第96話
.カワイの子供たち
鼻が細長く、そして短い手足を持つ動物の赤ちゃんだった。円な瞳にまるでレスラーのような黒い模様を持つその生き物を当時の僕たちは知る由もなく、ただ町の子供たちと一緒になって可愛がっていた。
驚いた事にその生き物はとにかく食事を取ろうとしなかった、水だって飲もうとしない、その代わりに良く睡眠を取っており、寝ているか町の子供たちと追いかけっこをしている姿が常であった。
その変わった赤ちゃんは僕には懐かず、妹のアルヘナに懐いていたのを今でも覚えている。僕が仲良くなる方法を妹に尋ねた時だ。──生涯を共にすることになった告白を受けたのは。
──わたし、しょうらいはお兄ちゃんのお嫁さんになる!
──うん、いいよ、ぼくもアルヘナだったら幸せにくらせそう!
その日だ、カウネナナイから侵攻を受けてカワイの町が滅ぼされてしまった。町に住む殆どの大人たちは海へ出ており、カウネナナイの攻撃に巻き込まれてしまい全滅したと聞く。
町にいた僕たち子供は市場や他の仕事に就いていた大人たちに守られ何とか生き残ることができた。
僕は妹の手を力強く握ってこう言った。──後悔はない。
──大丈夫!ぼくがいるから!大丈夫!ぜったいにアルヘナのこと守ってあげる!
そして、妹は今でもその面差しを残している目でこう答えた。
──うん。わたしもぜったいはなれない。
◇
「兄さ〜ん、兄さ〜〜〜ん、可愛くない私が起こしに来ましたよ〜」
「…………」
「昨日はごめんねお楽しみにところ邪魔したみたい「だから違うって昨日から言って「兄さんって引っ込み思案かと思ってたけどやっぱり美人の前では「そりゃ慣れてるさ、毎朝毎朝お前が起こしてくれるんだから」
「…………」
こういう言い回しの方が妹は効く、ストレートに言ってもその裏をかいて捻くれることが多々あった。
昨日は新しい取引き先との食事会があった、相手は女手一つで組織を守り育て上げた没落貴族である。
"没落"と言っても剥奪されたのはその"位"であって"気品"や"高潔さ"は損なわれていなかった。
昨日は妹も別の取引き会場へ向かっていたはずなんだけど...予想以上にスムーズに事が進み僕の様子を見に来たのだ。ガッデム。
(たまには僕だって……いやアルヘナも魅力的なんだけど……)
こういう現を抜かすのは初めてだ、久しぶりではない、初めて。つまりそれぐらいに今の僕たちの生活は満たされてもいた。
「──兄さん、考えるのは止めて」
「昨日のあの相手のこと?」
「違う。……あの子のこと」
「…………」
「考えていたでしょ?……私だってそうだから……」
「ごめん、忘れよう、もう僕たちには関係のない事だ」
「──うん。ベッドに入っても……いい?」
枕に頭を預けている僕の上にアルヘナが覆いかぶさってきた。吸い込まれそうな瞳は恥じらいながら真っ直ぐに僕を捉え、そしてゆっくりと体を預けてきた。
「二度寝って気持ち良いね」
「うん……控えめに言っても最高だね」
「アルヘナのその声の方が最高だね」
「──まだ何か隠してるの?兄さんの方から無闇に褒めてくるなんて何だか怪しい…」
ほらね。
二度寝と洒落込んだ僕たちは、ウルフラグと何ら変わりがない太陽が天辺に到達する前の時間帯に起こされることになった。
その相手は僕たち二人を軍から引き抜いた─あるいは引き抜いてくれた─教会の人間である。
名はリゼラ。
「ご機嫌よう、昨日の様子はいかがでしたか?」
「………すみません、すぐに支度しますから」
「いいえお気になさらず」
とか言っている割には下着姿の僕やアルヘナのことを凝視している。いついかなる時でも微笑を顔に貼り付け、本音を語らない女性。
威神教会は今、カウネナナイの国内に散らばるハフアモアを一手に買い占めていた。そのネゴシエイトや教会の代理として僕たちが現地に赴くのが今の仕事だ。...今も昔も変わらず僕たちは常々組織の下っ端だった。
「こちらの暮らしはどうですか?」と僕たちの新しいボスが話しかけてきた。
「…馴染めていると思います。文化の違いに驚いていますが」
「そうですか。こちらは向こうと違って何かと不便だと思いますが、そう言っていただけるのなら何よりです」
「それでリゼラさん、今日のお仕事は何でしょうか?」
手早く支度を整えたアルヘナが質問した。というか男の僕の方が彼女より遅いってどういうことなの。
「昨日と同じです、指定する場所に向かい話をまとめてきてください。回収はいつものように別の人間が行ないますので、ただ──」と一旦言葉を区切り、「今回の相手は市民ではありません、王室の流通府です」
この国の政治体制についてはまだ知らない事が多い、けれど王室が国内の行政機関であることは早くから知っていた。
「そこって……あなたと対立しているところですよね」
「そうなります、しかし現国王の膝下とはいえ一枚岩ではないということですよ」
つい僕は本音を溢してしまった。
「…どこの世界にも私腹を肥やす輩はいるものなんですね」
「…兄さん」
妹に嗜められるが、僕たちの新しいボスは一枚上手のようだった。
「甘い蜜があれば虫も人も群がる、抑制しろという方が無理な話です。だったら初めからこちらでコントロールしてしまえばいい、そうだと思いませんか?」
「教会が買い取っているのもその一環だと?」
「そうです、放っておけば国外に流出してしまいます、そうなってはカウネナナイの不利益に繋がりますから。これからの時代はウルフラグとの関わり方が重要になってくるでしょう」
「その時の為にカードを多く持っていたい、と」
「ええ、そのカードにはあなたたちも含まれていますよ、良く働いてこの国の事を良く知ってください」
✳︎
リゼラさんに指定された場所はルカナウア・カイと呼ばれる街から離れ、山林を目前にした平原部に建てられた教会の中であった。
その昔、炭鉱夫たちが山へ出かける前に立ち寄っていた教会らしいが時代の移り変わりとともにその役割を終え、自身の存在を知らしめるようにただひっそりと建物だけを残していた。
取引き相手の馬車は街道から奥まった場所に停められており、既に中にいるようだった。
私は兄さんから渡された自動拳銃をフードの中にしまい、そして絶賛独り占めしている背中の跡に続いた。
兄さんは今の生活をどう思っているのだろう?私はとても気に入っている。向こうと同じように私たちの特殊な事情を察して利用してくることには変わりないが、こっちは不干渉である。
(でも…)
ネックがあるとすれば一つだけ、リゼラさんの演説の時にいたあの子の顔が──。
「──アルヘナ」
「──あ、うん」
半壊した教会の扉を潜り中に入った。意外にもしっかりとした造りのようで、礼拝堂を見下ろすように中二階が設けられていた。そして今回の取引き相手は埃に塗れたベンチに腰かけており、私たちが入ってくると同時に音もなく立ち上がった。人数は二人、どちらも男性のようだ。
「お前たちは?」
「代理でやって来た。手形は支配人から預かっている」
「見せてもらおう」
手形とは向こうでいう所の証券のようなものであり、書き込まれた金額分の価値を有している。男が兄さんから手形を預かり矯めつ眇めつした後、もう一人の男に指示を出した。
「数は揃っている」
「……この場で受け渡しを?」
「ああ、宝石みたいに綺麗だぞ」
(宝石……?ただの石ころなのでは……?)
男が二つ分の皮袋を持って来た。無造作に床に置いたかと思えば紐を緩めて中を見せてきた。──本当に宝石が入っているのかと目を疑った。
「……綺麗」
礼拝堂の中を漂う長年降り積もった埃すら輝かせるような、そんな七色の光りに溢れていたのだ。
「──待って、僕たちは目利きができない、これがハフアモアじゃない可能性だって…」
「おい」
男がそう声をかけ、もう一人の男が一つのハフアモアらしき宝石を取り出した。色はレッド、ガーネットのような輝きを放つハフアモアとその男が持っていた銀色に光る水筒を重ね合わせた。
「何をやって──」
「待って兄さん……」
ほのかな光りを放った後、男の手には二つの水筒があった。手品のようだ。
「……複製能力?けどそれは一日経過しないと…」
「こいつは別だ。宝石のように輝くハフアモアは一瞬でそれを成す」
「本物……なのですね」
「支配人から何も聞かされていないのか?──まあ捨て駒の扱いなんてこんなものだろう」
「………」
「………」
本物であれば何も問題はない。兄さんと私で一つずつ袋を預ろうとした時、お尻から背中にかけて這い上がってきていた嫌な予感が具現化した。
頭上から声が降り注いだのだ。
[はい現行犯逮捕でーす]
「っ?!」
「──お前らっ!」
「違う!僕たちじゃっ──」
「兄さん!」
声は若い、けれど拡声器を使ったようなその大きな声は礼拝堂に響き渡った。そして半壊していた扉が全壊するように鋼鉄の蜘蛛が舞い降りてきた。
[おとなしくしてくださーい、取引きした瞬間はバッチリ収めていますから言い逃れはできませんよ]
「あれは──国王が製造した新型の……」
胸に忍ばせた拳銃の重みだけが頼りだ、けれどあんな物に果たしてどれだけ通用するのか。
(こんな所で捕まったら!)
良くて牢屋、悪ければ更迭だ。
(それだけは嫌!)
蜘蛛の形をした特個体の外装板の一部が開き、中から髪をツインテールにした女の子が現れた、手には柄の部分が赤く染められている剣が握られていた。
「さっさとお縄につきなさい!余計な仕事を増やしてんじゃないわよ!」
──そして。
「──残念な事ですが、あなた方流通府は国王陛下にも睨まれていました。これ以上、罪を重ねたくなければこちらの指示に従ってください」
「──っ!」
「……………」
あの子だ、あの子がいた。全壊しもはや扉としての役割を失っている入り口からナディ・ウォーカーが現れた。
「アルヘナ……アルヘナ?」
「…………」
私はこの時、胸にしまっていた拳銃を何の躊躇いもなく取り出していた。
「アルヘナ!」
銃口を彼女へ向けるより早く──
「──残念、ショットガンとやり合った今となってはそんな鉄砲玉怖くもないわっ!」
瞬時に距離を詰めてきた剣士に銃を持つ手を強かに殴られてしまった。
「くっ…!!」
剣のグリップ底に金属でも仕込んでいるのか、殴られた手が嫌な音を立てた、確実に骨折しただろう。
すぐに兄さんが私を庇ってくれた、独り占めしていた背中が目の前にある。この背中が何処かへ行ってしまうのかと思うと、自分が死ぬ事より恐ろしかった。
「ヒルド、これ以上手荒な真似をする必要はありません」
「そのようね。──で?あんたたちは向こうの人間よね、どうしてこんな所で悪巧みをしているのかしら」
「…………」
嫌だ嫌だ、お願いだから見逃してほしい、やっと理想的な環境が手に入ったんだ。誰からも邪魔をされない、後ろ指もさされない、皆んな私たちの事を知らない。だからウルフラグを裏切ってあの子も裏切ってこっちについたというのに。
(やっぱり私たちは捨て駒なの……?)
「黙り?あのさ、ここがあんたたちの国じゃないって知ってるわよね?犯罪者に人権があると思う?」
「……それは脅しかな」
「脅しじゃない、五体満足で解放してほしかったら白状して。あんたたちの雇い主は誰?」
殴られた右手が酷く痛む。
どこか大人びたように見えるあの子が口を開いた。
「ミラーさん、あなた方の事は王から聞かされています。どうやら母国と連絡を絶ったようですね、直にあなた方の元に人が寄越されることでしょう」
「も、もしかして、それは当てつけ?」
「……何の事ですか?」
「何の事って…あの日の演説の時に…」
「へえ〜あんたたちも居たんだ?」
「…………アルヘナ」
あの子は...誰?ナディ・ウォーカーではない...?その事に気付いた兄さんの頭がしきりに蜘蛛型の特個体に向けられている。
──何をしたいのかすぐに検討がついた、お互いに一つずつ袋を持っている。
「──分かった、指示に従おう」
「……そうですか、それは良かった──」
兄さんの悪い癖だ、すぐ人に絆される。構えていた袋は私の方が先に投げた。中途半端に閉じられていた袋の中から宝石と見紛うハフアモアが特個体に殺到する。
「──なっ!」
「あれは──」
驚く二人をよそにハフアモアが特個体にヒット、その後は物理現象を無視して跳ね返った状態で宙に静止した。
まず始めに爆発が起こった、てっきり爆弾なのかと思った。けれどその光りに殺傷能力はなく、虹色の輝きを持っていた。
爆弾だと勘違いしてくれた二人は床に伏せ、そして私と兄さんは輪郭を持ち始めた光りの束に駆けて行く。
「乗って!」
「うん!」
操縦方法?そんなものは知らない、ただ逃避行する足さえ手に入れば良い。
超常現象にも程がある過程で誕生した新しい特個体は蜘蛛型と瓜二つ、私たちの狙い通りだった。見事に複製された特個体に乗り込み、まだ光りを放ち続けているコクピットの中で私は心から神様に感謝した。
「いける、いけるよ!このまま逃げよう!」
「うん!」
不思議と動いてくれたんだ、一度も乗ったことがないのに特個体が意のままに動き始めた。
混乱冷めやらぬ礼拝堂を後にし、私たちは昔の炭鉱夫たちに習って山を目指した。
◇
二人だけの逃避行の先、文字通り二人だけの世界で待っていたのは愛の言葉なんかではなく、情け容赦ない平手打ちだった。
「見損なったよアルヘナ!君はさっき民間人に銃を向けようとしただろう!」
「だ、だって…だって…」
この場にある全ての物が私を責め立てる存在に見えた。木々も草花も鳥も空気も何もかも、たった一人の兄に否定された私は世界からも否定されたように感じられた。
「信じられない!信じられないよ!」
「だって!あの子が──」
死ねば私たちを知る人がいなくなると、言いかけ口を閉ざせた自分に感謝した。
そして兄が言った。
「……僕じゃなきゃ駄目なの?」
「何…言ってるの…?」
「僕じゃ駄目な理由があるの?」
「それは…だってあの時…」
「君はもう立派過ぎるほど大人だよ、僕の手なんか必要ないぐらいに。……君だけでも街に戻って、そして全部僕のせいにして、そうすれば君だけでも助かるはずだから」
「……………」
聞きたくなかった聞きたくなかった、そんな言葉聞きたくなかったでも、
「もう疲れたよ」
──いつかは言われるだろうなと思っていた。
「本当にそれで良いのかしら、あなたはそれで満足するの?」
「!」
今さらなんだ、私を受け入れてくれない世界に今さら人が増えたところで何だというのだ。
木々の合間から現れたのはリゼラさんだった、私たちの雇い主、ボス、便宜上"支配人"と呼んでいるその人。
「もう一度聞くわ、あなたはそれで満足するの?たった一人の妹と別れてあなたは満足するのかしら」
「……少なくとも解放される」
「そうね、だって彼女はあなたに心底依存しているもの。そしてそれはあなたも同じ、あなたも彼女に依存している。そんな状況で別れたところでまた元に戻るわ」
「──あなたに何が分かるっていうんだ!」
「私もそうだったもの」
その言葉を皮切りに世界が動き始めた。木々が奏でる音に軽やかな鳥の声、良いも悪いも含んだ大地の音。
私たちに理解を示す人が初めて現れた。
「卑屈、自己否定の先に得た我が子のあの笑顔、それが私にとって全てになった。期待されて産まれた子供が不幸なことに女の子で、たったそれだけの事で父に相手にされたことは一度としてなかった。でも、産まれてきた我が子が甘えてきた時、それまでの苦しみがいっぺんに洗い流されたわ。──ああ、私はこの子の母親になるために産まれてきたんだって」
「………」
「そして私はその子と約束したの、立派な王様になって愛するあなたが望む国にしてあげると。娘は嬉しそうに笑っていたわ、お母さんにならできるって、それが今の私の全てなの、私はあの子の信頼に答えるしかない、ここまでやって来たんだから今さら引き返す道もない。夫を亡くして故郷も失くして、それでも私はあの子に甘えることなくここまで進み続けてきた」
「…………」
「ぽいって捨てられたらどれだけ楽でしょうね、あの子の期待も忘れて自分勝手に生きられたらどれだけ楽しいことか。──でも、あなただって本当はそんな事できないでしょ?抱えた心配を自分一人で解決できないんでしょう?」
「……っ」
「あなたもこの子に十分依存しているわ、だから諦めなさい。私が付き合い方をあなたたちに教えてあげるわ」
「私たちを…見捨てるつもりだったんじゃ…だからあの教会に行かせたんでしょ…違うの?」
微笑を浮かべ続けていたリゼラさんが初めて自然な微笑みを湛えた。
「あなた、さっきこの人を守るために他人を殺そうとしたでしょ?見ていたわ」
「………それが?」
さらに白い歯を見せてこう言った。
「──ああ、この子はもう駄目だ、手遅れだって思ったわ。だから面倒を見ることに決めたの」
「…………」
さっきは私の頬をぶったくせに、信じられないと何度も罵ったくせに、兄さんがリゼラさんから私を遠ざけるように立ちはだかった。
「捨て駒にしようとして今度は面倒を見る?信じられるか」
思う所は沢山ある、兄さんに対して。でもその行動はやっぱり嬉しくて──でも、世界が動き出すような感覚は得られなかった。どちらかと言うと"閉じた安心感"。
(──ああ、これが…そういう事なのかな…)
「信じなくて結構よ。私だってマカナ以外信じていないもの」
「──兄さん」
「……アルヘナ?……まさか付いて行く気?」
私は生まれて初めて愛する兄さんより一歩前に歩き出せたような気がする。
「それ以外に方法がある?──今はこの人を信じてみようよ」
「………………」
「やっぱりあなたは女の子ね、いざという時の思い切りが良いわ──それをあなたは人殺しに使おうとした、反省しなさい、次はないわ」
途端に白い歯を隠し能面のように冷たい顔になった。でも、真正面から叱られたのはもしかしたらこれが生まれて初めてかもしれなかった。
「……はい」
「アルヘナ……」
「あなたはどうするの?さっき聞いた話では街へ逃すつもりでいたのでしょう?その機体と一緒に何処へでも行きなさいな、これからは私がこの子の面倒を見るから」
「ふ、ふざけるな!妹を置いて行けるか!僕も行くよ!──行けばいいんだろ!」
らしくもない、と思うけれど兄さんも昔はこんな風によく拗ねていたのを思い出した。
あの町、あの場所で止まっていた時間がようやく動き出したようだ。二人だけだった世界にたった一人加わっただけで瓦解した、それを私はどこか心地良く思った。
✳︎
「あなたが言っていた二人は私が保護したわ。……こういう連絡はもう少し早くしてくれないかしら?危うく城に連行されるところだったわ」
[申し訳ございませんラインバッハ様、私も連絡を受けたのがつい今し方でして……]
「──もの覚えの悪さは健在ね、その名で呼ぶなと何度も注意したはずなのに」
[も、申し訳ございません、リゼラ様。それでミラー兄妹は今どこに?]
「保護しただけ」
[──と、言いますと?]
「その後のことなんて知らないわ、自分で何とかなさい」
[こちらとしては意思疎通さえはかれたらそれで良いのです。国籍を失うか帰国するか、ミラー兄妹にはその二択しかありません]
「それは何故?」
[保護しただけなのにご興味があるのですね]
「…………」
[彼らの所属は陸軍の参謀部、ハフアモア並びにシルキーに関してウルフラグ国内で最も暗躍している組織です、そして彼らはその末端の人間]
「ああ、蜥蜴の尻尾切り」
[ハフアモアの取引きに関与していた厚生省事務次官の自殺の件、それから国内にジュヴキャッチの手引きを行なった件について近々陸軍側から二人を書類送検すると内通がありました]
「最悪ね。ま、私も人の事は言えない立場だけど」
[──よろしいんですか?自ら爆弾を抱えることになりますが]
「だから何の話?私は彼らを保護しただけよ、あとの事なんて知らないわ」
[分かりました、勝手にさせていただきます]
「それからマルレーン、せっかくこっちに来たんだから─[─会いませんよ、あんな汚い子供なんかと]
「………そう」
[それでは、夜分遅くに失礼しました]
私の傍にいる親は揃いも揃って"クズ"ばかりだった。
そして、そんな親を知らずに育った幸運な兄妹がいた。
カワイの町、ルイフェスが産まれ育った町。義妹から貰った名簿を暗記しておいて正解だった、ウルフラグと国交が始まるのならいずれは...と思っていたのだがこうも早く巡り会えるとは思っていなかった。
「テジャト・ミラー…そしてアルヘナ・ミラー…」
接触者名簿の中にあった兄妹の名前、名簿の製作者は不明だ。
では、そんな物がどこにあったのか?一体何と接触した人たちの名簿なのか?
(オリジナル──)──こっちにいらっしゃい、アルヘナ」
思考を中断するようにアルヘナが部屋に入って来た、私が貸してあげたガウンを纏い、世の男共の眼を曇らせる扇情的な下着を身につけさせて。
「……そ、こ、ほ、本当にこれが……」
「そうよ、それがここでは一般的な装いよ。──健康的な体付きね、脂肪がないのに形が整っている。それを全て実の兄に捧げてきたの?」
「………はい」
「勿体ない」
「……勿体ない、という感覚が私には分かりません……」
「良い?アルヘナ、これから明日のこの時間帯まであなたは絶対にテジャトと話しては駄目」
「──ええ?それはどうして?そもそもこの格好は兄さんを惹きつけるためだって…」
「そうよ、今の今まで素直に従っていた相手がそっぽを向くほど落ち着かないものはないわ、それにそんな格好をしているもの、テジャトは嫌でも邪推するでしょうね」
「………」
アルヘナは真剣に聞き入っている。
「散々無視した挙げ句、明日の夜は自分からテジャトの元に向かうのよ。それだけで相手は地の底まで落ちるわ、あとは男に体を委ねるだけでいい」
「──ぷっ。それではまるで悪女みたいではありませんか」
「男を落とすんだったら徹底的に落としなさい、身寄りの無い女が生きていくにはそれしかないわ」
「……はい」
「ここはね、そういう世界なの。実の兄も姉も弟も妹も体を重ねることなんかしょっちゅう、そしていかに自分のモノにするか、虜にした男の数だけ生きやすくなるわ」
だから私がこうしてここにいる、実弟との政権争いに敗れてもなお力を持っているのはまあ...そういう事だ。天国にいるルイフェスと合わせる顔はないが、どうせ会ったところで喧嘩しかしないだろう。
「あ、あの…そ、そろそろ服を着ても…や、やっぱりこの格好は…」
「そうね、そう急ぐこともないわね。ここはもうあなたたちの家なんだから」
低く、そして不思議と落ち着く声を持つアルヘナが歯に噛んだ笑顔を見せたあと去って行った。
✳︎
「…いい?教会の件は伏せておいて」
「…やっぱりあの二人がそうなの?」
「…ナディ様はメンタルが弱いから」
「…繊細ってオブラートに包めないの?」
「…それよりあの宝石のようなハフアモアについてだよ、あれは何?」
「…一瞬でコピーしていましたね」
「…あれはやっぱりハフアモア──!」
「遅い時間までご苦労だこの無能たち」
「も、申し訳ありませんでした、流通府の不届き者はこちらで拘束しておきましたが相手方のバイヤーを取り逃してしまいました」
「人相は?」
「ふ、フードを目深に被っていましたので詳しくは分かりません」
「証言では男がアルヘナという名前を口にしたと聞いているが?」
「…………」
「アルヘナといえばカルティアン家の娘についているボディガードの名前だろう、お前は面識がないのか?」
「あ、ありません」
「もしこのまま事態が悪化し両国間の問題に発展すれば内々で処理することが難しくなってくる。今ならこそ泥に鞍替えした二人にお灸をすえるだけで済むがそれでもお前は知らないと言うんだな?」
「──「それでしたら国王陛下、何故私たちにハフアモアの詳しい特性について教えてくださらなかったのですか?」
「と、言うと?」
「逃走した二人が所持していたハフアモアは宝石のような輝きを持って、対象にぶつけたと同時に複製していました。そうだと知らされていたらシュピンネの運用も検討していました、けれど実際はシュピンネをコピーされてしまい挙げ句には取り逃したのです」
「俺のせいだと言いたいのか?」
「少なくとも王室側の失態かと」
「脳筋娘が言うようになったな。──カゲリ、お前の部下の容体はどうなっている」
「……既に退院しております」
「預けたシュピンネを使って山狩りをしろ、搭乗者はともかく複製された機体は何としても破壊しろ、ウルフラグに知られたら厄介だ」
「分かりました」
「逃走した二人に詳しい人間をそっちにつける、名前はキシューという女だ、お前たちの寝ぐらに向かわせるからそこで連携を取れ」
「はい」
「それから脳筋娘」
「何でしょう」
「お前はカルティアン家から離れてこちら側につけ」
「嫌です」
「拘束されているレギンレイヴと面会して情報を引き出せ。これは命令だ」
「……………分かりました」
「話は以上だ。今日のところはひとまずご苦労だったこの無能たち」
「それさっきも聞きましたよ」
◇
「あ、お帰り〜」
疲れた体を引きずり館に到着した、遅い時間帯だというのに私の友人は私たちを待ってくれていた。
無言で頷き合う三人。
(内密に)
(おっけー)
(御意)
「どうかしたの?」
「ううん何でもない。それより教育ママは?」
ナターリアとグガランナさんだ、この二人はとにかく口うるさくなったので私たちの間だけで定着した呼び名になっていた。
「アマンナさんに説教してる。──今のうちだぜ!」
ナディがヒルドとカゲリをぐいと引っ張り中へ連れて行った。落としていた陰はすっかりなくなり陽の光りのように暖かい笑顔を放っている、本当に何よりである。
(あの二人はどれくらいナディと仲が良かったんだろう…出来れば知られずに済ませたい)
それからあの二人は一体どこの組織についているのか、誰かに雇われているのだろうか、分からない事はまだまだある。
エントランスからリビングへ向かうの廊下の途中で確かにアマンナさんが二人から詰め寄られていた。
巻き込まれてなるものかと迂回しリビングに入るとナディたち三人は見たこともないお菓子を囲んで舌鼓を打っていた。確かにあれも怒られる。
「うんま〜〜〜」
「ウルフラグうんま〜〜〜」
ヒルドとカゲリはニコニコと笑って顔がとろけている。
「ナディ、それは?」
「向こうで売ってるケーキ。今日出掛けている間にウルフラグの人がこっちに来たんだって、その時のお土産、ナターリアさんが隠してたからサルベージした」
「それはまた……」
「アネラも食べてみなさいよ!こっちのお菓子なんか目じゃないわ!」
「本当にこっちの食べ物は貧相だったんですね」
そう言われると俄然興味が湧く。いそいそとテーブルについてお皿に乗せられた白いケーキを見て唾をごくり。
「そ、そのウルフラグの人ってどんな人だったの?」
フォークを手に取りさあいざ行かん!しかしナディの返事を聞いて手が止まってしまった。
「私も知ってる人だよ、キシューっていう人。キシュー・マルレーン」
「────え?」
それは私たちを捨てた母の名前だった。