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第56話

.Have a clean slate



 時は満ちた。それも悪い方に。

 母国の人間は俺のことを皮肉を込めて『ヴィスタ・ゼー』と呼ぶ、一度も会ったことがない母親のせいである。

 いや、この世に生まれてこられたんだ、そう言うのはよそう。──でも、と思う。もし、前王の愛人だった (らしい)俺の母親が逃げずに傍に居てくれたら...物心つかないうちに別れた妹とまだ幸せな暮らしを送れたかもしれない──そういう思考が成人を前にして頭の中に居座り、幾度となく俺を苦しめた。


(……………美しい)


 だから、というわけではないが昔から女性のことが苦手だった。何を考えているのか分からないし、お腹を痛めて産んだ子もさっさと見切りをつけて捨ててしまうんだと思うと...一人で勝手にやるせなくなりどうしても女性のことを信じることができなかった。

 だから、というわけではないと言い切れない自分の性癖はさておき、こんな事をしている場合ではないと頭の中に警笛を鳴らしながらも触れずにいられなかった。

 細い、とても細い髪の毛だった、まるで赤子のように細く柔らかい。一房持ち上げてみるが、重力に習うようにさらりと落ちていった。


「…………持って帰りたいな……いやしかし、そんな事をしている暇は──」


 うつ伏せになって倒れている赤毛の少年の体を起こし、壁に背中を預けて座らせた。

 ──何も着ていないじゃないかっ……どういう事だ……いや丈が短いベストを羽織ってはいるが下は何も着ていない。そのせいで未成熟な胸がっ...ほんの少しだけ(俺好み)筋肉がついている...素晴らしい...

 自分が変態であることは理解しているいやそんな事を言っている場合ではない、ここはマキナの拠点、何とか忍び込めた海洋研究所の地下施設なんだでも本当に美しい...少しぐらいなら触っても────


「──ああ……星人様よ……これが俺にとってのハフアモアだということですか……激しく分かりみ」


 少年の体は──少年でありながら柔らかく──そして暖かい。このマテリアル・コアが一体誰のマキナの物なのか知らないが、こんな所に置いておく方が悪い。

 一旦少年から離れ、エモート・コア外部保存端末の背もたれに視線を這わせた。そこには『ポセイドン』と書かれていた。


「ポセイドンか……ウルフラグに介入しているどのマキナの物でもないな……」


 俄然テンションが上がってしまう。もうこれはこのマテリアル・コアを回収してトンズラこいた方が良いのでは?と、俺の中にいる二人の悪魔がそう囁いてくる。天使など初めっからいない。

 しかし俺の周りにはいる。


[おいヴィスタ、定時連絡はどうした?]


 俺の計画に賛同し、ウルフラグに残り続けてくれている仲間から通信が入った。


[いや、何でもない、無事だ]


[……?良く分からんが早くしてくれ、こんな所で鉢合わせしてしまったら逃げられなくなってしまうぞ]


[分かっている、今調べているところだ]


 少年型のマテリアル・コアのすぐ傍に一つの弾痕があった。それを視界に入れてから立ち上がり、後ろ髪が全部抜けるんじゃないかというぐらいに引っ張られながら部屋を後にする。


(──そうだ、早目に切り上げて回収しに来よう。アンカーには必要な物だと言い聞かせれば良い……いや待てよ、部屋にスペースがあったかな……何体か里帰りさせたら……)


 うわついた気持ちでエリアを抜けて二つ目のエレベーターに乗り込み、そしてすぐ冷静になった。

 到着した最下層、そこで青白い光りに照らされて意識を失っている保証局の男がいたからだ。

 名前はヴォルター・クーラント。



✳︎



「…………んんっ……」


「目が覚めたか、呑気な男だ」


「……っ?!……何でお前がっ……ここに…」


 最悪な目覚めだった。体は重い、頭は痛い、そして目の前にはジュヴキャッチの主犯格と思しき男がいた。

 さらに最悪だったのが体をロープで固定されていることだった、気を失っている間にやられてしまったらしい。


《……………》


 ガングニールから応答は無い。あんな事を言っておきながら、即座に頼ろうとした自分に反吐が出そうだった。

 以前、あいつと並んで座ったソファに転がされていた。端正な顔立ちをしたヴィスタに冷めた目で見下ろされている。

 そのヴィスタがわざとらしくテーブルの上にごとりと自動拳銃を置いた。


「ここで何をしていたんだ。答えろ」


「……答えると思うか?」


「いるはずのマキナがいない、だがお前だけがここにいる。もう一度訊くがここで何をしていたんだ?」


「………………」


 置いたばかりの拳銃を手に取り、安全装置を解除している。


「訊き方を変えよう。お前はマキナを信用しているのか?」


「……お前よりかは信用しているつもりだ」


「大昔に争ったことがある相手だというのに?地肉が通わない鋼の生き物の方を信用すると言うのか?」


「──何?」


 冷めていた目に明らかな侮蔑の色が浮かんだ。


「……本当にウルフラグの民は何も知らないんだな。──いや、忘れたと言うべきか、何とも哀れな」


「争ったことがある?そんな話聞いたことが──」


 ない、と口にする前に何故こんな所に居たのか合点がいってしまった。

 そもそも政府はマキナの存在を隠していたはずだ、それがこうして明るみに出てしまったのは全てノヴァウイルスなる物が世に溢れたからである。そしてこの男は以前、街が襲われた時に──


「──ハフアモアを調べに来たのか」


 何も答えないかと思ったがあっさりとそれを認めた。


「そうだ。全てのハフアモアは通信機能を有している、ここがその受信施設か、あるいは中継点かと踏んで調べに来たんだ」


「そんな事、奴らは一言も口にしていなかったぞ」


 侮蔑の目は変わらず、今度は憐れみをもって俺のことを見つめていた。


「──こんな間抜けな男に島を襲われたのかと思うとやるせないな。お前たちが非人道的な作戦をしなければ妹も今のような苦労もしなかっただろうに……」


「──てめえがそれを言うかカウネナナイ!てめてらが核兵器に縋りついていたから俺たちウルフラグが戦う羽目になったんだろ!」


「それが良く分からない、何故お前たちは核兵器を持っていると思ったんだ?持っていない物を捨てられるはずがないだろう」


「…………ああ?そんなはず──セレン島にいるルイフェス・カルティアンという男が条約に反して核兵器を密造し保有していると─「─タレコミがあったのか?何処から?その情報の出所は?」………だが、終戦後に確かに核兵器を回収したと……「誰がそんなことを言ったんだ?」


 何で俺が詰め寄られているんだ、今さらこんな話で──


「………大統領だ、マクレーン・ヒルナンデス大統領」


「────そうか。分かりきった事を言わせてもらうが、五年前の停戦協定の中に核兵器に関する項目は無い。これが何を意味するのか分かるだろう?」


「……………カウネナナイは破っていなかったと言いたいのか」


「お前たちは政府に踊らされたんだ、そして俺たちカウネナナイはお前たち道化に幾人も殺された。ここで復讐の為にトリガーを引いても、罰せられることはあっても誰も咎めはすまい」


 ゆっくりと銃口を持ち上げ、そして俺に狙いを定めた。


「──この恥晒しが。無能にも政府の言いなりになりやがって、己の為にも戦えぬのなら早々にこの世から去れ。家族の為、人々の為に銃を握った我らの同胞の足元にも及ばない」


 時間稼ぎのつもりがとんでもない贖罪の場になってしまった。ウルフラグを救った英雄として持ち上げられていた俺にとって、奴の罵声は不思議と胸にストンと落ちてきた。

 罵声こそ俺に相応しい、ずっと誰かにそう言ってもらいたかった自分がいた。

 英雄?とんでもない、奴の言う通りだった。

 だが、それを素直に伝えるほどこいつと仲が良いわけでもない。


「──残念だがここでの調査は諦めろ、その方が身の為だ」


「──?何を言って…………っ!」


 一瞬だけ目を見張り、後は素早くソファから立ち上がってこちらを見ることなくエレベーターへと駆けていった。

 こんなダサい所を見られてしまうのは──まあいいかと、自分の生き恥に比べたら遥かにマシだと変に納得した。


(マキナと争ったことが……ある?もしそれが本当の事なら俺たちは今……)


 意識を失ったタイミングで保証局に通報がいくシステムになっていた、きっと外で待機していた奴の仲間がサイトウかビーリか、俺の仲間を発見したのだろう。

 この無様な姿を見られるまでの間、マキナについて深く考えていた。

 いや、考えざるを得なかった。



✳︎



 時は満ちた。それは長さが分からない導火線に火がついたようなものである。

 

「おいヴィスタ!それは本当に必要だったのか?!」

 

「見れば分かるだろ!これはマテリアル・コアだ!持ち帰ってこの体からサーバーを探る!」


「──だったら連絡ぐらいしろってんだ!コレクションを増やしに来ただけなのかと勘違いした!」


「──え?──っ!!くそっ!もう追いつかれた!」


 アンカーがおかしな事を言う。え?コレクション?まさかバレてる?いやそんな事はないないはずだだってあの部屋は何重にもロックをかけてもし侵入があれば即座に通報される仕組みに──


「──そういう事かヴォルター!奴も同じ手を使って!」


「いいからさっさと撃て!」


 元副総長であるアンカーはハンドルを握り、研究所から首都へと延びる道を荒々しく運転していた。開け放った窓から冷たい風が入り込み、俺の天使が風邪をひかないかと心配になってしまった。

 早く"探りたい"と逸る気持ちをそのままに窓から手だけを出し、狙いもつけずにトリガーを引いた。サイドミラーに映る保証局の車が赤い火花を散らしていた、どうやら上手い具合にヒットしてくれたようだ。

 アンカーが乱暴にハンドルを切り慣性にならって車体が大きく揺れた。その弾みで隣に座らせていた天使の頭が股間に倒れ込み、俺もならって歓声を上げそうになった。ダジャレを言っている場合ではない。

 保てよ俺の理性!


「放てよ弾丸!唸れ鉄の獣!」


「──厨二病が!黙ってやれ!」


 またもやヒット、今日は冴えている。

 立て続けに弾丸を食らった鉄の獣が速度を緩め、その隙にアンカーが強くペダルを踏み込んだ。

 大きくカーブした向こう側に車が消えたのを確認してから窓を閉め、股間に顔を埋めていた天使を起こしてあげた。


「……後で顔を洗ってやらねば……」


「…………」


 ──もう間もなくだ。欲しい成果は得られなかったがその手掛かりは得られた。

 あとは時間との勝負、奴らマキナに勘づかれる前に何としてもサーバーにアクセスしなければならない。



✳︎



 手足が痺れ始めたのは一昨日の夜から、これはさすがにマズいと思って近くの整形外科に飛び込んだのが昨日だ。予約せずに行ったのがマズかったのかまるで相手にされず、「どうせ名前も聞かれていないんだから」と高齢者で溢れかえった待ち合い室を後にし、別の整骨院に電話を入れて今に至る。

 私より若い院長が言うには、


「体が歪んでますね」


「……そうですか。これって治ります?」


「治りますよ。ただ長期的に通院してもらう必要はありますが……」


「あ、よろしくお願いします。さすがに歳は誤魔化せませんね」


「そうですね。でもレイヴンクローさんのお歳の方でも痛みが引いたら通わなくなる人もいらっしゃいますので気をつけて下さいね」


 にっこりと微笑み、歪んだ骨を調整しない限り痺れが無くなることはないと、宣告された。

 

(ここ最近は座りっぱなしだったから……)


 職業病というやつか?違うか。管理職になってからデスクワークが増え、前から主に左側の腰に違和感があった。その違和感を無くす努力もせず通院せず、放置した結果がこれである。

 手足が痺れるのって本当に怖い、けどその怖さのお陰で自分がいかに体を雑に扱っていたのか知ることができた。


(ちゃんとしよう自分の体。グガランナみたいに取っ替え引っ替えでき「あたたたっ」


「今のところ分かります?ハムストリングと言って腰に繋がる筋肉なんですけど、物凄く硬いですね」


 うつ伏せの状態で触診されていた。可愛い顔をしてなかなかどうして、容赦がない。


「ああそうなんですか……」


「はいです。今の筋肉のせいで骨盤が引っ張られているんですよ、だから神経が圧迫されて痺れが生じるんです」


「そうですか……自分の体なのにまるで知りませんでした」


「大丈夫ですよ、私がくまなく見てあげますので」


 大丈夫?本当に大丈夫?くまなくっていちいち言う必要ある?

 あらかた触診を終えたのか、体を起こされ別室に案内された。そこには前傾姿勢になる変わった椅子が置かれており、


「服を脱いで座ってもらえますか?」


「あ、はい」


 厚手のセーターを脱ぎ、キャミソールに手を伸ばす前に尋ねた。


「全部ですか?」


「はいです」


 何そのはいですって、可愛いと思ってやっているのか?

 キャミソールも脱いで椅子に座り、上半身を支える台座に体を預けた。お次は頭に温かくて固い物を押し付けられ、そのまま首、背骨をなぞるように滑らせていった。


「この器具は骨を矯正してくれる物なんですよ。骨が正常であればこそばゆいんですが、歪んでいれば痛く感じます。どうですか?」


「……首がとても痛いです、あとは上からこそばゆい、腰はあんまり」


「あ〜…これ相当歪んでますね、目とか耳とか痛くなりませんか?」


「いや、さあ……」


「肩と首の中間点に出っ張りがありますよね?「ありますね」その骨が両肩を水平に保つ役目を果たしているんですが、そこが歪んでしまっているので手にも痺れが出ているんですよ」


「そうなんですか……」


 また「はいです」と言うかと思いきや、生返事を返したあとに声を落としてこう尋ねてきた。


「……あの、失礼かもしれませんが……セントエルモの方ですよね?テレビで見ていました」


 今それ言うのか?


「……そうです──あ、もしかしてクラファンに出資してくれたんですか?」


「あ、いえ、そこまではしていません」


 んだそれ。じゃあ何でこんな個室でその話を振ってきたんだ!紛らわしいんだよ!


「ハフアモアって本当に凄い物なんですね」


「まあ……まだ調査の段階ですが……」


「そうですか。ま、私たち一般人が手に触れられるまでまだまだ時間はかかりそうですね、夢の技術じゃないですか」


「そうですね、あれがあれば工場とかも要らなくなるかもしれませんからね」


「この器具も二四時間接触させていたらコピーしてくれるんですかね?」


 と、言いつつ首の辺りをゴリゴリしてくるものだから悲鳴を上げそうになった。


「──っ……え、さあ、どうでしょうか……私もあの報告会以上の事は知らされていませんので」


「そうですか」


「はいです」


「…………」


 え無視?反応してくれない、せっかく真似したんだから何かしら反応してほしかった。

 器具責めを終えたあとは、服を着て再び寝台に戻ってきた。そこでまたうつ伏せになり、回復を促す電気枕とやらを腰の辺りに置かれた。首じゃないのか?あれだけゴリゴリやってたのに?


「違和感はありませんか?」


 あなたの口調に違和感を感じますと言いかけて、


「……大丈夫です」


「では、そのまま暫く安静にしてください」


 腰に置かれた電気枕とやらがほのかに暖かくなった辺りで、部屋の外から話し声が耳に届き始めた。


「……最近あちこち閉まっているみたいだけど……」

「……私の夫も珍しく会社を休んでる……」

「……今セントエルモの人が……」

「……仕事を取られたのかな……」


 何だ仕事を取られるって...


(もう卵が世の中に出回っているような言い方だな………………「……zzz」


 若い院長に起こされるまでたっぷりと眠らせてもらった。

 その後、支払いを済ませてロッカーに預けていた荷物を取り、鞄の中に突っ込んでいた携帯を見やると目玉を剥いてしまった。


「何じゃこりゃ……」


 それはそれはもう、人気者のように着信履歴がずらずらと表示されていた。とりあえず一番上にあった名前をタップするとワンコールもしないうちに繋がった。

 相手はグガランナである。


[ピメリア!今どちらに?!]


「え、何、何かあったのか?」


 私はもう時の人ではない、それなのに何故そんなに切羽詰まった様子で電話をかけてくるのか。

 続けられたグガランナの言葉に、施術を受けたこともその内容も吹き飛んでしまった。


[ナディが倒れて軍属の病院に緊急搬送されました!あなたと電話が繋がらないと私の所に──]


 手足の痺れなんざすぐに忘れてしまった。

 どうして軍属に?その理由は到着してすぐに分かった。



「ナディが……カウネナナイの貴族……それは本当なのか?」


「はい、私も直接ナディから教えてもらいましたから」


 地域別感染注意報が発令されていた軍の付属病院では皆がマスクを着用していた。

 目の前に座っているライラは病院で支給されている無地の物ではなく、いつも持ち歩いているのか花柄が刺繍された布製のマスクをしていた。

 口元が隠れてライラの大きく鋭い目が強調されている。


「まあいい、それでナディの容態は?というかどうして軍の病院に……」


「左耳に赤いピアスをしているでしょう?それがコネクトギアになっているようで、だからここの病院なんです」


「──コネクトギアあ?そんな馬鹿な──いや、確かカウネナナイの人たちは、」


「はい、ここと違ってあそこでは皆んなが装着するように義務付けられているんです。ナディの家はまだ裕福だったみたいなので、あまり目立たないよう小さくする事が出来たみたいです」


「そう……なのか……お前はどう思う?」


「──え?」


 自分の飲み物に味覚調整添加剤を入れているところだった、マスクをずらして一口飲むつもりだったらしい。


「ナディがカウネナナイ人で貴族ってあたりがだよ」


「別にどうもしません。──いやでも……」


 添加剤を入れ過ぎてしまったのか、不味そうに顔を顰めてから続きを答えた。


「ナディは特個体について何も知らないと言っていました、そこだけは疑問に思いますがあとはどうでも。だって私の大切な人ですから」


「──そうか、それならまあ、別に…」


「ピメリアさんは嫌なんですか?」


 ずばりと訊かれたその質問に、私は自信を持って答えた。


「いや、お前たちがどう思っているのか気になっただけだ。それにあいつは非公式だが私の娘でもあるしな」


「はあ?──なら今度からおばさんって呼んだ方がいいですか?」


「はあ?……いや待て、お前の言う大切な人うんぬんって……」


 そこへナースが割って入ってきた、検診を受けたあと眠っていたナディが起きたらしい。

 規定の時間までと強く念押しされたあと、ようやく私は見舞いをすることができた。

 案内された所は個室だった、中に入るなりベッドの上で体を起こしていたナディが挨拶をしてきた。何か食べていたのか、私とお揃いの無地のマスクがずらされている。


「よっ」


「…………………」


「……すみません、体の方はもう大丈夫です」


「はあ〜〜〜……心配をかけさせるな、初めて聞いた時は腰が抜けるかと思ったんだぞ、いや今も痛いんだが」

 

 と、砕けた挨拶をされてそれにふざけた様子で返しはしたが...見慣れない機器から延びる幾本ものケーブルがナディ左耳に装着されていた。

 見るからに痛々しかった。

 後から入ってきたライラが私の横をすり抜けてナディの傍らに立ち、無言でずらされていたマスクを口元まで上げていた。そして、それを然も当たり前のように受け止めているナディは礼の一つも言わなかった。


(何か距離感が……夫婦のそれだな……)


 そういう事なの?え、いつの間に?いや確かにライラがナディに想いを寄せているのは知っていたが...

 手近にあったパイプ椅子にゆっくりと腰を下ろ──せなかった、お尻がついたと同時にちくりと痛んでしまった。

 すぐに立ち上がった私を見て不審に思ったナディが声をかけてきた。


「どうしたんですか?」


「いや何、腰をいわせてしまってな……結構痛むんだ」


「歳ですもんね、しゃーないです」


「こら、お見舞いに来てくれた人にそんな言い方は失礼」


 ライラがナディの頭をぺちんと叩き、叩かれたナディは恨みがましくライラを睨んでいる。


(本当に夫婦みたいだ。いやいやそんな事より……)


 二人の空気に飲まれないよう、気を取り直して訊かねばならない事を訊くため口を開いた。


「ライラからあらかた教えてもらったんだがな、本当の事なのか?」


 口元が隠れたナディがすっと私に視線を合わせた。ライラと同じようにその瞳が強調され、不思議と鏡を見ているような気分になった。


「そうです、私の本名はナディ・ゼー・カルティアンと言います」


「……ウォーカーという名前は?偽名だったのか?」


 ライラがにわかに殺気立つ。

 どこかよそよそしい口調でナディが答えた。


「いいえ、父の旧姓がウォーカーですので、それを名乗っていました。さすがにカルティアンを名乗るのはまずいと言って母がこちらに移り住む時に変えたんです」


「そうか──ん?父親の旧姓?普通は母親の方を名乗るもんじゃ、」


 理解が追いつかない私にライラが注釈してくれた。


「カウネナナイは逆なんです、母親の姓に変えるのが習わしなんだそうです。それからゼーというミドルネームが王族を示すんだそうです」


「──っ?!」


 その事実に腰を抜かしかけた、ここは何か?新手の治療所なのか?

 驚いて二の句を告げられない私に変わって当の本人が「そうだったんだ…」と同じように驚き、ライラから「いや自分のことなんだから」と突っ込みを入られている。

 ナディが──え、まさかのこいつが王族だって?信じられない。超深海に卵が潜んでいたことより、マキナがマキナである以上にこいつが"王族"であることが信じられなかった。

 私の表情を読んで、ライラがさらに説明してくれた。


「と、言っても今は殆ど力を失っているそうです。先の戦役でカルティアン家が解体寸前にまで追い込まれたのが原因なんだとか。ヨルンさんから教えてもらいました」


 何度か被りを振りながら、


「そのヨルンは?何処にいるんだ?」


「ウルフラグの国籍を剥奪されないよう厚生省の職員と一緒に役所の方へ嘆願に行っています。今日はもうこっちに戻って来られないかと思います」


「他の皆んな?」


「ジュディさんたちですか?それならもう説明は済んでいますよ」


「皆んなは何て言っていたんだ?」


 ずっと説明を続けてくれていたライラがナディと視線を合わせ、そしてこっちに向き直ってこう答えた。


「え、あんたが王族?良かったじゃないこっちに来て、あんたが王様になっていたらカウネナナイが秒で終わっていたわ、って言ってました」


 それは間違いなくジュディスの台詞だな、余裕の脳内再生だった。

 眉間にしわを寄せたナディが、


「失礼だと思いません?いくら何でも言い過ぎでしょ」


「いや、私も似たり寄ったりの感想を抱いたんだが……」


 この言葉に今度はナディが殺気立ち、ライラはマスクを押さえながらゲラゲラと笑い始めた。


「あっーはっはっはっ!やっぱりそうなんだってナディ!ナディに王様は向いていないんだよ!」


「それは自分から言うものであって人から言われるものじゃないのっ!こんのっ──」


 ナディが身を乗り出して大して痛くもなさそうなパンチを放ってきた、それを軽くいなしながら私も笑い声を上げていた。


「いやまあ……お前たちに変わりがないんならそれでいいよ、心底どうでも良い」


「何の心配をしていたんですか!」


「お前の人間関係だよ、壊れはしないかと心配していた──が、杞憂だったな」


「そりゃ勿論、何せ私がついていますから」


「ふん!そんなに意地悪するんならさっさと帰ってくれても良いんだけどね!」


「はいはい、そんなに拗ねないの」


「で、二人はいつから付き合っているんだ?」


 墓穴を掘った、すぐに後悔した。

 今でも楽しそうにしていたライラが目の色をギラッギラに変えて惚気始めたので、


「いやそれがですね実はあの時の祝勝会の日なんですけどナディったら私の首筋にキ「いやもういい分かった。おめでとう」何でですか!最後まで言わせてくださいよ!」


 凄いなそのマシンガントーク、ずっと誰かに喋りたくてうずうずしていたに違いない。

 ちょっとした悪戯心で二人に投下してやった。


「子供はいつつくるんだ?」


 二人の反応は──


「──はあ?」


 マスクに隠れていても分かる、きっと馬鹿にしたように大きく口を開けているだろうナディと引きかえライラはというと...


「え、里親の登録ならもう済ませましたけど」


 相変わらずの温度差である。


「はあ?何言ってんの?」


「え、子供欲しくないの?私は欲しい、でもお互い同じだから産め「待って待って待って、急過ぎてついていけない、初めて恋人ができた一ヶ月以内にもう子供の話をしなくちゃいけないの?早くない?というか婚姻すらしてないよね?「そういうナディだってもう結婚の話をしているじゃな「違う違う違う、そういう事じゃないから、ね?一旦落ち着こうよ「え、ナディってもしかして遊びだった?誰でもいいや的な?」


 もう放置でいいですか?合いの手を入れるのすら馬鹿ばかしい。


「そういう事じゃないよ。ライラってどこまで考えてるの?」


「全て」


 愛が、重い...。


「あ、そう……私ってのんびりしてる方だか「言わなくても分かる」ならいいや」


 いやいいのかよ!

 変な所で納得したナディがライラから視線を外して私に合わせてきた。


(最近の子は本当に何を考えているのか分からんな。初めて会った時なんて二人揃って前を向いていたくせに)


 絶対その話はしないけどな、間違いなくライラに惚気られてしまう。

 ──まあ、思っていたよりもナディが元気そうにしていたし、周りの人間関係も寧ろ良好になっている節もある。もしかしたらナディを遠ざけようとしたり、あるいは本人が重篤になっているんじゃないかと不安になった。

 だが、全て杞憂に終わった。


「これからどうする?向こうに帰るのか?」


 また、あの澄んだ瞳で私をじっと捉えてから答えた。


「そうあっさり聞かれると……何だか帰っても良いのかなって思えてしまいますね」


「そりゃお前の故郷なんだから、あるうちに帰っておけ、私みたいになるなよ」


「………言葉が、重い」


 お前にだけは言われたくないとナディの頭にチョップをかますと、ライラが一〇倍返しのチョップを見舞ってきた。そのうち何発か腰を狙ってきたので死に物狂いで逃げた。


「ふざけんな!腰を痛めている奴の腰を狙う奴があるか!」


「ふん!相手がたとえカウネナナイの王様でも容赦しませんから!」


「いっつつつ……変な動きをしたから……向こうにいるお前の友達も苦労しそうだな、こんなおっかない女「何ですって!」が恋人なんだから……」


 「う〜〜〜ん……」と、ナディが首を傾げ始めたので、何事かと私もライラも何を言うのか見守った。そして、


「……会わない方が良いかもしれない……」


「──え?どうして?ナディの友達なんでしょ?」


「うん、そうなんだけど……きっと私──というか、カルティアン家の皆んなを恨んでいると思う」


 今まで一度も聞いたことがない言い方だ、それに雰囲気もガラリと──

 先程の澄んだ瞳ではなく、本人に似つかわしくない厳かな表情をしてこう締め括った。


「あの子に色んなことを押し付けてこっちに来たから、きっともう会わない方が良いんだと思う」



✳︎



「──っくしゅん!」


「──ナディ様?大丈夫ですか?」


 傍らに立っていたナターリアが素早くこちらを振り向いてきた。


「うん大丈夫。誰かが私の噂でもしていたんじゃない?」


「ああ……もしかしたら当主様たちが─「─そう?きっと私のことなんて忘れてるよ」


 夜空に浮かぶ月と星々、今は亡きセレンから見上げたのならきっと輝かしい舞台であったに違いない。

 色褪せた夜空から地上に目を向けてみやれば、そこかしこで宴が広げられていた。その煌びやかな灯りと人の姦しさで空が霞んでしまっている、何とも嫌な所であるルカナウア・カイ、王位争いから派閥、政権、何でもござれの醜い闘技場のようであった。

 王城の庭、それから室内の大広間を一望できるバルコニーに冷たい一陣の風が通り過ぎた。


(ナディ……いつになったら戻って来てくれるのでしょうか……アネラはもうヘトヘトです……)


 ──ああ、このまま風に流れてしまいたい、けれどそれは叶わぬ願いである。

 現国王であるガルディアが宴を開くと王都内にいる全ての貴族を召集したのだ、その真意は分からない、しかし何かを企んでいるのは明白だった。

 豪華絢爛その他諸々の大広間からガルディアが庭へと歩み始めた。その周りを彼に付け入ろうとする輩が囲い、ちょっとした仮装集団のようになっていた。


「──けっ」

 

「……アネラ、おやめなさい」

 

 このクソ寒い中でもガルディアは平然としている、あの王位を示すマントに何かを仕込んでいるのだろう。その周りにいる家臣たちは寒さに震え上がっているというのに。

 そういう男がこの国の王になっていた。

 私?私は平気である、何せ平民の出だからこれぐらいの寒さは慣れっこである。

 ナターリアはかって?見れば分かる。


「……っ……っ……っ」


「いやめっちゃ寒そう!何で言わないの?ほら早く中に入りましょう。付き合ってくれてありがとね」


「あなたをっ……一人にしたらっ……寝てしまうと思ってっ……ううっ、寒い!」


「私の信用の無さ!…あれ、前にも似たような会話しなかったっけ?」


「し、知りません!そんな事より早く中へ!」


 我慢の限界だったらしい。

 バルコニーから暖かい室内へ入る間際、ガルディアの演説が少しだけ耳に入ってきた。


「──は整った!これからは我ら人の子が星人様に代わりこの地を──やがては全世界をあまねく調停し安寧へと導いていくことだろう!我に賛同する者は──」


 好きにすれば良いと──お願いだから他所でやってくれないかと心の中だけで私も汚い矢を放った。

 そして──それが見事に的中し、ただの平民であり父親も母親も知らない、ただナディ様に似ているからという理由だけで影武者をやらされている私ことアネラ・リグレットが渦中の人になってしまうのであった。

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