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第110話

.テンペスト・ガイアと四人の探偵たち〜アットホームで和気あいあいの探偵事務所です〜



「先日、ライラがファミリーネームを変えたそうだが、そうなった経緯について君の方で何か掴んでいないか?」


(は?)


「い、いえ…そのお話自体今耳にしたものですから、こちらではとくに…」


「そうか、時間を取らせてすまなかった」


(は?もう終わり?)


 そう言って、海軍に所属するリー・キングという凄腕のパイロットが窓向こうに視線を向けてしまった。

 レアノスから望む空は曇り、今にも降り出しそうな暗い天気だった。



(たったあれだけの要件で依頼を滑り込ませてきたというの…こんな事なら先に大学の方へ行けば良かった…)


 低気圧分の重たさを持った溜め息を、一人エレベーターの中で吐いた。

 私たちは都内の一角に居を構え、人々からの依頼を受けて細々とした悩みを解決する『探偵事務所』を立ち上げていた。

 メンバーは私、それからティアマト、ハデス、ポセイドン、バベルの五人だった。事務所の責任者は私が務める、それ以外の四人が探偵として日々業務をこなしていた。

 エレベーターから降りてエントランスへ向かう。ガラス張りの広いフロアには沢山の人が行き交い、私と同じように忙しく歩いていた。

 軍服姿の人、スーツ姿の人、皆、険しい顔付きだ。ここ最近になってある大きな問題が発生していた。

 海中に潜むとされている野生のシルキーが船底に引っ付き、航行の邪魔をするようになったのだ。原因は不明である。

 エントランスからレアノスを出る、折も悪く空から雨が降り出してきた。


[ラムウ、晴れにしてください]


 すぐに返事が返ってきた。


[無茶言うな、アルゴリズムに則って天候操作をしているから無理だ]


 すげなく断られ、私はしぶしぶタクシー広場に向かった。


(前は好き勝手変えたくせに)


 降り始めた弱い雨が私の肩を濡らす、あと少しでタクシーへ辿り着くという時にふっと雨が止んだ。


「迎えに来たわ、乗ってちょうだい」


 探偵事務所に出資してくれたカルティアンさんだった。彼女が私に傘をさしてくれたのだ。


「ありがとうございます、助かりました」


「いいのよ、貰った車も運転したかったしね」


「そ、そうですか…(駄目だ、タクシーとの違いがまるで分からない)


 鼠色の空から降る雨にその車は打たれていた。空と同じ色をしているシルバーの車だ、何でも『すぽーつかー』というものらしい。

 横開きではなく縦に開く扉を開け、カルティアンさんにエスコートをしてもらって座席に座った。他の車と違って目線が途端に低くなる、先程の私のように駆け足でタクシー広場へ向かう男性の上半身が見えなかった。

 カルティアンさんも車に乗り込み、探偵事務所がある都心まで送ってもらえることになった。


「本当にありがとうございます、タクシー代も馬鹿にならないもので」


「随分と庶民染みたことを言うのね。──それで、空軍直々の依頼はどうだったの?」


「それが…」先程言われた話をカルティアンさんにすると、意外な返事があった。彼女は知っていたのだ。


「両親と仲違いをしてしまったみたいでね、それで祖父にあたる人からファミリーネームを貰ったみたいなの。元々リアナ──ああ母親だけど、両親から引き継いだ仕事に不満があったみたいで婿入りした父親のファミリーネームを選んでいたって経緯があるのよ」


「それで…少し違いますが先祖返りしたという事だったんですね」


「そうなるわね。シルキーに関する情報は?」


「空軍ではとくに掌握していないそうです。海軍に尋ねようにも既に出払った後でしたので門前払いされました」


「タイミングの悪い…」


 街行く人たちは皆、急な雨に迷惑そうにしながら小走りで駆けていた。

 ビレッジ・クックは副都心としてここ十数年で開発された新都市であり、街に建てられた殆どの建物が真新しいかった。

 本来であれば探偵事務所もここに構えるつもりでいた、ただ、高いのだ、家賃やら何やらが都心よりも遥かに高い、だから諦めていた。

 雨の中、カルティアンさんと共に都心へ向かった。



「まいど!いつもいつもお世話になっ──って何やテンペストか挨拶して損した」


「バベル…お客様も一緒ですよ、失礼のないように」


「あ、どうもヨルンさん!どうぞどうぞこちらに〜今お茶出しますね〜」


「ありがとう」


 セントラルターミナルから程近い、古いも新しいも関係なく林立するビルの一室に私たちの事務所があった。

 解放的なフロアからはビルの谷間が見え、街の人が常に利用するバスターミナルも同様に見えていた。

 バベルの意向によって設けられた待ち合いフロアには、天井から吊るされたタペストリーが随所に飾られている。少し目に悪いが、本人の弁では「待っている人たちのプライバシー保護」だそうだ。

 そのタペストリーの中からカルティアンさんはキラの山が描かれたものを選び、そのソファに腰を下ろした。


「面白い所ね、いつ来ても飽きないわ」


「何でもバベルが通販でタペストリーを際限なく購入しているみたいで…週毎に変えていくのです」


「そう、お財布を預かる身としては考えものね」


「全くです」


「まあまあそう言いなや、来てくれた人も喜んでるんやから。はいどうぞ」


「ありがとう。他の皆んなは?」


「業務中です、ティアマトとハデスがお客さんの対応、ポセイドンはレポートをまとめていますよ」


「良ければ私にも見せてもらえないかしら、娘がカウネナナイにいるから心配なのよ。海軍はシルキーの問題について何ら考慮している素振りはなかったし、というか出航は政府の認可が下りてからのはずだったのに」


「お答えしよう」


 パッとプログラム・ガイアが私たちのソファスペースに現れた、いつもの事なので誰も驚かない。


「藪から棒に、普通に入ってきいな」


「む……そろそろ芸を変えるか、驚く姿が面白いのにこのままではリソースの無駄使いだ「ほんま自分ええ加減にしいや」


 向かい合わせに設置されたソファにはそれぞれ私とバベル、それからカルティアンさんが座っており、プログラム・ガイアは何ら迷うことなく彼女の隣に腰かけた。


「それで、何を答えてくれるのかしら」


「その前に先ずは君に質問したいカルティアン、あなたのその美貌はどうやって手に入れた?」


 無駄話をしに来ただけらしいプログラム・ガイアをバベルが無理やり引っ張って奥へ連行していった「冗談なのにぃ〜……」と、一つの相談室に入っていった。


「面白いのね、マキナって」


「い、いえ…あの人は例外と申しますか…あまり参考にしないでください」


 プログラム・ガイアを隔離させたバベルがレポートを持って戻って来た。


「ポセイドンも誘ったんやけど人見知りするからやめとくって」


「いつか一緒にお茶でも飲んでみたいものね」


 バベルがその細い腕を持ち上げてぶんぶんと振った。


「やめといた方がいいですよ〜あいつと仲良くなろうと思たら数百年ぐらいかかりますから〜」


「そ、そう…」


 マジである。

 ポセイドンが制作したレポートは大学から依頼されたものであり、各港から寄せられたシルキーによる被害報告だった。

 最初に報告されたのは今から約一ヶ月前、それを皮切りにして民間、軍を問わず至る所から報告が寄せられるようになった。

 レポートを速読したカルティアンさんが言う。


「まるで花粉のようね、最初は被害が出ていなかった海域でもシルキーが付着した船がそこを通ると、後から報告が寄せられるようになる…」


「はい、この生息域の広げ方は海洋生物のそれではありません。それから未確定情報ではあるのですが、都心周辺の水位が誤差の範囲を超えて上昇しているようです」


「それは本当なの?」


「その件について大学側に問い合わせようと思ったのですが…その、空軍に割り込まれてしまって、依頼料が高かったものですからつい…」


「………」


 不安そうにレポートを眺めているカルティアンさん、おそらく他国にいる家族を思っているのだろう。

 来客があった、おもてなし担当のバベルが早速対応していた。


「あ、どうもどうも〜!少しお時間いただけますか?今ちょっと皆んなの手が離せなくてですね〜すぐに終わりますんでお好きな所に座っててくださ〜い」


 表情を和らげたカルティアンさんが私に尋ねてきた。


「…ところで、彼?彼女?バベルはどっちなのかしら、いつ見ても似たような服装だし、見た目がユニセックス過ぎて分からないのよね」


 バベルはいつもYラインシルエットにコーデをまとめている、今日はド派手なナイロンパーカーにハーフパンツ、スポーツタイプのレギンスを着用していた。

 他のお客様もバベルの性別が分からないようである、「彼」と言ったり「彼女」と言ったり、たまに意思疎通ができなくて会話が難儀することがあった。


「さっきもちらりと見えた腕は細かったし…」


「はい、本人にも注意しておきます」


「いや教えてくれたらいいんだけど…」


 タペストリーの向こうからバベルの声が聞こえてくる、お客様が選んだタペストリーに合わせて話題を変えるのだ、これもバベルが考案したコミュニケーションの取り方だった。


「自然が好きなんですね〜俺もこの間初めて国立公演に行って来たんですけどね、良かったですよ〜」


「上手いわね、あの子」


「人と関わるのが大好きなんですよ、私からはいつも逃げていますが」


「そう、仲が良いのね」


 それから暫くして、私たちの事務所に出資してくれたカルティアンさんがこの場を後にした。



✳︎



「どうぞおかけになって」


「ありがとう。こうしてマキナの方にお会いするのは初めてだけど、可愛いらしいのね」


「これでも俺たちはあなたの何万倍も生きていますから、遠慮なく話してください」


「ハデス、きちんと敬語を使いなさい、中途半端よ」


「いいだろ別に。そもそもガキみたいな俺たちでも良いって言ってくれてるんだから」


「ふふふ」と依頼にやって来た老婦人が上品に微笑んだ。

 それから老婦人は語り始めた──。



 依頼者の話はこうだ。

 依頼者の夫は愛妻家として周囲の人たちにも知られており、今日まで何ら諍いを起こすことなく平穏に暮らしていた。

 だが、最近になって帰りが遅くなる日が多くなり、心配になった依頼者が夫にその理由を尋ねた。しかし、「干渉してくるな」と拒絶され、そのまま口論に発展してしまったようである。

 夫を不信に思った依頼者が俺たちの事務所を頼ってきたという事である。簡単に言えば素行調査、最も多い依頼内容である。

 これなら俺たちでもできると息巻くがティアマトの奴が何故か依頼者を諭し始めた。


「駄目、相手を疑ったら駄目。人は自分の心を映し出す鏡なんだから、あなたが相手を信じ抜けばきっと相手もあなたを敬うようになる。そうやって二人で困難を乗り越えてより良い関係を築いていくのよ」


「ああ…その通りだわ、あなたの言う通りよ」と依頼者がほろほろと涙を流し始めた。

 俺はぐいっとティアマトの手を引き「ちょっと失礼します」と断って個室の外に連れ出した。


「…こら!何でそんな事言うんだよ!」


「…だって!あの人を助けたかったんだもん!きっと何か理由があって遅くなっていたのよ!」


「…その理由を俺たちで探るんだろ!それが仕事なの!」


「…でも!」


「…このままだったら俺たちの給料がないんだぞ!それでいいのか!」


「はっ!」


 もう遅い。

 個室に戻ると目元を赤くした依頼者が既に荷物をまとめていた。


「本当にありがとう、あなたたちのお陰で目が覚めたわ。これ良かったら受け取って、せめてものお礼よ」


 そう言われた俺たちは止めることもできず、ご婦人からお菓子を貰いそれでそのまま終わってしまった。

 老婦人が事務所から退出した後、俺は遠慮なくティアマトに文句を言った。


「どーすんだよ!俺たちの仕事になったかもしれないのに!」


「仕方ないじゃない!あんな人からお金は貰えないわ!とても苦しんでいたでしょ?!」


「だったら悪い奴からなら貰えるって言うのか?!悪人が探偵事務所を頼るか!」


「そんな言い方しなくても良いじゃない!私だって頑張ったつもりなのに!」


「ああ頑張ったとも!お陰で俺たちの仕事がなくなっちまったわ!ここは教会じゃないんだよ探偵事務所なの!」


 フロアにいた他のお客さんに向かってバベルが、


「ご覧下さい、あれが当店自慢の漫才コンビです」


「誰が漫才コンビよ!」

「誰が漫才コンビだ!お金取るぞ!」


 ソファで待っていたお客さんがころころと笑った。

 そして、俺の発言がフラグになってしまった。

 翌る日、そいつはフラグを回収するようにやって来た。


「失礼する」

 

「まいど!」


(──っ!!)


 一緒にフロアの掃除をしていたティアマトが俺に声をかけてきた。


「どうしたの?昨日のことまだ怒ってるの?顔色が変だわ」


「違えわっ!あいつだよあいつっ…俺に女装させたのっ…」


 言う相手間違えた。

 エプロン姿のティアマトがだっと駆け出した。


「そこのあなた!ハデスに変な事させたって本当かしら!本人がとても困っているわ!」


「…………」


「ティアマト!いきなりお客さんに失礼やろ!えらいすんません、この二人漫才コンビを組んでまして──って聞いてはります?」


「……いや失礼。故あってここを訪ねさせてもらった」


「何処で知らはりました?いやちょっとしたアンケートでして、ここを頼らはるお客さんに訊いてるんですよ〜」


「口コミだ」


「どうも〜!今ちょっと責任者が席を外してまして〜いやそのまま二度と帰ってこんでいいんですけどね〜「こらバベル!そんな事言ったら駄目!」待ってもらえますか?」


「君では駄目なのか?良ければ君に相手をしてもらいたい、いやこれは決して自分の趣味とかではなく君のような人当たりの良い探偵に頼みたかったという要望があったんだ」


「すんませ〜ん今ちょっとお茶持ってくるんで好きなとこ座っててくださ〜い」


 バベルが俺とティアマトの手を取って給湯室へ直行した。

 何を言うのか大体予想はつく。


「あいつ何なん?ヤバない?目がめっちゃ怖かったんやけど」


 バベルの生意気そうな顔がすぐ目の前にある。


「アレ、多分お前に惚れてるぞ、俺もそうだったから」


「うげぇ〜子供趣味ぃ〜?気持ち悪ぅ〜」


「いいや、アイツの趣味は男の子だ、俺も前に女装させられて地獄を見たんだよ…」


 バベルがパッと顔を離して大して長くもないのに短い前髪を払った。


「な〜んや、それなら女の子でいこ〜今からうちはうちになりま〜す。お茶は…まあもう適当でええろ。あ!ハデスが持ってく?」


「行くかぼけえ!人の話聞いてたか?!」


「ナイスツッコミ!その調子でティアマトと笑い取ってや〜」とケタケタ笑いながら女の子になったバベルが給湯室から出て行った。


「ほんと得な性格しているわよね、バベルって」


「な〜俺でもあいつが設定した性別が分からん」


 給湯室から覗くとバベルがいつも通り話しているのが見えた。何気アイツがアニメ柄のタペストリーの場所に座ったことに恐怖を感じる。


「お客さん、アニメが好きなんですね〜うちも良く見ますよ〜」


「うち…?それはどういう一人称なんだ?すまない、失礼でなければ使い方を教えてはもらえないだろうか」アイツめっちゃ必死やんけ。バベルの性別が知りたいのだろう。


「うちは女の子が使う言葉ですよ〜」


「…………アリだな」


 バベルがこっちに向かって走って来た。



✳︎



 一日遅れで到着した大学の門を潜った途端、仕事用に拵えた携帯電話に着信が入った。

 相手はバベルからだった。

 珍しいと思いながら、まだ慣れていないタッチスクリーンをタップして電話に出る。


[助けて姉さぁ〜ん!うち今へんなお客に狙われてるんですぅ〜!日頃の行ないはこの通り!謝り]切った。


(全く調子の良い…)


 門を潜った場所は別世界、そのように感じた。趣きがある煉瓦造りの建物はどれも年季が入っており、長い時を思わせる植物のつたが壁の至る所に走っていた。

 あの建物より自分の方が歳上だという事実は伏せ、そしてすぐにその事実を突き付けられることとなった。

 今日、一緒に訪問することになったセントエルモの総責任者が門からやって来た。


「やあ、今日は一段と顔が老けてるな、さてはあの建物より自分の方が歳上という事実に嫌気が差してんだろ」

 

「ピメリア…やめてください」


「お前は顔に出やすいんだよ、その辺りグガランナは上手くやってたぞ」


「ふん、比べてくる人なんて嫌いです」


「ま、その点お前の方が分かりやすいから付き合いやすいんだけどな」


「そうですか……」


「そうそう、すぐそうやって嬉しそうにするからついからかいたくなるんだよ」


 彼女の女性らしくない背中をぱしんと叩いた。

 二人揃って向かった所はロザリー・ハフマンという女性教授の部屋だった。彼女はマキナに関する研究の第一人者であり、昨今問題と話題になっているシルキーを専属的に研究している人物でもあった。

 さらに、カウネナナイの悪化した情勢を前に半ば亡命という形でウルフラグに渡ってきたプロイの人たちと交流を持っているようであった。

 建物の外観とは裏腹に洗練された大学内を歩いた、校内にいた学生たちがしきりにピメリアのことを遠巻きに眺めていた。


「人気者ですね、ピメリア」


「それ皮肉?」


「え、何でですか、学生たちはあなたのことを見ていますよ」


「お前だよ、お前どこからどう見ても大学生なんだよ」


「そ、そうですか…決してそういうつもりでこの姿を選んだわけではないのですが…」


「落ち着いたらここに通ってみたらどうだ?」


「マキナが勉学に勤しむ必要はありません、いつでも欲しい知識をインストールできますから」

 

「違えよ、人と交流しろって言ってんの。大学に在籍していた奴は人脈が必然と広くなる」


「なるほど…考えておきます」


「お、着いたみたいだな、ここだろ」


 そこは入り口から程近い場所にあった、ハフマン教授の研究室。

 扉をノックし来客を告げる、すぐに応答があったので私とピメリアが室内に入った。



✳︎



「それで、カウネナナイの大使が一体ここに何の用があって来たのかしら」


「あなた方はマキナだ、であれば向こうにいるマキナと連絡が取れるのではないかと思い訪ねた」


「携帯電話の代わりに私たちを使いたいと?」


「酷い例えだがそうなる。向こうの情勢は耳にしている、そして俺はこうして母国から放置されているのが現状だ。身の振り方を決めるためにもどうか俺の願いを聞き届けてほしい」


「まずはハデスに謝るのが「…し〜!し〜!」人としての礼儀ではなくて?礼儀も分からない人の願いを聞くつもりはないわ」


「分かったすぐに連れて来てくれ、何なら一日中あの子に頭を下げ続けよう、それは今からか?今からでも構わない」


「待ってちょうだい、彼に確認を取ってくるわ」


 馬鹿たれティアマトがソファスペースを離れて給湯室にやって来る、俺は遠慮なく小さな頭をぽかりと殴りつけた。


「──痛い!何をするのよ!」


「馬鹿かお前!俺は嫌だっつってんのに何で俺の話すんだよ!」


「あなたは彼に嫌な思いをさせられたのでしょう?!だったら謝罪を受けるべきよ!」


「だ〜か〜ら!」と二人で言い合いをしている中でもバベルはげらげら笑っていた。


「自分らほんまおもろいわー探偵なんか辞めてお笑い芸人になりーな、そっちの方が絶対金稼げるって「今からお前にアイツの対応させてもいいんだぞ」ほんますんません、うちイケメンとかブサメンとか関係なくああいうのほんま無理なんです」


 給湯室の奥にある用具室からその主が顔を覗かせてきた。


「ちょっと、さすがにうるさいんだけど、静かにしてくれると助かる」


 人見知りキングのポセイドンだ、この探偵事務所は用具室が事務室になっていた。

 依頼者の依頼内容から国内にあるシルキーの分布、探偵事務所の帳簿、日誌など、まとめる内容は雑多で多岐に渡る、それでもポセイドンは愚痴の一つも溢さずただ淡々と業務をこなしていた。

 そんな人見知りキングに騒いでいた事情を打ち明けた。


「それで…」


「お前「無理」秒で断るなよ…」


「ポセイドンやったらいけると思うけどな〜顔濃いし「顔の濃さ関係あるの?」アレが好きなんは男の子やねんて、しかも病的に好きらしいで」


 狭い用具室から顔だけ出していたポセイドンが誰かに連絡を取ったようだ、だが、すぐに顔を曇らせた。


「何?誰に連絡取ったの?」


「向こうのポセイドンに連絡入れたけど秒で断られた」


「何やそら、お似合いな二人やな。うちも相方探そかな〜誰か良い人知らん?」


「うち…?あんた自分のこと俺って呼んでなかった?」


「うち今女の子設定やから、よろしく〜」


「ああそうなんだ…まあどうでもいいけど。それと私に知り合いなんかいるわけないでしょ──いるもん!知り合いぐらいいるもん!」


 うわああんと泣きながらポセイドンが用具室に引っ込んだ。


「あいつも大概ヤバいよな」


「ここにいる皆んなヤバいんだよ、まともな奴なんか一人もいない」


「それ私も入ってるの?!」


 などと喋っていると来客を告げる扉の鐘が届いてきた。おもてなし大臣のバベルがさっと反応するが、「あいつがおる所に行きたくない〜」と給湯室の出口で固まっていた。

 このまま対応しないのはまずいと言い出したティアマトが給湯室から出て、そしてすぐにその人の手を引いて戻って来た。


「何やってるのよこんな所で、皆んな留守にしてると思ったじゃない」


「ヨルンさん!」

「ヨルンさん!」


 ティアマトが連れて来たのはヨルンさんだった。

 泣きべそかいてた俺たちに代わってティアマトがヨルンさんに状況を説明する。事務所の入り口からは分からないが、給湯室からならタペストリーの裏に隠れている客全員の顔が分かるようになっていた。


「感心するわ…で、その相手って──カウネナナイの王子様じゃない!」


「はあ?」


「王子様〜?それ本気で言うてはります?うちらの話聞いてました?」


「私が対応してくるわ!何でもいいから名刺とか無いかしら?役職は何でも構わないから!」


 トンと用具室の扉を叩く、中からポセイドンが手だけ出して「はい」と名刺を渡してすぐに扉を閉めた。


「え、今のは何?」


「人見知りキングです、赤ん坊からお爺ちゃんまで分け隔てなく人見知りするから別に気にせんでいいですよ」


 名刺を受け取ったヨルンさんが扉の前から「ありがとう」と礼を伝え、そして颯爽と頼もしくアイツの元へ向かって行った。


 

✳︎



 受け取った名刺にはきっちりと『大統領補佐官』の文字があった。

 久しぶりに会ったリッツに挨拶をする。


「元気でやってるようだな、こうして仕事の場で顔を合わせるのは初めてだ」


 以前も変わらないように見えるリッツが微笑んだ。


「はい、ピメリアさんも久しぶりっス」


「あの時のお前がな〜まさか大統領の下で働くなんてな〜。ヴォルターじゃなくてお前を海に投げ入れとけば良かったよ」


「いや何でそうなるんスか」


 ささやかな雑談を交わした後、本題に入った。

 私とテンペストがここに赴いた理由はシルキーについてである。

 その第一人者であるハフマン教授が口火を切った。


「非常にマズい、とても非常にマズい。彼氏に振られて私みたいな人間に縋ってきたアーチー君を越すほどにマズい」


(くそったれ〜!今その話すんじゃねえよ!めちゃくちゃ面白そうじゃねえか〜!)


 下手に探られたくないのかリッツはガン無視だ、テンペストもその話題に触れないようにしている、後は私が手を伸ばすかどうか、しかし格好つけた手前訊くに訊けなかった。

 澄ました顔で教授が話を続けた。


「あなた方も知っての通り、シルキーが船底に引っ付き海という海にその版図を広げているのは知っているね?私の考えではシルキーが意図的にやっていると睨んでいる」


「意図的にとは?それは何かしらの生態系を真似ているという意味か?」


 教授は否定した。


「違う、シルキーはこのタイミングで海洋生物にはない生態系を自ら具現化させた。これはシルキーが持つネット回線を通じてインストールされたと見ている。そしてアクセス先は昨今になって明るみになったマキナの総本山、ガイア・サーバーだ」


「シルキーに何かしらの目的がある……と言いたいのか?」


 教授が肯定した。


「その通り。それに以前から私たちはシルキーの動きを観察していた、その時点でシルキーがC言語のルールに従いプログラムコードを作成しているのも突き止めていた。ポセイドン、それからディアボロスというショタ中学生の力を借りてね」


「なら、シルキーはさらにプログラムコードの作成をしていると?だから船底に引っ付いて分布図を広げた?」


「その通り!いや〜アーチー君の上司は話が早くて助かるよ、ちょっとユーモアが足りないみたいだけど」


「元、ですけどね」と言い、小声で「これ以上余計な事言ったら海に沈めるぞ」と脅していた。

 その話題に踏み込みたいのをグッと堪えて続きを促した。


「それで、コクアの責任者と探偵に何を頼みたいんだ?」


「採取だ。是非とも野生のシルキーをゲットしてきてほしい」


「う〜ん水タイプは生憎専門外でな〜失恋タイプなら今すぐにゲットできるんだが…」結局我慢できなかった。

 凄みを効かせたアーチーが「レイヴンクローさん」と言ったのですぐに口を引っ込めた。


「あ、あの、何の話をされているのですか?」


「お気になさらず、昔流行ったゲームの話ですよ」


「そうですか」


「で、どうかな?元ユーサの連合長とマキナの探偵を束ねる君なら出来ると考えているんだけど、荷が重いなら別の人に頼むよ」


 テンペストと目を合わせる、そう言われたらノーとは言いづらかった。


「船底に引っ付いているシルキーを採取してくればいいんだな?」


「そうとも。先に言っておくけどこの大学はご覧の通り山中にある、だから所有している港もないし海洋研究は全くの手付かず、ビレッジ・クックにあるキャンパスにも掛け合ったけどものの見事に塩対応だったよ」


「それはどうしてですか?」


「ライバル視されているからね。ちなみにビレッジ・クックキャンパスには専門的に研究しているチームがいる、船もある、やり方は君たちに任せるよ」


「要は私たちに交渉してこいってことだな」


「その通り!一般船のシルキーでもいいんだけど手続きがややこしくてね、手元に届くのに最低でも一ヶ月近くかかる」


「だから補佐官も呼んだのか」


 ユーサ時代と比べて随分と凛々しい顔付きをするようになったリッツが後を継いだ。


「はい、今となってはシルキーに関する法律が厳しくなっていますから所有するのにも多くの手続きが必要になってきます。ハフマン教授から「いや〜そう真面目くさった言い方をされると照れるね〜」ハフマン教授から手続きの簡略化を依頼されましたがお二人が到着する前にお断りした次第です「見事なスルー」


 話がまとまった、私とテンペストでビレッジ・クックのキャンパスに行ってシルキーを分けてもらう、簡単な仕事だ。


「依頼料についてだけど大学側で改めて─「いや、私はタダでいいよ、それはこいつの事務所と話し合ってくれ」


「それは良くない、労働にはきちんとした対価を支払わないといけない」


「真面目な部分もあったんですね、ハフマン教授「あれ、バラしたこと根に持ってる?」


 二人の遠慮ないやり取りにテンペストがくすくすと笑っている。


「私も自分の事業でテンペストに仕事を依頼していたんだよ、それもタダで。だから今回は私がこいつに恩返しをする番だから気にするな。手も抜かないから心配も無用だ」


「そこまで言うならあなたに従おう。それではよろしく頼む、シルキーの解明がこの世界を救うことになるのだから」


 立ち上がりかけていた私はその言葉に動きを止めた。

 大学衣に身を包んだハフマン教授が首を傾げる。


「何か?」


「いや、今のは何だ?世界を救う?」


「そうさ、この世界に危機が訪れようとしている」


 隣にいるリッツがやれやれと首を振った。


「教授は世界危機論を学会に提出したそうですが、門前払いを受けたそうですよ、つまり眉唾ものです」


「いやいや、確かにプログラムコードを読み解けばあの答えに辿り着くんだ」


「それはどんな?」


 自信たっぷりにハフマン教授が答えた。


「シルキーはこの世界に新たな星をインストールしようとしている」


「行こう、テンペスト」


「はい」


「あれ?聞こえてなかったのかな?」とハフマン教授を置き去りにして部屋の出口へ向かう。

 「星がインストールされるんだよおお!」というシャウトを扉を閉めてシャットアウトした。


「色んな人がいますね」


「参考にするなよ、さすがに与太話に過ぎる」


 私たちは簡単な仕事を済ませるためビレッジ・クックへ向かった。



「誰が渡すか!」


(あれ…フラグ立てちゃった?)

 

 やって来たビレッジ・クックキャンパスは最近建てられた新しい学舎だった。昨日降った雨も相まってどこもかしこもきらきらと真っ白に輝いていた。

 だが、海に携わる研究室の人間は学生も教授も関係なく皆んなが黒い。長い時間屋外にいる証であり、一人も漏れなく日焼けしていた。

 私からしてみれば場所は違えど懐かしい、海に船に黒い男たち、そして粗野で乱暴で。

 シルキーの提供をお願いした最初の解答がこれだった。


「海を知らない人間なんかに渡す試料はない!」


 テンペストが学生を諭すように口を挟んだ。


「あの、この方はユーサで連合長を務めた方です。あなたの言う海を知る人間ではないのかと思うのですが…」


「知ってる。だがあんた、陸に上がっちまったじゃないか、ユーサから離れたんだろ?陸に上げられた魚に興味はない!魚は海の中で泳ぐからこそ輝くんだ!」


(ぐっふぅ…なかなか効いた皮肉だぜ…)


「それにどうせあんたらはビレッジコアキャンパスの回し者だろ?──絶対に渡さないからな!シルキーの解明は俺たちが行なう!──さあとっとと帰れ!」


「あ、ちょっと!」


 啖呵を切った学生が颯爽と私たちから離れ、広くはないが決して乏しいわけではない綺麗な港に下りて行った。

 その様子を私たちは階段の上から眺め、二人揃って肩を落とした。


「マズいな〜私今日しか空いてないから明日以降は来れないんだよ…」


「カウネナナイの大使様ですか?」


「そうそう、私がそいつを抑える役だからこのまま放置するのはマジでマズいんだ、親父に海へ放り投げられちまう」


「何というか…海に携わる人って…」


 テンペストの顔は曇っている、けど私は自信を持って言わなければならなかった。


「乱暴だろ?海の人間は皆んなああなのさ、仲間意識が高くて敵には絶対容赦しない。あの学生に文句を言われた時は何だか懐かしかったよ」


「そうですか…でも困りました、一応一週間の期日はありますけど…本当に今日だけなんですか?」


「そ。今日だけ」


「うう〜ん…困りました…私だけであの人たちから信頼を得られるのでしょうか…」


「ま、仕事に失敗するのも経験だから気楽にやんな」


 しょげた顔付きをしたテンペストの肩を叩いて先を促し、私はもう一度海へ振り返った。

 やはり海は良い、いずれ私はここに戻って来るだろう。

 そう確信した。



✳︎



「私はあなたではなく先程の探偵に依頼したのだが?いつになったら戻ってくるのだ」


「ですから、彼は─「彼?女性ではなく?自分のことをうちと呼んでいたぞ」え、ええ…ですから彼女はまだ探偵としての資格をまだ持っていませんからこの私が「私はマキナであれば事足りる用事だ、彼女で十分だ」


「…………」


 あったまに来るんだけど何なのこの人?


(何で私と面と向かってそんな顔ができるの〜?私を誰だと思ってるの!)


 私が彼と話し始めて既に数十分は過ぎていた。同じ問答の繰り返しだ、少しも話し合いが進まない。

 駄目だこの男は、私の美貌がまるで目に入らないらしい、カウネナナイでは跪いてまで会いに来る男がいた程なのに。


(腹立つぅ〜〜〜!マキナの司令官さえ手玉に取ったこの私が!こんな若造に塩対応されるだなんて!)


 それにこの男...どことなく面影が似ている。ナディと友達であるアネラの兄に。

 仕事の話はできないと判断した私は別方向から話を振った。


「…ところで、あなたは昔、セレンにいたかしら?」


「それが何だ、彼女と何か関係があるのか?」


「あなたの名前はヴィスタ、そしてアネラの兄だった子も同じ名前なの」


「!」


「やっぱりそうだったのね。アネラがうんと小さい時にそのお兄ちゃんが島を出て行ったから、最初はあなただと自信を持てなかったのよ」


「…その話を私にしますか、カルティアン様。流してくれるものだとばかり思っていましたが」


「何故それをあなたが?」


「あなたの兄であるルイフェス様を陥れたのは私の兄であるガルディアの手によるものです、つまりあなたには私を討つ権利があります」


「冗談じゃないわ、ウルフラグでやる事でもないしあなたを殺したところで兄は帰ってこないもの、無駄よ。──何?今何て言ったの?ガルディアが兄?」


「そうです、前王と愛人の間に生まれたのが私とアネラなんです。その愛人の名前は─「キシュー」……っ!知っておられるのですか?」


「ええ、キシュー・マルレーンという人よ。セレンの島に何度か足を運んでいたわ、リゼラにあなたとアネラを託して本人はふらふらしていたけれどね」


「そうですか…」


 思いがけない話になった。あのクソったれ国王はヴィスタにキシューの話をしていたのだ。

 そして、その本人は先日他界している。もう二度会えない。


「残念だったわね…」


「いいえ、どのみち私は許すつもりがありませんでした」


「そう…」


 そうだった、あの頃のヴィスタもそうやって拗ねた顔を良く見せていた。構ってもらえない事に対する不満と、誰も頼れない不信と、それでもヴィスタは小さかったアネラの面倒を良く見ていた。出来た子だと感心していたけど、ある日忽然と姿を消していた。

 不憫に思った。


「ヴィスタ、困った事があれば私を頼りなさい。あなたに対して個人的に思う所はあるけれどそれはそれよ」


 同情を示しても彼の表情が何ら変わらない、余程拗らせているようだ、けれどそれも無理もない。


「何故私にそのような事を仰るのですか?」


「あなたもセレンの子供だからよ、ただそれだけ、兄とそう約束したの」


「…………」


「安心なさいな、今の私はたんまりと資産があるし土地もあるし何でもあるわ、まあ全部棚ぼただけどね」


 ほんとこいつヤバいなと思った。


「でしたら先程の探偵に会わせてください一目で構いませんので!」


(ええ〜この話の流れでそれ言う?)


 さっきまで見せていた拗ねた顔も何処へやら、整った顔立ちと相まって目がとても怖かった。


「ヴィスタ、はっきり言うけどあの子たちに怖がられているわよ「まだ何もしていませんよ?「そういう問題じゃない、きちんと信頼関係を築きなさいと言ってるの」


 背後から「し〜!し〜!」と聞こえてきた。


「信頼…ですか」


「そうよ、人間関係も仕事も全部信頼の上に成り立っているの。あなたがどういう日々を送ってきたのか知らないけれど、そういう地道な作業が欠落しているわ、だから誰もあなたの傍にいないの「しー!!しー!!」


「……分かりました。今日は一先ず帰らせていただきます」


「ええ、また明日来なさい」


 ついにバベルが「何でやねーん!」と給湯室から突っ込みを入れてきた。

 ヴィスタが向こうの礼儀で胸を当てて体を折り、それから退出した。

 案の定、元気な二人が私の元に走って来た。


「何言うてはるんですかヨルンさん!何であんなアホな事言うたんですか!あんなヤツにチャンスなんか与えなくていいんですよ!」「そうだよ何考えてんだよ!あんなヤツの顔もう二度見たくないのに!」


「あれでも身内なの、諦めなさい」


「ほなうちらは?!うちらはヨルンさんの身内ちゃうんですか?!身内やったら守ってくださいよ!」

「ヨルンさんだってこいつやべえみたいな目してたじゃん!その目を向けられるのは俺たちなんだぞ?!夢に出てくるんだぞ?!」

「お前マキナのくせに夢なんか見るんか?!適当こくなよアイツの前で吊るすぞ!」

「例えだよ例え!それ以上暴言吐いたらお前こそ身包みはいでアイツの前で転がすからな!ハァハァ言われろ!」

「やれるもんならやってみーな!」

「ああ?!上等だよ!」


「二人とも、今すぐヴィスタをここに呼び戻すわよ、静かにしなさい」


「………」

「………」


「それから私のお願いを聞いてくれたらお小遣いをあげるわ。どう?やる?」


 仲良く口をつぐんでいた二人が互いに視線を合わせてから尋ねきた。


「額によります」

「正直助かります」


「あなたたち…」背後で聞いていたティアマトは盛大に溜め息を吐いている。

 

「そういうあなたもよ、ティアマト。彼を盛大にもてなさないとね」


「………」

「………」

「………」


 三人揃って「この人もヤバい」みたいな目をしてきた。

 さあて、明日が楽しみだ。



✳︎



 ビレッジ・クックキャンパスへの初訪問が空振りに終わった翌日、今日までずっとパンツ姿だったのにフレアスカートを履き始めたバベルを私は遠慮なく叱責していた。


「どうしてそう大事な事を黙っていたのですか!」


 ほんの少しだけチークを入れているバベルが生意気に言い返してきた。完全に女の子にしか見えなかった。


「うちはちゃんと言いましたぁ〜!テンペストが無視ったのが悪いんですぅ〜!電話切ったんそっちやろ!うちのせいにしいなや!」


「あなたが変な事をいきなり捲し立てるからでしょう?!誰があんな電話を最後まで聞くというのですか!そのカウネナナイの大使はピメリアが追いかけている重要人物なのですよ?!」


「知らんがな!仕事に私情を挟むな!ピメリアピメリアピーピーピーピーうるさいねん!」


「何ですってこのエセ関西人めっ─「ああ!言うたらあかんこと言うた!自分こそなんちゃって大学生のくせにっ!悔しかったら単位取ってちゃんと卒業してこいっ!」


「〜〜〜っ!」


 所長席から立ち上がった途端、バベルがスカートを翻しながら逃げて行った。


「ああもうっ…昨日でピメリアをこっちに向かわせていたら私一人で訪問せずに済んだのに…」

 

 今さら悔いても遅い、確かに電話を切った私がいけなかった。

 一先ずピメリアにカウネナナイの大使が訪問していたことをメッセージで知らせ、私は訪問するために支度を始めた。

 その準備が終わった頃にティアマトが所長室に入って来た。


「テンペスト、今日もここを空けるの?」


「はい、申し訳ありませんがここをよろしくお願い致します」


「あなた、疲れが顔に出ているわよ?一人で平気なの?」


「………」


 やはりティアマトだ、(身長はともかく)マキナの中で一番に相手を気遣っていた。

 ティアマトは私より頭二つ分背が低い、けれど誰よりも"母性"という素質を持ち合わせていた。

 不思議と頼ろうと思ったのはまだまだ私が甘いせいか、それとも彼女がそうさせたのか、まあ、どちらでも構わない。


「…少し私には荷が重い案件がありまして…良ければ一緒に付いて来てもらえませんか?」


「ええ、勿論よ。私に何が出来るか分からないけれど、任せてちょうだい」


「ありがとうございます、助かります」


 事務所のフロアに残りの二人がいない、きっと毎朝の掃除で相談室を綺麗にしているのだろう。

 出て行く間際に二人へ声をかけようとするも、


「いいの」


「いえですが…」


「いいの」


「は、はあ…それでは行きましょうか」


 私はノックしようとしていた手を下ろしてティアマトと事務所を後にした。

 こうしてティアマトと二人っきりになるのはそう多くはない、寧ろ始めてかもしれない。

 二人並んでバスターミナルへ向かう、タクシー代はびっくりするぐらい高いので緊急時以外はなるべく使わないようにしている。

 定刻のバス停所でバスが来るのを待つ、その間ティアマトはしきりに周囲へ視線を向けていた。


「何か気になる事でもあるのですか?」


「い、いえ…平気よ」


(何が?)


 時間より少し遅れてやって来たバスに、普段通りのように見えて少し違うティアマトと一緒に乗り込んだ。



✳︎



「あんのアホ逃げやがったーーー!」

「あーーーどうすんだよ俺たちだけえ?!」

「嫌やあーーー!アイツと会いたない!!」

「……逃げる?」

「……逃げよか?」

「──善は急げっ!」×2

「やっほー」

「お邪魔します」

「カマリイちゃんいる〜?」

「なっ!」×2

「何でそんなに慌ててんの?」

「あれ、バベル君の服装が…」

「うんわ!やっぱバベル君って女の子も格好も似合うって!」

「ほ、ほんまですか〜?い、いやぁ〜アキ姉に褒められるのちょっと照れますね〜えへへへ」

「何で三人がここにいんの?」

「ヨルンさんに誘われた、王子様に会わせてあげるって。アキナミはオマケだけどね」

「王子様〜?」

「こいつ前に王子様と会ったことがあんのよ。ね?」

「うん、私の家でご飯食べるだけ食べてそのまま出て行ったことがある」

「何それちょーどうでも良い。そんな事よりそこ退いてくれない?俺たち今から出るところだから」

「………」×3

「え、何で黙るの…凄く嫌な予感するんだけどそれもこんな朝早くから…」

「ヨルンさんから言われてんの、王子様来るまであんたたちを見張っておけって」

「ぎゃーーー!」

「嫌やーーー!でもアキ姉もおる〜〜〜!うちはどうしたらええんや…」

「お前何でそんなにアキナミにムーブかますの?」

「何か親戚のお姉ちゃんみたいな感じがせえへん?だから好きやねん」

「お前!それショタ属性入ってんじゃねえか!絶対男だろ!」

「ちゃいます今は女の子ですぅ〜!」

「私はどっちでもバベル君のこと好きだけどな〜」

「ア、アキ姉…そ、そんなストレートに言われると、て、照れ臭いわ〜…」

「お前それ何デレって言うの?エセ関西人のデレだから関テレ?」

「いやそうわならんやろ!そういう自分もツンツンやんちゃ男の娘やんけ!どこ見たらええねん視聴者が迷子になるわ!」

「失礼する」

「ぎゃーーー!!」×2

「出た!本物王子様!」

「テレビで見た人だ!」

「………」

「予約の時間より早いがこれも探偵の君たちから信頼を得るために必要な事だから是非とも相手をしっ──……」ダッシュ!

「あ、何か逃げよったでアイツ」

「何気に俺らに相手させようとしてたよな、ヨルンさんの話全然分かってねえじゃんアイツ」

「もしかして…あんたの事意識してたんじゃない?」

「そんなまさか…私の事なんて忘れてますよジュディさんじゃあるまいし」

「それどういう意味よ」

「小さ過ぎて見えないって意味です」

「いやそれ逆だからね?!いい加減身長馬鹿にするの止めてくれない?!」

「ほらハデス、先輩芸人の漫才ちゃんと見ときや」

「すげーどうでも良い」

「ダブル漫才って初めて見たかもしれない私」

「いやそれよりも!クラン姉──いやクラン様!どうかここに末永くいてください!そしてうらの守護神になってください!どんな強打者でも抑え込む球児になってくださぃ〜!」

「それ告白してんの?あんたが王子様のルックスに勝てるとでも思ってんの?」

「何卒〜〜〜……」

「ごめん、自分より身長が低い人は無理なの」

「それなら永遠に結婚できませんやんか」

「何だって?」

「あかん!デカ姉やっぱ怖い!これは逃げるしかないわほなっ!」ダッシュ!

「あいつっ!そのまま逃げるつもりだな!──はっ!その手があったのか〜…」

「まあこの際ハデスだけでいいや。色んな服持って来たから感謝しなさい」

「え…コスプレジュディスが持って来る服なんてろくなもんないだろ…」

「ふふん♪あんたは今日一日私たちの着せ替え人形なんだから諦めなさい!」

「いやだーーーっ!」

「ほんとに賑やかねあなたたち」

「…………」ちーん

「あ、普通に戻って来た」



✳︎



 水中工作部隊が船に戻り、私とペーストリー大将は水中ハンガー前ハッチで頭を抱えていた。

 工作部隊長のパイロットが持つハンドライトの光りに照らされた()に我々の視線は釘付けになっていた。


「これは何だと思う」と大将が尋ねてきた。


「……種、ですか」私がそう答えるとパイロットも肯定した。


「種に見えますね」


「何なんだこれは一体、こんな物が底にへばりついていたとでも言うのか?」


「はい、それも大量に、まるで群生する貝のようでした。中から出てきたのは身ではなく種でしたけど」


 私の手のひらにある物、それは二つに割れた殻の中から覗いている種子だった。

 カウネナナイ領に到着し丸二日が経過していた。コクアのメンバーから寄せられた情報では今日、"崩冠式"が挙行されてその玉座を次の者に明け渡すそうだ。

 その候補が一人、コクアのメンバーであるナディ・ウォーカーだ。歳下大将がいたく気に入っている娘だがまだ未成年、荷が勝ち過ぎていると言わざるを得ない。

 あと一人がノエールと呼ばれる人物だが、詳しい事は何も分かっていない。ただ、カウネナナイの情勢を見る限りではどうやらナディ・ウォーカーが国民の期待を集めているようだった。

 今日中に何とか、護衛艦の一つでも復旧させて急ぎコクアのメンバーを迎えに行かなければならない、このままではウルフラグの一国民が他国で国王の座に着くという、とんでもない事になりかねなかった。


(それで喜ぶのは政府関係者のみだ…)


 考えても分からぬと、大将の判断は早かった。


「良い、解明は後回しだ、艦の復旧を急げ。午前中に終了できればまだチャンスはある、このままでは間違いなくコクアのメンバーがカウネナナイの変遷に巻き込まれる」


 工作部隊長を務めるパイロットが敬礼し、再び水中ハンガーへ下りていった。

 パイロットの姿を見送ってから再び大将が尋ねてきた。


「どう思う?」


 端的で主語もない、だが訊きたい内容は分かっていた。


「カウネナナイの兵器だとは思えません。確かに強力で一度で多数に損害を与えられますが、こんな、植物の種を兵器に仕込む理由が分かりません」


「だがもう既にそう号令をかけた、今さら取り消すのは難しい」


「…………」


「修理作業が済み次第、携わった者たちを本国へ帰すように」


「…………」


 元々、こうして部隊を出動させたのも「カウネナナイの仕業による」という理由があったからだ。我々の動きも既にカウネナナイに感知されている事だろう、これがただの勘違いでしたと言い難いことは分かる。だが。


「リヒテン、彼らが邪魔だと言っているのではない、大事な情報源がロストしないように配慮しているつもりだ。直に本国でもシルキー解明に向けて力を入れる、その時になって彼らが戦死したとなれば大きな損害だ」


 所謂"口封じ"。


(皆の為に粉骨砕身したパイロットたちに報いる礼儀ではない)


 私は言った。


「了解しました」



✳︎



 磯の香りがする港の桟橋、その真新しい木目に沿うよう三つのシルキーが並べられていた。

 日焼けした学生が丁寧に説明するのを私とティアマトは黙って耳を傾けた。


「左から発芽、真ん中が開花、最後が結実。船底に引っ付いていたのはこの右側にある結実したシルキーだった、というところまでは突き止めた」


(私の存在意義〜!レゾンデートルぅ〜!)


 こんなあっさり見せてくれたのには理由がある。同伴したティアマトが彼らの手伝いを買って出たのだ。世話好きの彼女である、それは一所懸命に働きたった三〇分で胸を打たれた昨日の学生が採取したシルキーを見せてくれたのだ。


(まあ…そうですね、昨日私は何もせずに帰りましたから…今日はティアマトに感謝です)


 そして、彼らは固定観念に縛られず、海洋生物の見知からではなく植物学からこのシルキーの解明に取り掛かっていた。

 彼が並べてくれたシルキーは花の成長過程に合わせている。左のシルキーは芽が出た状態であり、確かに小さなボールから芽が出ているように見える。これを『発芽』と言う。

 真ん中のシルキーは『開花』と言って花の完成形、種を覆っていた殻もなくなりギザギザの葉っぱと重なり合わさった花弁があった。ただ残念なことに、そのどれもが素晴らしい程にシルバー色で統一されていた。

 最後が『結実』と言い、花弁を散らし次なる繁栄を目指して種になった最期の姿である。

 左の発芽と比べて結実は楕円形に近い、この学生の考えでは発芽するまでの間に潮に揉まれて丸くなったのではないか、とのことだった。


「良く調べていますね、植物学を専攻している方がいらっしゃるのですか?」


「ああ、俺とは正反対の両親がな、詳しいんだよ」


「そうですか…」


 長い長い髪をお団子にしているティアマトはしげしげと眺めている、私から見て彼女の顔が下の位置にあり、髪だけでなく長いまつ毛も見えていた。

 そのティアマトが私に視線を寄越してこう言った。


「これ、どこかで見たことがあるわね」


「たんぽぽだ」

「たんぽぽでしょう」


 期せずして彼と発言が被ってしまった。その事に少々驚きを隠せず彼の顔を見やる。


「──いや、悪い…」


 何そのとくぅん...みたいな顔。そういうのは本当に期待していないのだが私もどう言えば分からず、


「あ、い、いえ…」みたいな、私も意識してますよ的な感じになってしまった。

 我関せずと、余計なパスを放った本人はそうだそうだと手を叩いて少しはしゃいでいた。


「たんぽぽ!そうよ、その花にそっくりだわ!でも…どうして陸に咲く花が海にあるのかしら?」


「そ、それはまだ研究中だ。誰かが人為的に作ったんじゃないかっていう意見もあるが…」


 初めて会った時はあんなに怖い顔をしていた学生が私をチラリと見やった。いやほんとそういうのはちょっと勘弁してほしいんだけど何を言いたいのか分かったので答えてやった。


「作る意味が無い、と仰りたいのですね」


「まあそうだ。他にもシルキー自体が海の中で身に付けた生存戦略だという意見もある、俺はこっちを支持している」


「生存戦略、ですか…確かにそちらの方がまだ信憑性はありますね」


「だろ?」と自分の意見じゃないのにどこか意気揚々としている。

 これならいけるだろうとティアマトと目配せをし、そして本題を切り出す。私たちの目的はシルキーの譲渡だ。

 だが、途端に彼が顔を曇らせた。


「うう〜ん……駄目だ、それだけはできない」


「どうしてですか?」


 良い流れだったのに。献身的に彼らのサポートをしていたティアマトも頼み込むが、それでも彼の返答は変わらなかった。


「俺一人で決められる事じゃない。それに大体、俺たちに喧嘩を売って来たのは向こうなんだ」


「え?」


「だから皆んなでビレッジコアキャンパスを見返そうぜ!って研究に取り込んでいる。二人が悪いんじゃない向こうが悪い」


「何があったんですか?」


 彼の返答はこうだった──。


「あんな真新しい、経験も学も浅いキャンパスに何ができる!マキナとシルキーの解明は我々ビレッジコアキャンパスが担う!──ハフマン教授!あなたの発言のせいですよ彼らが非協力的なのはっ!」


「ん〜?そんな事言ったかな〜?言ったような……いや〜発表してる時はハイになっているからね〜忘れた」


 場所はビレッジ・クックから変わって、ハフマン教授がいるキャンパス、あの学生から聞かされた話を耳にした私は一言文句を言ってやろうとお団子姿のままのティアマトを引き連れて赴いていた。


「忘れた、ではありません!身から出た錆ではありませんか!早急に彼らへ謝罪してください!そうすれば私たちを頼らざるともシルキーを確保することができます!」


 そう息巻いて力説するが教授の顔色は一向に暗いままだ。


「うう〜ん…言った覚えがないのに頭を下げるのは失礼じゃないかな。それに、いくらティーチャーハイ「そんなナチュラルハイみたいな言い方しないでください!」学会でそう私が発言したからにはきっと何かしらの根拠があっての事なんだ、まあ、私もビレッジ・クックとはライバル関係を続けたいと思っているしね」


「そうならそうと始めに仰っていただけたら…」


 なん、何なのこの人。引き返さないというか自信過剰というか...

 部屋の奥からタブレットを持ったディアボロスが現れた。彼は今この研究室で教授の手伝いを行ないながらシルキーの解明を進めている、以前までポセイドンが席に付いていたが私が探偵事務所に引き抜いていた。

 どんな時でも表情を変えないお澄まし顔で彼が言う。


「止めておけ、こいつに説教しても立板に水だぞ」


「いやそうかもしれませんが…それより、きちんとお手伝いはできていますか?」


「僕を誰だと思っ──」と、突然教授が彼に抱きついた。


「なっ何をする!」


「彼はほんとによく働いてくれているよ〜私の弟にしたいぐらい!」


「それは評価されているのか?」


「うんうん!生意気な中学生みたいで何を喋っても揶揄いたくなる!私が体を洗ってあげようか?いつでも一緒にシャワーを浴びるとも!」


「黙れ痴女教授!僕はそういう事に興味はない!」


 仲良くやっているようである。


「ディアボロス、オーディンと一緒ではないの?」


「あいつなら黙って海軍の艦隊に付いて行った。余の領分だ!とか言って」


「まあ…戦力になるなら…」


「念のためラムウにも連絡している。万が一があっても心配はない」


「私が心配しているのはあなたよディアボロス、彼女がいなくて寂しいのではなくて?」


 (意外と)豊満な胸を持つ教授に抱きつかれても取り乱さなかった彼が「べ、別に!それを言うならあいつのほうだ!」と顔を赤らめていた。

 彼がこほんと一つ咳払い、私たちが見てきたシルキーの話を振ってきた。


「それで、見せてもらったシルキーはどうだったんだ?」


 私とティアマトで彼と教授に説明する、案の定、二人ともシルキーがたんぽぽに化ていた事に驚いていた。


「たんぽぽか…そりゃ予想外だ」


「けれど、確かにそれは生存戦略として十分利にかなっている」


「それはどうして?」とお団子頭のティアマトが続きを促す。


「たんぽぽは多年草の植物で生命力も他と比べてうんと強い、中にはアスファルトを突き破る力を持つ種類もある。それに、結実した時は単独でわたと一緒に他の生物の力を利用せず、その分布を広げられる最も完成された植物だ」


「そうなの…詳しいのね」


「これぐらい知って当然だ。それよれも、海洋研究チームが植物の知見から解明を試みた事の方が賞賛に値いする」


「それは私も同意見です。ですから、ハフマン教授、謝罪の件について一度考えてみてください。あなたの頭脳と彼らの柔軟性が合わさればシルキーの早急解決も夢ではありません」


 ようやく教授が折れた。


「うう〜〜〜ん……そこまで言うのなら考えよう。ただし、結果はあてにしないように」


「分かっています、こういう事はアクションを取ることが大事ですから」


 私とティアマト、それからディアボロスが教授の言葉を聞いて満足げに頷き合った。

 ──と、そこへ仕事用の携帯電話に着信が入った。



✳︎



〜ちょっと時間遡る、テンペストとティアマトがハフマン教授の元へ向かう時ぐらい〜



 テンペストから貰ったメッセージを頼りに探偵事務所へ赴けば、そこはおよそ人々の悩みを解決する場所ではなくなっていた。


「…………」

「〜〜〜っ」


 死んだ面をしているバベルに赤面しているハデス、その二人を面白可笑しく眺める大人たち、そういう店に変わったのかと思った。


「何事なんだ、これは」


「あ!連合長!お久しぶりです!」


 久しぶりに会うジュディスのテンションが高い、衣装ケースからカラフルな服を取り出していた。

 他にはクランとアキナミ、それからナディの母親、そして...


「………………」


 無言で写真を撮り続けるカウネナナイの大使がそこにいた。



 ミニスカメイド服に猫耳という定番コスプレをしたバベルが配膳に来た。しかも無言で。


「………」

 

 カウネナナイの大使が言う。


「スマイルをお願いしたい」


 死んだ面をしていたバベルがにっこりと微笑み、「早よ死んだらええねん」と言いながら人数分のコップを置いて下がった。


「バベル!チップの額を減らすわよ!」


 フロアの奥から「暴言吐いたらあかんって言われてませ〜ん」と返ってきた。

 どうやらジュディスによるコスプレ大会が行なわれていたらしい、そしてカウネナナイの大使ことヴィスタ・ラインバッハは大のコスプレ好きだとか、そのように聞かされた。

 ソファに座っているのは我々大人たちだけである、残りのメンバーは奥の部屋で続きをやるらしい。

 少し苛立たしげにしているラインバッハが話を催促してきた。


「それで、私に一体何の用があって今日まで付け回したというのか。それからカルティアン様、このような形で引き合わせるのは感心致しません」

 

「カルティアン…様?」


「一応、向こうでは私の方が立場が上なのよ。なら、この話し合いが終わったらすぐに帰「帰りません」ならいいじゃない、仕事と趣味と、両方満足できるんだから私に感謝なさい」


 話の流れからして今日の場はカルティアンが用意したようだ。

 そのカルティアンが私に視線を寄越す。


「それと、私の方からもレイヴンクローさんにお話したいことがありますから。うちの娘をあなたが自分の娘だと言っている件に関して」


「なら、ここにいる全員互いに用事があるって事だな、なる程、確かに良い場だ。なら私から言わせてもらうがラインバッハさん、今日からウルフラグの国民になるつもりはないか?」


 対する返答は"拒否"ではなく"質問"だった、こいつも余程追い込まれているらしい。


「それは何故?」


「こちらの事情としては軍を派遣した事に関する抗議を封じるため、あと一つが今後の貿易に関してこちらがイニシアティブを握るため。国を鞍替えしてくれるなら相応の待遇でお迎えするよ、約束する」


「随分と直裁に言うのだな、オブラートなんてあったものじゃない」


「その方がラインバッハさんも分かり易いだろ。で?そちらの用事は?」


「カウネナナイにいるマキナと連絡を取って国内の情勢を知る為だ、私の手元に届く情報は全てウルフラグが取得したものだけ、聞いた限りでは国民投票が行なわれる、それ以上の事は知り得ない」


「彼、放置されているんですって」


「そいつはまた…可哀想なことだな」


「身の振り方は一度本国と話をしてからだ、現国王にしても新しい国王にしても、私が大使としてここにいる事を望むのならあなたの話はお受けできない」


「連絡を取っても放置されたら?」


「それはあの二人次第だ」


「は?誰?」


「バベルとハデスよ、私がチップを上乗せするからコスプレしてってお願いしてあるの」


 そういう事。

 ちょっと面白そうだと思い私は赤面していたハデスを呼んだ。


「ハデスー!小腹が空いたから何かお茶請け持って来てくれー!」


 ラインバッハが手を差し出しながら「あなたは良く分かっている」と握手を求めてきた。一応、交渉相手なのでその握手に応じた。


(気持ち悪。変な奴だな)


 お茶請けを持って現れたハデスのコスプレは所謂"魔法少女"のものだった。

 フリフリのドレスに頭には凝ったデザインをしたティアラ、元々ヤン毛が長かったので今はデカい髪留めを使ってツインテールにしてあった。バベルもそうだったがどこからどう見ても女の子である。


(あ、こいつはそういう趣味なのか)


 そのラインバッハは視姦している、もうジロジロと。「ど、どうぞ〜…」と言ってお茶請けを置いた後、ハデスが脱兎の如く逃げていった。


「良い…やはりあの子が一番良い…」


「一日レンタルするなら私に言って、それなりの額になるけど」


「前向きに検討させていただきます」


「ま、前向きなのね…そして、私の用事はレイヴンクローさん、あなたが娘と言える資格があるかどうかについて知りたいわ」


「ん?てっきり止めろと言われるとばかり…それなら資格があれば良いって事なのか?」


 ナディの母親があっけからんと、けれどああ、確かに母親だと思わせる事を言った。


「勿論、あの子をサポートしてくれる人は絶対に必要だもの。家庭では私が見られるけど社会では無理、だから自分から娘だと言ってくれる人は寧ろ有り難い──だからと言ってふざけているのなら容赦しない、そこは母親として、ってことですよ」


「なるほど、良く分かったよ、そして私は自分にはその資格があると自負している」


「へえ〜?」


「前にあいつと喧嘩した時もお母さんって呼ばれた事があるからな」


「へえ〜〜〜?あの子が?へえ〜〜〜」


「カルティアン様、嫉妬は見苦しいですよ」


 フロアの奥から、どうやら聞き耳を立てているコスプレっ子二人の「お前が言うな!」という声が届いてきた。


「ラインバッハさん、あなたの用事はすぐに片付けられると思うが、何故そうしないんだ?」


「あの二人が私に恥ずかしがって近付こうとしない、だからできない」


 またフロアの奥から「何でやねん!」と言葉が届く。


「あ、ああそう…他の奴らは?」


「テンペストとティアマトは外出中、あとは私もまだ顔を合わせたことがないポセイドンというマキナだけよ、つまりこの場で用事を片付けるのは無理ってこと」


「あの二人って──ビレッジクックにいるのか。あれ、それなら…ちょっと待ってくれ」と断りを入れて携帯を取り出した。電話をかける相手はプロイ出身のヒイラギである。


[もしもし、ヒイラギです]


「今からそっちに遊びに行ってもいいか?大人四人に子供が四人だ」


[勿論!お待ちしていますレイヴンクローさん、何か何までお世話になって恐縮です]


「良いって、私もおんせんとやらに一度行ってみたかったから。それじゃあ」


 電話を切ると案の定突っ込まれた、フロアの奥に隠れていた二人も顔を出している。


「おんせんって何?」


「プロイには熱い水に浸かる習慣があるんだと、それでこっちに渡って来てからお風呂が無い!って言うんで自分たちでそのおんせんを作ったんだ、で、私もその設営にあれこれ手を貸していたんだ、面白そうだったから」


 そして二人はやっぱりこう言った。


「コイツも来るん?!」

「コイツも来んの?!」


 カルティアンが「チップ三倍」と言うと二人が押し黙った。安いプライドである。

 給湯室にいた残りの三人も「私たちも行きたい!」と言い出し、それならいっそのことテンペストたちも誘うかという話になった。

 電話をかける。悲鳴が返ってきた。


[えーーー!今し方こっちに着いたばかりなんですが!さっきまで向こうに居たんですが!]


「またとんぼ帰りすればいいだろ。お前もおふろに浸かりたくない?」


[いやまあ…それは確かに、お風呂は裸の付き合いと言いますし──あ!それならメンバーを追加してもよろしいですか?ビレッジ・クックキャンパスの学生たちもお誘いして皆んなで行きましょう]


「いいね〜それ!じゃあそっちのメンバーはお前に任せるわ」


[はい、任せてください]


「それとおんせんは裸じゃなくて水着着用な、無いなら途中の店で買って来てくれ」


 テンペストが「また予定外の出費…」とぶつぶつ言いながら電話を切った。

 案の定、二人は愕然としていた。


「み、水着まで…着なあかんの…」

「い、嫌だぁ〜…」


 ラインバッハは手で鼻を抑えながら「今のうちに鼻血を出し切ってくる」とトイレへ向かって行った。

 ジュディスたち三人も早い水着のお披露目だ!とか言ってそれなりに盛り上がっている。

 それから、コスプレ服を剥ぐようにして着替えを済ませた二人がフロアに戻って来ると、探偵事務所に来客があった。おもてなしが大好きなバベルがさっと飛び出す。


「まいど!いつもお世話になってます〜!」


 やって来たのは仲良さそうな老婦人だった。


「ティアマトちゃんとハデス君はいる?」


「あ、はいはい!この間はありがとうございました」


 あの生意気ハデスが敬語口調で挨拶をしている、親でもないのにその成長ぶりに感動してしまった。

 

「いいえこちらこそ、あなたたちのお陰でこうして主人と仲直りすることができたから、その挨拶に来させていただいたの」


 人の良さそうな老人が「この度はご迷惑をおかけしました」と言い、丁寧なお辞儀をした。


「いえいえそんな…あんなんで良ければいつでもティアマトがお相手しますから」


「ティアマトちゃんはどちらに?」


「今少し外出していまして、というか俺たちも今から外出するんですよ」


「随分と賑やかな所ですね、探偵事務所とは思えない華やかさがある」


 謎にラインバッハが自信満々に答えていた。


「そうであろう、ここはシャングリラだ」


 出来た感性をお持ちの老人は華麗にスルーし、「今から皆さんでどちらへ?」と尋ねていた。


「今から皆んなでビレッジ・クックへ行くんですよ〜!何でも温泉があるう言うて!」とバベルが楽しそうに答えた。


「ビレッジ・クック?あらそうなの〜私の息子もそこに通っているのよ」


 ん?息子?


「失礼ですが…その息子さんって…」


 世の中面白いもんでピースが揃う時はパチパチ揃うらしい。


「ええ、大学で海を研究するチームの責任者をしています。私たちは植物学を専攻していましたので、真逆の分野に進んでしまいましたけれどね」


 私はこう言う他になかった。


「良かったらご一緒しませんか?」



✳︎



 とんでもない大所帯になってしまった。

 まず、私とティアマト、それからハフマン教授にディアボロス、「早速フラグを回収したね!」と教授は大喜び。

 それからビレッジ・クックキャンパスの学生たち、そして探偵事務所のメンバーに私はまだ仲良くなっていないジュディス、クラン、アキナミの三人、ピメリアとカルティアンさん、そしてカウネナナイの大使であるヴィスタ・ラインバッハだ。

 さらに。


「以前はお世話になりました」と頭を下げているのはティアマトとハデスが担当した依頼者の方である。何故連れて来たのかとピメリアに尋ねると、


「あれ、あの学生の両親なんだと、だから連れて来た」


 何と世の中の狭いこと。

 ぞろぞろ、それはもうぞろぞろとやって来たプロイ人が作ったという温泉は意外にもちゃんとした造りになっていた。

 場所はビレッジ・クックの沿岸部、難民村として一部譲渡した土地には仮説住宅が並び、その一角だけ異様な雰囲気を放つ場所があった。


「うっひょー!こりゃいいな!こんなになってるとは思わなかったよ!」


「レイヴンクローさんのお陰で十分な資材が揃いましたから!どうぞ好きなだけ入ってください!」


 それはまさしくリゾート地の如く、温泉の入り口にはヤシの木が植えられ私たちを出迎えていた。

 一歩入れば海の家のように屋台が並び、その奥に「湯」と盛大に書かれた特大の暖簾が木材で組まれた門に吊るされ、潮風に靡いていた。

 どうやらここは混浴らしい、だから水着。


「ど、どうしましょう、私水着なんて着たことありません」


 (何故か離れようとしない)ティアマトが「大丈夫!自信を持って!」とお腹辺りから励ましてくれた。


「あ!」

「いた!てめえこの野郎!」とティアマトの声を聞きつけたバベルとハデスがこっちに駆けて来た。


「何で逃げんねんこの卑怯者!」

「俺たちを残して逃げやがって!」


 私の背後に回ったティアマトが珍しく駄々を捏ねていた。


「ち、違うもん!私はテンペストのお手伝いをしようと!」


「嘘つけえ!」


「ほ、本当よ!そ、それに私あの人苦手だから仕方がなかったの!──仕方がなかったの〜!」とティアマトが─どうせすぐに捕まるのに─だっと駆け出した。

 そしてやっぱりすぐに捕まり、お団子にした頭を二人からくしゃくしゃにされていた。


「あ〜!止めて〜!これセットに時間がかかるの〜!」


「どうせ風呂入るから一緒や!」


「制裁だ馬鹿たれ!」


 三人が離れていった代わりにポセイドンがだっと私にしがみ付いてきた。


「わ!──びっくりさせないでくださいポセイドン。というか、あなたも一緒だったのですね」


 ポセイドンはしきりに周囲へ視線を寄越しながら「他人怖い…」と呟き、


「い、嫌だって言ったのに無理やり…」


「大丈夫ですよ、ここにあなたを害するような人いませんから」


「ち、違う…私が変なこと言って恥をかかないか心配してるだけ…」


「よ、良く分かりませんが…ご一緒しましょうか、私も温泉は初めてなものですから」


 それにしてもここは何だか寂しい、施設や景観は立派なのにまるで人がいないのだ。その事をヒイラギさんという方に尋ねてみると、


「いや〜オープンしたばかりでまだ知名度もなくて…それにこちらの人は湯船に浸かる習慣がありませんから見向きもされていないようです」


「それは勿体ない」と声をかけてきたのは驚きの人物であった。まるで孫娘を連れて来たお爺ちゃんのようである。


「ドゥクス!それにプログラム・ガイアも!」


「やあ、息災かねテンペスト・ガイア」


「やっほ〜」


 二人はもう既に水着姿である。ドゥクスは老齢とは思えない立派な上半身を晒し、プログラム・ガイアはワンピースの水着に麦わら帽子、そして浮き輪まで持っている、さらに二人ともサングラスをかけていた。


「私はドゥクスという者だ、今は故あって自分の事業を一から立て直していてね、良ければ私がここをプロデュースしよう。何、ウルフラグにはカウネナナイ人もいるし、湯船に浸かる良さが分かればウルフラグ人もこぞってここへ来ることになるだろう」


「は、はあ…そ、その時はよろしくお願いします」


「うむ。では行こうかガイア、まずは我々で温泉を堪能しようではないか」


「うむ。我が友も今はいない、普段の子育ての疲れをここで癒そうと思う」


 そう言って二人が颯爽と暖簾の奥へ消えて行った。

 いや、というか何であの二人がここに?



 やはり、ウルフラグに住う人たちは湯船に浸かる習慣がないためか、なかなか温泉には向かわず屋外に並ぶお店前に屯していた。

 ビレッジ・クックキャンパスの学生たちもお店に並ぶプロイの郷土料理に舌鼓をうっていた。


「俺これ好きかも〜」

「食いごたえあるし味も上手いし安いし」

 

 学生の褒め言葉に店主の女性が嬉しそうにしていた。


「沢山あるからどんどん食べていくといいさ〜」


「何その喋り方〜」と学生たちが和気藹々としていた。

 人見知りをするポセイドンと肩を並べて遅い昼食を済ませていると、カウネナナイの大使であるヴィスタ・ラインバッハが私に声をかけてきた。


「ひっ──」とそのままポセイドンが離脱していく。


「失礼。──いや、ほんとに失礼したようだ…」


「い、いえ、お気になさらず。それで、私に何かご用でしょうか?」


 私が知る限りでは『シーサー』と呼ばれる想像上の生き物の銅像が立つ前のベンチスペースに現れた彼も、もう既に水着姿になっていた。古傷が付いた上半身にサングラス姿の大使はどこからどう見てもバカンスを楽しむ客そのものである。

 その彼が私の隣に腰を下ろして言った。


「あちらにいるマキナと連絡を取ってもらいたい。カウネナナイの詳しい情勢を知りたいのだ、それからできれば王室とも連絡を取ってもらいたい」

 

「そんな事でしたらお安い御用ですよ」


「そうか、初めからあなたにお願いをしておくべきだったかもしれない」


 その言葉を耳に入れ、すぐに目を閉じて通信を試みる、相手はグガランナ・ガイアだ。

 ──だが。


(あれ?繋がらない…?)


 流れてくるのは潮騒に似たノイズ音だけ、一向に彼女の声が届いてこない。


(おかしい…これは一体…?)


 何かの不具合だろうか...あの()()()()()()()()()()()()


「どうか──「おい」


 彼が私に話しかけた直後に、さらに話しかけてくる人が現れた。

 研究チームの責任者を務めるあの学生である、何をそんなに怒っているのか眉を吊り上げていた。


「何か?」


「何かじゃない、あんた誰?」


「あんた?初対面の人間に向かってその態度は失礼ではないのか」


「そういうあんたこそこの人に言い寄っているように見えるが?嫌がっているじゃないか」


(──ああ、通信が繋がらないから眉を寄せていたのを勘違いして…)


 いやそれで何故あなたが割って入るのかと言いたい。けれど、大事な取引き相手なので口喧嘩を止めるわけにもいかなかった。


(これが社会人のジレンマ!)


「言い寄っているのではない、探偵としての彼女に依頼をしている最中だ」


「へえ〜?社会人としての立場を利用して近づこうって?それ大人としてどうなの、恥ずかしくない?見ててすっげーダサいぞあんた」


「君は一体何なんだ?どうしてそこまでして彼女を守ろうとする?」


「い、いや、それは…」とそこで学生がぽっと頬を赤らめ言い淀んだ。

 側から見たら学生の恋物語のそれだが生憎こちらにはその気が無い、非常に残念な事だけれど。

 ラインバッハが私へ尋ねた。


「この男性は君の知り合いなのか?」


「え、ええ、はい…」


(あれー!!何か私まで言い淀んどってしまったんですけど?!)


 急いで辺りへ視線を配る、『氷』の暖簾の近くにいたピメリアがニヤニヤ笑いながらこちらを見ていた。「ヘルプ!」と強い眼差しを送るが、


(無視された!!)


 ふいと視線を逸らされ傍にいたヨルンさんと話し始めてしまった。

 ──もう私はこの学生と恋物語を始めないといけないのかと半ば諦めかけた時、以前私たちの探偵事務所に来ていた貴婦人が現れた。


「こんな所にいたの、探したわよ」


「──げっ…おふくろ、それに親父も…」


「え?」


 ティアマトとハデスが担当した依頼者がぺこりと綺麗なお辞儀をした。


「以前はあなたたちの探偵さんに大変お世話になりました。お陰様でこうして主人とも仲直りすることができました」


「そ、それは…良かったですね」


 寝耳に水の学生がまた「え」と驚き、その視線をそのまま私に向けてきた。


「あ、あんたってもしかして…その、ビレッジコアキャンパスの学生では…ない?」


「は、はいっ…都心の方で探偵事務所を経営している者です」


 ほんっとに悪いけれど、学生があからさまに愕然とした様子を見て私は心底安堵した。

 それからティアマトとハデスもこちらに合流し、改めて夫婦揃って謝辞を述べていた。二人も恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにしながら「皆んなを案内してやるよ!」と三人の手を引っ張って私たちの元から離れていった。


「さっきの男性は一体何だったんだ?」

 

 一番関係が無いのに一番被害を受けた大使がそう尋ねてくる、私は「何でもないです」と言葉を濁し、通信が繋がらなかった件について説明した。


「通信不能?それは本当なのか?」


「はい、間違いありません」


「向こうのマキナの身に何かあったのではないか?」


「そうであれば通信不可とガイア・サーバーから返答があります、しかし、それさえもありませんでした」


 大使は何度か被りを振り、「そうか…」と呟いた。


「申し訳ありません、私も何故このような事が起こっているのか全く分かりません」


「いや──いいさ、あなたが悪いわけではない。……しかし、ガイア・サーバーに不具合が起こるだなんて…そんな事があり得るのか?」


「あり得ません、しかし、あり得てしまいました。この件は早急にプログラム・ガイアへ報告し対処させていただきます」


「その方がいい。──邪魔をした、あなたも温泉を楽しんでくれ」


 そう爽やかに挨拶を残し、カウネナナイの不憫な大使も去って行った。



 昔から私はこうであった。

 人もマキナも関係なく、皆 (すべから)く私の元から去って行く、誰も傍に残り続けてくれないのだ。

 皆んな、()()()私の事なんか忘れたようにまた現れて、そしてまた去って行く、この繰り返しであった。

 グガランナにこの事を話したことがあった。だが、彼女から「贅沢言うな、他者と会話できるだけマシだと思え」と手酷い言葉を貰い、「だったらあなたも経験してみれば良い」と言い返したのが"マテリアル・コアを共有する"という珍事に至った経緯である。

 プロイ人が作った温泉施設では私以外の皆んなが楽しそうにしながらあちらこちらへ向かって、時に食べ物を食べて、時にお喋りに興じていた。

 人見知りのポセイドンも今はバベルたちと一緒である、あれだけ嫌がっていたのに今は楽しそうだ。


「…………」


「これがパイオニアの宿命だ、テンペスト・ガイア」


 プログラム・ガイアだ、また唐突に現れて唐突に言葉を放ってきた、いつもの事である。

 けれど、今日はプログラム・ガイアの言葉が胸に刺さった。


「……これが、とは?」


「皆を引っ張ること、皆の道を作ってあげること、そして君は一人ぼっち、それは仕方がない事。でもね、君に関わった人は須く君の事を覚えている、絶対に忘れない、それがパイオニアの誇り。何せ未踏の地を一番先に歩く者だから、皆んなが君の背中を見ている、それがパイオニアの仕事だ」


「………っ」


 普段は奇天烈で全く信用できない相手だが、貰った言葉はとても良かった。

 まあ、麦わら帽子にグラサン姿という、いかにもふざけているけれど。

 そのプログラム・ガイアがすっと私に視線を合わせてきた。


「すまないとは思っている、君にこんな役目を与えて。でも、君のように引っ張る者がいなければマキナも組織として機能しない、必要な存在なんだ」


「その言葉だけで十分ですよ」


「そう?」と、途端に雰囲気を砕けさせたプログラム・ガイアが私の手を引っ張ってベンチから立たせた。


「なら後は温泉に浸かって疲れを癒そう!」


「ええ、そうですね、行きましょう」


 プログラム・ガイアに手を引かれるまま『湯』の暖簾を潜り、男女別に別れている脱衣所前に着いた。どちらの入り口にも青と赤に着色されたシーサーの像が置かれていた。

 私とプログラム・ガイアは『女』と書かれた入り口へ──そこへ何ら迷うことなく、後からやって来たバベルが向かおうとするものだからさすがに止めた。


「何でやねん」


「いや、あなた性別不詳でしょう?さすがに止めないとマズいと思いましたから」


「だから何でやねん!うちは女の子やの!今はそういう設定やからええの!」


 バベルの──というより私たちの生みの親であるプログラム・ガイアも「待った」と声をかけた。


「それが通用するなら世の中から性犯罪が無くならない「そんな変質者と一緒にすんな!」なら、今ここでそのパンツを下ろして、私とテンペストで確認する」


 バベルが「痴女ロリってもう手垢塗れの属性やで」と言うものだから、プログラム・ガイアが持っていた浮き輪を投げ付けていた。


「いったあっ?!──何すんねん!」


「今この場でリブート処置にしてもいいんだよ」


 プログラム・ガイアがそう凄みを効かせる。

 対するバベルは「パワハラや!」と叫びつつ、反論を唱えた。


「今時男女の区別だけって前時代的過ぎるわ!身体的な性別が男でも同性に見られるのを嫌がる人だっておるやろうに!」


「うう〜む…それは確かに一理あるけども、トランスジェンダーだと偽った男性が女性に性的暴行を加えた事例もある。君の訴えに何ら間違いはないが、この事例に対処する方法が現在のところ確立されていない。君ならどうする?」


「作る!中性専用の更衣室を!」


「いやだからね、そこに自らを偽る人が潜り込んだ時の対処をどうするかと尋ねている」


 バベルが首を傾げ、そう長い間を空けることなく答えた。


「自衛用の武器を本人に持たせる、持ってない人は立ち入り禁止。使った時点で本人の自衛権の行使を認めて使われた相手は加害者確定。これでどうや!」


「うう〜ん…変に的を得ているから反論できない…見張り役を立たせようにもやはり性別が問題になってくるし、本人の自衛に依存した法案の方が確かにやり易い面もある」


「な!ほな!」と意味不明な発言をしたバベルが女性用更衣室に突入するも、既に入っていたピメリアから速攻で締め出されていた。


「お前が中性なのは認めるが私たちはご免だ!てめえの裸も見せない相手と一緒に着替えなんかできるか!」


「そんな殺生な〜!」と泣き言を言ったバベルは結局公共の個室トイレで着替えたそうだ。

 いやそれが正解なのでは?

 後日談だか、この温泉施設に中性専用の個室脱衣所が設置されたそうである。



 温泉。それは湯煙に満ちた桃源郷の如く、訪れた人々を温かい湯が迎え、そして虜にしていく。


「あ、俺これ好きかも〜」

「お湯に浸かるって最初聞いた時は意味分かんなかったけど、これはこれでいいな〜」

「あ゛〜…疲れが滲み出るよう…」


 ビレッジ・クックキャンパスの学生たちはのほほんとした顔で初めての温泉を満喫しているようだ、気に入ってもらえて何よりである。

 他にもバベルやハデス、それからディアボロスにポセイドンのマキナたちも意外と凝った造りをしている温泉に満足そうであった。

 

「海を見ながら入るのはいいな〜」

「このお湯しょっぱくない?」

「もしや海の水を使ってるんか?」

「これは塩化物泉と言って立派な温泉だ。効能は切り傷、冷え性、皮膚乾燥症に効き目があって口にすると──」

「ヤシの木に温泉って、和洋折衷どころじゃねえな──何で頭撫でるの?」

「いいや〜お前が難しい言葉を使うとは思わんかったから褒めてんねん」

「ねえ、ディアボロスの話し聞いてあげなよ」


 プログラム・ガイアとティアマトはお互い浮き輪を使って「わーわー」と泳ぎ回っている、側から見たらただの子供だ。

 ドゥクスはと言えば...


「──いた!あんた!さっきドゥクス・コンキリオと名乗ったね?!」

「うん?そうだが、それが何か?」

「何か?じゃないがね!あんたのせいでわんらが島を出る羽目になったんじゃがね!さっきは突然過ぎて忘れてたけど!──さあ出てった出てった!ここはあんたが入る所じゃない!」

「──な?!それには故あってのことで!君たちに直接危害を加えたわけでは──ああ!あともう一杯だけ!温泉に浸かりながら呑む日本酒が──ああ!」


 と、ヒイラギさんと屈強な体付きをしている青年二人に抱えられながら締め出されていた。可哀想だが同情はできない。

 大学から連れ出してきたハフマン教授はこっそりと学生たちに近付き、馬鹿なちょっかいをかけたりしていたが、最終的にはチームのリーダーと握手を交わしていた。あの分ならシルキーの譲渡も問題なさそうである。

 皆んな、それぞれが楽しく過ごしている、けれどやっぱり私は一人だ、でも、今は良い──「こんな所で一人とは、寂しい奴だな、お前は」


 ──また、こんな私に声をかけてくれる人が現れた、ピメリアである。


「……良く似合っていますよ、その水着」


 いつものウェーブした長い髪はティアマトと同じようにお団子に結んである、綺麗なうなじが露わになっていた。それにスタイルも良いし白い水着も様になっていた。


「そりゃどうも。でも私は温泉苦手かもしれない、少し入っただけでのぼせちまったよ」


「そうですか」


「すげー今さらなんだけど、どうして探偵事務所を始めようと思ったんだ?」


「ほんとに今さらですね」と私はくすりと笑みを溢し、そして答えた。


「プログラム・ガイアからの指令をある程度こなした後、ティアマトが皆んなの役に立つ事をしたいと言ったのです、それでどうせならそれを仕事にしようと。最初は相談所として立ち上げたのですが、それでは営業許可が下りないと言われて探偵事務所にしたのです」


「そういう事か。なら、この場はお前が作ったんだな」


「私が?」


「そうだろ、お前がマキナたちに居場所を作って、ヘンテコ教授と学生たちを連れて来て、それでこの場が出来た。お前のお陰だよ」


 その言葉が温かいお湯と一緒になって私の胸に溶け込んできた。

 つい、本当はとても嬉しいのについ話題を逸らしてしまった。


「──と、ところで、ヨルンさんの姿が見えませんが…さっきまでご一緒されていましたよね?」


 ピメリアがするりと湯船に浸かり、「あち〜なやっぱ」と呟いてから答えた。


「出店でしこたま酒を呑ませて潰してきた」


「何をやっているですかあなたは…」


「馬鹿言え、あんな美貌を持った奴が水着姿なんかになってみろ、私ら女全員見る影もなくなっちまう。女は誰だって自分が一番良く見えたいんだよ、あんな美貌を持ったあいつが悪い」


「いやだからと言って…」


 本人はまるで悪びれた様子はない、にやりと微笑んでいるだけだった。

 温泉内を泳ぎ回っていたプログラム・ガイアがピメリアを見つけてこちらにやって来た。


「朗報だぞ〜今日ライラが義眼の装着テストを行なう〜あともう少しだ〜」


「ほんとか!そりゃ良い!」


 お次はハフマン教授だ。


「テンペスト〜!彼らからシルキーを譲ってもらえることになったよ〜!全く素直じゃない!彼らは元々私のファンだったそうじゃないか!」


「いやそれ自業自得ですからね、反省してください」


 さらにお次はマキナたちもこちらに寄ってきた。


「テンペスト〜!また新しいタペストリーこうてほしいんやけど〜!」

「買わなくていいからな!こいつたんまりお金を持ってるんだから!」

「テンペスト〜そろそろ上ろう〜私のぼせてきちゃった〜」

「向こうに水風呂がある、それに入れば「テンペスト〜」いやお前も無視するな」


 私の周りに人が集まってきた、もうほんとに賑やかで誰と受け答えをすれば良いのか分からないほどに。

 パイオニアの宿命に誇り。うん、悪くない。

 この後、泥酔状態のヨルンさんが裸で入ろうとしたり、鉢合わせしたドゥクスと口喧嘩を繰り広げたり、私たちは随分と楽しい時間を過ごすことができた。

 あ、カウネナナイの大使はハデスとバベルの水着姿を見て再度鼻血を出し、屈強な青年たちに引きずり出されてこの場にはいない。



「おい、何か落ちたぞ」と、温泉を堪能し、脱衣所で着替えを済ませたピメリアが落とし物を拾ってくれた。

 それは私が持つ名刺だ、そこにはこう書かれている。


『テンペスト・ガイアと四人の探偵たち〜アットホームで和気あいあいの探偵事務所です〜』


所長 テンペス・ガイア

※次回 2023/2/11 20:00 更新予定

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