第92話
.マリーンの真実
「マリーンの真実……ということは、あなたはここがテンペスト・シリンダーという世界だと知っているのですね?」
通された部屋から離れ、今はサーストンが座る車椅子を押しながら外廊下を歩いていた。
滅多に出られない外の新鮮な空気を吸いたいと彼が言ったからだ。
「君は信じていないようだね、その口ぶりからすると」
昔は伊達男であっただろう、痩せ細ってなおサーストンの体格は大きく、また軽くウェーブしている髪も肌寒い風に靡いていた。──髪の色は父親と同じく茶色だった。
「ええ、この目で外の世界とやらを見るまでは。けれどまあ、もしかしたら本当にそうかもしれない、という程度の認識です」
「そうだろうとも、私も未だ外の世界をこの目で見たことはない。そこは恐ろしい所で生きとし生ける者全てを拒絶する世界だそうだ、だからマキナたちは私たち人類を決して外へ出そうとしない、その存在すら闇に葬りさった」
「その事とライラの目が関係しているのですか?」
アリュールと呼ばれる歩廊を渡り、王城を直近に望める庭に出た。ちょうど館のエントランスから裏に位置する場所だ、雑多な生活臭に混じって庭に咲く花の香りが鼻につき、館の石壁の向こうにある街の音も耳に届いた。
庭は素晴らしいし景色も良いが、あまり落ち着けるような場所ではなかった。ドゥクスというマキナはこんな所を好んでいたのだろうか?
私の質問に答える前に、サーストンが庭に置かれたおそろしく手触りの良いベンチに座るよう促してきた。
「彼女は先天性ではないよ」
「それはどういう──は?」
脈絡の無い答えのように思え、一拍遅れてその言葉の意味を理解した。
「──ああ、勘違いしないでほしいがライラはれっきとした人間だ。私の可愛い一人娘と憎たらしいカイル・コールダーの間に生まれた天使そのものさ。──ただ、出生が些か人と異なる」
「まさか、遺伝子操作を……受けたという事ですか?そんな技術は夢物語のはずですよ」
「だが現実にあの子はアルビノとしてこの世に生を受けた」
「それは何故?何故そんな事をしたのですか?」
悔恨の念を晒しながらサーストンが答えた。
「ドゥクスと取引きしたのさ、マリーンに関わる情報とガイア・サーバーの一部の権利を受諾する代わりに、メラニン色素を著しく欠損させた人の子を世に誕生させてほしい、と」
「──あなたは私が思っていたより出来た人間では─「─そんな事は私が一番良く分かっている、ライラを産んで涙を流しながら喜んでいたリアナを見てその場で自害しかけた。今さらだがね」
途切れかけた会話の流れを私が継いだ。
「で、何故そのような事をドゥクスはあなたに求めたのですか?産まれてくる赤子の体内を弄ってまで何故そこまで?」
「特個体だよ、彼が最も恐れている特個体から人類を遠ざける為だった」
「特個体とは……厚生省で管理しているアンノウンテクノロジーの事ですか?」
「そうとも。彼はこの世界に存在している三機の特個体のうち二機を掌握し、その機体をカウネナナイの領土内で管理していた。だが、現国王であるガルディアが玉座に着く前に二つの機体をウルフラグへ移す計画を立てた、私はその時に彼と知り合ったんだ」
「あの王様が特個体の存在に気付いたとでも?」
「そこまでは分からんがね、時期的に被っていただけかもしれない。ただ、その時から既に彼はいたく恐れていたよ」
「確か……全ての電子機器に対するハッキング能力だったかと……その程度の事でドゥクスは──いや、その特個体というのはもしかして……」
「オリジナルだ。ウルフラグの軍やカウネナナイの軍が使用している機体は全てそのオリジナルのレプリカに過ぎん。だからウルフラグではハッキング対策も十分に機能するしカウネナナイでも特個体が通常運用されている。しかし、オリジナルは違う」
そう断言したサーストンの声には力があった。
「ハッキング対策など風前の灯火に過ぎず、オリジナルの特個体はこの世界において頂点に君臨する存在だ。マキナにとって命の揺籃、あるいはアイデンティティと言っても過言ではないガイア・サーバーすら掌握する能力がある」
ここでようやく、過去においてグガランナがそのサーバーの名前を口にしていた事を思い出した。
「そのガイア・サーバーというのは……まさか外にあるという世界も記録している、という事ですか?」
「そうさ、だからライラは産まれる前から白子症として遺伝子操作を受けた。ガイアとは、人にとっての揺籃であり世界の土台を築いた神の名だ、その名の通り今を生きる我々では到底知り得ぬ知識がごまんとして溢れ返っている」
「ドゥクスはそのサーバーを特個体から守りたかった……だからライラの遺伝子を操作したと?」
「実験だそうだ。ライラだけではなく、カウネナナイの民がコネクト・ギアと呼ばれる特個体と人間を繋ぐ電子機器を体内に埋め込んでいるのも、任務毎に記憶消去を命ぜられているヴァルキュリアの部隊も、そしてウルフラグで日常的に使用されているガングニールとダンタリオンは全て彼の実験による結果だ」
「…………………」
「それが今日、つい今し方水泡に帰した。ウルフラグに預けたはずのガングニール・オリジナルが起動しプロイからこちらに渡ってきたそうだ、だから私が君の相手をする事になったんだよ」
「ちょっと……ちょっと待ってください、頭は付いて行けてますが感情が一周遅れしている」
「面白い言い回しだ」
ああ、そういう事かと、一周遅れどころか何周も置いてけぼりにしていた疑問がここに来て腑に落ちた。
この雑多な音と匂いは確かに、雁字搦めになった頭の思考を和らげてくれる。ドゥクスという男がどういう立場にあるのか、その一部だけでも垣間見た思いだった。
畢竟、私は世界の真実よりも別れたばかりの娘の恋人を心配していたようだった。
「……つまり、そのガイア・サーバーとやらにあなたはアクセスする権利があって、そこに眠っている知識を使えばライラの目を治せると?」
サーストンの顔がパッと輝いた。
「ほう!やはり君は善良な人間のようだ、今の話を聞いて真っ先にそれを尋ねるかね?」
「他に何を聞けと?」
「何故ドゥクスがカワイの人間を気にかけているのか、とか、何故私が存命であることをライラに知らせていなかったのか、とか、畢竟ずるにドゥクスは何を目的として非人道的な実験を繰り返していたのか、とか。まだまだ喋り足りないのだがね」
「クソどうでも良い」
サーストンが咳き込みながら笑い声を上げた。
もう敬う必要もないだろう、何故だかそう思った。
「はあ……参った、参った、私の考え過ぎのようだ。でだ、君にはガイア・サーバーがある城まで連れて行ってほしい、その道中でお人好しのグロウについて語ろうではないか」
「時間がないんだけど……まあ良いか、ライラの為だ。それにナディにも何とかすると大見得切ったことだからな、付き合うよ」
「大方、世に散らばったウィッシュ・テクノロジーで何とかしようと思っていたのだろう?」
「何だそれ」
「ノヴァウイルスの呼び名さ」
「また変な呼び名が一つ増えたな……」
またサーストンが笑った。
「良いではないか、ガイアの知識と全てを複製するテクノロジーがあれば何でも作れる」
「──ああ、だからカウネナナイは発見当初ウイルスを欲しがったのか、それでユーサの港も襲撃したんだな」
「うん?それはここ最近だろう?最初に発見されたのは今から約二〇年も前の話だ」
「──何だって?二〇年前?」
ほんと老人というものは無駄に知識を持ってカラ元気で喋りたがる。
「初めてノヴァウイルスの種が見つかったのはウルフラグ領土のカワイだ、第一発見者は君の父親だよ」
街の喧騒が耳に届く。何かが規則的にかつ力強く打ち鳴らす音も届いた、それが自分の心臓の音であると後から気付いた。
✳︎
[ご気分はいかがですかドゥクス]
[……まさかマキナでありながら生と死の境を彷徨うことになるとは夢にも思わなかったよ。そもそもマキナは夢など見たりせんが]
[ですが、そのお陰で──]
[ああ、ようやくだ、ようやく全ての特個体を掌握することが出来た。窮鼠猫を噛む。始めからこうすれば良かったのかもしれん。グガランナよ、三機を管理している上位種が存在している]
[それは間違いないのですか?]
[ああ、初めはカルティアンの娘に接触してきたノラリスと呼ばれている機体を疑っていたのだが違うようだ。私にハッキングを仕掛けて暴走したシュタウトから操縦権を剥奪した存在は海中にいる、それも深海域だ]
[それはまた……では、時折両国間の争いに介入していたのもその存在の仕業であると?]
[超長距離射撃によるミサイルの破壊、それから広範囲に及ぶ電磁パルス攻撃──いや、それだと……ううむ、やはりあのノラリスという機体が一枚噛んでいるのか……?]
[…………]
[…………]
[ドゥクス]
[──ああ失敬]
[サーストンとピメリアがガイア・サーバーに向かいました。どうしますか?]
[君の判断に任せるよ。それに付き合いは君の方が長い]
[──分かりました]
[五年前のあの日が懐かしく思えるよ。セレン侵攻の前に立ち寄ったあの日、ようやく歯車が回り始めたと思っていたが既に噛み合っていたのだな]
[ええ、そうですね]
[君には酷な事を頼むことになるが今一度辛抱してくれ。カワイとセレンは言うなれば巻き添えになってしまったんだ、ノヴァウイルスの萌芽を見つけたグロウ・レイヴンクローにそれを預かったルイフェス・カルティアン、二人の血縁者の傍に君がいる]
[ええ、だからこそ私はウルフラグに渡ったのですよ、覚悟していた事です。ただ──]
[何かね?]
[縁、という不確かなものをここまで意識させられたことはありません。必ずしも二人が関わる必要はなかったというのにこうして密接に関わっている。まるで……]
[運命だと言わんばかりに?]
[はい。マキナの身でありながらおかしな事を言いますが……]
[いや、あるさ、運命というものは確かに世の中に存在している。まるでこの事に遭う為に今日まで生きて来たのだと思わされるような出来事に巡り合う。命を運ぶと書いて運命と呼ぶ、我々の不始末を拭うように葬り去った二つの街、そこから生き延びた二人を君が相手にする]
[──素敵ですね、運命というものは]
[皮肉なものだよ、運命というものは]
✳︎
入った亀裂というものはなかなかどうして、そう簡単には直らずそしていとも容易く道を壊していく。
「……その老人は誰なんだ?何故ガイア・サーバーの存在を知っている」
建設は死闘、破壊は一瞬。積み上げる努力は一朝一夕ではないのに対し、破壊は文字通り一瞬だ。
今日帰国するはずのレイヴンクローが体を庇うようにして(喧嘩でもしたのか?)現れ、そして一人の老人を連れて来た。その老人が何の前口上もなく「ガイア・サーバーに案内してくれ」と宣ってきたのだ。これで焦らない方がどうかしている。
「グレムリンは元気にしているかね?彼をドゥクスに紹介したのがこの私だ。これで名乗らずとも概ね私の存在について理解できたかと思うが」
「ああ、そういう……で?サーバーに一体何の用事があるんだ?調べ物ならお断りだぞ」
「ほう、大事な玩具を取られまいと必死だな、ガルディア国王陛下殿」
(このっ………)
「心配せずとも君と同じように私にもアクセス権がある。たった一度きりのキーだ、それを可愛い孫娘の為に使いたい」
自分の耳を疑った、レイヴンクローの乱射のせいでイカれたままなのかと思ってしまった。
「……アクセス権がある?そんなもの誰に─「─ドゥクスさ、彼から譲り受けたものだ。すまないがこの問答が惜しい、私に残された時間はもうあまり無いんだ」
「疑わしいってんなら実際にサーバーまで案内すれば良いだろ?その時この爺さんの言ってる事が本当なのか嘘なのかすぐに分かるんだから」
「…………………」
「それともお前が代わりに調べてくれるか?失った目を取り戻す方法を」
「──付いて来い。その話が嘘だったらその場でお前たちを拘束する」
「やれるものなら。私がウルフラグの顔だってことを忘れんなよ」
(──くそ!何なんだこの女!──ああ!こんな事になるならカルティアンの娘に手を出すんじゃなかった!こいつをこちら側に取り込んでおけば──)
後の祭りだった。
王城の一角にある軍本部に現れた二人を連れて会議室を出る。ヴァルキュリアがついに本土を攻めてきたと今なお会議室はてんやわんやだが離れる他になかった。
会議室から謁見の間に向かう道すがら、俺はひたすら策を練っていた。どうすればこの女と手を結べるのか、セントエルモ・コクアの約定はあるがそれは組織間にのみ有効なもので、個人間における円滑なコミュニケーションにはなり得なかった。
老人の孫娘について聞き出したり、それがあのコールダー家の娘と知って愕然としたり、治療に必要な物資であったりそれこそハフアモアの提供を打診して見事に断られたりしたり、あの手この手を尽くすがそれらを全てレイヴンクローは断っていた、必要無いと。
(ああもう!全部裏目に出ていやがる!これ以上はさすがに危険か、コールダー家を攫おうとした事実が露呈しかねない……)
万事休すとはまさにこの事。因果応報とも言う。
本殿を出て中庭へ、しんとした空気を吸い込み気分を落ち着かせていた俺にレイヴンクローが話しかけてきた。
「随分と必死なようだな?そんなお前に私からアドバイスしてやろう」
「……何だ?」
「経験することは時として、偉人たちが残した知識に勝ることがある。私も後手に回って辛酸をなめさせられた時があった、あれは辛かったよ──お前たちにな」
「……………」
「ガイア・サーバーこそがお前にとってのアドバンテージだったんだろう、この老人から教えてもらったよ。そのサーバーにはこの世界には無い知識も眠っていると、それとウィッシュ・テクノロジーと呼んでいるシルキーが合わされば何でも作ることが出来る。この国の製造技術が私たちより盛んで先を進んでいるのはそのせいなんだろう?」
「花丸でもあげればいいか?」
「お前に褒められても嬉しくはない。──ここからがアドバイスだ、ちゃんと聞け」
まだ終わってなかったのかよ。
「──人の為になるものをガメていればいずれ身を滅ぼす、必ずだ」
「うん、良い言葉だ」
謁見の間に着いた。ここはいつでも変わらない、川のせせらぎと葉擦れの音だけが全ての空間。
「では、どうすれば良い?お前はその答えを知っているんだろ?」
「それを考え続けるのが責任者としての使命だ」
「それはアドバイスと言えるのか?」
「経験から来る先達の言葉は全てアドバイスだよ」
「お前、俺と同じ歳だろ」
「責任者としてはお前より一歩先を歩いているつもりだ。失敗した事がないこの未熟者め」
「──ちっ」
人前で決して見せたことがない悪態をついても二人は気にするどころか笑顔になっていた。何て嫌らしい人間なのかと思ったが、
「そうそう、失敗したらそれで良いんだよ」
「君は少し肩に力が入り過ぎているようだね。取り繕っても得られるものは己の見栄だけだ」
──今さらだ、その言葉は。
二人が現れた時と比べて随分と楽になった心持ちで、ガイア・サーバーへと続く暖簾を上げてやった。
「行け、ここで待っている」
「良いのか?」
「二度も同じことは言わん。補足するが、出入り口はここだけだ、お前たちが何か問題を起こしたとしても逃げられないからな」
「それなら良い。案内ご苦労だった」
ご苦労って、王様なんだけど俺。
自然な笑みを湛えた二人の背中を謁見の間から見送った。誰かを見送ったのはこれが初めてだった。
✳︎
「グロウ・レイヴンクローはとても疑り深い方でした」と、唐突に語り始めたのはサーストンではなく、一本の大樹の前に立っていた女だった。
髪は黒く肌は白い。一目でカウネナナイの人間ではない事に気付く、どこか不満そうにしている女の面差しがどこか印象的だった。
自己紹介も無しの唐突なその告白は衝撃ではなく"戸惑い"の方が強かった。
サーストンが話しかける。
「君は?一体どうやってここに?」
「私は人間ではありません、あなた方が来るのを待っていました」
「マキナか……」
「はい。この度はあなたに謝罪をと思いまして、こうしてお話させていただくことにしました」
「何の謝罪だ?迷惑をかけられた─「グロウ・レイヴンクローは私たちマキナがこの手にかけました」
この世界の"電算室"と言っても過言ではないガイア・サーバーは一本の樹なのだそうだ。その回りは高い石壁に囲われ蒼天を仰ぎ見ることができる。
それらの景色を視界の端に捉えながら私は女の顔を注視した。
「……殺したと?」
「はい」
「何故?」
「グロウ・レイヴンクローが外来種を匿っていたからです。私たちマキナは何度も彼とコンタクトを取り引き渡すように再三お願いしたのですが全て断られました」
「だから殺したのか?「──まあまあピメリア、そう殺気立つのは良くない。私から質問をいいかね?その外来種というのはノヴァウイルスに関連するもの?」
「はい」
「それをどうして君は外来種と呼ぶ?ウイルスではなく外来種という言い方はまるで…」
「はい、お察しの通り初期のノヴァウイルスは意志こそありませんでしたが生きていました、まるで生物のように。その外来種の確保に奔走し、そして悉く失敗した私たちはカウネナナイの軍を利用してカワイに侵攻させました」
「…………」
「…………」
「今から約二〇年前の話です。私たちにとっては昨日の出来事のよう、けれどあなたにとっては違います、だから謝罪をしに来ました」
「その必要はないよ」
「………?いえですが、私はそうしろと言われて──」と、目を白黒させている女の傍に寄った。
背丈はグガランナぐらいだろうか、いや全く同じだ。違いがあるとすればまずこの髪の色だし目元も少しだけきつい。
女の両肩に手を置いた、びくりと体を震わせたが構わずこう言い切った。
「良くやった。私は自分の父親が大っ嫌いだったからな、こんな事を口にした私に向かって天国から中指立てているかもしれんが」
「…………」
ぽかんと口を開けている。
背後にいるサーストンが口を挟んだ。
「要するに気にするなと君に言いたいんだ。彼女の言い回しは独特だからね」
「解釈どうも。で?お前は一体誰なんだ?グガランナと良く似た雰囲気を持っているが…」
そこで女の目元がやっぱりキリリとした。
「テンペスト・ガイアと申します。それからあの泣き虫甘えん坊構ってちゃんと同列にしないでください」
「──ああ、やっぱりか、お前はあのマテリアル・コアに同居していたんだな?」
「良くご存知で」
「そりゃ雰囲気がちぐはぐの時があったからな、他の奴らも気付いていたぞ──ってことはあれか、お前は私の事をもう知っているんだな?」
「はい、会話こそしていませんでしたがあなたの言動はつぶさに観察していまし──うるさいっ!!」
「っ?!」
「癇癪持ちなのかな」
「失礼しました、グガランナが今すぐ変われと捲し立ててきましたので」
「そ、そう…そういうのは口にしないでくれる?普通にビックリするから」
「す、すみませんでした…」
キツい目元を下げてすぐに謝った。こういう素直さはグガランナにはない。
「そろそろ私たちの用事をいいかな?時間がない、可愛い孫娘の為に一肌脱ぎたいんだ」
「良ければ私が調べましょうか?」
「それには及ばんよ。私とて好奇心を満たしたい猫だからね」
何だその言い回し、微妙に縁起が悪い。
「その前にあんたの口からも父親について聞きたいんだがな」
「うん?それならテンペストが既に喋ったろう、私が知るあの男はとにかく尻好きの絶倫「もういい」
何が悲しくて死んだ父親の性癖を聞かされなければいけないんだ。しかも絶倫て。
私とサーストンのやり取りをテンペストが微笑ましく眺めている、こういう奥ゆかしさもグガランナにはない。
(良い女だな)
何なら私の代わりにテンペストがサーストンの車椅子を押している、ああいう面倒見の良さはグガランナには絶対ない、寧ろ見られたい側だ。
サーストンが樹のすぐ前に着いた、地面から露出した根っこにそれを覆う雑草はどう見ても本物にしか見えない。どれがそうでどれがサーバーなのか、側から見ただけでは分からなかった。
だから唐突に明るい窓が宙に生まれた時は心底びっくりした、どうやらこの空間はとにかく人を驚かさないと気が済まないらしい。
「ほう…これが…」
「物理接触によるインターフェースはこちらです、どうぞ」
そう言ってテンペストが差し出したのは一枚の葉っぱだった、それもとても大きいものだ。
「ああ、これがキーボードの代わりを…」
「あなた方で言うところのタッチパネルと同じ操作方法ですのでご安心を、すぐに慣れます」
「…………」
サーストンはもはや言葉が耳に入らないようだ、食いるようにして宙に浮かぶ窓を見ている。
これなら案外私も見られるのでは、と思いサーストンの背後に立ってみるが真っ白いばかりで何も分からなかった。
私の行動を見ていたテンペストがそっと教えてくれる。
「あのインターフェースを持つ人にしか見えませんよ」
そして私はこう答えた。
「お前、良い女だな。今時珍しいよ」
「──っ……そ、そうですか……」
キツい目元をさらに細め、側から見たらガンギレしているように見えるがちゃんと頬を赤く染めている。
「な、何が珍しいのか、ご、ご参考までに…」
「相手を立てるというか常に一本後ろを歩くその姿勢というか。今時男も女も目立ちたがる時代だからな、何かと衝突することがあるんだよ」
「そ、そうですか…」
「グガランナにもその姿勢の大事さを教えてやってくれ」
頬を染めながらテンペストがふっと微笑み、そして真顔になってこう言った。
「先程の続きになりますが、グロウ・レイヴンクローが私たちを遠ざけていた理由が何となく分かりました」
「ほう、それは?」
「きっとあなたに近づけたくなかったからでしょう。付近に住んでいた子供たちを見かけることはあってもあなただけはついぞカワイの町で出会えませんでしたから」
「…………そんな理由だったらいいな」
「…すみません、差し出がましい真似を……」
「いいさ、生き残った人間は死者を偲ぶことしかできない。それこそ他所のテンペスト・シリンダーでもきっとそうなのだろう」
「そうですね、きっとそうなのでしょう」
二人肩を並べ、葉っぱを忙しなく触っているサーストンの背中を見やる。時間にしてそう長くはなく、すぐにその時がやって来た。
「──こんなものだろう、うん、これで良いはずだ。君、この検索結果をアウトプットできる?」
「少々お待ちを」
そう言ってテンペストが私の元から離れ、樹の根元に寄った。そして、一つの芽をぽきりと折って手にしてすぐに戻ってくる。
「これをどうぞ、ウルフラグにいるティアマト・カマリイかハデス・ニエレに渡せばファイルを開けるはずです」
「ほう……これが次世代のメモリか……ピメリアに渡してくれ、私には無用の長物だよ」
テンペストから渡されたメモリはどう見ても芽にしか見えない。小さな茎に付く二枚の葉、若々しく青々としていた。
「で、外の世界とやらはどうだったんだ?楽しかったか?」
サーストンが車椅子の背もたれに頭を預けたまま、こちらを見ることなく答えた。
「どうでも良かったさ、案外どうでも良かった。私の頭の中は罪滅ぼしと娘と孫の事でいっぱいだった、あとは君の言う通りさ」
「うん?」
「これを独り占めしていたら必ず身を滅ぼす、それだけはこの短い時間で理解した」
「小心者で助かったな」
「だから家族を作ったのさ。──それより二人とも、こっちに来てくれすぐに」
「?」
「?」
有無言わさぬその物言いに気圧された私とテンペストはサーストンを挟んで向かい合うように立った。
何事かと思えば、
「ちょっ!おいコラ!」
「え?え?え?」
「──ああ〜〜〜この胸の感触実に良い!ずっと我慢していた分なお良い!死にかけていた私を起こした彼には恨みがあったがこれでチャラだ!うう〜〜〜ん」
「き、気色悪い!頭を擦り付けてくるな!」
「これぞまさしくこの世の春!微乳と巨乳のコラボレーション!…セバスチャンに自慢してやらねば、これこそ男の…勲章だと…おっぱいに挟まれるこの幸せを…」
「このクソエロジジイが!ライラに言いつけるぞ!」
「ちょ、ちょっとレイヴンクローさん!そんなに乱暴するのは──え?サーストンさん?」
「え?……おいおいおいおい嘘だろ……」
私の胸に押し付けていた頭が力なく項垂れている。まさかと思って覗き込んでみやれば...
「こいつっ──なんつうタイミングで息を引き取ったんだ!!」
「でも何だか……」と、テンペストがサーストンの前髪を優しく払った。
「とても幸せそう……まるで眠っているかのようですね」
「………はあ〜〜〜しょうがない…」
面倒臭いんだがしょうがない、このまま無縁仏にさせるのも可哀想だ。
「だからと言って俺に預けるのか?」
サーストンの遺体を乗せたまま車椅子を運び、謁見の間で─本当に─待っていたガルディアに託す。勿論文句を言われた。
「これから私たちは海を渡らなければいけないんだ、そんな時間は無い、また後で墓参りにでも来てやるから、な?」
「な?じゃねえよ!」
「そうお堅いこと言うなよ、今この場で頼めるのはお前しかいないんだから」
「──この俺に頼むって言うのか?その爺さんから「聞かされたよ、カワイの侵攻作戦を立案したのはお前だと。それを分かった上で頼んでいるんだ」
「お前、俺のことが憎くないのか?」
そう尋ねてくるガルディアの目には怯えと疑問の色があった。
背後にいるテンペストは口を挟まず、かといって無視するわけでもなくただ成り行きを見守っている。きっとこの女も侵攻作戦に関わっていたに違いない、だからサーストンの名前も知っていたのだ。
「憎い、憎くないで言えばそりゃ憎いさ。どういう経緯があったにせよ、私の生まれた故郷はもう何処にもないんだ、探したくても探せない、戻りたくても戻れない。お前たちと違ってカワイの人間は何があっても自分の故郷には二度と帰れないんだ」
「…………」
「…………」
「だがなあ、」と言葉を継ぐとガルディアがそっと面を上げ、テンペストがこくりと唾を飲み込んだ。
「感謝もしている」
「──はあ?」
「それはどういう意味なのですか?確かに私たちマキナはカワイの町を攻めるようカウネナナイをリードしました。憎まれこそすれ感謝される謂れはどこにも無いはずです」
ゆっくりと背後に向き直り、真正面からテンペストの目を覗き込んだ。
「グガランナ、どうせ聞こえているんだろう?この際だから言うが、私がお前をそこまで好きになれかったのはな、同族嫌悪していたからなんだ」
「それはどういった?」
自分は関係ないと、傍観者になることを決めたらしいガルディアが気さくに先を促してきた。
「私もお前と同じで昔は根っからの甘えん坊だったんだよ。誰かの面倒なんて見られる器じゃなかったし、私もずっと自分の父親に甘えて過ごしたかったんだ。でもなあ、それじゃあ駄目なんだよ、甘えん坊のままだと自分の人生を全うできない、カウネナナイの侵攻は確かに私から全てを奪った、けれど代わりに一人立つ精神を与えてくれたんだ、だから感謝している。そのお陰もあって今ではウルフラグの顔として国境線すら超えられるような責任者になった。だからお前もなれ、甘えられる安心感を知っているなら誰かに甘えられるような存在になれ、その方がずっと良いぞ」
「…………」
テンペストは何も答えない、だが、グガランナの代わりなのか一筋の涙を流した。
そしてこう言った。
「ごめんなさいと、グガランナがあなたに謝っています、直接会わずに逃げた私を許してほしいと」
「誰が許すもんか、次に会った時はお前の口から直接聞かせてもらうからな、覚悟しておけ」
また、薄らとテンペストが微笑んだ。そのテンペストが徐に一つの新芽を取り出した、先程サーストンが預かった一風変わったメモリだった。
「これをあなたに──「いや、それはお前が持っていろ」と言葉途中で口を挟み、テンペストの細い手首を鷲掴みにした。
「お前もウルフラグに来い」
「ですが……」
「どうせ暇してるんだろ?だったら私の補佐に入れ、グガランナはこっちに残るんだからちょうど人を探していたんだ」
「……──ああもう!うるさいったら!さっきのしんみりは何処へ行ったの!!──うるさいうるさい!!」
と、テンペストがまた突然叫び始めた。
「お、おい、あいつ大丈夫なのか?」
「グガランナとマテリアル・コアを共有しているんだよ、今頃頭の中で喧嘩でもしているんだろ」
「嫌な機能だな」
「全くだ──おいグガランナ!私はお前にナディを任せたいんだよ!そこんとこちゃんと分かってんのか?!お前にしか頼めないんだよ!」
まるでロックミュージシャンのようにヘドバンしていたテンペストがぴたりと動きを止めた。側から見たらただの変人である。
「はあ…はあ…よ、ようやくグガランナも納得したようです……全く」
「じゃ、お前も異論はないな?これからよろしく頼むよ、ちょうどお前みたいな奥ゆかしさを持った相手が欲しかったんだ」
乱れていた長い髪を整え、薄らと頬を上気させたままテンペストが答えた。──にんまりと細められた目元がどこか熱を帯びていた。
「──はい。私もこう見えて嫉妬深いですから、他の方にうつつを抜かさないように気を付けてくださいね」
後ろから「百合は他所でやれ」と傍観者が突っ込みを入れてきた。まったく野暮というものである。