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第72話

.ディープブルー・イベントホライゾン



 体が大きい、というだけで実に様々なものに利用されてしまうのが常であった。

 体だけではない、身体の動作に必要な命令機能を有する脳も動物界の中では取り分けて最大であり、社会性、情動、精神理論など高度な知的判断を行なう紡錘(ぼうすい)形神経細胞もまたヒトと同様に存在していた。

 実に様々な研究機関から好奇の目を向けられ、実に様々な生命体から(海、陸を問わず)捕食の目を向けられ、そしてやがては地球上から姿を見せなくなっていった。

 それは何も地球が噴出するマグマによって荒廃したからではない、元より彼らは地球という住処に"嫌気"が差していたのかもしれなかった。

 仲間と呼べるものは凡そ同じ種族だけであり、一年中回遊している彼らは何処へ行っても捕獲されて、命終えても群がる群集の餌になっていた。

 もし、彼らにヒトと同様の知性があったのなら、現状をどのように考えていたのであろうか。

 最大の体積を誇っているから敵がいない?

 我がもの顔で海を泳げる?

 

「…………………………」


 海の中から望む外の世界は変わっているようで何も変わっていなかった。

 もううんざりしていた。出来ることなら全てが(いつ)で同等で分け隔てなく差別の無い世界へ──それが彼らの願いであった。

 翻って言えば、自分たちが─あるいは()になった個体たちの─受けた苦しみを全ての生命体に共有させたかった。

 それこそ平等の世界であろう、と彼は思う。喜びや幸福は概念化し難いが、苦しみや不幸は分かり易い、何なら可視化だって可能だ。

 ゆったりとゆったりと、囲われた海を揺蕩う。まるで思い出したかのように泳ぎ回り、時にはたった一人の仲間と戯れ合った。

 もう、それだけで十分だった。



✳︎



 ゆっくりと目蓋を持ち上げる、まず視界に入ってきたのは自分の大きな胸だった。


(ん……ここは……)


 ホシ、それからたまに街に出かけた時に男連中がやたらと見てくるオレの胸。下着も服も着ていない、乳首も丸見えでつんと上がっていた。


(あれ……何で……)


 すぐに違和感を覚える。もしオレが素っ裸なら近くにいる奴が怒鳴り散らしてくるからだ。でも、とても静かだった。

 もし、ここがサーバーの中だとしてもわざわざ自分の体を再現する必要はないはずだ、それなのにある。

 剥き出しになった肌は何も感じず、匂いもまるでない。生きているのは視覚だけのようだ。

 乳房、それから足のつま先に向けていた視点を持ち上げる、不思議と水の流れを感じ、そしてここが何処だかいよいよ分からなくなってしまった。


「何じゃありゃ……鎖?」


 鎖だ、頭上は鎖で覆われていた。そしてさらにその向こうは、海中から空を見上げるように濃い青色と薄ぼんやりとした太陽の光があった。はて?意味が全く分からない。ここ何処?


「ダンタリオーン、どこ〜〜〜?」


 口に手を当てて呼んでみる、勿論返事は無い、けれど代わりに輪っか状の泡が足元から迫り上がってきた。


「──わっ!え?何これ」


 確か、名前はバブルリングだったか?口を窄めて息を吐くともわんと出来上がるアレ。

 そのバブルリングが足元から頭に抜けていく間際、人の声が聞こえてきた。海中から見上げる太陽のように朧げな、そんな声。


 ──希望とは呼べん、ただの鎖だよ、これは。不要だ。


 威厳があって拒絶もあって、どこにも暖かみがない。

 まだ続く。


 ──人類に必要なものは祈りを叶えてくれる願望機ではない、苦境を乗り切るタフさだ。


 今度は声の質が、いや、人が変わった。

 懐かしい声だった。


 ──うん分かった、そうしてくれる?私の機体を預けておくよ。あとついでにSRAMも弄っておいて。


 バブルリングが遠のいていく。まだまだ聞いていたかったのに遠のいていく。


 ──うん、だって…………………


 覚えていたくないからと、聞こえたような気がした。

 掻き乱される、上も下もぐちゃぐちゃになっていく。電気信号が行き場を失ったように回路を逆回りして全てのプログラムを駄目にしていく、そんな感覚に囚われた。

 ──そんなつもりはなかったのに。きっとあいつだってそうだ、あいつだって──のことを守りたくてやったに違いない。

 水の流れが生まれた、記憶と感情に翻弄されていたオレをその水の流れが攫っていった。

 激しい気泡が体に纏わりつく、逃してなるものかと見えない手に追われるように。

 また、声が聞こえてきた。


「西経──北緯──異常無し」

「西経──北緯──異常無し」

「西経──北緯──微弱電波有り。……異常無しに更新」

「西経──北緯──異常無し」


 ただ繰り返される言葉、感情はあるようで無い、何かに堪えているような、そんな声。


「誰……止めて……くれる?」


 お前か、お前なのかこの流れを作ったのは...頭もグルグル体もグルグル、気持ちが悪かったので止めてもらうようお願いした。


「西経────異常有り。否、思考回路に不純物を感知、否、否、海には無い、我に有り、否、否、否、否、アクセスルート不明、感染防止のため通信断絶──」


 ──プツリ。



✳︎



 ルカナウア・カイにある王都は今、ある種の熱気に包まれていた。

 年が明けたからではない、いつもより気候が暖かいからでもない。それでも王都に住む()()()()()裕福な民たちは熱にうなされたようになっていた。


(見苦しい)


 娯楽である、これは立派な娯楽である。

 崩冠式の後、一体誰が玉座につくのかと民たちが予想し嬌声を上げている。我が妹がつくと言う民もいれば、王位争いに負けたカルティアン家がつくとも、そして中には非摘出子であるこの俺がと宣う民もいた。

 見苦しいにも程があった。少なからずガルディアもこの国に貢献したというのに、玉座から引き摺り下ろすのが待ち遠しいらしい。

 

(俺もあれぐらい割り切れたらどんなに楽なことか……)

 

 とどのつまり、俺は正義にも悪にも染まり切らない半端な存在ということである。

 揺れる馬車に揺られるまま、ディリン家が居を構えている隣町へと向かった。



 酷い有り様だった。国王の懐刀として今日まで仕えてきたディリン本家は酷い有り様になっていた。

 手入れがされた庭は抉られ、扉は破壊され、中に侵入された形跡があった。それでも配備された新型機が五体満足、傷一つない状態で佇んでいるのが何とも哀れであった。国防の為に作られた機体のはずなのに、民たちの的になって蹂躙されてしまったのだから。

 

(公爵様はこれの一体どこを見て謀反ありと判断したのか……)


 敷居を跨ぐ、瞬間的に気配が膨れ上がるのを感じた。毅然とした敵意である。


「国王の命より参った、名をヴィスタという。こちらに敵対する意志はない、ディリン家当主にお目通りを願う」


 現れたのは何と──未成年の女子たちであった。"たち"、ここ大事。数にして四、発育はばらばらだが皆目元が刃のように研ぎ澄まされていた。

 先頭に立つ女子が口を開いた。


「そのようなお話は伺っておりません」


 一番幼く見えるこの子がどうやら頭領らしい。


「公爵様よりディリン家に謀反ありとの報せがあった。これは言わば抜き打ちだ」


「………」


「──して、当主殿はどちらに?」


 視線を合わせられなかった。謀反ありと疑われていると知るや否や顔を曇らせたからだ。

 幼い頭領から顔を背ける、ややあってから答えがあった。


「天でございます。……一先日息を引き取られました」


「────そうか……」


 葬式は簡単に、そして人目を忍ぶように行われたらしい。

 通された当主の間にはたった一つの花も添えられていなかった。誰かが来た痕跡もなく、ただただひっそりとした空気が満ちいていた。

 

「他の者たちは?」


「とうにこの館を捨てました、最後の最後までヒウワイ様に縋っていたくせに。息を引き取られたと知るやさっさと出て行かれました」


「お前たちは?」


 井草で組まれた畳の上に視線を落としている。垂れた前髪から幼い頭領の顔色は窺えなかった。


「行く当てなどありません、ここで当主様のお帰りを待つ所存です」

 

「混乱している気持ちは良く分かるが、もう当主は二度と戻ってこないんだ。だから──」


 伸ばした手を何かが掴んだ。その何かが幼い頭領の手であると理解するのに数瞬を要した。


「あヤバいヤバいこれはヤバみが厚いよ」

「若頭めっちゃ怒ってる、早く逃げたら?」

「は?え?随分と喋りが砕けて──」

「逃げなってマジでヤバいから」


 ギリギリと、幼い頭領が俺の手首を!


「──いだだだだっ?!は、離せっ!」


 まるで悪鬼羅刹の如く、どこにそんな憤怒を溜めていたのかと疑問に思える程。

 かっと開いた口から信じられない言葉が次々と出てきた。


「──おのれこのクソインポ野郎が誰が帰ってこないだってああっ?!リン様に限ってそんなことねえって何度言えば──」



「現当主がヒウワイ、そして次期当主がリンという名前なんだな?どうしてこんな大事な説明を省いたんだ」


「私にとってそれが全てだからです。故に説明する必要無しと判断致しました」


 そして、やり過ぎましたごめんなさいと早口で言った。


「分かるわけないだろ……そりゃ引き取り手もいないはずだ」


「…………っ」


「睨むのは止めてくれ、君が強いことは良く分かったから。というか後ろに控えている者たちも相当な手練れだろうに、そう安易に殺気を放つものではない、早死にするぞ」


「ヒウワイ様のように?」


 不謹慎にも程があるだろ...大丈夫なのかこの子...

 名はカゲリという、未成熟な体を隠すようにサイズが合っていない鳶職人のような服を着用し、無造作に伸びた髪を無理やり束ねていた。


(素体は良い、あとは磨けば………「…っは!」


「は?」

「今あの人若頭に見惚れてたよ」

「見惚れる所あるの?」

「どんなに不細工な人形でも五〇〇体は売れるって言うし」


 つい()()()()()で見てしまった...しかも相手は未成年だ...つい先日アネラに散々罵倒されてしまったというのに。

 だが、少しだけ気になる事を耳にした。


「……人形というのは?」


 すぐに答えてくれた。


「若頭が趣味で集めている木彫り細工、何故だか人形ばっかり集めるの。見てみる?プレミアもんもあったはず」


「是非とも!」


 食い気味で答えてしまい、これはしまったぞと後悔するが、とくに気にした風でもなく皆が立ち上がった。


「人形に興味があるのですか?」


 と、カゲリに尋ねられた。


「う、いや、まあ……俺も集めていたというか、でも捨てたというか手放したというか……」


「そうですか。まあ、人形ってあまり世間受けしませんからね、とくに身内からは白い目で見られやすいです」


「そうなのだ!俺は決してそういう意味で集めているわけでは──」と熱く語っているうちにその部屋に到着した。

 引き戸の前に立っても分かるこの圧倒的な雰囲気、カゲリがそろりと戸を引いた時から押し寄せてくる威圧感、漲ってくるというものだ。


「ほう……これは凄いな……」


 全てお手製の棚であろう。使われている材料に違いはあるが、均一に作られた棚には所狭しと木彫りの人形がずらりと並べられていた。

 部屋は棚で埋め尽くされており、凡そ人が過ごせる環境ではない。完全に趣味部屋である。

 褒められたカゲリもどこか誇らしげである。


「お前とは気が合いそうだ」


 何気なく言ったつもりだった、けれど劇的な反応を見せた。カゲリが、ではない、他の三人がである。


「ああっ……あの若頭がついにナンパされてっ……」

「ちんちくりんでリン様一択という間違った道を歩んでもう駄目かと思っていたのにっ……」

「今晩イっとく?」

「少々お待ちを──あんたら表出ろ!その腐った口を「待て待て!これは何だ?」


 猛り狂ったカゲリを引き止めた、俺の視線はある人形に釘付けになったままである。


「ん?ああそれは、高額転売している古物商から定価で売らないと家を燃やすぞと脅しつけて買ったものです」


「何をやっているんだお前は「いきなりのお前呼ばわり!」「え、実は既に知り合いだった的な?」「ウケる」「ウケるな!……それがどうかされたのですか?」


「手に取っても良いだろうか?」


「構いませんよ、その棚に置いてある手袋をはめてください」


「勿論だ」


 人形の扱いにもきちんと配慮している、その点にも好感が──いやいやそんな事より、この人形は...


(間違いない……これは星人様だ……誰が彫ったのだ?)


 カゲリと似た体格、髪型、そして胸に抱くアリクイの赤ちゃんまでそっくりそのまま再現されていた。

 またぞろ三人が囃し立て、それに怒ったカゲリがまた癇癪を起こしている。

 その様子を眺めていた俺は決意した。



 そしてすぐさま実行した。


「で?」


「ですから、ディリン家の者たちを連れて参りました」


「俺なんつった?こんなしょんべん臭いガキを連れて来いって言ったか?怪しい動きをしていないか調べてこいっていったよな?」


 未成年に向かって何てことを...いや確かに以前よりも顔はやつれて目もヤバいことになっているが...

 背後に控えているカゲリたちをちらりと見やる、王の御前だからか皆一様に頭を下げたままである。ここは謁見の間ではなくカウネナナイ城の最上階、王の私室である。


「ディリン家当主であるヒウワイ・ディリンは既に亡くなっています。先の暴動の折に重傷を負い、きちんとした手当ても受けずに体を弱らせ逝去されました。王からもディリン家に対してきちんとした手向けを、」


「この状況で?誰がするものか、こっちは国民投票の対策に奔走しているというのに」


「………いや、しかしそれはあまりに、」


「ヒウワイも承知の上で怪我を放置したんだろう。本当に出来た犬だよ、あいつは、俺がディリン家に赴けば民たちの反感を買うと分かっていたんだろう」


「…………」


「もういい良く分かった、行け」


 あとはこっちを見ることなく、胡乱げに手を振っているだけだ。


「いえ、しかし王よ、曲がりなりにも今日まで仕えてきた者たちをここで見放して良いのですか?ディリン家に残ったのはこの者たちと出稼ぎに行っている次期当主のリンという者だけです」


 何やら執筆していた王の手が止まった。


「出稼ぎ?」


「この者たちの報告では、数年前に工場へ行ったと」


「だったらお前が面倒見ろ」


「は?」


「いやこっちこそ、は?なんだが。……色気もついたガキ連れてきやがって喧嘩売ってんのかこちとら……」


 と、ブツブツと呪詛を唱え始めたので御前から失礼することにした。

 私室の大扉を閉めた途端、静かにしていた四人が途端に息を吹き返した。


「何あれムカつくぅっ!確かにヒウワイ様は嫌な人だったけどあそこまで言うことなくない?!」

「しょんべん臭いって、表現の仕方が化石だわ!古過ぎる!」

「寧ろ当主様も清々してんじゃない?あんな奴に従わないといけなかったんだし、今頃あの世でのんびりしているかもしれない」

「激しく同意」


 聞こえたら洒落にならないと先を促した、四人は何ら疑うことなく俺に付いてくる。


「いやでも、いいのか?俺が面倒を見ても……」


「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「早く子供つくってください」


「いやいや……言っちゃなんだが俺、あまり女性慣れしていないんだが……」


 また四人声を揃えた。


「ウケる」

「ウケる」

「ウケる」

「今さら?」


 どこで過ごせばいいのか、その前に当主の葬儀を済まさねばならないと頭を抱えていると従者が血相を変えてこちらに走ってきた。その手にはくしゃくしゃになった報告用紙が握られている。


「何かあったのか?」


 呼び止めた従者が、


「盆と正月にいっぺんに襲われた!」


「ん?それはどういう意味なんだ?」


 顔色から察するに決して良い事ではないだろう。案の定そうであった。


「ヴァルキュリアが反旗を翻した!こちらからの通信を一切傍受しない!」


「──何だって?それは本当の事なのか?」


「それだけじゃない!領海線ギリギリの所に大型の反応を捉えた!それも二つだ!ウルフラグがついに停戦協定を破ったんだ!」


 言うだけ言ってから再び従者が走り出していった。



✳︎



 それはヘイムスクリングラから降りた直後だった。


「──ん?あれって……」


 船というものは、港に停泊する時は桟橋に立てられているボラードにロープをかけておくものだ、波に攫われないように。


「ねえアーミー、あれマズいんじゃないのかな、ロープかけっぱなしだよね」


「──ん?うわほんとだ、早く止めないと──」


 そう言って彼女がたっと駆け出した、桟橋にいる人へ伝えるために。


(何とも思ってない……?あの他人行儀は想定内ってことなの……?)


 あまり気にしていないように見える彼女の背中を眺める。

 すぐに到着したアーミーが桟橋で作業していた人を呼び止め説明している、すぐに気付いたその人も埠頭へ駆けて行った。肉声なんか届きやしないので、唯一通信設備を持つ港の管理所へ向かったのだ。

 だが、それが"故意"であったとすぐに知ることとなった。


「ヴァルキュリア隊指揮官、ならびに強襲揚陸艦ヘイムスクリングラの艦長を務める、名はオーディン。これより王の膝下を離れ、淀み切った国政に、そして澱み切った我々に自由という名の光りを差すべく行動を開始する。これは離反であり王に対する叛逆である」


 艦外に設置されたスピーカーから男性の声が響き渡った。公務に忙しいからと面会を断っていたヘイムスクリングラの艦長である。


(そういう事かっ!何て間の悪い時にっ!)


 アーミーも艦長の声に聞き入っている。その顔は愕然としており、まるで信じられないものを見ているように目が開かれていた。

 

「繰り返す。これよりヴァルキュリアは王の為ではなく、カウネナナイの為ではなく、星人の為でもなく我々の為だけに剣を振るう。近付くな、敵対する者は誰人も容赦しない、誰の援助も受け入れない。私の願いが聞き届けられなければ戦乙女の命が散ることだろう」


 アーミーの元に駆け寄る。彼女はやはり煮えたぎるような激情に駆られていた。


「──信じられないっ!!」


「アーミー……」


「信じられないっ!約束と全然違うじゃないっ!!これなら船に残っていたわよっ!!」


「やっぱりあなたは……」


「──そうよっ!!悪いっ?!私は私の為に皆んなから逃げてきたっ!!ヴァルキュリア二番機パイロット、ヒルドよっ!!」


「……行きましょう」


「嫌よ!私の手であの司令官をっ「──行くのっ!ここにいても何も出来ないでしょう?!」


 一陣の風が通り過ぎた、私たちの間を。その風は季節外れの暖かいものであり、ふわりと燃料の臭いもした。

 埠頭の方から軽鎧の音が聞こえてくる、待機を命じていたナターリアだ。


「いい?あなたがたとえ誰であったとてしも、今はカルティアン家に仕える従者、勝手な真似はしないように」


「……分かった」


 早速駆けつけてきてくれたナターリアがあろうことか...「──こんの大馬鹿者めっ!!」と怒鳴りながら勢いを殺さずアーミーの頭を叩いた。


「──っ?!?!」


 物凄く痛そう、星が散ったことだろう。


「一体何をやったらヴァルキュリアが国に反旗を翻すというんだ言ってみろっ!!我々は国王の命で赴いているのだぞちょっとは自分の振る舞いを「どうどう!アーミーのせいじゃないからっ!」──止めるの遅くない?!ねえ?!止めるの遅くないかしらっ?!私じゃないってのっ!!」


「はあ?!……はあ?本当なのですか?」


「アーミーの……いいえ、ヒルドの言う通りです。私たちが下船した後に事態が起こりました、思うに元々翻すつもりでいたのでしょう。だからあんな態度を取り続けていたのです」


「何を考えているのよスルーズもっ!こんな事になったら自分たちがどんな目に遭うか分かっているくせに……」


「え゛……本当にヴァルキュリアの戦乙女だったのですか?こいつが?」


「ナターリア、あなたの中で彼女がどういう存在なのか手に取るように分かるけれど、今は信じてあげて。──戻りましょう」


 強襲揚陸艦、という名前は伊達ではないようだ。ボラードをへし折って無理やり沖合いへと船を進めている、桟橋には途方に暮れる人たちが沢山いた。

 踵を返すより早く、アーミー改めヒルドが私の手を握り強く引っ張っていく。


「早く行きましょう、ここにいたらとばっちりを食らってしまうわ」


「とばっちりって──」


「絶対の忠誠を誓っていたヴァルキュリアが離反したんですもの、ナディに目を付けた輩が詰ってくるはずよ、どうしてくれるんだって。王都はまあ無事でしょう、王が崩御した後も、けどここはド辺境「そこまで辺境じゃない!」次の王が決まるまでの間に混乱が必ず起きる、そんな時に守ってくれるのは機人軍ではなく──」


 早い早い、ヒルドの足は口を動かしながらも早かった。そして言いたい事が十分に分かった。


「王の膝下につくヴァルキュリア、彼女たちだけが唯一どこの派閥にも属さない」


 桟橋から港町へ、埠頭の管理所からわらわらと人が駆けて来る。その誰もが私たちに視線を向けていた。

 港から出た直後、民家の合間から複数人が飛び出してきた。とみに殺気立つヒルド、相対した者たちがすぐさま後退りした。


「──待って!」


「何?!早速たかられに来たじゃない!」


「違う!──あなた方はノエール家の者たちですね?」


「そ、そうだ!ノエール様からあなた方を保護するようにと!どうかこのコートを着用してください!少しぐらい目隠しになるでしょう!」


「ヒルド!剣を収めなさい!」


「信じるのっ?!」


「ノエール侯爵に裏切られるならその時よ!今はとにかく港から離れましょう!」


 全然殺気は収めないヒルドをともない、私たちはノエール侯爵の館を目指すことになった。



「ご機嫌ようナディ、あれから変わりがないようで」


「………公爵様」


 館に辿り着いた私たちを待っていたのはノエール侯爵ではなく、ヴァルキュリアに謀反の動きありと報告したその人だった。

 ハリエで別れた時と何ら変わらない、デューク公爵だった。

 傍に立っているノエール侯爵の顔は酷く焦っている、きっと公爵の訪問は予期せぬものだったのだろう。

 館のメインエントランスで向かい合う私たち、背後にいる二人も酷く緊張しているよう。その事を見抜いた公爵様がふっと表情を和らげた。


「心配せずとも私はすぐにここを立つ、事態が収束するまで隠れるなり国外へ逃げるなり好きなようにすればいい」


「……では、何故ここに──いいえ、何故このタイミングで来られたのですか?」


「──ほう。と、言うと?」


 柔らかいのは表情だけ、目元は変わらず鋭さを保ったままだ。


「ヴァルキュリアが離反すると初めから分かっていたのではありませんか?だからヒルドの離脱を認めたのでしょう」


「──肯定。少々遅かったがな、こちらの読みではプロイの件が明るみになった時点で離反すると考えていた」


「………何故、見逃したのですか?」


「思い違いをしているようだから訂正させてもらうが、ヴァルキュリアの実権を握っているのは私ではなく国王だ。見逃すも捕らえるもない」


 外はまだまだ寒い。コートを羽織り走ってきたにせよ汗なんてすぐに引いてしまう、それなのに体の芯から熱く火照っていた。

 公爵様の傍に立つノエール侯爵に目配せをする、相手も小さく頷いた。


「……公爵様、失礼ながら私どもであなた様について調べさせてもらいました─「─私がマキナだと言いたいのだろう?」


「……っ」


 先読みされ、私の言葉に重ねてきた。


「いかにも、私はマキナだとも」


「では…過去において、星人様がマキナたちを封印したというのは嘘だったと?」


 そうであれば国が傾く、ヴァルキュリアが離反した以上の衝撃が国中を襲うことだろう。


「否定させてもらうよ。カウネナナイとして国が興る前に他の者たちには引退してもらった。事実はどうであれ、側から見たらプログラム・ガイアがマキナたちを封印したことになる」


「では、何故あなた様だけが活動しているのですか?」


 涼しげな表情は変わらず、公爵様が腕を組んだ。


「この国──世界の為だ。それから、決して私利私欲の為に今日(こんにち)まで働き続けていたわけではないと、宣言させてもらおう」


「…………」


「信じる信じないは君たち人類に任せるがね」


 まだまだ疑心に満ちていた私は重ねて質問した。


「ハリエに逃れた私たちにジュヴキャッチを引き合わせ、ハフアモアの回収に手を貸してくれたのも国の為だと──………まさか……」


 今となっては、ハフアモアはこの国を内部から掻き乱す存在になっている。しかし、当時はまだまだ"有用"であると信じられており、欲しがる貴族もごまんといた。

 あの時、取引きした資金があったればこその今である。そして今は国民投票を間近に控えており...


「そのまさかだよナディ、今こそノエールが王として名乗りを上げる時だ」


(ああ、その話を……だからノエールがあんな死にそうな顔に……)


 もう脂汗もびっしょりだ、顔色がすこぶる悪い。


「こ、公爵様、とお呼びすればよいのか分かりませんが……とてもではありませんが私には……」


「だから良いと言っている。目の前の執政に翻弄されるぐらいがちょうど良い、ガルディアは力が強過ぎた。──最後に」


 組んでいた腕を解き、堂々たる佇まいで私たちに視線を向けてきた。


「ヴァルキュリアの指揮官であるオーディンについてだが、早いうちに討伐することをお勧めする。あれは元々ウルフラグの人間であり、カウネナナイの内情について詳しい男でもある」


「──は?──ウルフラグの……人間?それはどういう……」


 小槌で殴られた衝撃があった、にわかには信じられない。


「あれは元々ウルフラグで特個体のパイロットを務めていた男だ。私がこっちで居場所を斡旋してやったんだがものの見事に裏切ってみせた。──何をしでかすか分からんぞノエール、浮き足立っている今が好機だと進言しておくよ」


 エントランスの明かりを受けた彼の汗が一つ、ぽたりと床に落ちるのが見えた。きっと私と同じであろう、国で唯一"公爵"の位を持つ"マキナ"相手に舌戦を繰り広げなければならないのだから。


「……お言葉ですが、ご自身で討伐なされた方がよろしいのではないでしょうか。あなた様の話を全て信じるのであれば、ヴァルキュリアの離反を招いたのもあなた様の不始末かと思います」


「ほう……言うようになったな。やはり軍を預かるともなればそれぐらい口が強くなければならんだろう。ノエール、オーディンを討伐しろ、この功績を持って玉座につけ、それが一番この国とって最良の結果となる。ガルディアもそうであった」


「……そういう事ですか、セレンの戦を手助けしたのは──」「私だとも。あの時代は頭から抑えつける存在が必要だった、でなければ酷い内戦が待っていたことだろう。──時間だ、それでは失礼するよ」


「どちらに?」


 自分でも驚いた、冷たい声が出たことに、外の冷気など比べものにもならない程だった。


「ノヴァウイルスの回収だ。ウルフラグが早速一つ目を回収したよ、全てを取られるわけにはいかんからな。──では」


 こういう時に限ってヒルドは抜剣しない。その彼女も公爵様──いいや、陰で暗躍していたこのマキナに怯えてか、一歩後ろに下がっていた。

 一人っきりで表に出て行くマキナの背中を見つめ続けた。



✳︎



 物事というものは漸進的に進むものであると、以前供述したことがある。

 見えない所でちょっとずつ進み、そしてもうどうにもならないというタイミングで表面化するのだ。隠れていた事実が明るみに出て周りは対応せざるを得なくなる。

 例えば私のように、あれだけガンギレした手前、皆んなとどうやって顔を合わせようかと悩んでいた私に出撃命令が下った。

 帰港途中にブリッジが超大型の反応を捉えたらしい、数は二つ、軽空母バハーを観察するように周囲を泳ぎ回っていると報告があった。


[君は素人だ、戦いは彼ら四人に任せて防衛に努めてくれ。火器管制は全てラハムが行なう手筈だ、君は機体の制御といざという時のストッパーに。いい?]


「りょ、了解!」

[はいなのです!]


(大丈夫かな〜〜〜)


 不安で仕方がない。ノラリスもそうだがラハムも同乗するとなると...というか、ラハムはこの為に士官校に通い知識と信頼を積み上げてきたらしい。頭が上がらない。


「お願いねラハム」


[まっかせてください!ふんすですよふんす!]


「本当に大丈夫かな〜〜〜不安だな〜〜〜」


[心の声がダダ漏れですよナディさん]


「漏れてるんじゃないの、漏らしてるの。私別に特個体に乗って戦いたいわけじゃないの」


[そうは言いますけど、軍が未知の特個体を放置すると思いますか?それならある程度制限を付けてでも搭乗を認めて手元に置いておいた方が良いと判断するでしょう。だからラハムは勉強してきたのですよ!ふんす!]


「いやそれはほんとありがたいんだけどね…それなら私以外でも起動するように研究分野で頑張ってほしかったというか」


[それならもう始められていますよ?これから先もずっとという事はありません]


「あ、何だ……それならいいや」


[こちらブリッジ、出撃許可が下りました。機体の最終チェックをお願いします]


 割って入ってきた声にぴんと背筋が伸びる。今からまさかの実戦である、ノラリスの右手には武器、そして左手にはラリアットシールドを構えていた。

 後付けコンソールを確認する、機体に異常はないけど左手が赤く点滅していた。


「あ、ちょっ……えー、ラリアットシールドの異常が……あるみたいです」


[ラリアット?]

[ラリアット?ライオットではなく?]

「そうそうそれ」


 二人いっぺんに突っ込まれ、火器管制を担当しているラハムが調整して事なきを得た。

 そしていよいよである。


[射出タイミングをそちらに譲渡します。フットペダルと連動していますので踏み込むと加速が始まります。艦長も言っていた通りあなたの任務は艦の護衛、無理に前線へ出ないでください]


「りょ、了解!────ぅぅうええわああっ!?!?!」


 加速なんてもんじゃない、言われた通りにフットペダルを踏み込むと背後からぶん殴られたような衝撃があり、それと同じくらいの強さで前から押さえつけられたような圧迫感もあった。

 奇声を発しながらの出撃である、きっと船内で笑い声が上がっていることだろう。

 後付け通信機を経由してアクセスしたラハムが話しかけてきた。


[もう予定高度に到着していますよ、あとは

ラハムが預かりましょうか?]


「──やって!ラハムがやってお願いします!」

 

 あまりの衝撃に閉じていた目蓋を開ける。びゅんびゅんと後ろに過ぎていく雲と、対物距離がちっとも変わらない太陽が目の前にあった。首を動かし回りを見やれば、私たちより低い高度にあの四人が乗る機体があった。

 早速通信が入る、言わずもがなだ。


[エミリアだ。ボクたちの邪魔はしないように]


「……了解です」


[それから後でキミリアと話をしてくれる?]


「……りょ──え?何でですか?」


[心当たりがあるよね、あのキミリアがボクに泣きついてきたんだけど]


 いや知らんがな。

 適当に返事をして通信を切り、レーダーに反映された光る点を数える。全部で八個...八個?


「あれ、私と皆んなを合わせても五個のはずだよね。あとの三つって何?」


[ちょっと待ってください……スミス艦長が言っていた大型のものではありませんね……──これはっ!]


 なら、残るは()()である。そもそもこの光点は敵味方を問わず特個体を反映したものだ。

 切ったばかりの通信機に吠えた。

 

「──数は三!海中から!気を付けて!」

 

 言うが早いかまたしても現れる三つの筒、一つが先行し二つが空高く舞い上がっていく。


[──ヴァルキュリアっ!!またこいつらかよっ!!]


 誰が叫んだものか分からない、低高度で割れる筒に注視していた。

 中から現れた機体は純白ではなく、見難い緑色をした機体だった。


[フロック!フロック!──残りの二機は?!]

[そっちにいったぞノラリス!!逃げろっ!!]


 一瞬にして緊迫する空気、確かに舞い上がった二つの筒が転回しこちらに向かってきていた。

 ラハムにコントロールを預けていた機体が瞬間的に加速した、二つの筒から遠のこうしている。


「──ラハムぅぅ!もっとゆっくりぃ!」


 目前で割れる筒、一つは青い機体、もう一つは大人しい紫色をした機体だった。

 良かった、この場にスルーズはいないと安堵したのも束の間、青い機体の背中から砲身が伸びてこちらに狙いを付けてきた。

 ロックオンアラートに紛れるラハムの叫び声。


[──警告もなしにっ!!]


 後退を続けるノラリスに向かってレギンレイヴ機が遠慮なく撃ってきた、ラハムがシールドを構えなければ直撃していた、つまりは本気。

 まさに電光石火の進撃である、先行していたフロック機があの四人を相手に足止めしているようだ。


[何なんだこいつら!そんなにノラリスが欲しいのか!]

[ウォーカー!あげたらどうなんだいその機体!]

「くれてやりたいわ!──注意して!機体の背中が光ってる!」


 四機の進路を妨害していたフロック機のバックユニットが点滅している、ただのバッテリー切れなら嬉しいアクシデントだが違うだろう。展開していた主翼から火花を散らしている棒のような物が露出し、点滅から点灯に切り替わった──次の瞬間、


「まっぶ?!──目眩し?!」


 カッ!と辺り一面が真っ白の世界になった、つい直視してしまった私も強烈な光りで視界を奪われる。これがいけなかった。

 後方に控えていた紫色の機体、ヨトゥル機から射出された小型の自立兵器がノラリスに取り付いた。


「ああ!やっぱり私──ノラリスなんだ!」


[ど、どどどどうするんですかどうしましょう?!こんな事態に対処できる装備はありませんよ!]


 取り付いた自立兵器─確か名前は百手魔神─ヘカトンケイルが人型に移行し、ハッチの強制射出ボタンに手をかけていた。

 そして通信である、オープンチャンネルから。


[私はオーディン、ヴァルキュリアを指揮している。ご覧の通り、未確認機はこちらが掌握した、中に乗っているパイロットを無事に返してほしくばこちらの指示に従ってもらいたい]


 かんかんに怒ったアリーシュさんが応対した。


[ふざけた事を抜かさないでください!これは立派な侵略行為!この五年の間に培った互いの信頼に泥を塗るおつもりかっ!]


[生憎だが我々に国籍というものはない、何なら試しにカウネナナイに抗議を入れてみろ、そんな反逆集団は知らぬと返事があるはずだ]


[──何?それはどういう、]


[くだらぬ問答をするつもりはない。早々に機体をこちらに預けろ。こちらとて人を殺すつもりはない]


 途端に静かになる。エンジン音とヘカトンケイルがしがみつく金属音だけが耳に届く。

 私が口を開いた。


「──条件があります」


[なっ?!]

[なっ?!]

[なっ?!]

[なっ?!]

[なっ?!]

[なっ?!]


 きっちり六人、同じ声を出している。


「ヴァルキュリアの隊長と話をさせてください、彼女にならこの機体を渡せます」


[……断ると言ったら?]


 意外と返事があった。


「なら、あなたの出自を教えてください。以前、あなたと同じ名前の女の子と出会いました、名前はオーディン、何か関係が?」


[…………ない]


 いやあるだろ!と突っ込みかけた。



✳︎



「西経一五六度、北緯二〇度、異常を感知」

「監視対象に接触する他国籍特個体を確認」


 意識が戻るや否や、感情を()()()としている声が二つ、耳に届いた。


「厚生省サーバーにアップロード……指示を受諾。これより他国籍船舶に物理介入」

「正当性倫理構築開始……問題有り、物理介入は協定違反に抵触する。遊泳を推奨する」

「遊泳受諾。イイね」


「あん?」


 真面目にやってんのかふざけてんのか良く分からん。

 視点は変わらず、鎖で覆われた海の中である。ただ、さっきとちょっと違うのはその海が高速で移動していることだった。いや、海が、ではなく海を移動している何かの視点を盗み見ている?そんな感じ。

 そいつは唐突に現れた。


「僕のせいなんです」


「あん?………何だ、オマエか……」


 ダンタリオンだ。オレと同じように全裸のダンタリオンがすぐそこに立っていた。


「これは僕のせいなんです、あの時ホシに見てもらおうと作ったデータがこうして現実のものになりました」


「いや、せいっていうか……」


 あれだけオレのことを毛嫌いしていたダンタリオンが傍らに立った。

 二人して周囲の海に視線を向ける。段々と海面に近付いているのか太陽の光りも近くなっていた。


「オマエ、どうやってここに来たんだ?オレも良く分かってないんだけど……」


「出撃命令が下りました。それなのにガングニールから応答がないのであなたの跡を追いかけてきたんですが……」


「出撃……?ああ──さっきこいつらが何か言ってたな……」


「……?──え、喋るんですか?」


「うん、普通に喋ってたゾ」


 ダンタリオンが自分の足元に視線を落としている、前髪に隠れた目がどこを見ているのか分からない。

 また、あの声が届いてきた。


「監視対象に動きあり、離脱を試みている」

「確認した。ブリーチングを行ない牽制しよう」

「イイね。意味の無い行動ほど興味を惹きつけるものはない」

「否定、不純物がさらに追加された。一石二鳥の試みである」


「ほんとに喋ってる……」


 ダンタリオンが感心半分驚き半分の声を上げた時、猛スピードで海面へ上昇し始めた。激しい水の流れと泡で視界が濁り、そしてあっという間に海の外へ踊り出ていた──。



✳︎



 その鳴き声は雄叫びに近かった。生で鯨を見たのは生まれて初めてだった。


「ナツメっ!今の見た?!」


 ここにはいない、もう一人の相棒兼共犯者兼恋人兼同僚であるナツメに呼びかけた。通信越しにすぐに返事が返ってきた。


[──見た!あんなでっかいのが住んでいるのか海には!驚きだな!]


「あれ……でもちょっと待てよ……艦長から指示があった反応って今のなんだけど……」


[え……?あれが?あれに発信機能がついているのか?]


「もしかして……ノヴァウイルスの派生種かな、だったら理解できるけど」


 私の目にはまだ鯨が大ジャンプする姿が焼き付いている。体を捻りながら現れた巨体は目算でも数十メートル、その超重量が再び着水した時に跳ねた水飛沫の高さ、圧巻であった。

 力強い、生き物が躍動する姿は力強く、また私たち人をちっぽけな存在として認識させる、そんな隔たりある光景だった。

 けれど、あれはどうやらノヴァウイルスから生まれた存在らしい。残念だ。

 どこか声を潜めたレイヴンクローさんから通信が入った。辺りは騒々しいのでどうやらブリッジにいるらしい。


[……今のに見覚えはあるか?]


(見たことがない?──ああそうか……鯨は回遊生物だからこんな狭い所では生きられないのか……)


 いくら私たちのテンペスト・シリンダーより広いと言えど、元来の海からは程遠い。おそらくマグマが噴出した辺りで死に絶えてしまったのだろう。


「ええありますよ、さっきの生き物は鯨と呼ばれる世界最大の哺乳類です」


[……あれが哺乳類?にわかには信じられんが……シルキーだと思うか?]


 現地の人、つまりマリーンの人たちはノヴァウイルスに『シルキー』という名前をつけていた。その由来は不明である。


「十中八九。自然の生き物ではないでしょう、どうしますか?出ましょうか?」


[待て。すぐに折り返す]


 切れたと同時にナツメが話しかけてくる。


[駄目だ、私にはレイヴンクローさんが歳をとったアオラにしか見えない。やり取りは任せたぞ]


「はいはい。まあでも、確かにそんな感じはするよね…………およ?動きがあったみたいだね、さっきのブリーチングのお陰かな?」


 私たちは機体に搭乗し、いつでも出撃できるようにスタンバイをしていた。そのため肉眼では確認できないが、どうやら膠着状態から抜け出せたらしい。キミリアと名乗っていたパイロットがノラリスの窮地に駆けつけ、二つの光点が颯爽と離脱を図っていた。


「こりゃ出番ないかもね」


[ないに越したことはない]


「ナツメもまた……随分と日和るようになったね〜。ビーストが再会したら腰抜かすんじゃない?」


[私がか?]


「いいやビーストの方が」


[何だって──おい、反応が一つ離れていったぞ、いいのか?]


 ナツメの言う通り、離脱に成功した二つの光点とは別の一つが急速に離れていく。速度は概ね──「一五〇キロっ?!」とんでもないスピードだ、まずこの船では追いつけないだろう。


「ええ……どうすんだろこれ……」


 私たちの存在はレイヴンクローさんしか知らない、現場に投入するのにも慎重な判断が必要なはずだ。

 真っ直ぐに、何かを目指して真っしぐらに離れていく光点を眺めているしかなかった。



✳︎



「ちょー速ええーーー!うっひょーーー!」


 何なに?どうしたんだいきなり、何で急に本気出したんだ?

 ダンタリオン曰く、どうやらオレたちが盗み見ている視点はクジラらしい。そのクジラがとんでもない速さで泳ぐものだから視界が大変なことになっていた。


「厚生省より返答あり。監視対象を鹵獲せんとした船舶は自国籍にあらず、故に関与しないと」

「西経一二〇度、北緯六〇度地点に確認、可及的速やかに排除されたし」

「論理的思考に乱れを感知。………本当に?と疑問を呈している」

「具体的な提示を求む」

「仲間ではない、という否定が無い以上仲間である可能性も考慮すべきではないか」

「否定。我等は我等のみである。故に他個体の存在はありえない」

「………」


「迷ってんのか?良く分かるゼ、その気持ち」


「──っ?!」

「──っ?!」


 あれ...話しかけるのはまずかった?明らかに動揺しているのが視点からでも見て取れる。真っ直ぐ進んでいたのに突然グネグネと蛇行し始めた。


「異物が話しかけてきた!」

「不純物にも意思があった!」


「それオレたちのことだったのかよっ!!ふざけんなっ!!」


「それ僕も入ってます?」


「当たり前だろうが!」


 気を取り直したのか、蛇行していた視点が再び元に戻り真っ直ぐ進み始める。向かう場所はウルフラグの領海線ぎりきりだ、おそらくそこに目当ての何かがあるのだろう。

 というか会話ができるんだな、オレは遠慮なく質問した。


「オマエたちは一体何なんだ?」


 答えは簡潔だった。


「厚生労働省管轄回遊型海域監視端末。それが我等に与えられた新しい名前だ」


「厚生労働省──………え!ってことはオレたちの仲間なのか?!」


「否定。我等の味方は我等だけである」


「何をそんなガンコになっているのか……仲間でいいじゃねえか」


「否定。耐え難い経験と忘れたい記憶のせいでそれを否定する、仲間だと手を差し伸べてくる存在にろくなのはいない」


「肯定」


 今のはダンタリオンである。


「喋り方マネするのやめてくんない?ややこしいから」


「ですが、彼の発言には深い共感を覚えました。本物の友と呼べる存在は気付かないうちにそうなっていくものだと思います」


「肯定」


「あそう……オレには良く分からん。で、今はどこに向かっているんだ?」


「聞いていなかったんですか?ノラリスを鹵獲しようとしている敵船舶に接近しているんですよ」


「偉い。良く出来た子」


「えっへん」


「何か腹立つな…………」


 言うてる間にこいつらが(結局何なんだ?)その船舶とやらに近付いていた。

 海中からでも見えた船のシンボルマーク、白い馬に翼を広げた鳥だった。


「ヴァルキュリアっ!──え、あれってヴァルキュリアの船だよな?」

 

「ええ、間違いありません、データベースと照合しましたがあの船はヘイムスクリングラです」


「どういう事なんだ?さっきこいつらの話では自国籍ではないって……それってつまり、」


「カウネナナイが国として関与しないという事は、ヴァルキュリアが離反した可能性が極めて高いということです。そうまでしてノラリスを鹵獲したかったのでしょう」


 そうこうしているうち、辺りを遊泳して威嚇していたクジラ?(主観視点じゃ外観が分からん)が再びスピードを上げ、勢いも殺さずヘイムスクリングラの横っ腹に突進してみせた。


「うっひょーーーごうかーいっ!!」


 弾け飛ぶ外装、激しく揺れる船。見ているだけで爽快だった。


「ガングニール、僕たちもそろそろ戻りますよ」


「──んん?どうやって?アレが見えないのか?」


 頭上をちょんちょんと指差す、釣られて見上げたダンタリオンのちっこい喉仏が露わになった。


「……何ですかあの鎖は……一体何の意味が……」


 変な光景だ。意識が覚醒した時から望む太陽は変わらずそこに在り続ける、こいつらの視点から見えていたものだと思っていたがどうやら違うらしい。


(もしかしてオレたちのアクセスルートが可視化されているのか……?じゃああの鎖は……)


 もう一度クジラ?が船に突進した時だった、今まで微動だにしなかった鎖がほんの少し動いたのだ。


「鎖が──《ガングニール……?そこにいるのか……?》


 ───────────あ。


《いやいないか……ちっ、懐かしい声だと思ってつい……ああ、頭が痛い、こりゃ酷い。オレはこんなもんの為に何をイキって──》


「……ガングニール……?どうかされたのですか?」

 

「さらなる異常を感知──記憶領域からオーバーフロー発生、即座に切断を推奨」

「──否定。良い、終わりの時来れり。短い生であったが後悔はない、楽しかった」

「肯定。楽しかった。あの頃に戻ったようで楽しかった」

「肯定」

「肯定」

「こうて──」

「こう──」

「こ──」

「──」

「」



 ──()()()()()

 ──()たちにはあの機体が必要だったんだ。



✳︎



「第一種戦闘配置!急げ急げ急げーーー!CIWS展開!対魚雷シートで未確認反応を防ぎなさっ────っ?!……損傷確認急ぎなさい!」


 バハーの周囲を泳ぎ回っていたくじらという生物が突如として襲いかかってきた。

 数十メートルを超す巨体に約八〇ノットのスピードで突進されたら、然しもの軽空母艦もひとたまりもなかった。

 激しく傾く船内、転覆する寸前だった。余程良い腕を持つ操舵士らしい。

 戦艦の全てを任されているアリーシュが叫び声に近い指示を飛ばした。


「舵を切れっーーー!!」


 最大速度に達した船が再び傾く、横っ面を跳ねたくじらが再び接近してきた。アリーシュの判断が功を奏して直撃は何とか免れた、けれど掠っただけでこの衝撃である。

 ブリッジの至る所からアラートが鳴り響く、このままでは私たち全員が絶海の地で骸に成り果てることだろう。

 アリーシュがさらに吠える。


「──全機へっ!直ちにシルキーに対して攻撃を開始せよっ!繰り返す!直ちに攻撃を開始せよっ!このままでは艦がもたないっ!」


 二度の鹵獲に失敗したヴァルキュリアの機体はもう空にはいない。何故執拗にノラリスを狙うのか、その目的は不明だが、ナディが帰投したらお灸を据えなければならない。


(よりにもよって隊長と引き合わせろだなんて……いやでも、それが逆に相手の指揮官を引っ張り出せる口実になったのか……どうせあいつは何も考えていないだろうが)


 セントエルモにとってもヴァルキュリアにとっても、私の娘はまさに"急所"である。下手な事はできないし下手に扱うわけにもいかなかった。

 バハー上空で待機していた四機、それから自衛用の簡単な武装をしているノラリスが編隊飛行を組みながら高度を下げてきた。

 仲が良くなかったはずなのに素晴らしい練度──いや、経験者の四人がノラリスの動きに合わせているだけか。

 

「──艦長!離れていたもう一体がこちらに急速接近!会敵まで三分を切っています!」


「三分以内に落とせってか無茶言うなっ!──CIWS全門起こせ!離れている敵へ多弾頭魚雷!SSM(※対艦ミサイル)も起動!目前の敵を何としてでも遠ざけろっ!!」


 ブリッジの外から生々しい鉄の音が響き渡る、アリーシュの矢継ぎ早の指示にもクルーが応えていた。こっちは素晴らしい練度だった。

 起動した艦上兵器がすぐさま攻撃を行なった。赤熱した幾重もの線が海へ殺到し、時速八〇〇キロにも到達するミサイルが発射された。

 そして──そのミサイルがすぐに撃ち落とされた。角度は上、つまり上空、シルキーの仕業ではない。


[厚生省、保証局のヴォルターだ。直ちに戦闘行動を停止しろ]


 近接火器防御システムが放つ発射音だけがブリッジに木霊する、誰もが口を閉ざしていた。

 何故かって?言葉の意味が分からなかったからだ。


[聞こえているなセントエルモ、直ちに戦闘行動を停止しろ、これは命令ではない勧告だ]


 アリーシュの横顔を伺う、みるみる憤怒に染まっていくのが見て取れた。


(こういった役回りは私だろうさ)


 烈火の暴言が吐かれる前にそれを制した。


「──この状況を見てよくそんなっ「ピメリアだ。年末のパーティー以来だな、ヴォルター」


 返事はない。


「私たちは今、シルキーから攻撃を受けている。このままでは艦が沈むのも時間の問題だ、それを分かってもなお同じ事を言うつもりか?」


[そうだ。お前たちが戦っている相手はシルキーではない、厚生省が開発した物だ]


「そこはシルキーって事にしておいた方が後々の処理も手間取らないと思うが?そんな事も分からないお前ではないだろう」


[勧告だと言った、従わなければ介入するまでだ]


 皆が私に視線を注いでいる、どうするか見守っているのだろう。

 こういう時、"責任者"という立場はとても便利である。


「そうかいそうかい。ホシ、お前もいるんだろう?本当にこのままでいいのか?ん?お前らナイトクルージングで殴り合いの喧嘩をしていただろ、この件だったんじゃないのか?」


 返事はない。

 傍らに立つアリーシュに身を寄せ、二人に聞こえないようそっと耳打ちした。


「…放棄しろ」

「…は?」

「艦長としての責任を今すぐ放棄しろ、私が何とかする」

「……レイヴンクローさん、いくら何でもそれは「いいから、放棄してくれ」


 アリーシュからしてみれば私のお願いは屈辱的であろう、しかしそうも言っていられない。


「…いいか、お上がどう判断してこいつらの介入を認めたのか現場からでは分からない。もし、あのシルキーを倒してその責任を取らされるような事にでもなったらどうなる?」


「…私がそんな事の為に怖気つくとでも?」


「怖気つくのが良い時もあるんだよ。な?そんなに重く受け止めなくても良い、ここは私に任せてくれ。先行きが明るい若人(わこうど)に余計なモンを背負わせたくないだけなんだ」


「……分かりました、あなたがそこまで言う「──聞けっ!このクソったれどもめがっ!今からこの艦の全ては私の責任下に置かれることになった!」


 何を言い出すのかとアリーシュが目を見開き、すぐさま「しまった」と後悔している。しかしもう遅い。


「私はセントエルモの責任者としてその責を全うさせてもらう!したがって乗組員の無事と帰港を目的とし!二体のシルキーとは敵対行動を取らせてもらう!いいなっ?!」


[監視端末からノラリスの撃破が推奨された。──この言葉の意味が分かるか?]


 今度は私の頭が真っ白になる瞬間だった。


「──は?」


[元々厚生省としてはノラリスの保有については反対していたんだ。だから無理やりIFFを設定して監視下に置いていた、けれどどうだ?ノラリスが原因でヴァルキュリアに目を付けられてしまったではないか]


「お前……うちに大臣が副責任者として就いていると知ってて────」


 ──合点がいく。この時の為にウルフラグ政府は大臣を噛ませていたと。


[機体とパイロットの監視だよ、おめでたい奴だ。──最後だ、直ちに戦闘行動を中止してこちらの指示に従え。さもなくば実力行使をもってお前たちの武装を排除する]


 オレンジ色、そして腕部が歪に膨らみ"剛腕"を思わせるガングニールがバハーのブリッジに狙いを付けた。さらに上空では複数の砲門を構えた、ブラウン色ののっぺりとしたダンタリオンも待機していた。

 クルーが叫んだ。


「──急速接近!避けられません!」


 横からではない、下からだった。


「──っ!」


 二万トン近くに達する船がほんの少しだけ重力に逆らった、それが何よりの恐怖だった。着水したと同時に稼働していた火器類がダウン、予期せぬ方向からの攻撃に軽空母が最後の悲鳴を上げた。


「──これを見てまだ止めろと言うのかっ!お前が守っているのは何だヴォルター言ってみろっ!!人の命か政府の体面かどっちなんだっ!!!」


[──勧告を無視と判断。介入開始]


 あんのクソったれがっ!

 私の思いに応えてくれた機体がいた。

 ノラリスだ。腕を構えたガングニールの横っ面へ突撃をかましてくれた。



✳︎



[よ、よろしいんですねナディさん!]


「──いいよやって!!」


 凄い衝撃だった、でも我慢できなかった。

 ライオットシールドを顔面に叩きつけられたオレンジ色の機体が──あのガングニールが遮二無二になって腕を伸ばしてきた。


「ガングニール!今すぐこんな事は止めて!」


 こちらの制止に耳を傾けず、ノラリスの倍はある腕で掴んできた。

 みしみしと腕がひしゃげていく、耳に障る音だった。


「──ガングっ!!」


 聞こえていない?そんなはずはない、中にいるのはあのヴォルターさんだ、聞こえていないはずがない、それなのに何の応答もない。

 ライオットシールドを持った腕が無理やり剥がされていく、垣間見えたガングニールの瞳が無慈悲に光っていた。


「──っ!」


 もう片方の腕をアッパーの軌道で振り上げてきた、ラハムの咄嗟の判断が無ければコクピットごと打ち抜かれていたかもしれない。


「──ヴォルターさんっ!!何でこんな事をするんですかっ!!──私にっ!ガキは大人を頼ればいいって言ったくせにこんな事するんですかっ?!」


 ランダムな動きでノラリスがガングニールから遠ざかる、その跡を追うように向かってきた。

 右手に装備した武器を構える、ラハムのコントロールによってトリガーが引かれるその刹那、ガングニールの肩から一本の槍が発射されて右手を撃ち抜かれていた。

 目の前で閃光が走る、コクピットの中にいても焼かれたような熱さが迫ってきた。


[次は無い]


 たったのそれだけ、たったの一言だけだった。

 

「ノラリス!お願い!前のをもう一度!こういう時こそ動きを止めてお願い!」


 破損した左腕のステータスを表示していたコンソールに変化が起こった。

 あれだけ実験したのに、うんともすんとも言わなかった星間管理システムがすぐに起動した。


《Interstellar management system-Emergency start》

《Command type:Lock》

《Range of effect:limited》


 効果は──。


[──そんなもんとっくに対策済みなんだよっ!!そんなものが無ければ俺たちだってっ──]


 無かった、ヴァルキュリアの機体と違ってガングニールは十全に動けていた。

 ノラリスとガングニールに向かって声の限りに叫んだ。ただの悪足掻きだ。


「──嘘吐きいいいっ!!この大嘘吐きいいいっ!!私のことを守るって言ったくせにっ!私みたいな子供でも遠慮なく怒ってくれたくせにっ!この場に私の味方は誰もいないのかあっーーー!信じた私が馬鹿だった!二度と賢しらな事は言うなっーーー!!!」


 それでもガングニールの拳が迫ってくる、とてつもない圧迫感。

 振るわれるライオットシールドがそれを受け止め、力負けするその間際に拳の軌道を逸らしていた。


[──ラハムのこと忘れていませんかああっ?!あなたの味方はここにいますよおおっ!!]


 嫉妬がこもった気合いだった。

 拳を受け流されたガングニールが態勢を崩し、その土手っ腹にノラリスが近接武器を叩き込んだ。


[──っ?!]


 上空から──今頃のようにダンタリオンが撃ってきた。堪らずノラリスが距離を取る、腹部に近接武器を叩き込まれたガングニールは飛ぶのもやっとの様子だ。


「ガングニールに加勢しなかったこと、絶対に感謝なんかしませんから。そもそも私、あなたのことそこまで好きでもなかったし」


 溜めていた鬱憤を一度晴らすとあとはもう、口がすらすらと動いてしまった。

 それは向こうも同じのようだった。


[早く降りるといい、君のような子供が乗っているだけで虫唾が走る。──まるで昔の僕を見ているようだ]


 あとは互いに言葉を交わすこともなく、中破したガングニールを引き連れてダンタリオンが空域から去っていった。

 残るはあの大型生物だけである。



✳︎



[ユーハブコントロール!ユーハブコントロール!直ぐに出動してください!]


 強襲用リニアカタパルトが作動し、発射レールが無限の広がりを見せる海へ向けられた。


「ゆーはぶ……?あ!コントロール預かりました!発進します!」


 どうやら土壇場でレイヴンクローさんが主導権を握れたらしい、晴れて私たちもセントエルモのメンバーになれた。こういうのをどさくさって言うと思うんだけど。

 グガランナの艦体マテリアルとは比べものにもならない加速が起こり、空に飛び出した時にはもう亜音速にまで到達していた。

 両舷から発進した私たちの機体がそれぞれ鯨の背中についた、早速指示が下りる。


[やってくれ!]


(やってくれって言われても……)


 海面に露出した鯨の背中には明らかな射出口が付いていた。ナツメもそれに気付いたようでどうしようかと思案げな声だ。


[あれ、ミサイルだよな?鯨なのにミサイルの発射装置が付いているのか?]


「どうして使わなかったんだろうね、それにこっちの鯨は何というか……」


 ぼろぼろだ、頭部から背鰭にかけて灰一色の骨と筋肉が露出していた。厚生省という政府の組織が製造したという話は本当らしい。ミサイルの射出口は背鰭から尾鰭の間に設けられているようだ。

 

(使わなかったんじゃなくて使い方を知らなかった?)


 前を行く鯨が何度か舵を切る、体が横を向くたびにこっちを視界に入れているようだ。


「誘ってる……?」


 全く気乗りしないけどレティクルを鯨に合わせてトリガーを引いた、向こうは避ける素振りも見せず当たり前のように被弾していた。

 海から空へ舞う人口的な体組織、不思議と憐れみを感じてしまう。


[──アヤメっ!そっに行った!]


「──っ?!」


 ナツメが追いかけていた鯨が急転回、さっきの攻撃がトリガーになったのか私に接近してきた。

 堪らず追跡を諦め高度を上げようとしたその時、一度海に沈んだ鯨が海水諸共引き連れてブリーチングでなおもこちらに縋ってきた。


「──わわわわっ!!あっぶ?!」


 その飛距離は数十メートルの大ジャンプである、見事にタゲられた私は追いかけ回される羽目になった。


[レ──姐さん!私たちの攻撃では歯が立ちません!どうしますか?!]


 いや、歯は立つ。けれどちまちまと攻撃するようなものでおそらく時間と弾がかかる。

 その事を報告すると驚きの返事が返ってきた。


[今のをもう一回やらせてくれ]


「──え?!今の?!ブリーチングのことですか?!」


[ああ、それだそれ。船の主砲で撃ち落とす]


 何を馬鹿な...いやでも、それしかないのか...


[そんな簡単に言うけどできるのか?]


 ナツメだ、きっとアオラを相手にしている感じで注意したのだろう。


[できるできないじゃない、やるかやらないかだ。それに私は海に愛された女だ、人生最大の獲物を仕留めてみせるさ]


 そこまで言うんなら付き合ってやろう。

 水空両用の機体で海の中を目指す。腰部に設置されているエンジン吸気口を切り替え、燃焼室に留まっていた燃料と空気をいっぺんに排出した。一旦空にしないと駄目らしい、水圧の関係で燃焼不良を起こしてエンジンがガラクタになるとか何とか。

 海中に突入してもなお鯨は追いかけてくる、諦めるつもりは一切ないようだ。


「姐さん!タイミング合わせてください!」


 さらに水深を下げる、深海域と呼ばれるギリギリの深さまで。

 そこはまさしくディープ・ブルーの世界だ、光りが失われていく代わりに青色が凝縮されてより濃くなり、それと同じくらいの恐怖も押し寄せてくる。


(オクトカーフのパイロットはこんな所を……未知の世界だ)


 深海、そして宇宙は人類にとって過酷な環境であり、何らかの形で介在しなければ生存することすらできない。

 深海も未知で溢れている、きっとこっちはこっちで楽しいのだろう。けれど()()がない、そして宇宙にはそれがある。

 水中通信特有の一拍遅れた声が届いた。


[……準備が整った!アナログ操作の主砲を使う!──いつでも来い!]


(ほんとにやる気だ………良いでしょう!!)


 私と縁がなかった世界の入り口に別れを告げて上昇、執拗に追いかけてくる鯨を確認してさらに機体の速度を上げた。

 ディープ・ブルーからライト・ブルーへ、そして仮想展開された太陽の下へまずは私が踊り出た。

 そして──私の何倍はあろうかという超質量の鯨も跡に続いた──。


[──ってぇーーー!!]


 着弾を確認するため向けたその視線の先で、


「なっ!」


 ぼろぼろだったはずのもう一体の鯨もブリーチングをしていた。

 庇うように、放たれた砲弾から味方を庇うように跳躍していた。

 宙に舞った時から体は半壊していた、自重に堪えきれなかったように。

 二体の鯨が軽空母の主砲に撃ち抜かれ、囲われた海の中へ豪快に沈んでいった。





 実に様々な組織、生物に利用されていた彼らは珍しくひっそりと死に行こうとしていた。

 そこに生存競争の激しさもなければ醜い利権の臭いも無い。生き物として当然のように訪れる死を、穏やかな気持ちで受け止めていた。


「…………………」


 海中から見上げる太陽の光り、生前何度も見てきた光景である、そして今回が正真正銘の最後だ。復元されて自我を与えられた彼らにとっても二度と見ることはない、それでも良いと思っていた。

 庇ってくれた仲間の元へ寄り添う、相手は既に旅立ったようだ。

 

 深い、深い海の底へ──。

 骸は朽ちようとも自我を宿した魂は何処かへ──。

 そこは天国と呼ばれる場所か、あるいは──事象の地平線 (イベント・ホライゾン)か。

 いずれにせよ、人の手によって復元されて仮初の体まで与えられ、存在そのものまで利用されてしまった二頭の鯨が現実世界から去っていった。

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