第57話
.ミッドナイト・カウネナナイ
ずらりと並ぶ真新しい機体群が、夜の闇に浮かぶ満月を反射し不気味に光っていた。
光りが灯っていない目が全部で八つ、他の機体は二つだったり三つだったり──これを"機体"と呼ぶのなら、確かに次期当主様の言う通り歪な存在であった。
館の夜間警邏にあたっていた部下たちも、気味が悪そうに国王から貸与された機体を眺めていた。
「若頭……本当に我々はこれに乗るのですか?」
「無論。出征されている当主様に変わって我らがその責を全うする他にない。これは誉れあることだ、光栄に思え」
「…………」
「…………」
「…………」
始めに口を開いた女、それから残りの二人も同様に苦虫を噛み潰したような顔つきになった。
館の周囲に巻かれた砂利をわざと鳴らしながら歩みを進める、獣と賊へ自分たちの存在を知らしめるように。
正門に駐機された機体から離れ、先代の当主様がいたく気に入られていた竹林に足を踏み入れる。
小さな頃は良く当主様と一緒に不要な竹を伐採していた、ちょうどこの寒い時期だった。
竹の表面は油分を含んでいるため、伐採した後はその油分を除去しなければならない。それを一度怠って虫を沸かせてしまい、先代の当主様をいたく怒らせてしまったことがあった。
伐採したばかりの竹を半分に裂いた物で何度も叩かれた、皮膚がめくれ血を流しても止めてもらえず、遠巻きに眺めていた当主様が間に割って入られるまで声を上げて泣き続けていた。
あの時は辛く、慰めてくれる当主様のお声すら心臓を締め付けていたが今となってはとても懐かしい思い出だ。とくにこの竹林に足を踏み入れ、雑に切られた竹を見ると鮮明に思い出すことができる。
その竹林の向こうには、先代の当主様が滞在されている王城があった。お出かけになられたのはかれこれ一週間ほど前、それはそれは嬉しそうにお召しになってこの館を後にしていた。
竹林から王城を眺め、いくらかやるせない気持ちになりながら館の方へ足を向けると──足音がした。私たち以外のものだ。背後に控えた従者たちも気付いたようだ。
「若頭」
「しっ──」
無粋にも声をかけてきた一人を黙らせ抜けてきた竹林に集中する。──音は一つ、柔らかい、女のそれだ、忍びの作法を知らないように思う。
(わざと鳴らしているのか……?)
従者一人に館へ連絡するよう向かわせ、残った私たちで迎え撃つことにした。
今は大事な時だ、国王から宴の席が用意されて国内の殆どの貴族が招かれている。当主不在の館は賊に狙われ易い、宴の席から戻ってきたら一面焼け野原になっていることなど珍しくもない。
竹林を歩く賊は真っ直ぐ向かっているようだ、一度も足を止めることなく進んでいる。
私が前面、あとの二人を賊の背後に回るよう指示を出した。
「そういう所は好感が持てます若頭、普段はつんけんしてるくせに」
「…さっさと行け!」
憎まれ口を叩いた従者と「今言う必要あった?分かりみが深いけども」と緊張感のない二人が私の元を離れていった。
賊が向かっているのはおそらく館の正門だ、つまり国王から貸与されたあの機体に用事があるらしい。欲しくばくれてやりたいところだが、先代様から大事にしろと厳命されているので守らねばならなかった。
迂回するように回り込み、私たちが入った竹林の入り口で待ち構える。
太腿に忍ばせた短刀を手に取り息を整える、当主様が直々に鋳造された刃が月明かりを受けてきらりと光った。
賊に見られるわけにはいかないと短刀を持ち替えた時──たったそれだけの隙を突いて賊の気配ががらりと変わった。
「…っ!」
遅いと思った時にはもう遅い、短刀を持つ二の腕に鈍い痛みが走った。ついでじわりとした熱、背筋に冷たい汗が流れる。
(毒を──)
何と間抜けな最後か──竹林から歩いてくる女を視界に入れた時にはもう、体が大きく傾いでいた。
腕は勿論、足も麻痺して動かせない、何より舌まで痙攣を起こしたのが不快だった。
頽れた私の傍らに賊が立つ、黒い髪を長く伸ばし前髪に瞳を隠していた女だった。
「お許しを…ノヴァグの兵器転用…調べないといけませんから…」
その女がすっと屈み、私に顔を近付けてきた。
「ゆっくりお眠りなさいな…良き夢を見られるよう──」
──ああ、こんな所で──せめて最後に──
「──リン様…………」
✳︎
「ニンジャは?」
「仕留めてまいりました…」
「ならさっさと調べよう」
「はあ…もうこのような小間使いは勘弁願いたいものです…」
「俺に言うな人紛いに言え」
「はあ…」
「………近くから見てもやっぱり立派なノヴァグだなこりゃ。クモガエル──だったか?これ、人がride onできるようになっているのか……」
「その半端な英語を使うのいい加減やめてもらえません?無性に腹が立ちます…」
「個性全否定」
「ずっと我慢していましたけどそろそろlimitで「お前も使ってんじゃねえか」
[おい、下らないこと言ってないで、さっさと調べんか!]
「はいはい、予想通りこのノヴァグは人が乗れるようになってるぜ。百獣の女王が囚われていた時とはちと違うみたいだが……」
「明らかに人型機に似せてあります…」
[分かった、もう良い。わてらの仕事は終わりだ]
「ディリン家の中身は?検分したか?」
[もう終わっている、王の懐刀の異名は、伊達ではない。謀反の兆し無し]
「そして私の心に謀反がride on…」
[おい、どうした?]
「気にするな、ちょっとナイーブになっているだけだ」
「そこは英語ではないのですね…」
[分かりみ]
「分かりみの使い方違くないか?」
[おいお前ら、追加の仕事だ、ガルディアからアネラという女を調べろとさ]
「バベル……ride onした謀反がlimit overで今すぐkill[おいどうしたどうした?何があったんだ?]
[どうもこうもない、この人紛いめ、少しはわてらを労ったらどうなのだ。これならまだ、リニアに篭っていた方が、まだマシさね]
[あんな陰気な所にか?わざわざこっちへ引っ張ってやったのに何だその言い草は。とにかくアネラ・リグレットという女を調べてくれ、ヘカトンケイルを回収したセレンに現れたあの女だよ]
「──あの女?……いえ、あの子の名前は確か……」
「何だ、何か心当たりがあるのか?」
「────いえ、調べましょう、どのみち私たちはバベルの子供、自由などありませんから……」
[自我を与えられただけでも感謝してほしいもんなんだけどね。で、ディリン家はどうだった?]
[謀反の兆しは無い、皆良く言いつけを守っているようだ。しかし]
「新型の兵装は明らかにノヴァグを改造した物だ、人間がride onできるように無理やりパイロットシートがある」
[────そうか、良く分かった。それならこっちも好きにさせてもらおうか]
「バベル…あなたが好きにすると言うのなら私たちにも幾許かの自由を─」[─あると思うか?あの小僧の事は早く忘れろ、そしてもっと良い男を見つけろ。失恋の痛みを忘れるにはそれしかない。──何なら俺にするか?別にいいぜ、お前のその根暗な前髪を切ってやれば映えないこともないか「──The power of my love commands me to kill「やばいやばいやばい!全編英語になっちまった!おいバベル!頼むからロムナを怒らせるな!」[──おい!馬鹿なことやってないで、早く逃げろ!ニンニンが、起きてきたぞ!]ニンニンって何だよ!ああニンジャのこと?!」
「もう誰も…犠牲にしたくなかった…許してくださいお二人とも……誰かの命を奪うぐらいならこの命を──」
[お前たちの生に次はない、これが正真正銘最後だ。そのことをゆめゆめ忘れるなよ]
それならば──好きに生きようと思うのが自然の摂理ではないのですか?
✳︎
私の実家に賊が侵入したようである。王都では今、国王による宴が開かれているそうなので当たり前と言えば当たり前である。母でありディリン家の当主を務めるヒウワイ様からそのような言伝があった。
ただ、不可解なのはその賊が何もせず退散したことである。当主が家を空けた隙に子飼いの者を使って館を襲撃させるのが通例であるはずなのに...王に媚びを売ってばかりで周りから恨みを買っているディリン家が何もされなかったとは少々考え難い。
(まあ無事であれば……それに越したことはありません)
それよりもカゲリのことが心配だ。あの子は幼少の頃から良く私に懐いてくれていた。それだけなら良いのだが何かとヒウワイ様を目の敵にし、まだ座を明け渡していないというのに私のことを『当主様』と呼ぶ。それで何度もハウワイ様から顰蹙を買っていた。
果たして私は五体満足で家に戻ることができるのか、それは分からない。
分からないが今は目の前のことに集中しよう。
生身の状態であれば斬り刻むように冷たい風も、コクピットの中にいれば何も感じない。時間帯は夜、満月が昇る綺麗な空の下、何の灯りもない状態で大海原の上空を飛行していた。それも単機でだ。
私にだけ命令が下された。ウルフラグの排他的経済水域近海にて不審機が潜航したようなのでその調査を命じられた。
司令室に呼び出された私は二度尋ねた、特個体が潜航したというのは何かの間違いではないか、と。しかし、オーディン司令官は「間違いない」とあの凛々しいお顔でそう断言なされた。
コンソールも消灯し、機体の誘導灯も全て消しているので本当に真っ暗闇である。ほのかな月明かりだけが道を照らしてくれている、オートパイロットにしていなければあっという間に方向感覚を失い帰還を困難なものしていたことだろう。
ヘイムスクリングラを出立してから約一時間、目的の海域に到着し、オーディン司令官が言っていた事が本当であったといたく理解した。
「……こちらレギンレイヴ、到着しました。おそらくですがウルフラグ籍の船が何隻かいます」
[──了解した。それ以上近づくな、遠目から観察していろ]
「了解。司令官、潜航した特個体はウルフラグの新型なのですか?それならば納得できますが──」
[お前がそれを知る必要は無い──と、言うのは流石に酷であることは理解している。今回の任務は公爵様直々のものだ、私たちもそれ以上の事は知らされていない]
「分かりました。お気遣い感謝致します」
他の者はどうかは知らないが、司令官は私にだけ気遣いをしてくれる。──と、強い刷り込みを感じながらタッチパネルを操作し、カメラ映像をズームアップさせると甲板に作業員の姿を確認した。
(この寒い時期に辛かろう……)
防寒対策はしているようだが、見るからに寒そうだ。
船上クレーンを海面に下ろして何やら作業を行なっているようだ、何人か海面を覗き込み指示を出し合っている。程なくしてクレーンが海面から上げられ、圧壊したように押し潰された物体が吊り上げられていた。
「──本当だったのか……あれはコクピットか……ん?」
搭乗者のことを考えると胸が締め付けられるようなそのコクピットの側面に文字が書かれていた。
「U……3、G…01──2……U3G012か。少なくとも私たちの機体では──」
つい素の口調が出てしまい、さらに間髪入れず通信が入ったので肝を冷やした。
[デュークだ。今の識別番号に間違いはないか?]
「っ?!──え、ええ、はい、間違いありません」
公爵様?母艦にいたの?
その切羽詰まった様子のまま言下に指示を出してきた。
[すぐに回収に向かえ]
「いえ、しかし─」[─公爵様?どうやって通信に割り込んだのですか?いえ、そんな事よりも勝手な指示を出すのは控えていただきたい]
何が何やら──司令官も慌てているあたりやはり母艦にはいないようだ。では何処から?というより通信を傍受していたのか?
司令官に注意を受けても公爵様は変わらなかった。
[とにかく回収に行け。今回の任の責は私が全て負う。よいな?]
[ですが──]行けと言っているだろう!あれだけはウルフラグの手に渡ってはならん!星人など足元にも及ばぬ程大事な物なんだ!この事の意味が分かるか?!]
──問題発言にも程がある。国王から公爵の位を授かった人間が言って良い台詞ではない。
司令官も同様に感じたのか、寒風と同じくらい冷めた声で公爵様を突き放した。
[──そこまで仰るのなら公爵様の私兵部隊を投入されては?ここで荒事を起こすことが陛下の為になるとは思えません]
公爵様の返事を待つ間、ウルフラグの船に変化があった。甲板で作業を行なっていた作業員らが回収したコクピットを放置して船内へと走っていったのだ。
「司令官、作業船の様子が変です──あれは……プロイの戦闘集団!」
作業船から数キロと離れていない、いつの間に?
コネクトギアの接続部がジリジリと痛む、いい加減この不快感にも慣れてきた。きっと私は前に奴らと戦ったことがあるのだろう。
見守るのか、それとも民間船の援護に入るのか、司令官からの指示を待っていると、
[──デューク公爵様、あれがあなたの私兵部隊ですか?]
「……え?」
いくら腹を立てているからといって、さすがにその言い方は不味いのでは...?しかし、公爵様の返事は無い。
いきなり割って入ってきていきなり黙りを決め込んだ公爵様に、司令官が頭を抱えながらも待機を命じた途端、海上を進む船舶群にロックオンされてしまった。静寂を突き破るようにアラート音が鳴り響き、否が応でも緊張せざるを得なかった。
「司令官!」
[──発砲を許可する。業腹だがウルフラグの民間船を援護せよ!]
その一言で沈黙していた機体が息を吹き返した、瞬時に灯るコンソールの明かりは星の瞬きを消すほどに眩しい。
以前──そう、ふいに思い出すことが多くなっていた。以前、私はレールガンを用いた戦闘でマリオネットに遅れを取ったことがある。それから遮二無二になって訓練を重ねたこのレールガンで船舶群に狙いを付け、一撃見舞った。船の上からこの軌跡を見上げていたのなら、いきなり流れ星が生まれたように見えていたに違いない。
人工の流れ星が船舶群の付近に着水、激しい水飛沫を上げて奴らの航路を一時的に断つことができた。
「聞こえているかウルフラグ!今のうちに距離を取れ!」
[──だ、誰だ?!軍に出動要請をかけた覚えは──いや何でも良い!助太刀してくれるなら御の字だ!]
未だに公爵様から返事は無い、それを良い事にあろうことか司令官が彼らと話しを始めた。
[私はヴァルキュリア隊の司令官、オーディンだ。この海域で何をしていた?]
[ヴァ、ヴァルキュリア?!──嘘だろ……何だってこんな所に──いやここはそもそも俺たちの海だぞ……]
[一宿一飯の礼だと思って答えてくれ。私が思うに君たちは非正規の作業船であろう?だから何の護衛もなく領海ギリギリの所までやって来た。違うか?]
船舶群が態勢を立て直し再び作業船に進路を取った。その間に作業船はいくらか距離を空けられたようで、私が邪魔をし続ければ難なく逃れられるだろう。
通信が一時の間、沈黙していたがウルフラグの人間が意を決したように答えた。あちらも何かしらの不満があったらしい、上手くそこを突いた形で話を聞き出すことができた。
[おたくの言う通り、この海域でロストした特個体を回収してこいと言われたのが今日の昼間だ。突然の話でな、俺たちも意味が分からなかったがおたくらも嗅ぎ回るほど大切な物ってことは何となく理解できた]
[そうか。私もお前と同じで使われている側の立場でな、その機体が何なのか聞かされていないが余程大事であることは理解していた。何を回収できた?]
[コクピットだ。おそらく深海でパージしたんだろう、だが乗っていた人間は……聞きたいか?]
[いや、結構だ。僭越ながら冥福だけ祈らせてもらおう。何故そのパイロットは特個体で潜航したんだ?]
[知らねえよ。ただ──ああ、マキナが絡んでいるって話はちらっと聞いたかな、それだけだ]
[情報提供に感謝する。私たちの部隊が領空侵犯した件については好きなように報告[─すると思うか?助けてくれた相手にする事じゃねえだろ。何の助けにもならない海軍に比べたらあんたらの方がよっぽどマシだ]
[感謝する。奴らのことは私たちに任せてくれ。では]──と、軽やかに別れの挨拶を告げるが海にさらなる変化が起きた。
海中に輝く星が二つ、生まれたからだ。彼らの上空で待機している私からでも、あの異様な輝きを見ることができたんだ、作業船からパニックに陥った人たちの声が耳に届く。
[──何だあれは?!兵器か?!とにかくここから──[無理だ間に合わねえ!動いたぞ!!]─少しでもいいから距離を──!おいヴァルキュリア!何でもいいから攻撃を──!]
いや、それは分かっている。しかしあれは──
眼前の海で起こっている出来事があまりに非日常めいていて理解が追いつかない。ああいった場面は映画やフィクションの類いの中で見かけるものだ。
信じられるか?いきなり海の中から超巨大なイカが出てきたら──月光に照らされているだけなのでシルエットしか分からない。けれどあれはやっぱりイカだ。
「──司令官!どうすればっ……」
[おいおいおいおい…スルーズの報告は真実だったという事か…あんな物向こうに居た時も──レギンレイヴ!彼らに当たらないよう威嚇射撃を──]
こちらが動くより早く、海中から現れた超大型のイカがその長い触手を持ち上げた。その触手の先には、私たちが戦闘集団と呼んでいたプロイの船が──合体している?船底から触手が延びてそれに合わせて船も...そうか!
「あれが船の本体ということか!……いやどういう理屈なんだ?」
[考察はいいからさっさと介入しろ!その場で戦えるのはお前だけなんだ!!]
混乱から回復して─いや今でも信じられないが─レールガンで狙いを付ける、トリガーを引くより早く三度変化が起きた。
そのぐにゃりと歪んだ船を見てコネクトギアの接続部が激しく痛んだ。
「あ──れはっ……!!」
船の形になっていた触手が不細工なラグビーボールのように変化し、死に物狂いで逃げているウルフラグの作業船に叩きつけたではないか。繋がっていた通信も一瞬で途絶、ブツリと嫌な音を立てて沈黙した。
暗闇の世界から一隻の船が姿を消し、突如として出現した超大型のイカも激しい水飛沫を上げながら海の中へと沈んでいった。
一瞬の出来事だった。ヘイムスクリングラの管制室も皆が息を飲んでいるのか、咳き一つ聞こえない。だからこそ、司令官が漏らした言葉が耳に良く届いた。
[────もうウンザリだ。俺もスルーズのようにやらせてもらう。──レギンレイヴ、直ちに帰還せよ、今から作戦会議を行なう]
「な、何のですか?」
唯ならぬ気配にそう返すのがやっとだった。
[──プロイの報告から先に行ない、公爵が陰で動き回っていた事を皆に周知させる。あれはカウネナナイの癌のような存在だ]
ヘイムスクリングラの有り様が変わった瞬間だった。