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第93話

.ピメリアの真意



 両目に違和感を感じたのでコールボタンを押しナースさんを呼んだ。程なくして現れたナースさんが私の話を聞き、「先生を呼んできます」と言ってすぐに病室から離れた。

 また程なくして現れた先生がアイマスクをしている上から私の両目辺りを触り、「感覚はあるか」と尋ねてきたり、その他にいくつか質問をしたりしてきた。

 でも、あるはずないんだ。私の両目は酷く傷付けられてもはや目としての機能を失ったから摘出している。

 あるはずがないんだ。それでも痛みを感じる時がこうしてたまにある。それは気分が酷く落ち込んでいる時に訪れる幻の痛み。


「今まであったものがなくなって、脳が驚いているだけですからお気になさらずに。じきに良くなりますから」


 医者なのに毒にも薬にもならないことを言って病室から離れた。

 私が本当に知りたいのは──。



 後悔はあった。キラの山なんかに行くんじゃなかったと、でもカマリイちゃんからお願いされたことだから今さら恨むこともできない。

 キラの山に遠征した他の皆んなはどうしているのだろうか。今の状態になってから他の皆んなはおろか、パパとママにも会っていない。面会謝絶、そろそろ一般病棟に移されると聞いているがこんな状態だからまだ分からない。もしかしたら延長になってさらに詳しい検査や追加で手術をするかもしれない。

 キラの山で襲われてから病院で再び意識が戻るまで、何なら今この瞬間の記憶すら曖昧だった。何せ視界が無いから、寝ても覚めても暗闇の世界しかない、誰の顔も分からないし日々私をお世話してくれるナースさんの顔だって一度も見たことがない。

 何せ両目を失ってしまったから。これから先、私は誰かの補助が常になければ生きていくことができない。それがおそろしく申し訳なくて、そんな自分自身を私はこう思うのだ。


(面倒臭いだろうな……)


 未だICU(集中治療室)の病棟にいるのは寧ろ良かったのかもしれない。

 そう思うのだった。



 けれど現実は実に無慈悲かつ効率的で、術後の経過が良好という理由から私は一般病棟に移されることになった。他に生命の危機に瀕した患者さんが入るからなんだそうだ。

 いつもお世話をしてくれたナースさんが声をかけてくれる。


「これから二四時間いつでもというわけにはいかなくなりましたけど安心してください」


「はい」


 やっぱり毒にも薬にもならないことを言った。

 けれど──


「それから…驚かずに聞いてほしいんですけど…」


「は、はあ…何でしょうか?」


 多分この辺りかな?という声がする方へ顔を向けながら尋ねる。それにその言い淀む言い方は病院では大変珍しい、ナースさんもお医者さんも私たち患者を心配させないよう、どんな質問でもどんな事にでも快活に明瞭に答えて対処がするのが常なのだ。

 きっと私の目に関することではない、それ以外の何か、俄然興味をそそられた。


(もしかして私の事を調べてナディを呼んでくれた、とか?そんなまさかね)


「ポンテアック・サーストンという方からコールダーさん宛てに電子メールを貰いました……「……──ぇぇえええええっ?!祖父死んでますけどっ?!」


 久しぶりに大きな声を出した。



 その電子メールには音声データが添付されており、一般病棟の個室に移ってから渡されたイヤホンと端末を使って再生した。

 ──え?待って、これ本当にお爺ちゃんなの?お爺ちゃんって確か、私がジュニアハイスクールを卒業した直後に亡くなったはずなんだけど、葬式も参加したんだけど...誰かの悪戯?

 端末の音声ガイダンスに従って、四苦八苦しながら何とか音声データを再生することができた。

 出だしは「愛するライラへ」だった。この声は確かにお爺ちゃんのものだった。


(どういう事なの…?)


 理解が追いつかない私に構うことなく、お爺ちゃんが録音したらしい声が耳に流れてきた。


[じきにピメリア・レイヴンクローというおっぱいがデカい──]待って。


「は?おっぱいがデカいって聞こえたんだけど」


 予期せぬ言葉に思わず再生をストップして耳からイヤホンを引っこ抜いた。

 何なの?今こっち大変なんだけど、何で死んだはずのお爺ちゃんから「おっぱいデカい」って言葉を聞かされなくちゃならないの?

 私の傍に誰かがいる気配はない、きっと一人。是が非でも誰かと一緒に聞きたいが──。

 そんな時だった、世の中というものは実に良くできているものらしい。

 荒々しい足音が複数耳に届いてきた、その足音が扉の前を通り過ぎるどころか体当たりをかましてきたので心底驚いた。


「──ひっ?!」


 扉の向こうから「これスライド式だから先輩!」と聞き慣れた声。ゆっくり開くはずの扉が勢いよくすぱん!と開かれ、寂しかった個室の空気が一瞬でむわりとした。


「ライラ!」


 ああ...凄いなって思った。目が見えるとか関係なく、人の心って分かるんだって思った。

 ジュディスさんだ、その声音はひどく私を心配してくれているものでどこか震えてすらいた。今の今まで徹頭徹尾取り乱さない人たちに囲まれていたから気付かなかった。

 人の心は声に乗る。


「ジュディ先輩、ですよね?」


「そ、そう!み、見えなくても分かるのね…」


 どう接すれば良いのか分からない、そんな迷いも声に乗っている。


「そりゃ…分かりますよ、先輩の声ぐらい」


「うん……その、平気なの?今までずっと面会は断られていたから」


「はい、経過が良好なのでさっき移ってきたばかりです」


 いつ途切れても不思議ではない会話に、誰かが割り込んできた。


「ジュディ先輩、この病院の人に顔を覚えられるぐらい通い詰めていたらしいですよ、いつになったらお見舞いできるんだってしつこく聞いてみたいです」


 クランだ、まあそうだろうなと思っていたけどやはり毒舌家の後輩も来てくれた。


「クランも来てくれてありがとう」


「いえ、私は…リー姉から話を聞かされただけなので…」


「………」


「………」


 わっと華やいだ空気も見る間に萎んでいく。私も何を話せば良いのか分からないし、皆んなも何を聞けば良いのか分からないのだろう。

 自分でもそうだろうなと思う。いきなり両目を失った人間に何を聞けば良いのか、自分だって分からない。

 互いに気遣うあまりに距離が開いてしまった雰囲気の中、何かぬうっとしたというか、物言わぬ岩のような気配を感じ取った。どうやら三人目がいるらしい。

 おそるおそる尋ねてみた。


「…もしかして、ヴィシャスさんも……?」


 その岩のような人物がぬぬっと動いた。当たりだった。


「す、凄いね…まだ何も喋っていないのに…」


「ただの勘ですよ」


 声を出さずともその人が何を思っているのか、纏う空気感?というもので何となくそれも分かるようになってきた。私の何かを探りたいようだ。


「…その、二人は遠慮していたから何も聞かなかったみたいだけど僕は聞くね。目は元に戻るの?それともずっとそのまま?」


 "口にしてから後悔した"というニュアンスが声に滲み出ている、けれどその質問はこっちもありがたかった。


「いえ、目が戻ることはないそうです。これから時間をかけて義眼を作ってくれるそうです、その為にも傷んだ目を摘出する必要があったそうです」


「そっか……」それから小さな声でごめんと呟いた。

 この空気の中、さっきのお爺ちゃんの音声データを流すのは...まあ無理かな。一人で聞く気にはなれないけど、皆んなと一緒に聞く気にはもっとなれなかった。

 せっかく来てくれたのに私も皆んなも口を閉ざしたままだ、でも誰も出ていこうとしない、その優しい心根はありがたくも思ったし少し煩わしくも思った。

 きっと私が「出て行け」と言うまでここにいるつもりなのだろう。

 回り始めた歯車がどんどん動き出す。

 また新しい人の気配を感じ、扉の向こうに意識を向けるとどうやら今度は二人連れのようだ。一人はよたよたと歩き、もう一人がその人を介抱しているような、そんな雰囲気。

 その二人がスライド式の扉をゆっくりと開き中に入ってきた。入ってきて早々クライマックスを迎えていた。


「ライラあ〜〜〜ライラあ〜〜〜そんな酷い事になってしまってえ〜〜〜」


 お〜いお〜いと泣いているのはカマリイちゃんだった。一緒に入ってきたのはきっと生意気なハデスだろう、そのハデスの元から離れたカマリイちゃんがベッドによじのぼりぎゆうと私に抱きついてきた。


「ごめんなさい…ごめんなさい…私たちがしっかりしていなかったからこんな事になってしまって…本当にごめんなさい…」


 遠慮なんかない、下手な気遣いもない、全力の謝罪だった。

 私の頭を胸に引き寄せぎゅううとしている、その様子を少し遠くから眺めている気配に向かって声をかけた。


「……ジュディさんが抱きしめてくれると思っていたんですけどね私は」


「き、今日だけ、今日だけ特別だから…」


 そのジュディス先輩もおっかなびっくり、どこかよそよそしくはあったけれどカマリイちゃんと同じように抱きしめてくれた。

 頭上で小さな啜り泣き、クランも私の手を握って言葉を必要としないスキンシップでようやく私たちは一つになれたような気がした。

 これで良いのだ、私だってどういうやり方が一番良いコミュニケーションなのか分からない。よそよそしいまま別れてしまうよりよっぽどこっちの方が良い。

 少しの気苦労を感じながらしばらく三人の温もりに意識を預けた。

 これで良いのだ。



「災難だったな」


 と、声をかけてきたのはやっぱりハデスだった。


「そりゃあね、そういうあんたも──あれ、結局あれはあんただったの?」


「質問の意味が良く分からんが、お前たちに会うのは今日が久しぶりのはずだぞ」


 ハデスの言葉にジュディス先輩とヴィシャスさんが揃って声を上げた。


「ええ?それどういう意味なの?確かにあんたもあの場にいたよね?ちょっと雰囲気が変だったけど…」


「ラムウだよ、俺の姿に化けていたのはラムウ・オリエントというマキナ。ポセイドンの二人に話を聞いてみれば、元々誰かを寄越してほしいと依頼していたみたいだ」


 すっかり、とまではいかなくても普段通りに戻ったジュディス先輩がハデスの話に相槌をうった。


「そういえばそんな事言ってたわね」


「どうして君の姿に似せたんだろうね」


 ヴィシャスさんの疑問にハデスが答える。


「そりゃ慣れ親しんだ相手の方が何かとやり易いからじゃない?もしくは露出できない理由があったとか。ティアマトはラムウだってこと初めから知ってたんだろ?」


「そう。でもあの時の私は皆んなと一緒にハイキングできると喜んでいたからどうでも良くて…」


 ああ、だからしっかりしていなかったと後悔しているのかな。

 

「僕たちを連れて来た理由は採取…弁フロアだったかな…?とにかくそこから入室できる管理室に行きたかったみたいだよ、ウォーカーさんがそう教えてくれた」


「──ああそれは「待って。今何て言ったの?」


 "しまった"とヴィシャスさんが息を飲む気配が伝わってくる。もう遅い。


「今ウォーカーって言った?」


「い、言った……」


「何で?何でそんなに申し訳なさそうにしてるの?」


「そ、それは……」


 教えてもらった話はこうだった。

 ナディの父であるティダ・ゼー・ウォーカーという人は、何らかの目的があってマキナが占有しているサーバー内にいるとのこと。この()()という事がどういう意味なのか不鮮明だが、とにかくナディの父親は生きているのだ。そしてその人が私たちを助けてくれるため陰で奮闘してくれたらしい。


「何でそんな大事なこと黙ってたの!」


 と、怒っているのはジュディス先輩。


「い、いやそれは…本人が黙っていてほしいって言ってたから…う、ウルフラグ政府の人には全部話したけど…」

 

「何で私たちには言わないの!ナディのお父さんなんでしょ?!」


「う、うん、そう言ってたよ」


 痛い痛いとヴィシャスさんが抗議の声を上げている、大方ジュディス先輩がぽかぽかと殴っているんだろう。


(ティダ・ゼー・ウォーカー……あのヨルンさんの夫。さぞかし格好良い人なんだろうな…そしてその娘が私の恋人…)


 話を戻すように再びハデスが言葉を発する、今日はいつもと違ってクールだ。またぞろ中身が入れ替わったりしているんじゃないだろうな。


「ま、とにかくその人の援助もあって全員命は助かったんだ。俺も調べてみたけどあのアビス・グロテスクというのは対人戦闘に特化した兵器でそう生き残れるものじゃないぞ、バベルというマキナが手加減をしていなかったら全員この場にはいない」


「誰がそんな物作ったの?」


「オーディン・ジュヴィ。俺たちマキナの中で唯一攻撃能力を持った奴だよ」


「怖そうな名前」


 あの気持ち悪い生き物を従え、仁王立ちで構える鬼のようなマキナをイメージした。


「バベルっていうマキナは?初めて聞いたんだけどそんな名前」


「バベルは…う〜〜〜ん、よそ者だからな〜〜〜俺も良く分からん」


「ウォーカーさんもそんな事言ってたね。僕も少しだけ話をしたけどあれは駄目だ、絶対ろくでもない人だよ」


 何かと周りを気遣うヴィシャスさんがそう断言した、よっぽどヤバい奴らしい。


「どうやらそのバベルというマキナはあの施設に入って来てほしくなかったみたいだね、だからアビス・グロテスクを使って僕たちの邪魔をしてきたんだよ」


「何かやってたの?」


「さあ……」


 ジュディス先輩とヴィシャスさんの会話が途切れ、その間を挟むようにしてカマリイちゃんのちっちゃな手が私の手を取った。


「はい、りんごが刺さってるからゆっくり食べて」


「ありがとう」


 重みがある爪楊枝を持たされた、ゆっくりと口に運び良く冷えたりんごをシャリシャリと食べる。甘味があって美味しい。


「そういえばあの二人は?ポセイドンとタンホイザー」


 どうやら他の皆んなにも配っているらしく、私と同じようにシャリシャリしていたハデスが咀嚼してから答えた。


「メルトダウンしたサーバーと炉心の復旧なうだよ。あの時はああするしかなかったみたいだけど、お陰でナノ・ジュエルの管理区域までダウンしてわりかし大変なことになってんだ」


「──あれ、そういえばカマリイちゃんもキラの山の近くで似たような事言ってたよね」とヴィシャスさんが話を振ると、私のすぐ近くに座っていたカマリイちゃんがだだだと駆け出した。


「そうよ!でもあの時誰も聞いてくれなかったじゃない!」


「いたたた!いや何で僕!」


「ナノ・ジュエルはテンペスト・シリンダーにとってとても重要な物なの!シリンダー内の照明が落ちた時があったでしょう?!電力供給から食べ物の生産まで全てナノ・ジュエルが行なっているの!──いるの〜〜〜!」


「いたたたっ!」


「あ、そういえばそんな事あったわね、真昼の怪奇現象とかで動画もアップされてたし」


「そうなんですか?」


 ずっと黙りだったクランがそっと言葉を挟む。


「…そんなに重要な物をバベルというマキナはどうしたかったのでしょうか?お話を聞く限りではどうも悪い人のようですが……」


「そりゃ!」

「悪いに決まっているわ!」と、二人がクランの言葉に同調した。

 そこへジュディス先輩が茶々を入れる。


「あんた、今日は珍しく毒吐かないわね」


「いえ、別に毎日吐いているわけでは…」


 何かを気にしている様子、ああ、ヴィシャスさんとは初対面か。


「ウィゴー、気を付けなさいよ、こいつ仲良くなったら途端に口が悪くなるから」


「こらジュディス、そういう言い方は良くないわ」


「え、え〜と、初めまして…ウィゴー・ヴィシャスです」


「クラン・アーチーです」


「クラン、気を付けなさいよ、こいつこう見えても前までジュヴキャッチのメンバーだったんだから」


 いやその紹介の仕方は何なのか、何故人を悪く言うのか。

 けれどクランは意外にも素っ頓狂な声を上げていた。


「え?そうなんですか?もしかしてなんちゃって王子様みたいな人知ってますか?」


「な、なんちゃって王子様……?──ああ、もしかしてヴィスタのこと?彼が一番メンバーの中で格好良かったから……え?何でそんな事知ってるの?」


「まだ好きな小説のタイトルを教えてもらっていませんから」


「………」


 こういうとんちんかんな返答は相変わらずである、この子は常に一歩先の返事をしているのだ。分かっていても慣れない。

 色んな言葉が宙を飛び交う中、ベッドの下の方から誰かの呻き声が耳に届いた。


「ああ…ヴィスタ、ヴィスタ…俺を女の子にしたヴィスタ…ああ、ああ…」


(その呟き怖っ)


「あんたも災難ね、何があったのかは聞かないけど」


 ベッドが小さく軋み、今度は目線の高さから声がした。


「そうしてくれる…?あれは悪夢以外の何ものでもなかったから今すぐにでも忘れたいんだよ…」


「あー…あんたもここ通ったら?精神科もあったはずだからカウンセリングを受けたらいいよ」


 ハデスが小さな声で「そうする」と呟き、「いやマキナが通院するってどうなんだ」とセルフ突っ込みを入れていた。

 気分をいくらか取り戻したハデスがベッドに腰かけながら皆んなに話を振った。


「話を戻してもいいか?」


「え?何か話が進んでたの?」というジュディス先輩の突っ込みを無視して後を続けた。


「ライラの目についてだよ。眼球を摘出したのは義眼を埋めるための土台を確保しておきたかったからだと思うけど、どのみちその目は偽物だから視界が回復することはない」


 確か、手術をした先生も似たような事を言っていた。ただ、その時は意識が戻ったばかりだったのでろくすっぽまともに聞いていなかった。


「何が言いたいの?」


「本物の目を作れないかって話」


 あっちこっちで交わされていた言葉がハデスの発言によって撃ち落とされ静かになる。


「ガイア・サーバーにアクセスすれば眼球の製造方法が分かるかもしれない、というか間違いなく分かるはず」


「眼球の製造方法って…まるでライラが機械人形みたいな言い方…」


「けど、実際のところそれしかない。ライラはどう思う?自分の目が機械なのはやっぱり嫌?」


 ハデスの声量がさっきと比べて少しだけ増したような気がする。きっとアイマスクを付けている私の顔を見ているのだろう。

 答えは決まっている。


「私はそっちの方が良い、視力が戻るならそれに越したことはないし」


「それだと見た目はどうなるのですか?」とクランがハデスに尋ね、ハデスはまたう〜んと言ってから答えた。


「……方法によってはサイボーグみたいな見た目になるかも「ちょっと待って、それは嫌」


 頭半分すっぽりと隠れるヘルメットを被っている自分自身を想像し、秒で忌避感の方が勝った。


「でも視力は戻るんだぞ?」


「う、う〜〜〜ん………もし仮に、私がそれをお願いしたとしてハデスは何とかしてくれるの?」


 何かとこまっしゃくれてナディの胸を揉んだ不届き者とは思えない、力強い答えが返ってきた。


「そのつもり、俺たちマキナが何とかする」


「……何でそこまでするの?あんたにメリットはないでしょ」


「申し訳ないっていう気持ちを精算できるメリットはある──いやちょっと言い方が悪かったんだけど…」


 カマリイちゃんがハデスの内心を代弁してくれた。


「この子ね、前に自分がきっかけになって誰かを死なせてしまったからその罪滅ぼしがしたいんだと思うわ「──ちょ!ここで言うことじゃ「ハデスの事、信じてやってくれないかしら。口と態度はふざけているけど根は臆病で真面目なのよ」


 カマリイちゃんから"絶対の母性"のようなものを感じ取った。それは母親から子供に向けられる"底なしの愛情"と言ってもいい。何も私がママから嫌われているわけではない、きっとお見舞いに来てくれる、けれどその愛情を私は羨ましいと思った。


「カマリイちゃんがそこまで言うなら、うん、信じるよでも見た目のことも考えてね」


「贅沢な……」


「注文をつけるのは信頼の証」


「ものは言いようだな」


 ハデスの声は少しだけ震えていたが今日一番に明るい。

 そこへジュディス先輩が割って入る、当然の疑問とも言えた。


「待って、仮にそれが分かったとして作れるものなの?その…ガイア・サーバーだっけ?聞いた感じだと私たちが持ってる技術力より先に進んでいるのよね」


「私もそんな風に聞こえました」


「そこなんだよ、それを話し合おうと思ってたんだ。一番のあてはやっぱりナノ・ジュエルだけど……」


 ああ、ここでその話に戻ってくるのか。


「けれどその施設は前に僕たちが行った時に……」


「そう、まだ復帰作業中だから時間がかかるかもしれない。仮に復帰が終わったとしても個人の為に使用していいのか調べないと分からないから…」


「それってあんたたちマキナが管理しているものじゃないの?そのマキナですら私的に使えないってこと?」


「そう、ティアマトも言ったけどナノ・ジュエルはとても貴重な物なんだ。その製造方法だって俺たちも知らされていないし、ガイア・サーバーから独立した所で管理されているからおいそれと手出しは出来ないんだ」


「ああ、だからオーディンというマキナはあんな兵器を作ってまで施設の防衛を任せていたんだね。つまり、過去の人たちはナノ・ジュエルの存在を知っていた?」


「その通りだよでっかいお兄さん。争いが人類側の勝利で終わった時にガイア・サーバーのアクセス権の譲渡の代わりに不可侵を締結して、それでも納得しなかった当時の人たちが俺たちの封印を望んだんだ」


「封印って……解かれているじゃない」


「ああ、お前たちみたいに何も知らない子孫によってな。俺たちも色々と抱えてんだけど…けど、今のお前たちには関係のない話だから、その分別がようやくついたって感じだよ」


「では、あの古文書は……」


「俺たちだってこの世界にいるんだぞ!っていうメッセージ。さすがに綺麗さっぱり忘れ去られるのはちょっと違うじゃん?」


 なかなかへヴィーな話だ、私の目が少しだけ霞んでしまう程に。


「あんたたちの封印を望んだのは誰なの?まさか私たちの祖先?」


「いいや、率先していたのはプロイの人たちだよ。あそこは当時中立を保ってどちらにも加担していなかったから逆に記録や資料がたんまりと残ってるんだ」


「戦火に巻き込まれなかったから?」


「そうそう。だからドゥクス・コンキリオっていうマキナが警戒しているんだ、あそこから情報が世に出回ればまた戦争になりかねないって。その任にオーディンが就いていたはず──だよなティアマト……って寝てるし」


「zzz……」


 そういえば私の太もも辺りが重たくなっていたけど、どうやらカマリイちゃんが枕代わりに使っているらしい。

 ジュディス先輩が話を戻した。


「つまり、そのナノ・ジュエルとガイア・サーバーのデータがあれば何とかなるってこと?」


「そう、データはすぐに取得できるだろうけど肝心のナノ・ジュエルが……だからすぐにとはいかないけど、気長に待ってくれない?」


「うん、それは勿論。下手に急いでサイボーグみたいになるのは嫌だし」


 私の冗談に皆んなが小さく笑い、そしてこの場がお開きとなった。

 またヴィシャスさんがカマリイちゃんをおぶったり、別れ際にクランやジュディス先輩から励ましの言葉をもらったり、騒々しくも賑やかな一団から元気をもらったり、来る前とでは随分と私の心も晴れやかになっていた。

 ──でも。と、思うのは私の我が儘だろうか、意地汚いだけなのだろうか。

 一番欲しかった言葉は結局誰の口からも貰えなかった。


 でもね、やっぱりそれにも意味があったんだと気付かされた。回り始めた歯車は奥深い所でもやっぱりきちんと回っていて、そしてちゃんと私の元に届くんだって彼女が教えてくれた。


 皆んなが退出してからそんなに時間は経っていない、つまり一抹の寂しさを抱えた私の所にナースさんがやって来た。

 ──その手に一般的な携帯よりも大きな端末を持って。


「コールダーさんにお電話です」


「は、はあ……」


「通話が終わったらまた呼んでください、その間はこちらで面会を断っておきますので」


「はあ………」


 大きな端末を耳に当てる。


「もし[──ライラ?聞いたよ、ピメリアさんから全部聞いた。絶対大丈夫だからね、私は絶対ライラの傍から離れたりしないから、目が見えなくなってもライラはライラだから何も心配しないでね。ライラから嫌いだ!って、あっち行け!って言われるまで私はライラの傍にいるからね、だから何も遠慮しないで何でも言って、私が助けになるからね]


 圧倒的だった。彼女の言葉はこっちの気持ちなど微塵も残さず全て洗い流した、一方的とも言う。

 私が一番欲しかった言葉をナディは何回も口にした、一抹の不安も迷いも面倒臭さも声に乗せず何度も『絶対』と言い切った。

 嬉しかった、ナディのその全力投球優しさが嬉しくて嬉しくて涙が溢れた。

 実際に流れているのか知らない、頬に何か伝っている感触はあるがそれを確かめようと思わない。端末から手を離したくなかったしもっとナディの声を聞いていたかったから。

 涙声を抑えて彼女に甘えた。


「……そ、そっちはどうなの?き、聞かせてほしい……」


[うん?こっちはね──]どうだ見たことか、これが私の恋人なんだ、全然私に気を払わずいつものように話をしてくれる。きっとナディだって不安なはずなのにもっと他に聞きたい事とかあるかもしれないのに、私を心配させまいとこの状況で"普段通り"に話すそのメンタルの強さと思い遣り。

 これが私の恋人なんだ、目がなくなったところで人生という名の歯車が止まるようなことはない!

 後はナディが話し疲れるまでずっと耳を傾けた、愛らしい人形のように私より少し背が低く壊れ物のようでありながら全てを映すその瞳を思い浮かべて。

 


✳︎



[──歴史的な合併を果たした内閣府特別臨時調査作戦室セントエルモの責任者を務めるピメリア・レイヴンクロー氏が先程、ハウィの港に到着しました。現地には各メディアのレポーターやカメラマン、それからレイヴンクロー氏の姿を一目見ようと一般の方も多く集まっています──]


[──今回の歴史的な合併についてレイヴンクロー氏は、シルキーが人々に与える影響を懸念し互いの利点と欠点を補う形で合意に至ったとコメントしております。さらに今後はシルキーの回収と調査に主軸を置き合同対策チームとして方向性を固めていくとコメントしています──]


[──いやはやこれは凄い事ですよまさしく歴史が動いた瞬間です。私も学生の時分に民俗学を専攻していましたが、ウルフラグとカウネナナイの文化はそれこそ水と油のように反するものでさらに長い間戦争を続けていたわけですから、今回のレイヴンクロー氏の働きによって長年途絶えていた交流が復活するわけです。勿論、交易に関しては今現在でも行われていますがこれは意味が違います、これからは人的な交換が盛んに行われて──]


「えらい持て囃されそうだな、あの女」


「今をときめく人ですからね、仕方がありませんよ」


「そんな女のケツを追っかけなきゃならない俺たちって一体何なんだろうな」


「スーパーヒーローでしょ。今日は大活躍の話をしないんですね」

 

「お前も言うようになったじゃないか。煙草を吸うぞ」


「これから国会ですよ?後にしてください」


「後で吸えないから今吸うんだよ」


 カーラジオから流れてくるニュースを耳に入れながらハンドルを握る、助手席に座る─すっかり立ち直った─ヴォルターさんが煙草に火を付けた。


「それよりありゃ何だ、何でヴィスタの野郎がピメリアと一緒なんだよ」


「まさかテロリストの首謀者を国の代表に選ぶなんて、正気の沙汰じゃありません」


「もしくはそれが向こうにとっての普通なのかもしれない。今もラジオで言ってただろ?人的な交換が盛んに行われるって」


「冗談じゃありませんよ」


「コメンテーターに言え、俺の台詞じゃない」


 ハウィから首都方面へ延びる道路には僕たち保証局の車も合わせて長い列を作っていた。その中央にはセントエルモの責任者、そしてカウネナナイの要人として─信じられない事に─あのヴィスタ、それから初めて見る女性が乗っている車がある。それ以外の車は全て護衛車、国を上げてテロリストをお出迎えしているのだ。


(いや、さすがに政府も大手を切って来られたら迎えるしかなかったに違いない…そうじゃなければこんな真似できるか)

 

 一抹の不安と多大な苛立ちを抱えながら国会議事堂へ向かった。



 各メディアの根回しは政府の官僚たちより早いようで、僕たちが到着した頃にはもう既にカメラを構えて会議室に陣取っていた。

 上座に座るのは大統領と総理大臣、それから各省庁のお歴々、中でも国交省の大臣を務めるクヴァイ・ロドリゲスは忙しなく椅子の上で身動ぎを繰り返していた。

 僕たち保証局の人間は建前上、レイヴンクローさんの護衛として末席に齧り付いている。

 この取り決めが今日までの僕たちの働きに対する報いなのであれば何と情けないことか、国の中枢にこうも易々とテロリストが乗り込んできたのは()()()に見ても今日が初めてに違いない。


「…そう睨むな、揚げ足を取られる」


「…随分と余裕ですね」


「…修羅場を乗り越えてきたからな。あの惨めな日々に比べたらテロリストなんざ屁でもない」


 末席、と言っても僕たちは会議室の入り口に立っているだけだ、ちょうど目の前にレイヴンクローさんの背中が見えている。

 ──そのレイヴンクローさんがもう会議が始まろうかという時に振り返ってきた。


「よお、誰かと思えば懐かしいお二人さんじゃないか、元気にやってるか?」


「………」

「………」


 口を開きかける前、未だ顔を見せない厚生省大臣に代わって参加しているカツラギ事務次官から「何も喋るな」と目線だけで釘を刺された。


「こちらの方たちは?」


 黒くて艶やかな髪を長く伸ばしている女性がそう尋ねている。見るからに整った顔立ち、けれどどこか未成年っぽさもあってとてもアンバランスな印象を受けた。悪い意味ではなく。飛び級で大学に合格したような女の子、そんなイメージ。


「なあに、ちょっと前に悪戯されたんだよ、とくにあの虫眼鏡おじさんにな」


「……ちっ」


「悪戯……?」


「ナディの件は世話になった、礼を言う。だからといって許してもらえると思わないこった」


「……お前に許しを得る必要がどこに──「ちょっ!!」


 政府要人の目の前でこの人は!これだから歳上は!

 喧嘩腰になったヴォルターさんをカツラギ事務次官が制した。


「──私の部下が何か粗相を働いたのであればすぐに席を外させますが」


「いえ、それには及びませんよ。彼らが席を外すのならあなたもここから退出しなければならなくなりますから。それはねえ、さすがにマズいでしょう?これから重要な話し合いをするって時に厚生省の方たちだけ席を外すのは」


「ピメリア」


「──失礼しました」


 見計らったようにクヴァイ・ロドリゲスが嗜め、そしてすぐにレイヴンクローさんも矛を収めた。

 定位置に戻ったヴォルターさんが小さく呟く。


「…あのマフィア節は変わらないな」


「…本当ですね。大方この場の空気を握りたくて僕たちをダシにしたんでしょう」


「…ほんと敵に回るとおっかない」


 何気国交省大臣もレイヴンクローさんを名前呼びしたあたり、「自分が手綱を握っている」と周りにアピールしたかったのだろう。

 怖い連中ばかりである。

 ふと、僕に刺さる視線を感じた。あのヴィスタが、


「──ふっ」


「……──っ「……待て待てっここで事を起こすなっ」


 ──鼻で笑いやがった!何だあの勝ち誇った顔!


「あ〜…何かと皆んな顔見知りのようだね、これなら会議も恙無く進められそうだよ。あっはっはっはっ!」


 大統領の冴えないジョークが会議の火蓋を切った。


「──では早速ではありますが、まずはセントエルモの調査状況から報告を。レイヴンクローさん、お願いできますか?」


 立ったのはレイヴンクローさんではなく、隣に座っていた女性だった。


「私の方から報告させていただきます、その前にまずは自己紹介を。私はテンペスト・ガイアと申します、今日までウルフラグの皆様方のお世話になっていたグガランナ、ティアマト、それからハデスの……そうですね、お言葉を拝借するなら上司、といったところでしょうか」


 場が騒めく。無理もない。


「で、では……あなたもマキナ……ということですか?」


「はい。こちらにいらっしゃいますレイヴンクローさんから是非にとスカウトしていただいた次第です。差し支えなければ私の方から報告をしてもよろしいでしょうか?」


「…大統領の顔を見ろ、あれは何だ?」


 (意外と)周りを良く見ているヴォルターさんに言われるがまま僕も大統領の顔を盗み見た。確かに変な表情をしている、驚いているのは間違いないが...


(残念……そうにしている?)


 総理大臣がテンペスト・ガイアと名乗った女性に先を促した。


「は、はい、よろしくお願いします」


「では──」と、語り始めた内容は今日までセントエルモが回収したシルキーとその調査結果、それから調査中にカウネナナイ側と衝突があったことと、まるで漫画に出てくるような巨人を相手に機人軍と連携を取って事態を収めたこと、最後に国王から招待を受けその場で今回の合同チームの話を持ちかけられたことを話した。

 実に簡潔で分かりやすい、だが伏せている内容もあるはずだ。

 テンペスト・ガイアの話を耳に入れた各省庁の大臣たちは一様に浮かない顔をしている、何を言いたいのか一目瞭然だった。

 クヴァイ・ロドリゲスが代表して苦悶を呈した。


「あ〜…何と言えや良いのか…あっぱれと褒めてやりたいところなんだがな…ちったあ俺たちの顔も立ててくれないか?」


 対する彼女の答えはこうだ。


「あなたたちの顔を立てていたらセントエルモはまだ国境線すら超えていなかったでしょうね。根回しをし過ぎて花が枯れてしまうのはさすがに本末転倒でしょう」


「──っ」


 その冴え渡った皮肉に思わず拍手を送りたくなってしまった。彼女の言う通り、大臣たちの合意を取っていたらそれこそ終わる仕事も終わらなかっただろう。

 テロリストを迎え入れた政府に腹を立てていた僕にとって、レイヴンクローさんの返しはクリーンヒットしていた。


「お前たちが今のまま綺麗な花でいられるのであればな。誰の援助でセントエルモが成り立っていると思う?お前だけのチームじゃねえんだよ」


「それでしたら前回の騒動についてここで今一度検証会を行いますか?まだ私たちセントエルモは厚生省の方からきちんとした回答をしていただいておりませんが。長年の研究成果と新興チームを秤にかけた大臣を前に何故相談ができるのでしょう、また切り捨てられるのが目に見えていたから私の判断で事を進めたのです」


「それは──「そして結果を出した、シルキーの回収も申し分ない、調査結果もある、何なら敵国だったカウネナナイの王様と手を組んで帰ってきたのですよ?」


「…あいつ、何か隠しているな」

「…ええ、僕もそう思います。何か焦ってますね」


「………はあ〜〜〜あっぱれ!良くやった!俺には無理だよ、これ以上文句は言えん、あとは頼んだ」


 どさりとクヴァイ・ロドリゲスが背もたれに体を預けた。対するレイヴンクローさんは微塵も嬉しそうにしていない。


(何を隠しているんだ…?あれだけ慎重に外堀から埋めるような人が何故自分の成果をひけらかす…?)


 無事に場の主導権を握ったレイヴンクローさんが後を継いだ。


「カウネナナイでもウルフラグと状況はそう変わりはありません。あちらは支配層と被支配層に分かれていますから国民全員がというわけではありませんが、シルキーの扱いに困っています」


「と、言うと?」


「あちらではシルキーの奪い合いに発展する事もしばしば、その際は必ず王室と呼ばれる行政機関かその島を統治している貴族が介入しているのですが荒事にならなかったためしがありません。いずれウルフラグでも同じ事が起こることでしょう」


「それはさすがに妄想の域を出ないと思いますが…」


 反対意見を述べたのは財務省大臣だ。


「そうでしょうか?あれは立派な金が成る木ですよ。ここに国防軍の大将たちを呼ばなかったのがその証拠でしょう?」


「…………」


 どうやら陸軍の事は既に耳に入っているらしい。国内に存在するシルキーの約半分近くを彼らが占有していた事、未だに陸軍から何の回答もなく政府としても追求の手を拱いていた。


「では、君はその防止策を既に考えていると?」


 セントエルモの責任者が淀みなく返答した。


「はい、シルキーの医療転用を認めこれらに端を発した事件に巻き込まれた方々の早期治療と社会復帰を促進する事です」


 会議室が何の遠慮もない喧騒に支配された、中にはレイヴンクローさんを罵倒している大臣もいた。


「──何を馬鹿なっ!それが国民に受け入れられない事ぐらい君も分かるだろう!」


 そこかしこで活発な話し合いがなされている、その殆どは彼女に対する非難ではあったが。

 当の本人と政府の最高位に位置する二人は押し黙ったままだ。

 喧騒が尾を引き始めたタイミングで大統領が口を開いた。


「それが難しいことは君も良く理解しているはずだ。少しばかり口が過ぎる大臣もいたがね、私も彼らに賛成だよ。医療転用はすべきではない」


 大統領がきっぱりとレイヴンクローさんの案を否定した。


「それは何故でしょうか?」


 喧騒の次は失笑が場を支配する。言い返された財務省大臣が、死亡したグリーン事務次官の後釜に就いたカツラギ元局長に話を振った。


「カツラギ君、彼女にあの事を報告していなかったのかね?それは少し可哀想過ぎると思うよ、話してやって」


「──昨年末、保証局に所属していた局員が所内で急性心不全により死亡しました。それから数日経過した後、髪や皮膚から色素が抜けて白色化した事例があります」


「それと医療転用に何の関係が?」


「日数は定かではありませんが、彼は死亡する前日にシルキーを摂取したとされています。おそらくそれが原因だろうと私たち政府は結論付けています」


「…………」


 何も言い返さない責任者、淡々と話を進める事務次官。


「確かにあなたの提案は魅力的でしょう、しかしながら危険性を排除できないどころか未だ未知の部分が多いシルキーを医療に転用するなど人道的にも反していますし、まず何より国民がそれを望まない─「─望む人間がいれば?」


 まるで水掛論のようだ、あのレイヴンクローさんが後手に回るなんて珍しい──と、思っていたのだが...


「レイヴンクローさん、そういう次元の話ではないのです。望む望まないに関わらずシルキーは──……「……その先を言う事はあなた方厚生省には難しいでしょうね、何せ先んじ手を付けたわけですから。あの大型生物はシルキーを転用して製造したのでしょう?違いますか?」


 責任者が切り崩しにかかった。


「私はてっきり先鞭を付けたあなた方からシルキーの使用法についてご教授してもらえると思っていたのですがね。どうですか皆さん方、兵器の転用は認めて医療には認められない筋をお待ちでしたら答えてください」


 まだ煙草臭いヴォルターさんが顔を近づけてきた。


「…これが狙いか、だから成果を誇示したのか」

「…シルキーの医療転用を政府に認めさせるため…あのヴィスタはおそらくシルキーの使用例などを喋らせるために連れて来たんでしょう」

「…あのテンペスト何某もそういう事か…外堀は十分埋まってんだな」

「…ええ、あとは政府が頷くかどうかだけってところでしょう」


 責任者と事務次官の対立した構図がそのまま政府とセントエルモに切り替わった。


「まず、君に一言断っておきたいのだがね、セントエルモを立ち上げた際に明言したはずだよ、回収したシルキーは政府の持ち物になると。意味は分かっているよね?」


 次鋒は大統領だ。


「ええ勿論、だからこうして許可を求めているのです。無断で使用するのなら元々帰国などしていません」


「それは問題発言と取るべきか素直と取るべきか些か悩むが…ならここで議論する事はもう何もないと思うが君はどう思う?」


 セントエルモ側のテンペスト・ガイアが注釈を挟む、『セントエルモ・コクア』の約定について。


「失礼ながらヒルナンデス大統領、カウネナナイとの約束事でシルキーに関連した一切の情報は互いに提供し合う、というものがあります。ですからこうしてラインバッハ家に名を連ねるヴィスタ・ゼー・ラインバッハ氏も海を超えてやって来られたのです」


「侵入したの間違いでは?」

「──おまっ」


 小声などではなく、はっきりと聞こえるように言った。会議室のお歴々が僕に視線を投げかけ、隣にいるヴォルターさんが間抜けな声を上げた。

 しかし奴はこちらを見向きもしなかった。


「ご紹介に預かりましたガルディア国王陛下の愚弟のヴィスタと申します。ウルフラグ政府の皆様方がお望みであればハフアモアについて分かっている情報を全て提供致しましょう」


 今度はカツラギ事務次官が噛み付いた。


「失礼ながら、我が国において少なからず暴力行為を働いたあなたから教えていただく事など何もないと存じあげますが?」


「その件に関しましてはウルフラグ政府に一任しようと考えている次第です」


「それはどういう─「─事が済めばいかようにでも処断してくださいと申し上げました。──ヒルナンデス大統領閣下、レイヴンクロー氏の話を翻訳させていただくならば、この国で駄目ならカウネナナイで転用すると仰っています」


 二度目の「何を馬鹿なっ!」が会議室に放たれた。

 再びの喧騒の中、セントエルモの責任者が言い返す。

 

「馬鹿ではありませんよ、シルキーの早期回収と事態収集の為に医療への転用が良い旗頭になると言っているのです。このままではウルフラグ国内に散乱しているシルキーは各企業が占有を続けたまま次いつ発生するか分からない騒動に怯える事になるのです」


「その化け物の卵を怪我や病気の治療に転用すると君は言っているのだよ?!その言葉の意味が分かっているのかね?!」


 何かと突っかかる財務省大臣の言葉、得てしてそれが全ての理由に思えた。

 人を襲う化け物にも変化するシルキーを自分の体内に入れるなど、生理的嫌悪感は僕でも持っているものだった。


「では何故、グリーン事務次官の愚行を止められなかったのですか?」


「──っ…………それとこれと何の関係が?」


「あるでしょう、省庁の中で中堅の位置に就く一人の人間がどうしてあそこまで画策出来たのか、それは一重に─「メアリー、故人の邪推は止めろ、見ていて気分が悪い」……失礼しました」


 ロドリゲス大臣がカツラギ事務次官にアイコンタクトを送ったのを見逃さなかった。


「……レイヴンクローさん、あなたのその考えは概ね的を得ています。確かに我々厚生省は早期からシルキーの調査命令を内閣府から受諾していましたし、確かに目に余る行動があったのかもしれません。しかし、それは一重に国を思っての事であって彼のような有能な人材を死に追いやるつもりはなかったとこの場で明言しておきます」


(ああ、事務次官の横領もダシにしようとしてその話を持ち出したのか……さすがにそれは気分が悪い。そしてそれをすぐに理解したロドリゲス大臣もやはりレイヴンクローさんと同じ側……)


 つまり、レイヴンクローさんはそれだけ"焦っている"という事でもあった。

 一体何故?もしかして重篤の危機に瀕した知り合いが──。


「…気付いたか?ありゃきっとコールダー家の娘のためだ」

「…眼球を摘出しなければならない程大怪我を負ったと…その為に?」


 およそ真っ当的な理由だ、それがもし本当であれば。

 では何故最初からそう言わないのか?医療転用ではなく、その布石としての実験の為にシルキーの一部使用の許可を取りにいったほうがまだ現実的だ。


(まだ何か別に理由がある……──まさか)


 この場にいるのはウルフラグ()()ではない、カウネナナイの人間もいる。


(まさか、カウネナナイに利益を先越されないために……?ここで実験に留まってしまえば国外にその成果が流出してしまう……だから転用を先に認めさせてカウネナナイとは別の法律を作ってしまおうと……)

 

 頭おかしいんじゃないのかあの人、どうしてそこまで考えられるんだ?そしてどうして行動に移せるんだ、そんなにあれもこれもと欲張って失敗するとは思わないのだろうか?


(あれはとんでもない人だ、人一人と国を同時に救おうとしている…敵に回して良い人間じゃなかったんだな)



「そこまで考えが読めているんだったら協力しろ!こっちは必死なんだよ!」


 会議の場が一旦お開きとなり、レイヴンクローさんが案内された待合い室で一人になるところを見計らって声をかけたら言われた言葉である。

 傍らにはテンペスト・ガイアとヴィスタはいない、今頃接待でも受けているのかもしれない。ちなみにヴォルターさんも喫煙のため席を外している。結局吸うんじゃないか。


「本当に国益と一人の女の子を救う為に?」


「ああ」


 何とあっさりとした...今日日こんな人いないんじゃないのか、まるでドラマに出てくる主人公のようだ。


「あのヴィスタって男は私のお目付け役だよ、連れて来たくて連れて来たんじゃない、そこんとこは分かれ」


「ま、まあそれは…はい、てっきりこの国の頭がおかしくなったのかと思いましたよ」


「顔に出てたしな」


 ソファに足を組んで座っていたレイヴンクローさんが顎をしゃくり、前に座れと言ってきた。


「いやあの、今日は付き添いという形になりますので同席というわけには……」


「そんなに私が偉くなったように見えるのか?昔私が何をしていたのか知ってるだろ、お前たち保証局と陸軍の人間を交えた話し合いの場から大して変わっとらんよ。──いいから座れ!!」


「は、はいっ」


 言われるがままに腰を下ろす、ゆっくりと沈み込む良いソファだった。


「リッツは?」


「え゛──」


「リッツとはどうなっている?」


「え、その……はい……」


「いやはいだけじゃ分からん。それからアリーシュは?」


「…………」


「今となっちゃどっちも可愛い身内みたいなもんだ。──泣かすような真似したら承知しないからな、選ぶんなら命懸けで選べ。私あの大食いレストランで言ったよな?」


「い、言いました……」


「で?どっちを取るんだ?」


 何急に。何でカウネナナイから帰国した人にそんな事で詰められないといけないの?


「──人んとこの部下を苛めるのは止めてくれないか」


「──また煙草か、お前さんもほんと変わらんな。知ってたか?最近の天国は全面禁煙になったらしいぞ、今のうちに止めるこった」


 (今だけはありがたい)煙草の臭いをぷんぷん放っているヴォルターさんが僕の隣に腰を下ろした、そのお陰で今現在悩みに悩んでいる事から束の間逃げられることができた。


(うう…胃が痛い…)


「で、お前さんは何でそこまでコールダー家にこだわるんだ?何か借りでもあるのか?」


 ピメリアさんがテーブルの上に置かれていた紙コップを手に取り一気飲み干した、そしてテーブルが汚れるのも構わずそれをひっくり返して置いた。


「いいや、私はマキナに貸しを作りたいんだ」


「──何?」


「知ってたか?この世界はどうやら筒の中にあるそうだ。そしてその筒の中を今日まで末永く管理していたのがマキナたちだよ」


 置いた紙コップの底面をとんとんと叩いている。


「………」

「………」


「……何だ、やっぱりお前たち知っていたのか」


「信じていなかっただけだ」


「そうかい。──でもまあ、」とその紙コップを手に取りゴミ箱に放り投げた。綺麗な弧を描き見事シュートが決まった。


「世界について話し合う時はいつもお前たちだな、数奇な巡り合わせを感じるよ」


「腐れ縁とも言うがな」


「お前たちがユーサにやって来た時も、今思えば世界について話し合っていたんだ。今でこそシルキーなどと呼び名もあるがあの時は未知のウイルス、そしてお前たちは既にグガランナとも面識があった」


「……それで?」


「それがどうだ、今となっては私がお前たちよりリードしている。シルキーを手にしてマキナも一人味方に付けてきた──そしてまた、お前たちとシルキーについて話し合う」


「待て、まだ俺たちは協力するとは言っていないぞ。今日は単なるお目付け役だ、お前とヴィスタが変な事をしでかさないかとな」


「お前がやってた事と比べたら可愛いもんさ」


「一人の人間とウルフラグを救う事のどこがですか?」


「それはオマケだ」


「は?」

「は?」


「言っただろう、私はマキナに貸しを作りたい。奴らより優位に立たないとこの世界の主導権を握れない、だからまずはシルキーの医療転用を認めさせたいんだ」


「………」

「………」


 絶句しているところに新しい入室者。

 

「そのようなお考えを持っていらしたのですね。くわばらくわばら」


「…何語なのそれ」


「古い言葉で怖い、という意味ですよ」


 テンペスト・ガイア。才女のような出立ちをしたマキナがレイヴンクローさんの隣に座った。


「ですが、私もそろそろ転換期に入っても良いのではないかと考えていたところです」


「あっさり手放しちゃうわけ?それで良いのか?」


「ええ、マキナが管理する今の組織体制にも限界を感じていましたから。ですが、そう易々とイニシアティブを握れると思わないでくださいまし」


「──はっはあ〜〜〜そういう喋り方をしていた時はお前だったんだな」


「ふふふっ……」


 え、何この二人めちゃくちゃ怖いんですけど。クワバラクワバラ。


「では、あなたが思い描く道筋を教えてください」


「簡単な話さ、医療転用を認可した後は国中に散らばっているシルキーを人の命を助けるためと言って問答無用で回収する、そして後はカウネナナイにでもやって一元管理すりゃ良い「─鬼かっ!!」「危ないと分かっていて他国に擦りつけるのですか?!」


「待て待て、向こうにはまだまだ手付かずの土地がある。そこに管理施設なりを建設すれば金が動くだろう?そうすりゃ雇用の拡大に新しい金の流れが出来る、これに喜ばない政府関係者はいないよ。そして──」と、勿体ぶった言い方をしたレイヴンクローさんの後をテンペスト・ガイアが引き取った。


「ガイア・サーバーの近くで管理すればウルフラグが所有しているシルキーの運搬コストを抑えられる、と?」


「お、いいね、そういう金勘定がすぐに出来る奴は好きだよ」


「逆にカウネナナイ所有のシルキーを輸入することになればその分の関税も鑑みて自国の利益になる」


「だからカウネナナイより先に政府がシルキーの使用を公的に認可する必要があるんだよ。分かったか?」


「いやまあ…話は分かったが…」


「カウネナナイの王はそこらへんのビジネスも抜かりがない、おたおたやっていたらあっという間に私たちのシルキーも取り込まれてしまう。そうなったら今喋った事が逆転して私たちの利益がぐんと下がってしまう、それは国民にとっても不幸なことだろう?どうせ稼げるんならでっかく稼ぎたい、商いをしている人間なら誰しもが思う事だ」


「だから医療転用という誰もがノーと言い難い旗頭を掲げて集める必要がある…と?」


「認可されればの話だがな。今私たちがそれを謳ったところで誰も聞く耳を持たんだろう」


「そりゃ確かに、バッシンクされるのが目に見えている」


「それで?そこからどうやって私たちに貸しを作る話になるのですか?」


 意気揚々と話をしていたレイヴンクローさんがぐっと声量を落とした。──今から秘密の話をするとでも言わんばかりに。


「……ここだけの話だがな「──待て待て待て待て待て待て!……聞かないという選択肢は?」


「ない。ヒルナンデス大統領もマキナだ、これは間違いない」


 僕とヴォルターさんが揃って天を仰いだ。


「──聞きたくないって言ったんだよ!現場の人間を巻き込みやがって!」

「ああ知りたくなかったそんな事実!」


「意外だな、私はてっきり鼻で笑われるかと思っていたよ」


 それについては僕の方から説明し、元々怪しいなと二人で話していたことを伝えた。


「目利きが良いな、つまり私の目にも狂いがないということだ」


「彼はドゥクス・コンキリオと呼ばれるマキナの子機にあたる存在です。──そうですね、ラハムと同等だと言えばよろしいでしょうか」


「……何故グガランナはその事に気が付かなかった?奴も何度か──いや…大統領が逃げていたのか…一度も顔を合わせたことがない」


「それと、こいつはマキナを束ねる存在らしい。軍で言えば大将、そしてドゥクス何某はその下で働く指揮官ってところだ」


「はい、私は全てのマキナを管理する権限が与えられていますから、だから彼が子機であるとすぐに分かったのですよ。えっへん」


 ええ何その急な茶目っ気...少し可愛い。

 ではなく。


「……僕たちに何をしろと?言っておきますけど特個体としての力はもうありませんからね」


 目に見えてレイヴンクローさんが残念そうにした。──好機!


「──そうか……それは「じゃ!そういう事で俺たちはお暇させてもらう!今の話は聞かなかった事にしてやる!「そういう事なんで失礼しますね!あ!陰ながら応援していますから!」


 情けない?プライドがない?──冗談じゃない!レイヴンクローさんの計画に巻き込まれたら何をさせられるか分かったものじゃない!

 それにどうせあれだ!抜ける時はそれ相応の罰を受けさせるとかそんな感じだろ!だからこっちの意見も聞かずに大統領の正体をバラしたんだ!


「──とっとっと、大の男が何をそんなに走っているんだ?メアリーはここにいるだろ」


(あ゛ーーー)

(あ゛ーーー)


 ダンタリオンたちがいなくなってもヴォルターさんが何を思っているのか手に取るように分かる。

 あと少しというところで待合い室に入ってきたのは国交省大臣のクヴァイ・ロドリゲスだった。その体格の良さがまるで通せんぼをしているかのよう、脇へ逃げることもできず呆気なく御用と相なった。


「何しに来たんだ親父」


「けっ、相変わらず可愛げもねえ娘だ。そんな所に突っ立ってないでこっちに来い、お前たち二人にも聞きたい話がある。──だが、その前にメアリーだ」


「あんだよ、事務次官をダシにしたのは反省してるよ、さすがにあれはやり過ぎた」


「情操教育をしに来たんじゃねえ」と大臣がお尻でソファを押し潰さんばかりにどかりと座り「俺にも一枚噛ませろ」と言った。


「あ?」


「お前が立てている計画に一枚噛ませろって言ってんだよ。その細い肩にはちと荷が重過ぎるだろ」


 座れと言われたけど僕とヴォルターさんは適切な距離を取って耳を傾けている、隙あらば逃げるために。

 レイヴンクローさんは先程の雰囲気と打って変わってどこか投げやりな感じになっている。そう、例えるなら親を前にした反抗期の娘、そんな感じ。


「誰に向かってもの言ってんだ、こっちはお前らみたいに腰が重い連中の老後まで見てやろうって言ってんだよ。素直に甘えとけや親父、もうあんたの出番はねえんだ──」言い終わらないうちに大臣がテーブルを両手で強かに叩いた。


「──調子こくのも大概にせえよメアリいいいっ!!!!二度ならまだしも三度も親の面に泥を塗りやがってっ!!!!誰が今日までてめえみたいなろくでなしを育ててきたと思ってんだっ!!!ああっ?!!言ってみろっ!!!」


 ──もうほんとびっくり、予備動作無しで激昂するのはやめてほしい。レイヴンクローさんも「言い過ぎた」と顔を青ざめさせていた。

 瞬発力があった怒鳴り声が途端になりを潜め、今度はドスの効いた声でレイヴンクローさんに語りかけている。


「…なあメアリー俺はなあ、また海に出たいと常々思ってんだよ。何でか分かるか…?」


「……い、いや、また獲物を釣りたいのか?」


「そうさ、可愛げもねえ感謝の言葉もねえ親不孝もんの娘と船に乗ってまたどんぱちやりてえんだよ。あの頃が一番楽しかった、俺の人生の中でも、てめえがどう思ってるのか知らねえがな」


「…………」


「けど海は駄目だ、なら陸だ、この政治の場が次の狩り場だ。そしててめえは見違える程立派になって俺の前に立ってみせた、大臣を相手にあの啖呵の切り方は痺れたねえ、さすが俺の娘だって思ったさ」


「…………」


「──で?てめえの答えは何だ?俺は自慢の親父じゃねえから一緒に手を取りたくねえって?そこにいる二人の野郎の方が良いってか?──親を舐めるのも大概にせえよゴラああああっ!!!!」


 さすがに止めに入った。あの強気のレイヴンクローさんが涙目になっていたから。



「ぐすん」


「いやお前さんがやっても可愛くねえから。歳考えろ」


「──ああ、おっかなかった。マジギレした親父を久しぶりに見たよ」


 その大臣は今席を外している。結局僕たちも参加することになった。ぐすん。


「それにしてもエネルギッシュな方でしたね、文字通り室内の気温が数度上昇しました」


「元気がない時に親父と会うのは良い刺激になるから良いんだけどな、毎日は胃がもたれるよ」


「そういう事をもっとご本人の前で言った方が良いんじゃないですか?親子のコミニュケーションも大切ですよ」


「胃がもたれるってところ?「いえ違います」


 折良く大臣が戻って来た。


「すまねえ、ちょいとごねた奴がいたからよ、時間がかかった」


「糞にしては長かったじゃないか」


 この人全然懲りてない。


「──そんなてめえにプレゼントだよ、有り難く受け取れや」


「──あ?……高機能材料による医療転用の思案書並びに法改正草案──書おおっ?!何だよこれ……」


 レイヴンクローさん、テンペスト・ガイアが並び、その向かいに僕たち保証局が座りど真ん中のソファに大臣がまたしてもどかりと座った。


「見りゃ分かんだろ、シルキーを転用にするにあたって割り振られる各病院のリストアップとそれらに関する法案の改訂案だ」


「これってもしかして……今用意されたものでは……」


「ああ、元から俺たち政府側でも同じ事を考えていたんだ。ただ、誰がその責任者をやるのかっつうところで暗礁に乗り上げていてよ、だからあの会議の場で皆んなが反対意見を述べたんだ」


「自分がやりたくないから?」


「そうさ。で、俺がやる事にした、その根回しをして来たんだよ。どうだ?花が枯れる前に終わっただろ?」


「〜〜〜〜〜〜〜」


 レイヴンクローさんが"参った参った"みたいな感じで万歳している。


「それだとあんたの立場がなくなるがそれで良いのか?博打ってレベルじゃねえぞ、何かあったら一発で首が飛ぶ」


「いいやもう落としてきた。何かあろうがなかろうが任期が終わればすぐさま天下り、これで納得してくれたよ──娘と最後にデカい仕事を成し遂げたいと言ったからな」


「はあ〜〜〜ありがた迷惑」


 とんでもない言葉に大臣は呵々大笑としている。


「それなら──」


「ああ、政府が保管しているシルキーをそっちに預ける、あとはてめえで何とかしろ、その為にその別嬪さんがいるんだろ?」


「いいえ、私はただのサポートです。有機素材由来の義眼はポンテアック・サーストンさんが既に設計図を完成させていますから」


「ポンテアック……どこか聞いたことある名前だがまあ良いか。その製造過程にしろ手術の経過にしろ一切合切をあのヴィスタという男に漏らすなよ」


「──は〜〜〜〜〜〜僕たちはその為にいいいっ…………」


 ようやく話が見えた。見えた瞬間から小間使い確定だった。


「はあ……局長に何て言えば……」


「気にすんな狂犬。てめえんとこのボスが一番時間がかかったからよ」


「──そういう事か。そういう事なら良い、人助けの為にこき使われた方が煙草も旨くなる」


「スーパーヒーローが言うと重みがありますね」


「皮肉言ってないでさっさとヴィスタの滞在先を割り出せ」


「ダンタリオンがいてくれたら楽なんですけどね〜誰かの自慢話も相手にしてくれますから」


「何の話だ?」


「──とっとと行け!」


 ヴォルターさんに尻を叩かれ僕から先に退出した。

 状況が変わったのは何もセントエルモだけではない、政府も水面下で進めていた事が彼女の働きによって一気に浮上する形となった。

 国内に散らばり未だ収集がつかないシルキーをかき集めるため、僕が知る限りで初めて政府が一体になれた──ような気がした。



✳︎



 お開きになった会議が再び開かれることなく終了した翌る日、カウネナナイと変わらない抜けるような青空の下、私はライラが入院している病院に訪れていた。

 彼女はアイマスクを着用していた、寝起きでも今から眠るわけでもない。

 その痛々しい姿、だが雰囲気はいつもと変わらずそれが却って彼女の強かな内面を思わせた。


「……ピメリアさんですか?」


 驚いたことにライラは私の存在を言い当てた。何だかそれが癪だったので、


「いいや違うよ、私だよ」


「何ですかその裏声、誰の真似ですか?」とくすくす笑っている。思っていたよりも元気そうではあった。


「帰国したのは昨日なんだがな、使用許可を取り付けるために会議をやっていたんだ。何とかなったよ、だから心配するな」


 返事は無い。というか首を捻っている。


「……何の話ですか?」


「ん?サーストンから聞いてないのか?」


 朝日が差し込む部屋の中でライラがフリーズした。


「──んんんっ?!ちょっと待ってあのおっぱいがデカいメールの事ですか?!」


「何だそれ──ちょっと待て私の事じゃないのか?」


 ライラがサイドテーブルに手を伸ばして何かを探っている、目が見えないからすぐに取り出せないのだ。


(そんな不都合もすぐに終わる)


 代わりに私がお目当ての物を取ってやる、それはライラの端末だった。


「その中に電子メールが入ってます、一緒に聞いてもらえませんか」


 音声操作になっていた端末の設定を切り替え、サーストンから送られた電子メールを開く。IPアドレスが文字化けを起こしているのを見やるに、きっと両国間のインターネットが確立されていないからだろう──と、そこまで思い至るがすぐに否定した。


(いいや、これはガイア・サーバーから送信されたものだ…)


「ピメリアさん?」


「──ああ、うん、すぐに開くよ」


 音声データーをスピーカーモードで再生する。つい先日逝去したあの変態爺いの元気な声が流れてきた。


[愛するライラへ、じきにピメリア・レイヴンクローというおっぱいがデカい女性がそちらに行く。本当におっきなおっぱいだった、あと小さなおっぱいも堪能「ちょっと待て早送りするわ、こんなふざけた話じゃないんだよ」「は、はあ……」──から私は胸をこよなく愛するようになった。心配しなくてもライラは将来惚れ惚れするような美乳になっ「いつまで喋ってんだこいつ!!」


 さすがに再生をストップさせた。


「お前の爺さんってこんなだったのか?」


「パパから聞いた話では相当なプレイボーイだったと……」


 あいつ生涯で一度切りのアクセスだったはずなのに何て馬鹿な事ばっかり喋ってんだ!

 ようやく下らない話が終わり本題に入った。


[──ライラ、すまない、すまなかった、せめての罪滅ぼしをさせておくれ。お前の目は私が治そう、何も心配しないでほしい。ピメリアに新しい義眼のデータを渡してある、あとはそれとウィッシュ・テクノロジーがあれば目は元通りになる。すまなかったライラ私の愛する孫よ、取引きに使ったことは今でも後悔し続けている……すまなかった本当にすまなかった、お前がこの世に生を受けたことが私にとって一番の財産だよ、どんな財宝よりもお前のその白い髪が最も美しい……]


 ライラも静かに耳を傾けている。──そこで終われば美談になっていたのに最後の最後に「お前の美乳も一度でいいからこの目で見たかった」と締め括られた。


(ほんとアホだなこいつ)


 顔を少し下げたままライラが尋ねてくる。


「……この話は本当なのですか、それとウィッシュ・テクノロジーというのは?」


 ここが一番の大勝負、昨日のぼんくら共とは比べものにもならない。

 ライラが断ったらそれまで、全てが水泡に帰す。


「シルキーの事だ──「是非、やってください」


 ──こんなにあっさりと...


「……良いのか?化け物の卵を目に埋め込むようなものなんだぞ」


「他に方法がありますか?それに薬だって元はと言えばただの毒ではありませんか」


 拍子抜けしてしまう程、ライラはシルキーの使用を許した。


「私の祖父とピメリアさんの手が加わればそれはもう化け物ではありません、まさしく希望が宿るテクノロジーですよ。だからやってください」


「──分かった」


 ──誰も私の真意に気付いていない。サーストンも政府も保証局の二人も親父でさえも。

 だが──


「……ピメリアさんはよっぽど見返したいんですね」


「さあね、何のことだか」


 分かる奴には分かるようだった。

※次回 2022/11/5 20:00 更新予定

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