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幕間

生徒指導ゞ



 クラス替えをした時からその子のことがあまり好きではなかった。


 ──どうして母親が二人もいるの?変じゃない?普通は母親と父親のはずだよ。


 向こうからしてみれば、それは何気ない質問だったのだろう。買ってもらったばかりの携帯電話を首から下げて、私からしてみれば嫌らしい笑みを貼り付けてそう尋ねてきた。

 だったら何だと問い返した。


 ──どうやってレイアを産んだの?前に保健の授業で習ったけど父親がいないと母親は子供が産めないんだよ?


 ...認めよう、確かに私は短気だ。ぶちっ!ときた私は相手の携帯電話をネックストラップごと引きちぎりながら奪い、教室の窓を開け放って校海へ投げ捨てた。

 ぽちゃんと間抜けな音を立てた瞬間、ド失礼なことを言ったクラスメイトが泣き叫び、他の生徒たちが先生を呼びに行って──今に至る。

 ここは生徒指導室、通称『説教部屋』、生徒の私物を故意に壊したとして私だけが連行されていた。


「もう直に家族の方が来るからね、黙りもそこまでよ」


「………ふんっ」


 どっちが来るのかせめて教えてほしい、ママならワンチャン庇ってくれそうだけどお母さんだったら...遠慮なく叱られそうだ。


(私は何も悪くない!失礼な事を言った向こうが悪いんだから!)


 腕を組んで足も組んで虚勢を張ってみるが、やはり不安なものは不安である。

 開け放った窓から風が入り込む、長年使われたカーテンがゆったりと煽られている。校内の海では未だに他のクラスがサーフボードの練習をしており、生徒指導室の空気と違ってとても楽しそうにしていた。

 荒々しい足音が耳に届いてきた。その音だけで誰かすぐに分かった。


(あっちゃ〜〜〜お母さんか…………)


 そしてやっぱり、生徒指導室の扉を開けたのはツナギ服姿のお母さんだった。


「サーストンさんどうぞこちらに、急に呼び出してすみません。レイアさんの事でお話があります」


「うちの娘が何か?」


 お母さんがちらっとこっちに視線を向けてきたけど、見る勇気が無かったのでついと逸らした。

 隣に座ったお母さんが先生から経緯を聞いている。先生は決して不公平には語らず、私が不愉快な質問をされてしまったこともきちんと説明していた。そしてそれに対する報復として高価な携帯電話を校海へ投げ捨てた事も勿論説明していた。今、他の先生らが総出で救出作戦を行なっているらしい。

 話を聞き終えたお母さんが一言。


「何で呼び出されたのがうちの娘だけなんですか?」


「え」

「え?」


「レイアは何も悪くないでしょう、そりゃ怒って当然ですよ。で、その生徒というのは?先生方から注意できないのなら私の方からしましょうか?何なら親も交えて話し合いしますよ」


 ええ〜〜〜まさかのガンギレ。私もつい間抜けな声を出してしまった。

 見る見るボルテージが上がっていくお母さんが私の手を強く握ってきた。


「あんたは何も悪くないからね、そんなに怯える必要はないよ」


「いや……どっちかと言うとお母さんに怯えてるんだけど……絶対怒られると思ってたから……」


 結局怒られた、「ちょっとは私のことを信用しろ!」と。



 仕事中に抜けてきたお母さんが私をこのまま連れて帰ると言い出し先生を困らせ、結局根負けした先生がそれを許した。


「言っておきますけど私はちっとも納得していませんからね、また次も似たようなことで呼び出しすると「─分かりましたから!レイアさんも十分に反省していますから!ね?そうだよね?」


 立場が逆転している。


「え、まあ……はい、すみませんでした」


「ね?レイアさんもこう言っていますのでこの話は今回限り「そもそも先生が私をここに呼んだ「─もう!お母さん!いいから行くよ!仕事中なんでしょ?!」

 

 マメだらけのお母さんの手を引っ張る、恥ずかしいったらない。

 生徒指導室から出て節電中の薄暗い廊下を歩く。この階は実習室などが多いため人の気配は無い、真夏のギラついた光りが外から入ってくるだけだった。


「レイア、ほんとに気にしてないの?」

 

「不愉快になったのは事実だし携帯を投げたのはさすがにやり過ぎたと反省してるけど、もう何とも思ってないから、私は大丈夫」


 階段を降りて昇降口に到着した。まるで上がった水位を下げるように、照りつく太陽から大きな日差しが守っていた。濃い影の向こうはキラキラと海面が光っている、そして長年使い続けてボロボロになった水上バイクも一台停まっていた。

 下駄箱から自分の靴を取り出し履き替える、この間買ってもらったばかりなのでピカピカだ。


「ねえお母さん、あれもいい加減買い替えたら?」


「ん?──ああ、いいのいいの、乗れれば何でもいいから」


 そういう事じゃないんだけどな...

 昇降口から伸びる桟橋を歩き水上バイクへ、日陰から出た途端熱気が押し寄せてきた。


「あっつい……」


「私の職場はもっと熱いよ」


「そんな事でマウント取ってこないで」


 水上バイクに跨ったお母さんの後ろに座り、油と汗で汚れた背中が目に入った。

 お母さんの職場は確か造船所だったはず、船のメンテナンス?とにかくそんな感じの所。

 私がお母さんの腰に手を回したところでエンジンがかかり、『進入禁止!ここから校海!』と書かれたブイを避けながら入り口へと向かっていった。


「昔はこんな感じじゃなかったんでしょ?庭があったって本当なの?」


 ボロい割には静かなエンジン音だ、きっとお母さんにこき使われるためにきっちりと整備を受けているのだろう。


「あったよ〜昔は校庭って呼んでたんだから。でも私はこっちの方が好きかな〜暑かったらすぐ泳げるし」


「嫌いな奴の携帯も投げられるしね」


「あんた全然反省していないでしょ」


 学校を出ても沢山のブイがぷかぷかと浮かんでいる。縄張りを示すように等間隔だったり、浮標と呼ばれる塔の形をしたブイもあった。

 私たちの家は学校を出て左手のはずなのにお母さんが進路を右に取って進み始めた。


「どこ行くの?」

 

「私の職場。面白いのが見られるよ」


「面白いのって何、あんまり興味ないんだけど」


「今日を逃せば次は何年後かな…その時になって後悔しないって約束するんなら今すぐ家に戻るけど」


「行って。そう言われると弱い」


 くすくすと笑うお母さん、信号ドローンがすぱっ!と飛んで来たのでスピードを落とし、適当な位置で止まってからこっちを振り返った。


「今の何だか昔の喋り方っぽいね」


「……そう?」


「そうよ、昔のあんたってほんと肩っ苦しい喋り方をしてたんだから」


「あんまり覚えてないけど……」


 覚えているのは、お母さんとママと三人今は潰れてしまって無くなったショッピングモールに出かけた時ぐらいだ。

 昔の記憶を手繰り寄せていると、信号ドローンが飛んで来た方向から大きな船が進んできた。お母さんが着ているツナギのワッペンと同じマークの旗が風に靡いている。


「ほら、サボり癖のお母さんを探しに来たよ」


「何をう。もうサボれるだけの有休は残ってません」


「何だと……そこまでとは……」


 船が通り過ぎたあと、ようやく信号ドローンが引き上げていった。工船が作った波を乗り越えながらなおも進んでいく、きっとさっきの船が出航した造船所に向かっているのだろう。

 熱い日差しと波の音、それから油と私と同じ柔軟剤を使っているお母さんのツナギの匂いを嗅ぎながら、しばらく水上バイクに揺られた。



 到着した造船所は、昔でいう所の石油プラットフォームを改築したような所だった。プラットフォームは全部で四つ、その内側は大きく開けておりメンテナンスであったり製造であったりと、色々な船が所狭しと並べられている──はずである。


「あれ、今日はガラ空きだね」


「そ。今からメインドックに降りてくるからね」


「何が?」


「私の相棒が。いや、元相棒かな」


 だからさっきの船も出航していたのか...

 欄干からメインドックを見下ろしているお母さんをちらりと見やる。その目は期待に溢れているようで何だかいつもより子供っぽかった。


「最後にメンテしたのがちょうど一〇年前だから、あんたがうちに来た時と一緒ね」


「あっそ」


「……レイア?」


「何?」


「いや……何で怒ってるの?」


「怒ってないし」


 ぷいと視線を逸らした。いつもならこれで──でも、邪魔が入った。


「──来たっ!」


「……っ」


 確かに何かが降りて来た、眩い光りを散らしながら、まるで流れ星に排気ノズルを付けたような何かが空から降りてきた。

 造船所も節電要請がかかっていたので主要箇所以外は全て電気が消されている。だから私たちがいる通路も薄暗く、だから外の光りが鬱陶しい程に眩しかった。

 それは機体だった。お母さんの言う元相棒とは所有すること自体禁止されている『特個体』と呼ばれる物だった。

 

(けっ。けってなもんだ)


 私なんかそっちのけでお母さんがメインドックに駆けて行く、道中色んな人から肩を叩かれたりしている。

 お母さんの走って行く姿をじっと眺める、階段をずんずん降りてメインドックへ、まるで用意された舞台のように機体が降り立った場所へ向かっていった。

 ──と、そこで後ろから頭を撫でられたのでおったまげた。


「──わっ!え、ああ、ママ……」


「やっぱり」


 お母さんと違ってママはスーツ姿、クールビズ仕様で真っ白い肌が露わになっている。

 ママもお母さんが得意としている"意地悪"な笑みをしていた。


「……何がやっぱりなの」


「どうせレイアは拗ねているだろうと思ってたの。で、やっぱり拗ねてた。ほんとお母さんのことが好きなのね」


「別に。世界で五三番目ぐらいには好きかな」


 私の皮肉にママは真面目な言葉で返した。


「レイア、今だけは勘弁してあげて。お母さんにとってもママにとってもあの機体は特別なのよ」


「……………」


「今日お別れしたら次に会えるのはまた一〇年後なの、その時レイアはいくつになってる?」


「……二五歳」


「そうね。じゃあその次は?」


「何が言いたいの?」


「ママたちはもう、片手で数えられる程しか会えないのよ。だから今だけは見守っていてあげて、優しいレイアならできるでしょう?」


「…………」


 眩い光りを放ち続ける機体とまるで子供に戻ったようなお母さんを、ママに頭を撫でてもらいながら眺め続けた。



 私の胸は締め付けられていた。私に構ってくれなかったお母さんのことだけではなく、ママに言われた言葉も楔となって打ち込まれていた。


 ──数えられる程しか会えないのよ。


 寝転がって自分の部屋の天井を見つめる。時間はもう夜だというのに外はまだまだ明るい、キャンバスに赤と紫をぶち撒けたような空が広がっていた。半端に開いたカーテンの隙間から赤い光りが差し込み、小さな頃に買ってもらった時計を照らしていた。

 もう壊れている、時計の針はじっとして動かず自分の役割を果たそうとしない。お母さんにも「新しいの買ったら?」と言われていたが、何故だか捨てたくなかったので大事に取ってあった。

 また視線を天井に戻し、ママに言われた言葉を思い返した。


(数えられる程……一〇年という機会はあと数えられる程しかやって来ない……つまり……)


 寿命。仕方のない事だ、仕方のない事なんだ。分かっている、分かっているつもりなんだ、でも──胸に燻るこの"理不尽さ"がいつまで経っても消えようとしなかった。

 扉が軽くノックされた。入って来たのはお母さんだった。


「………何?」


「……ごめんね、放ったらかしにして」


「……別にいいよ、大事な相手だったんでしょ」


「うん…まあ……」


 珍しく歯切れが悪い。それでちょっとだけ気分が上向き始めた。


「何?部屋に入るの入らないの?」


「は、入ろうかな〜」


 部屋の扉が子気味良い音を立てて締まり、そして寝転がっているベッドが少しだけ沈んだ。

 さっきと同じ匂いだ、油と柔軟剤と。お母さんはシャワーも浴びずに私の部屋にやって来たのだ。


「お母さんね、断ってきたから」


 唐突にそう切り出されても良く分からない。


「何を断ってきたの?」


「一緒に来ないかって誘われた」


「……っ!」


 体を起こしてお母さんを見やった、思っていたよりも平気そうだった。


「……何で断ったの?大事な相棒なんでしょ、行けば良かったじゃん」


「行くと思う?私はここから離れたくないの、それに面倒臭そうだしね」


「……何それ」


 違う、言ってほしい言葉はそれじゃない。でも、お母さんが素直に物を言う人じゃないことも知っている。


「私は一生ここから出ないって誓ったのよ。ね?何処にも行かないから、機嫌直して」


「別に怒ってないし」


 お母さんがふわりと頭を撫で、そして何も言わずに部屋から出ようとした。──つい、意地も悪く尋ねてしまった。


「──ねえ、もし私が一緒に行きたいって言ったら?お母さんはどうするの?」


 ドアノブに伸ばした手を止めて振り返った。


「────行く。かなあ〜〜〜どうかな〜〜〜でもレイアの願いなら……どうかな〜〜〜」


 何じゃそりゃ。ちょっとぐらい嘘を吐いてもいいのに。

 馬鹿正直に悩んで言葉を濁しているお母さんを見て、ようやく私も溜飲を下げることができた。


「はあ……馬鹿ばかしい、悩むのやーめた。それより早くシャワー浴びてきたら?臭うんだああああっ!!やめ!や「──あんたが拗ね倒すからでしょうがっ!!こんだけ心配かけさせておいて何だその言い草はっ!!」──あっはははっ!やめっ!こちょばすのっ!あっはははっ!」


 素早い身のこなしの前になす術もなく、私はひたすらこちょばしの刑を受けた。


 騒ぎを聞きつけ後からやって来たママも加わり、周囲に誰も住んでいないことを良いことに私たちは夜がふけるまではしゃぎ続けた。

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