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第104話

.10 days war 後編



 六日目。

 酷い頭痛と共に目を覚ました。体の芯が重たく、寝返りをうつのも億劫だった。


(快楽性二次生産物の代表…アルコール…恐るべし…)


 あの男を返り討ちにしたあの後、陽が沈んで間もない時間から宴会が行われたのだ。私の歓迎会を兼ねた決起大会なるものはシュナイダー大佐の音頭と共に始まり、「振る舞われた酒を呑まないのは無礼講!」と無茶苦茶なパワハラを受けて渡されたグラスを一気にあおり...そして記憶が無い。でも後悔もない、何故だろう?


(何だかやたらめたらと楽しかった記憶が薄らと…)


 向こうで飲む酒と言えばサプリメントだ、それと一緒に好きな飲み物を飲む。けれどこちらは直にアルコールを摂取する、そりゃ記憶が飛んだ当たり前だ。でも楽しかったのは何故だろう?


「ああ…気分が悪い…もしかしたら奴らはこれを知って…?」


 私が起きたのはどうやら船の中のようだ、絶え間なく揺れる感覚に少し狭い部屋、それから転倒しないよう天井に固定された棚が見える。

 小さな丸窓が少しだけ開いており、外から濃い潮の香りと...


「──うっ…くっさ〜いもう何よこの臭い…」


 煙草だ。



 「闇鍋ファッション」と評されたジャケットを引っ掴んで部屋を出る、甲板に出られる扉も開けられておりそこからも煙草の臭いが中に入ってきていた。

 一言文句を言ってやろうと私も甲板に出る、手すりに肘を付いて自己中心的に煙草をふかしている男性がいた。あなたのその煙が人を害しています。


「あの〜ちょっとよろしいですか?」


「──ん?ああ、起きたかオカマ野郎」


 何故だろう、初めて会うのに初めてな気がしない。

 両眼を義眼レンズに替えている中年の男性が咥え煙草をしながらこちらに振り返った。オカマ野郎ってなんだ失礼な。


「その煙草、ここで吸うの止めてもらえませんか?ものすごく迷惑なんですが」


「何回同じこと言うんだよ。慣れろ」


「何回もって…もしかして昨日いました?」


「ああいたよ、シュナイダーの野郎に呼び出されてな、今度の作業部隊のお守りとして召集がかかったんだ。──って、昨日も同じ話をしたんだがやっぱり覚えていないのか」


「ええ、べろんべろんに酔わされましたから」


「見かけによらず体が軽かったから運ぶのに苦労しなかったよ、まるで女みたい軽さだった」


「──きゃっ!まさか変なコトしていないでしょうね?!」


「煙草の煙よりお前のその冗談の方が迷惑なんだが」


「何ですって?!」


 男性が咥えていた煙草を口から離し、深く吸い込んでから青くて綺麗な空に汚い煙を吐き出した。


「…それのどこが美味しいんですか?」


「煙草は味じゃない、安堵感で吸うもんだ」


「煙を吸うことと安堵感に何の関係が?それは万病を招く嗜好品なんでしょう?」


 男性がこちらを見て、心底馬鹿にしたように鼻をふんと鳴らした。


「万病を招く?逆だ逆、煙草はどんな病にも効く薬なんだよ」


「はあ?」


「煙草に含まれているニコチンは人間にとって快楽を生み出す物質なんだ。安心した時や何か達成した時に放出されるニコチンを脳みそが受け止めて、ドーパミンという快楽物質を放出する仕組みになっているんだがな、この煙草を吸えばをいつでも何処でもそのニコチンを供給することができる」


「ただのドーピングなのでは…?」


「それから煙草を吸うと二酸化炭素の血中濃度が高くなって各内蔵器官の機能が著しく低下する。そうなると人の体は鈍感になって末梢神経も機能しなくなり、痛みを感じ難くなるんだ」


「──ああ、万病に効くというのは、痛み止めとしてってこと?」


「ああ、その大昔は体調を崩した人間に煙草を吸わせていたらしい(※実話です)」


「ええ…」


「今では考えられんがな、昔は煙草を重宝していたんだ。大事なパーティーの時しか吸えなかったり、それこそ薬を詰め込んで医療品として売られていた時代もあった(※これも実話です)。──そんなに興味があるなら吸ってみろ」


 と、男性が新しい煙草を私に出してきた。


「吸うわけないでしょそんな臭い物!」


「その割には興味津々じゃないか。昨日も何かと俺に突っかかってきたし、本当は吸ってみたいんだろ?」


 差し出された煙草から目が離せなくなる、気がつけばその煙草を手に取っており、一五センチにも満たない細いスティックを矯めつ眇めつする。


「見たって何も変わりはせん。口に咥えろ」


 もうここまで来たら言われるがままだった。


「ふぉ、ふぉうかひら…」


「そうそう。火を付けてやるから思いっきり吸い込め」


 金属製の器具を使い男性が火を付けた、それを煙草の先端に当てて言われた通り思いっきり吸い込むと...


「──っ?!?!げっほごっほ──「あっははは!ざまあみろってんだこのオカマ野郎!昨日は散々俺のことコケにしやがって!」


 ──万病に効く痛み止め?ふざけるな!これのどこが薬だっていうのよ!

 吸い込んだ瞬間から口の中に苦味が広がり、あと胸の中央からイガイガとした痛みが走った。


「何よこれええ!!ゲロマズじゃないのっ!!こんな物吸わせやがってええ〜!!」


 手に持った煙草を海に投げ捨てようとしたが、


「おいおいポイ捨てするんじゃない。それに人から振る舞われた物を粗末にするな、ちゃんと最後まで吸え」


「ぐぬぬ……──げっほ、ごっほ!」


 言われた通りに吸ってやった。

 こんな物二度吸うもんですか!


(※人はこうして煙草を吸い始めていつの間にか手放せなくなってしまうものなので良く覚えておいて下さい。好奇心は猫をも殺す、です)



「………臭っ!きよみ臭っ!」

「まさか煙草?きよみって煙草吸うの?」

「今すぐに止めなさい!煙草なんて百害あって一利無しよ!」


 私に懐いていた子供(いや子供ではないんだが)三人がさっと離れていく。微妙にショック。


「ち、違うわよ!ヴォルターって男に無理やり吸わされたのよ!誰があんなもの吸うもんですか!」


 会議室にいた他のマキナたちが寄ってきた。


「煙草ぐらい別にいいじゃないか。沖田が吸えば様になると思うが」


 そう言ってくれたのは私が一番好きなラムウである。


「え?そう?なら吸ってみようかしら…」


「え〜余は煙草の煙は好かんのに〜」

「俺も無理」

「臭いのは無理だわ」


 さらに離れていく子供三人。ショック。

 そしてさらに近付いてくる大人たち。


「私の知人は電子煙草を吸っていますよ。何でもタールがカットされてまだ体に良いとか」と、謎に煙草を勧めてきたのがテンペスト・ガイア。


「そいつはただの煙だろ?ニコチンが入ってるのかちゃんと確認して買わないと駄目だぞ」

と、アドバイスをしてきたのがヴォルターである。


「買わないから!そして吸わないから!」


 会議室の奥、議長席で誰かと連絡を取っていた大佐が受話器を置き、全員へ席に着くよう促してきた。


「昨日言っていた補修用の素材についてだが、場所が決まった。副首都のビレッジ・クックだ」


「ビレッジ・クック?」


「そうだ、複合大型ビルのレアノスで行われることになった。そこで生成が完了した後、空路を使って船に乗せ、そしてそのままカウネナナイへ向かう。入国許可も下りた」


「入国と言っても海上のみなんでしょう?」 


 ティアマト・カマリイがそう尋ねた。人を愛している彼女の事だ、きっと王都に残されたウルフラグの人々を心配しているのだろう。


「そうだ。どうやら向こうでは国民投票が行われているらしい、現国王のガルディアがセントエルモと手を組んで信頼の回復を試みたようだが、ヴァルキュリアの侵攻によって再びぶり返したらしい。そして当の本人は大怪我を負って療養中、誰にも止められないようだ」


「可哀想に…」


「他人の心配より今は我々の作戦だ。万事解決を果たしてから他人の心配をすることだ、穴を塞げなかったらどのみち無関係の人たちが死んでしまうのだろう?我々も苦しい境地に立たされていることに変わりはない」


「大佐の言う通りだ、我々は我々の職務をこなそう」


 ラムウ・オリエントがそう締め括った。

 皆が席に着き、会議が始められるかに思われたが大佐が一台の古い機械を取り出した。それをテーブルに乗せてスイッチをぱちぽちと押している。

 プログラム・ガイアが大佐に尋ねた。


「それはもしかしてラジオ?」


「ああ、会議の前に聞かせたいニュースがあってな。今朝録音した物だ」


「今時ラジカセって…アプリでもラジオが聞けるのに」


 と、小言を挟むハデス。


「生憎その手の機械に馴染みが無くてな。昔、戦場に出ていた時はこのラジオが唯一の情報源だったんだ。──流すぞ」


 そう言って再生ボタンを押し、淡々と原稿を読み上げる声が流れてきた。


[──次のニュースです。昨日夕方頃、ハウィ方面にある工場跡地に不法侵入していたとし、警察の事情聴取から逃走していた身元不明の男性が今朝方、首都警察に逮捕されていたことが分かりました。逮捕された男性は、身に覚えがない、と容疑を否認しているようです。この事件は廃棄された工場の設備が一斉に再稼働し、さらに施設内の防火扉が全て作動するというもので、詳しい事情を調べるため首都警察は工場の関係者の洗い出しを急いでいるとのこです]


「わあお、上手くいったみたいね」


「グッジョブ」


 プログラム・ガイアが親指を立てて私を労ってくれた。


「やはりお前たちか…警察からこちらにも問い合わせが来ているんだが…」


「どうして海軍に?」


「ここから一番近い基地だからだ、警察はシルキーの可能性も疑っているんだよ」


「ああ、そういう事ですか。であれば私の事はご内密にお願いしますね」


「まあしょうがないか、警察に知らぬと答えておこう。皆に聞いてほしいニュースはこれだ」と、言って大佐が再び再生ボタンを押した。


[──次のニュースです。シルキーの医療転用を認可した政府に対し、今日まで認可取り消しを要請していたウルフラグ医師会の会長が今日、高等裁判場に対して医療転用は違法だとし、弁護士団と共に裁判の申し立てを行いました。これに伴い、現在政府主体の元進められている医療転用における事業関係の全てが一時的に凍結され、政府関係者によりますと再開の目処が立っていないということです]


 ニュースを聞いた私の感想は、まあその通りだろう、という程度だった。しかし、マキナの内の数名はニュースを聞いていた時からその表情に暗い影を落としていた。


「このニュースが一体何か?」


 私がそう質問すると、大佐ではなくティアマト・カマリイが答えてくれた。


「…この医療転用はたった一人の女の子の為に行われているものなのよ。オーディン・ジュヴィが過去に生成した子機によってその子は大怪我を負ってしまって、両眼が見えなくなっているの」


「うむぅ…会わせる顔が無い…いくら余所者の仕業と言え…」


 オーディン・ジュヴィも暗い顔をしている。

 場にそぐわない、明るい声を出したのがバベルと呼ばれるマキナ、確かフルネームはバベル・アキンド。


「──そんな!姉さんが気にすることないよ!向こうのバベルがやらかしたことなんやから、な!そんな暗い顔しいなや!」


 "アキンド"って、多分"商人"って意味よね?関西弁だし。

 それから同郷の匂いがする、見た目だけではマジで性別が分からない。髪はベリーショートの茶、顔立ちは猫目で鼻も低く愛嬌がある。服装はダボついたアウターに下は短パン、唯一覗いている素足も程よく筋肉がついているのでマジで男か女か分からない。歳は子供三人より上に見え、テンペスト・ガイアより下に見える。こっちで言うところのハイスクールの年齢ぐらい?

 インドア派の男の子とだと言われたら納得するし、アウトドア派の女の子と言われてもやっぱり納得する。性別を判別する方法は一つしかない。


(あ〜脱がしたい)


 私たちの国では体を重ねるまで相手の性別が分からないなんてことが多々ある、そしてそれも恋愛する上で一つの楽しみになっていることも事実であった。

 どうでも良い話なんだけど恋愛する上で性別というものは関係がなく、バベル・アキンドのように生まれながらにして中性的に見える人は良くモテる傾向にあった。「え?あの人は男?それとも女?」といった具合に興味をそそられてしまうのだ。


「貴様に励まされても嬉しくはない…」


「いや俺はそのライラって子は知らんのやけどな、落ち込んでるジュヴィ姉見てるとさすがに堪えるで」


(えー!あの見た目で一人称が俺?!ますます興味が湧いてきたわ…)


 あれで本当に男の子だったら可愛くてアリだし、女の子でも最後までデキるのでアリだ。いや相手が男でもデキるんだけど後始末の事を考えたらやはり女が楽である。

 ──と、突然煩悩が全開になってしまったので慌てて脳内修正した。

 ニュースを一通り流した大佐が難しい顔をしたまま口を開いた。


「どう思う?今日まで抗議を続けていただけの医師会がついに動き出したんだ。やはりあの男の差し金だろうか」


 大佐のその読みには些か驚かされた。


「星察官と医師会に一体何の関係が?」


「ニュースで流れていただろう、医療転用に関連する全ての事業が凍結になったと。もし、我々がやっているこの作戦も医療転用に含まれたとなったら政府から中止の要請が出るはずだ」


 そんな馬鹿なとハデスが反論するが、


「理由付けなんてどうにでもなる、その男が医師会を動かし我々の邪魔をしてきたと見るのが妥当ではなかろうか」


「仮にそうだとして、あなたはどうするつもりなの?」


 プログラム・ガイアの問いかけに大佐がにいっと、口角を上げて答えた。


「──兵は神速を尊ぶ、という言葉を知っているか?」



「気分爽快だなあっ!!ここにこうして一度来てみたかったのだっ!!」


「めっちゃ私情…」


 場所は変わってウルフラグの副首都、ビレッジ・クックと呼ばれる超大型複合ビルの屋上である。

 いや厳密には"屋上"とは呼べず、太陽パネルの裏側に位置する場所に私たちは赴いていた。

 確かに広い、広過ぎる。高さ数百メートルに及ぶ太陽光パネルを支える支柱も天高く聳え、その足元にいる私たちはまるで小人になったような気分だった。

 大佐が指定した場所はテナントが入る前の工事現場であった。どうやらこのレアノスと呼ばれるビルは全て入札式で決められているようで、政府、民間、軍を問わず自分の居場所を確保できるようになっているらしい。


「いずれここに海軍本部が建つのかと思うと…胸熱だな!」


 大佐に付いて来たメンバーは私を含め、ラムウ、オーディン、それからポセイドンの四名だった。他のマキナは件の女の子の所へ向かっている、様子が気になるらしい。

 呵呵大笑と大風を吹かせていた大佐へ釘を刺す者が現れた。


(──あらやだ良い男!!)


「それはどうかなと進言しておこう、シュナイダー大佐。ここはレアノスの最上階にして最高の場所、ウルフラグ中がここを狙っている」


「──ちっ。来たか…この歳下大将め…」


「その言い草は何だ、無能な我らが誉れ高いお前たちの要請を受けてやったというのに。何なら他に頼んでくれても良いんだぞ」


 な、何?何故出会い頭からこう剣呑なのか...

 場の空気に乗り遅れた私にオーディンが鼻を摘みながら「ウルフラグの軍隊は皆んな仲が悪い」と教えてくれた。まだ煙草の臭いがするの?!


「それは失礼した。いや何、空軍のお前たちは空を飛ぶと豆粒程度にしか見えんからな、さっきの独り言が聞こえていたとは思わなかったよ」

「あ、あの〜…」

「お前たちの言葉は聞こえんがな、無能にのたうち回っている姿はいつでも見えていたぞ。筋肉ばかりにかまけていないで少しは脳味噌にもプロテインを送ったらどうだ」

「そ、そろそろシルキーが…」

「随分と直接的な皮肉だな、さっきの回り回った言い方はどうした?ま、お前たちに褒めそやされても嬉しくはないがな」

「と、というかもう先遣隊が〜…」

「奇遇だな、いくら皮肉と言えども海軍のお前たちを褒めただけで舌が腐りそうになっ──っ?!」


 ポセイドンの呼びかけを無視し続けてもはや口論になっていた二人の尻をオーディン・ジュヴィが殴りつけていた。


「いい加減にせんかこの馬鹿たれ共がっ!貴様らがそうやって好き勝手罵り合っている間にも臣下が汗水流しておるのだぞ?!──恥を知れっ!!」


「ぐっ……」

「……ふん」


 ようやく矛を収めた二人にラムウが主導権を握り、補修用の素材の生成に取りかかった。


「ガーランド大将、既にお前の部隊が到着している、このまま私の方から彼らに指示を出させてもらう」


「あ、ああ…」


 あんな小さな子供(見た目は)に怒られた手前、強く出られないのだろう。

 少し情けなく見える大佐と大将を前にして、無事にノヴァウイルスをコンテナごと運んできた特個体が着陸し、さらに昨日採取したばかりの仮想展開型風景用モニターも届けられた。

 後は彼らが研鑽を重ねて判明させた複製手順に則るだけである。だだっ広い現場に置かれたモニターの上から回収した豆粒大のノヴァウイルスをばら撒いていく。その様子を見ていたシュナイダー大佐が「ん?あの豆粒はもしかして特個体か?空軍は本当に良く見えないな」と懲りもせず皮肉を放ち、場にいた皆んなから顰蹙(ひんしゅく)を買った。少しぐらい空気を読め!

 生成されたコピー品は到底使える代物ではなく、仮想展開型風景用モニターの劣化版と言えた。

 同行していたノヴァウイルスの研究者は出来上がった劣化版モニターを見てしきりに頷いていた。


「…やはり質量保存の法則が成り立つのか。複製対象に見合った量でなければ劣化した物が出来上がる…」


 そんな彼にラムウが声をかけた。


「だが、穴を埋める程度ならこれで十分だ。風景は映し出せないが、強度と柔軟性は良く再現されている。後はこれを大佐の船に積み込むだけだ──よろしく頼む」


 最後は特個体のパイロットたちに向けられた言葉だった。

 ラムウの言葉に特個体のパイロットたちが元気良く応え、オーディンが「あれが理想の将だ。喧嘩ばかりしていないで少しは臣下を労え」とガーランド大将に釘を刺していた。



 星察官のあの男、不法侵入した先で現地人にバレてしまい、逃走した挙げ句にあえなく捕まってしまうような間抜けな奴かと思っていたけれど、なかなかどうして抜け目が無い奴でもあった。

 大佐の読みが当たったのだ。医療転用のみならず、その他のノヴァウイルスに関連する研究ならびに実験、そして私たちの作戦も「即座に中止せよ」と政府から通達があった。

 無事に生成を終えて後はカウネナナイへ向かうだけだった私たちは、レアノス内のパブリックスペースで足止めを食らってしまった。

 太陽光パネルはどうやら透過性も持ち合わせているらしく、大パノラマにビレッジ・クックの街並みが広がる光景を堪能できる。そんなスペースで大佐が一人眉間に皺を寄せ、端末に向かって唾を飛ばしていた。


「事前に承認を得ていたはずだが?!何故突然そんな事を言い出すんだ!!」


 おそらく電話の相手は政府関係者。はてさて、どこまで奴の手が伸びていることやら...


(権力に頼るのは権力者の常套手段ね…いやらしい戦いに慣れているわ)


 埒が明かないと思ったのか、大佐がもう一度電話口に吠えてから問答無用で通話を切っていた。


「──ここまで事が動いているのに今さら止めろだのと!軍の演習だけではないとあれ程説明したはずなのに!」


「軍の演習とは?」


 大パノラマの景色をほうっと眺めていたラムウが大佐に尋ねた。──ただ立っているだけでも絵になる良い男。そろそろ抱いてほしい。


「そのままだ、今回の作戦は軍の演習も兼ねていると外務省に説明していたんだ「─なっ、それはノヴァウイルスではなく演習の方を中止にしろと言われたのでは?」


 大佐の答えにラムウが少しばかりの驚きを見せ、その大佐はさもありなんとまた答えた。


「軍事演習という名目がなければここまで軍を動かすことができん、たった一隻だけであの穴を塞げるとでも?」


「そ、それはそうだが…」


「貴様、こうなると分かっておったから今朝のにゅうすを聞いて政府の動きを警戒しておったのだな?」


「ご名答。政府からの通達では、シルキー関連で係争することが確定した今、カウネナナイの賓客を招いている中で軍が他国へ赴くのはあまり快くは見えないようだ、だから中止にしろと言われた」


「──抜け駆け?」


「ああ、軍艦にその賓客とやらを乗せて亡命する気じゃないのかと疑われてしまうようだ。全くもってくだらない…」


「だが、それが人の心というものだ。他人だけ利益を得ようとしている様は誰にだって見過ごせるものではない」


 パブリックスペースに置かれた半円形のソファにそれぞれが思い思いに腰を下ろしている。こうしている間にも空いた天井の崩落が続いており、致死性を持った空気がマリーン内へ────ん?


(待って。確か、あの打ち上げ装置に乗り合わせていた現地人は生存が確認されているわ…それにあの男が唯一尋ねてきたのはその事だけ…)


 これはもしかしてもしかするかもしれない。


「どうかしたのかきよみ、さっきから顔色が百面相のように変化しておるが」


 私の傍にいたオーディンがそう尋ねてきた、顔に出ていたらしい。


「いいえ、何でもないわ。──それよりも大佐、これからどうされるおつもりで?レアノスを発った部隊がもう間もなく船に到着する頃合いだと思うのですが」


「ううむ…」


 二つに割れた顎(初めて見た)を撫でながら、大佐が考え込む。きっと、"軍事演習"という名目があったればこその今回の作戦である。その名目が無くなってしまい、大所帯の部隊を動かしたくても動かせないのだろう。

 オーディンのクラーケンだけなら無理くり作戦を続行できるが、補修用に生成した劣化版モニターを運ばなければならない。それはさすがにクラーケン単機では不可能だ。

 で、あれば...ここは一つ。


「私が一肌脱ぎましょう」


 格好付けて言ったつもりなのに、


「余はきよみが男だろうが女だろうが気にせんからな、好きなだけ脱げっ!「─いやそういう意味じゃないから!」


 冗談を言われて締まらなかった。



 星察官の狙いはマリーンの和平でもなければ、今回発生した事件を精査するためでもない。

 生存が確認された現地人だ。多分だけど私の読みは当たっている。

 であれば...政府から中止せよと通達された現状においても海を超える手立てはある。


「何?邦人の救出任務?」

 

「はい、おそらくですが私たちの邪魔をしている星察官はテンペスト・シリンダーに穴を開けた人物の回収か、あるいは口封じの為に攫うことが目的ではないかと」


「何故口封じをする必要がある?」


「外が安全になっているからですよ。私たちが受けた報告では、その打ち上げ装置に乗っていた現地人はパラシュートで装置から退避し、マリーンの屋上部分に着地したとありました。星察官の男は外が安全になっている事を誰にも知られたくないのです」


「…では、高濃度酸性ガスの侵入とはないと?」


「確証はありませんが、その本人が生きているのですから致死性ではないことは確かかと」


「補修に急ぐ必要は無い…?」


 私の話を聞いた大佐とラムウが、似たような仕草で考え込んだ。二人とも顎に手を当てている。


「だが、穴の崩落は進むのだろう?そう悠長にしておれんと思うが」


 オーディンの言うことは最もである。

 太陽の光りを背に浴びている大佐が厳しい目を私に向けてきた。


「何故その男は口封じをする?外が安全なのは良い事ではないのか」


「それだと困る団体がいるからですよ。テンペスト・シリンダーの方が安全じゃないと困るということです」


「……そうか」


 と、大佐は一言だけ告げて口を閉じた。

 場にいた皆から概ねの賛成が取れたので、まずはプログラム・ガイアに連絡を取った。(文字通り)部外者の私より彼女から話を通した方が良いと判断したからである。

 私が連絡係、そして他の皆は作戦を続行するという体で動き始めた。全くもって頼り甲斐がある現場である、上の判断を待たずに動いて暴走したら目も当てられないが。

 電脳から連絡を入れて通信が繋がった、しかしプログラム・ガイアの応答が何故だか素っ気なかった。


[……何?]


「い、いえ…もしかしてお取り込み中でしたか?」


 つい敬語が出てしまう、それぐらい彼女の声音が冷たかった。

 何事かと思えば──


[忙しいと言えば忙しい…ページを捲る手が止まらないから]


「────いやそれ私が貸してあげたコミック!!」


[あともう少しで読み終わるから待って………]とそのまま無言が続く。喋りながらも目はコミックを追いかけているようだ。


「プログラム・ガイア!勧めたコミックにハマってくれるのは嬉しいけど今は我慢して!あなたにやって欲しいことがあるのよ!」


[え〜もうちょっとだけ……………「ガイアっ!」──もう!これあなたが勧めたんでしょ!どうして勧められた人に邪魔を]と、しばらく文句が続き、本人がようやく落ち着いた。


[こんな事している場合じゃない。で、わたしは何をすれば良いの?]


「今から政府に邦人の救出に向かうから中止要請を解除してほしいと伝えてちょうだい」


[──ああ、そういう事か。分かった、人命は何にもまして優先すべきと伝える。それで、実際に救出は可能なの?これ駄目でしたってなったら二度カウネナナイに渡れなくなると思う]


「…………」


 そこまで考えていなかった、そもそも救出任務はただの()()だ。


[そうなったら次の渡航が最後、そこで不具合を残さず完璧に近い形で補修作業を終えなければならない。可能なの?]


「──いけるわ、救出任務も私に任せて」


[………分かった、ここは君を信じてみよう]


 あれ、まだ信用されていなかった?少しだけショック。

 何はともあれ話は通った。星察官の邪魔はあったけれど何とか作戦を元の道筋に戻すことができた。

 後は海を渡るだけである。



 七日目。

 七日目を迎えたのは海の上だった。辺りは暗く、船の明かりの範囲しか見えない。あるはずの水平線は夜空と同化し見分けることすら難しかった。

 カウネナナイに向かう船は全部で四隻、内一隻はクラーケンだ。補修用の金属もとい、劣化版モニターを積んだ船を護衛するようにオーディンの子機がゆったりと黒い海を泳いでいた。

 甲板に出ていた私は夜風を浴びながら、本部へ送るレポートをまとめていた。側から見たら黒い海へ視線をキョロキョロとさせているだけの不審人物、網膜モニターに表示されたワードアプリに虹彩ポインタを動かして文字を打っているのだ。

 ふと、背後に気配を感じて振り返る。


「私の邪魔をするという事は、覚悟はできているということでいいな?」


 船内をパトロールしていた海軍兵士だ、暗視ゴーグルにアサルトライフルを装備している。勿論初対面の相手だった。


「何をそんなに焦っているのですか?さすがに私も見過ごせませんよ」


「君は何も分かっていない、このままいけばマリーンはいずれ戦場になる」


「それを防ぐ為だと?」


「PMCが入り乱れた戦場は誰の手でもコントロールができなくなる、長年の間培った人類の叡智などもはや飾りでしかなく、原初の時代のように力だけが全てになる」


 何を訳の分からない事を...


「それをわざわざ伝えるために現地人にハッキングしたんですか?それはさすがに憲法違反でしょう」


「現場が行なった判断の良し悪しは上が決めること、そしてその報告は一つあれば十分だ」


「──!」


 体を無理やり乗っ取られた海軍兵士がアサルトライフルの銃口を上げ、私に狙いを付けてきた。

 舐めてもらっては困る、こういう荒事の為にこっちはある程度の暴力を持ち合わせていた。

 姿勢を落として接近、兵士がトリガーを引くより早くその顎に掌底を叩き込み意識を刈り取った。

 足から崩れた兵士が甲板の固い床に倒れ、その音が辺りに響き渡り他の兵士がすぐに駆け寄ってきた。


「何が──何をやった貴様っ!」


 側から見たら私の方が不審人物、何故こうなったのかと経緯を説明することすら出来ない。

 いやらしい手だが確実に()を潰せる方法だった。

 両手を万歳してホールドアップ、私は無言のまま指示に従った。



 自室に監禁されること数時間、つまり夜が明けた頃に事情聴取をする運びとなり、二人の兵士を従えたシュナイダー大佐がやって来た。


「で?何でこんな真似をしたんだ」


「…………」


「黙して語らず、か。あのな、ここは法廷じゃないんだ、黙秘権だとかそういう類いのものはない。何故私の兵に手を出したのか、その理由を尋ねているんだ、質問の意味が分かっているよな?」


「…………」


 尋問か、あるいは審問か、どのみち相手を理屈と感情で追い立てる術には慣れているようだ。凄味のある声は低く、そして少しだけ苛立ちが混じっている。それと同じくらい、加害者の立場も考慮した物言いはつい口を割りたくなるような気分にさせてくれた。

 でも言わない。


「…………」


「はあ〜〜〜…ま、元々お前さんは敵側だった人間だ、心変わりするのも不思議ではない。一応、耳に入れておいてやるが今日の(ヒト)(マル)には目的海域に到着する、後は作業部隊と護衛のクーラントを出動させるだけだ」


「…………」


「で、ここからが肝心なんだが邦人の救出任務はお前が言い出したことだ、プランも何も聞いていない、このままでは無手で帰ることになってしまう。それでもまだ黙りか?」


「…………」


 背後にいた兵士へ小声で「こいつは本当に良く分からんな」と言ってから再び私に向き直った。


「お前まさかトンズラこくつもりじゃないだろな?「──っ!!」


 な、何で分かったのっ?!


「お〜お〜顔に書いてある。私の兵に手を出してここから放り出されることを期待していたんだろ。邪魔してきた件の男と手を組んでいるのか知らんが、まあ、諦めることだ」


「なっ…ま、まだ私に何かさせようって?」


「聞いていたか人の話。救出任務だよ、少なくともこの十日間戦争が終わるまでお前は私たちの陣だ。いいな?」


「い、いや私は…そもそも成り行きでこうなっただけで…」


「何が不満なんだ?部下の待遇を改善するのも上官の務めだ、何でも言ってみろ」


「そ、そういうわけでは…」


 星察官の介入は私にとって有り難かったのは事実、迷わず攻撃することを選んだ理由はこの状況から離脱することにあった──。

 だってそうでしょう?本来は決して交わってはいけない間柄である、文明が違う者同士が触れ合えばこれからの歴史が大きく歪んでしまいかねないのだ、そんなの私には耐えられない、そんな強靭な精神は持ち合わせていない。

 けれど大佐は私を逃すつもりがないらしく、部屋から出て行く気配がなかった。自分の部下が乱暴を受けたはずなのに。

 大佐がふっと表情を和らげこう言った。


「……実を言うとこの状況でお前のような存在は手放したくないと考えている。我々を邪魔をしてくる相手に精通しているし、それに何より華がある」


「は?誰の事を言っているんですか?」


 マズいマズいと思いながらも、思いがけない褒め言葉につい反応を示してしまった。


「お前だよ。オキタが場にいると華やぐ、だからマキナたちと話し合って今回の件は無かったことにしようとなった」


「いやいや、殴られた本人は?」


「まだ目を覚さない。あれは昏倒しただけではなさそうだ、その辺りの事情もお前なら知っているんだろう?だから黙秘を貫いていた」


「…………」


「──その無言を肯定と捉える」と言い、腰かけていた椅子から立ち上がった。


「もうじきに到着する、それまで気分を切り替えておけ。なあに、誰にでも失敗はあるさ」


「…………」


 な、何だか上手く丸め込まれたような気がしないでもないけど...どうやら私にはまだまだ利用価値があるらしい。

 そう思わなければいけない、気を許しかけた自分を戒めなければ。



 私たちを乗せた船が予定通りポイントに到着した。ここに来るのは今日が二度目、そして私だけ初めてである。

 船団が停泊した位置から少し離れた所に、廃棄された石油プラットフォームがあった。以前、修理要請を出した班がマニュアルに従い強制介入をした現場だった。

 

「元気がないの〜」


 とくに外出禁止と言われていなかったので甲板に出て風に当たっていたところ、私がしでかした暴行を知っているはずのオーディンがそう気さくに声をかけてきた。


「仲間外れがそんなに嫌か?」


 またしても思いがけない言葉にえ、と反応を返してしまった。


「顔に書いておるわ、わたしだけ余所者です、とな。拗ねてるような〜悲しそうにしているような〜実に子供っぽい」


 子供みたいな相手に子供っぽいと言われてしまった。よくよく考えたらこの子の方が遥かに歳上だ、何せ二千年近く稼働しているのだから。


「…大佐もそうだったけどどうして私にそう優しくできるの?」


「さっきも言ったろうに、拗ねて半ベソかいている子をどやしつける大人はおらんよ。ん〜?どうしたの〜?と声をかけるのが筋だろうて」


「──拗ねてなんかないわよいい加減にして」


「やっと本音を言いおった。ヴァルヴ何たらは息苦しい所なのだな」


 オーディンも私の隣に並んで海を見やっている。これは本物の海ではない、過去の人類が覆った太平洋の一部でしかない海だ。

 それでも綺麗だと思えるのは何故だろう、それでもこの濃い潮の香りが愛おしく思えるのは何故だろう。私はここへ来て随分とセンチメンタルになってしまったようだ。


(そうよ、この自然が悪いんだわ…だから私はここから逃げ出そうと…)


 知らないうちに手すりを強く握り締めている、そんな自分の手に視線を落とす。


「ほれ、作業部隊が出発したようだぞ」


 目を向けるまでもなく、複数のエンジン音が耳に届き始めた。

 握り締めて白くなった自分の手から船の前方へ視線を向けると確かに、劣化版のモニターを携えた特個体が離陸しているところだった。その先頭には私に煙草を押し付けてきたヴォルターがいる、汚れたオレンジ色の機体だった。


「……私はね、今まで色んな所を回ってきたのよ」


「うむ」


「それが自分の性に合っていると思っていたわ。けれどそれって誰とも触れ合わず、ただ孤独を気楽に感じていただけだったのよ」


「ここは違うとな?」


 細かく分かれたモニターを何枚か持った作業部隊が高高度に達し、見えなくなったところで隣にいるオーディンへ視線を向けた。

 普段は子供っぽく、我が儘ばかりを言うオーディン・ジュヴィなのに、この時ばかりは歳上に見えた。落ち着いた瞳でじっと私を見上げている。


「…そうね、ここは今までの場所と違うわ。だから私ももしかしたらって…期待しちゃったのかもしれない」

 

「余たちの仲間になれるかもしれぬと?」


「…………そうね、マキナが一丸となって立ち上がった瞬間を見て、私も感化されたのかもしれないわ」


 それ程に初日の中継映像は衝撃的だった。

 私の素直な感想を聞き、褒め言葉と受け止めたらしいオーディンがふふんと自慢げに鼻を鳴らした。


「そうじゃろそうじゃろ〜余たちは一番歳が若いからの〜老いた者たちには無い感性がある」


 私も釣られてふふんと鼻を鳴らした。


「何よそれ」


「……まあ、余も本音を話せばこの状況にはちと驚いている面がある。ガイアちゃんが表舞台に立ったから、という理由だけではないだろう。余たちも数え切れないほどの失敗を重ねてきた、そしてそのどれもが孤軍奮闘故の暴走でもあったのは確か、それは他の者も変わるまいて。だからこうして互いの不満を飲み込んで手を取り合うことを選んだのだ。余はそう思っている」


「………」


「だからな、余たちがこういう状況だからきよみが誰に手を上げたとか暴行を加えたとか、そういう失敗があっても誰も気にせんのだ」と、そこで一旦言葉を区切り、その小さな手を振り上げて「──いちいち気にするでない!」ぱしん!と私のお尻を叩いてきた。まあまあ痛い。


「──きゃっ!何をするのよ!痛いじゃない!」


「そうそう、お前さんはオカマぶってるのがちょうど良い「オカマじゃないわよ!」


 優しかった瞳がなりを潜め、途端に厳しい目付きになってオーディンが言った。


「ヴァルヴエンドの連中が介入してくるはずだ。きよみ、お前さんも打てる手があるなら打て、余たちの失態で命を落とすのは今空に上がっている者たちだ。国土を守らんがため命を賭している戦士を守るのは将の務めぞ、肚を括れ」


「──分かったわ」


 ほんと私はこういうのが弱い、自分でもつくづく思う。アメとムチ、見事に使い分けたオーディンの励ましのお陰で意気地なしの自分に見切りを付けられた。

 星管連盟としての自分、星監士としての自分、今日までの自分、ほんとは臆病な自分。それをいっぺんに包み込んでくれるような、爽やかな風が通り抜けていった。



[何か良いことでもあった?]と端末越しに尋ねてきたのはオリジンのコンキリオである。作業部隊が出動したのでその援護を依頼した次の言葉がそれだった。


「そうかしら?いつも通りだと思うけど」


 あまり心根を悟られたくない私はしらを切る。


[ふ〜んあっそう…ま、どっちでも良いんだけどね。確認なんだけど私たちが介入しても問題は無いのね?]


「あるわよ、あるに決まっているじゃない。相手方にバレないように上手くやってちょうだい」

 

[今さらじゃない?ナツメが先走ったからあんたの立場が悪くなったんでしょ?んで、それを挽回するために顔バレまでしてマリーンに肩入れしてるんでしょ、ここまで来たらぱぁーっと派手にやった方がいいわよ]


「それは最後の手段よ。寸止めした方が後が気持ち良いわ」


[酷い例え…]と言ってコンキリオが通話を切った。


 こちらの準備は整った、後は向こうの出方だけである。

 少しだけビクビクしながら船のブリッジへ向かい、途中でラムウと合流したので一緒に行くことにした。

 私には無い堂々した雰囲気を纏うラムウが先を歩く、滑り止めが加工された通路を歩く音だけが耳に届く。ブリッジへ上がる階段に差しかかった時、ラムウがこちらに振り返った。


「堂々としていろ、そう肩を寄せていたら要らぬやっかみを貰うぞ」


「そ、それはどうも…」


 オーディンの言っていたことは本当らしい、私がやった事はあまり気にしていないようだ、それはそれでどうかと思うが。

 階段の手すりに手をかけたラムウがもう片方の手でピースサインを作り、自分の両目を差した。


「──平和は次の戦争までの準備期間という言葉もあるが、ここはその限りではない、とだけ伝えておこう」


「……?」


 何の話?

 言った本人は満足そうにして階段を上がっていた。

 到着したブリッジには既に大佐が艦長席に陣取っており、各管制官は現場に出ているパイロットたちへ個別に指示を出していた。

 独特の雰囲気を持つブリッジで少しの間固まり、ここまで来たんだからと意を決して大佐に近付いた。向こうの方から話しかけてきた。


「オーディンから聞いている。首尾は?」


 人に報告を求める人間は主語を使わないのだろうか?けれど、あの男と違って大佐はどこか優しい──と思うのはもう私が変わってしまったからだからだろうか?


「──既に依頼済みです、向こうも承諾して配置に付いているかと」


「連携を取れないのが難点だが仕方がない、期待しているとだけ伝えておいてくれ」


「分かりました」


 言葉はそれだけ。後は艦長席に設てあるモニターに目を向け始めた。

 

(さっきの話は何だったのかしら…平和は次の戦争までの準備期間?どういう意味なの?)


 ラムウの話は突然過ぎた。何の脈絡も無いし、確かその言葉は『悪魔の辞典』と呼ばれる本に書かれた一説だったはず──と、考え事をしていると周囲の視線が気になった。


「…………」


 管制官の一人が、明らかな敵意を持って私を見ている。そりゃそうだと自分でも思った、大佐やオーディンたちが優しすぎるのであって彼のような反応が当たり前だと思う、何せ味方に暴力を振るったのだから。

 良く見やれば彼だけではない、他の何人かも含みのある視線を遠慮なく私にぶつけていた。

 まるで見計らったようにラムウ・オリエントが一歩前に出て、国会答弁の時と同じように威厳のある声音で言葉を放った。


「沖田に文句がある者は直接言え。こいつは味方に扮した敵に銃口を向けられたのだ、それを迎え討ったに過ぎない」


「──!」


 心底驚いた。私を庇ったラムウを見るように、叱責を受けた管制官のように私も驚いた。

 あの時の事は誰にも伝えていないし一言も話していない、それなのに何故ラムウはまるで見てきたかのような言い方を...


(──目!そうか、プログラム・ガイアに目を盗まれていたんだわ…)


 何日か前に、意図したことではないが彼女とガイア・サーバーを通じて繋がっている。その時のバイパスを通じて私の視神経を掌握していたのだ。

 物言わぬ貝になった管制官たちに向かってラムウがさらに話を続けた。


「今回の敵は搦手(からめて)を遠慮なく使う卑怯な輩だ、心してかかるように」


 結局誰からも文句は無く、不承不承という空気はありつつも皆私から視線を外していった。

 最後にラムウが私に向かってこう言った。


「奴の思惑がどうかは知らぬが、ここを戦場にするつもりはない。お前も余計な事に頭を取られるなよ」


 ラムウは私が針の筵に座らされると踏んで庇いに来てくれたのだ。

 その思いやりに感極まった私はあろうことか、


「──抱いて!!もう一生あなたに付いて行くわ!!」


 と、叫んでしまい相手をドン引かせてしまった。

 などと、ブリッジでやっている間にも補修作業は続けられ、ついに貰いたくない報告を貰うことになった。

 クラーケンに乗船しているオーディン、それからオリジンのコンキリオから、二人同時だった。


[現れたぞシュナイダー!]

[沖田!網にかかった!]


 オーディンは船内の通信機から、コンキリオは電脳を通じて私にだけその声が響き渡る。

 大佐はオーディンへ、私はコンキリオに微細な報告を求めた。


「敵の数は?!」

[出現位置は?!]


[捉えた反応は一〇といったところだ!]

[テンペスト・シリンダーの最上層!外から侵入してきたみたい!]


 外から?という事は修理班に間違いない!それもパイロット資格を持つ強者揃いの班!


(あいつ、本気だわ…)


 大佐が作業部隊に一時撤収指示を出し、それからオーディンに部隊の援護要請を依頼した。


[分かっておるわい!だが!敵の位置がこれまた微妙でクラーケンの攻撃が届かん!急ぎ降下させよ!]


「敵の位置は?!」


 オーディンに変わって私が答えた。


「外からです、つまり敵は今テンペスト・シリンダー内の天井裏にいます」


「何でお前が──外部協力者か!──補修作業はどうなっている?!」


「崩落した箇所の補強作業が完了したところです!」


 管制官がそう報告した後、絶賛出動中の部隊から報告があった。


[ブリッジ!ブ……ジ!レーダー類に……が出て……!至急……を調査……たし!]


「何故ノイズが走る!すぐに原因を調べろ!」


 管制官が慌ただしく調べているが、ここからでは分かるまい、だからこそのオリジンたちである。

 オリジンのコンキリオに連絡を取ると、すぐさま悲鳴が返ってきた。


[あああ〜〜〜っ!!!!!]


「っ?!──うるさいじゃない!」


 つい地声で返してしまう、それぐらいうるさかった。


[何があったの?!作業部隊に電波障害が起こっているみたいだけど?!]


 尋ねても返事が返ってこない。

 現場の状況がさらに変わっていく。


[ブリ……!……カだ!イル……が空から……ってくる!あれが……なのか?!]


「は?今何と聞こえた?」


「イルカ…?イルカと聞こえましたね…」


 イルカ?何故ここでイルカなの?修理班にはそんな作業道具は無いし機体も無い。


「ブリッジからパイロットへ!カメラ映像をこっちに回せ!」


 ぷつりと切り替わった機体視点の映像がモニターに映し出され、そして確かに崩落した穴からイルカが降っていた。それも数匹ではない、ざっと見ただけでも一〇〇はいそうだった。


「何だありゃ、あれが敵なのか?」


[──コンキリオ!イルカはあなたの仕業なの?!]


 ようやく返事があった。


[仕業って言うな私の可愛い可愛い子機よ!それはそれはお世話になった頼もしいイルカさんよ!それがあんのクソ野郎たちのパルスで──通信障害回復!いっけええ〜〜〜!]


[ちょ──]


 止める暇もなく、空中で息を吹き返したイルカの群れがびくんと跳ね、まるで海の中のように泳ぎ始めた。

 何も説明を受けていない作業部隊はそれだけで大パニックである。


[何なんだこれは?!何なんだこれは!撃てばいいのか?!ブリッジ!ブリッジ!]

「オキタ!」

「あれは味方!撃たないで!」

[わあこっちに来た!撃つぞ!撃つぞ!ブリッジブリッジ!]

「撃っちゃ駄目!いいから撃たないで!」

[うわうわこっちにも来た!ぶつけられたらひとたまりもない!至近の個体から撃て!]


 まるでB級の映画のようだ、空を泳ぎ回るイルカの群れをロボットが撃ち落としていく、何なんだこの絵面は。

 脳内にきん!とした声が響いた。


[何で撃つのよ!イルカさんが可哀想じゃない!今すぐ止めさせて!]


「あなたが止めさせなさい!現場は大パニックよ!」


[今止めさせたら天井にいる奴らはどうすんのよ!このままだったらマリーン内に侵入を許すわ!]


「どうやって相手を迎撃するつもりなのよ!ただのイルカじゃない!」


[え?イルカさんをぶつけて相手を粉微塵に爆破する]


「──あんたが一番ヤバい考えしてるじゃない!イルカに謝れ!──撃って撃って!あのイルカには爆弾が仕込まれているわ!」


 今度はブリッジも大パニックになった。


「全員退避!退避!爆弾仕込みのイルカだそれは!!」


[大丈夫よ!設定した相手にしか起爆しないようになっているから!]とコンキリオが叫ぶが残念な事に現場のパイロットには届かない。

 通信機から何のB級映画だよ!と誰かが悲鳴を上げていた。

 距離を取った部隊から離れるようにして、爆弾イルカの群れが再び穴の中に突入していく。ほんと可哀想。──ってちょっと待って!


「コンキリオ!中には要救助者の人間がいるわ!そんじゃそこらでポンポン爆発されたら危ない!」


[何で今頃言うねんもう遅いわーーー!!!]


 え?何で急に関西弁なの?

 

[なっ、はあ?!ほんと何で今頃言うわけ?!そういうのって前もってこっちに伝えておくもんじゃないのっ?!]


「こっちの事情が変わったのよ!あんたのイルカさんで本人の位置は掴めないの?!」


[エコロケーションシステムを使えば何とか…他に黙ってることないの?!今のうちに全部言って!!]


「無い!それだけよ!」


 エコロケーションとは、イルカが持つパッシブソナーのようなもので、別名は『反響定位』と呼ばれている。イルカは体内に音波を放つ器官を持っており、その音波を頼りに周囲を調べることが可能なのだ。──そんな事はどうでも良い!!


「見つけたらこっちに連絡して!」


[ヨーソロー!]


「ふざけないで!」


 もう遠慮なく声に出してやり取りをしていたので、周囲の人たちからすれば私が奇異に映ったことだろう。

 機体の視点映像では、空を泳ぎ回っていたイルカの群れ全部が穴に突入した後であり、何も無い空が広がっているだけであった──かに思われたが、その穴から火柱が上がり始めたのでいよいよこの世の終わりかと思ってしまった。

 さすがに大佐も気付く、というか思い出していた。


「中にいる民間人は?!まだ救助が終わっていないんだろう?!」


「今コンキリオに──いいえ協力者に調べさせています」


 迂闊だったが後の祭りだ。


「コンキリオ…?──ほう、そうか、外の世界にもその名を持つ者がいるのか…という事は…」


 だがまあいいかとすぐに頭を切り替える、どのみち今の世界構造は既に露呈してしまっているんだ、今さらペナルティが増えたところで私の越権行為そのものが軽くなることはない。

 間隔を置いて上がり続ける火柱は、残酷な運命を背負わされたイルカたちの仕業だろう。次から次へと、時には散発的に、爆弾を背負わされたイルカの命の灯火がモニターに映し出される。

 それから程なくしてコンキリオから中にいる民間人の居場所を特定したと報告を受け、そのままあの二人に突入指示を出した。

 これで彼も──セバスチャン・ダットサンも『文明逸脱者』の仲間入りである。オリジンの人間に触れ、技術に触れ、文明の違いを知り、二度と元には戻れない知識体系を獲得してしまったことになる。

 ──私と同じ末路だ。



 B級映画のような怒涛な展開を迎えた初日の補修作業は予定していた工程より遅れた形で終了となり、明日から巻き返しを図る必要があった。

 それでも最低限の補強工事は完了しているので後はとんとん拍子で事が進むことだろう、私が要請を出したのに私の裏切りによって壊滅させられた修理班が居なくなったから明日からは平和のはずである。

 これがフラグにならないことを祈るばかりである。

 だがしかし、迎えた八日目は艦内警報から始まることとなった。

 

[当番の者は第二種戦闘配置!非番の者は戸締まりをした上で艦内中央の食堂に集合せよ!繰り返す─]


 第二種ということはまだ戦闘状況ではないという事、けれど危機が目前に迫っている事でもあった。

 私は当番制で乗船している訳ではないので遠慮なく食堂へ──と思ったのだが途中でテンペスト・ガイアと鉢合わせをし、そのままブリッジへ連れて行かれることになった。


「何で私なの?!」


「あなたの協力者が近くまで来ているからです!」


 私の協力者?ということはあのオリジン?

 状況が掴めぬまま到着したブリッジでは、またしても管制官たちからの厳しい視線に出迎えられることになった。けれどそれは私に対する非難ではなかった。

 オリエントのコンキリオだ。


[ちょっといい加減にしなさいって言ってんでしょ!こっちは昨日助けてやったのにシカトかコラああ!]


「オキタ、お前が対応しろ」


「こ、これは一体…」


「今朝方からコンキリオと名乗る女性から救難要請の通信が入ったんだが…のっけから向こうはクライマックスでな、こちらの問い掛けに一切応じず文句ばかりなんだ。挙げ句…ほら、あれを見ろ」


 大佐が指差す方角には、現地人に見せてはならないオリジンの船があった。正確にはグガランナのオリジナルマテリアル・コア、ぱっと見牛に見える馬鹿げた船である。


(あ〜〜〜何をやってんのよもう〜〜〜これ以上の面倒事は避けたいのに…)と、心で愚痴を吐くとそのコンキリオから「どうせ面倒事だと思って無視決め込んでいるんでしょ沖田きよみ!あんたが撒いた種よ!しっかりフォローしなさい!」


「──だそうだ」


「はあ〜〜〜…状況は…?」


 答えたのは大佐ではなくコンキリオだった。


[だ・か・ら!こっちの特別個体機に襲われてるって言ってんでしょいい加減にしろ!あのスケベ爺いを匿った途端これよ!一体何なのよ!]


「ほら、双眼鏡だ、お前が事実確認をして来い」


「はい…」


 そう手渡された双眼鏡を持って一人で甲板に出やる。双眼鏡を覗き込んだ先では確かに──何だあのスライム状の機体は...全身が泥状の物体に覆われているではないか、あれがオリジナルの特個体なの?

 観念して電脳を立ち上げ、コンキリオに連絡を取った。


[コンキリオ、あれは何?]


 ボリュームを抑えて正解だった、開口一番怒声が飛んできた。


[やっと繋がったコラああ!あんたこのド畜生がこっちは依頼を受けて[─静かになさい!あんたたちの船を襲っているアレは何なのかって聞いているの!]─だから特別個体機だっつってんでしょうが!ナツメたちが救出したスケベ爺いがそうだって言ってんのよ!]


 本人がそう言っている?つまりアレなのか?


[その本人が心焉の段階まで進めたって事なの?]


[はあ?そうなんじゃないのとにかくあの変な機体を追い払って!だいだらぼっちみたいになってるくせにハッキング能力があるのよ!そのせいでこっちは何も対応できないの!]


[またコアなアニメネタを…]


[あんたも良く知ってんじゃん──んな事はどうでも良い!とにかく助けて!このままじゃ自分の家に帰れなくなる!]


 今さらペナルティが増えたところでは言ったけれど、さすがにこれ以上文明逸脱者を誕生させるわけにいかなかったのでマキナに応援を要請した。

 相手はオーディン・ジュヴィである。──依頼して秒で後悔する羽目になった。


[オーディン、悪いんだけど[─その言葉を今か今かと待っていたうわっはっはっはっ!昨日は海から空の戦いを眺めておっただけだから不完全燃焼で夜も眠れなんだそもそも余は眠らぬがなあ!──いくぞ我が臣下たち!良く分からんが強そうな彼奴を叩きのめすぞ!]


 私たちが乗っている船が大きく傾ぐほど、超至近距離からクラーケンが飛び上がるようにして海中から浮上してきた。その飛沫が盛大にかかり、一瞬でびしょ濡れになってしまった。


「──きゃあっ?!ちょっとオーディン!気をつけなさいよ!」


 地声で怒ったところで届きやしない。水を得た魚のように、他のマキナたちが言った通り"脳筋"のオーディンは我先にとオリジンの船へ向かって行った。

 あんなものが急速に近付いてきたら本人たちはたまったものではないだろう、案の定コンキリオから通信が入った。


[何か敵が増えたんすけど?!]


[あれはこっちのオーディンよ、オーディン・ジュヴィ。そしてあのイカの化け物は彼女の子機、名前はクラーケン]


[…彼女?こっちのオーディンって女性なの?]


[そっちのオーディンは男性なのかしら?女性って言っても水着姿の幼女よ幼女]


 何が面白いのか、自分たちが置かれている状況を忘れてコンキリオが笑い声を上げた。


[ププー!あのオーディンが幼女!幼女ってマジでウケるんですけどとか言ってる場合じゃなかった!ヤバい!船内に浸水してきた!]


 ほんと賑やかな司令官である。

 オリジンの船に到着したクラーケンがその長い触腕で攻撃を開始した。取り付いていたオリジナルの特個体はその凶悪な触腕から逃れようと素早く距離を取り、応戦を始める。


[かーかっかっかっ!そんな攻撃痛くも痒くもないわああ!!]


 対するオーディンはクラーケンの触腕をまるでドラムスティックのように何度も何度も特個体目がけて振り下ろしている。その度に数十メートルの水柱が上がり、またしてもコンキリオから悲鳴に近い通信が入った。


[あいつヤバ過ぎだろ!さっきより状況が悪くなってるんですけど?!ヤバよりのヤバなんですけど?!幼女オーディンを引き剥がしてよ!このままじゃマジで船が沈没する!]


[そんなごちゃごちゃ言ってないであなたの方から離れなさい!特個体の掌握から逃れられたんでしょう?!]


[ドラッグ決めたドラマーみたいな奴の隣で動かせるか!こっちが叩かれちゃうじゃない!]


 文句ばっかりである。

 オーディンへもう少し離れるよう苦情を入れるが「人の子が余の戦に口を挟むでないわ!」と叱られてしまった。昨日のあの優しいオーディンはもういないようである。

 でも何故、オーディンのクラーケンは満足に動けるのだろうか?オリジンの船は特個体のハッキングを受けて行動不能に陥っていたはずなのに。

 

(…考えても分からないわ。とにかくこの状況を終わらせないと朝食すら落ち着いて食べられない)


[コンキリオ、救助したそのスケベ爺いとやらの人物と会話させて]


[早く引き取って!ナツメもアヤメも手を出されて皆んなうんざりしてるの!]


 どんな爺さんなんだ...

 コンキリオに繋がっていた回線が切り替わり、船の通信機越しにその件の人物から応答があった。


[ここは天国なり!絶世の美女に見知らぬ技術に包まれた奇想天外の船!何日も一人で慰めていたからもうこの美女たちが脳内と股間に直接作用して─]一旦通信を切る。


「え…マジでヤバいんだけど何なのこの人…」


 変わらず海の上ではヤク中の如きオーディンが触腕を振るい続け、救出した爺さんにはいきなり卑猥な話をされ、助けを求めて振り返ったブリッジ内はもう既に解散しつつあった。全部私に押し付けるつもりだ。


「──助けてよ!!」


 ブリッジの窓にへばり付く。管制官の一人がサムズアップで返し、そのままそそくさと逃げて行った。



「カウネナナイへ…帰国できない…とな」


 結局、だいだらぼっちのような特個体は何がしたかったのか、散々迷惑をかけた挙げ句ひっそりと退散し、そして私は単身オリジンの船に乗船していた。

 テンペスト・シリンダーの内部で生きながらえていた現地人もといセバスチャン・ダットサンにこれからの処遇を伝えるため、広いようで狭い船内に二箇所あるフードコートで相対していた。

 精悍な顔付きをした初老の男性だった。衣服はぼろぼろ、食事もまともに摂っていなかったせいか頬も痩せている。しかし、年齢にそぐわないギラついた瞳を持っていた。というか衣服ぐらい提供したらどうなんだと思うが、ここには元から女性しかいないので男性用の物が無いのだろう。

 彼に"文明逸脱者"としての定義を教え、そしてあなたも該当していると説明してあげた。


「テンペスト・シリンダー内の構造を知ってしまうのは単なる事故として処理されますが、さすがに異文明に触れたとなると…」


「では、彼女たちがそうなのだな?」


「はい、この際だから伝えますが、彼女たちはアジア方面にあるオリジンのテンペスト・シリンダーから来訪しました。ここよりさらに一〇〇〇年ほど歴史が進んでいます」


「一〇〇〇年…」


 何だろうか、彼はあまり驚いているわけではなさそうだ、かと言って興味が無いわけでもない。

 自分の胸の内を隠して私と話をしている、そう感じた。


「私はこれからどうなる?」


「マリーンから退去してもらうことになります。あなたの身柄はヴァルヴエンドが預かることになるでしょう」


「それはどういった所なんだ?」


「詳しくは話せません、現地に到着してからカウンセラーに尋ねてください」


「つまり私のような存在が他にもいるということなのだな?」

 

 質問責めだ。


「はい、他のテンペスト・シリンダーでも何らかの事情、あるいは事故によって自己文明外の知識を獲得して逸脱者になった人たちがいます」


「そうさな、ここには私が求めていた答えがあった。極限にまでエンジンの振動を抑えたあのローターの配置、それから一方向ではなく双方向から供給される圧縮空気…まるで針の筵にいる、婿入りした冴えない男を見ているようだった…」


(な、何その例え…意味が分からないわ)


「夢見た技術が実は不完全なバランスの上に成り立っていたと言いたいんだ。カンニングした気分でもあるし…肩すかしを食らった気分だとも言える」


「ああ、それはカルチャーショックの一種です。途方もない知識と技術を前にして人は己の無力さと無知さに虚脱状態を覚えることがあるんです」


「そうだな、確かにその通りかもしれぬ」


 そう口にしてはいるが、まだ瞳の力は衰えていない。

 少なからずの同情を持って締め括った。


「暫くここに留まっていてください。退去する準備ができましたらこちらからご連絡を差し上げます。あと、大変申し訳ありませんが今後一切の交流を禁じます、たとえご家族であったとしても絶対に連絡を取らないください」


 老人が酷く爽やかな笑顔で返してきた。


「ああ。心配せんでも私に身内はおらんよ。星になったさ」



 八日目はオリジンの船で過ごすことになりそうだ。

 セバスチャン・ダットサンと会話を終えた私はオリジンのコンキリオにあえなく捕まってしまい、故障した艦内設備の修理を迫られた。


「別にいいでしょうがこれぐらいのアフターケア!言っとくけど私もやるんだからね?!」


 とか言っているわりには全身をエンジニアコーデで固めているあたり楽しんでいそうだ。ツナギの下はノーブラの白T一枚、長くて惚れ惚れする白い髪はポニテでうなじを見せつけていた。


「分かったわよ、やればいいんでしょやれば」


「とにかく私とあんたで故障した箇所の洗い出し、それからグガランナに報告、これを迅速にかつ的確に行なってくれたらいいわ」


「ちょっと待ちなさいよ、結局グガランナが修理するんだったらあんたのそのファッションは何?」


「ん?そんなのただお洒落したに決まってんじゃん」


「…………」


「──あ!ナツメ〜〜〜!オカマ野郎も手伝ってくれるって〜〜〜」と本人の前で悪口を言いながらコンキリオが駆けて行った。

 ちょうど通路には何度か顔を合わせたことがあるナツメという長身の女性がいた、そしてあの二人の存在に気付いたセバスチャンがハァハァしながら前屈みになって走って行き、しばらく艦内中を鬼ごっこしていた。"スケベ爺い"の異名は本当らしい。

 その後、グガランナと連絡を取り合いながら艦内中を練り歩いていると、アヤメという女性から「早くあのお爺ちゃんを帰してあげて!お風呂覗かれた!」と苦情を受け、その後はナツメから「あの爺いここは貧乳、美乳、巨乳のおっぱい博物館とか宣いやがった!早く連れて行け!」と怒られたり、最後はコンキリオから「ナツメにこの服装褒めてもらえなかった…何が駄目だったと思う?」とどうでもいいのに重め相談を受けてしまった。


「はあ〜〜〜」


「ご苦労様」


 一通り回った後、バウムクーヘン型ブリッジとかいうクソふざけた名前の場所でグガランナと合流した。

 彼女だけは落ち着いているので唯一リラックスできる相手だった。


「ほんと何なのこの船の人たち、あの現地人も混じって混沌としているじゃない…」


 グガランナが飲み物を差し出してくれた。ここに来てようやく出された茶の一杯である。


「でも見ていて飽きないでしょう?」


「見ているだけなら、ね」出された飲み物で喉を潤してから「…それで、修理は終わりそうなのかしら」と尋ねた。


「問題無いわ、あなたがくまなく見てくれたお陰で作業もスムーズに終わりそうだし。助かったわ、ありがとう」


「あなたのその丁寧な人付き合いの仕方を是非他の皆んなにも教えてあげなさい、というか説教しなさい」


「ふふふ…考えておくわ」


 良いわあ...こういう大人の余裕を持っている女性も結構私の好みである。ラムウとは違った包容力を感じるので純粋に甘えたくなる。

 

「ところで、天井の補修作業はどうなっているのかしら?」


「それなら問題無いわ、昨日あなたたちが追い払ってくれたお陰で今日は作業に専念できるみたいだし、明後日には終えて帰国できると思う」


「そう、それなら良かったわ」


 まあ、その修理班は私が呼んだんだけど。本国では今頃私への恨みを酒の肴にして呑んだくれていることだろう。


(さあて…私は戻れるのかしらね〜)


 自身の置かれた状況を他人事のように感じ、出された飲み物を一気に飲み干した。

 


 九日目。

 補修作業は順調に進んでいるようだがどうやら不穏な動きがあるらしい。あの男、星察官が追加で部隊を投入したらしく、昨日は一日中修理班の監視下で作業が進められていたらしいのだ。

 現場に出ていたパイロットたちはそのストレスですこぶる機嫌が悪く、また飛行パフォーマンスにも影響が出ていたようだった。

 連絡を取っていたプログラム・ガイアから何とかしてくれと言われた。


[何とかして]


[何とかと言われても…あちらが手出しをしてこない以上、こちらだって何も出来ないわ]


[こうしてわたしたちにストレスを与えることが狙いだというのなら、実に陰険な相手だということになる。穴を塞ぐこと自体に何ら害は無いはずなのに、何故奴は邪魔をする?]


[もう少し待ってちょうだい、私の方で何とかしてみるから]


[あそう?ならいい。それじゃあきよみ、天井裏に潜んでいる部隊の露払いと最新刊のコミックをよろしく頼む]


[え?渡したので全部よ、まだ新刊は出ていないわ]


[なん……だとっ……]

 

 そのままプログラム・ガイアが通信を切った。ほんとマリーンにいる人間もマキナも自由である。

 結局私はオリジンの船で一夜を明けたのでまだ彼女たちのテリトリー内にいる、そして先程からフードコートの周りをコンキリオやナツメ、それからアヤメが走り回り、その後をセバスチャンが追いかけるというドタバタがひっきりなしに繰り返されていた。


「──静かにしなさいっ!!朝食が食べられないでしょうっ!!」


 走り去った通路奥へ怒鳴り声を上げ、途端に静かになった足音を聞いて満足する。

 静かになったフードコートで一人、ふうと息を吐く。今から連絡を取る相手の事を考えれば緊張も止むなし、である。


[ご機嫌よう、と言えばいいかしら?]


[……沖田君、君は一体どんな神経をしているんだ?何故私に連絡が取れる?]


[お互いに手を取り合いましょう。あなたが探していた現地人は今この場にいます、彼を引き渡すのでどうかマリーンから退去してください]


 そろそろと皆んながフードコートに入ってくるのが見え、そしてその後ろを当たり前のようにセバスチャンが付いていた。意外と仲良し?

 周囲を観察するだけの間が開き、こちらから追撃を仕掛けようかという時に返事があった。


[それで君に一体何の得がある?今さら君が協力的になろうがここでの越権行為はこちらから報告させてもらうぞ]


[お好きにどうぞ]


[何が狙いなんだ?──まさか沖田君、君は…]


 ──まあ、ここも悪くないなと思い始めていたのは事実。いいや、求めていた場所はここだった、と言うべきか。


[はい、今回限りで星監士を返上しようと考えています]


 対する男の返事は心底こちらを馬鹿にした笑いだった。

 

[──はあ…久しぶりに笑ったよ、いいよ、その冗談で今日までの不始末は全て水に流そう]


[いえ、本気なのですが…]


[仮にだ、上から除名が許されたとして君はどこで生活をしていくつもりなんだ?まさか身近にいるマリーンのマキナたちが家族になってくれるとでも?…のぼせ上がっちゃいけないよ沖田君、マキナたちが君に優しくするのは利用価値があるからだ。星監士としての立場を失った君に何ら価値は無い、秒で捨てられるのがオチだ]


[──自分で決めた事ですので]


[そう言って連盟から離れていった星監士をごまんと見てきた、そしてその誰もが幸せになったところを見たことがない。心身ともに疲弊して廃人のようになってヴァルヴエンドに帰還してくる者は見たことがあるがね]


[…………]


 私の無言を肯定と捉えたのか男が勘違いをし、そのまま話を進めた。


[まあいいだろう、君が逃亡してくれるのならこちらも余分なレポートを作成する手間が省けるし、クライアントが欲しがっていた人物も確保できる。そうだな、せめてもの情けとして最後まで君は職務に全うしていたと報告しておこう]


[それはありがとう。こちらの準備が整ったらまた連絡するわ]


 心臓はバクバクだ、自分でも良くネゴシエイトできたと思う。

 でもこれで全て解決した、はず...セバスチャンだけが心残りだがどのみち彼はマリーンから退去しなければならない身だ、いくら彼に同情したって私にはどうにもできない。

 それから私は自由になった...つもりだ。今回の件の報告を最後に行方をくらますつもりでいる、すぐに捜索隊が派遣されるだろうが奴らの撒き方なら心得がある。私を置いて逃げ出した星監士直々の方法なんだから効いてもらわなくちゃ困る。

 ふうとまた息を吐くと声をかけられた。


「話はもう終わったのか?」


「え?ああ、ごめんなさい、私の事を待っていたのね」


 ナツメだ、それからその隣にコンキリオ、反対側にアヤメが座っている、彼女たちもこのテーブルで朝食を摂るらしい。

 そして謎にセバスチャンが私の隣に座っていた。昨日まで着用していたぼろぼろのローブではなく、検査衣のような簡素な衣服に代わっていた。

 おそらく女性用だろうに彼はそれをすっぽりと被っている、それだけ筋肉が衰えているはずなのに股間だけが異様に膨らんでいた。

 食事の前に彼へ一言。


「準備が出来たわ、早くても明日の朝にはここを出る、そのつもりでいて」


「随分と早いな、まあしょうがないか…ならば今日はお前たちの胸を少しでも堪能ぐっふっふっふっ………」


「オキタ、ほんと頼むからこいつマジで何とかしてくれないか?」


「明日まで辛抱してちょうだい。それよりあなたたちね」と、自分で用意した朝食をフォークで突きながら続きを話す、「少しはグガランナの落ち着きを見習いなさいな、この船でしっかりしているのは彼女だけじゃない」


「はあ?」

「は?」

「グガランナがしっかりしてる?」

「確かに胸はしっかりしておるな」


 思ってもみない反応が返ってきたので危うく食べ物を落としかけた。


「そ、そうじゃない、あなたたちみたいに走り回ったりしないし、いつでも船の事を気にかけているし。彼女の優しさに少し甘え過ぎなのでは?と言いたいの」


 頑張って最後まで言い切るが「何言ってんだこいつ」という視線を四人分もらってしまった。ほんと目だけで訴えてくるの止めてくれる?それただのKYパワハラよ。


「はあ〜〜〜オキタは何も分かってない。だからそんな事が言えるんだ」


「な、何も分かってないって…何よ」


 アヤメが何でもないようにこう言った。


「とりあえずご飯食べてからグガランナの私室に行こっか。今は非番だからリラックスしてるはずだし」


 だから何なんだ?その当番非番に何か違いがあるのだろうか?

 ──大アリだった。


「はぁはぁ…アヤメぇ…アヤメぇ…ああもう我慢でき──」...の辺りで、覗き込んでいたグガランナの部屋から私だけ逃げ出していた。



 一日ぶりにやって来たウルフラグの船は何というか、もう撤収ムードが漂っていた。


(何なのアレ…マリーンヤバすぎ…選ぶテンペスト・シリンダー間違えた…?)


 それ程までに彼女は狂っていた。アヤメの写真がプリントされた長方形の枕にしがみついて...駄目だ、思い出すことすら脳が拒否している。

 私がいない間にも作業は順調に進んでいるようで、やって来た初日と比べて船内はいくらかリラックスしているようだった。そこかしこで乗組員同士が談笑し、これまたそこかしこで「マキナはヤバい」と話し合っているようだ。

 何がヤバいのか、それはすぐに分かった。


(この震えるようなビートを刻んでいるのは誰?)


 通路にいても耳に届く、音がしている場所はどうやら食堂のようである。見知った管制官が遠巻きに中を覗いていた。


「何をやってるのよ」


「ああ、アレを見てください」


 オーディンだ、どこから持ってきたのか本当にドラムスティックで食堂の机をバシンバシンとリズムに乗って叩いていた。


「不完全燃焼〜〜〜!余は不完全燃焼〜〜〜!逃げるな逃げるな強い敵〜〜〜!余はここにいるぞ〜〜〜いっ!」


 すっかり私への警戒を解いた管制官に視線を向けると「隊員の私物を勝手に拝借したそうですよ。本人は涙目になっていました」と教えてくれた。

 ──とまあ、あれだけ問題が起こっていたにも関わらず、まるで忘れてしまったように何事もなく平和に九日目を過ごした。

 夜に行われたマキナの全体会議では、当初計画した予定の約九割は完遂したと報告され、こちらも明日の作業を最後に撤収できる目処が立てられた。

 その日の夜に作業部隊の援護についていたヴォルターと再会し、またぞろ煙草を勧められたが秒でお断りを入れてやった。子供たちに遠ざけられるぐらいなら吸わない方がマシである。

 自室に引き上げベッドに仰向けで倒れる。


(はあ…上手くやっていけるかしらね…あの男にも辞めると伝えちゃったし今さら後戻りはできない…)


 これからの生活を考える、不安と緊張と、そして新しい日々に期待が膨らむこの高揚感。


 ──だが...物事というものは、世の中というものは本当に思い通りにいかないものだと痛感させられた。

 迎えた翌る日、プログラム・ガイアが設定した期日の最終日。セバスチャン・ダットサンを星察官に引き渡し、後はウルフラグに帰るだけだった私に一報が届けられた。


「──あの爺さんが逃げ出した?!何処へっ?!」


 答えたのはオリジンのコンキリオ。


[知らないわよ!昨日の夜は確かに部屋に入ったはずなのに朝迎えに行ったら既にいなかったの!船内中を探したけどどこにもいない!]


「どこにもいないって…まさか海へ?」


[ここから陸地まで数十キロ以上離れてるわ!そんなのあり得ない!……けど、どうしよう?もう迎えは来ているのよね?]


(あの爺さん…元から逃げ出すつもりで…道理で少し変だと思ったのよ、全く取り乱さなかったから…)


 ここで奴との約束を反故にしてしまったらどうなるか分かったものではない。テンペスト・シリンダーの外へ飛び出し、そして生きて帰ってきたあの爺さんを回収するのが目的だったあの男が何をしでかすか...


[あなたたちは待機してて、人探しは人海戦術に頼る以外にないわ]


[わ、分かった]


 自室を飛び出してブリッジへ向かう、大佐に報告し人手を貸してもらう、それしかここを安全に抜け出す方法がなかった。おそらく奴はまだここを監視しているはずだから。

 昨日の夜は今日からの自分を期待して胸を高鳴らせいたのに、突然のアクシデントのせいで茶々を入れられたような気分だった。その焦りが足に伝わり上手く動かせない。

 つんのめるようにして到着したブリッジでは大佐とプログラム・ガイアが話し合いをしていた。二人とも無事に作戦を終えて頬が緩んでいる、そんな二人に事情を伝えて協力を求めるが──求めるが...


「それはできない」


「ど、どうして?!そうだという約束をしたから星察官は私たちに手出しを止めたのよ?!もし引き渡せないと言ったら──」


 私が暴行を働いても優しい瞳を向けてくれた大佐が非情に言い切った。


「それはこちらには関係が無い事だ。関係が無い事に兵を割くことはできない」


「────」


 絶句した。まさかここに来てそんな事を言われるとは夢にも思わなかったから。

 心臓が嫌な鼓動をしている、足に力が入らない。耳元で鳴っているのは自分の心臓の音か、それとも船のエンジン音か、分からなかった。

 

「そんな…私は皆んなの事を考えて──そんな事を言うんだったらどうしてあの時私を船から追い出さなかったのよ!」


 プログラム・ガイアが口を開いた。


「君に利用価値があったから、ただそれだけ」


「……………」


「そして思った通り君はヴァルヴエンドの情報をこちらに流してくれた。わたし言ったよね?────」









 気が付くと、私は自動販売機の前に立っていた。

 いつの間に船を降りたのだろう、辺りは既に薄暗く、自動販売機の明かりが煌々と輝いていた。

 自動販売機の周りを小さな羽虫が飛んでいる。空気はとても濃く、潮と木々の匂いが鼻をついた。


(あれ、何でこんな所にいるんだろう…)


 手持ちは何も無い、マリーンの通貨さえないのにどうして販売機の前に立っているのか。

 辺りを見回す、少し遠くに停泊している船の群れが見え、見慣れた埠頭の姿があった。ここはどうやら海軍方面基地の近くらしい。


 ──わたし言ったよね?ヴァルヴエンドの人たちには退去してもらうと。


 ブリッジでプログラム・ガイアに言われた言葉が強制的にリフレインした。そしてすぐに胸が締め付けられた。


 ──元よりわたしはヴァルヴエンドの君を迎え入れたつもりはなかった。君が勝手に勘違いして心を開いただけ。


(ええそうだわ…そうよ、少し優しくされただけで勝手に舞い上がって…あの男の言う通りになったんだわ…)


 とんだ道化だ、私は道化になってプログラム・ガイアの掌で転がされ、そして作戦が終わった途端に捨てられたという事だ。


 ──君のお陰でわたしたちの戦争は無事に終えることができた。その点には感謝しているけど、星監士としての仕事はわたしたちの知るところではない。君が彼を連れて行くのは君たちの勝手だ。


 ええ、全くもってその通り。でも今となってはもはやどうでも良い、どうでも良かった。

 半ば無意識のうちに電脳を立ち上げた、まだ星監士としての能力は生きているようだ。

 私はそれを初めて私的利用をし、他人の口座に不正アクセスをして販売機に売られている物を買った。

 売られていた物は煙草だった。


(一度ぐらいなら別にいいでしょ)


 認証カードなんてありはしないのでタッチセンサーに人差し指の指紋を押し当て無理やり購入した。がここんと間抜けな音を立てて買った煙草が落ちてきた。


「……あれ、これどうやって取ればいいのよ…」


 汚いプラスチックのカバーを引っ張ってもびくともしない、ならばスライド式かと横にずらすが変わらず、ああ押して開けるのかと手を押し込むとすんなりと開いた。


「──ああ、火が無いわ、火が無いと…」


 せっかく買ったのにこれでは吸えない。

 自分の置かれた立場より、買った煙草が吸えないと途方に暮れていると声をかける者が現れた。


「使え」


 そう言って、いきなり何かを投げてきた。

 ヴォルターだった。


「……ありがとう」


 彼は何も言わずじっと私を見ている。私は見られていると自覚しながら、それでもどうでも良かったので煙草の封を開け、一本取り出して火を付けた。

 煙を吸い込んだ瞬間から口の中に苦味が広がり、やっぱり胸も痛くなった。


「げっほ……」


 吸い込んだ煙を吐き出す。鱗状の雲に隠れた沈む太陽に照らされ、吐き出した煙がもうもうと天に上っていく様が見えた。

 もう一度吸う、今度は胸に痛みが走らなくなり、そしてもう一度吸い、そしてもう一度吸い...そしてもう一度煙を吸い込んだ。

 火を付けた煙草は思っていたより早く無くなり、あっという間に短くなった。


「落ち着いたか?」


「……まあね。で、何か用?」


「うちに来ないか?特殊安全保証局という場所だ。お前みたいな曰く付きの輩がうようよといる」


「私が?冗談じゃない、もう誰にも裏切られたくないの」


「裏切る?誰が誰を裏切ったんだ?」


「あんたねえ……」


「お前が勝手にのぼせてマキナの連中を勝手に信じただけだろ、それは裏切られたとは言わない」


「…………」


「ガイアに住民票の作成を依頼してみろ、すぐに作ってくれるはずだぞ。そうすりゃお前は俺たちの仲間入りだ」


「どうして私なの?」


「ただの勘だ、お前は俺たちの職場で役に立つ。どうせ行く当てもないんだろ?もう一本吸って良く考えてみろ」


 言うだけ言ってヴォルターが背中を向け、何の未練も残さず去って行った。

 やる事もなかったので彼の言う通りもう一本火を付け、また天に上っていく煙に思いを馳せた。

 まだ電脳が生きているなら──


[………ガイア、聞こえているかしら?]


 まだ生きてはいるが、自分の音声にノイズが走っている。既に逃亡者扱いを受けている証だ、もう間もなく私はただの人になる、脳味噌に埋め込んだCPUもただの飾りになることだろう。

 返事があった。


[聞こえている。君に尋ねよう、君はヴァルヴエンドの使者?それともただの沖田きよみ?どっち?]


 ──ああ、そういう事かと、良く理解した。


[ただの沖田きよみよ、ここにはもうヴァルヴエンドの使者はいな──]


 言い切る前に私の音声が遮断されてしまい、それでもプログラム・ガイアには届いた。


[歓迎しよう、沖田きよみ。ようこそマリーンへ、ここはもう君にとっての故郷、我が子なら全力でサポートする]


 太陽が、山の嶺に沈んでいった。

※次回 2023/1/7 20:00更新


本年最後のアップです。

どうでも良い話かもしれませんが、本来は年内で書き切るつもりでいました。ただの"つもり"で終わってしまいましたが。

もう少しお付き合いくださると嬉しいです。

来年もどうぞ、テンペスト・シリンダーをよろしくお願い致します。



✳︎



 と、危ない危ない、きよみの事に頭を取られてウイルスレンチン作戦を失念していた。


「舞台は整ったかな」

 

「ええまあ…ええまあ一応は整いましたけど…本当にやるのですか?」


「有言実行」


 意気消沈として目が虚ろになってしまったきよみがふらふらとした足取りでブリッジを後にし、その後わたしたちは艦載機を退かして甲板に集まっていた。

 甲板に整った舞台を見て、傍らにいるテンペストはそわそわしてる。そわってる。


「準備は良いかなー?」


 辺りをふよふよしている、ふよってるラハムたちに声をかける。ティアマトが生成した子機の群れがそれぞれの持ち場に付いた。

 少し離れた位置では大佐の兵士たちが興味津々に見守っている、決して見せ物ではないのだがこの際仕方がない、中には瓶ビールを持っている者すらいた。


「では〜〜〜始め!」


 わたしの掛け声を合図にして、ラハムたちが一斉に電子レンジへノヴァウイルスを放り込み始めた。

 

「はあ…ここまで集めただけでも一苦労だというのに…後始末の事を考えただけでゾッとしますね」


「うん、わたしも考えないようにしている」


 ウイルスレンチン作戦。文字通り電子レンジでチン!するだけである、だが電子レンジの数が尋常じゃない、ここまで集めたテンペスト・ガイア天晴れ!と言いたい。勿論言うだけで何ら褒美はない。

 チン!チン!チン!チン!チン!片っ端から電子レンジのチン!が鳴り響く。そしてこんがり焼けたノヴァウイルスを取り出して次のノヴァウイルスをラハムが放り込んでいく、ただひたすらそれを繰り返す。


「ラハムに人権が無くて良かった「いやその発言自体が問題有りですからね?ほんと人前では言わないでくださいね?」


 甲板の中央にはこんもりとした山がある、全部ノヴァウイルスである、はっきりと言って少し気持ち悪い。けれどあれがナノ・ジュエルと同じ働きをするって言うんだからほんとオリジンのわたしは狂っていたと言わざるを得ない。


「あれ待てよ…あのノヴァウイルスを使って作者を増やせば毎日新刊が読めるのでは…?」


 わたしの独り言を無視したテンペスト・ガイアがレンチンされたノヴァウイルスを回収しに行った。そしてこんがりほやほやのウイルスを掴んで「熱い!」と一人悲鳴を上げている。たまにアホな事をする残念な子だ。


「う〜指先が……これを見てくださいガイア」


「うん、酒のつまみにちょうど良さそうな大きさ」


「いやそういう事ではなく。きちんと破壊されているようですね」


「良かった良かった。──ラハム〜頑張るんだよ〜わたしは部屋でゆっくりしてるからね〜「駄目ですよ!現場監督は現場に居てください!」


 チン!チンチンチンチン!チンの大合唱である、遠巻きに眺めていた兵士たちは大盛り上がり、あれが世界を救う作戦だなんて信じられないとビール瓶をあおりながらケタケタ笑っている。

 そんなこんな小一時間レンチン作戦が続けられ、そして悲劇が起こった。


「な、何だあれは?!」


 テンプレみたいな驚き声を上げた兵士が見やる先、こんがり焼けた軟骨のような山から奇怪な生き物が顔を覗かせていた。軽くホラーである。


「こっわ!何あれ気持ち悪い!」


「あれは何でしょうか…どうして破壊されたノヴァウイルスから──ああ何かこっちに来ましたよ?!」


「鶏の怨み?!レンチンすんじゃねえよみたいな?!」


「いや鶏は関係ないでしょう!早く逃げてください!」


 テンペストに手を引かれるまま甲板を後にしようとするが鶏の化け物の方が速く、軟骨を撒き散らしながらもう目前にまで迫っていた。

 外野にいた兵士たちが素早くライフルを構え攻撃をしてくれる、撃たれるたびにやっぱり軟骨が辺りに散り、それでも勢いが止まらなかった。もう完全なホラーである。


「何だこいつちっとも効かないぞ!」

「いいから撃て撃て!テンペスト様をお守りするんだ!」

「我らが親衛隊の底力を見せつけてやれ!」


 うおおお!とテンペストの親衛隊を名乗った兵士たちが壁となって撃ち続けた。わたしはそんな事より、


「いつの間にそんなに人気者になっていたのテンペスト!このわたしを差し置いて親衛隊を結成するだなんて!」


「嫉妬している場合ですか!彼らが勝手にやった事です!私は関与していません!」


「無償の愛だと?!本物の人気者じゃない!くぅ〜〜〜!」


「いいから走って!」


 いやほんとあれは何なの?どうして軟骨の塊から鶏みたいな化け物が生まれたの?ノヴァウイルス謎過ぎる。

 壁になった親衛隊のお陰で距離を取れた、少し離れた位置から化け物を良く観察してみれば、こんがり軟骨の集合体であることが分かった。


「あれやっぱり壊れてなくない?何かお互いにくっ付いているように見えるんだけど」


「そんなはずはありませんよ!どんな電化製品でも電磁波を食らえばひとたまりもないはずです!」


「いやそれ何年前の情報なの?今令和だよ?昭和じゃないんだよ、いくらでも電磁波対策取れるでしょ」


「そんなっ…私の作戦が間違っていたなんて…」


「うんやっぱり焼こう、それが良い、どんな生き物でもマグマに突っ込めば溶けるんだから。──火炎放射機持ってこ〜〜〜い!」


 アイアイサー!と現れたのは絶賛欲求不満中のオーディンだった。


「あれが余の敵…あれさえ屠れば余は満たされる…」


 水着姿の幼女が火炎放射機を持ってくつくつと笑うところはなかなか様になっていた。ぶっちゃけ怖い。


「オーディン、好きなだけ焼いてきて」


「アイアイサー!!」

 

 鶏の化け物からいくら軟骨を投げつけられようがものともせずオーディンが駆けて行き、退避命令もせずに無言で火炎放射機をぶっ放した。


「うわあっつ?!」

「オーディンだ!オーディンが来たぞ!逃げろー!」

「それ俺のドラムスティックっ?!何で腰に差してんだよ!返してくれよ!それ大事な物なんだよ!頼むから〜!」

「諦めろ!先輩の形見より自分の命だ!」


 酷い、鶏の化け物より恐れられている。

 何が一番ヤバいってこんな状況でもラハムたちが作業を続行している事である、あの子機には撤退するという概念が無いのだろうか?無いのだろうな。

 火炎放射機で焼かれ続けた鶏の化け物がついに動きを止め、そしてその場で丸焼きにされてついに倒れふした。


「まだだ〜まだ余は足りぬ!もっと強い奴持ってこ〜い!」


 いややっぱり撤退の概念はあった。オーディンがまだ未処理の山にまで手を付け、辺りにいたラハムが一切に逃げ出した。


「プログラム・ガイア!どうするんですか!オーディンが暴走しましたよ!」


「大丈夫…代わりはいくらでもいるもの…」


「一番最悪な台詞の使い方!」


 でも、これはこれでわたしが望んだ展開でもある、テンペストが進言してくるまで元々焚べるつもりでいたんだし結果オーライである。

 だがしかし、そう世の中上手く事が運ぶことはない。直で焼かれたノヴァウイルスがポップコーンのように弾け始めたのだ。


「うわあっつ?!こっちに飛んできた?!」

「ああ大変大変あっちこっちに?!──オーディン!今すぐ止めなさアッつ!!」


 チン!の次はポン!である。

 ポン!ポン!ポン!ポン!ポン!弾けたノヴァポップコーンが他に影響を与え連鎖反応を起こし、甲板の上があっという間にフライパンのように、飛んでいったノヴァポップコーンが人々を襲い、四方へ飛び散り収集がつかなくなってしまった。


「今すぐやめろーーー!!!!!」


 シュナイダー大佐の怒号が響き渡ったのは言うまでもないことだった。

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