぐに動きは取れない、少しでも牽制になればと続けてマリオネットへレティクルを合わそうと「──スルーズ様!!」


 機体が何かにぶつかった、それもここ最近同じ状況になった、にも関わらず私はまた──

 敵はマリオネットだけではない、他にもウルフラグの機体がいる、その機体の攻撃からヨトゥルが私を守ってくれた。

 無防備に構えていた私をヨトゥルが庇い、代わりに撃たれた。


「ヨトゥル!!」


 機体の背後に被弾、バックユニットは大破、その衝撃でコクピットも圧壊、マリオネットより早くただの人形に代わり果てたヨトゥル機が海へ墜ちた。

 

[──スルーズ!早まるな!敵はマリオネットだ!]


「──くそっ」


 態勢を立て直したマリオネットはフロック機に狙いを固定している、ライフルを放ち続けながら猛接近していた。

 逃げられないと思ったのかフロック機がレーダーをパージ、その瞬間から私たちのレーダーがグレードダウンしてしまった。

 身軽になったフロック機がマリオネットに反撃を試みる、無手で勝てる相手ではない、そこへフロック機より後方から援護射撃があった。

 ──ナツメさんだ、ガングニールの機体ではなく模擬戦用の機体でフロック機を援護していた。


[フロック!誰が死にに行けと言った!]


[──ナツメさん?!そんなどうして、逃げて!!]


 マリオネットが狙いをナツメさんに変え、それがフェイントと分かってていてもフロック機は前に飛び出していた。

 そして、マリオネットはナツメさんの機体を撃ち、フロックの機体にもその短いナイフを突き立てていた。

 ナイフを突き立てられてなお、フロックがマリオネットの機体にしがみ付いた。


[スルーズ!!今のうちに──]


 まるで獲物を仕留める時と同じように、マリオネットがさらにナイフを食い込ませ、そこへヒルドの機体が斬りかかった。

 ここまでしてやっとマリオネットの右腕を斬りつけられた程度である、瞬時に離脱したマリオネットが次に狙いをつけたのは──私だった。


[スルーズ、お前のその目の良さが厄介だ]


「──っ」


 フロック機とナツメ機は黒煙を上げながら高度を落としていく、あれではいつ狙われるか分かったものではない、けれど助けに行けない、目前にまでマリオネットが迫っていた。

 残るは三機、私とヒルドとレギンレイヴ。

 ただ、私とヒルドが被弾させたお陰でその煙が機体から上っている、敵の動きを読む判断材料はある。

 マリオネットが真下へ、視界を切り替えた時にはもういないが煙は尾を引いている、左方向から奴が急接近しナイフを突き立ててきた。

 ライオットシールドで受ける、それがブラインドとなって空いていた脚部にライフル弾を食らってしまった。

 敵は戦い方を変えている、確実に倒せるようにだ。

 

[スルーズ耐えろ!]


「………っ」


[──今!]


 ならばこちらもブラインドだ、レギンレイヴ機の射線を隠し、合図と同時に距離を取る。

 当たらない、まるで読んでいたかのようにマリオネットが回避し私ではなくレギンレイヴへ襲いかかった。

 接近戦に持ち込まれたら彼女に勝ち目はない、防ぐ手立てもない。


[本当は嫌なんだけどねえ〜!!私はスルーズの為に死にたかったよ!!]


「やめ──フランっ!!」


 レギンレイヴ機へ襲いかかるマリオネットにヒルド機が肉薄した。

 両の手に握った剣がマリオネットを襲う、それらを全ていなしながらヒルド機の手足を斬りつけ、刃を弾き返され万歳の格好を取らされた彼女の胴体を──


[目障りだ!!]


 ナイフで刺し、ライフル弾を至近距離で見舞っていた。

 私の目の前で彼女の機体が爆発した。


(──ああっ)


 レギンレイヴ機がすかさずマリオネットへレールガンを放つ、爆発した彼女の煙に抱かれていたマリオネットは避けることもままならず、頭部に激しい損傷を負った。


[仲間の命を糧にするかヴァルキュリア!やはり戦士はそうでなくては!!]


 頭部カメラが使えぬ判断したマリオネットはコクピットのハッチを開け放ち、狭い視界の中でまだ戦うことを選んでいた。

 その行動に遅れを取ってしまったレギンレイヴ機が接近を許してしまい、それでもなおレールガンの砲身をマリオネットに向けた。


[くれてやるこの命、マカナを最後に残したことを後悔させてやる]


「待ってリン!!」


 マリオネットが間合いに入った途端、レギンレイヴ機が──自爆した。

 

[──ちっ!つまらない戦い方をしやがって!]


「────」


 彼女の命が──つまらない?

 暴発したレールガンの電磁波に見舞われたマリオネットの動きがさらに鈍った、そこへトリガーを引いた、引いた、引いた、何度も引いた、引き続けた。

 

[数撃ちゃ当たる──って?!それはどうだろうね〜スルーズ!!]


 ジグザグに進路を取るマリオネットの機体を狙いを付けて撃ち続ける、こうして見やれば確かに人のそれではない。

 けれど──。

 マリオネットが姿を消した、私はその場から動かずライフルを背後に向け、視界に収めることなくトリガーを引く。

 手応えがあった。



 その男は両手両足を義体に変え、機体に繋がれていた。

 揺られる波の上では今なお戦闘が続き、海に着水したこの男だけが戦場から取り残されていた。

 死にかけている男が言う。


「撃て…」


「…………」


「お前には…俺を撃つ権利がある…」


「…………」


「もう、空を飛べぬこの命に興味は無い…」


「…………」


「ああ…まだまだ空を飛びたい…どうして俺はこんな所に…」


 目に宿る光りが死に囚われつつある。

 その男が、もはや誰とも識別できないほど弱った目をこちらに向けてきた。


「リー・キングだ…名前は…」


「…マカナ、マカナ・ゼー・ラインバッハ」


「そうか…俺は、お前に負けたのだな…ならば仕方がない…最後の最後に、最高な──……」


 撃つ必要はなかった。

 

 私の目的は叶った。念願だったマリオネットを倒せた。

 仲間を失って、私だけがこの場に立っていた。

 何が手元に残ったであろう、今手元にあるのは人の命を奪う拳銃だけだ。

 涙が止まらなかった。

 嬉しくて、ではない。

 あまりの虚しさの前に、涙が止まらなかった。



✳︎



「ああ…ナツメさん…ナツメさん…どこに…」


「ここにいるよ、安心しろ」


「ああ…良かった…」


 生意気なスザクが、今は子供のようになって私にしがみついていた。

 体が触れ合った所は生温かい、血が流れているのだ。

 私のものか、スザクのものか、それは分からない。


「どうして…来たんですか、自分の為に生きるって言ったのに…」


「何でだろうな、私にも分からんよ。でも、無視できなかったんだ」


「ほんと、馬鹿な人ですね…」


「お前はもう、私の生きる目的になっていたんだよ」


「ほんと…馬鹿な人…」


 海は命の揺籠だという、その穏やかな波に揺られながらその時を待つつもりでいた。

 海に着水したフロック機を覗き込んでくる者が現れた、とても驚いた。


「平気か?」


「……誰だ?」


 それは女の声をしており、けれど逆光のせいで良く見えない。


「助けに来た、と言えば信じるか?」


「──ああ、誰でもいい、助けに来てくれたのなら、こいつを、こいつを助けてやってくれないか」


 スザクの息が段々と弱々しくなっていく、触れ合った体も冷たい。


「ああ。──私と似ていると聞いていたが、そんな事はなかったよ、お前の方が立派だ」


「何の話を…頼む…助けてやって………」


「ああ、安心しろ。…だから、今は少し眠っていろ、二人とも助かるよ」


「そうか…そうか……それは、良かった…」


 その言葉がじんと胸に響き、猛烈に襲ってきた眠気に身を委ねて、スザクの体を抱きながら眠りについた。



✳︎



「リーが…墜とされた…」


 信じられない事が起こった。あの戦闘狂が、あの男が駆るフォルトゥナな反応が途絶えた。救難信号もない、生存は絶望的だった。

 その事実が俺たちに多大な影響を与えていた、戦闘はまだ続いているがブリッジはお通夜のように暗かった。

 信じられない出来事はその尾を引くようで、また起こった。


「…ガーランド大将、本国から緊急入電です、即座に帰国せよとのことです」


「それは何故だ?まだ作戦は終わっていない、もう間もなく俺たちも領海線を超える頃合いだぞ」


「街が…その、街が、海に飲み込まれようとしていると…」


「はあ?」


「上空に出現した特異物の影響で海の水位に変化が起こったそうです。私もにわかには信じられませんが…」


「……………」


 ──リーよ、我が友よ、俺はどうすればいい?



✳︎



 怒号が飛び交っていた。渋滞に巻き込まれ、それでも何とかやって来た政府所有の港は襲いかかる波に翻弄され、あちらこちらで怒号が飛び交っていた。

 

(何だってこんな事に──)


 建物から逃げ惑う人間を捕まえてライラの居場所を尋ねようにもまるで相手にされず、私は人の流れに逆らうよう浸水し始めた建物へ向かった。



[通常の波とは異なります、今いる場所に安心せず、より高い所へ避難してください。繰り返します──]


 建物の中はもう既にもぬけの殻になっていた、誰もいない、だが慌てる人たちが荒らした形跡だけが残されていた。

 ライラは目が見えない、だからなのかメッセージを送っても既読が付かず、電話をかけても出てくれない、これでは捜したくても捜せない。

 それでも私はライラを捜した、娘の大事な恋人だ、ここで失ってしまったらあいつを泣かせてしまう事になる。

 海の水位が上がった原因は不明だが、きっと誰もがアレの仕業だと思うだろう。


(デカくなっていやがる…)

 

 初めて見た時よりもあのクソデカい球は大きくなっていた。

 人がいなくなった建物の中からアレを見やる、遠近法なんぞまるで働いておらず、自分の目がおかしくなったのかと思えた。

 窓の向こうには上がった海水により、ボラードからロープが外れた船が漂流しているのも見えた。

 付近にある駐車場にも浸水しており、私が乗ってきた車も海水に没していた。

 

(ここの建物はまだ高い、屋上へ避難すればあるいは、だが…)


 ライラと共にいたはずの医師や技術者たちとも連絡が取れない、この未曾有の危機を前にして逃げ出したようだ。

 断崖絶壁に沿うよう建てられたホテルの中にも人はおらず、散らかった書類や何処から持って来たのか、ロープや救助用ボートまでもが散乱していた。

 無人のエントランスを抜け、ライラが使っていた部屋へ通ずる廊下に来た時、あちらからその本人がやって来てくれた。


「ライラ!」


「…ピ、ピメリアさん!」


 彼女は壁伝いに歩いている、いつもかけていたアイマスクは無く、視力は回復したようだ。


「おい大丈夫か?」


「な、何とか…目が覚めたらもう誰もいなくて…」


「目は?」


「怖い顔をしたピメリアさんが見えていますよ」


 力無い笑みを浮かべている。


「せっかく戻ったというのにまあ、災難だったな」


「いいえ、本当ならもう戻っていたんです。けれど、あれが見えて…目に激痛が走って気を失って」


「そうか。まあいい、とにかく無事で良かったよ」


「これからどうするんですか?」


「とにかく屋上へ行こう、もう陸地から脱出するのは無理だ」


 覚束ない足取りのライラと共にホテルの屋上へ向かう。

 使われていないはずなのに滑らかに開く扉を開け、その時にぶわりと潮の香りが鼻をついた。


(ああ…良い匂いだ)


 ここに来て正解だったかもしれない、いや、正解なんだ。こんな状況でも私は取り乱さず平静でいられる、それは生死を平等に扱う海の傍にいるからだ。

 ヘリポートの真ん中まで行き、そこへライラを座らせた。ここから連絡を入れて助けに来てもらうしか助かる方法はないだろう。


「凄い勢いで…」


 ライラは周囲の景色に目をやり、その自然現象に慄いている。津波のように激しい浸水ではなく、じわりじわりと海水が陸地を侵食していた。


「あれのせいだと思うか?」


「おそらくは。きっと、私たちがユーサにいた時からあれはここにいたんじゃないですか?だから水位が上がっていたんですよ」


 ライラの服装は検査衣だ。いくら夏を目前としたこの季節でも、ヘリポートに吹き付ける風は体に堪えるだろう。

 羽織っていた上着をライラにかけ、その時にぱっと手を取られた。


「ナディは?大丈夫なんですか?」


「…………」


「大丈夫なんですよね、どうして黙るんですか?」


「……言うよ。カウネナナイと戦闘になった」


「…っ」


「戦闘状況になってからまだ連絡は無いらしい、テンペストからそう教えてもらったよ」


「そんな…」


「落ち着け、ここで落ち込んでも何にもならないぞ」


「…………」


 酷く弱っている、いつもの元気がまるでない。

 ライラから離れてテンペストへ連絡を入れた。


[ピメリア、無事だったのですね、ライラは?]


「平気だ。それよりもこっちにヘリを寄越してもらうようにかけ合ってもらえないか?」


[それが──]


 通信障害が発生し、何処とも連絡が取れなくなっているらしい。

 こうして私と連絡が取れるのは、政府が開発したフリーフォールのお陰なんだそうだ。


(何故それだけが…)


[こちらは酷い有り様です、災害時には陸軍が対応にあたるはずなのですが、出動を拒んでいるのです。さらにそのせいで街全体が混乱してしまって…]


「街の浸水被害は?」


[まだ出ていません、しかしそれも時間の問題でしょう]


 どうしようもない。私たちはただ、災害が収まるのを待つしかないというのだろうか。


(何の為にあんな物を──いや…)


 空に浮かぶ球体を睨んだ、こいつのせいだと。

 けれど、あれの出現を許したのは他でもない私たちである。打てる手はあったはずなのに、それどころかあれを資本主義に取り入れて利益に繋げようとさえした、この私がそうなんだ。

 座らせていたライラが私の側により、くいっと服の裾を引っ張ってきた。


「ピメリアさん、あの球体…動いています」


「何?そうなのか?」


「あれは…何?中で何かが…」


「テンペスト、そっちからあの球体が見えるか?ライラが言うには移動しているらしいんだが…」


[移動?そんなまさか…]


「それにライラには何かが見えるらしい──それはどんなものなんだ?」


「……人、みたいな、いや、虫…?人の背中に羽が生えたような…蛹かな…」


「──だそうだ、聞こえたな?」


[はい、こちらで調べてみます]


 電話を切った途端だった──。



✳︎



 ピメリアさんが電話を切った直後、建物全体が揺れるほどの衝撃に見舞われた。


「──っ?!」


「な、何だ?!」


 激しい揺れは暫く続き、私もピメリアさんもその場にしゃがみ込む。

 揺れが収まり辺りを警戒していると、潮の匂いが濃くなっている事に気付いた。


(まさか……)


 四つん這いの状態でヘリポートの縁へ向かう、覗き込む必要も無い、海がもうそこまで迫っていたのだ。


「そんな!こんな一瞬でっ…」


「おいおい…これじゃあ街が!」


 あれだ、きっとあれが動いたから海水が引っ張られたのだ。

 ピメリアさんには見えないらしい、あの球体は白い筋を残しながらゆっくりと北方面へ、そして徐々に高度を上げている。

 さらに、球体の中に隠れている蛹にも変化があった。

 人の形から獣のそれへ、次はぐにゃんとしたスライム状、今度は熊やゴリラのような動物の形を取り、また人の形へ戻っていた。

 潮騒が、ヘリポートから聞こえるはずのない潮騒が耳に届き、直下にある窓ガラスが盛大に割れる音も聞こえてきた。

 このままではここも海に飲み込まれる、これ以上逃げる場所などどこにもないというのに。


(どうして私は直前で起きることができたのか…)


 人というものは差し迫った危機を前にして現実逃避をする生き物らしく、あのまま薬の影響で眠っていても何らおかしくなかった事に気付き、そしてその時のことを思い出していた。

 あの子だ、ベッドの傍らにあの子の気配を感じたのだ、だから起きることができたのだ。

 

(助けてくれた…?でもどうして…)


 ヘリポートにすら海水が流れてきた。私の素足が水に浸かり、そこで現実に引き戻される。


「──ライラ!」


 ピメリアさんに腕を取られた、その力はとても強く、肩からもげるかと思ったくらい。

 港に停泊していたクルーザーが目前にまで迫っていた、それにピメリアさんが乗り込み私に手を差し出してきた。


「早く!」


 掴んだ私の腕をがむしゃらに引き上げ、衣服が捲れるのも厭わず無理やり引っ張り上げられる。クルーザーの船内に転がり込んだ時には背後から波がぶち当たり、私たちは一瞬でずぶ濡れになってしまった。

 こんな事ってあるのだろうか、せっかく目が治ったというのに、何故街が海に飲み込まれていく所を見なければならないのか──。

 クルーザーから望む景色はまさしく海だ、しかしここは建物の屋上、それだけ海水が一気に上昇したという事だ。

 背後で──誰かが倒れた。

 誰かではない。


「ピメリアさん!」


 海水は建物をも飲み込んだ、色んな物を破壊しながら。その破片すらも海は中に閉じ込めていたのだ。

 私を引っ張り上げてくれたピメリアさんの背中に大きなガラス片が刺さっていた。


「そんなっ──こんな事って…」


 ピメリアさんが倒れた辺りは血で真っ赤だ。良く見やれば、自分の体にもピメリアさんの血が付いていた。

 堪らずピメリアさんに駆け寄る、一度に大量の血を流したからか、唇が真っ青になっていた。


「いや…私ってさ、運が良いから…」


「喋らないで!クルーザーの中に何か手当て出来る物が無いか──」そこではしと、腕を掴まれた。


「いいさ…私は海へ帰るんだ…何も怖くないんだ…」


「ふざけないで!!私に何てものを見せるの!!街が飲まれるよりあなたの方が──「いいんだ、いいんだよ…ナディを…頼んだ…ライラ…」


 本当らしい、何も怖くないらしい、ピメリアさんは今から眠る子供のように、遊び疲れた子供のように、目蓋を閉じようとしている。

 クルーザーが波に大きく揺れた、堪らず床に投げ出される。破片が刺さったままのピメリアさんは海へ投げ出され──

 ──私が最後に見た光景は、さらなる波に押し上げられた別の船だった。



✳︎



[ウルフラグ、ならびにカウネナナイに生きる人たちよ、わたしはこのテンペスト・シリンダーを見守るプログラム・ガイアという者だ。どうか、わたしの願いを聞き入れてほしい、双方にこの地を思う心があるならば、どうかその銃を下ろしていただきたい]


 ノラリスの通信機からオープンチャンネルによる呼びかけがあった。

 誰も聞いちゃいない、皆んな慌ただしくハンガー内を走り回っていた、皆んなにも聞こえているはずなのに、耳を傾けているのは私だけだった。


[いずれこの地に奴が来る、ノヴァウイルス、ハフアモア、シルキーと君たちが呼ぶ特異物だ。それを君たちの手で撃破してほしい、そうでなければこの地は人が生ける土地ではなくなってしまう。だからどうか──]


(どうして誰も…)


 きっと、目の前の事に意識が向いてしまっているんだ、だから誰も聞かない。

 それにこの声は何度か私の前に姿を見せたあの子だろう、自らをマキナの長と名乗り、けれど誰よりも幼く見えた女の子だ。

 ──胸にぽっと火が付いた。


《ノラリス》


《待て、今真偽を確かめる》


(あんな小さな子が皆んなに語りかけているんだ)


 かたや私はどうだろう?ただ翻弄されるだけで何もしちゃいない。

 数分とかけずにノラリスから返答があった。


《確認が取れた、ウルフラグの上空に発生した特異物がこちらに向かって進んで来ている》


《それは何?》


《──あり得ない事象、とだけ言おう》


《そういうのいいから、隠すから誰も反応しないんだよ》


《…………》


《ノラリス、確かに私は不満を持っているけど、何も絶滅すればいいまでは思ってないよ》


《特異物だ、そのままなんだ。マキナの命は何処にあると思う?》


 ここに来て謎かけなの?


《……ガイア・サーバー、だよね、確かマキナにとってエモート・コアがそれにあたるって聞いたことあるけど》


《そうだ。そして特別独立個体機やそれを束ねる私たちは月面基地にエモート・コアがある、プラネット・アローンと呼ばれている所以だ》


《月面基地に──待って、さっきあり得ない事象だと言ったのは…》


《そうだ、この特異物は何処にもそれが無い。ガイア・サーバーにも月面基地にもだ、ましてやヴァルヴエンドにもそれが無い。何処に繋がっているのか、何処からインストールしたのか、それらが一切分からない》


《そんな事って…《だからあり得ないと言った》


《そんな物、私たちで破壊できるの?》


《現界を果たしたのであれば物理的な破壊は可能だ、それが最低限の対処になる》


《何とかして》


《ええ〜結局こっちなの?》


《その映像を流すとか、とにかく!皆んなの目に入るようにしてあげて!》


《交渉はそちらに任せる、今ブリッジに繋げた》


《ちょ!》


 本当だ、頼んでもいないのにブリッジに繋がった。


[何だナディ!絶対君は出撃させないからな!その場で大人しくしていろ!]


 アリーシュさんだ、のっけから怒られてしまった。


「あ、アリーシュさん!さっきの通信なんですけどっ」


[今はそれどころではない!向こうから攻撃を受けているのだぞ?!]


「そ、それはそうですがっ」


[──いいから君はそこで大人しくしていなさい!いいね?!]


 駄目だ全く話にならない。

 もういい、穏便にやろうと思ったけど強硬手段を取らせてもらう。


《それ結局こっちなんでしょ?》


《しょうがないじゃんか!誰も聞こうとしないんだから!艦内のモニターを掌握して君が見た映像を流して!》


《どうしてそこまでするの?》


《あんな小さな子が皆んなに呼びかけているんだよ?!それに応えないともう大人でも何でもないよ!》


《──その心意気は賞賛に直する《そういうのいらないから早く!》


 言われた通りノラリスがモニターというモニターをハッキングし、確認を取った映像を流してくれた。

 それを見た私は愕然とした、ハンガー内で作業を続けていた人も、きっとブリッジにいた人たちも目を奪われたはずだ。

 だからブリッジの方から通信が入ったのだ。


[何だこれは?!君がやったのか?!]


「ち、違っ《──おおい!》そ、そうです私です!そ、その映像は本物です!」


[……これがこっちに向かって来ている…?──グガランナさん!]


 アリーシュさんがブリッジ内にいるらしいグガランナさんを呼び、そのグガランナさんが「だからそうだと言っているでしょう!」と怒りながら通信に出た。


[ナディ!どうしてあなたがこれを?!]


 かくかくうまうまと伝える。


[ノラリスが?!──まあいいわ、良くやったと褒めておきましょう!私たちではこの映像を取得できなかったから──とにかく!これをカウネナナイにも流して!]


《ノラリス!》


《全部こっちじゃん。なんかナディも社会の歯車みたいになってきた》


《──なっ?!》


 それから時間が経つにつれてカウネナナイ側の攻撃が収まり、それに呼応するかのようにこちら側も攻撃の手が緩まってきた。ノラリスがやってくれたらしい。

 コンソールに表示されている映像は、どこか非現実めいていて、けれど街が確かに海に飲まれているものだった。その元凶とされているのが特異物と呼ばれるものであり、それがこちらにやって来たらカウネナナイも同様に海に沈んでしまいかねない。

 その危機感が戦場全体に伝わったのか、知らない間にひっそりとした空気に包まれていた。

 語りかけていた女の子から、プログラム・ガイアから呼びかけがあった。


[助かった、助力感謝する]


「何とかなりそうなの?」


[何とかするしかない、両軍の火力を合わさればまだ望みはある]


「エモート・コアが何処にも無いってノラリスが言っていたけど…」


[含有している、つまりあれは──いいや、これは家族の問題、君は関係ない]


「か、家族…?」


[一体型なんだ、あれは、あり得ない事象なんだ。サーバーと端末があって初めて遠隔地でもやり取りが可能になる。ガイア・サーバーがあって、わたしたちという端末があって初めてマキナは機能する、けれどあれは全てが一体になっているんだよ]


「つまり?」


[あれはただそこに存在しているだけで全ての事象に干渉できる、現実も仮想も関係なく、ね]


「良く分からないけど、物理的に壊したら何とかなるの?」


[それは問題無いと思う。壊せたらの話だけど、けれどそのきっかけを君とノラリスが作ってくれた、後は奴の来訪を待つだけだ]


 そう言って、通信が切れた。



 昼を前にして発生した両軍の戦闘がまるで嘘のように、船に当たる波の音だけが響いていた。

 付近にいるカウネナナイの船もひっそりとしており、出撃している機体も無い、けれど、戦いに敗れて海に落ちてしまった機体もあって波に揺られているその様が甲板から見えていた。

 陽がもう間もなく沈もうとしている。強い太陽の光りが全てを照らし──けれどあの太陽は偽物なんだと、今さらながらに不思議な感慨に襲われてしまった。


(本物の太陽ってどんなだろう…)

 

 甲板から景色を眺めていると声をかけられた。


「こんな所で黄昏ていたのね」


 グカランナさんだ、太陽光を浴びてその金の髪がキラキラと輝いている。


「ナディ、あなたにも出撃してもらうことになったわ、覚悟しておいて」


「それはどうしてですか?」


「保険よ、カウネナナイが混乱に乗じてこちらを攻撃してこないとも限らないから。アリーシュに許可を取り付けてある、その時はあなたが私たちを守ってちょうだい」


「分かりました。…あの、向こうと連絡は取れますか?」


 グカランナさんが小さく被りを振った。


「いいえ。…ライラの事でしょう?」


「はい…」


「大丈夫よ、あの子はマキナより強かだから」


 私はその言葉に同意を示さなかった。

 ライラは泣き虫だ、それから強がり、それをここで言う気にはなれなかったけど。


「…街は?」


「それも分からない。私たちはガイア・サーバーにアクセス出来なくなっているの、ガイアによる処置でもあるけれど、少し前からね」


「そう、だったんですね…」 


「あなたのせいではないわ、気にしないでちょうだい」


「…………」


「とにかく気張りなさい、直に始まるわ」


 そして、やって来た。

 それはやって来た、大きな球体だった。

 ノラリスのコクピットに戻っていた私は、バハーが捉えた映像にただ見入っていた。


「こんな物が…」


 ブリッジから命令が下りた。


[全機スタンバイ、これはカウネナナイとの戦闘ではない、相手は異常現象である。何が起こるか誰にも予測できない、各々十分留意せよ]


 ノラリスもリニアカタパルトに移される、私は保険だ、カウネナナイが襲ってきた時のための。

 けれど、あれを前にして攻撃を仕掛けてくる人はいるのだろうか?



✳︎



「…………」


「…………」


「…くう〜」


「そんな悲しい声を出しても駄目」


「…………」


「これは仕方がない事なんだから。別れというものはどんな存在にでも訪れる」


「くぅ〜…」


「え、何そのやっと解放されるみたいな」


「…………」


「スルー!」


 でもね、君は解放されないんだよ。


「………?」


「君はわたしの友達だ、今日まで連れ添った一番の友達だ、そんな友達をここから追い出すわけにはいかない」


「く〜?」


「ガイアは君に目を付けた、だからスーパーノヴァは容易にアクセスすることが出来た。君の役目はルーターだ、そしてその役目も終わった」


「…………」


「賢い君になら分かるはずだ、わたしが何をしようとしているのか」


「──く?!く〜く〜く〜!」


「やっとだよ、君のその慌てふためく姿、一度いいから見たかった」


「く〜〜〜〜!」


「駄目、わたしが決めたこと。気にする必要はない、わたしも眠りたいんだよ」


「くくく!く!く!く!「いたたた!やめなさい!」


「…くう〜」


「じゃあね我が友よ」


「……………」


「……………」


「……………」


「……………」


「どうしてここまでするの?私の一体何が良かったの?ねえ…ガイア…」


「……………」


「…私があなたの分まで幸せになる、きっと、必ず、だから、きっと、また会おうね、私のたった一人の友人。あなたと共にいられてちょっとは腹が立つ時もあったけど、幸せだったよ」



✳︎



 ここに来てようやく人類が一つになれた。

 目前に迫った脅威を前にして、銃を向け合っていた人類が一つになれた。

 スーパーノヴァはもう目前だ、両軍が肩を並べて攻撃開始の合図を待っていた。

 その役目はドゥクスと私が行なう。


[グカランナ、私はこれを皮肉だと捉えているよ]


[それは何故ですか?]


[我々マキナが長年実現できなかったことを、こうしてやって来た外的生命体が叶えたのだからね]


[あなたでも嫉妬することがあるのですね]


[いかにも。──攻撃……]


 開始の合図がなされるその直前だった。

 太陽光を浴びたスーパーノヴァに変化が起こった。

 割れたのだ。

 球体状の物体に亀裂が入り、二つに割れたのだ。

 中からまず、大きな羽が出てきた。それは対になっており、光りを反射して虹色に輝いていた。

 その羽の根元には見たこともない生命体が存在していた。

 ああ、そうだとも、私は一体何をしようと──。

 反射的な行動だった、傍にいた士官のホルスターから拳銃を抜き取り、構え、トリガーを引いた。


「何を──」


 返り血で彼の顔が見えなかった。

 それでも引いた、この場から他者を消す為に。



✳︎



 離艦したブリッジから命令が下されない。


(どうして──)


 一体何が起こっているのか。

 空には化け物が浮かんでいる、あれは確かに化け物だ。

 大きな羽を持った虫だ、けれど人にも見える。不気味で仕方がない。


《ノラリス、ブリッジと連絡を取って!》


《それは…それはお勧めできない》


《どうして?!》


《全滅したからだ》


《──は、は?》


《グカランナ・ガイアが管制室を掌握した、皆殺しだ》


《どうして?!》


 ノラリスが答えるより早くアラート音が耳を襲った。

 カウネナナイでもない、空を飛ぶ化け物でもない、バハーからだった。

 

[──ブリッジ!何があった──]


 突然の裏切りに他の機体が次々墜とされていく、敵からの攻撃ではなく味方からによって。


「グカランナさん!!」


 通信はまだ生きていた、けれど話す人はもう──。


[あれは可能性の塊り…私が最も欲した世界が…あれは殺してはならない…あれは──]


 私の物だ、と。そう言った。

 オープンチャンネルで通信が入った、女の子の声ではない、いつか聞いたあの人の声だ。


[ドゥクスだ、事態が急変した、付近にいる機体は直ちにバハーを落とせ!!]


 落とせと言われて直ちに落とす味方はいない。

 この混乱をウルフラグからの攻撃だと、勘違いをしたカウネナナイの機体までもが私たちに銃を向けてきた。


(せっかくまとまったと思ったのに!)


《ナディ!ここから離脱する!この端末は戦闘に不向きだ!》


《でも──》


 バハーからの攻撃に、カウネナナイの機体が目前にまで迫っていた。ノラリスは空へ逃げず、海に向かって移動を開始した。

 

[可能限りにスーパーノヴァへ攻撃せよ!本丸はアマンナたちに任せる!]


 そう声が聞こえた時だ、赤い機体と青い機体、それから緑の機体が出現し、空飛ぶ化け物に向かって飛行していた。

 高度が下がるにつれ、化け物の付近を飛ぶ小さな羽虫を見かけた。それは両軍関係なく襲いかかり、見えない刃で攻撃しているようだった。

 落ちていく機体、近付いてくる羽虫の群れ。


[──オーディン!!ノラリスを守れ!!ここで落とされたら洒落にならない!!]


[分かっておるわうつけ者!!貴様はグカランナを抑えよ!!]


 海中から姿を現したオーディンちゃんの船、クラーケンが私を羽虫から守ってくれた。

 その羽虫がまた不気味だった。


「あれは、あれは何なの?!どうしていきなり!」


《あれはなり損なった可能性だ、無視する事を推奨する》


 両軍入り乱れた空はどこも渋滞しており、もう誰が誰を撃っているのか分からない、中には無謀にも空飛ぶ化け物に近付こうとしている機体さえあった。

 ──あれは全ての可能性だと、グカランナさんが言った。

 全ての可能性、それは無限大に近い願望。

 私が望む世界もそこにある。


「──っ!!」


《ナディ!しっかりしてくれ!君まで取り込まれたら私に打つ手がない!》


 きっと、皆んながグカランナさんの言葉を聞いてしまったのだ、だから──。

 空飛ぶ化け物に取り付いていた三機も姿を消している、さっきはあんなに輝いていたのにその片鱗すら消え失せている。

 海はもう目前だ、視界いっぱいに青い世界があった。

 

(ああ!ああ!──マカナ!アネラ!)


 速度を緩めることなくノラリスが海へ向かう、背後には数え切れない羽虫が群れをなしており、傍にいたクラーケンも既に海へ没していた。

 助からない、そう思った。皆んなあれにやられる、そう思った。

 着水した同時に全身を衝撃が襲い──気を失い──


 私が次に目覚めたのは、それから五年後の世界だった。

 ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 これにて二章は終了です。

 続きます、次回は二.五章「I.O.W (アイデンティティ・オーバー・ザ・ワールド)編」となります。

 最後は尻切れトンボみたいになって申し訳なく思っています。

 ですが、五年後の世界できっちり仕上げたいと考えています。

 次回の更新は4/29 12:00を予定しています。

 二.五章は二章ほど長くはありません(予定)、まだもう少しナディたちにお付き合いしていただけたら幸いに思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ