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第95話

.ウルフラグの日常



 あの女性シンガーはとても良い、ハスキーな歌声に力強いシャウトはソウルフルであり揺さぶれるものがあった。

 だけど運ばれてくる食べ物は駄目だ、これならまだリットを口にしていた方がマシ。レシピ通りに作ったと言わんばかりのコピー品、味はあるが個性がない。きっとこのレストランはあの女性シンガーで人気を保っているのだろう。

 私の前に腰を下ろしている男がグラスで唇を湿らせてから話し始めた。


「ウルフラグ国内で発見されたシルキーは遅滞なく回収が進んでいる。政府が発表した医療転用の餌食になりたくないからだろう。いつの時代も他人の心配より自分の懐具合を気にかける」


「回収されたシルキーはどちらに?」


「陸軍だ」


 男はライトブラウンのテーラードジャケットに身を包んでいる、少し丈が短い裾からしなやかな手首とシンプルなビジネスウォッチが見えていた。


「彼らに預けて問題はないのですか?政府から疑いの目を向けられているのでしょう?」


「それも時間の問題──」


 サビに入った女性シンガーが殊更力強く歌い、そして男がまるで会話の邪魔だと言わんばかりに不快な視線をステージに投げかけた。


「……全く気に入らない、レストランならバラードで十分だろうに」


「あれ、一応バラードらしいですよ」


 もうこの男とは食事に行けないな。


「……とにかくこの国の陸軍にシルキーは預けておく。時を見て回収すれば何ら問題は無い」


「どうして陸軍なのですか?他にも軍隊はあったでしょうに。確か──海軍と空軍」


「簡単な話さ、彼ら(陸軍)が最も所有している基地が多いからだ」


「あ〜」


「君なら十分承知していると思っていたのだがね、何故今さらそんな事を?」


「ここでの食事を堪能したいからですよ。プライベートでもビジネスでも会話は料理を彩るエッセンスですから」


「──以前会った時は食事に手も付けずに淡々としていたと思うのだが……」


(あやっべ)


「──心境を変えたんですよ。あなたたちマキナと同じように」


 凛々しい眉に良く似合う落ちついた雰囲気を持つマキナがゆっくりと口角を上げた。


「エモート・コアは消耗品ではないよ。あの女性シンガーのように一つの歌声しか持ち合わせていない」


「詩的な例えですね。──話を戻しますがシルキーの位置がマッピングされた件についてはどのようにお考えで?」


 男がナイフを手に持ち洗練された動作でステーキを切り分けた、音が一つもしない好感が持てる食べ方だった。


「──確か、それらの研究を行っている大学教授がいたはずだ、後で紹介しよう」


「はあ……」


 男が切り分けたステーキを口に放り込んだものだから追撃できなかった、上手い食べ方である。

 ステージでは無事に歌い終えた女性シンガーがMCから花束を受け取っていた、どうやら今日が最終公演のようで輝く汗をその額に浮かべていた。

 音もなく咀嚼した男がナプキンで口を拭ってから続きを話した、彼にとって食事はコミュニケーションを支配するための道具らしい。


「結果から先に論ずればあれには別の目的がある」


「と、言いますと?」


「草花が種を残すのとは訳が違うという事だ。無尽蔵かつ無計画にシルキーが国内に──いや、このマリーンで散らばった訳ではない、何かしらの意図がある」


「──その意図を大学教授に尋ねてこい、と」


「そうだ、私たちが考えているよりずっと根深いものが既に展開しているのかもしれない。──用心したまえよ、その根がヴァルヴエンドに届かないとも限らない」


「ええ、それを防止するために私がここへ来たのですから」


「頼もしい事だ。その大学教授にマッピングの件も尋ねるといい、ドゥクス・コンキリオがいかに用心深い男か分かるはずだ」


「──そ、そうですか、ではそのように」


「ああ、そうするといい」と一旦言葉を区切り、実に爽やかな笑顔を浮かべて質問してきた。


「ところで向こうの様子は?」


「──と、言いますと?」


「ステージが上がったんだろう?」


 え何、ステージ()上がった?ステージ()じゃなくて?それに誰がステージに上がったの?

 ヤバいヤバい、カマをかけられている、答えられないと分かっていてその質問をしてきたのだ。多分この男の出身地であるヴァルヴエンドの事なんだろうけど...分からん。


「私のような下の人間にはあまり情報が回ってこないのです、なのでオリエントさんのご質問には─「─君が本当に人間であればね」


 レストラン内は次の演者がまだ準備中のため喧騒に包まれていた。歌が良かった、この味が良い、帰りは何処そこへ寄ろうなど、私たちと同じ利用客が楽しそうに会話をしている。

 だがこのテーブルだけは違った。私の前に座るラムウ・オリエントが殺気に近いオーラを放っていたため会話など一つもなかった。

 オリエントがテーブルに肘をついて組んでいた両の手を下ろした。


「最も基本的なマナーの一つに、食事中はたとえ使わなくても手をテーブルの上に置くというものがある」


「………」


「このマナーが完成されたルーツは諸説あるが、その一つに武器を隠し持っていないという意思表示がある」


「随分と殺伐としていますね」


「その昔、ある男が食事中に館の主を射殺したそうだ、片方の手でフォークを握りもう片方の手で拳銃を握ってね。──そうこんな風に」


 発砲音。そして腹部に走る強烈な痛みと熱。

 突然の異音にレストラン内が一旦静かになり、そしてその後は誰も彼もが撃たれた私に構うことなく逃げていった。

 床に寝転がって見上げる視界に一人の男が立っていた、その手に拳銃を握って。


「君は誰だ?ヴァルヴエンドのエージェントではないな。その変装は実に良く出来ているよ」


「…………」


「すまないがこれ以上部外者を招くつもりはない。二度と関わるな」


 マリーンを実質的に支配しているラムウ・オリエントが背を向けて去って行った。


[──グガランナ!今の会話は?!]


[ばっちり録れているわ!それよりあなたも早くそこから逃げなさい!]


[いや撃たれたんですけど、それはさすがに無理じゃね?]


[──いいから!現地の人にバレたら洒落にならないわ!]


[──はいはい!]


 いやこのマテリアル・コア一点物だかんね?これ壊れたら私死ぬんですけどと愚痴りながら這いつくばって逃走を開始した。



✳︎



 大統領の様子が少し変だと感じるぐらいには、私も行政室での仕事に慣れてきたのかもしれない。出だしは最悪だったがまあ今は何とか仕事をこなせている。

 国会議事堂のその一角に居を構える行政室から車で移動すること数十分、お目当ての大学があった。大統領から直々に調査結果を受け取りに行ってほしいと頼まれたからである。

 車を運転しているのは先輩補佐官、軍人上がりの体格にサングラスが良く似合うハンサムな男性だ。


「君も嫌なら嫌って言うべきだ、大統領は悪い人ではないがたまに子供みたいになってしまうからね」


「いや別に平気っスよ。それに運転は先輩がしてくださっているわけですから」


「ただのボディガードさ。君のように可愛い後輩を守れるのならこの上ない仕事だ、実に苦にならない」


「あははは、あざっス(めんどくさこの人)


 この人も悪い人じゃないんだけどな...絵に描いたようなプレイボーイだから言葉の端々に口説き文句が混じってくる。

 まあこれも仕事だと割り切ってハフマン教授がいる大学へ向かった。聞いた話によるとここ最近は多忙を極めているらしい。

 キラの山事件以来会うのは今日が初めて、思い込みが激しくこれだと思ったらすぐに突っ走る猪突猛進の教授は元気にしているようだ。



「これは予想外だよ」


「……?」


 何故にいるのタンホイザー。


「やあ可愛らしいお嬢さん、ハフマン先生はどちらかな?」──ひっ」


 白衣姿のタンホイザーが小さく悲鳴を上げ、先輩補佐官の質問に答えず部屋の奥へと逃げて行った。


「照れ屋のようだね、部屋の奥にいるのかな?」


「そうっスね」


 メンタルが鬼強い、避けられているのに凹む素振りを一切見せなかった。


(ホシ君もこういう所を……)


 ここにはいない想い人に愚痴を溢したところで私たちも部屋の奥へ、ハフマン先生の研究室は至る所に紙束や段ボール箱が置かれており混沌としていた。

 あちらからやって来てくれた、髪をボッサボサにしたハフマン先生。


「──やあやあ!良く来てくれたよ!散らかっているけどそこに座ってくれ!」


「……そこ?──ああ、あれは段ボール置き場ではなくてソファなのか」


 などと言いつつ先輩補佐官が頼んでもいないのに段ボールを片付けてくれた。こういう所はホシ君も持っている、うん、やはり私が想いを寄せている相手が一番良い。


(ではなく)


 元気どころか何日も徹夜していそうなハフマン先生が世間話も挟まず要件を切り出してきた。


「プロイの住人たちの保護をお願いしたい」


「それはまたどうして」


「うん、カウネナナイと個人的な取引きも可能となった今、実に様々な歴史的文献や遺物がウルフラグにも渡ってくるようになった。その研究成果と言っても良い」


「それは私たちに預ける予定だった調査報告書ですか?大統領から受け渡しの指示が出ていましたけど…」


「そうさ。──タンホイザー、持って来てくれたまえ」


 終始無言のタンホイザーがたっと部屋の奥へ、そしてさっと紙の報告書と一つのUSB式メモリをデスクの上に置いた。


「プロイの住人と言われてもねえ……もしかしてこの子の出身地?」


「いいや彼女はマキナの一人さ、私の研究を手伝ってもらっている」


「──へえそうかい、道理で」


「何が道理なんですか?」


「見てくれが良すぎると思ったんだ。──とりあえずは先生の話を聞こうじゃないか、どうしてプロイの島を守る必要があるのか」


「うん、その前にまずはカウネナナイの歴史についておさらいする必要がある。いかにあの島がマキナの支配下に置かれていたのか、文献の随所にその事が書かれていたよ」


「進めて」


 「いやちょっと待って」と言いたいけど先輩補佐官が一方的な話の展開にも関わらず付いていっているので言葉を挟めなかった。

 私としては再会したタンホイザーやハフマン先生について話をしたかったのだが...相変わらずキャンプも嗜む大学教授は性急だった。


「文献の出所は威神教会が有料で配布している聖典と過去においてプロイが制作した歴史書だ。この二つの出生は別々だが書かれている内容がほぼ同じ、その内容はマキナによる人類の統治というものだ」


「その二つの違いに意味は?」


 そこは私も疑問に思った。同じ内容であれば教会と島の下りは不要だと思ったが、


「ある、この二つのグループはマキナに対するイメージが雲泥の差なんだ。教会側は崇高しプロイはどちらかと言えば敵視している。それなのに書かれている内容が同じだからほぼ真実であると見て良い」


「ああ、なるほど。続けて」


 つまりその内容が虚偽ではないと言いたかったのか。崇高しているグループの傍ら、もう片方のグループがその内容を批判していたらどちらかが"嘘"を書いている事になる。


「マキナの一人にドゥクス・コンキリオという者がいる、彼は長年に渡ってカウネナナイをコントロールし続けていたみたいだ。──中には非人道的なものもある」


「それがプロイだと?」


「いいや。──君はなかなか性急のようだね、人の話は最後まで聞くように」


「美人を前にしたら誰だってそうなるさ」


 何言ってんだこの二人。


(あ〜突っ込みたい!)


 とくにハフマン先生!お前が言うな!って言ってあげたい。


「教会側の聖典には人々を助け安寧に導く戦乙女なる集団が描かれている、彼女たちはその都度選ばれ戦い、そして天へ帰っていくそうだ。全員で五人、スルーズ、ヒルド、レギンレイヴ、フロック、ヨトゥルだ」


「戦──乙女、つまり全員女性か」


「確か…カウネナナイ側の軍に変わった部隊名が…」


「その名もヴァルキュリア、そしてその戦乙女が書かれた書物から名を頂戴したヘイムスクリングラという戦艦が実在している。──史実を再現してまでね」


「──まさか、天へ帰るというのは…」


「彼女たちは元々神話上に存在するオーディンという神の下僕にあたるらしい、英雄に相応しい魂を見繕い聖戦に参加させるのが目的だとプロイの書物にあった。カウネナナイではこの少女たちの記憶を都度消去しているみたいなんだ」


「何故?」


「理由は不明だ、そしてヴァルキュリアの養成機関も存在している。これらの事実をプロイの者たちが記していたんだ、そしてドゥクス・コンキリオというマキナが─「─快く思っていないと?だから保護してほしいと?」─その通り、彼らはマキナの支配圏から外れているんだ。さらに過去においてシルキーの雛型なる存在についても記してあった」


 これだよ、と言ってハフマン先生が何枚かページを捲り私たちに見せてきた。


「これは…何かの赤ちゃん…ですか?」


 一枚の写真があった、それは鼻が少しだけ長くて手足が短い。どこかの公園で撮られたようだが──。


「言ったろう、これは赤ちゃんではなくシルキーだ。発見されたのは今から約二〇年前、それも場所はウルフラグのカワイの町でだ」


「っ!」

「──っ!そんな…」


「そうさ、カウネナナイから侵攻を受けて近代で唯一滅ぼされた町だ、この件についてもプロイの人たちは記し残していた」


「──いやいやハフマン教授、これはさすがに俺たちの手に余る。下手すりゃ政府を敵に回しかねない、俺はまだ抱き足りないんだよ」


 そういう所まで素直に言わなくていいと思うんだが。でもまあ、尊敬はしないが軽蔑もなかった。


「だが、ここでプロイの人たちと交流が持てればシルキーの研究が飛躍的に向上する。彼らは間違いなくこの世界について外側からの視点を持っているんだ」


「う、う〜ん…」


「アーチー君、君はどう思う?「─え?どうと言われましても…判断が難しいと言いますか「少なくとも保証局は動くはずだよ、何せダンタリオンのパイロットがプロイの出身なの「やります」


 食い気味に返事をした。


「え?──あ、何、君ってそうなの?意外と交流あった?」


 この先輩に露呈するのは大変癪だがしょうがない。


「ええそうですよ」


「──良いねえそういうの、俺は嫌いじゃないよ。どうせ泥を被るなら一人ぐらい救った方が良い」


「おや?ただのプレイボーイかと思ったけど意外とロマンチストなんだね」


「ロマンの一つぐらい持っていないと行政室には居られないよ、何せ大統領がそうなんだから」


(そういえば大統領も言ってたな、お祭り好きが多いって)


 ちょっとだけ先輩補佐官に対するイメージがポジティブになった。


「それに今時の女性はロマンを持っていないと靡かないからね〜」


「………」

「………」


 ハフマン先生と揃って「うわあ…」みたいな顔つきになった。これでプラスマイナスゼロだ。

 かと言って、かと言ってこのまま大統領に報告しても話が暗礁に乗り上げるのが目に見えていた、なのでまずは外堀から埋めようという話になりハフマン先生と先輩補佐官が誰から味方につけるかという相談に移った。

 私はまだまだなりたての補佐官である、組織間の事はまだピンとこないので先輩に任せてタンホイザーの所へ行くことにした。


「ああ、しっかり味方に付けてこい」


 意外と力強い励ましを背に受けて部屋の奥へ、そこはさらに混沌としたハフマン先生の仕事場であった。

 

「………」


 部屋の中央には不自然に盛り上がった紙と本の山があった。頭隠して尻隠さず、小ぶりなタンホイザーのお尻が見えていた。


「ねえ、ねえってば、私のこと忘れたの?」


「──ひっ!」

 

 つんつんとそのお尻を突くと四つん這いになって逃げ出したではないか。ちょっとショック。

 逃げたタンホイザーが机の下に隠れ、そしてようやく言葉を発した。


「だ、だって久しぶりだし…な、何を話せば良いのかわ、分かんないし…」


「いやいや、一月も経ってないでしょ…まあ良いよ、それで?どうして君だけこっちにいるの?あともう一人いたよね」


「ぽ、ポセイドンは居残り中…まだ復旧作業がか、完了してないから…」


 と、言いながらまるで小動物のように頭半分だけ見せてこちらを覗き込んできた。


「わ、私はシルキーの研究のて、ててて手伝いに…は、早く終わればライラの目が…」


(ああ、タンホイザーも知ってたのか)


 電撃的な報道は今から一週間前、ウルフラグ政府がシルキーの医療転用について発表し、未だ出し渋っている各企業へシルキーを提出するよう求めてきたのだ。

 勿論反発はあった、というか反発しかない、シルキーを医療に転用するなど非人道的と主に医師会が主となって批判を繰り返していた。

 だが、カウネナナイからの来訪者がこの批判に対し、自国内では既に取り入れている事とウルフラグが所有しているハフアモア(あちらではそう呼ぶらしい)をいずれ"買い取る"とコメントした。そのお陰もあってか今まで出し渋っていた企業が「他所に取られるぐらいなら」と消極的だが政府に協力するようになった。

 そして、そのシルキーの研究を主に考古学的見知から進めていたのがロザリー・ハフマン教授という事である。医療研究の件については何も公表されていない、おそらく反対派の医師会を警戒してのことだろう。


「誰から聞いたの?」


「てぃ、ティアマトから…」


「……もしかしてタンホイザーは医療の研究が何処で行われているか知ってる?」


「あ、ああ、うん、それなら──」


 応接室から不穏な音が耳に飛び込んできた。扉を蹴破る音に誰かが床に倒れる音、床に積まれた段ボールが倒れ、そして何かが床に散乱していく。


「──アーチー!!その子を連れて──」


 先輩補佐官の声も途中で出来の悪いテレビのように途絶えてしまった。


「こっちへ──」


 タンホイザーに手を引かれるままさらに部屋の奥へ、そこにはキャンパスの中庭へ通ずる扉があった。


(何?!何なの?!どうして先輩が襲われたの?!)


 こういう荒事にはもう慣れたと思っていた、しかしその相手はシルキーや前回の殺戮兵器に限った話だった。扉から外へ出る際、ちらりと見えたのは地味なスーツに身を包む二人組みの男性。得てして人間が一番不気味かつ怖い存在かもしれなかった。

 目的が分からない、こんな人気も多いキャンパスの中で襲ってくるなんてそれも信じられなかった。


「──ああもう!この大学無駄に庭が広いから!」


 まるで林のようだ、庭とは思えない、向かいにある建物が鬱蒼とした針葉樹に阻まれ薄らと見えている程度だった。


「か、隠れた方が──」


「今回はさすがに誰も助けは来ないよ!逃げた方がいい!」


「ね、狙いは?!どうして先生や先輩が──」


「分からない!でも私たちのことも追いかけて来てる!」


 こっちは息も切れ切れだ、さすがに足が完治したからといって体力が上がったわけではない、それなのにタンホイザーは苦しい素振りも見せずすらすらとこちらの質問に答えていた。

 林のようなキャンパスの庭はなだらかな坂になっている。きっと鑑賞用なのか通り道は整備されておらず、用務員か剪定作業員が通ったと思しき獣道があるだけだった。

 

「こういう荒事の為にと調整していた甲斐があった!──隠れて!」


「ちょ!」


 またぞろクランが好みそうなゲームっぽい事を言うのかと身構えるがやっぱりタンホイザーがゲームに出てきそうな言葉を発し始めた。


「──聞け!私はマキナの一人タンホイザー!ここで引かぬというのなら汝らに雷の裁きが下るだろう!」


(ああもうまた!懲りずに何であんな事をっ──)──え゛っ?!」


 バゴン!!と大きな音、雷が落ちた時と似ている。ついで後方から誰かが倒れる音が聞こえてきた。


「何やったのっ!!」


「説明は後!リチャージまで時間がかかるから今のうちに!」


 再び合流したタンホイザーに手を引かれ──そして突然タンホイザーがつんのめるようにして枯れ葉と新芽が混じる絨毯に倒れてしまった。

 ふわりと舞う枯れ葉の向こうに一つの影、先っぽに筒を付けた銃を握っている男だった。


「──止まれ!」


「…………」


「良くも仲間をっ……その女が余計な事をしないか見ていろ!下手な事をしたらすぐに撃つ!」


 足だ、タンホイザーは足を撃たれていた。止めどなく流れてくる血が白かった。痛いはずなのにタンホイザーは呻き声一つ漏らさなかった。


(だからといって見捨てられるはずが──)


 彼女はマキナだ、私の目の前で殺されておきながら復活しているのも見ている。しかし、彼女を残して離れることができなかった。

 男がゆっくりと私たちの前に立った、拳銃を構えながら。


「…何が目的なの?」


「シルキーの調査報告書、それとマキナであるこいつの回収だ」


「…あなたたちも行政室の人間?それにしては見ない顔だけど」


「答える必要はない。誰にも他言しないと約束しろ、少なくとも俺たちがここを離れるまでは」


 随分と消極的な脅しだ。


「あの部屋にいた二人は?」


「男は気絶したままだ、教授もこちらで預かった」


「随分と教えてくれるのね、普通は何も言わずに殺すのがセオリーだと思うけど」


「これでも正義の為にやっているつもりだ、罪人になりたくて撃ったんじゃない」


 そう言う男の顔にははっきりとした後悔と焦りの念があった。自分がやっている事は十分自覚しているらしい、つまり組織に使われているのだ。

 

(可哀想に…)


「こちらの指示に従え、これ以上危害を加えないと約束する」


 その時、うつ伏せで倒れていたタンホイザーがにわかに動き出した、とても機敏な動きだ。


「──こいつっ!「私を撃っておきながら「──待って!!」


 銃を向ける手と青白く発光している手がぴたりと止まった。


「……私と取引きしましょう、その方が良いと思うよ」


「…………」

「リッツ!何でこんな奴と!」


「あなたが調べたい事を包み隠さずこちらに告げる、そして私たちはその事をあなたたちに提供する」


「お前たちに何のメリットがある?」


 ──昔、入社した当時は好きだった漁業課のあの人に言われた事を思い出し胸がちくりと痛むが、それでも私は自信を持って答えた。


「──持ちつ持たれつってやつ。次、私たちに困ったことがあれば助けてくれるだけで良い」


「………」


 数瞬の後、男が構えていた銃をゆっくりと下ろした。



「おかしいだろ!何で俺だけ括られてこいつらだけフリーなんだ!」


「先輩、縄を解いたらこの人たちを殴りますよね?」


「当たり前だ!こいつら入って来て早々グリップで俺の頭を殴ってきたんだぞ?!──仕返ししないと気が済まない!」


「…………」


「…それを言うならこちらも痛手を「──ああっ?!何か言ったかてめえ!自業自得だろうが!」


「アーチー君、君の気転の良さには感服するけど私としてはあのままアジトに連れて行ってほしかったね〜こんな経験そうそうできるものではないよ?せっかくのチャンスだったのに…」


 何なんだこの人たちは...意外と元気だな。

 部屋に再び戻って二人組みの男たちと相対する、逃げている時は気づかなかったけどどちらも鍛え抜かれた体を持つ軍人らしい人たちだった。

 昏倒していた先輩を起こして先に縄で自由を奪い、同じ様に縄で自由を奪われていたハフマン先生を解放していた。


「それに先輩が味方に付けろと言ったんじゃないスか、私はちゃんと言い付け守りましたよ」


「上手いこと言うね!「──誰がこんな奴らを味方に付けろと言ったんだそう言ったけど!」


「じゃ、改めましてよろしくお願いしますね。あなたたちの所属は?」


 まだ吠える二人を無視して話を進めた。


「……陸軍の参謀部だ」


「軍の犬かよ!」


「名前は控えさせてほしい」


「いいっスよ別に。それであなたたちはどうしてハフマン先生の身柄と調査報告書を奪おうとしたの?」


「上からの命令だ、それ以外にない」


「人の話聞いてんのか?奪おうとした目的を話せって─「─先輩」


「…ちゃんとした指示は出ていないが軍自体がシルキーを独占しようとしている、その一環だろう」


「独占ねえ…無能なお前らに扱えるとも思えんが」


「正規の手続きを踏まなかった理由については?きちんと政府に問い合わせればこんな真似をせずに済んだかもしれないのに」


「それは無理だ」


「どうして?」


「前期の予算会議で国防軍に支出する額が減らされたと聞いている。つまり政府は順次国防軍を縮小させていくはずだ、そんな中で俺たち軍に手を差し伸べると思うか?」


「へえ〜それで……」


「軍が軍として立場と居場所を存続させるためにはシルキーの軍事利用が不可欠──だとお上が判断した。それだけじゃなくても俺たち陸軍は警察の上位互換だと言われている始末だからな、そのうち取って代わるだろう」


「だから非合法なやり方で政府を出し抜く必要があった?」


「………」


「どのみちとどの詰まりじゃねえか、俺たちから研究成果を盗んだところでお前たちの居場所は減っていく、どうやって足場を固まるんだ?」


「──国防軍自体、これからはシルキーが市場を掌握すると考えている。陸軍だけじゃなく海軍や空軍も同様の意見だ、そしてそれは政府も変わらない」


「──対立しようって?」


「提供するサービスの違いだ。政府が一元管理を目指すのなら俺たちはその防衛手段、いずれ全ての軍が民間化する予定だ」


「大きく出たな、PMC(※民間軍事会社)化すれば確かに予算に怯える必要が金輪際なくなる」


「戦争もしなくなったからな、平和は銃を錆びさせる、だが戦う術しか知らない俺たちは錆びるわけにはいかない」


「それが国防軍の共通見解ってことかな?」


「そうだ、先に手を打ったのが空軍、コールダー家の一人娘を特別顧問という立場で迎え入れているはずだ」


(ここでその話になるのか…ライラちゃん…)


「俺たち陸軍でもセントエルモのメンバーの一人を迎え入れようとしたが…カウネナナイに渡るわ付けた護衛と連絡が取れなくなるわ、何かと失敗が続いているからこうして焦りが出て来ているんだ」


「…大まかな話は分かりまし「─お前ほんとに分かってんの?こいつら国民の安全より自分たちの稼ぎに舵を切ったんだぞ、これからどうなるかまるで予測が付かない」


「………」


「はっは〜だからシルキーの研究結果が気になるんだね?自分たちの手に負えるかどうか、そこが肝心になってくるからね。──さて、私はアーチー君の話に賛同したわけではないよ、借りを返すのはまた今度で良いと言える程悠長な性格ではない」


「自覚はあったんだな」

「自覚はあったんスね」


「そこ!仲良く突っ込まないでくれる?!」


「──何が言いたい?」


「君たち、影の噂ではシルキーを一番多く保有しているんだろう?──研究用にこっちに回してくれないかな?その分の情報提供はしよう」


「…………」


「政府に通報するかい?大学教授に裏取引きを持ち込まれたから守ってほしいとでも」


 ここで唐突にタンホイザーが口を挟んできた。いたんだね君。


「私も賛成、マキナもシルキーに関しては何も分かってないしそもそも現物も持っていない状況だから」


「──いたのか」

「──いたんだね」

「──変な攻撃はもうしないでくれよ」


 三社三様の言葉を言われ、タンホイザーがハフマン先生に泣きついた。


「う、う〜〜〜っ頑張って話しかけたのにっ〜〜〜」


「はいはい。この子メンタルが激弱だから言葉を選んでくれると助かる」


「はあ…変な連中だな…」


「でも、取引きするには十分でしょう?行政室の人間に、カウネナナイの事も調べられる大学教授、それからマキナの女の子」


「…………」


「どうっスか?この上ないレパートリーだと思いますよ」


「一つ聞きたい事がある、お前たちがリスクを負う理由は?この件が明るみに出たらただでは済まないはずだ」


 私と先輩と先生、束の間目を合わせた後、


「こっちの方が面白そうだから」

「こっちの方が面白そうだからだ」

「君たちと手を組んだ方が面白そうだから」


「…………」


 陸軍参謀部に所属している二人が小さな声で「大丈夫なのかこいつら」と──襲ってきたお前が言うな!

 それから、銃を握っていた手を差し出してきたので私はその手を掴んだ。



✳︎



「〜〜〜っ〜〜〜っ」


「いや笑い過ぎ……」


「〜〜〜っ──おっほ!げっほ!……くっくっくっ………」


「はあ……」


 待機してたのに...あと少しの所まで行ったのに...リッツがまさかあんな事を言い出すだなんて...


(いや、あの人は元からあんな感じの人だったんだ。人付き合いが上手いというか、強かというか……)


 リッツの動向はこちらでも監視していた、それに陸軍が日頃から怪しい動きを繰り返していたので、まさかと思い大学まで付いて来たのだ。

 それが見事的中し、キャンパスの庭まで行ったのに!


「は〜〜〜最近のヒロインは敵を丸め込むんだ、正義のヒーローも一筋縄ではいかなくなったなっ………くっくっくっ……」


「笑い過ぎですよいい加減にしてください」


 勇み足で飛び出し無手で帰って来た僕を見てヴォルターさんが何事かと尋ねてきた、そして一部始終を答えたら笑い始めて今に至る。


「それよりいいんですか?彼女たちのやり取りを聞かなかった事にしても」


「はあ〜…あ?ああ、別に良いさ、陸軍とパイプが出来る、泳がせておいた方が後々得になる」


「だったら良いですが……」


「とっとと帰るぞ。──ヒロインは抜きだがな」


「──いい加減にしてください!」


 キャンパス内の駐車場から発進させ、厚生省へ向かった。


「それと、奴らが言っていた連絡が取れなくなった護衛っていうのは…」


「間違いなくミラー兄妹の事でしょう、話の筋からしてもナディ・ウォーカーの護衛役はこの二人だけですから」


「キシューの奴に調べさせよう、まだ向こうにいるんだろ?」


「帰国団の中にはいませんでしたからそうでしょう」


「何をやっているんだかね、あいつも。今時のヒーローについて学んでいる最中かも──悪かったよ」


 さすがに肩パンした。

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