第83話
.男たちの戦い
グレムリン侯爵不在の機人軍拠点本部兼古城にて休憩を取っていると、連絡係の従者がガルディア王に近寄り何事か伝えている様子だった。
一通り言い終えた従者が素早く離れ、避難したルヘイの者たちの住処を割り振っていたガルディア王はぴたりと固まってしまった。また予期せぬ事が起こったようだ。
「いかがしましたか?」
「──……ハリエの指揮官が捕縛された」
「は?」
「しかも単独でだ。……一体何が起こっているんだ?」
「単独?」
「それからセントエルモの一部のメンバーが街に繰り出しているらしい」
「…………え?グレムリン侯爵は何をしているのですか、騒ぎが起こったばかりでしょうに」
「意味が分からん、余所者が絡むと本当に意味が分からなくなる。リゼラが技術府に向かったようだ、これは予測していた、どうせカルティアンの娘に接触するつもりなんだろう」
「帰りを一日遅らせて良かったのですか?」
「遅らせるしかない、ルヘイの者たちに強行軍を強いらせるわけにもいかんだろ」
「人の心があったんですね」
「失礼過ぎない?」
ガルディア王から仮住まいの館とその見取り図を預かり、豪華な調度品に囲われた部屋を後にする。
ルヘイの者たちが足を休めている客室へ向かうその道すがらでアネラと鉢合わせした。
「…………」
相手はこちらに気付いていない、ずっと足元に視線を落としながら歩いている。
何と声をかければ良いのか悩みながら、それでも開いてくれた自分の口に感謝した。
「………大丈夫か?具合でも悪くしているのか?」
「……っ……いいえ、何でもありません」
素早く面を上げ、そしてすぐに下げた。けれど足は止まっているので俺から逃げるつもりはないようだ。
「困っている事があれば……遠慮なく言ってほしい──のだが……」
何とも歯切れが悪い。ガルディア王のように話せない自分の口を恨んだ。
「何でもありませんから、少し疲れただけです」
「その割には、来る前から疲れていたというか……王都に置いてきたあの二人のことが心配か?」
「いいえ、彼女たちなら私がいなくても大丈夫でしょう。寧ろ私が面倒を見られているぐらいですから」
「……仲が良いのだな」
「はい、どこかの身内と違って私は末永く付き合っていくつもりです」
ぐっふぅ...エグい皮肉だ。
落ち込んでいるわけではない...?何かに腹を立てているのだろうか...?まさかこんな八つ当たりをされるとは。
「そ、そうか……あ、明日になればセントエルモの──あっ」
「………?」
──思い出した、今さらのように思い出してしまった。アネラが昔良く遊んでいた相手はカルティアンの...名前を知ったのも別れ際だった、それにあんな事が起こったせいで頭からすっかり抜け落ちていた。
俺の間抜けな声に反応して小首を傾げているアネラ、これから話す内容を考えるとその仕草が恐ろしくて堪らなかった。
「──会った、俺はお前の友達とつい先日会った」
「──!!──何処で?!」
目の色を変え、まるで親の仇のように食ってかかってきた。掴まれた肩が痛い。
「……ルヘイだ。救助活動に参加したあの五機のうちの一機にナディ・ウォーカーが搭乗していた……それにあの巨人をどうやってか止めてみせた」
「ナディがっ?!」
「そ、そうだ─「─ダブルナディじゃないですか!どうしてくれるんですか私の立場っ!!」─ちょちょ、落ち着け!「そんなの功績を残した方を取るに決まっているじゃないですか!「─アネラ!落ち着け!」
こちらから肩を掴むとまるで嘘のようにふらりと離れた。
「どうしてくれるんですか……本当に私は、このままだと本当にただの替え玉に……」
「何に悩んでいるのか詳しくは知らない。だが、友の功績を妬むような狭量な人間には決してなるな」
「………………」
魂を抜かれたような目付きになり、ふいと視線を逸らした。面を下げたままぽつりと「そうですね」と呟き、今度はいくらか生気が戻った表情で面を上げた。
「……何て言っていましたか?」
「……ん?な、何を?」
「私のこと、ナディは何て言っていましたか?」
ごくりと生唾を飲み込んでから答えた。
「な、何も話していない……お前の事は一言も話していなかった──っ?!」
会議を終えたガルディア王が止めに入るまで、俺は脳震盪もかくやと言わんばかりにアネラに揺さぶられ続けた。
✳︎
結論から言うと、王都に繰り出したウルフラグの集団にカルティアンの娘はいない。嘘を吐いた、それは何故か。
(邪魔をされたくなかったからな〜。そもそも出だしから予定が狂った時点で危ない臭いはしてたんだよ)
ダルシアン大佐も目が悪い。自分の為すべき事に血道を上げ過ぎて周りが見えなくなっている。
そもそも教会に引っ張り込む時点で気付いても良さそうなものを、勲章と部下を取り上げられて血迷い、挙げ句に強化スーツまで持ち出して呆気なく捕まってしまった。
けれど、良い撹乱になったと思う。お陰で難なく技術府に潜り込めたのだから。ここに詰めていた無関係な機人軍も外へ出払っているようだ。
──出払った理由を俺はダルシアン大佐が騒ぎを起こしたからだと勘違いをしていた。
そうじゃなかった、リゼラだった。技術府に詰めていた機人軍の兵士らが総出で出迎えをしていたのだ。
「──ご機嫌よう。こうしてお顔を合わせるのは五年ぶりですね、ルイマン侯爵」
(ちっ…もう侯爵ではないんだが……)
迂闊だったと言わざるを得ない。技術府のメインエントランスから客室へと続く外廊下を歩いている時だった。呑気に構えていたところへ後ろからリゼラの集団がやって来てしまった。
背後に仕えている兵士たちは俺を見て驚き、そして不可解な目線を送っていた。そりゃそうだ、俺が来訪する予定なんてなかったからだ。
「美貌というものはあまり年月と関わりが無いようだ。憧憬を抱いていたあの頃と何ら変わりがないように見える」
臆せずたじろがず、すらすらと美辞麗句が出てきてくれたことに感謝した。伊達に女の落とし方を熟知しているわけではない。
「まあお上手だこと。今日はどういった御用件で?皆からあなたが来ることは知らされておりませんでしたが」
「それはこちらも同じ事。だがまあ、お陰様で島流しにあった鬱憤も晴らせそうだ」
褒め言葉は程よく挟む。あまりくどく言っても効果がない、とくに意識してガードをしている相手には。
「島流し……?」
(知らないのか。そりゃちょうど良い)
「ああそうさ、ルヘイの民を思ってやった事が全部裏目に出てしまってね、ガルディア王に嘆願してもまるで聞き入れてもらえずハリエの島に移されたのさ」
「まあ……それはお可哀想に……」
「聞いてくれよ、誰かに話したくて仕方なかったんだ。けれど周りは余所者に厳しい奴らばかりでね、今日まで肩身が狭い思いをしていたんだ」
「残念ですがその話はまた今度、今日は急ぎの用で来させてもらったのです」
「レディリゼラはどういった用件で?」
「先程こちらで騒ぎがあったようなのでその見舞いに。今はウルフラグから来客がありますので、あまり心配されないようにとお話しに来たのです」
教導長に追いやられた人間がわざわざ?...きな臭い。──いや、レディリゼラもカルティアンの娘に用事があって来たのか。
(ちょうど良いと言えばちょうど良い)
「運命を感じるよレディリゼラ、俺もその件について話があったんだ」
涼やかでありながら決して信じず──かといって興味を失ったわけではない光りを目に湛えている。ゆっくりと歩み始め、俺の真横を通り過ぎようとした。
「ならば同席されますか?あなたが一体どのようなお話をされるのか、背後にいる兵の皆にも聞いてもらいましょう」
「──勿論」
「それでは」
疑われているのは百も承知。しかし労せずして会えるのだから文句は無しだ。
◇
「お待たせしました」
「────」
絶句。言葉を失ってしまった。双眼鏡越しに見た姿と今目の前にいる姿は天と地ほどの開きがあった。
「お久しぶりですね。元気にしていましたか?」
「はい。リゼラおばさんもお変わりがないようで」
──この子は一体誰だ?あのいけ好かないバベルという男を従えていた者と同一人物とは思えない。背は子供のそれだし声もまだまだ幼い。
しかし、一般的なドレスに隠した身体のラインはまさしく女性のそれだ、不思議な魅力があった。きっと歳を重ねれば絶世の美人になるに違いない。それこそ隣に座っているレディリゼラなど歯牙にも掛けないほどに。
発言することを忘れてその声に聞き入った。
「いいえ、私はもう歳ですよ。あの頃のようにあなたたちの相手をできぬ程に歳を取りました」
「あの頃は本当にお世話になりました。私の母も出会うことがあればきちんと礼を伝えなさいと言い聞かされています」
話から察するにこの二人は長い付き合いがあるらしい。おそらくセレンの出身者──そこまで考えを巡らせようやく理解した。
(──替え玉か。こっちが本物か……納得だよ)
誰もが知るヨルンの美貌はたとえここにいずとも人の脳裏を過ぎる。確かにこの子にはその面影があった。
──手籠にできるチャンスがあるのかと考えただけで頭と下半身がどうにかなりそうだった。
「あなたの素直な言葉、きちんとこの胸に届きました。──さて、私がここに来た理由は他でもありません。あなたがこうして帰国した事によってカウネナナイの情勢が大きく傾こうとしています。きっと──」
レディリゼラがこちらに一瞥をくれた後、続きを話した。
「あなたを利用せんがために近付く輩が今後増えていくことでしょう。先の騒動もそれが原因と言っても過言ではありません。だからナディ、私の所へ一度身を寄せなさい、国王陛下に媚び諂う必要などありません」
(おーおー、事情説明なんざそっちのけでまあ好き勝手……気があるように臭わせていたのは当て馬のためか)
本物のナディ・ゼー・カルティアンが答えた。
「それでしたら一度セントエルモの責任者と相談させていただきたいと思います。確かに私はカルティアンの名を継いでいますが、だからといってチーム全体の意志決定権を任されているわけではありません」
レディリゼラの目に一筋の寂しさが走ったのは...気のせいだろう。
本物のカルティアンも断り方が上手い、相手に隙を与えず一言で言い切ってみせた。
取り付く島を失ったレディリゼラに代わって俺が言葉を継いだ。
「俺はユーレット・ルイマンだ。セレンの件についてまず深く祈らせていただく、不運な最期を遂げた者たちが次こそ安穏とした場所に生まれてくるようにと」
胸に手を置き目礼する。礼儀を終えた後にカルティアンの娘が応えた。
「お心遣い感謝致します。ナディ・ウォーカーと申します、今は故あって父の性を名乗らせてもらっています」
「君の境遇を察するよ、セレン戦役に巻き込まれてウルフラグへ逃げる他になかったのだろう」
「はい、母がそうしろとうるさかったものですから。本当は出たくなかったのですが、でもそのお陰で沢山の人と巡り合うことができました」
堅い印象から一転、歳相応の笑みを湛えて話している。
(──上手いなあ……)
「その縁があってこうして帰国したわけだ。セレンで辛い思いをして、逃げた先で人に助けられてまた舞い戻ってくる、まるで舞台のようなお話だ──確か良い言葉があったな、合縁奇縁……だったか?」
カルティアンの娘がくすりと笑みを溢す。
「違いますよ、その言葉は人との相性は縁で決まる……だったはずです」
「これは失敬。腕っ節だけで島を預かっていたから難しい言葉とは縁がないんだ──」
最後に褒め言葉を挟もうとするも、カルティアンの娘に畳み掛けられた。
「ルイマン様はお話がお上手なんですね。リゼラおばさんとも良くお話をされるんですか?」
──探りを入れられてしまった。しかも愛嬌のある笑顔と共に。
そうと分かっていながらつい答えそうになるのは俺の性か娘の笑顔の力か、どちらにしても一筋縄ではいかない相手だ。
「──実を言うと今日が初めてでね。同席させてもらったのは他でもない、先の騒動の件についてこちらからも説明させてもらおうと思っている」
探りを上手くかわせたと思う、だがカルティアンの娘は興味を失くしたように笑顔をすうっと引っ込めまた堅い表情に戻った。
「そうですか、ご丁寧にありがとうございます。セントエルモの方々も事情を知れば安心できるかと思います」
(上手いなあ〜!……ヨルン・カルティアンに仕込まれているのか……)
あからさまな駆け引きではない、この娘はわざと隙を見せたり、かと思えば歳に見合った無邪気さで踏み込んでくる。それを全部そうだと分かって会話の中に組み込んでいる──と、思う...どっちだ?素か?演技か?この曖昧さもまた絶妙の加減だ。
このユーレット・ルイマン、今日まで様々な女を落として自分の物にしてきたがここまで難解な相手は久方ぶりだった。
しかも相手はまだ未成年である。未成熟な体なのにその中には完成された人格と品格が備わっており、是非ともその境界線を突き破って凪いだ砂浜に赤い跡を残したくなった。
最高のエクスタシーが待っているに違いない。
(ここが腕の見せ所だユーレット!)
✳︎
ハフアモアの複製能力を使用して作られた混ざり物の窓ガラスには、この四〇年ですっかり見飽きた男の顔が映っていた。
鈍色に光るガラスの向こうは強風に煽られた木々が立ち並んでおり、つい今し方ぽつぽつと雨が降り始めていた。
(珍しい……この時期に嵐がやってくるだなんて)
嵐は嫌いだ。視覚も聴覚も自然に奪われてしまうので幼少の頃から嫌いだった。
それと同じくらい酒類も嫌いだった。酩酊状態になって意識があるのに記憶を失ってしまうと考えると怖くて一滴も呑む気になれなかった。
詮ずるところ、自身の一部分だけでも手放すことが昔から大嫌いだった。それが例え身内であったとしても、それが例え母の温もりであったとしても、この身を自分以外の何ものかに委ねるのが堪らなく嫌いだった。
(死こそ安寧、死こそ歓喜か。……下らない)
忍び寄ってきた死の恐怖を払い、室内に顔を向けた。あの変態侯爵が趣味で集めた質の良い木彫り細工の机には、やはり変態趣味と言わざるを得ない丸裸のフィギュアと戦況図が乗せられていた。
「嵐にしてやった。これでいくらかこちらが有利になるだろう」
「……感謝はしない、こちらは言われた通りにやっているに過ぎんからな」
「感謝など必要ない。私が求めるのは末永い統治のみだ」
知らぬ間に背後に立っていたのはラムウ・オリエント。テンペスト・シリンダー内の天候を管理するマキナの一人。また、プログラム・ガイアを決議にかけて盤上から追いやった張本人。
カウネナナイ──いいや、俺たちの先祖にあたるネイティブアメリカンと同様に肌が黒く彫りが深い男だ。その立派な眉は自信か、あるいは自尊心を表しているのか常に吊り上げられていた。
戦況図をちらりと舐めてからオリエントが話しかけてきた。
「ガルディアよ、ウルフラグの軍はもう間もなく領海線上に展開するのだな?」
「ああ、間違いない。海中に沈んでいた不明機は未だセントエルモの手中にある、俺たちの動きを警戒しているはずだ」
「認証を受けたあのパイロットはどうするつもりだ」
「どうもしない。今日を生き残れば相手にする、没落連中の手に落ちたらそれまでだ」
「非情な……」
「ま、今の俺からしてみれば落ちてくれた方が後々はやり易い、セントエルモの主導権も握り易くなる。──焦眉の急はあの不明機だ、今は人道を進む時ではない。だからお前も不用意に嵐を発生させたんだろ」
「…………」
オリエントが押し黙り、折良く来客があった。扉のノック音が鳴り止む間にマキナが忽然と姿を消し、それを見届けてから声をかけた。
「入れ」
入って来たのは従者だった。
「ガルディア様、ルヘイの者たちが嵐に怯えております。どうか労いの言葉を……」
老いた男だ、何の取り柄も無い、周りを気にするばかりの小心者。
「俺が何かを言ってどうなる?明日の朝には通り過ぎるから心配するなと伝えておけ」
「はい……」
「……街の様子を見に来てくれ、何かあればすぐに報告しろ」
「は、はい」
己の役目を与えられて安心した情けない男が部屋から去って行った。
──こんな下らない役回りももうすぐ終わる、終わらせる。だが、まだだ、ここで玉座を次の者に明け渡すとまたマキナたちがのさばってしまう。
マキナだけじゃない、人間もそうだ。誰かが上手くコントロールしないといけない、果ての無い欲求は時に暴走し人々を傷付ける、後になって後悔して贖罪を求めたりするものだから始末に負えない。
──これが王の役回りか?あの時用意したシュピンネが暴走さえしなければ──。
(まあ良い。まだ戦いは終わっていない)
嵐の海に漕ぎ出したウルフラグの船を思う。奴らは何の為に波に揉まれようとしているのか。
濁った雲に隠れた太陽が沈み始めた。明日の朝、イニシアティブを握っているのは果たしてどちらの国か──。
✳︎
一天にわかに掻き曇る空を一度舐めるように見てから、二人の世間話に耳を傾けた。
何をそんなに焦っているのか、レディリゼラはカルティアンの娘に必死になっていた。俺が先の騒動はハリエの機人軍による仕業だと説明し、ヴァルキュリアの船は偽装された物だと話してやるとカルティアンの娘が食いついたのだ。──あの船にマカナは乗っていなかったんですね、と。
後はご覧の有り様だった。
「覚えているかしら、マカナとフレアが夜な夜なルイフェスの部屋に忍び込んで悪戯をしていたこと」
「はい、おじさんが言っても聞かないからとおばさんを今すぐ呼ぶぞと脅して、そして本当にその日の晩におばさんが帰って来られましたよね。あの時の二人の浮かれ様は今でも鮮明に覚えていますよ」
「ええ、本当に懐かしい……それにあなたたちは良くお菓子を食べに行っていたわよね──ええと、何処だったかしら……」
「桟橋市場の真ん中ですよ、双子山が良く見える所にあるお店でした」
「そうそう、私も一度連れて行かれたことがあったわ。帰ってくたくただったのにあの二人ときたら無理やり手を引っ張って──」
長話に疲れてきたのか、カルティアンの娘が釘を刺した。
「それだけおばさんのことが好きだったんですよ」
「……………」
皮肉か本音か、けれどその声音に優しさは感じられず諭すような響きがあった。
まるで勝ち目は無いというのにレディリゼラが勝負に出た。
「──ナディ、私と一緒にセレンを蘇らせましょう。あそこは未だかつてない程に平和な場所だった、あなたも知っているでしょう?セレンの港には沢山の子供たちがいた、互いに分け隔てなく皆んなが一つの輪になっていたわ」
「ええ、そうですね」
「それをガルディアが妬み、他者を操り非道の島として国内外から攻めさせた。有りもしない核を保有していると吹聴し、ルイフェスを悪魔の子と罵り醜い大義名分を国内中にばら撒いた」
「……………」
(それでは駄目だ、誰も落ちん)
「ナディ、もう一度セレンをこの手で作り上げましょう。そしてもう一度皆んなでセレンへ渡りましょう」
前王シュガラスクの第一子にして、将来を有望視されていたリゼラ・ゼー・ラインバッハの面の皮も剥がれ始めている。
次代の娘が──意外にもそれに答えた。
「……私で良ければ」
寸前まで暗闇を歩いていた、女王になりかけた女の顔に一条の光りが差した。
「──ナディ……ありがとう」
「いえ……」
(こんな女と手を組むというのか……?泥舟だと分からない?──見込み違いか……)
張りのある手と加齢を隠せない手が交わり、離されるその間際に──。
「──ルイマン様も一緒なのですか?」
「……うん?」
「何だって?」
「ルイマン様もリゼラおばさんと一緒にセレンの復興をなされるんですか?」
「…………」
レディリゼラは何も答えない。
(何故そこで俺の名前が出てくるんだ?)
にわかに掻き曇った空から降り出す雨粒の音が室内にも届いてきた。今夜は荒れるだろうとその音で判断し、なおも言葉が出てこなかった。
「……一緒ではないのですか?」
「……っ」
嵐、とまではいかないがカルティアンの娘も眉を曇らせた。
「──いや、うん、セレンの事まで考えていなかったが……ガルディアを失脚させるついでであれば……」
「そうですか……手伝っていただけるのですね?」
──うん?マズくないかこの流れ...このままでは俺までもが教会に組み込まれてしまう。しかし、今さらその気は無いと言えば話しがおかしくなる。俺がここにいる理由が──。
(ああ、そういう事か?この娘──俺をふるいにかけているのか……?リゼラとは手を組まないと言えば──)
尋ねられるはずだ、ここに来た理由を。
「……言葉を間違えたようだ。セレンの事は気にかけていくつもりだが、復興まで手伝うつもりはない」
「では、何故おばさんと一緒に来られたのですか?」
(そら見ろ、この娘──)
「先の騒動の件について説明しに来たと伝えたはずだが?」
「おばさんには伝えず私にだけ伝えに来られたのですか?教会で教導長を務められているおばさんを差し置いてそれはあまりに非礼ではありませんか?」
カッと頭に血が上り、つい声を荒げそうになってしまった。自制心を効かせそれを何とか宥めた。
今度はなり損ないの女王が言葉を継いでいた。
「ナディ、卿に対してその言葉使いは何ですか。私の為に叱責してくれたのは面映いですがあなたの方こそ無礼ですよ」
「すみません」
「いや……良いさ、若さ故の正義がそうさせたのだろう。実に頼もしい事だ」
「ええ、今日より明日の未来を思えば実に明るい事です」
──いやいや、いいやいいや、俺がここに来た理由は有耶無耶にできそうだがそれじゃ駄目なんだ。俺はこの女の子を落としたい。しかし、このままでは話が終わってしま──。
(──こいつ!!それが狙いだったのか!!)
話がひと段落しかけたのを見てカルティアンの娘が小さく息を吐いた、その表情は"素"。おそらくレディリゼラの話にも乗るつもりは鼻っから無かったんだ。
(私で良ければの一言だけだ、自分が手伝うだなんて一言も言っていない)
食いつきたいが取っかかりが無い、このままでは折角の獲物を逃してしまう。
──娘の方から差し込んできた。
「私はこれから国王陛下と謁見することになっています。陛下の人柄について教えていただけませんか?」
「それを俺に尋ねるのか?失脚させたがっている者に訊く事ではないと思うが……」
「そうでしょうか?人を知る時は欠点から学びなさいと母から教えられています。どういった方なんですか?」
レディリゼラも口を挟む。
「ナディ……?まさかあなた、ガルディアと会うつもりなの?」
本人はまだ気付いていない、次代の娘に手伝う気がないことを。
「はい、セントエルモが招待されましたから。私だけ席を外すのは不自然でしょう?」
「…………」
「ガルディア王は端的に言って人を信用していない。それと人と接する時は機微ではなく理屈だ、それが却って冷たく見えてしまうことがある。──俺が知っているのはこれぐらいか……勉強になったかな?」
「はい、ありがとうございます。ルイマン様はお優しい方なのですね、先程は失礼を働いてしまったというのに」
どの口が言う。
「気にしていないさ。──こちらからも質問を一つ良いかな?」
「何でしょうか?」
「人と仲良くなる時はどこを学べば良いのか、母君から何と教わっているんだい?」
「それは勿論その人にとっての長所ですよ。悪い所はすぐに目に付きますが、良い所は付き合っていかなければ分かりませんから」
「そうか、良い教えだ。恥を忍んでさらに質問させてもらうが、君が思う自分の長所は何だと思う?」
「う〜〜〜ん……そうですね〜〜〜すぐに怠けてしまうところでしょうか。私の友達も私を真似てすっかり怠け者になってしまったんですよ」
「う〜〜〜んそれは長所と言えるのかな?」
「──ああ、勿論怠けるために手伝いを早く終わらせるようになりましたよ?司令官は裏を返せば有能な怠け者ですから」
「上手い事を言う。これは一本取られてしまった」
「ルイマン様は自分が思う欠点ってありますか?」
「熱くなり過ぎて周りが見えなくなってしまう所かな。そのせいでルヘイの者たちに迷惑をかけてハリエの島へ飛ばされてしまったよ」
「それは災難でしたね。──ああ、だからヴァルキュリアの船が偽物だと知ってわざわざ王都まで来られたのですね」
「そうさ、君やウルフラグの者たちが心配していないかと様子を見に来たんだ」
「ハリエの軍は一緒ではないんですか?」
「…………」
「ヴァルキュリアの船が出ていると知っていられたのですよね?単身でここまで来られたのですか?」
「いや──一緒さ。彼らと一緒に──」
「技術府長のグレムリン様から先程ハリエの司令官が捕縛されたと聞きましたが、何かあったのですか?」
一度言葉を区切って──
「ここにいて大丈夫なんですか?」
──そう、止めを刺されてしまった。
✳︎
ルヘイを出発した時は晴れていた空も、今は不機嫌になったように曇天のそれへと変わっていた。
王都から技術府の造船所まで意外と時間がかかってしまった、あまりに悪路過ぎて車輪が轍に取られてしまったのだ。
「やっぱり徒歩が一番早いっていう」
「いやそれはない」
窮屈な"コクピット"とやらで二人、肩を寄せ合って雨を凌いでいた。
蛇行するように続く道の先にようやく造船所を見つけた。敷地の手前にちょっとした石造りの城があり、その奥には赤と白の鉄骨が組まれていた。
そろそろ敷地内だぞという時、"モニター"とやらの一部がピコンピコンと音を鳴らしてきた。
「モニターとやらが光っているぞ」
「何でそんなお年寄りみたいな言い方するの?キャラ作り?」
「こういうデンジャラス機器「電子機器。間違え方がっエグ過ぎるっ」……だから音を出しているぞ」
もう二度私を敬ってくれそうにない部下がはいはいと言いながら操作を始め、もう一つの機体に乗っている部下と話し始めた。
[これアポ取ってんの?]
「どうなの若頭」
「取ってるわけないじゃん」
[何か向こうはドタバタしてるっぽいけど]
ドタバタ?
同乗していた部下がまた違う操作を始めると、長方形を寝かしたような"メインモニター"とやらの画面に変化が起こった。
「これズームできるの?」
「何で横文字知ってんのにこの機体だけでお年寄りくさくなるの?」
拡大された画面には造船所の城の入り口が映し出されており、一階の外廊下を複数の人が走っていた。慌てている様子である。
「何か─[─ちょうど良い所に来た!王の使い者たちだな?!セミレールガンをパラライズに切り替えて入り口を見張っておれ!!]
突然のお爺ちゃんの声に皆んながパニックった。
「せ、せみ?!蝉が鳴いているんですか?!」
[違うわ馬鹿たれ!カルティアン家の令嬢が攫われたのだ!]
「──?!?!」
意味が全く分からない、部下は部下で慌てながらも機体の操作をしているようだ。
何?人攫い?何がどうなったら船を造る所でそんな事が起こるんだ?
事情を説明してくれないのでちんぷんかんぷん、そうこうしている間に結構な人数を引き連れた男女の二人組みが表に出てきた。追いかけられているようにしか見えない。
「何か出てきましたけど!」
[その片割れをパラライズで撃て!]
「いやどっちですか?!」
[見れば分かるだろ!!その男は絵に描いたような女ったらしだ!!]
──あ、そういう事。とにかく男を撃てばいいらしい。
画面に映し出されている女の子は無理やり手を引かれ、確かに嫌がっているようにも見える。というか男の方はその手に護身用のナイフを握っていた。
「撃てる?!」
「まっ!」
意味の分からない返答をした後、画面の十字線を男に合わせてまた何の躊躇いもなく引き金を絞っていた。
──しかし。
「──あああっ?!」
「しまっ?!」
発射された弾が──女の子の方に当たってしまった...街でひっくり返った司令官のようにその場で動かなくなってしまった。
「──若頭、これにて御免─「待って待って待って!このタイミングで自決するの止めてくれないっ?!そんな潔さは要らないからもうちょっと慎重になって!」
麻痺して動けなくなった女の子を良いことに、男は背後まで迫っていた兵士にナイフを見せびらかし何事か喚き散らしている。
お爺ちゃん、というよりあの城を預かる府長のグレムリン侯爵から再び通信が入った。
[セミレールガンをスモークに切り替えろ!射出方向は右!]
「あ、あの……この不始末はどうか私の首一つで温情にしていただけましたら……」
こっちの事などお構いなしにグレムリン侯爵が続けた。
[お前さんの首にそんな価値があると思うな!今はとにかくルイマン子爵を止めろ!──いいからスモークを撃て!入り江から奴の手下がやって来ている!]
城の周囲には雑木林が広がっているだけで何も見えない、でも今は言われた通りにやるしかない。
誤射した部下が無言のまま操作を再開し、"すもーく"という弾を撃った直後だった。
[──回避いいいっ!!]
「っ?!」
「っ?!」
ドン!という衝撃と共に機体が横滑りを始め、次の瞬間に真横で爆発が起こった。
「あっぶねーーー!」
「あんた今さっき自決するとか言ってなかった?!」
[強化スーツも混じっている!後の事は私が何とかするからとにかく今は撃て!いいから撃て!]
武装した人たちが雑木林から出現し、ぐったりとしている女の子を肩に抱えた男を援護している。さらに司令官と同じスーツを着込んだ人が複数こちらにやって来た。
立て続けに撃ち込まれる大砲に機体が悲鳴を上げ、下手すりゃここで私も人生からこれにて御免をするかもしれなかったので、グレムリン侯爵に言伝を預けた。
「──お爺ちゃん![誰がお爺ちゃんだ!!]アマンナというパイロットに、もう必要ないから好きに飛べ、と伝えてください!国王陛下からです!」
私の真意を汲んでくれたグレムリン侯爵が引き受けてくれた。
[──あい、分かった。聞いておったな、アマンナよ──]
ん?どうやらすぐ近くにいるらしい。まあどうでも良い、もう私の役目は終わったんだから。
あとは──。
「──戦だーーー!戦だーーー!撃て撃て撃てーーー!この世で遠慮をするな良い人ぶるのはあの世だけにしろーーー!」
「人変わりすぎんぐ」
と、言いつつも部下も臨戦態勢に入り、あとついでに機体も車輪モードから別のモードへ変わっていた。
[オフロードからコンバットへ、対陸地戦展開、迎撃モード始め]
ぷううんと蚊が飛ぶような小さな音が聞こえたかと思えば、機体が宙高く舞い上がっていた。
良く分からない仕様だが気分も高揚する、武装集団が展開している地面がどんどん近付いてきた。
「──いっけえええ!!死ねば諸共!!」
[カルティアンの娘がその中にいることを忘れ──アマンナ?!アマンナは何処に行った?!]
皆んな鬱憤を溜めているに決まってる!その人もきっとあの赤い特個体のように何処かへ飛んでいったんだ!
技術府の城から天に向かって蛇行するように伸びる飛行機雲を見やってから、地面に視線を落とした。
「──戦じゃーーーっ!ひゃっはーーー!」
「いやそれやられ役の台詞だから」
✳︎
「──ブラボーワンよりホームベースへ、ルカナウア・カイ北北西から特個体が離陸した。高度なおも上昇、指示を求む」
[ホームベースよりブラボーワン、数を報告せよ]
「数は一、目に見えた武装はしていないようだ──あれは何だ?スカートか?スカートの形状を持つ機体だ」
[──データベースに無し、カウネナナイの新型と思われる。以降はフレッシュスカートと呼称、こちらでマーキングしておいた。ブラボーワンは可能な限り追尾されたし]
「ブラボーワン、了解」
[通信以上]
偵察飛行を続けた甲斐があるというものだ、お陰で他国の空を飛び回れる大義名分を得られたのだから。
上昇機動を取っていたフレッシュスカートが緩やかな弧を描きながら、積乱雲を乗り越え水平軌道に移行している。進路は北東、右へ傾きながら飛行を続けていた。
ブレーキダストに塗れたような雲の隙間から、明かりが灯り始めたカウネナナイの街が見えた。
前方約二キロ先を行くフレッシュスカートが機体を水平にし、かと思えば今度は左へ傾けた。
(何処へ行くつもりだ?──!!)
──気付かれた。聳り立つ崖のように並ぶ雲を旋回している時だ、フレッシュスカートがほんの少し機体を回しこちらを視認した後、何事も無かったように再び進行方向に向いていた。
(相手にするつもりはないと?──舐められたものだ)
現在の速度はマッハ二、まだ十分余裕を残して──先を行くフレッシュスカートに変化が起こった。空気抵抗を無視した形状だったスカートが窄み、白いアフターバーナーを空に刻みながらさらに速度を上げていた、辺りが雨雲のお陰でその軌跡が良く見えた。
速度はマッハ二.五──三──三.五──四...見る間に上がっていく。
(フォルトゥナですら──)
あそこまでスムーズに速度を上げることは出来ない。残していた余力を切り崩しながらこちらも何とか追従する、停戦協定などと生温い期間にあちらは新型機の開発に成功したようだ。
速度の限界が近い、このフォルトゥナが空中分解を起こしそうな程不規則な振動を繰り返し、そのフィードバックで自分の体もバラバラになりそうだった。
現在の速度は──マッハ六.七、特個体がおよそ出せる理論上の数値だった、だが今こうしてそれを実現させている。大したものだと自分を褒めてやりたい。
「まだギリ余力を──」
フレッシュスカートと同じ速度に達した、互いの相対距離が維持されている。
次の瞬間──。
「は?」
フレッシュスカートが窄めていたスカートを展開し、その場で上昇し俺の直上を通り過ぎていった。
「………………」
あり得ないマニューバを見せつけられて言葉を失う。
(何だ今の動きは……何なんだあの機体は……?)
速度を落として旋回してみやるも、案の定フレッシュスカートはその姿を消していた。
ただ、己の存在をはっきりと見せつけるように分度器のような異常な軌跡が残されていた。
夢ではない、現実である。半身を空に捧げたこの俺ですらやった事がない動きを見せたフレッシュスカート。
失ったはずの手足に鳥肌が立つほどの感覚に襲われてしまった。
✳︎
動悸が収まらない。一時の快楽の為に全てを棒に振ったからか、あるいは俺の愚行を天が助けてくれたからか。どちらにせよ生意気な娘は俺の手中にあった。
"後悔"と"興奮"は決して同居しないはずなのに、その二つが胸に居座っているせいでさっきから鼓動が激しい、いや、船内の客室でぐったりとしている娘の下着が見えているからかもしれない。
今からあの下着に赤い染みを残すのかと思うと、宥めようとしていた心臓がさらに暴れてしまった。
(早く目を覚さないものか……)
意識を失っている間に奪うのは実に味気ない。目を覚ましてからゆっくりと...
(いや、少しぐらい摘んでも……)
娘が横たわるベッドの傍らに立ち、手触りが良いスカートを捲った。まさかこんな事になるとは思っていなかったのだろう、毛の処理が疎かになっており、まだ男慣れしていない無垢な体を思わせた。
──やはり駄目だ、触っても反応が返ってこない。
(──我慢するか。黙って犯しても何の憂さ晴らしにもならない)
こいつは事の経緯を全て知っていたのだ、知った上で何食わぬ顔で接し、この俺をコケにした。
ハリエに向かっていた船が徐々に速度を落とし、まだ港すら見えていないのに停止してしまった。何故止まったのかは分かる、ハリエの機人軍が追いついたのだ。
案の定、すぐに部下が部屋にやって来た。
「──ルイマン様!……ダルシアン大佐がお見えです」
「──ほう!逃げ出せたか!……ちょうど良い、麻痺からどうすれば早く回復するのか訊いてこよう」
客室の丸窓からも戦艦の舳先が見えていた。
誰も入れるなと厳命し、部屋を後にした。ハリエが所持している船はどれも旧型ばかり、過去の権威主義を象徴するように船内は耐久性を無視した造りになっていた。
色褪せて見所が一つもない絨毯を踏み締め甲板に出やる、機人軍の母艦から何隻かのボートがこちらに向かっているところだった。その先頭にはやはり、街で捕縛されたはずのダルシアン大佐が後ろで手を組み堂々と立っていた。
程なくして彼らが到着する、こちらから昇降用の梯子を下ろしてやった。
「逃げなかった事だけは評価してやる」
上がって早々喧嘩腰だ。
「まあまあ、騙したのは悪かったよ。だが、お目当ての娘は確保出来たぞ」
「見せろ」
もう俺の事を信用する気がないらしい大佐は笑みも溢さず先を促してきた。
俺たちが乗る船がすっかり包囲されているのを見届け、ぞろぞろと上がってきた軍の部隊を案内してやった。
部屋で未だに気絶しているカルティアンの娘をダルシアン大佐が確認し、とりあえずは溜飲を下げてくれたようだ。
「──まあ良い。あとはウルフラグに対して声明を出せばいい、準備は?」
「滞りなく」
「ふん。抱くのに必死か……」
「そりゃそうさ、だからあんたの事も利用したんだよ。──ハリエに向かう、最後の共闘だ、よろしく頼む」
「ああ、最後くらいはきっちりと守ってやろう」
「強化スーツはもう持ち出すなよ?」
皮肉を交えた冗談には何も答えなかった。
──室内にいた下士官の一人がとみに血相を変えた。その雰囲気が大佐にも伝わり怪訝に眉を寄せている。
「どうした?」
「……艦からの報告です、この空域を一機の特個体が旋回飛行しているようです」
「──何?所属は?」
「分かりません、IFFはどちらのものでもなかったと……まさか、」
「──もう我々を見限ったというのかガルディアめ!」
「待て──聞こえるぞ……確かに空に何かがいるようだ……」
室内にいても耳に届く特個体のエンジン音、低い高度を飛んでいるようだ。
何人かの下士官が丸窓の向こうを見やっている、すぐに離れてそのまま部屋の外へ出て行ってしまった。
非情に徹する国王、当然の判断とも言えるがまだこちらは何の声明も出していない。それなのに特個体を出撃させるとは...
(だがまあ……この嵐が味方をしてくれるはずだ)
小糠雨から本降りへ、天も血相を変えて大粒の雨を降らし始めた。
白く煙る視界と轟音が俺たちを守護するヴェールとなってハリエまで導いてくれるはずだ。
✳︎
ルヘイへ発つ前から元気がなかったアネラが俺の部屋に飛び込んで来た。
「──陛下!!」
夕食を終えて椅子に腰を落ち着かせていた時だ。アネラを顔を見れば何が起こったのか聞かずとも理解できた。
──ハリエの連中が声明を出したのだろう。
「ナディが!私の友人が──」
「良かったじゃないか、表舞台から降りてくれて。これでお前は晴れてカルティアン家の当主になった、もう身の危険に怯える必要はない」
「何を言って──何を言っているんですか……?私はただ友人の心配を──」
「そういう見方もできるという事だ。教主の妄想話をもう忘れたのか?」
──女というものは常にこうだった。
「それでしたら私が身を引きます。何処へでも売ってください、その代わり友人を、ナディを助けてください」
「それでいいんだな?あの従者二人はどうする?」
「ナディの下に付いてもらいます。元々彼女たちはカルティアン家に仕えておりましたから」
「俺はそう見えんが。あの二人、私情でお前の傍にいると思うぞ。それでもその思いに背を向けるというんだな?」
「はい」
「良く分かった。後は俺の方で何とかしよう、部屋に戻っていろ」
「……はい」
疑り深い目を向けてきたのですぐに応えてやった。
「心配するな、約束は必ず守る。その代わりお前を好きなようにさせてもらうぞ、いいな?」
「はい」
ようやく納得したアネラが部屋を退出し、残っていた食後の煎茶を一口で飲み干した。すぐに脳内インプラントからサーバーにアクセスし、王室に控えさせていた外交府の者を呼び出した。
まずハリエの機人軍のIFFを解除、次に領海線上にいるはずのウルフラグ軍、それからウルフラグ本国の外務省の者に事情説明を──と、話している間に珍しく口を挟んできた。
「何だ?」
[そ、それが……既にハリエの軍は展開を終えておりまして……]
「は?」
声明を出しただけでもう展開が終わっている?何に警戒──。
[そ、それからカウネナナイの制空圏内を一機の特個体が飛び回っているようでして……反応は技術府の造船所で捉えました。こ、これは……?陛下の方から何かご指示を……?]
──両手で顔を覆い天を仰いだ。
(あいつか……あいつか!あいつが勝手な事をしたからハリエの連中がそれを勘違いして──)
そのまま姿勢で答えた。
「……技術府に詰めさせていた兵士の一人だ。ハリエのファーストコンタクトが失敗したからもう必要ないと装飾語を添えて指示を出したんだ……」
どんな指示を出したのかと尋ねられたのでそれを教えてやると、
[それは装飾語と言いません………陛下の指示通り空を好きなように飛んでいるんですよ]
「──ああもう!すぐにカイの軍を出動させろ!」
[無理です。この嵐ではおいそれと船が出せません、既に要請しましたが同じ理由で断られております]
ああーーー!オリエントの要らぬ気遣いのせいで!この嵐はそもそもセントエルモが所有するあの不明機を持ち出す際の目眩しであって──。
「──駄目だ諦めよう。セントエルモには俺の方から説明する」
[……諦めるの早過ぎませんか?]
こういう時に限ってあのマキナは姿を見せない。古今東西、どこの世界でも上の立場にいる者は不必要な時に現れて必要な時に姿を消すものらしい。
(あの流れ者もプロイの連中と手を組んでいるし──ああ!何でこう裏目に出るのかっ!)
ここに来て初めてヴァルキュリアの有用性を認識した。確かにあれは便利な組織だ、自分の子供を使って組織のイニシアティブを握らせ、かつマキナからしてみれば、貧富の差を問わず子供を集めて特別独立個体機とのコンタクトを防げるのだから。実に良く出来た組織と言えるだろう。
(余所者は本当にろくなことしかしない!)
ハリエの連中がカルティアンの娘に手を出すのは目に見えていたのであえて放置させていた。奴らが手を組むなり攫うなりした後に声明を出すことも予測していた。『ガルディア王の命だ』と言って国内外から非難を集中させ、国民投票を確実のものにしたかったのだろう。
こちらの筋書きとしては声明を出した時点で国籍を剥奪、あとは煮るなり焼くなり好きなようにしろとウルフラグに伝達して"人"は彼らに何とかしてもらうつもりだった。そっちはどうでも良い、肝心なのは"機体"の方だ。
ハリエの連中が俺の名を騙りパイロットを誘拐したのは後々不明機も奪取するつもりだったと説明し、『こちらが預かろう』と打診するつもりだった。
どちらがパイロットを助けられるか、その功績によってこちらの話の通り易さが変わってくる。
(──出来れば次の手は使いたくなかったが……)
一通り再計算し、外交府の者にもう一度軍へ要請を出すように指示を与え、すっかり痛くなってしまった頭を抱えながらログアウトした。
(最悪は──悲劇の死を遂げた娘の友としてアネラを担ぎ出せば……万が一、カルティアンの娘が助かれば……謁見した時に直接伝えれば良いか……まあ、こんなところだろう)
これらも全て、ハリエの軍が展開を終える前に進めておくべき算段だった。
明日の朝はさぞかし悲哀に満ちた水溜まりが国内外に出来ていることだろう。
✳︎
[──カウネナナイ、ハリエの島を預かる我ら機人軍がガルディア・ゼー・ラインバッハ王に代わり天誅を下した。我らの祖国たるカウネナナイの地を残虐非道なるウルフラグの民が踏み鳴らしている。これは明らかな侮蔑であり、また明らかな敵対行動である、よって我々もその敵意に応えるべく彼奴等の仲間を──]
[ハリエ所属の機人軍は現時刻を持ってその国籍ならびにIFFを抹消、これをもって貴官らの国内における戦闘行動は停戦協定に反しないものとする。こちらが招待しておきながらこの体たらく、この首で不始末を贖えるのなら──]
好き勝手に喚くカウネナナイの声を切るためコンソールを握り拳で叩いた。乱暴な行為を注意してくれる相棒はせず、激しい風雨の音だけがコクピットを満たしていた。
状況は全くもって芳しくない、この嵐のせいでろくに船を進ませることが出来ず、さらにセントエルモの一人を誘拐したらしいハリエの軍は既に部隊を展開させているようだった。
艦の援護も無しにそこへ突撃するのはあまりに無謀、例え汎用性に富んだダンタリオンでも単機で突破するには困難だった。
──恥を忍んでプロイへ呼びかけるもまるで応答がなかった。電波が乱れているのか、あるいは誰かが意図的に通信を遮断しているのか、生まれ故郷の援助も得られそうになかった。
全くもって手詰まりである。
(誘拐された人名まで公表していない。嘘を吐いている可能性も十分にあるけど、この機会を逃すほどカウネナナイも馬鹿じゃないだろう)
ハリエが連れ去ったのはおそらくナディ・ウォーカー、ルヘイであのノラリスを使って未曾有の危機を防いだとされている。
お陰で四人のパイロットがMIA認定を受けたことになってしまったが──。
(キミリア、トリノ、ウィスパー、エミリア。士官校の卒業者名簿に名前は載っていたけど、誰も彼らを知らなかった。あそこの教官が人の名前を覚えられないなんて事はない)
おそらくは今日の為に潜り込ませていた──そこへ通信が入った。
[ホームベースよりダンタリオンへ、直ちにダグアウトへ帰投せよ。帰投後はS1に換装、敵チームのブルペンを観察してくるように。それからカウネナナイ北北西で出撃した特個体の一機をブラボーワンがロストした、注意されたし]
「ダンタリオン、了解」
[通信以上]
(キング大佐がロスト?……一体どんな機体なんだ……)
一抹の不安を大雨に打たせながら母艦へ急いだ。
◇
甲板に着陸し、大雨と強風の中で機体の収容作業が進められていく中、レインコートを見に纏ったガーランド大佐が現れた。
ダンタリオンから降機するとその大佐がこちらに向かってきた。
「ご苦労。誘拐された──何だその目は?」
「いえ、何でもありません。それでお話は?」
あの大佐がご苦労?聞き間違いかと思ってつい見つめてしまった。
「誘拐された人物だがどうやらノラリスのパイロットで確定したようだ。陸軍から派遣されたミラー兄妹が確認してくれたよ」
「国内に入らせたのですか?」
「そうだ。セントエルモの責任者はどうやら能天気なようだな、カウネナナイの観光に出かけているらしい。そのグループと王に案内された場所にノラリスのパイロットがいなかったそうだ」
「そうですか……彼女の居場所は?」
それが問題だ、誘拐された人物の居場所が分からないから僕たちも手を拱いていた。おそらく部隊が展開した先にあるハリエか、あるいはプロイの島だと思うのだが...
「現在特定中だ、時間はかかる。ヒイラギ、故郷の方に連絡は取れるか?」
小さく被りを振ってから答えた、ヘルメットのスリットに溜まっていた雨水が左右へ飛び散る。
「無理でした。既に試したのですが断絶していました」
「そうか……」
大佐が考え事をするように腕を持ち上げ顎に手を当てている。
「ノラリスから調べることは出来ないのですか?彼女もコネクト・ギアを装着しているのでしょう?」
今度は大佐が大仰に肩を竦めてみせた。
「──手元にないんじゃどうしようもない。あの機体はお守りとしてバハーに預けたからな。……どう思う?今回のこの一件」
「どうもありませんよ、カウネナナイ側の手の込んだ自演も十分に考えられます」
「だろうな。かと言って外務省から──」
──上空で確かに聞こえた、何かが破裂する音が。
素早く空を見上げるが暗黒の雲が広がっているだけ──気のせいかと思った次の瞬間には赤い無数の玉が甲板目がけて降り注ぎ始めた。
「──退避いいっーーーーーー!!!」
クラスター爆弾。カウネナナイが面制圧兵器を使用したのだ。一つの爆弾の中に数百個近くに及ぶ子弾を仕込み、広範囲に及ぶ殺傷や破壊を目的とした兵器だった。
突然の攻撃に逃げ惑うクルーたち、中には待機状態だった機体を守ろうとして走り出した整備員もいた。しかし、爆弾の前では無力であり、甲板に到達した子弾の餌食になってしまった。
幸い僕と大佐は船内に逃げ込めた。耳をつんざくような爆発音が止み、甲板に出てみればこの一瞬で空母の甲板が破壊し尽くされていた。
大佐が扉を殴り、地響きに似た殴打音が廊下を駆け抜けていった。
「──あの野蛮人めがっ!!何の勧告もなく攻撃を仕掛けるなどっ!!」
「これで終わるはずがありません、早く退避命令を──」
やはりそうだ、もう一度上空で爆発音、奴らは二発目のクラスター爆弾を投下してきた。
僕は大佐の命令も待たずに強襲用カタパルトへ急いだ、背後から声が追いかけてくる。
「──遠慮は要らん!!奴らを落とせっ!!」
◇
[スクランブル、スクランブル!離陸シークエンスをカットします!ダンタリオンは直ちに──]
デリバリーの通信も置き去りにして空へ飛び出す、他の空母からもスクランブル発進した機体が空へと舞うが何の慈悲もなく高高度からの攻撃に射抜かれていた。
僕たちを攻撃している部隊はあの厚い雨雲の向こう側にいるはずだ、この嵐の中、雨と風を隠れ蓑にして進軍してきたに違いない。
(何て卑怯なっ……!)
三度空で爆発が起こった、それはまるで雷のような光りであり、降り注ぐ子弾を回避すべく大きく旋回せざるを得なかった。──僕の動きをまるで予測していたかのように、回避軌道上に長距離ライフルの弾頭が落ちてくる。
S1型(空中攻撃仕様)のみに装着されるフレキシブル・ライオットシールドが自動で角度を調整、真上から降り注ぐ対特個体用ライフル弾を弾いてくれた。
攻撃が止んだ隙にさらにズーム上昇、一刻も早く高高度に到達する必要があった、このままでは全滅だ。
それぞれが子弾の雨を潜る抜け空へ向かっている最中、繰り返されるクラスター爆弾がまたしても投下されてしまった。上からの一方的な攻撃になす術もなく──方角で言えば正面に対して左斜め下、つまり海面からだった。
「──っ?!」
何か──質量を持った見えない波に晒されたような、意識が掻き乱されるような感覚を覚えた。途端に押し寄せる目眩と吐き気。
(ここに来て新種のシルキーかっ?!)
まずそれを疑った、しかし、
《違います。ホシの味方です》
「──ダンタリオン!!」
その声は一瞬だけだった。
雲間から見えた黒い海の一点に光る物体が存在した、それは海面越しに見る灯りのようにぼんやりと、すぐに隠れてしまったので良く観察することができなかった。
起こった異変は人間だけではなく、子弾にも影響があったようだ。厚い雲を通り過ぎた途端、あまりに危険な花火が連続して起こり、束の間曇天の下が昼間のように明るくなった。
「ダンタリオンよりホームベース!指定するポイントと調べてくれ!」
[こちらでも反応を捉えました、既存の戦艦ならびにシルキーではありません。現在調査中です]
結果的に僕たちの助けになった、子弾を誘爆させて活路を開いてくれたのだ。
様々な疑問を脇に退け、それでも僕や他のパイロットたちは高高度を目指した。厚い雲に突入し、暴れるレバーを宥めながら突き破ると──。
[逃げやがった!!]
他のパイロットが吠えた通り満月に照らされた厚い雲の天井には、カウネナナイの本土方面に軌跡だけを残して機体がいなくなっていた。
「ダンタリオンよりホームベース!敵機の数はおよそ一二!本土方面に逃走した!指示を!」
[指示もクソもあるか!こっちは仲間をやられたんだよ!]
「撹乱が目的かもしれないだろ!落ち着けよ!」
怒り心頭のパイロットが何度もアームレストを殴っている音が聞こえてきた。
[──はっ!さすが空軍を捨てたエリート様は余裕だねえ!]
カチンと来てしまった僕が文句を言うより早く、
[ホ、ホームベースより全機へ!レーダーを確認してください!]
そんな通信は初めてだったが言われた通りに確認してみると、レーダーが反映されているギリギリの地点に一つの光点が発生していた、それから周囲にいるはずの味方機のIFFが全てシグナルロストしている。
「──電磁パルス!さっきのあれはカウネナナイの兵器だった?!」
[分かりません!進行上に展開していたカウネナナイの反応も全て消失しています!そのポイントについてですが、おそらく誘拐された民間人のものかと思われるのですが……]
別のパイロットが皆んなの思いを代表して吠えた。
[何で人間がレーダーに反応するんだ!そんなのおかしいだろ!]
空で混乱が起こっているようにブリッジの中でも混乱が起こっているようだった。管制員を押し退けて誰かが通信に割り込んできた。
[ちょっ、ちょっとあなたっ……はいはい!キシュー・マルレーンよ。その反応はナディ・ウォーカーで間違いないと思うわ、誘拐された場所が技術府所有の造船所、犯人の名前がハリエ島子爵のユーレット・ルイマンという男だそうよ。連れ去られたのは今からおよそ一時間前、自前の船に乗ってルカナウア・カイを出航後、ハリエの機人軍と合流したところまで確認したらしいわ]
今度は僕が口を開いた。
「それ本当なんですか?」
[あら坊やじゃない──そうよ、私の古い伝手から連絡があったもの。その男はとにかく女好きで、彼女の見立てだとハリエの館に連れ込む気らしいわ。この嵐だから島に着くまでもう暫くかかるだろうけどそれも時間の問題、発生した光点とナディ・ウォーカーの大まかな位置は合っている。行くしかないんじゃない?]
そんな博打みたいな──キシューさんがさらに続けた。
[それにその方角はノラリスが収容されているバハーがいる。──さっきのショックウェーブがもしカウネナナイでもシルキーの仕業でもなかったとしたら?ナディ・ウォーカーを助ける為に放たれたパッシブソナーだとしたら?ここでノラリスを手放すのはあまりに惜しくなくて?行くだけでも価値はあると思うわ]
とんでもない推論だが、もしかしたらそうかもしれない、と思える程の根拠は僕にもあった。ダンタリオンだ、彼からほんの一瞬だけ通信があったのだ。
カウネナナイでもないシルキーでもない、となれば──。
(ノラリスの母艦……か、あるいはその僚機の仕業……)
「……行きましょう。いえ、僕だけでも先行します。他の皆んなは帰投するように」
何を偉そうに!という文句と一緒に別の声が混じってきた。
[──やはりお前はラドグリーズのパイロットだよ。その言葉を待っていた]
ふわりと、そんなはずはないけれど、ふわりと煙草の臭いがしたような気がした。
✳︎
(後少しだってのにっ………!!)
苛立ちを抑えられず機人軍のブリッジで怒りをぶち撒けた。
「──あのちんけな島はもう目の前だろうがっ!!さっさと船を進ませろっ!!」
ブリッジにいるクルーは誰も俺の声に応えない。艦長席の前で屹立しているダルシアン大佐だけが応えた。
「船にとって灯りとは何だと思う」
「──ああ?!今そんな謎かけをしている暇かっ?!さっさと進ませろと言っているんだっ!」
「ライトでは無い。互いの位置を知らせあうレーダーだ、そのレーダーが沈黙した今となっては船を進ませること自体が危ない。分かってくれたかね」
「はっ!──ライトだったらこの目があるだろこの目がっ!どこに衝突する危険があるってんだっ!」
「距離はどうやって測る、君の目は自動で計算してくれるのかね」
「……………」
「辛抱してくれ。私のように頭に血が上ってしまったら取り返しのつかない事になる。──とくに今は」
「………ちっ!!」
おまんまのお預けが一番頭に来る。
何なんださっきの不快感は!あれが無ければ今頃は港に着いていたはずなんだ!折角ウルフラグの輩を空から叩かせたというのに何の意味もない!
ダルシアン大佐がクルーへ早期復旧を指示する中、やはりというべきか──展開した部隊の端に奴らが現れた。
[クォンツワンより本部へ!レプリカ二機がセレン近海を超えてなおも進行中!会敵までおよそ五分!──ご指示を!]
ダルシアン大佐が端的に下した。
「落とせ」
(………レーダーは使えないのに通信はできるのか?)
だったら互いに連携を取って衝突しないように──と、またぞろ腹が立ってきたので無理やり外を眺めた。
(部隊は高高度と海面近く、どうやったってウルフラグは進めっこない。侵入した時点でドカンだ)
だからそう慌てる必要は無い。朝日を拝みながら娘の苦悶に満ちた声を聞くのも一興ではないか。そう自分に言い聞かせていると波が引くように怒りも落ち着き、そして駄目押しと言わんばかりに──。
「──復旧しました!すぐにレーダーを立ち上げます!」
(──よしっ!)
「索敵始め!一番艦と二番艦は部隊の援護に回せ!三番艦と本艦はハリエへ向かう!フィエンツワンからフォーまでこちらに呼び戻せ!」
速やかかつ的確な指示がブリッジを飛び交う。過去においてハウィの防衛線を突破しウルフラグの港街を粉微塵にした男はやはり堂に入っていた。
たったの二機相手にこの布陣である。オーバーキルも良いところだと──その報告を耳にするまでは浮かれていたと言わざるを得なかった。
「──クォンツワンからフォーまで大破!タオンツワン交戦中──ツー交戦中──スリー離脱!フォー戦線離脱!──クォンツ、タオンツ部隊共に沈黙!」
クルーの叫びに近い声がブリッジに木霊する、誰もがその信じられない報告に耳を傾けていた。
展開して──優位な条件下で待ち伏せしていた八機がほんの数瞬で全滅してしまった。
「──空には何が飛んでいるのだっ!!──ハリエに急げ!」
「……あれじゃないのか……?」
窓に張り付き戦闘が行なわれている方角を眺めていた。そこには確かにいた、狂ったように踊る二つの流星が。一つは深い色をしたイエロー...いや、あれはブラウンだ、もう一つは鮮やかなオレンジ。
俺たちの援護に回ったフィエンツ隊も止むなく交戦状態に突入し、九十九折りの軌跡を残したオレンジの流星に呆気なく落とされていた。
二つの流星の進行を止められそうにはない。このままでは俺たちも海の藻屑となってしまう。
喉のひりつきを感じながら通信マイクを手に取った。
「──止せ」
「……ユーレット・ルイマンだ。ウルフラグの流星よ、どうするつもりだ?このまま船を全て落とすのか?カルティアンの娘はどうなる?」
聞こえているはずだ、ここは一か八かの賭けに出るべきだ。
「この船には娘も乗っている。民間人諸共海に沈めるというのならそのまま攻撃を続ければいい。ただ、身柄を預かりたいのならこちらと交渉しろ──ッ?!」
この嵐だから仕方がないのかもしれないが、発射音など一つも聞こえなかった。それなのに空母の甲板に一本の槍が突き刺さったので肝を冷やしてしまった。
──それが答え、ということらしい。
空母の近接防御火器がフル作動する、弾からミサイルから何から何まで二つの流星目がけて殺到するも、見えないヴェールに守られているように擦りもしなかった。
装填の合間に防御火器を破壊され、そしてオレンジの星が空母の甲板に降り立った。
[レーダーを確認しろ]
流星のパイロットの声は深く、たったの一言だけだった。勿論意味は分からない。
[この船に民間人は乗っていない。最後の最後で嘘を騙るかカウネナナイよ、甲板で粉微塵になった者たちへ何と言う?]
嵐の音すら耳に届かなくなった、何人かのクルーはブリッジの外へまろび出たようだが...
[来世の足しにしろ。──正義と邪悪の基準は自分が持て、人に委ねるな。……それが出来なければあの世から二度と戻ってくるんじゃねえええっ!!!]
その瞬間は雷鳴に掻き消され、真白の世界の中で──。
✳︎
は?である。本当に、は?である。
体は痛むし頭も重い。確か私はあのルイマン何とかって人に連れ去られて...そこから記憶が曖昧になっている。
目が覚めたのは古い小屋の中だった。手作りの棚には所狭しと釣りの道具が押し込まれており、壁にはすっかり色褪せてしまった貴族の肖像画が掛けられていた。
寝かされていた古いベッドから起き、私の部屋と同じ広さしかない小屋から表に出ると、
「……まっぶ」
燦々と降り注ぐ太陽の光りに目を焼かれてしまった。どうやらここはカウネナナイらしい、小屋の周りは見渡す限りの草原と、緩やかなカーブを描く砂浜、そしてその向こうにぽつぽつと家が建っていた。
「……っ!……これは……」
その砂浜には二つの大きな跡が残されていた、見ようによっては特個体が着陸したようにも見える。
小屋の入り口の近く、人が腰かけられそうな岩があり、その足元がいくらか汚れていた。──いや、焦げ跡も残されていた。
「…………」
人もいないし吸い殻もないけれど、煙草の臭いが不思議と鼻をついた。
※2話だけの更新となり、申し訳ありません。
少し長い休みを取るつもりです。次回の更新は2022/10/8 20:00を予定しています。
お待ちいただけましたら幸いです。