第97話
.エンドカウントスタート
久しぶりに再会したレギンレイヴは霰もない姿で拘束され、冷たい石畳に転がされていた。
同情、そして後悔。袂を分けた相手と雲泥の差を感じ、痛々しい彼女の姿を直視することができなかった。
「誰かと思えば…」
「…久しぶりね」
「今度は国王の手先か、貴様も忙しいな。昔は手前の手先だったというのに」
「………弁明はしないわ、自分で選んだ道だもの」
レギンレイヴの言葉に息を飲む。
「次は誰を裏切るんだ?」
「──っ」
「まあ…もう手前には関係の無い話だがな…辱めを受けるんならまだ同業者の方がマシだ」
「私は──」
見張りとして付いている刑吏の男が急かしてきた。
「お喋りをしろと言ったんじゃない、こいつから情報を聞き出せと言ったんだ」
「──だそうよレギンレイヴ──いいえリン・ディリン」
「…………」
「降伏勧告に従って、他の皆んなにもそう伝えてちょうだい」
「貴様がやればいい。戦乙女の矜持が残っているなら人の頭を使わず自分でやれ」
「コネクト・ギアがないわ、私はもう皆んなとお喋りすることすらできないの。──どうして離反したの?司令官の目的は何?」
リン・ディリンがふっと目線を逸らした。
「…さあな、手前たちにも知らされていない事だ」
「あなたたちは納得しているの?それとも司令官に使われているの?」
「少なくとも今の生活には満足している。──そうだな、一人抜けたからじゃないのか?」
「…っ──それと、あの鹵獲した機体は何?」
「さあな、手前に聞かれても分からんよ」
背後に立っていた刑吏の男が突然、桶に入っていた水をリン・ディリンにかけたではないか。それも決して新鮮な水ではない、腐った臭いが鼻をついた。
「…何をやっているの?」
「お前たち二人がギアで内通しないように保険をかけておいたんだ」
この男...頭がおかしいんじゃないのか?ギアが水に濡れたぐらいで故障するとでも思っているのだろうか。
「次はお前だ。二人並べたらどちらかが口を割るかもしれない、同じ目に遭いたくなかったら──」
リン・ディリンがそれを拒絶した。
「冗談じゃない──プロイだ、あの機体はプロイにいるオーディンとディアボロスというマキナが用意したものだ、詳しい仕様は二人に聞け」
「あんた……」
「誰が裏切り者なんかと肩を並べるか」
男が下卑た笑みを浮かべて気安く肩を叩いてきた。
「──ご苦労だった、もういいぞ」
「──ちっ」
余程私のことが嫌いらしい、まあ元々私もこいつのことが好きではなかったので今さらだ。
そんな私の心を見透かすように最後に彼女が言った。
「なあヒルド──いいやフラン、どうして手前たちのような人間が一つになれたんだろうな。保険のために遣わされた暗殺者に人間爆弾だった小僧、それにセレンで工作活動をしていた手前と貴様」
「そんなもの決まっているわ、全部スルーズのお陰よ」
「スルーズのせいとも言う。──こんな思いを味わうぐらいだったら──」
彼女が何かを言いかけるが私はそれを遮るように独房の扉を開け放った。勿論彼女は驚いている。
「………」
「拭いてあげるわ、その体」
「…何の真似だ」
「真似も何も、臭いでしょ、その水。ただの気まぐれだから気にしないで。──別にいいでしょう?これぐらい」
「ああ、別にいいぞ」
嫌らしい笑みを浮かべている男の視線を背に受けながら私は彼女の体を拭いてやった。
「…礼は言わん」
「──そうですね、あの時からあなたは他者に対して礼儀というものが一つもありませんでしたから、ディリン様。誰が懐こうが信奉しようが必ず手を切る──カゲリも同じ目に遭わせたのでしょう?」
「……っ」
拭いて少しは綺麗になった彼女の体を抱え起こし、壁に背中を預けてやった。
「皮肉なものですね、あなたの下に付いていた人間は皆、あなたから離れた途端に元気を取り戻すんですから」
「………貴様っ」
「──これでおあいこよ」
別れの挨拶なんかしてやらない、あとは無言で踵を返し彼女の傍から離れていった。
✳︎
「お仲間は口を割ったぞ、ウルフラグの女。あとはお前から裏を取るだけだ」
最近の捕虜の扱いは結構悪くないらしい。身包み剥がされて拘束具を付けさせられているが、思っていたよりも独房の中は暖かかった。
だからと言ってこの待遇が良いというわけでもない。手足を縛られて身動きが取れない私の前に男が二人、今にも扉を開けて中に入って来そうな雰囲気を出していた。
「しつこいぞ、私はただ乗っていただけだ」
「そうかい……まあ、あとは好きにしていいと言われているんだよ俺たち、裏取りはそこまで重要じゃないしな。──いやあ我慢した甲斐があったってもんだよ、なあ?」
隣にいる男と何やら下世話な会話を始めた。あれも脅しの一種だろうがお生憎様だ、犯されると分かっていても口を割ってやるつもりは微塵もなかった。
(あいつらに義理立てする必要もないんだけどな。……それにしてもあの機体は……)
この馬鹿二人を相手にしなかったのが功を奏した。独房に新しい人影が入ってきた、それは女だった。
「国王陛下の命令で来ました、後は私がやります」
これ見よがしな舌打ちをして去っていく馬鹿二人。そして私を見下ろす女、髪をツインテールにしている。
「初めまして、と言えばいいでしょうか」
「初めましてだろ、私はお前を知らない」
「あなたがセレンの島からスルーズを運んでくれた人なんでしょう?そしてフロックとも仲良くしている。違いますか?」
「──ああ、そうか、君がヒルドか。確か私と入れ替わるようにして除隊したんだったか?」
「そうなります」
「どうしていきなり除隊したんだ?」
「あなたに関係ありません。私がここに来たのはあの機体について尋ねるためです」
「お前に関係ない。私がカウネナナイに戻って来たのはデューク公爵と話をするためだ」
「………」
「………」
「埒が明きませんね、ずっとそんな調子だったんですか?」
「お前が私を犯してくれるっていうんなら答えてやってもいいぞ。あんな冴えない男連中に抱かれるぐらいなら─「─いいでしょう」─へ?」
うそ?本当にヒルドという女が...女の子が中に入ってきた。そして拘束具をはめられている手をまさかの片腕で持ち上げ私を膝立ちにさせた。
「お好きな場所とかありますか?」
「いやその…そういう事務的な感じはちょっと…」
「もしかして初めてですか?そんなはずはないでしょう」
え?ヒルドってこういうキャラなの?私が聞いた限りではとにかく稽古好きの我が儘ツンデレキャラという、およそ他人と体を重ねられるようなイメージではなかった。それなのにこの慣れた手つきに無感動な目、そういう性癖を待っていたら一発で落ちていた。
(女王様気質?そんな感じでも……──!)
ヒルドの手が伸びてきた、思わず体をくねらせてしまう。
「もうちょっと嫌がるとか軽蔑するとかこっちは──」
「あなたが犯せと言ったんでしょう?吐いてくれるまで続けてあげますよ」
ええ何それ予定外!一瞬だけリーシャの顔が頭を過ぎったのは少なからず良心が残っているからだろうか。
「いやマジでほんとっ」
「歳下に嬲られるのはお嫌いですか?」
「な、な、な、何でそんなに慣れてんだよっ」
「誰かに使われる人間ってとかく色んな事を覚えているものなんですよ。ウルフラグでは違うのですね」
ああ!力が強いからビクともしない!
早く早く早く早くっ──。
「さあ…力を抜いて──」
──間一髪!!外から激しい爆発音とその振動が独房にも届いてきた。
「何これ…何の音?!──まさかっ」
ヒルドの手が私から離れていく、それを少しでも"惜しい"と感じてしまった私はやっぱり駄目な人間なんだろうか、最近ご無沙汰だったし。
「あと少しで変な性癖に目覚めるところだった!──危ないから離れろっ!」
せめてもの情け、それ以外にない。
ヒルドが何かを口走る前に独房の壁が轟音と共に崩れ、特個体の手が伸びてきた。
「その機体は──フロック!」
鈍い光沢を湛えた特個体の色は"緑"、きっとぎりぎりまで光学迷彩を使っていたに違いない、だからこそ王城なんていう中枢まで侵入できたのだ。
特個体の手のせいで独房の中はぐちゃぐちゃだ、お陰でヒルドの接近を拒んでいた。
「──ナツメさん!遅くなってすみませ──ああ?!何て格好をしているんですか!」
「いいから!ここから出してくれ!」
「ああ、ああ!見えちゃいけないものがっ──」
「待って!フロック!」
「──!!ヒルド…」
「あ、待ってそういうシーンはマジであとにしてくれないか?!私の救出を最優先で──最優先でお願いします!」
ついに歳下に敬語を使ってしまった、不思議と悔しくなかったのは何故だろう。
顔を真っ赤に染めながらもフロックが拘束具を外し、そして腕伝いにコクピットへ向かうよう指示を出してきた。
「ヒルド……何故……」
「それはいい!それより何なのよこれ!あんたたちは本当に……これじゃ正真正銘の賊じゃない!」
「いいえ、ボクたちはただの賊ではありません、故あっての事なんです」
「王都を攻撃することが?!それがあなたたちのやりたい事なの?!」
「はい、ボクたちを解放するためにはこれしかないと結論に至りました。ナツメさんとレギンレイヴはただの時間稼ぎ、今頃ヨトゥルが救出に向かっているはずです。──ヒルド、次はありませんから、だからお願いですから二度とボクたちの前に姿を現さないでくださいね」
「──フロック!!」
ヒルドの悲痛に近い叫びは特個体のエンジン音に掻き消され、仲間だったフロックの元には届かなかった。
✳︎
厠小屋だと思っていた謁見の間がある建物の前からでも彼女たちの機体が見えていた、青、紫、緑、そして──白。
「──そんな!」
「ナディア様!お早く中へ!」
カゲリちゃんに手を引かれるままシュピンネの中へ、ハッチが閉じられると同時にくぐもった音が地より伝わってきた。
「まさか攻撃してるの?!」
カゲリちゃんの部下にあたる女の子が素早く答える。
「はい!」
そんなはずはないと現実を否定しながら見上げる空にはやはり四機の戦乙女、そして見たことがない機体が中央にいた。
(あれは一体──)
その機体を良く見ようにも、シュピンネが重力に逆らう動きをしたので危うく舌を噛みそうになった。
ぐんと上がる高度、四機の戦乙女は陣形を崩さず王城から北へ、ただただ広がる絶海に向けて進路を取っていた。
私たちは反対方向へ、しかし──
[ガルディアだ。ちょうど良い所にいた、すぐに奴らを追え]
「シュピンネの中には──」
[命令だ、戦乙女が──各貴族から支援を受けた遊撃隊が本丸を攻撃するというあってはならない事が起こった。取り逃せば重罪は免れないと思え]
「…いいよ、行こう」
「──了解しました」
[シュピンネのドローンをお前の機体に同期させる、上手く使え]
「この機体で戦乙女を墜とせと?」
[何の為に与えたと思っている、それは飾りじゃない]
高くジャンプしたシュピンネが本殿前で一度着地し、そして再び来た道を戻るためもう一度高く跳躍した。城の至る所から計五機に及ぶシュピンネが姿を現し、国王が言った通り私たちが乗っている機体に追従するような形で歩みを進めていた。
本当にこの機体で戦えという事らしい。
「ご、ごめん、私の我が儘を聞いてもらったばっかりに…」
「いいえ、どのみちです。シュピンネを持っている私たちはどのみち招集をかけられていたはずですから」
カゲリちゃんの部下が慣れた手つきでレバーを操作して背中の砲門を構えた、北へ進路を取っている四機の戦乙女がもう間もなくカウネナナイの制空圏を離脱しようかというとき──
「──警告!ロックされている!」
「言わなくても分かってますよ!」
「──リン様……」
(リン…様って、あの青い機体のパイロット…?)
確かに青い機体も同様に狙いを付けていた。
(もう威嚇でも何でもいいから一旦ここは逃した方が──)
けれど、私の"逃げ"の気持ちが叶うことはなく、空飛ぶ戦乙女と鋼鉄の蜘蛛との間で火蓋が切られた。
──物事というものはいつでもそう、突然始められてこちらの意志に関係なく進められてそして勝手に終わっていくものだ。セレンの時と何も変わらない。
こちらの砲撃が空を切り裂き青い機体へ、しかし着弾することなくそのまま空へと消えていく。陣形を組んでいた四機が散開し、スルーズとフロックが不明機の護衛、レギンレイヴとヨトゥルが空域に残った。
「当たるわけないじゃん!無理ゲー!」
「他のドローンも使って何とか追い込んで!」
「い、いいの?!あのパイロットはカゲリちゃんが知ってる人なんじゃっ…」
「いいんです!ナディ様は気にしないでください!──気を遣われたところでどうにもなりません!」
そこへ再び国王から通信が入る。
[直にカイの軍が到着する──誰が戦えと言った逃すなと言ったんだ!お前たちは今すぐにスルーズ機と守られている不明機の跡を追え!捕獲できなくてもその足跡を辿れいいな?!]
「──こんのクソっ──」
ヨトゥル機から複数のボールが地上に向かって投擲されている、方角はそれこそあちこちに。知っている兵装でいえばあれは"ヘカトンケイル"、自律型の殺戮兵器である。
「気を付けて!」
シュピンネの移動方式が接地からタイヤへ、長い年月をかけて手入れされてきた庭に八個の轍を残しながら移動を開始した。
投擲されたヘカトンケイルの大きさは二メートル弱、シュピンネより小さいが数が多い、囲まれたら十分脅威になる相手だった。
「ヴァルキュリアの目的は何なんでしょうね?!それさえ分かれば動きようもあるんですが!」
「そんなの本人たちに聞くしかない!今はとにかく接近して!」
(──ノラリスがいればっ)
もう乗らないと決めた無口な相棒を思い出す。あのシステムを使えばヴァルキュリアたちの動きを止められるが今はここにいない。
不明機を護衛するように陣形を組んでいた四機、レギンレイヴとヨトゥルが私たちの足止めをして残りの二機がそのまま絶海へ逃走するかと思っていたのだが──
「新しい反応ありますよ!数は二つ!高速で接近中!」
「どこから?!」
「──海から!」
「消えた!スルーズとフロックが消えたよ!」
ヘカトンケイルがこちらに向かってくる中、確かに海から二本の筒が飛び出していた。前にも見たことがある強襲揚陸装置、その二つの筒が城を起点にして二手に別れた。
「──フロックのせいか!さっきのはダミー映像!」
「もう撃つからねええ!!」
接近してきたヘカトンケイルを手前からガトリング砲で撃っていく、激しいマズルフラッシュに枯れ葉のように舞う殺戮兵器、けれどやっぱり数が多い。
「取りつかれた!」
ハッチの上から聞こえてくる金属音、このヘカトンケイルは足止めに良く使うらしい、以前の私も同じ手を食らっていた。
こうなったらもう不明機がどうの言っていられない、それは国王陛下も同じなのかまんまとヴァルキュリアの戦法に引っかかってしまい、大層慌てていた。
[くそっ!あいつら全力だ!何だっていきなり──不明機はいい!お前たちはガイア・サーバーに向かえ!死守しろ!]
「あっち行けこっち行けって!もう通り過ぎましたよ!」
カゲリちゃんが反発するように吠えるがしまったと思った。
[──ガイア・サーバーが何なのか分かっているのか?少なくともお前たちには初めて口にしたんだがな]
「それは──」
[若頭!頭に変なのが張り付いてますよ!]
別の部下だ、きっと同型機のシュピンネに搭乗して応援にやって来てくれたのだ。
頭上を騒がせていた不吉な音が止み、そして再び警告音。メインカメラにはレギンレイヴが真っ直ぐこちらに照準を合わせているのが映っていた。
(避けられない──)
けれど、そのレギンレイヴの真横から殺到するミサイルに助けられて射線から逃れることができた。尾を引く煙を辿れば、応援に駆けつけてくれたシュピンネの機体が見晴らしの良い丘の上で。
「逃げて!!」
カゲリちゃんが叫んだ直後、丘の上に火の手が上がった、レギンレイヴの砲撃の餌食になったのだ。
「──ああ、そんな……」
一瞬だった、ありがとうと伝える前に...一瞬だった。
そうだ、争いというものはこういうものなんだ、人の命なんて数秒もあれば潰えてしまう。
(私が…私が皆んなにお願いしたから…ここにいなければ…)
少なくとも、カゲリちゃんの部下が死ぬことはなかった。
唐突に始まり唐突に人が死ぬ。それが戦場だった。
✳︎
「──ヴァルキュリアが本土に攻撃を開始した?!それは本当なのですか?!」
[ここはコクアの約定を用いてお前たちにも協力を要請する、持てる戦力で対応にあたってほしい。完全に裏を突かれた、捕虜が陽動となって侵入を許してしまった]
「ヴァルキュリアの狙いは?」
[不明だ、ただ、守るべきものがあまりに多すぎる、ヴァルキュリア討伐の為に軍を放っているから街の守りが手薄なんだ。それだけじゃない、フロックの擬態に惑わされてカイ全体の配備も撹乱されてしまった、このままではルカナウア側の港も奴らに押さえられてしまう、そうなったら俺たちはお手上げだよ、食糧が底をついてしまう]
「我々が持てる兵力では……」
[スミス少佐、カウネナナイを救ってくれと言っているんじゃない、俺に貸しを作れと言っている。……必ず返す、だから今は無謀だと分かっていても出動してくれ]
「……善処致します」
[頼んだ]
いやだから善処だって...通信を切られてしまった。
(ああどうするんだいきなり戦闘だなんて…)
ここ最近はずっと船上生活を送っていたせいで鍛錬をしている体以外、つまり頭が腑抜けてしまっていた。
けれど、あたふたしている暇がすぐになくなってしまった。
管制官からの報告ですぐに考えがまとまった。
「カイの港より報告です!ヴァルキュリアのスルーズ機が単機でこちらに向かっているとのことです!──どうしますか?!」
「──第二種戦闘配置!艦載機の全ては起動後甲板にて待機せよ!それからカウネナナイの国内にいる全てのクルーに連絡を取って安否確認せよ!」
(国王陛下には悪いけど、もしクルーが戦闘に巻き込まれていなければ──ウルフラグへ逃げさせてもらう!)
しかし、
「ナディ・ウォーカー、それからキシュー・マルレーン、ミラー兄妹の計四名の安否確認が取れません!」
叫び出したい気分に駆られるがぐっと堪える。
「──直ちにバハーへ帰投するよう指示を出せ!何があっても戦闘に巻き込まれるなと厳命しろ!クルーを回収した後すぐさまカウネナナイより離脱する!」
幾重にも延びる桟橋の向こうでは既にカイの軍が臨戦態勢に入っていた、数少ない防衛隊の船だ、他の主戦力は全て出払っているため帰港するにも時間がかかる。
そこへ颯爽と白い機体が現れた。太陽光を反射し己の存在を地上にいる人間たちへ知らしめるようにして飛んでいる。
港の全てを管理している埠頭へ連絡を入れる、すぐにでも離脱を図りたかったがそう問屋を卸してはもらえなかった。
[お待ちください!府長の判断無しに出航させることは禁じられています!]
(ちっ!やっぱり私たちを閉じ込めていた!)
防衛隊の船から機人軍の特個体が離陸していく。けれど機体は空に上がることなくスルーズ機の正確無比な射撃に撃ち堕とされていた、コクピットに一発。
その様を見ていた副官がスルーズ機に向かって吠えた。
「──何て卑怯な!」
「卑怯でも何でもない、ここは既に戦場だ、やられた方が悪い」
そうだ、私もあの時それを経験したはずだ。セントエルモの初船出の日、ジュヴキャッチのメンバーは卑怯も正攻法もなく瞬時にブリッジを制圧してみせた。
人は自分の命がかかると道徳心には構っていられなくなる、それだけ"必死"という事だ。
ギアが切り替わる、ここでむざむざ防衛隊を見殺しにすると次は私たちの番だ。
「防衛隊の援護に入る!上空にいるスルーズ機へ牽制射撃を仕掛けろ!CIWSを起こせ!」
バハーの動向に気付いたスルーズ機がCIWSの射線から一足先に逃れた、だがその隙に後続の特個体が離陸を成功させ何とか防衛線を構築することができた。
防衛隊の指揮官から通信が入る。
[余計な真似をするなこの野蛮人どもめ!黙って見ていろ!]
「…………」
どっちがだ、味方がやられてなお援護に入らなかったのはそっちだろうに。
「──甲板に待機している全てのパイロットへ!別命あるまで待機!」
パイロットたちには悪いが八つ当たりをさせてもらった、突如として起こった戦闘に対する混乱や苛立ちをぶちまけ、ようやく私も落ち着きを取り戻せた。
国内でシルキーの回収や調査の仕事をしているセントエルモのクルーたちと無事に合流さえできれば、あとは国外へ脱出するだけである。ヴァルキュリアが攻撃を仕掛けてきた理由と目的は不明だが、間違いなく私たちウルフラグとは関係がないはずだ。
(ヴァルキュリアが離反したタイミングは、私たちセントエルモの調査開始と被っている…ノラリスの鹵獲を目的として何度か自国内に侵入も許していた…)
いや待てよ...私たちも十分危険なのではないか?ノラリスの機体ならバハーの格納庫にきちんと格納されている...これもしかしてマズい?
(──ちっ!ああ!レイヴンクローさん!今すぐ戻ってきてほしい!私では優れた交渉ができない!)
あの国王陛下はノラリスもヴァルキュリアたちの目的の内に入っていると知って協力を要請してきたのだ。
つまり、"ノー"とは言えないお願いすなわちそれは"命令"と同義である。
頼むから追い返してくれよと祈りながら空を見上げるが、"戦乙女"と二つ名を付けられるその実力を見せつけられてしまった。
「一方的だ……」
副官の呟きが現状を物語る全て。
スルーズ機は迫り来る機体を一機ずつ、それこそ丁寧に撃墜していた。左右を挟まれようが前後から波状攻撃を仕掛けられようが、スルーズ機はきちんとした位置取りを行ない無理のない応射で防衛隊の機体数を減らしていた。
「マニュアル通りと言えばそれまでですが…それにしたってあの軽やかさといい…まるで機体が射撃に吸い寄られているような…」
予測射撃に近い、スルーズは敵に合わせて銃口を向けているのではなく、敵の動きを読んで先に撃っている。副官の言い方は的を得ていると言っても良い。
「余程目が良いのだろう…それにそれだけ周りを見ている証拠だ」
スルーズは接近されようが狙撃されようが確実に位置を変え、そして変えた位置も絶好の反撃ポイントになっている。動体視力もさることながら、きめ細やかな操縦技術も脱帽ものだった。
(あれが味方であればさぞかし…だが今は敵だ)
戦場の状況が刻一刻と変化していく、スルーズ機が単独で場を支配するかに思われたがルカナウア・カイの本隊がついに戻ってきた。
さらにカウネナナイにいるクルーから救援要請も入る、場所はルカナウア側の港から、戦闘に巻き込まれてしまい身動きが取れなくなったと連絡があった。
(ちょうど良い!彼らを盾にして救援へ!)
「離陸する部隊の援護に入れ!」
甲板で待機していた艦載機(翼型)がカタパルトから発進する、カイの本隊を前にしてまさか私たちだけをスルーズが狙い撃ちするとは思えない。その予測は見事当たり、そしてまたハプニングが起こった。
[こちらシューミットです、僭越ながら一部の小隊をそちらに付けましょう。ええ、礼には及びません、いずれ私の花嫁になっていただけたらそれで十分ですか「─ああありがとうございました!」
お返し重すぎない?
[ふふふ、冗談ですよ。あなたのお顔を拝見できないのが実に残念です、すぐに状況を終わらせてまた伺うとしましょう。それでは]
(男がふふふて…上品なのかオカマなのか…)
言った通り、きちんと私たちの部隊にカイの小隊が追従し始めた。
断れない形で借りを作ってしまい、どんどん私たちも巻き込まれていくのであった。
✳︎
フロックが使用していた二機のダミー映像に対し王城に配備されていた特個体は追撃の構えを取っていたが、海中から出現した本物の二機に出し抜かれた形となり防衛線をいたも容易く突破されてしまった。
侵入を果たしたスルーズとフロックはそれぞれカイの港、ルカナウアの港を攻撃、不明機と捕虜として捕らえていた二人を救出したレギンレイヴとヨトゥルは王都の制空権を何の苦労もなく掌握していた。
全くもって腹ただしい、今期のヴァルキュリアたちは停戦協定が結ばれたあとに結成したので実戦を知らぬはずだ──にも関わらずこの強襲にこの練度、実戦経験を持つパイロットを相手にアドバンテージを握り続けていた。
だがそれも時間経過と共に崩れる、いずれ俺たちがアドバンテージを取り返せるはず、ルカナウア・カイのみならずルカナウアやルヘイの軍を投入すればこちらの勝利だ。
(となると、奴らの目的はいずれにせよ電光石火にある。そろそろ……)
やはり来た。当たり前のように城へ乗り込んで来た。
戦乙女を束ねる男、オーディンだ。
「ガイア・サーバーへ通してもらおう」
たったのそれだけだ、ここまで事態を悪化させた事に対する詫びや既に被害者が出ている王都に対して何ら謝罪の言葉がない。
「理由だけ尋ねてやる、その後は即刻─「─戦乙女たちのギアは俺と同期している、俺が死んだと分かればもはや誰にも止められない」
「脅しか?」
「それならこの場で俺を撃ってみせろ、もとより死は覚悟している」
司令官としての正装である黒いロングコートに身を包んだ男の全身は全てが義体だった。
「話を戻そうか、何の為にガイア・サーバーへ行く」
「全てのしがらみからの解放だ、今日まで戦い続けてきた乙女もついでに解放させてもらう。──こんな事はもうさっさと止めるべきだ」
「何の話だ?乙女たちの解放だって?ガイア・サーバーが取り込んでいるとでも思うのか?」
「お前は戦い終えた乙女を見たことがあるのか?」
「…………」
「記憶を保持していないから対面しても分からない?この国の何処かで幸せに暮らしている?だから知る必要も調べる必要もない?──そんな事はない、全て実験の結果として保管されているんだよ、そして次は今の乙女たちだ」
「とんだ与太話だ、そんな事実は無い」
「あるはずがないさ、ドゥクス・コンキリオが隠蔽しているのだから。──ヨトゥル」
オーディンがそう呟くと天にいた紫の死の鳥が素早く舞い降りてきた。
太陽を背にしたお陰でメインカメラが緑色に深く輝いている。不細工な飛行ユニットを大きく広げ、羽の代わりに一枚一枚丁寧に対人兵装が取り付けられていた。あれが起動すればこの場にいる全員皆殺しだ、逃げられない、そういう兵器だった。
「死にたくなければ案内しろ、死にたいのなら殺してからサーバーの場所を特定する」
「──やれるものなら」
側近たちが短く悲鳴を上げるが逃げる時間はなかった、本当に起動させたのだ。
飛行ユニットから解き放たれた一枚の羽が変形し、被弾率を極限まで減少させた"ナナフシ"の姿となって側近たちに襲いかかった。
迫り来る自律兵器の群れ、一般人ならまず逃げられないが俺は一般人ではない。
「お前……」
群れを形成している自律兵器のどれもが俺を襲おうとしない。
「保険だよ、王になったあかつきには冠だけではなく専用のコネクト・ギアも装着する。それのお陰でヨトゥルのヘカトンケイルは王だけを認識しないようになっている」
自律兵器を放った張本人が呆れている、言わずもがなだ。
「お前、自分だけ助かると知って俺を挑発したのか?」
「それが人の上に立つ者の覚悟だよ、誰を見殺しにしてでも己だけは生き残らなければならない。でなければ貴様みたいな賊に国を乗っ取られてしまう」
自律兵器の一体を掌握し、オーディンへ向かわせた。これも国王たる者の特権だった、ヴァルキュリアに限らず全ての軍の機体をこちらである程度コントロールすることができる。
だが──自律兵器の鋭い手ではまるで歯が立たなかった、オーディンの硬い体に刃が通らなかったのだ。
自分の首にあてがわれた鋭い手をオーディンが握り、ほんの少しの動作で自律兵器を床に昏倒させた。あとは頭を一踏み。周囲で惨殺されていく側近たちと同じように、自律兵器も頭をもがれた状態で動きを止めた。
「ガルディア、お前では俺に勝つことはできない」
「全身を義体化させただけの男が偉そうに吠えるな」
「それだけだと思うか?強靭な体を使いこなせる術に長けているのは俺の方だ。──下らない問答をしに来たのではない、ガイア・サーバーに案内しろ」
「そりゃお前たちには制限時間があるからな、だが生憎こっちにはない」
「…………」
「…………」
凄惨な光景に似つかわしくない晴れ渡った空の下、鋼鉄の乙女に見守られながら俺たちは暫く相対し続けた。