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第85話

.オーキードーキー!



「ちょっとジュディスちゃん、この青椒肉絲、肉が入ってないよ」


「ウルフラグでは入れないのが主流なの」


「いやいや……これじゃただの野菜炒めだよ」


「食べられるだけ有り難いと思いなさい!これ食べたらさっさと出かけるんだから!」


「まさか、ここに来て僕たちの目的が達成されるとはね〜……──ん、美味い!」


「こればっかり作ってるからね」


 口の中に放り込んだ青椒肉絲もどき、ガーリックの香ばしさと醤油の味が相まってとても美味しい。惜しむらくは肉が入っていないことだけ。


(まあ……贅沢だよね)


 すっかり寂れてしまったバーの店内、従業員スペースの厨房でジュディスちゃんが料理の腕を振るってくれている。今日で一週間、小さな押しかけ女房は毎日欠かさず通って僕のためにご飯を作ってくれていた。

 肉なし青椒肉絲を作り終え、錆びが浮いてきた流しで料理器具を洗っている小さな背中に声をかけた。


「どうしてキラの山に登るんだい?」


 肩甲骨辺りまで伸びていた髪を一本に束ね、その結った髪を揺らしながらこっちに振り向いた。


「ん〜?さあ、まだ私も聞かされていないわ。とにかく人手が必要だから集めてほしいって頼まれたのよ、私友達少ないのに。──少なくないわっ!」


 洗い終えたフライパンをカウンターに叩きつけた、だったら自虐しなきゃいいのにと思う。フライパンで殴られたカウンターの接合部がぱっかり、中の配管が露出してしまった。

 ジュディスちゃんと見つめ合う、向こうが折れた。


「ま、どうせここも離れるんだから良いでしょ」


 いや全然折れていない。


「一応、ここの名義僕の名前なんだけど…」


「今なら大丈夫じゃない?政府も公式にカウネナナイの国内滞在を認めたんだし。あの発表はウィゴーたちジュヴキャッチを受け入れたってことなんだから」


「いや、だから余計にここの視察に来るんじゃない?いい加減空き店舗を解放しろって──」


 僕が懸念していた事を口にした途端、バーの扉が乱暴に叩かれる音が聞こえてきた。


「!」

「!」


「ウィゴー・ヴィシャスさーん!いらっしゃいますかー!もしもーし!!」


 元気な声で良く通る。残りの青椒肉絲を口にかっこみ「私の分まで食べやがって!」と小さな押しかけ女房に背中を叩かれながらその場を後にした。



「でっか」


「肝っ玉はあんたと同じくらいだけどね」


「この子誰?」


「俺はハデス。まあよろしく、でっかいお兄さん」


「挨拶はここを出てからにしましょうよ、臭すぎる」


「道案内ヲ開始シマス。ジュディスサン以外ハ付イテ来テクダサイ」


 んだとこらぁ!と叫びながらジュディスちゃんが下水道を走って行った。

 先の暴動で空けられた道、様々な呼び名を持つ生命体が通った道をなぞるようにして僕たちもバーから下りていた。

 先を歩くのはジュディスちゃんと背丈があまり変わらない男の子、名前をハデスという。さらにその先には、僕のバーでもお世話になったラハムを捕まえて振り回している押しかけ女房。

 先を歩くハデスくんがこっちに振り向いてきた。


「あんたも皮肉な存在だよな」


「ん?それはどういう意味?」


「だって、あんたたちの目的ってウルフラグの奪還だったんだろ。それが自分たちの働きじゃなくて戦争をしかけていた本国が宥和政策に踏み切ったお陰だってんだからさ」


「難しい言葉を使うね、お兄さん良く分からないよ」


「またまた〜」


 悪戯っぽく笑いながらハデスくんが僕の腕を叩いてきた。

 ジュディスちゃんの言う通り、確かにここは臭いが酷い。水が腐った臭いに人の生活臭も混じったような場所なので一刻も早く外へ出たかった。色んな憶測や"後ろめたい"気持ちを胸に引っ込め小さな背中の跡を追う。

 ドローンが一つの梯子を上がり、続いてトレッキングブーツを履いたジュディスちゃんが手を使って上っていく。どうやらバーの裏手に出るらしい、ハデスくんに続いて僕も外へまろび出た。

 マンホールから出た先に待っていたのは一人の女性だった、きっと臭いだろうに嫌な顔一つせず僕にも手を貸してくれた。


「早く車に乗ってください」


 自己紹介もせず、近くに停めてあった一台のバンに乗り込む。七人乗りシートは僕を含めて満席だった。


「さあて皆んな乗ったかな〜?それじゃあ行こうか聖なる山へ!」

「その前にシャワー浴びたい」

「その前に説明してほしい」

「その前にご飯食べたい」

「途中のパーキングエリアに寄りましょうか」

「そんな余裕ない。山で済ませて」

「いきなりレンジャー訓練」


 三々五々の言葉がバンの中に溢れ返る。荒っぽく発進した後、背後を振り返るとスーツ姿の人たちが後からやって来ていた。手に銃こそないけれど顔つきは険しい。


(申し訳ないな…皆んなに迷惑がかからなければいいけど…)


 ジュディスちゃんの突然の来訪から一週間、ろくな食べ物を口にしていなかった僕は彼女の料理に助けられ、元気が付いてきたかと思えばこの七人組みパーティー。向かう場所はビレッジ・コア南部にあるキラの山だった。

 少しだけ肩身が狭い思いを感じながら、初めて見る眼鏡をかけた女性の運転に任せた。



「シルキーのエネルギー源を調べに行く?」


「そ。──あ、これ焼けてるぞ」


 薄雲の下、春を前にした山裾。キラの山が溜め込んだ雨水がせせらぎとなって流れる川の辺りに爆ぜる音は、火に焚べられた枯れ木だ。獲ったばかりの川魚が木の枝を通され焚き火の中で焼かれている。程よく塩が振られているから美味しい。

 見事に釣り上げたのは眼鏡をかけた女性、名前をロザリー・ハフマン。僕には縁遠い大学で教鞭を取っている女性だった。


「フィールドワークも好きだからね〜良く学生の子とキャンプをやったりするんだ」


「これ美味しいですね、お酒が飲みたくなっちゃ──あっ」


「……ふんっ」


 僕の死角からジュディスちゃんがその小さ過ぎる手を伸ばして焼き魚を奪っていった。

 ジュディスちゃんをニヤニヤ笑いで見つめているのはライラ・コールダーという女の子、それから僕たちを下水道から引き上げてくれたのはリッツ・アーチーという名前だった。

 そしてハデスくんにジュディスちゃん。最後に、


「こら!人様の物を取ったら駄目じゃない!」


 一番背が低く、そして一番偉そうにしているのがティアマトという女の子だ。


「ティアマトちゃん、ジュディ先輩はそういう意味で取ったんじゃないから。微笑ましく見ていてあげ──あっぶなっ?!串を投げてくるな!」


「うっさい!そんな事より説明!」


「だから、お前たちがシルキーって呼んでいる奴らのエネルギーをキラの山まで調べに行くんだよ。さっきも言ったろ?」


 焼き魚を平らげたハデスくんが口の周りを汚しながらそう答えた。


「エネルギーって何?奴らはエネルギーが無いと動けないって事なの?」


 僕の隣に遠慮なくぺたんと座ったティアマトちゃんも説明に加わった。


「動けないというより複製できない、と言った方が正しいわ。この土地では一次産業が盛んに行われているから消費する必要がないけれど、本来はナノ・ジュエルと呼ばれる物を使って食べ物を生産していくのよ。そのナノ・ジュエルを使ってノヴァウイルスは複製しているのではないか、というのが私たちの見解なの」


「な、ナノ……何?」


「ナノ・ジュエル。正式な呼び方は多面展開型万能複製素材よ、この世に存在するありとあらゆる物を作ることができるの」


「……………」


 川のせせらぎと焚き火、それから鳥の鳴き声を十分に聞いた後、僕は現実的な事に目を向けた。


「あ、その魚焦げちゃうよ、誰か食べなよ」

「私もうお腹いっぱい」

「一人一匹ずつなのに何故余る!」

「私は食べないって言いましたよ」

「──聞いて!私の話を聞いて!今すっごく大事な事を言っているの!」

「俺も一匹で十分」

「というか今日のあんた、いつもと雰囲気が違うわね。前はおどおどしていたくせに、とくにライラに」

「──え?そ、そうか?まあ、あんまり顔を見ないようにしてるからかな。世の中には女より怖い生き物がいるんだよ」


 もう皆んな好き勝手、ティアマトちゃんの話に耳を傾けようとしない。

 そのティアマトちゃんが今にも泣き出しそうな顔をしながら僕の腕にしがみ付いてきた。


「それでね!そのナノ・ジュエルを管理しているのがポセイドンという─」「─わ、分かったから!ほら!皆んなも話を聞こうよ!」


 アーチーさんは苦笑い、ライラちゃんとジュディスちゃんは軽く咳払いをし、ハフマンさんは残った焼き魚を無理やり口の中に押し込んでいる。ハデスくんだけ面倒臭そうにしていた。

 ようやく皆んなの視線がティアマトちゃんに移った時、川を挟むようにして広がる広葉樹の森から生き物の遠吠えが聞こえてきた。真っ先に怯えたのはライラちゃんだった。


「何今の?!」


 嫌そうにしながら焼き魚を平らげたハフマンさんがけろりと答えた。


「野生の狼だと思うよ、この辺りは自然保護区に指定されているから人の手が入らないんだ。つまり、命の危険がある、他にも熊とかいたはず」


「今の遠吠えってもしかして……」


「私たちに狙いを付けているんじゃないのかな?出番だぞ、でっかいお兄さん」


 ハフマンさんの言葉に重ねるようハデスくんが僕の腕を叩き、それを合図にしたかのように他の淑女の皆様方が暴言を吐きながら撤収作業に入った。


「先に言えーーー!」

「早く片付けて!」

「ロザリーてめえこら帰ったら覚悟しておきなさい!」

「はっはっはっ忘れてたよ、ごめんごめん。ヴィシャス君に猟銃を渡してもらえるかな?」


「──え?!こんな所で銃を使うの?!」


「そんなに驚く?お前ってこっちでテロリストをやってたんだろ?」


「いやいやそれとこれとは、」


 一体どこに隠していたのか、ハデスくんが一丁のボルトアクション式のライフルを手渡してきた。

 ずっしりとした感触が手に乗しかかる、野生の狼たちの遠吠えが今度は割と近い位置から聞こえてきた。


「ぎゃああっ!!食われる食われる!!」

「キャンプセットなんてどうでも良いから早く行くわよ!「良くない!それは私が持って来た私物なんだよ!」

「ほら〜早くしないと食われるぞ〜」

「ハデス!あなたも手伝いなさい!」

「ラハム!道案内!」

「カシコマリマシタ。ジュディスサン以外ハドウゾコチラニ」

「それ言わないと気が済まないのかっ!!」

「いいから早く行って!!」


 近くの薮が騒々しく動いたのを見てしまった、直近にまで接近しているようだ。

 狼を脅すため、空に向かって一発だけライフルを発射した。射撃音が森に木霊し、どこか余裕だったハデスくんまで兎のように駆け出した。


「あああーーー!」

「あああーーー私のキャンプセット──もういい!ヴィシャス君!殿を任せるよ!」


 ドローンが森の中に消え、その跡に続くようにして他の皆んなも分け入っていく。

 森へ入る直前にもう一度振り返り、狼たちの様子を確認した。


「──!」


 群れの内の一体だろうか、犬歯を剥き出しにして威嚇しながらこちらに歩み寄ろうとしていた。この距離だったら一瞬で詰められてしまう、ライフルのボルトを引いて次弾を装填、あちらが駆け出してきたと同時に引き金を絞る。──ヒット、着弾の衝撃を殺し切れなかった狼が派手に吹っ飛び川の中へと落ちていった。


(──今のは……)


 気のせいだろうか、それとも光りの反射のせい?狼から上がった血飛沫が()()に見えてしまった。



 森の中を駆け抜け、一般道とは違う山道に入り暫く進んだあたりで先導役のラハムが静止した。


「ココデス。ジュディスサン以外オ疲レ様デシタ」


 どうやらあの文句はプログラムされているらしい。ラハムの文句に誰も応えない、皆んな走って歩きっぱなしだったから疲れているのだ。

 かく言う僕も久しぶりの運動に足が悲鳴を上げていた、あまり舗装されていない道にそのまま座り込み息を整えた。


「はあ〜〜〜………皆んなは無事?」


 汚れるのも厭わず、皆んなそれぞれ思い思いに腰を落ち着けている。力なく手を上げる人や、声だけ返す人もいた。

 そんな中でとくに疲れているのがハデスくんとティアマトちゃんだった。砂利っぱで痛いはずなのに大の字で寝転んでいた。


「し、死ぬ……も、もう……歩けない……」


「…………………」


 ティアマトちゃんにいたっては一言も発しようとしなかった。

 それから暫く休憩を取って皆んなの体力が回復した辺りで先導するラハムの跡に続くことになった。

 未だに目的地は不明である、確かにキラの山に来られたけど...

 手にしたライフルを確かめながら皆んなに向かって話しかけた。


「それで、こんな武装までしてこれからどこへ行こうというの?もしかして何も知らないのは僕だけかな」


「ん」


「……な、何?」


 ハデスくんとティアマトちゃんに向かってジュディスちゃんが顎をしゃくった。


「説明はあの二人がするわ、さっきも言ったけど私たちもまだ何も聞いていないの」


「あの二人って……そういえば君たちは誰の子なの?ハフマンさん?「ちゃうわ!!」


 ハフマンさんが眼鏡をくいと持ち上げた。


「その二人はどうやらマキナみたいだね、私も今朝に紹介されたばかりだから未だに信じていないけど……」


 今度は葉擦れの音をたっぷりと聞いて、さすがに目を逸らすわけにはいかないと子供二人を見つめてこう言った。


「──えええ?!子供なのにマキナっ?!…へえ〜マキナでも子供っているんだ…」


「あれ?君は信じるのかい?」


「まあ…前にラハムちゃんと共闘しましたから」


 いつの間にか傍にいたジュディスちゃんがニマニマと笑いながら僕の腕を遠慮なく叩いてきた。


「だ・か・ら、皆んなあんたを怖がったりしないのよ。分かって?」


「う、うん……「い、いいかしら……話が、す、進まないわ……」……君、どれだけ疲れてるの」


 喘息気味のティアマトちゃんの話に耳を傾けながら僕たちは歩みを進めた。

 

「ぜぇ…ぜぇ…た、タイニけっほこっほ!…ぜぇ…ぜぇ…「ハデス」はいはい。お兄さんこれ担いで」「──これって言うなあ!!」


 意外と元気?

 結局耳を傾けられなかったので説明役をハデスくんにバトンタッチ、僕がティアマトちゃんをおんぶすることになった。


「セントエルモの二回目の調査の時、俺たちの仲間であるタイタニス・四番号機南部が暴走してしまい人の手によって討たれた」

 

「何その建設機械みたいな名前」


 ライラちゃんの相の手にハデスくんが然もありなんと答える。


「そりゃこのテンペスト・シリンダーを建設したマキナだからな。全部で一六機、身の丈一〇キロメートル、総重量は想像に任せるよ。とにかくそのマキナがノヴァウイルスに感染しあまつさえ起動してしまった」


「……とにかく続けて」


 ハデスくんが話を続けながら歩みを進め、人を拒絶する山肌の一部の前で立ち止まった。案内役のラハムは宙へ退き、何の変哲もない岩を手のひらで撫でている─ように見える─ハデスくんのことを見下ろしている。


「その異常事態を前にして俺とティアマトはサーバーから色々と調べたんだよ、さっきも言ったナノ・ジュエルの残量が気になったからな。その結果……」


 まるでスパイ映画のようだと思った。岩だと思っていた物体はどうやらコンソールのようであり、側から見たらただの山肌にしか見えない部分にスリットが生まれ、一度後方に下がってから横へスライドした。

 

「ここ最近──と、言っても百年単位だけど、緩やかだった減少スピードが一気に跳ね上がっていた。数十年分に匹敵するナノ・ジュエルの量がここ一年間で消費されたことになる。このままじゃリサイクルペースが間に合わない」


 ハデスくんが何のてらいもなく中へ進入し、および腰になっている皆んなへ入るように促した。

 厳しい寒さは通り過ぎた、あとは春の芽吹きを待つ今日この頃でもまだ寒い。いくらスパイ映画のような隠し扉の先にあったとしても、その寒さまでは外と変わらないだろうと思っていたのだが、中に入ってみて驚かされた。


「暖かい……」


 ブーツの音が砂利から硬質なそれへ、金属の床を叩くものに変わった。

 ハデスくんの話はまだ要領を得ないけど、とにかく今が危険な状態であることは掴めた。それは他の皆んなも同じのようだった。


「置いてけぼりの説明はどうかと思うけど、君たちマキナの視点から見て現状が好ましくないことは分かった」


「それで良いよ、全部話すとなると大変だから」


「えー…とにかくその宝石みたいなやつを調べに来たってことでいいのよね?それがこんな所にあるの?」


 隠し扉の先は全て金属で作られていた。先へ続く廊下も壁も、全て人の手によって作られているのが分かる。ここがどれくらいの間そうしていたのかは知る由もないけれど、僕のバーのように汚れている雰囲気はどこにもなかった。

 赤い髪を翻しながらハデスくんがこちらを振り向いた。──どこか楽しそうにしながら。


「そ。ナノ・ジュエルを管理しているマキナに会いに来たのさ、名前はポセイドン。ナノ・ジュエルに関する権限は奴らが全て掌握している、だからこの事態にもいち早く気付いているはず、それなのに何の警告も寄せられなかった」


「はっは〜…詮ずるところは視察だね?」


「──そうとも言うね」


 悪戯っぽく、けれどどこか含みを持たせた笑みを溢し、再び前へ向き直った。

 ハデスくんに案内されるまま僕たちは一基のエレベーターに乗り込んだ。エレベーターの場所は廊下を渡った先、ひっそりとした所にあった。


(──ん?…こんな所に砂が……)


 頑丈そうなエレベーター扉の前、少しだけ砂が落ちている。それに気を取られながら到着したエレベーターに乗り込んだ。

 広さは一般的、どこのお店にもあるような普通のものだった。ただ、一つだけ違うのが扉横に設置された表示板、行き先が一つしかないのか扉の開閉ボタンしかなかった。

 皆んなが乗り込み扉が閉められた途端、ずっと無口だったアーチーさんがその場に座り込んでしまった。


「──しまった。…大丈夫?すっかり忘れてたわ」

 

「足を痛めているの?」


 きっと、この場所に僕たち以外の誰かがやって来ている。その時に残った砂でお尻が汚れたりしないかなと、おかしな心配をしてしまった。

 座り込んだアーチーさんは力無く微笑んでいる。


「……少し前まで車椅子生活を送っていましたので、無理をしたのかもしれません」


「ええっ?!良くそんな状態で……」


 エレベーターはまだまだ到着する気配は無い。動き続ける中で冷ややかな声を投げかけられた。


「それをあんたが心配するのか?こいつが襲われていた時は何してたよ?」


「…………」


「ヴィスタっつう男と手を組んでいたんじゃないのか?ナディは助けてこいつは助けなかったのかよ」


 今日はこれで三度目、しじまに包まれる中で周囲の音だけが耳に届くのが。

 決然とした足が一歩、それは意外にも大学教授のものだった。


「質問がある。君たちジュヴキャッチはこの国で何をしていたんだい?人を殺したかと思えば今のように我々民間人と行動を共にする──かと思えば、街中にボムを仕掛けて混乱に陥れたりもする。全くもって不明瞭だよ、マイヤーが太鼓判を押さなければ別の人間に頼んでいた」


「それは……その、ありがとう」


「ん?」

「え?」

「何?」


「いや、僕は大丈夫だと言ってくれて」


 見下ろす。子供と見紛う程に小さいレディを見下ろす。小声で「今言うことじゃないでしょ!」と言ってきた。

 僕はありのままに語った、それしか彼女たちに応える術が無かったとも言える。


「──ジュヴキャッチと言っても色んな人、というよりグループが存在しているんだ。中には過去にウルフラグに飛ばされてそこで家族を作る人たちもいる。穏健派だったりタカ派だったり、一枚岩じゃないんだ」


「──じゃあ、国内で起こった殺人事件っていうのは……」


「その殆どが裏切りに対する落とし前だと思うよ。…もしかして知り合いにいた?」


 小さくも立派なレディは何も答えず小さく首を振っただけだった。


「それじゃあ君は穏健派だったと?」


「いいや、僕たちみたいな貴族の端くれは自分で自分の居場所を決められない。その時その時によってグループが変わってしまうんだ。ハデスくんの言う通り、直近はヴィスタという人の下にいたよ」


「そこで人殺しも請け負っていたと?」


 ハデスくんは容赦がない。


「…………そうだね、その手伝いをしたことはある。そうしないとこっちでも生活できなくなってしまうから──っていうのは言い訳かな」


「だな、あんたも立派な犯罪者だよ。死に場所ぐらい自分で決めておけ、それしか応える術は無い」


 ...死に場所か。

 その言葉が否応なく胸に刺さった。

 それでも、ジュディスちゃんだけが僕の腕を優しく叩いてくれた。

 長い長い降下を終えたエレベーターが止まり、歪んだ皆んなを映していた扉が開いた。その先は乗り込んだ時と変わらず、恐ろしく綺麗で無機質な廊下が真っ直ぐに続いているだけだった。

 目的地はまだ先らしい。



✳︎



 彼女たちの選択は正しい、私はそのように考える。

 今にして思えば、私の選択は少々間違っていたのかもしれない。まさか──。


(カウネナナイとウルフラグが手を組むだなんて…一体誰が予測できたというのか…)


 キラの山。誰もが知り得ないその内部に今、カウネナナイとウルフラグの男女が─些か羨ましくも思えるが─一つの目的の為に行動を開始している。向かう場所は第三テンペスト・シリンダーのナノ・ジュエル管理区域。

 構成フロアは全部で四つ、一つが廃棄されたナノ・ジュエルをリサイクルするフロア。次にテンペスト・シリンダー内で使われたナノ・ジュエルを回収するフロア、さらにもう一つがそれらの流量、使用量、リサイクル量などを管理するフロア、最後は分からない。ガイア・サーバーにはこの三つまでしか情報が無かった。

 マキナが使用している監視の目を盗み、ハデス・ニエレとティアマト──あれ?何処へ行った?エレベーターに乗るまでは...


(──いた。おんぶされている……)


 セレンにて、長らくラインバッハ家に仕えていたヴィシャス家の末の子であるウィゴーの背中で寝息を立てているではないか。


(一生のうちに何度か訪れるというアレか……)


 駄目だ、先日のアレのせいで決意が鈍っている。本当は今すぐにでも会いたいのに会えないこのジレンマを彼にぶつけてしまった。

 女性五人と可愛らしい男の子に囲まれたヴィシャス家の末っ子が歩みを進める姿をただただ眺める。

 盗み見るような真似をしているのも理由があった。


[それはルール違反ってやつじゃないのかい?ええ?旦那さんよ、誰のお陰で母なる大地に立てたと思うんだ]


 ──やはり来たか。


[何、事情が変わってね。それに君との契約については十分達成したと思うが?]


[邪魔すんなって言ってんだよ。人間風情がマキナの真似事をするのは関心しないね〜]


[そのマキナが頼りないからこうして介入しているのさ。分かってくれたかな?バベル君]


[──ああそう、そこまで言うんなら──]


[……ん?何をした?施設内のアラートが作動したぞ]


[ここはマキナにとっても聖域だ、そんな場所に何の仕掛けも用意しないと思うか?──そんなに人間を大事にしたいってんなら守ってやりな、ある程度余興があった方が奴も愉しむさ]


[これは…ヘカトンケイルと同じ──いや、ヘカトンケイルの基になった対人兵器か…]


[ご明察。この世界をどうにかしたいってんなら余所者の俺じゃなくてドゥクスを何とかするこった。奴の手は深部にまで回っているぞ]


[ご忠告どうも。それからこんな事もあろうかとこちらも仕掛けを作動させた、これで国内中の居場所が明るみに出たことだろう]


[──そういう事する?しちゃうのか…]


[ああ、何せ両国間が一組織とはいえ手を結んだのだから。マリーンの歴史上初めての事だよ、実に喜ばしい]


[ならあんたはもうお役御免だな、可哀想に]


[バベル君と同じように──かね?]


 返事は無い、通信を切られたようだ。

 

[仕方がない。こちらの位置情報を露呈させてしまうが──彼らたちには何としても管理フロアに到達してもらわないといけない]


 意識体だった私の身体が瞬時に構築されていく、先ずは彼我の境目が生じ、ついで自我を保護するフィールドが形成された、所謂"心の壁"というものだ。現実世界においてはコミュニケーションに多大な影響を与えるが、仮想世界にとっては己を守る何よりの"鎧"になる。

 自我が自立すると次は環境が自立する、環境が成立すると今度は対物距離が生まれ、認識の齟齬が発生し、自己を認識する環境的バイアスに転じる。こうして人は"世界"というものを認識することができる、それは現実も仮想も変わらない。凡そ哲学的、あるいは宗教的な導入シークエンスだが、これが"世界"の真理だった。

 自我が無ければ世界を認識することができない、不認識は幸も不幸もまとめてカオスに追いやる。言わんや、生と死が表裏一体であるように幸も不幸も同じである。"心労から逃げるのであれば、幸福からも逃げなければいけない"とは太古の大哲学者の言葉である。

 ()()の私を再現したかのように、前髪が視界にかかった。見下ろす自身の身体は中庸かつ平凡、だがそれで十分である。

 前方の視界には両の手で数え切れない程のモニターが並ぶ、その一つ一つには起動した自立兵器が駆け出す所が映し出されていた。


「──さて、イルカたちがやって来る前に片付けねば」


 ──たった一度だけ我が娘を抱いたこの手をモニターへ伸ばした。

 ハッキングの開始である。



✳︎



 延々と続く廊下の角を何度か曲がった時のことだった。やはりここに以前誰かがやって来た形跡があり、他の皆んなも綺麗な廊下を汚している砂利について話をしていた。


「──……ん?何か聞こえない?」


 そう声を発したのはライラちゃんだ。


「そういうホラゲみたいなことを言うものでは──……聞こえるね、何かが走っているようだ」


 この施設に入る前、皆んな狼に襲われかけていたから敏感になっている。ランダムに壁を...いや床を何かが叩いているようだ。

 僕は咄嗟にアーチーさんの近くに寄った、彼女はリハビリを終えたばかりでまだ万全の状態ではなかったからだ。

 遠くにあった音が次第に近付き、次第に良く聞こえるようになってきた。間違いなく何かがいる。

 明らかな異常を前にして誰も何も言わない、先程までの雑談もしじまに奪われ無言と異音に支配された。──ハデスくんが「ああ」と場違いな声を上げた。


「──してやられたよ、奴の権能まではカバーしていなかった。……いやでも、ここが当たりということか」


「ハデス君、そろそろその据えている腹の中身を開示してくれないかな?皆んなから聞いていた人柄と君はどこか違うように思える」


 どこか飄々と、そして物事を見下ろすような言動が目立っていた彼の雰囲気に変化が起こった。

 光りの加減か、面を少しだけ下げた彼の顔に陰が落ちた。


「──テロリストの残党よ、私を撃て。さすればここにいる皆が助かることだろう」


「何を言って……」


「私の目的は半ば達成された、ここへ来るにはどうしても人間の随伴が必要だった。──この先にある区画へは人の手でなければ開けられない」


 幼い声で肩っ苦しく喋るハデスくん、その出立ちがまた様になっていたから余計に異質だった。


「それは…かのポセイドンというマキナがいる区画かな?」


 ランダムな音がぐるりと僕たちを囲った、どうやらこの施設はこの廊下以外にもあちこちへ延びているようだ。


「違う、奴らのフロアなら私たちマキナでも行くことができる。目指す場所はその最奥部、人類最大の汚点であるマントリングポールの管理区域だ。私の考えが正しければそこはもう──」──ウィゴー撃って!!」


 喋り終わらないうちに壁が捲れ、その中から人の手と思しきものが伸びてきた。それは蛍光灯の明かりを受けて反射している、生身のものではなかった。

 殆ど反射条件で引き金を絞ってしまった、ハデスくんに手を伸ばしていた存在ごとライフルで撃ち抜いた。

 この距離でライフル弾をもろにくらい、見たこともない生き物とハデスくんがその衝撃で後方へ吹っ飛んだ。──即死だ、どちらも動かない。


「気にすんな!あいつはマキナ!人間じゃない!」


「──いやでも!」


「いいから走るんだ!彼の言葉を信じるならこの先に逃げ場があるはずだ!」


 ──彼の言う通りになった、のかは分からない。穴が空けられた向こう側から確かに気配を感じるけど、仕掛けてくる様子はなかった。



 それから鬼ごっこの始まりだった。迂回する道もないひたすらの一本道を僕たちはただただ走り続けた。


「あーーーいやーーーまだキスすらしてないのにーーー!」

「あれは何だ?!あんな物がこの世に生きていたなんて信じられない!民族学を辞めて生物学に鞍替えしたくなるよ!」

「うるさい!さっさと走──あああにゃああっ?!横横横横!ウィゴー!」

「う、うるはい……もっと……しずかに……」

「──見えた!あれじゃない?!あそこに扉があるよ!」


 辛そうな顔をして走っているアーチーさんが指差す方には確かに扉があった、それもとても頑丈そうな扉だ。

 一足先にラハムが到着し、回転している四枚のファンの中央から一本のケーブルが延びてきた。それを扉横の操作盤に挿している。


「開錠マデアト五分デス。シバラクオ待チクダサイ「待てるかああ!!早くしろっ!!」


 遅れて到着した僕たちは、それこそ気が気ではなかった。走ってきた通路の奥には奴らが数体待ち構えていた、こちらに寄ってこないのでおそらく逃走経路を遮断しているつもりなのだろう。

 その代わり壁という壁から何かを殴るような、引き裂くような音がしていた。


「こういうの見たことあるよこういうのホラゲで見たことあるよ!あと少しのところで殺されるんだ!」


「縁起でもないこと言うな!」


「僕だって見たことあるよ!こういうのって通路の途中にある仕掛けを解除しないと敵が一気に押し寄せて──」


 ──来た!


「あああーーー!「壁から離れて「にゃあーーー!撃って撃って撃って「皆んな伏せて!「開錠マデノ時間ガ短縮サレマシタ。何故?「ああ?!何か生暖かい液体がっ?!これは血液?!──採取しないと「アッつい?!何か当たった「あ、ごめんそれ薬莢だから気にしないで!」


 残弾数も心許ない、このままでは皆んなを守り切れなくなる。

 押し寄せてくる奴らは人と獣を足したような見た目をしていた。四つん這いになって移動しているので正確な身長は分からないが、きっと僕より高いはずだ。

 頭はのっぺりとして顔のパーツがない、手足は異様に長くて四足歩行の動物のように足の関節が逆になっている。

 壁に寄ったりその場で伏せたりしている皆んなの回りに奴らの死体が築かれていく。そしてその時がやってきた。


「──しまった──」


 ボルトを引いても弾が装填されない!ゼロだ!

 僕の射撃を免れた個体がよりにもよってジュディスちゃんの足を掴んだ。


「待っ──「開錠シマシタ。早クコチラへ」──待って!!」


 恐怖のあまり悲鳴すら上げないジュディスちゃんが壁の穴へ引っ張られてしまった。

 その跡を追おうにも、


「──いいから早く中へ入るんだ!!」


「待てって言ってるだろ!」


「全員皆殺しにするつもりかっ!!」


 逃走経路を遮断していた個体もこっちへ駆けて来た、僕は首根っこを掴まれるまま後ろへ引き倒され、あと少しのところで間に合わなかった扉を潜り抜けた。

 ──ジュディスちゃん以外は皆んな無事だった。


「……………」


 熱い、体が火照るように熱かった。


(ああ…そんな…)


 一瞬の出来事だった、手を伸ばせば届いた距離なのに──。

 悔しさと申し訳なさで頭がどうにかなってしまいそうだった、それだけじゃない、ここそのものも暑かった。

 情けない僕の肩に、誰かがそっと手を置いた。


「ごめんなさい…私を庇ってくれたばかりに…」


 アーチーさんだ、彼女も申し訳なさそうに顔全体が曇っている。

 ──そんな中でもハフマンさんだけは別だった。


「──ほら!さっさと立つ!こんな所にいても仕方がない!」


 この人には心というものが無いのだろうか...


(いや、子供を撃った僕が言うのもなんだけどっ……)


 そして、こんな僕を庇ってくれた相手がこの場にいない。

 全身の力を振り絞ってその場に立ち上がった、初めて視界に飛び込んできた景色に息を飲まれるも、僕はハフマンさんから目を離さなかった。


「何か言いたいことがあるようだね、この時間がとても惜しいが聞こうじゃないか」


「──どうして跡を追いかけなかった─」「─二次遭難という言葉を知っているかな?」


 先生らしく、まるで生徒に言い聞かせるよう言葉を重ねてきた。


「フィールドワークをしている以上、稀に生徒が遭難してしまう事がある。今の君のように正義心と相手を思う気持ちが先行して闇雲に獣道へわけ入ることもしばしば、そういう時限って私はこう言うんだよ。──無駄!」


「──っ!」


 ハフマンさんの声が、想像もつかない程広い場所であっても隅々まで届くように響いた。


「見ず知らずの場所を踏破する知恵と、怪我を負った人間を救助する力があれば行けば良いさ、けれど私たちは無力だ!良いかねヴィシャス君、人間はたかが数メートルの高さから落ちて打ち所が悪ければそれだけで死に至る。君の死体を見て喜ぶ人間がいると思うかい?それはあまりに無鉄砲だよ」


「…………」


「こういった時、さっさと下山して身の安全を確保しプロたちに救助を依頼する、それが最適解だ。この場でいえば、この先にマキナのポセイドンという人がいるのだろう?その者たちに依頼をすべきだ」


「もし断られたら?」


 なけなしの意地でそう言い返すが、すぐに答えが返ってきた。


「学会に提出した論文を全て返却してもらい、マキナは人類の敵だ!と宣揚する!……まあ、私の考えが正しければ邪険に扱われることはないだろう。いいから急ごう、マイヤーはまだ生きていると仮定して」


 僕たちが辿り着いた場所はあまりに広い所だった。山の内部を削って作られたのか、一度だけ足を運んだ球場よりもなお広く、そして欄干から望む階下も高さがあった。

 ハフマンさんが勇ましく先へと進んでいく、その跡を皆が確かな足取りで付いていった。そして僕も、「1A採取弁」と掲げられた金属製の立て看板に目を通してから歩みを進めた。

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