第68話
.三メートルの距離
校舎の裏手、士官候補生たちが良く溜まり場として利用している旧校舎横のベンチはラハムのお気に入りの場所です。
潮騒と街のさざなみが聞こえてくるこの場所で、ラハムは目の前に座っている候補生の顔をじっと見つめていました。
言うか言うまいか、視線を彷徨わせて何度かラハムの顔を見て、やっぱり止めての繰り返しです。これで四度目です、ラハムもさすがに慣れてきました。
「あの、ウォーカーさん……よ、良かったら今度の休みに……二人っきりで出かけませんか?」
「どうして二人っきりなのですか?」
「そ、それは!────だから!」
ちょうど運悪く、上空を一機の特個体が飛んでいきました。エンジン音に掻き消されてしまい、ラハムはもう一度尋ねなければなりませんでした。
「あの、もう一度言っていただけませんか?」
候補生の女性が眉を寄せ、少しだけラハムのことを睨んでいます。分かるでしょ?と、このシチュエーションを考えれば分かるでしょ?と、言外にこちらを責めているようです。無理もありません、だって──
愛の告白はとても恥ずかしいものだからです。
相手の意図を汲み取ったラハムは先んじて答えることにしました。
「……申し訳ありませんがラハムはもう既に別の方のものなんです、なのであなたの想いには────」
また、一機の特個体が上空を飛んでいきました。今日は訓練の日でしたか?
さすがに二度も邪魔をされて不快に思ったのか、候補生の方が上向き、ラハムも同じように空へ視線を向けました。
──目が...合いました。
「げっ」
「……げ?あの、ウォーカーさん?」
「い、いいえ!何でもありません!そろそろ戻りましょう!午後の講義が始まりますよ!」
「そ、それは……考えてくれるってことで……いいんですか?」
「──え?!あ、はい!──え?!そ、それより早くっ、」
ラハムはそれどころではありません!折角の青春の一コマをまた──「こらラハム!!」
「っ?!」
「こ、コールダーさん?!」
ばあん!!と校舎の勝手口が開かれました!候補生の方もライラさんの登場に驚いています。それに今日は制服ではなく私服です、何かあったのは一目で分かります。
「あんたまたこんな所でいたいけな子を騙して!ナディに言いつけるわよ!」
「そ、そんな誤解です!ラハムはただお喋りをっ!」
「だったら何で逃げようとすんのよ!いいからこっちに来なさい!今大変な事になってるんだから!」
飛び去ったはずの特個体が再び上空に戻ってきました、一機は翼型、もう一機は人型の形態をしています。ドッグファイトの訓練でしょうか?衝突すれすれの距離で何度も急旋回を行なっていました。
そしてラハムもライラさんの手から急旋回!とは、いきませんでした。
「こらっつってんでしょ!いい加減告白されて有頂天になるのは止めなさいって!みっともないわよ!」
「──いいじゃありませんかちょっとぐらい!好きだと言われて嬉しくない方がどうかしていますよ!」
「だからって振った相手をキープするような真似はよしなさい!──そんな事どうでも良いのよ!ナディが今大変な目に──」
「何処ですか?!ナディさんは今何処にいるんですか?!どうしてそう大事な事を先に言わないのですか!」
「潔いのか欲望に忠実なのか分からないわね……まあいい!今回だけ軍からあなたの搭乗が許可されたわ!付いて来て!」
「はい!──あ!このお話はまた今度でお願いしますね!すみません!」
「そこのあなた!「──!」こんな承認欲求が強い奴は止めておきな「そんな余計な事まで言わなくて良いんですよライラさん!早く行きますよ!」
後にしたベンチから小さな声で「き、気をつけて……」と、聞こえたような気がしました。
✳︎
[ディアボロスだ。オーディンから要請があったので僕の子機も向かわせようと思う、あの一角の機体をどうしても押収したいらしい]
「──好きにしろっ!こっちはそれどころじゃっ──ないんだよっ!」
[子機の名前はウロボロス、登録しておいてくれ。それじゃあ、気をつけて──あ、そうそう、]
まだ何か言おうとしていたが構わず通信を切った。
こっちは棺をコパイロットの席に置いているのでろくに飛べやしない。
[シュタウト少佐、私が遊んでいることぐらい気付いているだろう?いい加減にウルフラグの空から去れ]
「ここは私の生まれ故郷なんだがな!──そんなに疎ましいんなら撃ち落としたらどうだ!私と民間人の死体を見て国が何と言うのか知らんがな!」
[安心しろ、その機体は不明機として既に登録されている、誰が何を見ても母国の人間だと気付きはしない]
奴の言う通り、私はひたすら背後を取られていた。決して近付こうとはせず、かといって距離を空けるわけでもなく、クラーケンとの戦闘で確かに機体の一部が壊れたはずなのに変態マニューバは健在だった。
(時間稼ぎ──ああ、この機体を人目のつかない所に堕とそうとしているのか……だったら!)
だから何もしてこないのだ、そう理解した私は海軍の方面基地へ進路を取った。
[何処へ行く気だ────お前まさかっ]
「基地に決まってんだろバーカっ!お前が相手にしてくれないんなら別の人間に頼むまでだ!」
エンジン出力を最大、トップスピードで基地へ向かった。
これが結果的に功を奏してリー・キングの追跡を振り払うことができた。
ディアボロスが言っていた子機だ。
✳︎
オビエドさんと共に到着した軽空母艦バハーの滑走路には艦載機が離陸態勢に入っていた。
このままでは着陸することができない。
[オビエドだ!ノラリスを連れて来てやったぞ!早く機体を退けてくれ!]
すっかり丁寧な口調を止めてしまったオビエドさんがブリッジに連絡を入れると、間髪入れずに返事が返ってきた。男の子っぽい声になっているアリーシュさんである。
[上空で旋回しながら待機していなさい!沖合いに新しい反応を感知したからすぐには着陸できないわ!]
[はあ?!新しいって……またあんなのが出てきたって?!]
[そうだと言っているでしょ!ウォーカーさん!今から言う手動アクセスでオートパイロットのモードを変更を──]
言われるがままに後付けのコンソールから入力を行い、その間に艦載機が空へと飛び出していた。その後にも他の機体がリニアカタパルトにセットされていく。
「何か凄い一大事って感じ……」
[誰のせいでこんな事になっていると思っているんだ!君の機体がややこしいからこんな事になっているんだぞ!]
「ええ〜……」
バハーの上空を旋回し始めたノラリス、お尻の重心がやや傾きシートから転げ落ちそうになった。慣れない感覚に踏ん張って何とか耐えていると、今度はコンソールから大きな音が鳴り始めた。
「え?!」
オートパイロットの設定に何か不備があったのかと思ったけど違った、ノラリスのコンソールに「ロックオンアラート」と表示されていた。
狙われている?!何で?!
「ちょ!あの!私狙われているんですけど!」
二人から間の抜けた返事が返ってくる。
[はあ?!]
[何で?!]
「知りませんよ!ロックオンアラートって、これって狙われているって事ですよね?!何で私なんですか!」
二人からの返事は無い、代わりにバハーより沖合いの海に変化があった。
海の中から上がる二本の水柱、海水を引き連れながら空に踊り出たのは二本の筒だった。
ブリッジからそれを眺めていたアリーシュさんがはっと息を飲んだ。
[──まさか!]
ノラリスの頭部カメラも現れた筒がぱっかりと割れるのを確認した、その中から出てきたのは特個体だった。
一機は煌めく純白、もう一機は愚直の蒼。
[──ヴァルキュリア!!]
──最悪の再会だった。
✳︎
「確認した!未確認の特個体!あの一本の角よ!」
[見れば分かるさ!]
「良い?!何としても鹵獲するのよ!見る限り武装はしていないっぽいから周りの機体に注意!」
[了解!]
これは立派な侵犯行為、ウルフラグから糾弾されたら私たちは一たまりもない。だが、私たちは決してウルフラグの国土を犯しに来たわけではない。
ナディだ。私の親友がどうやらあの機体に乗っているらしい、一本の角に蛇腹になった立髪、何がどうなったらあのナディが特個体のパイロットになるというのか。
手を組み始めたばかりのマキナから通信が入る。
[ディアボロスだ。オーディンの言う通りあの機体にはナディ・ウォーカーという家臣が乗っているそうだ、頑張って捕まえてくれ]
「言われなくても!」
[それからあの機体もなるたけ破壊しないように。ドゥクスが確認している特別独立個体機の中に含まれていないからな、全てが未知数だ]
ウルフラグの母艦から発進した機体に早速ロックオンされた、とくに何もせず私たちの上空を飛び去っていく。警告のつもりだろう。
進行方向の海の中、明らかな黒い影を捉えながら引き返すことなくウルフラグの母艦を目指した。
「そのドゥクスってのは公爵様のことなんですよね?!」
[そうだ、気付いていなかったのか?ドゥクスの表記は"Dux"、デュークは"Duke"だ。一文字違いの同一人物だったって事だな]
[ほんとふざけた話しだ。マキナでありながら爵位を持って政治に絡んでいただなんて。君たちの狙いは?]
「レギンレイヴ!喧嘩は後!」
[その方が良い。一回の喧嘩で済む程僕たちの間柄は簡単ではないんだ。タイミングはそちらに任せる、ウロボロスの準備は出来ているからな]
上空を飛び去った部隊が再び舞い戻り私たちの後ろについた、そしてお次は母艦から直接警告があった。
[こちらはウルフラグ海軍アッシリア艦隊旗艦バハー、アリーシュ・スミスだ。君たちが何れしかの理由で侵犯行為を働いているのを確認した。それなりの事情があるのなら武力ではなく政治で介入したまえ]
打ち合わせ通りこちらは何も返答しない。
[聞こえているな?これ以上の無視は敵対行動と見做す、停戦協定に則った範囲内で然るべき対応を取らせてもらう]
言うが早いか、バハーと名付けられている母艦のCIWSがアンロックされ、砲身がこちらに向けられた。
前後を挟まれた状態でなおも飛ぶ私たち、本当にあの未確認機の中に親友がいるのか、とか、ディアボロスというマキナを信用してもいいのか、とか、今さらだろそれと、とか。色んな考えが特個体と同じ速度で頭の中を駆け抜けていった。
[──残念だ。通信以上]
「来るよ!」
まずはCIWSによる掃射、回避行動に入らざるを得ない私たちを今度は背後から空対空ミサイルが襲う。
(このまま近付いてやるっ──)
C IWSの射線から逃れたところで反転、一番近くまで接近していたミサイルを撃ち落とす。その爆発に他のミサイルも巻き込まれ、少しの間だけ時間が出来た。
「──ウロボロスっ!」
そういえば、合図を送る言葉を決めていなかったと思い、伝わりやすくするように名前を呼んだ。
そして、そいつはすぐに現れた。バハーの真下に隠れていたウロボロスが宙に身を躍らせた。
「なんじゃこいつ!」
[スルーズ!気を抜くな!鹵獲対象の前だぞ!]
海藻だ、海藻に塗れた竜の姿をしていた。
口はラッパの形をして長く、胴体はくの字にいつくか折れ曲がっている。その胴体から生えているように見える海藻の先が青白く発光していた。
ウロボロスの正体を見て気が動転しつつも、ディアボロスさんに渡されていたシーカーを未確認機に向けた。その反対側からレギンレイヴ機も同様にシーカーを向けている。
「いつでも良いですよ!」
海藻竜がさらに強く発光し、シーカーの照射線に当てられた未確認機が急に動きを止めたかと思えば、
「──なんっ?!──そんなっ!」
未確認機の額から生えていた角がぱかりと割れ、中からバルカン砲が姿を現した。咄嗟に回避行動を取ってしまいシーカーの照射線を外してしまった。
けれどウロボロスの動きは止められない、臨界点に達した電磁場からあちこちに感電し、間近で青白い雷を見る羽目になった。
「嘘よそんな!どうしてナディがっ──」
測定することすら出来ない放電に巻き込まれたウルフラグの機体が海へと落ちていく、さらにウルフラグの母艦からもいくらか黒い煙が空に上っていた。
[スルーズ!こうなりゃ力づくだ!接近するぞ!]
油断した、目に見えた武装をしていないからといって不用意にも一回切りのチャンスを逃してしまった。
「いやでも!中に乗っているのはっ」
[マキナの言葉を全て信じるというのか?!あのオーディンちゃんの戯言かもしれないんだぞ!]
次の手を迷っていると宙に身を躍らせていた海藻竜が、何と驚いた事に自分の尾を咥えながら海に落ちていったではないか。
「──ああもう!情報量が多過ぎるのよ!何なの今の?!」
[だからそんな事っ──急接近する機体有り!一機はあのシュタウトとかいう女のものだ!あと一機はっ………]
ここまでやたらとやる気を見せていたレギンレイヴが言葉を濁した。
言わなくても分かる、レーダーに反映されたその光点は...
マリオネットのものだった。
✳︎
悪事は千里を走る、とはよく言ったものだ。
[不明機の追従は後にしろリー、今し方海に没したシルキーの別個体の対応に移れ]
「……………」
[リー。お前が空に馳せるその想いは誰よりも分かっているつもりだ。だが、その想いから導き出された行動が誰しもに理解されるとは限らない]
「……………」
[道を間違えたのなら歩み直せば良い]
「見逃すつもりは?」
[──この期に及んでその口の利き方は──]切った。導火線に火を付けてしまったから爆発する前に通信を切った。
(どうしようもない。そもそもここまで情勢が傾くのなら、あの男と手を組むべきではなかったんだ)
走るではないな、悪事は千里先にいたとしても必ず白日の下に晒される。
追従から逃れた奴の機体が母艦に向かい、私は舵を切って今し方海に没したシルキーと思しき生命体の元に向かった。
初動が悪かったと言えばそれまでかもしれない、この私が不明機を逃してしまうなどあってはならない事態なのだ。その事を私自身が失念し、ガーランドに問い質されてしまった。
──何故不明機を見逃す?何があった?
後は芋づる式にバレていった。
ジョン・グリーンと手を組んでいた事、あの時ユーサ港でどさくさに紛れて盗む算段をバラン・ウィンカーとナツメ・シュタウトが立てていた事、そしてその事実を陰ながら私が知っていた事など。
まさかあの女が生きていたとは...精神病棟に隔離されて、当時の送還作戦に紛れて向こうに渡ったと思ったのに戻ってくるだなんて。
(陸に戻ったら今度は勲章ではなく蔑みか……忙しいこって)
旗艦バハーの上空にはあの戦乙女が空を舞っていた、どうやらノラリスが目的らしい。
興が乗っていたら相手にしていたが、生憎今日は乗らない。あちらさんも私の存在に気付いていながら近付こうとしなかった。
「タイミング、ってやつなのかね〜……まあいいさ。気を切り替えよう、折角の空なんだ」
シュタウトの機体が着陸態勢に入った。今時珍しい前進翼の機体だ、トリッキーな動きを得意として、その実運用が限定される扱い難い機体だ。
誰に邪魔をされることなく、バハーの滑走路にシュタウトが降り立った。
✳︎
何の冗談かと思った。けれどその声は確かにナツメ・シュタウト少佐のものだった。
[聞こえているな艦長、私はナツメ・シュタウト。先日特個体で深海に潜航したパイロットの遺体をこちらに預けに来た。受理を願う]
空いた口が塞がらないとはまさにこの事である。
目の前で起こった出来事もそうだが...ただの機体入れ替え作業でどうしてこうも次から次へと予測不能な事態が発生するというのか!こっちはなりたての少佐だぞ!
(何を判断しろって言うんだ!こんなのマニュアルにも載っていないじゃないか!)
シルキーが二体?挙げ句にカウネナナイの精鋭部隊だって?盆と正月に波状攻撃を仕掛けられたような気分だった。
(いや実際に攻撃を受けているけども!)
さっきのアレは、私が唯一記憶している珍しい海洋生物『リーフィーシードラゴン』に酷似していた。海藻のように見える『皮弁』、それから海水ごと吸い込む窄まった口、ただ違いがあるとすれば自分の尾を咥えたところか、あんな生態はなかったはずだが...いやいや!今はそんな事よりも目の前の事態に対処──どうすれば良いんだ!!
「ふう〜〜〜」
「す、スミス少佐?ど、どうしますか?」
四度目のループを終えたところでようやく落ち着きを取り戻した。マニュアルに無いのなら私が前例を作れば良い。
「──アリーシュ・スミスです、旗艦バハーの艦長を務めています。シュタウト少佐、ハッチの透過率を上げてください、ここからでは確認できません」
[そうだった、そいつは失礼]
ブリッジから機体を見下ろす。可視光を反射していたハッチの透過率が上がり、真っ白だった機体の一部がクリアになった。通信にあった通りパイロットとコパイロットのシートに棺のような物が納められていた。
「よろしいのですか?カウネナナイの罠かもしれませんし……」
私と同様に大尉になったばかりの副官が声をかけてきた。
その危惧する内容は最もだが、
「罠であれば既に攻撃が始まっているはずです、それなのに敵母艦が一向に姿を見せない。ここはひとまず彼女の言葉を信じましょう」
「艦上警備隊に出動を要請します」
「お願いします」
リーフィーシードラゴンの攻撃で船の中はまだダウンした状態である。予備電力に切り替えて通信機器を復旧させたばかりだった。
武器を携行した警備隊が早速甲板に現れた。
「聞こえていますかシュタウト少佐、そちらの警備隊に棺を預けてください」
[お安い御用だ]
ハッチが解放し、両手を上げたままパイロットがその場で立ち上がった。
[何にも持っていないぞ。これで良いか?]
「………あなたは本当にシュタウト少佐なのですか?何故カウネナナイに……いいえ、何故あなたがカウネナナイからこちらに渡って遺体を届けに来たのですか……?」
そこだ、その行動理由が本当に良く分からない、だからこそ混乱していた。
[理由は二つある、一つは人としての矜持を守る為だ。遺体を放置しておく程人間腐っちゃいないってことを証明したかっただけさ。それとあと一つは警告だ。グガランナ・ガイア、それからティアマト・カマリイには注意しろ]
「言っている意味が……」
[今は分からなくて良い、私も調べている最中だ。ただ、五年前と二〇年前の争いに二人かあるいはそのどちらかが加担していたおそれがある。気を付けろ、二人は言葉通りの存在では無い]
よろめいた、文字通り生まれて初めてよろめいた。元々頭の中見がオーバーフローしていたというのにここに来て何で機密に値するような事を私に言うのか...
混乱の極地に立たされた私をよそに、甲板では警備隊の者たちが棺を預かっていた。シュタウト少佐と思しきパイロットはコクピットで身動ぎ一つしない。少しは手伝えよと思ったがあれは何もしないという意思表示だろう。
棺を機体から下ろし、警備隊の者たちが離れた途端ハッチが閉じてしまった。
「……行かれるのですか?」
[ああ、ここに未練は無い、カウネナナイの空の方が私には合っている。邪魔したな]
ほんとだよと、つい口から出かかった。
そして、今さらのように本部から通信が入った。
[スミス少佐!今すぐそいつを取り押さえろ!ガーランドから連絡があった!そいつはシュタウト少佐だ、先の襲撃事件の時に──]
機体は既に離陸している、それに上空では今なおヴァルキュリアの機体とノラリスが睨み合いを続けていた。
あの機体には主だった武器が無い、士官学校で教育を受けているラハムというマキナが同乗しない限り武装しない決まりになっていた。
だからというわけではないが、ここまで導いてくれたシュナイダー大佐を相手に吠えてしまった。分かりやすく言えば我慢の限界、有り体に言えば八つ当たりである。
「──今さら連絡くれたってもう遅いんですよ!!シルキーに攻撃されてヴァルキュリアに制空権を取られて!!それに機体だって全部海へぽちゃんですよ!!これ以上どうしろって言うんですか!!」
[す、スミス少佐?と、とにかく落ち着け!]
「落ち着いていられるかーーー!それにシュタウト少佐は大佐のご子息のご遺体をわざわざ届けに来てくれたんですよ?!そんな相手を撃ち落とせと言うのですか?!」
ブリッジも通信機の先も、水を打ったように静かになった。
[────アーセットの……?それは、本当なのか………?]
「………ええはい、確かにそうだと。私たちで確認しようと思っていましたが、シュナイダー大佐が直接行なってください。ご遺体はこちらで預かっていますので」
[どうしてそう大事な事をっ………分かった、妻と共にすぐに向かおう。苦労をかけた]
シュタウト少佐の機体が雲の彼方にまで上がっていった。その軌跡の途中にはヴァルキュリアがいたというのに我関せずと、軛から切られたようにそのまま飛んでいってしまった。
✳︎
「お願いだから………ノラリス!!これ以上攻撃しないで!!あの機体には友達が乗ってるの!!聞こえているでしょ?!」
返事は無い、ずっと無い。
どうしてマカナがこの機体を狙っているのか分からない。そんなに欲しけりゃくれてやりたいところだけど、そうもいかなかった。
マカナが所属している部隊の機体は二機、そのどちらとも執拗にノラリスを狙っていた。純白の機体が"スルーズ機"、素直過ぎる程青い機体は"レギンレイヴ機"、お母さんから聞かされた通りの色だった。
マカナとは一度だけ再会したことがあった。セレンで起こった戦闘が集結し何ヶ月か過ぎた後に、フレアを連れて会いに行ったマカナはびっくりするぐらい人相が変わっていた。
──ごめん。妹の事を頼むよ
たったのそれだけ、一言だけ。お母さんは事情を察したようだけど、私とフレアはそうもいかなかった。
どうして?せっかく無事にこうして会えたのに、どうしてまた別れるの?と、二人でマカナに詰め寄った。
マカナは結局何も答えなかった。そんな友達に私は悲しみ、フレアも悲しみ、そして別れて今に至る。
(私が乗ってるってことを知らないんだ!)
もう何度目になるのか分からないぶつかり合いが起こり、またノラリスがスルーズ機に向かって頭のバルカン砲を撃っていた。
味方の機体と退路が被り、逃げ遅れたスルーズ機が被弾した。外装板が捲れ、ノラリスとは違う繋ぎ目のある躯体が剥き出しになった。その姿を見て冷やりとする。
(怒っても駄目、でも何とか止めさせないと。ノラリスだって私の声は届いているはずなんだ、それでも撃つっていうのはマカナたちに負けたくない理由があるってこと?)
考える、考えた。慣れない特個体の飛行も気にならなくなる程考えた。
「ノラリス、この機体を奪われたくないんだよね、私どうこうって事じゃないんでしょ?私を守るために撃っているんじゃないんでしょ?」
返事はやはり無い。もしかしたら私の勘違いかもしれないとさえ思った。あの日聞こえた声は全て幻聴で、ノラリスはただの機体かもしれないと。
それでも話しかけた。
「あの日、私の味方だと君は言った。けれど、その味方が止めてくれと言っても止めないのは事情があるからだよね。──私が話しをつけてくるよ」
パイロットシートのベルトを解除し、揺れるコクピットの中で立ち上がった。
「ノラリス、次向こうが接近してきたら何もしないで、いい?ハッチを緊急解放させるから、もし撃ったら私も危なくなるからね」
返事は──あった。
システム画面しか映っていなかったコンソールに文字が走った。
《Interstellar management system...Start-up》
「……星間、管理……システム?」
今の今までこちらの操作を受け付けず、ロックオンアラートの文字以外一切沈黙していたコンソールが息を吹き返したように続け様に反応があった。
《Command type:Lock》
《Range of effect:limited》
文字を追いかけていると機体が激しく揺れた。
「──っ!」
スルーズの機体が動きを止めたノラリスを抑えに来たのだ。ちょうど良い、すぐ目の前にスルーズ機のハッチがある。
これがどういったものなのか良く分からない、けれどノラリスがようやく私の声に応えてくれたと解釈し、お礼を言ってからハッチに向かった。
「ありがとう」
✳︎
「捉えたっ!」──と、思ったのにいつもと違う自動音声がコンソールから流れてきた。
《操作権を返還致します。オートパイロットに切り替えます、パイロットの方はそのまま暫くお待ち下さい》
「────はあああっ?!!」
ようやく掴んだ不明機をこちら側に引っ張ろうとしたのにコントロールレバーが動かない、それだけではなく、コンソールの至るパラメータが非表示になり、代わりに『Lock』の文字が浮かんでいた。
「何よ待ってって言うのよふざけないでっ!!」
力任せにレバーを引いてもびくともしない。機体の制御はシステムがやってくれているみたいだが、これではただの空飛ぶ人形だ。
通信回線を開こうとしても駄目だった。
《暫くお待ち下さい。操作権が授与されておりません》
「授与って何よ!これは私の機体よっ!」
コクピットの視点からではレギンレイヴ機が見えない。良く分からないハッキングを受けてしまった私では不明機を抑えることもできない、後は彼女だけが頼りだが...
ハッチが開かれた。私ではない、不明機だ。
「──っ!──何を考えてっ……」
ここは空の中だ、陸は遥か一キロ先、落ちたら即死なのに不明機のパイロットがハッチを開けて中から出てきたではないか。
フェイスシールドに半ば隠れたその顔は確かに──オーディンちゃんの言っていた事は本当だったのだ。
「──ナディ!!」
気が付いたら私もベルトを外していた。気が付いた時にはハッチの開閉ボタンに手を伸ばしていた。
はっと我に返った時はハッチが開かれており、搭乗用グリップに全体重をかけてしがみつかなければならない程の風に煽られていた。
つんとした冷たさが鼻から肺に押し寄せ、全ての音を奪う風切り音に包まれた。
それでも私は親友と、親友の顔を忘れることなく再会することができた。
「──ナディ!!」
距離は三メートルもない、向こうも何かを口にしているようだが風切り音のせいで良く聞き取れない。この三メートルの距離がもどかしい、ヴァルキュリアのクソみたいな養成機関に入るために蓋をしていた感情が溢れ出してきた。
身を切るような冷たい風のせいか、それとも蘇ってきた思い出のせいか、視界が滲んだ。
「そんなものに乗ったら駄目っ!!あなたには似合わないっ!!」
爆発して行き場を求めた感情から算出された言葉がそれだった、そんなものに乗っては駄目、お願いだからあなたは陸にいて、と。
やはり声が届かないのか、ナディがさらに一歩前に出た。ほんと、普段はものぐさなのにいざという時には一歩前に出る親友だった。
その手には何かが握られていた。黒くて小さな、手に収まるものだ────その音は風切り音の中でも良く届いた。
銃声だ。
「っ!!」
私の機体の死角にいたレギンレイヴ機だ、彼女もハッチを開けて外に出ていたのだ。彼女の手にも黒くて大きな物が握られている。
「何やってんのっ!!今すぐ止めて!!」
声が届かない。さらにもう一発。
「ナディ!!」
ナディがもんどりを打ちながらコクピットの中に消えていった、すぐさま閉じられるハッチ。搭乗口近くの装甲板に二つの弾痕を見つけることができた。
ほっと胸を撫で下ろすも束の間、ハッチを閉じて動き始めた不明機のカメラアイが私を捉えていた。
(ああそうか──)
ぴたりと合わさったそのカメラアイ、不思議と感情の発露を感じていた。怒っている。ナディがではない、この機体が怒っている。
不明機の腕が伸ばされる、私自身ではなくスルーズ機の頭部を掴んだ。近くにいるレギンレイヴが不明機の腕を撃ってみせるが何の効果も無い、跳弾の火花が散るだけで頭上から降り注ぐ破壊音を止めることが出来なかった。
不明機が高度を下げ視界から消え去った途端、にわかに機体のバランスが崩れ始めた。
慌ててコクピットに戻りコンソールを確認すると、頭部カメラ以外のパラメータが正常に戻り何事もなかったようにセミマニュアルモードに切り替わっていた。
回復した通信機から彼女の声。とても硬かった。
[すぐに戻るぞ。これ以上の長居は無用だ]
「ねぇレギンレイヴ、私はあなたに友達が[その話しも船に帰ってからにしよう]
最後にこう言った。
[……とても疲れたよ]
レギンレイヴ機に支えてもらいながら私たちはウルフラグの空から去って行った。
✳︎
私の師の話しをしよう。
◇
私たちの出会いには何ら特別性は無く、結成されたばかりのリ・テラフォーミング隊の中にその女がいた、という認識から始まった。それは向こうも同じであろう、変わり種の男が再生森調査班の中で黙々と仕事をこなしている、ぐらいの認識だったはずだ。
その女はとにかく良く食い、呑み、喋っては誰かと毎晩共にしていた。男女の区切りを設けず平等に同衾し、一度だけ私も誘われたことがあった。
今でも良く覚えている、中性雨が降り注ぐ森の中、肌が荒れる心配がないと誰もが対酸性雨のジャケットを脱いで地球の雨に打たれていた時だった。私もそうだった。
──今晩どうだい?まだあんたとはきちんと話したことがなかったよね。
その時になって初めて、同衾していたわけではなかったと知った。
◇
ある日のこと。
──どうして先程の子供を助けなかったのだ?あれは立派な栄養失調に罹っている、このままでは命が危ないぞ。
女はこう答えた。
──黙って進め、この先にオアシスがあるとも限らないんだから。無駄なエネルギーを使うな。
荒廃した大地から凄まじい生命力を発揮し回復した"再生森"の調査を終え、チグリス川とユーフラテス川の上流域、元イラク北部の地域に遠征班として参加した時のことだった。
荒涼とした大地には付近のテンペスト・シリンダーから逃れてきた、あるいは開拓精神を持て余した人間たちの住処が点々と存在していた。
その住処の一つに今にも息絶えそうになっていた子供がいた。栄養失調でお腹が膨れ上がり、手足は枝のように細かった。
私たちの遠征班が通りがかった時にその子供が食べ物を無心しに来たのだ。他の遠征メンバーはいくらか分け与えようとしたが女がそれを制した。
──止めなって。
◇
ある日のことだ。
別の住処に渡った私たちをある夫婦が出迎えてくれた。手厚い歓迎を受け、回復した土壌で作られた作物(便宜上、我々は培養された食べ物と区別するため"リット"と呼んでいた)を提供され、生身の者たちは腹と喉を嬉しそうに潤していた。
ある遠征メンバーが夫婦に尋ねた。
──これだけの量を洗浄するのは大変だったんじゃないですか?
夫婦は迷うことなくこう答えていた。今でもその言葉が耳朶に残っている。──唾棄すべきものとして。
──ええ。でも、洗浄するのは外からやって来た人たちに振る舞う時だけですから。ここに住んでいる人たちは子供も例外なくそのまま口にしていますよ。……残念な事に私たちの子供は耐え切れませんでしたが……
その時、アッシリアの顔色を伺ったように思う。反応が気になったからだ。
アッシリアは顔色一つ変えなかった。
──それは残念でしたね。きっとあなた方の子も天国から応援していますよ、頑張ってね、と。
──ありがとう。新天地は本当に毎日色々な事が起こって楽しいわ。辛い時もあるけれど、あの子の形見を胸に邁進していくつもりだわ。
何かに取り憑かれたように女がそう言い、アッシリアがところでと、枕詞を置いてから話し始めた。
──この先にも似たような集落があった。人手が足りないみたいだから行かれては?きっと現地の人たちもあなたたちを歓迎してくれることでしょう。
その言葉を受けた夫婦は今日にでも出立すると言って準備に勤しんでいた。
家を出てすぐ、私はアッシリアを呼び止めた。
──何がしたいんだお前は、何故あんな人間に集落のことを教えたんだ?毒に塗れて洗浄しなければ食べられない作物を自分の子供の口に捩じ込むような輩だぞ?
アッシリアが答えた。
──あの夫婦が栄養失調に罹った子供を見てどう思うのか、私はそこに賭けたんだよ。その子供にしたって、あの場で食べ物を与えても根本的な助けにはならない。大人は当てにならない、自分で何とかしなければと立ち上がることに私は賭けたんだ。希望というものは他人からの施しで得られるものじゃない、苦境の中で自らが作り出すものなんだ。私はそれを知ってほしかった、希望こそが人生を生き抜く何よりの原動力なのだから。
◇
寿命を迎えようとしていた。
私が愛するようになり、何をも学び取ろうと誓った師が床に伏せっていた。
──ドゥクス……ドゥクスはいるか……?
──ここに。あまり無理はするな。
歳を老い枯れ枝のようになった手を握った。今でもその感触が残っている。
──それは無理だ……私が最も恐れた死が目前にまで迫っているんだ。……何故人は生まれてくるのだろうな、矛盾した生き物だよ。生を得た時から死を恐れなければならない、何故こんな目に……
そして──未だに解けぬ謎を残して師がこの世から去っていった。
──ああ……違うな、違うぞドゥクス……こういう事だったのか……常々深い谷底に向かって行くのが人生だと思っていたがそうじゃない。……山だ、私たちは自分にしか踏破できない山をずっと登っていたんだ──ああ……最高の景色だよ、堪らないな……
一体、師は命尽きるその間際に何を見たというのか。
私には分からない。私には分からない。私には分からない。私では知ることが出来ない。
私に出来ることは、師が残した教えを守っていくことだけだ。その景色を自身も見られると信じて。
◇
名をアッシリアという。私の師の話だ。