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第109話

.コクア五勇士



 アネラが滞在している診療所からの帰り道だった。


「…………」


 腰に下げた二本の剣を確かめる、いつでも抜けるように油もきちんと塗ってある。

 診療所から続く並木道を一人で歩いていた、砂利を踏むささやかな音と葉擦れの音が私を包んでおり、その中にはっきりとした、けれど小さな他人の気配があった。

 私の跡を付けているようだ、誰何するような真似はしない、したところで答えやしないだろう。

 砂利の道から煉瓦通りに変わる、王都の外れにある診療所から街に戻ってきた。

 そこでふっと、気配が途絶えた。



「跡を付けられている?」


「そうよ、これで三度目、間違いないわ」


 生意気極まりないカゲリにそう言うと、


「ただの勘違いでは?ヒルド様を付けたところで一体何の得があるというの──あ痛!」


 手に持っていた水桶を落とし、溜まっていた汚水を絨毯の上にぶち撒けた。

 そこまで音は鳴らなかったはずなのにナターリアがだだだとこっちに駆けて来た。


「何を──ああ!本当に何をやっているの!絨毯に溢すだなんて!たださえ掃除が大変だというのに!」


 私もカゲリも互いに指を差しあった。


「こいつが悪い」

「この人が悪い」


「問答無用!!」


 謎に私だけ頭を叩かれた。

 その後、私は汚れた絨毯の掃除を命ぜられ、一人でムカムカしながら雑巾を押し当てていた。


(何で私がっ!落としたのはあいつなのにっ!)


 今日は通りが静かである、威神教会でミサが行われているのだ、普段はお祭りのように騒がしい。

 その静けさもあって大量の荷物を抱えて館に向かってくる人がすぐに分かった。


「たら〜いま〜」


 アマンナという人だ。この人はしょっっっっっっっちゅう家を空けている。


「あら、お掃除?ご苦労さま〜。あ、お土産買って来たからまた皆んなで食べてね〜」


「…ありがとうございます」


 私はあんまりこの人を好きになれない、そりゃ確かにカウネナナイにはない美味しい物を良く買って来てくれるが、"責任感"というものが一切感じられないのだ。

 そして、また人がやって来た。軍人に多い几帳面な歩き方だ。機人軍の輩はこんな所に来たりしない、きっとウルフラグの人だろう。

 案の定であった、続けてやって来た人はアリーシュ・スミスという人だった。


「失礼致します」


 そう言ってスミスさんがすたすたとリビングへ向かって行った。

 もう間もなくある作戦が開始される、その打ち合わせにやって来たのだ。

 掃除も程々にして私もリビングへ、通りが静かだからなのか今日は珍しく、早い時間帯にも関わらずナディもいた。


「お疲れ様、カゲリちゃんの後始末だって?」


「そうなの!聞いてよ!私のせいじゃないのにナターリアが!」


「いちいち騒ぐな。さっさと座りなさい」


 ある作戦とは──私にとっては悲しいけど、ナディたちの脱出だった。



✳︎



 最近のアリーシュさんはどこかこう...大人の余裕というものを感じる。


(何か良い事でもあったんだろうか…)


 そんな感じの微笑みをいつも湛えているのだ、今度こっそり聞いてみよう。

 今日はミサがあるお陰で通りが静かだ、毎日こんなんだったら良いのにと思う。私がちょっとでも姿を見せると通りにいる人たちが一斉に騒ぎ出すので下手に外出することすらできない、必然的に部屋に篭ることが多くなっていた。

 我慢の限界である。


「秘匿回線で先程、ウルフラグから派遣軍が出航したと連絡をもらった。到着は明日の深夜、明後日に作戦を決行しようと思う」


「分かりました」


 カゲリちゃんがグッと私の裾を掴んできた。


「帰るんですね…」


「カゲリ、止めなさい」


 ヒルドちゃんが寂しそうにしているカゲリちゃんを嗜めた。


「寂しくないんですか?」


「別に。って言えるほど私も大人じゃないけどこればっかりは仕方がない、それに別れは慣れているから」


「どっちやねん」


「あんたねえ…」


 二人のことをまるで天使を見守るかのようにアリーシュさんが笑みを深め、そして私に目線を合わせてきた。


「それで良いね、ナディ」


「…はい、よろしくお願いします。他のメンバーには私から連絡しておきます」


「分かった。集合はこの館で、夜明けと共に王都の港へ向かう、そこでラハムが君たちを誘導してくれるはずだ。まず君たちコクアのメンバーは民間船に乗り込み沖へ向かう、後からバハーが出航する手筈になっている」


「分かりました」


「当分の間カウネナナイに戻って来ることはないと思う、それまでに可愛い妹たちと十分に過ごしておくといい」


「はい」


「………」


 ヒルドちゃんが何か言いたげにしながら、それでも結局口を開こうとしなかった。その様子に気付いた私が声をかけるも、


「何でもない」

 

「そう…」


 ツンとした表情でそう答えた。

 作戦説明会が終わり、アリーシュさんもどうせならと夕ご飯を一緒に食べることになった。

 アマンナさんのお土産もあって今日の食卓はいつも以上に豪勢である。


「お酒は程々にしないとほんと駄目だよ〜」


「お酒ってそんなに美味しいんですか師匠」


「うん、ちょー美味い」


「ごくり…」


 カゲリちゃんはアマンナさんのことを師匠と呼ぶ、ウルフラグにまつわる情報からネットスラングまで幅広く教えてもらっているかららしい。

 

「飲めもしないのにお酒の話はしないでちょうだい」


「あっれ〜グガランナ〜もしかして飲みたいの?」


 アマンナさんとグガランナさんは出会って間もないはずなのに不思議と仲が良い。


「別にそんなわけじゃ…あの人の事を思い出してしまうだけよ」


「いや〜重いな〜」


「何がよ!」


 器用に野菜だけ残していたカゲリちゃんをナターリアさんが注意している。


「カゲリ、好き嫌いせずにちゃんと食べなさい」


「いやこれミサに持って行こうと思いまして…」


「もう終わっとるわ!好き嫌いするならアマンナさんのお土産をミサに持って行くから」


「ミサはもう終わってますよナターリア様、何を言っているんですか?」


「こいつっ…」


 そんなやり取りを微笑ましく眺めていたアリーシュさんがぽつりと独り言を漏らしていた。


「子供はあんな風にあやすのだな…覚えておこう」


(何で子供…?)


 賑やかな団欒を見せる中、ヒルドちゃんがすっと席を外してダイニングから出て行った。その跡を私も追いかける。

 ご飯の直前まで掃除をしていた廊下でヒルドちゃんを呼び止めた。


「何?」


 今はツンツンモードである、けれど夜になると高確率でデレデレモードで私の部屋にやって来る。けれど今日はいつもより雰囲気が変わっていた。


「何かあった?」


「…いや別に、何でもないけど」


「さっきも何か言いかけてたし、ご飯も残してさっさと行っちゃうからさ」


「………別に、ほんとに何でもないから。その、アマンナさんのことがちょっと苦手で、それだけだから」


「そうだったの?それじゃあ夜になったら一緒にお菓子を食べようよ。向こうのお菓子は好きでしょ?」


 ツンツンモードが解除されたようだ、頬を赤らめながら「うん」と小さく頷いてくれた。

 

 けど、私はその日、ヒルドちゃんと会うことができなかった。



✳︎



 あれ...ナディが...ナディが私の部屋に来てくれないんだけど...さっき(声をかけてもらった時)からずっと待ってるんだけど...


(あっれぇ〜さすがにツンケンし過ぎたのかなぁ〜)


 い、今さら嫌われるようなことはないと思うんだけど...でもさすがに嫌気が差したとか...今からでも自分から行ってみようかな!で、でもたまには向こうから私の所に来て欲しいしいつも私からだし...

 ベッドのシーツ、淡い光りに照らされた天井、ベッドのシーツ、淡い光りに照らされた天井、何度も視界が変わる、ベッドの上でごろごろと転がり続ける。

 生活に必要な物以外は何も無い。化粧台にクローゼット、窓際に置かれたテーブルに椅子、それだけの部屋だ。

 嘘である。その化粧台の中には"へそくりお菓子"があった。

 今、この館内ではウルフラグのお菓子が"通貨"になりつつあるのだ、それだけ美味しいという事。

 掃除や用事ごとも「このお菓子何個分で」と相手にお願いすることができる。

 お堅いナターリアも例外ではない。昨日もナターリアから「このお菓子で代わりに用事を済ませてきてくれ」とお菓子を私に渡してきたのである。

 ベッドから下りて化粧台の引き出しを開ける、中には色とりどりの、まさに宝石のようなお菓子がそれなりに入っていた。

 その中から最も価値が高いバターサンドクッキーを手に取る。


(一個だけ食べようかな…ナディが持って来てくれるんだし…)


 美味いのなんの。サクサク食感は癖になるし、何よりバターの香りと砂糖の甘さが絶妙に合う!チョコやクリームよりもこの館ではこのバターサンドクッキーが一番人気があった(そもそもチョコ系は日持ちもしないし)。

 あのカゲリですらこれ一個で買収できるほどだ「ぱああっ!!!」


「ぎゃああっ?!?!──なんつうタイミングで入って──カゲリこらあっ!!」


「ノックしましたけど」


「嘘つけえ!」


 いつの間に?!というか見られた?!お菓子の保管場所は宝物庫と同義であるいやそんな事よりも!


「黙って入ってくんじゃないわよ!」


「そんな事よりも!」


 寝巻き姿で髪も下ろしているカゲリが珍しく私に縋ってきた。


「人狼が!人狼が館の前にいるんです!」


「はあ?じんろうって…あんたが前に言ってた人狼のこと?」


 ぶんぶんと頭を振っている。

 カゲリとナディそれからアネラは以前、かそう世界とやらに囚われ人殺しゲームをさせられた事があった。何処にそんな世界があるのかさっぱりだが、そこで三人は酷い目に遭わされたらしい、そしてカゲリが一番最初に犠牲になったと聞いていた。ざまあ。

 その時の人狼がここに来たということは...


「あんたまた失礼なことしたんじゃないの?」


「何でやねん!違いますよ!あの夜私の部屋に入って来たあー…何とかさんが館の前にいるんです!何とかしてください!」


「そんなのナディに言えば……言えないわね」


「そうでしょうが!ヒルド様だってストーキングされていること今日報告しなかったでしょう?!」


「ぐっ…まあ、そうだけど…」


 ナディはここのところ部屋に篭りっぱなしで精神的にキツいはずである、それを思うとどうしても言うことができなかった。それをこいつは見抜いていたのだ。

 

(まあそりゃ…曲がりなりにも自分を殺しに来た人がまた目の前に現れたらそりゃビビるか…)


 カゲリの細い腕が伸びて私の服の裾を掴んでいた。


「はあ〜しょうがない、バターサンドクッキー三個で手を打つわ」


「嘘でしょ…対価を求めるんですか?可愛い後輩「そんな奴どこにいんのよ」が助けを求めているのに…?正気ですか?」


「四個」


「ぐっ…に、二個でお願いします…」


「オッケー、対価を貰う代わりにきっちりと追い払ってきてあげるわ」


「さっさと行ってきてください、私はこの化粧台を守っていますので」


「ざけんな!あんたも来い!」


 割と本気で嫌がるカゲリを引き連れて部屋を出る。それにこいつちゃっかりと見ているし!


(はあ〜保管場所変えないと、絶対盗まれる)


 全体重を乗せて引っ張るカゲリの手を引きながら、光量を落とした室内灯の中を進んで行く。あ!とそこでナディのことを思い出した。


(あ〜何か貼り紙とかした方がいいんだろうけどそれだとカゲリも強制参加になるし…ちゃちゃっと追い払って後でナディの所へ行こう)


 来るよね?すれ違いになるよね?これでナディの所に行って「あ、ごめん忘れた」なんて言われようものなら私が人狼になりかねない。

 階段を下りてエントランスへ、壁にかけてあったコートをカゲリに着せ、私はそのまま家を出た。

 明るい満月が昇る夜だ。街灯要らずの良い夜である、奇襲をかけるには不都合だけど。

 その人物は門の向こうにいるようだ、それにこの気配は...


(今日の昼間の…?んん?)


 私を付けていた気配と似ているような...

 ここまで来たらカゲリは逆に大人しくなっていた、歳相応の子供のように私の腰にしがみついてる、いつもの皮肉も全く飛んでこなかった。


(普段からそうしてりゃ可愛げもあるんだけどね〜)


 満月の明かりに照らされた通り、私たちの館は街の目抜き通りから離れているので付近に家屋は無い。少し高い丘から街の様子を眺められる、つまり何をやっても人目につくことがなかった。

 それはあちらも同じこと、だから私はカゲリを突き放して門扉を開け、その向こうで息を潜めていた人狼に殴りかかった。

 女性だった、フードの下に隠れた顔を見た限りでは、目を大きく開いて私に驚いているよう。

 胸倉を掴んだ時、私の手が止まった。


「何しに来たの」


 その女性がひどく怯えていたからだ、こちらを害するつもりはなかったらしい。

 返事がない、私の言葉がうまく耳に入らなかったようだ。


「こんな所で何をしているの、答えて」


「な、わっ…わ、私は謝ろうと思って…」


「誰に?」


「か、か、カゲリという、女の子に…」


 掴んでいた胸倉から手を離す、それでも女性は緊張状態を解こうとしない、いや、あまりに突然だったために萎縮しているのだ。


「あんたが殺した女の子こと?」


「あ、あの時は…仕方がなかったか、ら…で、でも、生きているなら、あ、謝ろうと…」


「自分が楽になるために?ごめんなさいしてはいさよならって?それ、意味ある?」


「………」


「悪いこと言わないからその子に会おうとしない方が良い、お互いろくな事にならないわ」


「じゃ、じゃあ、私はどうすれば…」


「さあ?それはあんたが決めることじゃない?とにかくこの館に近付かないで」


「…………」


 女性は亡霊のように感情を失くした瞳を下向け、そのまま踵を返して門の前から離れて行った。


(全く…あれもカゲリも災難ね、人殺しゲームをさせた奴はマジでイカれてるわ)


 門を閉じ、館の敷地に入る。小動物のように縮こまっているだろうと思っていたカゲリ──の姿が無い。


「え」


 もう中に入った?何て薄情な奴かと自分に言い聞かせるが動悸が収まらない、だって、門扉前の石畳みの上が...濡れていたからだ。


「え…これマジなやつ…?」


 そんな気配は一つも無かったはずだ、いくらあの女性と会話をしていたからといって戦闘状態に入った自分が他人の気配に気付けないとは思えない。

 丁寧に敷かれた石畳みに屈み、濡れている箇所に手を触れる。


(暖かい…間違いなくあいつのもの…)


 濡れた指先を月明かりに照らす、色は付いていないが臭いがした。


(失禁した?あいつが?)


 マズい、これは非常にマズい。たださえナディがナイーブになって、あまつさえ大事な作戦を前に控えた今、カゲリが誘拐された知ればどうなることか、想像に難く無い。

 弾かれたように走り出し、館の庭へ向かった、音は立てず軽やかに。

 リビングの灯りが点いている、きっと誰かが起きているのだろう。その人にバレないよう倉庫に飛び込み、少し傷んではいるが十分使える実剣を取って再び門へ急いだ。

 


✳︎



 ── さあ?それはあんたが決めることじゃない?とにかくこの館に近付かないで。


 ツインテールの女の子に言われた言葉がさっきから何度もリフレインしている。

 拒絶されて当然だと自分でも思う。


(はあ……)


 カゲリという女の子が生きていると分かり、周囲にいる人たちを調べてあの館まで突き止めた。けど、私は何も出来ずに来た道を戻っていた。

 小高い丘から見える街並みは私に無関心を装うように今日も灯りを点けており、きっと暖かい団欒を迎えているのだろう。

 坂を下りた時だ、後ろから凄い勢いで誰かが走ってくる音が聞こえた。


「………?」


 さっきの女の子である、ウルフラグには無い鉄の剣を持ってこちらに向かって走って来ていた。


「ひいっ!」


 私は即座に「斬られる!」と思った、けど違ったようだ。


「──良かった!間に合った!」


「な、な、な何でしょうか…」


「ちょっと私に付き合いなさい!」



 名前をヒルドという女の子に連れられ、私は王都の飲食店に入った。

 今日は"ミサ"という、星人様と呼ばれる神にお供え物をする日だそうで、いつもは人で賑わう目抜き通りは閑散としていた、何でもミサは騒がず静かに過ごす一日らしい。

 入った飲食店はカウネナナイで一般的なものだ、ウルフラグであれば手作り感満載の個人店のような雰囲気。

 人の目を避けるパーティションや観葉植物の類いは一切ない、雑然と並べられたテーブルにはカウネナナイ人が人の目を気にせず飲食に忙しんでいた。

 店の奥にはカウンターがありフードを被った人、それからその人をにやにやと笑って見ている人がおり、テーブル席にもフードを目深に被った人がいた。ウルフラグでは絶対に見かけない光景である。


(顔を隠しているだなんて…)


 向こうなら不審人物扱いされて入店すらできないだろう。

 そういった防犯意識よりも私が最も受け付けられないのは...


「座って」


「は、はい」


 今はそれよりもこの子だ、何故私に接触してきたのか。


「私の名前はヒルド」


「わ、私はアルヘナ・ミラーといいます」


「ミラーさん」


 そう言って彼女が顔を寄せてきた。


「あんな事言った手前、お願いするのも恥ずかしいんだけどカゲリの救出を手伝ってほしいの」


「きゅ、救出、ですか?」


 予想外の言葉に驚かされた、それにこの子はきちんと歳上を敬う礼儀も持ち合わせているようだった。


「そう、実はあの時傍にカゲリがいたの、それであなたと問答をしている間に何者かに連れ去られてしまった」


「そんな、一体どうして…」


「それは分からない」


「それなら私ではなくてご自分の味方に話をした方が良いのでは?」


 ヒルドがすっと距離を戻し、勝ち気そうな眉を下げて言った。


「ちょっと言えない事情があって。それであの子なんかに謝りたがってたミラーさんを当てにしようと思って追いかけたのよ」


 なんかって...


「それは、分かりましけど、二人だけで救出しに行くんですか?」


「そのつもり。──なんだけど…「話は聞かせてもらった」


「!」

「!」


 びっくりした、私たちのテーブルの傍に一人の女性が買い物袋を胸に抱えて立っていたのだ。

 彼女の知り合いのようだ。


「ナターリア!驚かせないでよ!というか何でこんな所にいるのよ!」


 ナターリアと呼ばれた女性が「ん」と買い物袋を揺すった。


「買い出しだ、そしてそんな格好で剣を吊るしたお前を見かけたから何事かと思って跡を追いかけたんだ。それがウルフラグ人を捕まえて店に入るわこそこそ内緒話するわ、いつシメてやろうかと様子を窺っていたらまさかカゲリが誘拐されていたなんて」


「私の信用」


「バターサンドクッキー以下」


「何ですって!──まあいいわ!とにかくそういう事情だからナターリアも席に着きなさい!」


「良いだろう。ところであなたは?」


 ナターリアさんが買い物袋をテーブルに置き、遠慮なく私の隣に座ってきた、カウネナナイ人のパーソナルスペースが近くて困る。


「わ、私は…」


「ミラーさん、自分の口から言った方が良い」


「何の話だ?」


 不可解そうにしているナターリアさんが私とヒルドを交互に見ている。


「…私はアルヘナ・ミラーといいます、以前にあるゲームをさせられて、それで私はカゲリという女の子を…」


「ああ、話には聞いている、あなたがその人狼という役をやった人なんだな?」


「はい…」


「それで、どうしてそんなあなたがカゲリの救出を手伝おうと?」


 答えに窮する、でも正直に言わないと銃口のような目線で睨むヒルドに納得してもらえそうになかった。


「…自分の為です、たとえゲームであったとしても私はあの子を手にかけることを選んだ、その贖罪をしたいんです」


「自分の主は裏切ったというのに?」


 このナターリアという女性も容赦がない、けれど眼光が鋭いだけで何ら軽蔑している色はなかった。


「──そうよ思い出した、確かあんたは──あ痛っ!「歳上に向かって失礼だろう!」


 ナターリアさんがヒルドの頭をばしんと叩いた、そのやり取り自体に驚いたがヒルドを嗜めたことにも少しだけ意外だった。


「…すみません」


「い、いえ…ナターリアさんの仰る通り、私たちはウォーカーさんの元を離れました。でも、敵対することを選んだのではなくて、あくまでも自分たちの為に離れたのです」


「──分かった、一先ず信じよう」


「え?い、今の話で?」


「ああ、主従関係が変わること自体は何ら不思議な事では無い、かく言う私もアネラ様からナディ様に変えている。私が気にしていたのはあなたがナディ様の敵に回ったかどうか、それだけだった」


「そ、そうですか…」


 カウネナナイの人たちは私たちと違って繊細なやり取りができないと思っていた、現に今も距離感が近いし、けれどそれは心が"おおらか"なんだと初めて知った。

 

「ヒルド、今の話を信じるか?」


「うん。で、話を戻すけどカゲリを攫った人物に心当たりはある?」


(うんって…何か気にしている自分がちっぽけに思えてくる)


「ヒルド、さっき何で頭を叩かれたのか理解していないのか?」


「い、いえ、お気になさらず」


「そうよミラーさんもそう言ってるんだから敬語は無しよ。ミラーさんもタメ口で」


「あ、う、うん、分かった」


「なら私もそうさせてもらおう「元からタメ口でしょうが」


「その、心当たりだけど、やっぱり攫って一番得をする人物を疑うのがセオリーだと思う」


「…私も同じ考えだ「嘘つけ」だが、カゲリを攫って一体誰が得をすると言うんだ?」


 ナターリアさんの問いかけに私たち三人が首を捻る。

 攫った人物が目的ではなく、その人物が所属していたグループが目的であれば...


「カゲリちゃんではなく、セントエルモ・コクアが狙いだったのであれば…」


「セントエルモ・コクアと敵対している相手って……駄目だ、心当たりがあり過ぎる」


「え?そうなの?あまりそういった噂を耳にしたこと無かったけど」


 テーブルに肘をついて頭を抱えていたヒルドが答えた。


「コクアの仕事のためだからと私とカゲリで色んな所に喧嘩を売って回ったわ「はい自業自得、この話はここで終わり」─何て白状な!ナディに何て報告するのよ!」─くっ…仕方ない…」


 注文をしない私たちに業を煮やした店主が自らやって来た。ウルフラグでは一般的なオーダーの取り方だがカウネナナイでは客が店主の元に行ってオーダーを取る。


「注文取らねえなら追い出すぞ」


「ナターリア、私お金持ってない、サンドクッキーならあるけど」


「二つ寄越せ」


「後払いで」


「それで良い」


(え!それで良いの?!)


 ナターリアさんが飲み物を三人分注文し、途端に笑顔になった店主が戻っていった。


「私の分まですみません」


「良い、あなたもウルフラグ人だ、それで良い」


(意味が分からない。──ああ、後でお返ししろって事かな)


「さっきの話だが、色んな方面から恨みを買ったからといって誘拐を企てるか?」


「身代金の要求とか、色々考えられます」


「そんな手間な事をするなら直接要求してくると思うが。それにカゲリはただの従者だ、相当な恨みがあるなら連れ去ったりせずその場で手にかけて終わりのはずだ」

 

「それもそうね」


(そうなんだ…)


 カウネナナイには身分制度があり、貴族などであれば身代金という"脅し"が成立するが、カゲリちゃんのような一般市民では成立しない、らしい。居なくなった時点で即座に縁を切るんだとか。


(身分の違いでこうも対応が…)


「金銭の要求ではないにも関わらず、セントエルモ・コクアのカゲリを連れ去る理由…ううむむ…「話は聞かせてもらった」


「!」

「!」

「!」


 首を捻っていたナターリアさんの背後にフードを目深に被った人が立っていた。どうやら聞き耳を立てていたらしい。

 その人がフードを少しだけ持ち上げ、私たち三人は心底驚いてしまった。


「が、ガルディア陛下…」

「何でこんな所に…」

「こ、国王陛下がどうして…」


「俺はもう国王陛下でも何でもない、ただの人だ、まあ体は普通ではないんだが。酒の味が恋しくなったからこうしてお忍びで来ていたのさ。うん、お前たちは実に運が良い、宝刀より切れ味が鋭い頭を持つこの俺がこの場に「あっち行ってて、あんたには関係ない」


 ヒルドの暴言に私もナターリアさんも度肝を抜かれてしまった、何と恐れを知らない子なんだろうか。


「…ヒルド!貴様という奴は曲がりなりにも元国王陛下に何て事をっ」

「…あ、謝った方が良いよ!こっちって身分に厳しいんでしょ!」


「はあ?ただの人だって自分が言ってるんだから気にしなくて良いでしょ。それに私こいつのこと嫌いだから絶対に敬ったりしない。ねえ?そうよねえ?」


 ボロくそに言われているのに元国王陛下は我関せずとテーブルについた。


「で、さっきの話だが、俺には心当たりがある。カゲリという子供を攫って得をする人物をな」


「誰だか言ってみなさいよ」


「リゼラだ、奴は俺を玉座から引きずり下ろした後はナディを時期国王陛下に当てがおうと考えている。──この国から出て行くんだろ?」


 その言葉に二人が鋭く反応した、その話は私も知らなかったことだ。


「出て、行くんですか?」


「…そうだ、ナディ様の現状とウルフラグの民を思えば、今のカウネナナイの情勢は少し危険過ぎる」


「その判断は遅すぎると思うがな」


「何故知っておられるのですか、この話は内密で進めていたはずなのに」


「俺を誰だと思っている、元国王にして王室の責任者だ。埠頭の動きや軍の報告は全て俺の元に届くんだよ」


 セントエルモ・コクアが帰還する...その事実は少なからず私に衝撃を与えた。


(皆んなが戻る…けれど私たちはここに残る…)


「で、ナディ・ウォーカーを帰したくないリゼラがコクアのメンバーを攫った。本人を攫えばさすがに対立は避けられない、だから従者の一人を攫って脱出作戦の妨害を行なったんだ。崩冠式が挙行されるのは明後日の夜、つまりお前たちが出て行った直後にこの国の王が代わる」


「それまでの時間稼ぎ…あんたにしてはなかなか筋の通った仮説ね「その上から目線は何なの?身分とか関係なく人として失礼過ぎない?」


「であれば…攫ったのは教会の人間という事に…」


「アルヘナ・ミラーというアルト声が素晴らしい女よ、俺の仮説はどうなんだ?お前は今、教会に身を寄せているのだろう?──俺はお前が一番怪しいと思っているんだがな」


「そんなっ!どうして私が──」


 以前の投票の場が思い出される、あの異質な空間、狂わないと正気を奪われてしまう嫌な部屋の空気感を。

 けどここは現実だ、もう人狼ゲームの中ではない、ヒルドが私を庇ってくれた。


「ミラーさんが計画に加担してるって?それはないわ、だってこの人私が胸倉掴んだ時ひどく怯えていたもの」


「──そうなのか?」


「そうよ、仮に教会が企んでいたとしてもミラーさんは関係ないんじゃない?」


「は、はい、そんな話は聞いたことがありません。それにリゼラさんは身内がいない私たちのことを思っていつも傍にいてくれましたが怪しい動きは取っていませんでした」


 分が悪くなってきた元国王陛下がそれでも怪しいと言い募るが、


「私はウルフラグで参謀室、所謂諜報に携わっていました、そんな私から見てもリゼラさんは白だと断言できます。何度かお手紙のやり取りはされていましたがそれはずっと前のものです」


「うう〜ん…そうか、こんなタイミングでコクアの足止めをするのは教会しかいないと思っていたんだが…」


 ヒルドが凛々しい眉を愉快そうに持ち上げ、考えが外れた国王陛下に向かってこう言った。


「あら〜国王陛下様の宝刀、確かに鋭い切れ味をお持ちのようですね〜誤ってご自身の頭も切って落とされたのではありませんか?「お前…人を馬鹿にする時だけ敬語を使うのマジで止めろそれムカつくから」


 私たちは暗礁に乗り上げた、一体誰がカゲリちゃんを誘拐したのかまるで分からない。


「ねえ、誰も訊かないから私は訊くけど、何であんたがこの話に絡もうとするの?何の得があるのよ」


 物怖じせず(物怖じせずと言って良いのか)タメ口でヒルドが国王陛下に尋ねていた。


「んなもん、これからの為に決まってるだろ。俺は国王ではなくなった、晴れてただの一般市民だ、今のうちにあちこちに恩を作っておきたいからだよ」


「何も晴れていないと思うのですが…」


 国王陛下がナターリアの苦言にあっけからんと答えた。


「国王と言ってもやる事なす事全部が決められている、自由が無い。だが、これから何でも自由にやれる、自分の思った通りに生きられる。国民投票が決まった時は愕然としたが、ああこれで俺は自由になれるんだと思うと気が晴れてな、それで今はあれこれ手を付けているんだ」


「それでカゲリを助けようって?」


「そうだ、それだけの理由だよ、その女と大して変わらん「今すぐ出てって」え?何で?「何か気に入らないから」ひどくない?男子差別過ぎない?」


 国王陛下の参列理由が分かったところで本題に戻った。


「さてだ、カゲリとやらを誘拐した人物、あるいは組織についてだが…うう〜ん…分からん「つっかえ」それどういう意味なんだ?「使えないっていう意味「話は聞かせてもらったわ」


「!」

「!」

「!」

「!」


 す、凄いタイミングで入ってきた...

 その人はカウンターにいた女性だった、私たちの前に立つと被っていたフードをぱさりと取った。


「グガランナさん!何でこんな所に…」


 グガランナ・ガイア、セントエルモ・コクアの副責任者を務める絶世の美人、のはずなんだけどあまり覇気がない、それに薄らと鼻先が赤みがかっていた。

 ガイアさんが別のテーブルから椅子を運び、ナターリアさんとヒルドの間に無理やり座った。


「アマンナがいけないのよ…アマンナがお酒の話をするからあの人の事を思い出してしまって…それでお酒を呑もうと思って一人で寂しくお店に…「それ聞かないと駄目なやつですか?今取り込んでいるんですが」


 ヒルドの情け容赦ない突っ込みでガイアさんが突っ伏した。きっと寂しかったんだろうけど...確かに今は迷惑だった。



 復活したガイアさんの提案で暗礁に乗り上げていた救出作戦に光明が見えた。


「子機を投入する?」


「ええそうよ、何かの為にとラハムをしこたまバハーに積んできたから。ラハムはドローン型で自動航行が可能、それからカメラも搭載しているから一度に広範囲を調べることができる」


「それならば確かに…カゲリを誘拐した犯人もそう遠くへは行っていないはずですし…」


「そうとなればすぐに決行しよう。何らかの目的があって攫ったんだから本人は無事だと思うが救出は早い方がいい」


「全くその通りね、すぐに開始しましょう」


 ガイアさんの言葉にヒルドが弾かれたように立ち上がるが、ちょうど注文した品を届けに来た店主と危うくぶつかりかけていた。


「気ぃ付けろっ!」


「そっちこそ!」


 カウネナナイには謝罪するという文化が無いのだろうか。


「ヒルド待ちなさい」


「だって!そのどろーんってやつを早く取りに行かないと!」


「その必要は無いわ。私を誰だと思っているの?」


 そう言ったガイアさんがふっと目を閉じ、そしてすぐに開いた、その時間は一〇秒にも満たないごく僅かなものだ。


「──全てのラハムを起動したわ、これで終わりよ、後は街中をくまなく捜すだけ」


「え!すご!私初めてグガランナさんのこと凄いって思いました「ひ、ヒルド…もう少し言葉を選んで…」


 私たちが注文したのは飲み物だけ、あまり綺麗には見えないコップにはとろみがついた液体が入っている。後から合流した国王陛下が食べ物を注文していた。

 私たちのテーブルが途端に賑やかになった。


「そういえばお前はマキナだったな。実に便利なものだ、物理的な距離が皆無なんだから」


「当然よ。それに起動したラハムたちにカゲリの人相をインストールさせたから映像を検める必要もない、発見した時にアラートで教えてくれるわ」


「すご!これならグガランナさん一人だけで…」


「それは無理よ、見つけた後救出するのは私たちの仕事なんだから」


「だな、だから今のうちに腹ごしらえをしよう。──っておいジジい!こっち来い!」


 急に国王陛下が怒鳴り声を上げたものだから皆んなが驚いた。

 店主が怒気をはらんだ状態でやって来た。


「ああ?何だ?」


「てめえの汚ねえ髪の毛が料理に入ってんじゃねえかっ!」


(あ!この人凄く良い人!)


 そう、私がカウネナナイで住むようになって一番参ったのがこれ、衛生観念の低さだ。

 髪の毛なんかまだ良い方で(いや全然良くないけど)酷い物では虫の死骸や生きている虫も入っている始末。カウネナナイの人は「洗えばいいだろ」の精神で全く気にしないのだ、それが一番理解できなかった。

 以前、この事をリゼラさんに伝えると「あなたのせいで外食ができなくなったわ」と何も解決に至らなかったばかりかこちら側に巻き込んだことがあった。


「だったら何だ取れば良いだろうがっ!」


「それで俺らが腹痛おこしたらどうすんだ責任取ってくれんのかよっ!」


「んなもん誰も気にしてねえだろうが!細かいこと言うんだったらそもそもうちに来るんじゃねえっ!」


「この二人が見えないのか?!ウルフラグ人だぞ!髪の毛が入った料理が出てきたって馬鹿にされてえのかっ!だから野蛮人だって言われんだよっ!悔しかったら綺麗なもん出しやがれえっ!」


「何でそこまでしなければならねえんだよ!こっちに何の得があるってんだ!」


 ずっと怒鳴り声を上げていた国王陛下がすっと声音を落とした。


「これからウルフラグの人間もここへ来るようになる、その時になって困るのはてめえだ。綺麗な店だって思われた方が後々得だぞ?客商売してるんなら誰だって自分が一番儲けたいって思うだろうが」


「──ちっ。ちょっと待ってろ」


 おお...店主が料理を替えてくれるようだ。

 私は素直に感謝した。


「ありがとうございました」


「良いって。お前、手をつける素振りが一切無かったからな」


 カウネナナイ人という括りは大変失礼だが、ヒルドとナターリアさんは何故私がお礼を言ったのか不思議そうにしていた。


「何か気になることでもあった?」


「その…向こうとこっちで出される料理に違いがあって、それで正直困ってたの」


「何に?」


「髪の毛とかはまだ良い方で、その、虫とか」


 と、言っても二人は首を傾げている、そんなの当たり前だと言わんばかりだ。

 国王陛下も私の意見に賛同してくれた。


「俺も向こうの食べ物を食べる機会があったんだがな、一つずつ梱包されているお菓子には感動したよ。こっちのお菓子と言えば木箱にまとめて入れられているだけ、木屑やら使った材料の殻やら入ってて当たり前だった」


「そうなんですね」


「ああ、昔は俺も気にせず自分でゴミを取って食べてたんだが一度気になるともう駄目で食べられなくなってしまった。カウネナナイは衛生観念が低い、ゴミが入って当たり前ってよくよく考えたらおかしい」


「そう…かなあ〜気にしたことないけど」


 分かってもらえないもどかしさからつい力説してしまった。


「私も冷たい料理とかなら何とか我慢できるんだけど…スープとか温かい物に虫が入ってるともう駄目で、何かこう…虫の体液とかエキスとかがスープに滲み出ているような気がして…」


 これはリゼラさんにも伝えた話だ。

 聞いた二人も途端に眉を曇らせた。


「言われてみれば…」

「確かに…」


「おい…止めろよ、これ以上気にさせるなよ…何も食べられなくなる…」


「す、すみません…」


 そこへ店主が替わりの料理を持って来たものだから暫くの間誰も手を付けようとしなかった。



✳︎



「どう思う、リヒテン」


「ヴァルキュリアの目的が分かりません。確かに奴らはノラリスを狙っていた節がありましたが、母国を敵に回した今の状況で何故鹵獲したのか…」


「もしかしたら彼らはウルフラグも射程に収めているのかもしれない」


「そんなまさか、世界征服をしようとでも?」


「そんなまさかと可能性を切って捨てた者から死神に狙われる、停戦協定は既に破られたと見るべきだ」


「肝に銘じておきます」


「それに加えて機関トラブル、ここはもう戦場だよ。信頼する士官には伝えておけ、いつ戦闘になるか分からないと」


「了解しました」


 敬礼をして艦長室を出る。

 艦内は静かなものだ、それは決して他国の海で息を潜めているからではない、ここに来て艦の機関室でトラブルが発生したからだ、それも全艦。

 我々は真っ先にカウネナナイの兵器を疑った、そうでもなければこんな大規模な攻撃は仕掛けられないはずだ。

 それに加えてコクアに随伴しているバハーから寄せられた報告、先日緊急起動を果たしたノラリスがヴァルキュリアに鹵獲されてしまったのだ。

 ノラリスがオートモードで発進した理由も目的も不明、そもそも機体自体が不明の産物であるため捜査も調査も困難だった。

 これらが偶然に起こった出来事だとは思えない。


(我々は無事に帰れるのだろうか…)


 その答えを知っているのは戦場に潜む死神だけだった。



✳︎



 ミラーさんが変な事を言うもんだから誰も手を付けようとしなかった料理を皆んなで何とかたいらげ、ウルフラグの外食事情を聞いていた時にグガランナさんが突然私にぶつかってきた。


「あ痛!〜〜〜何なんですか突然」


「ご、ごめんなさい、つい…」


「ついで人に頭突きします?」


「ドローンが撃たれた、映像を確認している時にね、だからつい避けてしまったの」

 

 ドローンが撃たれた?つまり相手は銃を所持しているということ?


「銃を持っているのか?ということは…機人軍?場所は何処なんだ?」


「街外れにある馬車の乗り合い場よ。ラハムから報告があって最終確認のためにドローンを近づかせたのがいけなかったみたい」


「それはカゲリで間違いありませんか?」


「ええ、本人だったわ」


 ガルディアが椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げながら言った。


「そうか〜当てが外れたな〜この五人ならチート無双できると思ったのに「おい」凄腕の剣士二人にガンナーが一人、それからマキナが一人に国内随一の頭脳を持つ俺ら五人組ならどんな貴族だろうと兵士だろうと一瞬で制圧できると思ってたのに「ふざけるんなら今すぐ帰って「褒めても駄目なの?」


 フードを被ったガルディアが胡乱げに、けれどどこか楽しげにしながら私を睨んできた。

 こいつも私たちが来るまで独りだったのだ、良く喋るし良く飲む、きっと寂しかったのだろう。

 ──そんなテーブルにミラーさんが一石を投じた。


「あ、あの、真面目にやりませんか、私はカゲリちゃんの事が心配です」

 

「………」


 ぽかんと頭を叩かれた気分になった、そういえば、こうして五人が集まったのはそのため、決して団欒するためではなかった。


「私もガイアさんの報告を聞くまで、国王陛下の言う通りチート出来ると思っていました。私も護身用のハンドガンがあります、けれど向こうもそれは同じ事、この五人でも厳しくなったと思います」

 

「だな」


 ガルディアが真面目くさった声でそう言い、皆んなの表情が引き締まった。


「ガイアさん、馬車はどちらに行きましたか?」


「ルヘイ側の港、前回ヴァルキュリアに一時占領された所よ」


 泥縄で集まった五人の勇士たちが動いた。


「──一先ず私たちも向かいましょう、作戦会議は馬車の中で」



✳︎



「もう大丈夫ですよ、長い間良く頑張りましたね」


 診療所の先生からそう言われ、ようやく私は退院することができた。

 一月以上お世話になった診療所の入り口前で私は礼をし、皆んながいる館へ向かって歩き出した。


(うん、体の調子は良さそう)


 しっかりと地面を踏む足の具合いを確かめる、少し覚束ないが仮想世界と違ってふわふわとした感覚はなかった。

 あの世界の事は今でもたまに考える、一体何だったのか、とか、マカナは元気そうだったな、とか。

 それに私を殴ったオーディンという人も決して悪そうな人ではなかった、最後は「俺に指を差せ」と言い、皆んなを助けようとしてくれた。

 けれど、一番感謝しているのはお母さんだ。お母さんの事を考えると胸が苦しくなって、それと同じくらい暖かくなる。


(ほんと乱暴な人だったけど…優しい人だった)


 王都の診療所は王城へ続く坂道の横手、一本の並木道の先にあり、その途中を歩いていた私は夜空を飛ぶ変な鳥を見かけた。


「………?」


 確かに何かがいる、満月の明かりに照らされた黒いシルエットはおよそ鳥らしくない。


「人の形…?──わっ」


 まじまじとその鳥を見ていた私の元に、鳥らしくない動きですうっと下りてきた。

 目の前で浮遊しているのは鳥なんかではなく、可愛らしい人形だった。


「何これ…」


 その人形の足元にはぶぅんと低い回転音を発している機械があり、そのお陰で空を飛んでいるようだった。

 人形がくるりと私の回りを一周し、傍を通った時ふわりと風が舞った。

 

「──あ」


 そして再び目の前に戻ってきた時、人形がすうっと飛び立ってしまった。

 首を傾げながら並木道を渡り、街中まで戻ってくるとそこかしこの空に、同じような人形が飛び回っている光景を目の当たりにした。

 街の人たちも人形の存在に気付いており、小さな子供たちも夜も遅いというのに駆け回っていた。


「星人様のお恵みだ!」


 そう街の人が言い、大人も子供たちに混じって空飛ぶ人形を追いかけ回していた。

 ミサの日にも関わらず騒がしい目抜き通りを歩き、皆んながいる館まで戻って来た。


「なんかそんな気はしてた」


 空飛ぶ人形が私たちの館まで来ていた、ただ先程直近で見た人形と違うのは一本の紐が垂れ下がっているのである、そしてその先には何やら括り付けられていた。

 私が玄関前に立つとその人形がすうっと下りて、


「コクアカラノプレゼントデス」


「喋った!」


「シャベリマス。コレヲアナタ二」


 紐の先に括り付けられていたのはウルフラグの甘い甘いお菓子だった。



✳︎



 話長え...


「だからだな、私は生まれた子供にはってまだ気が早いと思うが軍人だからいつ何が起こるか──」


 軽率だったと言わざるを得ない。

 ヒルドちゃんの部屋へ行く前に私はアリーシュさんへ訊いてみたのだ、「何か良い事でもありましたか?」と。

 そしてそれから約二時間、アリーシュさんはひたっっっっっっっっすら喋り続けていた。

 ヒイラギさんに告白されて、晴れて恋人同士になったようだ。

 それは分かる。


(きっと誰かに喋りたくて仕方なかったんだろうな)


「彼の事だからきっと夜の情緒は─「あ、ちょっとお手洗いに…」


 夜の情緒て。

 アリーシュさんの部屋からまろび出る、このままヒルドちゃんの所へ行こうと迷うが先にお手洗い済まさねば。

 二階から一階に下りるとちょうど誰かが帰ってきた。


「──アネラ!アネラ?退院は明日じゃなかったっけ?」


 長い入院生活をしていたアネラだった。


「うん、だけど退院して良いって。先生にも明後日ナディたちが帰るって話をしたら診察を早めてくれたの」


「そっかそれで…ん?何でそんなの持ってんの?」


 アネラが胸に抱いていたのは懐かしいドローン型のラハムだった。



✳︎



 スルーズ様が悪い、私に至らない所があれば仰ってくれたら良いものを──。


 ──話しかけてこないで!


(ああ…全てが憎い…スルーズ様を連れ去ったバベルという男も、スルーズ様と仲違いしたレギンレイヴ様も、何も教えて下さらないオーディン様も、全てが)


 何より妬ましいのは──。


「静かになさい」


 連れ去った子供が床の上で啜り泣いている、それすらも煩わしかった。

 注意してようやく静かになる。余程私に怯えているのか、かけた麻袋が細かく震えていた。


 ──話しかけてこないで!


(泣きたいのは私の方だというのに…)


 ヘカトンカイルが操る馬車が港町へ向けてひた走る。ルカナウア・カイの街道は比較的に整備されているから揺れも少ない、それでも時折石を踏み付け町から徴収した古い馬車が悲鳴を上げていた。


 ──話しかけてこないで!


 ああ...全てが憎い、スルーズ様をあんなに醜く変えてしまった周囲の人間が憎い。

 

 ──話しかけてこないで!


 私はただ、御身を思い声をかけただけなのに。それだけなのにあの仕打ち。


 ──話しかけてこないで!


 ──話しかけてこないで!


 ──話しかけてこないで!


 脳裏にこびりついたスルーズ様の声に心が抉られる、何度思い返しても一向に慣れるようなことはない、地獄だ。

 

(あの黄金色の瞳を取り戻さなければ…)


 また啜り泣きを始めた子供に向かって声をかけた。


「事が済めばすぐに釈放します。五体満足で帰りたければ静かになさい」


 子供がぴたりと泣き止んだ。



 以前王都へ奇襲を仕掛けた際、ルヘイ側の港町を占拠したフロック様が私たちの活動拠点の為に一件の家屋を残してくれていた。

 そして私は身分を詐称し王室の人間として町に忍び込み、町の人間たちから何ら疑われることなく出入りをしていた。

 町に到着し、入り口に置かれた乗り合い場でロープを掛けている時に声をかけられた。


「やあやあ、遅くまでご苦労さん」


「今晩は」


 そう挨拶を交わす、怪しまれぬよう抉られて痛む心を無視して笑顔を作った。


「リリスは何か聞いていないかい?今王都が大騒ぎだそうじゃないか」


「何の騒ぎですか?」


「星人様のお恵みが家々を回っていると御者仲間から聞いたんだ!それもとびっきり美味しいお菓子と一緒に!羨ましいね〜」


「きっとあなたの家にも参りますよ」


 そう言うと、声をかけてきた男性が嬉しそうにしながら去って行った。


(星人様が家々を──そうか、あのドローンが…想定よりも動くのが早い)


 それもお菓子付きで、上手い事やるものだ。

 私が王都で撃ち落としたドローンは間違いなくコクアが所有しているものだ、あれに手を出したのはさすがにまずかったかもしれない。

 港町は浅瀬の沿岸部に築かれており、横にうんと長い、町の入り口からその全貌を見渡すことができた。

 遅い時間帯ということもあり人の姿もまばら、家屋の明かりもちらほらと点いている程度だった。

 人に扮したヘカトンケイルに子供を運ぶよう指示を出す、馬車に揺られている間ずっと泣き続けていた子供は今は静かにしていた。


「…騒いだら承知しません」


 子供の耳元でそう囁く、また麻袋が細かく震え出した。

 途中、何度か町の人とすれ違うことがあったが皆、私を"王室のリリス"として挨拶を交わす程度でヘカトンケイルが抱えた麻袋に関心を示すことはなかった。

 潮風でひどく痛んだ家屋が並ぶその角、昔は公館として居を構えていた家に入る。

 誰もいないはずの家である、しかしリビングの明かりが薄暗い玄関先から分かった。

 私は怯えることなく、寧ろ溜め息を吐きながらリビングに入った。


「フロック様…来るなら事前に連絡を下さいませ」


「やあやあ、遅い時間帯までご苦労さま」


 どうやら町の人とのやり取りを見ていたらしい、真似た口調でそう挨拶をしてきた。

 ヘカトンケイルに子供を地下室へ運ぶよう指示を出し、そのヘカトンケイルが去ってからフロック様が言った。


「突然ヨトゥルが外泊申請を出したから何事かと思って付けてみれば…本当に何をやってるの?子供が趣味だったの?別に止めないけどさ」


「違います」


 フロック様はナツメという女性と一緒になってから途端に性格が変わってしまった。昔はひどく怯えた様子で常々過ごしていたのに、今では底抜けに明るい雰囲気を放っていた。


「じゃあ何?」


「これは一重にスルーズ様のためです。スルーズ様はナディ・ウォーカーという方と懇意にされていましたから、その従者を攫えば国内からの脱出にいくらかの妨げになるかと」


「ああ、そういう理由…確かに最近のスルーズは変だもんね、ボクも見てらんない。でも大丈夫なの?たかが従者一人のために作戦を遅らせるのかな」


「それは貴族様だけの話で、彼らはウルフラグの民です。それも子供とあらば何かしらの対策を講ずるはずです」


「で、その間に白羽の矢が立っている時期国王も攫うと」


「はい、スルーズ様のためです」


 ヴァルキュリアでもセントエルモ・コクアの動きは監視していた、王都を襲撃し、必ず本国の軍が動くと睨んでいたからだ。

 現にカウネナナイの領海船上でウルフラグの艦隊が停泊している、きっとカウネナナイ国内にいるコクアのメンバーたちと連動してその時を待っているのだ。

 フロック様の考えではコクアのメンバーたちが国内から退去する事も、スルーズ様の態度が変化した一因ではないか、との事だった。


「ライラ・サーストンって人にも何故だか文句言われてたからね〜あれは可哀想だった。それにその人も時期国王の名前を口にしていたし、まあ、ヨトゥルがその人を連れて来たらスルーズの機嫌も良くなるかもしれない」


「はい、その為に人攫いをしてきましたから」


「ボクも手伝おうか?」


「いいえ、これは私が始めた事です、お手を煩わせるつもりはございません」


「そう、ならボクは影ながら応援しておくよ」


 そう言って、軽やかな足取りで去って行った。



 満月が望む海面には夜の漁に勤しむ船が浮かび、夜空には冷たい女王に侍る雲が揺蕩っていた。

 静けさと寂しさが同居した景色を眺めながら私は支度を済ませ、子供の為に用意した食事をヘカトンケイルに渡した。

 インプットした時間になれば自動で配膳する、それ以外の行動は決して取らない、だから信頼できる。

 人のアウトプットはまるで予測できない、だからフロック様の申し出を断った。決して使えない方ではない、優れた諜報活動に情を挟まない判断力を持ち合わせている、それでも私は予測できない人を自らの作戦に介在させるつもりはなかった。

 その点スルーズ様は違った、いつも私に微笑みを向けて下さった、どんな時でも予測を裏切ることはなかった、だから信頼していた。


 ──話しかけてこないで!


「ああっ…」


 フラッシュバックした強烈な痛みが胸を苛み、地下室へ続く階段の途中でしゃがみ込んでしまった。きっと貯蔵庫として使われていた地下室の階段の隅には、魚の干からびた鱗と埃が溜まっていた。

 出動したスルーズ様たちが不明機を鹵獲して帰還した時だった。私のような下人の立場であるにも関わらず、お声をかけるのは些か不遜かと思い、それでも御身を慮ってのことだったのに...


 ──話しかけてこないで!


 冷たい女王など歯牙にもかけぬあの絶対零度の瞳、そこに黄金色の暖かさは無く、拒絶の色があった。そうか、私はやはり好かれていなかったのだと思い知らされ、何と自分は愚かしい存在なのだとその場で恥じた。

 私に追従しているヘカトンケイルはその場で立ち止まったままだ。階段にしゃがみ込んだ私を追い抜くことなどせず待機している。

 ──人もこうあればといつも思う。


[ヨトゥル、少しマズいかもしれないよ]


 地下室からリビングに戻った時だった、そうフロック様から通信が入った。


[何か起こったのですか?]


[王都から来た怪しい五人組みが子供が入りそうな袋か箱、どちらか抱えている人を見かけなかったかと家を回っているらしい、町の人が気を付けろって教えに来てくれたよ]

 

[構いません、ヘカトンケイルを置いていますから]


 窓の外に視線を向ける。先程までいた船も雲も何処かに姿を消し、冷たい女王だけが海面に望んでいた。


[それがね〜ボクも遠目から五人組みを観察したんだけど…ヒルドと同じ身のこなしをする人がいたんだよ]


[それは本当なのですか?]


[うん、もし仮に本物だったらヘカトンケイルでも抑えるのがやっとだと思う。他には足を痛めている剣士が一人、銃を所持している人が一人、サーモグラフィーに反応しない人が二人、これはおそらくマキナだ、どんな隠し玉を持っているか分からないよ]


[こうも早くに対応するなんて…甘く見ていました]


[よっぽど大事にされているみたいだね。夜釣りも終わったからこのタイミングで船を出すのも怪しまれるし、空も晴れているから月明かりもよく届く]


[そんな事は分かっています]


[ちょっと旗色が悪くなってきたんじゃない?そこで提案なんだけどボクも一枚噛ませてよ]


[………]


 ──そこへ、来客があった。

 町の人間か、その五人組みか分からない、ヘカトンケイルも監視に付かせていないので家の中からでは知ることができない。


[……そのお話、お受けします。申し訳ありませんが今来客がありました、フロック様の方で確認できませんか?]


[オッケー。………大丈夫、町長だよ]


 リビングから玄関へ向かい、扉をそっと開ける。フロック様の言う通りこの町の長を務める人物だった。


「悪いね、こんな夜遅くに。怪しい奴らが町を練り歩いているみたいだから、気を付けてね」


 私は咄嗟に嘘を吐いた。


「……お願いがあるのですが、その者たちを町の外へ追い出してはいただけませんか?きっと、私が狙いのはずです」


「君が?それは一体どうして?」


「今日、王都から投票用紙を持ち帰ってきたのです。おそらくその者たちは現国王の票を奪い、明後日に控えた崩冠式を無くす企てではないかと…」

 

「そういう事か…分かった、自警団に連絡しよう」


「感謝致します」


 人の良さそうな笑みをした町長が去り、夜通し見張りを立てている自警団の家へ向かって行った。

 そっと扉を閉じる。


[良い気転だね、これなら時間を稼げる]


[はい。ですが、私はこの町に居られなくなりました、きっと明日には嘘だったということが発覚するでしょう]


[思い入れでもあるの?この町に]


[ありません]


[ならいいじゃん。──自警団が動いた、パッと見て二個小隊だね、あれなら多対一で相手を抑え込めるでしょ。──早速捕まったみたい、そりゃ町の大通りを歩いていたらすぐに見つか──ん?ん゛?!]


[…フロック様?]


[マズいよあれー!ガルディアだ!ガルディア・ゼー・ラインバッハがいるんだけどあの中に!]


 さすがの私も声を荒げた。


「何でそんな所に元国王陛下がいるのですか?!」しかも地声で。


[これ手出しできないよ〜明後日に式を控えた人にさすがに乱暴できないでしょ〜]


[他の者たちは?皆フードを取ったのですか?]


[取ってない、フードを取ったのは国王陛下だけ!──げ!マズい!一人いなくなった!町長もいないよ!]


「!」


 してやられた!いや、私の気転がまずかった!

 またすぐに来客があった、今度は激しいノック音だ。何度も何度もしつこく叩いてくる、まるで私が犯人だと言わんばかりに。

 そして扉の向こうから町長の慌てた声が届いてきた。


「リリス!リリス!き、君は本当に王室にいるのかい?!そんな名前は知らぬとガルディア様が仰っているが?!ここを開けてくれ!」


 誰が開けるものか!

 地下室へ急ぐ、階段を駆け下りて子供を幽閉している倉庫の扉を開け放った。

 

「っ!!」


 猿轡(さるぐつわ)を噛ませた子供が大きく目を見開き私を見ている、それに構わず抱え上げ、下りた階段を今度は駆け上がる。──が、扉を蹴破る音が。


「──出て来なさいっ!カゲリがここにいるのは分かってんのよっ!」


 この声はっ!

 

[フロック様!ヒルド様です!本物がいました!]


[げえっ〜〜〜!それ最悪じゃん!]


 ヘカトンケイルを先行させて時間を稼ぐ、階段から左が玄関、右にはリビングがあり裏庭へと出られる扉があった。私は玄関へ視線を寄越すことなく裏庭へ急いだ。

 背後から鍔迫り合いをする甲高い音が鳴り、数秒も持たずにヘカトンケイルが倒れる嫌な音も聞こえた。


(あの戦闘狂め!)


 子供、カゲリという女の子を抱えたまま扉を押し開ける。


「止まれ!」


「っ!」


 抜剣した女性が既に立っていた。

 こちらは子供を抱えている、何ら応戦はできない、斬られるのも覚悟でその女性に体当たりをした。


「くそっ」

 

 それが功を奏し、私は何とか女性から距離を取ることができた。

 子供の身を思ってのことだろう、フロック様の言う通り大事にされているようだ。


(こんな事なら一発ぐらい叩いておけば良かった!)


 ここまで来たら作戦は失敗だ、後はこちらが逃げられるまでせいぜい人質として利用するぐらいしかない。

 私の機体は裏庭のすぐ近くにある砂浜に光学迷彩を展開したままで駐機させている、そこまで辿り着ければ──と、突然子供が釣り上げた魚のように暴れ始めた。


「ちょ、何で今っ──ああもう下りなさい!」


「〜〜〜っ!〜〜〜っ!」


「はあ?!何で下りようとっ!しないのっ!あなたにもう用は無い!」


 え?どうして?どうして私から離れようとしないの?

 子供が器用に、両手足を縛られているのになかなか離れようとせず思うように走れなかった。

 裏庭から砂浜へ続く階段の途中で背後から銃声が鳴った。


「その子を離しなさい!」

 

 ちらりと窺った限りではカウネナナイの人間ではない、白い肌をした女性が銃を握っていた。その後ろには私が体当たりした女性と、ヘカトンケイルと戦って無傷で立つヒルド様もいた。

 万事休す、打つ手が何もない、このままでは私も無傷では帰れないだろう。

 だから!子供を手放したいのにこの子が全く離れようとしない!


「もう?!何?!どうして私から離れようとしないの?!逃げて良いと言っているでしょう!」


 口に噛ませていた猿轡を取る、子供が冷たい女王にも届きそうな大声を張り上げた。


「人狼〜〜〜〜〜!!!いや〜〜〜〜!!」



✳︎



「……………」


「ま、まあ…げ、元気出してちょうだい…」


「アルヘナのことは大変気の毒に思うがな、俺はそんな事よりも、そんな事よりもだ、俺はそんな事よりもだ!「何回も言うな」─ヒルド!お前がきちんとストーキングされていた事を話していたらこんな事にはならなかったんだよ!相手!ヴァルキュリアじゃねえかどうすんだよ!」


「だって言うタイミングなかったんだもん」


「あったわボケえ!いくらでもあったわ!あの店でめちゃくちゃ飯食ってたじゃねえかっ!何ならお前体力温存だとか言って馬車の中で眠ってただろ!」


「私だってびっくりしんてのよ!は?何でヨトゥルが?みたいな感じ?!何でヨトゥルがカゲリを攫うのよ!接点まるで無いじゃん!」


「知るかボケえ!……どうすんだよ〜こんなのカルティアンに何て報告すんだよ、お前の友達の部下がガキ攫いましたって素直に言うか?」


「それは駄目、今精神的に追い込まれているから言うのは絶対駄目、だから私もストーキングの件を言わなかったんだし」


「あ、なるほどね。──じゃねえわ!「国王陛下、漫才をするなら他所に行ってください」え〜…俺の立場が時間刻みで下がっていくんだけどこれどうしたらいいの」


 ガルディアがぎゃんぎゃん吠えるものだから、遅い時間にも関わらず町の人たちが起き出して何事かと遠巻きに眺めていた。

 見事カゲリの救出に失敗した私たちは自警団の建物前で円陣を組んで反省会をしていた、いや反省会とは言わないけど。

 ミラーさんはまた亡霊のような顔付きで視線を上向け、月をただボーッと見つめていた。カゲリに拒絶されたことが余程ショックだったようだ。


「誘拐犯に…誘拐犯に助けを求められる私って…」


「だから言ったじゃない、会ってもろくな事にならないって「いやお前が誘ったんだろ!」


 またガルディアが吠えた。

 

「ヒルド、お前皆に言うことがあるだろう、反省もできぬほど未熟ではあるまい」


 ガンギレナターリアがそう私に詰め寄る、ストーキングの件でお冠のようだ。

 あれは何を言っても怒られる、言い訳も素直な謝罪も立板に水だ。


「………うっす──あだあっ?!「…ふざけるな!!そんな謝り方が通用するのは体育会系だけだっ!!「そういう問題でもない」


「柄で殴りやがってえ〜〜〜頭が割れそう……悪かったわよ、黙ってて「お前ここでまでやらないと謝罪もしないのか「あんたもいちいちうっさいのよ!」


 ナターリアに殴られた頭を摩りながら私から切り出した。


「で?どうすんの、光学迷彩で隠してたけどフロックの機体もあった、さすがにチート勇士でも特個体相手じゃ分が悪いわ」


「そもそも何処に行ったのか探さないといけない。おい、曲がりなりにも戦乙女、単独行動をする時はいつもどうしていたんだ?」


「小型船に水中ハンガーを装着させて行動していたわ、だから二人もそうしているはずよ」


「小型船って…さすがにラハムでも広い海の中から見つけるのは困難だわ」


「お前通信は?もういっそのこと本人たちに連絡を取って「──あんたが持ってんでしょうが!私のコネクトギアと機体!できるか!」ああそうだった。……時間をかければ見つけられるが明日の朝になったらさすがにウォーカーも気付くぞ」


「何が何でも明日の朝までにカゲリを連れ戻す、これ以上ナディに負担はかけられないわ」


「助け出すから連れ戻すに変わっちまってるもんな〜何か変な事になってきたぞ…」


「あいつがきゃんきゃん吠えるから悪いんでしょ?!せっかく助けに来てあげたのに!フロックに邪魔されて!その間にヨトゥルが抱え直して逃げて行ったじゃない!」


 ようやくショックから復帰したミラーさんがど根性を見せた。


「…探しましょう、その船を、それしかありません」


「アルヘナよ、本当に悪いがお前は王都に帰った方が良い、俺たちが連れて来てやるから、な?その時に謝罪しろ」


「だ、駄目です、それだと人狼が待っている所にカゲリちゃんを連れて来ることになります、それでは私たちが誘拐犯になってしまいます」


「いやそりゃそうだが…」


「──待って、良い事思い付いた!」


「町の人たちにお願いして船を出してもらいましょう。今のヴァルキュリアは資源も乏しいからそう広範囲に移動はできないはずよ「お店で言ったこと根に持ってます?スルーしないでください」


「誰が体育会系のお前の話など聞くか、前世からやり直せ「今世ですらない!魂レベルで否定しないで!」


 こういう時は顔が効くガルディアの出番だ、いくら国王の座から引きずり下ろされたからといっても知名度はまだある。それを分かっていたガルディアも自分から名乗り出た。


「船を出してもらうなら俺の方から話をしてこよう、その方がまだ通り易いだろう「初めてあんたが役に立つって思った」じゃあ行ってくるからこいつを海に沈めておいてくれ」


 割とガチでナターリアが迫って来たので私はマジで逃げた。



✳︎



「じ、じんろうとは…それは一体何?」


「人狼は私を殺した悪魔の手下です…」


「いや…その、あなた生きているわよね?」


「いいえ、私は確かに仮想世界で殺されました…その時の人狼があの中にいたのです…」


「待って、仮想世界って言った?その時にスルーズもいた?」


「するーず…はい、いました、ナディ様と喧嘩していました」


 ヨトゥルと顔を合わせ、この子に聞かれないよう通信越しに会話をした。


[ヤバくない?スルーズもこの子のこと知ってるよ、絶対]


[それにその時からスルーズ様は…レギンレイヴ様だけではなくて懇意にされていた方とも…]


[その時からずっとストレスを抱えていたんだ、スルーズは…]


[そうだと知らず、私は何と愚かしい真似を…嫌われて当然です蔑まされて当然です生きていること自体が恥ずか[待って、そういうのは後にして]


「あの、何を話されているのですか?」


「!」

「い、いや、何でもないよ」


 声に出していないはずなのに...この子は目も良いし勘も鋭い。

 ヒルドや国王陛下たちの前から逃げたボクたちは部隊専用のクルーザーに避難していた。ボクとヨトゥルの機体は水中ハンガーに格納してある、いざとなったら即座に出撃できる優れものだ、戦いになってもまず遅れを取ることはない。

 けれど、ボクたちは厄介な問題に直面してしまった、この子が帰りたくないと言い出したのだ。こんな事ってあるんだね。


「ちょっとここで休んでてくれる?あ、冷蔵庫にある物は好きに食べていいからね」


「はい…」


 ヨトゥルを連れて操舵室に上がる、民間用ではないのでレーダーの類いでびっしりだった。


「どうしよう」


「どうしましょう、予想外過ぎて頭が追い付きません」


「もうこれ作戦は失敗って事でいいよね、後はどうやって処理して帰還するかだけど…」


「肝心のあの子が離れようとしない…」


「ここで始末する?その方が楽だし」


「…ですが、スルーズ様もご存知なのであれば始末するのは…」


「う〜ん──あ!いっそのことスルーズにお願いしてスルーズの方からあの子を向こうに返してもらう?」


 ヨトゥルが細かく、何度も首を振った。


「それは、それだけはなりません、あなたの為を思って攫った子供をあなたの手から返していただけませんかなんて死んでも言えません、それなら死んだ方がマシです」


「そうだよね〜ボクもそう思う」


 雲一つないお陰で夜でも明るい、海面に満月が反射してむしろ眩しいくらいだった。

 海から視線を戻すとヨトゥルがボクのことを見つめていたことに気付いた。


「何?」


「い、いえ…フロック様、随分と変わられたと思いまして…」


「ああ、子供から大人になったっていうやつ?そんな大した事じゃないけど」


「──ナツメ様と…そうだったのですね」


「ま、そんな事よりあの子だよ、何とかして向こうに帰さないとこのままじゃ帰還できない」


「まさか攫った子供をどう返すかに悩むだなんて…」


「とにかく王都の方へ向かおう、最悪ボートに乗せて島流しならぬ陸流しにすれば良い、ここで始末するよりまだマシでしょ」


「ええ、はい、ではそのように致しましょう」


 ボクたちがいる場所は港町からそう遠くない、良く晴れているお陰で小さな町灯りが見えていた。

 きっと捜索隊が出されることだろう、町の漁船は二〇隻にも満たないけど山狩りならぬ海狩りでもされたらすぐに発見されてしまう。

 船のエンジンをかける、すぐにトラブルが発生した。

 

「何?」


「嫌な予感しかありません…」


 コンソールに表示されたアラートの内容はスクリュートラブル、異物を噛んでしまったようだ。異物って何?


「この辺浅瀬じゃないよね」


「はい、現に水中ハンガーには何ら異常は認められません」


「何が噛んだんだ〜…」


 ボクとヨトゥルで甲板へ向かい、海面を覗き込む。ライトも必要ないぐらい明るい夜だ、何か得体の知れない物がびっしりと船に付着しているのが見えた。


「うえ〜気持ち悪い〜…ボク集合体恐怖症なのに…黒い物がびっしり付いてる…」


「あれは貝でしょうか…それにしてもこの短時間であれ程付着するでしょうか」


「きっとあれがスクリューにも付着してたんだよ。これめちゃくちゃマズくない?自走できないんなら艦に救難要請出さないと」


 とんと背後に気配が立つ、ボクもヨトゥルもびっくりした。


「それはおそらくシルキーではないかと」


「!」

「!」


 この子...


「し、シルキーって、ハフアモアの事?」


「はい、コクアの業務で回収していましたがそれと酷似しています」


「いやというか君、随分と流暢に喋るね、もう元気出たの?」


「はい、お二人のご厚意で元気が出ました。冷蔵庫の中は空になってしまいましたけど」


「ああそう…」


 素早くヨトゥルに通信を入れる。


[この子ヤバいよ、こんな状況で大食いできるなんて、とんでもない子供攫ってきたね]


[一発ぐらい叩いておくべきでした]


「元気が出たんなら向こうに戻れるんじゃない?」


「え、それは無理です、向こうには人狼がいますから」


 ヨトゥルのタメ口は珍しいなと思いながら、話しをするところを眺めた。


「もしかして君、私に怯えていたんじゃなくて…そのじんろうに怯えていたの?」


「はい、てっきり奴らの仲間かと思っていました。でもどうやら違うと分かって、さらに美味しい物までご馳走様になりましたのでもうご心配には及びません」


「いやそういう事じゃなくてね、私たちは君を向こうに返したいの、分かる?」


「ならどうして私を攫ったのですか?」


(おお…あのヨトゥルの顔が引き攣ってる…)


「そ、それはだからね、もう用が無いからなの…」


「どんな用なのですか?」


 さすがにボクも口を挟んだ。


「あのね君、一応ボクたちに命を握られてる今の状況分かる?分かるんなら船内で大人しくしててほしいんだけど、これでも君を大事にしてるんだよ?」


「攫ったくせに大事にするんですか?何がしたいのか私には良く分かりません」


 不覚にもカチンと来てしまった。けれど事を荒立ててもこの子に足元を見られるだけだ、グッと我慢する。


「……だ、だからね、色々と事情があってね、君を始末できないんだよ…」


 お澄まし顔で何を考えているのか良く分からない子供が突然変な事を言い出した。


「バターサンドクッキーを一箱」


「は?」


「何?」


「バターサンドクッキーを一箱いただけたら向こうに戻ります」


[何言ってんのこの子マジで意味分からないんだけど]


[ばたーさんどくっきーとは何でしょうか、それさえあればこの子は離れてくれるのですよね]


 段々と腹が立ってきた、傲岸不遜にも程がある。


「えっと…それは何かな?」


「ウルフラグのお菓子です」


「そんなの持ってるわけないでしょ!」

「そんなお菓子は持ってません!!」


「いえあります、ウルフラグの船、バハーという軍艦にあるはずです。日持ちもしますからきっとウルフラグの兵士が持って来ているはずです」


「盗みに行けって言いたいの君?!嘘でしょ?!」


「それならばここで私を始末しますか?そうなればきっとナディ様の耳に入ることでしょう、ヴァルキュリアがカゲリという従者を理由も目的も不明のまま殺したと。そうなったらウルフラグと全面戦争です、たださえカウネナナイの軍とやり合っているのにそんな余裕がありますか?」


「………」

「………」


「私、このような立場でもセントエルモ・コクアのメンバーです。ヴァルキュリアがウルフラグ人も所属するコクアの一人に危害を加えたと知れば…」


 ただでは済まない、この子はそう言いたいのだ。そしてその憶測が真実味を帯びていたから始末に負えなかった。

 この子の言う通りである。


[──ヨトゥル、手を切ってもいい?]


[フロック様!お願いします私を見捨てないでください!]


「……その、ばたーくっきーさんどというのがあれば君は向こうに帰るんだね?その、じんろうとか言う人がいても」


「そ、それは実際に会ってみないことには分かりませんが…はい。あとバターサンドクッキーです」


「どっちでも良いよ!」


 え〜?話がどんどんおかしな方向へ行ってるような気がするんだけど気のせい?今からボクとヨトゥルがウルフラグの船に忍び込んで、見たことも聞いたこともないお菓子を盗んで来いって?

 ヨトゥルが尋ねる。


「それはどんなお菓子なの?」


「お一つ差し上げます」と子供がヨトゥルに小さな袋を渡した。


「これが…そのお菓子、なの?」


「はい、良ければ召し上がってください、私が欲しがる理由が分かるはずです」


 凄い自信だな。

 ボクの視線に気付いた子供がもう一つの袋を取り出した。


「良ければあなたにも、どうぞ召し上がってください」


「あ、どうも…ってこれどこから?君こんなのずっと持ってたの?」


「はい、ヒルド様のお部屋からくすねてまいりました」


「君絶対ヒルドに殺されるからちゃんと謝っときなよ」


「大丈夫です、ヒルド様と毎日稽古をしていますから遅れは取りません」


 え、普通にヤバ。

 袋を破いて取り出したお菓子は初めて見るものだった。それは四角形をした物で、表面は薄らと焦げ目がついてキラキラとした小さな物が付いている、その間には白っぽい固形状の物が挟まっていた。

 先にヨトゥルが口にした。


「──!!」


 凄い顔、あのヨトゥルが目を見張っている。


「……美味しい」


「じゃあボクも食べようっと」


 毒味役をさせられた事にも気付いていないヨトゥルは味を堪能しているようだ。

 ボクも一口食べる。


「──!」


 え、何コレ…サクサクとした食感の中にほのかな甘みがあって、牛乳に近い濃厚な香りもあって...それらが舌先で溶け合い今まで口にしたことがない甘さがいっぱいに広がった。

 気付けば全部食べていた。


「…………」

「…………」


「これは今、私たちの間で最も価値が高い通貨として流通しています。これが一箱もあれば私は絶対の地位を確立したも同然です」


「………」

「………」


「どうですか?あと二つあります、もしバターサンドクッキーを取ってきてもらえるのであればそれもお二人に差し上げます」


「………」

「………」


 ヨトゥルと目を合わせる。


[フロック様…私、実を申しますと…]


[分かる、みなまで言わなくていい、甘い物に目がないんでしょ?]


[はい…]


 ボクはこう言わざるを得なかった。


「これ…もし二箱あったらその一つはこっちの物で良い?それならやってあげてもいいよ」


 傲岸不遜な子供がそのポケットから二つの袋を取り出した。


「交渉成立です。どうぞお受け取りください」


 ボクはもう考える事を放棄してそのお菓子を受け取った。

 だって、町の明かりに連なって横一直線に並ぶ漁船が見えてしまったから。



✳︎



 それはラハムがちょうどラハムにお菓子を括り付けている時でした。


「〜〜〜♪──警報!」


 そう、味方機ではないIFFをレーダーに捉えた時に発するアラート音です、とてもけたたましいです、この船が軍艦であることを思い出させてくれる音でした。 

 ラハムは急いでブリッジへ向かいました、ラハム作戦は一時中断です。


「ラハム到着しました!」


「よろしい!」


 今のラハムはただの乗組員です、先日プログラム・ガイアから依頼されオートモードで発進させたノラリスがそのまま野良の特個体に戻ってしまったからです、つまり帰ってきません、きっと暇すぎて家出してしまったのでしょう。

 だからラハムはコパイロットではなくただの乗組員になりました。

 ブリッジに常時待機している管制官が報告します。


「王都南部から機影二つ!真っ直ぐこちらに向かってきます!」


「スクランブル待機を命ずる!今は大事な時だ、全員気張れよ!」


「この機影はどこの所属でしょうか?カウネナナイの機人軍のものでしょうか?」


「いいや、おそらくヴァルキュリアだ、接近している理由は不明だがな」


 副司令官のお顔が強張っています、留守にしているスミスさんの代わりを務めようとその真面目な熱意が伝わってくるほどです。

 それから数分もしないうちに第二種戦闘配置が発令されました、出現した機影が進路を変更することなく向かってくるからです。

 さらに、セントエルモ・コクアのサポートだと言ってずっとナディさんのお傍にいたはずのグガランナさんから通信が入りました。


[ラハム!副司令官に伝えてちょうだい!今すぐ指定するポイントに特個体を向かわせてほしいの!]


[一体何が──いいえ!こちらでも機影を捉えています!やはりヴァルキュリアのものなんですね!]


[ええそうよ!コクアのメンバーがその二人に囚われているわ!私たちの目の前で水中ハンガーから逃げて行ったわ!]


 え?それでラハムたちの所に向かって来るのですか?何故?

 とにかく今はグガランナさんの要請です!


「副司令官!グガランナさんから救助要請がありました!指定するポイントに部隊を向かわせてください!」


「………」


「ふ、副司令官?」


 胃に来る一拍の後、副司令官が発令してくれました。


「特別有事を発令!第一小隊は直ちにスクランブル発進せよ!「─あ!五機でお願いします!」何だって?!五機?!──アルファシックスは待機せよ!」


 "特別有事"とはコクアのメンバーに危険があった際、その時だけカウネナナイの領空を無許可で飛行できるという特別措置の事を言います。

 副司令官の命令を受けた部隊がバハーの甲板に並び始めます、速度重視のため翼型のフォームを取っています。

 今回は無事に終わりそう──と思ったのがフラグの始まりでした。


[ラハム!副司令に狼の被り物は無いか聞いて!あったらそれも一緒に届けてほしいの!]


[………]


[ラハム?]


[え、それラハムが言わないと駄目ですか?]


 それに何と言いましたか?おおかみのかぶりもの?狼の被り物?


[あなた以外に誰がいるの!]


[え〜嫌ですぅ〜!この間のお爺ちゃんの事で大目玉を食らってノラリスも野に帰ってしまったのでラハム皆さんから艦内無職って言われているんですよ〜!これ以上ラハムの立場を悪くさせないでください〜!]


[人助けなの!必要な物なの!聞いて!お願いだから!]


[どんな人助けなんですか狼の被り物って今からパーティーでもするんですか?!]


[ナディを悲しませたくなかったら聞きなさい!カゲリを救うために狼の被り物が必要なのよ!]


「………ふ、副司令官…よろしいですか?」


「今度は何だ!」


 ラハムはお腹に力を入れて言いました、そうでもしないと言葉が出てきません。


「狼の被り物はありますか!グガランナさんが必要な物だからと一緒に持って来てほしいそうです!」


「…………あるよ」


 あるんですか?


「第一小隊甲板にて待機!今からラハムが装備品を届ける!それを受け取った後に離陸せよ!」


 え、本当にあるんですか?

 この後ラハムは備品室に走り、本当にあった『動物なりきりセット』を持って甲板へ向かいました!



✳︎



「フロック様、小隊が離陸しました」


「オッケー、機体を北西方面へ逃そう、その後ボクたちはスニーキングってことで」


「少佐、バーチャスミッションを開始する」


「ちょっと、あなたの為に今から危険な橋を渡るのよ?ふざけないで」


「いえ、師匠からの教えを守っただけです、こういう時はこう言えと」


「それ絶対ろくな師匠じゃないから今すぐ縁を切りなさい」


「嫌です」


 この子何なの?機体から海面へダイブした時は泣き声一つも上げなかったし、何なら水中ハンガーへ向かう時も文句の一つも言わなかった。私ですら嫌なのに。

 まさかこんな下らない事で潜入任務をこなすとは夢にも思わなかった。私たちの機体を囮にして捨て身のスニーキングミッション、通常であれば味方の援助と退路の確保を先に行なってからやるものである。

 それなのに私はカゲリをおんぶしてウルフラグの船まで泳がなければならない、埠頭の監視の目を掻い潜りながら深い位置にある桟橋まで──そこでふと、私の背に体重を乗せていたカゲリの体が軽くなった。


「どうかしたの?」


「──いえ、何でもありません。それよりも先を急ぎましょうヨトゥル様」


 ほんとにこの子は私が攫った子供なの?同一人物とは思えない。最初抱えていた時はあんなに震えていたというのに、今では私たちを指揮する司令官のようであった。

 冷たい女王に監視されながらウルフラグの船へ向かう、背にかかる小さな重さが負担になっているが不思議と心を軽くしてくれた。


 ──話しかけてこないで!


 自分から思い出してみてもさして胸を苛むことがない、一人でいた時はあれだけ苦しんだというのに。

 まるで私の心を見透かしたようにカゲリが話しかけてきた。


「ヨトゥル様はスルーズという方が好きなのですか?」


「……何故そう思うの?私からスルーズ様の話はしていないはずよ」


 先を行くフロック様の跡を追うように、少ない動作で王都の海を泳ぐ。


「だって、スルーズという方の話になるとヨトゥル様の表情がころころと変わるから。普段は能面と禿鷲の中間のような死んだお顔をされているのに」


「あなた喧嘩売ってる?」


「これはデフォルト設定です、慣れてください」


「あなたね…」


 不思議だ、本当に不思議だ、この無神経で傲岸不遜で敬っているのか馬鹿にしているのか分からない子と接していると心がどんどん軽くなっていく。


「……そうね、あなたの言う通りよ、私はスルーズ様を愛しています「重…」けれど、先日はスルーズ様を怒らせてしまいました。本当に不甲斐ないと思っています」


 ほんと、こんな冷たい海の中、任務でもないのに何をやっているんだろうと自分でも思う。それでもこの口は自重することなく動き続けた。


「その時の言葉が今でも頭から離れません、早く慣れないといけないのに「それはどうしてですか?」とカゲリが間髪入れず尋ねてきた。


「どんな言葉でも受け止めなければなりません、それが相手を慕うことだと捉えているからです」


 私に遠慮なく体を預けているカゲリが言った。──初めて会ったばかりだというのに、攫った本人だというのにこの子は私を信頼しているようだ。


「私はナディ様の機嫌が悪い時は近付かないようにしています」


「それは何故?」


「八つ当たりされるのが嫌だからです。どんなに優しい人でも怒る時はあります、逆に普段は怒りっぽい人も優しくなる時があります」


「それをあなたは不愉快に思わないの?私は嫌だわ、予測できない人の言動ほど我慢になりません」


「では──」カゲリの言葉にはっとさせられた。「ヨトゥル様は自分が次何を言うのか予測できるのですか?私にはできません」


「………」


「ヨトゥル様は潔癖なのですね、一つの不正解も許さないほどに、それではいずれ何も喋れなくなってしまいます。果たしてそれが本当に相手を慕っていると言えるのですか?」


「…………」


 冷たい女王が未だに私たちを監視している。

 けれど、また不思議にも、その満月を冷たいとは思わなくなっていた。


「私はナディ様が好きです、私に酷い事を言って、私の部下を殺したリン様を今でもお慕いしています。それは相手がこうだという自分の枠にはまっているからではありません、そうだと自分が決めたからです。誰を嫌うのも誰を好くのも全ては自分です、その方が自由になれます、ヨトゥル様」


「そうね…そうかもしれません」


 それは何故か、子供が持つ恐れを知らない"無邪気さ"に触れたからだった。



「カゲリ、私から離れないように」


「はい!」


「え、何その信頼、一体何があったの?というかここ、君の本拠地だよね?ボクたちから逃げないの?」


 無事に、本当に無事にウルフラグの船にたどり着いた。今は船の後方、近接防御火器が並ぶ甲板に私たちは身を潜めているところだった。


「フロック様の仰る通り、ここでコクアの方々に助けを求めたら私は無事にナディ様の元に帰還することができます。ですがここはウルフラグのお菓子が眠る宝物庫、どうしてそれを無視できましょうか「いや無視しようよ」もう既に交渉は成立しています、私を見捨てた時点はそれはもう契約廃棄、即刻ナディ様にチクってスルーズという方にあなた方の所業が耳に入るよう手を打ちますから諦めてください」


「そうですフロック様、ここはお菓子を手に入れるため尽力致しましょう」


「──ああもういいよ!さっさと盗ってさっさと帰る!」


 カゲリの小さくて温かい手を引き、物陰から出た途端だった。


「この音は…特個体のエンジン音!」


 私たちの機体に釣られて出撃したはずの部隊が再び戻って来た。

 私に手を引かれているカゲリが言う。


「やっぱり」


「やっぱりって何?!」

「やっぱりって何?!」


「いえ、先程飛んでいった機体の方角が南側でしたので変だなと。でも余計な事を言って中止になりたくなかったので素直に黙っていました」


「それ素直って言わないよ?!」


「自分の欲望にです──あたっ!」


「カゲリ!今度からはきちんと報告なさい!お菓子が欲しいんでしょう?!」


「欲しいです何でも報告します!」


「何か急に仲良くなってるけどとにかく急ぐよ!」


 甲板から船内へ侵入する。見張りの兵士も第二種に移行しているためか付近に存在しない、この瞬間が一番のチャンスである。


「お菓子が何処にあるのかご存知なのですか?!」


 走っているのに全く呼吸を乱していないカゲリがそうフロック様に尋ねる。


「艦の作りなんてどこも似たようなもんでしょ!」


 しかし、数分もしないうちに私たちは迷った。


「どうなってんのここ?!何で甲板の近くに備品庫がないの!」


「甲板の近くにあるものなんですか?」


「外で使う物が多いからだよ!移動と手間を省略して近場に置くのが普通なのに!」


 やはり軍の船である、即座に私たちの侵入を見抜いた。


[第一種戦闘配置!第一種戦闘配置!艦内に侵入者あり!甲板後方より侵入の形跡あり!付近にいる者は直ちに迎撃を開始せよ!]


「もう気付かれた!」


「お菓子をそんな所に置きますか?私は厨房の近くだと思うのですが」


 全く取り乱さないカゲリ、この子は本当に普通の子供なの?


(──いや、違うわ、この子もきっと幼い頃から戦闘訓練を受けているはず。売られたか捨てられたか…)


「え?食べ物だって戦う道具だから備品庫でしょ」


「それはカウネナナイだけの常識かと。私は備蓄庫にあると思います」


「──どっちでもいいです!とにかく厨房へ!」


 けたたましく鳴るサイレンを良い事に、私たちは何ら足音に気遣うことなく大急ぎで走った。

 

「良かった!分かりやすい所にあって助かった!」


 見つけた厨房へ飛び込む、幸い誰もいないようだ。

 カウネナナイもウルフラグも厨房は似たような作りをしており、すぐに備蓄庫を見つけてさらに飛び込んだ。

 そこには──。


「ああ!凄い!こんなに沢山のお菓子が!見たこともない物が……じゅるり」


「君が探しているお菓子だけだから!いいね!」


「カゲリ!どれなの?!」


「──あ!これこれこれこれ!これだ!これですこれ!」


 カゲリがそう言って指差した箱の中には、確かに渡された袋と同じ文字が書かれていた。

 沢山入っていた。カゲリが言うにはこの箱は『だんぼーる』と呼ばれるものらしく、軽くて丈夫なためウルフラグでは一般的に使われているようだ。そのだんぼーるが合計で四つほど、その中にびっしりとお菓子の箱が詰められていた。


「これ全部持てる?!」とカゲリが訊いてくる。


「一つは諦めて!君も持ったら全部で三つだ!」


 「よしきた!」と叫んだカゲリもだんぼーるを抱えるが、すぐに落としてしまった。


「ああ!私のお菓子が!」


「あなたは持てるだけにしておきなさい!ここで捕まったら意味ないわ!」


「早くして!」


 お目当ての物を回収し、備蓄庫から出た途端、


[侵入者はカウネナナイ人二人に未成年の子供一人!決して手出しはするな!コクアのメンバーが対応する!発見次第報告しろ!]


「な?!私まで侵入者扱いされてる?!」


「当たり前でしょ!」

「当たり前よ!」


 ただのコソ泥である。

 厨房から出た途端、ついに見つかってしまった。


「いたぞーーー!止まれーーー!その段ボールは置いていけーーー!」


 だっとこちらに駆けてくるウルフラグの兵士、私たちはだんぼーるを抱えているので全力疾走することができないしそもそもスニーキング中に全力で走るということ自体あり得ない。

 さらに艦内放送があった。


[こらあーーーっ!!ヴァルキュリアの二人っ!!ここにいることは分かってんのよさっさと出てきなさいっ!!]


「げ〜〜〜!」

「げ〜〜〜!」

「ヒルド様ではありませんか!」


 そう、艦内放送から聞こえた声はヒルド様のものだった。


「マジで?!あの五人組みヤバ過ぎでしょここまで来たの?!」


「あんな所に戻りたくないっ!」


「いやあなたの仲間でしょう?!」


 通路から甲板へ、もうここまで来たらあとはとにかく機体へ乗り込むしかない、光学迷彩を解除した私たちの機体が船の傍で待機していた。

 

「くっ!あと少しだったのに…」


 ホバリング飛行をしている機体のすぐ前、手すりに一人の男が腕を組んで待ち構えていた。

 

「ご苦労だった、実にご苦労だった」


 あれだけお菓子にご執心だったカゲリが手にしていた箱を全て落とし、私の腰にしがみ付いてきた。


「あぁ…ああっ…」


「カゲリ?!どうしたの?!」


「人狼…人狼…」


「じんろう?!あれがじんろうなの?!」


 その男は...頭だけが狼、そして体はオーディン様と同じ義体だった。上半身は生身のようだが下半身だけ鈍色の光沢を放っていた。

 男が言う。


「バベルの後始末だ、わざわざ仮想世界からこの俺様が直々にやって来てやった。カゲリよ、観念しろ、貴様は死ぬべき運命だ」


「あぁっ……いやぁっ……」


(この子だけでもっ)

 

 次の瞬間、


「──行け!手下ども!その子供を捉えてその場で食すがいい!」と狼男が宣言し、物陰から動物の被り物を被った三人の兵士が飛び出してきた。


「しゃあっ〜〜〜!」

「わ、わんわん!」

「がおっ〜〜〜!」


「あああっ〜〜〜!」


「ちょ──カゲリ!」


 見るからに馬鹿げているが錯乱状態になったカゲリが私から離れて走り出してしまった。そして、私たちが出てきた扉から一人の女性が飛び出して、


「カゲリちゃん!こっちへ!」


 港町で発砲した女性だ、確かカゲリは彼女に怯えていたように思うのだが、その人に抱きついていった。


「助けてえ〜〜〜!!」


「ああカゲリ!私の可愛い子供!「いや違うよ?!何言ってんの?!」


 その女性はカゲリを抱えたまま引っ込み、馬鹿げた兵士たちもその跡を追いかけた。

 この場に残ったのは狼男と私たちだけ、その男がやっぱり被り物だった狼の頭を脱いだ。


「──!」

「国王陛下!」


「貴様たちにはいずれ裁きの鉄槌を必ず下す、そうオーディンに伝えておけ。だがそれは今ではない、行け、その箱は迷惑料だ」


「え──ボクたちを見逃すんですか?」


「ああ、お前たちもあのガキに振り回されていたんだろ?それに王都襲撃の責は司令官が取るものだ。──いいからさっさと行け!俺の気分が変わる前に!」


 こうして、私たちはウルフラグの美味しいお菓子を抱えたままスニーキングミッションを完遂した。

 明るみ始めた夜空を飛び、大急ぎで母艦へ向かった。



✳︎



 太陽が昇り始めた空の下、私たち四人は大急ぎで館へ向かっていた。

 ミラーさんはウルフラグの船で何故だか拘束されていた、でも本人は不思議と安心したような顔をしていた、何故だろう?

 そんな事よりも今は館に帰還するのが先だ!それだというのにこいつと来たら!


「しゃあ〜〜〜って、ヒルド様は猫好きなんですね──あ痛!叩かれてばっかり!」


「当たり前だわ!誰のせいでこんな事になったと思ってんの!あんたがあの町で大人しく私たちに付いて来てくれたらこんな事にならなかったのに!」


「ヒルド!お説教は後よ!ナディたちが起き出す前に部屋へ戻りなさい!」


「そういえば何でこんな事をしているのか忘れていたよ」


「無駄口は後!」


「お前が言うな!」

「お前が言うな!」

「あなたが言っていい台詞じゃない!」


 しかし、


「──あ」


 館へ続くなだらかな坂を上り切った途端、皆んなの足が一斉に止まった。

 もう顔を覗かせた太陽の光りを浴びて、スミスさんとナディが門の前で立っていたからだ。

 あの門でミラーさんの胸倉を掴んだ昨夜が遠い昔のように思えた。


「お帰り」


「待っていたぞ、皆んな」


 そう二人が言うが私たちは誰も口を開こうとしない。


「ナターリアさんとガイアさんは私の元へ来なさい、言いたい事が海より沢山ある」


 それはヤバそうだ。

 肩を落とした二人を見送り、今度は私たちの番になった。


「来て」


「はい」

「はい」


 あれはアカンやつや。ナディは怒ると顔の表情筋が一切動かなくなる。

 私よりちょっと背が低いナディが腕を組んで仁王立ち、そして──。


「どれだけ皆んなに迷惑をかけたら気が済むのっ!!あなたの仲間が動物の被り物を被って船でどんちゃん騒ぎをしていますよと言われた私の身にもなって!!」


 カゲリが尋ねる。


「どうして分かったのですか?!」


「ドローン型のラハムが教えてくれたの!!バハーの皆んなが迷惑していますって!!」


「それはカゲリが悪いのよ!攫われたくせにミラーさんを怖がってヨトゥルに抱きついて!だから私たちが人狼になってこいつを脅してミラーさんに助けられるよう仕向けたの!」


「問答無用!!」


 ナターリアと同じ怒り方をしたナディが私とカゲリに一発ずつ拳骨を見舞った。


「カゲリちゃん、お腹に隠しているものを出しなさい」


「え!」

「え!あんた何持ってんの?!」


 頭を摩りながらカゲリが本当にお腹から箱を取り出した。


「あんたそれ──まさかあの二人を使ってそれをっ?!」


「だって!だってこれが欲しかったんだもん!」


「普通に頼めばいいでしょ!!」


「え、頼んだら譲ってくれたのですか?」


「そうだけどもう駄目。没収します」


「え〜〜〜〜!!!「没収します!!!」


 ナディに怒られても拳骨食らっても平気だったカゲリが、バターサンドクッキーの箱を没収されて初めて涙目になった。

 こいつ...将来は間違いなく大物になるに違いない、そう思わせるような一日になった。



✳︎



 黄金色の瞳が私を捉えている、恐怖でそのまま溶けてしまいそうだ。


「…………」


「あ、あの〜…スルーズ?「何?」


 謎にバレていた。帰還しだんぼーるを抱えて更衣室に走った私たちをスルーズ様が待ち構えていた。

 献上品だと言って渡しただんぼーるはスルーズ様の足元に置かれている。


「ど、どうしてボクたちが……」


 スルーズ様がすうっと息を吸い込み次の瞬間、


「小型船の反応が途絶えたから何事かと思ってみたら!!ウルフラグの船からあなたの兵士がお菓子を盗んで行ったから返してほしいと連絡が来たのよ!!」


「そ、そうなんだ…そ、それで…し、司令官にこの事は…」


「言えるわけないでしょこんな馬鹿げた話!!」


 一喝を終えたスルーズ様が声を落ち着け、そして当然の事を尋ねてきた。


「何でこんな事になったの?」


 そこから私とフロック様でひたすら説明した。

 聞き終えたスルーズ様はもう何度も被りを振った。


「そんな事のために…ヨトゥルあなたは…」


「申し訳ありませんでした、いかなる処分もお受け致します」


「す、スルーズ、ヨトゥルはこれでも君の機嫌を直そうと思ってやった事なんだよ。ね?」


 予想外の言葉が出てきた、まさか庇ってくれるなんて思っていなかった。

 もう、不愉快だとは思わなかった。


「…はい。それが子供の我が儘を聞く羽目になってあんな事に…」


「全く…いや全くじゃないけども、私たちの状況が悪くなる一方だけども。楽しかったの?」


「──は、はい?楽しかった?」


 何故そんな事を訊くのだろう、本当に人は予測がつかない。

 それは自分自身もそうだった。


「だってヨトゥル、子供の話をしている時は頬が緩んでるから」


「──そうですね、今思えば楽しかったのかもしれません。それに子供と触れ合うのも私は好ましいと感じているようです」


「攫ったくせに──いたっ」


 フロック様を嗜めたスルーズ様が言った。


「だんぼーるの一つは紛失したと言って一つだけ向こうに返します」


「え?」

「それは…」


「せっかく二人が持って来てくれたので一つだけ貰うことにします。それでこの話は終わり!はい解散!二人はさっさと寝る!」


 またあの優しい瞳で、けれどいつもと少しだけ違う色が混じった黄金色の瞳でそう言ってくれた。

 後日、そのだんぼーるに納められていたお菓子が艦内で通貨として扱われるようになる程重宝されるのだが、それはまた別の話であった。

※次回 2023/2/4 20:00 更新予定

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