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第64話

.歩み出す者たち



 私たちが住んでいたテンペスト・シリンダーから離れてもう間もなく一年が過ぎようとしていた。

 興奮があった。言うまでもなく、別のテンペスト・シリンダーで過ごしたこの約一年の間は興奮があった。

 "他文化人との交流で概念破壊が起こらない"ように努める(多文化保護法、と言うらしい)のには多かれ少なかれ苦労があったにせよ、それでも興奮はあった。

 カウネナナイという国に住む人たちは私たちと同じように体の一部が義体化されており、そしてその事に関して何ら疑問に思うことはせず、かといって─一部の人たちを除いて─誇るようなこともなかった。

 私とナツメがハーフマキナになったのとは根本的に異なるのかもしれない。けれど、国民の誰しもが特別個体機に搭乗することができる、という事実は"多かれ"興奮的であったし、「こんな国が世の中に存在しているだ」と私に衝撃を与えてくれた。

 一方、ウルフラグの国はごく一般的な文化体系のように思えた。

 テレビもあって車も道路を走っていて、国民の誰もが好きな職業で生計を立てることができる。私たちと違って立派だと思った(何様だと言われるかもしれないけれど)のは政治体制だ。

 ただ一人の人間が立法権、行政権、司法権を持つのではなく、それらが暴走しないよう多グループに分かれ帰属し、また互いに監視し合い時に糾弾し、即座に誤ちを正せる"三権分立"という機構を持っていた(めっちゃ勉強した)。

 ナツメに聞けば、「うちらも似たようなあり方になっているぞ」と、どこか悔しそうにしながら教えてくれた。

 だが──ウルフラグにも"少なかれ"興奮があった。それは、特別独立個体機を当たり前のように容認し、そして誰もが無関心でいられる、というものだった。

 これにもちょっぴり興奮した。こういう言い方をすると"知的変態"と言われるかもだけど、特別独立個体機の能力を知りながらそれに手を伸ばさせずにいられる、というところが凄いと感じたことでもあるし、ウルフラグの国民性は確かに私たちには無いものであった。

 今となってはもうすっかり見慣れてしまい、何の興奮も与えてくれない自室で横になりながら、今まで辿った道と日々とを思い返していた。

 

(初めて食べた料理は何だっけか……ああそうそう、魚と野菜に煮付けだ)


 薄暗い天井を見つめながら初めて口にした料理のことを思い出し、思わず顔をしかめた。

 これがまた生臭いのなんの..."生臭い"という感覚を初めて知り、そして野菜の"土臭さ"というのも初めて味わった。思わずぺっ!としてしまった程である。そのせいであの女性とは良好な人間関係を作れなかったけれど...まあ良い、元々ナツメに色目を使っていたのは知っていたから。

 仰向けに寝転がっているのにも飽きてきたので寝返りをうつ。胸に抱いたクッションを押し潰しながら、微睡にも似た思考に再び没した。

 興奮と相反するように、私の胸にはもう一つの感情があった。それは"失望"。


(……………)


 ぎゅうと体を丸めると、ちょっとは筋肉がついてそれなりに見える両方の足と、この歳になってもちっとも変わらない胸の谷間が視界に入った。それから──伸びもしなければ抜けることもなくなった金色の髪。ベッドと腕の間に入り込んだ髪の毛で少しだけこそばゆい。

 歳を取れば、きっと色々な事に分別がつき若い頃の自分と比べて振り回されるような事もなくなるだろうと、思い描いていた"大人像"に近付くだろうと思っていた。

 けど、そんな事はなかった。テンペスト・シリンダーを飛び出したあの頃と何ら変わりがなく、違いがあるとすればそれは経験則から導かれるある程度の"予測能力"だけだった。ハーフマキナになったからといってそこに特別性があるわけでもなく、私の精神はいたって平凡なそれを辿っているようだった。


(いやまさか……私の胸が成長しないのは髪の毛と同じ原理なのでは……?)


 ナツメに揉んでもらう回数を増やそうかと思い付いた矢先、その本人が部屋に入ってきた。


「ちょっといいか?ゼウスが呼んでる」


「どっちの?」


 たっぷりと─私の下着姿に視線をやってから─答えた。


「……多分、こっちだ」


「あっそう……ちょっと待ってて、今用意するから」


「ああ、ゆっくりでいいよ」


 ()()()()()()になってからナツメは途端に優しくなった。昔のように自分の気持ちを荒々しく伝えることもなくなり、私に合わせた言い方を選ぶようになっていた。

 そしてそれを──()()()()と感じられる程には私も分別を持てるようになり、しかしかといって器用に距離感を楽しんでいる自分に振り回されることもなくなった。

 たった一つの鉄の掟を破らない限り、私とナツメは延々と平行線を辿ったままでいられる。

 その事実は──


「で、ゼウスさんは何処?」


「休憩スペースにいる。何やら重要な話があるらしい」

 

 カーテンの隙間から外を見やる。厚く垂れ込めた雲から細々と雨が降っており、グガランナ・マテリアルの主翼に溜まった水も重力にならって海へと落ちていた。

 薄暗い自室を出てからナツメに視線を向ける。向こうも私に見られていると気づいて視線を寄越してきた。


「何?」


「何でも。言葉遣いが柔らかくなったと思ってさ」


 耳の裏から首元まで指でなぞり、少しだけ照れ臭そうにしている。


「そう、か?あんまり意識してなかったんだけど……いやでも、さすがに空を飛んでいる時は昔のままだろ?」


「そうかもね。ま、私は優等生で優柔不断だったナツメも知っているわけだからどっちでも良いんだけど」


「だったらいちいち指摘しなくても良かったじゃないか」


 そうはにかむナツメの笑顔──ちくりと胸が痛んだ。



✳︎



 駄目だという事は分かっているつもりだ。ああ──でも、そうだな...癖になってしまった、と言えば腑に落ちる。


「悪いね休んでいるところ。ちょっと君たちにお願いしたいことが─」「─その前にいいかゼウス、お前に言いたいことがある」


 喋りたくてうずうずしていたゼウスに悪いが口を挟ませてもらった。無論、向こうは不機嫌そうに眉を歪ませている。でも知ったことではない。


「何かな?浮気を正当化する理由探し「前に説明していた潜水船の事だがな、ジャック・ピカールとドン・ウォルシュが乗った船の名前はバチスカーフではなくトリエステだ。訂正しろ」


 また口を挟まれて不機嫌そうに眉を吊り上げた。


「今頃その話?──君って意外と繊細なんだね、見かけによらず」


「見かけはどうでも良い。バチスカーフは船の種類の名前であって固有名詞では「とにかく、僕がここに来た理由は他でもない、ノヴァウイルスだ」


 今度はあちらが口を挟んできた。


「君たちも知っての通り、一ヶ月前に発生したあの襲撃事件でウルフラグのみならずカウネナナイにも多大な損害を与えた。ここで言う損害は人命のことで、ラムウ・オリエントからグガランナ・ガイアを決議にかけろと要請があった。──君たちの世界でもあったようにね」


 含むような言い方をしたゼウス、私たちは何も答えず続きを促した。


「それで?」


「決議は僕の方で却下した、まだその時ではないからね。それで君たちには、ウルフラグ政府が設立した調査チームに同行してもらいたいんだ。その調査チームの名前はセントエルモ、元々民間のグループだったんけど前回の事件を経て彼女たちに白羽の矢が立った」


「確かそのチームって……超深海に潜った……」


「そう、その副責任者を務めていたのがグガランナ・ガイアで彼女からも僕に要請があったんだ。戦闘要員が足りないから何とかしてくれってね」


 噂をすれば──とは言わないが、折良く()()()のグガランナがスペースに顔を出した。


「どこまで協力すれば良いのかしら?まさかこの艦体まで出動させるつもりじゃないでしょうね。技術崩壊を招くわ」


 グガランナの言う"技術崩壊"とは、多文化保護法に規定されているその世界の技術力の保護を差すものであり、本来ではまだ到達していないのにも関わらず技術力だけがその文明より先行してしまう事を言う。

 もし先行してしまった場合に起こりうる問題は先行技術に対する"依存"である。自分たちよりも優れた技術が目の前にあれば、殆どの人間がそれを解明しようと躍起になるだろう。そうなってしまえばウルフラグが持つ独自性が損なわれてしまい、偏った文化が生まれてしまう。

 そうならない為の"多文化保護法"であったが...ノヴァウイルスの流出により未曾有の技術特異点ならぬ、技術逸脱点(デビラリティ)が発生してしまうことになる。

 話を戻そう。

 藪から棒に問いかけられたゼウスがまた不機嫌そうに眉を歪ませた、こいつにしては珍しく感情が露わになっているようだった。


「そこまでしないさというか君のデカ尻は必要ない。二人の直接介入は不用意な氾濫を抑えるのが主な目的なんだから」


 ついには暴言まで吐いている。デカ尻呼ばわりされたグガランナもどう対応すれば良いのかと言葉を選んでいるようだ。

 ほんの少しだけ空いた間を縫うようにしてアヤメが言葉を継いだ。


「……あ〜ゼウスさん?質問良いですか?こっちのグガランナにもこの艦体のようにオリジナル・マテリアルがあったりするんですか?それなら技術崩壊は起こらないようにも思えるのですが……」


 ゼウスも空気を修復する取っ掛かりが欲しかったのか、アヤメの質問に飛びついた──のも束の間、さらに口を挟む者が現れた。


「ああそれはね、「それは違うと断言しておきましょう。オリジナル・マテリアルはグラナトゥム・マキナの特権であり、カイニス・クラークの寵愛の証です。普遍的に持ち合わせている特質ではなく、そうですね…僭越ながら言わせてもらえればそれは贔屓と呼ぶものでしょう」


 何か入ってきたぞ。誰なんだこいつは?

 基本的に人に対してあまり失礼な態度をとらないアヤメですら、突然の闖入者から一歩遠下がっている。

 三度話を邪魔されたゼウスが遠慮なく舌打ちを鳴らした。


「──ちっ。呼んでないんだけど?どうして入ってきたんだい?」

 

(どうして入ってきたというか……どうやって入ったんだ?警報システムが一つも作動しなかったぞ……)


 その男は...いや、女は...どっちだ?ぱっと見ただけでは男か女か分からない。

 ツーブロックにした頭は黒髪、けれど長く一本にまとめている後ろ髪は根元から襟足にかけてグラデーションに黒から白へ変化している。

 円な瞳と低い鼻は女性に思わせ、かと思いきや顎や首元、それに喉仏は男性のそれに見える。

 深い紫色のスーツの下に隠れた体付きもどっちつかずだ。胸は貧乳と言えばそれで通るし程よい筋肉があると言えば、またそれでも通ってしまう。

 腕はすらりとしており、足はがっしりと筋肉がついている。

 本当にこいつは何なんだ?

 この中では唯一ゼウスだけが正体を知っていそうだ、グガランナも警戒心を隠すことなく注意深く観察に終始していた。

 正体不明の人間が軽やかに答えた。


「相変わらず私たちに対してはぞんざいな態度をとりますね。──申し遅れました、私は星管連盟所属の星監士をしています沖田きよみと申します。以後お見知り置きを」


 とても綺麗なお辞儀で会釈をしてくれたオキタキヨミと名乗った人物、その所作には無駄がなく敵対心を感じさせるものはない。

 かといって、親しみやすいかと言われたらまた別の問題のようにも思えた。


(オキタキヨミ……?やっぱり女か……?)


 私の後ろに隠れていたアヤメがずずいと前に出てきた。


「あの〜……失礼かもしれませんが……良いですか?」おずおずとそう尋ねている。内容は言わずもがなである。


「はい、何でしょう?」


「オキタキヨミさんは─」「─沖田きよみです。沖田が苗字、きよみが名前です」


「?」

「?」


 アヤメと揃って首を傾げる。確かに本人とは発音の仕方が違うが、指摘を受けるほどか?それにミョウジとは一体...

 私たちの反応を見てオキタキヨミはくすくすと笑みを溢している。その仕草は女性的だった。


「ふふふ、ジグザグに発音するのではありません。沖田ときよみは別々に発音するのですよ」


「おきた、きよみさん?」


「そうです。ふふふ、やっぱり異文化交流は楽しいですね「おい星監士」冗談ですよ」


「ちょっといいか?どうして名前が二つもあるんだ?こっちのテンペスト・シリンダーではそれが一般的なのか?」


 "ミョウジ"なるものは私たちの文化には存在しない。現地の人とコミュニケーションを取らずとも、皆が二つの名前を名乗っていることは早々に気が付いていた。


「こっち、というより自身の家柄と自身そのものを示す名前の二つを所持することは一般的ですよ。あなた方には無いのですか?」


 アヤメと揃って目線を合わせる。


「無い。──そうか、名前が二つもあるのはそういった理由があるからなのか……」


 沖田きよみは何がそんなに楽しいのか、頬に手を添えながらニコニコと微笑んでいる。


「家柄を示すことに何の意味があるんですか?」


 アヤメの質問だ。ずっと余裕そうにしていた沖田きよみがすっと表情を消し、アヤメの顔をまじまじと観察している。

 

「質問の意図をお尋ねしても?」


「意図といいますか……純粋な興味といいますか疑問といいますか。ミョウジの必要性?と言った方が適切かもしれません」


「必要性ですか……一つは周囲との円滑なコミュニケーション、もう一つは家柄を示すことによってある程度の情報開示を行なえることではないでしょうか。それこそ、カウネナナイのように絶対王政を敷く国にとっては王族のみが持つことを許された名前を名乗ることによって互いの立ち位置を明確にすることができます」


「ふ〜ん……そうですか」


「あまり興味がお有りのようではありませんね」


「何だか肩っ苦しいなと思いまして。それに家族の関係は名前で決まるものではないでしょう?」


「と、言いますと?──いえ、本題から逸れているのは分かっていますので」


 後半はゼウスに対して言ったものだ。奴は会話に参加せずひたすら沖田きよみのことを睨んでいた。


「信頼関係だと思っているからです。自分を大切にしてくれる存在が家族ですし、愛してくれる存在が親というものだと分かっていますから。その関係性を名前で縛るのはちょっと違うのかな〜っと」


「ほう……面白いですね、名前で縛るですか……」


 私もアヤメと似たような考えだ。

 "家族"も"友人"も"恋人"もその人にとっては人間関係のうちの一つに過ぎない。その中で"家族"だけを特別視して名前を付けるのはどこか不平等に思えてならなかった。

 この事を沖田きよみに伝えると、


「ですが、自分を生んでくれた存在からその名前の一部を授かるのは自然なことなのでは?それに人間関係の中でも家族は自身にとって一番近い存在でしょう。友人や恋人から名前を授かるというのは……」


「いや別に……」

「家族が近いっていうか……大切な人が身近な存在というか……」


 黙って耳を傾けていたグガランナが沖田きよみに注釈を開始した。


「いいかしら?アヤメたちが住んでいた街は数百年以上に渡ってマキナの侵略を受け続けていたのよ。そのせいで沢山の人が亡くなって、アヤメたちのように親を失う子供たちが多かった。だから彼女たちの街では早々に家柄を示す苗字を廃止して所謂養子制度を拡充させていったのよ、どんな子供でもどんな大人でも互いに家族になって助け合っていけるように」


「へえ〜〜〜そうだったのか」

「お前詳しいな……」


「いや自分たちの事なんだから……」


 声を揃えて驚く私たちにグガランナが呆れている。

 説明を受けた沖田きよみはいたく感心している様子だった。


「なるほど……過酷な環境の中で形作られた政治的制度が人の価値観に影響を与えたという事なんですね、実に興味深い。それにそのお話であれば確かに苗字という概念に特別性は無く、あくまでもその個人が主体となって周囲の関係性が成り立つという事になるのですね。……確かにそう言われてみれば苗字という概念は一つの関係性を縛るものになってしまいますね」


 沖田きよみがその男らしい顎に手をやりながら深く考え事をしている。

 つと、顔を上げて沖田きよみが私たちに尋ねてきた。──バレているのかと思った。


「では、お二人はどういったご関係ですか?」


「…………」

「…………」


「その人によって家族や友人の──そうですね、ここでは便宜上優位性としておきましょうか、その優位性に違いがあるはずです。苗字を持つ私たちはやはり家族が一番近しい存在だと答えますが、あなた方はそれぞれで違うはずです。あ、これは単なる興味本位ですので答え難いのであれば結構ですよ、プライベートな事ですから」


 食い気味で答えた。


「ならパスで」


「──ほほう?パス?そんなに言いたくない?見るからに仲が良さそうなのに言いたくないんですね」


 沖田きよみの目の色がガラリと変わる、何ならちょっとずつこっちに近付いてきてさえいた。


「な、何だよ……別にいいだろ」


「お聞きしましたよ、お二人は元いたテンペスト・シリンダーから派遣されてこちらに赴いたと。と、なれば……やはり向こうには恋人かそれに近しい存在がいて──あ!」


 他の三人も似たような声を上げていたが、逃げ出した私の足は止まらなかった。



✳︎



「──はい、確かに受理しました。短い間でしたがユーサの為に尽力してくださり感謝致します」


「い、いえ、とんでもありません」


「本来であれば私ではなくレイヴンクローさんが言うべき言葉でしたが……これからも共に行動されるのですよね?」


「は、はい、そんな感じになると思います」


「そうですか。これで事務的な手続きは終了です。あとは人間的な手続きを行なってください、それではお体にお気をつけて」


「は、はい、失礼します」


 緊張したままそろりとソファから立ち上がり、程よい温度に設定されている連合長の執務室から退出した。


(いや〜ピメリアさんの時は全く緊張しなかったのに……というか人間的な手続きってなんだ)


 見計らったようにメッセージが入った。けれど、今は見る気になれず廊下の外に広がるユーサの駐車場と薄い曇り空に視線を向けた。

 辞めることになった、初めて勤めたこの港を。


(本当に良かったのかな……)


 理由はある。というか理由しかない。一ヶ月前の事件を経てウルフラグ政府が本格的な調査チームを立ち上げ、"経験があるから"という理由で私たちセントエルモのメンバーに声がかかったのだ。

 何だかんだで集まったメンバーの殆どがセントエルモの出身者、それで結局名前も『セントエルモ』に決定し私はその乗組員になった。

 ピメリアさんは再びチーム責任者に抜擢され、副責任者はグガランナさんではなく別の人がやるという。今日はユーサ港で退職手続きを済ませ、明日は第二港付近にある海軍の基地で関係者の顔合わせがある。

 そう、今度私たちが乗る船は調査船ではなく軍艦である。まさかの軍艦。一応私たちの所属は"内閣府特別臨時調査作戦室"というところで、シルキーとの戦闘に備えて海軍からも艦体が一隻提供されることになった──らしい。


(ほんとに私なんかでいいのかな。いや自分で選んだことなんだけど……)


 後ろ髪を引かれる思いで事務棟を後にする。朝から降っていた雨が地面を濡らし、裏起毛仕様のレギンス越しにもその冷気が伝わってくる。

 港では迫り来る年末に向けて慌ただしく現場の後片付けをしていた。結局私は一年経たずに辞めてしまったので、年末の忙しさを知らずにここを去ってしまう。


(──ああ、人間的なってそういう意味か)


 駐車場に向けていた踵を返し、漁業課の船溜まりへ向かった。



 閑散とした船溜りではお休みに入った漁猟船たちのお掃除をしていた。海の上を走ってきた冷たい風に吹かれながら、先輩たちが船体を洗っている。魚倉に入り込んで何やらやっている人たちもいた。

 私が良くお世話になった船で作業をしていた人がこっちに気付いた、気さくに手を振っているので慌てて返した。


(あれ、思ってたよりも…)


 後ろ髪を引かれていた原因は先輩方だ。一年経たずに辞めてしまうので何を言われるのやら...と、少しだけ怯えていたけど杞憂に終わりそうだ。他に気付いた人たちも私に向かって大きく手を振ってくれている。

 年末、冬へ真っしぐらの海はとても冷たい、けれど私の胸にポッと暖かな火が灯った。

 働いている時は滅多に来ることがなかった漁業課の現場事務所へ足を向ける。ここに来る人は班長ぐらいなもので、現場の人が訪れるのは決まって悪い理由だったりする(寝坊が多いとか有休取得率がダンチとか、説教)。そのせいもあって足取りは重い、心が気まぐれを起こす前に事務所の扉をえいやと開けた。


「し、失礼しまーす……」


「──ん?おお!お前か!良く来てくれた!」


 事務所の中はそんなに広くない。五つのデスクが合わせるように並べられており、奥は簡単なカーテンを引いて間仕切りされていた。見える範囲でもガラクタや段ボール箱が積み重ねられている。その隙間を縫うようにして煙草の煙で黄ばんだソファと焦げ跡が付いた机があったはずだ、昔はあそこが喫煙所だったらしい。

 課長席にウエスタンさん、それから席の一つにイチアキさんが座っていた。

 ウエスタンさんに気さくに声をかけられたので何事かと思った。


「え、な、何ですか?」


「いやな、今日がお前の最終日だなってちょうどイチアキと喋ってたとこなんだよ。まあ座れや、わざわざ挨拶に来てくれたんだろ?」


「は、はい」


 ウエスタンさんとイチアキさんの間の席に腰を下ろす。ウエスタンさんが携帯を素早く操作しながらイチアキさんに「茶でも出してやれ」と言った。


「お、お構いなく……」


「何でそんなに他人行儀なんだ?」


 ズバリと訊かれたその問いに、びくんと反応してしまう。


「いやだって私、ここを辞めてしまうので……何だか申し訳ないなって思ってしまって……」


「……繊細だなあ〜。おいイチアキ!お前もちょっとはナディを見習え!」


 後付けで作られた─らしい─外の給湯室からイチアキさんが結構本気で「止めてください」と返してきた。

 一旦外を出てから再び事務所に戻ってきたイチアキさんの肩がほんの少しだけ濡れていた。


「あ、ありがとうございます」


「…………」


 お茶ではなく甘い香りがする紅茶をイチアキさんが無言で机の上に置いた。やっぱり何か文句があるのかと表情を窺うと...とても悲しそうに相貌を崩していた。


「え、何でそんなに泣きそうになってるんすか……」


「そりゃお前が辞めちまうからだよ」


 そのストレートな物言いに面食らってしまった。


「あの、ほんと─」「─いやいや!怒っているんじゃないんだよ、ただ残念だと思ってな……」


「……残念?私が辞めて……ですか?いやでも、いつも怒ってましたよね?」


 私の言葉にイチアキさんがさらに相貌を崩して教えてくれた。


「なん──ええもう……何なんすかそれ……」


 教えてくれた内容は本人の前でも遠慮なく溜息が出るものだった。

 あんなに怒っていたのは"わざと"だったらしい。それどころか私は大変素直で癖もなく、皆んなから重宝されていたんだとか。そんな評価になっているなんてつゆとも知らなかった。

 カッと頭に血が上ったのでついと文句が口から出ていた。


「やり過ぎですよ!いくら海の上が危ないからって怒り過ぎ!」


「す、すまん……お前みたいな未成年だととくに危なかっしくてな、下手に褒めて調子に乗って怪我でもされたらと思うと……」


「言っておきますけど私結構悩んでいたんですからね?!何をやっても怒られるし褒められないし自信を失くしかけたんですから!」

 

「いやでも、それでもお前はうちに──」


 反論を唱えようとしたイチアキさんに畳みかけた。


「それでも私が勤務していたのは、ああ、ここってそういう所なんだっていう見切りを付けたからですよ!私ですらこうなんですからこれから新しく入ってくる子は絶対辞めていきますよ!私で何とかなったんならこれからも大丈夫だなんて思わないでください!」


 ぴしゃり!と言い終え、少しだけぬるくなった紅茶で舌を湿らせた。

 すぐ隣で話を聞いていたウエスタンさんは神妙な顔で頷いていた。


「こいつの言う通りだな……ちと教育体制を見直すか。──いやでもなあ〜…海に落っこちてからじゃあ遅いんだよなあ〜…うう〜ん…」


「実際に落ちてしまった人はいるんですか?」


「いない、それがうちの自慢だ。というより落ちるというのは表現の仕方で要は休業災害を発生させないってこった」


「それならむやみやたらと怒るのを辞めるだけでも十分ですよ。駄目なら駄目、良いなら良いってきちっと言ってもらえないとこっちも困ります」


「う〜んでも甘やかしてもロクな事にならんし……」


「何でそんなに褒めたくないんですか?誰かが調子に乗って問題を起こしたりしていたんですか?」


「俺だ。主に俺とピメリアだ、褒められるとああ何だこんなもんかとたかを括ってしょっちゅう怪我をしたり痛い目を見ていたんだ、だから──な、何だよ?」


 ちょっとだけ怯えているウエスタンさんを見下ろしながら、お腹いっぱい力を溜めてこう言った。


「──自分の価値観で世の中見過ぎ!!私や他の子らを二人と一緒にしないでください!!」



 ウエスタンさんをどやしつけた声が外にまで響いており、後から先輩方がお菓子などを持参して事務所にやって来た。

 皆んな優しかった、仕事中とは打って変わって皆んなが私に優しくしてくれた。怪我をさせたらただじゃおかないとイチアキさんに脅されていたんだよと教えてもらい、また私が声を張り上げ皆んながそれを笑い、冷たい雨が降る中でも温かいお茶会を過ごすことができた。

 そんな空間にいることが何だか照れ臭くて、ほんのりと汗をかき始めた時にイチアキさんが皆んなに号令をかけた。


「そろそろ仕事に戻ろう。雨が強くなる前に清掃を終わらせた方が良い」


「お?急に優しくなったぞあの班長が、ナディのお陰だな」


「──うっせえ!さっさと行けや!」


 またどっと笑いが起こり、顔を赤くした班長と皆んなが事務所を後にした。その背中を寂しく思いながら見送り、私も退出するため身支度を始めた。


「いつでも戻って来い。お前の出戻りなら皆んなが歓迎する」


 その一言は──私の涙腺を緩めてくる卑怯な言葉だった。

 

「……私、ここに来るのが怖かったんですよ、何て言われるか分からなかったので」


 ウエスタンさんの顔を見ないよう、鞄の中に持ち物と貰ったお菓子を詰め込んでいく。


「何で辞めるんだって怒られると思ったのか?」


「はい」


「その気持ちは良く分かる。けどな、辞めていく奴の背中に罵声を浴びせるほど俺たちゃ心が狭くねえ、そこんとこ覚えておけよ」


「……はい」


 後ろを向いていると背中を結構な強さで叩かれた、その弾みでポロリ、我慢していた我が儘な涙が一粒だけ溢れた。


「──元気でやれよ!」


「……っ……はい」


 もういいやと、鼻を啜りながら事務所を後にした。

 

 こうして、私は来るべき国外調査のために初めて勤めた職場を辞めたのであった。

 勤めていた時は何とも思わず、去る時になってから皆んなの優しさと気さくさに気付いて涙するなんて、何て現金なんだろうと自分でも思うけど、けれど、皆んなの優しさはとても有り難かった。



✳︎



「とんだ茶番だよ全く。いいかい?君たちの関係が歪なのであって人間同士で恋人になるのが普通だと思うけど?どれだけ義理堅いのさ──そこ血を吐かない」


 ゼウスの言葉にぐっふぅ...と言ったグガランナが口元を拭っている。

 あの後、逃げ出したナツメは結局自分の足でスペースまで戻ってきた。何で逃げたの?

 再び、沖田きよみさんを交えて話し合いが進められた。

 

「ほんとグガランナってブレないよね」


「伊達に一千年も中層を旅していないわ」


「一千年の恋……私グガランナの想いに応えられるか不安になってきた「─そんなのあなたが気にする必要ないわ!傍にいさせてたまに髪の毛を嗅がせてくれるぐら「そこ、勝手に茶番を初めないでくれる?──いつまでも話が進まないでしょうが!」


 スペースの椅子に腰かけた五人、何故だかナツメがゼウスさんの隣でグガランナは私にべったり、沖田さんはテーブルの端に陣取りずっとにこにこと微笑んでいるだけだった。

 話し合いの先陣は勿論ゼウスさんが切った。


「で。ノヴァウイルスと同様にこのテンペスト・シリンダーではある問題が起こっている、だからこそそこにいる部外者が何食わぬ顔で座っているんだ。その問題というのが君たちも良く知る特別独立個体総解決機だ」


「……問題というのは?」


 ナツメが私のことを少しだけ気にしながら先を促した。


「ロストしているんだ、その事を教えてくれたのが沖田何某でね、星監士は読んで字の如く管轄しているテンペスト・シリンダーを監視あるいは管理するのが主な仕事なんだ」


 そこへグガランナが言葉を挟む。


「プログラム・ガイアが凍結される前にあなたたち星管連盟に折衝を行なっていると言っていたわ。第一テンペスト・シリンダーの有用性を訴えて私たちマキナのリブート処置を免除してもらうようにと」


「ええはい、その件につきまして専属弁護士である麻布流月から法廷で窺っていました。しかし、第三次懸念事項案の原因が彼にあると判明し、間接的にではありますがオリジナル・ガイアの目論見は叶ったことになります」


 今度はナツメが遠慮なく口を挟む。その質問内容は私も気にする所であった。


「すまんがそれぞれの立場を明確にしてくれないか?何となくは分かるがきちんと言ってもらえないと分からない」


「良いでしょう。まず、テンペスト・シリンダーはウルフラグ社が提供した技術を基にして各国で建造された人類の避難場所です。その当時はウルフラグ社を膝下に置く米国が絶大な力を持ち、これに対抗するためわたしが属する星管連盟の前組織である国連が竣工された各国のテンペスト・シリンダーの監視と管理の権利を獲得しました。──血生臭い戦だったと記録されています」


「そんな事はどうでも良い。で?」


「はい、監視と管理の権利を国連に奪われてしまった米国はテンペスト・シリンダー内に(えん)終末(しゅうまつ)監視装置群と名付けた監視プログラムを付けました。それが特別独立個体総解決機であります」


 ──背筋に冷たい汗と、胸の内に熱い思いが同時に発生した。


(アマンナが……そんな言い方は……)


 沖田さんが構わず話を続けた。


「このプログラムの管理を任されているのが各テンペスト・シリンダーに配属されている弁護士になります。彼らは遠隔地でこれらのプログラムが正常に作動しているか確認し、問題があれば適宜修正と我々星管連盟ならびにヴァ──いえ、ウルフラグ本社に報告するのが義務付けられています。しかし麻布弁護士はこの報告を怠りあろうことか問題が発生していたA1シリーズを密かに削除しようと画策していたのです」


「そのA1シリーズって言うのは──ああいや、そうか……」


「ええ、あなた方が搭乗することになったバルバトスとアマンナ、正式な呼び名は─「結構です、続けてください」


 堪らず口を挟んだ、驚いたように沖田さんとゼウスさんが私を見つめている。そこにナツメも混じっているのがとても気に食わなかった。


「──分かりました。結果的に麻布弁護士は監視プログラムに対する越権行為と私的利用が認められ、約五年間に及ぶ係争を持って有罪判決がなされました。その発端を開いたのがカイニス・クラークです、まさに第一テンペスト・シリンダーの総破棄が決定した瞬間だったと聞いております」


「……カイニス・クラークっていうのはマギールのことだよな?どうしてそう変な言い方をする?」


「畏れ多いからですよ、まさしく畏怖、彼こそがこの世界のデビラリティ(技術逸脱点)を作った存在です。──本来であればマキナは自我を持つ予定ではなかったんです、それなのに彼は研究施設が整っているウルフラグ本社ではなく、竣工を終えたばかりのテンペスト・シリンダーで誰もなし得たことがない自発的人工知能、わたしたちがスポティニアスAIと呼ぶ超技術を完成させてしまったのです」


「──ちょっと逸脱しているから修正するけど、要はその監視プログラムが各テンペスト・シリンダーに配備されているわけだけども、このマリーンではその特別個体機が確認されないんだ。当の弁護士は有罪判決を食らって今は不在、挙げ句に監視人も管理人もこのプログラムに対して何ら関われないから外では結構な騒ぎになっている。だ・か・ら、この何某きよみと君たちが介入することになったんだよ」


「色々と訊きたいことがあるにはある。どうやってマギールが判決を覆したのか、とか……でもまあ良い、またお前が仕事を増やしてきた事には変わりないからな」


 少し話が落ち着いた、そして私は思ったままに口を開いた。


「──それなら、マギールさんがアマンナたち特別個体機を生んだことになるんですよね?」


「……………………」


「……………………」


 重く口を閉ざす沖田さんとゼウスさん。私の考えは間違っていないはずだ。


「……どうしてそう思うのか訊いてもいいかな?」


「マギールさんが作ったその自発的人工知能をウルフラグ本社が真似をして、監視プログラムにも搭載したんですよね?」


「真似をしてと言うか─」「─ですが、マギールさんはアマンナのことをグガランナの子機だと勘違いしていましたよ」いやいや、そもそもその否定の接続詞がおかしいよ、僕はまだ何も─「マギールさんは関係無いって言おうとしているじゃないですか」


 沖田さんだけ表情が何も変わらない。


「何を隠しているんですか?私がアマンナのペルソナ─「アヤメさん、そこまでにしておきましょう。それ以上の追求はわたしでも庇えなくなります、よろしいですね?あなたの強い想いは理解しました、不適切な発言をして申し訳ありませんでした」


「…………」


 まだまだ言いたい事が山ほどあった、けれど、おでこをテーブルに付けるほど低く頭を下げている沖田さんを見て何も言えなくなってしまった。卑怯だ。


「──こちらこそすみませんでした」


「いいえこちらこそ。あなたが名前に縛られないその他者を思い遣る気持ちが良く分かりました。わたしたちにとってはマキナとそれに類する生命体──と、言えばきっとあなたは不愉快になるのでしょう、ですが我々は人間とマキナを区別しているのです、そこはご理解してください」


 私の前に座っているナツメの足を蹴りながら返事をした。


「──いたっ!「──分かりました」



「どうしてナツメを蹴ったの?」


「何かムカついてたから」


 場所は変わってグガランナ・マテリアルのブリッジ、ゼウスさんと沖田さんは艦体を後にしており艦内にはいつもの三人しかいない。

 ナツメは足が痛いと文句を言いながらお風呂場へ向かった、ここには私とグガランナだけだった。

 ナツメが持ち込んだ筋トレグッズが転ぶブリッジ、ベンチプレスの台に二人並んで座っていた。


「アヤメがそこまで悩む必要は無いのに……ぐふっ……」


「その血は条件反射なの?」


「──まあ、冗談はこれぐらいにして……今のアヤメは幸せ?」


「──え、何?幸せって?」


 まさかそんな質問が来るとは思わなかったのでつい聞き返した。


「そう、あなたが幸せならそれで良いわ、何か悩んでいるのなら力になる、私に出来ることはそれぐらいだもの」


「………ねえ、さっきも言いかけたけど……本当にそれで良いの?」


 何も返せない私の傍にいて満足なのか、と。グガランナの答えは簡単だった。


「勿論よ」


 その自信に溢れた瞳を見てすぐに思い至る。"返せない"のではなく"返そう"としていなかったのだ、と。

 

「グガランナ、私──「いいの止めて」


 やんわりと拒絶されたその言葉は、不思議な暖かさがあった。


「私を一番にしなくて良いの。それにあなたの傍にいると決めたのは私の勝手だから」


「その勝手に応えたい、グガランナは出会った時からずうっと変わらず傍にいてくれたから」


「応える方法が一番にすることなの?」


「……ごめん、安直な考えだったかも……」


 何となく顔を見る気になれず、床に転がされているダンベルとグガランナの足に視線をやりながら話しをしていた。私の手には温かいもう一つの手が重ねられている。

 グガランナはいつでもこうだった。


「でもさ、受け取ってばかりもしんどいんだよ。何かお返しを─」「─ぐっふぅ「何で血を吐くのこのタイミングで?──人が真面目な話をしている時にふざけないで!「ち、違うわ!これは条件反射よ!「何の条件反射だ!」


 もう片方の手で口を押さえている、私も空いている手でグガランナの脇腹をつねった。


「いやだってあなたのそのあまりに生々しい優しさが「生々しいとか言うな!」


 ふんと一つ鼻を鳴らしてから離れ、自重トレーニング用のディップスタンドにもたれかかった。

 グガランナもさっきまでのしおらしい態度とは打って変わり、厳しい表情をしながらコンソールの前に立った。


「──よし!アヤメ成分も補給したことだし「その言い方止めて」ねえ、さっきの話し合いでゼウスは明らかに触れようとしなかったわよね?何のことか分かる?」


 言わずもがなである。


「あの機体でしょ?一月前に海の中から現れたあのユニコーン」


「そうよ、あの正体不明の機体について二人は一切言及しなかったわ。きっとあなたが言いかけた事と関連しているのでしょうね」


「デュランダルちゃんは関係していないのかな?私たちのテンペスト・シリンダーではあの子が例外的な動きをしていたでしょ?」


 コンソールを睨みながらグガランナが首を傾げた。


「うう〜ん……何とも言えないわね。けれどあの子と明確な違いがあるわ、それを尋ねようと思っていたんだけどアヤメが先走って喧嘩しちゃうし」


「あ、そういう事言うんだ?グガランナは何とも思わなかったの?アマンナがあんな冷たい言い方をされてさ」


「時と場合を読まないと。あの場は二人の土俵だったもの、喧嘩を売っても流されるのが目に見えていたわ」


「確かに」


 私とグガランナはアマンナの事になるとつうつうになる。口にしなくても互いの言いたい事や考える事が不思議と筒抜けになるのだ。


「あれは一体誰の物なのか……マキナと同じ反応だなんて……」


 グガランナが溢した言葉通り、一月前に姿を見せたあのユニコーン(一本の角を持っているから)はこっちで言うところの特個体ではなく"マテリアル・コア"なのだ。つまり今目の前に立つグガランナと同等の存在ということになる。


(アマンナの機体だってマテリアル・コアではなかったし、そうなるとあの機体は特別独立個体機ではないという事になる………ううむむ)


 じゃあ何なんだ?

 私はアマンナを縛り付ける何をもから解放してあげたい、そう思っている。そうしなければならない理由も勿論ある、だから少しでも特別独立個体機の秘密に迫れるようアマンナとは別れていたし、地球の大空の旅も止めてテンペスト・シリンダーに帰ってきたのだ。

 畢竟(ひっきょう)するに私はまだ満足していない、このテンペスト・シリンダーも十分面白いが私を満たす程ではない、だから"失望"した。

 雨を降らせる曇り空、その向こうに隠れた太陽が沈み始めてより一層薄暗くなってきた。

 その()()は仮想展開された偽物だ、そして私は本物の太陽を知っている。──そして、次に目指す所が...


(──宇宙(ソラ))


 グガランナもナツメも知らない、私とアマンナだけの秘密。

 どこか後ろめたさに似た高揚感を覚えながら、未だコンソールを睨み続けているグガランナの傍らに立った。

 いつかグガランナも──そう願いながら。



✳︎



 カナル型イヤホンから流れてくるアニメソングに頭の中を委ねる、家に帰る前にこの火照った頬を冷ましたかった。

 何て酷い思い過ごしをしていたのだろうと、街頭に照らされて光る道をゆっくりと歩く。一日降った雨が地面を濡らし家路につく人たちの肩にも染みをつくっていた。

 

(もっと考えておけば良かった……)


 けれど、もう決めてしまった事だ。

 理由はある。というか理由しかない。海底からハフアモアを引き上げたのは確かに私なんだ。もし──と、どうしても考えてしまう、もし引き上げていなかったら、今より少しはマシな状況になっていたのかもしれないと、その考えがどうしても頭にこびり付いてしまい無視することができなかった。

 それにあの機体だ、私たちの元に現れたあの機体がセントエルモの参加を決定付けていた。

 私が乗らないと反応しないのだ、あの機体は、何がどうなっているのか皆目検討も付かない。あの後機体は一旦空軍が預かることになったのだが、今日までに何度も呼び出しを受けていた。

 聞く所によるとあの機体は以前の超潜航の時から無人探査機に映っており、カウネナナイとウルフラグが密かに追いかけていたものらしい。それをこの私が独り占めした形になってしまったものだから、軍も政府も何かと離そうとしてくれなかった。半ば強制、半ばなし崩し的にセントエルモへ参加することになった。

 とぼとぼと、水溜まりをあえて通りながら歩く。黒いレインブーツが水を跳ねさせ近くを通った人に危うくかかりそうになった。


(あっぶない……ん?)


 その人を見た時に気付いた、その人だけではなく誰も傘をさしていないことに。上向けた視線の先には、雲の切れ目からいつか見たお月さんがこんばんはとしていた。ようやく雨が上がったらしい。

 昔から使っている長い付き合いの傘を閉じ、暫く通りを眺めた。

 雨に濡れた街を色んな人が歩いている、一月前の騒動を忘れたように、あるいは騒動を忘れたいようにそれぞれがそれぞれの道を歩いている。誰も誰のことを気遣おうとしない当たり前の光景だ、私だって見ず知らずの他人に優しくしようだなんて思わない。

 でも、もし、この大勢の人たちに自分のせいで迷惑をかけてしまったら──畢竟、これが一番の理由かもしれなかった。


「…………っ!──っくりしたあ……」


 つい考え事をしてしまい、音楽を聴いていることも忘れてしまった。電話がかかってきてイヤホン越しに着信音が鳴ったので驚いてしまった。


(あ、そうだ返信忘れてた。ま、いいか、どうせすぐそこだし)


 しつこく鳴り続ける携帯を無視して再び家路についた。



「──もう!いい加減帰ってよ!」


「どうして返事を返さないの!お母さんをこれ以上心配させないで!」


「聞いてる人の話?!しつこいんだって!」


「あんたがあんな目に遭えばどんな親だって心配になるわよ!」


「こんなにしつこく構われたらどんな娘だって嫌になるよ!」


「──あんたって子はほんともうっ……ほらこっちに来なさい、耳をみてあげるわ」


 あのお母さんがめっちゃ過保護に進化していた。何処へ出かけるにしても定時連絡を怠るなとか少しでも異変があればすぐに連絡しろとか、とにかく構いたがった。

 ここで言い返してもろくな事にならないと素直に言うことを聞く。お母さんの指が治療したばかりの耳をわさわさと触っている。


「変に触る方がマズいんじゃないの」


「………大丈夫そうね。ご飯はもう出来ているから食べておきなさい」


 これだよ、こっちの言うことには全く耳を傾けない。親というものはとかく子供に対して上から目線である、当たり前だけど。

 自分は絶対こうはならないぞと思いながら、出されたご飯にパクついた。

 パクパクしながら思っていた事を口にした。


「そんなに心配している割に良くオッケー出したよね、私がセントエルモに入ることに」


 前に座ったお母さんが少しだけ険しい顔つきになった。


「あなたが自分から入りたいって言ったからよ、本当は反対したかったけど」


「……そんな理由なの?」


「そんなって、自分から何かをやりたいって言ったのこれが初めてじゃない。ユーサだってアキナミちゃんの誘いがあったからだし、学校に通ったのもお母さんが勧めたからでしょ?それにあの大記録を作った時だってセントエルモの調査だったから、もしかしたらと思って」


「ふ〜ん………」


 気のない返事をして自分の胸の内を誤魔化す。意外と考えているらしい。


「そういえば市役所の方に嘆願?に行ってたんでしょ、どうなったの?」


 さらに訊いてみると、「あなたが気にする必要は無い」と言いながら席を立った。心なしかこっちに視線を向けようとしない、そのよそよそしい態度にすぐにピンときた。


「まさか──「お風呂も用意してあるからさっさと入りなさい、明日は顔合わせがあるんでしょ?お母さんはもう寝「子供のこと売りやがって!何が自分からやりたいからだよ!私がセントエルモに入れば市民権も「あーあーあーあー!聞こえない聞こえない聞こえない!」


 両手で耳を塞ぎながら寝床にしているロフトへと向かっていった。

 本当にお母さんは私より歳をとっているのだろうか?都合が悪くなるとすぐ子供っぽくなる。

 自室に入って着替えを取り、お風呂場に向かう前に私もロフトの梯子を上った。

 前までラハムが、そして今はお母さんが寝床にしている。大人一人分のスペースには所狭しと化粧水が並べられ、折り畳み式ベッドの近くには仕事用に使っているパソコンもあった。

 お母さんはこっちに背中を向けて寝転んでいる、ちょんちょんと肩を突いた。


「──あ!……もう、びっくりした、何?」


 やはり親子。お母さんも耳にイヤホンをさしていた。


「いつまでこっちにいるの?」


「あんたがセントエルモの船に乗るまでよ。さすがに軍人と一緒だったら大丈夫でしょう」


「逆に危ないのでは?それだけあの虫と戦うことになるかもしれないって事でしょ」


「その逆の逆。また戦闘になる危険性が十分に高いから、街中で遭遇するより軍艦の中で遭遇した方がよっぽどマシでしょ」


「ああそういう……ちょっといい?」


 と、訊きはしたが問答無用だ。お高そうな化粧水を退けて私もロフトに上がり込んだ。お母さんはどこか居心地悪そうにしている。


「何?ここって狭いんだからそう無理やり入ってこなくても……」


 強気のお母さんではなくどこか弱気だ。私と一緒にいるのが恥ずかしいのだろうか?そんな風に見える。


「私のお父さんってどんな人だったの?」


「……………」


 ちょっとだけ目を見開き、窓の向こうに視線を逸らした。私も向けてみやれば窓には降り続けた雨が水滴となって残り、夜の街を弱々しく光らせていた。

 

「どうして今さらそんな事を訊くの?」


「だって気になるから。小さい頃に遠い場所へ仕事に行ったって聞いてたけど、さすがにこの歳にもなれば分かるよ。もうこの世にはいないんだよね?」


 胡座をかいたお母さんが何度か頭をわしゃわしゃとかいた、人前では決して見せない仕草だ。


「──その前にお母さんからいい?「ええ〜」ちゃんと教えるから。どうしてセントエルモに参加しようと思ったの?あなたの事だから絶対断ると思っていたのに」


 今度は私から視線を逸らした。何と言おうか頭の中で整理してみても、帰りに聴いたアニソンしか流れてこなかったので思ったままに口にした。


「これ以上悲しむ人たちを見たくなかったから」


「────」


「ハフアモアを引き上げたのは私だし、周りから気にする必要は無いって言われてもやっぱり気になるし、だから参加しようと思ったの。……聞いてる?」


「──え、ええ、聞いているわよ、あなたがそんな大それた事を言うとは思わなかったから驚いちゃったわ」


「いやいやそんな立派なものじゃないよ、私のせいにされたくないってだけだから」


 今度はお母さんの番だ。わざわざ言わなくてもそれを分かっているのか、お母さんが何度か唇を舐めてから意を決したように話し始めた。──ちょうど折良く雲に隠れていた月が現れ、私たち親子を月明かりで照らした。


「あなたもその歳になったんだから本当の事を話すわ。お母さんもね、お父さんが何処に行ったのか知らないのよ」


「何それ。浮気ってこと?」


「違うわ、けど、もう二度と会えない所に行くと言っていたわ、そしてその言葉通り今まで会えたことはない」


「ふ〜ん……何の為に?」


「あなたと一緒よ、他人の為にそうすると言って当時住んでいた家から出て行った。──ほんと、何であんな男に惚れたのか今となっては不思議だわ、私のような美人と「自分で言うのそれ」産まれたばかりのあなたを捨てたんですもの」


 包み隠さず教えられたその話を聞いて真っ先に抱いた感想が"高尚"だった。

 きっと私のお父さんは捨てたくて捨てたんじゃない、色んな人の為になると分かって独りになったんだ。

 それにだ、


「でも、お父さんの気持ちは何となく分かるかな「ええ?何よそれ」だって私も何かに集中したい時は一人の方が良いし、周りの人たちから変な所にスイッチがあるって良く言われるから。ほんと何となくだよ?きっとお父さんは私たちの為にもなると思って出て行ったんじゃないのかな」


「……………そう。なら、恨んでいるわけじゃないのね」


「そう言われたら違うような気もする──かな?マカナのお父さんのみたいに一緒に遊びたかったし。マカナのお父さんもこの事は知っているんだよね?」


「ええ知っていたわ、何なら大喧嘩までして止めてくれたもの。でもあの人はそれでも出て行った」


 まだまだ何か言いたそうにしながらも、お母さんはそれだけを言ってから口を閉じた。


「ねえ、再婚する気ってないの?自画自賛するぐらい自信あるんならいけるんじゃない?」


 月明かりに照らされたお母さん、眉を顰め、けど口端は馬鹿にしたように上がっている。これも初めて見る表情だった、もしかしたら元々こんな風に笑う人だったのかもしれない。


「私もね、最初の頃はそう思っていたのよ。フレアが無事に帰ってあなたも独り立ちして、その時は新しいパートナーを見つけて居を構えようって、でも駄目だった」


「何が?」


 ──まさかそんな言葉が出てくるなんて夢にも思わなかった。


「あなたの事で頭がいっぱいなんだもの、これ以上誰かを愛することなんてできないわ」


「──は?」


 ロフトに上がった時は恥ずかしそうにしていたお母さんがぐぐぐと距離を縮めてきた、今度は私が恥ずかしくなって少しだけ後ずさった。


「ナディ、良く覚えておいて。誰かを愛するってとてつもないエネルギーが必要なの、私たちを捨てたティダには恨みがあるけど、あなたをこの世に残してくれた事だけは感謝している」


「なっ──もう、もういいよ!恥ずかしい!」


 親は強いと良く言う。本当の事だった。

 居た堪れなくなった私はロフトから転げ落ちるようにして逃げ出した。



✳︎



 ざまあみろだ。いや自分の娘なのにざまあみろっておかしいけれど。


(ふふふっ……)


 いつになく機嫌が良い、きっとナディと本音で語り合うことができたからだろう。


(あの子のあの恥ずかしそうな顔)


 苦虫を噛み潰したように、けれどお風呂に入る前から顔全体を赤く染めていた。

 普段から何かと私に対して反抗的だったので、あの子の恥ずかしがる顔はとても良い気味だった。「私が母親なんだぞ!」と真正面から伝えられたような気がした。


(悲しむ人を見たくない……か。私には到底理解できない考えね)


 身近な人さえ元気ならそれで良い。私たち家族を何とも思わない他人がどうなろうと知ったことではないし、それが当たり前だと思っている。

 果たしてこの世界に見ず知らずの他人にまで気を遣える人がどれくらいいるのだろう?

 あの子は間違いなく"王"になれるだけの器がある、それを自覚していないだけの話で人はそれを"王の気質"と呼ぶだろう。

 横になって考え事をしているとメッセージの着信音が思考を遮ってきた、仕事用に持ってきたパソコンである。


(いやでも、まだ早い。善意の裏にある打算まで読み取らないとやっていけないわ)


 その点、マカナの母親であり私の兄を婿入りさせたリゼラ・ゼー・ラインバッハを闇に追いやったガルディアはその辺り良く分かっている。表だった為政を兄に任せ、周囲の貴族たちと日夜政権争いをしていたあの"切れ者"の裏を早々に見抜いてみせたのだ。

 ──また、無機質な電子音が鳴った。


「何よ全く……こんな時間に非常識な……」


 パソコンの画面を見やればメールは二通、しかしバナーに表示された内容を見て思わず声が漏れた。


「何よこれ、文字化けしているじゃない」


 見るに耐えない、というより見られない。

 文字化けしたメールを開くことなくゴミ箱に押しやり、もう一度横になった時にまた背中をちょんちょんと突かれた。

 寝返りを打ちながら我が子を見やる。──ああ、本当に我が子で良かったと心底思った。


「おやすみ、お母さん」


 たった一言、それを言うためだけに。それに薄らと微笑み月の明かりに照らされた我が子は誰より可愛く見え、どんな神より尊く思えた。

 おやすみと返す前にナディが、


「それから、昔言っていた事、もうちょっと良く考えてみるよ」


「何を──」


「あんたが王様になりなさいって話」


「……何でまたいきなり、あんなに嫌がっていたじゃない」


「それはお母さんもでしょ?王都の話になるといっつも嫌そうな顔してたから、誰がそんな所に行くかって思ってた」


「………………」


「でも、ちょっとだけ考えてみるよ」


 

 ──あの子が部屋に戻ってからどれくらい経ったのだろう。まさかあんな事を言われるとは夢にも思わず、天井を眺めながら放心していた。

 また、一通のメッセージ。


「ほんとに馬鹿な人ね……あんな子を放って遠くに行ってしまうなんて。今さら後悔しても遅いのよ」


 声が届いたのかは分からない。

 それっきり差出人不明のメールが届くことはなかった。

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