第106話
.末広がるはずだった私の幸せは何処?
「カウネナナイの渡航が禁止になった?どうして?」
春も半ば、新しい生活にも馴染み始め、そろそろ緊張が解けて押し寄せてくる中弛みを目前にした今日、アキナミの父であるタドコロ・キャンベルにそう言われ、計画していた『ナディドッキリ作戦!私の青春渡航』がオジャンになった瞬間だった。
アキナミの話によれば、お酒ででっぷりと太っているらしいタドコロが申し訳なさそうにしながら言った。
「今いる港の管理事務所からそう言われたんだよ。当分の間、カウネナナイへ渡ることができなくなると」
「いやだからそれはどうして?」
タドコロの方が歳上である、当たり前だけど。こうして敬語を使わず接しているのは一重にタドコロの人付き合いの良さにあった。
「さあね、そこまで私も聞かされていないよ。事務所も今朝方突然言われたようだ、政府から連絡があって今日以降予定している出航を全て取り止めろ、とね」
「何でまたいきなり…」
「ライラの両親は何も言ってないのかい?さっきまで電話していたじゃないか」
「ううん、パパたちはとくに何も…向こうで何かあったって事だよね、それ」
「間違いなくそうだろうね、向こうは味方から攻撃を受けててんやわんやなんだろう?それが原因しているのかもしれない。──まあ、出られないのなら仕方がない、また暫く船上生活を続けようじゃないか」
そう、私は今、タドコロの船の上にいる。
アキナミの父であるタドコロは運搬船の船長を務めている、根っからの海好き船好きでご自慢のクルーザーを一隻のみならず複数所有していた。そこに匿ってもらっていた。
日がな変わっていくベッドの寝心地は贅沢と言わざるを得ない、食事も娯楽も豊富でサービスは厚い、まるでお姫様になったような気分だったがそれはそれ、私はどうしてもナディに会いたかったので秘密裏に計画を進めていたのだ。
(えええ〜〜〜!出航は明日だったのにい〜〜〜!)
誰に秘密かって?それは勿論医師会のメンバーである。
◇
タドコロが居なくなってから暫くして、その娘であるアキナミが私の所へやって来た。
「残念だったね、お父さんから話は聞いた」
「………」
「まあ別に良いじゃん?セントエルモのメンバーに被害は出ていないみたいだし、向こうにいるグガランナさんと連絡取り合っているみたいだから何かあったら言ってくれるでしょ」
「………」
「あ、そうそう、医師会の奴らがね」とアキナミが一人でずんずん喋り出す、いつものことだ。
そして私の頭に置かれるアキナミの手もいつものことだ。何が楽しいのか、タドコロのクルーザーでお世話になってもらった時からアキナミはひたすら私の頭を撫で続けていた。
無言を貫いても一向に止めようとしない。
「………」
「でさあ、「いやちょっと、いい加減止めてよ、髪の毛が跳ねるじゃない」
さすがに止めろと言ったらアキナミも頭から手を離した。
「嫌だったの?何も言わなかったからてっきり良いもんだとばかり」
「んなわけないでしょうが。あんたってほんと得な性格してるわね」
「そう思う?私もそう思う」
まだ目が治っていないので見えやしないがきっとにやにやと笑っているんだろう。
私のすぐ隣でベッドが沈み込んだ、アキナミの気配が直近に感じられる。寝室の外からはクルーザーに当たる波の音、それから数羽の鳥の鳴き声が聞こえてきた。
「いや〜ライラが私ん所に来てると思うと嬉しくてさ〜普段なら絶対来ないでしょ?」
「いいや、誘ってくれるんなら普通に遊びに来てたけど」
「うっそだあ〜どうせナディがいないなら私は行かないとか言うんでしょ」
「良く分かってんじゃん」
馴れ馴れしく肩を叩いてきた。
目が見えなくなってから、"感覚"というものが敏感になったように感じられる。それは例えば周囲の音であったり、近くにいる人間の気配であったり。
音であれ気配であれ、"ルール"というものがある。波の音は絶え間なく変化し続けるが、音の"質"というものは変わらない。人の気配は一定に保たれることが多いが、その人自身の胸中に変化が起こると必然的に気配も変わる。
まあ何が言いたいのかと言うと、ずっと陽気に接してきたアキナミが途端に元気を失くしたのだ、言葉を交わさなくても分かる。
「何かあったの?」
「──ううん、別に。また医師会の人たちがライラに会わせろって問い合わせがあったくらい」
医師会の人たちがシルキーの医療転用に反対する理由も気持ちも分かる、が、だからといって私に接触しようとしてくるのははっきりと言ってウザったい。大人の喧嘩に巻き込まないでほしい。
(って、言うのはナシかな〜皆んな私の為にやってくれているんだし…)
それにアキナミにも何かと迷惑をかけている、まあだからと言って「ありがとう」と伝えるものなら絶対調子に乗るから言ったりはしないが。
その後は生産性がない会話をして時間を潰し、アキナミは満足そうにしながら帰っていった。
それにしてもさっきの元気の無さは一体何だったのだろう?
✳︎
「──こらちが進捗状況になります」
「ああ」
階下から喧騒が届く市内の飲食店、私とテンペストの冷たい温度と違い、一階にいる客は楽しそうに呑んでいた。
テンペストから渡された報告書にはライラの体調と義眼に関する事柄が書かれていた。
状況は芳しくない、シルキーを使った義眼の設計図はあるがそれを制作する環境が悪過ぎる。整った施設ですら至難の技なのに、医師会の横槍のせいで研究チームは海の上に追いやられていた。
報告書に綴られた完成予定時期は再来年とある、そんな悠長に待っていたら医師会がどんな法案を通すか分かったものではない。
今の私たちにとってシルキーの医療転用は焦眉の急であった、これを成功させないと今後の計画が全て白紙になる。
私の前に座るテンペストも疲れた顔を見せていた。
「平気か?」
「ええはい…」
とてもそんな風には見えない。
テンペストもつい先日までマキナたちと行動を共にし、穴が空いた天井の補修作業に同行していた。その道中で回収したシルキーの破棄作業を行ない、海から帰ってきたら今度はプログラム・ガイアに顎で使われたりと大忙しの日々を送っていた。
私たちを取り囲む環境は日に日に変わりつつある。
メディアに露出したマキナたちは認知度も鰻登りで今となってはあちらこちらへ引っ張りだこになっていた。寂しいやら嬉しいやら、私を置いてマキナたちがどんどんと前へ進んでいくような感覚があった。
(前にも似たような事があったなそういえば。何か、私は必ず一回休みになるマスに止まる運命でもあるのか)
テンペストが私の顔をじっと覗き込んできた。
「そういうピメリアは平気なのですか?医師会の防波堤になっているんでしょう?」
「あんなボンクラ連中平気さ、トップがいないと暴言も吐けない臆病者に遅れを取るつもりはない。──と、まあ、そんな事言ってる余裕もそろそろ無くなるんだが…」
「他にも色んな事業に手を出していますよね?どれか一つだけでも凍結して時間を捻出してみてはどうですか、体が持ちませんよ」
「疲れた顔をしている奴が言うと説得力あるな」
「え?あ、そ、そうですか…」
今さらのようにテンペストが自分の頬に手を当ててぺたぺたと隠し始めた。
「そういうお前こそ少しは休めよ。マキナと言ってもこっちにいる以上は人間の生理欲求に従うんだろう?睡眠不足は人生の敵だ、全てのやる気を失う」
「目の下にくまをつくった人が言うと説得力ありますね」
お互いに疲れた笑みを溢してこの場を別れた。
◇
シルキーの医療転用以外にも、テンペストが言っていた通り色んな事に手を出していた。
倉庫事業に運搬事業、それから人材派遣に先を見越して立ち上げたPMCの事務所も。
これら全ては医療転用が成功して初めて活きる事業だ、だから一旦進めていた起業手続き処理を凍結し、時間を捻出した。
出来たフリーの時間で何をするのかと言えば、私はライラの所へ赴いていた。
「珍しいですね、ピメリアさんがこんな時間に来るだなんて」
(超能力者?)
ライラが滞在しているのはハウィ港に停泊している民間人所有のクルーザーだった、それも結構出来が良い。
キングサイズのベッドに腰かけていたライラは、私が入ってくるなり、一言も発していないのに私だと言い当てた。
「まあな、ちょっと仕事を休もうと思って」
「セントエルモは?」
「ただのお飾り管理職だよ、今となっては。全部親父たちに仕事を取り上げられた」
「それはまた。──あ、何か飲みたい物があればセルフサービスで、色々ありますよ」
「そりゃどうも」
船内の入り口近くにあるキッチンスペースからお言葉に甘えて飲み物を取った。所狭しと並べられた冷蔵庫の中には決まった紙パックのジュースがずらり、きっとライラの好物だろう。
その一つを選んでライラの傍に寄った。
「目の具合は?」
初めて会った頃と比べて随分と伸びた髪を後ろで一本に束ねている、その毛先を弄りながらライラが答えた。
「いつもと変わりません、週に何度かお医者さんが検診にやって来るぐらい」
「そうか。義眼の方は──」と、そこまで口にしてどう伝えるか迷った。超能力者のライラはたったそれだけの間でまた言い当てた。
「あまり良くないんですね。それも医師会のせいですか?」
「……まあな。良い返事ができなくて悪い」
「別に。ピメリアさんには感謝していますから、怒るようなことはしませんよ」
出来た歳下だ、いっそ「いつになったら出来るんだ!」と詰ってくれた方が精神的に楽になれるのに。
酸味があるフルーツジュースをちびちび飲んでいるとライラから質問があった。
「今日、政府からカウネナナイへの出航を止めるように通達があったらしいのですが、ピメリアさんは何か聞いていませんか?」
ライラの話は寝耳に水だ。
「いいや、何だその話は、本当なのか?」
「はい、タドコロからそう聞かされました」
急いで携帯を取り出す。着信履歴はほとんどないが、未読のメッセージが一〇数件溜まっていた。
その中に...
(──民間船の出航取り止めの件について…?)
あった、メッセージの差出し人は親父だ。
ライラに少し待っていろと告げてからメッセージに目を通す。
また何か、親父たちが勝手な仕事を始めたものとばかり思っていた私は、メッセージの中に「国家公務員の死亡が確認されたため、出航取り止めという決定を取った」という文を読んで思わず声を出してしまった。
「はあっ?!」
「……っ!びっくりした、何て書かれていたんですか?」
のみならず、「カウネナナイの情勢はセントエルモ・コクアのメンバーにも一部被害を与えている」とあった。
緊急事態である。ライラには誤魔化そうと思ったが諦めて、そのまま事実を伝えた。
「そんな…被害が出てるって…」
「アキナミから連絡は?あいつ、ティアマトたちと連携を取って向こうの状況を調べているんだろ?」
「──今日会いましたけどその時には何も…でも、既にその話を知っていたのかもしれません」
「クソ親父を問い詰めてくる。──すまんまた来るよ」
「あ、は、はい」
ライラから貰ったジュースを飲み干し、滞在して一時間も経たずにクルーザーを後にした。
◇
「また面倒臭いのがやって来た……」
「何でこんな大事な話をメッセージの一通だけで済ませたんだ!電話しろ電話!ぬるい仕事しやがってこのクソ親父が!」
と、他の人たちもいるのに私は遠慮なく国交省大臣を罵倒してやった。
親父がいた場所はいつもの国会議事堂ではなく、ハウィから近い海軍の方面基地だった。
大将の執務室にいたのは親父、それからペーストリー大将、それからシュナイダー大佐、マキナの一人で空模様を変幻自在に変えたラムウ・オリエント、そしていつでもどこでも煙草臭いヴォルターに初めて見るどぎつい男もいた。こいつも煙草臭い。
どうやら会議が行われる直前だったようだ。
「直接言ったらまたぞろお前が騒ぐだろ、だからメッセージにした。というか送ったのは昨日だぞ?目を通さなかったお前が悪い」
「んな事どうでも良いんだよ!コクアのメンバーが巻き込まれたってのは何なんだ?!誰が巻き込まれたんだ!」
どぎつい男が口を挟んできた。
「それでしたら私の方から─「てめえ誰なんだよ!」─申し遅れました、私はキヨミ・オキタと言います、先日保証局の方に入所致しました」
男のくせに体の線が細く、長い髪は白から黒のグラデーションに染色している、目のやり場に困るような相手だ。
「カウネナナイで被害を受けたのは同じ保証局のキシュー・マルレーン、この方はコクアのサポートとして随伴していましたが、先日未明、旗艦バハーの自室で遺体として発見されました」
「はあ…?戦艦の中で殺されたっていうのか…?」
「死因は調査中です。他に同メンバーのナディ・ウォーカーという調査員も被害を受けています」
血の気が引いた。一瞬頭を過ったのは悲しむライラの顔だった。
だが、どうやらナディは生きているらしい。
「ナディ・ウォーカーは現在、カウネナナイの医療機関で治療を受けているそうです」
「──紛らわしい言い方すんじゃねえよオカマ野郎!ケツ掘るぞ!」
「あらやだ!お姉さんにヴァージンを捧げるの夢だったのよ!」
口に手を当てて、マジでオカマっぽい仕草をしながらオキタがはしゃいでいる。
「で、マキナのあんたがここにいるって事はマキナ絡みなのか?」
ラムウ・オリエントに話を振るとすぐに肯定が返ってきた。
「そうだ、今回死亡した民間人も含めて皆バベルというマキナの仮想世界に閉じ込められていた。……早い段階で既に掌握していたが止めさせることができなかった、謝罪する」
「あんたを怒る権利はこっちには無い、恨みはするが」
「………」
「おい止めろメアリー」
「うっせえ!そのバベルってのはカウネナナイとどういう関係なんだ?」
お次は海軍大将が答えた。
「それも調査中だ。そして、ここに集まった我々で強硬策を取るか否かについて協議するつもりでいたのだ」
「強硬策…?」
「邦人の救出任務を決行するかどうか、という事だ。今回の件に関してカウネナナイへ解答を求めたが、元々マルレーンという女性はカウネナナイの国籍だったために損害を与えたわけではないとして拒否を続けている」
「おい、どうなんだよヴォルター、今の話本当なのか?」
煙草を吸いたそうに苛々していたヴォルターが答える。
「その通りだよ、あいつはカウネナナイからこっちに渡ってきた訳ありだ。というか、保証局の人間は皆んな訳ありだ、オキタもそうだからな」
「よろしくね〜お姉さ〜ん」
「けっ。でも、そいつの今の国籍はうちなんだろ?」
「そうだ、ウルフラグの国民である以上は政府としても然るべき対応を取ると明言しているが、それでもカウネナナイは自国民として扱うと返答し、こちらの介入を拒み続けているのが現状だ。だから強硬策を採択して軍を派遣するか否かで関係者に集まってもらった」
「勿論出すよなあ?!うちの可愛いメンバーが被害に遭ってんだぞ!」
親父がまた面倒臭そうに手を振りながら、それは難しいと言った。
「カウネナナイからヴィスタっつう男がこっちに来てるだろ?あいつを何とかしないとこのままでは軍を派遣できない」
「何でだよ!」
「いちいち吠えるな耳に障る……親善大使の御前でその国へ軍を行かせられるか?外交問題に発展しかねない。奴はこういった有事の際、こちら側の動きを止めるテトラポッドなんだよ」
「無理やりにでも軍を派遣することは可能だ、だが、後になって外交問題に発展した時は必ずこちら側がその補填を補うことになる。どうして事前に相談してくれなかったんだと言ってな、やり口は汚いが正攻法でもある」
シュナイダー大佐がそう締め括り、状況説明が一旦落ち着いた。
「……なら、あの男をどうにかすりゃいいんだろ?」
私の発言に皆が視線を注いできた。
「てめえがあの男に色仕掛けでもするっていうのか?止めとけ」
「お?私のこと心配してくれんのか?」
「違う、てめえなんかに言い寄られるヴィスタが可哀想だ」
「誰か拳銃持ってない?」
私たちの冗談には取り合わず、ラムウが尋ねてきた。
「どうにかするとは?まさかこちらに丸め込むと?」
「そのつもりだが?何も国籍を捨てろとは言わん、ただ事態が解決するまで何もするなと約束を取り交わすだけだ」
「いやそっちの方が難しいと思うんだが…力づくという言葉しか知らないてめえにできるのか?ん?無理なら無理ってこの場で泣き言言えや」
「ああ?誰に向かってもの言ってんだよ、ガキの仕事取り上げて忙しいフリしてるてめえが言うんじゃねえよ」
「そこまで言うんだったらやってみろや、こっちは派遣する前提で進めるからな、覚悟しておけよ、やっぱり駄目でしたって言ったら海に沈めてやるからな!」
「言ってろクソ親父が!これでヴィスタを釣れたらてめえの方こそケツ穴に銛ぶち込んで海に沈めてやる!」
「言ってろ!大ボラ吹くのはガキでもできんだよ!」
「こんのクソ親父……ヴィスタって野郎の居場所を教えろ!!」
まるで用意していたかのようにオキタが「こちらです」プリントアウトした用紙を渡してきた。
その瞬間、私は親父に利用されたんだと悟った。
✳︎
波の寄せる音に室外機の音、それらに身を任せながらうつらうつらと船の上で船を漕いでいると、ピメリアさんから連絡があった。
[──という事だ。だから出航が取り止めになったらしい]
「………」
私を包んでいた眠気が一瞬で吹き飛んだ。また、ナディが事件に巻き込まれたのだ。
ピメリアさんの話では無事のようだけど、それでも心配な事に変わりはなかった。
「それ、何とかならないんですか、あっちはてんやわんやしてて情勢が良くないんですよね」
[他言無用でお願いしたいんだが、今海軍が派遣の準備を進めている。それで、私がカウネナナイの大使を丸め込もうと算段を立てているところだ]
「…そうですか」
[医師会の対応はテンペストに任せる、だからお前は何も心配するな]
そう言って電話が切れる。
心配するな、だって?それは無理な話だ。
(アキナミはこの事を知っていたんだ…だからあのから元気)
無論、夜も遅い時間帯だったがアキナミに連絡を入れた。
アキナミにカウネナナイの事を問いただすと秒で白状した。
[ごめん…ライラを心配させるのもあれかなって思って…]
「何とかならない?ピメリアさんも対応するって言ってたけどさ、どうせ時間がかかるだろうし、カマリイちゃんって向こうと連絡が取れるんでしょ?」
[何とかって言われても…って私が決めることじゃないよね、ちょっとカマリイちゃんに言ってみる]
そう言って電話が切れた。
(………?)
波の寄せる音に室外機の音、それからたまに鳴く夜鳥に、ユーサかあるいは民間の漁船が出航する音、それらに変わりはないが異変が起こった。
人の気配がするのだ、それも初めての気配。
「誰かいるの?」
その気配は私の回りを小さな足音を立てて歩いている。こちらを窺っているようだ。
誰何しても返事がない、間違いなくそこにいるはずなのに。
タドコロから渡されていた緊急用の端末に手を伸ばそうとした瞬間、
「くー」
「……っ?!何?!」
何かが鳴いた、生き物のようだ。その生き物がとんとベッドに上がり、私の太もも辺りに体を寄せてきた。
「く〜」
「な、何?何なの?さっきからうろうろしていたのは君なの?」
可愛らしい少女の声がすぐ耳元からあった。
「…残念、わたし「─あああっ?!」
手をぶん回す、見事にクリーンヒットした。
◇
「痛い…」
「ガイア、あなたが悪いわ」
「ご、ごめんね…?」
「いいよ気にするな、こいつ最近調子乗ってるから良い薬になっただろ」
「くぅ〜〜〜」
「何、良い気味だって言いたいの?そんな意地悪なこと言うんならカウネナナイに置いてくるよ」
「………」
「ほんと調子の良い!」
私の周りが途端に賑やかになった。
カマリイちゃんにハデス、それからプログラム・ガイアというマキナにそのペット(?)だ。タドコロとアキナミもこっちに向かってくれているらしい。
突然現れたプログラム・ガイア、何でもそういう力を持っているようだ意味が分からないんだけど。
「ほんと、急に現れたからお化けかと思って」
「何だっけ、お前っていつもそんな調子だから座敷わらしって言われてるんだっけ」
「驚く姿が面白くてつい。ビンタされたのは初めて」
「ど、どういう事なの?」
私の右斜め前にいるっぽいハデスが答えてくれた。適当な感じで。
「何だっけ、何ちゃら何ちゃらっていう映像なんだよな、それ」
「ごめん全然分からない」
「自由生成遠隔映像、アグレッシブホログラム、わたしにだけ与えられた特権。著しくリソースを消費するから乱用はできない「使いまくってんじゃねえか」前に一度、ティアマトにも付与させてあげたことがあった」
プログラム・ガイアの身長はおそらく低い、ベッドに上体を起こして座っている私と同じ高さから声が届いてくる。
そのプログラム・ガイアという女の子がこほんと咳払いをした。
「さて、わたしがここに来た理由は一重に君にある、ライラ・コールダー」
「な、何?」
絶対歳下だ、声変わりしていないしおしゃまな感じがする女の子である。けれど不思議と"威厳"を感じてしまう、そんな相手だった。
「ナディ・ウォーカーの件について、二、三尋ねたいことがある」
「…っ」
その名前を聞いて思わず体が強張ってしまった、彼女の身に何かあったのではないかと。
けれど予想外の質問が飛んできた。
「彼女は間違いなくこのテンペスト・シリンダーの出身?」
「──は?」
「ガイア、質問の仕方が悪いわ、それでは分からない」
カマリイちゃんがそう嗜める。が、やっぱりその質問の意味が分からなかった。
「どういう事…なの?ナディがここの出身かって…」
「うん、実は言うとそのナディ・ウォーカーという女の子は特異な体質を持っているみたい。ベンゼン環って分かる?」
「べ、べんぜんかんって…あのベンゼン環?炭素と水素の原子からなる環状化合物の事?」
「そうそう。このベンゼン環って生き物なら皆んな持っているんだけどナディ・ウォーカーだけ変なんだ。さらに詳しく言えば明らかな人工物、人の手によって作られたベンゼン環を所有している」
「……は、はあ…それが?」
「自然的に発生したものでなければ、ここではない高い医療技術を持った国で後天的に獲得した事になる。だから彼女の出身を君に尋ねた」
「し、知らない…そんな事言われても…」
「そう。じゃあ次の質問、ナディ・ウォーカーと知り合ったのはいつ?」
「……去年の今頃だけど」
「それ以降の過去について何か知っている事があれば教えてほしい。具体的には本当に存在していたのかどうか、彼女の身辺にいる人たちが嘘を吐いていないかどうか」
その質問にはさすがに二の句を告げられなくなってしまった、それにどうしてカマリイちゃんもハデスも黙っているのだろう、こんな変な質問。
(嫌な子……)
プログラム・ガイアの第一印象はそれだった。
「後天的かつ他国で移植されたわけじゃないのなら、彼女はヒトではなく何者かの子機だという事を疑わなければならない、だから嫌な質問だけど君に尋ねた」
「──子機?ナディが子機だって?ラハムと同じだとあなたは言いたいの?」
声にこもる力を抑えられなかった、段々と空気がピリピリとしてくる。
「可能性の一つとして上げただけ」
「だったら私じゃなくてヨルンさんに尋ねればいいじゃない。そうじゃなくてもナディが産まれた病院に尋ねるとか、方法はいくらでもあるでしょ」
「残念な事に彼女が産まれたカウネナナイにはそういった記録を残す習慣がない。ウルフラグで住民票を獲得したのは今から約六年前だけど、前例があるからそれも疑わしい」
「前例って─「ホシ・ヒイラギという青年に聞き覚えは?彼は子機だ」
とんかちで頭を叩かれたような衝撃が走った。
「はあ?それ本当なの?」
「間違いない、わたしとディアボロスで入念に調べた結果だ。彼にその事実を告げた途端、行方をくらましてしまったけど」
「………でも、あの人はそんな事一言も…」
本人もそうであるが、私の頭に過ったのは嬉しそうに微笑むリッツさんだった。
「彼には子機としての自覚は無い、だからもしやと思ってナディ・ウォーカーを良く知る君に尋ねたんだ」
「私で良かったの?」
「君は彼女のストーカーだったんでしょ?」
「──ぶふっ?!」
またまた予想外の言葉が飛んできたので思わず吹いてしまった。
「ちょ──それ誰から聞いたの?!」
「否定しないんだ?君について知識を与えてくれたのはティアマトとハデス」
「………」
「………」
急によそよそしい気配を放つ二人。
「ちょっと!言い方ってもんが──せめて恋人って言ってよ!」
「ご、ごめんなさい…」
「そっちの方がガイアには分かりやすいって思って、つい…」
「ついじゃないわよ!」
素知らぬ雰囲気を出しながらプログラム・ガイアが続きを話した。
「で、どうしてこんな事を尋ねたかと言えば、ナディ・ウォーカーはそのベンゼン環を持っていたがためにバベルというマキナに狙われたんだ」
「マキナに狙われた?どうして?たったそれだけの事で?」
「たったって…変異型ベンゼン環は希少なのに…うんまあいい。さらに、ナディ・ウォーカーはわたしたちですら知らない特異な存在とパイプがある、具体的にはノウティリスと名乗ったマキナだ」
ああもう頭が付いていかないでも付いていかないと取り返しの付かない事になりそうだ。
「で、そいつは何なの?」
「特別独立個体機の母艦っぽい、そのように発言していた。つまり、ナディ・ウォーカーは第一と第三テンペスト・シリンダーをその掌中に収めるだけの力を所有している事になる」
「……ふ〜ん、そう」
威厳を保ち続けていたプログラム・ガイアの気配に変化が起こった、ちょっと動揺してるっぽい。
「え、その余裕の笑みは何?予想外過ぎてわたしですら混乱する」
「ううん、さすがは私の恋人だなと思って。やっぱナディはそうこなくっちゃ」
「え〜…じ、自信があるんだね、君は」
「当たり前じゃん」
プログラム・ガイアがカマリイちゃんとハデスに小声で「この人っていつもこんな感じなの?」と本人の前で訊いている。二人は「うんうん」と答えた。
「が、ガイア予想外過ぎて困っちゃう…」
「く〜」
「失明していると聞いて心配していたけど、あまり君には関係がなかったようだ」
「いや大アリよ、治せるんなら早く治してほしい」
「それについてはもう既に手を打ってあるから安心してほしい、具体的には研究チームに特別な場所を用意した、これで邪魔者は入らない」
「いやあなたたちが作ってくれたらいいんじゃないの」
「それは駄目、知識は与えどせめて技術は自分たちで獲得しなければならない。習うより慣れろの精神」
「分かった。で、ナディの事は何とかしてくれるの?」
「彼女、というよりカウネナナイにいるウルフラグ人の救出任務は既にラムウたちが動いている、それを待っていてほしい」
「無理。今日にでもカウネナナイへ行ってほしい」
「うう〜ん…これは困った」
「困ってるのはこっちよ、いきなり現れてナディが子機とか偽物とか言われる身にもなって」
「ま、まあまあ〜」
あのハデスが私たちの間に割って入ってきた。
事もあろうにプログラム・ガイアが、
「こんな人のどこを好きになったんだろうねナディ・ウォーカーは」
「──はああ?!あんた失礼過ぎない?!」
「思った事を口にしただけ。わたしにすればいつまでも心安らかな時間を提供できるのに」
「何ですってこのこまっしゃくれた子供め!」
「落ち着けって!こいつも悪気があって言ったんじゃ─「ううん、今のは皮肉、そのつもりで言った──うわああ?!立ち上がった?!目が見えないんじゃないの!」
目が見えようが見えなかろうが関係ない!
手をぶんぶん振り回して捕まえようにもカマリイちゃんとハデスに止められてしまった。
◇
あの子のことは好きにはなれそうにないけど、あの子と同じタイミングで現れた生き物は好きになれそうだ。余程私の太ももが気に入ったのか、間にすっぽりと収まりすやすやと寝息を立てていた。
「すぅ…すぅ…」
(寝返りがうてない…まあいいか、寂しくない夜は久しぶりだ)
自信たっぷり?失明しても関係ない?そう言ってもらえるのは私の強がりが成功している証だ。
本当は寂しい、失明するまで見えていた景色が見えないのはやっぱり辛いし、皆んなの顔が分からないのも辛い。
何より、"あと少しで見えるようになる"という希望が私を苛む。決して希望があることが悪いのではない、"もしかしたら"と疑う弱い心が私を苛むのだ。
太ももに感じる小さな暖かみですら今の私にとってはありがたい。これが願わくば、大好きな彼女であればと思う私は我が儘なのだろうか。
(こんなに弱るんならアキナミにも残ってもらった方が良かったかも…)
遅まきながら到着した二人は私とプログラム・ガイアの乱闘騒ぎを見て大層驚いていたそうな。「めっちゃ元気やんけ」とキャンベル親子がそう言い、せっかくだからとハウィ港近くの小さなホテルに泊まって行くと言って速攻帰っていった。
「すぅ…すぅ…」
すっぽりと収まっている生き物が気持ち良さそうに寝返りをうった。あまり寝付きが良くなかったのでそっと体を起こし、夢見心地の生き物の体に触れてみた。
体毛はそんなに無い、猫のようにふさふさしているわけではないらしい、どちらかと言えば犬に近い感触があった。
頭に触れてみて少し驚いた、耳が小さくそして鼻が長い。
(何この生き物…こんな犬がいたような…ダックスフンド?)
くーって鳴くか?ワンじゃなく?
「くっふぅ〜…」
それから眠くなるまでの間、良く分からない生き物を撫でて続けた。
翌る日、私はクルーザーの周辺を歩き回る複数の足音で目が覚めた。
太ももをベッド代わりにしていた生き物もいない、しんと冷えた寂しさだけが残っていた。
(誰…うるさい…もっと静かに歩いてよ…)
掃除でもしているのだろうか、誰が?と疑問に思った時、電気が流れたように跳ね起きた。
外から解錠される音と扉が開く音、無神経な足音のせいで気付かなかったがどうやら今は雨が降っているようだ、濡れた靴底が船内の床を叩く音が耳に届く。
先頭にいるのはタドコロのようである、いつもの陽気さがまるでなかった。
「ライラ…すまない」
その一言で全てを察した。
続けられた言葉は他人によるものだ。
「医師会の副理事を務める者です。失礼ですがコールダーさんにはこちらが指定する病院に移っていただきます」
寝起きの割には良く声が出たと思う。
「拒否権はありますか?」
「きょ──拒否権?それはな、何故ですか?こんな所より病院の方が良いかと思いますが」
「それはこちらが決める事です」
「決める事って…クルーザーなんかよりも病院の方が──」そればっかりか。
副理事と名乗った男性が上滑りをしながらあーだこーだと説明を続けている、タドコロはどう割って入ろうかと探っている気配があった。
(どうしてバレたの?タドコロの反応を見るにチクったようには見えない…アキナミも例外、カマリイちゃんたちも医師会と手を組むメリットが無い…)
消去法でいけば、残るは──。
「指定する病院は何処ですか?」と、私が尋ねると副理事の男性はほっとしたような雰囲気を出した。
「少しお時間をいただきますが首都にある総合医療センターです、その病院であればコールダーさんを過不足なくサポートできるでしょう」
「良いんですか?私をそこへ連れて行っても」
「──と、言いますと?」
「シルキーを利用した義眼を制作しているのもその病院でしたよね?」
副理事の男性がふふんと馬鹿にしたように笑った。ほんと、目が見えなくても人の心情変化は手に取るように分かる。
「そんなはずはありませんよ、誰から聞いたのですか?」
「カイル・コールダーからですよ、昨夜そのように電話をもらったのですが。あなたたちは何も聞かされていないのですか?」
「どうしてコールダーさんがそのような事を?」
「コールダーが出資している製作チームだからですよ、まさか無報酬で私の義眼を作るとでも思っていたのですか?そんなはずはありません、いくらマキナたちのサポートがあるからと言って先立つものがなければこんな危険な橋は渡らないでしょう、つまり報奨金を支払うのは我々コールダー家です」
「………」
男性が失礼と言い足早く船外へ、他にいた医師会の人たちはタドコロが追い払ってくれた。
「さあ行った行った!女の子の着替えまで監視しないと気が済まないのかね君たちは!」
ぞろぞろと、またしても無神経な足音を立てて船内から出て行った。
二人っきりになった途端、タドコロがふうと大きく息を吐いた。
「さあどうしようか、ここからどう逃げたものか」
「タドコロはいいの?これ以上私を庇うと立場が悪くなるんじゃ…」
「彼らは君を救おうとしているんじゃない、自分たちの立場を守るために君を助けようとしているんだ。用が済めばお払い箱になるのが目に見えている、その後がどうなるか分かったものじゃない」
「それはそうだけど…」
「それに私はシルキー賛成派でね、自分たちの暮らしが良くなるのならいくらでも転用すべきだと考えているよ。まあそんな事より、さっきの話は本当なのかい?」
「嘘に決まってるでしょ、ただの時間稼ぎ。……あまり信じたくはないけど、私の居場所を医師会に漏らしたのはきっとパパたちだわ」
「……そんな、どうして」
「理由なんか知らない、パパはシルキーに反対なのかもしれない、他に理由があるのかもしれない」
──例えるならそう、大昔のテレビ、ブラウン管と呼ばれるテレビの電源を点けたようにぶんと唐突に気配が現れた。
それは昨日会ったプログラム・ガイアだった。
「失礼」
「──っ!」
「わあどこからっ?!」
「だから失礼と言った。ライラ・コールダー、君にも聞きたい事があるのを忘れていた、だから急だけどお邪魔させてもらった」
「今なのそれ、取り込み中なんだけど」
「今だからこそだ。君の両親はカイル、それからリアナで間違いないね?」
「…それが?」
「以前、カウネナナイに渡り囚われの身になっていた事があるはずだ、そしてその時にヴァルキュリアの一人、スルーズと知り合いになっている」
「……そういえばそんな名前聞いた覚えがあるわ。で?だから何?」
「むぅ…わたしには塩対応、我が友はあんなに可愛がっていたのに…」
「無駄話をしに来たんなら今すぐ帰って」
「ガイア・サーバー内の音声データに君の母親であるリアナ・コールダーのものが残されていた、登録時期不明、IPアドレスも不明、アクセスルートも不明。何か知っている事は?」
「知るわけないでしょそんなもん!自分の娘を売った奴らの事なんか知るかっ!!」
パパたちにどんな経緯があったにせよ、煎ずるところはそれだった。我慢していようと思っていたけど、プログラム・ガイアの無神経な質問にそう吠え返してしまった。
船外にいた医師会のメンバーがにわかに慌て出す、私の大声が届いたのだろう。
プログラム・ガイアがこう言った。
「分かった。今なら君を遠くへ連れて行ってあげられる、君の両親にも分からないような所へ。どうする?手を貸してあげよっか」
私はこう答えた。
「──誰があんたみたいな生意気な子供の手を借りるか!さっさと出て行け!」
「なっ!こ、ここまでわたしが下手に出たというのにその態度!昔の信者たちが見ていたら今頃戦争だ!」
「どっから出てくるのその自信!そういう上から目線であざといところが嫌いなのよ!」
「わたしのアイデンティティを全否定……だとっ?!ほんとナディ・ウォーカーはこんな人の一体どこを好きになったというのか!ノヴァウイルスより謎!」
「き、君たち?そろそろ…」
「ナディをそんなもんと一緒にするな失礼でしょうが!」
「そんなもんを目に組み込もうと言うんだよ君は!ノヴァウイルスをそんなもん呼ばわりしていいのかわたしより我が儘!」
「く、くー!くー!」
「うるさいうるさい!とにかくあんたの事は嫌いなの!自分の事は自分で何とかするから今すぐ出てけ!そして二度と顔を見せるな!」
「目が見えないくせに!」
「何だとうっ?!」
「君たち!」
「くー!」
もう頭に来ていた、叩き起こされパパたちに裏切られ、挙げ句の果てにはプログラム・ガイアから上から目線で「助けてやる」だ、我慢していた諸々の怒りが一気に爆発してしまった。
それは向こうも同じらしい、猫のようにフーフー言っている。
外にいる医師会の奴らが「入りますよ?!入りますよ!」と言っているが取り合うつもりはなかった。
もう絶対この子の言いなりにはならないし何を訊かれても答えてやらないと胸に誓うがだがしかし──
「──ああもういいよ!君みたいな我が儘女王はこっちから願い下げだ!ガイア・サーバー修復の為にナディ・ウォーカーともコンタクトを取ったけどもう止めだ止め!「ちょっと待って」
「何?!」
「今何て言ったの?ううん、ナディと連絡が取れるの?」
「だからそれが何?!まさかナディ・ウォーカーと連絡を取らせてくれだなんて言わないよねここまでわたしを怒らせておいて「お願いします、ナディと話をさせてください、あなたの言う事は何でも聞きます」
猛り狂っていた猫の気配がすぅっと消えていった。
返ってきたのはドン引きだった。
「え〜〜〜………」
✳︎
囚われていた仮想世界から復帰した私たちを待っていたのは、対応に困ってしまう王都市民の熱烈な支持だった。
「カルティアン様〜!」
「打倒ラインバッハ!打倒ラインバッハ!」
「この国をお救いください〜!」
連日に渡る通りからの声援、何なら出店まである始末、ちょっとどころか生活圏を脅かしかねないほどの賑わいを見せていた。
(何なんのほんと…)
しゃっとカーテンを閉める、通りにいる人たちのせいで空気の入れ替えだってできやしない。
聞くところによれば、国民投票の開催が決定し現国王の崩冠式も挙行されるようだ。そして、時期国王として私、それからエノール伯爵という人物が槍玉に上げられているらしい。
まだ前回の事に踏ん切りもついていないのに、世の中というものはお構いなしどんどんと進んでいく。
一緒に囚われていたアネラはまだ入院中だ、カゲリちゃんはその付き添い、私とヒルドでコクアの業務をこなしている、と、言っても王都がこんなだからここ最近は王室からの連絡もぱったりと途絶えていた。
自分たちではどうする事もできない、にっちもさっちもいかないそんなお昼を前にした時、すっかりママ役が板についたグガランナさんが部屋にやって来た。
「あなたと連絡を取りたい人がいるそうよ」
「ああ、プログラム・ガイアちゃんですか?昨日も連絡がありましたけど」
「さあ。ほら、さっさと挿しなさいな」
「ああはい」
これ結構抵抗あるんだけど。自前の端末にケーブルを挿し、その片割れをグガランナさんの耳の裏辺りにすぽっと挿し込む、これで相手方のマキナと通話ができる。
そういえば前にもこんな感じでやった事があるなと思い出し、途端にラハムに会いたくなってきたところでその相手と繋がった。
[……も、もしもし?聞こえてる?]
「え……その声、もしかしてライラ?」
[──ナディ〜〜〜!ああ…耳が癒される…──ちょっと!何よ!……そういう約束でしょうが!入ってこないで私たちの時間を邪魔するな!]
だ、誰かが傍にいるのだろうか、その人の声は聞こえないが何やらライラが言い合いをしている様子だ。
というかライラがいつもの調子過ぎてふふふと笑みが溢れた。
[何?何で笑ってるの?]
「ううん、ライラがいつも過ぎてつい」
[いやいや、これでも夜は寂しいんだけどね。そっちの状況はどうなの?何か事件に巻き込まれたって聞いたんだけど]
「私は平気だよ。ライラは?医師会の人たちと揉めてるって聞いたけど」
[私も平気だよ]
「………」
[………]
あ、あれ?会話が途切れてしまった。決してそんなつもりがなかったのに、ライラに気を遣わせてしまった。
[……あ、ああ!そうそう、今ねアキナミのお父さんが持ってるクルーザーにお世話になっているんだけどね、案外これが心地良くてさ]
「そ、そうなん「─ねえちょっと、無駄話するなら切るわよ?私だってタダじゃないんだから」
何だその言い方。
「い、いいじゃないですか世間話ぐらい」
「あなた、そんな事やってる暇があって?王都に残るかウルフラグに帰るか悩んでいたじゃない。相談するんならまだしもただの世間話なら帰ってからにしてちょうだい、というかそれを相談すべきなのでは?」
グサグサと、"言葉"というナイフで胸を刺されて何も言えなくなってしまった。
「ご、ごめんライラ…せっかくかけてもらったのに…」
[あ!ううん、気にしないで。また電話するね]
ぷつり、と、約一ヶ月ぶりに話した恋人との通話を切った。
✳︎
「ふふん、人が苦しむ様はいつ見ても初日の出」
「君…可愛い顔してエグいこと言うね…」
「くぅ〜……」
「………」
何今の...あっれえ〜?私とナディの仲ってこんなだったっけ?何であんな他人行儀になっちゃったんだろ信じられないもっと色んな事を喋ろうと思っていたのにたったの数分で電話を切られてしまったさらにその事にほっとしている自分がいて情けない。
頭と胸の中には沢山の言葉が詰まっていたのに口で事故を起こして大渋滞である、つまり胸が苦しい。
そして、私とナディのやり取りを聞いていたガイアは謎にご満悦だ、腹立つ。
「わたしを怒らせたばちが当たったんだよ〜意地悪をした君にぴったりの末路〜」
るんるんとガイアが船内で踊っている、ほんと性根がひん曲がっている女の子だ。
自動航行に切り替えたタドコロが船内に入って来た。
「うっひ〜凄い雨だ…ここまで来たらもう大丈夫だろう、雨宿りさせてもらうよ」
「させてもらうもなにも、これお父さんの船だからね」
「今はライラのお城さ──あれ?どうかしたのかい?恋人と話ができたんだろう?」
絶賛調子乗り中のガイアがタドコロにかくかくしかじかと説明した。
やはり大人は違うと、タドコロの言葉を聞いて感心した。
「そりゃそうだ、恋人同士と言ってもすれ違う時はある。それに今は離ればなれになっているんだから、言葉だけでは埋められない距離ってものが君たちをすれ違わせたのさ」
「た、タドコロ…」
その慰めの言葉がきゅんと胸に染み渡った。
「ま、遠距離恋愛ってこんなもんだと思って呑気に構えている方がいい。経験則としてそっちの方が上手くいくよ」
「うえ〜自分の父親の恋愛話なんて聞きたくなかった…」
「はっはっはっ、アキナミ、今から海に放り投げてやろうか?それとも傷を負った父さんが海に飛び込めばいいかな?」
「冗談でも止めてくれない?」
と、二人はいつもこんな調子だからこれはこれで仲が良い、味方を得られなかったガイアがむくれている気配を出しているがざまあみろだ。
それよりも。
(初恋の相手と遠距離恋愛っ……私は何て贅沢な恋をしているのだろう……)
「それでガイア、本当に話がついているんだろうね?もうそろそろ政府が所有している港に到着する頃合いだ、これで話が通ってませんでしたとなれば私たちの船は即座に沈没させられる」
「大丈夫。その過剰な防衛体制をアテにしてやって来た、話も知り合いから通してもらっている」
「知り合いって、君マキナなのにいるの?」
「いる。保証局の人間とコネが出来たのはとても大きい、まあ結果論なんだけど」
「ああ、保証局なら問題なさそうだね」
「その全幅の信頼はどこから…」
タドコロが言った通り、私たちが向かっている場所は首都から南東部に位置する港だ。ちなみにユーサはその反対側に位置している。
政府管轄の港なので一般の企業や市民たちには縁遠い場所である、かく言う私も訪れるのは初めてだった。
ガイアの話によれば、本来匿ってはならない係争相手の一人を政府所有の港に停泊させてもらえることになった。バレたらヤバいがバレなければ一番安全な所である。
今朝方やって来た医師会の人たちには問答無用でクルーザーから降りてもらった、後は知らない、ガイアが何とかすると言っていたから何とかするんだろう。
「──ナディと遠距離恋愛まで楽しめるだと思えば良いわ、うん、そう思うことにしよう」
「あれ?立ち直るの早くない?もっと苦しんでもいいんだよ」
ぶわん!と手を振ると今度は捕まえることができた。
「ああ!ああ!目が見えないって嘘でしょ──いたたた!体罰反対!」
「うるさい!ちょっとぐらい痛い目を見なさい!」
「く〜!く〜!」
「こらそこ!我が儘女王を応援するな!──痛い痛い!」
それから港に到着するまでの間、私はガイアの小さな頭をぐりぐりし続けた。
はっきりと言って、お預けを食らったような気分だった。目だって治っていないしせっかくナディと話が出来たのに...
まあこれも試練の内だと肚に据え、末広がる私たちの幸福な未来を信じようと思った。
「お、到着したみたいだね。船はどこに停めればいいのかな」
「痛い…八番の所に停めて、そこが厚生省のドックだから」
私の手から逃れたガイアがそう言い、船は八番ドックへ向かって行った。
※次回 2023/1/21 20:00 更新予定