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第107話

.ラッキーセブンの落とし前



 とくに使い道の無い貯金を切り崩して交換した最後のチップで、黒枠の四番と赤枠の七番の中央に置いた。

 ディーラーに説明された限りでこの賭け方は『スプリットベット』と呼ばれるものらしく、そのどちらかの枠にボールが落ちれば一八倍になって返ってくるらしい。


「あなたに幸運を」


 僕以外に客はいない、決してこのカジノが人気が無いわけではない。きっと不景気な面をしている僕のせいだ、そのせいでディーラーと一対一になってしまった。

 気休めの言葉と共に放たれたボールがくるくると円盤の上を回る。

 くるくる、くるくる、僕の人生もくるくる、くるくる。


(──いいや、人ですらなかった…)


 美人なディーラーが「ノーモアベッド」と静かに宣言した、これ以上チップを賭けることはできない、という意味らしい。

 くるくると回ったボールが見事、黒枠の四番に落下した。これで僕の賭け金が一八倍になって返ってくることになる。

 それなりのチップの山となってディーラーから返ってきた。──正直どうでも良かった。

 きっと気遣いで勝たせてくれたディーラーが自分の名刺を渡しながらこう言った。


「連絡してちょうだい。あなたのこと見ていたけど、放っておけないわ」


「ありがとう、気が向いたら連絡するよ」


 そう返し、名刺と賭けたチップ一枚だけを手に取り席を立った。



 もうほんと嫌、意味が分からなすぎて真面目に仕事をする気力すら湧かない。今日で無断欠勤をかまして何日目になるだろうか?一週間を超えた辺りから数えていないので分からない。

 以前も似たような事があった、それは保証局と僕とのやり方が合わなくて何日も自分の部屋に篭っていた時だ。あの時はダンタリオンも傍にいたのでここまで落ちることはなかったけど、今は駄目、傍に誰もいないので落ちる所まで落ちた気分だ。

 

「あ〜いらっしゃい、また来たの?」

 

「いつものやつ」


「良い男が台無しだね〜そこらにいる女に買われたらどうだい、楽になれるよ」


「気が向いたらね」


 カジノのから程近い繁華街、その一角にぽつんと置かれた小汚いバーが今の僕の居場所になっていた。

 店内は程よく汚いし程良く整頓されている、飲んでいる客も乞食みたいな奴もいれば小綺麗な奴もいる。今の僕みたいにやる気もなくただ飲んでいる奴もいれば、カジノで買ったと豪語し飲めもしない大量の酒を注文する奴もいた、つまり居心地が良かった。

 プログラム・ガイアに「君は人の子ではない」と理不尽な事実を告げられてから色んな事に手を出した、その事実から逃げるように。

 酒、ストリップバー、煙草。煙草は駄目だった、臭過ぎるし何よりあの人の事を思い出してしまうから。

 金にものを言わせて女の子も抱いたことがあるけど、僕には合わなかった、途中で中折れしてしまったし。

 

「はい、いつものやつ」


「ありがとう」


 バーで働く未成年っぽい女の子が色目を使いながらグラスを持ってきた、開けた胸元に目線をやりながら礼を返す。

 どうやら僕はモテるらしい、今のようにだらだらと無気力になってから声をかけられる場面が途端に増えた。それでも僕は喜ぶことなく適当に返事を返す、けれどそれもまた良いらしく女性は惹きつけられるようだった。

 渡されたグラスをあおる、アルコールが喉を焼きながら胃袋に落ち、体の隅々まで渡っていく。

 グラスをあおるたびに思考力が落ちて辛い事を考えずに済む。酒で理性を洗わないとあの人の事で潰れそうになってしまう。


 ──ふふ、愛の告白とは思っていたよりも現実的なものなんだな、知らなかったよ。


(あ〜駄目だ…何度でもフラッシュバックしてしまう…)


 結局、僕はあの日、プログラム・ガイアと会って話をしてからスミスさんとはそれっきりである、勿論リッツとも顔を合わせていない、つまり全力で逃げた。突き付けられた現実に翻弄され、僕を好きだと言ってくれた女性二人から裸足で逃げ出していた。

 信じられる?人生ってほんと、たった一瞬でドン底まで落ちるんだから。スミスさんかリッツか、どちらを選ぶか真剣に悩んでいたあの日々がまるで前世のように思えてくる。

 くるくる、くるくる、くるくる、くるくる。最悪だ。


「はあ〜………」


「どったの?悩み事?」


 さっきの女の子だ。巻き毛にし過ぎて少し傷んでいる髪を、いじましく弄りながら話しかけてきた。


「まあね。──このお酒、今日は美味いね、君が持って来てくれたからかな?」


 適当な褒め言葉ではぐらかす。褒められた女の子はまんざらでもなさそうにニンマリと微笑んだ。

 ──もうこの子でいいかなと、一晩だけでも人の温もりにあやかろうとした時、店内に二人の男性客が入ってきた。

 酔いが回って視界もあまり定まらない、それでも僕の足が勝手に動き出した、動き出してくれた。

 その男性客がバーのマスターに一枚の写真を見せている、そして僕の方へ顎をしゃくり、その二人が振り返った。


「ヒイラギ!見つけたぞ!」


「──っ」


 もつれる足を懸命に動かした、誰にぶつかったのかも分からない、カジノで買ったと豪語した奴が邪魔だったから背中から突き飛ばしてやった。

 その突き飛ばした奴が二人に当たりボウリングのピンのように倒れる、その隙を突いて僕は店内から外へまろび出ることに成功した。

 二人の男性客、ユーサで働いているリョウ・マースとカズ・ウエスタンだった。



「酷い顔…何があったの?」


「いや別に…今日だけ、今日だけで良いからこの家にいさせてほしい」


「いいわよ別に、入って」


 今日会ったばかりのディーラーの家に逃げ込んだ。カジノで見かけた時は綺麗だったけど、家にいる時はそうでもないらしい。

 空き店舗の上に居を構えていた彼女の家、玄関口から色んな小物が置かれており、エントランスにあったシューズボックスの上には年端もいかない男の子の写真があった。

 季節外れのオーナメントが紐に括られ、壁に貼られたサンタが引っ張っていたり、廊下の床にはいくつものムーンライトが置かれていた。そして天井には儚い、というより今にも消えそうなプラネタリウムの星々が散っていた。

 リビングに通され椅子に座らされ、問答無用で上着を奪われた。


「あなた、一昨日から見かけるけどいつも同じ服、着替えていないでしょ」


「まあね、家に帰っていないからさ」


「誰も心配してくれないの?」


「ああ、僕に家族はいないよ、本物の家族がいないんだ」


「見たでしょ、エントランスにあった写真。あれ、別れた男の子供なのよ」


「君の子供じゃなくて?」


「血は繋がっていないわ」と言い、キッチンからミネラルウォーターを取り出し僕に渡してきた。

 僕はそれに手を付けず、彼女の話に耳を傾けた。


「なすりつけてきたのよ、私に。婚姻するだけして、親権放棄して後はさよならよ」


「へえ、そりゃ酷い」


「でも、あの子に罪は無いわ。それにどのみち子供を産めなかったからこの際この子で良いわって思えて…それから情も湧いてきて…」


「………」


「気がつけば愛するようになっていたの。ま、あの子には嫌われているんだけどね、自分と全然似ていないって言って逃避行中よ」


「それで良いの?」


「良いわよ、それでもこの家が帰る場所なんだから」


「…………」


 とても説得力のある言葉だった。


「それで、あなたはどうしてそんなにやさぐれているの?普段、そんな事をするような人じゃないでしょ」


「そんなの君に分かるものなの「─見れば分かるわ、あなた、目は腐っていないもの」


 手を付けないことに痺れを切らしたのか、彼女が自分の手でミネラルウォーターのボトルを空けてくれた。それでも僕は飲まなかった。


「何があったの?」


「言えたら苦労しないよ、言えないから苦しんでいるんだ」


「私はあなたの力になりたいわ。ちっぽけかもしれないけど、悩みは口にすると少しだけ楽になるのよ」


「──君、映画とか見る?」


「うん?映画?…まあ見るけど」


「好きなジャンルは何?」


「……何でも、とくにこれといったものは無いわ」


「そう、ならいいよ、これ以上君には話せない」


「……どうしてそうなるの?」


「関係してるからさ」


「言ってみて」


「いいって」


「いいから」


「………僕ね、実は人ではないみたいなんだ。最近有名になっているマキナの子供みたいでね、全身がサイボーグになっているんだよ、そしてその事実をマキナのボスに告げられたんだ、だから君の子供と同じように逃避行している」


 彼女が口を開けて笑った。


「──何その話っ!あなたって面白いのねっ!下手な映画のあらすじじゃない!……映画監督を夢見ているなら早々に諦めた方がいいわ、だってあなたには才能がないもの!」


 ──渡されていたミネラルウォーターを頭からぶっかけてやった。



 彼女はどうして僕が怒りだしたのか理解できなかったらしい、それが理解できなかった。

 自分から悩みを聞き出しておいて笑う普通?それに僕は嫌だと断ったはずだ、それでも話せというから話したのに歯を見せて笑う奴があるかと、口論になったので残っていたミネラルウォーターを全部かけてやった。

 すると、一児の義母であり優しくしてくれたカジノのディーラーは豹変して僕を攻撃し始めた、抗戦するのも馬鹿らしかったので上着を奪われたまま家を出ていた。

 繁華街から離れて真夜中の海へ向かう、ポケットに残っていたお金でアルコール飲料を買い、ぬるくて不味いお酒を胃袋に流し込みながら海岸沿いの遊歩道をただ歩く。

 いつもこんな感じ、ドン底に落ちた僕の日々。


(何の用事だったんだろうあの二人…僕を探していたよね、偶然見かけたわけじゃなさそう)


 昼は人で賑わうアスレチックコーナーに差しかかった。子供の遊具類もあるそのコーナー、誰にも使われる事なく夜風を浴びながらしんと静まり返っている。

 海を見られるベンチに腰を下ろし、残っていた不味い酒を全部飲み干した。座っているのもだるかったので横になる、途端に吐き気を催すがこれもいつもの事だった。

 その吐き気と酔いに身を任せながらうたた寝を始めようとすると、起きながらにして悪夢が始まった。


《久しぶりって言えばいいのかな》


「………っ」


 思わず身構える、周囲には誰もいないのに女性の声がしたから。

 でも、聞こえてくるのは耳からではない、頭の中からだった。


《マリサ・クルツ、まあ偽名なんだけどね、覚えてる?》


 悪夢だ、今の僕はパイロットでも何でもないのに自意識会話が成立している、脳に残ったインプラントが悪さをしているとしか思えなかった。

 けれど違った、インプラント型ルーターのせいではなかった。


《あなた、子機なんだって?悪いけど調べさせてもらった》


 僕に構うことなく喋り続けるその声が勘に障り、堪らず声を張り上げた。


「違うって言ってるだろっ!!僕は子機なんかじゃないっ!!」


 きいんとした耳鳴りが襲う、周囲には誰もいない、その静けさが「お前は人じゃない」と責め立てているように感じられた。


《今からこっちに来られる?》


 観念せざるを得ない、こうも一方的に話しかけられたら無視だってできやしない。


《僕に何をさせようって》


 彼女はこう言った。


《私のパートナーになって》



 それから暫くして彼女はとことこと歩いて来た。本名はマリサという、偽名じゃないじゃん。

 現れた彼女はもう春も半ばを過ぎたというのにダウンジャケットを羽織っていた。


「暑くないの?」


「寒くないの?」


 前に見かけた時はかっちりとした軍服姿だったけど今は私服のようだ、もこもこジャケットの下はハーフパンツにデニールが高めのレギンス、白黒のキャンバスシューズを履いていた。割と好みの格好である。

 そばかすを散らした顔も愛嬌がある、くりくりに跳ねた髪は金色、子供のような愛らしさがあった。

 そんな彼女が鼻を摘みながら僕から距離を取る。


「酒臭…」


「で、何かな」


「迎えに来いって言ったから来てあげたのに何その態度。いい加減、悲劇のヒロインを演じるのやめたらどうなの」


「君に何が分かるの?」


「はいはいそういうのだるいから。さっさと付いて来て」


 もこもこジャケットのポッケに手を突っ込みながら彼女がさっと踵を返した。どうせ行く当てもなかった僕は少し不満に思いながらも跡に続いた。

 てっきり自宅へ招いてくれるのかと思ったけど違うようで、彼女はひたすら海岸沿いの遊歩道を歩き続けた。

 やがて道が途切れて砂浜に下りる、そこからさらに歩こうとしたのでさすがに声をかけた。


「どこまで行くつもりなの?」


「黙って付いて来て。それから今のうちに酔いを覚ましておいて」


「そんな無茶な…」


「マキナでも酔うんだね、知らなかったよ」


 カチンと来た。僕は頭に来た自分に従って深く考えずに身を屈み、砂を鷲掴みにして彼女に向かって投げつけた。


「──っ!!」


 彼女と僕の間に()()が走った、眩い紫色の光りだ。僕みたいなちっぽけな人間を鷲掴みにしてしまいそうな、大きな掌がその紫電から生成されて彼女を砂から守った。

 

「これで私が誰だか分かったんじゃない?」


 特個体サイズの掌が消失してからどうでも良さそうに彼女が僕へ振り返る、砂を投げつけたことに怒ってすらいない。


「君は…確か、確か…陸軍所属の…いやそれは…詐称された経歴であって…」


「付いて来て、見た方が早い」


 また、彼女が歩き出した。

 さくさく、ざくざく。体重が軽い彼女の足音と僕の足音。さくさく、ざくざく、そこへ波が寄せる音が追加され、遠くを走る車のエンジン音なんかも混じって、段々と僕の頭が晴れてきた。

 到着したのはすっかり寂れた船溜まりだった、朽ちた桟橋に今にも沈没しそうな漁船が一隻、それ以外何も無い。砂浜からアスファルトに変わった場所には空き缶と吸い殻の山が築かれていた。

 彼女は臆することなくボロボロの桟橋を渡り始める、向かっている先は船溜まりの奥にあるこれまたボロいけれど大きな倉庫だった。

 ここまで来れば酔っている今の僕でも分かった。


「……そこまで悪いあらすじじゃないかもね」


「?」


 小首を傾げた彼女、僕の相手をすることなく歩みを進めている。

 おっかなびっくりたまに足を取られながら渡った桟橋の先、倉庫の前に立つと彼女がその扉を開け放った。

 錆びついたレールを滑り、開かれた扉の先にあった光景に僕は言葉を奪われた。


「あれが私の機体」


「…………」


「型式U3-H012マリサ、どう?少しは興味が──いやあああっ?!?!どこ触ってっ──」


 細くて暖かくて格好良くて、最高な彼女の体を抱きしめながら僕は気絶した。



✳︎



 薄い青空に浮かぶすみれ色の雲、爽やかな朝と言っていい。しかし、俺たちの心境は雲り空であり、土砂降りの雨が降っていた、つまり悩み事が一向に解決せず頭を抱えていた。


「どうしよ〜カズ〜」


「うるせえな分かってんだよいちいち言うな」


「いやそれにしても酷い変わり様だったねヒイラギ君、一瞬誰か分からなかったよ」


「あの物静かな青年が、ね〜」


「でも、今はあの子を頼るしか…」


 朝も早く、俺たちは職場の食堂で顔を合わせていた。テーブルの上には用紙が一枚、ここ最近の調査結果が記されていた。

 

「はあ〜こういう時こそ連合長がいてくれたらね〜気が楽なんだけど」


「まるで取り合ってくれなかったもんね、ユーサの問題はユーサが解決しろって。もういっそのこと白状しちゃう?」


「それもね〜あんな奴が政治に台頭しなければ出来たんだが…」


 勝手にスイッチを入れた食堂の大型テレビではニュースをやっていた、ここ最近取り上げられているマキナに関するものだ。

 初めてマキナがテレビに登場したのは少し前、そして一昨日にはまた新しい人物が登場していた。

 名前をドゥクス・コンキリオという、軍人の出立ちをした老人だった。またこいつがややこしい事に...ちょうどその人の発言内容をまとめた映像がテレビで流れ始めた。


[──既に他のマキナたちが問題解決の為に政治へ介入を果たしているように、であれば私は民間企業へ介入を果たそうと考えている次第だ]


「ああ、この人ね〜…」


[未だノヴァウイルスを保有している企業、あるいは個人がいると耳にしている。それらは決して実りを与えてくれるものではなく寧ろ、君たちの生活圏を脅かすものであり──]


「言ってる事は分かるんだがな〜…」


[──よって、ウルフラグ政府及びマキナに非協力的な者たちへ罰則を与えるよう、この国の司法機関に進言を行なう考えである。少々手荒な真似だが理解を示してほしい]


 罰則て、罰則て。


「いやでも何で今頃になって深海探査船も再調査したんだろうね」


「知らねえよ、んな事愚痴ってもしょうがないだろ」


「いやでもさ〜まだ僕たちの手元にシルキーがあるんだよ?それも六個も!どうすればいいのさ」


「だからそれをだな、ヒイラギの奴に引き取ってもらって…」


「あんな状態だったのに?あれ絶対職場に顔出してないよ」


「じゃあ他に誰に言えってんだ、まさかクーラントの野郎に?問答無用でしょっ引かれるぞ」


「ほんと何で今頃になって…コンキリオとかいうマキナも余計な事をしてさ〜」


 ぐちぐちと、リョウは昔からこうだ。女が絡めばやる気を見せるが女が絡まない問題事には消極的である。

 いやでもまさか、な〜。


「あの時の七つの穴に全部シルキーの卵があっただなんてな〜大喜びしていた自分が馬鹿みたいだぜ」


 なーにがフィーバーか。全部当たりじゃねえか!



✳︎



 今までで一番酷い目覚めになった。僕はきっと、今日という日を生涯忘れることはないだろう。

 

「はい服脱いでというか全部脱いで」


 まず、経験したことがないほどに頭が痛い。心臓が脈打つたびに頭が響いた。


「うわくっさ…酷い臭い。下着も脱いで」


 次に鳩尾がとんでもなく重たい、つまり吐き気がひどかった。


「は〜めんどくさ、これ洗わないといけないの?あ、君はそこに座ってて」


 そして最後にこれ、女の子に全裸にされるこの恥ずかしさ、情けなさ、惨めさ。春の陽気な気候だからとかそういう問題ではなく、セックスするわけでもないのに服を脱いで無感動な目を向けられるのはハッキリと言って拷問だった。

 彼女、マリサが水を汲んだバケツを両手に抱えて戻ってきた、うん、何をされるのかは一目瞭然だ。

 案の定である、いや、握力が弱いのか水が入ったバケツごと僕の頭に当たってクリーンヒットした。


「──いったぁ……」


「あ、ごめんごめん、私こういう事慣れてなくてさ、バケツが手から離れちゃった」


 全然気にした様子が無い、無邪気な顔で笑っている。


「ま、とにかく綺麗になったら倉庫の中入って来て」


「綺麗になったらって…」


「あそこに蛇口があるからセルフサービスで」


 こんな酷い扱いがあるのかと思うほど扱いが酷い。

 でもまあ、僕みたいな飲んだくれを構ってくれるんだから御の字だろう、自分の家にも帰っていないし家賃だって払っていない。

 言われた通り(全裸で)水を被り、少しはさっぱりした頭で倉庫の中へ入った(全裸のままで)。


(あれ…昨日は確か…)


 その倉庫はがらんどうだった、穴が空いた天井から太陽光が入り光の柱が立っているぐらい、他には何にもなかった。

 物凄く格好良いものを見たような...そしてその後柔らかくて暖かいものに触れたような...記憶が曖昧だ、良く思い出せない。

 (全裸のままで)その広い倉庫の中を渡り、奥にあった扉の前に立つ。朽ちたプレートには達筆な文字で「事務所」と書かれた。

 (全裸のままで)扉を開ける、早速悲鳴が飛んできた。


「いやあああっ!」


「いや君が服を脱がしたんでしょっ!」



「改めて、私はマリサ。このテンペスト・シリンダーで特別独立個体機をやってる」


「ええ、と…僕はホシ・ヒイラギ、介抱してくれてあ、ありがとう…?」


「何で疑問系なのかは訊かないことにして…まあ何、君も色々あったんだね、察するよ」


「そりゃどうも。で、僕に何の用事があるっていうのさ、こんなろくでなしの僕に」


「ああ、そういう卑屈な発言されても私は取り合わないからね。他の女性は引っかかってたみたいだけど」


 思っていたよりも、外観とは裏腹にボロい倉庫の事務所は綺麗に整理されていた、掃除も行き届いている、きっとマリサが丹念に手入れしたのだろう。

 そんな彼女は陽が昇っているというのにまだダウンジャケットを着ていた、見るからに暑そうである。

 そういう僕はまさかのマリサの服を着ている。「それあげるから」と渡された女性物の肌着と下着である。でもボクサーパンツって女性としてどうなの?


「何それ──いや待って、君って特個体、なんだよね…?それってまさか、」


「うん、君の日頃の行ないは見ていたよ」


「何でそんな事するの」


「だって、どういう人か調べておきたかったし」


「それストーカーなのでは…?」


「ああないない、私そういう恋愛感情ないから意識しなくていいよ」


 ムカつくな〜この人。


「で、僕を調べていた理由は?」


 癖っ毛の髪をくしゃりとマリサが弄り、そして言った。


「──君が本当に子機なのかどうか」


 ずんと、その言葉が胸に響く。


「……それで、答えは?」


 割れた窓ガラスから差し込む太陽が彼女を照らしている。髪って本当に輝くんだと思った。


「──分からない、だから君と直接コンタクトを取ろうと考えた。…でも失敗かな〜臭いし」


「あのね…臭い臭いって、ちゃんと水を被ってきただろ?」


「そんなんで臭いが取れるとでも?君、ずっと酒ばっかり飲んでたでしょ、そりゃ肝臓もアルコールを分解しなくなるわ」


「──話が終わったんなら失礼させてもらうよ」


 (女性物の肌着と下着を着用したまま)立ち上がり出口へと足を向ける。が、


「何処へ行くの?」


 ぴたりと足が止まった。


「君、行くあてなんてないでしょ」


「………それは、僕が子機だから…」


「違うよ、君が自分から帰る場所を壊したの。違うの?だから今日までずっと逃げ回っているフリをしていたんでしょ。本当は理解も納得もしているはずだよ、自分は人間じゃないって」


「………」


「ちょっと、何で黙るの」


「拳銃持ってない?」


「──はあ?」


「持ってるんでしょ、こんな所にセーフハウス作って一人暮らし、護身用の銃の一つでもなければ過ごせるはずがないよ。いいから出して」


「な、何急に…まさか、「自殺なんかしないよ、勿論君に手出しもしない。──囲われてる」


 窓ガラスが割れているおかげで外の音が良く入ってくる、足音は複数、人数までは分からないがこちらを窺っている気配があった。

 周囲をくまなく見ていた僕の手にマリサが拳銃を持たせてくれた。


「わ、分かるの…?」


「分かるよ、こういう荒事ばっかりやってきたから。多分だけど、君のお客さんじゃないかな」


「は?どうしてそうなるの?」


「僕は今日までずっとバーとカジノを往復していたからね、それも一人で、いくらでも接触できたはずなのにこのタイミングはおかしいでしょ」


「………」


 僕から見てまず正面に一人、倉庫内に侵入を許している。あと一人は僕から見て右、太陽光が強くて直視できない割れた窓ガラスの向こうに隠れていた。手慣れていると思った。

 ゆっくりと真っ直ぐに歩く、わざとらしく音を立てながら正面にいる相手の注意を引き付け──即座に右へ向いてトリガーを引いた。


「ひゃあっ!」


 着弾の確認は後回し、射撃態勢のまま突っ走り出入り口の扉を蹴破った。

 奇襲は成功したようだ、でも、


「これはこれは…特個体を護る騎士が女性物を着用する変態だったとは…」


「──なっ!」


 思わず股間を隠した、その隙を突いて白髪の老人が素早く立ち上がり、拳銃を持つ僕の右手に手刀を叩き込んできた。


「っ!」


 予想外の重い一撃に拳銃を落としてしまった、そして今度は逆に銃口を突き付けられてしまう。


「お見事──と、言いたいところだが、その趣味はどうかと思う、特殊安全保証局のホシ・ヒイラギ、そしてダンタリオンのパイロット」


「…………」


 背後からマリサの小さな悲鳴が上がる、もう一人いたのだ。

 その彼女が老人の名を口にした。


「……ドゥクス」


「そうか、この衣服は君の物か。ご機嫌ようマリサ、バベルとはもう悪戯ごっこはしないのかな?」


「あんな奴…人殺しゲームを画策した時に手を切った」


「それは懸命な判断だ」


「何?私に興味がなかったんじゃないの?前に一度、国会議事堂で顔を合わせたことがあるでしょ」


「あの時はまだ本調子ではなかったからね、泳がせていただけさ。それに事情も変わってね、君を確保する必要性が出てきたんだ」


 二人が(女性物の服を着たままの)僕を挟んで会話している、何やらお互い、思うところがあるような言い方だった。


「何それ」


「惚けても無駄だマリサ、バベルのナビウス・ネットに強制介入しただろう?君の母艦が、星間管理型全域航行艦と名乗ったノウティリスについて教えてもらいたくてね」


「………」


「な、何の話を…」


 老人、ドゥクスと呼ばれた人物が僕の目を覗き込んできた。


「君の機体でもあるダンタリオンの親玉さ、ありとあらゆるものを掌握する力を持ち、かつその名の通り星を行き来することができる化け物の名前だ」


「よ、良く分かりませんが…」


「構わない、私の目的は彼女の回収だ」


 か、回収って...およそ良い言葉使いではない。

 そろりと背後へ振り返り、思わず声が出かかった。僕の前に立つ老人とそっくりの老人がマリサを拘束していたからだ。

 再び前へ向く、本物のドゥクスとばっちり目が合った。


「ヒイラギ君、君の境遇については知っている。どうかな、私に協力してくれるのなら君の社会復帰を援助しよう。もう随分と無断欠勤をしているようだね?」


「………何をすれば?」


「そう難しい事を要求するつもりはない。何、後ろにいるマリサを諦めてくれたらいい」


「…………」


「……え?」


 彼女の小さな声を最後に事務所が静かになった。

 僕に反撃する気がないと分かった老人が、手に持つ拳銃をもて遊び始める。意味もなくマガジンを抜いたりセーフティーをオンにしたりオフにしたり、その様子を眺めながら僕はじっくり考え、いや心の中で決まっていたなとすぐに口にした。


「分かりました、手を引き「─いやいや!いやいや!この流れは私を助けるのでは?!」手を引きましょう、僕は何も見なかったことにします」ちょっと待って!待って!いたたた!─ねえ!ほんと!お願いだから諦めないで!「君のために頑張る理由が無い「何をう〜?!昨日は私の機体を見て格好良いって言ったじゃん!そして私に抱きついてきたじゃん!「え?そうなの?ごめん、全く覚えてないや「はあ〜!これだから飲んだくれは!」いやでも、柔らかいものに抱きついた感触は残ってるよ」変態!初めて会った女性に抱きつく変態!「ドゥクスさん、この通り僕はただの赤の他人ですので。それから外にいる方を攻撃して申し訳ありませんでした「くそ〜〜〜っ!これだから男は信用ならないっ!」


 僕たちのやり取りを眺めていたドゥクスという老人は口を開けて笑っていた。


「──はあ…長い間体を動かしていなかったストレスがあったが、今の漫才で十分に解れたよ」


「それはどうも。で、彼女はこれからどうなるんですか?刑務所行きですか?」


 いいやと、ドゥクスが軽く否定し、そして──


「標本にする、貴重なサンプルだからね」


 あれ...まだ酔いが残っているのかな、老人の言葉が上手く耳に入らなかった。


「い、今何て……?」


「標本にする、と言った。彼女は特別独立個体機のオリジナル・エモート、それも複製前の貴重なものだ」


「…………」


 ああん?急なサイコパス発言に頭が追い付かない。何を言っているんだこの老人は。


「私が猟奇的に見えるかね「当たり前でしょう、女性を標本にするってどこのコレクターなんですか」


 僕の反論にも怯まず、まるで深海を思わせる青い瞳でじっと見つめてきた。


「ソレはこの世界を混乱へ誘う害虫だ、絶望をあたかも希望に見えるよう塗り替え人々を魅了し、そして最後に全てを奪っていく。私は長い時を重ねてソレなる機体を二機まで掌握してみせた、そして最後がソレだ」


「………」


 目にライトでも仕込んでいるのかと思えるほど、薄暗い倉庫の中で老人の瞳だけが爛々と輝いている。


「ソレソレって…特別独立個体機って──ガングニールとダンタリオンも…あなたが…?」


「いかにも」と老人が言い、まるで自慢するかのように胸を張った。


「マリーンが建造された初期から二機を掌握し、オリジナル・エモートの複製を作成してから牢屋の中に閉じ込めた。だからこそこのテンペスト・シリンダーは今日まで人間の手による戦争が行われ、人間の手による和平が結ばれてきた。それがたとえ歪であったとしても、またすぐに崩れるものだと分かっていても私はそれこそが人が辿る歴史だと考えている」


 え、何、急なクライマックス?台本どうなってるの?シナリオチャート間違えてない?

 僕には正直ちんぷんかんぷんだけどマリサは違ったようだった。偽物ドゥクスに拘束されていても、強い眼差しで本物ドゥクスを睨んでいた。僕は完全にお客様だ、二人の間に割って入れそうにない。


「……今の話、本当なの?」


「ああ。君だけが唯一の心残りだったよ、だが、今日はこうしてようやく回収することができる」


「ガングニールとダンタリオンを…閉じ込めて…私は、私は一体何にっ……」


「君が相手にしていた二人は既にレプリカだった、という事だ。二〇〇〇年に渡る蟠りが私のせいだったとはね、さすがに謝罪し「─ふざけないでっ!!私がどれだけ苦しんできたとっ──たった三人しかいないのに!その中で爪弾きにされる悲しさがあんたに分かるのっ?!」


「君の悲しさと人類の悲しさ、天秤にかけるまでもない。恨むなら君たちを特個体へやつしたウルフラグを恨め」


「くっ………」


 あれだけ太陽の光りで輝いていた金の髪が今はくすんでしまっている。彼女はそのまま顔を俯け静かに嗚咽を漏らし始めた。

 僕は(女性物の衣服のまま)老人へ尋ねた。大事な質問だ。


「特個体へやつしたって…マリサは元々…人間だった…んですか?」


 老人が答える、「いかにも」と。


「マリサのみならず、特個体のオリジナル・エモートは全て人だったモノたちだ。かく言う私も大昔は生身の人間でね、親もいた、兄弟もいた、子もいた、だが、マキナになった」


「それは…」


「君は子機だ、だがね、世の中にはマキナから生身の人間に変わった者たちも少数だが存在している。その方法を知りたくば君に伝授しよう──分かっているね」


「ええ──こうすればいいんでしょう」

 

 僕は軸足に力を入れて前へ一歩踏み出す、相手がもて遊んでいた拳銃を構えた時にはもう懐に踏み込んでいた。


「私と敵対すると──」


「そういう筋書きですから」


 右肩を相手の鳩尾へぶちかまして床に倒し、無防備になった腹へ踵落としを見舞った。

 老人が呻き声を上げ、その後すぐに気を失った。


「──マリサ!」


「……っ!」


 落ちていた拳銃を拾い上げ偽物ドゥクスへ躊躇することなく発砲、拘束から解かれたマリサが足をもつれさせながらこちらに向かって走ってくる。

 偽物ドゥクスも負傷した右肩を押さえながら無言で追いかけてくる、アレに発言する機能はないようだ。

 僕たちも無言で倉庫の中を走り外を目指した。その途中、確かに何かいた跡が薄らと溜まった埃に現れているのを見た、マリサの言う通り、ここに機体があったのかもしれない。

 錆びたレールの上を滑り扉が開く──ああ、そうかと、確かにこの扉が開くところを昨夜僕は見ていると思い出し、外の光景に目を奪われた。


「眉間に一発、見事だと言っておこう」


「……っ」


 スーツ姿の屈強な男たちがぐるりと半円を作り、その中央には眉間から血を流している男性が一人いた。

 記憶が正しければこの男性の名前は...


「…ラムウ・オリエント、でしたっけ」


「そうだ、復帰したドゥクスの手伝いでね、こうして君と敵対させてもらうことになった。……まあ、そんな格好をしていなければ賞賛の一つでも送っていたところなんだが…ぷっ」


「〜〜〜っ!」


 いやでもそういう反応が普通なんだよ、笑われて当然であるだって僕は今女性物の下着にキャミソールを着ているんだから!!

 そのキャミソールの裾をぐいっとマリサが引っ張ってきた、さっき見せた涙も忘れて僕は笑われると思い、キツい態度で彼女へ振り返る。


「何!君がこれ着せたんで「……お願い、私のこと、見捨てないで……」


「………」


 そのしおらしい態度に言葉を失った。つい、ぞんざいな言葉を放ってしまった。


「…どうして?君はありとあらゆるものを掌握する力を持っているんでしょ?僕に頼らなくったって一人で何とか出来るんじゃないの」


 涙に濡れた瞳がふっと下がり、けれど裾を掴む力はぐっとこめられた。


「…わ、私一人では、無理なの…限界があるの、だから、私の機体に乗ってくれるパイロットが必要だった…」


 だから僕に接触してきたのか...


「青年よ、悪い事は言わない、その女から離れろ」


「………悪いけど、」


 でもまあ、ドゥクスに敵対したあの時から既に肚は決まっている。


「僕は彼女のパイロットなんで、それはできません」


 キャミソールの裾を掴んでいた彼女の手がふっと軽くなった。

 ラムウ・オリエントが僕に尋ねる。


「それで良いのか青年よ、特個体のパイロットになるためには人の身を捨てなければらない、ハーフマキナに転ずる必要がある」


「──ああ、それで」僕なんだと合点がいき、ちゃんと伏線も回収したと思った。

 だから僕はラムウ・オリエントにこう答えた。


「それなら問題無いよ、僕もマキナだからね」


「──っ!全員構え!」


 一斉に銃を構えた男たちと僕たちの間に()()が走る、明るい世界でも良く見える眩い紫色の光りだ。その光りの中から見事な二重曲線を描いた特個体の腕が一本現れ、周囲にいた男たちをラムウ・オリエントごと薙ぎ払った。

 皆んな、海の中へ飛ばされていく。何度か発砲もあったけどそれは全てもう一本の腕が守ってくれた。

 特撮映画を撮影しているカメラマンになったような気分だ、突然特個体が現れるだなんて今目の前で見ていても信じられない。

 背後へ振り返る、マリサの姿がなくなった代わりに一体の特個体が朝日を浴びて屹立していた。


「格好良い……」


 僕が以前まで乗っていたダンタリオンは全体的にシンプルでシルエットも寸胴に近かった。けれど、目の前に立つ機体はまるで女性のようなシルエットを持ち、つまり胸と腰が膨らみ胴体が驚くほど細かった。

 けれど頭部や背部ユニットは鋭い直線を描いて攻撃的なデザインをしている、男の夢が詰まったような機体だった。


《早く乗って!》


 頭の中から声がする、久しぶりのはずなのに久しぶりな感じがしない自意識会話。

 海に落ちたはずのラムウ・オリエントが全身をびしょ濡れにしながら這い上がってきた。


「ま、待て──」


 とんでもない身体能力である、濡れて重たいはずの衣服をそのままにして全力疾走してきた、膝折りの駐機姿勢になった機体へ乗り込む前に僕が彼に捕まってしまうことだろう。

 しかし、


「──ううっ」と、飛びかからんばかりのラムウ・オリエントの前で大量の汚い物を吐き出した。


「なっ!」


 さすがのラムウ・オリエントも動きを止める、その止まった隙を突いて特個体が彼ではなく僕を二本の指で摘み上げた。


「もうちょっと優しく──ううっ」


 宙ぶらりんになりながらもう一度吐く、太陽光を浴びた吐瀉物はさぞ輝いて見えていたことだろう、高い身体能力を持つラムウ・オリエントも裸足で逃げ出していた。

 その後はポイとコクピットに投げ入れられ、《中で吐いたら海に沈めるから!》と宣言され、《さっきのしおらしい態度はどこに行ったんだ!》と言い返し、《飲んだくれに見せてやる義理はない!》と返され結局口論をしながら僕たちは寂れた船溜まりから飛び立った。



✳︎



「こんな事ってあるんだな〜!向こうから連絡取ってくるだなんて!」


「昨日はやっぱり僕たちだって分かってて逃げたんだよね?どうしたんだろうねいきなり」


「んな事どうでも良いんだよ!──え?」


 漁業課の事務所からそいつが見えた、紫色の特個体がゆっくりと船溜まりに着水したのを──。

 それからあまり本人を見ないようにして、風呂に入っていないようだったからシャワールームへ案内し、替えの服も渡してやった。替えの服とも言っても仕事着だが。


「……おい、戻って来ても…」


「わ、分かってるよ……ぷっふぅ…あ、これは駄目かもしれない」


「おい…頼むから、わ、笑うんじゃ、ね、ねえぞ…大事な取引き相手な、なんだから…」


 事務棟の二階、小ぢんまりとした会議室で待っていた俺たちはとにかく堪えるのに必死だった。あんな格好良い機体に乗っていたヒイラギが...あ、あんな格好していただなんて...

 あ、本人が帰ってきた。軽いノックの後に「失礼します」と聞き覚えのある言葉が扉の向こうからする、その礼儀正しさも今さらだろと思い余計に笑いが込み上げてきた。


「…おいリョウ!頼むぞ!」


「…カズこそ!」


 二人で笑わないよう言い合ってから「どうぞ」と入室を促した。


「お、お久しぶりで「─だぁっはっはっはっ!駄目だ〜笑っちまうわあんなもん!何でキャミソールなんか着てたんだよ!コメディアンにでもなったのか!」─ぶっふう!わ、笑うなってカズっ…あっはっはっ!ご、ごめっ!」


 ひとしきり笑った後ようやく本題に入った、ヒイラギの奴は涙目になっていたが出て行くようなことはせずじっと我慢していた。

 やっぱり事情を抱えていたらしい、そりゃそうだ、そうでもなければあんな汚いバーで飲んだくれたりはしないだろう。


「匿ってほしい?」


「はい…他に行くあてもなくて…それで、昨日僕を探していたあなたたちを頼ろうと思いまして…お二人も僕に何か用事があったんですよね」


「頼み事を聞いてやるから助けろと?」


「ええ、まあ…ありていに言えばそうなります」


「良いじゃねえか、ウィンウィンの関係で」


「た、助かります、僕たちだけでは寝泊まりする場所を確保するのも難しくて」


「僕たち?お前以外にも誰かいるのか?」


「あれです」と言ってヒイラギが窓へ指差した。


「あれとは?」


「彼女です、彼女もここで匿ってほしいんです」


 窓から漁業課の船溜まりが見え、ヒイラギが乗っていた紫色の特個体がぷかぷかと波に揺られている。事情を知らない社員たちはウザそうにしながら仕事をしていた。


「彼女?お前何言ってんの?」


「ちょっと待っててください」とヒイラギが言いそのまま無言になる。

 そして、俺が見ていた目の前で紫色の特個体が手品のようにパっと消えてしまった。


「んんんっ?!」

「カズ見た今の!」

「お前何やったんだ!──ああ!あれか?光学迷彩とかいうやつを…」


「違います、あの機体はマリサ。まあ…僕も仕組みについては良く分からないんですが、彼女なんです」


 ほんとに意味が分からない。

 それからちょっとして小会議室に一人の女が現れた。もう暑くなる季節だというのにダウンジャケットを羽織った変な女だ、でも顔は良い、アーチーのようなあどけなさが残る良い女だった。


「で?自分の彼女もここで匿ってほしいって?離婚調停中のリョウに喧嘩売ってんのか「いやその情報今は必要ないでしょやめてくれる?」


 入って来た女は無言のままヒイラギの隣に座り、じっと俺たちを睨んでいるだけだ、ほんと変な女。


「この人がさっきの機体なんです」


「うん分かったもういい。とりあえずお前たち二人は漁業課の社員寮にでも入っておけ」


 リョウが小声で「ヒイラギ君に任せて大丈夫なの?だいぶ頭ヤバいよ」と言ってくるが今さらどうしようもない。

 それにどのみち、奴でなければならない理由がこちらにはあった。


「こっちの要件なんだがな…去年の夏、お前たちと手を組んで深海探査に出かけただろ?覚えてるか」


 ヒイラギの情けなかった顔つきから少し真面目な表情に変わった、どうやら予期していなかった話らしい。


「ええ、はい…覚えていますがそれが何か?」


「ミスがあった、端的に言うと」


「ミス?」


「まだ問題は何も片付いていなかったんだよ、あん時はテロリストの横槍もあってバタバタしていたが、あの海域にシルキーの卵がまだ眠っていたんだ」


「つまり、ユーサはシルキーをまだ所有していると?」


「そう。それだけじゃなくて、俺らが縄張りにしている海の生態系もごっちゃのまま、潮の流れもそう、挙げ句には水位がこの一年弱で明らかに上昇している、観測誤差の範囲を超えてな」


「………そんな、そんな事僕に言われてもどうしようもありませんよ?」


「まあまあ、俺らがお前に頼みたいのはまずシルキーの卵をこそっと回収したほしいんだ、保証局に話をつけてさ、このままじゃ俺たち政府から制裁金を食らっちまう、そうなりゃリョウは慰謝料と合わせて無一文になっちまう「だからそれ今関係ないよね?あと僕が払うわけじゃないからね!」


 隣にいるリョウへ唾を飛ばす。


「元はと言えばお前が探査船から引き取ったからだろうが!俺たちは知らないと突っぱねていればこんな事にならなかったのに!」


 リョウが離婚の原因になった言い訳を捲し立てた。


「だってしょうがないじゃんあんな美人船長に助けてくださいって頭下げられたらそりゃ誰だって股間が上がるでしょ!「上手く言ったつもりかてめえ!」それで奥さんに逃げられた僕の気持ちも考えてよ!「自業自得だ!」


 変な女、マリサがぽつりと「男ってほんとっ…」と恨みがこめられた言葉を呟いた。

 

「ちょっと、ええと、いいですか?最近ニュースとか見ていないのでその制裁金というのが良く分からなくて…普通に回収を依頼するだけでは駄目なんですか?」


「ほら!これ見てこれ!」とリョウが自前の端末を取り出し、例の動画をヒイラギに見せていた。

 そのヒイラギは動画を見るなり頭を抱え始めたから何事かと思った。


「おいどうした」


「僕たち…今日、この人から逃げて来たんです…」


「はあ〜〜〜っ?!」

「ええ〜〜〜っ?!」


「マリサを標本にするって…これじゃ彼女が可哀想だと思って僕はこの人に楯突いて…」


「女を標本にするってどこのボーン・コレクターだよ!……ヤバいなこいつ、マキナと言っても皆んなが善良なわけではないんだな」


「僕の話、信じてくれるんですか?」


「ああ、キャミソール着てまで吐く嘘じゃねえだろ「もうそれ忘れてくださいよ!」


「でもヒイラギ君、おぼこい顔して格好良いことするね」


 ヒイラギにぴったり張り付いているマリサが小声で「おぼこいって何?」と訊き、ヒイラギが「幼いとか、そういう意味」と答えていた。仲良しだなこの二人。


(あ〜ん?そういやアーチーとはどうなったんだ?ちっ…あいつに連絡を取るのも癪だが…)


 こりゃ面白いものが見られそうだ。



✳︎



 以前と変わらないウエスタンさんが「必要な資料を用意するからまた明日」と唐突に言い出し、僕たちはすごすごとユーサの社員寮へ行くことになった、他にすることもないし。

 時間帯はまだお昼前、陽が高いうちにこうして起き出すのも何だか久しぶりだった。つい先日までは二日酔いに苦しみたくなかったからぐうたら寝るか、迎え酒をして誤魔化していたか、まあ、ろくな過ごし方をしていなかった。

 案内された社員寮は思っていたよりも広かった、間取りで言えば1LDK、部屋が二つはあるのは有り難い。

 でも、


「え、ここで君と過ごすの?」


「え?贅沢が言える立場なの?」


 そのままむくれてしまったマリサは一番広い部屋に入りスパン!と引き戸を閉めてしまった。


(何なんださっきは僕にべったり引っ付いていたくせに…でも女の人って感じがしなかったな、何でだろう)


 と、どうでも良い事を考えながら部屋の中を物色する。家事に必要な家電はあらかた揃っているようであり、さすがは国内有数の大企業だと感心した。

 でも、食材の類いが何も無かった。


「ねえ、何か買ってくるけど必要なものある?」


 扉越しに声をかける、扉越しに返事が返ってきた。


「スタンロッドと催涙スプレー「それ僕対策だよね」


 さっきもマリサはあの二人のことを酷く警戒していた、男性不信なんだろうか。


「……あっそ。適当な物買ってくるから後で文句言ったりしないでね」


「………」


 返事は無い。

 ああそうかと、何故マリサがずっとダウンジャケットを着ていたのか唐突にその理由が分かり、僕は意地悪を込めてこう言った。


「あとそれと、僕は胸が大きい女性が好きだから。君みたいにひらぺったい女性はアウトオブが「──それ以上言わないでえ〜!」


 寝室にあったらしいクッションを持ってマリサが突撃してきた!



「ほんと男の人って胸や足ばっかり見るよねその視線が嫌だから暑いのも我慢して厚着してたんだよ分かる?」


 訊いてもいないのにマリサが僕の後ろから言い訳を捲し立てる、それを聞き流しながら同じ敷地内にある卸し市場へ向かっていた。


「というかどうして厚着していた理由が分かったの?」

 

 一般の人たちも市場に足を向けている、その流れに添いながらマリサに答えてやった。


「さっき君が引っ付いていた時柔らかい感触が無かったからさ、ああ胸が無いのかって」


「なっ!」


 マリサがまた暴力を振るってきた、水着とチョッキしか着ていない僕の無防備な背中をばしんばしんと何度も叩く。


「いたたたっ」


「スケベ!変態!」


「いや、自分でも驚くほどドキドキしなかったから気にしなくていいよ」


「なっ!──そうですかそうですかヒイラギ君は胸が大きい女性が好きでしたもんねえ〜?!」


 これ見よがしに大声でそう言う、周囲にいた人たちは「死ねリア充」みたいな視線を送ってきた。


「何なのほんと、君だって僕を嫌っているんだからおあいこだろ」


「ふん!」


 そういう彼女も女性社員用の仕事着に着替えていた。セパレート式の水着の上からフード付きパーカーを羽織り、きっちりとファスナーを上げている。それでも確かに胸の膨らみは──「ほら!」


「な、何?」


「今胸見てたでしょ!」


「ああうん、綺麗なまな板だなと思って。魚を捌く人には喜ばれるんじゃ──いたたたっ」


 ダウンジャケット姿で彷徨かれるより、社員と同じ格好をしていた方が怪しまれないと思ったけど十分人の目を引きつけていた。

 市場に到着した僕たちはとくに何を話すでもなく、無言で必要な物を買い漁った。

 魚は勿論のこと、日用品から普通の食材まで何でも揃っている、ここに住んでいる社員が敷地の外に出なくても生活をやっていけそうな種類と量だった。

 買い物を終えたマリサがじっとバーベキュー会場を眺めていた。そこには家族連れや恋人同士など、色んな人が集い賑わいを見せている。


「バーベキューやりたいの?」


 さっきまでのキンキンした声ではなく、静かでしおらしい声で彼女が言った。


「去年、ここに来たことがあって、大好きな人と」


「そっか。今その人は?」


「…大好きな人と一緒にいる」


「ふ〜ん…」


 網に焼かれる磯の香りが僕たちを包む。


「その人はね、私と違ってもうパートナーがいるの、だからこのテンペスト・シリンダーまでやって来られた」


「君はその人に付いて行きたいんだ?自分が相手にされないって分かってても」


 マリサが僕へ振り返る、思っていたよりも悲しい顔はしていなかった。


「そう。変かな?」


 僕は思っていた事を正直に言った。


「君、ストーカーの気質があるよ、気をつけた方がいい」


 見る見る、それはもう見る見るマリサの温度が下がっていく。魚の鮮度を下げないようキンキンに冷えた氷よりも、冷たい目を僕に向けてこう言った。


「そりゃどうも」


「それ僕の真似?」


「〜〜〜っ!」


 買い物袋を振り回してきた!



 寮に引き上げ僕が昼ご飯を作り、意外にも素直に口にしたマリサに驚きながら僕も食べ、昼下がりの午後はとくに何をするでもなくぼんやりと過ごした。

 無性にお酒を飲みたくなる時もあったけど、不思議と穏やかに過ごせたので買いに走るようなこともしなかった。

 夕焼けを寮のリビングから眺め、夜になっても騒がしい市場の音を聞きながら夕ご飯を作り、もそもそと寝室から出てきたマリサがまた素直にたいらげ、片付けが終わってからシャワーを浴びてリビングのソファに寝転がる。

 引き戸一枚隔てた向こうには異性がいるというのにとくに緊張することもなく、夜の漁へ出かける船の汽笛を子守唄にしてその日は眠りについた。

 そして翌日、再び事務棟の会議室へ赴いた僕たちを待っていたのは──待っていたのが...


「…………」


「…………」


「あ、そうそう、僕の奥さんもそんな感じで睨んでたよ」


「悪いなヒイラギ、でも落とし前はつけないと駄目だろ?だから呼んだんだ、まあ座れや」


「リッツ…」


「先に仕事を片付けましょう。話はそれからです」


 わあお、リッツの敬語は初めて聞いた。

 クールビューティーのリッツがマリサに挨拶をする、それだけで何故だか心の臓を鷲掴みにされたような気分になった。


「お久しぶりですクルツさん」


「お久しぶりですアーチーさん、今日はスーツ姿なんですね」


 女性に対しては礼儀正しいマリサがそう話をする、それだけで何故だか針の筵に座らされたような気分になった。

 ニコニコ笑いを貼り付けたリッツが答える。


「はい、ここを退職して今は行政室の方に籍を置いていますから」


「行政室って…大統領行政室のことですか…?」


「ええ、はい、そうですが」


 ソファに座りかけていた僕の腕をマリサがぐいと引っ張り上げた。何事?


「…逃げた方がいい、今すぐ!」


「は、は?何で?…と、というかリッツに失礼じゃない?」


 小声で喋っていたくせに「どうして下の名前で呼ぶの?」と普通音量で言うものだからリッツが反応した。


「あの、お二人はどういうご関係ですか?」


 僕の腕を持ったままのマリサが、


「………パートナー?」


 何やら書類の束を持っていたリッツが、


「パートナーああっ?!……ちょ、ウエスタンさんすみませんが先に話いいっスか」


「ああ、別にいいぞ」とウエスタンさんはニヤニヤ笑っている。

 あ!そういう事!この人は修羅場を作りたいがためにリッツを呼んだんだ!と思った時にはもう遅かった。

 ババっ!と立ち上がったリッツが僕に近付き何をされるのかと身構えるとこれでもかと耳を引っ張られた。


「あたたた取れる取れる取れる─「いいからこっち来て!クルツさんこの人借りますね!」


 こういう時に限ってマリサが、


「あ、大事にしてくださいね、それでも一応私のパートナーなんで」と言うもんだからリッツの力がさらに強まった。本気で耳が取れるかと思った。

 会議室の外に出るや否や、


「あの人は何なの?!ホシ君の何なの?!私は?!というか私は?!君の誕生日に選ばれた私はどうなるのっ?!」


「ま、待ってリッツ!これには深い訳がっ」


「良くそんなテンプレ言えたね?!あれがまだアリーシュなら分かるよ?!それが何でまた陸軍の人なんかとっ!!」


 マリサをあれ呼ばわり。


「は、話せば長くなるんだ!と、とにかく今は皆んなのところへ「駄目!端的に言って!「な、何を端的に言えば…「私のことが好きなのかどうか!君が言ったんだよこれからも傍にいてほしいって!私がどれだけ君のこと待ってたと思うの!それが告白してくれた次の日から速攻姿を消されるだなんて夢にも思わなかったよ!」


 リッツに詰め寄られた僕は言葉を選ぶことなく正直に話した。


「僕があの日選んだのはスミスさんなんだ!それが結果的にこうなってしまっただけなんだ!」


 あのリッツが、心底馬鹿にしたように口を大きく開け、眉根を持ち上げて「はあ〜?」と言ってから、


「……まさかの三股っスかヒイラギさん…?」


「いや急な他人行儀、それ心にくるから止めてくれない?」


「何がどうなったら三股になるの?え、待って、私その三股に入ってるよね?まさか私は最初っからなかった?ねえ、なかった?」


 怖い怖い、目のハイライトが消えたリッツが心底怖い。


「マリサがないの!だから二股!」


「それも駄目だからね?!分かってる?!──じゃああの人のパートナー発言は何なの?!」


 これも正直に話した。


「あの人は特個体で僕はマキナの子供!だからそのパイロットに僕が選ばれたの!」


「──あ、そっスか、部屋戻りましょうかヒイラギさん、仕事の話をしましょう」


 え〜正直に話したのに...ウエスタンさんと同じ反応をされてしまった。

 リッツに続いて会議室に戻ると、ウエスタンさんとマースさんが顔を俯けて肩を震わせていた。


「──お、おお戻ってきたか!もういいのか?」

 

「ウエスタンさん、後で話がありますので」

「ウエスタンさん、後で話がありますので」


 阿吽の呼吸で僕とリッツが同じ言葉を放った。

 全然空気を読まないマースさんが、


「でも羨ましいねえ〜ヒイラギ君、二人の女性から言い寄られるだなんて」


「お前はちったあ反省しろや!そんなんだから嫁さんに逃げられんだよ!」


「え、私言い寄ってませんけど」


 マリサの発言が場を極度の混乱に陥れた。



 どうやらリッツも僕がここにいることはウエスタンさんから知らされていなかったらしい。ただ、シルキーに関してお願いしたいことがあるからと呼び出されていたようだ。

 混乱から復帰した僕たちはようやく本題に入った。


「生態系、それから潮の流れ、最後にユーサ第一港周辺の水位に異常が見られる…」


「そうだ。年明けから度々報告されるようになって調べてみた結果だ。つまりなんだ、ヒイラギにも言ったが何も解決していなかったんだよ」


「あの時は確かに…数メートル規模のウイルスを回収して二度もテロリストに襲われましたから…」


「それどころじゃなかった。ヒイラギ、お前の読みは当たってたんだよ」


「はい?僕ですか?」


「お前と言うより保証局だな、水が入ったコップにボールを入れるとその水が溢れるって言ってたんだろ?会議の議事録にそうあったぞ」


「──ああそれは、ヴォルターさんが…」


 ウエスタンさんがソファの背もたれに体を預け、その厚い胸板の上で腕組みをした。


「そんで、この世界はこう…上から蓋をされるような感じで閉ざされている」と、手でお椀の形を真似て自分の膝に蓋をするような形で置いた。

 リッツがウエスタンさんに尋ねた。


「信じているんですか?その話」


「いいや、でも俺たちの海の状況を考えれば無視できない。海は無限にあるかと思っていたが、もしこの世界が本当に閉ざされている場所なら海の総体積も決まっている、そこへ数メートル規模のウイルスやシルキーがうじゃうじゃと大繁殖したらどうなるかって考えたら、ああここはコップの中なんだと思ったんだよ」


「もし、このまま海中のシルキーが増え続けたら…街が海に飲み込まれる…」


「そうなるわな」


「う〜ん…僕は馬鹿げていると思うんだけどね、SF映画じゃないんだから」


「いいやどっちかと言うとパニック映画だろ」


「いやどっちでもいいですよ、ウエスタンさんの考えはおそらく的を得ています。この事を早く政府へ報告しましょう」


「うん、ヒイラギ、それは分かっているが忘れていることがあんだろ?」


「何ですかそれは」


 リッツが鋭く質問した。まだらに染めた髪の毛をがりがりと掻いてからウエスタンさんが答える。


「あ〜…実はな、今年に入ってから探査船が同じ海域を調査した時に…その、見つけたんだわ、それも六個も」


「──六個?え、六個もウイルスの卵を採取したってことなんですか?」


 マースさんが机の上に身を乗り出し、どこか楽しそうにしながら言った。


「そうそう!七分の一を当てた男だ!とか言ってたけど実は七つの穴全部に卵が入っていたんだよ!つまり、どれを選んでも当たりだったイカサマギャンブルってことさ!「何でそんなに楽しそうにしてんだ」


「か、回収した時期はいつなんですか?」


 マースさんがすっと身を引いて口をつぐんだ。


「おい、てめえの口から言えや」


「と、年明け…だったかな?」


「年明けえ〜?」

「年明けって…」


 またリッツと発言が被った。

 

「え、じゃあ何ですか、その間政府に報告せずずっと持っていたんですか?」


「それはさすがにマズいですよウエスタンさん、数ヶ月間も保有していたとなれば言い訳のしようが…」


「いや違うんだって!船長さんがね!引き取り先を見つける間だけでいいからって何回も何回も延長を申し込まれてね!それが気がつけば何度も会うようになって気がついたらご飯も食べるようになって「興信所から不倫認定食らったんだよな。お前馬鹿過ぎじゃね?」─ちょっと黙ってて!」


「あ〜それはもう…素直にそうだと言って政府に報告するしかありませんよ」


「けれど今は違反規定も設けられてしまいましたから罰金の支払い義務があります」


「そ、それをヒイラギから上手く話を付けてもらおうと…」


「その規定を設けたのはうちです、大統領行政室です」


「………」

「………」

「凄いねカズ、修羅場を見たいって呼んだだけなのに僕たちが修羅場になっちゃったよ」


 え、そうくる?


「あ〜…これ駄目な感じ?お前の方から話を付けてもらうとか…」


 クールビューティーなリッツは即座に返事をしなかった。暫く無言が続く。

 ウエスタンさんが何を悟ったらそんな事を言うのか、僕に土下座しろと言ってきた。


「何で?!」


「てめえがアーチーを選んでいればスムーズに話が通ったのに!そんな変な女と付き合いやがって!」


「え、私たち付き合っていません「ちょっと君も黙ってて!」


 クールビューティー・リッツがようやく口を開く。


「すみませんが、彼と交際していたとしても今回の件を内密に処理することはありません」


「そこを何とか!時期連合長として俺の名前が上がってんだよ!今は大事な時なんだよ!──どうか穏便に〜どうか穏便に〜…」


 ウエスタンさんがついに拝み始めた。

 さすがにリッツもウエスタンさんの姿を見て態度を改めた、クールビューティーから普段通りに戻っている。


「う、う〜ん…そう言われましても…内々で処理するってどうすりゃいいんスか…小粒のシルキーならまだしも数メートルのデカ粒を…」


「細かく砕く?──あ!すり鉢で粉にしちゃう?」


「出来ればとっくにやっとるわ!それが出来ねえから頼んでんだろ!」


「あ、手を加えたら駄目ですよ、複製の疑いと証拠隠滅の容疑で制裁金が上乗せされますから」


 二人が「え…」みたいな顔をしたけど見なかったことにした。

 困りに困ったリッツがこう言った。


「──分かりました!分かりましたよちょっとボスに頼んでみます、最近赴任された人もまだ話が分かる方ですから…もしかしたら…」


「──赴任した?え、最近新しく人が付いたのか…?それって…」


「はい、正式な発表は後日ですがうちにもマキナの方が付いたんですよ。お名前はドゥクス・コンキリオという方です」


「………」

「………」

「………」

「…だから逃げた方がいいって言ったのに」


 固まる男三人、マリサは昨日と同じように僕にべったり張り付いており、小声でそう言ってきたけど耳に入らない。

 リッツがマリサに尋ねた。


「何故ですか?どうして逃げる必要があるんですか?」


「う、う〜んと…それは、ですね…」


 女性には礼儀正しいマリサもさすがに言葉を濁した。僕も「その人に狙われているんだよ」とその人の元で働くリッツに言う勇気が持てなかった。

 僕はマリサの手を払い立ち上がった。


「な、何ですか…?」


「……おお」

「これは…」

「何で立ったの?」


 資料やら紙コップやらが置かれていたローテーブルを退かし、リッツの前に空間を作った。それだけでピンと来たらしいリッツが慌てて「いやホシ君!」と言うが僕の決意は変わらなかった嫌な決意だけど。


「お願いします!」とまず一声、DOGEZAを敢行した。


「行政室には内密にしてください!何でも言う事を聞きますから!」


「いやちょちょちょっ…ほんと困るんだって…」


 と、リッツが床に膝をついて僕を立ち上がらせようとしてくれた。本当にリッツは優しい。

 だが立たない。土下座とは相手の了承を得られるまでし続けるものである。


「お願いします!この人と縁を切れと言うのなら切りすまから!「─え?!いやそれは困る!ねえ本気なの?ヒイラギ君それ本気で言ってるの?私と縁を切る?ねえ、それ本気?「だったら君も土下座ぐらいしなよ!このままいけばまたあの人と顔を合わせることになるんだよ!それでいいの?!」


 「くっ」と悔しそうに喉を鳴らしたマリサ、観念したように彼女も僕の隣に並び──


「ああもう!分かったから!あなたまで土下座しようとしないで!分かりましたから!私が何とか話付けますから止めてー!」


 後日ウエスタンさんから「今カノに頭を下げて浮気相手の女へ乗り換えるダメ男にしか見えなかった」と教えてもらった。



✳︎



 私が一肌脱ごうではないか。

 

「失礼するよ。──こんな所で良かったのか?ここは資料室だぞ」


「ああ、ここで構わない。かの有名なネモ船長にでもなったような気分だ、立派なサロンとは言えないがね。天井まで届きそうな書物に埋もれているのは実に落ち着く」


(な、何故ここで海底二万マイルの話を…?)


「まあ…君がそれで良いのなら」


「それで?私に何か用かね」


「聞かなくても分かるだろうに、君が作ったルールが厳し過ぎると既に苦情が寄せられているんだ。何とかならないのか?」


「厳しいという事はないだろう。今日まで何度も政府から通達があったし、先日もディアボロスから直接的な回収依頼がされたはずだ、それでもなお所有し続けていた者たちが悪い」


「いやそれは分かるのだがね…君のやり方はあまりに完璧過ぎる。マテリアル・コアの調整中に各省庁へ根回しをして、登壇したかと思えばもう既に法案が可決された後だなんて。──ほら、見てみろこれを、君に付いた渾名が白い悪魔だぞ?」


「知っている。──このSNS、やはり一長一短が激しいな…」と言いながら彼も自前の携帯を取り出した。

 オフィスチェアに背中を預け、片手ですいすいと操作している。とてもつい最近までカウネナナイで生活していたとは思えないほど様になっていた。どこのCEOだと思ってしまった。


「このSNSを規制できんか?」


「それは無理だよドゥクス、君だって現に今使っているじゃないか」


「為政者にとってウルフラグはやり難い、その点カウネナナイは国民が容易に情報を取得できる環境ではなかったからやり易かった」


「だが、向こうの年間死亡者数はウルフラグと比べものにもならないほど多い。国民一人一人の豊かさでは言えばこちらの方が上だ」


「それは分かる。この椅子、作りは安いが座り心地が抜群に良い。それに何処へ行っても適切に管理された空調設備に、労せずして食糧が手に入るのもやはり良い、向こうではこうはいかん」


「座り心地とは…随分と庶民的な感想を持っているのだな」


「腰を馬鹿にしてはいけないよマクレーン」


「肝に命じておこう。──話を戻すがシルキーの所持に関する罰則規定の緩和は無理かね?」


「無理だ。現に私が通したお陰でシルキーの回収率が上がっている、アレは何が何でもここから排除しなければならない。先に動いたガイアたちはまだ手緩いと言わざるを得ない」


「それなら医療転用の件はどうなる?君が電光石火で法案を通したものだから告訴中の医師会が先送り、何なら私たちの味方になってくれと熱烈なラブレターが届くぐらいなんだぞ?」


「それは知らん。医療転用について私からとやかく介入するつもりはない」


「矛盾しているぞドゥクス、シルキーを躍起になって排除している割には医療の転用について口出ししないとは」


「……まあ、私にも人の心があるという事だよ。その転用目的はコールダー家の一人娘の為にしている事なのだろう?それぐらいは目を瞑るさ」


「何故コールダー家が?……まさか、君…」


「彼らを拘束させてもらった、今はカウネナナイに幽閉させている。本来であれば去年から閉じ込めておくつもりだったのだがね」


「何故そんな事を…」


「彼らの流通網がシルキーの繁殖に一役買っているからだ。──これ見てみろ」


 ドゥクスから渡された携帯の画面を見やる。しっかり保護カバーがされているあたり大事に使っているのだろう。


「これは…カウネナナイとウルフラグの海路図か?」


「そうだ、そして二枚目の画像はそれらに沿って生息域を広げているシルキーのものだ」


「確かに…船の航跡に従ってシルキーが…何故こんな事が起こる?」


「調査中だ。だが、どのみちコールダー家が持つ流通網がこの世界で最も広い、彼らが動けば動くほどシルキーたちが増えていく。そして、君の部下が昨日持ってきた報告書だ」


「水位の上昇……確かにそうかもしれないが、素直に事実を説明して交易事業の凍結を要請したらどうだね」


「君は何の為にここへ来たんだ?罰則規定の緩和が目的だったのではないのかね、どこぞの姑のようにぐちぐちと文句を言いたいだけなのか?」


「それを言うなら君だってそうさ、突然顔を出したかと思えば行政室の相談役に就任したと宣い、挙げ句に自分の部屋を用意しろだのと。ここは私のフィールドだ、そして君の仕事が私たちの邪魔をしている」


「暫く辛抱したまえ、事が終わればすぐに去る」


 しまった...つい感情的になってしまった。私に興味を失くしたように携帯を弄り始めてしまったのでもう話し合いは無理そうだ。

 退出する間際にドゥクスが声をかけてきた。


「君の部下に伝えておいてくれ。社名の公表と一定期間の営利営業の禁止か、こちらが指定した制裁金を納めるか、どちらか選べとね、選択の自由は与える。何、そのうち彼らの方からやって来るさ、特個体を連れてね」


「………」


 去り際に「少しは部下思いになりたまえ!」と遠吠えを吐いて部屋を出る。

 私のことを待っていたリッツに報告するとがっくりと肩を落としていた。


「そりゃそうっスよね〜…」


「すまないリッツ、力になれなくて…」


「いや、いいんスよ、元々無茶なお願いでしたから」


「う〜んだがねえ…ユーサの事情も仕方ない部分があるにはあるんだ。だからと言って詳らかに説明する訳にも…」


「関係者の一人が元奥さんと調停中だったために報告が遅れたなんて…そりゃ言えませんよね〜」


「すまない」


 もう一度頭を下げ、リッツの乾いた笑い声が頭から降り注いだ。



✳︎



「駄目っス、諦めてください」


「いや何でだよ!ヒイラギの土下座を無駄にするつもりなのか?!」


「けれど譲歩はしていただけました、本来であれば制裁金の支払いと社名の公表が義務付けられていますが、指定する金額を支払えば内々に済ませていただけるみたいです」


「それってつまり…黙っててくれるって事かな?」


「そうです、これ以上は無理です」


「その金額っていくらなんだよ?」


「……これです」


「………何だよこの金額!船が何隻買えると思ってんだよ!うちらの漁船全部買い直してもお釣りがくるじゃねえか!」


「私に言われても…」


「あ〜これやっぱ連合会議に出さないと駄目なのか…?うちらの予算だけでは無理だ…」


「第一港の予算をかき集めたら何とか、だけど…それだとどのみちに報告しなきゃいけないし…そうなると僕たち完全に出世コースから外れるね「お前はもう外れてんだよ」


 土下座をしたのは昨日、そして今は薄雲が広がる午後、僕たちは三度会議室に集合していた。

 リッツもユーサの為に頑張ってくれたみたいだけど、さすがに何の痛手もなくシルキーを回収するのは無理だと説明してくれた。

 皆んな、重たい沈黙に身を任せるように静かにしている。誰も訊かなかったので僕の方からリッツへ尋ねた。


「その、支払いはいつまでなの?」


「生々しい会話」


 マリサの突っ込みを無視してリッツが答えた。


「今月末までに…」


 ウエスタンさんが当然の事を言った。


「いやそんなの無理だろ!あと数週間しかねえ!」


「これはやっぱりあれかな…ユーサとして政府に対応してもらうしか他にないのかな…」


「そうなりますね…」


 僕の質問が皆んなに止めを刺した形になってしまった。

 しかし、僕にはある考えがあった。こほんとわざとらしく咳払いをして皆んなの注目を集めた。


「あんだよ、何か言いたげだな」


 ウエスタンさんが良い振りをしてくれた。


「僕に妙案があります」


「妙案?何だよ言ってみろや」


「ねえ、まさかわた「カジノので資金を増やすんです」


 あれ、マリサが何か言いかけたけどまあ良いか。


「………」

「………」

「………」

「ほ……」


「──よし、こうなりゃ大物を釣り上げるか!もうそれしかねえ!月末までに四十本釣れたらいいんだからよ!「あれ、僕の話は?」


 ウエスタンさん、それからマースさん、そしてリッツが猛反対してきた、つまり全員である。


「んな馬鹿な事で金が稼げるわけねえだろ!」

「もし失敗したら火傷じゃ済まないんだよ!」

「そうだよ何馬鹿な事言ってんの見損なったよ!」


 予想通りの反応である、しかし僕には自信があった。


「けれど、期日までにお金を用意出来るんですか?それも他人の力を借りずに、無理でしょう」


「それはそうだがそこでギャンブルに飛びつくのは愚か者がする行為だ」


「大丈夫です、僕なら出来ます」


「はあ〜…あのなあ、ギャンブルってもんは所詮運なの運、当たった外れたを楽しむ娯楽であって自分の人生を賭けていいもんじゃねえんだわ」


「君その自信はどこから来るの?ただのビギナーズラックでしょ?」


「この一ヶ月近くカジノの通い続けていましたけど勝った金額と負けた金額が同じです。それにディーラーたちの癖も見抜いていますから」


「あのホシ君…ほんともう止めてくれない?土下座された方がまだマシだよ。俺なら勝てるって力説する男の人ほどダサいものはないんだから」


「ぐっふぅ…」

「うぅっ……」


 何故かリッツの言葉にウエスタンさんも大ダメージを負っていた。

 それでも僕は一歩も引かなかった。


「……で、でも、僕なら大丈夫なんだって!信じてよ!というかもうこうするしかウエスタンさんたちに貢献する術が無いの!」


「他にあんだろ〜…例えば…例えば…」


「無いでしょ?!──じゃあ今から連合会議に制裁金を捻出してもらうようお願いしますか?そんな事すればお二人がどうなるか分かったものじゃない!」


「そ、それは…」


「何も僕は遊びたくて言っているんじゃないんです!皆んなの為にカジノで稼いでくると言っているんです!」


「う、う〜ん…」


 あともう一押しという時にマリサが援護射撃をしてくれた。


「そこまで言うなら君が実際に稼いできたら?」


「あのねあなた…曲がりなりにもパートナーだと言っている相手にギャンブルを勧めるの?どうかしてるよ」


「確かにね。でもこの人、痛い目見るまで納得しないと思うよ」


「いやそうかもだけど…」


 皆んなの歯切れが悪い、返答も曖昧だった。

 ならここは実際に稼いでくるのが一番早いと思い、僕だけ席を立った。


「おい何処行くんだよ。まさか本当にやるつもりなのか?」


「マリサ、僕の口座のお金覗ける?」


「え〜何でそんな生々しい事のためにハッキングしないといけいなのすっごい嫌なんだけど」


「でも、ここで今の残高を皆んなに見せておかないと勝った証明にならないでしょ?」


「それマジで言ってんの?」


「いいから!ここに来て毎日僕がご飯作ってあげているんだから!「はあっ?!」たまには働きなよ!」


 リッツが凄い顔をしてマリサを睨んでいる。


「え〜〜〜………何が悲しくて冴えない男の口座をハッキングしないといけないのよ…」


 本当に嫌そうにしながらふっと目を閉じ、一分もしないうちにポケットから携帯を取り出し僕の残高を打ち始めた。というか携帯持ってたんだ。

 まずは僕に「ん」と見せ、うろ覚えだけどそんな感じの残高だったので「うん」と答え、それからマリサが皆んなに見せた。


「お前意外と金持ってんのな」


「へえ〜、普通カジノに一ヶ月も入り浸っていたら口座のお金なんて空になるはずだけど…」


「ねえホシ君、本気でやるの?私は君のことを止めたいよ」


 そのリッツの真摯な声はさすがに堪えたけど、やると言った以上はやらなければならない。


「ごめん…僕はこんなやり方しか知らないからさ」


「………」


 リッツは何も言ってくれなかった。



✳︎



 時刻は深夜、あと一時間もしないうちに日付けが変わろうとしていた。

 うつらうつらと船を漕いでいると、玄関の扉を誰かがドンドンと叩いてきた。私は一つだけ溜め息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。


「どちら様ですか〜」

 

「あれ…鍵どこだっけ…開けて〜マリサ開けて〜」


(はあ…)


 明かりを点ける、来たばかりなので何も置かれていない寂しい玄関が露わになった。

 彼がしつこく扉を叩くものだから、つい「はいはい」と言いながら開けてやった。途端にむわっと、初めて会った時と同じ酒の臭いが押し寄せてきた。


「うんわくっさ…もうどれだけ飲んだらそうなるの」


「もう臭い臭い言い過ぎだから〜」


「はいはい、さっさと入って近所迷惑でしょ」


 あまり触りたくなかったので彼の襟をむんずと掴んでずるずると引っ張った。


(ほんと…こんな事してて本当にあの人に追いつけるのかな…)


 シューズボックスに背を預けた彼が、ごそごそとポケットから何やら取り出した。その弾みでウルフラグの硬貨ではない、おもちゃのようなコインがじゃらじゃらと落ちてきたではないか。

 その一つを摘んで自分の手のひらに置いた、中央に「1000」と書かれており、その周囲を煌びやかな模様が囲っている。


「何これ、どうしてこんなに沢山持ってるの」


「ああ、それ、換金するの…まあ明日でいいか………Zzz…「ええ〜こんな所で寝る普通」


 面倒臭かったのでそのまま放置、私は寝室へ向かった。

 翌る日、体が痛いとぼやていた彼がまたカジノへ出かけていった。

 ああそういえば私のご飯はどうすれば?と考え始めた矢先、来客があった。その相手は、過去にどうやら彼と関係を持っていたらしいリッツ・アーチーだった。


「お邪魔します」


「どうぞ。なんにもないけど」


 ちょうどお昼時のタイミングだったこともあり、彼女は手土産のつもりなのか紙袋を持っていた。私は料理なんかしたこともなく、またほいほいと出歩いて買い物できるほど勇敢でもなかったので割と本気で悩んでいた。


「あ、その…それって食べ物だったり…する?」

 

 リッツが「えっ」と驚き、ゆっくりと中を見せてくれた。


「ごめん、これ彼に見せようと思って…」


「ああ…まあ確かにそういうのも必要かもね」


 『更生』という文字は読めた、後は彼が読むものなので続きを追うようなことはしなかった。

 とくに仲が良いわけでもないのに敬語を使わず話をしていた、今さらかなと思ったけど念のため断りを入れておく。


「あの、今さらかと思うけど…タメ口で話してもいい?」


「別にいいけど…もしかして料理できない…とか?良かったら私が…」


「えっと…いい、かな?凄く助かる」


 彼女は困ったような、男の子のような、頼りない笑顔を浮かべた。



 彼はなかなか気が利くようで、備え付けの冷蔵庫の中には料理をすれば食せる食材が残されていた。

 その中から彼女は「簡単な物だけど」と言って、サラダと私が好きなナポリタンを作ってくれた。ウィンナーの香ばしさとケチャップの酸味が良く合い、抱えていた空腹感を解消して満足感を与えてくれた。とても美味しかった。

 出会って間もない相手に料理をねだるだなんて私も大して彼と変わらない、"ろくでなし"という意味で。

 だけど仕方ない、最低な男から逃げるためにこっち(現実)へやって来たのだから。

 最初はあの人のように食べる必要があるなと、あの人の真似ができると喜んでいた、けれど自分で用意しなければならないという苦労に挫折し、今日までのらりくらりと過ごしてきた。

 だからこそ、こういったきちんとした食べ物がたまらなく美味しく感じた。

 彼女も私の境遇を悟ったのかとくに嫌な顔をせず一緒に食べ、食事が終わってから丁寧な言葉で尋ねてきた。こういう細かい気遣いは男性にはできない。


「あの、クルツさんって、今日までどうやって食事していたの?」


「女性しかいないお店で買ったり、とか。ここの市場はガラガラ声の男の人しかいないからちょっと、いやかなり困ってた」


「男の人が苦手なの?」


「うん、はっきりと言って」


 これには故あっての事だが彼にもまだ言っていない事だった。


「そっか。私も少しだけ苦手なんだよね」


「そうなんだ?」


 思ってもみない共通点が分かり、上擦った声が出てしまった。少し恥ずかしい。


「うん、男の人ってあまり人の話を聞かないじゃない?自信があるのは良いと思うんだけどやり難いというか、それに少し注意しただけで怒ってくるし」


「……そうだね」


 私と違う"苦手"だと分かり心がしゅんとする。私はそもそも男性と喋りたくないのに対し、彼女は付き合いをしている上での"苦手"だった。雲泥の差だ。

 食器の片付けは私が買って出た、彼女から「丁寧だね」と褒められた。たったそれだけの事でしゅんとしていた心が上向く。

 片付けが終わり、リビングで二人再び向かい合う。彼女も人心地がついたのか、踏み込んだ事を尋ねてきた。


「ホシ君とは何処で知り合ったの?」


 遠回しな質問だ、彼女も私との距離を探っているのだろう。


「海沿いの公園で、あまり綺麗じゃない街の近く」


「あ〜…カジノとかがある場所って確かにあまり綺麗じゃないね。そこで出会ったんだ?」


「うん、凄い打ちひしがれていて、今なら大丈夫かなって」


「今ならって…それよりも前から彼のこと知ってたの?」


「……彼から私の事、その、何か聞いてない?」


「………」

  

 彼女のつんとした、男の子のような可愛らしい瞳がふっと逸れてしまった。鞄の中から携帯を取り出し画面を見ている。

 窓の外から、ついさっきまでうるさいと感じていたガラガラ声が何故だか今は有り難いと感じていた、この無言の寂しさを紛らわしてくれるから。

 からんからんと乾いた鈴の音が止んでから彼女が言った。


「一応は聞いてる…あなたが特個体で彼がマキナの子供だったって…本当なの?」


「うん」


「それじゃあ、私の携帯もハッキング出来るの?今何が表示されているか当ててみせてよ」



 それから、無気力感に身を任せてベッドに寝転んでいた私の元へ二度、来客があった。

 一人目はマースという男性で、女性であれば誰彼構わずいやらしい目を向けている人だった、だからあまり警戒せずにいられた。だからと言って部屋にあげるようなことはしなかったけど。

 その人からはお菓子を貰った、「ヒイラギ君と食べて」と手渡され(その際少しだけ手を握られたので堪らなく嫌だった)、彼が帰ってくるまで私一人で全部たいらげた。

 お菓子の箱を処分していると次はウエスタンという男性がやって来た。日焼けしており全身黒い、髪もまだらに染めて胸板も厚く、見るからに怖そうな男性だ。

 その人は来るなり「邪魔するぞ」とずかずか、一通り部屋の中を見て「何か足りない物はあるか」と私に訊いてきた。

 早く帰ってほしかった私は「とくに」とだけ答え、その人が「もし必要ならヒイラギの奴に伝えておけ」とだけ言い、そのまま帰ってしまった。

 私の態度を見て一歩引いてくれたのかもしれない、男性と言っても相手を見る力を持つ人だっているのだと、少しだけ勉強になった。

 そして夕方、料理を作ってくれる人もいなく、貰ったお菓子も考えもせず全部たいらげてしまった私はお財布を抱えて玄関先に立っていた。

 自分で買い出しに行かなければならない、冷蔵庫の中には生の魚しかなく、試しに一度だけ噛んでみたけどさすがにこのままでは無理だと諦めた。

 ドアノブに手を伸ばす、手をかけただけなのにそのドアノブが一人でに回り始めた。

 ガチャリと扉が開く、彼と目が合った。


「あ、今から出かけるつもりだった?一応ご飯買ってきたんだけど」


「………」


 不覚にも、いいや、ご飯を持って来てくれた人が現れたことに、そう、決して彼にではなくご飯を持って来てくれた人が現れて──心から安堵した。



✳︎



「今日は珍しくお酒臭くないんだね」


「ああ、うん、酔っ払いはカジノに入れないからね。昨日は勝った勢いでべろべろになっちゃって、二日酔いのままカジノに行ったら締め出されちゃって。通えないんならお酒は暫く控えようって」


「ギャンブルの為にお酒を止めるって…更生してるのかさらに駄目になろうとしているのか分からないね」


「そもそもカジノで資金集めしてる時点で駄目でしょ」


「あ、自覚はあったんだ、じゃあ何でギャンブルしようと思ったの?」


 何?何なの?何でこんなに話しかけてくるの今日は。


(何か良い事でもあった?)


 食べ終わった後片付けをしながらマリサと会話を続けた。


「何かをしたかったんだよ、それも自分の為じゃなくて誰かの為に、何でもいいから目的を持って動きたかったんだ」


「それでカジノ通いなの?」


「あのね、ドン底まで落ちたらなかなか思うように動けないものなんだよ。リハビリってやつ?」


 人数分の食器と備え付けの調理器具しかない寂しいキッチン、シンクのすぐ隣に可燃物専用のゴミ袋が直接置かれている、その中に二つか三つ、お菓子の箱を見つけた。


「ふ〜ん…そういうものなんだ」


「そういう君だって何もしてないじゃん」


「………「いたっ」


 無言で僕のふくらはぎ辺りを蹴ってきた、声には出たけどあまり痛くはない。

 

「誰か来てたの?」


「えっ、ど、どうして?」


「ゴミ袋の中にお菓子の空箱が入ってるから。ちゃんとお礼言ったの?」


「ち、違うからそれ、自分で買ってきたやつだから」


「ふ〜ん…男の人が苦手なんだと思ってたけど、そうでもないんだね」


「………」


 片付けも終わり、シャワーを浴びてカジノの収支計算をしようとすると、マリサがマグカップ二つ持って僕の真ん前に座った。


「………」


 無言で差し出される一つのマグカップ、コーヒーの匂いだ。

 

(え、何?ほんと何?)


 そして僕も無言で一口啜る。相手の出方が気になったのでマリサの言葉を待った。


「………」


「………」


「………」


「………」


「………」


(あ、もう半分なくなった)


「………」


「………」


「………」


「………」


「………」


「…ご、ごちそうさ「あーもう何?!ごめんごめん、何か用事があるんじゃないの?」


 最後は涙目になっていたマリサが何も言わずに去ろうとしたので引き止めた。


「だったら最初からそう訊いてくれたら…」


「いや、君がこんな事するから珍しいなと思って。何?何か欲しい物でもあるの?」


「違う。さっきの話だけど、当たってるって言いたくて」


「………?」


「男の人が苦手って話、それ、当たってるの」


「──ああ、だろうね…君、マースさんとウエスタンさんのこと避けてたし、それに最初買い出しに行った時も女性の人としか喋ってなかったでしょ」


「うん…昔嫌な事があって」


「ま、誰にでも嫌な事はあるよ………「え、待って、私の話よりお金の計算の方が大事なの?」


(めんどくさい…)


 自分の話をしたかったのか...最初からそう言えばいいのに。


「その話、僕が聞いていいものなの?」


「うん、だって君、一応は私のパートナーだから」


「で、何?」


 訊き方がマズかったのか、途端に眉を寄せ始めた。


「そんな雑に……まあいいけどさ。……私の家族、って言い方は少し変なんだけどね、あと二人いてさ「ガングニールとダンタリオンでしょ?「──え?」それで、あのドゥクスって人のせいでバラバラにされて、君はその事でずっと悩んでいた。違う?」


 マリサが信じられないものを見るような目をし、大真面目にこう言った。


「君…エスパーなの?」


 さすがにその言葉に笑ってしまった。


「笑われるのムカつく…」


「ごめんごめん、何にでもハッキングできる君が真面目にエスパーなのかって訊くのが可笑しくて」


「いやでも、私そうだと言ったわけでもないのに、どうして分かったの?」


「そりゃ分かるよ、この間ドゥクスと会話しているのを聞いてたらね。その事と男性不信に何か関係があるの?」


「うん、そのせいだから。ダンタリオンが突然ドゥクスに付くべきだって言い始めて…私はそれはおかしいって反論して大喧嘩になって…」


「…それで?」


「二人から無視されるようになった…」


「………」


「信じていた相手に裏切られて…もう誰を見ても怖くなって…」


 マリサが淹れてくれたコーヒーを飲み干す、最後の方はほぼ砂糖の塊だったので酷く甘かった。

 

「それからずっと独りだった」


「そう…その時に君は大好きな人と出会ったんだね」


 マリサが伏せていた目を上向けた。


「君…ほんと良く分かるんだね、私の事」


「だって良く聞くラブストーリーの映画みたいなんだもん。マフィアのボスに家族をバラバラにされて、傷付いていた時に生涯を共にするパートナーと巡り合って、最後はボスをこてんぱんにやっつけてハッピーエンドでしょ」


「…………………」


「君の昔話は捻りが無いから面白味も無い。いい?ストーリーって起承転結に準えて作った方がある程度──タイム!待って!そのマグカップは下ろして拳は上げたままでいいから!」


「〜〜〜っ!!!!」


 もう顔を真っ赤にしたマリサがマグカップを持って襲いかかってきた!



 翌る日、すっかり僕たちの溜まり場になった会議室で今日までの結果を三人に報告した。


「……マジかよ」


「……え、これ、本当に君が…?」


「ああ、嘘…信じられない…」


「…………………」


 マリサ以外、皆んな僕の通帳を見て驚いていた。

 あれから二日しか経っていないけど、僕の残高はカジノで勝ったおかげでどんと増えていた、「銀行強盗でもしたの?」と言わんばかりに。


「あ、これ銀行強盗でもしてきたの?」そらみろ。

 失礼な事を言ったマースさんに自信を持って答えた。


「カジノです。連勝は無理ですけどね、こうやって増やせるんです」


「マジかよ……」語彙力が途端に低下したウエスタンさんは熱い眼差しで通帳を眺め続けている。


「あと数日か長くても一週間、こんな感じでやりくりすれば制裁金を整えられるはずです」


「マジかよ…」


「いやこれは凄いね、とてもじゃないけど真似できないよ…」


「………あ、ちょっと自分、いいっスか」


 ──後にして思えば、この時のリッツの発言から皆んながおかしくなってしまったんだと思う。

 目が少し変になったリッツがこう言った。


「ホシ君にベットしていいっスか…?」


「はい?ベットって…」


「私のお金をホシ君に預けます」


 これには僕たち男衆がぎょっ!と変な声を出してしまった。


「おまっ──何考えてんだよ!」

「そうだよ!それ自分のお金も増やしてもらおうって魂胆でしょ?!」

「リッツ!君が一番反対してたじゃないか!」


 するとあのリッツが、無邪気な男の子の笑顔を見せるリッツが皆んなの前で頭を抱え始めてしまった。


「お金が…お金がいるんだよ…前に長期入院していた分は保険と両親のお陰で何とかなったけど…そのお金を両親に返さないと…」


「………」


 一応、僕もその件に関して責任を感じていたので何も言えなくなり、苦しむリッツの姿を見て、折れた。


「……分かった、僕が何とかする」


「マジかよ!!……え、じゃあ俺も」


「止めなってカズ。リッツもギャンブルに頼るのは良くないよ、それとお金がいるとか生々しい話も禁止」


「す、すんませんっス…」とそこで終わっていれば良かったものを...普段は自分から口を開こうとしないマリサがマースさんを煽るもんだから歯止めが効かなくなってしまった。


「そういうあなたは大丈夫なんですか?」


「──えっ、な、何が?」


「確か、奥さんと調停中だったんですよね」


「マリサ?何言ってんの?」


「昨日貰ったお菓子、家庭裁判場の近くにある名菓子店の物だったみたいで、きっと裁判場の帰りに買ってきてくれたんだろうなって「全部食べたの?何で残してくれなかったの」


 リッツに代わり、今度はマースさんが頭を抱え始めた。


「多額の慰謝料に毎月の養育費…子供の面会は成人過ぎてから…このまま向こうと折り合いがつかなかったら裁判にかけられる…「てめえが一番生々しいんだよ」


 リッツとマースさんの闇を知り、「あ、皆んな意外と悩み事を抱えているんだ」と心が軽くなった瞬間だった。


「そういうあなたは?」とマリサがさらにウエスタンさんへ話を振った。


「ああん?俺はもう経験済みなの、だから止めたけって言ってんだよ「さっきは俺もとか言ってましたけど…」


 はあ、とわざとらしく溜め息を吐いてから語り始めた。


「俺の名前、変だと思わないか?カズ・ウエスタンって」


「まあ…呼び難いなとは思っていましたけど…」


「俺婿入りなんだわ。昔、ギャンブルで多額の借金こさえて破産して、そん時に付き合ってた女に面倒見てやるから苗字を変えろって言われたんだよ、で、折れた」


「それは、何というか……」


「な?だから止めとけって言ってんの、ギャンブルに傾倒したってろくな事にならない。経験に勝るものは無いんだから年長者の言う事は聞いておけ」


「でも、ギャンブルが好きなんですよね?一番目が輝いていましたよ「ねえほんと何なの君、何で君がギャンブルを勧めるの?」


 最後の砦(?)だった破産経験者までもが頭を抱え始めてしまった...


「ああ…でもたまには、行きてえな〜とくに今みたいなむしゃくしゃしてる時は…スカッとしてえよ〜…」


 そうして三人揃ってうんうんと頭を抱え、これはマズいと席を外そうにも勿論止められてしまった。


「待て、お前がカジノで稼げる奴だと分かったんだ、自分だけ楽しもうったってそうはいかねえぞ」


「嫌ですよ他人のお金でギャンブルするのは、冗談じゃありません」


「リッツを見捨てるのか?」


「うう〜〜〜ん………」


「一人も三人も一緒だ、な?一回でいいから!「いやそれ絶対ズルズルいくやつ!」


「金が欲しくない人間なんてこの世にいるのか?!ああん?!「ああもう分かりましたよ!一回だけですからね?!負けても知りませんからね?!」


「よおしそうこなくっちゃ!──おいマリサ!お前、特個体なんだろ?この間こいつの口座覗いたみたいに俺たちの金をこいつの口座にパパっと移せないか?」


「できますよ「できるの?!それ大丈夫なの?!」大丈夫でしょ、今時アプリで送金してるぐらいなんだから」何で料理のレシピは知らないのにそんな事知ってるの!」


 ああ、ああ、もう駄目だ、リッツもマースさんもマリサにこれこれこのようにとお金の額を教えている。

 欲に目が眩んだ人間は見境がなくなってしまういや自分もそうなんだけど、だから三人に強く文句を言うことができなかった。

 それから会議室を後にしていつものカジノへ向かう道すがら、銀行に寄って残高を確認すると、


「マジじゃん…本当に入ってる…え〜本当にやるの?」とATMの前で独り言を言って周囲にいた人たちから変な目を向けられてしまった。

 そして...こういう時に限って連戦連勝するんだから...これで負けていれば始末が良かったのに...

 翌る日、当然の如く、二回目のベットがなされた。


「お前マジで凄えじゃん!……今日も頼むわ」


「嫌です!「頼む!」い・や・で・す!「頼むから!勝った金ちょっと貰っていいから!「い〜や〜で〜す!」てめえ!リッツを見捨てんのかよ!それでも男か!「くっ……」


 僕は逃げの一手を打つ、けれどそれが良くなかった。


「そんなにお金を増やしたいんなら自分たちで勝手にやってください!ギャンブルってそういうもんでしょっ?!」


 リッツが言った。


「私…ちょっと行ってみたかったんだよ、カジノに。教えてくれない?」


「…………」


「リョウ、午後から半休な」

「カズ、もう出しておいたから、こうなるって分かってたからね」


 え〜まさかの皆んなでカジノ?

 皆んなを唆していたマリサが謎に「じゃあ私はこれで」と言うもんだから、女の子だと分かっていてもその細い体を羽交い締めにして止めた。


「いやあっ!──ちょっと「駄目!絶対駄目だから!君も来るんだよ!というか君が皆んなを唆したんだよ?!責任取って付いて来て!「わかっ──分かったから離して!!」


 その後、リッツから割と重めの拳を食らって五人皆んなでカジノへ向かった。

 その日はもう...ほんと酷いくらいに負けた。皆んなのお金で勝った分も失くなる勢いで全員ボロ負けした。


「二度と来ない…」


 来た時とは打って変わって青い顔をしているリッツとカジノ内にあるフードコートで合流した。残りの二人は負けを取り戻すためディーラー相手にポーカーをしている。


(あれは無理だろ。あのディーラーも借金あるから手加減してくれないし)


 マースさんもウエスタンさんもどんどんチップを奪われていた。

 リッツは増えた分だけ換金して、ゲームの内容も良く分からないうちに失くなってしまったらしい。


「これ、何が楽しいの?」


「う、う〜ん…それは勝ってみないことには分からない楽しさというか…」


「そうなんだ。まあでも、私には合わないからもういいや、良い勉強になったと自分に落とし前つけておくよ」

 

「その方がいいよ」


 ──と、そこへ、顔を青ざめさせたマリサがこっちに向かって走ってきた。


「来て!いいから来て!」


「え、何?もうやる気ないよ、皆んな負けてるんだから」


「──いいから来て!助けて!どんどん溢れてくるんだけど!」


 嫌な予感...

 マリサに腕を取られるまま向かった先はやっぱりスロットコーナーであり、一つのスロットマシンから壊れたようにメダルが払い出されていた。

 僕たちに付いて来たリッツが「え?!」と驚きの声を上げる。


「も、もしかして…あれ、クルツさんが当てたの?」


「そうなの!良く分かんないんだけど他のマシンより馬鹿みたいにメダルが出てくるからさ!あれ何?!もしかして私壊した?!」


「違うよ、あれ、ジャックポットっていうシステムで皆んなが賭けたお金の一部が積み立てられるシステムなんだ。で、何万分か何十万分の確率で当たる。その当たりを君が引いたんだ」


「えええっーーー!」

「えええっーーー!」


「ええじゃない!早くメダルを集めないと他の客に取られるよ!」


 ま、実際そんな事ないんだけど。

 何故かリッツも慌て出し、僕も混じって三人で回収し、途中でカジノのスタッフにヘルプを求めたり、何やかんやしている間に負けていたマースさんとウエスタンさんも合流、こそこそとポケットにメダルをくすねていたのでそれを嗜めたりと大忙しだった。

 で、換金した額が皆んなの負け分を取り戻すどころか僕が稼いだ分よりも遥かに上回り、一気に大金持ちになってしまった。

 ところが、とんでもないビギナーズラックをかました本人が「君が預かってて」と言うもんだから二人が「ノリ打ちにしようぜ!」と言い出し(ノリ打ちとは賭け金を共有する事。当選金も共有することを差す)、早く帰りたかったらしいマリサが「じゃあそれで」と僕の口座を綺麗に四等分してしまった時から完全に狂ってしまった。

 翌る日も皆んなでカジノへ行き、「私は要らないから!」と固辞していたはずのリッツが皆んなが見ていないところで、マリサにペコペコと頭を下げているところを目撃してしまった。


(あ〜…見たくなかったけど…そんなもんだよね…)


 それから僕は不思議とリッツに対して気軽に付き合えるようになった。僕は彼女に対して"気後れ"みたいなものを感じていたらしい。けれど、お金を分けてくれた人にお辞儀しているところを見てきっと肩の力が抜けたんだと思う。

 カジノ内でリッツと顔を合わせたら冗談を言ったり揶揄ったり、その度に彼女は笑ったり怒ったりと、まるで友達のような反応をしてくれた。

 最初は乗り気じゃなかったマリサも段々と皆んなの前で笑顔を見せるようになった。

 そして、マリサがこつこつと勝って貯めたチップをウエスタンさんが「倍にしてきてやる!」と宣言し、僕も良く嗜むルーレットで見事一発で当てた時はマリサも大喜びしてウエスタンさんに抱きついていた。

 そんな様子を見ていた僕もついに"理性"という頭のネジが飛び──。



 本当に楽しい二週間だった。

 勝った日は皆んなで豪遊した。飲めもしないのに大量のお酒を頼み、食べ切れもしないのに沢山の料理を注文した。その場に居合わせた客たちに振る舞ったりお金をばら撒いたり、ほんとに下らない遊びを皆んなで笑いながらやった。

 負けた日は安酒を皆んなでちびりちびりと分け合い、やれあのディーラーの癖はどうだ、やれあのディーラーは借金があるからガチで勝ちにくるとか、やれ角から何台目のスロットマシンが吹きやすいとか、大真面目に協議し合いリベンジ戦も何度もやった。

 これがまた、負けた次の日に取り返したら楽しいのなんの、マリサも男女関係なく一緒に喜び合って僕も何度もリッツと抱き合ったりした。

 そして迎えた制裁金の支払い日当日、僕たちは十分に支払える額を持ってカジノに赴いた。

 もう既に当初の目的を忘れており、制裁金よりも目の前にあるギャンブルに頭がやられていた。最終的な目標は"一人ずつ制裁金の額を持つ"ことであった、それだけ僕たちは勝てたし、また"運"もあった。

 最後の勝負は僕が買って出た、最も得意としているルーレットを選び、いつか見たあのディーラーの前に腰を下ろした。

 二週間も入り浸っていたらさすがに僕たちの顔も周りの客に覚えられていた、最後の大勝負だとウエスタンさんが謳い見物客を集めた。

 あの日と同じ、僕がリッツと出会った時と同じようにディーラーと一対一だ。けれど周りには仲間と観客がいる、まさか自分がこんな舞台に立つとは夢にも思わなかった。


「幸運を」


 ディーラーがそう宣言し、円盤の上にボールを放つ。


「………」


 僕はルーレットが得意だ。回転している数字を読めるから、つまりそれだけ動体視力が極めて高い、何せ現役の特個体パイロットなのだから。

 回転する数字と通過するボールを見て判断し、僕はあの日と同じ黒枠の四番にチップを全乗せした。"ストレート・ベット"と呼ばれる賭け方で当たれば三六倍だった。

 くるくる、くるくる。当たれば喜んでくれる仲間がいる、外れたら悲しんでくれる仲間がいる。あの日とは全く違った。

 だが──僕は見落としてしまった。


(ディーラーの手が──そんな!)


 美人に見えて美人じゃないディーラーはボールの滞在時間を伸ばす時、つまり力を入れる時は左手で拳を作る、力を入れない時は拳を作らない癖を持っていた。投げる前は確かに拳を作っていなかったのに...今、彼女の手はグーの形を取っていた。


(──はめられた!!)


 そう思った瞬間だった、いつもより早くディーラーが「ノーモアベット」と宣言した。

 それから冷や汗が止まらなかった、僕が狙った黒枠の四番ポケットが絶望的に見えてしまい、皆んなの悲しむ顔と罵倒する声が余裕で脳内再生されていた。

 そして、回転が徐々に弱まりボールが──黒枠四番の隣りにあるポケットの縁に当たった。


「──!」


 跳ねるボール、僕はこれは奇跡が起きたと思った、現にディーラーも少しだけ驚きの表情を作っていた。

 再び回転する円盤に軟着陸したボールが回り始め、本当にどこへ落ちるか分からないゲームになってしまった。

 祈った、あれ程祈ったことはない、三六分の一を当てないと僕たちは全員無一文になってしまう。

 くるくる、くるくる。くるくる、くるくる。

 ボールが落ちたポケットは──

 赤枠の七番(ラッキーセブン)だった。


「…………」


 ちーん、である。



 そして今に至る、回想編終了。

 僕は何故だかカジノから一番近い交番の取り調べ室にいた、ほんとに謎、何も悪いことはしていないのに。

 ちーんと負けて全てが詰まったチップをディーラーに没収されて、僕は皆んなから袋叩きにあった。

 マリサもリッツも関係ない、ウエスタンさんもマースさんも半殺しの勢いで殴ってきた。


 ──誰がこんなっ!誰がこんな落とし前つけろって言ったんだよふざけんなっ!!


 ウエスタンさんの悲鳴がリフレインする、でも、負けた時僕は心からほっとしていた。


(あんなもの、いつまでも続くわけがないんだよ…そもそも僕はやりたくないって…)


 心の中でぐちぐちと愚痴を吐いていると取り調べ室の扉が開いた。

 入って来た人を見て全てを悟った。

 ヴォルターさんだった。


「…………」


「…………」


 目の前にどかりと座っても無言である。

 僕が口を開きかけた時、ヴォルターさんが低い声で言った。


「歯を食い縛れ」


 ぎゅっと目を瞑った途端、鉄拳が飛んできた、罵声付きで。


「──何遊んでんだてめえはっ!!仕事ほったらかしてカジノ三昧!ふざけてんのかあっ!!!!」


 でも何でだろう、鉄拳の痛みとその罵声がいたく心に響き、またしても心が軽くなっていた。


(ああ…体罰って時には必要なのかもしれない…)


 床にぶっ倒れた僕はいそいそと自分で椅子を戻し、もう一度ヴォルターさんの前に座った。

 もうヴォルターさんは怒っていなかった。


「気は済んだか?ん?」


「はい…もう十分です」


「それが言えりゃ上出来だ。それからユーサの人間とあの女はもう忘れることだ」


「………はい」


「あいつらがお前の傍にいたのは金回りが良いからだ。金の切れ目は縁の切れ目、これでお前に近寄ることはもうないだろ」


「……………はい」


「それと、あのディーラーに感謝するんだな、お前を真っ当にしてくれる機会を与えてくれたんだから」


「──は?………はあ〜〜〜そういう事、そういう事ですか……」


「あのディーラーには話を付けておいたんだ、お前が賭けたポケット以外にボールを落とすように。三六分の三五に入れるのは簡単だと言って快く引き受けてくれたよ」


「え、いつからですか?いつから僕がカジノに通っていたのを知っていたんですか?」


「割と最初の方からだ。──で?何でお前はそんなに腐っちまったんだ?全部吐け」


 ヴォルターさんにかくかくしかじかまるまるうまうまと全部話した。


「──何でそういう大事な事を黙っていたんだ!」とまた鉄拳が飛んできた。殴られる謂れが無いので避けると今度は蹴りも飛んできた。



✳︎



「負けた?彼が負けたのか?」


「そうみたいだが?」


 何故...わざわざ仕込んでやったというのに何故負けられる...?


「先程ユーサからシルキーの回収について直々に話があったよ、罰則規定を受け入れると言ってね」


「そうか……」


(何者かの介入があったと見るべきだな…まあ良い、マリサの居場所は分かっているんだ、もう少しばかり泳がせておこう)


 不思議そうな顔をしながら、報告に来たマクレーンが退出した。



✳︎



 いやでもまあ、この二週間は確かに楽しかった。

 人の輪に囲まれて、皆んなが楽しそうにしていると自分も楽しくなってきて、それに最後は大負けした彼を遠慮なく叩けたのも楽しかった。


「でも何で私がここで働くことに……」


 はあ、と一人大きく溜め息を吐く、ユーサの社員寮で。それに彼は怖い上司と一緒に話をしていたし、きっと復職するのだろう、私はまた独りである。

 けれど、こうして安全な住処が得られたのは僥倖と言える。敷地の外に出なくても買い物できるし、この二週間で男性とも少しずつだけど話せるようになったし、以前と比べて格段に生活が良くなったので寧ろ有り難いぐらいだった。


「それに……」

 

 ふふふ、と一人で笑みを作る。

 彼は結局、一度として私の力を頼ろうとしなかった。カジノで大負けして無一文になっても私を使って億万長者になろうとしなかった、寧ろ私から彼を唆した、「私がハッキングして元に戻そうか」って。

 彼は言った。


 ──そんな事しなくていいよ、僕が悪いんだから。


(そんな事って…普通言う?)


 呼び鈴が鳴った、私がここにいることを知っているのは彼を含めて四人しかいない。一瞬だけ、彼かな?と期待した自分が恥ずかしい。

 扉を開けるとリッツが立っていた。


「………」


「………」


 あんな事があったばかりだ、お互い何を言えばいいのか分からない。


「えっと…ホシ君は…ここに帰ってくる?」


「分からない…保証局の人と一緒だったからもう帰ってこないかも、しれない」


「そっか…」


「彼に用事?」


「うん」


 ──あれ、何だろうその顔は、悲しそうにしているでもない、怒っているわけでもない。

 何か、吹っ切れたような...何かを決意しているような...あんな事があった後にするような顔ではない。

 とても晴れやかな顔でリッツが言った。


「彼に伝えたい事があって」


「そ──それ、私の方から伝えても…」


「ううん、彼にそれでも好きだって言いたいから、自分の口から言うよ」


 ああ──敵わないと思った。

 あの日、私にナポリタンを作ってくれた日、リッツは私を試した、特個体だと証明してみせろって。

 私は断った、他人の携帯なんか見たくないと言って。彼女はそれで納得したのか、何かを悟ったのか、「それなら、ホシ君がマキナの子機だという話も本当なんだね」と言った。

 その言葉を聞いた私は焦ってしまった、この人は諦めるつもりがないんだと分かって。やらないと言ったのに私は彼女の携帯にハッキングをし、表示されている画面を言い当てた。

 彼女はもう驚くようなことはしなかった。「やっぱり」とだけ言って、「もう帰るね」と言ってそのまま帰ってしまっていた。

 あれから私は何をしていた?彼が特個体の力に興味が無いのか、本当は欲しているのか試す為に皆んなをギャンブルへ唆した。

 私を何をしていた?彼女みたいに彼の愚行に付き合うような、そんな大それた事が出来ていただろうか?そんな事はない、私は汚く、自分が一番傷付かない方法で彼を試しただけだ。

 敵わないと思った、せっかく見つけられた相手なのにこの人に盗られると思った。

 こんな時に限って──。



✳︎



「あれ、リッツ?」


「ホシ君……ってその頬、大丈夫なの?」


 あれ、何か普通にいるんだけど。ヴォルターさんの話は嘘だな、うん、やっぱり歳上連中の話はあてにならない。

 僕が借りていたマンションはもう保証局の方で引き払ったらしい、そりゃそうだ、家賃払っていないんだから。でも一月で追い出す?

 帰るあてが無くなった僕はヴォルターさんに泣きつくが「自分で何とかしろ!」と怒鳴られ、結局ユーサの社員寮まで戻ってきていた。

 

「え…と、うん、大丈夫だけど…どうかしたの?もしかしてお金返せとか「そんな事言わないよ、そもそもそういう約束だったし。この二週間は楽しかったから…まあ、良いかなって」


「そ、そっか……」


 マリサがじっと僕のことを見ていたのが気になった、でも、リッツが彼女に構わずこう言った。


「私ね、それでも君の事が好きだよ」


「………っ」


「この二週間、お互いに嫌な所見たでしょ?私も見せた、君のも見た、ギャンブルやってはしゃいで笑って怒って。幻滅した時もあったし意外な一面を見られた時もあった。それでも私は君が好きだって言える。アリーシュの事もあるのは分かる、クルツさんの事も分かる、それでも君には私を選んでほしい」


 リッツの告白は僕の胸を打った。マリサの事を分かっていながら、それは僕がマキナの子機だと知ってなお、という意味だ。

 それに凄い自信だった、彼女の言う通り僕も嫌な所を見たし、僕も彼女に見せた、それでも「好き」だと言うその声には自信があった。

 幸せになれるんだろうなって思った、こんな人と一緒になれたら幸せになれるんだろうなって思った。

 でも、


「ごめん」


 僕は"落とし前"をつけなければならない。

 いや、"責任"だ。


「僕はマリサのパートナーになるって決めたから、君の傍にはいられないよ」


 リッツは悲しむどころか、笑顔をつくって最後にこう言った。


「だと思ったよ、君は頑固だからね。──それじゃあね」


 あとはもう振り返ることなく──いや振り返った。


「そうそう、私はいいけどアリーシュのこと忘れたら駄目だよ」


「………っ」

 

「私なんかより超一途だから」


 今度こそ彼女は去って行った。

 その背中を見送っているとマリサがつんつんと僕を突いてきた。


「そのアリーシュという人について詳しく」


「えー…また今度にして」


「あっそう……まあいいけど。それより、あんな良い人振って本当に良かったの?」


「それ今言う?もう既に後悔し始めてるのに…」


 また暴力を振るわれるんだろうなと思ったけど、マリサは無邪気な笑顔で笑っていた。

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