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第50話

.ナツメ・シュタウト:新たな旅路



 彼女の名前はリーシャという、歳は私より若いのに私よりしっかりとした女性だった。

 彼女は命の恩人だった、あの日、フロックに撃ち抜かれ海に落とされ、流れ辿り着いた先で一命を取り留めることができた。

 場所はカウネナナイのルヘイ、ラウェ側にある小さな漁村の中で私は新しい生活を得ることができた。毎日その日の食事のために働き腹を満たし、夜はリーシャの相手をしたり慰められたり...私を取り巻く世界は二人だけで完結していた。

 リーシャは友であり、家族であり、恋人であり、また親であったり子であったり、完全にとは言わないが十分満ち足りた生活を送っていた。

 そんな生活が三ヶ月近く続いたある日のこと、朝から降る雨のせいで二人の住処に引きこもっていると、誰かが扉を遠慮なく叩いてきた。


「……何だ?」


「さあ……」


 胸に頭を預けていたリーシャがそっと起き出し、部屋の窓から玄関先を覗き込んでいる。ぱっと体を翻して脱いでいた服の袖に腕を通し始めた。

 最初はリーシャの客だろうとのんびり構えていたが、荒々しく開けられた扉の音を聞きつけて私もベッドから跳ね起きた。


「随分手荒な客だな」


「私のじゃないわ、それよりナツメも早く服を着て!他人に見せたくない」


「こんな見窄らしい体をか?お前の体を見られることの方がよっぽど嫌だけどな」


「その私が着ろって言ってるの!早く!」


 決して広くはない家の中を複数の足音が乱暴に床を打ち鳴らしている、靴底が立派でなければあんな音は出ない、つまり貴族の連中か...あるいは町で幅をきかせている機人軍の者だ。

 後者だった、服を着たと同時に寝室に入ってきた連中は機人軍の指揮官らしき男と武器を携行した下士官らしき男だ。

 リーシャが勇敢にも前に出た、咄嗟の行動力は私より彼女の方が上だった。


「何のご用でしょうか」


 指揮官らしき男が部屋と私たちを睥睨してから答えた。


「ふん……女に股を開く女がいたとは……まあいい。そこの黒髪の女、お前の名前はナツメで間違いはないな?」


 この満ち足りた生活の中でも極々一部欠損している所があった。それを見事に突かれた私は答えられず押し黙った。


「答えろ、お前が公爵家に仕えるナツメだな?」


「…………それが何だ」


「すぐに私たちの基地へ来い、お前にやってもらいたいことがある」


「それは何で──」


 傍らで武器を手にしていた男が腕を振り上げた、こういう時は私の方が強い、リーシャの間に入ってそのアサルトライフルから庇った。


「──っ!」


「ナツメ!」


「余計な事は聞かなくて良い!お前に知る権利はない!」


 有無言わさぬ暴力を平然と振るっている、クソと呼んでも差し支えない男だ。

 鳩尾に入ったグリップの痛みに堪えながら、相手の真意を読むため睨みつけた。


「何だその目は……女が向けて良い目じゃ──」


「よせ、漁りに来たんじゃないんだ。私たちに着いてこい、これは命令だ」


「お前たちの言いなりになる筋合いは無いはずだが」


「その女の為になると言ったら?いやでも付いてくる気になっただろう。安心しろ、事が終われば謝礼も出る、お前が生きていなければその女の手に渡るがな」


「………」


「待って……待って!彼女と話をさせてください」


 馬鹿にしたように鼻を一つ鳴らしてから、機人軍の二人が寝室を出ていった。

 突然の事だった。けれど、心の中ではいつかこんな日が来るのではないかと思ってさえいた。

 リーシャが殴られた腹を撫でている、そこは治療してもらった痕が残っていた。その具合を確かめるように何度も何度も...


「………何が、何があったの?どうしてナツメが?」


「……さあな、私にも分からんよ」


 嘘を吐いていた。ユーレットにも勘違いをされたようにリーシャにも勘違いをされていた。


「せっかくあなたとこうして二人っきりになれたのに………」


「……謝礼が出ると言っていたんだ、私の帰りを待っていろ」


「でも、それは生きて帰れたらって……」


「どのみちお前の手元には転がり込むんだ──」


 鋭い痛みが頬に走った、本当に容赦がない女である。


「それを私が当てにしていたって言うの?あなたはそんな目で私の事を見ていたの?」


「違うのか?公爵家のエンブレムが無くて残念そうにしていたじゃないか」


 もう一度頬に痛みが走る、目に見えていたが騙していた気後れもあってそれを受け入れた。



(これで良かったんだ……これで……)


 冷たい冬の雨に打たれながら着いた機人軍の駐在基地は向こう(ウルフラグ)とさして変わらない真新しさがあった。

 家に上がりこんできた指揮官が入り口で待ち構えており、濡れていた私にタオルを投げて寄越してきた。


「拭け。お前は知らんだろうがデューク公爵がグレムリン侯爵の膝下に入った、先のルヘイ騒動における落とし前だ」


「……で?」


 卸したての匂いに包まれたタオルで遠慮なく頭や体を拭きながら話を振った。何を言われるか検討はついていた。


「お前がこの町に滞在していた事は知っていた。今の今まで好き勝手にやっていたんだ、そのツケをまとめて払ってもらいたい。着いてこい」


 男の跡に続いて私も基地の中に足を踏み入れた。カウネナナイに来てから良く見るようになった木材がどこにも使われていない、近代建築を目の当たりにするのは本当に久しぶりだった。

 一階の事務フロアから二階に上がりブリーフィングルームへと入る、そこには荒っぽい連中が複数名、皆んなクソみたいな視線を私に遠慮なく向けてきた。


「でっけえ……噂通りだの大きさだな」


「挟んでくれたらこのまま辞めても良いんだけどな」


「あいつが独り占めしてたんだろ?女がどうやってあの胸を堪能するんだろうな」


「……………」


(こいつらぶっ殺してやろうかっ)


 クソみたいな会話をしている男に混じって一人だけ女がいた、その女はこっちに目もくれず指揮官が立つ壇上を見続けていた。

 無視されていると自覚があったので、こっちから巻き込んでやることにした。


「そこにも女がいるだろ、その粗末ないちもつを挟んでもらえるように頼んでみたらどうなんだ」


 まさか言い返されると思っていなかったのか目を大きく開いたあと、男どもがゲラゲラと笑い出した。


「こいつは間違いねえ!まじもんの馬鹿だぞ!」


「未成年に手を出すほど落ちぶれていねえよ!」


「おいアネラ!テメェも言い返せよ!馬鹿にされてるぞ!こんな貧相な体では挟めませんってな!」


 アネラと呼ばれた女がこっちを振り向き、思わずその綺麗な瞳に見惚れてしまった。


「…………」


「…………」


 無感動なその目は黄金色をしていた、秋口に見せてもらった稲穂の絨毯を思わせるものだった。


「挨拶は済んだか?さっさと席に着け、今からブリーフィングを始める」


 指揮官が壇上に立ち、何の前口上もなく切り出した。


「期待してるぜ公爵のナツメさんよ、下手こいたらその胸に免じて許してやってもいいぞ」


 どうやら私の事は周知の事実らしい。


「お前たち飛行部隊はセレンに赴き、先の回収作戦の折にロストしたヘカトンケイル一機を奪還してほしい。相手は同じ機人軍のミンプリーという男だ、階級は大尉、セレンのウルフラグ軍と手を組み我が国に対して反逆を企てている輩でもある」


「仲間割れか」


 ついと漏らした言葉に嫌な顔をせず指揮官が答えた。


「そうだ、こちらの要求に一切応えようとしない。これに憂慮した機人軍本部が奪還せよと我々に命令を下したのだ」


 それでどうして私が呼ばれなければならないのか...その事も口からついと出そうになった。


(ああいや、公爵家は責任を取らされているんだったか……それなら私は、というよりそのナツメも体良く使われているということだな)


 同じ名前、そしてこの瞳、『ナツメ』という女が先にこの地を踏んでくれたお陰で私も助けられた場面があった、リーシャがその最たるものだ。けれど、こうして割を食わされる場面にも出会してしまった。

 今さら別人だと言えやしない。

 あらかた説明を終えた指揮官がとんでもない事を口にした。


「作戦の決行は明日、いかなる悪天候でもお前たちには出動してもらう。各自割り当てられた機体の調整を今日中に済ませておくように。詳しい作戦内容についてはまた明日に発表させてもらう。以上だ」


「は?」


「聞こえなかったのか?今すぐ格納庫に行って機体を調整しろと言ったんだ」


「……………」


 他のパイロットたちが何食わぬ顔で席を外している、私はとても取り乱していた。


(明日だって?今日じゃないのか?何の為に喧嘩別れしたと──)


 外の天気と同じように荒れている心情のまま私も格納庫へ向かった。



 作戦会議などを行なう事務棟から格納庫へ行くためには一度外に出る必要があり、強くなった雨脚をちっとも防いでくれない屋根の下を気もそぞろに歩いた。

 やけっぱちだった、どうせ特個体の操縦はできないんだ。


(ナツメという女はできたんだろうな、一体何者なんだ……)


 風で荒れ狂う海の近くに格納庫と離着陸場があった。階段を降りた先から早速一つの格納庫に入り、久しぶりに特個体を間近で見上げることができた。


「………………」


 カウネナナイの機体だ、それでもやはり胸の高揚感は無視できそうにもない。甘くて苦い感慨に耽っているとアネラに声をかけられた。


「ナツメさん?機体に乗らないのですか?」


「──ああ、うん、分かっているよ」


 翼型の形態をとっている機体のタラップに手をかけた、一段上る度にトラウマも蘇ってきた。

 期待に応えられなかった絶望感、焦燥感、無力感。機体の下から私を見ているアネラと同じ年頃だったこともあり、否が応でも思い出してしまう。

 乗り込んだパイロットシートはやはりウルフラグのものと違っていた、共用機体なのか消毒済みのシートをべりりと剥がしてからシートに腰を落ち着けた。

 

(さて……こっからどうすれば良いんだ……?あっちの練習機と似ているような気もするが……)


 そこでコクピットの縁からアネラがひょっこりと顔を出してきた、思わず声が出てしまう。


「うおっ?!」


「あ、驚かせてしまったようですみません。この機体は不慣れだろうと思いまして、良ければ手解きいたしましょうか?」


「──え?あ、ああ、よろしく頼むよ……」


 だから私に声をかけてきたのか。

 アネラのしなやかな指を目で追いながら言われた通り機体の立ち上げに入った。

 そして...


「ナツメさんのコネクトギアはどこにありますか?」


「……腹だ、ちょうど鳩尾の辺りにある」


「ご自分でやりますか?」


「申し訳ない、接続のやり方まで甘えてもいいだろうか?」


「………分かりました」


 と、言ってからアネラが遠慮なく私の服を捲り、コントロールレバーから一本の細いケーブルを取り出した。


「楽にしていてください」


「──ああ!ちょっと、いいか?すまん……」


「……?」


 コネクトギアの移植手術に失敗した、というのは脚色された話だ。本当は成功していた、私の体の一部もほんのいっ時コネクトギアを装着していたことがあった。

 失敗したのはこれだ、私の体は特個体との接続に耐えられなかったのだ。手術室で行われた接続試験に失敗した私はその場で気を失い、意識が戻った時にはもう──今のようになっていた。

 また同じ事が起こるんじゃないかと背筋におぞましいものが走り、思わずアネラの手を強く握ってしまった。


「どうかされましたか?」


「………何でもない、続けてくれ」


 忘れていたと思っていたあの激痛が蘇る。神経系の全てに電撃を流されたような不快感と痛み。みっともなく泣き叫んだあの頃の私。

 せめて泣くような真似だけは──


「はい、終わりましたよ。あとはご自身でコンソールから神経と機体制御プロトコルの調整を行なってください」


「………………え、は?」


 ──何の痛みも不快感も無かった。コントロールレバーから伸びたケーブルは何の問題もなく私の腹に挿さっている、通信インジケーターを示す緑色の光りが波打っていた。


「………これで終いなのか?」


「………え?そうですけど……」


 さすがに今の質問はマズった、けれど湧き上がるこの胸の高鳴りの前には何の意味もなさなかった。


「……これで私は乗れるのか?」


「そうですよ。以前も機体に乗っていらしたんですよね?」


「〜〜〜っ!!!乗れるのかあ〜〜〜っ!!!」


「っ?!?!」


 あとで聞いた話によれば私の雄叫びは格納庫中に響き渡っていたという。つまりそれぐらいに喜び、勢い余って未成年の胸に飛び込んでしまっていた。



✳︎



 変な人。それがナツメさんに対する第一印象だった。

 しかも挙げ句の果てには私の部屋に泊めてほしいとまで言ってきた。場所は変わって基地内の食堂だ。


「は?泊めてほしい?どうしてですか?」


「いや何、ちょっと戻りづらい理由があってな……良かったらでいいんだが……」


(この人にプライドというものはないのだろうか)


 情けなく垂れ下がった眉はとても歳上に見えなかった。

 まあどうせ?オーディン司令官からは公爵家の者をバックアップしろと言われているんだし?別にいいんだけど...


「そんなに広くはありませんが……質素だからといって文句は言わないでくださいね」


 私の皮肉にも動じずナツメさんが真っ直ぐお礼を言ってきた。


「ありがとう、本当に助かるよ。最悪あの男どもに体を売ってでも泊まろうかと考えていたぐらいだから」


「何があったんですか?」


 任務の事も忘れてつい聞いてしまった。セミロングの黒い髪をかき揚げてからナツメさんが答えた。


「ここで話す内容じゃないよ、君のような未成年に聞かせたいとも思わない」


 変に格好つけてきたので言ってやった。


「さっきは私の胸に抱きついてきたくせに?」


 そのままお皿に顔を突っ伏すんじゃないか、というぐらいに「うぐぅ」と言いながら頭を下げた、クリーンヒットらしい。


(この人面白いかもしれない)


 面を上げたナツメさんは本当に歳上の人には見えなかった、それぐらい弱った顔をしていた。


「君のようなしっかりした人に言われると……食欲も無くなってくるな……」


「はいはい、私が悪うござんした。家にある食べ物はここより質素なので今のうちにきちんと食べておいてくださいね」


 てきぱきと口に運んでいると、あまり絡んでほしくなかった人たちがテーブルにやって来てしまった。同じ部隊で臨時的に戦うことになった男性パイロットたちである。


「よおよお!俺もお仲間に入れてくれよう〜!」

「未成年に手は出さなかったんじゃ?」

「誰がアネラなんかに手を出すんだよ──お、良いもん食ってるじゃないか!口直しに俺の粗末なものも食ってみるか?なーんてな!」

「な?俺たちもここに座っていいだろ?」


 最後の人は私に尋ねてきた。


「ええ、まあ……」


 こう、どうして男の人というものはエリマキトカゲのように自分を大きく見せようとするのか、苦手意識を持っていた私は目を逸らしながら曖昧に答えた。

 一方、盗み見たナツメさんは情けない顔から一転してキリリと三人のことを睨みつけていた。私と同じで男性のことが苦手なのかな、だから女性と同棲していたのかなと思ったが違った。


「ほら、触ってみろ」


「?!」

「?!」

「?!」

「?!」


 私までもが驚いた、ナツメさんが両手を椅子の背もたれに回してその─年齢の割には─豊かに整ったバストを見せつけている。急な降伏ポーズに男性三人は固まっていた。


(あれ、触らないんだ……)


「ほーら、早く触ってみろよ、この童貞どもが」


 ナツメさんの暴言に三人が劇的な反応を見せた。


「──ああ?!誰が童貞だ!」

「こちとらガキん時に捨ててんだよ!」

「調子に乗ってると本当に──本当に触るぞっ?!」


 三人を煽るようにナツメさんが体を揺すっている、それに合わせてその豊満な胸も揺れていた。

 童貞...あまり()()()()()()には疎い私でも知っている。つまりこの人たちは...異性と深い仲になったことがないのだ。つまり私と同じである、そう思うと見る目が変わってしまった。


「……ただの子供だったんですね、私と同じです」


「?!」

「?!」

「?!」


 私の発言に三人息を揃えて振り返ってきたので思わずくすりと笑ってしまった。



 冬の冷たい雨の下、私はナツメさんを引き連れて当てがわれていた家に戻ってきた。家、と言っても基地の敷地内に建てられた管理職用の寝床であり、まあそれでも町にある家よりは立派なものであった。

 エントランスに入るなりナツメさんはほうと息を吐いていた。


「良く出来ているな……向こうと比べても大して遜色ないぞ……」


「向こうって?」


「あ、いや、何でもない」


 本当に簡単な間取りだ、一階部分にキッチンやレストルームがあって二階に寝室が二つある程度、それでも一人で使うには十分な広さだった。

 空いている部屋へナツメさんを向かわせ私はキッチンで飲み物の準備をした。それから二階に上がってみると、


「あれ……」


 空き部屋が空き部屋のままだった。あ!と思った時にはもう遅い、その隣の私が使っている部屋からナツメさんが顔だけを出してきた。


「あ、そっちだったのか……すまん」


「もういいですよ別に。さっきと違って随分とポンコツなんですね」


「君はほんと……容赦がないな……」


 とか言ってるわりに退出する気はないようでそのまま部屋へと引っ込んだ。

 

(まあ、とくに私物とか置いていないから紛らわしいとは思うけど……)


 ベッドの上にパジャマがありますよね?目に入らなかったの?

 私も部屋に入って持ってきた飲み物をナツメさんに渡してあげると、また素直に「ありがとう」とお礼を言ってくれた。

 

「ナツメさんって変わってますよね、普通歳下の、それも立場が低い相手にお礼なんか言ったりしませんよ」


「そういう君こそ歳上相手でも容赦がないじゃないか」


 お互いに軽いジャブを放ってからカップに口をつける。

 私の部屋だっつってんのにベッドに腰を下ろしていたナツメさんがおもむろに口を開いた。


「……なあ、君に一つ聞きたい事があるんだが、公爵ってのはどういう人物なんだ?」


 謎かけだろうか、仕える主君をまるで知らないような素振りだった。


「それはナツメさんが良くご存知のはずですよ。私も一度遠くからお顔を拝見したぐらいなので知りません」


 そうか、と言ってから、


「私も知らないんだよ、そもそも見たことすらない」


 その言葉を聞いて私は同情の念を抱いた。きっとナツメさんは幼い頃に家元を離れて公爵家に仕えていたのだろう、と。その家に仕えながら主君の顔も知らないとは余程立場が低かったのだ──と、思ったのだが...


「それにだ、私は君たちが言うナツメとは別人なんだよ」


「────は?」


「聞こえなかったのか?別人だよ、別人。私も同じ名前だが公爵家のナツメではない」


「………はあ?それはどういう──いやちょっと待ってください……」


 すぐには信じられない、何を言っているんだこの人状態に陥ったけど、さっきの格納庫で見せたあの反応が何よりその事を強く裏付けていた。


「本当にナツメさん……ではない?」


「ああ、ナツメ・シュタウト。陸軍首都防衛歩兵連隊の指揮官を務めていた、階級は少佐だ」


「──っ?!」


「待て待て待て待て、今さら君にどうこうしようとは思っていないよ、だから落ち着いてくれ」


 敵の中の敵!何かの作戦行動中かと思い素早く身構える。


「いや!でもだって……どうしてそんな人がこんな所に……」


「何かの作戦のように思うか?町の市民と何事もなく三ヶ月近くも同衾すると思うのか?私はただこっちで暮らしていただけだよ、指揮官が姿を見せていなかったら本当にあそこで朽ちるつもりでいたんだ」


「…………ひとまずあなたの言葉を信じます。ただし、」


「分かっている、変なことをすればその腰にある拳銃で撃てばいい。もう私はウルフラグに戻るつもりはないんだ」


 もう一度、同じ言葉で尋ねた。


「………何があったんですか?」


 それから私はナツメさんの話に耳を傾けた。

 屋根を叩きつける雨音に紛れて聞くナツメさんの話は、有り体に言って酷いものだった。

 幼少の頃から憧れていたパイロットにはなれず、周りを見返すため畑違いの場所で血の滲むような努力を続けたのに、最後の最後に全てを剥ぎ取られて異国の地へとやって来た。辛い過去を持っているはずなのに、自分の話をしているナツメさんは悲嘆に暮れることなく粛々と語っていた。

 これが大人の強さなんだと思った、けれど聞かずにはいられなかった。

 私が用意したジンジャーリリーのハーブティーを一口含み、飲み干すのを待ってから口を開いた。


「……お辛くないんですか?」


 とても──そう、とても自然な笑みを作ってからナツメさんが答えた。


「いいや、それがそうでもない。確かに身包み剥がされて立場も取り上げられた時は虚無感に苛まれたけど……これが案外悪くないんだ」


「悪くない……?でもナツメさんはその為に頑張ってこられたんですよね?」


 それはとても辛いことだと思う。自分が信じてきたもの全てがなくなるということは、生き方そのものも失うことだと、私は思っていた。

 もし私が...今日明日にでも"スルーズ"という名前を剥奪されて、泣きじゃくる妹と別れてまで達しようと思った目的も失ってしまったら...そう考えただけで頭の芯からぐらついてしまった。


「ああそうだよ。けれど、毎日毎日その日暮らしも悪くないと思ったんだ。立場が無いから責任もない、責任が無ければ誰かにやれと命令されることもない、命令がなくなって初めて自由を知ったんだ」


 鳥を見たんだと言う。初めてカウネナナイに訪れた時に大空を勝手気ままに飛ぶ鳥を、何度も大地から眺めたんだそうだ。


「それにだ、毎日その日暮らしと言ってもぶっきらぼうな生き方じゃない、毎日一生懸命生きるということなんだ。手抜きをしたら食べる物がなくなってしまうからな。私にはこれぐらいがちょうど良い、先の事を考えるとどうしたって我欲が根本にきてしまう」


 自分が用意したハーブティーに口を付ける、少しでも温まればと思い煎れたジンジャーリリーはさして効き目があったように感じられなかった。


(本当に私はあの子と別れて良かったんだろうか……もしまた記憶整理が行われたら……)


 あの子を──フレアを忘れてしまう日が来てしまったら...

 何かから逃げるように私も身の上話を始めた。


「……私には妹がいるんです、大切な妹が……けれど今は傍にいません」


「それはどうして?」


「自分が掲げた目的の為に。たった一人の家族を親友の家に預けて私は袂を分けました、傍にいたら間違いなく危険な目に遭うからです」


「良い目的のようには思えないな」


「はい。私の故郷を奪った相手を斃すためですから」


「その相手とは?」


「マリオネット、長年カウネナナイを苦しめ続けてきたウルフラグのエースパイロットです。あなたに言っても仕方のないことですが」


「だな、私には関係の無い話だ」


 ここで一旦会話が途切れ、さらに強くなった雨脚が自分の存在を示すように耳に届いてきた。

 空になったティーカップをテーブルに置いてから話を続けた。

 ──良かったと、妹の話だけで済んで良かったと心底思った。


「ナツメさんは始めからルヘイにいらしたんですか?」


「いいや違うよ、確か何処だったけか……そうそう、ルカナウアという島からこっちに流れ着いたんだ」


「………流れ着いた……?いや、ちょっと待ってください、先程のコネクトギアは……」


 格納庫で見た物は間違いなくカウネナナイ製のものだ、しかしこの人は他国の人間である。


「作戦中にな、味方だと思っていた相手に撃たれたんだよ。そして海を渡ってルヘイに着いて一命を取り留めて……今にいたるというわけだ」


「その作戦って………」


「コールダー夫妻の警護だよ。けれど私たちの部隊にヴァルキュリアのフロックが紛れこんでいたんだ、最後の最後でそいつに撃たれた」


「……………」


 その後、何と口にしたのか覚えていない。願わくば私の素性がバレないようにと祈るばかりであった。



✳︎



 あの子は間違いなくヴァルキュリアの人間だ、フロックの名前を聞いてあからさまに反応していたのがその証拠だった。

 まさかこんな所で相手の心理を暴く術が役に立つなんて思わなかった、馬鹿みたいに出席争いに明け暮れていたお陰とも言える。


(未成年しかいない精鋭部隊か……そういえば、この国には成人女性のパイロットがいないな、それと関係しているのだろうか)


 じゃあ私はどうなるんだという話だ。

 リーシャの家と違ってここはとても暖かい、エアコンの類いは一切見られないがきっと家中を空気調和しているのだろう。薄らと汗までかいてきた。

 部屋に備えられている替えの衣服類を手に取り、念のためアネラの扉をノックしてからシャワールームに向かった。

 一階に下りて廊下を渡り、キッチンとダイニングスペースの横にあったレストルームへと入る。トイレとシャワールーム、それからランドリースペースの扉があった。

 無駄に贅沢だなと思いながら迷わずシャワールームの扉を開け、さっきノックをしても返事がなかったので大方外出しているだろうと思いこんでまた迷わず服を脱ぎ始めた。

 そこでシャワーがある扉(どうして普通の扉なんだ?)が一人でに開き、中からすらりと長い腕がにょきっと生えてきた。棚にある替えのボトルを取りたいようだ。


「取ってやろうか?」


「──?!?!くあっ?!うぇっ?!」


 声をかけるとアネラが鶏みたいな声を出してすぐ手を引っ込め、ついで尻餅を盛大につく音が聞こえた。どうやら外出していたのではなくシャワーだったらしい。


「おい、大丈夫か?」


「な、な、なんなんなん、何で勝手に入ってるの!」


 全裸のアネラが胸や股を隠し、頬を真っ赤に染めながら私を見上げていた。


「悪い、誰もいないと思って入ってきた」


「いや見れば分かるわ!早く出てって!」


「別にいいだろ、シャワーも広そうだし二人入っても問題なさそうだ」


「そういうことじゃないからあ!いいからっ!早くっ!出てけっ!」


 シャワールームにあったあれやこれやが飛んできた、しっかりしていると思っていたがこういう所はうぶらしい。


「別にいいじゃないか女同士なんだから」


「あなたは同性の人と同衾していたと言った!同衾の意味ぐらい知っている!貞操の危機!あのエリマキトカゲと一緒!」


「エリマキトカゲ?良く分からんが………確かにそれはそうだ。ちなみに私は歳下にしか興味がないようである」


「!!!!」


 親の仇を見るような目つきになり、パイロットらしく素早い身のこなしで立ち上がった。しかしここはシャワールーム、今なお降り注ぐ暖かい水のせいで大変滑りやすくなっていた。

 案の定である。


「──あ」


 私もパイロットを志した人間である。動体視力には自信があり、スローモーションとなって脱衣所に倒れ込むアネラの全裸が見えていた。これで受け止めようものならまたぞろ文句を言われると思って脇にずれてやった。


「くああっ!!」


 潰れた鶏のような声を出して床に倒れた。


「………………」


「おい、大丈夫か?」


 微動だにしなかったので声をかける。すぐに返事があった。


「……いや、こういう時って受け止めてくれるのが当たり前なのでは?」


「どうせ裸で抱きしめられたって文句を言うつもりだったんだろ」


 思いの外元気である、やはり現役パイロットは受け身も一級品だった。


「その胸はっ!こういう時の為にっ!あるんでしょっ!この無駄脂肪がっ!」


「いたっ!いたたたっ!胸を弾くなっ!」


「こんな屈辱初めてだわ………駄目な大人の前で全裸を晒すだなんて………」


「私も全裸なんだけど」


「駄目な部分は否定しないんですね。さすが歳下のヒモになっただけのことはある」


「今も大して変わらん。一度プライドを捨てたらあとは気楽なもんだぞ、お前も戦乙女が嫌になったら丸裸になって海に飛び込め」


「──誰がそんな事するかっ!いいから起こしてよ!」


「ええ?ここまで文句を言った相手に助けてもらおうって?」


「いやここまできたら意地でも助けてもらわないと起き上がれる気がしない」


「あーはいはい分かったよ……おい、何だこのまな板は、つるつる滑って持ち上げられないぞ」


「〜〜〜っ!〜〜〜っ!!〜〜〜っ!!!」


 自分のスタイルを気にしているのか、イジったそばからそれはもう腕の中で暴れ回った。


(モデルのようなスタイリッシュさがあって私は良いと思うんだけどな……)


 毎晩お世話になったリーシャもどちらかと言えば私よりだ。あの柔らかさと激しさは癖になる、けれど今目の前にある無垢な体は"モノにしたい"という動物的な本能を刺激するエッセンスがあった。

 ついと尻を撫でてやると今度は「はふぅくあっ!」と奇怪な声を上げた。


「情緒も色気もあったもんじゃないな。声って大事だぞ、覚えておけ」


「…………────え?」


 射殺さんばかりに吊り上がっていた眉が次第に下がり、ついで辺りを窺う気配に変わって最後にそう声を上げた。表情がころころと変わって面白いと思ったその刹那、終わりを迎えた。


「誰か──誰か入ってきましたよ!」


「もしかしてあの男たち──ああエリマキトカゲってあいつらのことか?例えが上手いな」


「んなもんどうでも良いから早く──」


 バタン!と開いた扉の先にはフィッシングナイフを持ったリーシャが立っていた。そして刃はこっちに向けられている。


「……………」

「……………」

「……………」


 動きをぴたりと止めた三人、そのせいで時間の流れが分からない。これが現実であることを教えてくれたのは流れ出ているシャワーの音だけだった。

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