表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
210/335

第76話

.前哨



 帰港予定を約一ヶ月も過ぎてしまった。船内に残る食料も底を尽きかけ、釣り上げた魚を加工して保存している工船の冷凍庫も日に日に無くなりつつある。

 通信は出来る、しかし肝心の航海用レーダーが使えない。聞くところによれば本来反映されるはずの海底であったり他の船であったり、また最も重要な方位と距離が映らず、レーダーの画面に夥しい点が映るそうだ。

 アナログの方位磁石も寄るべを失くしてしまったようにくるくると回り続けているだけ、船内に置かれた全ての方位磁石が狂っていた。

 これでは帰るに帰れない、三六〇度どこを見渡してもウルフラグの陸地はおろか自分たちが通ってきた航路すら見つけられない、途方に暮れるしかなかった。

 何が一番辛いって時間を持て余す事だ。まあ、正直な所こんな状況がいつまでも続くとは思わない、そのうち帰れるだろう。しかし、本当にやる事がない。釣り餌も無くなって釣りも出来なければ、やる事がないからと船員総出で船中掃除もしまくった。もう五年先まで掃除しなくて良いぐらいに掃除した。

 嗜好品の酒も無くなったので宴会だって出来やしない、まさに地獄である、ここは。


(でもまあ〜〜〜良いかなあ〜〜〜ナディと顔を合わせる気力も湧かんし)


 割り当てられた共同部屋のベッドに寝転びながら携帯をいじっていた。いじると言っても過去に撮ったフォトライブラリを舐めるように眺めているだけ、その内の何枚かは知り合ったばかりの頃のナディも映っていた。

 好きだ。それは今でも変わらない、けれどそれと同じくらいライラのことも好きになってしまった。どんだけ偏屈なんだよと自分でも思う。挙げ句の果てに恋人の唇を奪ってしまうしやりたい放題だ。

 けれど──はっきりと言って胸が"スカッと"した。ずっと好きだった相手を取られて、その代わりにその相手の恋人の唇を奪った事が。


(ほんと偏屈。私ってこんなんだったの?)


 もっと正直に言ってしまえばこの状況はとても有り難かった。ライラにしてしまった事やナディに対する気持ちの整理、それから自分自身の汚い一面に面食らったりと、とてもじゃないが他人の事など考えている余裕がなかった。

 きっと、この気持ちに整理がついた頃合いに帰港出来る手筈が整う──と、無邪気に信じていた。同室の先輩に呼ばれるまでは。



「え?迎えに来る?──それも今日?!」


「何でそんなに驚くんだ?寧ろ待ってましたと喜ぶとこだろ」


 呼ばれた場所は船内の食堂、ワッチで仕事をしている人たち以外の皆んなが集められていた。

 同じテーブルに座っているのはピメリアさんに憧れて入社した先輩だった、口調も髪型も真似ているがいかんせん体格が全く似ていなかった。

 私と少ししか背丈が変わらない先輩が色々と教えてくれた。


「海運庁の奴らが下手こいたから軍に泣きついたんだってさ。それで空軍の飛行隊が私らを探し出してそのまま陸まで案内してくれるらしい」


「はあ……飛行機のレーダーは問題無いんですか?」


「無いから来てくれるんだろ?海運庁の船も未だに行方不明らしいじゃないか。至れり尽くせりだねえ、空軍のエスコート付きだなんて」


「……………」


 微妙。いや確かに帰りたいのは帰りたいけどまだ帰りたくない。

 酒も煙草も無くなってすっかり短気になった船長と遠征班の班長が食堂に現れた。その顔色はとても良く、先輩の話が概ね事実であったという何よりの裏付けになった。

 

「聞けえ!今日でようやく陸に帰れるぞお!こんなクソみたいな海からようやく離れられるぞお!」


 船長が喜びの声を上げるが誰も反応しなかった、ちなみにこのやり取りは今日で二度目である。言わずもがな、海運庁と話しを付けた時も今みたいに"ぬか喜び"の声を上げていたのだ。


「けっ!お前らも海みたいにシケてんなあ〜……まあ無理もない、前回はただのぬか喜びになっちまったからな」


 自分で上げて自分で落とした、そこでようやく食堂内の雰囲気が明るくなっていた。

 遠征班の班長が詳しい説明をしてくれた。


「俺たちを救出してくれるのはあのガーランド大将だから心配するな。探しに来てくれるパイロットは候補生らしいが、空軍がバックアップしてくれるみたいだ。さっき飛行隊が離陸したと連絡を受けたからすぐこっちに来るんじゃないのか?」


 班長の言葉を聞いた皆んなが喝采を上げた。そして私も隣に座っている先輩と肩を叩き合った。

 やっぱり帰れるのは嬉しい、あれやこれやと色んな問題を残しているけど、それでも自分の家に帰れるのは嬉しかった。

 しかし、これが二度目のぬか喜びとなってしまった。



✳︎



 離陸したはずの高高度偵察機(丸い円盤を付けた飛行機)がすぐに引き返してきたので何事かと皆んなが慌て出した。


「故障かな?」

「いやでもちゃんとチェック受けてたよね」

「大型シルキーが空を飛んでいたとか?」

「そんなまさか」

「え〜…もしかして中止とか?嫌だな〜折角教官無しで空を飛べると思ったのに」


 格納庫に集合していた候補生たちが滑走路に降り立った偵察機を見ながら、とにかく良く喋っていた。

 

(ラッキーって思ってるのは私ぐらいか)


 さすがに不謹慎だろうか。しかし隊長を務めなければならないストレスとプレッシャーを抱えていた私にとって『中止』という言葉はとても魅力的だった。

 隊長だけに持たされたインカムから通信が入った。取りたくなかったけど取るしかなかった。


「……はい、ナディです」


[私だ。ちょっと問題が起こったから開始時間を遅らせる、皆にもそう伝えておいてくれ。──先に言っておくが中止にする事はないからな]


 「ちゅ」の形で止まっていた口を元に戻し、私の言葉を先読みしてきたガーランドさんに尋ねた。


「その問題というのは?」


[多言しないと約束するか?]


「じゃあ結構です。皆んなに伝えてきますね」


 結構ドスの利いた声で「おいコラあ!」とインカムから聞こえてくるが知った事ではない、触らぬ神に祟りなしである。

 通信を切って呼吸を整える、まさか私が誰かの上に立つ日が来るなんて夢にも思わなかったが仕方ない。嫌な緊張を感じながら格納庫内で散り散りになっている候補生たちに声をかけた。


「集合っーーー!」


 思っていたより声が出て助かった、ヘルメットを片手に候補生たちが私の元に集まってくる。

 今回の捜索隊は全部で三班、六人チームなので全員合わせて一八名である。そして私がその中でトップという良く分からない状況だ。

 皆んなに見下ろされながら、ちょっとでもそれらしく見えるように口を開いた。


「──ガーランド大将から連絡があった!高高度偵察機に問題が発生したので作戦の開始時間を遅らせる!中止ではないので各員緊張の糸を─「ちょいちょいちょい、何その喋り方」


 一番先頭に立っていたシズクが割って入ってきた、その顔は心底馬鹿にしているような感じだった。


「何って!私が隊長をやるんだからっ「違う違う違う、そういうの誰も求めてないから。というかさ、大将に言った文句もう忘れたの?威厳より懐の深さだって言ったのあんただよ?」


「──あ」


 言われてから思い出す、そしてガーランドさんがどうしてあそこまで威厳を持たせようとしていたのかもほんの少しだけ分かったような気がした。


「あんたが何もできないのは皆んな知ってるから、無理してやる必要はないよ。というか普通にダサいし」


 ばっさばっさ斬られてしまってとても恥ずかしい、他の候補生たちも何人かくすくすと笑っていた。でも、シズクのお陰で肩を力を抜くことができた。

 そりゃそうだ、私がただの"お客様"なのは皆んな知ってる事、それなのに無理して隊長風を吹かしてしまったからそりゃダサいだろう。


「……すみませんでした。あの、私良く分かってませんので何卒よろしくお願いします」


 それはそれで丸投げし過ぎだとまたシズクに突っ込まれてしまい、今度は笑い声が上がった。



✳︎



 リーの経過報告が綴られたメールを流し読みし、携帯を閉じてから再び盤面を見やった。

 今し方離陸した偵察機から報告があった、空軍基地の周囲を何かが囲っていると、それもレーダー波を通さないステルス仕様の何かが、しかも数が尋常ではないらしい。

 作戦室に集った本作戦の士官たちが揃って唸り声を上げた、私もそうだ。


「どっちなんでしょうね、ヴァルキュリアの横槍なのか新手のシルキーなのか、まるで分かりません」


「そのどちらかなのかは間違いないが調べようがない。かといって強行突破するわけにもいかない」


 高高度からの偵察ができないのならそもそもユーサ籍の船を救出することも不可能に近い。想像できない程に広い海の中からたった一隻をレーダーも使わずに見つけるのは至難の技だ。


「本当にステルス機だったのですか?」


「送られてきたレーダーを見る限りでは、だがな……UAVで様子を見よう」


 無人偵察機の投入を指示し、速やかに準備に入った。

 ヴァルキュリアでない事を祈りながら結果を待っていると、予想の斜め上を行く答えが返ってきた。


「UAV、ロストしました………」


「──はあ?!」


 タブレットを持った士官が作戦室に駆け込みそう言った。直近の映像を見やればますます意味が分からなくなってしまった。


「──何も映っていないじゃないか……何も映っていないじゃないか!本当にUAVのカメラで撮ったものなのか?!」


「そうです!この直後に──ほら!シグナルロストしているでしょう?!何にもないただの空のど真ん中で通信が途絶えたんですから!」


 やり取りをしている二人の声を耳に入れながら打開策を考える。

 ヴァルキュリアでもないシルキーでもない、目に見えた危険はどこにもない、しかし間違いなく空には何かがいる、だからUAVをロストしてしまったのだ。

 士官の前でも遠慮なく頭をガリガリとかいた、ユーサ側には既に連絡をしているので今さら中止になどできない。


(こんな時にあの戦闘狂がいてくれたら、多少の無理を通してでも空を偵察できたというのに──いや、別にいいか)


 リーは今自宅待機中だ、もう間もなく法廷が開かれるはず、しかしこっちは緊急事態。

 思い立ったが吉日としまった電話を取り出した時インカムに通信が入った、相手は言うまでもない。


「何だ」


[あー…ガーランドさん?そのですね、私は別にいいんですが皆んなが何が起こったのか気になると言いまして、さっき何を言いかけたのか教えてほしいと思いまして、私は別にいいんですが]


 少し遠くから「そういう物言いをするから大将から怒られるんだ!」と誰かに怒られている。全くもってその通りだ。


「──今さら何を言っている!お前が聞きたくないと言ったんだろ!」


 大人気ないことは分かっているがどうしたって怒鳴られずにはいられない。

 あんな小さな体でどこにそんな負けん気を持っているのか、ウォーカーがまたぞろ言い返してきた。


[すみませんでした!教えてください!皆んな今か今かと待っているんです!]


「知らん!待たせておけ!」


[そうは言いますけどね!何も情報が与えられないのはそれはそれで不安になるんですよ?!]


「いや実際そうかもしれんが聞きたくないと断ったのはお前が先だろうが!」


[だからさっき謝罪したじゃないですか!]


「あれのどこが謝罪なんだ!ここが法廷ならお前一発で有罪だぞ!」


[謝罪の仕方なんて関係ないでしょうが!裁判官だってガーランドさんみたいなのが来たらそれこそ門前で有罪にするでしょうね!]


「──何だと貴様っ……もう知らん!知らん知らん!勝手にしろっ!そんなにガキと一緒に飛びたかったら勝手に行けえ!!」


 周りの士官がまあまあと今さらのように止めに入った。そしてインカムから、


[──分かりました、失礼します]


 たったのそれだけ、急にクールダウンしたウォーカーがインカムを切った。

 これはしまったぞと後悔してももう遅い、さすがに言い過ぎたと反省するが既に通信は切られている。


(──まあ、いい、今はとにかくリーをこっちに引っ張ってくるのが先だ)


 周りの者たちに事情を伝え、すぐにフォルトゥナの調整に入るよう指示を出した。



✳︎



 もう遠慮なく周りの船員たちから─物理的に─叩かれた船長と班長が一旦食堂を後にした、逃げたとも言う。

 来る来ると言われていた飛行隊が一向に姿を見せないのだ。


「何かあった?」


「かもしれませんね、まさか嘘を吐かれたとは思いませんが」


 他の先輩らもこっちに合流し、どうしたもんだと話し合いが始まった。


「当てにならんわおっさん連中、嘘ばっかりじゃん」

「どうする?」

「どうもしなくね?待つしかないじゃん」

「何か私らで出来ることってありませんかね」

「あんたってほんと真面目ね〜」


 別班の先輩がそう言って私の頭を撫でてきた

 私の周りにいるのは女性社員ばっかり、こういった閉鎖的な場所だとどうしたって固まってしまう。たまに男性社員とくっ付いて顔を見せなくなるが、今回はそういう事もなかった。

 がやがやと皆んなで話し合いをしていると男性社員らも合流してきた、結構な人数になってきたような気がする。

 さらに合流したうちの一人が自分たちで調べてみようと言い出した、ピメリアさんになりたい先輩が反論で返している。


「ああ?どうやって調べるんだよ」


「確か水中ドローンと飛行ドローンが船にあったはずだ、それを使えばもしかしたら何か分かるかもしれない」


「例えば?」


「レーダーを狂わせている何かが船の底に張り付いている、とか?班長の話だとウルフラグの殆どの船が同じ現象に見舞われているらしいけど、それも本当かどうか疑わしいしね」


「なるほど、それは確かに……」


 そうと決まれば後は早い。皆んな船長と班長には不満があったので、自分たちで解明しようとすぐさま行動に移った。

 勿論止められた、けれど誰も言う事を聞こうとしなかった。


「止めろと言っているだろ!ドローンだって貴重な設備なんだぞ!それを勝手に使用するだなんてっ──」


「だったら早く飛行隊を連れて来てくださいよ、こっちは二回も騙されているんですよ?」


 漫画みたいに班長が「ぐぬぬ……」と唸りながら撤退し、それを見ていた周りの人たちがさらに勢いづいた。

 もう誰にも止められない、皆んな今日までの鬱憤をドローンで発散させようと言わんばかりに船内のあちこちに散って行った。



(帰りたくないな〜まだ帰りたくないな〜でもお風呂には入りたい)


 魚群の確認用に積み込まれた飛行ドローンを操作しつつ、頭の中は全く違う事を考えていた。

 さて、ナディに何と言い訳をすれば良いのか。あの日、街が虫に襲われた時から私はナディと連絡を取っていない。向こうもライラから事情を聞いたのかメッセージの一つも送ってこなかった。

 嫌われた?でも、それも無理もないのかなと思う。


(いやいや、ナディも私とどんな話をすれば良いのか分からないだけ……だから連絡を取らないんだ)


 先輩が持ってきた飛行ドローンがまあまあの高さになった、今カメラを確認すればこの船の全体と周囲何百メートルか先まで見られることだろう、しかし何を調べれば?そう思った矢先だった。


「──うぉっ?!……え?!何か当たった?!」


「ん?どうかしたのか?」


 一緒の先輩が何事かと声をかけてくれた。


「ドローンが何かに当たったっぽいんですけど!今大きく傾きましたよ!」


「え?!マジで?!降ろせ降ろせ!」


 壊したら洒落にならない、潮風の中でも錆びない特注仕様だったはず。これが業務中ならどうでも良いんだが今私たちは班長たちに反旗を翻している最中だ、絶対弁償させられる。

 私を心配を他所に降りてきたドローンは何とも無かった、どこも壊れた様子はない。


「ありゃ?」


「ほんとに当たったのか?何とも無いようだけど──んん?プロペラがべこべこじゃないか!!」


 ぐぐいとプロペラに顔を近づけると確かに、四枚の羽がパチンコ弾か何かに打たれたような窪みが出来ていた、それも沢山。


「うっわ〜〜〜やっちゃいました私?」


「……ま、どうせ金溜め込んでんだろ?それで弁償すれば良いんじゃね?」


 いや他人事。

 いざという時はおっさん連中と同じように当てにならない先輩から視線を外して空を見やった、勿論肉眼では何も分かりやしない。


(何なんだ?何かが浮遊してる……?──あそうだ!)


 先輩からドローンをひったくり船内へと駆けて行く。


「おい!急にどうしたんだよ!」


「カメラに何か映っているかもしれません!」


「──ああなるほど!」


 ドローンを抱え、先輩と一緒に電算室 (ここにしかパソコンがない)に来てみやれば他のグループもドローンを抱えて殺到していた。


「何事なの?」


「もしかしてお前らも?」


 顔しか知らない男性社員にそう声をかけられた。


「え、はい、先輩らもですか?」


「見てくれよこれ、酷い有り様だ」


「うんわ〜〜〜」

「こりゃひどいな……」


 男性社員が抱えるドローンは私より酷く、まるで攻撃でもされたかのようにボディもべこべこに凹んでいた。

 電算室から「映った!」という声が聞こえ、私含めて皆んなが中へと入っていく。

 一つのモニターに映し出されていた映像は船の甲板から録画されたものだった。上昇していくにつれ操舵室が映り、口をあんぐりと開けている船長がカメラ目線で撮られていたのが何だか面白かった。


「──ん?!今何か映ったぞ?!」


 さらにモニター前に群がる、そういやあの先輩が近くにいないぞと気づきながらも私も映像に釘付けになった。

 確かに、何か映っている...?


「これ、レンズが汚れているだけじゃないのか」


 そう言われても仕方がない程にそれは小さかった、黒い点だ、べこべこになったドローンが録画した映像には黒い点が沢山映っていた。


「何じゃこりゃ」


 皆んながそう思ったに違いない、もしかしたら私たちの手で解決できるかもと期待したが、予想外にも程がある物が映し出されて皆んな言葉を失っていた。

 ──電算室の扉が荒々しく開けられ喜色満面の船長が入ってきた。そしてこう言った。


「──レーダーが直った!!レーダーが直ったぞ!!」


 皆んな声を揃えて「えええっ?!」と驚いた。



✳︎



 それは私が作戦室の廊下に差しかかった時だった。ガーランド大将以下士官が詰めているはずの作戦室から、それこそライオンが押し潰されたような悲鳴が上がったのだ。

 扉を突き破らんばかりの声に驚き足が竦み、そして本当に扉が突き破られたように開いた。出てきたのは顔面を蒼白にし、しかし眉間に青筋を立てるというなんとも奇妙な顔つきをしたガーランド大将だった。


「何かあったんですか?」


「コールダー顧問か!今から──いや、いい!ちょっと待ってくれ!問題が起こった!」


「いやそれは聞いてますけど……」


 だから私が呼び出されたのだ、ステルスタイプの何かが空を囲っていると。その話を聞いた時にはハフマン先生の妄想が現実のものになったのではないか思ってしまった。

 しかし、いくら短気と言えども軍の大将がこうも慌てるだなんて...続けられた言葉を聞いて私も悲鳴を上げてしまった。


「ウォーカーたち捜索隊が勝手に出動してしまった!待機していろと言ったはずなのにっ!!」


「えええっ?!?!?!」


 廊下の窓に張り付き滑走路を見やる、確かに翼型の機体が複数並んでいた、というか──。


「飛んでる!飛んでますよ大将!どうしてデリバリーは止めなかったんですか!」


 候補生とは思えない滑らかな離陸、後から遅れてやってきたエンジン音が廊下にまで響き渡った。その音を聞いてか、作戦室にいた他の士官たちも驚きの表情のまま出てきたではないか。


「──大将?!今の飛行隊は?!出動要請はどの部隊にも出ていませんよ?!」


「──ウォーカーだっ!ウォーカーが命令を無視して勝手に飛び出したんだ!……あんの小娘めどこまで私を困らせたら気が済むんだっ!!」


 ガーランド大将の怒鳴り声がジェットエンジンもかくやと廊下を震わせた。

 もう作戦会議どころではない、合流した私も一緒になってガーランド大将たちとクリアランス・デリバリーに駆け込んだ。

 その駆け込んだ先では、管制官たちがマグカップを片手に談笑していた。一仕事終えた感じってやつ。勿論ガーランド大将は怒っていた。


「何を考えているんだお前たちはっ!!」


 ぞろぞろと入ってきた私たちに虚を突かれながらも管制官が答えた。


「さ、作戦の開始命令が下りたとウォーカー特別候補生から………────違うんですかっ?!!」


 頭の回転が早いようだ、眦を吊り上げた大将を見てすぐ考え直したようだ。

 慌ただしく管制官らが席に戻り、早速連絡を取っているが...もう遅い。全機離陸を果たして薄雲の空へと上っていってしまった。


「馬鹿かあいつはっ!!!勝手にしろってそういう意味じゃないんだよっ──コールダー!!お前良くあんな奴と付き合っていられるなっ!!俺なら絶対我慢できない!!あんな奴クビだクビ!!帰ってきたら即刻港に送り返してやるっ!!」


 怒り爆発。誰よりも体格が良い大将がまるで子供のように地団駄を踏む姿はそれだけで迫力があった。

 命令違反を犯したナディ、けれど何かしらの理由があったのだろう、意外にもこちらからの呼びかけにすぐ応答していた。──そして、それと時を同じくして別の管制官が鋭い声を上げた。


「──大将っ!ユーサ船がレーダーに映りました!方角と距離を割り出せます!!」


「何い?!今の今まで反応がなかったのに!」


 だが、そのレーダーに反映されたのはほんの一瞬だけだったようですぐにまたロストしてしまった。

 ここで愛しの狼が発言した。


[こっちのレーダーでも捉えました、今他の候補生に位置の特定をお願いしています]


 見計らったように...いや、ナディたちの出動タイミングが絶妙に良かったんだ。

 ここで終わらないのがナディである、そういう負けん気というか、ちゃんと反撃する牙を持っているという事は昨日のアレで知っていた。


(いや、ナディって元々誰かをイジメるのが好きなタイプだよね)


[良かったですね〜ガーランドさん、私の判断で離陸して。もししていなかったらまた振り戻しに戻るところでしたよ]


「お前……お前という奴は……」


[さっき私の判断に任せると言いましたよね?だからこうして空を飛びたがっている候補生たちを飛ばせてあげたんですよ]


 マイクに齧り付いていた管制官がばばっ!と振り向き「そうですよね?!」と言外に確認を取っていた。


「遊びじゃないんだよ!!空は!!何も分かっていないガキが偉そうな事を言うなっ!!」


[候補生たちだって遊びで訓練を受けているんじゃないんですよっ!!何でそんな事も分からないんですかっ!!皆んなあなたの役に立ちたがっているんですよ!!]


「なっ──そういう事を言ってんじゃないっ!!空には目には見えない何かが潜んでいるんだっ!!無人偵察機もロストしたっ!!だから待機していろと言ったんだよっ!!」


[なっ?!ちょっ──どうしてそんな大事な事を黙っていたんですか?!もうこっちは飛んでいるんですよっ?!どうしろって言うんですか!!]


「お前が聞きたくないと──もういい!!グレートビーンズを用意しろ!私も出る!!」


 ちなみにグレートビーンズは大将の専用機である。

 もうどうしたら良いのかとおろおろしていた管制官からマイクを奪った。


「ナディ、良く聞いて、もしかしたらその見えない何かは空を浮遊しているシルキーかもしれない」


[え?!ライラ?!ライラもそっちにいるの?!]


「そう!もう一度言うね、大将が言ってる見えない何かはシルキーかもしれない。シルキーは極小のルーターも備えているから何かしらが起因してレーダー類に影響を与えているかもしれないわ」


[わ、分かった!とりあえず注意深く飛んでみるよ!]


 デリバリーから出て行こうとしていたガーランド大将が踵を返し、「何でこいつの言う事はそう素直に聞くんだおかしいだろう!!」とまた吠え始めた。



✳︎



 操舵室は誰かの死を偲ぶようにひっそりと静まり返っていた。いや、もう尽くところまで尽いた船長の"信用"を偲んでいるのか、皆んな暗い顔をして佇んでいた。

 レーダーが復活したのは本当らしい、他の船員たちも確認したと口々に言っている。しかしそのレーダーは時を置かずして再び沈黙してしまったのだ。


(ドローンを飛ばした事と何か関係してるのかな……)


 誰も何も言わなくなってしまった。降って沸いたような話に飛びつきすぐさま叩き落とされ、胸に蟠る鬱憤を持て余している、そんな風に見えた。

 その吐け口である船長や班長が一番酷い顔付きをしている、言いたい事やそれこそ文句の一つや二つあるだろうが、あれでは何も言えやしない、だから皆んな黙っていた。

 鬱憤と諦観が極度に達し、誰からともなく操舵室を後にしようと──した時だった。


[あー…ユーサ船聞こえていますか?えー…捜索隊です、大丈夫ですか?]


 三度も期待を裏切ってしまったせいか、意気消沈としていた船長が息を吹き返した。

 というか、この声聞き覚えが...


「き、聞こている!聞こえているぞ!こっちの位置が分かるのか?!」


[あ、はい!ちらっとレーダーに反映された時にある程度位置は特定していますので!──あ!出来ればそこから動かないようにして下さい!]


「ああ!分かったさ!」


 死んでいた空間が温かい陽の光りに照らされたように復活し、そして──また急速に沈んでいった。


[もうすぐその海域にとううううううううちゃああああああくううううう───…………]


 プツンと、通信が切れた。


「………何だ今の声は……間延びしたような……故障か?」


 変な喋り方をしたかと思えば通信機もダウン、誰かが言ったように無理やり引き伸ばしたかのような声だった。

 騒つく操舵室、本当に私たちは助かるのかと誰もが疑問に思い始めた。


(今の声ってやっぱりナディっぽかったけど気のせいだよね……?幻聴……?)


 船員が通信を試みているが駄目らしい、うんともすんとも言わなくなった。

 さらに、私たちの不安を形にして見せつけるように海に異変が起こった。その異変を見つけたのは船長だった。


「──エンジン始動!急げ急げ!」


「何言ってんですか!捜索隊が動くなと言っていたでしょう!」


「あれ見てもまだ同じ事が言えんのか!俺にはお前らを無事に陸へ届ける責任があるんだよ!」


 他の先輩社員もそれを見つけたようだ、生憎私の位置からでは外が窺えない。


「──馬だ!鎧を着た馬がこっちに走ってくるぞ!」


 私の近くで誰かが鼻で笑い、ついに頭がおかしくなったのかと馬鹿にしている。

 だが、幻覚ではなかったようだ。慌ただしくなった操舵室が、というより船が何かにぶつかられて大きく揺れてしまったのだ。


「──急げ急げ急げよ!──もう意味が分からない!何が何でも絶対陸に帰ってやるからな!」


 皆んなからの信用が底を尽きかけたとは言え、やはり歴戦の船乗りは堂に入っていた。パニックになった皆んなに流されることなくしっかりとその役目をこなしていた。

 緊急始動した船が進み始めた途端だった、一旦外に駆けて行った人が顔面を蒼白にして再び戻ってきた。その人から告げられる内容が吉報であるはずがなく、坂道を転げ落ちるように私たちの状況が悪化していることを思い知らされた。


「──船に張り付いた!どうなっているんだあれ!船長!船に張り付かれたぞ!」

 

 何が、とは言わない。でも、言わなくても分かってしまった。

 船長が通信機のスイッチを入れた。


「聞こえているか管制室!攻撃を受けた!救援に来てくれた飛行隊はまだか?!」


 何を馬鹿な...さっき途切れたばかりだというのに...けれど不思議な事に通信は繋がっていた。


[聞こえていますよ!具体的に報告してください!]


(どうして繋がるの?近くにいるはずの飛行隊とは連絡が途絶えたのに……)


「馬だよ馬!一二頭の馬だ!それから武装して変な馬車を引きずっている馬もいた!そいつらに攻撃を受けたんだ!飛行隊の嬢ちゃんにはこの場を離れるなと言われたが──?!」


 まただ、また強い衝撃が船を襲った。そして薄らとだが、金属が擦れるような音も耳に届き始めた。


[離れてください!あとはこっちで何とかしますから!今はとにかく安全を優先して動いてください!]


 ずんずんと船のスピードが上がっていく、見えない恐怖と自身の不安から逃れるように。

 ──しかし。


「──っ!」


 操舵室前の階段が異様な音を立て始めた、まるで一〇トンの重りが直接上っているような、そんな音、今にも壊れてしまいそう。

 操舵室に残った皆んなが固まった、磨りガラスの向こうに頭が見切れる程に高い巨人が映ったからだ。何人かは狂ったように足を動かし逃げていった。操舵室から船内に続く内階段を下りていくが途中で足を滑らせたのか、酷い滑落の音も耳に届いた。

 それでも私は視線を階段に向けることなく、今にも破られそうな扉を注視した。耳障りな金属音と共に操舵室の錆び付いたドアノブがゆっくりと回る、そして入ってきたのはナディだった。


「──は?」

 

 思わず口に出る、言葉を発しても目に映る現実は何も変わらず、操舵室の出入り口にはナディが立っていた。


「…………」


 ──本物なの?いやでも、確かにあの姿はナディだ...けど、さっきまで見えていたあの巨人は?耳障りな金属音は?

 ()()()()()()()()()()()()()


「ナ──「……ユーリ、こんな所に来たら駄目じゃないか」


 ナディのはずなのに、ナディではない名前を口にした船長が柔和な笑みを浮かべて一歩前に歩き出した。その肝心のナディは──。


「……っ」


 じっと私のことを見つめていた、船長のことなどまるで見ていない。

 "異常がまだ続いている"と認識した途端金縛りが解け、船長に向かって声をかけようとした。けど、ナディに似たナディではない者が薄らと口を開いたのでまた目を奪われてしまった。


「………………」


「……何?」


 聞き取れそうで聞き取れない、そのもどかしさからつい尋ねてしまった。

 そのナディに良く似た誰かは、もうそれは嬉しそうににっこりと、私が独り占めしたかった笑顔を湛えてこう言った。


「………………」

 

 "れがとぅむで待っているよ"と。

 "一緒に来てほしい"と。


 もっともっとナディの声を聞きたかったのに雑音が混じってきた。


 "──じゃあ、有機物と無機物の違いについて分かる奴はいるか?"

 "はいはい!銀色かそれ以外の色か、です!"

 "はーい!固いか柔らかいか、です!"

 "ふせいかーい!正解は環式化合物を有しているか否かです。環式化合物を形成する主な原子は水素と炭素、これらが環状に結合しその物質内に存在すると例外なく有機物となってしまうのです"

 "はいはい!先生は嘘をついています!ペンタゾールという窒素から成り立つ無機環式化合物も存在しています!"

 "残念でしたー!ペンタゾールは氷点下一五分程度で半減期に突入するのでログインには使えません〜〜〜!"

 "先生〜〜〜!早く無接触ログ──"


 賑やかな授業の風景が頭を過った、全員知らない、それなのに頭の中を過っていった。

 頭と目の奥に針で刺されたような痛みが走り、そのお陰で自分も"異常"であったと気付くことができた。

 目の前に立っていたのだ、確かにナディだったはずなのに目の前には身の丈二メートルは優に越すマネキンが。そして頭が無かった、身長が高すぎて見切れていたわけではない、元から頭が無かったのだ。

 私はその首無しマネキンが差し出した手に縋り付いていた。膝を折り頭を垂れて見た目とは裏腹に温かい手を握り締めていた。


「何がどうなって……」


 異常から正常に戻ると鉄の臭いが鼻をついた、周囲に目を向けてみれば──。


「ああっ……」


 目の前に聳え立つマネキンと同じように、頭を無くした人が地面に横たわっていた。赤い血溜まりがいくつも広がっており、瞬時に理解した、このマネキンがやったんだと。

 案の定、私に手を握られていたマネキンがもう片方の手を伸ばして頭を掴んできた。掴まれた頭は痛くないのに喉の奥と背骨が急激に痛み始め、視点が一気に高くなった──。

 

「──しっかりして!!」


 自分も首を抜かれたのかと思った、だって見上げる程に高いマネキンが目の前で頽れているのだから。けれど違った。

 その人はパイロットスーツに身を包み──覗いている肌は黒くて──。


「──ナディ……?」


「──っ!──ヨトゥルっ!そっちに行ったわ!処理して!」


 それを合図に昼間でも眩しい光りが磨りガラスの向こうで発生した、そして金属の塊が階段から転げ落ちる音。

 頭も痛い、意識もまだはっきりとしていない、けれど助けられた事だけは理解できた。


「ごめん…あんなに酷いことしたのに…」


 ナディが何かを言いたそうにして口をつぐみ、床にへばりついていた私をぐいっと引っ張って立たせた。

 ──違う、この人もナディじゃない、だって私より身長が高いから。


「私の名前はスルーズ!ヴァルキュリアが一番機のパイロット!良く覚えておいて!」



✳︎



 覚えているのは親父の大きな手と、その時に食べていたアイスクリームの甘さだった。

 親父は昔から航空マニアで良く基地祭にも顔を出していた、小さかった頃の私とアカネを連れて一度だけ参加した事もある。

 気持ち良さそう、それが私の第一印象。

 離陸する時の爆音に驚き落としてしまったアイスクリームの恨みも忘れるほど、四つの飛行機が並んで飛ぶ姿はとても気持ち良さそうだった。

 良いな、と思った。私もあんな風に空を飛んでみたい、と思った。

 昔から私はアカネと違って単純だと言われていた、自分でもそう思う。けれど、参加した基地祭で感銘を受けた事がきっかけとなって私はパイロットを目指すようになった。

 小さな頃に見たあの景色、抜けるように青い空を生きているように飛び回る四つの小さな点、白い線を残して雲の中に突入して──。

 ──そして今、私がその視点で雲の中へ突っ込んでいく。涙が出る程に爽快だった、気持ち良いったらない。


「──っ!」


 いや気持ち良くない!想像以上に機体が揺れてコントロールするのが難しかった。

 ナディの機体だけ人型、私たちは皆んな翼型だ、だから何だという話だが隊長機だけは真っ直ぐ飛んでいるように見える。形態が違うと空気抵抗にも変化があるのだろうか?

 回避するのが面倒だからと直進を選択した隊長にぼやいた。


「今度からは迂回してくれ!機体の揺れが凄いんだよ!」


[あ、そう?了解]


 何て緊張感の無い...本当に訓練を受けていなかったのか、あいつ。

 隊長機が先に雲を抜け、その跡に私たちが続いた──。


「──へえ………」

 

 船がいたポイントへ斜めに機首を向けながら降下していく、他班の機体が一面青い海を舐めるようにして進んでいく姿が目に入り飛行中なのに思わず視線を奪われてしまった。 

 ほのかに甘い味が口の中で再現された時、他班から通信が入った。


[ウォーカーさん!いませんよ!どこにも船が無い!]


[計算合ってるよね?]


[あ、合ってます!ここで合っているはずですよ!]


[何かあった……?船を移動させなくてはならない理由──あ!]


 ナディが何かに気付き、他の候補生も気付いた。


[──馬!]

[馬だ!馬が現れたんだ!]


 初めて聞かされた時は心底馬鹿ばかしいと思ったけど、こうして空の中でそれを聞くとあたかも真実のように思えてくるから不思議だ。


「馬が現れたから何だってんだ!逃げる必要がある?!」


[襲われた……とか?ちょっと待って管制室に連絡──できるかなあ?さっきも変な風に切れてしまったし]


 その会話は私も聞いていた、声を無理やり引き伸ばしたように、何のホラゲだよと思える程に嫌な切れ方をしていた。

 離陸前は変に肩肘張っておかしかったのに、すっかり板についたナディが他班も含めて指示を出していた。


[えー…それぞれ三機編成に分かれて周囲の捜索をお願いします、そう遠くに行ってないはずだからすぐ見つかると思います、私は管制室に連絡を取ってみますので]


 六機編成三班計一八機がそれぞれに分かれて散っていく。比較的に高い高度にいたのでその様子を眺めることができた。


(良いな…)


 私たちは候補生、それでも現役のパイロットたちに引けを取らない一糸乱れぬその動きは惚れ惚れして、そして格好良かった。

 ちょっと見惚れ過ぎていたかもしれない、私の跡に続くことになった他の二機から文句が飛んできた。


[おら!さっさと行けよ!お前この日の為に今日まで訓練頑張ってたんだろ!友達も作らず!]

[作らないんじゃなくて作れなかったんでしょ?]

「うるさいっ!」

[操縦の腕に友達の数は関係ないもんな、お前のそういう一匹狼な所、好きだぜ]

[初めて出来た友達が特別候補生って……]

「うるさいうるさいっ!」


 二人もテンションが高い。高いよね?あまり喋ったことがない二人なので良く分からない。

 散り散りになって船を探す、必然的に高度を落として海面をなぞるようにして飛んでいく。──いくら三機編成六班に変えたところで、この広過ぎる海から船の一隻を見つけられるのだろうか?肝心のナディ隊長はオープンチャンネルも切らずに呼びかけている声を垂れ流しにし続けている。

 後方を追従していた一人の候補生が─名前なんか覚えていない!─「少しぐらいなら良いだろう」と必要の無い呟きを漏らし、先導役の私を追い抜いた。


「おい!何やってんだ!」


[今しかできないから今やるんだよ!]


 基地の上空を飛ぶ時は必ず教官が付いて回る、お目付役がいなくなったのを理由に好き勝手したいのだろう。

 追い抜いた機体がぐんとスピードを上げ、そのモーメントを利用してズーム上昇に切り替えた。乗っていたスピードを重力を振り切るために使っている、速度が落ちることなく上へ上へ──その異物も跡に付いていくのが見えた。


「何だあれっ?!今の見た?!」


[見た!黒い塊だった!何あれ!]


 なおも上昇を続けている機体の跡には、もやがかかったような黒い塊みたいな物が付いていた。


[おい!何かに付かれているぞ!]


[──え?──ええっ?!何じゃこりゃっ!!]


 慌てたパイロットが慌てて機首を水平に戻し、それがいけなかったのかぐんと速度が落ちた。追従していた黒い塊は速度そのまま、遥か上空で機体と衝突してしまった。


「──無事かっ?!」


[………な、何ともないみたい……こんこんとビー玉みたいなのが当たったような……?]


 ここからでは良く確認できないが、確かに機体は空を飛び続けている。

 隊長役であるナディに一応報告を、それがいけなかった。


[何考えてるのっ!!誰がアクロバット飛行しろって言ったのさっ!!]


「わ、悪い……」


 こいつほんとに経験者じゃないのか?その怒鳴り声はなかなか堂に入っていたから不覚にも肝を冷やしてしまった。


[シズクは副隊長でしょうが!勝手な真似をしたら怒らないと駄目でしょ!墜落していたらどうするつもりだったの?!今みたいに謝って済むと思ってたのっ?!]


「いやほんと悪い…悪かったよ」


 知らない相手だ、私は今日までパイロットとしての腕を磨くため脇目も振らずに頑張ってきた。けど、だからと言って目の前で他人に死なれるのが平気なわけじゃない。墜落した所を想像してしまい、申し訳なさが頭からお尻へと突き抜けていった。

 そして、この状況を預かっている責任者が無慈悲な命令を下した。


[シズクたちの班は帰投してください!いいですね!]


 迷惑をかけた奴とかけられた奴が揃って「ええ?!」と声を上げた、だが私は不思議にもホッとしてしまった。


[まだ飛べるから大丈夫だよ!な?!そんなカタいこと言うなよ!]


[大丈夫なうちに基地に戻るんです!問題が起こってからでは遅いんです!]


[いやそりゃそうだけど──]


 良くゴネられるな。

 しかし、ナディの命令が実行されることはなかった、別の班からも同様の報告が上がり始めたからだ。


[これどうすればいいの?!ぴったりくっついてくるんだけど?!]

[──なっ?!急にレーダーがっ!何で何で?!これじゃ位置が分からないっ!]

[──っ?!危ないだろうが!!もっと周りを見ろ!]

[見れるか!!]


 阿鼻叫喚だ、お調子者のあいつが引き受けてくれたお陰で私たちは難を逃れられている。

 それにだ、どうやらレーダーの故障はあの黒い塊のせいらしい。各班が狭い空域で、相手がいないドッグファイトを繰り広げているせいでしっちゃかめっちゃかになっていた。どの塊がどの班を追いかけているのかまるで分からない。


(追いかけているんじゃなくて……引っ張られている……?)


 そう、例えば磁石のように──その時だった。

 雨雲なんかありやしない空に一筋の雷が落ちた。カッ!と弾けたように落雷し、視界が真っ白になった。


[──全機報告!無事なら点呼して!]


 雷のように鋭いナディの指示の後、幸いにも全機から返答があった。そして、今まで沈黙を続けていた管制室との通信が復活した。


[──っ?!──急に直った!こちらデリバリー!捜索隊報告せよ!繰り返す!こちらデリバリー!状況を報告せよ!]


 ナディが「もう訳が分からない!」と吠えた後、報告に移っていた。

 機体を付いて回る黒い塊、そして現象不明の落雷、さらに唐突に復活した遠距離通信。


「…………磁界?この空域は磁界が発生しているのか?」



✳︎



「あるいは電場、もしくはその両方が組み合わさった電磁場がレーダーと通信に影響を与えていると思われます。私は生憎と工学系ではないのでそれ以上の事は語れませんが…」


 作戦室に呼ばれたハフマン先生がそう答えた。

 ナディからの報告を受けて私も概ねは同じ解答に至っていた。

 しかしと、デリバリーを任された士官が反論していた。


「通信は今まで可能だったんです。確かについ先程まで使えませんでしたが……これは一体どういう事なのですか?レーダーと通信に影響を及ぼすような強い電磁場が生成されているのなら、もっと広い範囲で不具合が起こっていそうな気もするのですが」


 突然呼び出しを受けて借りてきた猫のように大人しかったハフマン先生が、ぴぴんと眉を動かして話し始めた。まさしく先生が考えていたあの推論をお披露目する時がやってきたのだ。


「それは一重にシルキーでしょう!今回の事象をコールダー君から教えてもらった時は雷が頭に落ちて来ましたよ!「先生大丈夫ですか?」─ただの例えだよ!……おっほん。私が思うにシルキーは静電気力によって滞空しているものと考える。互いが互いに引っ張りそして反発し合って宙を浮いているわけだね。そのシルキーが磁場の影響を受けて時計回りに移動を続けている、だから通信が出来たり出来なかったりしたわけだよ!」


 どうだ!とアピールしている。

 また、士官が反論した。


「クーロンの法則の話ですか?それでしたらどうやって上方向に引っ張られていると言うのですか。あなたのその話は滞空の条件を満たしているだけで、例えるなら機体が離陸する時のジェットエンジンが抜け落ちています」


 その指摘は今必要なのかと疑問に思うが士官の目は至って真剣だった。

 対するハフマン先生は、


「そ、空にもノヴァウイルスがあった──とか?」


 駄目だこの人。

 容赦ない士官がさらに指摘した。


「それに磁場というものは電流が流れた時に発生するものですよ。そうなると──」


 士官から工学系の教授に見え始めた所でその人がぴたりと動きを止めてしまった。


「──管制塔だ、ここだ、ここが中心になっているんだ……」


 「静電気力だ!」と言った本人が心底馬鹿にしたように「はあ?」と口を開けていた。


「それが本当なら私たちは今頃感電死しているじゃないか。あのね〜いくら私の推論が馬鹿ばかしいからと言ってそれはないんじゃない?」


 ピンと来た私は士官に尋ねた。


「──もしかして管制室の電気室は地上ですか?」


「その通り!」電気室って何?」


「電気室は施設の電力を賄う場所の事ですよ。他にも分電盤だったり色々な設備が格納されていたりします。つまり、この塔そのものに磁場が形成されていることになります」


「その磁場の影響を受けたシルキーがこの空域に集まってきたという事か!」


 急に生き生きとしだした士官がだっと駆け出し、飛行場の誘導を管理しているモニターにかじり付いた。


「レーダーではなく赤外線センサーを使ってくれ!もしかしたらまだ周囲に漂っているかもしれない!」


「捉えられるのかい?」


 その跡を付いて行ったハフマン先生が士官に尋ねている。


「レーダー波と赤外線では周波数が違うし波長も違う!もしかしたら影響を受けないかもしれない!」


 だったら始めから試しておけよとハフマン先生が毒を吐いた。それでも士官は気にした風でもなく、赤外線センサーに切り替えたモニターを食いるように見つめていた。

 結果は──。


「映ったぞ!そら見たことか!」


「──ええ?!………どうやって見るのこれ」


「ほら!これが雲でこの赤いむらのような物がそれだ!私の考えが正しければシルキーは左回りに移動しているはずだ!」


 もう先生と生徒にしか見えない二人。教えてもらったのにハフマン先生がまた馬鹿にしたようにふふんと鼻を鳴らしていた。


「あのね〜民俗学を専攻している私でも磁界の向きは右回りだっていう事ぐらいは知っているんだよ?──逆じゃないか!」


 ダウト!みたいな感じで指まで差して指摘した。さすがに見ていられなかったのでサムズアップした右手を見せながら先生を呼んだ。


「ハフマン先生、私と同じように右手の親指を立ててください」


「──ん?……こうかい?」


「そうです。親指の向きは電流が流れる向きを表しています、そして他の指は磁界の向きを表しています。指が曲がっているのは右ですか?それとも左ですか?」


「馬鹿にしちゃいけないよ、これでも私は大学で教鞭を取っているん──ああ左だ!──そうか!地上の電気室から送られた電力が管制室に向かっているからこの法則が適用されるのか!──君!賢いね〜!」


 何だかんだと二人が仲良くなりつつあるが、ようやく私たちは起こった問題の一端を紐解いただけである。というより、私は解明する事よりも解決したい、そうでないと出動しているナディが可哀想だ。

 だが、ハフマン先生の読みは概ね当たっていたという事である。滞空しているシルキーの群れは管制室を中心として左回りに移動を続け、船舶からの通信やこちらからのレーダー波をシャットアウトしていた事になる。


(シルキーの表面にそういった性質があるという事……?それなら今から出るガーランド大将も補足できないのでは……?)


 そんな折、滑走路に黒くてデカい豆のような機体が待機状態に入った。おそらく、シルキー群の中にいるので通信も問題無く行なえた。

 少しはクールダウンしたらしい大将が管制官に言葉を返していた。


[ガルー・ガーランド、出る]


 たったのそれだけ。本当に大丈夫なの?

 グレートビーンズの排気ノズルから極太の炎が噴き出し、やっぱり空のパイロットは変人が多いと思ってしまった。


[──あの跳ねっ返りの鼻っ柱を叩き折ってくる!]


 まるでミサイルのように発進したグレートビーンズが地上にも飛行機雲を残しながら空へと飛び立った。



✳︎



 突如として、あるいは水面下から忍びよるようにして襲いかかってきた正体不明のマネキンから救ってくれたのは、ヴァルキュリアという部隊の人たちらしい。

 ヨトゥルという眼光が鋭い人に指示を出しているのがスルーズという人だ、どうして私たちを助けてくれたのか。


(空軍にあんな部隊は無い、つまり……)


 カウネナナイの人たちだ。しかも、その二人は今、殺されてしまった人たちの遺体を回収してくれている。無事だった私たちは魚猟船から工船に移動し、船内にある食堂で待機していた。

 こっちも似たようなものだった、甲板から船内に移動している間にも血の跡があったし、集められた人の中には茫然自失としている人もいた。凄惨という言葉が当てはまる、そんな場所に様変わりしていた。

 

(環境ってこんな一瞬で変わるものなんだ…)


 私も似たようなものだ、マネキンに引き抜かれようとしていた首の付け根の痛みを感じながら取り留めの無い事ばかり考えている。

 食堂にあの二人が戻ってきた。スルーズと名乗った人が良く通る声でこう言った。


「怪我をしている人はいませんか?簡単な手当てならこちらで出来ますので教えてください」


 言葉が余韻を残しながら食堂に消えていった、皆んなじっとして動くことはおろか喋ろうとすらしなかった。

 こういった場には慣れているのか、皆んなから無視されても気にした風でもなくスルーズという人が食堂内を歩き始めた。一人一人をじっくりと観察し、こっちの船で働いていた女性に声をかけていた。


「その怪我は痛みますか?痛みが我慢できないのなら─「あなたたちはカウネナナイの人よね?」


 鋭い声は余韻すら残さず皆んなの耳に飛び込んだ。


「……そうですが、今はそんな事よりもあなたの怪我を「──触らないでっ!さっきのマネキンのような機械だってあなたたちの物なんでしょ!だからこの船にやって来たんでしょ!」


 女性の指摘はおそらく、誰もが考えた事だ、私もそうだ。どうしてカウネナナイの軍隊がこんな所にいるのか、それもあのマネキンが襲ってきたのと同じタイミングで船に現れた。さっきのマネキンのような物はカウネナナイが使っている軍事兵器で、何らかの理由で制御できなくなって...それで私たちに被害が出ないように...


(どっちにしたって助けてくれた事には変わりはない)


 不思議と足に力が宿った。

 女性はヴァルキュリアの人に文句を言い続けている、それを皆んなが黙って眺めていた。誰も止めようとしないし誰も加勢しようとしない、もしかしたら文句を言っている人も自覚はあるのかもしれない。

 ヴァルキュリアの人たちは何も悪くない、と。


「その辺にしておきなよ」


 声も不思議と良く出てくれた、案外私は平気かもしれなかった。

 文句を言い続けていた女性の目から決壊したように涙が流れ始め、それでも口を開いたが肝心の言葉が何も出てこなかった。隣に座っていた人に優しく肩を抱かれ、後は泣き崩れてしまった。

 改めてスルーズという人を真近で見てみた。今となってはどうしてこの人をナディと見間違えたのか分からない、身長だって違うし髪型も違う、瞳は黄金色で少し切れ長だ、猫目に近いかもしれない。

 スルーズという人がすっと私に視線を合わせてきた、圧迫感もなければ存在感が無いという事もない。あれだけ罵倒されていたのに怒りを宿すことなく、川のせせらぎのように澄んでいた。


「君はもう大丈夫なの?」


「うん、私はもう平気。さっきは助けてくれてありがとう」


 タメ口でいいのかな。でもまあ、相手もタメ口なんだし。

 お礼を伝えたはずなのにスルーズがふっと視線を逸らした、その様子はさすがに気になったので声をかけた。


「……どうかしたの?」


「……ちょっといい?外に出て」


 小声でそう促され、色んな人の視線を感じながらもスルーズたちの背中を追いかけた。



 スルーズたちに連れて行かれた場所は食堂を出てすぐ、甲板の出入り口前である。真っ直ぐ行けば加工場があって後ろに行けば悲惨な状態になっている操舵室へ行くことができる。

 周囲に誰もいない事を確認してからスルーズが口を開いた。


「どうしてこんな所にいるの?」


「こんな所……?それはどういう意味?」


 ああそうかと、答えが返ってくる前から思い至った。

 ここはカウネナナイの海だ。


「レーダーは?もしかして使えない?」


「そう、ちっこい玉のせいなのか…良く分かってないけど一ヶ月前からレーダーが使えなくなって、それでずっと困ってたんだ。ここはカウネナナイなんだよね?」


「そうよ、だからこうして確認しに来たの。こんな状況であれこれと訊くのは気が引けるけど、私たちに色々と教えてくれない?もしかしたらあなたたちの助けになれるかもしれない」


「どうしてそこまでするの?さっきので十分だよ」


 純粋な疑問だった。何故、他国の人間を助けるのかと。

 意外な返答が返ってきたのでどう反応すれば良いのか、こっちも困ってしまった。


「人としての矜持を保ちたかったから、だから気持ち悪い人形に襲われているあなたたちを助けたのよ。この介入はヴァルキュリアの総意じゃない、私の独断よ」


「……………」


 さらにどうして?と、尋ねるべきか悩んだが結局口を閉ざした。何故、人としての矜持を保たなければならなかったのか、一般人である私が訊いても分かりはしないだろう。

 どうやって帰るのか訊かれたので遠慮なく答えた。


「捜索隊がこっちに向かっているはず、その人たちと合流出来ればあとは陸まで戻れる……はず、なんだけど……」


「レーダーが使えないのに?──ヨトゥル、さっきの落雷と何か関係していると思う?」


「落雷?何それ」


 鋭いのは眼光だけで声音は()()に優しかったヨトゥルという人が教えてくれた。


「この海域に到着する前、大きな放電現象を確認しました。一般的に雷と呼ばれるものなのですが、その発生が些か不可解でして…」


「……もしかして、雲もないのにいきなり起こった……とか?」


「そうよ。そしてあなたの言うちっこい玉のような物とレーダーの故障、関係性を疑うべきね」


「しかしながらスルーズ様、アキナミ様の言う通りこれ以上の介入は難しいかと。ウルフラグ空軍と接触してしまう恐れがあります」


(アキナミ様て……様付けする人って実在してるんだな……)


 確かカウネナナイって貴族制度が残ってるんだっけ。もしかしたらこの二人は主従の関係にあるのかもしれない、歳は似ているのに。ヨトゥルが従者で、スルーズが主?いかにもっぽい。


「それを言うなら彼女たちは既に領海を超えているわけで……うう〜ん」


「危機を救えただけでも介入した甲斐があったと私は思います。これ以上の事は彼女たちの国家が解決すべき問題です」


「──分かりました、あなたの言葉を聞き入れましょう」


 スルーズがすんなりと引き下がり、相貌を崩して私にお礼を言ってきた。


「さっきはありがとう、私の事を庇ってくれて」


「いや別に。きっとあの人も分かっていた事だと思うよ、スルーズたちは何も悪くないって。でも、止められなかったんだと思う」


「……そうね、戦場は理不尽な事で溢れかえっているから。──ああ、いや、うん……あのね?その、これはプライベートな事だから答えたくないのならそれで良いんだけど…」


「そんな言い方をされて答えない人がいると思う?何でも言って」


「──ナディとは友達なの?もしくは知り合いだったりする?」


 その名前が出てくるとは思わなかったので少しだけ驚いた。スルーズは真剣な目でこちらを見ている。


「ナディって……ナディ・ウォーカー、だよね?」


「そう、さっきその名前で私を呼んだよね?もしかしたら知り合いなのかと思って」


「うん、セレンから引っ越してきた後に仲良くなったよ。それで二人して同じ会社にも就職して、まあ、向こうはもう辞めちゃっているんだけど。スルーズも知り合いなの?」


「え?まあ…うん……」


 ──あれ、ちょっと待てよ...確か前にライラからフレアの本当のお姉ちゃんがどうのこうのって...


「……ねえ、もしかしてフレアって妹がいたりする?」


「──っ!フレアも知ってるの?!」


 やっぱりそうだ、この人がフレアの本当のお姉ちゃんなんだ。


「うん知ってるよ、ナディと全然似てなくて元気の塊みたいな女の子。昔は良く一緒に遊んでたよ。ねえ、さっきも訊くか訊くまいか悩んだけど、何があったの?人としての矜持を保ちたいってなかなか出てこない言葉だと思うんだけど」


「──それは……」


 ずっと後ろに控えていたヨトゥルが私たちの間にすっと入ってきた。


「アキナミ様、これ以上はお止めになってください」


「それはどうして?」


「機密事項だからです。私たちが戦乙女になった経緯は誰人にも開示されてはならないのです」


「今さらじゃない?スルーズはナディとフレアの事を知りたがっているんだよ?助けてくれたお礼にそれぐらい教えてあげてもいいじゃんか」


「アキナミ様」


 出入り口の外から鈴が鳴ったような軽やかな音が聞こえてきた。ヨトゥルが使役している機械人形だ、マネキンよりいくらかマシだが似たり寄ったりの"恐怖"はあった。

 脅しだとすぐに気付いた。


「一般人相手にこんな真似して平気なの?案外あれかもね、食堂にいた皆んなはスルーズじゃなくてヨトゥルに怯えていたのかもしれないね」


「………?」


 何その反応。──出入り口の扉の前に立っていたのは二人、私は少しだけ離れていた、だから扉が外からひしゃげるようにして開いたのが良く目に入った。


「──っ?!」


 違う!この人の機械人形じゃない!さっきのマネキンだ!

 咄嗟に飛び出して二人を突き飛ばし、私も同じように横からとんでもない力で弾き飛ばされてしまった。今度は真逆、壁に叩きつけられて意識も飛びかけた。


「──トゥル!──く!」

「──ルーズ様はお早く──」


 色んな人が汚した床が目の前にあり、すぐにマネキンも私と同じように倒れ伏していた。

 腕を掴まれぐいと引っ張り上げられる、激痛が体のあちこちに走りとてもじゃないが歩けそうになかった。それでもスルーズは手を離さず、無理やり私を外へ連れ出した。

 痛みで視界がくらむ、音もちゃんと聞こえない、それでも遠くの空からこっちに何かが飛んでくるのが見えた。冷たい潮風に吹かれて少しは落ち着いた、その何かはきっちりと列を作って飛んでいる戦闘機だった。


「やっとこっちに……」


「もう遅い!」


 何が──と、言いかけて言うのを止めた。確かに捜索隊の到着は少し遅かったようだ。船の至る所にあのマネキンがわらわらと、工船だけでなく魚猟船にも群がっていた。

 それだけじゃない、遠くの海からまた奴らが現れた。災いを運んできたあの馬たちだ。


「す、スルーズ、あっちの方に馬が……」


「分かってるから!あなたは喋らないで!」


 スルーズが手にしたハンドガンでマネキンども撃ち倒していく。開けた道を無理やり進み船の前方へ歩みを進めている。


「領海線上で強い電磁波を放つ物体を感知したからこうして調べに来たけど!まさかこいつらがそうなのっ?!」


「……電磁波?」


「最初は機人軍の戦艦かと思ったけど……乗って!」


 乗ってって...甲板には何も無い、使われなくなって放置されている竿ぐらいしか...いや、手すりの向こうに何かが浮いていた。それは白過ぎるほどに白い戦闘機だった、太陽の光りを受けてキラキラと輝いていた。

 手すりの一箇所にカラビナが付けられている、どうやらロープを使って乗船したらしい。


「乗れって言われても……ヨトゥルは?それに他の皆んなは?」


「あの子なら大丈夫!それよりも私たちよ!早くしないと──」


 言ってるそばからまたあの鈴のような音が耳に届いてきた。一体何処に隠れたいたのか、何処からやって来たのか分からない程沢山のマネキンが船をよじ登ってきた。早くしないと確かに私たちも危ない、でもこんな体でロープ伝いに下りるのは...

 一体のマネキンが白い機体に組み付いた、その瞬間一人でにエンジンがかかりふわりと宙を漂った。


「自律してるの……?」


「君って意外と元気だね!そんな感想は良いから早く!」


 ぐいぐいと押しやられ手すりのすぐ先に付けられた戦闘機の翼に足を乗せた、意外としっかりしている。

 四つん這いになってコクピットへ、そんなに広くはないなと思った矢先お尻を蹴られてしまった。


「──あいたっ!優しくしてよ!」


 そのまま転げ落ちてまた体を打ってしまった、抗議の声を上げてもスルーズは反応してくれない、代わりにマネキンどもがコクピットの中に手を伸ばしてきた。


「ちょっと貸してっ」


「あ、こらっ──」


 腰のホルスターからハンドガンを頂戴して手を伸ばしいるマネキンの胴体あたりを一発だけ撃った。さっきスルーズはいとも簡単にトリガーを引いていたので簡単に扱えるのだろうと踏んでいたがまたしても外れてしまった。ビリビリと腕から肩まで痛んだ、凄い衝撃だった。

 でも、撃ったお陰でマネキンがもんどりを打ってコクピットの外へ、スルーズが扉をすぐに閉めてくれたので何とか侵入を防ぐことができた。


「次勝手に使ったら怒るからね!」


「私のお陰じゃんか!」


 何気初めて乗る戦闘機、激しく揺られることもなくふわりと空へ──高度が上がるにつれて船の全容を見下ろすことができた。

 あちこちだ、本当にあちらこちらにマネキンが群がっている、その殆どが海から姿を現して船体へしがみ付きよじ登っていた。


「あれ?馬は何処に行ったの?」


 そうだ、あの馬は一体...馬と関係がない...?じゃああのマネキンは...

 スルーズの前に設置されている滑らかな菱形をしたモニターから声が届いた、船内に残ったヨトゥルからだ。どうやら向こうは食堂から移動して魚倉に避難したらしい、今日の今日まで私たちの腹の肥やしになったので空っぽに近い、水も抜いてあるからちょうど良い避難場所になったようだ。


「そんな所にいて大丈夫なの?!密閉空間なんでしょ?!」


「だ、大丈夫!釣った魚を生かすために酸素を送れるから窒息なんかしないよ!ちょっと生臭いかもしれないけど……」


 そして、お次の声は男性だ、それも威厳もたっぷりの。


[ウルフラグ空軍、将を務めるガルー・ガーランド。ようこそ戦乙女、我らの海へ]


「何がっ──この状況を見てもそんな事しか言えないのですか?!」


[混乱に乗じて襲っているように見えるな。違うのなら早々にこの空域から立ち去るがいい]


 スルーズじゃなくてもその物言いには思う所がある、だから私もコクピットの背もたれから身を乗り出して口を大きく開いた──。



✳︎



[ふざけるなっ!]

[誰のお陰で助かったと思ってるのっ!]

[喧嘩しに来たんなら今すぐ帰れっ!]


 三者三様の罵倒がスピーカーから流れてるきた。いやというかその一人は確実にウォーカーだ!

 文句を言いたいがぐっと堪える、()()()()()()で機体を制御しているため集中力を切らすわけにはいかなかった。

 徐々に高度を上げていくヴァルキュリアの白い機体、名はスルーズ、奇しくも三度目の邂逅を果たしてしまった。俺ではないが。

 

(ウォーカーの跡を追って、というわけではなさそうだ。それに……あれは何だ?)


 まるで蟻のように首無し人形が船に群がっていた、中に乗っている民間人が無事なのかここからでは分からない。文句を言った相手に尋ねるしかなかった。


「状況は?あの首無し人形は何処から現れた?」


 返答したのはスルーズではない、後ろからだった。


[は?それが物を教えてもらう態度ですか?先に言う事があるでしょ!どう見たってマ──スルーズが助けに入ってくれたんでしょ?!]


「お前──」


[そんなダサい所を見せつけるために私たちを連れて来たんなら今すぐ基地に帰らせてください!黒い塊だってまだまだいるんですから!]


 フィンガーレバーから指が離れてしまった、あまりの怒りに。そのせいで機体のバランスが崩れてしまった。

 機体を立て直している間にスルーズ機から別の人間が発言した、どうやら人を乗せているようだった。


[ナディ!その黒い塊ってどんな奴だった?!肉眼で見た?!]


[──え?この声って……アキナミ?!アキナミも乗ってるの?!]


[そう!スルーズに助けてもらった!船の人たちもヨトゥルって人が付いているから大丈夫だと思う!それよりその黒い塊について教えて!もしかしたらそいつらのせいかもしれない!]


[ちゃんと見たわけじゃないけど……候補生の一人がその黒い塊に追いかけられてたよ!]


[──ん?候補生?え、ちょっと待って……]


 スピーカーからぶつぶつと声が聞こえる、どうやらモニターに表示されている発言者の見方を教えてもらっているようだ。


[待って!ナディってガーランドっていう人と一緒じゃないの?!個別で発言してるって……機体に乗ってるの?!]


[そうだよ!言ってなかったっけ?]


[聞いてないよ!メッセぐらい飛ばしてくれても良いじゃん!いつの間にパイロットになったのさ!]


[アキナミってメッセ嫌いでしょ?]


[あ──「どうでも良いんだよ!──ヴァルキュリア!とりあえずお前たちには礼を言わせてもらう!後ろの跳ねっ返りがうるさいからなっ![─何だって?!]状況が落ち着くまでその民間人をそちらに預ける!下手な真似はするなよ!」


 一拍置いてから返事があった。


[──良いでしょう。それよりどうされるおつもりですか?上空で待機している機体はどうやら訓練機のようですが、マネキンを排除する方法はあるんですか?]


 無駄に連れて来たわけではない、ウォーカーからの報告でも宙を漂う黒い塊が追従してくる性質は頭に入っていた。


「訓練機には黒い塊を引きつけてもらう!どうやらそいつらがレーダーや通信に影響を与えているようだからな!原理はさっぱりだが!俺とウォーカーの機体で船上の人形ども駆逐する!」


[ええっ?!武装してませんけど?!]


「その手があるだろうが!あんな小さな人形ぐらい鷲掴みにしてみせろ!」


 口に出してはみたが...果たして俺も出来るのか?疑問だ。だがやらねばならない。

 上空で待機していた候補生らが縦横無尽に空を飛び始め、その間に俺とウォーカーの機体で人形の排除にかかった。

 船体に触れるか触れないか、そのぎりぎりを滞空しながら慎重に機体の腕を伸ばす。


「──っ!」


 冷たい汗が流れる、あと少しで操舵室を潰すところだった。何とか複数体をまとめて掴み、そのまま無造作に放ったのがいけなかった。


「っ!!」


 網を引き上げる大型のクレーンに当たってしまった、そこまで強く投げたつもりもなかったのだが支柱が少しだけ歪んでいる。

 (情け無いにも程があるが)ウォーカーの視線が気になったので辺りを見やれば、


「──おい、それは一体どういう事なんだ」


 やらかした失敗も秒で忘れてつい糾弾してしまった、こっちは慎重な操作をしているというのに...まるで半身浴のようにウォーカーの機体が海に沈んでいた。


[え?どうと言われても。元々海の中にいたんですから平気なんでしょ?]


 ノラリスについては何かと不明瞭な所が多い、もしかしたら機体の補助を受けているのかもしれない。というかそうでもなければ服に付いた虫を取るようにぽんぽんと投げられるはずがない。

 

(何て卑怯なっ!──いいや、俺が選んだ道なんだ、今さら僻んだところで……)


 コネクト・ギアなど無くったって──ウォーカーが続けて発言した。


[それと、さっきのちゃんと見てましたよ。きちんとユーサに謝っておいてくださいね]


「……………」


 (情け無いにも程があるが)折良く候補生らから通信が入ったので飛び付いた。


[ハラヤシキです!付近に滞空していた黒い塊を大方引っ張れたので通信を試してください!]


「──良くやった!すぐに試そう!」


[……………]


 無言のウォーカーが怖い。

 上空を見やれば確かに候補生らが遠くへ移動していた、それぞれの班が衝突しない距離で鮮やかに塊を引きつけているようだ。

 その肝心の通信だが──現場の読みは当たっていた。


[──っ!また急に直った!状況報告を!]


「災難だ!今すぐ救助隊を寄越してくれ!」


 手短に起こった事を伝え、救助隊のスクランブルを要請した。

 俺と入れ違いに作戦室へ入ったロザリー・ハフマン助教授から質問があった。


[失礼!ガーランド大将、その黒い塊とやらを肉眼で確認できますか?]


「その必要性は?!喚んでおいて何だが取り込み中でね!」


[レーダーや通信に影響を与えていたその原理を解明したいからです!あなたの優秀な士官のお陰である程度の仮説は整いました、あとはその確認だけなんです!]


 助教授に返事はせず、塊を相手にしている候補生たちに声をかけた。


「お前たちの中で目が良い奴はいるか?!黒い塊を肉眼で確認してほしいそうだ!出来た者は真っ先に連絡しろ!」


 そう発破をかけた途端、編隊飛行をしていた各機が単独飛行に切り替えていた。何事かと一瞬に疑問に思うが、どうやら味方のケツに付いた塊を追いかけているようだった。

 訓練機でありながら実戦のように、さながら歴戦のパイロットのように空を飛び回っている、全一七機が衝突することなく狭い空域で繰り広げているドッグファイトは圧巻だった。

 船に取り付いた人形の排除もあらかた終え、ノラリスがすぐ近くに停泊している別の船に移動を開始した時だった。


[──タドコロです!見えましたよ黒い塊!]


「報告しろ!」


[あー……いくつかの玉に別の玉がくっ付いている感じ?ですかね!]


 さらに別の候補生からも報告が上がった。それにしても良く見えたものだ、パイロットは目が良いのは当たり前なんだが俺に出来るかと言われたら自信が無い。


[原子配列に似ていました!中央の玉が原子核、その周りを電子がくるくると移動している感じです!]


「良くやった!」


 それをそっくりそのまま助教授に報告すると、何故だか喝采が上がった。


[やっぱりそうだ!君の見立ては間違いなかったようだ!──いいかね大将!レーダーや通信に影響を与えていたのは──何だっけ?[退いて!──レーダー波や通信は全てその黒い塊に吸収されていたんです!]


「どうやって吸収するというんだ?」


[いいですか、原子というものは──]


 船にちらほらと残った人形を始末しながら、意外と良く喋る士官の話に耳を傾けた。

 要約するに、原子というものはただじっとしているわけではなく何かしら運動を続けているらしい。原子核の回りに存在している電子もエネルギーを持ったり(励起状態)エネルギーを失ったり(基底状態)を続け、原子核と電子の間でも振動したり回転したりと運動エネルギーを有している。

 さらにレーダー波、それに通信波も同じ"電波"であり、奴らを捉えられた赤外線と違いがあるとすればそれは波長と周波数だった。波長は周期的な波の長さを表し(一つの山から次の山までの長さ)周波数は一秒間に繰り返される波の数の事を言う。

 そして、二つの電波を比較してみやればレーダー波の波長が長く周波数が低い、そして赤外線は波長が短く周波数も高かった。いわゆる"光"に分類されるため原子を模倣した黒い塊もとい、シルキーは赤外線が持つエネルギーを吸収しきれなかった、と士官が締め括った。


「それは良く分かったがなっ!──あれは説明できるのかっ?!」


 ここは戦場に変わりつつある、頭を使う研究者の試験場ではない。話を聞いている間に空模様が一変しつつあった。


[ガーランドさん!あれは何ですか!皆んな大丈夫なんですか?!]


[──何があったんですか!]


「機体同士がくっ付き始めた!連絡も取れん!空を漂っていたシルキーにコントロールを奪われたっ!」


[────っ]


 スピーカーから返ってきたのは絶句だった。

 ついさっきまで飛び回っていたはずの全機が一点に集結しつつある。各機の間はここからでも見て取れる程の黒い線によって結ばれ、士官に説明したように通信も届かず機体が逃げる様子もなかった。

 さらに──。


[どうもールカナウア機人軍の者ですー。軍事演習をするんならもうちょっと南に下ってもらえませんかねーここカウネナナイの領土なんですけどー]


 馬鹿にしたような声で知らない女が割って入ってきた。レーダーを確認すれば六つの光点がこちらに真っ直ぐ向かっていた。


「軍事演習などではない!救出中だ!邪魔をするなら容赦せんぞ!!」


[救出中?救難信号は出ていな──何じゃありゃっ?!思いっきり展開中やんけっ!]


 おかしな喋り方を──別の船で人形を始末していたウォーカーが叫び声を上げた。


[──ああっ?!]


「今度は何だ?!」


[マネキンっ!──マネキンがまた這い上がってきた!]


「っ?!」


 こっちの船でも同じ事が、始末したばかりの人形が再び海の中から現れ船体にしがみついていた。

 さらにさらに最悪な事に魚倉に隠れていたはずの民間人たちが甲板に出始めていたのだ。まだこっちは完了の報せは出していないはずだ、となれば勝手な事をしたのは──。


「──ヴァルキュリアっ!!何故勝手に指示を出したんだっ!!奴らが再び現れたんだぞっ!!」


[そんなっ──ヨトゥルっ!]


「もう遅いっ!!」


 よじ登って甲板に這い上がった人形どもが民間人めがけて走っていく、慌てて船内に戻ろうとしているが──間に合わないと判断しグレードビーンズの腕をその道すがらに叩きつけた。

 船が傾いで見るからに破損した、けれど人形たちの道を絶ったのでいくらかの猶予はできた。猶予ができただけだ、逃げる手立てがない。

 そこへようやくあの男が到着した。


[困っているようだなガーランド、育毛剤を買ってきてやったから上からかけてやろうか?]


「──リーか!遅い!お前は訓練機を何とかしろ!」


 詳しく語らずとも状況を理解したリーのフォルトゥナが集結しつつある訓練機に向かっていった。


[凡その事情はハフマン助教授から聞いている。理屈はさっぱりだが、何、一七機ぐらい一つ一つ剥がしていくさ]


「さっさとしろっ!」


 フォルトゥナの煩悩ブースター(一〇八個あるため)の軌跡を横目に捉えながら、もう一度人形の始末にかかった。別の船にいたノラリスの機体がいなくなっている事に気付き、すぐに何処へ行ったのか理解した。

 海中から幾度なく爆発の飛沫が上がり、時折人形が万歳しながら空へ舞い上がっていた。ウォーカーだ、あいつが独断で海に潜り人形を屠ってくれているのだ。


(それでもだっ──手が足りん!)

 

[あーお困りの様子?手を貸しましょうか?]


 女だ。そういえば私兵部隊の女もいたんだ、立て続けに状況が変わってしまったので分で忘れてしまった。


「誰が借りるか貴様らなどにっ──」


[いやでもヴァルキュリアもご一緒しているんでしょ?手伝いますよ?]


「ヴァルキュリアはカウネナナイから袂を分けた!だが貴様らの手を借りるとややこしく─[言ってる場合かっ!!力を貸してくれるんなら遠慮なく借りろー!!]


 もう誰が文句を言ったのかまるで分からない。


[じゃ、貸しはヴァルキュリアって事でどうです?身内のいざこざは身内で片付けるのが筋ですしね。それでいいかなヴァルキュリアのパイロットさん]


[──良いでしょう、私からあなたに要請したという事にしておきます]


[おっけー!]


「──っ?!」


 確かにカウネナナイの方が技術力は高い、だが、翼型だった機体が稼働中だというのに人型へ形態移行するなど生まれて初めて見た。

 滑らかな動作と鋭いスライド移行であっという間に人型へと変わった女の機体がまず降下し、残りの五機も同様に移行し女の跡に続いた。

 まさか、大将の身であるこの俺がカウネナナイの軍と共闘するなど...しかし背に腹は変えられない。自身と空軍のプライドと民間人の命を天秤にかけられるはずもなく、人形の始末を依頼するが──。


[ん?そんなまどろっこしいやり方じゃなくてこうすれば……]


「あ?!何をっ──何をやっているんだあ!!」


 それぞれ二機と四機に分かれ、船の縁を掴んだかと思えば...


[ああ!それ良い!そのまま持ち上げてください!]


「馬鹿よせっ!中に人が乗っているんだぞ!」


[侵入経路を経たないと意味ないでしょうが!こっちはもう弾切れなんですよ!]


 女の部隊が船を空へと上げていくではないか。海中で人形の処理をしていたウォーカーは良くやったと讃えているがこっちは気が気ではない。見方を変えればカウネナナイに人質を取られた形になってしまう。


(だがこれでようやく……)


 一つの懸念が解消したかと思えばまた新しい問題が起こった。

 訓練機だ。訓練機の対処を行なっていたリーから通信が入った。


[ガーランド、信じてくれるか分からないがいいか?]


「さっさと言え!」


[馬だ、馬がそっちに走って行ったぞ]


「──ああっ?!こんな時にかっ?!」


 何なんだこの海はっ!!それに何だそのテンションは!!どうしてそうクールでいられるんだリー!!

 その馬の集団はちょうど訓練機の真下辺りから、言った通りこちらに向かって海の上を走っていた。馬の後方には鎧を着た馬と変わった馬車、あれが古代の戦車なのだろう。

 

[それと悪い報告もある。この黒い線だがなかなか斬れん。いや簡単に斬れるがすぐに回復してしまう、どうする?]


「どうもせんわ!何が何でも引き剥がせっ!」


 走ってきた馬がこちらに到着する寸前だった。何から手を付ければ良いのか困惑している間に人形が群がっている嫌な海面に馬がそのまま突っ込んでいった。


「──ん?」


 弾ける、文字通り馬が粒子を散らしながら弾けた。弾けた後は何も残っていない。


(報告では馬があの人形を運んできたとあったが……違うのか?)


 次はチャリオットから複数の矢が放たれた。孤を描きながら海面に降り注いだ矢はやはり人形ども消し去っている。

 人形どもが矛先を船から馬に変え殺到し始めた、後方に控えていた戦車もその餌食となって見る間に数を減らしていく。

 まるで映画の一幕を見ているようだ──そう思った途端、目の前が真っ暗になった。


「──っ!!」


 てっきり機体がダウンしたのかと思った、けれどコクピットは明るいままだ、制御は死んでいない。周囲を確認すれば他の機体も同様に異常は無さそうだった。

 では、これは一体──まるで何事も無かったように明るさが戻った。


「何なんだ、本当に──」

 

 いや...何事も無かったというのは嘘だ[ガーランドさん!]さっきとは明らかに違う異常が眼前に広がっていた。[ガーランド、これもシルキーのせいなのか?]次から次から次から次から次へとっ──!!

 二人の通信すら煩わしい。思えば俺は短気な男であった、良くここまで我慢できたというもの。

 このおかしな海で起こった極めつけの異常、それは()()だった。集結した機体を中核に備えた黒い巨人が海から上半身を覗かせていた。


「リー、中継しろ」

 

 "我慢"というものは、いずれ発散できる機会があるから出来るものだ。そしてそれが今だった。

 俺の指示を受けたリーが黒い巨人から離れ、それがいけなかったのか黒い巨人が腕を持ち上げた。


[ヤバいヤバいヤバい!あの距離だとっ──]


 女が叫んだ。


[早く逃げて!こっちに狙いをすませてるっ!]

[マカナも早く逃げて!アキナミも乗ってるんでしょ?!]

[大将!大将!!何が起こっているんだい!ここからでは分からないよ!報告!報告!!]


 グレートビーンズには武器の類いが一切無い、機体の制御にリソースを割り振っているのでそもそも持てないのだ。だからこうして機体そのものを武器として扱い、俺だけの戦法として昇華し続けてきた。

 射出した合金性ワイヤーロープをフォルトゥナが受け止めた、そしてブースターを全開にしてグレートビーンズごと引っ張り始める。


[全く、相も変わらずその機体はどっしりとしているな、パイロットは短気なくせに]


[────っ!!]


 ウォーカーとの口論から溜まりに溜まっていた鬱憤と、やかましく吠え続けるスピーカーと、その他雑多諸々の怒りを込めた足でフットペダルを踏み込んだ。

 重力という名のハンマーで意識を殴られたかのような衝撃が襲う、でも今はそれすらも心地良かった。

 持ち上げられた黒い巨人の手が振り下ろされる。それと交錯するように飛び込み、


[──少しは俺の思い通りに動けええっーーー!!!]


 叫んだ時にはもう、黒い巨人の眉間を貫いていた──。



✳︎



 自宅で暇を持て余していたから助かった──と、思っていたのだがさすがに今回の状況はややこしすぎた。発生した異常を時系列に聞かされただけなので何が何やら、この混乱は現場に来ても変わらず一層深まるばかりだった。

 だがまあ、それでも事態は落ち着いたと見て良いだろう。ガーランドの機体が巨人の眉間を穿ったことで黒い塊が崩壊し、囚われていた訓練機が解放された。唐突に始まったホバリング飛行で数名が悲鳴を上げていたが、良い訓練になっただろう。

 ユーサ船を持ち上げていたあの六機も船を着水させた後、とくに絡んでくることもなく颯爽と姿を消していた。


(俺はてっきり──まあいいか……)


 あの六機は以前、コールダー夫妻の救出時にちらりと姿を見せた部隊だった。セントエルモに参加しているあの四人が在籍していた部隊かと睨んでいたが...当てが外れたようだ。

 それにどのみち俺も疑われている身だ、人様の事をどうこうと言える立場ではない。

 真っ暗闇になったその隙を突くようにして現れた巨人は一体何を攻撃したのか、それは蛆虫のように湧いていた人形だった。

 人形が屯していた海面は結晶体に覆われている、それに色も付いているようで海面が七色に変化していた。


(あの変化は厚生省から報告があったものと似ているな……つまり人形もシルキーから生成されたという事になる。という事は馬やあのチャリオットは……)


 元から人間に危害を加えるつもりがなかった...?今となっては調べようのない事だった。

 万事復活したレーダーに救助ヘリが現れた時だった。今の今まで不気味すぎるほどにこちらの指示に従っていたヴァルキュリアの一機がやおら動き出した。

 人形の難から逃れていたヨトゥル機が救出ヘリと同じ高度に達しその砲門を構えてみせた。これでテンションが上がる俺も狂っているのだろう、だからあのグリーン事務次官と手を結んでまで空を欲したとも言える。

 ヴァルキュリアの隊長がこう宣言した。


[その不明機をこちらに渡してください、これはお願いではなく脅しです]


 中にはユーサに籍を置く民間人も乗っているはずだ。強力な人質だ。


[マカナ……]


 どうやらスルーズと同郷の者らしいナディ・ウォーカーが語りかけていた。


[どうしてそこまでするの?そんなにこの機体が欲しいの?]


[問答をするつもりはありません、こちらに渡してくれるだけであなたたちの無事をお約束しましょう]


[──やはり貴様らの手を借りるべきではなかったか。この国賊め、無防備な人間を盾にしたその蛮行を恥じよ!]


 盛り上がってきた所で水を差す者がいた。

 ナディ・ウォーカーだ。


[いいよ。そんなに欲しいんならくれてやる、その代わりアキナミをこっちに渡して]


[ウォーカー!!]


 ノラリスと呼ばれている機体が滑らかな動作で高度を下げていった。本気なのか?折角撃てるチャンスだというのに...

 

[大事な友達なんで。すみません]


[だからと言って奴らの言いなりになるというのか!]


 ウォーカーの言葉が不思議と胸に刺さった。


[──言いなりが何だ!大切なものを守れるんならいくらでもなってやる!ガーランドさんと違ってそんな安っぽいプライドは持ってないんだよ!]


[んだと貴様この期に及んでまだ文句をっ──]


[大切なもの為なら泥ぐらい被ってみせろってんだ!自分の身を守っているだけの人が一番ダサいっ!]


 ナディ・ウォーカーが通信を切ってしまった。猛り狂ったガーランドがこちらに指示を出してくるのは言うまでもない。


[リーっ!!ヨトゥル機を見張っていろっ!!]


「はいはい」

 

 ノラリスと同じように高度を下げていくスルーズ機を視界の隅に入れながら、フォルトゥナを移動させた。

 ヨトゥル機の直上に位置しカミソリを構える。


「下手な真似をしろ。そうすれば互いに気兼ねなく戦える」

 

 オープンチャンネルで話しかける、意外にも返事があった。


[あなた方の事など興味ありません。事が済めばすぐにでも去ります]


「だったら何に興味がある?」


 また、返事があった。


[スルーズ。ただ一人です]



✳︎



 ノラリスをもう一度着水させてハッチを開いた。潮の香りと七色の煌めきが私を出迎えてくれたがちっとも興味を惹かれなかった。

 同じようにマカナも機体を着水させてハッチを開いている、中から拳銃を構えた状態で姿を現し、ついで口元を縛られているアキナミも引っ張り出していた。

 すう...と深く息を吐き出し、ゆっくりと海の空気を肺に取り入れた。パイロットシートのベルトを外して私も外に出る、あの日と違って風もなく海は凪いでいたので声も届くはずだった。

 上空で待機している紫色の機体から一つの球が落ちてきた、ぼちゃんと海に跳ねてこちらに漂ってくる。どうやらあれは浮き輪の代わりらしい。


「その機体から降りてください」


 他人行儀のマカナがそう言った。言われた通りに降りてやった、海の中にまで発生している結晶をちらりとだけ見てから海面に上がり浮き輪ではなくスルーズ機の主翼に手をかけた。

 マカナが拳銃を握り直した。


「この機体ではなくあのヘカトンケイルに移ってください」


「移らなかったら?私はどうなるの?」


「…………」


「ねえ、私が誰だか分かるよね?何でそんなに他人行儀なの?」

 

「私の名前はスルーズ、あなたの知る人ではありま─「嘘つけえっ!前に空で顔を合わせた時泣きそうな顔してたじゃんか!ばっちり見てるんだよこっちは!!」


 あくまでもヴァルキュリアの"スルーズ"として接したいらしいマカナは顔色を一つも変えなかった。


「その時はそうだったのでしょう、けれど任務上私たちは記憶整理を受けています」


「は?何それ、記憶が無いって言いたいの?そんな事される為にこんな事する為にマカナは軍に入ったの?」


「…………」


「今すぐ止めたらどうなのそんな所、誰も喜ばないしマカナが可哀想「──何が分かるっていうのっ!!私はただっ──私はただ自分の故郷を取り戻したいだけです、その為にはやり返さなければなりませんっ……」


 静かな激情だった。


「そんなのっ──「あなたにとってはその程度なのでしょう、けれど私にとってこの怒りは到底無視できないものなんです。人間、どうしたって自分の心に嘘は吐けない」


 そうなんだろう、マカナにとってはきっとそうなんだろう。


「じゃあこれは?私の友達を人質にしてまでノラリスを欲しがるのはその仕返しに関係しているの?」


「──っ」


「してないんでしょうが!!だったら今すぐ止めて!!見てらんないよっ!!」


 ようやくマカナにダメージが入った。うっと顔を顰めてアキナミを拘束していた手を離した瞬間だった。


「──スルーズ!何でさっきから嘘ばっかり言うのさ!私にナディとフレアの事尋ね「─あああっ?!」それにナディがスルーズを庇った時だって一人で悶えてい「それだけは止めて!それだけは言うの止めてお願いだからっ!」いい?!言いたい事はきちんと言わないと後悔するよ!私みたいにっ!」


 口を縛っていたのはそういう理由。

 マカナが取り乱した隙に海から主翼に上がって駆け出した。マカナが「─あっ!」と言うが遅い!手にしていた拳銃を奪って海に放り投げた。

 そして──。


「二度とこんな事しないで!!」


 平手打ちを一発。私の手のひらもじんと痛んだ。

 アキナミをこっちに引っ張ってマカナにも手を差し出した。


「来て」


 マカナが大きく目を見開いた、その綺麗な瞳が今にも溢れ落ちそう。けれど小さく被りを振って私の誘いを断った。


「……駄目、まだ行けない」


「だったらいいよ。アキナミのこと助けてくれてありがとう」


 またね、と言ってマカナに背を向けた。



 ノラリスに乗り込んで海から空に上がり始めた時にアキナミがぽつりと言った。ずっと私のことが好きだった、と。


「ごめん、こんな時に言う事じゃないと思うけど……でも、言いたくてさ」


「……うん」


「私じゃ駄目だった?」


 冬の太陽は気が早い、もう傾き始めており光りの色も私の手のひらと同じように赤く染まりつつあった。

 結局何も悪さをしなかったヴァルキュリアの二機が離れていく、ブースターだらけの機体が未練がましくその後ろ姿を眺めていたが直に高度を上げて帰投コースに入っていった。


「……ごめん、私そんな風に見てなくてさ、フレアより妹っぽい友達が出来たと思ってて……」


「だと思ったよ、ナディってずっとそんな感じだったし。──ねえ、ライラとはキスしたの?」


「……してないよ」


 嘘ではない。それ以上の事はしたけど唇のキスはまだしていなかった。


「私が貰ってもいい?ナディの初めて」


「……ライラにもしたくせに?アキナミって意外と欲しがりなんだね」


 ノラリスも帰投コースに入りコントロールレバーから手を離した、後はオートパイロットで陸まで飛んでくれるはずだ。

 私の言葉にアキナミがぷっと笑い、ようやく目線を合わせることができた。

 悪戯っぽく、嬉しそうに、けれど寂しそうに色んな思いが込められた笑顔をしていた。


「そうだよ、私って自分が欲しいと思ったものは何でも欲しいんだよ」


「……いいよ。アキナミならいい」


 ちょうど差し込んできた赤い光りを遮ってくれた。



✳︎



[ごめん。アキナミとキスした]


「は?」


 近くにいたハフマン先生が「ん?」と顔を向けてきた。けれどすっかり仲良くなった士官に呼ばれてそのままデリバリーから出て行った。

 は?


「ちょっと待って、帰還報告の第一報がそれってどうなの?こっちはめちゃくちゃ心配してたんだよ?」


[うん、ごめん。でもさ、あんな顔されたら断るに断れなくて……空気って怖いね]


「そうね、シルキーみたいに誰かの心配も途中で吸収しちゃうしね──ってやかましいわ!はあ〜〜〜?!それを言われた私の気持ちって考えられるっ?!ねえ、考えられるっ?!」


[いやそれを言うんなら私もだよ、ライラだってアキナミとしたんでしょ?]


「…………………」


[ここはお互い様ってことで一つ……ライラも大切だけどアキナミだって大切な友達なんだよ]


「んんん〜〜〜っ…………はあっ……分かったよもういいよ!けど二度しないでね!」


[はい、すみませんでした]


 本当に反省してるのかな〜〜〜?ナディもヨルンさんみたいな所があるから今回のそれで味をしめるって事はないと思いたいけど...


(まあいいか……無事に帰ってきてくれたんだし……いや全然良くないけど!)


 基地の滑走路には帰還した人が沢山いた、中には怪我をした人や未だに錯乱気味の人もいるけど、デリバリーにもようやく弛緩した空気が流れていた。

 

 空を漂うシルキーが原因となって起こった今回の一件、解決したようでその実何も解決していなかった。

 そもそも何故シルキーは空に上がったのか?その方法は?少なくとも今この場で答えられる者は誰もいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ