第71話
.邂逅
翌る日、アミキスとナターリアの稽古の音で目を覚ました。どうやら使用しているのは木剣らしく、乾いた剣戟が寝室にまで届いてきた。
程なくして二人が館に戻ってくる、昨日言っていた通りアミキスはあまり汗をかいておらず、かたやもう一方は汗だくで体のあちこちに痣をつくっていた。
「雑魚過ぎ」
「ぐぬぬぬっ……」
「はいはい、湯浴みして食事とって、もうすぐ出かけるんだから」
エノール侯爵から指定された時間は陽が天辺に昇るまでの間、つまりは朝の早い時間帯だった。
三人とも用意を済ませて母艦が停泊している桟橋へと向かった。途中、ヴァルキュリアの部隊から派遣されたらしい人と合流し、簡単な身体検査を受けてから桟橋に到着した。
「…………」
太陽が顔を覗かせてからまだ間もない時間帯だ、海も町も朝焼けに染まり殊更冷たい空気が満ちていた。
どうやら昨日は大量だったらしく、釣れたての魚たちが天然の冷凍庫と言わんばかりに地面に置かれた鉄板の上に並べられていた。
「………」
アミキスをちらりと盗み見る、太陽を背に隠して堂々と佇むヴァルキュリアの母艦を無感動な目で眺めている──ようだった。つまりは良く分からない。
(う〜ん……)
さらに入念なチェックを受け─アミキスが嫌よ!と一悶着を起こしつつも─ようやく私たちは強襲揚陸艦ヘイムスクリングラに乗船することができた。
それはあまりにも唐突だった。
「ようこそいらっしゃいました、私はスルーズと申します。ご用件は司令官より承っていますので何なりと申し付けてください」
「……っ」
マカナだ。まさかのマカナが私たちの相手をしてくれるらしい。
かなりキョどったと思う、でも無理もない。
「あ、え、その、私はナディ・カルティアンと申します、ご丁寧にありがとうございます」
「ええ、はい」
マカナが他所行きの笑顔を貼り付けたまま私たちを促した、ナターリアが続き、そしてやっぱり無感動そうに見えるアミキスもマカナの跡に続──こうとして早速怒られていた。
「馬鹿たれ!お前はナディ様の後ろだ!主を放って先に歩く従者があるか!」
「あんただって先に歩いているじゃないの!棚上げ?棚上げですか〜〜〜?」
「もう!止めなさい!こんな所で!」
とんだ恥である、今の今までは許せたけどさすがにマカナの前では何だか恥ずかしかった。
そのマカナと言えば「賑やかな方たちですね」と微妙な言葉をかけてくれただけ、ふん!と鼻を鳴らしたアミキスには見向きもしなかった。
(ああもう!平常心でいられない!)
おそらく元ヴァルキュリアの隊員アミキスと、私の親友であるマカナ。二人の心根が分からないままヘイムスクリングラの視察が始められた。
✳︎
アッシリア艦隊旗艦バハーが出港してから約半日が経過し、私たちは順調に領海内ギリギリの絶海に到着していた。
「君の出番はまだだから待機していなさい」
「あ、はい」
新しいノヴァウイルスが潜伏していると思しき場所には既に無人探査機が投入されており、深海探査技術団から抜擢をうけた人たちが真剣な表情で作業を続けている。
船の要所には陸軍から派遣された兵士の方たちが詰めており船内、船外問わず終始厳しい目を向けていた。
──見渡す限りのプロ!プロプロプロプロ!プロばっかりである、初々しい人なんて誰もいない、皆んなが誰に指示を受けるわけでもなくキビキビと動き回っていた。
これがプロの現場だ、船尾に位置する甲板作業場で一人ぽつねんと立っているのが寂しくて堪らない。当たり前だけど誰も私に声をかけてくれる人などおらず、手持ち無沙汰にただ突っ立っているだけだ。
今すぐ自分の部屋に帰りたかったけどそうもいかず、もしかしたら有人探査艇も投入することになるかもしれないから現場で待機していろ、と命令を受けていた。
(だったらこのままでいいじゃん、とはいかないんだよね〜〜〜皆んな忙しそうにしてるのに自分だけっていうのも……)
そんな私にでもやれる事が一つだけあった、たまにだけど。
「ウォーカー!ちょっとこっちに来てくれ!」
「あ、はい!」
と、時折呼び出され、投入している無人探査機のカメラ画面を見ながら「これは知ってる、これは見たことがない」などといくらか確認させられる、それだけだ。
頑張って話しかけても塩対応。
「あ、あの、オクトカーフの投入って……」
「──え?何?」
聞こえていないわけではない、"何でそれを俺に訊くの?"の"え?"である。
「な、何でもありません……」
またすごすごと定位置に戻ってくる。船内へ続くその出入り口の横、室外機がずらりと並ぶ作業場の隅っこが私の居場所だった。
(思ってたよりもプロの現場って華々しくないんだな〜〜〜皆んなピリピリしてるし……)
塩対応されたのも、何も私を嫌っているから、などという"思い上がり"は早々に見切っていた。皆んな自分の仕事に必死なだけだ、誰も他人を構っている余裕なんてない。その必死さが仕事に対する責任感なのか、周りを出し抜いてやろうとする出世欲なのかは分からないけれど...
(これが歳を取った子供の世界って言うんなら、私は別にいいかな〜〜〜)
端的に言って魅力を感じなかった。他人のことなど知ったことかと、そんな人たちで溢れかえった場所で目立っても仕方がない。
それにだ、他人を蹴落とさなければ幸せになれないのなら、初めっからそんな幸せは求めない。
──と、何だかんだと自分も周りの空気に当てられて擦れた考え事をしていると、作業場に姿を見せた人たちがいた。あの四人組みパイロットである、そしてピメリアさん。
「うんわさっみーーー!」
「さっぶ!もうどうでも良いって〜〜〜」
「どうでも良いとか言うな、皆んな必死こいて探しているんだぞ」
「現場を知ることも大事な務めですよ」
「何偉そーに」
「ん?………ふっ」
(また笑われた………)
キミリア・ハーケン、一番幼い顔をしてやたらと私を鼻で笑ってくる相手だ。
ピメリアさんも私に気付いた。
「……ん?何やってんだそんな所で」
「見れば分かるでしょ、待機ですよ待機」
不機嫌に返した私の言葉には応じず、ピメリアさんたちがさっと離れていった。
◇
(帰りたい)
初日の無人探査機による調査は昼に持ち越しになった。なので今はランチタイムである、勿論一人で。
寂しいのなんの、不貞腐れていることを自覚しながらスクランブルエッグを突いていると着信があった。
ライラからだ。
[も「ライラ〜〜〜帰りたいよ〜〜〜」
もしもしと言う前から速攻愚痴をこぼした。
ライラにかくかくしかじかと現状を伝えると、意外にも冷たく切り返された。
[職場なんてそんなものだと思うよ。優しい人が多いユーサが珍しいんだよ]
「そうなのかな〜そうなんだろうね〜……あ〜あ……私勿体ないことをしたのかもしれない」
[珍しいね、ナディがそこまで弱るだなんて]
「だって話し相手もいないし、皆んな冷たいし、そりゃやる気だってどっかに行っちゃうよ」
[明日の夕方までなんでしょ?一回目の調査、今回はお試し期間だと思って割り切ったら?んで、次から自分なりの過ごし方を見つければいいよ、例えば担当が全然違う人と仲良くなるとかさ]
「──ああ、やっぱり?担当が一緒だと競争相手になっちゃうから、とか?」
[そりゃそうだよ、皆んな一番になって目立ちたいからね。担当が違えばそんな事気にしないで済むからまだ気安く話しが出来ると思うよ]
人付き合いって...そんなに大変だったのか...
何だかやるせない気持ちになりながら、テーブルの上に注いでいた視線を上向け食堂内を見やる。
調査支援母船と違って何の趣きもない、視界を遮るように観葉植物が置かれている程度で鉄骨の梁が剥き出しになっていた。それぞれのテーブルについている人たちはお喋りをしながら食事をとっている、けれどああやって誰かと気兼ねなく喋るのも何かしらの努力が必要なんだと思い知らされてしまった。
確かに私は何もしていない、いや、話しかける努力はしているけど長続きしたためしがなかった。
「大変なんだね〜人付き合いって……」
[そりゃそうだよ!ナディはまだ邪魔されたことはないんでしょ?]
「何だって?邪魔された?」
[私が初めて勤めた資源管理室なんて酷かったよ。同僚同士で足の引っ張り合い、ミスのなすり付け、挙げ句にはわざと失敗するように仕事を引き継いだりとか]
「え〜………何でそこまでするの?」
[皆んな出世したいからじゃない?だって同僚がミスればミスる程自分にチャンスが回ってくるんだもん。仕事の腕よりそっちに磨きをかけている人たちばっかりだったから]
ライラには悪いけど遠慮なく「うわぁ……」と言ってしまった。言われた本人もくすくすと笑っている。
[こんな言い方はとても嫌だけど、ナディは恵まれていたんだと思うよ─[─コールダーさん?]
「──んんっ?!?!」
何今の声!誰の声?!凄く綺麗な声だった!
自分の置かれている境遇も忘れ、私はライラに噛み付いた。
「今誰かと一緒にいるの?!」
[え?ああうん、学生時代の知り合い。珍しく連絡取ってきたんだよね]
少し離れた位置から「その言い方は酷いな〜」と聞こえ、「だって事実でしょ?」とライラが気さくに返している。
(──え!ちょっと待って何この気持ち!)
油断...?いや、意外?ええ〜〜〜胸の中を掻き回されているようでとっても"不快"だった。アキナミとキスをしたと聞かされた時以上に"不愉快"だった。
けれど、ライラはそんな私に露とも気付かず電話を切ってしまった。
[じゃ、また連絡するからね、あんまり無理しないでね]
「ちょ!」
せめてその相手の名前ぐらい...いいや今どこにいるのか...いやいやその人とはどれくらい仲が良いのか...と、頭の中まで掻き回されてしまった。
あの日蓋をした感情が溢れ、されるがままに翻弄されているとまたあの四人組みが視界に入ってきた。そしてやっぱりキミリア・ハーケンが私をわざわざ見て、「ふっ」と鼻で笑っていた。
「…………」
相手にするのも馬鹿らしかったのでそのまま視線を外してやった。
◇
昼からの作業はもう本当にどうでも良かった。私の頭の中はライラのことでいっぱいで、それ以外の事はろくすっぽ考えることすらできなかった。
だというのに...午前中、散々私を呼んでいた男性が再び声を上げていた。
「ウォーカー!ちょっといいかな?!」
「……………はい」
「──っ!………いや、これなんだけどね、一回目の調査の時にもこうやって穴が掘られていたんだよね?その時と類似していると思うんだけど「だから何ですか?」……いや、その、だからね、ここにいると思うかって訊いているんだけど「近くにタガメはいましたか?」……え?何?タガメ?「いないんならハズレ、いるんならアタリです。事前説明会に参加していなかったんですか?」……………「参加してなかったんですか?どっちなんですか?聞いていないんならきちんと説明を受けた方が良いですよ」
少し言い過ぎたかもしれない、絶句している男性に代わって別の人が割って入ってきた。
「いやいや、こいつは今日臨時で入ったものだから何も知らなくてね、手間取らせて悪かったよ。なるべく君を頼りにしないように頑張るからさ「よろしくお願い致します」……………」
あれ、また絶句している。真冬の日差しが眩しいのか、サングラスをかけている人が口をぱくぱくとさせていた。
頼りにしていないんならそれでいい、私もオクトカーフに乗船したい気分でもなかったからちょうど良かった。
もう何も訊くことはないだろうと思いそのまま踵を返したが、私の居場所に先客が──いいや、後客か、とにかく横取りしている人がいた。
キミリア・ハーケンである。いきなり説教から始まったのでそれはもうカチンときてしまった。
「ちょっとさあ、君、態度が悪くない?あの二人涙目になってたよ、あそこまで悪く言う必要が「人のこと言えるんですか?」
「………い、いやいや、僕は君のことを思ってだね、それに、さっきだって僕のことを無視したでしょ?」
「は?」
「…………いや、だからその、ちゃんと目を見て会釈した「それ本気で言っているんですか?鼻で笑ってましたよね?」
「………………………」
またである、藪から棒に現れたキミリア・ハーケンすらも絶句していた。
あれ...そう言えばフレアが確か...怒った私はとんでもなく怖いとか何とか...そう思い出した時に船内からばばっ!と二人の男女が飛び出してきた。
「ウォーカーさん、疲れているのなら船内へ、あまり無理はしないでください」
「士官室を一つ押さえていますからどうぞこちらに」
二人とも陸軍から派遣されてきた人である、つまりは私の身辺警護を務めてくれている二人だった。
一人は男性、一人は女性である。名前はうろ覚えだけど良く似ている二人だな、という印象を持っていた。
巻き毛になった髪を短くツインテにしている女性がさっと私の手を引き、同じく巻き毛でピンピンと立たせている男性がキミリア・ハーケンに軽く会釈をしてから少しだけ遠ざけていた。
「失礼致します」
「あ、いやっ………」
何だそれって、何その声って思ってしまった。
キミリア・ハーケンの弱った声を聞いてもなお腹の虫がおさまらなかった。
✳︎
腹の虫がおさまらない、とは良く言うけれど、ここまでかヴァルキュリア!と思った。
「……もう一度、お願い致します」
「ですから、アミキスという方は戦乙女ではありません、カルティアン様の思い違いでしょう、と言いました」
「………いや、いやいや、私の話を聞いていましたか?「ええ、勿論です」
「…………」
艦橋の入り口に設けられた日差しが太陽の光りを遮っている。日陰の中でもマカナの綺麗な瞳が、あの頃と違って冷たく光っていた。
視察は順繰りと、淡々と進められてもう終わろうかという時間帯だった。視察という名目で他所の人間、それも─自分で言うのもなんだけど─高位の者が見て回る時は限って人を滅多に見かけなくなる。それは別に良い、寧ろ今のような話をする時にはちょうど良かった。
問題はマカナである──いいや、この場合は"スルーズ"と言うべきか、間違いなく元同僚であるアミキスを「知らない」とシラを切り続けていたのだ。
(彼女の言う通り私の思い違い……?いやいや、どう考えてもアミキスはヴァルキュリアだ。そうでなければあの強さに説明がつかない)
乗れる?普通。ただの従者が、確かに剣の腕は立つがそれだけで特個体にまで搭乗できるというのだろうか。ちなみにナターリアは生まれてこの方一度も乗ったことがない、それが普通なんだ。
(それに……何て格好をしているの)
マカナの服装がまた...こんなの着れる子じゃなかったのに。
ボディラインを強調するようにタイトなスーツを着ていた。肩は剥き出し、そのくせ二の腕までのロンググローブ、スカートは膝上、膝上て。ちょっと屈んだだけで下着が見えてしまいそうだ。そのくせ足の付け根近くまであるニーハイである。そしてこのスーツが全て白色で統一されており、肌とのコントラストも強調させてより一層扇情的に見せていた。
確かに可憐だし特別性もあろう、けれどこれを未成年の女子に着せて良いものなのか?私なら絶対採用しない。
「その服寒くない?大丈夫なの?」
ついタメ口で話しかけてしまった。向こうも、まさかいきなりそんな事を言われると思っていなかったのか「え、は?」とちょっとだけ動揺している。
しかし、すぐに気を取り直して「これがヴァルキュリアの正装です」と他人行儀の言葉を返していた。
「……そうですか。この際だからあなたにはきちんとご説明しますが、ガルディア王よりヴァルキュリアに謀反の動きありとお話しを受けました。だからこうして見学に来たのです」
久しぶりに再会したというのに、その喜びを臆面にも出さない友人に対する怒りか、それともアミキスに対して冷たい態度を取るスルーズにか、どちらにしても私のボルテージが徐々に上がりつつあった。
「それは間違いであったと、今日の視察を経てガルディア王にご返事が出来るかと思います。我々は清廉潔白にして勇猛果敢であり、ヴァルキュリアの剣は王の為にあります」
取って付けたような台詞である、一つも胸に響かなかった。
本当にマカナはシラを切り続けるつもりでいるのか、私たちにとって諸刃の剣を抜き放った。
「……ねえ、私が誰か分かるよね?ナディじゃなくてアネラだよ、まさか忘れたの?そんなはずないよね?それに、そんな他人行儀な振る舞いができるマカナじゃなかったよね?」
マカナの答えは──
「申し訳ありませんが人違いではありませんか?私はスルーズ、オーディン司令官に仕える誇り高き戦乙女の一人でございます」
艦橋前の外階段、そこへ吹きつけてくる風の冷たさも全く気にならなくなっていた。──真冬の冷気よりなお自分が冷たくなっていると自覚したからだ。
「──そうですか、失礼致しました戦乙女のスルーズよ。あなた方の献身的かつ人の情愛さえも切り捨てる気高き決意はガルディア王も頼もしく思っていることでしょう。公爵様の報告は間違いであったと私の方から説明させていただきますのでご安心を。何をも忘れ、人としての思い遣りも陸に置いてきたあなたに帰れる場所があることを心から祈っています」
✳︎
「吐きそう」
「……いや、まあ、うん、すまんが見ていた」
「ほんと吐きそう」
「すまん、俺の我が儘に付き合ってもらったばかりに」
「いや、親友二人の事もそうなんですが…ギアの調整を受けていないのでそれもあります…ほんとマジで吐きそう」
「俺を気遣っているのか怒っているのかどっちなんだ?」
「両方」
「………すまんが今は堪えてくれ」
「いつまで?」
「……そう長くはかけないつもりだ」
「皆んなに説明は?」
「する必要は無い。というより他の者たちは俺の事をそこまで信用していない、全員お前を頼りにしている。鎹になっているとも言えるが」
「……もう一度訊きますが、マキナたちと手を組むことが本当に皆んなの為になるんですよね?」
オーディン司令官がいつものように、精神作用を切っても深みのある声でこう宣言していた。
「ああ。そして全てのしがらみから解放する」
ギアの調整には何かしらの依存性がある...それにオーディンという名前はマキナから取ったものだ、そして記憶整理に退役した元戦乙女たち。
(まあでも……ヒルドが思っていたより元気そうだったから、何よりかな……ああ、でも、友人二人からあんな事されるのは……辛みが深すぎる……)
✳︎
どうやら、第一回目の回収作業が恙無く終わったらしい。陸軍に所属し、なおかつ私の警護の為に乗船したテジャト・ミラー(思い出した)さんからそのように教えてもらった。
「それは良かったですね」
「はい、無事が一番ですから」
淀みなく、そして何ら含むことなく爽やかな声でそう言った。ちな兄(ちなみにお兄さんらしい、という略語)。
もう一人、テジャトさんの妹でありやっぱり双子だったアルヘナさんも斜向かいに座っている。ここは連行された士官室だ、飾り気の無い部屋でも暖房が良く効いていた。
アルトの声が部屋に響いた、アルヘナさんだ。良く通る良い声だった。
「後で整備士たちに謝罪をしなければなりませんね」
「その必要はありませんよ、甲板でグラサンをかけた人によろしくお願いしますと言っておきましたから」
「……?」
「だから体調が良くないと私たちの所へ連絡が入ったんですね、最初は何事かと思いましたよ」
「だから来てくれたんですね、私も慌てて来られたので何事かと思いました」
「???……ちょ、ちょっと、さっきから何を喋ってるの?」
テジャトさんがアルヘナさんの袖を引っ張っている。
「オクトカーフについて」
「そんな事一言も言ってなかったよね?」
「でもウォーカーさんには伝わっているじゃない、そうですよね?」
「はい」
「ええ……」
主語が無かったからテジャトさんにしてみれば、何が何やら状態だったのかもしれない。
確かにこの二人はセントエルモのメンバーたちと比べていくらか話し易い。けれどそれは私が護衛対象だからなのであって基本的に低姿勢だ。
(うう〜ん、こんな事をいちいち考えたくなかったのに……)
それに甘える形で仲良くなっても...と、変な事を考えてしまった。
無骨な部屋の中で三人、散発的な会話を続けている合間にも船は進む。目的であるノヴァウイルスとやらを無事確保できたのでウルフラグへ戻っているのだ。拍子抜けするほどあっさりと、けれどそれは過去二回における調査活動の経験値のお陰もあるのかもしれなかった。
思えば、全ての調査活動に参加しているのは私とピメリアさんだけである。そして、その本人がニヤニヤと笑いながら私たちがいる士官室に入ってきた。
ピメリアさんを見るなり素早く立ち上がり敬礼する二人、どこか怯えているように見えた。
「おいおい〜お前作業場で何をやらかしたんだ?他の連中がナディ・ウォーカーの機嫌の取り方を教えてくれって私に泣きついてきたぞ〜」
「知りませんよそんなの、私はただ突っ立ってただけですから」
ピメリアさんが二人に一瞥をくれることなく空けた椅子にどかりと座った。
「めちゃくちゃビビってたぞあいつら。普段のお前はのほほんとしているからそのギャップが堪らなく怖かったんだろうな」
「……はあ、それは何かすみません。あの、ちょっといいですか?少しだけ肌寒いので何か羽織れる物を借りてきてもらえると……」
そう二人にお願いし、後は機敏な動きで部屋から出て行った。これで暫くは戻ってこないだろう。
出て行く間際になってようやくピメリアさんが二人に視線を向け、少しだけ眉を寄せてからこっちに向き直った。
「何かあるんですか?顔に出てますよ」
「お前はほんと……やり難いな。まあいいか、お前もプロの仲間入りを果たしんだから。包み隠す言うがあの二人はただのご機嫌取りだ」
「誰の?」
「国民の皆様方だよ。前回の騒動に陸軍が一枚どころか何枚も噛んでいたんだ、そのせいで起こってしまったと言っても過言じゃない、だから顔合わせの時にアマノメ大将が近付いてきたんだ」
「ああ、それで……だから総理大臣にお願いして……」
「そ。あのナディ・ウォーカーを護衛して無事に調査を終えたって言えば、陸軍に対して風当たりが強い世論も少しはナリを潜めるだろうって魂胆さ。ほんとくだらない、セントエルモを政治の道具に使いやがって」
「ピメリアさんも似たような事をやってましたよね」
ほんのちょっぴり、ピメリアさんの私を見る目が変わった...ように見えた。
「そりゃ勿論、自分の仲間が得をするなら何だって利用してきたさ、その逆もまた然りで商売敵を追いやれるなら何だって足蹴にしてきた。私はそういう人間だよ、幻滅?」
「いいえ、私にはできない生き方だなって思ったぐらいです」
「そうかいそうかい、幻滅されなかっただけマシと捉えましょうか。それから、甲板に戻る時は機嫌を直してからにしてくれよ、ほんと空気が変わるみたいだから、なっ!」
なっ!のタイミングで私の肩をばちん!と叩いてきた。その弾みでまた涙腺が緩んでしまったのが不思議だ。
いや、人の優しさに触れてちょっとは凝り固まった心が解れたのかもしれなかった。
「……すみませんでした」
「いいって。でも私もお前の面倒ばかり見ていられないからな、ほんとあれやこれやと勝手に派閥を作って好き勝手……こっちも何かと大変なんだ、今から人に会わなくちゃなんないし」
「ん?今からですか?」
「ああ、追加で人が補充されたんだよ、グガランナと一緒に会ってくる。じゃあな期待のニュービー、人の事ばっかり見ていないでたまには自分の機嫌を取れよ」
そう言って、ピメリアさんが颯爽と部屋から去って行った。
✳︎
ナディと別れ、調査船とは違いやたらと天井が低い通路を進んでいるとあの二人と出会した。その手には律儀にもブランケットと、さらに追加の飲み物まであった。
「随分と気合いが入っているな」
すっと脇に退いて道を空けている、私の皮肉には敬礼で返していた。
良く似た二人だ、私に近い位置には兄貴分なのか、テジャトという双子座の片割れがもう片方を守るようにして立っていた。
「あいつに気遣われた時点で大したことないよ、お前ら。今回限りで護衛ごっこは止めるこった」
低い声で女が即答した、名前は確かアルヘナだ。
「それを決めるのは私どもの上官でございます。セントエルモの邪魔はしないよう細心の注意を払う所存です」
「もう既に邪魔なんだが」
何も答えない。
まあ、すぐにこの二人が尻尾を巻くとも思っていない。軽いジャブを繰り返し放っていればそのうち私に嫌気が差して逃げて行くことだろう。
去り際、二人のど真ん中に立ちこう言った。
「あれでも私の娘でね、血縁者ではないがそれぐらい大事に思っている。この船でどう過ごそうがお前らの勝手だが………禊の為に利用したら容赦しねえぞ?ん?」
「…………」
「…………」
「何とか言えや、誰がこの船の人事権を持っていると思ってんだ」
「そのような不純な理由ではありません」
「言質は取ったぞ。お前らの不手際はお上に直結していると思え」
あとは二人、こちらの顔を見ることなく軽やかな足取りで歩いて行った。
◇
「怖い、純粋に怖いわピメリア」
「色々とあってな、八つ当たりしたのは認めるよ」
どうやらあの場をグガランナが目撃してしまったらしい。心なしかいつもより距離がある。うんうん、そういう距離感が好ましい。
場所は変わってがらんどうのハンガーに来ていた。
軽空母バハーは一応、敵地に対して強襲を仕掛けられるよう攻撃的な設備も積まれており、その内の一つがここ、『対陸用強襲リニアカタパルト』である。
普段のハンガーと違い、ここは天井が幾分か低い。低いと言っても人間が使うには十分過ぎるほど高いが、ここのハンガーは特個体が寝そべるような形でしか格納することができなかった。
リニアカタパルトのレール前に立つグガランナもどこか疲れた様子を見せている、あれやこれやと色んな所から声をかけられていたので辟易しているのだろう。
「ちょっとは嫌気が差したか?人間の世界に」
ふっ、と自嘲気味の笑みを溢してから答えた。
「……そうね、そうかもしれないわね」
多くは語らない。──その時、ハンガーの天井が一人でに開き始めた。
天板を支えているピストンが作動し、ギラついた油に塗れているシリンダーへ収納されていく。途端に冷えた空気が頭上から降り注ぎ、私はジャケットの襟を手繰り寄せていた。
「何なんだ?どうして天井が開くんだ」
「このハンガーに機体を格納するためでしょ──あああっ?!?!危なっこわっ?!」
グガランナがもたれかかっていた手摺り──だと思っていた物が結構なスピードで持ち上がったので、危うく巻き込まれそうになっていた。
良く見れば足元には「立ち入り禁止!」の文字が書かれている。
「立ち入り禁止だってよ」
「〜〜〜!〜〜〜!」
ちょっとしんみりしていた空気を出していたのにとんだ邪魔が入って怒っている。そして私がやつ当たられていた。
(因果応報)
開いた天井へ迫り出すようにレールが動き、今まで見た事もない真っ白の機体が収まった。
(何なんだあの機体は……あれで戦えるのか?)
下半身と上半身を繋ぎ支えているはずの胴体部分が異様に細く、また腕部と脚部の関節機構も剥き出しになっていた。あれでは少し被弾しただけでもダウンしてしまいそうだ。
対陸用強襲カタパルト兼ハンガーに機体が収まり、案の定寝そべるような姿勢になってからようやくコクピットのハッチが開いた。
女だ。すらりと細い女が現れ、続いて不気味な程に顔立ちが整っている男も現れた。
名をゼウス、どうやら奴もマキナの仲間らしい。
「ご機嫌ようゼウス、突然の連絡と突然の訪問はいつもと変わらないわね」
ゼウスと呼ばれたマキナが芝居がかった仕草で髪を払い、そして答えていた。
「そりゃどうも、こっも色々と忙しくてね。それに随分と砕けたようだね?そっちの方が話し易くていいよ」
「そりゃどうも。で、その人は?」
「強力な助っ人さ!これでシルキー対策もばっちりってね!」
そう紹介を受けた女がゼウスより前に立った。
均整の取れた体付きは鍛えているのが一目で分かる、胸は無い、戦うのに適していると言えるだろう。
機体と同様に白いパイロットスーツ、所々に青いラインが入っている。そして顔はというと...
「バイザーぐらい外したらどうなんだ?ちょっとそれは失礼じゃないのかい?」
「…………」
「悪いね、色々と決まり事が多くてそれは無しの方向で」
「…………」
女が装着しているヘルメットはフルフェイスの物だ、バイザーには可視光を吸収する機能でもあるのか全く顔が見えない。だが、女からは私たちのことが見えているはずだ。
「おいなあ、顔も見せられない相手に背中を預けろって?そこんとこどうなんだよゼウスさん」
「預けてくれる?これでも目一杯の援助のつもりなんだけどね」
グガランナに視線を向ける、意図して外しているように感じられた。
(──ああ、そういう事か)
女に向かってもう一度声をかけた。
「あんたまさか、もう一つのテンペスト・シリンダーから来たのか?だから顔が見せられないんだろう」
にわかに空気が変わった、当たりらしい。
ゼウスが非難がましくグガランナを睨んでいるのも見逃さなかった。
「今さらのこのこ現れてどういう領分なんだ?あんたこの現状を見てまだ顔を見せたくないって?」──まあまあ!まあまあ!認めるよ!確かに彼女は第一テンペスト・シリンダーの人だよ!」
私が胸ぐらを掴んでも女は怯みもしなかった、こいつ本当に人間なのか?
ゼウスというお調子者が私たちの間に割って入った。
「というか君、テンペスト・シリンダーの事は信じているんだね?グガランナからの報告ではそもそも存在自体知らないって聞かされていたんだけど」
「んな事どうでも良いんだよ、てめぇらが逃したウイルスのせいでこっちはてんてこ舞いだ、分かってんのか?あ?」
「いいからいいから!──言っておくけども!彼女たちに非はないよ!寧ろ協力してくれているんだから!ね?!」
胸ぐらを掴んでいる私の手をゼウスが離そうとしている。けれど非力なのか、私の手はびくともしなかった。
「──墓前に立て。ノヴァウイルスのせいで亡くなった人たちの墓の前に私と共に立て。──そうでなければ一切合切信用しない!」
怒鳴り声に気圧されたのか、あるいは何か感じる部分があったのか、黙り続けていた女がようやく言葉を放った。
「ああ、約束しよう。いずれ必ず立つ」
...外見は分からずとも雰囲気から大方歳下だろうとたかを括っていた、だが、女の声は私と同等だと思わせる程の深みと覚悟があった。
ゆっくりと手を離す。女もゆっくりと離れた。
「……この事を知っているのは?まさか私だけ?」
「ご明察。今この場は誰もいない事になっているよ、彼女たちをどう使うかはセントエルモの責任者である君に任せる」
「はっ、額面通りに受け止められる程素直じゃないんでね」
「だったらなおのこと良い、君に任せて正解だと言える。──ドゥクスの助言通りだ」
「何だって?」
「何でもないよ。じゃ、僕もウルフラグに帰港するまでのんびりとさせてもらうから」
と、あろうことか脳天気にも手をひらひらとふりながらハンガーから去って行ったではないか。取り残された私たち三人、パイロットの女も「は?」という空気を放っていた。
「おいなあ……もしかしてあいつ、大して仕事できない?周りに迷惑かけるタイプ?」
二人が声を揃えて答えた。
「その通り」
「その通り」
──そういえば聞き逃しそうになっていたが、ゼウスの奴は確かに「彼女たち」と言った。
そう、こんな奴があともう一人いるのだ。