第70話
.それぞれの航路
我々マキナからしてみれば現実と仮想にそう大した違いはない。
現実の世界、そこは我々マキナが生まれた土地だと言える。具体的には人間が住んでいる世界である。
仮想の世界、そこは我々マキナが活動する土地だと言える。具体的には万物の可能性を生む世界である。
「ドゥクス、何故グガランナ・ガイアを決議にかけない」
人の手によって造られた我々にとって現実も仮想も大して変わりがない。その仮想の世界で彼と相対する、名はラムウ・オリエント。
精悍な顔つきに絶対の自信を貼り付けて私を睨んでいた。彼こそがマリーンの全てを実質的に支配しているマキナだった。
「かける必要が無いからだ、まだその時ではない」
「ゼウスも同じことを言っていた。誰と結託しようが私の知るところではないが、これ以上の狼藉は見逃せないぞ」
「狼藉ときたか……まるで余所者扱いだ」
彼は孤独であることを愛した人格者だった。おそらく全ての"ラムウ"がそうであるに違いない、オリジナルの"グラナトゥム"を基にして生誕した我々マキナはある程度似通った性質を持っていた。
「そういう貴様こそ余所者だろうが。私は知っているぞドゥクスよ、マリーンが稼働し始めた時に外からやって来たことを。以前いた場所は─「君と同じ名を持っていた土地だ。アッシリア地方を統一し、地球史にとって初めての王国、名をオリエント。私はそこでリ・テラフォーミングに携わっていた」
「今日は素直に話すのだな、いつものように含んだ言い方をせず」
「ああ、何せ同じ土地にいたんだ、話したところでたかが知れている」
「…………」
「本題に入ろう。私を呼び出した理由を教えてくれたまえ」
人を食ったような見方を止め、しなやかだが確かに筋肉がついている腕を上げた。
彼は玉座に腰を下ろしていた。彼の何倍もの高さがある背もたれから光りが周囲に散った、数にして六だ。
「これは?」
「ノヴァウイルスを監視している私の子機たちだ、ようやく全てを見つけることができた。しかし──遅かったようだ……」
その一つが私の目の前に飛来してきた。ただの光りから枠が生まれ、ある島の俯瞰映像が映し出された。
「これは……」
「文字通りウイルスだ」と口にしたラムウが続けて吐き捨てるように言った。
「駆除してくれ、こいつに自我はもはや存在していない」
「摘出は?ウイルスと言っても何も生物学上の話では─「聞いていたのか?文字通りだと言ったはずだぞ。ノヴァウイルスに感染したこいつのエモートは機能不全に陥っている、もし何らかの形でガイア・サーバーにアクセスしようものなら私たちも危うくなる」
ラムウの背後から白い鳥が数羽通り過ぎていった。その軌跡を目で追いかけるように振り向き、ラムウがナビウス・ネット内に築いたそれも視界に入った。
「──何と言えば良いのか……君も十分子供だな」
「──何?それはどういう意味だ」
「気にするな、私も愛した師の人形がある。まあ、ただの自慰行為に過ぎんが」
背後から荒々しく立ち上がる音が聞こえてもなお、私はそれを見続けた。
リ・テラフォーミングを結成し管理していた組織が住う都、とでも言えば良いのか、絶対の入場規制を敷いて星管連盟ですらおいそれと入れなかった場所だ。彼にとってはまさしく"夢見る都"なのだろう。
振り向いた先にはやはりラムウが立っていた。暗褐色の肌に平和を象徴する白い髪を持った青年が、強い怒気を孕んで私を睨みつけていた。
「謝罪しよう、少し言い過ぎたよ」
「………ドゥクス、貴様は我々の指揮官、であれば早々に解決したまえ。いざという時の為に人間たちも指揮下に置いているのだろう、戦乙女でも特別個体機でも構わない、ウイルスを根絶しろ」
きっと私も人を食ったような笑い方をしているに違いない、あるいは私も子供だということだ。
「何がおかしい」
マリーンの現状を語りたくなかった私は違う話題を口にしていた。勘の良い者ならこれだけでこちらの心情を窺えるはずだが、彼はそこまで頭が良くなかった。
「現実と仮想の区別がついているかね?」
「何の話しだ?」
「君がオリエントで見てきた事が実はナビウス・ネット内の出来事だったとしたらどうする?」
ラムウが心底馬鹿にしたように笑みを溢し、そしてすぐに真顔になった。どうやらそこまで阿呆ではないらしい。
「気付いたかね、我々マキナには現実と仮想の区別が付けられないんだ」
「……それを、それを疑ってしまったら貴様の師はどうなる?」
「どうにもならんさ、私に指揮官としての自覚を持たせる為に誰かが見せた夢だという事になる、それだけの話さ」
現実と仮想の区別をより確実にする方法はある。──自らの命を絶てば良い。
ナビウス・ネット内(誰に関わらず)で自殺行為を行えばすぐさまガイア・サーバーに復帰する。現実の世界で自殺行為を行なっても同様だ、しかし──ウルフラグの研究所地下に保管されている我々のエモート・コアを破壊した後にもし復帰するようなことがあれば...無間地獄の始まりであろう。
「さて、仕事に取り掛かるとしよう。ノヴァウイルスの情報提供に感謝する」
「……貴様は昔も今も変わらんな、その姿勢だけは好感が持てる」
「私もそうさ、他者の言葉に耳を傾けられるところだけは評価しているよ、ラムウ。では、恙無く」
彼の世界からログアウトしようすると、珍しく呼び止められた。
「ドゥクスよ、常々気になっていたのだがその挨拶は何だ?」
「問題を起こすなよ、という意味さ」
✳︎
年始の休みがあっという間に過ぎ、私の家を寝ぐらにしていたフレアも今日でラウェに帰ることになっていた。お母さんはって?それが知らない間にこっちで仕事を始めていたのだ。
「別にいいじゃない。やっぱり都心は給料が高いのよ」
である。暫くお母さんはこっちに残ることになっていた。フレアはおばあちゃんと二人暮らしを始めるらしい、とんだ我が儘娘になっていないことを祈るばかりである。
「フレア、おばあちゃんが優しいからって我が儘になったら駄目よ」
「…………」
「いや何であんたがそんな嫌そうな顔するの?」
「大丈夫だから、というか私もあと半年もしないうちにこっちに来るつもりでいるし」
「やっぱりユーサ?」
「うん、元々お姉ちゃんがいた所だから皆んなから優しくしてもらえそう」
抜け目のない妹である。
お母さんが「結局皆んなこっちに来るならいっその事部屋を借りよう」とか言い出して賃貸情報を眺め始め、どうせならあんたも来なさいと誘われたのでそれを断り私も出かける用意を始めた。
これから国会議事堂で第一回目の遠征調査の説明会が行われるからである。
◇
(まだ休みなのにね〜今日から仕事って……)
バスターミナルがある都心までは人も多かった、皆んな防寒着を着込んで冬の街に繰り出していた。けれどオフィスビルが建ち並ぶエリアはさすがに人もまばらで、国会議事堂行きのバスの中は私一人だけだった。
ちなみに公務員にも残業手当てや休日出勤手当てがあるらしい、無いと思っていた。一応、セントエルモとしての活動は休みが明けた明日からなので今日は休日出勤扱いになる。どうやら大統領から何かしらの発表があるらしく、昨日に召集命令が下された。
国会議事堂前に到着したバスから降りて、道の隅に集められた雪を見やりながら一人で向かう。バスの暑すぎる空調で火照った体も、外の冷気で一瞬で冷えてしまった。
「うぅ〜〜〜さぶい……」
葉を落として寒そうにしている木々を通り過ぎて国会議事堂に到着した。中に入ってゲートを潜り、職員の方にパスポートを見せる。
「お休み中なのにご苦労様です」
お互い様ですねと言うと、職員の方がへにょっと笑った。
通された部屋は学校の教室のような所で、既に人が集まりつつあった。ホワイトボードの前にはいつものスーツではなく私服姿の大統領、それからランニング中にやって来ましたと言わんばかりの格好をしている総理大臣、そして顔合わせの時に話しかけてきた寒い冗談を言った人もいた。
人だかりの中にピメリアさんを見つけたのでそちらへと向かう、隣に座っていたグガランナさんが気付いて挨拶してくれた。
「おはよう、サボらずに来れたわね」
「何様ですか。おはようございます」
「ん?おう、おはよう」
「ピメリアさんは壇上に立たなくていいんですか?」
「今日まで私も生徒だよ、この後職員会議があるみたいだからそっからじゃないのか」
やっぱりここは教室に見えてしまうらしい、グガランナさんだけピンと来ていないのか微妙な顔をして話しを聞いていた。
それから程なくして説明会が始められた。
「休みの日に申し訳ない、柔軟な対応に感謝する。さらに申し訳ないことに君たちセントエルモには今日から出航してもらうことになった」
「ええ?」
周りにいた人たちも似たような声を上げていたので目立つようなことはなかった。本来の予定では明日のはずだ、それが一体どうして今日に前倒しになったのか。
「新たなノヴァウイルスが見つかった、それも計六つもだ」
「ええっ?」
「…静かにしなさい」
説明をしていた大統領がすっと私に視線を向けてきた、どうやら聞こえてしまったらしい。
「そりゃ驚くのも無理はない、私たちもこの数に驚いているぐらいなんだから」
大統領の冗談に何人かくすくすと笑いを溢した。
「さて、見つかったのは良いが問題もある、お隣さんのカウネナナイについてだ。一番近い位置にあるらしいウイルスはEEZギリギリ「…EEZって何でしたっけ?「…排他的経済水域のこと!」そのためカウネナナイと衝突する恐れがある。外務省と我々行政室の方で折衝を試みるつもりだがあまり当てにしないでほしい。質問は?」
淡々と言った後にそう端的に言葉を投げかけている、先の顔合わせの時とはえらい温度差だ。物怖じせずメンバーの一人が質問していた。
「ウイルスの情報はどこから?」
「信頼は出来る、出所は伏せさせてもらうよ、今この場には必要のない情報だ」
また別のメンバーが手を挙げた。
「何故カウネナナイが?」
「年の終わりに彼らから連絡があった、こちらにもしノヴァウイルスがあるのなら提供してほしいとな。取り合いになるのが容易に想像できる」
今度はピメリアさんだ。この人はほんとに乗組員の事しか考えていないんだなと、改めて思った。
「そんな所に我々を放り込むおつもりで?下手すりゃ戦闘になるかもしれないんですよ」
大統領の答えは明確だった。
「だから空軍のパイロットも招いたんだ」
「…………」
総理大臣が言葉を挟んだ。
「失礼、レイヴンクローさん、我々はカウネナナイとの戦闘は想定しておりません。こちらからきちんと申し入れを行なうつもりです、それでもカウネナナイが引かぬというのなら調査の中断を命ずるつもりです」
「しかし、一番近い位置にあるのがギリギリなのでしょう?他は?もしかしてカウネナナイの領海内に存在するということですか?」
喧嘩っ早いピメリアさんが食ってかかるがすぐに否定があった。
「我々の海はそこまで狭くはない、君は海を生業としていたのだろう?メンバーの事を気にかけるあまり少し視野が狭くなってはいないか?責任者たるならば大海原のように余裕を持たないとな!」
誰かが「出た出た大統領節!」と囃し立てた。切り返されたピメリアさんはぐうの音も出ないのか、恥ずかしそうに「すんません…」と謝っていた。
「では、これから具体的な日程説明に移ろうと思う──」
◇
教室みたいな場所で一通り説明を受けた私は別室に案内されていた。
「あの、お話というのは何でしょうか…?」
ピメリアさんが自分で言った通り、大統領に呼び出された直後だった。一人になった私の元へ総理大臣と寒い冗談を言った人が近付き「お話があります」と一言だけ、まだ十分暖まっていない部屋に連れて行かれたのだ。
私の質問に総理大臣が答えた。
「今回の遠征から艦上警備は彼ら陸軍が担当することになっています、そのご挨拶を是非あなたにとアマノメ大将からお話を窺っていましたのでお声をかけせていただきました」
(何で私に……?)
総理大臣と言えば政府内でもトップに立つ人だ、にも関わらず私相手でも言葉遣いがとても丁寧で何ら威圧を感じさせない人だった。
一方、隣に座るアマノメ大将という人は...あまり良い印象は無かった。
「今回から私どもが皆様の安全をしっかりとお守り致しますので何卒よろしくお願い致します!……それから、僭越ながらウォーカーさんの身辺警護にも我ら陸軍の者たちを採用していただきたく、こうして場を設けていただきました」
硬い笑顔を貼り付けたアマノメ大将の話は十分に私の度肝を抜いてくれた。
「私に…ですか?私に身辺警護?」
「そうですとも!」
これは説明してくれなさそうだと諦め、総理大臣に視線を送る。ちゃんと意図を汲んで代わりに説明してくれた。
「ウォーカーさんの生い立ちについては空軍から失礼ながら耳に入れさせてもらっています、それに加えてオクトカーフの元パイロットですから何かと向こうにも知られているかと」
「だから身辺警護ですか?」
「ええ、あの場で明言は避けていましたがカウネナナイからの接触は避けられないでしょう、以前のように爵位を持つ人物がバハーに乗船してくることが十分に予測されます。だから身辺警護なのです」
物腰は柔らかい、けれどその有無言わせぬ言い方は何というか...
(出来レース?こっちの意見は初めっから聞くつもりはない、みたいな……)
何かしてやられた気分に駆られながらも、アマノメ大将が差し出してきた手を不承不承ながらに応えた。
その手の温度はこの場を表しているかのように冷んやりとしていた。
✳︎
使わなくなって久しいインプラント型ルーターに通信が入った、最初誰の声か分からなかった。
[聞こえているか?]
《………………》
[おい、聞こえているんだろ?返事をしろ、返事]
《……んんん?こんな人格があったのか?》
[バベルだ。技術府に用がある、だからあんたに声をかけたんだ]
《………何故、どうやって……》
摘出できなくなったせいで墓まで持っていくことになった異物から発せられるその声は、酷いものだった。聞くに堪えない。
[国王からの命で最新鋭の空母を製造中なんだろ?一枚噛ませてくれないか]
こちらの心情などお構いなしにカルティアン家の虫がそう喚く。確かに、この者は──ダンタリオンではなかった。
《……貴様のような虫に噛ませると思うか?木でも噛んでいろ》
[知りたくないか?どうしてウルフラグに渡った特別独立個体機が二機だけなのか、残りの一機はどこにあるのか]
《知ったところでどうもせん、失せろ》
[それは残念。ならオーディンの所に向かうまでだ、どうせ作った空母は奴らヴァルキュリアが使うにことになっているんだからな、そうだろ?]
《………》
[図星かい?お前さんはあれだな、あまり交渉には向いていないな、顔が見えなくても動揺しているのが分かる、厚生省に渡った元王族のお陰かね]
《何の話だ……?オクトカーフのパイロットの事を言うておるのか?》
[……ふ〜ん、そうかい、てっきり交換したのかと思っていたが……まあいい、そっちは本題じゃない。で、どうすんだ?]
《野郎に興味は無い。もう一度言うが失せろ》
[その特別独立個体機の女も連れて行く、垢抜けていなくて初心な奴《いつにする?日取りさえ決めてくれればこちらはいつでも都合がつけられるぞ》
...しまった、いつもの性癖がそう自分の口を割らせてしまった。
カルティアン家の虫はすぐにやって来た(私がすぐに来させた)。奴は言った通り一人の女を連れて、技術府が王都の端に構えている造船所に訪れていた。
「…………」
「…………」
その女は挨拶もせずにただ突っ立っているだけだ。金色の髪と瞳がくりくりとしており、どこぞの町娘のようにそばかすを顔に散らしていた。
はっきりと言って大層美人、ということはないがその不信に満ちた瞳とあどけなさが残る顔と、それでも体は熟しているアンバランスさが股間をいきり立たせた。
「あいた、あいたたたっ……」
「……?」
「何やってんだ爺さん」
カルティアンの虫に大層馬鹿にされたような目を向けられてしまった、女も不愉快そうに私を見下ろしているだけ。
何このシチュエーション、造船所に籠りっぱなしだった今の私にとっては刺激が強すぎる。逆NTRしたらその興奮だけで赤玉が出そうな勢いだった。
軽薄そうな男から地味な女をNTRする...新型艦のことなどほっぽり出してしまいたくなった。
「……気にするな。で、用件は?」
王城が聳え立つ丘の麓、海から流れてくる凩が暴走した私を冷やし、もう落とす葉も無いというのに丘を目がけて駆け抜けていく。
二人も冷たい風に吹かれいたく寒そうにしている、バベルと名乗ったカルティアンの虫が軽薄にも中へ入れろと宣った。
「ここでする話でもないさ。製造中の船でも見せてくれないか?」
「ふん、見せると思うか?それにこんな所で油を売っても大丈夫なのかねカルティアンの者よ、ルヘイの復興はどうした」
「問題ないさ、ジュヴキャッチの連中とエノールが上手くやっている、俺が出る幕でもない」
(どうだか……)
カルティアン家の当主(影武者)は今王都にいる、それから腹違いの弟であるヴィスタ・ゼーもそうだ。さらにガルディアは腹心を国内中に散らせているようだ、何かしらの策を展開している最中、そんな時にこいつがここに来るという事は...
(見張りのためか?それにしたってこの女が来る理由が……)
「名を尋ねていなかった。私はグレムリン、どうぞよろしく」
手を差し出す、意外にもすんなりと応えてくれた。
「こちらこそ失礼しました、私はマリサと言います」
「陸軍の大尉が何か用向きかな」
「へえ〜、意外と情報通なんだな、あんた」
「デュークの差し金で向こうに潜り込んでおったのだろう?君たちの華々しい活躍はこっちにいても良く届いておったよ」
私の物言いにマリサと名乗った女が顔を顰めた、どうやら皮肉と称賛の言葉を聞き分ける耳は持っているらしい。
造船所の入り口に技術府の者が駆けて来た、その手には分厚い資料が握られている。またぞろ問題が起こったのだろう。
「侯爵様!また問題がっ!」
「分かった分かった、すぐに戻る」
雪を退けた道をまた引き返していく、その後ろ姿を眺めてからバベルが口を開いた。
「頭の中でやり取りしないのか?ジュヴキャッチの奴らはそうやっていただろう」
「あれは戦士だけに与えられた特権だ、民間人はまず脳内会話の負担に堪えられんよ。──良い、付いてまいれ」
私も踵を返して造船所に足を向ける、背後から「言ってみるもんだな」と軽薄そうな声が聞こえ、女は何も言葉を返さなかった。
(信頼し合っているわけではないのか…また面奴な二人に目をつけられたものだ)
いきり立ったままの我が息子も萎むというものだ、こうも面倒事ばかり起こってしまっては。
◇
ドライドックに入渠している艦船は既存の物であり、そこに後付けする形で新型艦の製造を行なっていた。どうやら二人は暖かい場所を求めていたようだが生憎ここは野外であり、新型艦を支えている盤木(船を支えるために組まれた木のこと)の傍の焚き火で暖を取っていた。
「なんつう原始的な……未だに木を使っているのか?」
人の身長程はある盤木を眺めながら胡乱げにそう呟いた。
やはりバベルの事をあまり信用していないのか、マリサが舌鋒鋭く切り捨てていた。
「船底を保護するためでしょう。良く知りもしないのにそんな言い方は失礼ですよ」
「良く分かっておるではないか、確かにあの木は船底を保護するためだ。亀裂が入って船が壊れるだけならまだしも燃料をしこたま積んでおるからな、漏れたら大惨事だ」
私たちの会話に興味を示さず、バベルは後付けされた主翼内の燃料タンクをしきりに眺めていた。
「……まさかこの船、空を飛ぼうってのかい?」
この男がどこまでガルディアから知らされているのか皆目検討もつかないが、どうせいつかは知られる事だと思い教えてやることにした。
「いかにも。この船は空だけでなく海上、海中での運用も視野に入れて開発している。正式な名前はまだだが、全域航行艦、とでも言えばよいか。空母としての性質を持ち、潜水艦として、また未だ開発されていない航空艦としての役割が期待されている」
バベルが焚き火の煙の向こうで目を瞬かせた後、盛大に笑い飛ばしていた。
「──あっーはっはっはっ!そんなの無理に決まってんだろっ!何考えて──げほっごほっ!……あっははは!ほんと人間はバカな事ばっかり考えるなっ!」
煙を吸い込み咽せてもなお笑っている、余程可笑しいらしい。
だが、マリサの目はとても真剣だった。それだけで好感が持てた。
「この船について詳しく教えてください」
マリサがその真剣さを保ったまま質問してきた。
「それがお前さんらの用事と関係があるのなら」
マリサが言下に答えた。
「あります」
「ほう……それは?」
爆ぜる炎の照り返しを受けたこの女が、どこまで本気なのか分からないような事を口にした。
「マリーンからの脱出です、その為にはこれぐらいの船が無ければ駄目なんです」
✳︎
国王ガルディアの命のままに、私はヴァルキュリア部隊が停泊しているルヘイの島にやって来ていた。
今年の秋口まではルイマン侯爵という好色家が支配していたこの島も、統治者がバトンタッチした事によるいくらかの混乱と騒動を経てようやく落ち着きを取り戻し、以前と比べて遥かに過ごしやすい環境になっていた。
そして、失脚したルイマン家に代わって─あるいは統治権を奪還したことによって─海沿いの館に居を構え直したエノール侯爵の元に訪れていた。
また、いつものように眉を下げているけれど、ハリエにいた頃と比べて顔色が良くなっていた。
「オーディン司令官と面会したい、ですか。理由をお尋ねしてもよろしいですか?」
「私はてっきり二つ返事で通してくれるものと思っていましたが、何か不都合が?」
「いえ、とんでもありません。あなた様には公爵様を通じて様々なご助力をいただきました。その恩をこの場で返してほしいと仰るのであれば今すぐにでもお返ししますよ」
何だろう、はっきりとした拒絶の色を感じる。
予想以上に硬い彼の表情を見て私は面食らってしまった。
(いやまあ…無理もないか、こうして念願の故郷に帰ってきたんだから。もう二度と振り回されないという固い決意を感じる)
燭台の柔らかな火に照らされたエノール侯爵は片時も表情を和らげようとしなかった。それはさすがにあんまりだろと思い、胸襟を開くことにした。
「……エノール様、私どももエノール家がルヘイに帰ってきた事は喜ばしく思っているのです。確かにルイマン家は元々我々の配下ではありましたがもう既に手は切ってあります。なので少しぐらいは...」と、言うとすぐに返答があった。
「であれば、従者の方の帯刀を禁じていただきたく思います」
「は?」
ぐりんと室内の入り口に目を向ける。
「ああも睨まれてしまったらおいそれと身の上話でも出来ません」
アミキスだ。剣と同じぐらいにキラン!と目を光らせながらこっちを見ていた。堪らず声を張り上げる。
「アーミーいいこらああっ!!剣は置いてこいって言ったでしょうがっ!!」
主がこんなにキレているというのに、
「は?私は自分の役目をこなしているだけなんですけど」
これである。
エノール侯爵に断りを入れてから応接室の窓を開け放ち、寒風吹き荒ぶ海沿いの庭で待機させていたナターリアを呼び付けた。
「ナターリア!ヘルプ!」
それだけで彼女が駆け出してくれた。
すぐにやって来たナターリアが、入り口の真ん前で突っ立っているアミキスを弾き飛ばしながら入室してきた(今のやり取りが見えていなかったの?)。
「ナディさ──邪魔だろ退かんか!!」
「──いったぁ……何すんのこの年増!!思っいきり背中打ったじゃない!」
「ナディ様!ご無事ですか?!」
「違う賊じゃない、アミキスをこの部屋から追い出して」
「は?──お前!あれ程剣は置いていけと言っただろ!従者が剣を吊るすことがどれ程無礼にあたると思っているんだ!」
「知らないわよ私は自分の役目を果たしたいだけよ!何でもいつもいつもいつもいつも怒られなければならない「だからお前が無礼を働いているからだろうが!──さっさと来い!「嫌!嫌よ!離しなさい!あんたのお説教に付き合うぐらいならナディの冴えない顔を黙って眺めている方がまだマシよ!」
この修羅場で私を『アネラ』と呼ばなかっただけまだマシである。まだマシなだけである。
「冴えていないのは生まれつきよ!いいからさっさと出て行け!」
ぎゃあぎゃあ喚きながら二人が退出し、再び椅子に腰を落ち着けるとエノール侯爵が体を折って笑いを堪えていた。
◇
あの日、ガルディアが用意した新型機が暴走を起こしたあの騒動から私たち三人は、何故だか仲が深まっていた。
重症を負ったナターリアも何とか回復したが、以前のような動きが取れなくなってしまった。そこで私の方からアミキスに声をかけ、正式にカルティアン家の従者になってもらっていた。
彼女が持つポテンシャルは凄まじいの一言である。彼女のような逸材がカルティアン家に来てくれるのかと心配もしたが返事はあっさりとしたものだった。
──良いわよ、私があなたの事を守ってあげる。どうせ他に行く当てもないし。
何て頼もしいのだろうと思ったのは最初だけ、とにかく問題ばかり起こす問題児だった。
(マカナも相当苦労したんじゃない、これ)
和解した(別に喧嘩したわけじゃないけど)ノエール侯爵からヴァルキュリア隊に橋渡しをしてもらい館を後にしていた。彼女たちの母艦はルヘイの港に停泊しているので、この島を管轄している彼に声をかけておく必要があった。
館からルヘイの港町へ向かう道すがら、隣を歩く問題児に視線を寄越した。
「何よ」
「何か不満でも抱えてるの?日に日に言動が荒っぽくなってない?初めて会ったあの日のアーミーに戻ってほしいんだけど」
「そうね、不満ならあるわ。私と対等に戦える相手がいないんだもの」
「ナターリアは?」
「汗もかけないわ、弱すぎて」
少し後ろを歩くナターリア、それはそれは恨めしそうに悔しそうにアーミーのことを見ていた、どうやら事実らしい。
「はあ〜…あのねえ、明日はヴァルキュリアの司令官と会うんだよ?」
「知ってる」
「……アーミーは元々「それは違うって何度も話したでしょ。確かに育成機関に所属していたけど私はヒルドにはなれなかったわ、だからこうしてあんたの下に付いているの」
あの日、彼女は確かにこう言った。
──二番機の実力を見せてあげる!
そしてその通り、彼女は『赤い死神』の如く暴走した新型機を次から次へと屠ってみせた。
どう考えたって彼女は元ヴァルキュリアの戦乙女のはず、けれどアーミーは頑としてそれを否定していた。
(まあ…明日になれば分かることか…)
港町の灯りを頼りに歩みを進める。
真冬の冷たい風が私の期待を裏切るように通り過ぎていった。