第80話
.マキナの司令官
調査海域に到着して三日目の朝を迎えた。昨夜のうちにこんばんはしていた雨雲が未だに居座っており、朝から細かい雨を降らしていた。けれど、そろそろ次の居場所に向かおうとしているのか西の方は明るく光りの柱を立たせていた。
さて、カウネナナイの動向だが変わらず私たちに情報提供を続けており、アルヘナさんのお部屋にお邪魔した時にまたあちらから連絡があったそうだ。
当初予想されていた外観予想図とは異なり、今回のノヴァウイルスは自泳能力を有しているらしい、つまり鰭がある。カウネナナイが持っているあの化け物みたいな無人探査機では一向に歯が立たず、何度も取り逃したようだ。
初日に引き続き研究者と一緒にオクトカーフへ、その人の手には変わらずタブレットが握られていた。
「小さな頃から夢だったんだよ、海に潜ることが」
歯に噛むように笑う研究者を引き攣るような笑顔に変え、今日も今日とて特個体に吊り上げられる。
着水までの間にピメリアさんから通信が入った。
[どう思う、またあいつらは正直な事を言っていると思うか?]
「私はそう思いますよ。現に初日は私たちも坊主だったんですから」
[う〜ん……調査結果を明るみにするメリットがまるで分からん]
「それを人は善意と呼ぶんじゃありませんか?曲がりなりにも一緒に過ごした相手なんですからちょっとぐらい信じましょうよ」
[う〜ん……お人好しに言われても何の説得力もない]
「何だって?!」
[──まあいい!今日はお前の言葉を信じようか。向こうから提供されたポイントはだな……]
調査海域は確かに入り組んでいる、そこは事前調査の通りである。
水深は最大で二〇〇〇メートル程、前回の超潜航と比べるまでもないが特徴はその複雑な地形にあった。
どうやらこの辺りは潮の流れがぶつかるポイントらしく、激しい波とぶつかった水流によるランダムな潮が地形に大きな影響を与えていた。
約五〇〇メートル潜った先にある海底から迷宮さながらの地形が広がっており、私と研究者の目を何度も困らせた。
そんな中、自泳能力を持つ相手を探し出させねばならないのだ、そりゃ見つけられなくて当然だ。
カウネナナイの最終発見ポイントへオクトカーフを進めていく、投入ポイントからそう遠くは離れていない。
その途中、カウネナナイが初日に投下したパッケージを発見した。何故放置?と思うが、どうやらワイヤーロープが切られているようだった。
「あれ見てくださいよ」
「──うん?……ああ、あれは無人の……ロープが切られてる?ここいらは流れが早いからね、もしかしたら切れちゃったのかも」
「潮の流れだけで切れるんですか?」
「流れというより、ロープが振られて自重に堪え切れなかったんじゃない?」
「ああ、なるほど」
研究者とのんびり言葉を交わしながら予定ポイントに到着、そこもやっぱり窪みだらけの地形であり、崖が屹立したり急に落ち込んだりを繰り返している何とも探し難い場所だった。
さて、ここからどうやって...まずはオクトカーフを設置できる比較的平らな場所を...目まぐるしく辺りを見ていると研究者が感嘆の声を漏らしていた。
「……ん?何か見つけました?」
「いやほらあれ……こんな深海域にでも棘皮動物門のナマコが……ああ、まるで深海プラネットのようだよ」
どうやら自分の世界に入り込んでしまったらしい、迷宮とは自分でも良く言ったものだ。
(ナマコじゃなかったら………)
ようやくなだらかな崖を見つけ、そこへオクトカーフを下ろした。少しコクピットが斜めになってしまうが仕方ない、設置し三六〇度方向をぐるぐると回っている時だった。
深海プラネットとお洒落な言い回しをした研究者がひっ!と短く息を飲んだ。
「──何かが向かってくるよ!」
「え!何処からですか!」
「真っ直ぐ!──あれは!節足動物門!」
いや分類で呼ぶの止めてもらえませんかね?!
緊急浮上、良く分からんが緊急浮上。激しい泡がカメラを覆い、浮いたかと思えばガリガリと嫌な音を立てて停止した。
「何かに引っかかった?!」
「違う!ハサミだ!ハサミで足を掴まれたんだ!」
「──蟹かよ!!魚じゃないじゃん!!」
私と研究者が声を揃えて「騙された〜!」と叫び、オクトカーフの足をパージして何とか浮上することができた。
◇
[騙したなんて人聞きの悪い、お前さんがきちんと確認せなんだのが悪いんだろう?]
「あのな〜……爺さんや、こっちは危うく人死にが出るところだったんだぞ?それにそっちだって泳ぐ能力があるとしか言ってなかっただろ。泳ぐと言えば魚だ、まだ移動するって言えばこっちも考えようがあったのに」
操舵室で猛抗議の時間!かと思いきや、相手方のグレムリン侯爵にそれはもうのらりくらりとかわされてしまっている。
[はて、私は確かにそう言ったつもりなんだがな……]
「あのね〜〜〜………意趣返しはもう十分じゃないのか?ん?」
ピメリアさんのボルテージが既に上がり始めた、このままいけば喧嘩にしかならないしまたぞろ魚雷を向けられたくもなかったので私が割って入った。
「ちょっといいですか「─おいコラ!」グレムリンさん、私です、ナディ・ウォーカーです。私たちが蟹型のウイルスと遭遇したポイントを今から伝えますね」
操舵室が色めき立つ。それは向こうも変わらなかった。
[──んん?!ポイント?!ええ?あ、どうぞ……]
急に尻すぼみになった相手にポイントを伝え、最後にこう言った。
「気をつけてください、今度のウイルスは明らかに敵対行動を取ってきますので。もし襲われそうになったら私たちの事は気にせず魚雷で攻撃してください」
[……………………はい、お気遣い痛み入ります]
それっきり通信が途絶え、操舵室もひっそりと静まり返っていた。
あ、これはやってしまったかもしれないと後悔した時にはもう後の祭りだった。
「……お前が味方で本当に良かったと思うよ」
ピメリアさんに染み染みとそう言われてしまった。
✳︎
「い、今のが……?かのヨルン・カルティアンの……」
「そうさ……名こそ変えているがナディ・ゼー・カルティアンだ……」
「では、グレムリン様の読み通り今の当主は……」
「替え玉だ」
──忘れておったわ!仕返しに夢中になるばかり忘れておったわ!
何故あんな核弾頭みたいな存在に潜航させるのだウルフラグ!そいつは今のカウネナナイを根底からひっくり返すような女だぞ!
(かのセレン戦役を生き残り、ルイフェスの妹であるヨルンと前王の弟にあたるティダの娘、さらにヴァルキュリアの者とも懇意にしている。表舞台に立っただけでそれ即ち一大勢力を築くことになる……くわばらくわばら)
いやくわばらじゃないんだ!私はそんな相手に迷惑をかけてあまつさえ気を遣われてしまったんだ!
そう思えば、ヨルンの判断とその道筋に何ら誤りは無い。セレンから遁走し時を待って力を蓄えるのにウルフラグは確かに良い隠れ蓑だ。ルイフェスが率いていた派閥も今はその影すらない、だが──国民投票を控えた今となっては絶好の機会である。さらに聞けば、ルイフェスの妻であるリゼラも教会から表舞台に出たそうじゃないか。
(内通しておったのだろうな、タイミングがあまりに良すぎる……出来れば巻き込まれたくないが)
「自分から関わってしもうたわ!」
「──?!」
同じ轍は踏まない、私に策略というものは─理解することはできても─向いていないのでさっさと白状してしまおう。それに目的はあくまでもハフアモアの獲得であって王の信頼回復ではない。
「王に電報を」
これがいけなかった...
[グレムリンよ、ああグレムリンよ、お前は一体何をやっているんだああ?!言ってみろっ!!よりにもよってっ……よりにもよってセレンの関係者をっ……俺が何の為に実の姉を教会に追いやったと思っているんだ!今一番刺激しちゃならない人間を刺激しやがって!!]
「め、面目ない……」
結局怒られた。
[────かあ〜〜〜っ!………はあもういい、デュークに任せる、お前はハフアモアに専念しろ]
「こ、公爵様で機嫌が取れるでしょうか……」
[呼ぶ。カルティアン家の当主を玉座に招く──出来れば向こうの出方に合わせたかったがそうもいかなくなった]
「さ、左様で……」
[金輪際こんな真似はするなよ!]
ぷつりと通信が切れ、たっぷりと間を置いてから号令をかけた。
「──……まあしょうがない。今のうちだ!ジェカーフを投入して言われた通り魚雷でも何でも使ってひっ捕えようではないか!」
「少しは反省してください」
これで終わらないのがウルフラグ、もといレイヴンクローである。
ジェカーフを投入したタイミングで下半身を失ったあのタコ型の有人探査艇を奴らも再び投入してきたのだ。
意図は見え見えだった。
[そっちがもうおいたしないって宣言してくれたからな。な?そうだよな]
「……純粋な奪い合いってことかの」
[まさか、ただのコーププレイだよ。最初に言ったろ、歴史を動かそうぜって]
いや本人に何ら他意はないだろうがこっちは自分の落ち度で歴史を動かしかけたんだ、肝がキンキンに冷えてしまった。
「……良いだろう、良いだろう。後はどちらの手に転がり込むかの運頼り、ここは互いの腕と知恵を駆使して未知なる生命体に挑もうではないか」
[そうこなくっちゃ!……海の女神を味方につけた私らを舐めんなよ?]
あいつやっぱりマフィアだろ!ドスの利いた声で脅しつけおってからに!
✳︎
「い、良いんでしょうか……」
「まあ……ピメリアさんの指示だから別に良いんじゃないですか?」
「カズトヨさんが何て言うか……」
「おじいちゃんならまた新しいのが作れるって喜びそうですけどね」
「……ウッズホールの伝説をおじいちゃん呼ばわり。ウォーカーさんって凄い人なんですね」
あ、これはマズい、私に変なイメージが付き始めている。
まあ一応説明しておくと、オクトカーフは下部ユニットを失った状態でも稼働させる事ができる。上下のユニット間には増設されたスラスターがあるので潜航は可能である、能力はガクっと落ちてしまうが。
もう一度海に投入し、下部ユニットを奪われたポイントまで潜航する。蟹型のウイルスがまだ潜伏してくれていたらラッキーなのだが...
お目当てのウイルスより先に、先日魚雷で狙いを付けてきたカウネナナイ側の無人探査機を発見した。
「いつ見ても凄いですよね〜まるで本物のように触腕が動いてますよ」
「そうですか……?私はカメラ越しに見ても怖くて仕方がありません」
ピメリアさんが通信が入った、どうやら向こうは私たちに合わせてくれるらしい。
[グレムリンの爺さんが気を遣って先を譲ってくれたよ、その代わり射線は絶対開けろって言ってたぞ]
「了解しました」
そろそろかな...
発進させてゆっくりと上部ユニットを進める、下部ユニットをパージしてから暫く経つのに海の中は未だに泥が舞い上がっており視界が悪かった。クラゲっぽい無人探査機はカメラから見切れているので良く分からないが、まあ大丈夫だろう。
ポイントに到着し、一本のアームがひん曲がっている下部ユニットを発見した。蟹型のウイルスの姿は見えない。
「近づきましょう」
「深海プラネットへ突入ですね」
研究者の人が少年のように微笑んだ。
上部ユニットしか無いことをいいことに、私たちは海底の窪みにこれでもかと近づいた。そこには超深海と似た深海生物のコミュニティが形成されており、研究者の人が「早く直近で見てみたい!」と叫んだ時、そいつがぬうっと現れた。
「いた!」
「いた!」
蟹のように飛び出た眼(眼柄と言うらしい)がキョロキョロと動いている、大きさは人間の頭よりデカそうだ、つまりそれだけ大きな個体ということ。
さらにユニットを近づけてみると周囲にいた深海生物が大慌てで逃げ出し、また視界が急に濁り始めた。そして激しい衝撃が襲いカメラが大きくブレてしまった。
[動くなよ!爺さんが魚雷を撃つと悲鳴を上げていたからな!]
「いや〜何だか悪い事しちゃいましたね」
「まあ〜…だからピメリアさんが私のせいにしろって言ったんですよ」
──そして、遠隔操作をしていた上部ユニットとそれをはさみで掴んでいた蟹型ウイルスに魚雷がヒットし、私たちは二機目のオクトカーフを近づけていった。
さすがの魚雷にはひとたまりもなかったのか蟹型ウイルスは事切れたようにだらんとしており、労せずして私たちは難なくキャッチすることができた。
水中通信機からピメリアさんの声が届く。
[やーいざまあみろってんだ!──ああ?ちゃんと確認取らなかったお前が悪いんだろ!──馬鹿め!海の女神ってのは落ちてる棒切れすら使い倒す奴に微笑むんだよ!何処の世界に運頼みだけで漁をする漁師がいるってんだ!頭を使えや爺さん!だぁっーはっはっはっ!]
どこの悪役だよと思ってしまった。
騙し討ちに近い、予備として積み込んでいた二機目のオクトカーフをカウネナナイの人たちにバレないよう、水中カタパルトという所から発進させて後はひっそりと。
二つ目のウイルスを無事(?)に回収することできた私たちは海面まで浮上し、船で待つ人たちから盛大に喜んでもらえた。あんまり嬉しくはなかったけど。
当然と言うか当たり前と言うか、カウネナナイから再び話し合いの場を設けろと打診があった。
今度は海の上ではなく...
「──え、公爵の船で……?」
「ああ……やっちまったかもしれん……」
甲板まで出迎えてくれたピメリアさんは顔面蒼白だ、カウネナナイで公爵と言えば唯その人ありと言わしめる程の重要人物である。
が──私とアリーシュさんは予期せぬ再会を果たすのであった。
◇
「どうもご機嫌よう」
「あ!」
「──ああ!」
おっかなびっくり、本当にやって来た少しだけ古い戦艦に乗船した私たちを出迎えてくれたのはあのイケボのマスターだった。
私たちの反応を見てピメリアさんが目玉を剥いている。
「…え!お前ら知り合いなのか?」
「いや…知り合いというか何というか…」
白い立派な髭に青色の瞳。間違いなく『ここは喫茶店』のマスターその人だった。
「え、どういう事なんですか……?」
イケボのマスターが答えた。
「それはおいおい、今すべき話ではないよ。申し遅れたが私の名前はドゥクス、ドゥクス・コンキリオだ。どうぞよろしく」
「あ、ど、どうも……」
差し出された大きな手を握る、ライラと同じように冷んやりとしていた。
ドゥクス・コンキリオと名乗ったイケボのマスター、じゃなかった、公爵は一人だけだった。招待されたのは艦長であるアリーシュさんと極悪人のピメリアさん、そして私である。全員合わせても四人しかいない操舵室はとても広く感じた。
白髪をオールで纏めているコンキリオさんへ尋ねた、尋ねるしかなかった。
「お一人だけなんですか……?」
「うん?──ああそうさ、この船には私一人だけだ。戦闘状況になれば人の手も借りるが今みたいにただ遊泳しているだけなら私の手一つで事足りる」
「いえそんなはずは──」
アリーシュさんの疑念の声にコンキリオさんが言葉を重ねた。
「私もマキナだからね。その節はお世話になっているようだ」
「!」
「!」
「!」
──マキナ?マキナが公爵...?ええ?!どういう事なの...?
「マキナが貴族……?」
「貴族、というよりかは為政者としての立場が強い。私が国政に関与しているのは唯一つの理由があっての事だよ」
「……それなら、カマリイちゃんたちも……?」
「カマリイちゃん──ああ、ティアマトのことかね、それは違うと言っておこう。さて、積もる話もあるだろうが君たちには折り入った話があるのだよ」
どんなに怯えていてもやはりピメリアさんはピメリアさんらしい、回収したウイルスは自分たちに権利があると主張するが、それをコンキリオさんが遮っていた。
「いや何、それは好きにしてもらって構わない。君たちの漁を見させてもらったが、確かに出し抜かれたグレムリン侯爵に落ち度がある」
「そ、そうですか……じゃあ話というのは?」
「現国王であるガルディアが是非にと、王城へ招待している。その話をしたくてね、だから君たちを呼んだのだ」
「…………」
「…………」
「…………」
絶句する私たち三人、本当に言葉が出てこなかった。
何とか言葉を捻り出せたのはアリーシュさんだった。
「その……私どもの一存では決めかねると申し上げますか……本来であれば国賓として扱われるべきの政府の者が、と言いますか……」
コンキリオさんが爽やかに返してきた。
「君はかのカルティアン家の子女なのだろう?君たちが気に病む品格というものは十分に備えていると思うがね」
「────」
(……──私かよっ!!)
何の嫌味もない青い瞳を私へ一心に注いでいる、これでは断るに断れない。
いやちょっと待って、私の事が知られているんなら──。
「……アネラはどうしていますか?」
こちらの心根を見透かしたように、優しい声音で答えてくれた。
「心配せずとも王の下に匿われているよ」
「………そうですか、それなら良かったです」
「……で、どうするかね?君たちは客人だ、無理に招待するわけにもいかない、急ぎの用事がなければ来てもらいたいのだが……」
三人額を合わせて無言の「どうする?!」会議である。
先に口を割ったのはやっぱりピメリアさんだった、まあそう言うのも無理もない。
「……行きます。ここにいる皆の無事を約束していただけるのなら」
「無論だとも。王も喜ばれることだろう」
✳︎
あのガルディアが怯えていたかの娘、一度顔を見させてもらってはいたが...
(時を見誤ったか……あの時接触していれば……)
一年も経たずしてこの面構え、やはり王の血を引く人間は王へと至るのだろう。
エノールと互角かあるいはそれ以上──しかし、どのみちだ、後はガルディアが勇退すれば再びいくらかの安寧が訪れる。
畢竟ずるにこれの繰り返しだ、時に合致した人間が王となり民と我々マキナをコントロールする。ガルディアは確かに策略に優れ、また戦わずして今日まで玉座を守り続けてきた。
しかし今後の執政は彼のようなマンパワーではなく、エノールや今目の前にいるカルティアンのように"人の輪"というものを形成する力に優れた者が望ましい。
──ふと、全てをコントロールしている操舵室に通信が入る、予期せぬものだ。
「………?」
「あの、通信が……」
軍服に身を包んだ者がコンソールを指差す、赤い点滅を繰り返しているが不思議と取る気になれなかった。
(誰だ…?)
文字通り、である。巡洋艦の隅々はおろか、陸にある通信施設すら掌握している私にとって、誰がいつ通信をするのか、というのも全て把握しているのだ。
マキナであるが故に為せる技、なればその網目を掻い潜るのもまた──。
「──っ」
業を煮やした相手が直接私に語りかけてきた。
[どうも、こっちのコンキリオさん。あなたとお話しできる日を楽しみにしていたわ]
[………これはこれは。どちらのコンキリオさんかな?]
そっちの名で呼ぶ者は一人しかいない。
[プエラよ、プエラ・コンキリオ。私の知り合いが随分とお世話になっているようだから先ずはご挨拶をしようと思ってね。お邪魔だったかしら?]
操舵室の通信機は沈黙している、やはりこの者の仕業だった。
[邪魔というかだね──ああそうか、ラムウはこの事を……]
[ん?何かしら]
[何でもないさ。また折り返す、今は客人が来ているものでね]
[そうね、だからあなたの船に連絡を入れたのよ。──知られちゃいけない話でもあった?]
[…………]
[まあそんなに警戒しなくても良いわ、私もノヴァウイルスの摘出を手伝いに来ただけだし、あなたのテリトリーを荒らすつもりもない。──今のところは、だけどね]
不快、不愉快。己が意識をここまで揺さぶられたのは初めて。私の師が霊鷲山へ旅立った時もここまで動揺することはなかった。
[失礼だが……星管連盟から約定は聞いているね?理解しているのならそんな脅し文句は出てこないはずだが……]
[それならアンドルフ・リューオンという男についても喋ってもらわないとね?あなたの余計な入れ知恵でこっちは一時期しっちゃかめっちゃかだったんだから]
「──────」
[ハロ〜聞こえてる?]
「大丈夫ですか?」
「……っ!……ああいや、何、平気さ」
傍にいたカルティアンの娘も忘れてしまう程に根本からぐらついていた。
(この出来損ないのオリジナルめっ)
[宣言しとくけど、私の介入を連盟とゼウスが承認した時点でここってかなりヤバ目だからね?]
[承知したよ、忠告痛み入る。しかしだ、一つの盤面に指揮官は二人も必要無い。こちらも宣言しておくが君の介入はハッキリと言って不要だよ]
[誰に向かってもの言ってんの?グラナトゥムの名前は伊達じゃないよ?]
[それなら君がその力を遺憾無く発揮する日を楽しみにしているよ。それでは]
[──ええ。お互いに恙無く、ね?]
...ようやく解放された、どっと疲れが出てしまい客人を前にしているというのに艦長席に腰を下ろしてしまった。
「え、ほ、本当に大丈夫なんですか……?」
この場で私の身を案じてくれているのはカルティアンだけだ、他の二人は触れぬ何とやらを守っているのか遠巻きにしているだけだった。
あれが正しい。しかしあれでは今後やっていけない。
「……ああ、座っていれば良くなるさ。今日のところは挨拶という事で、具体的な日取りが決まれば今度そちらへ私の方から伺おう」
「……分かりました」
マキナと知りながら、カウネナナイで要職に就いていると知りながらあの態度。
王としての気質か本人の性格か、今後曇っていくかどうかは周囲の情勢が決めることだろう。それでもなおその思い遣りが曇ることなく太陽のように燦々と降り注ぐのなら──。
(師が目指した世界に近づけるのやも──しれん)
まだ、理解すらできなかった。
師が見た景色とは一体──。
✳︎
「小物臭が半端なかったわよプエラ」
「────やっぱり?やっぱりそう思う?いや〜私も喋りながらそう思ってたのよね〜」
グガランナ・マテリアルのブリッジに彼女が久方ぶりに訪れていた。
まず、その容姿に驚いた。昔は人形のように─それでも内に秘める熱い思いは隠し切れようがなかったにせよ─愛らしい姿だったのに今はどうだろうか、背丈は私と変わらずどこの女海賊だよと思ってしまった。
鞭のようにしなる細い足は剥き出し、ダメージホットパンツの上には大きめのベルトを回して剣の鞘まで差している。トップはこれまたおへそ剥き出し、バストまでのタンクトップに厚手の革ジャケットまで羽織っている。極め付けはそのつばの広い帽子に一枚の羽だった。
「遊びに来ただけなら帰ってちょうだい」
「──何でよ?!」
白い髪をサイドに流して切れ長の目には淡いブラックのアイライン。コスプレじゃんただの。おそろしく似合っているからこれまた始末に負えなかった。
私もプエラをジロジロと眺めているのなら、向こうも同じように私をジロジロと眺めていた。
「それにしたってグガランナ、その格好はな〜に〜?内縁関係になったからってその服装は駄目でしょうに……」
「別に良いじゃない。今さらアヤメに良く見られようだなんて思っていないわ。そんな服装より実務に叶った動き易さよ」
「あいた〜!あいたたたっ!」
わざとらしくよろめき自分の額を何度も叩いていた、その揶揄い方に腹が立ったので私もプエラの額を叩いてやった。
「──痛いわ!」
「言いたい事があるんならその口で言いなさい!わざとらしい……」
「そうやって自分の見てくれを捨てていく奴から捨てられていくのよ。分かった?」
何しに来たんだこの司令官は本当に。
プエラは既にマキナとしての力を失っており、私たちが常としていた連絡手段は最早使えなくなっていた。そのためマリーンの司令官と連絡を取るために私経由で行ない、その会話は全て筒抜けになっていた。
だからであろう、プエラのマテリアル・コアはスイちゃんと同じように日々成長しているのだ。
種から根を生やし蕾を付け、花を咲かせてそして散っていく。生き物としての輪廻を彼女はスタートさせていた。
だからであろう、我らが頼もしい(?)司令官から発せられるエネルギー波は何をも貫き遠くまで波動していく。つまりギラギラに輝いていた。
まるで──いずれ尽きる命ですら惜しまないように。後悔しないように。何かから逃げるように。
かくも命はこうあるべきかと──不覚にもプエラの生き様に感銘を受けてしまった。
(……………)
私が黙りしていたことに気付き、プエラが声をかけてきた。
「グガランナ?……あ、もしかして言い過ぎた?」
「──別に気にしていないわ、昔からあなたはそうだったもの。で、これからどうするつもりなの?こっちの司令官にいたく嫌われてしまったじゃない」
プエラが鞘から剣を抜いて(あれ模造刀よね?)くるくると手で回し始めた。
「しゃあーないよ、もし逆の立場だったら私も同じこと言っていたしね。いやー実は言うとせんかんだっけ?その戦艦に無理やり通信入れたのもお邪魔したかったからなのよね〜」
「駄目よ。約束事があるでしょ」
「現地人に関わるなってやつでしょ?そんなのバレないっしょ、へーきへーき」
危なげない手つきで弄んでいた剣をすぱんと鞘に収めた。
「ま、たちまち調べてみようか、つい最近だって仮想展開型風景も落ちてしまったみたいだし?」
それが後押しとなって彼女の介入を認めたのだ、あの沖田何某が。
「そう。一人で?言っておくけど私はこの艦体でお留守番よ、ずっとお留守番なのよここに来てからずっとずっとずっとっ「急に感情爆発させるの止めてくれない?普通に怖いんだけど」………私はお留守番だからあなたの手伝いは出来ないわ」
「それは無問題」
「あらそう?……まさか」
ニヤリ。女海賊改めマキナの司令官改めプエラがおいたを思い付いた子供のように笑ってみせた。
「そ。私もついに子機デビュー、ってね」
「──あら、プエラってもしかして誰かの子機だったの?──ああ!ああ!」
冗談には剣で返すのが海賊の流儀らしい、もう一度引き抜いていた剣がきらりと輝いていたので怖くて仕方なかった。
✳︎
(てっきり反対してくるかと思ったんだが…当てが外れたかな…)
結果上々、オクトカーフを一機失ってしまったがそれでもセントエルモのお題目は叶えたことになる。ナディも言っていたが、あのゴーダならまた新しいのが作れると躍起になってくれるだろう。
だが問題も起こった。
(セントエルモがウルフラグの代表か…私も来る所まで来てしまったもんだよ)
衛生通信電話を使って緊急の連絡を行ない、大統領も総理大臣もひっくり返っていたが概ねの了承は得られた、というより了承せざるを得なかった。と、言った方が正しい。
熱いシャワーに頭を預けて詰まった脳味噌を少しでも軽くしようとした。
私の目の前にあるものは四十路を前にした女の体だ。傷だってある、綺麗な所もある、それなりの年輪を重ねた体だ、惜しむらくは貰い手が未だに見つからないことぐらいか。
いるにはいた、私の初恋という相手が。けれどそれも二〇年前のあの日あの場所に置いて来てしまった、今さら拾いに行けやしない、遠い所に置いて来てしまった。
髪をかき上げ頭ではなく顔に熱い水飛沫を受ける、気を抜けばいつでも潜んでいる記憶がその鎌首をもたげた。
(テジャト・ミラー。私はてっきりカウネナナイ行きを反対するものとばかり思っていたよ。そんなに妹が惜しいのか……)
有り難い身だ、こうして個室のシャワーを使わせてもらっているんだから。生活用水の無駄使いを止めてさっさとシャワールームから引き上げた、いくら浴びたところで気分がすっきりしなかったからだ。
だから、というわけではないが、私の個室にそいつが立っていても何ら驚きはしなかった。
「何の用だ」
「…………」
息を飲む気配が伝わってくる。女の裸体を見たからか、臨戦態勢を整えたからか、それは分からない。
「丸腰の相手に銃を向けるか?」
「二〇年前、つまりあなたが成人を迎える前の年です。カウネナナイの軍に襲われウルフラグ政府に見捨てられてしまいました」
「だから何だ」
「家族や友人を失った人も数多く、あなたもその例に漏れない」
「そうだな。あの時の事は今でも良く覚えているよ」
「ハウィに隣接していたあの街には沢山の子供たちがいました。カウネナナイもウルフラグも関係なく、色んな人が居を構えてそしてそこにカルティアン夫妻も滞在していました」
「………」
声は低いようで高い。女の地声か男の裏声か、暗い部屋も相まって判別がつかなかった。
その人影が腕を掲げた状態でゆっくりと移動を開始した。
「セレンの島は殺された街の復元なんですよ。ルイフェス・カルティアンがまだ存命ならあなたと同じ歳のはずでした」
「死んだ人間の歳は数えちゃいけないんだよ。そんな事も知らないのか?」
それをあなたが言いますかと、返事が返ってきた。
「ヨルン・カルティアンとの再会はまさに天啓だったのではありませんか?その子供であるナディ・ウォーカーと懇意になれたのはまさに幸運だったのではありませんか?」
「…………」
「嘘は良くありません。だから私たちがこの船にやって来たのですよ、レイヴンクローさん」
「だから何だとさっきから尋ねているぞ、ミラー」
「違いますよ」
「──っ」
──確かに銃を構えていた、椅子に座っていた私より視線が高かった、けれど、その頭が突然低くなって耳慣れた声でそう言った。
──ナディ?
「ピメリアさんは私が王族だと知ってとても心配してくれましたよね?皆んなからハブられたりしないかって、それってピメリアさんが私を除け者にしたかった裏返しじゃないんですか?」
「……違う、違うよ」
「私だったらそうしますけどね。ピメリアさんはしないんですか?絶対気持ち良いですよ、だって折角生き残れたのに待っているのが独りぼっちの日々だなんて、見ているだけで仕返しができるようなものじゃないですか」
「……違う、もうそんな事は考えていない、考えていないんだ」
「本当か?もう私のことは恨んでいないのか?……だがメアリーよ、あの時お前ではなく他の子たちを逃した事に後悔は何もないんだ。お前が独りぼっちに─「─うるっさいんだよっ!もう関係無いって言ってんだろっ!頼むから私の話も聞いてくれよっ!」
あの頃と何も変わらない、他人にだけ優しくする父が目の前にいた。いつもいつもそうだった、他の子たちには優しく微笑み私の前では疲れた顔をする。
だから他所の子が気に入らなかった、優しい父に群がり困らせ疲れさせる。何度も喧嘩をして私も父を困らせた、もう二度と来るなと、あっちに行ってくれと。
父は私の話に耳を傾けようとしなかった、いつも溜め息ばかりを吐いて叱ることも諭すこともせず、いつもいつもいつもいつも他人の子に取られていた。説教の時間すら私たち親子には存在しなかったのだ。
妬んで何が悪い?恨んで何が悪い?父を想って何が悪い?たったの一度で良いから普通の話がしたかった、私だけ特別扱いしてほしかった、それもこれも全部あいつらに取られたんだよ。
──そうだよ、さっきのガキの言う通りだ仕返しした方が良い、そっちの方が良いに決まってる。父のようなお人好しにはならない、利用されるだけの優しい人間にはなりたかない。
だから私はあの男の娘になることを選んだんだ。
「そうだメアリー、お前の選択は正しい。俺に付いてくれば必ず賢い生き方ができる──ただな?ちいとばかり自分の為に他人を傷つけたって構わないんだ。何故だか分かるか?」
「……いいや分からない。教えてくれよ、親父」
二人目の父は今までの寂しさを忘れさせてくれるほど構ってくれた。いくつになっても子供扱いをして、漁に出かけて坊主で帰ってくれば怒鳴られ大漁だったらいつでも褒めてくれた。
「嘘つけ、お前はもう気付いているはずだ。他人を傷付けて良い理由が、そうしなければならない理由ってもんが」
「……………」
「世の中阿呆ばかりだ、口で言っても聞かなきゃ体に聞かさにゃならん。それだけ強い感情をお前に植え付けられたんだと痛みで返すんだよ、そうしなければ相手は自分がやった事に一生気が付かない、だからやって良いんだよ」
「ああ……そうだな、そうかもしれん、そうなのかもしれない」
二人目の父が港でやってくれたようにまた──。
「──だからこっちに来いメアリー、死んだ父親のように偽善者ぶるのはもう止めるんだ。お前の娘も喜びはせんぞ」
──あいつはどうするんだろうな...他人に奪われ一生仕返しも出来ないこの恨みを抱えてしまったら──。
◇
緩やかな目覚めだった、微睡みから解き放たれるように自然な浮上だった。頭の芯から冴え渡り、体も羽毛のように軽かった。
「んんっ……」
暖かい──いや、というか暑い、暑過ぎる。シーツに包まっている自分の体が汗ばんでいるのが分かった。
(故障か……?アリーシュに見てもらって……)
少しでも涼もうとシーツを捲ると声がした、私のものではない。
「……寒い……」
「──っ!……???……???」
え、何で隣にナディが寝ているんだ...?え?何で下着姿なんだ...?
「……っ!!……ああ良かった」
慌てて確認する、どうやら同衾したわけではないらしい、いや一緒に寝ているのだが...
(あれ、どういう状況だこれ……?昨日は確かシャワーを浴びて、それから……)
夢を見たような気がする。最初に現れたのはあの双子だ、次はナディ、その次は亡くなった父、そして親父だ。代わる代わる私の部屋に現れて何か話をしたような...気がする。
うん、夢の話はいい。この状況を理解するのが先だ。酔ったわけではない、酒も呑んでないしというか酔わないし。
「……寒いっ」
「っ!……今のうちに……」
こいつは何なんだ?贅沢病か?これだけ暖房を効かせておきながらシーツ一枚の下着だけで寝るなんて...
寝ぼけながらシーツを引ったくったナディからそろりと離れ──られなかった。
停泊しているはずの船が大きな揺れに見舞われてしまったのだ。その弾みで態勢を崩してしまい、ばっ!と目が覚めたナディに覆い被さる形になってしまった不本意なんだけど。
「…………」
「…………」
たっぷりと瞬きをしている、何なら目脂も付いている起き抜けの顔。──あれだな、映画で良く見る朝のシーンはやっぱり作り物だったんだな。こんな顔した恋人にキスなんてできやしないぞ、いや恋人じゃないんだけど。
と、現実逃避をしている間に突き飛ばされてしまった。
「ああっーーー?!」
結構な強さだ、起きたばかりとは思えない力でもんどりを打ってしまった。
「なぁ?!ええっ?!……何やってんすかピメリアさん……ここ私の部屋なんですけど……お母さんに言ったんですか?」
まだ寝ぼけている。
「いや……誤解というか何というか、私も良く分からなくてだな……」
「はあ?………酔ったんですか?」
「いや、酒は呑んでない、でもそうかもしれん。昨日は何かとテンション上げ過ぎたからな、帰ってきてから途端に元気が……うんまあ、そんな感じ」
「いつ?いつ入ってきたんですか?」
徐々に覚醒してきたナディがそう尋ねてきた。が、私にも分からん。
「うう〜ん……夜遅く?」
「そんなはず──だって昨日は遅くまでずっと物音がしていましたからなかなか寝付けなくて……」
「そうなのか?どんな音なんだ?」
「こう……ガリガリというか、下の方からガリガリと……」
ガリガリ?何かが引っ掻いていたのか?
「──失礼!!」
「あああーーーっ?!」
「うわっ!──もう!びっくりさせるな!」
急に扉がバン!と開かれたので死ぬかと思った、驚き過ぎて。入って来たのは勝負服姿のアリーシュだった。
「ピメリアさん?!──ちょうど良い!すぐに着替えて格納庫へ急いでください!」
「な、何かあったのか?」
そういやさっきの揺れは...それにナディが聞いたという物音。
答えは簡単だった。
「──以前ウルフラグで発生していた怪奇現象を確認しました!──馬です!馬がこの船を攻撃しています!」