第112話
.二人の候補者
「一体俺に何の用だ」
「そう釣れない態度を取るな、同じ釜の飯を食べた仲だろう?互いに貴族としてカルティアン、それからエノールに接触したあの日が懐かしく思えるよ」
「ちっ…回りくどい言い方は良い、本題を話せ」
私のナビウス・ネットに招待したバベルはひどく不貞腐れた態度を取っていた。
仮想世界に再現した再生森が眼前に広がっている、とても良い空気である。
私と彼の間には一つのテーブルが置かれており、再生森で生きる小動物が乗っていた。固い殻を前歯で剥がし、中に詰まっている実をほじくり出していた。
青い空に白い雲、木々の緑に目を向けてから彼に話した。
「カウネナナイで直に崩冠式が始まる、そこで次の国王も決まる。──私と賭けをしようではないか、どちらが王になるのか。一人目はカルティアン家の娘、ナディ・ゼー・カルティアン」
「はっ──どうでも良い」
バベルがテーブルに乗っていたリスの尻尾を掴み、無造作にあらぬ方へ投げた。
「もう一人はハリエ島を治め、ルイマンが失脚した後に復権を果たしたポリフォ・エノールだ」
「へえ〜あの気弱そうな奴がか?」
「そうとも。彼は元から人を束ねる力はあった、ただ自信が無かっただけである。相手を気遣う思い遣りに敵には容赦しない非情さが加わった、今のところ最も理想に近い完璧な支配者だ」
「へえ〜…そうかい。俺が仕えていたあの娘っ子は?何か長所でもあるのか?」
段々と興味が湧いてきたようだ、斜に構えていた体を私の正面に合わせてきた。
「君は一体何を見ていたのかね?彼女が幼い頃から傍にいたのだろう?」
「ただの宿代わりにしていただけだよ。で?そいつの長所は?」
「彼女は正当な血筋だ、前王の弟にあたるティダ・ゼー・ウォーカーを父に持ち、絶世の美貌を携えたクソ──失礼、ヨルン・カルティアンを母に持つ」
「今何を言いかけたんだ?「気にするな」
相も変わらず、この男は何を考えているのか読めない。以前、「変異型ベンゼン環」と口にしたはずなのに、それについては触れようとしない。
「この賭けに勝ったら君が望むようにしよう。物でも人でも場所でもサーバーでも、私が出来うる限りの事はする」
「あんたが勝てば俺はどうなる?」
「非常に分かりやすい質問だ。──君を第一テンペスト・シリンダーへ更迭する」
「何だそりゃ、そんな事の為に賭けを?言っておくが俺は感染者の一人であってホストじゃない。今、結構ヤバ目なんだろ?ノヴァウイルスが大繁殖して物理的に圧迫されかかっているらしいじゃないか」
「そうとも、だからこの賭けをやるんだ。君はどうかは知らんが私にとってはそれだけの価値がある」
「………」
「ホストと思しき存在は徹底的に潰す。君は余所者だ、ここの法では裁けないが向こうでは違う。更迭した途端に君は消失する、諸共全て」
「…………………」
「逃げるなら逃げたまえ、どのみちここを救わねば私も君も消えてしまう運命にあるがね」
感情が無い顔付きで思考していたバベルが、私に寄せていた体をすうっと引いた。その弾みで椅子が傾き、踏んでいたらしい木の枝がぽきりと折れるのが聞こえた。
「──良い、良いぜ、受けて立つよ」
「よろしい。誰が国王になるか、その選択権を君に与える」
「それで良いのか?──良いのか、どうせ二人だけだし…」
「そうとも。君の予測が当たったら君の勝ち、外れたら私の勝ちだ。実に分かりやすい賭け事だ」
「つうか実質これ、カルティアンが王になるかどうかで決まるだろ。確か女の方が人望を集めてんだろ?」
「その通りだ。幼い頃から彼女を知る君にとっては些か簡単過ぎたかもしれない」
「ちっ」
舌打ちをしたバベルが暫くの間、思考に没した。
✳︎
ヴァルキュリア討伐の任に失敗した私たちは、見るも無惨な王都の港に到着していた。
酷い有り様だ、陸地側に停泊していたウルフラグの母艦が強行突破を図ったために他の船は壊れ、沈み、至る所が破壊されていた。
港では悲しむ人が大勢いた、「どうしてこんな目に」と、明日からの稼ぎをどうすれば良いのだと悲嘆に暮れ、そして怒りを露わにしていた。
無事に帰還できたシューミット少佐が私の傍らに立った。
「エノール侯爵」
「分かっています、今は彼らを慰めている時ではありません」
ちくりちくりと痛む胸を無視して港を後にする。向かう場所は王城である、そこで挙行される崩冠式に出席しなければならない。
◇
「とんだ失態だった、エノール侯よ」
そんな私たちを出迎えたのは心無い国王の言葉であった。
「返す言葉もございません」
王城の広間には沢山の貴族や将校たちが集まっていた、私たちルカナウアとカイ、それからルヘイ、ハリエ、カウネナナイ全土の関係者が一同に会している。
滅多に見ない光景に立ちくらみを覚えるが、そこは今日まで培ったはったりと根性で抑えた。
「まあいいさ、お前たちの処遇は次の王が決める、私はただの人だよ」
「あなた様の今日までの功績は国民の心に残り続けることでしょう」
「そうだな──愚王として」
そう言い残し、ガルディア国王が私の元から離れていった。
ぐるりと広間に視線を向ける、中には教会の者たちまでいた。ガルディアの実姉にして教導長を務めるリゼラ、そしてその傍らには──。
(ウルフラグ人…?何故こんな所に…)
白い肌は嫌でも目立つ、本人は仕立ての良いローブで全身を隠しているようだが顔までは隠せていない。それにあの身のこなしは民間人のそれではなかった。
「…………」
心を落ち着ける、私がここで成さなければならない事は玉座に座ることだけではない。
(此度の戦闘、明らかにウルフラグの介入があった。それがたとえ偶発的であったとしても、他国の争いに首を突っ込んだ事には変わりない)
広間の外には一般の市民たちも多く集まっていた。焚かれた篝火の近くでまるでお祭りのように飲食をしている。
曲がりなりにも今日まで国を治めた王が崩御するというのにこの喜びよう、決して気持ちの良い眺めではなかった。
始まった、崩冠式の開始を告げる音楽が奏でられ、そして先程去った元国王陛下が再び現れた。
「挨拶などしない、私の後に座る者をせいぜい草葉の影から応援するだけである。──しかして、現在我々が置かれている状況は少し複雑に過ぎる、討伐を命じたルヘイの軍にウルフラグの介入があった。これを如何ように対処する?」
「……っ」
元国王陛下が威厳を持った目つきで私を睨んできた。
場にいた他の者たちも一斉に私を見てきた。
「…此度の介入によって王都の港に甚大な被害が発生しました、先ずは国内にいるウルフラグの軍へ、そしていずれは本国に対して損害賠償と制裁を求めるつもりです」
「求めるだけなのか?」
「…いいえ、実現します、私の命に代えてでも」
「──だそうだ、エノール侯は私が結んだ手を解き、ウルフラグに対して制裁を加えるようだ。果たしてその選択がこれからのカウネナナイにとって利になるのか害になるのか、それはお前の手腕にかかっている、と言っておこう」
「肝に銘じておきます」
「では──」と、ここで元国王陛下が入り口へ手を向け、「カルティアン侯は如何がする?」と話を振ったではないか。
(そんな馬鹿なっ──)
身分を騙り、王室に忍び込んだ偽物はコネクトギアとヴァルキュリアの機体を奪い逃走したと聞いていた。
この場にいるはずがない、それなのにその女性は堂々とした佇まいで広間に入ってきた。
そして言った。
「制裁など加えず、ウルフラグにも手を貸していただき港の復興に努めようと考えております。現在の状況を鑑みれば、ウルフラグと敵対するのは良い選択だとは言えません」
あの女性は──。
私は声を張り上げ、二度も繰り返した身分詐称を皆の前で糾弾した。
「あなたは──アネラではありませんか!あなたまでもが罪を犯し国を混乱に陥れるおつもりですか!」
ざっとどよめきが起こる、それでもカルティアンの名を騙るアネラは一切の動揺を見せなかった。
「影武者を手配していた時期もありました、ですが、国の今後を憂いてこうしてウルフラグから戻って来たのです」
「何を冗談をっ──本物は港を破壊し沖へ逃げたウルフラグの船に乗船しているはずです!」
「その方が影武者ですよ、エノール様」
(ふざけた事をっ──)
本物もいない、偽物も逃走した、後は私が皆から信頼さえ得られれば、と考えていた。
しかし、偽物であると証明できない偽物がこの場に存在するだけで私の立場は危うくる。
崩御後は市民たちの投票によって次代が決まる。偽物に票が傾けば──。
✳︎
「これもう決まったようなもんだろ。カルティアンが王になる」
「それでいいかね?」
「…………」
「君も分かっていると思うが、本人──つまり本物のカルティアンは玉座に付くつもりがあるのかどうかは分からない、その素質はあるにせよ、だ。広間に登場した影武者はただのその場しのぎだよ」
テーブルの上に表示されたポップアップウィンドウを眺めながら、バベルが再び思考に没した。
「それに、本物はまだカウネナナイにいる、そして王室から連絡を取る方法もある。つまり、エノールが気転を利かせて偽物であると証明できれば…」
「うう〜ん…ノーモアベットはいつなんだ?」
「王の崩御後、城に集まった市民たちの票が集まるまでの間だ」
思考の邪魔をされたからか、眉を盛大に歪ませたバベルが再びウィドウを眺め始めた。
✳︎
(上手くいったかな…ヒルド)
今はあのお転婆娘の事よりエノール侯爵である、以前とは比べものにもならない程に凛々しい顔付きをするようになっていた。
まるで剣だと、彼の柔和な瞳から放たれる強い視線を剣だと思った。
私がここにいる理由は一つだけ、リゼラ教導長に玉座を引き継がせることだ。
以前は手を切ったけれど、ウルフラグが戦闘に介入した件やヴァルキュリアの暴動を経て無視することができなかった。
(きっとあの人はこうなると予測して…)
だから土壇場で手を組んだ、後は式が終わって『カルティアン』が次代の王になれば──。
「国王陛下、式の挙行前にお願いしたい事がございます」と、エノール侯爵が言葉を放った。
(やっぱりそう来るか…きっと国内にいるウルフラグの船に連絡を取って──)
しかし、
「ウルフラグに滞在しているラインバッハ大使に連絡を取りたいのです」
「……え?」
何故、今?
お願いをされたガルディア国王も少しだけ返答に時間を要していた、私と同じ考えだったのだろう。
「それは何故なんだ?」
「必要な事だからです」
「──良いだろう、こちらも今日まで散々放置してしまったからな、一報を届けてやらねば奴に寝首をかかれてしまいそうだ」
それから程なくして、王室に務める人が通信機をわざわざ広間まで持って来た。内密の話を防ぐためなのか、場にいる人たちにも聞かせるつもりのようだ。
やはり案の定であった、ガルディア国王が「皆にも聞かせる」と良い、通信機のスイッチを入れた。
「はい、構いません」
エノール侯爵の返答に頷き、通信が繋がった大使に語りかけた。
「私だ、ガルディアだ。今日までウルフラグでの務めご苦労だった」
[この度は冠を外されること、大変残念に思います]
簡単な謝辞を述べた後、エノール侯爵が早速大使に自己紹介をした。
「私はポリフォ・エノールと申します、今日まで他国での責務、お疲れ様でございました」
[恐縮です。して、ガルディア様を差し置いて私に何か御用でしょうか]
(本当に…今から何を尋ねるつもりなのか…)
ごくりと唾を飲み込む、気が気ではない。
ノエール侯爵が一度、リゼラ教導長に視線をすっと寄越し、そして尋ねた。
「──ウルフラグの情勢はどうでしょうか?」
さっとした騒めきが起こった、「それを今訊くのか?」と。
[…情勢ですか…そうですね、ハフアモアの問題があるにせよ、とくに目立った事態は発生しておりません。私のような人間でも受け入れてくれるほどには安定しているかと思います]
「分かりました。それでは軍の動きはどうですか?現在、カウネナナイ領に海軍の船が停泊しております、追加の派遣などの話は聞いておりませんか?」
[そのような事はとくに何も、政府としましても今回の派遣は国軍の独断によるものだと声明を発表しています]
「分かりました。それでは、軍の追加派遣は無いという事でしょうか?」
[それは私の方では分かりかねます。政府関係者へ問い合わせを行ないましょうか?]
「いいえ、そこまでお手を煩わせるつもりはございません」
(んん?)
エノール侯爵の返答に疑問を持ったのは私だけではない、広間にいた皆が首を傾げていた。
さっとリゼラ教導長へ視線を向ける、窓際にいたのに姿がなくなっていた。
そしてすっと、私の背後からその人が現れた。
(──びっくりした)
「…アネラ、雲行きが怪しくなってきました」
「…分かっています、ですが、エノール侯爵の真意が分かりません」
ウルフラグにとっても私たちカウネナナイと戦闘になった事は快く思っていないはずだ、ルカナウア・カイ、ルヘイの合同軍とヴァルキュリアの戦闘に巻き込まれた件に関して何かしらの行動は取るはずである。
それをウルフラグにいる大使に訊かぬとは...
言外に「お前に出来る事は何もない」と言われた大使もどこか不服そうに返事を返していた。
[では、私はどうすればよろしいですか?]
「それを決めるのは新しい国王陛下かと存じ上げます、私があなたにお尋ねしたのはウルフラグの情勢についてのみです」
(もしかしてエノール侯爵は…)
リゼラ教導長の傍にいたウルフラグ人が小声で言った。
「…もしかして、あの人はこの場を流そうとしている…?」
私も同じ事を考えていた。
それはマズい、この場で時期国王を決めねば私が"影武者"であることが露呈してしまう、エノール侯爵に時間を与えてしまうのは悪手であった。
場の騒めきがさらに強まる、ここに集った皆がエノール侯爵の行動が解せないようであった。
不審げな視線を真っ向から受けても、エノール侯爵は怯まずに王へ宣言した。
「ガルディア様、ウルフラグの情勢を鑑みて、ここは崩冠式の延期を具申致します」
騒めきが批判のそれに変わった。
✳︎
「ちょい待ち、第三の選択肢はあるのかこれ」
「ふうむ…」
予想外のことが起こった、あのエノールがこうも逞しくなるとは...以前の彼からは想像もできないような発言だった。たとえ、退く事が決まっていようとも、国王に向かって進言するなど...
(ウルフラグの胃薬を与えたのが良くなかったか──いやいや、そういう事ではあるまい)
延期に持ち込めば確かにエノールの旗色は良くなる事だろう、というより、影武者を演じている事が露呈しカルティアンの信用は底を尽く。残った候補者はエノールのみだ。
私はバベルの質問を無視して思考に没頭した。
(何故エノールは延期という判断に至ったのか──そうか、優先順位を付けたのか。今の彼にとって最も優先順位が高いのは機人軍だ、エノールが王に選ばれなければ皆が路頭に迷う、だから時間稼ぎに走った)
「おい、聞いているのか?」
「──失礼、予想外の事が起こってしまってね、私も慌てているんだよ」
どうだか、とバベルが胡乱気な目つきになった。
(さて、ガルディアがどう判断するのか見ものではあるが──)──時間だ」
「は?」とバベルが間抜けな声を上げる。
「ノーモアベットはまだ先──」
私たちのすぐ傍にそれは現れた。アクセス申請もせず、また許可もしていないのにそれは現れた。
その存在に気付いたバベルがにわかに殺気立った。
「お前──俺をハメやがったな!」
それとは、プロメテウス・ガイアのことであった。
「すまんね、これも一重にマリーンの為なのだ、諦めてくれ」
「何が賭け事だ、お前もただの時間稼ぎじゃねえか!」
「君の故郷にもプロメテウスを派遣するよう依頼を出してある、もう逃げられない──プロメテウス、彼を拘束してくれ」
「────」
(口無しか…)
今回のプロメテウスは以前と比べて随分と大人しい、無言で、何も言葉を発さずにバベルを拘束した。
残るはポセイドンとゼウスだ、ただ──。
「はっ!お前さんまさか、ゼウスの野郎もとっ捕まえようって?全員で一三人もいるのに?骨が折れるどころの騒ぎじゃねえぞ」
見えない鎖で縛られているように、一つも身動ぎをしないバベルがそう言ってきた。
まさしくその通りである、ゼウスは全部で一三基だ、どれがどれかは本人以外は──あるいは飼い主ですら分からぬことだろう。
「私の心配より自分の心配をしたまえ、ウイルスに感染していた事を報告せず今日まで散々人様の家で遊び惚けていたんだ」
「──」
バベルがにいっと口角を歪め、そしてプロメテウスと同じようにすうっと消え失せた。
✳︎
焦る私たちなどお構いなしにエノール侯爵が淡々と話を続けた。
「延期とな?」
「はい、ここはウルフラグに赴いている大使に帰国してもらい、詳しい内情を踏まえつつ方針を固めた上で崩冠式を行なう方が良いと考えております」
「──だそうだヴィスタ、こちらに来られるか?」
[失礼ながら…ただ今ウルフラグではそちらへ行く事ができません。民間船の全てが出航停止になっています]と、大使が言い、[それから…]と言い淀んだ。
「それから何だ?」
[──まだ、好きな小説のタイトルをお答えしておりません。なのでまだ帰国はできません]
「は?」
と、思わず声に出してしまったが他の人たちに聞かれるようなことはなかった。なにせ、他の人たちももう遠慮なく話し始めていたからだ。
何の事だか意味は分からないけれど、大使なりの"帰国拒否"だろう。本人も「帰らない」と断言してるんだし。
(一体何の事…?)
「た、タイトル…ですか、それは必要なやり取りなのでしょうか?」
帰らないと言われたエノール侯爵も少し焦っているようだ。
[私にとってはそうなります]
「は、はあ…そ、それはいつ終わるのですか?」
早く帰って来てほしいエノール侯爵はなおも食い下がる、しかし私たちにとっては帰ってこない方が都合が良いので口を挟ませてもらった。
「エノール様、あまり無理強いされるのはよろしくありません。それに、国民は崩冠式を望んでいるのです、たとえそれが国王陛下にとって望ましくない事であったとしても、私たちは民の思いに応えなければなりません」
エノール侯爵は私に言葉を返さず国王に判断を任せた。
「──国王陛下、私の話に一つでも筋が通っているのであれば、大使に帰国を命じてください」
国王陛下は自身の事なのに、あまり関心を見せていない素振りでこう言った。
「──良いだろう、時期国王は大使を交えた上で決める。しかし、崩冠式は延期にしない。ヴィスタ、帰国せよ」
[…承知致しました。日取りが決まり次第ご連絡差し上げます]
私の言葉も虚しく時期国王の決定が『延期』になってしまった。
背後にいた教導長とそのお付きの人の姿が消えていた。
そして私もそっと広間を後にした。
✳︎
「こりゃ悪い報せだのう、ナディや」
「うん…」
「今日で国王が決まらなかったらナディさんはどうなるのですか?」とラハムが尋ねてきた。
「う〜ん…どうやらアネラが私の代わりに出席してくれてたみたいなんだけど、それってバレると大変な事になるんだよね、影武者って一応身内だけの話で公の場に出て良いものじゃないんだ」
「はあ…ラハムはそのアネラという方は存じ上げませんが…バレたらどうなるのですか?」
オーディンちゃんが然もありなんと答えた。
「死刑」
「──ぇええっ?!たったそれだけの事で死刑なのですか?!」
「カウネナナイは身分に厳しい。ウルフラグでも医者を騙ると執行猶予無しの実刑判決を言い渡される」
「く、詳しいんだね…」
「ふふん!もっと余を褒めるが良い!」
頭を撫で撫でしてあげると意外と喜び、ラハムはむすうっと頬を膨らませた。
ここだけ平和である、うん、ウルフラグからカウネナナイに来る間お世話になった士官室、そこで私たちはシュナイダーさんから教えてもらった内容について話し合っていた。
そのシュナイダーさんは内容を伝えた後またすぐに何処かへ行ってしまった。部屋にいるのは私とオーディンちゃん、ラハムの三人である。
開けた丸窓からは夜の風がすうっと入り込んでいる、春を抜け、夏を目前としたこの頃の気温だから心なしか涼しかった。
けれど心は重い。色んな事が立て続けに起こって心の整理がついていないのもある、けれど...
「…ナディさん、顔色が悪いですね、そのアネラという方が心配ですか?」
「うん、まあ…でも、どうすれば良いのか…」
「そんなもの、助けに行くしかあるまいて」
「そうなんだけど…私が戻ったら…」
「──ああそうか、そうなったらお主がカルティアン家の当主として参列せねばならぬのか…ううん、実にややこしい…」
三人揃って首を捻っていると、コクアのメンバーを助けてくれたアルヘナさんが部屋にやって来た。
「失礼します」
お兄さんのテジャトさんがいない、絶対に離れない二人だと思っていたから一人でいるアルヘナさんは何だか新鮮だった。
それに...
(まあ、もうあの話はしなくて良いかな、この人だって好きで人狼やってたんじゃないんだろうし)
それにアルヘナさん自身も以前と比べてどこか"さっぱり"している印象を受けた。よそよそしくないというか、自信があるように見えるというか、歳上相手に失礼だけど垢抜けた雰囲気があった。
プウカさんの件もあり、ちょっと緊張するけど私は思い切ってアルヘナさんにその事を尋ねてみた。
(言いたい事は言った方が良い)
「あの…アルヘナさんって少し変わりましたよね、そんな感じがします」
ああ、さすがにいきなり過ぎたと反省する。別に挨拶した後でも良かったのにと思ったが、アルヘナさんはすぐに答えてくれた。
「色々とあったから、でも、お陰で気持ちの整理が付いたよ」
「そうなんですね。えーと…」
どう尋ねれば良いのか分からず、言い淀んでしまったが、またしてもアルヘナさんは答えてくれた。
「兄さんの事だよね。…うん、今はもう一緒じゃないの、きっと向こうにいる」
「もう、ずっとこのままなんですか?」
「分からない…けど、兄さんも私から離れられて良かったと思っているんじゃないかな、私、依存してたから」
「…………」
私には何も言えなかったけれど、オーディンちゃんはそんな事ないと否定していた。
「家族とはそういうものだ。たとえ、それ以上の関係があったとしても、離れたままで良いというのはちと寂しい気がするの」
「うん…そうだね。──ああ、ええと、私がここに来た用事なんだけど」とアルヘナさんが用件を切り出してきた。
「もし、あなたが向こうにいる友達の事で悩んでいるならアドバイスをしようと思って来たの」
「アドバイス…ですか?」
「うん、色々とややこしい事情があるのは聞いているから知ってるけど…行った方がいいよ」と、確かな笑顔でそう言われた。
「それは、助けにってことですか?」
「そう、少しでもそうしたいと思う自分がいるのならその自分に従った方が良い。私たちはそれをサポートするから」
「…………」
「そうさのう…それにお前さんは国王はやるつもりなどないのだろう?なら、きっちりとそれを伝えんとな」
「まあ…──うん、そうだよね」
そうだ、カウネナナイの人たちは私に期待を寄せているんだろうけど、こっちにその気はない。
その気持ちを伝える、というよりアネラのために、という気持ちの方が強かった。
──行こう。アリーシュさんたちがせっかく頑張ってくれたのに、また向こうに戻るのは申し訳ないけど、友達がいるんだ。
けれど、私の思いは"国の都合"で阻まれることとなった。
私の代わりをやってくれている友達を迎えに行きたいとシュナイダーさんに伝えるが、言下に断られてしまった。
「駄目だ」
「安心せいリヒテンよ、余が付いておるしノラリスもラハムもいる。お前たちの部下に迷惑をかけん」とオーディンちゃんも説得するが、そう簡単な話ではないらしい。
「ルカナウアの軍が私たちの船を包囲しているんだ、この状況でカウネナナイへ近付くのは危険過ぎる。それからバハーも強行突破した関係で港に甚大な被害が出ている、私たちが本土へ近づこうものなら戦闘は避けられないはずだ」
「そんな…」
ラハムが残念そうに肩を落とした。
「そして、君が戦闘に巻き込まれるのなら私たちは何があっても無視はできない。…すまないが、向こうの包囲が解除されるまで辛抱してくれないか?」
「その間に影武者である事が発覚したらどうなる?カウネナナイでは極刑になるのだぞ」
「…身近な存在だけで手がいっぱいだ」
すまないと、シュナイダーさんが申し訳なさそうにしながら頭を下げた。
◇
それから私たちはブリッジから引き上げ、気もそぞろに夕食を済ませてまた自室に戻っていた。
アネラの事が心配だ、向こうの話ではマカナのお母さんも傍にいるようだけど、戦う力は持っていないので荒事になったらどのみち危険が迫る。さらにテジャトさんも教会側にいるみたいだけど...多勢に無勢だ。
シュナイダーさんは"包囲が解けるまで"と言っていた、ウルフラグへ要請して追加の派遣軍を編成してもらっているらしい、さらに空軍にも協力をしてもらうようだ。
でも、到着まで時間がかかる、その間にもしもの事があったらと...その考えばかりが浮かんで気が休まらなかった。
傍にいたラハムとオーディンちゃんはついさっき部屋を後にしていた、もう家出しないようにノラリスの相手をしてくるんだとか。
(家出って何。──そうだ、色々ありすぎて忘れてたけど…)
あのダンディな人が自分の事を『ノウティリス』だと名乗っていたことや、『せいかんかんりがたぜんいきこうこうかん』とも言っていた。
凄いの?ノラリスって、戦う兵器だからと今まで敬遠していたけど...
ベッドの上でごろごろとしながら取り留めもない考え事をしていると、開けた丸窓の向こうからブオォンと大きな音が聞こえてきた。
船を移動させるのだろうか、何故音が鳴ったのかは分からないけれど、私はその音を合図にしてベッドから立ち上がり、ノラリスがいるハンガーへ向かうため部屋を後にした。
廊下に出ると冷んやりとした空気が身を包む、士官室が並ぶ居住区が船の後方に位置しているためエンジン音が届くのだ、けれどそれ以外の音は無くどこかひっそりとした雰囲気があった。
(どうしてだろう…)
廊下を渡り甲板へ出る、私が乗船しているバハーの他に三隻の軍艦が周囲に停泊していた。その三隻の船もエンジンを始動させたようでゆっくりと向きを変えているところだった。
「─っ」
甲板の向こうから途端に荒々しい足音が響き、思わず身を竦めた。やって来たのはライフルを抱えた船の兵士たちだった。
私を見かけるなり「今すぐ船内へ!」と怒鳴ってきた。
「な、何があったん─「いいから!カウネナナイが攻撃を仕掛けてきた!」
腕を掴まれ、出てきたばかりの船内へ引き返させられる。やって来た兵士は三人、暗視ゴーグルを装着し船内の見回りをしていようだった。
「ど、どうしてカウネナナイが…」
「それは分からない、俺たちもまだ何も知らされていない!」
さらにぐいぐいと手を引っ張られる、力強い手が私の腕をがっちりと掴んでいた。
その腕にはめられた腕時計を見ながら私は咄嗟に口を開いた。
「あ、あの!私、ナディです!ナディ・ウォーカー!特個体に乗れます!」
「──何?!」
「こ、これ!」と、アリーシさんから渡されていた許可証を兵士の人に見せた。
立ち止まり、その場でちらりと舐めるように兵士が許可証を見て、それからどうしようかと他の人たちと相談を始めた。
「民間人の子に…」
「でも今は有事だ、出てくれた方がこっちとしても…」
「それに何かあった時は特個体に乗っていた方が…」
三人がこくりと頷き、
「分かった、ハンガーまで案内する。出撃許可は君の方で取ってくれ、その方が話が通しやすい」
「わ、分かりました!」
一体私に何ができるのか、それは分からない。けれど、部屋でじっとして篭っているより何かをしたかった。
兵士の人たちと一緒にハンガーへ向かった。
◇
到着したハンガーで目を疑うような光景に出会した。
「──ひっ」
「そんな所で何をしているっ!!」
ノラリスの足元に見知った人影が二つ、倒れていた。
そして、その体に足を乗せてあのマキナが立っていた。
名前は──バベル。
「恨むんならドゥクスを恨め、先に手を出したのは奴だ」
「答えろっ!!」
一人が前に出てライフルを構え、残りの二人が私を庇うように立ってくれた。それでも私は怖くて体が縮こまってしまった。
あの時の記憶が蘇る。
《本当に不憫な主だ》
頭の中から語りかけてくる声、それはとても久しぶりなものだった。
「ナディ・ウォーカーのベンゼン環を調べに来た。この二人は邪魔だったもんで眠ってもらっただけだよ、そう剣を立てるな」
「今すぐその足を退けろっ!!」
「いいぜ──ほらよっ!!」
その人影とは、オーディンちゃんとラハムだ。バベルはオーディンちゃんに乗せていた足をお腹に引っかけ、あろうことか兵士に向かって蹴り飛ばしてきた。
「なっ──」
「マキナを庇うとは結構なことだ!」
意識を失ったオーディンちゃんの体が宙に浮き、その隙にバベルがだっと駆け出してきた。
「そんなもん撃ったって死にやしないのに──なあっ!!」
オーディンちゃんの体を受け止めた兵士の人をこれでもかと殴り飛ばし、私を庇ってくれている二人にも殴りかかっていた。
あっという間だった、三人が床に倒れ、私はまたバベルと相対する羽目になってしまった。
「今からアレに乗るんだろ?コネクトギアも使わずに」
「ど、どういう意味ですか…」
「ここにいる連中は全員、自分と機体を繋ぐ時は有線接続だ。だが、お前は違う、接続する必要もなく機体を動かせる。最初はあの機体に細工されているかと思っていたが…お前にも細工されているって途中で気付いたんだ」
「…………」
「プログラム・ガイアはお前がマキナなんじゃないかと疑っているみたいだが…実際のとこどうなんだ?」
「そんなっ…マキナじゃありません!」
「ま、だろうな。ゼウスの話によれば、変異型ベンゼン環はヴァルヴエンドで開発されたものらしいし…それをどうしてお前さんが持っているのかっていう所は良く分からんが…」
(何の話をしているの…?)
目の前に立つ人がする話はちんぷんかんぷん、全く意味が分からない。
「…っ」
その人にグッと腕を掴まれた。
「あの日の続きといこうや。ガイア・サーバーの不具合は、明らかにお前がアクセスした直後から発生しているんだ」
見た目は細身なのに、掴んできた手はびくともしなかった。
「は、離してっ!」
「離すもんかよ、ガイア・サーバーを復旧させないとこっちも色々とマズいんだ。──お前だって知りたくないか?どうして自分の体にそんなものがあるのか。前に一度、そこで眠っているオーディンと視覚を共有したことがあっただろ、それも変異型ベンゼン環のせいなんだわ」
「し、知らない知らない!興味ない!」
「生身の人間でありながらマキナと同等の通信能力を持つ。脳内にインプラントを埋め込むわけでもなけりゃ、ハーフマキナに転じるわけでもなし。──まるで夢のような技術だと思わないか?」
「知らない知らない──いい加減に離して──ノラリスっ!!」
《星間法第二条の乗組員に関する法律に抵触したとみなし、これより救助活動に入る》
私が名前を叫ぶと、そう頭の中に返事があった。
《黙って見てたのっ?!》
つい、私はそんなノラリスに怒ってしまった。
《マキナや人間を攻撃対象としてみなすには何かと手順が必要なのだ。だが、安心してくれ、必ず排除しよう》
「──っ?!」
ノラリスを固定していたボルトが次々と破損していく、出撃シークエンスを踏まずに勝手に動き出したからだ。
けたたましいアラート音で気絶していた兵士たちが反応し、素早く態勢を立て直していた。
「くそがっ」
そう毒づいたバベルがさっと私の腕から手を離し、後は振り返ることなくハンガーから出て行った。
✳︎
「何故攻撃を指示したのですかエノール侯爵!」
「私ではない!私が指示を出したわけではない!」
「ですが!現に今カウネナナイの船がウルフラグへ迫っているではありませんか!こんな形で武勲を上げたとてそれは次の戦火を招くことになるのですよ?!」
「だから私ではないと言っている!信じてくれ!」
何だってこんな事に...一体誰が出撃命令を出したというのだ!
(せっかく出来たこの時間で影武者であることを白日の下に晒そうと考えていたのにっ…)
私の部屋にやって来たカルティアン──を演じるアネラは怒り心頭といった様子だった、こちらの話に耳を傾けることなく一方的に糾弾している。
だが、それも無理もない、何せウルフラグの船に攻撃を仕掛けているのが私が指揮する部隊だったからだ。
「すぐに止めさせるよう連絡を!」
「…それはできない」
「何故ですか!!いくら国王不在だからと言って国そのものを危険に晒すのは──「繋がらないのだ!王室からの通信も不可能だ!」
ここに来て大規模な通信障害が発生していた、海の上で待機している者たちと連絡が取れないから状況がまるで分からなかった。
事実を告げられたアネラも愕然とした様子になった。
「そんな…それでは船にいる人たちも…」
「ああそうとも!皆も何故こんな事になっているのか何も分からないはずだ!──主犯を除いて!」
室内に入って来た夜風で灯りの火がふわりと揺られる。
アネラもようやく事の重大さが分かってきたようだ。
「一体誰がこんな事を…」
「…今はとにかく場を宥める事が先決だと思います。ただ、この場でできる事は何もありませんが…」
「………」
特別な衣装に身を包んだアネラが視線を下向け、考え込み始めた──かに思われたが、すぐに視線を戻して私にこう言った。
「リゼラ教導長と一緒にウルフラグの船へ渡ります「なっ──正気ですか?!混乱している戦場に自ら出ると言うのですか?!」
決然とした表情でさらにこう言った。
「威神教会所有の船で戦場に出れば、きっとカウネナナイの兵たちは矛を収めてくれるはずです。その間に私たちが直々にウルフラグへ説明を果たせば、無用な戦闘を避けられるかと」
「その通りかもしれませんが…」
(本当に行かせて良いのか…?混乱を静めるためと言っておきながら当人と入れ替わるつもりなのでは…)
今回の騒動の責任は、ウルフラグではなく私たちカウネナナイにある、それも私が指揮する部隊だ。その尻拭いを彼女にしてもらう事にもなるが...
(止むを得ないか……)
最悪、私一人の首で済むようにと算段を立て始め、これではオーディン司令と同じではないかと自嘲の笑みを溢した時、その人は悠然と室内に入って来た。
「失礼する」
「……っ」
「…っ!」
私もアネラも驚いた。
その人は長らく姿を見せていなかったデューク公爵だった。
「息災かね、二人とも」
「え、ええ…そうですとは言い難い状況ですが…」
「そうだろうとも。先に謝罪しておく、今回の騒動は私に責任がある、カウネナナイの船を動かしたのはバベルというマキナだ」
「ま、きな…マキナ?」
「…………」
アネラは何も言わずにじっと公爵を見ているだけだ。
「かく言う私もマキナだがね」
「…はあ?──いえ、失礼しました…」
「良い、私の話はまた今度にすればいい。──アネラ、先程の話は聞かせてもらった、良ければ私の船で君たちを護衛しよう」
「本当ですか?」
「無論だ、私の船を出せば間違いなく機人軍側が異変に気付くことだろう。後はウルフラグが発砲しないか、そこに賭けるしかない」
「当てが外れてしまったら?どうなさるおつもりですか」
「それを君が心配するのかねエノール、影武者である彼女が海に没すれば玉座は君のものだ」
「冗談は止めていただきたい、彼女はあくまでも政敵であって命を奪いたいわけではありません」
「…見違えるようだエノールよ、こんな状況でなければ再会を喜び合いたいところだが…まずはヴァルキュリアの対応、ご苦労であった、あれは私が引き受ける」
「承知致しました」
「アネラ、教会側に話を付けてくれたまえ、私も出航の準備に取りかかる」
「分かりました、よろしくお願い致します」
「すまない、私の不手際でこんな事になってしまった。──では、お互いに恙無く」
突如として現れた公爵は、またいつものように同じ挨拶をして部屋を出て行った。
「…アネラ、公爵がマキナだという話、どう思いますか」
ずっと固い顔をしていた彼女がふっと笑顔になった。
「私は信じます、コクアのメンバーにもマキナの方がいらっしゃいましたから。もう本当に、小言がうるさくていつも怒ってばかりでしたけどね」
「…………」
私はアネラの返答を聞いて、"ああ、乗り遅れているのは自分"だと、不思議とそう思った。
✳︎
[駄目に決まっているだろう!ナディ・ウォーカー!いい加減に聞き分けろ!]
「ですから!私にはノラリスがあるんです!戦えなくても牽制ぐらいにはなるはずです!」
[駄目駄目駄目!]
「そっちこそいい加減に許可を下ろしてください!もうこっちは水中カタパルトで待機しているんですよ?!」
[知らんがな!お前が勝手にシークエンスを進めたんだろ!──はあ〜〜〜ガーランドが頭を抱えていた意味が良く分かったよ…「だったら![俺は折れない!ガーランドは短気だから匙を投げたんだろうがな!俺たちの部隊を信じて待て!]
《主よ《その呼び方止めて》な、ナディ、ここは艦長の指示に従うべきだ。現にカウネナナイ側は機体を出撃させただけで何ら作戦行動に移っていない》
機内の気圧良し、水中カタパルトの水圧良し。浸水無し、出撃に問題無し。
特個体と言っても有人探査艇とそう違いはなかった、いや本当は沢山あるんだろうけど、目視確認以外は全部ノラリスがやってくれた。
《でもいつ攻撃されるか分からないんでしょ?!》
《その逆だと進言しておこう。ウルフラグ側の出撃を確認したと同時に作戦行動に移行する可能性が高い》
《何だってそんな手間な事をするのさ!攻撃を開始するから機体を出したんでしょ?!》
《ちょっとテンション高過ぎじゃない?大丈夫?》
《そりゃあんな事があった後だもん!テンションだっておかしくなるよ!》
ああ、これは駄目だとノラリスの小声が聞こえた途端、機体の電源がぶんと落ちてしまった。
《いや何でさ!》
《少し落ち着いた方がいい、今のナディはハイになっているだけだ。そんな状態で出撃はできない》
[おい!何があった?!]
コクピットの明かりは落ちたけど通信と生命維持装置は稼働しているようだ、慌てたシュナイダーさんの声が届いてきた。
「ノラリスと喧嘩しているんです!このままでは出撃できないと言って勝手に電源を落としたんです!」
[良く分からんが俺はノラリスの判断を支持する!良くやった!その聞かん坊をコクピットに閉じ込めておけ!]
ノラリスは返事の代わりなのか、右手をサムズアップの形に変えていた。
水中ハンガーは文字通り、水の中である。寝そべった状態で射出態勢を維持していたコクピットからはぐにゃりと歪んだハンガーが見えていた。
(……ん?)
そんな景色を眺めていた私の目の前を何かが横切っていく、それはおよそ海の生き物らしくないものだった。
「ノラリス、カメラの映像って再生できる?」
[どうしたんだ急に]
コンソールからノラリスの返事が返ってくる。見た物にあまり自信を持てなかったが言うしかなかった。
「何か、今たんぽぽっぽい物が…」
[たんぽぽ…?──あった、これだな]
そう言ってカメラ映像をコンソールに表示させ、思った通りたんぽぽだった物を再生して停止してくれた。
サイズ感と色合いは違うけれど、それはミニマムになったたんぽぽだった。
「何これ、カウネナナイの海にこんなのあったっけ?」
[さあ…あまり生物には見えないようだが…]
停止した映像には近くに映っている個体以外にも、いくつかハンガー内に入ってきているようだった。確かに生き物には見えない、どちからと言うとオブジェクト、雑貨店とかに売ってそうな物に近かった。
まじまじと、他にやることもなかったのでまじまじと見ていた私に通信が入った。
[シュナイダーだ。事情が変わった、ウォーカー出撃準備に入れ。ただし!オートパイロットでだ!]
「私よりノラリスを信じるって言うんですか?!」
[当たり前だ!戦場のいろはも知らない子供に任せられるか!……教会の船と軽巡洋艦の一隻が真っ直ぐこちらに向かって来ている。意味は分かるな?]
「それって…もしかしてアネラ?」
[出迎えてやれ。おそらく戦闘の意思は無いという事だろう]
◇
オートパイロットで出撃した私を待っていたのは、いつでも変わらない海の世界だった。
時間帯が夜もあって見通しは勿論悪い、けれど、あの日見た光景がすぐに蘇り、静けさと高揚が同時に去来する不思議な感覚に囚われた。
《やっと分かったか、先程のナディは精神的に高揚し過ぎていたことが》
《うん、ごめん…今なら分かるよ》
出撃したバハーの大き過ぎる船底を超えて、左斜め前方にキラキラとした光りの群れを見た後、ゆっくりとノラリスが上昇していった。
音も立てずに海中から空へ浮上し、水空両用エンジンの圧力均等隔壁...何だっけ、とにかくエンジンが水圧に負けないよう保護するフードから、溜まっていた海水を盛大に排出していた。
その光りもまた綺麗だった、まるで魚が跳ねたように周囲へ海水が散らばっていく。
《あれのようだ》
ノラリスが言う船は二隻、一つは以前乗船したことがある古いタイプの軍艦であり、もう一隻は教会のシンボルマークが刺繍された大きな旗を靡かせた船だった。
その船へ近付くにつれて、古いタイプの軍艦からモールス信号が発せられた。生憎私には分からない、けれどノラリスなら解読できた。
《向こうは何て言ってるの?》
《交戦の意思無し。着艦されたし》
《着艦って…ノラリスはそれで良いの?》
《ううん…あんまり乗りたくない》
ノラリスの喋り方はまちまちだ。威厳を持たせたかと思えば、私とそう歳が変わらないような喋り方をする時がある。私は今の方が好み。
《この通信障害はまだ直らないの?あのバベルってマキナのせいなのかな》
《それは分からない、この私にでも分からない。オーディンとラハム、それからカウネナナイ側の機体を弄ったのはバベルで確定なのだが…それがどうかしたのか?》
《ノラリスが嫌ならバハーに来てもらおう。モールス信号でそう伝えられない?》
《お安い御用だ。ナディも覚えてみるか?ルールさえ分かれば簡単だ》
《ま、また今度ね…》
チカチカとノラリスと軍艦がやり取りをし、程なくして相手から了承を得られた。
私、というよりノラリスのオートパイロットで来た道を引き返す、念のためモールス信号をバハー側へ送るが伝わるかどうかは分からない。
そして、出迎えを終えてバハーへ戻って来た私たちをシュナイダーさんは遠慮なく叱りつけていた。
「勝手な判断をするなっ!!誰が連れて来いと言ったっ!!」
「すみません、ノラリスが向こうの船に行きたくないって言ったのでこっちに連れて来ることにしました。モールス信号は送りましたよ?」
「そういう問題じゃない!こういう事は我々と相談した上で──ああ!通信不良で…ああもういい!カウネナナイ側の賓客はお前が責任を持ってお出迎えしろ!」
「元からそのつもりなんですけど…」
「だったらさっさと行く!我々は警護と周りの警戒を続けておく!──いいか?!変な事を言って相手を怒らせるなよ?!自分の肩にウルフラグの外交が乗っかっていると思え!」
「あ、そういう言われ方されたら緊張してきました、誰かこっちに付けて──「もう遅いわ!」
まあ、実際は私一人ではなく、眉を吊り上げたアリーシュさんも同行してくれることになった。アリーシュさんも私が勝手な真似をして怒っているようだ。
「全く君という子は…どれだけ心配させたら気が済むんだ?」
「さ、さーせん…」
そこはすみませんでしたときちんと言え!と怒鳴られたあたりであちらから人がやって来た。
接舷した甲板から渡り板がかけられ、そこをドゥクス・コンキリオという人とマカナのお母さん、そしてアネラ、さらに二人の兵士も随伴していた。
バハーの甲板で相対する私たち、夜の潮風が互いの距離を行き交う。そして、私は久しぶりにカウネナナイの礼儀を持って挨拶をした。
「──ご足労いただきましたこと大変恐縮に存じ上げます。僭越ながら、私が皆様方のお相手をさせていただきたいと思います」
「これはこれは…迷惑をかけたのはこちら側だというのに随分と丁寧な対応だ。まず、先に言っておくがカウネナナイ側に戦闘の意思は無い、もうあちらにも使いの者を向かわせているところだ」
頭を上げる、コンキリオというお爺さんもマカナのお母さんも薄らと微笑みを湛えている、マカナとアリーシュさんはちょっと驚いた顔をしていた。
「肩っ苦しいのは無しにいこう。その方が君も楽ではないかね?」
「え、ええ、まあ…はい、そうしてもらえると助かります…あ、えっと、こちらが艦長のアリーシュ・スミス少佐です」
そう紹介をすると、アリーシュさんは綺麗な敬礼をして名前を名乗った。
「お初お目にかかります。アリーシュ・スミスと申します、当艦を預かっております」
「どうも、私はドゥクス・コンキリオだ。こちらがリゼラ・ゼー・ラインバッハ、そしてこちらがアネラ──「アネラ・マルレーンと申します、以後お見知り置きを」
「かしこまりました。本件につきましては既に他の者たちへも周知徹底しております、ですから早期に武装解除していただけたらと考えております」
「うむ、そうしよう。──それまでの間、時間があると思わんかね?」
「は、はあ…それが何か?」
「艦内へ入れてはもらえんか?とくにこの二人は薄着でね、暖かい所に案内してもらえると助かるよ」
アリーシュさんと目を合わせる。
確かこういう時って相談した上で決めろとシュナイダーさんも言っていた。けれどまあ、それぐらいなら…みたいな空気感はアリーシュさんも持っていた。
「…分かりました、艦内へご案内致します」
アリーシュさんの快諾をコンキリオさんは思いの外喜んだ。
「そうか!それは助かるよ。では行こうか」
アリーシュさんを先頭にして皆が歩き始める、私はちょっとだけ待ってからアネラと肩を並べ、もういいよねと彼女へ遠慮なく抱き着いた。
「──わ!」
「ああ〜良かったあ〜アネラが無事で…心配してたんだよ」
私よりちょっとだけ背が高い彼女の体は勿論細い。こんなに頼りない体付きなのに、彼女は政権の場で踏ん張ってくれていたのだ。
「大丈夫だって…いやちょっと危なかったけど」
「助けに行くか行くまいか悩んでた時にこんな事が起こったからさ、まあ、私もちょっとだけ忘れてたんだけど」
「何それ」とアネラがくすくすと笑う。そんな私たちを大人たちはとくに咎めることもせず、ただ見守ってくれていた。
船内へ入った途端、コンキリオさんが、
「ハンガーへ案内してくれんか?」と言ってきた。
アリーシュさんが慌てた。
「は、ハンガーへ?い、いえ!それはさすがに…」
「安心したまえ、私もグガランナと同類なんだ」
「同類…?──え?!ま、マキナだったのですか…?いえ、だからと言って関係者以外の立ち入りはさすがに…」
「ううむ…是非ともノラリスなる機体をこの目で見たいのだがね…無理かね?見るだけで良いのだが、断られるなら強行手段という手も…」
ずっと微笑んでいるだけだったマカナのお母さんがコンキリオさんを宥めた。
「公爵様、せっかく和平の道が開かれたのに我が儘はいけませんよ。そういうことは事が終わってからにしてください」
な、宥めているのか?
不穏な事を言ってのけたマカナのお母さんを前にして、アリーシュさんがにわかに慌て出した。すぐさまインカムから確認を取り、程なくシュナイダーさんが慌ただしく私たちの元へ駆けて来た。
「しゅ、シュナイダーと申します!か、艦内をご覧になりたいとのことですが…」
「艦内、というよりノラリスという機体をこの目にしたい。不躾な願いだと重々承知しているが…」と、コンキリオさんも不穏な空気を臭わせながらそう言った。
「ノラリスでしたら甲板にて駐機させておりますので、どうかそれでご勘弁を…機密区画を案内するのはさすがに…」
「うむ!それで良い。では、淑女たちの案内は頼む」
「しょ、承知しました!」
前半はシュナイダーさんへ、後半はアリーシュさんに言い、コンキリオさんは颯爽とした様子で私たちの元から去って行った。
お堅い大人たちが去った後、私は歩きながらアネラに尋ねた。
ヒルドちゃんの行動について。
「あ〜〜〜それね…うん」
「何?というかアネラはヒルドちゃんが何をするのか知ってたの?」
「まさか。あの時私は王城で待機していたし、ヒルドとバタンタッチするつもりだったんだよ。それがね、ヒルドがこのまま続けたいって言い出して、国王に預けたコネクトギアと機体を回収したいって」
「そんな事の為に…」
出入り口から程近い部屋に案内してくれたアリーシュさんも険しい顔付きになっていた。
「ヒルドのせいでコクアのメンバーに死者が出た。それはどのように思う」
「はい、存じ上げています。けれど、ヒルドが王都の守備隊を動かしていなければもっと被害が拡大していたと考えています」
「それはどういう…」
「カルティアン家を快く思わない人たちは、私たちが考えているより沢山いるって事」
私の質問にアネラが真摯に答えてくれた。
「じゃああの日、私たちは…元々狙われていたって事なの?」
「そうだよ、脱出する日程を周囲に流したのもコクアのメンバーだっていうのはカゲリの調べで分かってたの」
「わざと泳がせていたという事なのか…?」
「そうです、内通者が誰か分からない、そんな状況で作戦内容を変更しても意味がありません。だからあえて作戦を決行して内通者の洗い出しにかかったのです、そして、カゲリはそれを端から順に回って叩いていたのです」
──申し訳ございません、ナディ様。
(あの時の謝罪は…そういう意味があったんだ…)
"わざと危険な目に遭わせて"申し訳ございません、きっとそういう意味があったのだ。
「…その内通者は誰か分かったのか?」
アネラは細かく首を振って否定した。
「分かりません、王室へ上げられた報告によれば、守備隊との交戦でウルフラグ人の何名かが死亡したとありましたが…それだけの情報では身元の特定ができません」
「そうか…」
私たちの事を売った人がいる、けれど今となってはもう分からないし調べようもなかった。
ヒルドちゃんにカゲリちゃんは結果として私たちのことを守ってくれたのだ、それが今になってようやく分かった。
(やっぱり危険な所なんだ…そんな所にアネラは一人で…)
決意が固まった。
「アネラ、今日までありがとう」
突然お礼を言われたアネラは首を傾げ、そして意味が通じたようだ。
「…待ってナディ、それって」
「うん、アネラはここに残って、今度は私が向こうへ行くよ。──それでもいいですよね、リゼラさん」
「いやでも!「──構いません、どのみちあなたが赴かなければアネラが処罰されていた事でしょう。今回の騒動は私たちにとって渡りに船となりました」
アリーシュさんが私に尋ねた。
「ここに残すということは、彼女もウルフラグへ亡命させるということか?」
「はい」
そう言い切ってからアネラに確認を取った。
「──で、いいよね…?」
アネラは困ったような、呆れたような、そんな笑顔で答えてくれた。
「いいよ」
第113話 一人娘たち
確かに、確かに私が王になった方が大人たちの都合も良いのだろう。
その逆もまた然りで、ポリフォ・エノールという人物が王になった方が都合が良い人たちもいる。
私は疑問に思う、何故対立しなければいけないのか、と。どうして片側だけが得をして、片側だけが損をするような組織構造をいつまでも守り続けようとするのか、それって"欠陥がある"って事だよね?大人たちの行動が理解できなかった。
少しだけ寂しそうにしていたアネラにもう一度抱きつき、「大丈夫だから」と言って別れた。
これから威神教会の船に乗る、乗ったらもう私はカルティアン家の当主として振る舞わなければならない。その事実はちょっぴりしんどかったけど、仕方がない、これ以上友達に迷惑はかけられなかった。
アリーシュさんの付き添いで船内から甲板に出る。かけられた渡り板の前にはノラリスを堪能したのか、ご満悦そうにしているコンキリオさんと疲れた様子を見せているシュナイダーさんがいた。
私たちに気付いたコンキリオさんが声をかけてきた。
「やはりそう来るか」
「あともう一人はどうした?何故お前だけなんだ?」
外通路に取り付けられたライトに照らされたシュナイダーさんの顔に、濃い影が落ちていた。
「私が向こうへ戻るからです」
「お前っ…アリーシュたちの尽力を一体何だと思ってっ…」
「でも、こうしないと、アネラが囚われてしまいます。…すみません」
「………お前はそれで良いのか?この際、国籍とかどうでも良い、本当に王になるつもりなのか?」
まさか。
私も私なりに考えた。
やりたい事がない、叶えたい夢もない。ただ毎日を幸せに楽しく過ごせたら良いとしか思っていない、自分の人生に対する消極的な意欲は今でも変わらなかった。
私が返答するより先にリゼラさんが答えた。
「いいえ、いずれ私が座に収まるつもりでいます」
「こんな年端もいかぬ子供を噛ませ犬にしようって?──い、いえ、失礼致しました…」
感極まったらしいシュナイダーさんがリゼラさんに噛みつき、すぐに謝罪していた。
「それ程までにカウネナナイは荒み切っているという事です。理解してくださらなくても構いません、これは私たちの問題ですから」
「………」
「…では行こうか、ここに長居する理由もなくなった。シュナイダー大佐、カウネナナイの戦闘配置は直に解除される、安心したまえ」
「…ご配慮いただきありがとうございます。しかしながら、「分かっているとも、ウルフラグから追加の部隊が直にやって来るのだろう?それはそれだ。喧嘩をせねば分かり合えない時もあるさ」
皆んな、含みを持たせた言い方をして会話を終え、バハーの甲板で別れた。
渡り板から見下ろす海は真っ黒、見上げた空も真っ黒、深い闇が下にも上にも広がっていた。
渡り板から教会の船に乗り移り、そこでコンキリオさんと別れることになった。元々別の船で一緒にやって来たから自分の所へ戻るようだった。
「では私はここで。君ともう少し話をしたかったがそういう状況でも無い、向こうに着いたら気をしっかりと持ちたまえ」
遠回しなアドバイスだ。私はその意味を求めた。
「どういう意味なのですか?教えてください」
「人間の浅ましい所を嫌というほど見るという事だ、その辺りアネラは上手く視界から外していたようだが君はまだ慣れておらんだろう?だからそうアドバイスしたんだ」
「ありがとうございます」
「では、恙無く」
呼び止めたコンキリオさんが、腰から下げたマントを翻しながら今度こそ去って行った。
✳︎
今日もあの子はあそこにいた。
(また…)
開発に成功した義眼を装着するようになってから、時折幻覚を見ることがあった。
その子はいつも部屋の隅で蹲っている、顔を伏せて表情を見せようとしない。
医師たちにその子のことを伝えると毎度の如く義眼を外され、身体検査と義眼のチェックに入るのだ。これがまたストレスで、私は三度目を超えたあたりから幻覚が見えても黙るようになっていた。
場所は変わらず政府が所有している港近くのホテルである、静かな海が窓から見え、数ヶ月ぶりに復帰した自分の視神経に喜びを与えてくれていた。
けれど足りない、そう足りない、何が足りない?
「ナディ〜〜〜………ああ、一目でいいからあなたの姿をこの目で見たい………」
私の独り言に部屋の隅で蹲っていた幻覚の子が反応した──わけないか、ただの幻覚なんだし。
会いに行きたくても行けない理由があった、ウルフラグが厳戒態勢に入ってしまったのだ。
数ヶ月ぶりに見たニュースでは、カウネナナイへ派遣している海軍が攻撃を受けたと発表があった。それから空軍も派遣部隊に加わり、ウルフラグ国防軍が陸軍を除いて総力で邦人の救出任務にあたると報道があった。
陸軍は完全に下火である、シルキーの独占に不透明な組織運営が仇となって大幅な活動を制限されていた。
(──あ)
部屋の隅にいた、男女の区別がつかない子がふっと消え失せていた。
これもいつもの事であった。
ベッドから下りて、誰の手も借りずに窓際へ向かった。自分の意思で自由に動けるのはとても良い事である、だが、視界が戻って来て困ることもあった。それは"見たくもない"ものまで見えてしまうことである。
医師の疲れた顔や気まずそうな顔、ちょっとした仕草もふとした仕草も、全て視界に映る。映ってしまうとこちらとしてもあれやこれやと考えてしまうのだ、"嫌な言い方をしたかな"とか"我が儘を言い過ぎたかな"とか。
(あれこれ考えたところで何もできやしないけど…)
窓際に立ってカーテンを開ける、静かな夜の海が眼前に広がっていた。
月明かりも無いので真っ黒だった。
「………あれは…船?」
最初はそう思った。遠近感もまるでない沖の方で小さな灯りを見つけたからだ。
でも、その灯りは船らしからぬスピードで私の視界を左から右へ横切っていく、おかしいと思ったその瞬間に、さらに沢山の灯りがぽ、ぽ、と現れ始めた。
次に思ったのはマキナの仕業かな、である。どうやらその灯りは群れをなして宙を漂っているようである。
その群れが流れて行く様は、まるで海中を泳ぎ回る魚にも似ていた。勝手気ままに、けれど意志を持って泳ぎ回る、どこか気持ちよさそうにも見えた。
灯りの群れを目で追いかけていると──
「──え」
大きな、大きな大きな玉があった。その玉にどんどん灯りの群れが吸収され、さらに大きくなろうと──。
「……っ!!ああっ!!」
突然、目の奥から頭蓋骨にかけて凄まじい痛みが走った。堪らずその場にしゃがみ込む。
どっと吹き出す汗、途端に激しくなる鼓動、意識も遠のいていく中で何とかコールボタンを押して助けを呼んだ。
「…………」
今日もあの子はあそこにいた。
部屋の隅で微動だにせず、立って私のことを見下ろしていた。
そこで意識が途切れた。
✳︎
コンキリオさんの言う通りになった。
カウネナナイに再び戻って来た私たちを沢山の人が出迎えた。その対応に追われ、夜も遅い時間帯にようやく解放されて、教会が持つ館へ到着したのは日付けが大きく変わった後だった。
これで終わらないってんだから気が重い。やたらと柔らかいベッドの上で、目が覚めた直後から大きく溜め息を吐いてしまった。
「おはようございます、カルティアン様」
溜め息を吐いた直後から給仕の方が部屋にやって来た。
それから私はなすがままに衣服を着替えさせられ、リゼラさんが居る所へ案内された。
「とても良いわナディ、どこからどう見ても王そのものよ」
全くもって嬉しくない。
見窄らしい体を覆い隠す事に長けた立派なドレス、それからガルディア国王も身につけていた簡素なマントを上から羽織り、そして頭にはティアラも乗せられていた。
今日、国民による時期国王陛下の投票が行なわれる。間違いなく私に票が集まる見込みだった、何せエノール侯爵が指揮する部隊が国の方針を無視して部隊を展開させ、危うく衝突しかける事態を起こしたからである。
私の決意は固まっていた。
「これからどうされるのですか?」
「直に王城から使者が来るわ、そしてその後にあなたが王になり、手筈通りその権利を私へ譲渡する」
「それは私の母も納得している事なのですか?」
「あなた、王になりたいの?」
「ただの確認です」
「ヨルンもそれで納得しているわ、安心してちょうだい」
「分かりました」
そう会話を終えた途端、部屋の扉がノックされた。
入って来たのはアルヘナさんのお兄さん、テジャトさんだった。
「失礼致します」
「何か?」
「大変恐縮なのですが、ウォーカーさんとお話をさせてください」
「ここではカルティアンと呼びなさい、周囲の者たちに誤解を与えてしまうわ」
「失礼致しました。カルティアンさん、少しお時間をいただいてもよろしいですか?」
「はい、構いません」
そのまま部屋の外へ連れ出され、そして思っていた通りの事を私に尋ねてきた。
「…アルヘナは元気にしていましたか?」
質問に質問で返すのはどうかと思ったけど、訊かずにはいられなかった。
「…テジャトさんはこのままでいいんですか?」
カウネナナイに残るのか、と、そう言外に尋ねた。
答えは、とても曖昧なものだった。
「…分からない、このままで良いのか戻るべきなのか。でも、妹と離れたのが初めてで、それもどこか新鮮で、一人でいることに自由を感じているんだ。それもあってこれから先どうすべきなのか答えも出せなくて…」
(ああ…この人も一緒なんだ)
自分より歳上だからといっても、道に迷う事はあるらしい。私と同じだ。
その事実を知っていくらか気持ちが軽くなり、それと同じくらい胸が重たくなった。
大人だからといって何でも決められるものではないようだった。
「そうですか…アルヘナさんは元気にされていましたよ」
「僕の事、何か言ってた?」
返答に迷った、けれど素直に答えた。
「…いいえ、とくに何も。色々な事があって自分に自信をつけられたと言っていました」
私の返答を聞いてテジャトさんは悲しむかなと思ったけど、不思議と爽やかな笑顔になっていた。
「そう…それを聞けて安心したよ。時間を取らせてごめんね」
カウネナナイの作法で頭を下げたテジャトさんが私の元から離れていった。
◇
その後、私たちがいる館にやって来た使者の人に連れられ王城へ向かい、昨日の続きをさせられた。
門扉の前から市民が集まり、新しい王様の誕生を今か今かと待ち侘びていた。その新しい王様を自分たちが決めるのだから、きっと楽しみにしていたのだろう。
最多票を集めた人がやるかやらないかを決める、自分の意志は固まっていた。
投票が始まるまでの間、実に色んな人に頭を下げられた。どうかよしなにと、どうかよろしくお願いしますと。
その相手は市民や貴族に限らず、敵対関係にあるはずのエノール侯爵からも頭を下げられた。
「どうか部下たちのご配慮をいただきたく。不始末はこの私め一人だけでどうかよろしくお願い申し上げます」
勝てぬと分かった上での行動だろう、昨日までは影武者を演じていたアネラに対して攻撃的な言動があったと耳にしていたが、見事な掌返しであった。
確かに、確かに私が王様をやった方が都合が良いのだろう。
政務などまるで知らない子供を玉座に座らせた方が大人たちの都合も良い。傀儡となってあれやこれやと好きな事をさせられるからだ。それでたとえ失敗したとしても責任は王様にある、もの凄く都合が良い存在だ。
投票の結果は既に決まっていたかのように私になった。カウネナナイ初の女王が誕生したと、市民や貴族たちはお祭りのように喜んでいた。
それでも私の意志は変わらなかった。嬉しそうに微笑む人たちには悪いけれど...皆んなが求めているのは"新しい王様"であって"私"ではない。
春を過ぎ、夏を目前にした王城の屋外広間に涼しい風が吹いた。その爽やかな風を胸いっぱいに吸い込み、私の発言を待っている皆に向かってこう言った。
「今日は足を運んでいただき誠にありがとうございます、そして、私のような未熟者に期待を寄せてくださった全ての方々に御礼を申し上げます。ですが、」──そこで、唐突にある記憶がフラッシュバックした。
──いいか、責任とその自覚こそが自分を成長させてくれる何よりの物だ、その年でそれを分かっていながら逃げ回るなんざろくな大人にならないぞ。
「………っ」
「…ナディ、続けて」
背後にいたリゼラさんがそう先を促してきた。
(違うそうじゃない、私は逃げたいんじゃない)
違う、面倒臭いから断るんじゃない、自分の為に断るんだ。いくらやりたい事も叶えたい夢もないからといって、人の言いなりになるのは違う、だから断るんだ。
昔、ユーサにいた時にヴォルターさんから言われた言葉を振り切り、お腹に力を入れて言い切った。
「──ですが、私には荷が重過ぎます。なので、威神教会で教導長を務めているリゼラ・ゼー・ラインバッハ様に王の役目をお任せしようと考えています」
誰も喜ばない事を選んだのは生まれて初めてだった。
賑やかだった人たちがしんと静まり、風の音だけが聞こえ、背後にいたリゼラさんの「それでは意味がない!」という声が合図になり、静まり返った人たちも息を吹き返した。
「結局ラインバッハ家が玉座に着くことになってしまうの!それだと何の意味も無いの!どうしてそんな事を言うの!ナディ!」
リゼラさんの糾弾する声が耳に痛い、でも、どうしても"やります"とは言えなかった。
糾弾するのはリゼラさんだけではない、他の人たちもそうだ、誰だって喜んでいない、皆んな怒っていた。
──でも、そんな、怒っている人たちをも宥めるような出来事が起こった。誰かがそれを見つけ、「あれは何だ?」と声を上げ、私も空に視線を向けた。
たんぽぽだ、空一面を覆う無数のたんぽぽがあった。まるで雲を間近に見ているような、白い塊りが空のあちこちに上り、太陽も人の怒声もその全てを隠した。
自分が置かれた立場も忘れてたんぽぽに見入っていると、ぐいっと手を引かれた。誰に見咎められることもなく、私は手を引かれるまま屋外広間から脱出した。
手を引いてくれたのはテジャトさんだった。
その頭にもたんぽぽが乗っかっていたのが、何だか少しだけ可笑しかった。
「ここから離れた方が良いよ」
「はい…リゼラさんもかんかんに怒ってましたしね」
そのたんぽぽに気付いたテジャトさんが頭から取った、手のひらに移ったたんぽぽはどこからどう見てもたんぽぽだった。
ぽいと無造作に捨て、それから私の目をじっと見つめてこう言った。
「君は立派だよ、感心した」
「…え?な、何がですか?私は皆んなを困らせたんですよ、やった方が良いって分かっておきながら自分の為にそれを断ったんですよ?」
「だからだよ、君は君の為に自分を騙さなかった、あれだけ周囲の期待を集めながらもね。ああ、あの子は本当に強いって、そう思った」
「…………」
思いがけない褒め言葉に面食らう、そんなつもりはなかったのに、テジャトさんにはそう見えていたのだ。
「手助けするよ、ウルフラグの船まで戻ろう、もうここは君が居て良い場所じゃない」
「テジャトさんは…?」
「さあ〜…リゼラさんにも恩があるからね…まあ、今こうして裏切ったんだけど。その時に考えるよ──あのたんぽぽみたいにね」
テジャトさんが指を差した方角には街がある、その街の上空にもたんぽぽの群れがあった。
雲だ、雲のように見える、けれど何か意志を持ったようにその雲はある一点へ向かっているようだ。
どう考えても自然現象ではない、あんなのおかしい、でも、私は暫くその光景をぼうっと眺めていた。
✳︎
色んな可能性を秘めた私がいる。
無数に、限りなく無限大に近く、そしてたった一つの私に収束していく。
ほらね、結局一つなんだよ。誰?未来は無限の可能性に満ちているって言った人、出て来い、そんな事ないってこの私が否定してやる。
沢山だ、本当に沢山の可能性が空に上りつつある、それらはやがて一つになり──
私という存在を産み出す。
──私の可愛い子供、たった一人だけの可愛い子供、どうか末永く幸せに。
末永過ぎんだろ、一体いつまでこんな事やるんだよ。
一二人の母から愛された私はやがてこの世界に産み落とされる。
"死なない"ってことは決して幸福なことではない、それを母たちは知らぬのだ。
けれど、それを教える術が無い。"幸せ"というものは個人が感じ取るものであって他者から渡されるものではない──と、思う。自信ないけど。
人類はやがて魂を概念化させ、"死"という痛みと恐怖から救済の道を編み出した、それは"輪廻転生"である。
さらに人類は魂を電子化させ、"マッピング"することに成功した。
何の為に?何の為にそこまでやったのか、何の為に魂を電子化させて"生きたい"という欲求の支配下に置いたのか。
私の為である。
輪廻転生は実在する、それが私である。
数え切れない程の人生を歩んで来た、そしてその全ての記憶を記録し消去し、ここまでやって来た。
次が──何回目だっけ?
けどもう...くたくただよ私は...全知全能なんて興味ないし不老不死ももういい。
愛し愛され、家族を育み、平凡の中を生きていきたい。
それは一二人の母も持っている欲求だった。
私には分かる。
一人娘の私には分かるんだ。
※次回 二章最終話 2023/3/11 20:00予定
少しお時間いただきます。
ここまでお読みになってくださった方々に御礼申し上げます、本当にありがとうございました。