第54話
.婚姻〜物理的側面〜
物々しい雰囲気に包まれた国会議事堂にマキナを名乗る二人が訪れていた。
いや、向こうから勝手に訪れたわけではない、こちらが呼んだのだ。
「丁重に出迎えてくれ」
秘書の者が無言で会釈をし、心なしか緊張している面持ちで部屋の外へ出ていった。
手元にある資料をまとめている間に秘書が二人を引き連れて戻ってきた。一人は薄い金の髪をしたグガランナ・ガイア、もう一人は濃い茶色の髪をしたティアマト・カマリイだ。
(この二人が……)
薄らと微笑みを湛えているだけだ、それなのに部屋の中が異様な雰囲気に包まれた。
こういったイベント事が好きな大統領は生憎欠席だった、私一人で相手にしなければならない。
目の前に座る二人に聞こえないようそっと息を吐き、そして乾いた唇を開いた。
「ご足労していただき感謝致します。私はクトウと申します」
「ええはい、あの時はお忙しかったでしょうに取り次いでいただいて、こちらこそ感謝しています」
「いえ……お二人に足を運んでいただいた件についてなのですが、」
「分かっているわ、ノヴァウイルスについてでしょう?」
「え、ええ、まあ……」
話しづらい。言葉を挟んでくるので自分のペースが掴めない。
「そうです、先日セントエルモが採取してきた未知のウイルスについてあなた方にお話を聞きたかったのです。単刀直入にお尋ねしますが、あれは一体何なのですか?」
「以前にも保証局の方々にご説明致しましたが、あれは別のテンペスト・シリンダーから持ち込まれた超技術です、我々マキナでもその製造方法がまるで分かりません」
すらすらと、まるで待っていたかのように答えたのはグガランナ・ガイアであった。隣に座るティアマト・カマリイは無言だった。
──ただ、紺色のショールを肩にかけ直すフリをしてティアマト・カマリイに目配せをしていた。
「……つまり、古文書にある一つの大地とはそのテンペスト・シリンダーを差していたということですか?」
「いいえ違うわ、それはテンペスト・シリンダーが建てられた地球のことを差しているのよ。そして、めちゃくちゃになってしまった地球を見て嘆いたのがマキナである私たち、ということよ」
「……それで?」
「それだけよ」
場がしじまに変わる。外から車のクラクションが聞こえ、程なくしてからティアマト・カマリイが話を続けた。
「──ええそうね、私も大人にならなければいけないわね。意地悪な言い方をしてしまったわ、ごめんなさい」
「……いえ、お気になさらず。こちらはノヴァウイルスの対処方法さえ確立できれば良いのですから」
──そう、今や国中が注目を集めているノヴァウイルス、あるいはハフアモア、あるいは単純に卵と呼ばれる代物は...化け物であった。
手元に置いていた資料、そこには一般公開されていない情報が載せられていた。それは陸軍が持つ屋内実験棟において行なわれたノヴァウイルスの危険性検証試験についての結果だった。
答えは『黒』、他の研究機関が『シルキー』と名付けた銀色の真珠は周囲の敵意や攻撃行動に反応してすぐさま『撃退行動』に入る、つまり街を何度か襲撃したあの虫に変化するという事だ。
しかも、その攻撃行動の度合いが増せば増すほど、シルキーもそれに合わせて大きさ、特性を変化させるという検証結果が出ていた。
これはあまりに扱いが難し過ぎる、否、人の手には負えない代物だったのだ。
どう話を切り出そうかと思案していると、心意が全く読めないティアマト・カマリイがさらに話を続けてきた。
「あなたたち人類に渡した古文書はね、言わば警笛のようなものなの。分かるかしら?」
「──警笛、と、申しますと?」
「私たちマキナはマリーンが誕生した時からつぶさにあなたたちの事を見続けていたわ。時に争い時に手を取り合い、そしてやっぱり争いをしてその繰り返し、それに嘆き悲しんだとも言える」
「はあ……私としては、橋を壊す者が現れたと記述されていましたのでてっきり予見書としての側面もあるのかと考えていましたが……」
「…………」
「…………」
「………?どうかされましたか?」
「……あなたは先見の明を持っているようね。偉いわね」
「は?──あ、いえ、失礼致しました。それはつまり、ノヴァウイルスの事を予見していた、ということでよろしいですか?」
「おっほん!……ええ、そうです、私たちはノヴァウイルスの現出を予期しておりました。何らおかしな所はありません、ありませんとも」
「なら、そのテンペスト・シリンダーと呼ばれる場所はここよりも遥かに技術力が優れた所なのですか?」
「…………」
「ええと、そうね、うん、ここもテンペスト・シリンダーのうちの一つなんだけれど……」
「──ああ、あなた方の話を統合するに、元々人類は一つの地球に住んでいて何らかの事情が発生して住めなくなり、そのテンペスト・シリンダーという場所がいくつも建造された、と。そしてその他のテンペスト・シリンダーから私たちが住むテンペスト・シリンダーにノヴァウイルスがやって来た、ということでよろしいですか?」
どこか挙動不審になっていたマキナの二人が何度か瞬きをした後、顔を輝かせてこう言った。
「──そう!そうそう!まさしくその通り!……はあ〜〜ようやく私の話を分かってくれる人が……」
「あなた……凄いじゃない、本当に立派ね」
「……………」ことりと、まずはかけていた眼鏡を机の上にそっと置いた。何も言わない私を不審に思ったのか、ティアマト・カマリイが気遣うように「大丈夫かしら?やっぱり難しかったかしら?」と言ってきた。
普段は滅多に声を荒げるようなことはしないが、この時ばかりはそうもいかなかった。
「──あのですね……馬鹿にするような発言は控えていただきたいっ!!」
「っ?!」
「っ?!」
「こっちは真剣な議論を求めているのですよ?!それなのにあなたたちときたらっ……それで[まあまあ、そう癇癪を起こすのは良くないぞ、クトウ総理大臣]
ポケットに入れてあった携帯端末からそう呼びかける声があった、あちらも滅多な事では自ら関わるようなことはしないというのに。
その相手とは、未だ顔も名前も知らない──前期の内閣府が設立されてから対面を拒否し続けている厚生省大臣であった。
[どうも初めまして、お声だけで大変失礼する。君たちがマキナのグガランナ・ガイア、それからティアマト・カーリィだね?]
「カーリィではないわ、カマリイよ。どうも初めましてお声だけの人、良ければお顔も見せてくださらない?」
[それは無理な相談だ、何せ私は自我すらも電子に身を委ねた存在だからね、実体を持たないんだ]
...何度耳にしても馬鹿げていると思う、しかしこの大臣が公の場に姿を見せたことは一度としてない。
「では…あなたは元々生身の人間だったと?そう仰るのですか」
[そうとも、私は元々ただの人間だった。色んな経緯があったのだけどね……まあ、とにかく私は作られた大地で電子の化身となったわけだ]
ティアマト・カマリイが私の携帯電話を睨むようにして尋ねていた。
「何の為に?何の為にあなたは人の身を捨てたの?」
[────そこは今は重要ではないよ。とにかく私がこの場に乱入させてもらったのは他でもない、クトウ総理大臣と被るがノヴァウイルスについて聞きたかったからだ]
「……あなたがそう言うのも大変珍しいことですね、大臣」
中途半端にぶつけてしまった怒りを持て余しながら私も尋ねた。
声が些か震えているのは仕方がない、この男が割って入らなければ今頃スッキリしていただろうに。
[何、いや、うん、私も自分でどうかと思うがとても気分が良いんだ、とても良い、成長を見届けられるとは思っていなかったし──いや、忘れてくれ。クトウ総理大臣も落ち着いたかな?]
「ええ、お陰様で。お二人も先程は失礼致しました」
軽く頭を下げると二人が泡を食ったように会釈を返した。
「いえ、こちらこそと言いますか……」
「さすがに子供扱いが過ぎたわね、ごめんなさい」
「…ティアマトっあなたのそういう言動がっ…」
グガランナ・ガイアが少しだけ耳を染めながら隣に小さく注意をしている。二人がこちらに視線を向けてから改めて口火を切った。
「さて、大臣も関心を向けているノヴァウイルスについてですが……さてはあなた方も何も知らないのではありませんか?」
先程の半端な罵声のせいで砕けた言い方になってしまった、しかしあちらは大して気にした様子はなかった。
「……ええ、仰る通りでして、私どもも寝耳に水と申しますか…あなた方が解明した事柄以外何も知らないのです」
[では別の角度から質問させてもらうが、あれの対処法はあるのかね?私も陸軍の検証結果を見て戦慄したよ、あれはマズいと]
それは別の角度というより結論だ、私もそれを知りたくてこの二人を呼んだのだ。
答えは──
「……国民が一丸となってシルキーを一箇所に集め、そして破棄する以外にないかと思います。それ以外は……残念ながら私でも思いつくことはありません」
「私もよ」
[そうか……それは不可能に近い]
そう簡単に結論付けられても困る。
「では、何故ノヴァウイルスはシルキーを産んでいるのでしょう?何か分かりますか?」
「何故産むのか……ですか?それは生態系に則った結果なのでは……」
「それは産卵方法でしょう、私が知りたいのは産む理由です。ノヴァウイルスと呼ばれるものは実に様々な生態系を模倣して存在していると聞いています、何故そこまでして存続しようとするのか、また何故産んだシルキーがノヴァウイルスの本体に成長しないのでしょうか。これっばかりは外的な検証からでは分かりません」
本当に君は何をしに来たんだと叱りたくなってしまう、ティアマト・カマリイが小さな声で「本当ね、全くその通りだわ」と呟いた。
また大臣が口を挟んできた。
[ふむ、その疑問は実に良い、私と同じだ。何故マキナが人の営みを俯瞰的立場から見続けていたのか気になった、しかしこればかりは研究を重ねてもまるで分かりはしない。だから私も人の身を捨ててマキナと同等の立場を手にしたのだ。うんうん、昔を思い出すようだ……]
「大臣の話は無視してくだ[君も言うようになったねえ〜普段からそれぐらい強気でいても「とにかく今はノヴァウイルスについてです、先程の質問に何か思い当たることはありませんか?」
綺麗な──それこそ産みたての卵のように滑らかな顎に手を当ててグガランナ・ガイアが考え込み始め──そして数瞬もしないうちに「えっ!」と声を上げた。
「どうかされましたか?」
[何か思い当たることが?]
異口異音に尋ねられたグガランナ・ガイア、答える様子はなく宙を見つめたままだ。隣に座るティアマト・カマリイにショールを引っ張られても反応しない、何なら額に薄らと汗が出始めていた。
「ガイアさん?」
そう声をかけるとようやく目線を合わせてきた。
「あ、いえ……そのですね、つかぬことをお聞きしますが……私たちが入居した研究所についてなんですけどね……」
「……はあ」
(……入居した……?自ら入ったということなのか……)
目をあちらこちらへ泳がせていたグガランナ・ガイアが意を決したようにこう尋ねてきた。
「……実は特個体がいたり、とか……します?私たちに内緒で配備させていた、とか」
「はあ?」
[はあ?]
今度は異口同音、大臣と声を揃えた。
✳︎
アッシリア艦隊を預かり首都の防衛を任されているリヒテンの自宅は、それはもう立派なものであった。
《配置は済ませてある、いつでもいいゼ》
《……奴の配下は?》
《近くにはいないみたいだ──おいなあ、いい加減慣れてくれねえか?そういちいち反応されるとやり辛いんだが》
返事はしなかった。
無駄に豪華な呼び鈴を鳴らして来客を知らせる、程なくして二人分の足音が耳に届き、些か乱暴に扉が開いた。
「……何か?」
「アーセット・シュナイダーの身柄を預かりに来た。本人を出してくれ」
お互い顔を知っているはずなのに、随分と他人行儀なリヒテンが妻を庇うようにして俺の前に立ちはだかった。
「自宅の周りに人を配置させていることと関係しているのか?今すぐに退かせてもらいたい、妻が怯えている」
「本人を出してくれたらそれで良い、すぐに退かせる」
俺より上背があるリヒテンの体から妻が顔を覗かせてきた。
「あの……息子が何かしましたか?」
「それを調べる為にここへ来たのです、息子さんは?」
早くこの場を片付けたかったので少し威圧的に言葉を放った、アーセット・シュナイダーの端末は自宅にある、確認済みだ。
しかし、
「──息子なら出社した、この家にはいない」
「……何?」
すかさずガングニールから通信が入る。
《──確認した、確かに付近の防犯カメラにアーセットの姿が映ってる、首都方面行きのバスに乗車したようだ。ユーサ港にはいない》
《あの野郎……自分の携帯を置いて外出したのか》
《そりゃあな、何せ本人の携帯に直接電話をかけたんだからオレたちにスニーキングされていると判断したんだろ》
《全員撤退させろ、ここに用はない》
《もうさせている、研究所へ向かわせた》
《それで良い》
はたと目線が合ったリヒテンは、酷く眉を曇らせていた。
「……息子は何処にいる?お前たちが追いかけているのは百も承知だ」
「聞いてどうする?」
「何もできなくても親というものは子の心配をするものだ。独り身のお前には分かるまい」
「──お前の息子、アーセット・シュナイダーがマキナの一人であるハデス・ニエレとコンタクトを取った、それも違法な手段を使って、だから追いかけているんだ」
「………他にもマキナと名乗る輩がいただろう?そいつらは何と、」
「知らないそうだ、そのハデス・ニエレというマキナは巧妙に痕跡を隠しながら連絡を取り合っている。由々しき事態と断定して人間側から調査を進めている、勘違いするなよ、逮捕の為に追いかけているわけじゃない」
つい口を滑らせてしまった、リヒテンに隠れている妻の存在に負けてしまったと言ってもいい。
こちらの心変わりを見透かしたように、リヒテンが小さく鼻を鳴らした。
「ふん……お前も随分と丸くなったようだな。感謝する、同じ屋根の下にいても分からないことがあるんだ」
答えを返そうか返すまいか、逡巡した後結局返していた。
「──だろうな。何かあれば連絡する」
◇
アーセット・シュナイダーの元に送信者不明のメッセージが届けられたのが、大統領行政室主催の報告会当日だった。
そこからさらに数度、アーセット・シュナイダーの元へメッセージが届けられたが全てこちら側でブロック、発信者の特定には至らなかった。
このご時世──と、いう言い方は正しくはない、特個体がおおよそ全ての電子機器にアクセスできる環境下に置いて、電子メールの偽装を働く輩なんざそうはいない。
シュナイダー邸を後にした俺は車に乗り込みアーセットが向かったとされる研究所へ向かった。この寒い季節にぴったりの薄い青空に、少しだけ開いた窓から入り込む風は氷でならしたように冷たかった。
新たに複製されて機体に搭載されたガングニールが話しかけてきた。
《おいなあ、寒いんなら窓閉めたらどうなんだ?》
《……癖みたいなもんだ、昔は何かと嫌味な奴が隣に乗っていてな》
《そりゃまた、いなくなって清々するな》
《──それがそうでもない》
《……?》
何かから逃げるようにアクセルペダルを踏み込んだ。
頭の中に騒々しいアラート音が鳴ったのは湾岸線に進入した時だった。通信相手はハデス・ニエレと同じマキナ、久しくその声を聞いていなかったグガランナ・ガイアだった。
案の定、まだ何も知らないガングニールが何事かと騒ぎ始めた。
《おい誰だよ!何でオレたちの間に割ってくるんだ?!オッサンの友達か?!》
《知らん、ただの混線だろうが》
取り合うつもりはない、というより取り合えない。
『ガングニール』という人格はそもそもが好奇心旺盛なのか、鳴り響くアラート音を無視して俺に尋ねてきた。
《おい、もしかしてその嫌味な奴から通信が入ったんじゃないのか?相手は誰なんだ?男か?女?》
《静かにしろ、お前に関係ない》
《ええ〜良いじゃねえか別に……独りぼっちなんだからもう少し教えてくれても良いんじゃね?昔はオレと似たような奴もいたんだろ?》
湾岸線をひた走り、研究所を抱える森が見えてきた。
《──そうだな、嫌味な奴をホシ・ヒイラギという。それから同じ特個体のダンタリオンという奴が──》
《──え?何?何だって?何も聞こえないゾ──お、あれじゃね?見えてきたぞオッサン》
また、何も言わずに通信を切った。
✳︎
「マキナっていうのは何でも出来るのか……こりゃ凄い……研究所の地下にこんな物を作るだなんて……」
「そもそも俺たちがいるフロアも後付けで作ったからな、こんなの朝飯前だ」
ま、俺はご飯なんか食わないけど。
俺とアーセットがいるのはポッドルームからさらに奥、皆んなに内緒で作った格納庫だった。
ポッドルームのエリアから『配電盤』と書かれたさもっちい(見窄らしいという意味、俺の造語)扉を潜るとあら不思議、さらに下へと延びる階段が現れる。真っ暗闇なのでたまにアーセットが階段を踏み外しそうになり、その度に俺の肩を強く掴んできたので痛かった。
そんなこんなで訪れた場所には秘密基地っぽく演出した格納庫があった。
俺とアーセットが立つ欄干の裏手には水に濡れた崖がある、ここはまさしく海の中なので崖なんかあろうはずもないがこれも演出の一つである。
アーセットも俺の演出に感激したようで、口元を綻ばせていた。
「──良いねえ、この場所……まさに秘密基地って感じがしてとても良いよ」
「だろう?!そう思うだろう?!」
「……元々二つの機体があったのかい?どうやら一つだけ空いているみたいだけど……」
ちょっと眩し過ぎるライトに照らされた格納庫は確かに、アーセットの言う通り一つだけ空いていた。俺が先の戦役で鹵獲したのは二つだったはずなんだが...まあいい、どうせ使うのは一つだけなんだ。
──さあいざ行かん!と、その前に...
「ま、今はとりあえずお披露目ってことで……また上に戻ってくんない?」
「え?どうして?というか他に用事があるんなら先に済ませておけば良かったのに」
最もである。
「いや、ここを早く見せたかったからさ。とにかく戻ろうぜ」
アーセットの手を引いて来た道を戻る。
「何処へ──」
「お前の耳にコネクトギアを装着するんだよ、そういう約束だっただろ?」
✳︎
夢はいつか、覚めるものである。
どれだけこの場に残っていたいと思っても、目が覚めて現実に引き戻されるのである。
では、無限に夢を見続けたいか、と言われたらまたそれは別の話である。
どんな夢を見るのか、見ている時の自分はどうなっているのか、いつも考えてしまいなかなか寝つけない自分がいる。
どうしたってその瞬間だけは分からない。人が眠りにつく時、その刹那、一体自分の意識はどうなっているのか、分からない。
だが、今日だけは違った。僕は僕だと認識しながら夢を見た。何の事はない、人は意識を手放したその直後から『言葉』によるイマジネーションを生んでいたのだ。
記憶整理?印象映像?そんなランダムなものではない、人は自分の言葉で夢を作り眠っている間にそれを楽しんでいたのだ。
僕はようやく自分だけのシャングリラを見つけたような──気がした、そうだと頭の天辺から足のつま先まで理解するより早く起こされてしまった。
「気分はどう?悪くない?」
「……いや、良く……分からない……どれくらい眠っていたんだ……?」
「ん〜……ざっと一〇分そこらじゃね?」
(一〇分……今ので一〇分……そうか、人が自我を手放さなければならない理由が良く分かったよ……)
ハデス・ニエレに連れて行かれた場所は卵のような装置が並ぶ所だった。その一番手前の卵の中に寝かしつけられ、半覚醒状態で夢を見ていたんだ。
とても濃密だった、濃厚だった、とても一〇分とは思えない程に長い時の流れを感じていた。
もし人が...毎夜の眠りの際に自我を保った状態でいたならば...とてもではないが自我そのものが寿命尽きるまでもたないだろう。
「──あ………今の音は……」
「問題無いかのチェックだ、大した音じゃないよ」
「いや──そんなことないよ……素晴らしい……とても良い音色だ……ああ、音ってこんなに綺麗だったなんて……」
ポッド内に流れていたヒーリングミュージックが耳朶を震わせ鼓膜に伝わり、体内へ浸透していくようだった。
高級のヘッドホンでもここまで敵うまい。もしかしたら治っていないのかもしれない、という疑念すらどうでも良くなっていた。
自分の耳にそっと触れると、耳たぶに固くて丸い感触があった。冷んやりとしているのでおそらくこれがコネクトギアなのだろう。
彼に感謝の言葉を述べる、ハデス・ニエレが嬉しそうに笑みを溢したのも束の間、すぐに険しい表情になった。
「どうしたの?」
「────げっ!………そうくるのかよグガランナのやつ……」
僕の質問に答えず、代わりに腕を引っ張って立たせてきた。
「さあ!準備も出来たことだし行こうぜ!」
「──え?いやちょっと──」
彼に手を引かれ──赤い髪の毛がふわりと舞って僕の鼻頭をくすぐった。
彼の強引さに戸惑う声が出たけれど、僕の心はもう──期待で張り裂けそうだった。
夢にまだ見た深海へ、僕だけのシャングリラへ......