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第60話

.陽炎



 地域別感染注意報が解除された病院内では、検査を受けた人からマスクを外していた。

 私たちの世代は産まれたばかりの頃だったので良くは知らないが、当時を知る人たちからそれはもう苦労したと何度も同じ話を聞かされていた。

 生憎私はまだだった。耳に装着したコネクトギアが急に発熱してしまい、脳に障害が出ていないか、その検査がまだ十分に完了していないらしい。だから未だにマスクをつけていた。

 お見舞いに来てくれたジュディさんやクランちゃん、それからすっかり仲良くなっていたプウカさんたちが帰ったあと、ライラが物欲しそうにその細い指を持ち上げてマスク越しに私の唇を撫でてきた。


(複雑。まあ良いんだけど……)


 でもやっぱり複雑。知らない間にプウカさんと仲良くなっていただなんて。

 検査を受けて陰性反応だったライラはマスクを外している。マスクはあまり好きではないらしいので検査を受けた直後からさっさと外していた。

 私の隣に座って唇をなぞっていたライラ、今度はマスクの隙間から指先を侵入させて直接撫でてきた。

 冷んやりとした指が唇を撫でている、たまにフニフニしたり、その行為に甘い静電気が背筋からお尻に駆けていった。


「早く検査が終わると良いね」


「そう?私ここでの生活気に入っているんだけど。何もしなくてもご飯が出るし皆んなも会いに来てくれるし。それにライラに優しくしてもらえる」


「ほんとナディってブレないよね」


 この子は...ライラは何というか、全力だった。あの日互いにキスをし合って想いを分かち合った時から、常に全力で私に対して"好き"を伝えくれていた。それがたまに重たかったり煩わしいと思う時はあるにはある、けれど──私のような人間にはちょうど良いとも思っていた。

 私もライラが好きだ。この"好き"が相手から"好き"だと言われたからなのか、それとも私も出会った時から少なからず好意を持っていたのか、それは分からない。

 こうして誰かと恋人同士になってから気付かされた事がある、それは"好き"という感情がとても不安定であること、常々確認したくなるようなものだった。

 ライラは全力だ。いつでもそういった事を言ってくれたり、今のようにスキンシップを取ってくれたり、だから私は安心することができる。

 けれどライラはどうだろう?

 唇からすっと指を離したタイミングで私の方から切り出した。


「ねえライラ、何か私にしてほしい事ってない?」


「ん?急にどうしたの?」


「いや、いつも私ばっかり優しくしてくれるからさ、ライラは不安になったりしないのかなって。私誰かと付き合うのが初めてだから良く分からなくて……」


「ナディは不安になったりするの?」


「えーと……うん、たまに……でもライラが、うん──って、何で笑ってるの?」


 ライラはそれはもう嬉しそうにニマニマと笑っている。


「ううん、私の事で悩んでくれているんだと思うと嬉しくて。実は私も良く分かってないんだよね、付き合うってどういう事なのか、でも今はこの気持ちを優先したいかな、ナディに迷惑をかける時があるかもしれないけど」


「……どんな気持ち?」


 訊いて良かったのだろうか。私と一緒じゃないのかと怒ったりしないのかな。

 でも、全然そんな事はなかった。


「あなたの傍にいたい、ただそれだけ。傍にいるだけで今は幸せだから」


「……っ」


「あ、照れてる?もしかして照れてる?照れてますかー?」


「もう!いいよ分かったから!」


 悪戯っぽく笑うライラの笑顔からさっと逃れた。

 ほんと全力だ。頬が熱い。



✳︎



 ふんと、可愛らしく鼻を鳴らしたナディがぽすんとベッドに横たわった。恥ずかしいのか顔は反対側を向いており、その小さな耳まで赤くなっていた。

 

(ほんと……あんなに悩んでいた私が馬鹿みたい……)


 昨夜の私に教えてあげたい、そんなに悩む必要はないんだよ、って。

 もしナディが突然、四角四面の常識を持ち出したらどうしようと、私たちって女の子同士だよねって、言ってきたらどうしようと怯えていたのだ。

 それだけじゃない、ナディが言ったように私も不安になっていた。本当に好きなのかな、とか、私がただ"好き"って言わせているだけじゃないのかな、とか、とにかく悪い方へ悪い方へ考えてばかりいた。

 でも、全て杞憂だった。ナディはやっぱりナディだった。自分も不安なのに、私の事を心配してくれたのだ。これが嬉しくないわけがない、心のど真ん中に私を置いてくれているんだと知ることができた。

 私の方こそあなたのそのてらいの無い気遣いにいつも救われてきた、何かしてあげたいのは寧ろこっちだった。

 お昼を過ぎてからジュディ先輩らと訪れ、お邪魔虫たちに先に帰ってもらい、陽が沈み始めるまで二人っきりで過ごしていた。

 ベッドに横たわったナディを見ていると安らぐ気持ちになり、そして寝不足気味だった私は眠気を誘われてしまった。


「…………ん?」


「ちょっとだけ良い?昨日はあんまり寝付けなくてさ」


 ナディは何も言わずにスペースを空けてくれた、その拍子にふわりと彼女の良い匂いが鼻をついた。ちょっとだけ消毒液臭いけど。

 今度は起きている。いつか、ベッドで一緒になった時は眠っていたけど、今は起きている。その背中に頭を押し付けナディの呼吸に身を任せた。


「……そう言えばね、前にコスプレした女の子がうちに来た話したじゃない?」


「……うん、した」


 わずかに動く背中、そしてナディの声がおでこを通じて優しく私を震わせてくれた。とても良かった。


(ああ…これ凄く良いな……)


「その子がさ、昨日の夢に出てきたんだよ。とにかく早くこっちに来いとか……あとは何だっけ?──そうそう、こっちの人はそんなに怖くないぞ、みたいな」


「……何それ」


「ね、良く分かんないよね」


「……他にはどんな夢を見たの?」


「え〜……何だっけなあ〜……あ、そうそう他にはね、ライラと──」


 夢の話は正直どうでも良く、ナディの声を感じたかったので話題を振っただけだった。

 安眠を欲していた私の体にナディの体温と声は心地良く、あっという間に眠りについてしまった。



 それが良くなかった。


「…………「もう〜ナディ!ごめんね?いつの間にか眠ってたからさ〜!許してよ〜!「……ふん!」


 適当に振った話題だったんだけど結構大事な話をしてくれたらしい。それなのに寝入ってしまった私を怒っているのだ。

 あからさまに怒ってます感を出しているナディは、もうお別れの時間だというのに顔を合わせてくれなかった。いやそこがまた良いんだけど。


「退院したらまた教えてくれる?ね?いいでしょ?」


「今じゃないんだへえーそう!また後ででもいいんだあっそう!余裕ありすまねー!」


「もう!そうじゃないってば!面会時間が終わっちゃうから帰らないといけないの!ね、明日また来るから機嫌直してね?」


「……………」


 無視だ無視。ここまでナディが拗ね倒すのも珍しい、ただの"友達"だった時は見せなかった反応だ。


(ふっふ〜ん、私だけ、私だけが特別)


 変態じゃね?と自分でも思う。怒った顔を見たら普通落ち込むものなのに私はテンションが上がってしまう、あの優しいナディが私にだけ拗ねてくれるのだ。これ程分かりやすい"好意"はない。


「……ライラって私が怒ってる時に限ってそうニヤニヤ笑うよね、何なの?」


「べっつにー気にしなくて良いよー」


「んームカつくぅ!「あっははは!やーいお子ちゃまー!」


 眉を吊り上げてぶんぶん腕を振ってきた。

 騒がしくしてしまったのか、部屋に入ってきたナースさんに叱られてしまい、そのまま後にすることにした。


「じゃあね」


 と、言っても勿論ナディはこっちを見てくれない。つんと鼻を上げてナースさんの健診を受けていた。

 ゆっくりと扉を閉め、エレベーターに向かって歩みを進める。一歩ずつ足を動かす度に寂しさが足元から這い上がってきた。


(はあ〜あ……また明日まで一人ぼっちか〜……)


 溜息を吐きながらエレベーターのボタンを押し、ナディの感触を─こういう言い方をすると物凄くイヤらしいんだけど─思い出している間に到着したエレベーターに乗り込んだ。

 

「早く退院してくれないかな。というか告白して次に会うのが病室ってどんなドラマよ」


 寂しさを紛らわすように独り言を呟き、エレベーターから降りた時に鞄の中から携帯を取り出した。


「わっ」


 そこには画面一杯のバナーが表示されており、その殆どがパパからの電話を報せていた。


(えーナディにメッセージを送ろうと思っていたのに……)


 これ出た方が良いの?出た方が良いね、いやでも面倒臭いな〜。

 恐る恐る通話ボタンをタップしてみやれば見事にワンコールで繋がった。どんだけ心配しているんだよと──ちょっと浮かれていたと言うしかなかった。


[今は何処にいる?すぐに家に帰って来なさい]


「いやあのねパパ、私もいい加減子供じゃ─[カウネナナイがハフアモアに襲われたと政府から連絡があったんだ、今全ての港を封鎖して人払いをしているところだ。何処に何が潜んでいるのかまるで分からない、だから早く帰って来なさい]


「………え?いやいや冗談でしょ?折角──」


 また離ればなれにならなきゃいけないのかと、そう強く思った。

 カウネナナイがハフアモアに襲われた、その言葉の意味を理解するより早く、今まで一度も聞いたことがないパパの声音で"緊急事態"が発生していることを理解した。

 それを報せるためにパパは何度も電話をかけてきたんだ。


[冗談なんかじゃないさ、僕たちよりハフアモアの扱いに長けているカウネナナイですら襲われてしまったんだから。──まあ、政治的な絡みで向こうはこっちに連絡を寄越してくれたんだろうけど。とにかくすぐに帰って来なさい]


「いやいや、病院の人たちはどうなるの?危険なんじゃないの?」


[──病院だって?まさかライラ、君はあの子の見舞いに行っているのかい?]


 パパはあまりナディのことを快く思っていない節があった、それでも私は病院にいることを伝えた。


「悪い?」


[──はあ、まあいい。病院は寧ろ安全だ、心配ないよ。パパが今一番何を心配しているのか分かるかい?]


「……パパがそうだと言うんなら、信じるよ」


[よし、良い子だ。すぐに町内放送で外出を控えるよう注意喚起が行われるはずだ]


 パパの言う通りになった。

 電話を切って病院を後にし、タクシー乗り場に着いた瞬間だった。使われなくなって久しいはずのスピーカーからひび割れた声で女性が注意を促していた。

 タクシーに乗り込む間際だった、薄ら寒いものを感じながら何気なく隣に停まった車を見やると慌てて駆け出す女性がいた。こんな時間だ、きっと面会ギリギリに間に合わせようと必死なのだろう。

 その女性が驚いたことにアキナミだった。


「──アキナミ!」


「……っ!」


 向こうも目を丸くして驚いている。数瞬の間行くか行くまいか迷っている様子だったので、


「──ここで待ってるから!」


 そう言ってあげると、クールな笑みを溢して親友の元へと駆けていった。



「何を話したの?」


「別に」


 駆けて行ったアキナミはすぐに戻ってきた。そりゃそうだ、面会時間の終了まで一〇分を切っていたんだから、きっと挨拶だけして踵を返したのだろう。

 昔ならいざ知らず、今の私には"恋人"という絶大なアドバンテージがあった。そのお陰で無駄な嫉妬をせずに済んだ──そう、考えてしまった自分に嫌気が差す。


(はあ、ほんとっ……)


 たった一言の為に見舞いに来たアキナミの思い遣りにまで私は優越感を持とうとしてしまった。

 ちらと傍らに座るアキナミを見やる、流れていく夜の街を見るともなしに眺めていた。さっきの質問だって一言だけ、こいつはいきなりクールになったりするから良く読めなかった。

 

「ね、さっきの放送なんだけど聞いた?」


「何の放送?タクシーに乗ってたから聞いてないよ」


 軍の付属病院がある街を抜け、首都方面に向かう幹線道路に進入した。見渡す限りの黒い海が広がり、等間隔に置かれた街灯が高速で後ろへと流れていった。

 タクシードライバーには聞こえないよう...と、思ったんだけどさすがにそうもいかず、酒焼け声の男性も一緒になって放送の話をしてあげた。


「ありゃりゃ、そりゃ本当かいお嬢ちゃん」


「ええ、私の父がそうだと事前に教えてくれましたから」


 タクシードライバーがしきりに視線を寄越してくる、ルームミラーには腫れぼったい目と暗闇の道路が映っていた。


「何かマズいことでもあるんですか?」


 そう訊き出したアキナミにタクシードライバーが答えた。


「いやねえ、うちのせがれがそのハフ何たらで景気が良くなりそうだと喜んでたから。しがない工場で責任者をやっているもんだからそりゃ嬉しそうにしてたんだよ」


「ふ〜ん……ハフアモアってそんなに流通しているものなんですか?発見されたのってつい最近ですよね」


 タクシードライバーの話を聞いて、エアコンから流れてくる暑い風に打たれながらも冷たい汗が出てきた。


「流通じゃなくてコンテナとかに良く紛れ込んでいたんだとさ、そりゃもうドッサリと。行政にかけ合って廃棄処分を依頼しても相手にしてもらえなかったらしくてねえ、それで捨てるに捨てられず保管していたのが殆どらしいんだ。それがどうだ見たことかってな具合で金銀財宝に化けたんだよ」


「ふ〜ん……」


 きっとハフアモアを保管していたのはタクシードライバーのせがれさんだけではないだろう。

 この国の運搬はその殆どが海路である、であれば他の業者や船舶を利用している企業は多かれ少なかれハフアモアを保有していると言ってもいい。

 二人には──そのハフアモアが人を襲ったという話をしていなかった。その事を知っているのは私やパパたち、きっと政府関係者にとっては周知の事実に違いない。

 危険だと思った。ハフアモア、あるいはそれから産まれたシルキーなる物が、人を襲う化け物に変異する話も聞かされていた。


(……大丈夫だよね?そんなまさか、あんな事がそう簡単に起こるはずはない……)


 ナディが巻き込まれ、リッツさんも巻き込まれてしまった。

 嫌な考えが頭をよぎり、少し冷そうと窓の外に視線を向けた。流れていく街灯、その向こうは広大なキャンプ地になっている海岸沿いだった。今は季節も違うので人っ子一人いやしない、シルエットだけの草木たちが車のスピードに比例するよう景色に溶けていった。

 ──初めはアキナミの頭が反射して映り込んだと思っていた。


「──ん?」


 視点を変えても()()は変わらない、海面に突き出たように見えていた()()はアキナミの横顔だと思った。

 けれど違った。アキナミも一緒になって窓の外を覗き込んでも、()()()は変わらず海の中に立ち続けていたのだ。


「──何あれ」


「何処見てるの?」


 アキナミが遠慮なく後ろから抱きついてきた。未だに異常が目の前で起こっていることを知らないタクシードライバーが「危ないからちゃんと座りな」と呑気に注意をしている。

 ──いや、そうじゃない、そうじゃないよ、今の目の前に──


「……ほんとにどうしたの?」


 言った方がいいのか言わないのが方がいいのか、あれは間違いなく()()だ。その話を聞いたのはつい今し方だというのにこうも早く現れるだなんて。

 『触らぬ神に祟りなし』という言葉を頭に思い浮かべながら口を開いた。


「いや、何でも「─ん?何だいありゃ……」


 タクシードライバーがついと窓の外に視線を向けて見つけてしまった、じっと固まっていた私を不思議に思ったのだろう。


「え、何が見えてるの?」


 アキナミがさりげなく私のお腹に手を回し、そこまでする必要があるのかと訝しみ──アキナミもアレを見つけたようだった。


「何あれ……あれって何かのモニュメントじゃ……ないよね」


 アキナミのすっと高い鼻だと思っていた黒いシルエットは見上げる程に高い樹をよりなお高い──折れ曲がった鎌だった。


「祭りでもやるのか……いやでもあれは何だ、随分と気持ちが悪いな」


 そりゃそうだ、だってあれは──キリンのように長い首、飛び出た丸い物体、遠目でも分かる鋭い触覚。

 その触覚がぴくりと動いたような気がした、思わず声を漏らす。

 それを合図にしたかのように警告を示す赤い色をした目玉がぐるりと動いた。



✳︎



 時が満ちた。取り返しのつかない所までやって来た。

 ウルフラグの民に罪は無い、だが国家にはあった。今日に至るまでハフアモアを放置し続け、適切な処置を取らずあまつさえ、その有用性に目が眩み打つ手を誤っていた。

 それが何よりの罪だった。幼き頃から『神童』と呼ばれ、無能な貴族たちから恐れられていた兄の方がまだマシだ。

 奴はセレンの島でハフアモアを見つけた後、速やかに回収しそれを隠した。実兄を闇に屠ったその悪辣さと差し引いても優秀と言わざるを得ない。回収した後はガイア・サーバーにアクセスし隅々まで調べ上げていた。

 

「ヴィスタ、準備が整った。最後に訊くが他国の為にここまでやるのか?」


「無論。だからお前も俺についてくれたんだろ?」


「さあな、向こうに俺の居場所が無いからこっちに来ただけかもしれんぞ」


「それならお互い様だ、妹を捨てた時点で俺も似たようなものだ」


「お前の場合はちと違うと思うが……」


 ビルの屋上に吹き荒ぶ風に紛れてアンカーが「その性癖を改心すれば……」と言った声が聞こえたような気がした。聞こえたような気がしただけだ。うん。

 腹違いの兄であるガルディアが辿り着いた答えは"回収"だった。あの日、謁見の間に呼び出されて膝下の従者たちから白い目で見られながら聞かされた話はこうだった。


 ──ヴィスタ、あれはクソほどにマズい。いずれこの地が枯れてしまうことになる。そうなる前に何としてでも回収しろ。


 え、食べたんですか?とつい尋ねてしまい「その不味いではない」と言われながら危うく首を刎ねられかけた。

 何がどう作用して"マズい"のか、ガルディアは語ることはなかった。だが、先日運命的な出会いを果たしたあの少年のお陰でおおよその事を知ることができた。


(破壊せねばなるまい。ここは我らカウネナナイの土地なのだから)


「やってくれ」


 アンカーが無言で頷いた。

 都心のあまねく建物を見下ろせる位置からほど近い所で爆発が起こった。

 突然の事態に混乱したドライバーがあられもない方向にハンドルを切り、派手にぶつかっている姿が見える。途端に逃げ出す民たち、振り散るガラス片を避けるのに必死で転ぶ者もいた。

 己の傲慢さと命を蔑ろにするこの行為を嘲るように地上で無数の()()が瞬いた。



✳︎



 泣きっ面に蜂とは良く言ったもので、局長から緊急の呼び出しを受けたそばから目前で爆発が起こっていた。


(──ジュヴキャッチの仕業かっ!)


 ヴィスタ。奴だ、あの日あの時あの研究所で取り押さえていればこんな事にはならなかっただろうに。

 爆発したのは雑居ビルの中腹、小規模な人材派遣会社が詰めているフロアだった。

 周囲の道路では突然の事態に混乱する人が数多く存在し、交通事故を起こした車も少なくはなかった。あと少しで到着するところだったというのに、事故を起こした車のせいで身動きを取ることができなかった。


(──ん?あれは、何だ……?何かが……)


 黒い煙を上げている雑居ビルから何かが舞っているのを見つけ、注視しようとした矢先に電話がかかってきた。

 その相手は、空軍付属病院がある地域でタガメに類似した生命体の襲撃が三度あったと、俺に報せてきたカツラギ局長だった。


[ややこしい事になったわ。奴らがまた動き出した、都心から少し外れた通りで爆発事故が、]


 言い切る前に答えた、その現場に出会したからだ。


「それならちょうど、信号待ちをしているすぐ傍で発生しました」


[運が良いのか悪いのか……とにかく急いでちょうだい]


「──ここはどうするんで?放置しろと?」


[あなたの手に負える問題じゃない、すでに警察と消防には通報してあるわ、だから急ぎなさい]


「人助けぐらいなら俺にでも、」


[あら、そのテロリストに簀巻きにされて助けられた人の言う事には説得力があるわね。──スクランブル発進した空軍の部隊が遅れを取っているの、今回の生命体はより攻撃的な外観をしているらしいわ、あなたの助けが必要よ。行きなさい]


 周囲の騒音が車内に届く、その中で俺は静かに電話を切って車から降りた。

 助けるべき相手を助けようとせず、また俺は誰かの言いなりになるのかと、不甲斐なさを痛感しながらも顔を伏せるようにして先を急いだ。



 厚生省のビルの屋上に待ち構えていたヘリコプターのパイロットに八つ当たりをしてしまった。軽薄そうな笑みを湛えながら「この国を救ってくださいよ」と宣ったからだ。


「とっとと飛ばしやがれっ!!」


 返事は無い。馬鹿にしたように口角を上げた後、待機状態だったヘリコプターが夜空に舞い上がった。

 厚生省のビルに到着するまでの間、通りすがりの他人に助けを求められ、それに応えられないと知ると遠慮なく罵倒されてきたからだ。

 この目だ、この目はそういう意味を持つ。誰がどう見ても空軍のパイロットに見えていたのだろう。


(これだって国の為なんだよ!だからこうして………っ!)


 ビルを飛び立ち空軍の基地へ進路を取った時だった。ヴィスタ率いる残存勢力が仕掛けた爆弾が一つではなく、街の至る所にあったことを知る羽目になった。


[おいおいおい嘘だろ、あちこちで……]


 インカム越しにパイロットの声が聞こえる、奴の言う通り至る所で街の明かりを受けた煙が夜空に上っていた。


(港、工場地帯……あそこはシルキーを保有している倉庫のはずだ……あそこは調査中の……)


 奴らの目的は何だ?何故シルキーが集中している所ばかり爆発が起こっているんだ。

 奴らの目的は回収のはずだ、だからこそ先の送還作戦も生き延び国内で活動していたはずだ、それなのに...

 胸に沸き起こった不甲斐なさも怒りも疑問も夜空に置き去りにして、ヘリコプターは空軍基地へと急いだ。



✳︎



「すぅ〜……っ!けっほ!ぷっへ!」


「美味いか?」


「………いや全く。何なんですかこれ、香りが付いた煙を吸うことに何の意味が?」


「お前が試したいって言ったんじゃないか」


 私のベッドで胡座をかいているグガランナの手には、買って数回吸っただけで飽きてしまった電子タバコが握られていた。ニコチンレスのただの煙だ、名前は何だっけか...忘れた。


(ほんとこいつも人間にかぶれたよな〜。昔はあんなんじゃなかったのに)


 下着の上からガウンを羽織ったグガランナはハッキリと言ってスレている。昔のような奥ゆかしさはどこにもなく、却ってとても付き合いやすくなっていた。

 キッチンカウンターには呑み比べをしてみたいと言って並べたグラスがある。ものの見事に一口ずつ、赤い口紅だけを残して速攻飽きていた。


「誰に似たんだか」


「ん?何か言いました?」


「いや別に。それよりティアマトは一緒じゃないのか?前に総理大臣と話をしてきたんだろ?」


 あからさまに眉を寄せるのもここ最近になって良く見せるようになった仕草だった。


「そんなにティアマトが恋しいんですか?私がここにいるのに?」


「そういうウェットな返しは要らん。お互いドライでいこうや、そっちの方が気楽で良い」


 やっぱりすぐ飽きてしまったベイプ(あ!思い出した!)をベッドに放り投げ、ガウンを靡かせながらこっちに歩いてきた。適当なグラスを手に取ってから私の隣に腰を下ろし、また一口だけ舐めてから流し目でこちらを見やった。


「……ピメリアが私の相手をして「人の話聞いてる?そういうの要らないって言ってるんだよ」──ああもう!ちょっとぐらい甘えても良いじゃない!」


 私も適当に─比較的口紅が付いていない─グラスを手に取ってから一口だけ含んだ。


「……お前、ほんと変わったよな〜」


「ピメリアのせいですよ。責任取ってって言いましたよね?」


「いつ?」


「責任取って。何も知らなかった私に外の世界の楽しさを覚えさせたのはあなたです」


「え?何だって?良く聞こえない」


 グラスに口を付けながらグガランナがバシバシと肩を叩いて抗議してきた。そういう所は可愛い。本人には言わんが。

 

「それよりもリッツの件はどうなっていますか?また三人でお喋りがしたいですよ私は」


「順調、だと思ったんだがクヴァイの野郎がいきなり手を引けと言ってきな、そのせいで今は宙ぶらりんさ」


「それはどうして?政府の方々も医療への転用は認めていたでしょう?」


「さあな……お上の連中が考えていることは良く分からんよ。これならリッツのリハビリの方が早いんじゃないのか?この間見舞いに行った時は車椅子を卒業していたぞ」


「あなたの取り越し苦労でしたね。まあ、そっちの方が良いんでしょうけど」


「──そうそう、それで良いんだよ」


「……ん?何がですか?」


 ガウンを寄せて今さら胸元を隠したグガランナがそう尋ねてきた。


「お前とは今みたいな会話で十分だ。好いた惚れただは若い人間がすることだ」


「……それはピメリアが経験した事があるからでしょう?」


 あれ、マズったかなと思った時にはもう遅い。


「いやまあ……そりゃそうなんだが……」


「私はまだなんですよ?──少しぐらいあなたに夢見てもいいではありませんか……」


「いやまあ……うん、お前ならもっと良い相手がいるんじゃないのか?何も私みたいな……」


「私の我が儘を受け止めてくれる相手はあなたしかいませんよ」


「いやまあ……」


 こういうのを隙を見せると言うんだろうな、グガランナがぐいぐいと押してきた。


「私も誰かにとっての特別でありたいと願うのです。そう願うのは────いえ、何でもありません……」


 夢見る乙女の顔から、現実を突きつけられた囚人のように眉を曇らせた。これが"演技"なら大したものだと、感服しながら言ってほしいだろう言葉をくれてやった。


「お前は人だよグガランナ。私はそう思っている」


「………ありがとう」


 ──良し!良いタイミングで誰かが呼び鈴を鳴らしてくれた!それみろやっぱり演技だった、水を差されたグガランナが口をへの字にしている。

 適当な服を着ておけよと言い付け、私が対応するためキッチンカウンターから離れた。


(あ〜冷や冷やした。いくつになっても流されてしまう空気ってもんは怖いな)


 別にグガランナが嫌とか、そういう事ではない。あいつは不思議と私に懐いてくれているし可愛いと思う場面もある。けれど私が求めているのは気持ちを擦り減らすような間柄ではなく...

 もつれた思考をそのままに来客した人間を出迎えるため扉を開けてみやれば、意外性が強くて見事に断ち切られていた。

 そこに立っていたのはパンク風の装いをした女だった、挑発するような目がしっかりと私を捉えている。


「…どちらさん?」


「知らない相手なのに良く扉を開けたね。あたしはキシューっていうの、ま、こういうモンだから諦めて」


 耳に付けたゴツいピアスと顔の高さに掲げた手帳がキラリと光る。『特殊安全保証局』と書かれた一文と小さなバッジを突きつけられた。


「うちに何の用だ?嗅がれるようなマネは何もしていないと思うが」


「大体皆んなそう言うんだよ。部屋の中にグガランナ・ガイアがいるでしょ?身柄を預かりに来たの」


「何故?何の為に?」


「あんたはグガランナ・ガイアにとっての何?それ次第では答えてあげても良いけど、ただの他人に説明する義務はこっちにも無いの。オーケー?」


 え、もしかして私たちの会話を聞いていたのか?部屋の中からグガランナが聞き耳を立てているのが嫌でも分かる。


(折角グガランナから逃げられたと──いやいや、今はそんな事を言っている場合じゃ……)


 何と答えれば良いのか...迷った挙げ句に私はこう答えた。


「内縁」


 部屋の中から荒々しくグガランナが走ってきた。


「──微妙!ピメリアそれは微妙!あんまり嬉しくないわ!」


 服を着ろと言ったのに何も着ていない、下着姿を他人の前に曝け出している。

 初めてグガランナを見たキシューという女がわざとらしく口笛を鳴らした。


「良いモン持ってんじゃん、ここまで綺麗な女は見たことないね」


「そりゃどうも。で、こいつが何か悪さを働いたのか?」


 ぐいとグガランナを引き寄せ背後に隠した、じろじろと眺めているこの女の視線が心底嫌だった。


「セントエルモの行為が実はただの自作自演だった説が政府内で持ち上がってんの、聞いたことある?」


「──はあ?自作自演?言葉の意味を知ってて使ってんのか?」


「おお怖い怖い、海の人間はやっぱり威圧感がハンパないね。その詳しい説明をその女から訊きたくて迎えにやって来たの、オーケー?」


 指をさされたグガランナを振り返る。

 きっと、迷惑そうに眉を顰めているだろうと思ったが違った。グラスに入れた氷と同じぐらい冷めた顔をしていた。


「おい…お前……」


 キシューが私を押し退けグガランナに近付いた。


「その顔、何か知っているって感じね。悪いけどあんたたちが根城にしている研究所の地下施設を調べさせてもらったの、先の特個体潜航事件にも関係していたからね」


 聞き覚えの無い単語が出てきた。特個体の潜航事件?そもそも特個体は深海域での活動はできないはずだ。

 そしてそれをグガランナの前で口にするという事は──


「グガランナ」


「失礼、報告するのが遅くなりました」


 キシューが割って入る。


「内縁関係にあるのに何も聞いてないんだ?その特個体に搭乗した人間はアーセット・シュナイダー、あんたの元部下よ。そいつは同じマキナであるハデス・ニエレに唆されて特個体に乗って深海へ、後日パージされたコクピットからそいつの遺体が確認されたわ」


「──!!お前……どうしてそんな大事な事を黙っていたんだっ!!」


「だって、この話をしてしまえばまたあなたが遠くに行くと思ったから。許して」


 冷めた目つきは変わらない、じっとキシューを睨んでいる。けれど声音は懇願のそれだった。

 いつかの記憶が呼び覚まされる。ちぐはぐな、とても歪な感想を抱いたあのグガランナのことを思い出した。


「詳しい話は保証局で。どうしてあんたたちの根城からシルキーが検出されたのかきちんと訊かないとね」


「──シルキーが検出された?何の話ですか?」


「惚けるの?研究所の最地下に設けられた特個体のハンガーの一部にシルキーが使われているのを確認したのよ。あなたたちマキナがシルキーを常用していたのではないかと、さらにその事を知りながら私たち政府に回収を依頼してきたのではないかって、皆んなが疑っているわ」


「そんな馬鹿な話が──」


「けれどね、そのハンガーに使われていたシルキーはどう少なく見積もっても一年以上前なのよ、分かる?セントエルモが立ち上がる前からあなたたちはシルキーを利用していたことになるの。だ・か・ら──」


 突然の暗闇が襲ってきた。停電だ、マンションの廊下に設置された非常灯だけが唯一の灯りだった。

 グガランナが素早く部屋の中に走って行く、その跡を追いかけようとしたキシューの足を引っ掛けてやった。

 派手な音を立てながらフローリングの床にキシューが倒れた。


「──このくそアマっ!」

 

「お前らに逮捕権は無いはずだぞ!どっちがクソだ!」


 なおも立ち上がろうとしたのでキシューの背中を踏みつけてやった。


「がっは!………このアバズレ跳ねっ返りの中年女がっ!今すぐその足を退かせっ!」


「グガランナ!そのまま逃げろ!こんな奴に付き合う必要はない!」


 部屋の中に向かって大声でそう叫び、代わりにベランダの扉が開けられる音が聞こえてきた。さらに各部屋に繋がっている外の非常階段を駆け下りるヒールの音が響き、真向かいにあるマンションの灯りも落ちていることに気付いた。


(この辺り一帯なのか……?──「─いっだあっ?!?!」


 ほんの隙を突いてキシューが銃のグリップで私の脛を殴ってきた。その痛みに堪えられず踏みつけていた足を離してしまった。


「っ!!────好きだぁ!!」


「っ?!」


 何で公務員が銃を持っているんだとか色々な罵詈雑言が口をついと出かけた、それらを全て飲み込みなんとか足を止めさせようと出た言葉がそれだった。

 向こうもまさかの言葉に驚き、ほんの一瞬だけ足を止めてくれた。


「くそっ!」


「何処へ行く!この私を一目惚れさせておきながらまさか出て行くつもり「うるっさいのよこのイカれ女!軽々しく好きだなんて言葉を使うな!」


 その一瞬の時間が功を奏したのか、ベランダに駆け込んだキシューが悔しそうに手すりをグリップで殴りつけていた。

 踵を返したキシューになおも言いすがった。


「お前はそんなナリをしておきながら言葉の重みが分かる女だ!私はそういう奴を待っていたん「まだ言うの?!どうせ足止めのために─「グガランナはな、私には合わないんだよ……」


 また、足を止めてくれた。どうせ追跡の為に外へ出ようとしていんだろう。


「あいつの愛情は濡れすぎている、そのせいか掴み所がなくてな……お前のような擦れっ枯らしの女がちょうど良いんだ……」


 ぐっ!と腕を掴む、まだまだこちらを睨んでいるがこれなら何とかいけそうだ。


「……はん、今会ったばかりのあんたにあたしの何が分かるって言うの?」


「それを一目惚れって言うんだろ?違うか?」自分でも何を言っているのか分からない。


「…………」


 みるみる頬を染めたキシューが諦めたように息を吐き、ついで携帯を取り出しながら離れていった。


「……ふん、あんたのその言葉に免じて見逃してあげる。けど忘れないでね、保証局の人間がいずれグガランナを捕まえるってことを」


 ほんと、空気ってのは怖い。言わなくても良い事まで口にしてしまうんだから。


「そこまでグガランナに惚れているって言うんなら、私がお前を捕まえに行けば良いだけだ。好きだと言われたことを忘れるなよ」


「っ!!────っ」


 まるで乙女のようになってしまったキシューが逃げるように出て行った。

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