第84話
.再会
初春を思わせる暖かな風が頬を撫でる。普段は下ろしている髪を結っているせいでその風が首筋も撫で、王都ルカナウア・カイへと下りていった。──だからといって、私の心まで暖まるようなことはなく、視線を落とした先に王都があった、その程度だった。
「今日は珍しく暖かいわね」
「寒いのは嫌いか?」
「強い相手と稽古が出来るんなら冬でも平気だけど、弱い相手だと折角体を動かしているのに汗もかけないのよ」
「それは可哀想だ。そんなに強い相手を求めているのなら今度特個体と打ち稽古でもしたらどうだ?」
「は?何言ってんの?頭おかしいんじゃないの」
背後からぶぉん!ぶぉん!と剣を振るう音が聞こえてくる。こっちはこんなにもセンチメンタルになっているというのに...
「はあ〜〜〜………」
これ見よがしに溜め息を吐き、華麗な足捌きでナターリアの剣をかわしていたヒルドがこちらに寄ってきた。
彼女も今日はお粧しをしている、サイドアップのツインテールはいつも通りだがその性格を表すように赤いドレスを身に纏っていた。
「大丈夫だって。向こうのナディがアネラを無視するような事があったらこの私が斬ってあげるから!」
「止めてくれる?」
「アネラ、昨日から何度も言うように気にし過ぎです。あのヨルン様があなたを見捨てるような真似をするはずがありません」
「それはそうだけど……」
この二人は楽観的だ、私みたいなのにはちょうど良い。
「あのハゲだるま教主に惑わされ過ぎだって」
「そうそう、ヒルドもたまには良い事を言う」
「いやどこが?普通のことを言っただけなんだけど」
「無理にでも褒めないとお前のことを一生褒めないような気がした」
今度はヒルドが抜剣し、ナターリアが涙目になりながら逃げ回った。
というか──
「剣は置いてこいっていつも言ってるでしょうがっ!!」
まだまだ春は遠く、けれどその足取りを匂わせた王都の空の下、結局私は吠えていた。
✳︎
あれから二日経ち、王が別件で席を空けているからとさらに一日が経ち、ようやく私たちセントエルモがかの王に謁見する時がやって来た。
さて、どうでも良いと言えばどうでも良いのだが、安静にしていたこの三日間で新しい日課が一つ増えていた。
「お母さん、そろそろ観光話を聞かせてよ。ね、聞いてる?まだその話聞いてないんだけど」
「………………」
「随分と楽しんでたみたいだけど。何だっけ、こっちのお酒で初めて酔ったんだっけ?」
「ナディ、もういい加減に溜飲を下げなさい」
「ふんっ!」
ピメリアさんの傍らに座っていたアリーシュさんに咎められ、とりあえずは怒りの矛先を納めた。
信じられる?私をほっぽり出してこの人は王都の観光に出掛けていたんだよ?どうして私にも声をかけなかったのかと尋ねれば「だって怒ってたから」の一言である。
そりゃ怒るわ!マカナがやって来たと思って外に出てみれば、肉が引きちぎれるかと思わんばかりに体を羽交締めにされて部屋に押し込められて!そんな事があったっていうのに何がどうなったらその直後に「街へ出掛けよう!」なんてことになるのか!
「……ほんと親って子供の心も知らずに好き勝手」
「……………」
ピメリアさんがさらに首の角度を折って顔を俯けた。
──まあ、私が誘拐されている間、ピメリアさんは人が変わったように取り乱していたと聞いている。だから許せと言われても納得なんかできやしないけど、それでも八つ当たりの一つでもしたくなる。いや一つじゃないけども、三日間続いているけども。
私たちを乗せた複数の馬車が王都へ向かう、先日の嵐の影響で今日も雲一つない晴れ空が広がっていた。──もしかしたらガングニール、それからヴォルターさんも王都にいるかもしれない。そう思うのは私の希望的観測だろうか。
(ほんと、皆んな好き勝手……)
決して座り心地は良くない馬車に揺られながら考える。私と遠慮なく敵対したかと思えば、今度は遠慮なく私を助けてくれた。アリーシュさんが教えてくれたのだ、私の為に保証局の二人が戦線に加わっていたと。
普段着のスキニーパンツに包まれた自分の足を見つめる、王と謁見する為のジョブチェンジは城に到着してからだった。
(どうしてそう考えもなしに行動できるんだろう……)
こっちはまだ敵対した事について心の整理もついていないというのに。
(自分の事ばっかりだな……嫌になる)
ふうと一つ息を吐き伏せていた顔を上げると、正面に座っていたピメリアさんと目が合った。
まだ何も言っていないのにまた視線を逸らし、見え始めた王都の街に逃げていた。
ま、それはそれはである。やっぱり腹が立つものは腹が立つ。
まだ暫く八つ当たりが続きそうだ。
◇
「何故に逃げて行くのか……」
生まれて初めてやって来た王都ルカナウア・カイは、何と言えば良いのか、とにかく"情報量"が多かった。建物の上に建物を建て、にょきにょきとした木製の看板があちらこちらに立てかけられていた。それはまるで太陽光を求める植物のように、天に向かって生えているようでもあった。
ルカナウア・カイは建物だけではなく、その"道"も一風変わったものになっていた。
「道が色分けされているんですか?」
「──ん?ああ、人と馬車と貴族と、歩く道が分かれるんだよ」
「へえ〜〜〜」
人が歩く道は灰色、馬車は茶色、そして貴族は黄色に色分けがされているようだった。
何でもこの辺りで取れる石は多分に金属を含んでいるらしく、何世代もかけてその石を集め王都の道に敷き詰め風光明媚な景色に仕上げたそうだった。
「へえ〜〜〜」
「君はこっちの出身なんだろ?」
アリーシュさんにそう突っ込まれてしまうが、
「私、生まれて初めてなんですよ、王都に来るの」
「そうだったのか」
と、当たり障りの無い会話を続けながらも気になってしまう。この馬車を見かけた人が皆んな避けていくのだ。
「もしかして私たちって避けられてます?何か皆んな逃げて行くんですけど……」
最初は街の人が皆んな私たちの事を知っていて、あまり好ましく思われていないのかなと思っていたけど、どうにも違うっぽい。
アリーシュさんが途端にニヤニヤと笑い出し、何故か明後日の方向を向いていたピメリアさんを見つめている。
「……何ですか?ピメリアさんが何かやったんですか?」
「ああ、泣く子も敬礼する程私たちのリーダーは恐ろしかったよ」
"泣く子も黙る"じゃなくて敬礼するの?
「ええ……ほんと何やってたんですか?」
「──色々だよ!」
✳︎
ウルフラグの人たちを乗せた馬車が王都に入ったと連絡を受け、私たちもいつかのバルコニーから城内に入り最後の着付けを行なっていた。
代わる代わる入ってくる給仕の人から憐憫の眼差しを向けられたのは...私の気のせいだと信じたい。
(そんな事ぐらい私が一番良く分かっている……)
結局私はカルティアン家の名前を存続させるために今の居場所を割り当てられたに過ぎない。その本人が、次期当主であるナディが帰国したらその役目もまた終わってしまう。
私は何と声をかけられるのだろうか、あるいは何も話しかけられずにガルディアの下に移ってしまうのだろうか。あのナディがそんな淡白な態度を取るとは思えないけど、でも"立場"というものがあるので特別扱いしてくれるとも思えなかった。
着付けが終わり、給仕の人が客室から引き上げていく。それと代わるように二人が戻ってきた。
「まあ、綺麗なんじゃない?」
「褒め方が雑」
──二人がそれだけを言ってからすうっと私の元を離れ、あとはこちらを見ることなく隣室の方へ歩いて行った。
何故?どうして?私はまた二人のアホな会話を期待していたのに...どうして離れてしまうのだろう。一番心にくる、近しい人たちが離れていってしまうのは一番堪える。
(ああ、他の人から何か言われたのかな……それか聞いてしまったか……)
どんどん悪い方へ、どんどん悪い方へ行ってしまう。
自分ではどうしようもなかった。
◇
けれど、友人に何とかしてもらえた。
(──あ)
「ようこそカウネナナイへ。こうして互いが武器を持たずに顔を合わせられたのは実に百年以上になる。──つまり、今日歴史が動いたわけだ、招待に応じてくれたこと感謝する」
ささやかな謁見の間で再会し目が合わさった途端、ナディがにんまりと微笑んでくれた。周りにバレないように、けれど嬉しそうにしてくれた。
全て杞憂だったと、私の考え過ぎだったと友人の笑顔を見てようやく呪縛から解かれた。
(ああ……これで私の役目も終わりか……)
それで良い、私はただの"アネラ・リグレット"に戻ろう。それが良い。
私も出来るだけ笑顔を作り、ナディへ微笑んでみせた。
✳︎
(アネラ大丈夫かな、疲れてるのかな)
何あの変な笑顔、見ているこっちが不安になってくる。
城に到着し、到着して速攻ジョブチェンジが始まりセントエルモの主要メンバーだけで王様と会うことになった。
勿論私は謹んで辞退したのだが「お前が辞退したら皆んな行けなくなってしまう」と謎理論を持ち出され結局担ぎ出されてしまった。
それから謁見の間がこれまた変な所にあった。宮殿からアリュール(外廊下みたいな)を渡り、城の裏手にある森へと続くその道すがらに建てられた建物の中にあったのだ。最初は厠小屋かと思った。
その入り口から屋内なのに水路が引かれており、えらく洒落たトイレだなと思っているといたのだ、カウネナナイの国を預かる王が側近を従えて。
名前はガルディア・ゼー・ラインバッハ。歳はピメリアさんと同じくらいの中年男性、しかしおよそ中年には見えず引き締まった体付きをしていた。
それからどことなくヴィスタさんに似ており、けれどはっきりと違うところがあった。
(あの眉毛筆で引いたのかな)
それぐらいに凛々しくぴんと伸びていた。
服装はだらしなく見える、いや、あれが王としての正装かもしれない。けれど上からすっぽりと被る寝巻きのような服装はやっぱりだらしなく見えてしまった。
髪の毛は黒よりの茶色、長いのか短いのか、王様ぽんちょに襟足を突っ込んでいるようなので良く分からない。
一応王様であることを示すためか、煌びやかな彩飾がされたサークレットを頭に乗せていた。
話はまだ続いている。
「──とまあ、うちの国を紹介させてもらったが何か聞きたい事はあるか?」
(──ああ、全然聞いてなかった)
話が耳にすら入ってこなかった私は勿論手を挙げられないが、かしこまって聞いていたはずの皆んなも何故か手を挙げようとしなかった。
というかだな...この場、結構知ってる人が多いんだけど。
(アネラ、コンキリオさん、それからあれはどう見ても……何故にそんな格好なの?)
今となっては懐かしく思えるユーサの市場で一緒にバーベキューをしたオリーブさんだ。頭からヴェールを被り胸はビキニ、下はサルエルパンツというやたら扇情的な格好をしていた。今からパーティー全体にバフをかけてくれそうな勢いがあった、本人の顔はデバフをかけられたみたいにまるで元気がないけど。
それから最後に前屈みになったグレムリン侯爵だ。
(ここも情報量が多い!)
話に集中する方が無理。
私たちに尋ねてきた王様は地べたに胡座をかいている。そして私たちも王様に習って床に座っていた。カウネナナイには地べたに座る習慣があるけれど、ウルフラグには全くそんなものはなく、ピメリアさんたちはどこか居心地悪そうにしていた。
あのピメリアさんが膝を揃えて(俗に言うお姉さん座り)座っており、おずおずと手を挙げていた。
「何なりと」
「あ〜…世間話も大変面白いのですが、セントエルモ──というより、私としては先日の件について詳しい話を聞きたいと思っています」
参加しているメンバー(アリーシュさん、グガランナさん、マルレーンさん、ミラー兄妹)は言わずもがな、という雰囲気を出している。
尋ねられた王様は何でもないように答えていた。
「ああ、失念していたよ。あの件はルイマン侯爵とハリエ島所属の軍が勝手にやった事だ、勿論俺は一切関与していない。王の代行と宣っていたが奴らの戯言だ」
「そうですか……軍の組織について尋ねるのは内政干渉にあたりますか?」
「何故そんな事を訊く?」
「今後、セントエルモのメンバーに危害が加えられないか憂慮しているからです。あんな事があった直後ですから、この不躾な質問をお許しいただければと思います」
話す度に調子が出てきたのか、段々と強気になってきているピメリアさん。
「無いと断言しよう。これで十分か?」
「では、何か被害を被られた時はあなたにお話しすれば良いのですね?私が本当に知りたい事は責任の所在についてです」
アリーシュさんや他の人から「ちょいちょいちょい!」と止められている。カウネナナイ側の人たちもピメリアさんの強気に目を剥いていた。
対する王様は呵呵大笑。
「──あーっはっはっはっ!また随分と豪胆な奴が来たもんだ。なる程確かに、グレムリンが出し抜かれるはずだ。──良いだろう、今後の事を踏まえて特別に話してやる」
「ありがとうございます」
「カウネナナイの軍隊はそれぞれが独立した形を取っている、一応王室にも機人府という組織があるにはあるがただの管理組織だ。それぞれの指揮権はその島を預かる爵位を持った人間に委ねられ、そしてその人間の人事権は王である俺が持っている。つまり、俺が直接軍に指示する権利は無く、誰人でも簡単に爵位が持てるようにはなっていない。──建前上はな」
「と、言うと?」
「俺が爵位を持つ人間の人事権を握っているから実質的には軍を支配しているに等しい、だから言わばどうとでもなるという事だ」
「では、ヴァルキュリアという軍について教えてください」
「──っ?!」
ついと口から言葉が出ていた。まさか私が質問すると思わなかったのか、今度はピメリアさんが目を剥いていた。
「何故それを訊く?」
「私の友人がその軍にいるからです」
謁見の間の空気感が少しだけ変わった──ような気がした。アネラも真剣な目つきで私のことを見ていた。
王はとても簡潔に答えた。
「お前たちの国と同じだ」
「………それはどういう意味ですか?」
「そのままだ。ヴァルキュリアの組織構造とその成り立ちはお前たちウルフラグの国防軍と似ている。人々からの税金で資金を賄い、一般公募で人員を構成し、そしてその国のトップが指揮権を有する。似ている、というより似せた、と言った方が正しいかもしれない。さらに詳しく訊きたければ公爵に──いや、ドゥクス・コンキリオに尋ねると良い」
「あ、ありがとうございます……」
「これで満足なのか?お前が本当に知りたい事はヴァルキュリアの処遇についてだろう?」
ド直球の質問に今度は私が目を見開いた。何も答えずにいると王様がすらすらと話し始めた。
「今、ルヘイ島の機人軍がヴァルキュリアの対応にあたっている。どちらにしても処断は免れないと思え、良くて牢獄、悪ければその命で罪を償ってもらうつもりだ。覚悟しておけ」
「……何故、離反したのか、その理由も尋ねずに処断されるというのですか?」
「無論。武器を持ちながら国民の意に反するなど言語道断、まさしく悪人のそれであるからだ。──友が殺されるのは嫌か?嫌ならお前が玉座に座ってみせろ」
今度は向こうの人たちが「ちょいちょいちょい!」と止めに入っていた。
「王よ、その言葉は流石に過ぎます」
「──そうか?これぐらい腹を見せて喋った方がこっちとしてはやり易いんだがな」
「そういう問題ではないかと」
「そういう問題だよ。こいつはカルティアン家の娘だ、今の言葉は取りようによっては国賊のそれになってしまう、だから直截に尋ねたんだよ」
(私がヴァルキュリアに加担すると……そうなってしまうって事なの?)
ただ訊いただけなのに?
(友の為に王になる──)
それに今、王様は私のことを──つまりアネラは...
「そうだな、ここいらではっきりさせようか。立ってくれ」
そう言われて立ったのがアネラだ。
「紹介しよう、俺の末の妹にあたるアネラだ」
「……──ええええええっ?!?!アネラも王族だったのっ?!」
驚きのあまり立ち上がったのは私だけだった。
✳︎
人が三三五五に散り、異様な空気に包まれていた謁見の間に水のせせらぎが戻ってきた。
王の位につく男の背中は修行してきた後のように濡れており、最後までじっとして動かなかった。
グレムリンが去り、アマンナも後にし私と二人だけになった時、ガルディアがようやく息を吹き返した。
「……──はあっ〜〜〜……」
「あれはやり難い部類に入る」
「…………は?ああ、うん、そうだな、あれはやり難い」
あまり私の声が届いていないようだ。
「この場を締めて良かったのか?ここで話をすれば─「─いやいや、ここじゃ駄目だ、俺の気が持たん。あんたは平気かもしれないがな」
遠回しに「感情が無いから」と言われてしまった。
年老いた者のようにガルディアが己の膝に手をつきながらゆっくりと立ち上がり、大きく伸びをした。
「──はあ〜……ま、とりあえずはクリアってことで。ここで誘拐された件を蒸し返されずに済んで良かったよ」
「だからといってあの強気の姿勢はどうなのだ?お陰で向こうの責任者も剣を立てていたではないか」
「あいつ面白いな、気に入ったよ」
「止めておけ。あれはハウィの侵攻作戦で家族を失っている」
「………………」
「──許せとは言わん」
「ほんと呪われてんな、俺。どうしようもない」
「………………」
「いや〜さっきの面子、皆んな揃いも揃って爆弾を抱えていたから冷や冷やしたよ。唯一関係無かったのはスミスっていう艦長ぐらいじゃないか?」
「……そうだな」
ガルディアが熱に浮かされたように話し始め、けれどそのどれもが互いの間を上滑りしていった。
「──ガルディアよ、少しは他の者を頼ったら「それを言われる筋合いはない」
「…………」
「…………」
無言の応酬を繰り返した後、どちらからともなくその場を後にした。
✳︎
「う〜ん……似ているといえば似ているな」
「は、初めまして……アネラと申します」
「よろしく。ピメリア・レイヴンクローだ」
差し出された手を握る。女性なのに頼もしそうな手だった。
丁々発止の謁見を終え、ナディが「厠小屋かと思った」と言った副殿から離れて本殿の広間に移ったところだった。
皆んなさっきとは打って変わって伸び伸びとしているように見える。私のすぐ隣では従者──と、もう言えなくなってしまったが、ヒルドとナターリアがナディに挨拶していた。
「お久しぶりです、お変わりがないようで安心しました」
「はい、ナターリアさんもお元気そうですね」
「どうも──ったぁ?!」
「きちんと挨拶ぐらいしろ!」
「んなもん知らないわよいきなり今日からこれが主とか言われて──いたたたたっ!」
失礼な事を言われているのにナディはくすくすと笑っているだけ、そしてどんな時でも変わらない二人。
先の謁見で王が公言したことにより、私の居場所はカルティアン家から王室に移ることになっていた。そのため、今日まで仕えてくれた二人ともお別れである、私は当主でも何でもないのでその役目を解任することになったのだ。
「名前ぐらい言ったらどうなんだ!」
「──ヒルドよ!お願いしますぅ〜〜〜!」
「お二人は仲が良いんですね。ナターリアさんがそんなにはしゃぐ人だなんて知りませんでした」
「い、いえ、違うんです、私としてもお淑やかにいき「どこがお淑やかよ!寝ている時すら叩いてくるような奴があたたたっ!!」
二人の様子を一緒に眺めていたレイヴンクローさんも微笑んでいる。
「随分と賑やかなお仲間だな、さぞかし退屈しなかったことだろう」
「は、はい……」
何だか恥ずかしい。
あの王と面と向かって強気発言をしたせいか、レイヴンクローさんのことが怖くて仕方がなかった。こんな人そうそういない、それを裏打ちするような覇気も滲み出ており、ちゃんと顔を見ることすらできなかった。
(こんな人とずっと一緒だったなんて……)
ちらりと隣を窺うと、いたはずのナディたちが姿を消しており、通路脇に置かれた椅子に座っていた。
そこへ代わる代わるやってくる他の貴族たちがこれでもかと挨拶をしているが、それらを全てヒルドが撃退していた。
「こいつは主じゃないって言ってんでしょ!失せろ!」
口は相変わらず悪いが自分は椅子に座らないあたり、きちんと主従関係を守っているらしい。
というか私も早くナディと本音トークをしたいんだけどなかなか二人っきりになれない。
(まあ…しょうがないか……)
レイヴンクローさんも姿を消しており、私だけ広間でぽつんと一人立っていた。あちらこちらで交わされる挨拶はどれも友好的であり、しかしてそのどれもが打算を含んだものになっていた。
皆、新しい関係を築こうと必死だ。
広間で皆が思い思いに挨拶を済ませた後、パーティーの準備が整ったと給仕長が呼びに来たので再び解散となった。
そして、意外にも早く二人っきりになれる機会が訪れた。
案内された客室でナディと向かい合う。顔に張り付けていた笑みを剥がして開口一番こう言った。
「めんどくさかった……」
「言うと思った」
お互い、「久しぶり」も「元気だった?」も無い。気遣いがなく、そして緊張を強いられないやり取りは心地が良かった。
「ほんと何なの、皆んなしてヨルンの生き写しだとか言ってきて。身長が全然違うだろ!」
「おばさんは元気?」
「ちょー普通。向こうで新しい仕事を始めてるよ。アネラは?平気だった?」
ナディがふわりと私の肩に手を置き、その手のひらから"やる気、元気、覇気"というものが全て吸われてしまったのでその場に座り込んでしまった。
「何事なの」
「いやあ〜〜〜もう無理〜〜〜二度と当主なんてやりたくない……」
本音をぶち撒けた、ナターリアたちにも散々言ってきた事ではあるけれど、一番聞いてほしかったナディにも遠慮なく自分の思いを伝えた。
すると友人が途端に眉を寄せた。気を遣わせてしまったようだ。
「……ごめんね、色々と迷惑かけてさ」
今日まで色んな人に踏み締められたはずなのに柔らかい絨毯から体を起こし、私と同じように地べたに座り込んだ友人の肩に触れた。──変わっていないと思っていたけれど、触れた肩が少しだけ筋肉質なものに変わっていた。
「い、いや、そういうつもりで言ったんじゃ……カルティアン家の人はほとんどいなくなっちゃったけど、それでも私は良くしてもらえたし……」
「うん……」
「だからそんなに気にしてないというか……大変だったのはそうなんだけど……」
「うん」
駄目だ、何を言ってもナディの眉が元に戻らない。私は昔のように「めんどくさいね〜」と愚痴を溢し合いたかっただけなのに、お互い何かがズレてしまったように会話が続かなかった。
何とか空気を戻そうと言葉を継ぐが一向に変わらず、パーティー用の衣装を持った給仕の人たちが現れて私たちは室内で分断されてしまった。
(こんなはずじゃなかったのに……)
毎日手入れをされて曇り一つない化粧台の鏡に映る私の顔を見やる。慣れた手つきで髪を解き結い、されるがままに化粧をされていく冴えない自分の顔を眺め続けた。
でもまあ、と。鏡とは対照的に雲っている自分の顔に励ましを送った。これからは友人と一緒にいられるのだ、物理的な距離は縮まったのだから精神的な距離もこれから縮まっていくはず──そう考えた時、認めざるを得なかった。
(五年前のまま、とはいかないんだ……)
無邪気に触れ合って喋って愚痴って昼寝して、それができたのも"子供"だからであり、お互いに"立場"というものができた今となっては難しいのだ。
(ならせめて……)
そう思うと、マカナには悪い事をしてしまった。彼女だって自分の立場があった、だから私に本音を言えなかった。その真意を私は汲み取る事ができず酷い言葉をぶつけてしまった。
王が主催するパーティーはもう間もなく始まる、それに合わせて私も化粧直しをしてもらい、少しは見てくれが良くなった。その自分の姿に感動することはないけれど、せめて"強く"あろうと思った。
──友人に頼られるぐらいには。
その友人は先に出たようだ、きっと色んな人との挨拶が待っているのだろう。
帰ってきたらうんと愚痴を聞いてやろうと私も椅子から立ち上がった、思っていたよりもすんなりと持ち上がった腰に感謝した。
✳︎
喧嘩をしていた。
「ですから、ウォーカーさんの身辺は私たちが「だ・か・ら!こっちは指示があってあんな奴の傍にいてやろうって「ですから、その役目は私たちが仰せ使っていますから、お二人は「だぁーかぁーらぁ!」
クールなミラー兄妹に食ってかかっているのはヒルドと呼ばれている人だった。機嫌が悪い猫のように全身を使って威嚇している。
そんな四人が私の傍にいるものだから、パーティー会場に詰めかけた他の人たちは遠巻きに眺めているだけだった。四人には悪いがしばらく喧嘩を続けてもらうことにしよう。
「…………あの」
「ん?」
知らない間に、と言うと変だけど、豪華なシャンデリアの下に集い談笑していた紳士淑女を眺めていた私のすぐ近くに一人の女の子が立っていた。
おろしたてのドレスは明るめの灰色、髪は元々癖毛なのか外へいくらか跳ねている。この場にいるのが恥ずかしくて堪らない、そんな雰囲気が出ていた。微笑ましい。
(お子さんかな?)
その雰囲気の最たるものが手を合わせてもじもじとしている仕草だった。何か言い辛い事でもあるのか、視線が丹念に編まれた絨毯の刺繍と私の顔を行ったり来たりとしている。
私はこう声をかけた。
「トイレ?」
「──え?」
「私もうろ覚えだけど一緒に行こっか」
「え?」
周囲にいた他の人たちの目つきがさっと変わったような気がした、けれど私は構わず女の子の手を引き、常に微笑を貼り付けていないといけない会場から逃げるようにして歩み出した。
確か、会場を出て真っ直ぐに伸びる廊下の突き当たりにあったはずだ。一際高い窓ガラスの向こうから差し込む夕焼けの光りを追うようにして歩く。窓ガラスの反対側にはレリーフが刻まれた柱が等間隔に並び、その間には歴代の国王の姿が額縁に収められて飾られていた。皆、生気を失ったように目に光りを宿していない、それなのに薄らと微笑みを湛えている。
(お母さんはこんな所に居たいのかな……)
私には良くわからない。玉座というものは決して"安穏"とした場所ではないはずだ。誰かが天辺に登れば誰かがそれを引き摺り下ろそうとする、そして王は座を守るため他人を蹴落とし続けなければならない。
はっきりと言って何も"魅力"を感じない、それはセントエルモの中で感じた事にも通じていた。
競争心が無い、と言われたらそれまでである。けれど、それで大いに結構だ。誰かを蹴落とし、傷付けなければ成り立たない"座"などこっちから願い下げだった。
(確かこの辺りに……あったあった)
男女を表すささやかな像が立てられたその間、二つの入り口を見つけてその片方に入る。手を握った女の子はここまでずっと無言で私にされるがままになっていた。
「はいどうぞ」
「………あの」
「空いている所なら好きに使っていいからね」
私の城じゃないんだけど。
どうせなら用を足してしまえと一つの個室に入った。カウネナナイも近代化が進んでいるのかトイレの仕様はウルフラグと変わらない。昔は皆んなが変わりばんこで厠の掃除をしていたけど、もしかしたらこの城だけが進んでいるのかもしれない。
暑苦しいドレスの紐を緩めていると、入った個室の扉が乱暴に叩かれたので思わず小さな悲鳴を上げてしまった。まさかそんな叩かれた方をされるとは思わなかったからだ。
「──ひいっ?!な、何?!「──撃ってごめんなさい!撃ってごめんなさい!」──え?!な、何がっ?!」
ここまで連れて来た女の子だ。その子が扉の前で何事か叫び、ついでたたたと去って行く足音が耳に届いた。
「ちょ──何が?!ちょっと待って!」
半端にドレスも解けていたから追うに追えない、扉を少し開いて覗いた先では女の子が髪の毛を靡かせながら出ていったところだった。
そして最後に、
「──撃ってごめんなさあああい!」
悪気はなかったんですう──……と。
◇
良く分からない事が起こってしまった。トイレだろうと連れて行ってあげた女の子が突然扉を叩き、そして要領を得ない謝罪をした後そのまま逃げてしまった。
(何を撃ったの?)
そして、良く分からない事はまだ続いていた。
パーティー会場に帰ってくるとピメリアさんが自分の顔を手で覆い天を仰いでいた。自分にドレスは似合わないと上下をスーツに包んでいる、まるで男装のような出立ちだったので結構絵になる。
いやそういう事ではなく。
「どうしたんですか?」
そう声をかけても手をどかそうとすらしない。ピメリアさんが様になっているポーズのまま答えた。
「……してやられたよ。すまない」
「な、何がですか?」
「取り込まれた」
「何に?」
「あの国王にだ」
何なの?さっきからほんとに何なの?
その国王、ガルディア王が満面の笑みを湛えながらこちらに歩み寄ってきた。
「そういうわけだから今後ともよろしく頼むぞ、レイヴンクロー」
「…………今後を踏まえてってこういう事かよ」
「──っ!」
お、王様に向かってタメ口...ようやくピメリアさんが手をどかして顔を戻した。
「ああ、お前から踏み込んでくれて話がし易かったよ、感謝感謝。──というわけだからカルティアン、お前にその気が無いのは良く分かっているが玉座は暫く俺が預かるぞ」
「え、あ、あの……何の話ですか?私ちょっとトイレに……」
耳を疑った。
「カウネナナイとウルフラグの合同対策チームをこの度発足する事になったというか俺がそうした。悪く思うなよ、暫く利用させてもらうからな」
「──え?」
今度は私が間抜けな声を出す番だった。