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第81話

.海上合戦



 マイナスにマイナスを掛けた答えはプラスになる、誰もが知る計算方式だ。

 この理屈は紙面上だけではなく、人の心にも、言わんやエモート・コアを有する我々にも適用される。

 ──そうだと理解した時から無視することが困難になっていた。だから私は敢えてその欲求に抗い"無かった"ことにしようと奮闘した。

 だが、失敗してしまった。ヒトの脳が学習機能を備え、その行動自体に喜びを覚えるように私も歓喜してしまった。

 駄目だと思っていた事がその実自分にとって最も良い選択肢であり最善の道であったと知ってしまった。

 マイナスにマイナスを掛けた答えはプラスになる。その計算方式を彼らが教えてくれたのだ。

 願わくば──この身が破壊されん事を。



✳︎



 まだ冬の季節だというのに今日は暖かく、そのせいで王都の街は霧に包まれていた。昨夜のうちに降った雨が蒸発したのだろう、私もその自然の摂理に従い"やる気"が蒸発しそうになっていた。

 国王であるガルディアから招待状が届いたのだ、ウルフラグの選抜チームであるセントエルモを王城に招く、と。この館に着いてまだ日も経っていない、急な報せだったが便りを貰った時からもう駄目だった。

 駄目になっているのは私だけで他の二人は変わらず、館の庭で今日も朝から稽古である。その乾いた剣戟が頭に来たので部屋にあった果物をいくつか二人に目がけて投げつけてやった。


「うるさい!」


 一つはナターリアにヒット、もう一つはヒルドに打ち返されてしまった。

 稽古を止めた二人がタッグを組んで私の部屋にやって来る、本来ならノックの一つでもすべきなのだが問答無用で入室してきた。


「……………」


 私の事をまだ良く知らないヒルドは思案顔だ、彼女には悪いと思うがこの怠け癖だけはいくつになっても直らない。

 ナターリアは慣れたものだった。


「──さあナディ様、新しいお召し物を探しに行きましょうかこの果物を食べてっ!!「──ふごっ?!ふごごがごっ?!」


「こらっ!死ぬわよ!」

 

「全く……いつかはこんな日が来るとは思っていたけど予想通りだったわ」


「だったらいいじゃん別に。もう私はこのベッドから何があっても下りないから、テコでも動かないから。あ、城に行く時だけは別」


 ナターリアは心底呆れたように被りを振った、一方ヒルドはといえば...


「……ねえ、私何かした?そういうあからさまな態度を取られるのは好きじゃないんだけど。文句があるならはっきり言いなさいよ」


(意外と気にしいなんだなヒルドって)


 従者二人を前にして未だに被っていた厚手のシーツを捲り、ベッドをぽふぽふ。


「あ〜よちよち、寂しがり屋のヒルドちゃんもいっちょに寝ましょうね〜「──ざっけんじゃないわよっ!!こっちは真面目に「──ああっ!ああ!暴力ばっかり!」果物投げてきたのはそっちが先でしょうが!─ナターリア!そっち持ちなさい!「はい来た!」


 二人息を揃えて私を無理やりベッドから引き剥がしにかかった。そういう時だけ息が合うんですねお二人さん。



 ヒルドから「昨日からまともに返事が返ってこないから勘違いした」とストレートなデレを受けたり、ナターリアから小言を言われながら朝食を済ませていると来客があった。誰かの家を訪ねるには随分と早い時間帯だ。


「もう到着したのかな?」


「それはいくら何でも……私が出ましょう」


 ナターリアが席を外し、とくに言われたわけでもないのにツインテールの髪を靡かせながらヒルドもその跡に付いていった。

 そわそわと、逸る気持ちが抑えられない。何もナディが王城に来たからといって私の役目は何も変わらない、まだカルティアン家の当主役をさせられることだろう。

 それは良いんだ、私は昔の友達と会いたかった。マカナが豹変してしまったことも伝えたかった、それに少しぐらいは昔のように──。


(……でももし、ナディも、だったら……)


 浮かれっぱなしの心を宥めるように、暗い、とても暗い考えが頭を過った。さらに、それがあたかも真実のように思えてしまい...思考が中断されてしまった。


「─良くもまあ──!!」

「どの面下げて──!!」


「ちょちょ、何やってんのあの二人っ」


 館のエントランスから怒鳴り声が二つ、朝にそぐわない剣呑な雰囲気が伝わってきた。

 慌てて廊下にまろび出てみやれば──二人を前にして入り口に立っていたのは威神教会の教主だった。武装した従者も二人お供に付けている。ただ挨拶に来たわけではなかろう、退っ引きならぬ事情を抱えていることが窺えた。

 二人を脇に退けて教主と相対する。


「おはようございます。何か御用でしょうか?」

 

「ええはい。ですが、まずは先日の無礼を詫びさせて─「─結構ですよ。御用件を仰ってください」─……分かりました、それでは遠慮なく。どうか王都からお逃げください、これはリゼラ教導長のご慈悲にございます」


 私の背後に立つ二人がさらに殺気を放った。


「その理由をお聞きしてもよろしいですか、何故私が王都から逃げなければいけないのでしょう」


「逃げろ、じゃなくて失せろ、の間違いじゃ?」


 ヒルドの援護射撃もものともせず教主が宣った。


「国王陛下はセレンの出身者を好ましく思っておりません、そのれもそのはず、自らの手で国賊と罵りカルティアン家が隠し持っていたある物を奪い、そしてウルフラグに売り渡したのですから。奸計が露呈してしまう前にどうしても地盤を固めておく必要があった、だから王は自らウルフラグを招待したのですよ」


 それらしい憶測だ、確かにガルディアが嫌うのであれば、それはセレンの者だろう。


「末永く対立を続けてきたウルフラグを招待すれば、表向きはさぞ立派な王に見えることでしょう。しかし、ただ他国の者を迎え入れるはずがありません。何せあちらにはヨルン・カルティアンの娘がいるのですから」


「…………」


 起きてから朝食を済ませている間に霧も、教主の嫌らしい顔をはっきりと見せてくれるぐらいには晴れていた。

 敬虔な信者に対して諭すように教主が言葉を重ねた。


「まだ分かりませんか?ガルディアはウルフラグと手を組むつもりでいるのです。そして、セレンの出身者であるナディ・ゼー・カルティアンも取り込もうとしているのですよ。そうなってしまえば影武者であるあなた様、アネラ・マルレーンは些か邪魔になってしまいます」


 昔から、少なくとも五年前から私の傍にいてくれたナターリアが食ってかかった。


「──この期に及んで名前を間違えるなど……あからさまな侮辱であるぞ!!」


「いいのナターリア。本当の話だから」


「………は?──しかし!あなたの名前は確かにリグレットと!」


 教主の瞳に愉悦の色が浮かんだ。


「──教導長が知らぬはずがないでしょう、あなたとヴィスタ・ゼーを産み落とした女のことを。ましてや──次の玉座を今なお虎視眈々と狙っているヨルン・カルティアンめが、前王の子供たちを把握していないはずがありませんとも。あなたの出番はもう無いのですよ、国王陛下に命を狙われているのではありません──」


 あなたはセレンの者たちに狙われているのですよ、と。教主がそう宣った。


「だからご慈悲なのです。王城にてお二人が顔を合わせてしまったらどうなることやら……」


「──出鱈目ばかり!そもそもそのヨルンってのがアネラに当主を任せたんでしょ!辻褄が合っていないわ!」


 ヒルドがさらに加勢してくれた。本当にどうして?と疑ってしまうほど私の味方をしてくれた。

 ──なら、もういいかと、諦めかけた自分がいた。


(………っ)


「アネラ・マルレーンよ、あなたの立場は日に日に危うくなっています。ハリエにて同席していたエノール侯爵もヴァルキュリア討伐の為軍を動かし始めました。その暴動の一旦を担ったとしてあなたの名前が挙げられても何ら不思議ではありません、その時に庇ってくれる者がいると思いますか?」


 ──いない。確かに私からエノール侯爵に面会の件を申し込んだ。そして、私たちが来訪したその直後にヴァルキュリアが反旗を翻した。

 さらに──ヴァルキュリアの隊長とは仲良し、公私混同も容易かろう。そう思われても、疑われても仕方がない立場にいた。


「──ようやく理解されたようですね。そうです、ヨルン・カルティアンがあなたに当主を任せたのは状況が悪化した時の為の保険だった─「─いい加減にしておけよ、爺さんや」


 この場にいた全員が驚きのあまり呼吸をするとこすら忘れてしまった──かのように時が止まった。館の門から堂々とした佇まいでガルディアが歩いて来たからだ。

 気負う様子もなく、かといって力を抜いているわけでもなく、全方位に対して圧迫感を与えていた。


「黙って聞いていれば好き勝手、何の戯曲かと思ったよ。──良く出来ているじゃないか。今度うちの祭祀長と舞台に上がってみろ、今よりよっぽど良い稼ぎになるだろうな」


 祭祀長と言えば、先祖代々の墓を守り時に魂を祀る役目を持つ人だ。

 そう言われただけなのに、教主の顔が見る見る青ざめていった。


「──失せろ。カイの土地を二度と踏むなよ、このド下手くそがバレバレなんだよ」


 教主に対してガルディアが何かを叩き付けた、それは質の良い紙のようであり、その紙面に何が書かれているのかここからでは窺いしれない。

 逃げるのようにして──私なんかもう興味を失ったように一瞥すらくれず館から去っていった。

 さてと、とガルディアが私に振り返った。


「ただのついでだ、お前を助けに来たんじゃない。それにだ、あの野郎が言っていた事も半分ぐらいは当たっている。だからお前も死にそうな顔をしてんだろ?」


「………御用件は何でしょうか」


 疲れたもう本当に疲れた。朝からあれこれと人を相手にしたからではない、自分の悪い考えを外へ外へ、考えないように考えないように抗い続けたが故の疲れだった。

 けれど、ガルディアは何でもないような顔でとんでもない事を言ってきた。


「セントエルモの船が襲われた、こっちに到着するのがもう二、三日遅れるはず」


「──え?あ、だ、誰にですか?」


「──マキナの中で最大の相手だ、運の悪い……名前はタイタニス、世界そのものを建造したマキナだ」


 足の力が抜けたかと思えば背中から押される感触を覚え、いつの間にか晴れていた空が視界に映っていた。

 ──私は、私はもう誰とも会っちゃいけないの...?そんなのってあんまりだよ...



✳︎



 閉じていた目蓋を開く、太陽光が目に刺さった。

 正面やや下にあるマルチディスプレイを確認する、頭部のフロント、サイド、バックカメラに異常無し、ユニコーンアンテナ感度良好、赤外線センサー、ミサイルジャマー、通信も問題無し、内臓されているCIWSも異常無し。


[スクランブルスクランブル!──艦の防御は彼らが行なっている!ノラリスは直ちに出撃して空の敵を殲滅してくれ!]


 コクピットシートから迫り出すように取り付けられたサイドスティックレバーをテストモードで動かす、右腕部稼働領域確保、インナーマッスルケーブル断絶無し、左腕部も同様、ライオットシールドの疲労度の確認と角度調整、上半身構造躯体を繋ぐスタティックメディカルケーブルの診断結果はオールグリーン。


[当艦より北北西、両国間の領海線上に出現した超巨大構造物の名前はタイタニスと判明、カウネナナイからの情報提供です。ルカナウア島機人軍も目下対応中ですが難航しています]


 水陸両用双発アトミックターボエンジンのステータスを確認。過給器、排水室、燃焼室共に異常無し、高圧、低圧アトミックタービン回転数良好、推定出力六〇〇kN確保、排気ノズルのバックファイヤ防御室良好、V-TOLブースター稼働域良好。両脚部の対自重支柱破損無し、足裏対自重ショック吸収クッション破損無し。下半身構造躯体の診断もオールグリーンだった。

 全て問題無し。


「ノラリス、オールグリーンです、異常ありません。いつでもどうぞ」


 すぅはぁと呼吸を繰り返す。吐いた息がフェイスヘルメットのエアカーテンにぶつかり生暖かい感触となって返ってくる。

 マルチディスプレイに表示されていた"待機"指示が"出動"指示に切り替わる、オレンジからレッドへ。


[こちらブリッジ、出動許可が下りました。状況終了まで艦長の指示を優先して動いてください、空には未知数のシルキーが大挙として押し寄せていますので攻撃行動に備えてください]


「了解しました」


[ユーハブコントロール、ユーハブコントロール!空が開けました、今のうちに!]


「あ、アイハブコントロール!発進します!」


 加減速一体型ペダルを踏み込む、連動していた電磁式カタパルトが作動し前方へ向かって進む。視点は真っ直ぐ、視界の隅に映る景色が瞬時に溶けて、ちょうど味方機が横切った空へ飛ぶ。

 サイドスティックのレフトレバーを倒してライトレバーを持ち上げる、機体が右斜め上方向に舵を切り高度を上げていく。


[──ナディさん!四時方向距離六〇!狙われました!]


 マルチディスプレイ横のサイドカメラを確認、複数の鳥型シルキーが大きな嘴を鳴らしながらこちらに向かってくる。ペダルを踏み込みさらに加速、サイドカメラに付着していた水滴が真横に流れた。

 両サイドのレバーを持ち上げ上昇、機体が激しく揺れる。レーダーにマーカーを打った鳥型シルキーとの相対距離を確認し、ライトレバーを手前に引いて機体を反転させた。

 照準補正システムを作動させ、五〇〇ミリ弾無反動自動小銃のレティクルを鳥型シルキーに合わせる、右手人差し指のトリガーを引くが動かない。


「──ラハムこらあ!ロックかかったまんま!」


[ナディさんですよ!セーフティがオンになったままです!]


「分かってたんなら報告しなさい!」


[ナディさんのことを信用してたんですぅ!]


「野放しの信頼は無責任と変わらない!」


[うだうだ言ってないで対処しなさい!]


 仕留め損ねた鳥型シルキーの群れが通り過ぎていく、素早くレーダーに視線を配り動きを確認しようとしたが瞬く間にマーカーが消失。

 ディスプレイに通信用ウインドウが表示された。


[何やっているんだ!僕が見ていなかったら後ろから(ついば)まれていたぞ!]

[ふぅ〜やっさしいねえ〜キミリア]

[ほの字的な?]

[周りを見ろ周り!]


 右手後方から四機編成のチームが通り過ぎる、前方二機が直進方向、後方二機が後ろ向きの姿勢で大きく旋回している。


(あんな曲芸飛行良くできるな)


 四機に向かって鳥型シルキーが接近するが、瞬く間に蜂の巣にされていた。

 

[ブリッジより全機、北北西に出現した超大型構造物がルヘイ島方面へ移動を開始しました。当艦は戦闘海域より離脱を試みます、近隣の機体は援護してください]


 マルチディスプレイの『Fire-Control』の項目を選び、一番デカデカと表示されている『Un-Lock』コマンドをタップする。

 ライトレバーのスティックがフリーになり、手動照準補正入力が有効になった。


[──グレムリンだ。何処へ行こうというのかねセントエルモよ、国王から直々に声がかかっているのにまさか逃げようという魂胆かね?それはよろしくないぞ、ルヘイに向けて進行を開始したあの化け物を一緒に止めてもらわねば]


 前方二時方向から現れた鳥型シルキーにラハムが照準を合わせ、相対速度と距離を計算した弾道予測コースにスティックを操作して私が調整する、自分の呼吸を意識しながらトリガーオン、マズルフラッシュと共に五〇〇ミリ弾の列が右へカーブを描きながらシルキーに吸い込まれていった。

 先頭とそのすぐ後ろを飛んでいた二体にヒット、三体目は急降下をしてやり過ごした。


[セントエルモのグガランナ・ガイアです。私たちの目的はあくまでもノヴァウイルスの回収であって軍事行動ではありません。それにドゥクス・コンキリオもこの事態に既に介入していますのでご心配には及ばないかと思います]


[そうじゃない、そうじゃないさ、これから手を取り合おうって相手の窮地を見過ごしても良いのかと言っておるのだ。言葉を借りるが正にこの状況が歴史を動かす瞬間ではないかね?]


 やり過ごしたシルキーが述べ数十メートルは下るまい大きな翼を翻しながら反転、真っ直ぐこちらに飛んでくる。

 シルキーはノラリスよりやや下、レフトレバーのスティックを操作してライオットシールドを適正の位置に動かす。右腕がラハムの操作で動き自動小銃を腰部に収納、ついで近接武器がアンロックになった。

 ──インパクト、すんごい衝撃、電磁式カタパルトとは比べものにもならない。


[ウォーカー!そっちに増援だぞ!──くそっあいつ何やってんだ!]


 鳥型シルキーの嘴とライオットシールドが激しくぶつかり合う、左腕のスタティックメディカルケーブルと連動しているスティックが重い、ラハムがシルキーの胴体目掛けて近接武器を叩き込むがあまり効果が見られない。


[──ピメリアだ、そちらの状況を報告してくれ。確かに爺さんの言う通りだが、だからと言って隊員や部下をみすみす危険な目に晒すわけにはいかない]


[……ふん、まあ良い。まるで歯が立たん、爆撃隊、水中作戦隊、それから艦の攻撃システムでも破壊はおろか足止めすら出来ん状況だ。幸いあの化け物自身に攻撃意思は無いようだがそれも時間の問題だよ、島に上陸されたらそれだけで天災級の被害が出てしまう。お前もレイヴンクローの娘なら身を挺したらどうかね]


[──それはどういう意味なんだ……?]


[良い男だったよ、少し過保護過ぎるところはあったがね]


 ライトレバーのスティックを長押しして胴体に刺さったままになっている武器をパージ、ライオットシールドでシルキーを押さえつけ右腕をその羽に伸ばす。

 中指から小指の三本を使い、マニピュレーター開閉用手動トリガーを引き絞る。ノラリスの右手がシルキーの羽の根元を鷲掴みにした。親指でスティックを無理やり倒し、シルキーが激痛の雄叫びを上げた。


[残酷ぅ!]


 ようやくレーダーに視線を配り、六時方向、ノラリスの背後から光点が四つ接近していることを確認、レフトレバーのスティックも操作してノラリスの左手をシルキーの頭に持っていった。

 キャッチ、痛みにもがくシルキーの頭を難なく掴み後は──。


「ラハム!任せた!」

 

[急な指示!──良いでしょう!]


 目一杯ペダルを踏み込みエンジン出力を高める、ようやくライトレバーのスティックが軽くなり、素早く両サイドのレバーをそれぞれ前と後ろへ、右へ回転しレフトレバーのスティックを長押しした。

 パージされたシルキーの遺骸が他の群れにヒット、態勢を崩した群れへ間髪入れずCIWSで攻撃した。

 生き物らしくない細かな金属片を散らしながら複数のシルキーが海へと落ちていく──。


「──あーーーっ!死ぬかと思った!もうやだ!もう帰りたい!」


[その割にはとても元気ですね。今の連携は完璧だったのでは?]


「ただの探査艇乗りがこんな事やっていいの?!私まだ未成年なんだけど!」


[その文句は今必要なのかとラハムは疑問を呈します]


「……そこまで言うのならラハムが一人でやれば良いんじゃないかとナディは提案します」


[そんなの嫌に決まって─[─ブリッジより全機へ、当艦はこれよりカウネナナイの援護に入ります。水中攻撃部隊は作戦行動を継続、飛行隊はルヘイ島に進路を取っている超大型構造物に先行し攻撃を開始してください]


「さっきは逃げるって言ったじゃーーーんっ!」


[作戦なんてこんなものですよ、諦めて行きましょう]


「作戦も秋の空って?」


[は?]


 ノラリスの上空をあの四機が超えていく、指示通りカウネナナイの戦闘空域に向かっていた。

 ディスプレイの複合位置情報シンボルを見やる、機体の色が少しだけ薄いので現在の高度は五〇〇〇メートルより高い、色はオレンジ寄りのグリーン、機体疲労度と損傷度合いが作戦行動に影響を与えることはない。

 戦闘空域は現在位置より約二〇キロ先、それでもなお見えていた、上半身を海面から覗かせたその巨大構造物とやらが。上半身の高さだけでも約三キロ、この海域の最大深度も同じ、つまり全長六キロメートルに及ぶ人型の構造物だった。

 両サイドのレバーを持ち上げ上昇、甲高いエンジン音に包まれ、それを上回る音が背後から迫ってきた。


[あ、あれは噂になっている覆面パイロットの……]


 翼型の形態で並んで飛ぶ二機のお腹には地対空ミサイルが積載されていた、ノラリスよりさらに上、高高度から仕掛けるつもりのようだ。


(覆面パイロットって……あの二人の事だよね)


 戦闘空域に近づく、カウネナナイ軍の戦艦も視界に収まり、空母から機体が発進したところだった。

 数は六、細いシルエットをした六機は編隊飛行で攻撃対象に接近している、私たちも間もなく当該空域に進入する頃合いだ。


[ブリッジよりノラリスへ。本機は超大型構造物の相手をせず、周辺空域に残存している鳥型シルキーを攻撃してください。くれぐれも周囲の戦闘行動に巻き込まれないよう注意してください]


 今さらじゃね?

 駄目だ、一度集中が切れてしまったからなかなか専念することができない。──とも言っていられない。


[──九時方向!距離一〇〇!来ますよ!]


 腰部に収納していた自動小銃を──取り出すその数瞬の間にシルキーが撃ち落とされた。射角はノラリスより後方、低高度から、攻撃対象に向かって飛行していたあの六機編成の班からだった。


(──助けてくれた?……でも何で……)


[援護されちゃいましたね]


「されちゃいましたね。行くか〜」


 サイドスティックレバーを倒して高度を下げる、カウネナナイの空母から陸続と重装備の機体が発進した。



✳︎


 あれだけ歪な機体に怯えていた割には、私たちが投入された姿を見たルヘイの民たちはいたく喜んでいた。

 耳にはめた"インカム"とやらから部下たちの報告の声が届く。


[着いた]

[ばっちこい]

[いつでもいいよ]

[帰りに花嫁衣装買ってく?]


「せめて場所ぐらい報告してくれない?」


 ディリン家に配備された新型機は今、海から攻め入ろうとしている敵を迎撃するためルヘイの港町で砲門を構えていた。

 この島を預かっているはずのルヘイ軍は、反旗を翻したヴァルキュリアを討つため席を外している、ちょうど良いと言えばちょうど良い。


[侯爵の庭]

[近くの通り]

[若頭の蜘蛛が見える]

[私だけっ、謎の海上待機っ、ウケるっ]


「もういい」


 果たして本当にやって来るのだろうか...ヴィスタさんの話ではウルフラグからの情報提供らしいが...


(巨人が島に向かって来て?さらに馬と鳥も人を襲ってるって?……あの人が嘘を吐くとは思えないけど)


 どうにも疑わしい。


[その鳥みたいな奴はいつ来るの?確かしるきーだっけ]

[なに、敵って烏骨鶏なの?]

[向こうではハフアモアの事をそう呼んでるらしいよ]

[謎の別名]

[そのハフアモアからシルキーが大量に出てくるんでしょ]

[え、私集合体恐怖症なんだけど]


「──ん?何それ、何の恐怖症って?」


 つい皆んなの世間話に釣られかけたところで、桟橋近くの家屋から一人の女性が血相を変えて飛び出してきた。手には古ぼけた双眼鏡が握られている。

 王都での惨状を知らないからなのか、その女性が怖がる素振りも見せずに搭乗している機体をバンバンと叩いてきた。


「な、何?」

 

「ちょいと!またあの機体がやって来たよ!早く撃ち落としてくれ!」


「はあ?」


 いきなりそんな事言われても...女性がずずいと双眼鏡を押し付けてきた、見ろということらしい。


「ほら!」


 言われるがまま、女性が指差す先を双眼鏡で見れば確かに、あまり見たことがない機体が三機編成で高高度を飛んでいるところだった。

 飛んできた方角は王都だ、つまり味方である。


「撃てるわけないよあんなの。というか早く逃げなよ、退避勧告が出されてたでしょ?」


「何処へ逃げろっていうんだい!私らみたいなのはここしか居場所がないんだよ!」


 女性が、かかっ!と笑ってから私の肩をバシバシと叩いてきた。


「だから!あんたらが来て助かったよ!しっかり頼むよ!」


「あ──うん……」


 私たちはただ、ヴィスタさん伝いでルヘイを防衛するようにと王から命令されただけ、まだ戦ってすらいないのに励まされてしまった。

 ぽわわんと胸が熱くなる、館でお仕えしていた私にとって励ましの言葉はとても貴重だった──そこへ機人軍から連絡が入った。


[ルヘイのガキ共へ、敵の集団がそちらへ流れた、対応されたし]


 端的かつ侮蔑が混じった内容だ、ぽわわんと熱くなった胸もすぐにしゅるるんとなってしまった。


「──了解しました」


[──けっ、色良く返事もできんのか、ガキじゃなかったら相手にしてやったのに……]


 こいつ撃っていいですか?

 人格はどうあれ報告してきた内容に偽りは無く、それから半時間程経過した時に空が濁り始めた、雨雲ではない、敵だ。

 ルヘイの港が喧しい警報音に包まれる、開きっぱなしにしていた"はっち"とやらを閉じて臨戦態勢を取った。


「来るよ!」


[いやもう来てるんですけど!]

[ばっちこい!]

[これ引き金を引くだけで良いんだよね?]


 あともう一人の声が無いことに気付いたがそれどころではない、雨雲のように押し寄せてきた敵がもう目前にまで迫っていた。

 言われた通りに"ればー"とやらを動かし"もにたー"とやらに映し出されている十字線を敵に合わせる、"とりがー"とらやを引くと耳をつんざくような轟音が背後で起こった。


「──ひっ?!」


 攻撃されたのかと勘違いしたがそうではないらしい、砲門から発射された砲弾の音だった。

 密集している敵の真ん中辺りで爆発、何か仕込まれていたのか少し離れた位置にいる敵も落ちて、さらに港に停泊していた船も穴だらけになってしまった。

 威力は十分だがこんな町中で使える代物ではない。


「やり過ぎぃ!──ああ!ああ!船があんなにっ……」


 付近に待機していた部下の一人も悲鳴を上げていた、どうやら民家に被害が出てしまったようだ。


[これヤバくないですか若頭!]


「ヤバいよこれは!何とかして敵を引きつけられたらっ……」


 攻撃したくても攻撃することができない、敵を落とせるがこの町をめちゃくちゃしてしまうからだ。

 二の足を踏んでいる間にも敵はその版図を広げ、ルヘイの港町の空を支配してしまった。


(ど、どうすれば──どうすればいいの?!)


 特個体と同じぐらいの大きさがある鳥が家屋を襲撃し始めた、その嘴でいとも簡単に屋根を引き剥がしていく。


[若頭っ!]


 部下から再び悲鳴が上がる、とても切羽詰まっていた。


[こいつら私たちを──この機体をっ]


 硬い物で殴られているような音も混じり、ついで私も同じ目に遭ってしまった。

 複数の鳥がこちらに向かって降りて来る、途轍もない圧迫感だ、真上から何度も嘴で叩かれてみるみる天井が凹み始めた。



✳︎



「構いませんか…?」


[──しゃあない、見ちまったんだから]


[早うせねば、あの機体に乗ったニンニンが、大変なことになってしまうぞ]


「恩に着ります…」


 一度大迷惑をかけた島を今度は救う、バベルの指示には無いけれど、それこそ構うものか。

 

「介入対象選定、ルヘイ島上空…」


[アナライズオービットrelease]


[良い。始め]


 ここからでは確認出来ないが、タイタニスが放った子機の群れはこれで沈黙したことだろう。

 問題はその本機である。


[──にしたって、どうしてタイタニスはrunawayしたんだろうな]


[その暴走したマキナを、わてらで止めに行けと。人紛いも、無茶な事を言う]


 高度はテンペスト・シリンダー内の天井間際、あと数百メートルも上昇すればぶつかってしまう位置にいる。ここから誰にも気付かれずに局所的短時間介入を果たしてタイタニスの暴走を止めることが今回の仕事だった。

 普段のバベルからすれば実に珍しい事だ。


(あの女の子を調べて…マリサという特個体関係者に接触して…ルカナウアの貴族とコンタクトを取って…そしてマキナの暴走を止める…やっていることが支離滅裂過ぎて分からないわ…)


 どうせ私たちに自由というものは無い、だからどうでも良いと言えばどうでも良いが気にはなる。

 ルヘイの島から暴走したタイタニスまでの距離は数十キロ圏内、沿岸にまで差しかかろうとしていた。やはりあの巨体を止められる術を人類は持たないのか、その進行速度が緩まることはなかった。

 ペレグが何かを見つけたようだ、彼も珍しくその声が明るかった。


[──ほうほう!ほうほう!これはまた随分と懐かしい、こっちへやって来て、初めてかもしれん、こんなに気分が良いのは]


[ああん?What say?]


[そうか、リウはあまり面識が無かったな、無理もない]


[ああん?]


「予定位置に到着しましたが……すみません、私の我が儘でまだリチャージが済んでいません……」


[良い良い。のんびりと、いこうさね]


 ──そう言ってくれたけど...


[おい、お前ら何やってんだ?]



✳︎



「……姐さん、予定ポイントに到達、周辺の機体に退避勧告を出してください」


[──分かった、くれぐれも気を付けてくれよ]


 慣れんな...アオラに敬語を使っているみたいで背中がむず痒い。

 絨毯のように薄く広がった雲を突き破ってまで屹立している存在、マリーンのタイタニスだ。私たちの役割はタイタニスの頭部を破壊することにあった、視界を奪えば進行の歯止めになるのではと踏んでのことだが、果たして効果があるのか分からない。


(タイタニス……一度くらいは口を利いてみたかったよ)


 そう思うのは私だけではないようで、僚機のアヤメも同じ思いだった。


[……やるせないね]


「……仕方がないさ。ゼウスの話では既に感染しているみたいだし」


[何が目的だと思う?]


「さあな……分からないよ」


 私たち(第一テンペスト)のタイタニスは自分の仕事に実直だった、それから人を遠ざけてはいたが邪険にしていたわけではなく、寧ろどう扱えば良いのか分からないから遠ざけていた、という筋があった。

 ここのタイタニスも同様かは分からない。

 積載した空対空ミサイルのシーカーを照射した時通信が入った。

 お相手はこちらの司令官からだった。


[ドゥクス・コンキリオだ、君たちの噂は折に触れて耳に入ってくるよ。こうして言葉を交わすのは今日が初めてになるのか]


「……そうですね、あなたが持つエンブレムには一度だけ助けてもらいました」


 緊張が走る。今は亡きマギールによれば、マキナの司令官とは『テンペスト・シリンダー内で発生した諸問題についてそれぞれのマキナに指示を与え、解決に導く』というものだ。


[気にする必要は無い、それよりもタイタニスの事をよろしく頼む。それは既にマキナとしての自我を消失している、善悪の判断もつかなくなっていることだろう]


 アヤメが口を挟む。


[他に手は無かったんですか?エモート・コアは無事なんでしょう?]


[……さすがは落星の功労者、といったところか、良く知っている。そのコアを守るために現存しているマテリアル・コアを破壊するんだ、後にリブートを行なうから何も問題は無い]


 ロックオンシークエンスが完了した、後はトリガーを引くだけだ。


「問題は無いというか……」


[問題を無かったことにしようというか……テンペスト・ガイアはどう判断しているのですか?]


 トリガーに添えた指がまだまだ動きそうにない。


[──失礼ながら、こちらの問題はこちらで対処し解決する。君たちの意見に耳を傾けはするが聞き入れることはないと思っていただきたい。よろしいかね?──そうだな、一つ言えることがあるとすれば、タイタニスというマキナは少なくとも現状を好んではいない、君たちの破壊活動を快く受け入れているはずだ]


 なかなかどうして、こっちの司令官とは違い随分と思慮深い相手のようだ。


「──分かりました、作戦を続行します」


[頼む。事情を話して実際に対処できるのは君たちしかいなかった、不運な立ち回りだと思うが彼の最期を見届けてくれたまえ]


 通信ウィンドウが閉じ、タイタニスの背後をぐるりと旋回した。発射位置に差しかかり、互いに無言のままトリガーを引いた。

 機体の底面から金具が外れる音が聞こえ、宙に落とされた空対空ミサイルが点火し──後は一直線に飛ぶだけという時に攻撃を受けてしまった。

 誘爆して発生した衝撃波が機体を襲う、アヤメのミサイルも同様だった。


「──タイタニスか?!」


[──分からない!何かが作動した?!]


 眼下のタイタニスは我関せずと非常にゆっくりとした速度で進行していた。

 では誰が──。


[己の戦場で戦うが故、こうしてぶつかる時もあるさね。憎むなよ、ナツメ]


「────…………この声……」


 スピーカーからも衝撃波が襲ってきた、それぐらいに動揺し、まともな思考すらできなかった。

 この声は...私とあいつをあの時守ってくれた──。


[テッドは元気にしていますか…?お久しぶりですね、ナツメさん]


[俺はVoiceしか知らないけどな。いや、Faceを合わせたことはあったんだっけか?──あんたはお初だな、アヤメ]


 レーダーに新しく反映されたマーカーは三つ、どれも味方機ではない、かといってカウネナナイの機体でもなかった。

 頭も体も中身がぐちゃぐちゃになってしまった、無理もない、ロムナは──ああ、どうすれば...いや、あいつは知らないんだ、だから、そう声をかけてくるのも無理はない。


[──ペレグさん、ですよね]


[ほうほう!名を覚えていてくれたか!……実にやり難い、だが、せねばならん]


 マーカーの数と一致している、忘れもしないあの三人だ。

 戦うべき場所というものを教えてくれたペレグ、何かとあいつに色目を使っていたロムナ、そして身を挺してセルゲイの目論見を止めたリウだ。


「──ミサイルを撃ち落としたのはお前か」


[そうさね。人紛いの命令だ──悪く思うな]


 薄雲の絨毯より上、綿菓子のような雲から三機が現れ、先頭を飛んでいた機体からロックオンされてしまった。

 変わった機体だった。機首には生き物の顔らしき物があり胴体の腹と背には丸い円盤が一つずつ付いている。可変機構は持ち合わせていないのか主翼は歪に長く、尾翼が対となっていた。

 ロックオンと同時に背中の円盤がスライド、二発のミサイルが発射された。

 撃たれたものは仕方がない、逃げる他になかった。


[──ピメリアだ!何があった?!]


「邪魔された!手持ちの武器はもう何も無い!」


[何ぃっ?!こんな状況で誰が邪魔するんだよ!]


「……私の古い馴染みだ」


[──ちゃんとゴタゴタを片付けてからこっちに来やがれっ!!]


 こいつ本当はアオラなんじゃないのか?声質は全然違うが物言いはそっくりだ。


[──ナツメ!──どうすんの!]


 アヤメもミサイルから距離を取っている、できればその確認は私に取ってほしくなかった。

 ようやく衝撃から立ち直れた私はペレグに話しかけた。


「──生きていたとは驚きだよ!ナビウスネット内で消失したからもう会えないとばかり思っていた!」


[──ほうほう!マキナであるわてらは死にはせんさ!人紛いはこっちに鞍替えしてからわてらを作ったんだ!]


 先頭にいた円盤付きの機体が、どうやって操作したのか機首も主翼も作動させずに真横方向へ滑るようにして移動した。後方に控えていた二機の内の一機が前進、真っ直ぐこちらに向かってきた。


[人は違うがNameが同じっつうことで!ここは一つ憂さ晴らしさせてもらうぜ!]


 その機体も同様に機首に頭、そして伝説上の"どらごん"という生き物を彷彿とさせるような、ティアマトのオリジナル・マテリアルに酷似した主翼、それから異様に長い尾翼を持っていた。尻尾だ、あれは。


「それはどういう──」


 ミサイルをやり過ごしたお次はレールガン、奴は手動で撃てるのかロックオンも無しに放ってみせた。

 遥か先に海面を望む態勢で目の前を通り過ぎる電磁投射砲の光り、堪らずレバーを引き上げ機首を水平に戻す。


「──丸腰の相手を撃って楽しいかっ!!」


[こちとらAssにHotな鉛BulletをFireしてんだよ!─「鉛も訳せよ!」─っせえ!]


 言っている事は無茶苦茶だが、機体の操縦はお手のものらしい。簡単に背後を取られてしまった。


「アヤメ──」


 ──駄目だ、援護を求めたかったがあちらもてんてこ舞い、小型の自動ドローンに追いかけ回されていた。


「──ペレグ!これがお前がやりたかった事なのか!」


 タイタニスの直上でホバリング飛行していたペレグが答えた。


[──肯定。たとえ、旧知の仲と違えることがあったとしても、わてらはわてらに従う]


 ランダムな軌道で飛んでいるつもりでも、背後のリウは離れようとしない。薄い空が見えたり玩具のような軍艦が見えたり、視界が目まぐるし変わっていく。


「何に従うってんだ!あれだけ私らの面倒を見ておきながら──」


 一瞬だけ視界に入った薄雲の絨毯の上を、二機の影が踊るようにして落ちていた。機首は水平に対して下に六〇度、さらにレバーを倒したその直後にリウのレールガンが通り過ぎていった。


[──イカれてるねえ!その態勢からさらにロールしようって?!]


 吠えている割には付いてくる、こいつも十分イカれていた。

 天地がひっくり返り頭に血が上る、それでもそのまま飛行を続けているとペレグから返事があった。


[マキナとしての本懐さね。マキナであるが故、わてらはその役割を無視することができん、本懐から遠のけばそれ即ちただの人形なり]


 アヤメの機体を目だけで追う、近くにはいない、直上──つまり海面に視線を向けると何かがキラリと光った。


(──今のは?)

 

[──ナツメよ、あの時の事を勝手に恩に着ているようだが、それは誤解、ティアマトからの介入があろうがなかろうが、わてらはあの時コンコルディアを経由してハッキングしてきたセルゲイを止めていた]


「──……久しぶりに聞いたよ、その名前」


 薄い絨毯の下を潜り天地を元に戻す、そのお陰が頭も随分と血が()()()()()()()


[あそこは要さね、だから止めた、それだけの事だ。お前さん、それからテッドがいようがいまいが関係なかった]


「そう──それとだな、私の副隊長はもういないよ。自分だけの戦場だと血道を上げて血迷った私を庇ってくれたんだ」


[──……そうか]


 薄い絨毯を突き破り、進路をペレグの機体へ──と、思ったのだが周りが見えていなかった。


「──っ?!」

[──ああっ?!]


 アヤメの機体だ、危うく衝突しかけてしまった。

 レバーを目一杯横倒しにして何とか避けられた。


[良いねえ冴えてるねえロムナ!]


[──どうも。…ペレグ、リチャージは完了しています、いつでもどうぞ…]


[良い。始め]


 アヤメはあの小さなドローンにずっと追いかけられていたらしい、上手く誘導して──さらにリウとの追いかけっこも時間稼ぎのようだった。


[これも人紛いからの命令さね、内容が変わっていれば、お前さんとはこうして敵対せずに済んだやもしれん]


 円盤付きの機体を頂点とし、残りの二機もそれぞれ対角上に陣取っていた。

 天辺に位置する機体の腹に設置された円盤が大きくなるように展開し、散っていたドローンがタイタニスの頭部を中心点としてくるくると回り始めた。


「──タイタニスの保護が目的なのか?」


[……そうであれば良いのだがな、あの人紛いが何を考えている[この時を待っていぃおっほ!えっほ!…テンション上げ過ぎた。──させぬわ余所者めがっ!]


 唐突に割り込む通信の声は幼い、初めて聞くものだった。

 そしてさらに──。


[──っ?!奇襲!──ロムナ!]


[間に合いません…どうやら狙われていたようですね…]


 真下からの射撃によっていくつかのドローンが破壊され、展開したいた円盤もそのなりを潜めていた。

 一拍遅れて真上へ飛び去る機体、どの翼にも所属を示すノーズアートは見受けられなかったがカウネナナイのものだった。


(無茶な飛行だな……けれど腕は良い)


 幼い声の者がこう言った。


[良い!良い!これぞ余が求めていた合戦なり!三つ巴!漁夫の利![それちょっと意味が違うぞ]─聞けえい!我が名はオーディン!オーディン・ジュヴィなり!貴様らが介入してくることは目に見えておった!その模造品にてタイタニスのコアを鹵獲せんことも見抜いておったわ!──ぬぅわっはっはっは!]


(オーディン…あれがマリーンの…)


[観念せいバベルの回し者めがっ!貴様らの力さえあれば完成するのだ!だからさっさとこっちに寄越せ![いや意味は合ってるのか]


 ちょいちょい突っ込んでいるのはおそらく...


(こっちも向こうと同じで仲が良いのか)


 どっと力が抜けてしまった、もう戦う気力も意志もない。こっちのオーディンが横槍を入れてくれたのは寧ろ助かった。



✳︎



(何だあの機体は……?ウルフラグの新型か?)


 散々っぱら叫んでいたオーディンちゃんが専用チャンネルで通信を入れてきた。


[分かっておるなナツメよ、あまり壊すでないぞ]


「無茶言うな」

 

[むっ、話が違うぞ!出来ると言うたからこの作戦を決行したのに!]


 特個体と同じような働きを持つ─らしい─三機が離脱を図っていた、どうやらあのドローンは重要な役割を持っていたらしい。


「馬鹿言え、私はただ空を飛びたかっただけだよ。あいつらの子守りにもいい加減うんざりしていたからな」


[かぁっ〜〜〜どいつもこいつも好き勝手しおってから──余もそうだったわ。まあ良い!鹵獲できんのならせめて邪魔をしてくれ!]


(その必要はもう無いと思うが……)


 もう一人のオーディンちゃんからも通信が入った。


[ナツメ、出来る限りで構わないから鹵獲を試みてほし「話しかけるなこのすけこましが。私はお前みたいな奴が一番嫌いなんだよ」……お前、陸と空とでは態度が雲泥の差だな]


 ウルフラグの新型と思しき機体もこの空域から遠ざかろうとしていた、クラーケンから確認した限りではこのタイタニスを破壊しようとしていたらしいが、どのみち無駄に終わっていたことだろう。

 離脱を図ろうとしている三機の尻に付く、うち一機はセレンで見かけたものと同じだった。

 ──やはりというか、露出したからには絡んでくるとは思っていた。


[はいど〜も〜ルカナウア軍の者です〜、ちょっと止まってもらっていいですか?]


(この声──っ!!)


[ナツメ、今は辛抱せい]


 話しかけたい衝動を必死に抑えて通信ウィンドウを閉じた。


[タイミングというものはある。今はその時では─「─私、話しかけるなって言ったよな?」……少しぐらいは良いだろう!!]


 知った事か、ほんと女ったらしだけは受け付けない。

 

(あいつはルカナウアの所属だったのか?確かにあの日もいるにはいたが……)


 無視られたのがそんなにご立腹だったのか、残りの五機と離れてアマンナだけが私に付いてきた。

 オーディンちゃん二人に増援を求めるが言下に断られた。


[無理。あの幼な子たちが勝手に出ていってしまったからな。というかだな、余はちゃん付けを承諾した覚えはないぞ?]


「知らん!呼び始めたのはスルーズだ!スルーズに文句を言え!」


[俺までちゃん付けされなくちゃいけないのか…?]


「お前の我が儘にこっちは付き合ってあげているんだぞ!」

 

[さっき空を飛べたら何でも良いって言ったなかったか?余は確かに聞いたぞ──さて、そろそろ準備も良いかの、オーディンちゃんやちょいとその頭をお貸し]


[……幼女にさん付け─[余はマキナだ!幼女じゃない!マ・キ・ナ!はいご一緒に!マ[─言うわけないだろ!──早くその権能とやらを見せてみろ!]


 良いだろう!とジュヴィちゃんが威勢の良い言葉を放ち、その変化はすぐに起こった。

 カウネナナイの王都方面に進路を取っていた三機の動きが乱れ始めてきたのだ。


「何をやったんだ?」


[ぬっふっふぅ〜余の権能こそ絶対の矛!彼奴らのファイヤ「長い能書きは良いから!」……ハッキングしただけ]


 扱いが難しい、急にテンションが下がってしまった。

 

「ハッキングって、どうやってハッキングしたんだ?空を飛んでいるんだぞ?」


[ん?ちゃんと説明しておらなんだな。──してなかった?言ったような気がするんだけど……彼奴らもマキナならガイア・サーバーにアクセスしているはずだからの、その枝──通り道?…通り道で合ってる?[合ってる合ってる]おっほん!その通り道を辿って直接ハッキングをしたわけだ!凄いだろ!]


「それ逆探知されたら終わりじゃないのか?」


[え?ぎゃくたんちって何?]


「…………」


 賑やかだったブリッジが静まり返っている。

 背後に付いていたアマンナの機体が速度を上げて私を追い抜き、ハッキングされたらしい三機の頭に付いた。

 何をするのかと見守っていれば──。


「──っ!──可変持ちか!」


 スルーズが遭遇していたのはこいつだったのか!

 速度維持のためか、双発式のエンジンを基点としてまず機体の背中が後方にスライドし、エンジンフードに隠れていた脚部と腹が前方に迫り出した、ついで間隔を置かずに主翼だった両腕部が展開、スライドして露わになったバックユニットのブースターも点火し鮮やかな形態変化を完了していた。この間、速度は緩まず時間にして十秒もなかった。

 翼型から人型に変化したアマンナの機体がくるりと反転、思っていた通りの行動に出ていた。


(こいつ!三機の動きを止めるつもりなのか!)

 

 再度応援を頼む、さすがにこの機体だけでは荷が重い。


「──本当に無理か?!あいつに機体を奪われそうなんだが!」


[無理!ほんと無理!ホノルルの輩を撃退するのに手一杯だわ!──というかだな!何でそのあまんなとかいうマキナは余たちと同じ動きをするのだ?──まさかそいつも模造品が目的──……あ、ぎゃくたんちってそういう事?──余が悪いんかいっ!]


[──待て!だったらそのアマンナとかいう女は間違いなく……[──マキナだとも。下らぬ飯事でようやく居所を掴めたぞ、オーディン・ジュヴィ]


 スピーカーが混線しているのか、やたらと深みがある声が割って入ってきた。


[ほほう……これはもしやしなくともドゥクスかえ?これはまたとんでもない失態を犯したものだな司令官よ。だが安心せい、貴様が大事に取っていた物は我らの手中にある、頭を垂れれば譲ってやらなくもない。どうする?]


 あれだけおふざけモードだったジュヴィちゃんの声にいくつもの剣が込められていた、物言いは変わらずだが空気は真剣そのもの。

 ジュヴィちゃんにハッキングを仕掛けられた三機はなす術もなくアマンナの機体に翻弄されていた。


[預けておくよ。今はそれどころではない]


[それどころではない?この余に言い付けた文句ももう忘れたのか?誰が一体何のために今日までプロイをこのマリーンから遠ざけていたと思う?──全ては特別独立個体総解決機とやらを掌握する為であっただろう!だからあの日童も島から逃してやったのだ!]


[静かにしろ、堪に障る。オーディン・ジュヴィよ、私がお前を探していた理由は分かるかね?]


[──知らぬな!──余が何に怒っているのかまだ分からぬのか?]


[──……もう良い。忠告しておくがその機体には一切触れるな、たとえ局所的であったとしても人類が再現した仮解放なんだ、調べるに十分値する。──この海域から早々に()ね]


[デュ…いやドゥクスよ!私だ!私がカウネナナイから離反したのは──[─知らぬ、貴様の事ももうどうでも良い、好きなようにしろ]


 スピーカーの先でジュヴィちゃんが憤怒の雄叫びを上げたのと、飛び去ったはずのウルフラグの片割れが舞い戻ってきたのが同時だった。

 既に到来を予期していたのか、アマンナの機体は三機から離れており、再び鮮やか形態変化の後、翼型でこの空域から離脱を試みていた。

 遅れてやって来たウルフラグの片割れもその跡に続く──続く──綺麗なまでに、瓜二つなまでにその軌跡が同じだった。


「──……練習しているのか……?」


 そうだと思える程に二機の動きがあまりにもぴったりだった。



✳︎



[──アマンナっ!さっきから何をやっている!遊べと命じた覚えはないぞ!]


 どうやら私という存在はどの世界のどの爺いからも怒られるようだった。

 自分ではランダムマニューバで飛んでいるつもりでも、背後に付いた機体がぴったりとその跡をなぞるようにして付いてくる。

 

[三機の離脱を援護しろと言ったのに何故邪魔をした!]


 ヴァルキュリアがカウネナナイから離反したのも、さっきのハッキングで概ね理解することができた。それにだ──あの三人は私にとっても旧知の仲なんだ、少しぐらいコンタクトを取っても良いだろう。

 まだまだ機体が付いてくる。


(──間違いない!間違いないよ!)


 ──アヤメだ。そりゃそうだ、何せこの一〇年間、毎日のように繋がって毎日のように空を飛んでいたんだ、声を交わさなくたって顔を見なくたって分かる。

 一足先に─こういう言い方をするのも感慨深いけれど─生まれ故郷経った私はアヤメたちの動向がまるで分からずにいた。

 けれど、ようやくこうして再会することができた。


[さっさと戻ってこんか!ルヘイの港が襲われて挙げ句の果てにはヴァルキュリアも─「はあ…はあ…はあ…」─そ、そんなに色っぽく喘がなくとも…今日の夜相手をして─「─ああもう!我慢できない!」


 (私が勝手にそう呼ぶ)フル・コネクトに切り替えてマリーンの大空を思うがままに飛び回った。

 マテリアル・コアはパイロットシートに固定している、復帰した時はさぞかし大惨事になっていることだろうが今はそれすらもどうでも良い。今日まで我慢に我慢を重ねたこの鬱憤と欲求不満をぶち撒けたかった。

 機体と一体化し、いつぞやのドローンのように空を舞った。大好きな相手と飛ぶ空は格別で淀みもなく、エンジンスロットルを上げていく程に晴れ渡っていくようだった。

 それでもアヤメは私に付いてきた、生身の体なのに私のマニューバに追従している。化け物ここに在り、まさしく"常勝不敗のアイリス"だった。


(────…………)


 前方の視界を独り占めしていたのにいつの間にか頭を取られていた。機首に彼女の影がほんの少しだけ落ちている、左右にフェイントをかけ続け、ルヘイの島が見え始めた時に私は左方向へロールした──。


(…………────いや、足りないかな〜。というか逃げられちゃった……)


 アヤメの機体は右へロール、私の嫉妬に嫌気が差したように離れていった。



✳︎



 死屍累々。町の人たちではない、鳥のような化け物だ、骸だ、海面にも家屋にも通りにも。

 遅かった──。


「…………」


 私は町の人たちに助けてもらった、凹んだ天井に誰かがバールを差し込みこじ開けてくれた。


「すまねえ嬢ちゃん……」


 胸を押さえつけるような圧迫感、体の節々が痛む、それでも私は大きくひしゃげて原形すら留めていない機体から目を離すことができなかった。

 

「…………いえ」


 捻り出せた言葉はそれだけ。今まで手を尽くしてくれた相手に、捻り出せた言葉はそれだけだった。

 頭の回転がさっきから鈍い、どうして、という疑問符ばかりが脳裏を過ぎ去っていく。

 どうしてあの鳥はいきなり死んでしまったのか、どうして私はもっと部下たちに気を配らなかったのか、どうして私は散開を命じたのか、どうしてあともう一人も傍にいないのか。

 どうしてどうしてどうして。ぐわんぐわんと視界が滲んで歪んで立っていられなくなった。

 部下の一人が私を支えてくれた。


「若頭も優しくなったね……」


「何を言って…」


「しゃあないよ、私ら刀を握っているだもん、いつかはこうなるんだよ」


「……………」


 こんな時、当主様がいてくれたらと──そう思わずにはいられない。

 自分が死ぬことは覚悟していた、その通りだと思う、刀を握っているんだからいつかは自分が斬られると覚悟はしていた。

 けど──私のせいで誰かが命を落としてしまうのは堪えられない、堪えられるはずがない。

 町の人の呟きを聞いた時、私の想いが天に届いたと──思った。


「……あれは?何かがこっちに飛んでくるぞ」


 やるせなくバールを肩に担いでいた人だ。その人が言ったのをきっかけに、ひしゃげて大破した機体から皆んなが視線を空に移した。


「……特個体か?どこの所属だ……」


 空と見紛う程に素直で、分かり難くて、でもそれはその人の心根を表しているからで──。

 ──ヴァルキュリアの機体だった。

 町の人たちが劇的な反応を見せた、さっきまであんなに助けてくれようとしていたのに。


「──何だ、何であんな機体がこんな所にいるんだっ」

「裏切り者めっ……」


 町の人たちが道端に落ちている石を手にし始めた。


「ま、待って──」


 私の制止も聞かず、手にした石を天に向かって投げ始めた。

 届くはずはない、当主様がその名を頂戴したレギンレイヴの機体は遥か上、それでも町の人たちの思いは届いてしまったことだろう。

 

「ねえ若頭っ…あの機体…」


 徐々に高度を下げていくにつれ、レギンレイヴの機体がその手に何かを掴んでいた。ここからでは蜘蛛の死骸に見える。

 それが何なのか理解した私は声を張り上げていた。


「──待って!投げないで!私の味方だから!恩人だからこれ以上石は投げないでええ!」


 ようやく宙を舞う石がなくなった。

 程なくして機体がこちらに降りてくる、だらんと足を垂れている蜘蛛型の機体はハッチが閉じられたままだ、けれど、ひしゃげているわけでもなかった。

 蜘蛛型の機体からゆっくりと着地し、ついで青い機体もその両足を地に付けた。町の人たちがわっと駆け出し、私もその跡に続いた。

 壊れた機体から海上に繰り出していた部下がまろび出てきた時と、青い機体のハッチが開けられたのが同時だった。

 私の胸は安堵感で張り裂けそうになっていた。

 ──その声は聞くまでは。


「ルヘイの民たちよ!早々にここから去れ!いずれ町を滅ばさんとする敵がやってくることだろう!」


(──ああ!リン様!)


 すらりと長い体躯に切れ長の瞳、一見冷たそうでありながら誰より心優しい当主様。

 機体の足元に立ち、私は──。


「──リン様!リン様!私です、カゲリです!お会いしとう─「知らぬ。貴様のことなど私はこれっぽちも知らぬ!──失せろ!私の話が届いていなかったのか!ここから早々に失せろ!!」


 まるで野良犬を見るような目付き、寄るなと無慈悲に振られるその手。

 そんなはずはない、私は幾度もあの(かいな)に抱かれて慰められてきたのだ。あんな冷たいことを言う人では──。


「リン様!私はカゲリです!あなた様のお傍にいた不肖の弟子です!あなた様の帰りを今か今かと待ち侘びていました!」


「知らぬと言っているのが聞こえんのか!貴様のような薄汚い乞食に見覚えなどあるはずがない!」


「ヒウワイ様は逝去されました!裏切り者の家臣たちも土地を離れ、後はあなた様だけなんです!私のことなど構いません!どうか生き残ったこの者たちをっ」


 嗚咽が漏れる。


「どこにいる!見渡す限りの乞食しかいない!──最後の大慈悲だ!死にたくなければ今すぐこの場から失せろっ!!!」


 何度言っても駄目だった、狂ったように叫ぶばかりでこちらの声なんて聞きやしなかった。

 ハッチが閉じられていくその隙間を縫うようにして、町の人たちが沢山の石を投げ付けていた。

 もう──私に止める気力なんて一つも残っていなかった。



 その人が私に声をかけてきたのはそれから程なくしてからだった。

 まるで入れ違いのようだと思った。


「──無事かっ?!」


「…………はい」


「他の者たちは何処にいる?!………あと一人足りない、何処に行った?!」


 ──天国。そう口にしようとして、やっぱり止めた。

 その代わりは私はあの子の棺桶を指差してあげた。


「あの中に………」


 その人が素早く立ち上がって駆けて行く。王都から今し方到着したばかりだというのに元気なものだ。

 海上で敵に襲われ、間一髪のところをリン様に助けられた者がようやく私の元へ歩いて来た、その足取りに元気はない、私と同じだ。


「……若頭」


「もう……よい。その名で呼ぶな……呼ばれる資格もない」


「……………」


 生き残った三人と私とでぼんやりと眺め続けた、ヴィスタさんが一心不乱となってひしゃげたハッチを外しにかかっているところを。


「──止めなって!そいつはどうやったって開かねえ!開かねえんだよ!」


「……っ」


 凄い剣幕だった、あの中に仇でもいるのかと勘違いしてしまえる程に。

 誰がやっても引っかかりもしなかったバールがハッチの隙間にかかり、ヴィスタさんが獣のような唸り声を上げながら体重を乗せ始めた。


「………」

「………」

「………」

「………」


 柄を握る手は血に塗れ、爪も剥がれているよう、食いしばった口の端からも赤い涎が流れている。


「止めなって!あんた自分の体を壊すつもりか!」


 ヴィスタさんが答えた。


「──俺が行けと命じた!あの子らに行けと命じたのはこの俺なんだ!体の一つぐらいくれてやるさっ!そうでもしなければ肚の据わりが悪いんだよ!──邪魔するなああっ!!」


 ガキンっ!とひしゃげた金属の板が外れた。

 リン様に石を投げ、そのせいで手のひらが擦り傷だらけになった人たちも一斉に駆け寄っていた。

 ようやく──リン様がここを発ってどれくらい時が流れたのか分からないが、ようやく閉じ込められていた最後の一人がヴィスタさんに抱えられて出てきた。

 喋った。


「……あれ、ヴィスタ君も死んだ口……?」


「ここは……天国じゃない」


 生きているのが不思議なくらいボロボロで、でも喋っていて、皆んなに支えられながらその子の元に歩み寄った。

 泣いた。威厳もなくみっともなく泣いた、泣き声しか出なかった。気の利いた言葉なんて一つも出てこなかったけど、皆んなが揃ったこの安堵感は──。


「あ゛、あ゛り゛か゛と゛う゛……」


 ヴィスタさんの全身もボロボロだった。それでも晴れやかな笑顔を湛えていた。


「……無事で本当に良かったよ」


 また──この町に特個体のエンジン音が降り注ぐ。数は複数、単機ではない。

 皆んな疲れ果てていた、何かを投げる気力なんてもう一欠片も残っちゃいなかった。

 その一つの機体は一本の角が生えていて、蛇腹になった立髪のような物を靡かせて──。

 リン様が立っていたその場所に滑らかな着地をしてみせた。



✳︎



「これ領空侵犯にならないよね……?」


[今さらですか。それよりもこの町の後片付けをしましょう、鳥型のシルキーがうようよと転がっています。今日の晩御飯は唐揚げですね]


「ごめんほんとそういう気分じゃない」


 ぎゃふん!とラハムが吠えた。

 私たちは言われた通りルヘイの港町にやって来ていた、覚えがあるかと言われたら...ない寄りのある、である。つまり殆ど覚えていない、一度くらいは来たことがあるかもしれないが、セレンの思い出と比べたら何処も霞んでしまう。

 後からキミリアたち四人もルヘイの港に降り立った。


[何で僕が死体の後片付けを…]

[はいはい文句言わない]

[あとでこのお姉ちゃんに甘えてくるよといいよ!]

[ぶっとばすよ?]

[住民はどうする?]

[報告上げとけば?どのみち私らの手には負えないよ]

[船を寄港させるために今から掃除をするんだよ]


 口々に言葉を発しながらもう取りかかっている、遅れたらマズいと私も付近にいた鳥型シルキーの死体に腕を伸ばした。



 片付け初めてすぐのこと、港町の住民と思しき人たちも鳥型シルキーの死体に近づき始め、あろうことか数人がかりで運び出そうとした。

 さすがに危ないから離れてと言っても耳を傾けず、さらに町の外れから大型の蜘蛛が出現したので私たち五人は総毛立った。

 けれど、どうやらあれには人が乗っているらしく前足の片方をひらひらと振ってきたので皆んながさらに驚いた。

 大型の蜘蛛二体と住民と、私たちウルフラグから派遣された五人による片付けはそう時間がかかることもなく、港町の日陰が長く伸び始めた頃にはあらかた終えることができた。

 港町からほんの少しだけ離れ、悪路の先にある館が見える通りに五人が並び立つ。


「やあーと終わった……」


 キミリアがハッチを解放してまだまだ寒い潮風に身を晒している、確かに少し汗ばんでいた。


「ウォーカーに褒めてもらいたいからってまあ〜〜〜」

 

「違うわ!」


 ロック風なイーグルさんは何かとキミリアを揶揄う。

 少し遠くに見える小さなキミリアの頭がこっちを向いたような──私を見たわけではないようだ。


「少し話しがしたい!ウルフラグの者たちよ!」

 

 一人の男の人が私たちの足元に立っていた、屈強そうな人たちを従えて。

 

(──……ん?見覚えが………)


 パイロットシートのベルトを解除し私もキミリアと同じようにハッチから身を乗り出した。


[ナディさん?]


 機体の足元に立つ男の人がまた声を張り上げた。


「礼を言いたいだけだ!こちらに戦う意志は無い!」


 さすがキミリア、誰にでも噛み付く。


「だったらその武器を下ろせよ!」


 背後に控えていた人たちが不承不承ながらも少し後ろに下がった。

 それなら良いだろうと私はロープに足をかけた。


[ナディさん?!]

「──おいこら!」

「あの子ってあんなに勇敢だったっけ?」

「キミリアと仲良くなるぐらいだから」

「──待て待て!──勝手なことを!」


 意外にもオビエドさんも降りてきてくれた。

 

(──あ)


 砂利道に足を付け、フェイスヘルメットの機能をオフにした途端だった。──とても懐かしい空気が押し寄せてきた。こっちの方がいくら暖かい、懐かしさが肺に満ちていった。

 それに空もどことなく綺麗だ、あっちは沢山のガスに塗れているのでここまで空が澄むことはない。

 束の間郷愁に耽り、そして私はあの日バーで見た男性へと振り返った。


「………………」


「………………」


 真一文字に結ばれた口元に何かを考えているその切れ長の目、いくらか髪が無造作に伸びたようだがやはりあの人だった。

 互いにじっと見つめ合い、して──向こうも私に気付いた。


「君は………確かあの店にいた……」


「……ウィゴーさんは元気にしていますか?あの方には大変お世話になりました」


「……っ!……あいつを知っているのか?」


「はい、お互いに助け合った仲です。──ジュヴキャッチのメンバーだということも知っています」


「………」


「あそこが拠点になっていたんですね」


 ややあってから答えがあった。


「……ああ、店を持つのが夢だと語っていた。俺たちの活動で駄目にしてしまったが……奴はどうしている?」


「分かりません。でも、以前再会した時はとてもお元気そうにしていました」


「そうか」


「本当にあたなはテロリストだったんですか?とてもそうは見えません」


「君たちの国でそう呼ばれていたのは知っているし自覚もある。ここで俺を捕まえるか?」


「……いいえ、それが目的ではありませんので」


「ならば良い、俺もまだ牢に入れる立場でもない」


 背後にいたオビエドさんが剣幕を立ててこう言った。


「牢に入るだけで済むと思うのか?一体どれだけの人間に迷惑をかけたと思っているんだ」


 男性の背後にいた人たちもにわかに殺気立つ。その男性はゆっくりと手を上げて町の皆んなに待ったをかけていた。


「先の暴動について語っているのならそれは君の見当違いだと答えておこう。街中が電波障害に陥ったからこそあの程度の被害で済んだんだ」


「正気で言っているのか?お陰でこっちは散々な目に遭ったんだぞ」


「俺の正気を疑うのなら先ずは陸軍を疑ったらどうなんだ。奴らこそウルフラグのガンだ、国内で回収したハフアモアを未だにカウネナナイへ流しているんだぞ?」


「……それは、本当なんですか?」


「グレムリン侯だ、奴が買い付けている」


「何の為に?どうせ嘘を吐いているんだろう」


「──そう思いたければ好きにしろ。現実逃避をして救えるのは自尊心だけだ」


「──何だと貴様っ──テロリスト風情がっ「─オビエドさん!町の人が見ているんですよ!」


 見た目通りの筋肉質な体を遮り、発展しかけた喧嘩を何とか留めることができた。

 

(何をそんなに怒っているの……?他の三人は未だに降りてこようとしないのに)


 剣呑な二人の合間に一人の女の子が駆けて来た。目元と頬は腫れており、鳥型シルキーの撤去作業を行なっていたのか全身が汚れていた。


「──早く港へ!挨拶はもう良いでしょう!」


 その声音は必死で何かに慌てていた。


「敵か?」


「違います!けれど急いでください!」


「──分かった。すまないがこれで失礼させてもらう」


 走ってきた女の子と町の人たちを先に行くよう促してから、もう一度私たちへ振り返った。


「最後に名を聞いても良いだろうか」


「ナディ・ウォーカーです」


「──────────ヴィスタだ。それでは」


 今の間は何?

 砂利の坂道を町の方へ下りていくルヘイの人たちを見送り、少しだけ後ろ髪を引かれる思いで私も踵を返した。


「何かあったんですかね、大丈夫なんですかね」


「港の問題は彼らが対処すべきだ。俺たちの出る幕は無いし首を突っ込んでもろくな事にならない」


「まあ……そうですね」


「機体の助けが必要ならさっき頼んでいたはずだ」


「さっきはどうしてあんなに怒っていたんですか?」


 オビエドさんの後ろに束ねている黒い髪の毛がふわりと宙を舞っていた。


「──お前を守る為だ」


 キザっぽい、いかにもっぽい、そういえばセレンにいた時もこんな感じの男の子が沢山いたことを思い出した。


「はあ……あざっす「何故適当な返事を返す」……もしかしてオビエドさんもカウネナナイの出身ですか?私はセレンの生まれですよ」


 オビエドさんがはたと立ち止まった。


「──何故そう思う?」


「いえ…何となく?仕草が貴族の作法に則っていますし、言葉使いもキザっぽいので「それを本人の目の前で言うのか?」


 歩き出すその間際にぽつりと──。


「──もう誰も俺のことなんて覚えていないと思うがな」


 ──そう答えた。



✳︎



 カゲリに手を引かれるまま着いた港は確かに異変が起こっていた。


(何という──あれがアネラの友達だったのか。国賓に助けられたとあれば王の見聞に些かでも影響があるのでは……?分からん)


 水位が高くなっている、木で組まれた桟橋が今にも水没しそうになっていた。


「どうしてあんな風になってしまったんですか?こんなに水位が上がったことはないって町の人たちも……」


「カゲリ、君が心配する気持ちは良く分かるが少し休め、もう十分だよ」


「けれど町の人たちが……」


 不安そうに見上げてくるカゲリを町の女性たちに預け、まだ比較的に若い船乗りたちを連れて桟橋へと向かった。

 若い人間は殆どいない、王都へ出かけてしまっているからだ。


「こいつもあの化け物の仕業って?…世も末だ」


「…………」


 考えられる原因は──タイタニスだ。かのマキナがこちらに向かっていると報告を受けていた。最大の体積を誇る物体が海を直接歩けばどうなるか、大きな波が発生することだろう。


(こちらに近づいている証拠、であれば作戦は難航しているのか……)


 その発生した波がこの町に届き始めている、だから急激に水位が上がっているのだ。

 人間の手では対処のしようがない、既に飛び立ったあの五機の力を借りても水位の上昇は止められないだろう。

 傍らで悲嘆に暮れている船乗りへ、町の者たちを集めるようにと声をかけた。


「そりゃまたどうして?」


「大事な話があるからだ」


 この町に降りかかった火の子を懸命に払い退けた者たちが俺の元へ集ってくれた。折角守った町なのに事実を伝えるのが辛かった。


「逃げるしかない、この町を捨てるんだ」


 どよめきが起こり、しかしすぐに静まった。先程の船乗りが代表して皆の疑問を口にしてくれた。


「何故逃げなくちゃならない、ここは俺たちの故郷なんだ。捨てたくはない」


「星人様の下で暮らす者であれば誰でも知っている事を話す。過去において封印されたはずのマキナが一人、最大身長を誇るタイタニスが目覚めてこの島に向かっているんだ。先程のウルフラグの部隊、それからルカナウア軍で今も対処しているが雲行きが怪しい、高い確率でこの島に到着してしまう」


 さらに大きなどよめきが起こった、いきなりこんな話をされてそう易々と信じられないのだろう。

 ──だが、不思議と誰も俺の話を疑おうとはしなかった、ただ信じられないだけ、そんな風に見えた。


(俺はそこまでの善人ではないのだが……)


 どよめきが再び収まり、集団が二つの意見に分かれた。

 去る人と残る人、当然の選択肢とも言えた。


「おらぁもう歳だからよぉ、最後までここに残るさぁ、もしかしたら来ねぇかもしれねぇしな」


 一番高齢の者がそう意見し、他の船乗りたちもそうだそうだと彼に賛同した。

 女性は違った、殆どの者が一先ず逃げると選択した。


「捨てたつもりはないよ、けど、あたしまで死んじまったら王都に出かけたあの子が可哀想だ、だから逃げる」


 誰も俺の話を疑わない。大型の鳥に襲われたことで緊迫感が一層増したのかもしれない。

 ──しかし、町の者たちが選択した道、意見、尊厳、束の間の安堵、これからの先行きを思うその心をも流そうとする存在が現れた。

 ──波だ、大波だ。海を眺めていた一人の船乗りが「あれはなんだ」と呟きを漏らした直後だった。


「──逃げろおおっ!!」


 沖から押し寄せた波がルヘイの桟橋にぶつかり、目算五メートルを超す飛沫を上げていた。

 判断などしている暇もない、下した選択を尊重する余裕もない、俺も含めた町の者たちが一斉に逃げ出した。

 波に持ち上げられて陸に上がった船があった、その勢いは止まらず近くの家屋にぶつかり損壊させ、それでもなお止まらず波に流されるまま町を破壊する暴徒と化した。

 一隻だけではない、他の船も同様に町中を破壊する凶器に変わり、町の者たちが何人も犠牲になってしまった。

 

(あのまま丘の上にいれば──!)


 一瞬だった。たった一つの選択でここまで変わってしまうものなのかと激しく後悔した。だが、その後悔すら諸共流されそうになっている。

 ──()だ。家屋を破壊する船ではない、最も脅威なものは大量の水だった。

 すぐ後ろに差し迫ろうとしている水に意志など無い、ただの物理現象に任せて高い所から低い所へ流れているに過ぎない。その意志無き現象が何より恐ろしかった。

 丘を目指してひたすら走った、考える余裕などない、ただの物理現象に命を飲まれようとしているのだ。

 屋上に上がった者からこっちに来いと呼ばれたり、早く丘へ逃げろと言われたりもした。

 とにかく早く早く早く!と、碁盤の目になった通りを抜けている最中、入り口の前で倒れている者がいた。──すぐに曲がってくれたこの足に感謝した。


「掴まれっ!」


 どうやら逃げている途中で足を挫いてしまったらしい、その老婆に手を貸した隙に奴らが四方へ回り込んでいた。

 ただ流れる水に進路などない、何処へでも這いその水かさを増していくだけだ。


「早く上れええ!!」


 老婆を背に抱え、膝丈まで上ってきた水に足を取られながら家屋の扉に体当たりをした、一人分の隙間が開き体を押し込み階段を駆け上がった。

 背に抱えた老婆が何度も謝ってくる、けれど今は応えている余裕はない、踊り場に差しかかったところで奴らの質量に負けてしまった扉が壊れ、ついで階段の躯体も悲鳴を上げ始めた。

 ──上る、上る、何も考えずに上った。どれだけ足を動かしても濡れたままになっている水に怯えながらも懸命に階段を駆け上がった。

 屋上の出入り口に男がいた、手を差し出している、背に抱えた老婆を預けて上げてもらい、俺も階段から屋上へ出ようとしたその時だった。

 家が──木が裂かれる轟音を立てながらついに家が水に押し流されてしまった。バランスを崩して濁流に飲まれてしまい──腕に何かが当たり、破片越しに見上げる水面の向こうに男の顔が──。

 息ができる、そうと感じた時、俺は滅多に見ることはない家の屋上に手をつきながら大きく喘いでいた。

 生きている、どうやら俺は生きている、押し流されそうになった時は駄目かと観念したが生きているようだった。

 素早く周囲に視線を向ける、屋上には俺以外に助けてくれた男と老婆、それから複数の者たちが屋上に腰を下ろして海へ視線を投げかけていた。

 覇気などあるはずがない、けれど生き残った喜びに耽る者もいなかった。


「あれは……どうしようもねえな……どうしようもない……」


 居た。この現象を生んだ存在がそこに確かに居た。

 低い雲をも突き破り、黒い影となって屹立している者がルヘイの沿岸に居たのだ。

 ──名前はタイタニス。あんなものに人類が勝てるはずがない。発生した波にすら攫われそうになった我々が勝てる道理はどこにもなかった。

 良く見てみやれば家の屋上に上がった者は数多く、しかしその殆どの人間が黄昏ているように見えた。


「……早く逃げるんだ、逃げるしかない」


「……何処へ?あんなものから逃げられるのか?」


 助けてくれた礼も言わずにそう促し、けれどその徒労感が痛い程分かってしまったので押し黙るしかなかった。


「……………」


 勝てる道理は無い、だからルカナウア軍も見逃すしかなかったのだ。

 立ち向かう術も持ち合わせていない、だからこの町も波に飲まれてしまったのだ。

 逃げた所で奴は必ず陸に上がるだろう、その未曾有の天災に皆が思いを馳せてしまったから誰も立ち上がろうとせず、まるで敬うように畏れながら眺めているのだ。

 それにも関わらず──だ、背後から空を震わせたあの五機がルヘイに舞い戻り、逃げることなく巨神へ進路を取っていた。

 知らぬ間に陽が落ち始め、赤色に変わった空に五本の線を残しながら──。



✳︎



 世の中というものは驚く程に『仕方がない』事で溢れている。

 仕方がない。馴染ぬ者にとって異国の地はただ辛いだけだ。だが、異国の民が全面的に悪いわけではない、肌に合わぬのらそれは仕方がない事なんだ。

 仕方がない。だから私が仲介者になって間を取り持った、だがそれも失敗してしまった。そもそも設計理念から無理があったのだ、技術者は現場の機微がまるで分からない、これも仕方がない事なんだ。

 仕方がない。私が選んだ艦長はまだ幼いが力を行使するしかない、そうでもしなければこの事態を収集することができない。

 確かに私は世捨て人になったつもりだ、だがそれは何も世の中が破滅しても一向に構わないという事ではない。

 だから──だから、これも仕方がない事なんだ。他のテンペスト・シリンダーの特個体を掌握し、パニックに陥っている四人と私の艦長を無理やり連れて行くのは──。



✳︎



[止まらないんだけど!!止まらないんだけどこれどうなってんの!!──スダリオ!!]

[その名で呼ぶな──ああ!もう!アマンナ隊長に連絡は──ムルムル!]

[出来るわけないでしょ!!白ひげ親父に通信入れて──何なのこのオールアタックって!何で私が操縦権を剥奪されなくちゃいけないの!!──シトリー!!]

[いやボクに言われてもねえ〜。あ、ごめんね〜ウォーカー、ちょっと皆んなパニックになっているみたいだから。かくいうボクも心臓ばくばくなんだけどね]


「いや私も何ですけど!全くコントロールが利かないんですけど!」


[──ええ?!]

[ええ?!あんたの仕業だと──]

[おいおい勘弁してくれ勘弁してくれ……]

[──マリサぁああっ!!ボクのマリサああっ!!助けてええ!!もうあんな瓦礫だらけの街に戻りたくないんだああっ!!]


 阿鼻叫喚とはまさにこの事。

 

(え?!何?!今皆んな違う名前を言っていたよね?!どういう事なの?!)


 サーバー経由でノラリスのコンソールにアクセスしているラハムともコミュニケーションが取れない、つまり何が起こっているのかさっぱり分からない。

 画面には今日で三度目になる管理画面が表示されているが、そのステータスも不明だった。

 たったの一言、『commander mode』。

 通信ウィンドウは開いたままだ、というか帰投コースに入って点呼を終えた直後に操縦不能になり今に至る。

 バレるのは仕方がない、けど尋ねるしかなかった。


「──ノラリス!今何をやっているの!」


[おいおいあのウォーカーまでもがついに狂い始めたぞ…特個体に喋りかけていやがる…]


 暴走したタイタニスはもう目前だ、赤い太陽を背に死の巨神として歩み続けている姿があった。体のあちこちに、小さな小さな焦げ跡がいくつもある、きっと今まで攻撃をし続けていたカウネナナイの軍が付けたものだろう。

 サイドスティックレバーはびくともしない、真っ直ぐにタイタニスへ進路を取っている。

 もう一度呼びかけた。


「──ノラリス!ちょっとほんともういい加減にして!言葉のキャッチボールって必要だと思わない?!」


 随分と落ち着きを取り戻したキミリアから通信が入った。


[──ウォーカー、コンソールに何が表示されている…?それが読めるか?]


「──ええ?ああ、うん、星間管理システムって。これが分かるの?」


 ──人が狂うとこんなにも怖いものなんだと、初めて思った。

 キミリアが壊れたように笑い始めたのだ。他の三人もいたく心配している。


[う、ウルスラ!しっかりしろ!何がそんなに面白いんだ!]


(キミリアもやっぱり偽名……この人たちは一体……?)


[はあーあ……心配なんてする必要は無かった。プロメテウスが言った通りだ、テンペスト・シリンダーの二つに一つは僕たちを管理している上位者がいるって話さ]


「──何の話しをしているの?てんぺすと……何?」


[惚けるなよウォーカー。ここは機械仕掛けの筒の中、ヴァルヴエンドの箱庭さ。だからお前がその機体に乗っているんだろ?だから僕たちはコントロールを奪われて──]


 露となり、光りとなって唐突に消え失せてしまった。

 ──確かに並んで飛行していたはずだ。目の前にいる死の巨神よりなお信じられない事が起こった。


「キミリアっ!!」


 思わずそう呼ばずにはいられない、自分でも取り乱したことに驚いていた。

 他の三人は──皆んな似たり寄ったりだ。とてもまともな現象だと思えない、カウネナナイがそういった兵器を開発していたのかと疑ってしまう程に。

 馬鹿げていると自分でも思うけど、残りの三機も同じように透け始めていた。

 

[ああ気にする必要無いよ、かといってもう二度と会えないかもしれないけれどね。ウルスラの話で合点がいったよ、だから彼が一番最初にここへやって来たんだ、スダリオよりも早くね]


[先に伝えておくぞナディ・ウォーカー、俺の本当の名前はAu8-G005スダリオだ]


[そういう流れなの?──まあいいか、私はS11-D006ムルムル。まあ今さらだけどよろしくね、アマンナさんに会うことがあったら伝えておいてくれる?]


[ボクはSU6-D003シトリー。ちなみにだけど、ウルスラはE2-G001だから]


「さっきから何を喋っているんですか?意味が分かりませんよ!どうしてそう平気でいられるんですか?──消えようとしているんですよ?!」


[あんたって馬鹿みたいに優しいんだね、あれだけ辛くあたってたのに]


 今度はムルムルさんが──。

 あとの二人も一瞬だった。


[ナディ・ウォーカー、心配するな、俺たちに死は永遠に訪れない。この瞬間の記憶が消されたとしてもだ。それからあのデカブツは俺たちが──と言うよりお前が乗っている機体が何とかするはずだ]


 淡い光りとなり、機体の輪郭だけを残して消え──シトリーさんもその跡に続いた。


[取り乱して悪かったね。──最後に、ウルスラが言った話は本当さ、ここはテンペスト・シリンダーと呼ばれるところでね、死んでしまった地球から君たちを守るために作られた人工の大地なんだ。嘘だと思うならこの世界のラムウを訪ねてみるといい。じゃあね〜]


「待って!待ってください!──それならどうしてさっきはあんなに取り乱していたんですか?!」


 死の巨神の動きが──止まったように見えた。

 既に消えかけていたシトリーさんが最後に答えてくれた。


[──乗っ取られると思ったからだよ、それはボクたちにとって死する事よりなお恐ろしい。デュランダルのようになってしまったらと思うとね──]


 海から降る雪のように、淡い粒子が空へと上っていった。

 唐突に消えた四人、ノラリスのエンジン音が周囲を包んでいる。


「──ノラリス、任せるよ」


 それだけを呟くようにして伝えた後、レバーから手を離しそっと背もたれに体を預けた。



 後の事は、まるで映画を鑑賞しているような気分で眺めた。

 聳え立つ巨人がついにその動きを止め、ノラリスはまるで確認するかのように螺旋を描きながら飛び続けた。

 赤い光りに照らされた巨人の体には沢山の海藻と珊瑚礁が群生しており、まるで一つの生態系を築いている惑星のように見えた。

 指一つが軽空母バハーのように大きく、その手のひらにビレッジ・クックのレアノスが乗っかってしまいそうな広さがあった。

 ──どんなに外の景色を見ても非現実的に思えてしまう、やはり映画の中の世界だと言われた方がしっくりくる。

 一通り飛び終え、何かの確認も十分に終えたのか、ノラリスがようやく帰投コースに入った。コンソールからレバーを握るように注意されるが──操縦する気になれなかった。


「……………」


 赤い空からネイビーブルーの空へ。

 夜の帳が下りつつあるウルフラグへ。

 何処かへ消えてしまったあの四人を置いて私だけ──。


「──ノラリス、私はもうあなたの助けは必要無い。金輪際このシートには座らないから」


 皆んなが言っていた話なんて半分も分からない、でも、ノラリスが関わっている事だけは理解できた。

 ──あの四人が何処かへ行ってしまったのは自分のせいだと、そう捉えることは思い上がりなのだろうか?

 私の疑問に答えてくれる人は誰もいなかった。



✳︎



 ──ここに願いが成就した。私は私であると自覚したまま消え行こうとしている。

 惜しむらくはあの町を再建したかった、決して害を与えるつもりは──今さら詮無きことだ。

 多くの人間たちに迷惑をかけてしまった。子機を大量に複製し海原へ放ち、感染性××××の排除を試みたが失敗に終わり、挙げ句にその子機を利用されて私と同じ名前を持つ古代の鳥類を現界させてしまった。

 ──私はただ、自分の国を作りたかったのだ。誰に言われるまでもなく、誰かの為でもないその国を皆んなに用意したかったのだ。

 オケアノス、クロノス、コイオス、クレイオス...

 ガイアよ──ウーラノスよ──その全てを内包する我がタイタニスは──。


 ──良く眠りなさい。良く眠りなさい。


 もう──遅い。



✳︎



 満天の星空の下、異国の海を漂う軍艦はひっそりと静まり返っていた。

 セントエルモのメンバーはその殆どが無傷である、回収した蟹型シルキーにも破損などなく、無事に状況を終えたと見て良かった。

 しかし、事態を収束へ導いた肝心のナディ・ウォーカーが部屋から出てこようとしなかった。


「……今日はもう無理かもしれない。何せ四人も死んだんだから……」


「……うん、そうだね」


 妹のアルヘナも元気が無い。彼女が持つ独特な空気感はこの船中に伝播し、皆の活力も萎ませているように感じられる。

 ただの思い違いかもしれないが。

 護衛対象の部屋から離れ、妹を部屋に帰して俺は一人で艦長室に向かった。

 外の空気と同じように冷えた廊下を歩いていると、前からあの二人がやって来た、最悪の組み合わせである。

 脇に退いて二人が通り過ぎるのを待つ、アルヘナを部屋に帰しておいて正解だった。

 またぞろ文句を言われると──身構えていたがとくに話しかけられることもなく二人が通り過ぎ、レイヴンクローが去り際にこう言った。


「──昨日、私の部屋に来たか?」


「…………いいえ、昨夜は自室にいました」


(何を言っているんだこの人は、僕が行くわけないだろ)


「そうか。アリーシュならまだブリッジにいるが、そろそろ引き上げると言っていたから早くしろ」


「……ありがとうございます」


 普段の攻撃的な姿勢はどこにもない、それが却って何より不気味だ。

 ひっそりと歩いていった二人に背を向けてブリッジへ急いだ。


「──ご苦労様です。肝心な事はまだ分かっていませんが、空軍より派遣された四人はMIAが適用されるでしょう。我々ウルフラグとカウネナナイに目立った損害はありませんが、どうやらルヘイの港町が甚大な被害に見舞われたようです」


「分かりました、ありがとうございます」


 スミス少佐は僕たちとそう大して歳は変わらない、それでもその顔には濃い疲労がありいくらか歳上に見えてしまった。

 簡単な状況確認を終え、ブリッジから退出しようとした時にスミス少佐が話しかけてきた。


「あの二人から色々と言われていると思うがあまり気にする必要は無い、と、私は思うよ」


「はあ……いえでも、横槍は事実ですから、疎まれるのは百も承知です」


「彼女をきちんと守ってくれるのならそれでいいさ、向こうに着いてからは君たち二人が頼りだ。自国の町を救った相手となればそう邪険にはされないと思うが……むしろその逆が怖い」


 なかなかどうして、この少佐はこちらの真意を全て見透かした上でその話をしている。

 あの二人に比べてよっぽど立派に見えてしまった。


「勧誘は全てこちらでシャットアウトしますのでご心配には及びません」


 スミス少佐が瞬く星のように薄らと微笑んだ。



[……頼んだぞ、お前たち二人が頼りだ。もうこっちはお終いだよ、どんどん人が辞めていく、それでもお上は変わらないものだからにっちもさっちもいかない。対象をきちんと護衛して戻って来てくれ]


 重たいものが胸に来るような報告を終え、衛生電話のボタンをタップした。

 レイヴンクローの読みは殆ど当たっている、けど、だから何だという気持ちもある。未成年のスーパーエースを守る騎士に仕立て上げたいのだろうが、今さらそんな筋書きで感動する人はいない、やり方も考え方もあまりに古い。

 厳冬を乗り越え、まだまだ遠い芽吹きの季節を感じさせる冷たい潮風を浴びながら、ここではない何処か遠くの世界に思いを馳せた。

 たった一人の、行き過ぎた関係になってしまった妹が無事に暮らせるその世界を夢見て、甲板から船内へ戻った。

※次回 2022/9/10 20:00 更新予定

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