第105話
一人目・・・ナディ
二人目・・・アネラ
三人目・・・カゲリ
四人目・・・キシュー
五人目・・・テジャト
六人目・・・アルヘナ
七人目・・・スルーズ
八人目・・・レギンレイヴ
九人目・・・オーディン
○ルール説明
村人七人、人狼二人に分かれる。
一日一度、人狼だと思う人物に投票を行い場から退場させる。村人側は人狼を全員退場させたら勝利、人狼側は村人を自分たちと同じ数にしたら勝利。
○役紹介
村人・・・特別な力は無い。
人狼・・・毎晩一人、場から村人を強制退場させることができる。また、人狼はもう一人の人狼が誰か知ることができる。
祈祷師・・・投票で退場した人物が村人か人狼か、知ることができる。
占い師・・・一日一度、一人を占い村人か人狼か、知ることができる。
騎士・・・毎晩一人だけ、人狼の襲撃から守ることができる。この時、守れるのは自分以外の一人だけである。
※本ゲームに『狂人』は登場しない。
.九人の容疑者たち〜人狼ゲーム〜
1.
目が覚めたナディ・ウォーカーはすぐに違和感を覚えた。それはいつもと変わらない目覚めのはずなのに、体が異様に軽かったのだ。
「んん…」
それに姿勢もおかしい、ナディは自分が椅子に座っていることに気付き困惑した。昨夜は確かにベッドに体を預けたはずなのに、いつの間に椅子の上で眠っていたのだろう?
クッションも無い、固い座面の上で目を覚ましたナディは周囲に視線を向け、さらに困惑してしまった。
「何…ここ…」
そこは広い部屋の中だった。それから部屋の中央には表彰台のような物が置かれ、そこを中心として円を描くようにして椅子も置かれていた。さらにその椅子に一人一人が座っており、皆ナディと同じ姿勢で眠っていた。
状況が良く分からない、分かるはずもない。ナディは即座に「これは夢だ」と思った。
だが、夢ではない、現実だとすぐに思い知らされてしまった。椅子に座っていた他の一人が目を覚ましたのだ。
「んん………んん?!な、何なんですか、ここは…」
ナディの次に目を覚ましたのはカゲリという少女だった。
以前、大怪我を負い一時は生死の境をさまよい歩いたが何とか生還することができた。
目が覚めるなりダッ!と立ち上がったカゲリが辺りを見回し、すぐにナディに気付いた。
「な、ナディ様!こ、ここは一体…ここは何処なんですか?」
「私にも分からない…これって夢じゃないよね?」
カゲリが「少しお待ちを」と言い、自分の頬ではなくすぐ隣に座っていた青年の頬をこれでもかと抓り上げた。
「──痛っ、いたたたっ何をするんだ!」
「いやそれって自分の頬っぺたにやるもんじゃ…」
眠っていたところを急に抓られた青年はご立腹だ、最悪な目覚めになったことだろう。
「痛い……──な、え、ここは一体…」
そして青年もまた、ナディとカゲリの二人と同じ反応を見せていた。
「て、テジャトさん…」
「──!……う、ウォーカーさんも…」
カゲリに頬を抓られた青年の名前はテジャト・ミラー。ウルフラグ陸軍に所属する軍人であり、ナディの護衛の任務に就いていたが私情で彼女を裏切る選択を取り、カウネナナイの地で妹と行方をくらましていた。
そしてその事に薄らと勘づいていたナディ、互いにどう言葉をかけるべきか迷い、結局何も話すことなく二人とも逃げるように視線を外した。
テジャトが自分の隣にいた妹のアルヘナに気付き、そっと体をゆすって起こした。
「アルヘナ、アルヘナ」
「ん、んん…兄さん…もう少し寝かせて…昨日は頑張ったんだ「─アルヘナ!」
二人のやり取りを眺めていたナディとカゲリがはっと目を合わせる。
「あの二人は…」
「やっぱりそういう関係だったんだ…」
自分たちが置かれた状況も忘れ、そういった事にまだ馴染みがない少女二人がヒソヒソと、けれどどこか楽しむようにして囁き合った。
妹のアルヘナに、半ば自分たちの関係を暴露されてしまったテジャトは大慌てである。
「しっ!しっ!…ここには僕たち以外の人もいるんだからっ」
「え?…え、え、え?ここは?──あっ」
今さらのようにアルヘナも気付いた。瞬時に頬を染め上げ、その反応がナディとカゲリの憶測を裏付けるような形になった。
舞台の様子を監視カメラ越しに観察していた女が、少しばかりの落胆と共に独り言を呟いた。
「何か思てたんと違う」
女は不思議で仕方がなかった。何故、あんな場所に突然放り込こまれてラブコメみたいな展開が発生するのか。もっと驚いたり取り乱したりするものだと思っていたのに。
(まあいいでしょう、そろそろ私も舞台へ行きましょう)
女の目的は人狼ゲームを通して犯人を見つけ出すことである。
事の発端は今から約一月前、ドゥクス・コンキリオが創設した部隊『ヴァルキュリア』がカウネナナイ本土を襲撃した時に発生した。
アメリカ方面第三テンペスト・シリンダー全体を管理するガイア・サーバーに異変が起きたのだ。そして、その当時ガイア・サーバーを格納している電森林室に立ち入ったのが舞台にいる九名、ヴァルヴエンドに籍を置く女はこの九名が怪しいと睨み、今回の舞台を用意した。
(あの中の誰かがガイア・サーバーを弄ったはず…)
目下、最も怪しいのはヴァルキュリアの隊員スルーズだ。彼女がこの九名の中で最も接近しており、一番直接的な手を下している。
監視室を出た女が一本に延びる廊下を歩く、年季が入った建物で所々傷みが見受けられる。廊下の隅には埃が溜まり、空気も墓場のようにどんよりとしており蛍光灯の明かりもホラゲのように演出染みていた。
だが、その廊下を渡った先にある扉を開けると景色が一変する。腐っていた空気が爽やかになり、切れかけていた蛍光灯の灯りも輝かんばかりに女を照らした。
まるで別の建物同士が隣接しているような様変わりの仕方だった。
(安定しているようね…)
女は自分の仕事の出来に満足し、ナディたちがいる舞台へ向かって行った。
その舞台では女に連れ去られた容疑者たちが目を覚ましつつあった。皆、自身が置かれた状況に付いていけず、辺りを見回すばかりで言葉を発しようとしない。
ナディの隣に座っていたアネラ・リグレットは、親友であるナディとスルーズが同じ場所に居たことに安堵した。
(良かった…良かったけど、これって皆んな誘拐されたって事だよね…?)
アネラもまた、電森林室で深い傷を負っており、つい最近までベッドの上で過ごしていた。その間ろくに運動も出来ておらず、体が重たいはずなのにどこにも違和感が無い、体の調子も良さそうである。だが、却ってそれがより一層違和感を際立たせ、ここが普通の場所ではないとすぐに勘付いた。
「ねえナディ、ここって何処だと思う?」
「分かんないけど…体は大丈夫なの?」
「うん、それがびっくりするぐらい平気なんだよ、ちょっと前まで寝たきりだったとは思えないぐらい」
「そうなの?私も起きた時体が軽くなってたんだよね。もしかしてカウネナナイの食べ物でダイエットできたのかな」
「いやそういう問題なの?」
「ウルフラグは油っこいものばっかりだからすぐ太るんだよ」
「そ、そうなんだ…ねえ、私たちって自分の足でここへ来たわけじゃないよね?」
その問い掛けに答えたのはナディではなく、アネラの斜向かいに座っていたヴァルキュリアの司令官だった。
「誘拐されたと見るのが妥当だろう」
「………っ」
いきなり話しかけられたアネラが体を強張らせる。ヴァルキュリアの司令官であるオーディン、彼の攻撃によってアネラは脳震盪を起こしていた。警戒するのは当然の反応だと言える。
アネラの反応を見て、オーディンが当然のように頭を下げた。
「あの時は悪かった、謝罪する」
「そんなんで許されるとでも?」
オーディンの行動を批判したのはカゲリだ。一番体が小さいのに一番気が大きい、怯むことなく敵へ向かっていくのが彼女の勇敢さの一つだった。
「許してほしいとは思っていない、ただ礼節を弁えただけだ」
ここに集められた人たちは、どちらかと言えば敵対していた間柄を持っている。同じ場所に居るからといって容易に和解できるはずもなく、それはアネラの親友であるスルーズも変わりはなかった。
スルーズもアネラやナディの存在にいち早く気付いていたが、自分から話しかけるような事はしていなかった。
一触即発の空気の中、キシュー・マルレーンがぞんざいな言葉を放った。
「そんな事よりここが何処なのか、何で集められたのか調べるのが先だと思うんだけど」
その言葉に反応を返したのはナディだ。何故、アネラが怪我を負ったのか知っていたからだ。
「その言い方はどうなんですか?アネラはキシューさんを庇って怪我をしたんですよ?」
「誰も頼んでいない、その子が勝手にやったこと」
「なっ……」
さらに返ってきたぞんざいな言葉に思わずナディが腰を上げるが、それをアネラが止めた。
「止めて、マルレーンさんの言う通りだから」
「でも!一言ぐらいお礼があっても!あの人一度もアネラの所に来なかったんだよ?!」
「いいの!私は気にしてないから!」
言い合いを始めた二人にキシューがさらに、
「本人がそうだって言ってるんだから別にいいじゃない。どうしてあなたがそこまで気にするの?」
「うわ最低…」
誰にでも文句を言えるカゲリがこれ見よがしに呟いた。
「最低で結構。で?ここに見当がつく人間はいるの?さっさと帰りたいんだけど」
「殴った俺が言うのも何だが、屑だな、お前」
「未成年の女の子を戦わせているあんたがそれ言う?どっちが屑よ」
互いに屑と罵り合う二人、殆どの者はどう介入するべきか、あるいは無視するべきかと悩む素振りを見せ、結局口を開かず成り行きを見守ることにした。
だがそこへ、戦乙女の正装に身を包んだレギンレイヴが二人に割って入った。
「司令官、今は口論をしている場合ではないかと。現状把握と復帰が最優先ではありませんか?」
彼女のパーソナルカラーを示すブルーのバッジが室内の明かりに照らされキラリと光る。レギンレイヴは女性の中で高い身長を持ち、かつ堂に入った声は圧力感を伴っていた。
必然的に皆がレギンレイヴへ視線を注ぐ。
「──お前の言う通りだ。ここに心当たりがある者はいるか?」
部下に、それも守るべき少女から注意を受けてしまったオーディンはいくらか恥ずかしい思いをしながらも舵を切り直した。
オーディンの問い掛けに答える者は誰もおらず、場がしじまに支配された。──そこへ声を発する者が現れた。
「無視?え、私は無視なの?」
声を発した女性は部屋の扉前に立っており、目を開いて驚きの表情を作っていた。
突然の来訪者に驚く九人。この女性こそがこの舞台を用意し、かつ九人を攫った主犯の女なのだが...見事に無視されていた。
オーディンが皆を代表してこう言った。
「いつからそこにいた?」
「あんたら二人が口論する前からいたわ!私に聞きなさいよ!何を勝手に推論会なんか初めてるのよ!」
その様子を眺めていたナディは「ああ、構ってほしかったんだな」と一人で納得していた。
.2
女が開口一番こう言った。
「皆さん方にはここで人狼ゲームをしていただきます」
九人の反応は三様だった。
呆れる者三名、驚く者三名、首を傾げる者三者ずつだ。
女がまるで、夜通しで作ったかのような台本をつらつらと読み始めた。
「人狼ゲームとは、村人の中に紛れた人狼を見つけ出していくゲームです。一日一度の投票で人狼だと思う人を指名し処刑する、村人は自分が人狼だと疑われないよう努力し、そして人狼は正体がバレないようやはり努力をしなければなりません。これは人の疑心暗鬼を上手く利用した遊戯の一種であり──「ちょっといい?」
また女が驚きの表情を作った。言葉にしていないが「ここで話を止めるの?」と顔が語っていた。
話を止めたのはキシューだった。
「それ、こっちがやるメリットってあんの?」
「め、メリット…?そ、それは必要なものなんですか…?」
「そりゃそうでしょうが。その手のゲームって勝利者に褒美が用意されているもんでしょ?まさか何の報酬も無しに命のやり取りをしろって?あんた人のコト舐めすぎじゃない?」
予想外の質問が飛んできたので女は慌てた。
「いや!あなたたちはここに閉じ込められているんですよ?!私が施錠しない限り「─せじょう?解錠じゃなくて?」──そ、そうそれ!と、とにかくあなたたちは私の支配下にあるんです!ここから出たかったら私の指示に従うのがセオリーでしょう!」
もうこの時点でだいぶグダついているが、どうしても人狼ゲームをさせたい女は諦めなかった。
「村人と人狼に分かれて勝利したチームがここから出られます!そういうものなんです!いいですか!褒美なんてものはありません!」
今度は落ち着いた態度でオーディンが質問した。
何故落ち着いた態度を取ったのか、それは女がオーディンにとって好みのタイプだったからだ。
「何故俺たちなんだ?」
「そ、それはですね…」
ようやく自分の思い描いた道筋になったと、女が乱れた呼吸を整えてから余裕を持って答えた。
「あなたたちが容疑者だからです。この言葉の意味、分かりますね?」
今度は皆、一様の反応を見せた。
皆が一斉に視線を下げた、女の質問から逃れるように。
(やはりそう…この中にガイア・サーバーを弄った者がいる)
その中で真っ先に視線を上げた者がいた。
ナディだ。
「…それと人狼ゲームに何の関係があるんですか?」
女から見て、ナディという少女はどこか怯えているように見えたがその声音はしっかりとしているように感じられた。
女はその事に気を取られ即座に返事をすることができず、この間が残りの八人に余裕を与えてしまった。
追撃を仕掛けたのは黙して語らなかったスルーズだった。
「その子の言う通りで「──その子っ?!何でそんなに他人行儀なの信じられない!」─ちょ、今はそういう話ではなくて「じゃどういう話なの?私もアネラもマカナの事を心配していたのにその子呼ばわりするだなんて!」
彼女もまた正装に身を包んでおり、パーソナルカラーであるホワイトのバッジが胸元で所在なさげに光っている。
「と、とにかく!…彼女の言う通り、あなたが探している容疑者とじんろうげえむとやらに一体何の関係があるのですか?」
また場の空気を持って行かれそうになった女が慌てて答えようとするも、
「そ、それは!「──ああ、あんたもそのゲームに参加するってことなのね」とキシューが言葉を重ねた。
「は?」
「あんたが勝てば容疑者を逮捕、私たちが勝てば全員ブタ箱行きを回避できてなおかつここを脱出できる。いいじゃない、それならやるわ」
「は?」
「皆んな、思い当たる節があるんでしょ?さっき誰も何も言い返さなかったのはそういうコトなんでしょ?私にだってあるわ」
否定の言葉が一つもない、無言の肯定だった。
「は?何でそうなるんですか?私が?主催者が人狼ゲームに参加するって前代未聞過ぎるんですが」
「まさかただの趣味だなんて言わないでしょうね」
「なっ──」その通りである。女はついに何も言い返せなくなった。
「なら決まりね」
そこに待ったをかけたのはオーディンだ。
「待て、その前にここが何処なのか答えてくれ」
「こ、ここは…ここは…」
すっかりイニシアティブを握られた女が言葉を濁した。
「ここは?」
もう一度オーディンが尋ね、女が観念したように答えた。
「て、テンペスト・シリンダーの外…つまり地球です…この建物から出たら即死を意味します…そ、外は高濃度の酸性ガスが地表付近まで降りてきていますから、どんな生き物でも生存することができません…」
「…………」
皆、口を開けるばかりで何も言わず、ようやく事の重大さに気付いた。
◇
ナディたちが連れ去られた場所、どうやら建物の中らしいこの場所には窓が一つも無い。意識が戻った広い部屋にも、その部屋を出て左右に延びる廊下にも、食堂にも寝室にも、どこにも窓が無かった。
そのせいかナディは先程から息が詰まるような圧迫感を覚えていた。
(どうしてかな、探査艇に乗っていた時は平気だったのに。外の景色が見えないから?)
ナディは割り当てられた部屋の中で頭を捻る。窓が無いという事は換気が出来ないということであり、それはつまり外の空気が中に入ってこない為の処置だと言えた。
ナディがいる部屋の広さは八畳ほど、ベッドとテーブルが置かれているだけの簡素なものだ。けれど床一面を覆うカーペットの質が異様に高い、歩いても音が鳴らないのだ。それだけカーペットの毛が柔らかく、そして背が高いということである。
それからこの部屋の扉は内から施錠することができない。
(人狼が入ってこられるように…本当にやるんだ…)
その扉が一人でに開いたのでナディは思わず息を飲んだ。入って来たのはナディの友人であるアネラだった。
「──っ」
「あ、驚かせてごめん…この部屋不用心だよね」
「う、うん…私も同じ事考えてたから、人狼が入って来たのかと思った」
ナディと面影が似て、けれど大人びているアネラが少し恥ずかしそうにしながら尋ねた。
「ねえ、そのじんろうげえむっていうのは何?初めて聞いたから分からなくてさ」
「ああまあ…カウネナナイにはこういう遊びってないもんね。人狼ゲームっていうのは──」
ナディが人狼ゲームに関する知る限りの知識を与え、このゲームには特別な力を持つ"役"が用意されていると伝えた。
「それはどんな役なの?」
「一人を占って人狼かどうか調べたり、投票で処刑された人が人狼だったかどうか知ることができたり。後は何だっけ──そうそう、人狼から守る力を持った人なんかいるよ」
「どうして人狼限定なの?」
「そりゃ人狼を追い出すゲームだからね、村人は投票でも人狼でも処刑されちゃうけど、人狼は投票でしか処刑できないから村人は優先的に調べる必要があるの」
「ふ〜ん…ねえ、その処刑って…」
「うん…それは私も考えてた…本当にやるのかなって」
煎ずるところはそこだ、あの突如として現れた女性が言っていた通り、本当に人狼ゲームを開催するならナディたちは毎日一人ずつ処刑しなければならない。自分が誰かに票を入れ"殺す"ところなんか想像出来るはずもなく、それは今目の前にいる友人に票を入れられて自分が"殺されてしまう"ところも同様に想像できなかった。
だが、あの女は言っていた。
──あなたたちが容疑者だからです。この言葉の意味、分かりますね?
(…………)
それはアネラも同様だという事である。
一体どんな罪をこの友人が犯したというのか、ナディにはやはり想像することすらできなかった。
重たい空気に包まれた中、スピーカーから呼びかける声があった。それはあの女のもので、すぐに自室へ引き上げるよう促すものだった。
[全員が部屋に入ったと同時に配役を発表します、決して他人に明かさないよう注意してください。口頭で伝えるのは良しとしますが、役が書かれたカードを見せることは禁じます。もし、違反した場合は失格とみなしこの建物から追放します]
言うだけ言ってスピーカーがぷつりと途絶えた。
「…………」
「…………」
ナディとアネラは互いに目を合わせ、けれど何も喋らずそのまま別れた。
同様に放送を聞いていたレギンレイヴはただ困惑するばかりだった。
(何故私がこんな所に…カゲリもいる、ナディもスルーズもいる…最悪ですわ)
彼女の細くて長く、決して淑女が付けて良いものではないマメがある手で自分の額を覆っている。細かく頭を振るたびに長い前髪がゆらゆらと揺れていた。
どうしても会いたくなかった二人に会ってしまった。ここが何処だろうと今の彼女には関係無い、逃げたくて仕方がなかった。
──と、そこへ、頭を抱えていたレギンレイヴの前で一枚のカードが天井から降ってきた。
「…は?今どこから…」
部屋に入った時にくまなく調べたはずだ。天井も床も壁もベッドの下も、不審な物が無いか調べたはずなのに、確かに天井から一枚のカードがひらひらと降ってきた。
そのカードは幾何学的な模様をした面を上にして、テーブルの上に落ちた。
「あの女の言う通りであれば…」
カードの表面に役が書かれているはずだ。処刑される人狼か、人狼を追い立てる村人か。
彼女はある事を祈りながらカードを捲った。──どちらにせよ、ここから逃げ出すべきだと。
それは命を失ってでも為すべき事だと。
人狼ゲームの舞台を用意し、容疑者の口車に乗せられ参加させられる羽目になった女は扉の前で愕然としていた。いや大声で叫んでいた。
「しまったーーー!!!!!」
そう、女が最初にいた朽ちた建物への扉がロックされていたのだ。押せども引けどもびくともしない。
「アホだ私ぃ…ここって役を貰った人間には通れないようにセキュリティの強化を──これじゃ誰が人狼なのか分からないじゃない!」
女は参加するだけして後はズルをするつもりでいた。監視室に戻って全員の役を盗み見て、さっさとゲームを自分の勝利で終える腹づもりでいたが秒でその作戦が瓦解してしまい、あまりの絶望に膝をついていた。
(は?は?本当にやるの?マジでそれ言ってんの?でも本気でやらないとこっちが退場させられる…それはマジで洒落にならない)
女は人狼ゲームを観戦するのが好きだった。それは有人であっても仮想であっても、人が人を欺き罠に嵌めていく様が何よりの娯楽だと感じていた。
まさかそのゲームに自分が...床についた膝は震え、戦慄くように笑っている。呼吸も上手くすることができない、ひゅうひゅうと喉の奥から空気が漏れているようだ。
でもと、女は思う、この湧き起こる感情は何だろう、と。
「まさか私…楽しみに、してるの…?」
下手をすれば自分が退場させられてしまうのに?
「…良いでしょう、ついに私も人を蹴落とす時が…」
もしかしたら、連盟から容疑者の特定を言い渡された時から自分を天秤に乗せていたのかもしれない。そう、女は考えた。
付いていた膝を持ち上げ、ふらふらとしながら女が立ち上がった。先程まであった悲壮感はもう既に無く、その面差しにあったのは暗い笑みだった。
それぞれの役が決められ、容疑者+主催者の全一〇名がもう一度最初の部屋に集まった。
知らぬ間に椅子が一脚追加されており、一〇脚の椅子が綺麗な円を描いていた。
部屋に集った容疑者たちは最初に座っていた椅子に腰を下ろし、最後に女が空いていた椅子に腰を下ろした。
皆が皆の様子を窺う、誰が先に口を開く測っているよう。
最初に発言したのはキシューだった。
「私が人狼だからしくよろ〜」
「は?」
間抜けな声を出したのは主催者の女だ。
もう一度言う。
「は?」
「それさっきから言い過ぎ」
「いやいや、人狼ゲームってそういうものじゃありませんから。普通自分から言います?」
「何でもいいじゃん、私はこんなかったるいゲームをさっさと終わらせたいの」
キシューに突っかかったのはオーディンだ。
「なら、もう一人の人狼が誰だか言ってみろ」
オーディンは人狼ゲームについて知識を持っていた。彼が元々ウルフラグの出身であるが故だが、そんな事は未だ知らないスルーズとレギンレイヴが言葉を放つ。
「お待ちを司令官。このげえむについて知っているんですか?」
「ああ」
「だったらどうして手前たちにちゃんと教えてくれなかったんですか!」
「聞かなかったじゃないか。げえむってイントネーションはおかしいが、聞いてこなかったから知っているものとばかり…」
「知っているわけないでしょこれってウルフラグのげえむなんでしょ?!」
「え、何ですか、じんろうってもう一人のじんろうが分かるんですか?」
レギンレイヴがそう尋ねる。
「当たり前だろ、人狼が間違えて人狼を殺したらゲームにならない」
「いや何が当たり前なのか知りませんけど!」
急に和気藹々とし出した三人に向かってキシューが指を差した。
「はい、あの中にもう一人の人狼がいます、これは嘘ではありません」
「………」
「………」
「はあ?それは本気で言っているのか貴様」
「人狼ゲームってこういうもんでしょ」
「…そうだな、何故今嘘を吐いたのか、その嘘を吐くことによってどんなメリットがあるのかと裏をかき、考察するのがこのゲームの醍醐味と言える。セオリーで言えば、二人の占い師が対立してそれぞれ違う人物を人狼だと宣言する、といった場合が多いが自ら人狼だと名乗ったは初めてだ」
「下らないセオリーにハマって何が面白いのか。ここで人狼がお互いに名乗りあえば二日で終了するわ」
キシューとオーディン、この中で一番の年長者の話を黙って聞いていたアネラが口を挟んだ。
「──名乗った人が本物の人狼であれば、ですよね。もし間違えていたら、もし間違えて処刑した人が特別な力を持っていたら…村人側が圧倒的に不利になります。…そうだよね?」
アネラも人狼ゲームを始めたばかりなので自分の考察に自信を持てなかった。最後は隣にいたナディに確認していた。
尋ねられたナディも小さく首を縦に振った。
「だから、今キシューさんが嘘を吐いた事にも意味がある。オーディンさんと──その隣に座っているあ・の・子がもし占い師や祈祷師だったりしたら…キシューさんが人狼だと仮定すれば自分が有利になるよう働きかけたことになる」
ナディの説明を聞いていたアネラが小声で「大人気ない…」と言った。
仕返しに"あの子"呼ばわりされて少しだけ頬を染めていたスルーズ、何か言いたそうに目線を強めているが、結局何も言わずに顔を背けた。
そう、人狼ゲームにおいて、誰がどのような発言をしたとしても、そこに"意味"が生まれてしまう。キシューが人狼だと名乗ったように、一見不可解に見えても「何か裏があるのでは?」と勘繰るのが人の性である。
これこそ"疑心暗鬼"の成せる技だった。人を疑う暗い心が己を鬼に変える、鬼に変わった人間は何でもする。
自分が生き残るためであれば──。
もう何度目になるか分からないしじまが場に訪れ、その嫌な静寂を破るように主催者の女が言った。
「最も投票数が多かった人はその台に立っていただきます」と、部屋の中央にある表彰台のような物を指差した。
「立ってどうなるのですか?」と尋ねたのはアルヘナ・ミラーだった。
「仕掛けは単純です、仕込み板が外れて穴へ落ちます。その穴は建物の外へ繋がっており、強アルカリ性の海に落下することでしょう。人の体はタンパク質で構成されていますから化学反応が発生して溶けていきます、そうなったらまず助かりません」
この化学反応は一般的には『化学熱傷』と呼ばれるものであり、通常の火傷と比べて症状が重たい。アルヘナはそうなった自分を想像でもしたのか、これでもかと眉を寄せていた。
アルヘナの兄であるテジャトも女に尋ねていた。それはこの場にいる皆が疑問に思っている事でもあった。
「失礼、僕たちはマキナという存在についてもある程度の知識がある。マキナたちは自分の体内に固有のネットを持っていて、そこに仮想世界を築くこともできると聞いたことがある。ここは本当に現実なのか?それとも君もマキナの一人でここが仮想世界という所なのかはっきりさせてもらいたい」
女は何でも無いように平然と答えた。
「それでしたら、まずはあなたが台に立ってみてください。穴に落ちればここが現実世界なのか仮想世界なのか、すぐに分かりますよ。仮想世界ならあなたはご自分のベッドの上で目が覚めることでしょう、でも現実なら即死です、それも耐え難い、誰にも想像できない痛みを伴いながら絶命することになります」
「………」
「命ってそんな粗末なものではないでしょう?──いいえ、ここが仮想なのか現実なのか、命のやり取りをしている時に思考しなければならない事柄ですか?私は違うと思いますよ」
「…そいつの言う通りだな、ごもっともだ」
この手の思考実験は西暦の時代にも行われていた。ある学者は「この世界は仮想世界であり、我々人が死ぬと向こうの世界で目を覚ますことになる」と提言したことがあるほどだ。
だが、一体誰がこの仮説を証明できるというのだろう?西暦に入り、数千年の時を重ねても人類は"死後"について解明することができず、今なお真実味を帯びた仮説すら成立させていない状況である。
それらの不安を解消するために世には数え切れない程の宗教的、あるいは神仏的な教えが存在している。しかし、そのどれもがやはり空想の域を出ず、真実と呼べるものは無かった。
であれば、死後の世界について解明できていない今、果たしてここが現実なのか仮想なのかと推論することに意味はあるのだろうか?
この謎を紐解く鍵はある。
"魂"だ。
だが今はそんな事を論じている場合ではない。
「勝ってここを出るしかない…って、君は言いたいんだね」
「最初にもそう説明しました。──ですが、私の目的は人狼ゲームそのものにはありません、救済処置を用意しました。あの台に立ち、仕掛けが作動するまで時間があります、その間に自らの罪を告白するならばその限りではありません、他人を告発しても構いません。しかし、それが私の目的に合致していなければ仕掛けは止まりませんのでご了承ください」
女が人狼ゲームを開催した狙いはこれにあった。
人が"生きようとする欲求"は何にもまして強く、そして善悪の垣根を越える。極限状態に追い込み、ガイア・サーバーに手を加えた人物を見つけ出す算段だった。
「待て、もし仮に、この中にお前が探している犯人がいたとして残りの者たちはどうなる?ただの無駄死にではないか」
オーディンがそう糾弾するが女の考えが改まることはなかった。
「人生なんてそんなものでしょう?それを言うなら、あの二人を庇ってあなたの部下に撃たれたあの人はどうなるのですか?その死は認めて自分たちの死が認められないと?それは傲慢でしょう、生死は万人にとって唯一の平等性を持っていますから死から逃げられませんよ」
「………」
「…そうですね、せめてもの情けとして犯人が分かった時点でこのゲームを終了とさせていただきます。どうですか?少しはやる気が出たのではありませんか?」
"屑"だと罵り合っていたキシューとオーディンが口を揃えた。
「お前、屑だな」
「屑ね、あんたも」
二人が女をそう罵るが、最初に見せていた余裕は既に無かった。
◇
突然こんな場所に連れられ、そして突然「人狼ゲームに参加せよ」と命じられ、気持ちが現状に追いつかないながらも、ナディは事の重大さが段々と分かり始めてきた。
(罪を告白すれば…それは皆んなも同じ…)
あの女性が誰を探しているのか、どんな罪を背負った人がお目当ての人物なのか分からないが、この中にいるのは間違いなさそうだ。
(皆んな…アネラもそうなの?マカナも何か罪を犯したの?)
ナディにとって二人は古くからの友人であり、また家族も同然と言える間柄でもあった。その二人が"罪を犯した"とは思えず、一人部屋の中で狼狽える。
(私は…)
ナディにも他人に言えない秘密があった、それは別の人間から口止めされているという経緯があるにせよ、罪を犯したと糾弾されたら口をつぐむ他にない。
でも、と思う。人が生きていれば少なからず秘密の一つや二つ、出来るはずだ。それがたとえ、自分のようにまだ成人を迎えていなかったとしても、秘密を抱えることは何ら不思議な事ではない。
であれば、とナディが腰かけていたベッドから立ち上がった。
(あの人に話を聞きに行こう、どんな罪を犯したのか、それさえ分かればここから抜け出せる)
ナディは一人決意し、部屋から出て行った。
一方、思い通りに事が進んでご満悦な女はベッドの上で転げ回っていた。
(あの顔あの顔!まさしく理不尽なゲームに参加させられた人の顔だったわ!絶望!怒り!焦り!)
それは夢にまで見た"悪感情"、女が住む世界ではそれらを目にすることができず、一切の創作物でも表現することが許されていなかった。
それでも女が"悪感情"について知っていたのは一重にこの仕事にあった。各テンペスト・シリンダーを視察という名目で回った折にそれぞれの現地人が彼女に見せたのだ。
"絶望"、"憎悪"、"悲嘆"、"殺意"、そして"人の本性"。
人間は恵まれた環境よりも窮地に立たされた時の方がより本性が表れる、どんなに聖人に見えても困難に直面した時はその化けの皮が剥がれるものなのだ。
女はその事を良く理解していた。
一通り転げ回った後、ベッドの上に腰をかけ乱れた衣服を整えた。サイドに結った白い髪を解き、それもまた整えてから再び結った。
そこへ来客があった、控えめなノックが一つ、二つ。
「…どうぞ、入ってください」
女は誰かしらからコンタクトがあるだろうとは踏んでいた、けれどその相手がまさか未成年の女子とは思わず、声には出さなかったが驚いていた。
部屋に入って来たのはナディである。女が二人目に怪しいと睨んでいる容疑者だった。
「何でしょうか?」
女の方から口火を切った。
ナディは少し逡巡を見せた後、それに答えた。
「あの、名前を教えてください」
「は?」
もうイニシアティブを握られまいとし自分から口火を切ったのに、予想外の質問に女は頭が真っ白になってしまった。
「あなたは皆んなの事を知っているんですよね?でも、私たちは誰もあなたの事を知らないので」
「…え、普通聞きます?こんな目に遭わせた相手の名前なんか…」
「はい」
(何を考えてるのこの子…)
女は悩み、自分に"人狼ゲーム"なる遊戯の知識を与えてくれた元祖の一つから名前を取った。
「ミラーズホロウといいます」
「み、みら?ミラーズホロウさん…」
人狼ゲームには種々あり、女が言った"ミラーズホロウ"は西暦時代のフランスで製作されたカードゲームである、正式名称は『ミラーズホロウの人狼』。
「それで、ご用件は?このゲームを中止にしてほしいというお願いでしたら叶えられませんよ」
「い、いえ…そのミラーズホロウさんが探している犯人がどんな罪を犯したのか、それを教えてもらいたくて」
「それはお答えできません」
「何故ですか?」
「このゲームがすぐに終わってしまいますので。ご期待に添えず申し訳ありません」
「…………」
目の前にいる少女が「こいつマジか」と目を窄めている。ミラーズホロウはその不快そうな視線すら嬉しかった。
ナディが食い下がってきた。
「そ、それはどうなんですか?ミラーズホロウさんの目的は犯人を逮捕することなんでしょう?ゲームを長引かせることに意味があるとは…」
「では、私が今日の投票で犯した罪を皆に伝え、自首を求めたとしてその事に何の意味があると思いますか?虚偽を申告して早々にゲームを終わらせようとする人がきっといるでしょう──たとえばあなたのように」
「………」
ナディは何も言い返さない。
「自分が死ぬと分かった瞬間から人は豹変します。そこへ救いの手を差し伸べられて拒否する人はまずいません、だから告白、あるいは告発するようにと最初に申したのです。このゲームの意図が分かりましたか?」
「…私たちを追い込もうとしているんですね」
「その通りです、賢い子供は好きですよ、まあ子供と接したことは今まで数えるほどしかありませんが」
「それはどういう──」
「何でもありません、忘れてください」
ミラーズホロウは内心「しまった!」と思いながら慌てて取り繕った。
話は終わったはずなのにナディが退出しようとしない、つい自分の事を話してしまったミラーズホロウは絶賛取り繕い中だったので相手に発言を許してしまった。
それも事もあろうに──
「それなら、私も協力させてください」
「──は、はい?」
「私は村人です、役もあります、騎士です」
「は、は?はい?──い、いやだ、だからと言って私が答えるわけでは──」
(馬鹿なのこの子?普通自分の役を言う?言わないよね…いやいや今はそうじゃなくて)
「あなた、私に協力するってどういう事なの?これがどんなゲームなのか知っているわよね?」
「はい」
「あなた、誰かを殺したいって事なの?」
「何でそうなるんですか?私は早くゲームを終わらせたいだけです。けれど、間違ってあなたが処刑されるような事があったらこのゲームが終わらなくなってしまいます、違いますか?」
ミラーズホロウがナディの言葉にはっと息を飲んだ。
(そうだったーーー!私も入ってるやんけーーー!)
途端に焦り出したミラーズホロウ、かたやナディはつらつらと自分の推理を語り始めた。
「ミラーズホロウさんは人狼ではありませんよね?もし、人狼であれば真っ先に気にする事は誰がどんな役を持っているか、です。役を持っている相手を優先的に処刑しなければ人狼に勝ち目はありません、けれどミラーズホロウさんは私に役を尋ねてこなかった、であれば村人側です。村人が最も気にすることは誰が人狼なのか、それが分からない今のような状況では自分の役を言おうとはしません」
「──で、ですが、あなたが人狼である可能性はまだす、捨てきれませんよ」
ナディの返しは簡潔だった。
「もし私が人狼だったら初回の投票まで部屋でじっとしています、下手な事を言って勘繰られないように。私、後手派なんで」
(ごてはって何?!)
そう、ミラーズホロウは誰よりも人狼ゲームに関する知識は持てど"実戦経験"がまるでない。かたやナディは自他共に認めるインドアであり、人狼ゲームのみならず室内で行える遊戯は一通り遊んできた、言わば"猛者"であった。
ミラーズホロウはこの瞬間、彼我の立場をはっきりと自認した。
(私の方が新兵やんけ!…これはマズい…どうする?!騎士だって信じる?!いやでも人狼だったら絶対最後に裏切られる!どうするどうするどうする…)
悩みに悩んだミラーズホロウの対応は──
「──聞かなかったことにします!」
「はい?」
「この場は無かったことにさせていただきます!」
「はあ?」
「私は何も知りません聞いてません!」
「いやいや──え、じゃあ私の推理が当たっていたって事でいい「──知りません知りません!さあ!早く部屋から出てってください!「ああちょっと──」
──駄々をこねる、だった。
パニックに陥ったミラーズホロウがナディを部屋から追い出した。
ミラーズホロウが用意した建物は一階平家の建築物だった。その中央に投票場なる広い部屋が存在し、円を描くように個人の部屋が置かれている。投票場の真下に位置する場所に食堂があり、その反対側は廊下が延びて厳重にロックされている扉があった。
ミラーズホロウが使用している部屋は食堂を南とするならちょうど東の位置にあり、建物内の構造を把握しようと散策していたスルーズはロックされている扉から引き返している時に目撃してしまった。
(…ナディ?)
何やら慌てている様子だ、それに扉に向かって何事叫んでいる。
声をかけるかかけまいか、スルーズが悩んでいると先に向こうが気付き、まるで逃げるようにして食堂の方へ向かって行った。
「………」
そんなナディの態度にスルーズはいくらか傷つき、そしてすぐに気を取り直した。
(仕方がない…先に怒らせたのは私なんだから)
昔からの友人が入っていた部屋の前に差しかかる、扉を開けずとも部屋の中から「先手を打たれてしまった〜!」とあの女性の叫び声が廊下にまで届いてきた。
(何でこんな所に…?)
スルーズから見て、自分たちをこんな所に誘拐し、知人同士で殺し合いをさせるあの女性ははっきりと言って"敵"だった。決して語り合いたいと思えるような人物ではない。
けれど、友人であるナディは一人であの女性に会いに行っていたのだ、その事がスルーズを悩ませた。
(どうしてあんな人と…まさか好かれようとして…?)
芽生えた暗い感情を振り切るように歩き出し、ヴァルキュリアのメンバーが集まっている部屋へ向かった。
その部屋にはスルーズの上官にあたるオーディン、それから同僚であるレギンレイヴが待機していた。
部屋に戻って来たスルーズを見るなりオーディンが声をかける。
「どうだった?」
「…やはりこの建物は不自然です、鍵穴も無いのに扉が閉められていました、びくともしません」
スルーズに建物内の視察を任せていたオーディンが、彼女の答えを聞いて一度だけ頷いた。
「分かった。レギンレイヴ、役が書かれたカードは確かに天井から突然現れたんだな?俺はその時部屋にいなかったからこの目で確認したわけではない」
「はい、間違いありません」
「では…やはりここは…」
「ああ、現実の世界ではない、仮想だ、ここはヴァーチャルの世界だ」
「仮想…世界…」
"仮想世界"だと言われても、スルーズはにわかに信じることができなかった。
確かにここはおかしい、それに昨日は艦内着─と、言う名のパジャマ─を着用して寝たはずなのに、目が覚めるといつ着替えたのか覚えていない正装服になっていた。
だが、だからと言ってここが仮想世界だと言われても...スルーズの懊悩を読み取ったオーディンが注釈を加えた。
「俺は見ての通り全身を義体に替えている、勿論脳みそだって一部が電子化されている。過去の技術者からそういった世界もあると教わっていた」
オーディンがその逞しい擬似筋肉を二人に見せつけた。
オーディンも先日の襲撃作戦の際、深いダメージを負っていた。それはガイア・サーバーを破壊しようとし、リビング・サーバーでもある"生きた処理装置"から延びたつるにスルーズが囚われ、司令官である彼が擬似筋肉を破壊しながら無理やり救ってみせたのだ。
本来であれば彼はまだ療養中の身である、それもそのはず、オーディンを治せる技術者はウルフラグにしか存在しておらず、治したくても治せなかったのだ。
だからこそここは"仮想世界"であるとオーディンが断定した。
「であれば、あの者は司令官と関係している人物、ということなんでしょうか」
レギンレイヴがそう尋ねるが、答えは"否"だった。
「それは分からない。とにかく今は奴の指示に従う他にない、仮想か現実か、それを確かめる方法が自殺するしかないなんてあまりに馬鹿げている。…確認だが、お前たちは人狼ではないな?」
レギンレイヴは即座に「はい」と答え、スルーズは逡巡した様子を見せてから「はい」と続いた。
「…どうした?」
先程見せた反応をもう一度目の当たりにしたレギンレイヴが心配そうに尋ねる。
「…ううん、本当にこんな事をしなくちゃいけないのかと思って」
「それでさっきは何も言わなかったのか?」
「うん、だってこのゲームって疑われたら終わりなんでしょう?下手な発言はしない方が良いと思って」
「このゲーム、俺たちが勝利して脱出するしかない。スルーズ、お前には旧友がいるようだが」
その質問に心臓を刺された思いをしたスルーズだが、今度は即座に答えた。
「問題ありません、今の私は戦乙女ですから」
「………分かった」
対するオーディンはいくらか元気が無いように見えた。
それぞれの参加者、あるいはチームが漸進的にゲームを進めていく中、ついに一回目の投票を迎えることになった。
参加者たちが部屋に集まってくる、そんな中、一人だけ顔を見せない者がいた。
「あれ、キシューさんは?」
キシューがいないことにいち早く気付いたのはナディだった。その顔色は険しい。
「いないね、放送が届いていなかったのかな」
「そんなはずは…私ちょっと様子見てくるよ」
「私もお供します」
ナディとカゲリが立ち上がり、その二人にミラーズホロウが声をかけた。
「よっぽどゲームに参加させたいみたいですね、やはり恨みがあるのでは?」
出口へ向けていた足を止め、ナディがミラーズホロウへ振り返った。
「違います、私はこのゲームを早く終わらせたいだけです」
「それで自分以外の参加者が死ぬことになっても?」
「あなたが始めたくせに何を…」
カゲリが剣を募らせる、ミラーズホロウはどこ吹く風だ。
「それは犯人探しの為だとお答えしたはずです。この中に間違いなく犯人がいるわけですから」
どこか楽しむ姿を見せた主催者に見切りをつけて二人が部屋から去って行く。そして、十分と経たずに戻ってきた。
「──嫌よ!何で私が──誰もこんなゲームに参加するなんて言ってない!」
部屋の中にいても廊下から響くその声はキシューのものだった、酷く取り乱している。
「さ、さっきまであんなに強気だったじゃないですか!」
ナディとカゲリの二人に無理やり手を引かれてキシューが部屋に入って来た。
「ふざけんじゃないわよ何で私がこんな目に──ちょっとあんた!ここから出しな!私は関係無い!」
血走った目をミラーズホロウに向けてキシューが突っかかっていった。
胸倉を掴まれ、力任せに揺さぶられてもミラーズホロウは顔色一つ変えなかった。
「あなたがゲームに勝てば良いではありませんか。人狼を全滅させれば勝ち、あるいは村人を人狼と同数にすれば勝ち、そうすればあなたは生き残れます。簡単でしょう?」
「──っ」
それからキシューは参加者を一人ずつ指差し、「お前が怪しい、お前が人狼だ」と口汚く罵り始めた。
キシューは自らの命がかかっていると分かり怖気付けついてしまったのだ。誰彼構わず謗り続け、その誰もが自分に構ってくれないと知るなりようやく腰を落ち着けた。
「…絶対にここから出てやる…何で私がこんな目に…」
そんな彼女を誰も責めようとせず、ただ哀れみの目を向けるだけだった。何故ならキシューの気持ちが良く分かるからだ、彼女は強制参加させられてしまった者たちの気持ちを代弁したに過ぎない。
一回目の投票はミラーズホロウが口火を切った。
「──では、人狼だと思う人物を指差してください。最も数が多かった人があの懺悔台に立ってもらいます、逃げることは許されません」
「逃げたらどうなる?」とレギンレイヴが尋ね、ミラーズホロウが答えた。
「外気を取り入れます、窓はありませんが壁の一部を解放することは可能ですから。酸性ガスに肺を溶かされ最大の苦痛を伴いながら絶命することでしょう」
場がしんと静まり返る。
ミラーズホロウが「では」と合図を出し、皆が一斉に指を差した──。
ナディ・・・一 (レギンレイヴ)
アネラ・・・〇
カゲリ・・・〇
キシュー・・・三(テジャト、アルヘナ、ミラーズホロウ)
テジャト・・・〇
アルヘナ・・・〇
スルーズ・・・〇
レギンレイヴ・・・〇
オーディン・・・二(ナディ、カゲリ)
ミラーズホロウ・・・三(スルーズ、オーディン、キシュー)
投票の結果にまず二人、キシューとミラーズホロウが椅子を倒しながら立ち上がった。
「ふっざけんなっ──」
「あっぶっ──いやちょっと待って!合わせても九票!あと一人は誰?!」
誰にも指を差さずじっとしている者が一人、それはアネラだった。
「………」
キシューはアネラだと知り、あれだけ取り乱していたにも関わらず、何も言わず全てを諦めたように床にへたり込んでしまった。
この二人には何かしらの確執があると悟ったミラーズホロウは、すぐに余裕を取り戻して椅子を直し、ゆっくりと腰かけた。
「……誰を差すんですか?あなたが決めることですよ」
ミラーズホロウは、少なくとも初日から消されることはないと踏んだ。しかし──
「……じ、自分に票を入れます」
アネラは自分自身を指差した。
「──はあ?!そんなのって──」
また椅子から立ち上がったミラーズホロウをオーディンが制する。
「有効だろう?何せ自分に票を入れてはならないというルールが存在しない」
「なっ──良いでしょう!一回目は最多票無しで無効とします!しかし!」
ルールに"自分自身に票を入れてはならない"という項目がその場で追加されたのであった。
3.
一回目の投票を終え、長らく続いていた緊張が解けたナディは空腹を覚えたので食堂へ、彼女の従者でもあるカゲリも一緒だった。
二人の話題は投票の事で持ちきりだ、危うく最多票を獲得しかけた二人が騒いでいたが、ナディもカゲリも誰が誰に投票したのかきちとん把握していた。
食堂は四人がけのテーブルが四つ、中央に置かれた観葉植物を中心に配置されており、入り口から見て奥には冷蔵庫も二つ置かれていた。
「どうしてリン様はナディ様に投票を…」
「………」
冷蔵庫の扉を開けて中を物色しながら、ナディが何と答えようか思案する。
(あの時気を失っていたからカゲリちゃんは知らないんだ…う〜んどこまで話せばいいのか…)
冷蔵庫の中にはレトルト食品から生鮮食品、紙パックのジュースに酒瓶まである、どことなく現代風であり、ナディが滞在していたカウネナナイにはない食べ物が所狭しと並べられていた。
その中からナディはレトルト食品と紙パックのジュースを手に取り、一番近くにあったテーブルに腰を下ろした。彼女のお供をしているカゲリは何も手にせず、じっと主のことを見ていた。
ナディは観念した。
「実は言うと、私とレギンレイヴって過去に会ったことがあるみたいで…私はぼんやりとしか覚えていないんだけど向こうは私の事知ってたみたい」
「そうだったんですか…」
「何かしら私に思う所があるのかもしれないね」
それはナディたちも変わらない。友人であるスルーズ、そして幼少の頃から信頼を寄せていたレギンレイヴを変えてしまったのは彼女たちの上官であるオーディンだと踏み、二人はその人物に票を入れることを決めていた。不発に終わってしまったが、ナディたちもさしてレギンレイヴと変わりがなかった。
──と、ナディが説明してもカゲリはじっと動かない、まるで何かを待っているような...
(──ああ「こっちおいで」
そうナディが誘うとカゲリがしゅたっと動いた。
「はい」
カゲリはそのままナディに体を預け、その小さな頭をこれまた小さな胸に預けた。
「すぅ………」
「よしよし、今日もありがとね」
カゲリは幼少期からディリン家に仕え、およそ子供らしい事は何もしてこなかった。そのせいか、ナディと共にするようになってからは日々幼児退行が進み、こうして日に何度か甘えるようになっていた。
(カゲリちゃんを守らないと……)──げっ」
小さなつむじから視線を上げると、そこには人影があった。
ヴァルキュリアの二人である。
「………」
「………」
スルーズにレギンレイヴ、二人とも冷めた目つきでナディたちを見ている。
「か、カゲリちゃんカゲリちゃん」
「何ですかまだ甘々タイムを満喫──……」
主にすら小言を言うカゲリも二人の存在に気付き、素早く体を離した。
スルーズが嫌味にたっぷりこう言った。
「随分と余裕ですね殺し合いをしているというのにね〜こんな人目がつくところでイチャついてまあ、アネラが可哀想」
(何でアネラ…?)
スルーズとレギンレイヴも冷蔵庫の前に立ち物色し始めた。その二人の背中に"物怖じする"という言葉を知らないカゲリが声をかけた。
「…リン様、どうしてナディ様に票を入れたのですか」
「………」
レギンレイヴは何も答えない、けれどカゲリは彼女の背中に"焦り"の色を見出した。
「私の事が嫌いになったのなら分かります、けれどナディ様は何も悪くありません」
「…レギンレイヴ?あの子と知り合いなの?」
スルーズの言葉にナディは確信した。
(レギンレイヴは昔の事をマカナに伝えていない、隠していたんだ)
バレるのは時間の問題だろう。
口を閉ざしていたレギンレイヴがようやく言葉を発した。
「──知らん、人違いだろう」
「リン様!──やはりあの人の仕業なのですか?あのオーディンという人がリン様をそこまで冷たくしてしまったのですか?」
何とか身バレを防ぎたいレギンレイヴが話題を逸らしにかかった。
「だから貴様たちは司令官に票を入れたのか?それは浅はかと言わざるを得ん、あのキシューという女が人狼の一人に違いない、この参加者の中で一番頭が切れる司令官を処刑するのは自殺行為に他ならないぞ」
「なら、ヴァルキュリアの三人は全員が村人なんだね」
ナディがそう問いかける。
「答える義理は無い」
「私とカゲリちゃんは村人だよ」
「だから何だ?教えたからと言って手前たちが貴様に教えるとでも?」
レギンレイヴはナディの顔色が変わった事に気付き、そしてすぐに「しまった」と後悔した。
「あっそう──マカナ、この人の本当の名前はリン・ディリン、あの時セレンの島にいたんだよ。あの時の戦いを起こしたのはこの人のせい、そうなんでしょ?リン・ディリン」
ナディの言葉にカゲリとスルーズが絶句した。
「本当…なんですか…今の話…」
「ナディ、あなた…」
カゲリはレギンレイヴを凝視し、そしてスルーズは強い眼差しでナディを睨みながら言葉を継いだ。
「他人を悪く言うような人じゃなかったのに…あなたも変わったんだね」
「敵と味方、白黒はっきりつけないと大事な人を傷付けてしまうって学んだから。…そうしてるだけ」
「そう………レギンレイヴ、今の話は本当なの?」
「なっ──そんな訳ないだろう!スルーズ、味方の手前よりこの二人を信じるというのか?」
「でも…」
「断じて手前はリン・ディリンなどではない!──失礼する!」
そう言ってレギンレイヴは何も手に取らず足早に食堂を後にし、その跡をスルーズも追いかけていった。
◇
食堂に行って食べ物を見繕ってくると言った二人が無手で帰って来て、そして互いに眉根を寄せて何も喋ろうとしなかったのでオーディンは逃げるようにして部屋を出ていた。
(一体何があったんだ…ほんと女は良く分からん)
苦手な空気からまろび出てきたオーディンが向かった先は中央にある広い部屋だ。他に行く所も無く、全身を義体化してから空腹を覚えることもなくなったので食堂へ行く理由もなかった。
誰もいないだろうと踏んでいた広い部屋には一人だけ先客がいた。双子の兄であるテジャトだった。
「………」
「………」
互いに初対面同士、敵でもなければ味方でもない、正真正銘赤の他人である。そのテジャトがゆっくりと腰を上げて退出しようとしたのでオーディンは呼び止めた。
「まあ、座れ」
「は、はあ…」
テジャトは終始暗い顔つきだ、元気がまるでない。
(閉鎖的な場所が苦手なのか…?見たところ軍人のようだが…)
テジャトの体付きにその所作、戦いを知る者である。
(──ああそうか…)
「こんな所で何をしていたんだ?」
「いえ、別に…そういうあなたこそ一人ですか?」
「ああ、あの二人、何かあったみたいでな、嫌な空気だったから逃げてきたよ」
「………だったら僕も同じですね、アルヘナが──いえ、妹が少し情緒不安定になってしまって…」
「何かあったのか?」
「そりゃ…こんな場所に閉じ込められているんですから、それに人狼ゲームだなんて…あなたはどう思いますか?このゲーム」
「ふざけているとしか思えない。が、今はあの女の言う通りにするしかない」
「そうですか…そうですよね」
「ああ、もしくは奴が言う犯人を突き出すか、だ」
「犯人と言われても…」
「お前も何かしらの罪を背負っているんじゃないのか?あの女の言う事を信じるなら、だが」
オーディンの隣に腰かけていたテジャトが視線を下げ、まるで懺悔をするかのように語り始めた。
「…僕たちは護衛対象であるナディ・ウォーカーを裏切りました。本来であれば彼女の元に付いていないといけないのに、カウネナナイの地で逃亡し、今は教会の所へ身を寄せています」
「それは何故?」
「妹の為です、色んな事情が重なって僕たちは恋人同士になりました」
「………」
オーディンは何も答えなかった。
オーディンの無言を続きの催促だと受け取ったテジャトがさらに語った。
「ウルフラグに近親婚の制度はありません、だからと言ってカウネナナイにも無いのですが…まだそういった事には自由な風潮があったので、海を渡ると決まった時から妹と考えていました。僕たちは未成年の女の子を利用したんです」
「何故そうなる?」
「え?いやだって…結果的にそうなってしまったので…」
「結果論の話だろう?…俺から言わせてみれば、たった一人の女の為にそこまでやったお前は立派だと思う。それがたとえ妹であったとしてもだ」
「あ、ありがとうございます…」
予想外の賞賛の言葉にテジャトがしどろもどろになった。
「兄さん、こんな所に──……」
そこへ妹のアルヘナが入って来た。すぐにオーディンの存在に気付き、言いかけていた言葉を飲み込んだ。
「……では、俺は失礼させてもらうよ」
とくに話す事もなかったので、オーディンはアルヘナに一瞥をくれてから部屋を去った。
◇
翌日、ナディは少しの落胆と共に目を覚ました。
(絶対に眠らないって決めてたのに、いつの間に…)
幾分すっきりした体を起こしベッドから降りる、すぐに部屋を出て確認へ、昨夜はアネラの部屋に鍵をかけた。
この建物にある部屋は内側から鍵をかけることができない。けれど、外側からかけられる"南京錠"が騎士にだけ与えられていた。
アネラの部屋に到着し問答無用で扉を開ける、すると中から小さな悲鳴が上がった。
「──はっ?!もう〜びっくりした!急に開けないでよ…」
「ご、ごめんごめん」
「私の事はいいからカゲリの所へ行ってあげて」
「うん、分かった」
カゲリの部屋はアネラの隣だ。すぐに取って返し部屋へ向かう。
──しかし。
「──……そんな……」
部屋には誰もおらず、代わりにベッドが赤い液体で濡れていた。
「──そんな!カゲリちゃん!」
ナディの悲鳴は周囲に響き、隣にいるアネラやその他の者たちも呼び寄せた。
ナディはベッドの上、それから部屋の中をくまなく探すが肝心のカゲリがどこにも見当たらない。
「これって…」
部屋を覗き込んでいたアネラの呟きに答えたのはキシューだった。
「人狼の仕業ね。あんたたちも気を付けなさいよ」
かけた言葉はそれだけだ。キシューや他の面々がカゲリの部屋から去って行くが、ナディだけはその場から動こうとしなかった。
「ああそんな…どうして…」
「ナディ…」
皆、思う事はあれど、人狼ゲームは確かに進行している。
一人目の犠牲者はカゲリだった。
4.
(この中にカゲリちゃんを…)
それからナディは一人部屋で過ごし、二回目の投票を迎えた。その間、何度かアネラが部屋を訪ねてきたがナディは対応することなくずっと部屋に篭っていた。
それ程までにショックだった、そしてそれと同じくらいナディは後悔していた。
(私とカゲリちゃんの役を伝えたのはヴァルキュリアの二人だけ…私が騎士だと知っているのはカゲリちゃんとアネラ、ミラーズホロウさんだけ)
必死になって考えた、一体誰が人狼なのか。
仄暗い感情が芽生えていることを自覚しつつ、ナディは部屋に集まった皆を一人一人注視し続けた。
最後に入って来たのは主催者であるミラーズホロウだ、彼女が定位置につくなり二回目の投票が始められた。
「では、本日の投票を始めましょう。残念な事に一人目の犠牲者が出てしまいました」
「残念な事って…あんたがそう仕向けたんでしょうが」
ミラーズホロウの言葉にキシューが噛み付くが、それを相手にせずさらに言葉を続けた。
「この中に占い師の方はいますか?もしかしてあの女の子でしたか?是非ともこの場で占いをして一人ずつ役を特定していただきいのですが」
ミラーズホロウはこの参加者たちが特定のグループを形成していることにいち早く気付いていた。
ヴァルキュリアの三人、双子の二人、ナディを中心とした三名、そして単身でゲームを続けているキシュー。このグループを切り崩さないと光明を見出すことができない。
何せミラーズホロウはこの中で最も憎まれ役に近い位置にいる、いつ自分の首が飛ぶのかと思い冷や冷やとしていた。
名乗りを上げたのはオーディンだった。
「──俺だ、俺が占い師だ」
「そうでしたか。もう占いはされましたか?」
「ああしたさ──人狼はお前だよ」
そう自信たっぷりに、オーディンがミラーズホロウを指差しながら言った。
ミラーズホロウがひゅっと喉を鳴らす。
「…ま、まさか、いやいや、それはただの当てつけでしょう?私がこのゲームを始めたその仕返しに嘘を吐いているんでしょう?」
「嘘かどうかは祈祷師が見ればいい、お前を今日吊るしてな」
「見ますよあなたのこと、手前が祈祷師ですから」
レギンレイヴがオーディンに続いた。
そこへ割って入る者がいた、ナディである。
「待ってください、ミラーズホロウさんは人狼ではありません」
「っ!」
まさか自分の味方をしてくれる人がいると思わず、ミラーズホロウはパッと顔を輝かせながらナディへ振り向いた。
「何故そうだと言い切れる?」
当然の質問である、ナディはそれに答えた。
「私の役をこの人に伝えましたから、それなのに襲ってこなかったところを見るに人狼ではありません」
「ただ泳がせているだけかもしれないぞ」
「役を持っているのに?」
「そんなもの自称でしかない」
「それはお二人も変わりありませんよ。──ミラーズホロウさんを占ったのは今日ですか?それとも昨日?」
「…今日だ」
「それなら明日は私を占ってください、そうすれば嘘ではないということが分かりますから」
「ねえあんたさ、それ危険だって事分かってる?」
二人の会話にキシューが釘を刺した。
「何がですか?」
「自分からほいほいと役を言うもんじゃないよ、この中に間違いなく人狼が一人以上いるんだから。今夜、あんたが狙われるかもしれないのよ?」
「私だけではないでしょう?あの二人だって役を自称したんですから」
「占い師、ねえ〜」とキシューが意味ありげな視線をオーディンに投げかけた。
「何だ?」
「いや、それ本人の前で良く言えたなと思ってさ」
「何が言いたい──お前も占い師だと言いたいのか?」
「そりゃそうでしょうが、占い師は私よ」
「あれま、昨日のあれはフラグだったんですね。セオリー通りに発展してしまいましたね、ね?ウォーカーさん」
「ふざけないでください」
「す、すみません…」
仲良くなったと勘違いしたミラーズホロウがそう話を振るが、にべもなく注意を受けてしまった。
「なら聞くが、人狼は誰なんだ?」
「その子よ。悪いわねアルヘナ・ミラー」
「──なっ」
キシューがそう言いながらアルヘナのことを指差した。差された本人は驚き、そしてすぐに怒りを露わにした。
「何を言っているんですか、私は人狼なんかではありません!」
「ま、誰しもそう言うよね〜」
アルヘナの兄であるテジャトが妹を庇った、当然の行為だ。
「嘘を吐くのは止めてもらいたい」
「何でよ、ちゃんと占った結果よ」
「一〇人もいたのに?昨日と今日を合わせても確率は五分の一、そんなすぐに当てられるとは思えない」
「その確率で当たったのよ。昨日はあんたを占った、結果は白、そして今日はあんたの妹を占った、結果は黒、それだけのことよ」
「僕たちに恨みがあるんですか?カウネナナイに渡航する前何かと突っかかってきましたよね」
「何でそうなるのよ」
ナディがオーディンへ話を振った。
「オーディンさん、昨日は誰も占わなかったんですか?今日だけですか?」
突然話を振られたオーディンだったが即座に答えた。
「昨日は誰も占っていない、この建物内の調査をしていた」
「調査?」
「ここは仮想の世界だ、現実ではない。そうだろう?ミラーズホロウ」
「さあ、どうでしょうね?」
「仮想…それならカゲリちゃんは…」
「現実の世界で目覚めた可能性は十分にある、それを調べる術がないだけだ」
「………」
「術ならありますよ、実際に死んでみたらいいんです、目覚めた先が天国か自分のベッドの上か、すぐに分かりますから」
「お前は誰を信じる?」
オーディンの言葉がナディの胸に刺さった。
◇
全員の発言に信憑性が得られない状態で会話が続けられた。
誰を疑い、誰を信ずるか。誰かが何かを語る度に変わっていく、その様相はまるで水面のようであった。
そして迎えた二回目の投票──。
ナディ・・・〇
アネラ・・・〇
キシュー・・・三(テジャト、アルヘナ、ミラーズホロウ)
テジャト・・・〇
アルヘナ・・・二(キシュー、アネラ)
スルーズ・・・〇
レギンレイヴ・・・〇
オーディン・・・〇
ミラーズホロウ・・・四(ナディ、スルーズ、レギンレイヴ、オーディン)
結果──当たり前と言えば当たり前かもしれないが、ゲームの主催者であるミラーズホロウが最多票を獲得した。
ミラーズホロウは自分が吊るされる事よりも...
「ナディ・ウォーカー!私を裏切ったわね?!人狼ではないって言ったくせに!」
「………」
「あなたが一番醜いわ!──何で、嫌よ!まだ死にたくない!」
「さっさと立て、お前が始めたゲームだ」
「ちょっと待ってよ、やり直しよ!だって私人狼じゃないんだもの!──いいの?!私がいなくなったら本当に最後までゲームをしないといけないのよ?!犯人が自首したって止められないんだから!──ガイア・サーバーにプロテクトをかけた奴出て来い!そうすれば今すぐこんなゲーム止めてやる!──お願いだから出て来てよ!」
自分の椅子から立ち上がろうとしないミラーズホロウに痺れを切らし、オーディンとキシューの二人が無理やり立たせた。
「ちょ──嫌よ何で私が──今日さえ乗り切ったらウォーカーに鍵かけてもらおうって──離して!」
ミラーズホロウは抵抗してばかり、一向に台へ行こうとしない。見苦しいにも程があるが、それも致し方ない、何せ死ぬんだから。
二人に羽交い締めにされたミラーズホロウがやっと台に立ったかと思えば、
「──あ!」
なりふり構わず逃げて行った。
ミラーズホロウが逃げた先は厳重にロックされた扉だった。体当たりするようにしがみつき、力の限りにドアノブを引っ張った、勿論びくともしない。
「──聞こえているんでしょう?!見ているんでしょう?!さっさとここを開けなさい!バベ──」
ミラーズホロウは頭部に衝撃を受けた、決して背後から殴られたのではない。彼女が言った通り、建物内の壁が一斉に解放しだしたのだ。
「──がっ」
人は空気中の酸素濃度が一八パーセントを下回ると著しく身体機能が低下する。低濃度の空気を吸ってしまうとまるで殴られたような衝撃が走るという。
ミラーズホロウはその場で動けなくなり、たまらず頽れる。命が危険信号を発するがどうすることもできない。
彼女が最後に見た景色は酷い空模様だった。
(これが──地球の空──……)
そうして意識が途絶えた。
◇
アネラはとにかく友人の事が心配だった。ナディの従者であり、そして彼女自身も良く知るカゲリが処刑されてから友人はずっと塞ぎ込んでおり、先程の投票を終えてからもすぐに自室へ引き返していた。
「な、ナディア、扉、あ、開けるよ〜」
さっきからずっと呼びかけているが返事が返って来ない、アネラは無理やりにでも突入すべきか悩んでいた。
(う〜ん返事がないのに入るのも…いやでもこのまま放っておくのはさすがにマズい…)
ナディは気に病んでいるに違いない。身近な人をなくし、皆んなの前で掌を返したのだから、気に病まない方がおかしい。
アネラは「ええいままよ!」と扉を開け放った。
「ナディ!」
「………」
やっぱりだ、アネラはそう思った。酷い顔だ、ベッドの上で蹲っていた友人は今にも死にそうな顔つきだった。
「へ、平気じゃ、ないよね、うん、それは分かるんだけど…な、何か食べた方が良いよ」
「…ここが仮想世界かもしれないのに?食べる意味あるの?」
(これは相当マズい…)
"食欲"は生きる事に直結した生理的な欲求である。それが著しく低下しているという事はそれだけ深いダメージを負っているということ、危険を感じたアネラはナディの手を取り無理やり立たせた。
「食べないとダメ、仮想がどうとか関係ない。向こうにいた時はナディが私に無理やり食べさせていたでしょ?今度は私の番だから諦めて」
「……分かった」
アネラが重傷を負い、暫く寝たきりになっていた時はナディが良く見舞いに訪れていた。
アネラもアネラで普段辛抱強い分、体が弱ると気も弱くなり、我が儘を良く言うようになる。ナディはアネラから一方的な八つ当たりを受けたり我が儘を言われたりしながら辛抱強く付き合ってあげていた。
そのお返しをすると言われたらナディも頷くしかなかった。
「──ちょっといい?」
二人が部屋を出る直前、来客があった。
キシューである。
「内密の話があるんだけど」
「な、内密っていうのは…」
アネラの問いかけにキシューがにべもなく答えた。
「用事があるのはあんたじゃない、その子よ。あの女が言ってたけど、鍵をかけるってどういうこと?もしかして、騎士ってあんたなの?」
余裕がまるでないキシューがナディにそう詰める。
「…だから何ですか」
「今晩、私を守ってちょうだい。間違いなく今日の夜は私が標的にされるわ」
「……それは何でですか?一番怪しかったあの人が処刑されたんですよ」
「そうね、あんたが裏切ってまで干されたわね」
「………」
「き、キシューさん」
「いい?私が占い師という前提を覆さなければ人狼の一人はオーディンで確定なの。人狼が嘘を吐いてあの女に標的をすり替えた、そして占い師だと名乗り上げた私が今度は標的にされる」
「どうして自分から…」
アネラの問いかけに今度はきちんと答えた。
「そうでもしないとあの男の言いなりになったからよ。占い師に当たった以上は危険だと分かっていても対立しなければいけない、黙っていても人狼を処刑できないからね。あの女が喚いてくれて助かったわ、ギリッギリの段階で騎士が誰だか分かったもの」
「…………」
「何その目、まだ私に恨みがあるの?それならここで土下座でも靴でも舐めてあげるわ、それで満足?」
「………さ「最低なんて言葉、あんたが言える口なの?」
剣呑とした雰囲気が彼女たちを包んだ。
そして、迎えた二日目の夜の犠牲者は──ナディだった。
5.
二人目の犠牲者が分かり、キシューは心から安堵した。
(危なかった…でも)
犠牲になったのは騎士役だと思しきナディ・ウォーカーだった。一人目と同様、ベッドの上は赤く濡れており、本人の死体だけがどこにも見当たらない。
あのいけ好かないオーディンという男の話は本当なのかもしれない、だが、それを確かめるつもりは今のキシューには毛頭なかった。
キシューは一人安堵する一方、次の投票で全てが決まると考え底冷えする思いでいた。
(これで村人を守れる人間がいなくなった、占い師だと嘘を吐くオーディンを止めないと…)
オーディンか、あるいはヴァルキュリアの二人のどちらかが人狼である、それは間違いないがいかんせん、キシューには味方と呼べる相手が一人もいなかった。
唯一、頼れる存在はアネラだけである。しかし、今の彼女は昨日までの落ち着きが嘘のように取り乱していた。
「──っ!──っ!」
食堂にいても彼女の叫び声が届いてくる、そんな彼女を宥めているのはヴァルキュリアの一人、スルーズだった。
どうやら昔からの友人らしい。
キシューは重い腰を上げて二人の元へ向かった。
「いい加減にしなさい、泣いても叫んでも戻ってきやしないわ」
まるで獣のようだとキシューは思った、あのお淑やかで落ち着いていた少女の面影はどこにもない。アネラは眉間に一生残りそうな深い皺を作り、口を開けて喘いでいた。
「この子を借りるわね、あなたはさっさと下がって」
「………」
「何?あなたはオーディンの陣営なんでしょう?それとも今夜の標的を見定めているのかしら」
「私は人狼ではありません」
「皆んなそう言うわね──ほら、さっさと行きな」
キシューが面倒臭そうにしっしと手を振る、それでもスルーズはその場から動こうとしなかった。
「何なの?そんなにその子が大事なら何で最初っから構ってあげなかったの?」
スルーズもアネラに負けじ劣らず叫び声を上げた。
「──それを今後悔しているんです!!だからこうしてこの子の傍にいるんです!!」
「……っ」
あまりの勢いにキシューは気圧されてしまった。
「司令官の言う通りここは仮想世界なのかもしれません、けれどそれを確かめる術がない、私たちは単に踊らされているだけもしれない。でも、ナディが死んだと思うとっ…」
「あんたはそれを覚悟の上で戦士になったんじゃないの?ここが道化の庭だろうと本物の戦場だろうと、命のやり取りをするってこういう事を言うんじゃないかしら」
「私はただっ!──セレンを奪った相手が憎かった…恨みを晴らさないと前に進めないと思ったからっ!…でもっ…」
(あの母にしてこの子あり、ね。救いようがない)
「友人の死ぬ姿を見て心が折れるんならさっさと辞めなさい、あなたに戦士は向いていない──そんな事はどうでも良いの、アネラ、私に付いて来て」
掠れた声でアネラが答えた。
「……はい」
ゆっくりと立ち上がったアネラの手を、キシューが無理やり引っ張った。
そんな二人にスルーズが声をかける。
「私をこの場で占って」
「その価値は?あなたを占うことに何のメリットがあるの?」
「あなたの陣営に加わります。アネラは唯一アルヘナという人に票を入れた──それはあなたの言葉を信じたという事、つまりあなたが処刑された後にアネラが標的にされる可能性が高い…私はそれを防ぎたいの」
「あんた…仲間を裏切るつもりなの?」
「あなたが本物の占い師であれば、です。あなたも票が欲しいんじゃないですか?」
「………」
キシューは一考する。
(確かに票は欲しい…けれど一番黒星と思しきグループから一人引き抜いたところで…友達が死ぬところを見て判断基準がバグった?そうとしか思えない)
キシューは答えた。
「──お断りするわ、他を当たってちょうだい」
「…………」
強い視線を感じながらもキシューはその場を後にした。
◇
目が覚める、覚めてしまった。
(あれ…ここは…)
覚めた場所はナディが数日前に眠った所、カウネナナイの王都にあるお屋敷の一室である。一体誰があんなに彫ったんだと思えるほどに複雑な模様が刻まれた天井が見える。
「何なの一体…昨日部屋に誰かが入って来て…それで急に苦しくなって…」
思い出すだに胸が締め付けられる、しかしこうしてちゃんと生きている。
「え、ここって天国じゃないよね…」
現実の世界、つまりナディたちが滞在していた所は仮想世界という事になる。
つまりカゲリも、二日目に裏切ったミラーズホロウという人物も生きているはずだ。
そう考えが及んだ途端、カゲリの無事を確かめたくなり勢いよくベッドから跳ね起きる、けれどその相手が向こうからやって来てくれた。
「──ナディ様!」
「カゲリちゃん!」
ぶつかり合うように二人が抱きしめ合った。ちょっと力が強過ぎたのかもしれない、カゲリが「痛い」と小さな、けれど嬉しい悲鳴を上げた。
「ご、ごめん…いやこれってどういう事なの?本当に仮想世界だったの?」
「──そうですよあの白髪女め!一体何がしたかったのか!」と怒りを露わにしてから「ナディ様が眠っている間に王室へ掛け合ってミラーズホロウなる輩を探してもらうよう手配しました、けれど未だに見つかりません」
少し名残り惜しそうにしながらカゲリが体を離し、ひたとナディの瞳を覗き込んだ。
「あやつ、向こうで何か言っていませんでしたか?犯人がどうとか容疑がどうとか、何か手がかりがあれば嬉しいのですが」
「………」
ナディは言い淀んだ。
一方、やっぱり生きていたミラーズホロウはそれはもう満身創痍でウルフラグ中をかけずり回り、元同僚のある男を探していた。
(あんのクソ沖田め!あいつが変な事するからこっちまで──ああもう一言文句を言わないと気が済まない!)
ミラーズホロウはウルフラグのホテルから仮想世界にアクセスしており、万が一の時に備えて身柄を押さえられないようにしていた。
一晩、寝ずに探し回りようやく見つけた沖田きよみなる元同僚は、何でか知らないがウルフラグの中で既に職に就いていた。
場所は厚生労働省管轄の特殊保証局という所だった。
その建物内に押し入り受け付けの女にミラーズホロウが唾を飛ばした。
「ここに沖田きよみってオカマ野郎がいるんだけど?!今すぐ出してくれない?!」
「え、あ、え?」
「さっさと出さないと警察呼ぶわよ!調査の一環だからと言って他人の家に土足で上がり込んできて!家の中がめちゃくちゃじゃない!」
勿論嘘である。
ミラーズホロウの剣幕に押された受け付け嬢が内線電話で当人を呼び出した、きっと面倒事に巻き込まれたくなかったのだろう。
現れた本人は飄々としており、星監士の時に見せていた疲れた表情も無くなり爽やか、そしてとんでもなく煙草臭かった。
「臭っ!煙草臭っ!」
「何よ失礼ね。それで何?何の用?」
「何の用じゃないわよあんたのせいでこっちまで職無しになっちゃったじゃない!」
「はあ?」
いきなり言われても沖田はちんぷんかんぷんだ。
ミラーズホロウが沖田にかくかくしかじかと説明し、終えた途端に一言。
「自業自得じゃない、それ私関係ないわよね?」
「関係あるわよ!あんたがそうやってほいほいと現地人と接触したから!私も、あ、案外いけんじゃんってなったのよ!」
「知らないわよそんな事。ねえ、どうせ無駄話す「無駄話じゃない!」話をするんなら喫煙室でもいいかしら?」
「ええ〜何で煙草なんか…あれだけ馬鹿にしてたのに…古代人の嗜好品だってせせら笑ってたじゃない…」
「あっそう、それならいいわ、バイバイ」
「あ、ちょ!いいわよ!喫煙室でも何でもいいから助けて!」
建物内の一角に設けられた喫煙ブースに入る二人。自動扉の内側は黄ばんでおり、どうやっても落とせない煙草の臭いが室内に充満していた。
それでも沖田は気にした様子を見せず、慣れた手つきで煙草に火を付けていた。
「で、クビになった私に何をさせようって?」
「ガイア・サーバーにプロテクトをかけた犯人を見つけてほしいの!その犯人を連盟に突き出せばまだ私のクビが免れるわ!」
「プロテクト?──ああ、それで異変が起こっていたのね」
「知ってたのかよ!」
「それを解明する前にクビになっちゃったから私、もうどうでも良いわ」
「いや良くないでしょうが!ガイアの最終レイヤーにまで届いているの!このままじゃマリーンが十全に機能しなくなるわ!」
「そんな事言われてもね〜電脳の機能も取り上げられたし何もできやしないわ。そういうあんたも保護法に抵触したからその内取り上げられるんじゃないの」
「もう取り上げられたわよ!だから同郷のあんたに泣きついているの!」
「私、生まれは北欧のテンペスト・シリンダーなの」
「え、そうなの?知らなかった。どんな所なの?──いやそんな事どうでも良い!」
「あんた、クビになった割には余裕あるわね」
「ただのから元気よ!」
沖田がくつくつと笑った。
◇
場所は変わらず喫煙室、その中でミラーズホロウが上げた容疑者について話し合い、誰が一番目ぼしいかについて協議していた。
ミラーズホロウはただ驚かされた、沖田が片時も煙草をやめようとしなかったからだ。何も口に咥えていない時間の方が短い。
「──あんたの話を聞く限りでは確かに、ヴァルキュリアのスルーズが一番怪しいわね。でも、その子がやったのは物理的な接触のみで電算室に直接手を触れたわけではないんでしょう?」
「それはそうですが…」
「ガイア・サーバーの管理レイヤーは全部で一〇〇層になるわ。〇から五〇が表層レイヤー、残りが深層レイヤーに分かれている」
「はい」
ガイア・サーバーの構築理論やその構築体系についてはミラーズホロウも十分に理解していた。「続きを早く話せ」という意味を込めて「はい」と答えた。
「スルーズという女の子が触れたのはせいぜい表層レイヤーのみ、けれど通信プロトコルやそれらに関するファイルは全て深層レイヤーにある。どうやってここからヴァルヴエンドにアクセスしたって言うのよ、無理があるわ」
ガイア・サーバーの表層レイヤーに位置する場所に、各テンペスト・シリンダーを管理する専用のファイルが収められている。また、各マキナのエモートやマテリアルもここに位置する。
深層レイヤーにはガイア・サーバーそのものを構築しているデータ群があり、またヴァルヴエンドから遠隔操作が行えるよう沖田が言った通信プロトコルやプログラムがある。
そして、特別独立個体総解決機はこの深層レイヤーにまで手を伸ばすことができる、だから"厄介"な存在として連盟から嫌われていた。
沖田の話はミラーズホロウも十分に吟味した、けれどやはり最もガイア・サーバーに接近したのはスルーズしかいない。
「残りの容疑者たちは電森林室に立ち入れど触れてすらいません。それに以前、ヴァルキュリアはU3-G012を掌握して─「何で型式で言うのよ」…ガングニールを掌握していました。その際に何かしらの手を施されたのでは?そしてそれをスルーズが利用した、と。私はそう見ています」
「あんたの読みには確かに筋があるわね」
「そうでしょう?!」
「でも、特別個体機側にそれをやる動機がないわ」
「ど、動機って…」
「何でわざわざ自分から深層レイヤーにプロテクトを貼るのよ、そんな事をすれば自分たちだってハッキングをすることができなくなるわ。──言い換えるならウルフラグ弁護団にそれをやる動機がない」
「………」
「あんたはまだまだ甘ちゃんね。犯罪にしても偉業にしても、それをやる人の動機ってとても重要な事なのよ」
「つまり何ですか、深層レイヤーにプロテクトを貼って得する人間がいる……と、そう言いたいんですか?」
「そうよ、私ならそっちの線から探すわ。現場にいた人物から犯人を割り出すのも必要な事だけど、その犯人すら別の誰かに利用されている可能性だってあるんだから」
「一体誰が…」
沖田が咥えていた煙草を揉み消し、手を休めることなくもう一本取り出そうとしていたが空になっていた。
沖田は軽く舌打ちしてからミラーズホロウに外へ出るよう促した。
「何処へ?」
「煙草を買いに。ついでにあんたの分も買ってあげるわ」
「私は煙草なんか吸いませんよ!」
「何でそうなるのよ。あんたどうせ何も口にしていないんでしょ、何か買ってあげるわ」
「そ、それはどうも…」
沖田とミラーズホロウが喫煙室を出てそのまま外へ、最寄りにあるコンビニエンスストアへ向かって行った。
ミラーズホロウはただ沖田の後を追いかけるばかり、仮想世界から復帰して今の今まで周囲を見やる余裕がなかったこともあり、今頃視界に飛び込んできたマリーンの風景に目眩がした。
(凄い…あんなに危険な乗り物が目の前に…それに沖田だけじゃなくて建物の入り口で煙草を吸う人が他にも…絶対空気は汚いはずなのにどうして皆んな元気そうにしてるのか)
好奇心旺盛に周囲を眺めていたミラーズホロウに気付かず、沖田は歩きながら先程の話を続けた。
「ホシ・ヒイラギという男が怪しいと思うわ」
「──え?あ、はい、え?」
「聞いてなかったでしょ。だから、ホシ・ヒイラギっていう男よ」
「どうしてその人が怪しいのですか?」
沖田とミラーズホロウがコンビニエンスストアに入り、入り口から右折して飲み物のコーナーへ向かった。陳列されている商品の棚から沖田は迷わずコーヒー類のペットボトルを選び、初めて訪れたミラーズホロウは目を白黒とさせていた。
「え゛、じ、自分で選んでいいんですか?」
「こっちはそういうルールよ。飲みたい物を選びなさいな」
「え、こんなに沢山の種類から…ど、どれが良いんでしょうか…え〜〜〜」とか言っている割にミラーズホロウは楽しそうだ。
結局ミラーズホロウはミネラルウォーターを選んだ。
「地味ね…こんなに沢山あるのに勿体ない」
「だ、だって…どれが体に良いのか分からなくて…」
「こっちの食べ物は全部食品添加剤が入ってるわよ、何を選んでも一緒」
「え゛!発がん性物質が入っているんですか!……信じれない」
「そんなのただの迷信よ、こっちの人はまるで気にしてないもの」
沖田がミラーズホロウを店内に残して一人会計へ、店員に「いつもの」と伝えいつもの煙草と一緒にお金を支払った。
そして話し合いの続きはコンビニ前の喫煙所で再開された。
「プログラム・ガイアが言うにはそのホシ・ヒイラギって男は子機らしいのよ、それに本人にはその自覚がなくて生成したマキナも分からない」
「そんな眉唾、信じたんですか?」
「で、こっちのお役所仕事に就いて彼の出生を調べてみたんだけど、結果は黒、改竄されていたわ。プログラム・ガイアの話は本当よ」
「それで?その人と今回の事件に一体何の関係が?」
「私の考えだけど、ガイア・サーバーに貼られたプロテクトは遅効性ファイルの一種じゃないかしら。最近ではなくずっと前にそのファイルを外部からインストールさせていたのよ、で、たまたまそのファイルが解凍されたのがここ最近ってこと」
「…そのインストールにホシ・ヒイラギなる人が関わっている…?」
「だって変でしょう?自覚を持たせずに子機を生成してテンペスト・シリンダーに放つだなんて。それに彼はウルフラグで複製された特別個体機のパイロットを務めていたわ。自覚なき犯行ってところかしらね」
「どのみちその動機を持つ人物を探さないことには解決しない…」
「そうなるわね。もういいかしら、こう見えても私結構忙しいのよ」
たっぷりと煙草を二本吸ってから、沖田は軽い足取りでミラーズホロウの前から──去れなかった。
「──待って!この際あなたの部屋でもいいから泊めて!ほんと行く所がないの!このままじゃ飢え死にしちゃう!」
ミラーズホロウに羽交い締めにされ、周囲から奇異の視線が集まったところで沖田が折れた。
「分かったわよ!分かったから離しなさい!」
◇
「まあまあまあまあ。そう睨みなさんな、こっちも頼まれてやった事なんだよ」
「何処から入って……」
「………」
「どうだった?殺し合いの場は。非日常の体験ができて楽しかったんじゃないのか」
「………」
「あの女は………向こうか、こっちにはいないのか」
ナディたちが滞在している館に一人の男が来訪していた、彼の名前はバベル。
忽然と姿を現した男にナディもカゲリも警戒心を解こうとしない、ほんといきなりに現れたのだ。
ナディとカゲリが出かける支度を整え、さあ行こうとエントランスに向かうとバベルが既に立っていたのだ。鍵は勿論施錠してある、扉が開く音すら聞こえなかった。
「ガイア・サーバーを弄った奴がいると女に言われてな、白っぽい髪をサイドに上げた女だよ、お前たちも知っているだろ?」
「…ミラーズホロウさんですか?」
「ミラーズホロウ?──あいつもまた洒落たことすんな〜それは人狼ゲームの名前だよ、本名じゃない」
「本名じゃない…?」
「ああ、あいつはこの世界の人間じゃない。それでお前たちと接触しちゃいけないルールがあるから偽名を名乗ったんだろ。──まあ、んな事はどうでも良い、ガイア・サーバーに触れたのはお前か?ナディ・ウォーカー」
「………」
「な、ナディ様…?」
ナディがカゲリを庇うように一歩後ろへ下がった。バベルから距離を取ろうとしたのか、もしくは質問から逃げようとしたのか。
「ヴァルキュリア襲撃の直前までお前は一人で電森林室にいたはずだ、何も知らないはずの人間が一人で。何をしていたんだ?」
「………」
「おい男!下らない言いがかりは止めてもらおうか!」
もうほんと誰にでも噛み付くカゲリがバベルに文句を言うが、まるで取り合わなかった。
「お前にガイア・サーバーの知識を与えたのは誰だ?グガランナ・ガイア?それともあの子供マキナの二人?」
詰め寄るバベルと、にじりにじりと後ろへ下がるナディ。彼女の額には汗が出ており、周囲を探っている気配があった。
バベルが、逃してはならないと思い懐から一丁の拳銃を取り出した。ウルフラグの中で流通されている一般的な物だ。
その拳銃のレティクルをナディではなくカゲリに向けた。
「答えろ、こっちも色々と算段を立てていたのに余計なプロテクトのせいで迷惑しているんだ」
「し、知りません…」
ナディが苦し紛れにそう言うが、バベルの答えは──
「──なっ」
カゲリの頭に合わせていた拳銃のトリガーを引いた。発射音と共にカゲリがその場で倒れる、眉間に一発、即死だ。
そしてバベルはナディの頭にもレティクルを合わせて何の躊躇いもなくトリガーを引いた。
ナディは眉間に走った衝撃が後頭部まで突き抜ける感覚を受け──そして目が覚めた。
「…………」
一体誰が彫ったんだと言わんばかりの複雑な模様が見える、つい先程見た部屋の天井だ。
ナディは混乱したまま体を持ち上げた、自分の眉間に触れるがとくに異常はない、それが異常だった。
室内にバベルが立っていた、今し方見た拳銃を構えた姿のままで。
「ここは俺のナビウス・ネットの中でね〜だからお前は頭を撃たれても死ななかった。けど今回はどうだろう?もしかしたら現実の世界に帰って来たかもしれない、いやいや仮想世界のままかもしれない。あるいはお前たちが人狼ゲームをしていた場所こそ現実の世界かもしれない──いやそれはないな」
何が面白いのかバベルが一人で嗤った後、再びナディへ視線を向けた。
「答えろ、ここまでされてもまだしらを切るっていうのか?」
「わ、私は何も…知りません」
「強情な女だ。──ああ、それならこれはどうだ?今から人狼ゲームを本物に変える」
「それって…人狼ゲームで処刑されたら「永遠に目覚めない。お前たち全員、生きていく上で最も損害が出ないメラニン色素の一部を利用して仮想世界にアクセスしている。このプロトコルを適切に踏んでログアウトしないと、脳から発せられるパルス信号が神経系に受理されなくなって寝たきりになるんだ。事実上の死だ」
「………だから私はっ!何も知りませんっ!」
「はいはい。お前はどっちが勝つと思う?村人か人狼か、賭けに勝ったらお前だけはここから出してやるよ、その間に死んだ奴はお前の巻き添えってことで」
「ふざけ──」
またトリガーを引かれ、そして三度目が覚めた。
「…………」
「やめとけって、ナビウス・ネットの中にいる限り、俺が王様だからよ。で?どっちが勝つと思うんだ?」
混乱の極地に立たされたナディの瞳から、感情を宥めるための涙が溢れてきた。
「だから…私は何もっ…」
少女が泣き崩れてもバベルは容赦しなかった。
「変異型ベンゼン環を持っているのはお前だけなんだよ、ナディ・ウォーカー。さっさと観念してガイア・サーバーに仕込んだプロテクトを解除するんだ」
男に銃口を突きつけられた少女は、さめざめと泣く他になかった。
6.
現実の世界がどうであれ、容疑者たちを取り巻く環境に変わりはない。
それは神が人類に対して「いやそこ仮想世界だから死んでも平気だよ」と秘匿しているのと同じである、現在を生きている我々人類にとってこここそが現実の世界であり、"死"は人生の終わりを意味する。
人狼ゲームをさせられている容疑者たちも仮想だろうが現実だろうが、生き残る他になかった。
だからキシューは必死だった、自分にかけられた嫌疑を晴らすことに。
「だから!ミラーズホロウって女は人狼じゃない!あんた本当に祈祷師なの?!」
キシューの剣幕をものともせず、祈祷師を自称するレギンレイヴが答えた。
「そうだと言っている。つまり司令官の占いが本物であり、貴様の占いは嘘だという事だ。観念しろ」
「何が観念しろだ──ちょっと!他にいないの?!本物の祈祷師!何で黙ってるのよ!」
キシューの言葉に誰も反応しない、唯一視線を合わせて来たのはアネラだけだった、それ以外の者は皆視線を下げている。
「──あんたは?!ただの村人なの?!どうなのよ!」
そのアネラにすらキシューは噛み付いた。噛み付かれたアネラはただ小さく頭を振るだけだ。
「くそっ──良い?!何回でも言うけど人狼の一人はアルヘナなの!間違いない!この場で吊るして明日役を調べれば一発で分かる!」
「誰が貴様の言葉に耳を傾けるんだ?」
「じゃあ誰彼構わず村人を吊るして人狼を勝たせるっていうの?!あんたが本物の祈祷師ならやっている事が矛盾しているじゃない!」
「そこまで言うんなら司令官をこの場で占ってみせろ」
「──っ」
キシューは躊躇った、一日に一度しか使えない占いの力をレギンレイヴの言う通りに従って行使して良いのかと。裏をかいてレギンレイヴを占うのも選択肢の一つだが、今は"誰が人狼か"より"キシューが人狼だ"という嫌疑を晴らさなければならない、そうしなければどのみち誰も信じやしないだろう。
キシューはまさしく窮地に立たされた。
進退窮まる彼女の代わりに、ここまで黙して語らなかったテジャトが発言した。
「僕もマルレーンさんの言葉は信用できない。けれど君たちの言葉も信用することができない」
突然の割り込みにレギンレイヴが言葉を失い、オーディンが彼に答えた。
「それはどうして?」
「ミラーズホロウという女性が人狼だと発言したからだ。もし、仮に彼女が本当に人狼だったのなら何故初日からナディ・ウォーカーを消さなかったのか説明がつかない。…僕は見たんだよ、初日に彼女がミラーズホロウの部屋から出てくるのを、きっと内密の話をしていたに違いない。そしてそれは、」と一旦言葉を区切りスルーズを指差してから続けた。「君も見ていたはずだよ、スルーズ」
「兄さん…私以外の女の人を名前呼び「静かにして」
茶々を入れられそうになったテジャトは妹をぴしゃりと嗜めた。
指を差されたスルーズは苦し紛れの言い訳を述べる。
「…確かに私も目撃しました。けれど、たったそれだけの事でミラーズホロウが人狼ではないと言い切るんですか?」
「あの人、処刑が決まった途端に錯乱していたでしょ?今際の際に嘘を吐つける人間なんていやしないよ、僕はあの時の発言を信じる、ナディ・ウォーカーは騎士だった。──それでも君はミラーズホロウが人狼だったと言い切るんだね?」
テジャトがスルーズから視線を変え、レギンレイヴを強く睨みつけた。
それでもレギンレイヴは即座に答えた。
「そうだ、あれは人狼だった。処刑対象を見誤ったに過ぎないと解釈している」
「死人に口なし、だからね、いくらでも言えるよ」
テジャトは少し興奮気味のようだ、上擦った声を上げながら話し続け、合間に何度も唇を舐めていた。
キシューはそんな彼を意外な思いで眺めていた、あのままの流れだったら間違いなく自分に票が入っていたはずなのだ、それなのにこの青年はその流れを変えようとしているのだ。
(何が狙いなのか…自分の妹が人狼だって──いやそうか、人狼だって知っている!)
ある事実に気付き、それでもキシューは口にせず成り行きを見守ることにした。
テジャトは話し続ける。
「ねえ、ここって大事な局面だと思わない?君の言う通りミラーズホロウが人狼だったとして残りはあと一人だよ?ここできちんと見極めたらこのゲームは終わる、この投票で僕たちは解放されるんだ」
(このゲームのルールは何?思い出せ…人狼の全滅か同数になった時点で終わるはず…負けながら生き残った村人たちは?)
皆殺しというルールは無い。つまり、村人二人、人狼二人になった時点でゲームセット、この四人は生き残れる可能性が十分に高い。
(テジャトの狙いはそれだわ…あのヴァルキュリアの三人の切り崩しにかかっている!)
アルヘナが人狼である事を兄に告げ、そしてもう一人の人狼についても教えているはずだ。その人狼がヴァルキュリアの三人の中にいる、村人二人に人狼一人、アルヘナ・ミラーがそこに加われば無事に生き残ることが可能だ。
だがこのままいけば間違いなくテジャト・ミラーは処刑される、それを回避するためにヴァルキュリアへ揺さぶりをかけたのだ。
──と、キシューは予測したのだがあらぬ方向へ話が飛んでしまった。
「それなら、そこの女に票を入れたらゲームセットだ。回りくどい説明だったが票を入れる先は変わらない」
「ミラーズホロウが人狼であればね、けれど違ったら?」
答えは簡単だ、次の標的はテジャト・ミラー本人である。そうやって人狼は相手を騙り、村人を一人ずつ処刑していく。
オーディンがテジャトに尋ねた。
「違わない。──それとも何か?お前にはあと一人の人狼が誰だか分かっているとでも言うのか?」
「ああ、アネラ・リグレット、僕は彼女が人狼の一人だと考えている」
テジャトの発言にキシューが即座に噛み付いた。──罵詈雑言と共に。
「っざけんじゃないわよこのシスコン野郎がっ!今の話でどうなったらこの子が人狼になるのよっ!自分が生き残りたいからって未成年の子を殺すのっ?!レイプよりよっぽど酷いじゃないっ!」
キシューはテジャトの発言が信じられなかった。彼女の読み通りなら人狼の疑いをかけるのはヴァルキュリアであってアネラではない、そんな事をしても票に繋がらないはずなのに。
「あんたただの時間稼ぎにそんなでまかせをっ──」
ゲームの主催者であるミラーズホロウが不在のため、投票時刻の期限が迫りつつあることを時計のアラームが教えてくれた。
人一人の命が失われる投票だというのに、なんとも味気ない音だった。
テジャトの発言は番狂わせにもならなかった、下らない事に時間を使わせるんじゃなかったとキシューは激しく後悔するが、投票の結果はいかに──。
キシュー・・・二(レギンレイヴ、オーディン)
アネラ・・・二(テジャト、アルヘナ)
テジャト・・・一 (スルーズ)
アルヘナ・・・二(キシュー、アネラ)
スルーズ・・・〇
レギンレイヴ・・・〇
オーディン・・・〇
初日同様、複数の最多票者がいたため無効扱いとなった。
◇
何とか投票による処刑は免れたがまだ安心とは言えない、何せ騎士役のナディ・ウォーカーが処刑されているため確実に一人が人狼の手によって消されてしまう。
キシューは部屋で一人、もう二度と立ち上がれない疲労を感じ、ベッドの上に突っ伏していた。
(あの男…私たちの会話を聞いていたんだわ…アネラに矛先を向ければ確実にスルーズを釣れると知って、だからあんな暴言を吐いた)
投票が終わってから何度か扉をノックされたが全て無視していた。きっとアネラだろうが今のキシューに誰かと話しをする余裕も元気もまるで無かった。
「それに何なのあの子…私と同じ所ばかりに票を入れて…まだ母親だって思っているのかしら、気持ち悪い」
運も悪く、アネラを罵った独り言を他人に聞かれてしまった。
ノック音もなく扉が勝手に開いた。
入って来たのはスルーズだ。
「今の話、本当なんですか」
「………出てって」
「あの子の母親なんですか?」
「だったら何、あんたに何か関係あるの」
「…………」
取り付く島もないキシューの態度にスルーズは閉口した。
「で、何か用?用が無いんならさっさと出てって」
「用事があるから来たんです。向こうに私の居場所がありませんから」
その言葉にキシューが突っ伏していたベッドから頭を上げ、スルーズを見上げた。
「あらま、まんまとシスコン野郎に引っかかったってわけなのね、それで二人から破門されたと」
「そうですね、喧嘩してきました、ここに来て裏切るつもりかって」
「あんた、そこまで言っていいの?それ、誰が人狼か答えているようなもんよ」
「……そうですね、どちらかが人狼です」
こいつ本当に頭おかしいんじゃないのかと、キシューは思った。
──そこへもう一つの影が現れた、散々キシューに無視されそれでもめげずにやって来たアネラである。
「…あ、マカナ」
「私はアネラが人狼だなんて思ってないから、安心して」
「う、うん…」アネラは気もそぞろだ、スルーズに目を合わせずキシューのことばかり見ている。
アネラが意を決したように口を開いた。が──。
「あ、あの…さっきは私を庇ってくれて─「はあ?!何を勘違いしているの気持ち悪い!いつまでも私に母親の影を重ねないでよ!──そんなろくでなしから産まれたあんたもろくでなしよ!」
支離滅裂な言葉だ、でも、アネラにはクリーンヒットしてしまった。
か細い声で「ごめんなさい」と謝り、ひどく傷付いた顔をしたまま部屋から去って行った。
静寂に包まれた部屋に乾いた音が一つ、平手打ちだ。
「………」
「………」
頬を叩いた方と叩かれた方、互いに無言で睨み合う。
結局スルーズは一言も発することなく部屋を後にした。
「何よっ…何で私なんかに懐くのよっ…」
答えてくれる者は誰もいなかった。
7.(Limit ver.)
「ハーフブロック、バラストタンク放水を開始せよ、進路そのまま、アトミック・シャムフレアエンジンの稼働を八〇パーセントまで上昇せよ」
「ハーフブロックって何」
「バラストタンクが収められているブロックの半分って意味ですよ」
「何でそんなヘンな言い方すんの」
「艦長に訊いてください」
「──全く、君たちには緊張感というものはないのかね。ガングニール、ダンタリオン、中深層を突破したら準備に入ってほしい、そのまま奴めのナビウス・ネットに突入する」
「アイアイサ〜」
「よ〜そろ〜」
「ふざけてる?」
「どうやって突入すんだよ、石油プラットフォームを爆破すんのか?」
「爆破してどうする。対潜ミサイルかっこ電子網鬼破りバージョンかっこを撃ってファイヤーウォールに穴を開ける」
「お前絶対ふざけてるだろ」
「バラストタンク放水完了、シャムフレアエンジンの稼働率も八〇パーセントまで上昇、固定完了。あとは何をすればいいですか?」
「あとは時が熟すのを待つ。果報は寝て待てと言うだろう?「寝ちゃダメだろ!「皆んなを助けに行くんでしょ?!」
「我が主、もう二度と乗らないとか心に来るような事を言われたが、それでも助けに行く」
◇
ナディを仮想世界に軟禁し、人狼ゲームを観戦していたバベルは徐々に苛立ち始めていた。
「いい加減ゲロったらどうなんだ?投票で誰も死なずに済んだが、今夜確実に一人死ぬんだぜ?お前のせいで」
「………」
バベルから見て少女は見るからに憔悴していた。用意した観戦モニターを食いるように見つめ、何度も頭を抱えては静かに涙を流していた。
このままでは少女が壊れてしまうとバベルは思った、でも欲しい情報がいつまで経っても引き出せない。
(本当にこいつじゃない…?だったら何を隠している…)
モニターでは刻一刻と就寝時間が迫っているところが映し出されていた。やがて建物内の照明が落ち、人狼の夜が訪れた。
「なあおい、俺も無闇に人を殺したいわけじゃないんだが。ガイア・サーバーで何をしていた?」
少女はモニターを見つめながら答えた。
「調べものをしようとして…」
「調べもの?何だそれは」
「グガランナさんに教えてもらって…でも秘密だから誰にも言うなって…」
「──そうか、そうかそうか」
やっと出てきたその言葉、しかし、
「でも、アクセスできませんでした…きっとやり方を間違えて…だからサーバーが壊れて、そのプロテクトっていうものが作動したんですよね?」
「──は?」
「私が壊してしまったから…だからなんですよね…」
少女の目は焦点が定まっていない、それはバベルも同じであった。
(アクセスできなかった?じゃあ何だ?こいつがガイア・サーバーに触れた時から既に──)
バベルは混乱した、これでは少女を軟禁し続けていても意味がない。ヴァルヴエンドの女がそうだと言うから危険な橋を渡り、人狼ゲームの会場まで用意してやったというのに。
これでは投資した分の利益が得られない、骨折り損になる前にバベルは動き出した。
「──予定変更だナディ・ウォーカー、お前のベンゼン環を調べさせてもらうぞ、そうすりゃログを辿れる」
「調べるって…どうやって…」
「摘出すればいい、命の保障はできんが」
遠回しに「殺す」と言っても少女は反応を示さなかった、よほど精神的に来ているようだ。
拳銃を手にしたバベルが腰を上げるのと、部屋の扉がノックされたのは同時だった。
「………」
バベルは信じられないものを見るような目で扉へ振り返った。ここは彼が構築した仮想世界である、彼が招いた客人しかやって来られない、それなのに新たな訪問があった。
何の気負いもなく入って来たのは、陽に良く焼けた中年の男性だった。カウネナナイで良く見かける風貌ではあるが、その顎に蓄えたふっさふさの髭は二人ともあまりお目にかかったことがない。
中年の男性がナディに声をかけた。
「迎えに来るのが遅くなってすまない」
「誰なんだてめえ…プログラム・ガイアかと思ったが…」
中年の男性は洗練された動作で歩みを進めた、無駄な動作が一つもない、人体の構造を知り尽くしているような歩き方だ、つまり隙が無い、そのせいでバベルは攻勢に転じることができなかった。
「名乗る程の名前はまだ持ち合わせていない。強いて言うならば…特別独立個体機の拠り所、とでも言おうか」
「拠り所…だあ?──お前まさかっ」
「第一、第三所属の特別独立個体機の母艦、正式名称は星間管理型全域航行艦ノウティリス」
目を大きく見開き、男性を凝視していたナディが言葉を漏らした。
「インターステラーって…もしかして…ノラリス…?」
「いかにも」
悠々と歩みを進めていた男性が、ベッドに腰かけているナディの前で恭しく頭を垂れ、膝を折った。
「君がここで忍耐強く堪えていた様は見ていた、それは英雄と呼んでも差し支えない強靭な精神力と言えよう。私には二度と乗らないと言った文句は宇宙の彼方に流す」
ナディは彼に言った。
「皆んなを…皆んなを助けてください」
「既にガングニールとダンタリオンを出撃させている、心配は無用だ。もう一度パイロット席に収まる気になってくれたかな?」
しつこい。
随分と根に持っていたらしい男性がナディへ手を差し出した。ナディはその手に触れる、どっしりとした感触があり、触れた途端から安心が広がってくるようであった。
金縛りにあっていたバベルが今さらのように動き出すが、もう遅かった。
「──待て!こっちはまだ用事が終わって──」
「遅い、君にできる事はもう何もない」
バベルの魔の手から逃げるように、二人が朝露の如く消え失せた。
◇
(結局用事って何だったのか…)
薄暗い部屋の中、キシューはベッドに横たわり、数時間前に訪れていたスルーズの事を考えていた。
既に就寝時間になっていた、今夜確実に自分が殺されると分かっていたキシューは到底眠る気になれず、部屋から脱出を試みていた。けれど、鍵をかけたわけでもないのに扉がびくともしない、人狼にしか開けられないと分かると外に出る気が失せ、もう何時間もベッドの上で過ごしていた。
(もし──もしあの子が…あの子が人狼だったら…それはそれでアリかもしれない…)
産んだ我が子に殺される、ろくでなしの母親にぴったりの末路かもしれない、キシューはそう考え、抗えない睡魔に意識を手放しかけていた。
(ほんと…今さらどの面下げて…………)
何か、大きな物音がしたような気がした。けれど意識の半分が睡魔に持っていかれているので目蓋を上げることもままならない。
すっと扉が一人でに開いた、毛の長い絨毯の上を誰かが歩いて来る。ああ、ついにこの時が来たかとキシューは思うが、不思議と心は安らかだった。
人狼の顔を見るまでは。
「キシューさん!」
「……──っ!あ、あんた…あんたが人狼だったの…?」
「もうこんなゲームはしなくて良いんです!」
「はあ?」
ぐいと手を引かれ、キシューは無理やり起こされた。それに部屋の外もどうやら騒がしい、何かが起こったのだ。
未だ覚醒し切らない中でもキシューはアネラに引かれるがまま部屋を出る、建物内は薄暗いままだがあちこちから声が届いてくる、どうやら皆んな起きているようだ。
湾曲した廊下の向こうから見たことがない女の子を先頭にして一団が現れた。
「それで全員か?!」
垂れ目の女の子だ、不釣り合いなアサルト銃を手にしている。キシューは彼女の背後にいるオーディンやテジャトたちを見て「助かった」と瞬時に理解した。
それでもキシューは誰何せずにいられなかった。
「あんた誰なの?!」
「ガングニール!自己紹介は後!早くこっから出ないとマズいぞ!」
「何がマズいのよ!」
「ここはバベルっつう陰気なマキナの世界!奴が強制ログアウトを仕掛けてくる前に脱出しないとここにいる皆んな植物人間になっちまう!」
その理屈がキシューにはいまいちピンと来なかったが、助けに来た者が言うのだからと女の子の指示に従った。
向かう先は投票の場である部屋だ、その部屋には既にスルーズとレギンレイヴ、それからいなかったはずの男の子の姿もあった。
「ここから脱出してください!」
その男の子が指定した場所は人狼として票を集めた者が立つ台だった。
レギンレイヴが皆を代表して問い詰めた。
「本当にここから出られるのだな?!ここから落ちたら即死だと聞いているぞ!」
「違います!ここからしかログアウトできないんです!──いいから落ちて!」
「──なっ」
レギンレイヴが男の子に肩を掴まれ、決して力負けするはずないのにそのまま穴に落とされてしまった。
情けない「あ〜〜〜!」という声が穴から聞こえてくる。その無様な様を見てキシューは敵対していた時に溜まっていた溜飲を下げた。
レギンレイヴの次にミラー兄妹が続こうとしたが、銃声が一つだけ鳴った。
「──っ」
場にいた皆んながその場に伏せる。誰かが倒れる軽い音が聞こえ、ガングニールが「テメえ!」と吠えながら応戦しようとするがすぐに発砲音がした。また、人が床に倒れる音が聞こえた。
間一髪、間に合わなかった。キシューはそう悟った。
「クソ…クソクソ…クソつまらねえ、これで俺のナビウス・ネットもおじゃんだわ、ここで二度と生成できない。──なあ?ゲームってもんは最後までプレイするから面白いのであって途中で止めさせられるのは興醒めだよなあ」
乱入してきた男の手には拳銃が握られている、そっと様子を窺うキシューに目を付けた男が言葉をかけてきた。
「おい、そこの女、立て」
「………」
男の風貌はハッキリと言って"ろくでなし"、頭はボサホザスーツもよれよれ、何より目が腐っているのが一目で分かる。
「人狼ゲームの続きだ、お前が人狼だと思う奴の名前を言え、正解したら全員助けてやる」
キシューは生唾をごくりと飲み込んだ。
「お前たちの役は俺が全部決めた、でまかせ言ったら殺すぞ、女」
「………なら、私の役は何?」
「占い師だ」
「………先に脱出したレギンレイヴの役は?」
「質問は一回だけ。さっさと答えろ、人狼は誰だったんだ?」
本当にこの男は自分たちを助けてくれるのだろうかと疑問に思った。
迷いながらもキシューは一人目を答えた。
「人狼の一人は…アルヘナ・ミラー」
「──正解。カゲリというガキを手にかけたのもそいつだ」
非難の目がアルヘナに集まった、本人は顔を伏せている。
「あと一人は?」
キシューは迷った。間違いなくヴァルキュリアの三人だがその内の一人は既に脱出している。
スルーズはどうだろうか?三回目の投票で味方を裏切りアネラについた、だからといって人狼の否定材料としては弱いが線は薄いように感じられる。
だとすれば残りの二人、オーディンとレギンレイヴ、このどちらかが人狼だ。オーディンは占い師だと嘘を吐き、レギンレイヴは祈祷師だと言いながらミラーズホロウが人狼だと嘘を吐いた。
互いに役を知っていたのだろう、だから互いに嘘を吐いた、けれどそれは外側からでは分からない。
二分の一。外せば全滅。
(クソみたいな博打だわ…)
でも、と思う。仮にレギンレイヴが人狼だったのなら、一人目を答えた時点でゲームセットのはずである、けれど男はあと一人は誰だと尋ねてきた。
「二人目の人狼は…オーディン」
男は途端にニヤニヤと嗤い始めた。
「そうかいそうかい…なら、オーディンが人狼だと思う奴は票を入れろ、そんで穴から落とせ。正解だったらお前たち全員ここから出してやる」
「あんた──話が違うじゃない!」
「何も違わない、人狼ゲームってそういうもんだろ?」
床に伏せていたオーディンが立ち上がった。
「おい男、俺を撃て、そうすればゲームセットだ」
「おいおい…自首なんかすんじゃねえよつまらねえ」
「ここは仮想世界だ、ガングニールの姿を見て確信した、つまりここでは誰が死んでも向こうで目を覚ます」
「と、思うだろ?既にフルフィードバックに変更済みなんだわこれが。ここで腕をもげば向こうでももがれた腕は使えない、足もそう、なら眉間に穴が空いたら?全部一緒だ」
「あんたっ…」
この男はただ状況を愉しんでいるだけだと、キシューは思った。世の中には度し難い屑がごまんといるらしい。
「さっさとそいつを吊るせ、お前たちの意志でそいつを殺せ、そうすりゃ助けてやるよ」
オーディンは自ら台に向かった。
「司令官…本当に人狼だったんですか?」
スルーズが彼の背中に声をかける。
「そうだ、俺とアルヘナが人狼だった。レギンレイヴには伝えて一芝居打つように話をつけていた」
「どうして私には…」
オーディンのモノアイがスルーズを捉えた。
「お前はあまりに清らか過ぎる。リン・ディリンでなければ汚れ役はこなせない」
「………っ」
「全員、俺に指を差せ、そうすればここから出られる」
けれどキシューは従わない。
「あんたそれマジで言ってんの?こいつが助けてくれると思う?」
「酷いな〜本当なのに」
「あんたみたいクズ、生まれて初めてだわ」
「それをお前が言うかキシュー・マルレーン。物乞いのガキから始まって王室に気に入られて、前王の色をやってガキ二人産んで放置したお前が?」
「ガキはただのオマケよ、本意じゃない」
「──だとさアネラ・マルレーン、てめえの母親はほんとクズ──」
キシューは気付かなかった、男を睨み続けていたから背後の様子に気付けなかった。
余裕を見せていた男がにわかに慌て出し、拳銃を持ち上げたのだ。銃口はキシューではなくその後ろ、後ろには確かアネラが──。
「──止めなさいっ」
キシューは三度、アネラを殴り飛ばした、そして今日までの罰を受けるように胸に熱い痛みが走る。
足の力が抜けてそのまま倒れ込む、体を持ち上げようにも力が入らない、アネラの無事を確認するため頭を上げるのがやっとだった。
「──キシューさん!」
無事だった。未だ怒りの形相が残るアネラの顔と、オーディンのあの剛腕が男に振るわれたところを見たのが同時だった。
それから夢見心地の時間が始まった。
胸の痛みも熱さも取れ、体がどんどん軽くなっていく。目の前には大粒の涙を流している二人目の子供、アネラがいた。
早く逃げなよと声をかける、上手く発せたかどうか分からない、でもきちんと届いていた。
「嫌!キシューさんも一緒に!」
「──早くしろ!ここはもう持たない!」
「でも!」
一度は殴られた剛腕にアネラが引っ張られた、オーディンとアネラの頭上には見たことも聞いたこともない大きな船が一隻、空に浮かんでいた。
どこからともなく女の子の声が響いてくる。
「早くしろ!あのクソ野郎が……ャットダウンしやがっ……」
「キシューさんが!キシューさんの手当…」
「無駄だっ……助からな……」
周囲の声も段々と遠のいていく。ああ、これで本当に終わりなんだと悟っても、心は安らか──ではなかった。
「アネラ」
この時だけは、自分の声も耳に届いた。
「悪かったわね、散々酷い事をして…あんたの母親だって名乗るのが恥ずかしかったのよ」
「……そんな事…そんな事ない…」
「どう接すればいいのか分からなくて…ずっと逃げていた…母親らしいこともできなくて…」
「お母さん…お母さん…」
「あんたたち二人は立派よ、私なんか比べものにもならないぐらい。ヴィスタにもよろしく…伝えておいて…」
「お母さん…お母さんも一緒に!」
「嫌よ…お母さん、眠くてしょうがないから……」
「お母さん!!」
天にいた船底が降りて来た。アネラはオーディンとスルーズに手を引かれながらも叫び続けた。
「お母さん!!──私だけのお母さん!!──お願いだからっ──お母さん!!」
もう、目蓋を持ち上げるのも限界だった。
ゆっくりと目蓋を下ろす、今度は胸いっぱいの安らかな気持ちがあった。
「ほんと…私なんかの…何が良いのか…うっとおしい子………」
答えなど必要無かった。それが"親子"なんだとキシューは理解することができたから。
◇
セントエルモ・コクアが誕生してから初めての死亡者が確認された。名前はキシュー・マルレーン、厚生労働省に所属する国家公務員である。
この件を皮切りに、ウルフラグとカウネナナイの関係が悪化することとなった。
◇
互いの無事を確認し合った三人は抱きしめ合って、泣き、喜び、そして怒りを露わにした。
「ほんとふざけんじゃないですよあの野朗二度も殺しやがって!」
怒りを露わにしているのは勿論カゲリである。
けれど全員無事だったわけではない、向こうの最後をアネラが話してくれた。
「キシューさんが…」
泣き腫らして目を真っ赤にしたアネラが答えた。
「うん、お母さんを悪く言ったあの人が許せてなくて…それで飛び出した私を庇って代わりに撃たれてしまったの…」
「そっか…」
もうここまできたらあえて空気を読んでいないのでは?と思えるほど、カゲリが歯に絹着せぬ言い方で尋ねた。
「それでアネラ様は許せるんですか?ずっと酷い事をされてきたんですよね」
泣き腫らし、まだ余韻を残しながらもアネラが晴れやかな笑顔でこう言った。
「うん、私にとって最高のお母さんだよ」
そう言って、またアネラは泣き始めてしまった。
※次回 2023/1/14 20:00 更新予定
新年明けましておめでとうございます、もう残り12ヶ月を切りましたが来年もどうぞよろしくお願いします。