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前人未到の超深海へ・下



水深一二〇〇〇メートルの世界



 ラウェ島を出港した調査船はセレン島を迂回するように船を進め、天気予報通りの穏やかな海を順調に渡っていた。

 船内では航行中でも準備が進められている。何せ二ヶ月前からこの日の為に頑張ってきたのだ、船にいる誰もが気焔を吐いて作業に取り組んでいた。

 調査船の研究室では当該海域で使用する各種音響装置の入念な調整を行ない、船尾にある探査艇の格納庫内では作成班とパイロット班が最終の打ち合わせをしていた。

 これは実地訓練ではない。今日まで何度か潜航テストと訓練を行なってきたが、そのどれもが中深層を超えない簡単なものだった。

 今日からいよいよ水深一二〇〇〇メートルを目指した超潜航が開始される、失敗は許されない。


「良いな!期間は今日を含めて五日だ!簡単に言えば五回のトライが許される!緊張せずかと言って気を抜かずにやるように!」


「イエッサー!」


 調子付いたナディがふざけ半分でそう答え、空は晴れているのに雷が落ちてきた。


「──ふざけるなっ!!!これは遊びではないっ!!!自分の骸を親に見せるつもりかっ!!!」


「………イエッサー……」


 懲りずにふざけたナディがゴーダに追いかけ回される場面がありつつも、船は順調に向かっていった。


 調査船と併走するように進む海軍の軽空母のブリッジでは、早速不穏な空気を察知していた。


「それは本当か?」


「はい、どうやらカウネナナイの船も私たちと同じ海域を目指しているようです」


 ブリッジで指揮を取っているのはセントエルモと馴染みがあるアリーシュ・スミス、それからコールダー夫妻の一件で向けられていた疑惑の目を払い除けたリヒテン・シュナイダーの二人だった。

 

「艦長、どのように思いますか?」


「レーダーを見る限り軍艦ではない、大方横槍を入れるつもりなんだろう。過度な警戒は必要ない、セントエルモには私の方から連絡しよう」


「分かりました」


 傍らに立つリヒテンをアリーシュは心強くて思った、軍上層部から嫌疑をかけられ鬱屈とした思いをしたこともあった。しかし、自分が尊敬する上官がこうして再び指揮を取れるようになったのだ。


(信じた甲斐があったというものだ)


 リヒテンからカウネナナイの動向が調査船にも伝えられた。

 作戦はまだ始まったばかりである。アリーシュはいくらかの余裕を感じながら凪いだ海を眺めていた。


 その余裕がなくなったのは午後を回ってからである、セントエルモの後ろを付けてきたカウネナナイの船から救難通信で連絡が入ってきたのだ。


[ご機嫌ようウルフラグの諸君。何、私たちのことは気にせんで良い、ただの見学だ]


「……………」


[有人探査艇で超深海へと行こうとするんだ、歴史的瞬間をこの目で見たいと思うのは研究者としての性分だ。いや何、私は想像しただけでイクような早漏なんだが──]


 下品な物言いに耐えかねたアリーシュがぶつりと通信を切った。


「艦長!すぐに出撃許可を!」


「待て待て待て待て、あれはただのジャブだ、そう怒ってどうする」


「あんな下品なっ──せめて威嚇射撃でもして追い払うべきです!」


 頭に血が上ったアリーシュは捲し立てている。


「馬鹿を言うな、ただの民間船を撃つやつがあるか。放っておけ、直に消えるさ」


 実際はそんな事もなく、カウネナナイの船はしつこくセントエルモの跡を付けてきた。

 今度は、海軍の船に同乗していた空軍のパイロットたちがブリッジに連絡を寄越してきた。


[リヒテンよ、お前の目は節穴なのか?神に祈りを捧げて盲目を得たとでも言うのか?早く何とかしろ、目障りだ]


 探査艇の着水作業を行なうパイロットたちの一人、先の作戦でその功績を認められて大佐に昇進したリー・キングからだった。


「貴様の方こそ節穴ではなかろうか、如何なる理由があろうと非武装の民間船に攻撃をしかけることは許されていない。それにそもそもだ、セントエルモからの依頼があったばれこそお前たちを我が船に乗せてやっているんだ、勘違いするなよ」


[それはこっちの台詞だリヒテン、ライラからの依頼がなければ誰がこんな見窄らしい船になど乗るものか。何なら今すぐ帰ってもいいんだぞ?]


「何だとこの変態野郎が──」


 売り言葉に買い言葉、すぐ怒髪天になった艦長を副官が制していた。


「艦長!堪えてください!敵の前で仲間割れをするおつもりですか!」


「──ぐぬぬぬっ……いいか!リー・キングよ!下士官の前でなければその軟弱な体ごと海に沈めて──」


 喧嘩を始めた艦長を見てアリーシュは項垂れた。これがもしカウネナナイの狙いだというのなら、ものの見事にその策にはまったことになる。


(我が軍はいつになったら足並みが揃うのだろうか……)


 さらにカウネナナイの船はセントエルモが乗船している調査船にまで通信を入れていた。

 初めに対応していたのはこの道のベテランであるショウジ・アタラシ船長、記念すべき一回目のセントエルモの調査の際、同様に船長を務めたケンジ・アタラシの父親である。

 ショウジも初めの方は丁寧に対応していた、何せ相手はあのカウネナナイの人間である。その意図がはっきりしないにせよ、変にやっかまれても後々面倒な事になりかねないからだ。

 しかし今はゴーダに入ってもらっていた、セントエルモが目指していた海域に到着し、事前のマルチナロービームによる海底調査が行われるからだ。


(どこの世界にも暇人はいるもんだ)


「だ・か・らっ!余計なお世話だと言っておるだろっ!人の話を聞いているのか貴様はっ!」


[お〜お〜怖い怖い、聞きしに勝る声量だなウッズホールの雷鳴よ。お前さんとも一度話をしてみたかったんだ、どうだ?ここは互いに得られた情報を交換し合おうではないか、有意義な時間になると思うがな]


「このくそ爺いめがっ………こっちが強気に出られないと知って良い気になりおってからにっ……」


[お前さんも爺いではないか。ま!私の方がまだまだ元気だがなっ!何がとは言うまいがっ!]


 あっはっはっはっ!と乾いた笑い声が通信機から流れてくる。

 カウネナナイのことを良く思っていないゴーダは遠慮なく暴言を吐いていた。


「そもそも貴様らこっちの約束事も守れんのかっ!小汚い連中を使って邪魔ばかりしおって!その脳天に弾をぶち込むぞ!」


[いやいや、ぶち込むなら女の──]


 ショウジはたまらず通信を切った。切ったのもこれで三度目である。


「カズトヨさんあれは無視しましょう。相手にしても意味がない」


「分かっておるわそんな事ぐらいっ!武器を使わず嫌味ったらしく絡んでくるとはっ!」


 悔しそうに歯軋りをしながらゴーダが船尾へと移動していった。

 グレムリンの邪魔が入りつつもセントエルモは海底調査を進め、太陽が傾き始めた頃に概ねの地形データが得られた。

 そこには驚きの結果があった。


「は?六〇〇〇メートル級の山がある?海の中なのに?」


「そうだ、一般的には海山と呼ばれている。平均的な高さは四〇〇〇メートルを超えないとされていたが……」


 ゴーダからの報告を聞いたナディはただ呆気に取られていた。

 海山と呼ばれるものは前述した"ホットプルーム"が放出される比較的に高い地形のことを差しており、この海山付近では沈降を繰り返している海水の流れに乱れが生じやすい。"乱流"と呼ばれるランダムな海水の流れが常時発生しているのだ。


「だからカウネナナイの人たちは失敗してしまったんですか?」


「それもある。が、どうせたかを括って失敗したんだろうさ、あんな奴らのことはどうでも良い、問題は我々だ」


「そんな高い山の麓に……超深海への入り口があるってことですよね」


 そう、ナディたちパイロットはその吹き荒ぶ大嵐の山を下っていかなければならない。詳しくは知らされていないが、カウネナナイの探査艇も戻ってくることはなかった海山域である。会議室に集められたパイロット班だけではなく、ゴーダやショウジたちも沈痛な面持ちで海図を眺めていた。

 時刻は夕方に差し掛かろうかという時間帯だ、目の当たりにした現実の厳しさに一日目のトライが見送られることになった。


「もっと詳しく調査しよう、そうすれば抜け道を見つけられるかもしれない」


 ゴーダの言葉で一回目の作戦会議がお開きとなり、他の調査員らが慌ただしく部屋から出ていった。

 

 陽が暮れるまで行われた海底調査では新しい地形の発見などはなく、採取した海水からは驚愕すべき事実が判明した。


「金属類が多過ぎる……一般的な海水より数倍は高いぞ……もしかして活火山なのか……?」


 ウェットラボで化学分析を行なっていた調査員がそう呟き、寝不足ぎみの状態で同席していたライラが分析結果を眺めた。


「鉄、銅、亜鉛……それから一部硫化鉄も……もしかしてあの海山はチムニーだったりしないですか?」


 同席していたライラを快く思っていなかった調査員がふんと鼻を鳴らして答えた。


「高さ六〇〇〇メートルのチムニーだって?そんな馬鹿な話があるか、そもそもチムニーは地底で温められた熱水が噴き出す場所だぞ」


「……そうですか」


 思わずライラはむっとした。

 しかし調査員が言う事も最もである、一般的にチムニーは海底に見られることが多い。海山付近の海水に重金属が溶け込んでいるとなれば、活火山であることを疑う方が筋が通っている。


「寝不足なんでしょ?無理しなくて良いから休んできたら?」


 体良くラボを追い出されてしまったライラは仕方なく食堂へと足を向けた。

 やる気はあった、けれど元気がない。体の芯がふらつく嫌な感覚を覚えながら歩みを進めた。

 前回参加したセントエルモの調査の際は大変な賑わいを見せることもあった食堂、けれど今日はひっそりと静まり返っ──てもいなかった。


「……ん?」


 いい加減本当に休んだ方が良いと思いながら、ふらつく足を入り口に向けてみやれば、中では二人のお爺ちゃんが口喧嘩をしていた。

 その一人はゴーダだ、そしてあとのもう一人は見たこともない人だった。


(悪い魔法使いみたい……)


 食堂に入ってきたライラに気付くことなくなおも暴言を吐いている。その見慣れない老人はつるりと禿げた頭にすっと高く大きな鼻、それから厚そうで暑そうなローブを着込んでいた。何より印象的なのが目である、ぎょろりとした三白眼をゴーダに向けて唾を飛ばしていた。


「はっ!これだから野蛮なウルフラグは何も分からんのだっ!何故我々に頭をたれないっ?!この私がせっかく教えてやろうというのにっ!」


「はっ!誰が!失敗した連中に教えを請う人間がどこにいるっ!寝言は深海の底に沈んでから言えっ!」


「あの〜……」


「いいかっ?!この海の底には化け物が潜んでおるっ!私はこの目で確かにその証拠を見たっ!海底は遥か先だというのに重金属元素を検出したんだっ!そして自動浮上型のパッケージが大きく凹んでいたのだっ!これがどういう事だか分かるかっ?!」


「そのパッケージとやらが凹んだのは乱流に巻き込まれて海山に衝突したのだろうっ!」


「だったら何故金属元素を含む泥が付着していたのだっ?!お前さんに説明ができるかっ?!答えよゴーダ・カズトヨっ!!」


「ぐぬぬぬっ…………」


「ふはっ!ははっ!それ見たことかっ!所詮ウッズホールの雷鳴もこの程度っ!」


「枕状溶岩は見つかったんですか?」


「んぅおうっ?!何だ?!何だってっ?!」


 ライラの呼びかけも無視して言い合いをしていた悪い魔法使いが素っ頓狂な声を上げながら驚いていた。そして二度驚いていた。


「ですから、見つけた海山から枕状溶岩があったのかどうかと訊いているんです。もしその溶岩があれば活火山になりますし、あなたの言う化け物の正体が噴出したマグマということに──聞いていますか?」


 決してそんなつもりはなかったのだが、顔を覗き込んだその仕草が小首を傾げているように見え、ゴーダと口論をしていたカウネナナイを誇る変態にクリーンヒットしていた。


「…………ああ………女神よ………数多の試練は私をここに招くためだったのですね……このグレムリン……未来永劫、あなた様に粉骨砕身すると誓いましょう」


 恭しく頭を下げ始めた。いきなり床にひれ伏した老人を気味悪く思いながらゴーダに視線を向けると、


「気にするな。この男がこの船に乗り込んでからもう四度目だ、頭を下げるのは」


「いや!いやいや!このグレムリン!今回の出会いこそ本命である!」


「普通自分から本命と言ったりせんからな?」


「名をっ!あなた様の名前をこの私めにっ!さすれば潔くこの船から去りましょう!」


「それは二度目だな」


(意外と仲良いのかなこの二人……)


 ライラが自己紹介をすると、グレムリンが僅かに固まった。


(あ、私のこと知ってるんだ……ってことは貴族の人?)


「良い名だ……ライラ……私との間に子が生まれたら是非名前はグレライラに……」


 それだけを言ってからグレムリンがそそくさと立ち上がり、あとは脇目も振らずに食堂から出ていってしまった。


(何だったんだ……一体……)


 ライラがはふうと息を吐きながら腰を下ろし、グレムリンが嫌だったのか厨房の奥に隠れていた司厨員がたたたと注文を取りに来てくれた。

 その間にゴーダがぽそりと呟き、ライラの返事も待たずにさっと離れていった。


「──ライラ、お前さんの頭を当てにしておるぞ。さっきの質問は儂も思いつかなんだ」


 似たような背中を晒しながらゴーダも食堂を後にした。



 調査船に無理やり接舷し、乗り込んできたグレムリンが退去した後もショウジとゴーダ、それからチーム責任者らを交えた話し合いは夜遅くまで続けられた。

 現状の探査艇では乱流に巻き込まれかねないと判断し、さらに厳しい整備チェックを設けるなどしてトライが決定された。

 残る日数はあと四日だ、初日は海底調査に時間を割いてしまったが仕方ない。

 様々な不安と葛藤を胸に抱いたセントエルモのメンバーやクルーたちが眠りにつき、そして夜が明けた。


(──よしっ!)


 パイロット班の三人には昨夜のうちにトライすると連絡を受けていた。自ら志願したナディはやる気十分である、未だ眠りこけている同室のアキナミを叩き起こしてまだ陽が昇りきっていない朝焼けの海へと出た。


「やっぱり朝は寒いね」


「……うん……というか、起こすならもうちょっと優しく……」


 甲板から見える海は青色で、空はアキナミと同じように起きたばかりの紫色だった。空の端の方は太陽の光りを受けて雲が真っ赤に燃えている、今日とて静かな海は景色も綺麗だった。

 船尾の作業場ではゴーダたちが早速準備に取りかかっていた。マキナであるラハムは寝ずに付き合い、真剣な目つきで探査艇を調整しているジュディスを手伝っていた。


「……問題ありません、探査艇から異音なしです!」


「オーケー、それじゃあお次は……」


(えっ?誰もあの船に気付いてないの……?)


 その船はナディたちがいる甲板から見えていた、大型の砲門を携えたそれは明らかに軍の船だった。ユーサ第一港から一緒に来た海軍の船ではない、アキナミもナディの視線を追って気付き作業中のジュディスに声をかけていた。


「あの、先輩?あの軍艦は何なんですか?」


「ん?あれはカウネナナイの軍艦よ。深夜にこっそりと近付いてきたの、とくに何もしてこないから放置してる」


「深夜にって……ジュディ先輩は寝ずに作業をやってたんですか?」


「ワッチよワッチ、前に説明してあげたでしょ?もうそろそろゴーダさんと交代するわ。それよっかもう調整も終わるからあんたたちも準備をしてきなさい、ラハムもありがとう」


「はいなのです!」


 ナディたちのトライアルは朝一番の決行が決まっていた。もし何らかのトラブルに見舞われた場合、すぐにリカバリーして最トライアルを予定していたからだ。

 探査艇の調整を終えたとジュディスから報告があり、いよいよナディたちの挑戦が始まった。

 新型の探査艇、ゴーダらが『オクトカーフ』と命名した有人潜水船のハッチは二箇所、操縦席とパイロットの休憩スペースである。まずはラハムとアキナミが操縦席側のハッチから内部へ入り、続けてナディが休憩スペースへと入っていった。

 甲板にはジュディスと交代したゴーダがくまなく点検している、そして探査艇に乗り込んだ三人も特訓の成果を見せつけるように機器類、コンソール、各種油圧ユニットのチェックを行なっていった。


[オクトカーフの三人へ、異常がなければ報告を]


 ショウジから入った通信と同じくして、探査艇のチェックが完了した。


「ナディ、スペースに問題ありません」


[よし。操縦席はどうか?]


 ナディがいる休憩スペースから操縦席へは人一人分しか通れないパイプを潜る必要があり、二つの耐圧殻の全面積は約一五平方メートル、ワンルームマンションの一室分しかない。

 隣の耐圧殻にいるアキナミたちの声が聞こえてきた。


「アキナミ、問題ありません」

「ラハム、船長さんのお陰で問題ありません」


[──よし!膝詰めで教育した甲斐があるというものだ!これより着水作業に入る!ライラ特別顧問、彼らに指示を!]


 探査艇の搭乗と内外からのチェックが終わり、後は特個体に海へ下ろしてもらうだけだ。その役目を仰せつかっているはずのライラから何の返答もない。


[ライラ特別顧問!甲板作業場にいるか?!いるなら返事を!]


 休憩スペースで待機していたナディは、何故返事がないのかすぐに分かった。


「寝坊したんじゃない?昨日は寝不足だって言ってたし」


 スペースのど真ん中に置かれた仮眠台の上に座っていたナディは四つん這いになって通路用のパイプから操縦席に顔だけ出している。


「ナディが悪い」

「ナディさんのせいですよ」


「いや何でさ!」


 耳にはめているインカムからショウジの溜息が聞こえてきた。


[……こんな時に全く!]


 ショウジが近くにいた甲板部員へ呼んでくるよう指示を出したが、その必要はないとリーからすぐさま返答があった。


[指揮官不在でも問題無い。我々だけでも事足りる、それより今後のトライに向けて彼女を休ませてやってくれ]


 この物言いにゴーダが反論した。


[今後のトライ?このトライは失敗するとでも言いたいのか?]


[指揮官はどんな時でも最悪の状況を想定して動くべきだと言っている。お前たちが倒れた後に動けるのはライラだけだぞ?ゴーダ・カズトヨ、ライラはお前に期待されているからと昨夜は無理をしていたんだ]


[……ふんっ!ならさっさと探査艇を下ろしてくれ!]


 大人たちのやり取りを耳にしたナディはぽつりと呟いた。


「……ライラって凄いね、空軍の人からも信頼されているんだ」


「うん、そうだね……っていうかナディ!早く持ち場に戻って!」


 パイロットシートに座っていたアキナミがナディの顔をぐぐぐと押し付けた、そしてすぐに特個体のエンジン音が耳に届き始めた。


[オクトカーフのパイロットたち、今から持ち上げるぞ、適当な所に掴まっていろ]


 リーから通信が入り、搭乗した三人が揺れに備えて姿勢を固くした。

 調査船の甲板に特個体が着陸できるスペースはない、なのでリーの巧みな機体操作で空中から探査艇を持ち上げるのが常になっていた。ある程度の高度になったらもう一機の特個体も探査艇を支え、海面で待機している三機目の特個体がそれをサポートする。始めのうちは探査艇を船にぶつけたり、荒々しく着水させてしまったりしていたが、度重なる作業に特個体のパイロットたちも手慣れたものになっていた。

 リーたちの手伝いを受けて探査艇が無事に着水し、再度チェックが行われた。

 そして────


「ナディ!問題ありません!」

「アキナミ、異常なしです」

「ラハム、各種装置に問題ありません!」


 オクトカーフに乗り込んだパイロットたちからオールグリーンの返答があった。

 超潜航の開始である。


[よろしい!海域の天気は晴れ、悪天候になる予兆もない!君たちは外に気を取られず思う存分潜航に集中してくれたまえ!予定では、全て順調に推移すれば今日の夕方頃には終わるはずだ!健闘を祈る!]


 あれだけ怒られていたのにナディが威勢よく答えた。


「イエッサー!!」

「バラストタンク注水開始!」

「水深計〇メートル………一メートル……潜航に問題なしなのです!」


 あとの二人もいつも以上に気合を入れて探査艇の操縦を行なっていた。


 ついにウルフラグの有人探査艇が潜航を開始した。その様子をヘイムスクリングラの甲板から眺めていたスルーズの眉間には、はっきりとした縦じわが刻まれていた。

 思いがけない表情をしていた隊長に長身のレギンレイヴが声をかけている。


「どうした?そんなに険しい顔をして」


「────いや、何でもない……何でもないわ」


 とてもそんな風に見えなかったレギンレイヴはスルーズの顔を覗き込んだ。


「………見知った相手でもいたのか?」


「──え?いや……どうしてそう思うの?」


「……何でもない、手前の気のせいだ」


 覗き込んだ顔はどこか泣きそうになっている、ようにも見えたのでレギンレイヴはこれ以上追及するのを止めていた。


(ヴァルキュリアに集った人間は事情を抱えていて当たり前なんだ………何を今さら)


 長身痩躯でありながら、均整の取れた筋肉を持つレギンレイヴが風に煽られる前髪を押さえつけている。

 探査艇に乗り込んでいたパイロットたちは遠目から見ても自分たちとさほど年齢が変わらない少女たちであった、空を飛ぶことよりなお危険な深海に少女たちが挑んでいる事態をスルーズは憂慮している──そう決めつけてレギンレイヴは自分の気持ちに蓋をした。


「……戻ろう、ここにいてもやることはないぞ」


「………そうね、中へ戻りましょう。どうせ私たちの役目はただの威嚇だしね」


 それでもなおウルフラグの船から目を離そうとしないスルーズ、やきもきしてしまったレギンレイヴは彼女の手を無理に取っていた。


「……っ!」


「スルーズ、その顔は良くない」


「………ごめん、行きましょう」


 レギンレイヴに手を引かれるままスルーズも船内へと歩き始めた。



「水深一〇メートル………今のところ問題はありません」


「分かった、そのままチェックをお願い」


 パイロットシートに座っていたアキナミは外のカメラ映像より探査艇に気を配っていた。もし不具合があるのなら、一分一秒でも早く見つける事に越したことはないからだ。その判断力が自分たちの命に直結する、アキナミは神経を尖らせるしかなかった。


「五〇メートル…………わっ!」


「何っ?!何かあったの?!」


「見てください!お魚さんが沢山いますよっ!」


 紛らわしい報告をしてきたラハムの頭をアキナミが何回もチョップした。


「痛い痛い痛い!アキナミさんがジュディスさんになってしまいました!」


「わ!とか大きな声を出さないで!いい?!」


「は、はい!」


 と、言いつつもラハムは耐圧殻に備え付けられた覗き窓に視線を注いでいる。

 以前搭乗したアクリルドーム製の操縦席より視界は悪い、その補填として二つのシートの間にモニターも備え付けられていた。


「水深一一〇メートル……やはりこの辺りになってくると暗くなってきますね……」


「そうだね………」


 あと数十メートル潜航すれば、日光が届かない深海域へと突入する。そんな折、休憩スペースで監視をかねて待機していたナディがまた顔だけを出してきた。


「アキナミ!ちょっと止めて!」


「──え?!何っ?!何かあったの?!」


「右に九〇度転回して!丸い球っぽいのを見つけた!」


(ええもう!この探査艇向き変えるの面倒なのにっ!)


 上下運動に特化した探査艇のため、一般的な物より装着されているスラスターが少ない。接地用アームで漕ぐようにして向きを変えると、アキナミたちがいる耐圧殻からでも海中に漂っている物体を発見した。


「あれ……何?明らかに人工物だよね?」


「紐のような物が垂れていますね……直径二メートル未満のようですが……あ!あれもしかしてカウネナナイの人たちの物ではありせませんか?」


「ああ……確か失敗し──」


 アキナミは慌てて口を閉じ、言いかけた言葉を無理やり押し留めた。


(縁起でもない!私たちはあんな風になったりしない!)


 その漂っていた球は、水圧に耐えかねたのか裂け目が入って半分程までぱっかりと割れていた。

 不吉な物を見てしまったと後悔したが、アキナミはそれを頭の中からふるい落としてなおも操縦に専念した。


「二五〇メートル………ライトの先は真っ暗闇ですね、お魚さんでも通れば良いのですが……」


 集中していたアキナミがラハムの独り言に苛立ちを覚え注意しようとした矢先、海中であるにも関わらず探査艇に何か固い物が当たった。


「──っ!今の何?!」


「わ、分かりません!ここからでは確認できません!な、ナディさん!今の音は何ですか?!」


 休憩スペースから少しのんびりとした声で返ってきた。


「さっきの球じゃない?あの紐の先にあった別の球がたまたま当たったんでしょ、球だけに」


「………ああ、もうっ」


 アキナミはさらに苛ついた、こんな状況でベタな冗談を言ったきたナディのことが信じられなかった。


「あ、何だ……それなら良かったです」


「良かったじゃないよ!ラハム!異音がないか確認して!」


「あ、はい!はいなのです!」


「もうその言い方止めてって言ったよね?!」


「す、すみません………」


 アキナミが神経質になるのも無理はない、水深は三一〇メートルを超えておりもう立派に深海域に到達していた。些細な判断ミスが命取りになる、それを十二分に理解していたアキナミは二人に憚らず声を荒げていた。

 

 普段はどちらかと言えばクールなあのアキナミが、冷静さを失いコパイロットであるラハムにキツく当たっていた。剣呑な雰囲気になりつつある操縦席を気遣い、ナディがまたぞろ細いパイプから顔を覗かせる。


「大丈夫?」


「見れば分かるでしょ」


 ナディが声をかけてもアキナミは振り向こうともしない、代わりにラハムがそろりと顔を向けてきた、その眉は不安そうに垂れ下がっている。


「いつでも交代するからね、あんまり無理は──」


「いいってば!ナディはあっちに行ってて!」


「わ、分かった……」


 集中し過ぎるあまり周囲に気が回っていないようだ、そう判断したナディは何も言わずにまた休憩スペースに戻っていった。


(大丈夫かな……)


 休憩スペースの仮眠台で胡座をかいたナディはううんと頭を捻った。何とかしてやりたいが、かけるべき言葉が思い付かない。

 深海域に到達してからめっきり生き物の姿を見なくなった覗き窓の外へ視線を向けた。そこはまさしく暗黒の世界であり、探査艇のライトが照らし出す範囲が唯一見えているだけだった。

 それでも時折きらりと何かが小さく光ることがあった、その度にナディは我を忘れて暗黒の世界に見入っていた。

 念願の深海にやっと来られた、あの日見た小さな宝石群はどこだと探し、海水がまた虹色に光らないだろうかと無我夢中で追いかけた。

 そうして外の世界と同様にひっそりと静まり返った探査艇が中深層を初めて突破し、水深一〇〇〇メートルの漸深層へと突入した。


「水深一〇〇〇メートル……無事に到達しました」


 ラハムの報告に応える者はいない、オクトカーフの処女潜航だというのに誰も喜べる心境ではなかった。

 前日の深海調査で判明した六〇〇〇メートル級の海山がある水深域である、下手な衝突だけはしないよう誰もが注意深く外を監視していると、ラハムが息を小さく吸うように声をあげた。


「……っ!アキナミさん、停止してください、異音を感知しました」


 アキナミの真剣さに当てられたラハムもまた、今までにないぐらい険しい顔つきをしていた。

 

「どこ?中?それとも外?」


 二人のやり取りはナディの耳にも届いている、休憩スペースに割り当てられたコンソールをくまなくチェックするがどこにも異常は見受けられなかった。


「ラハム、こっに異常はないよ」


「……外?でしょうか、微かな駆動音が聞こえてきます……アキナミさん、探査艇をぐるりと転回してもらえませんか?」


 無言のままアキナミがぐるりと一周させるが、やはり目に見える異常はどこにもなかった。


「──気のせい?いやでも確かにラハムは──あれ、音が……聞こえなくなりました……」


「カウネナナイの球かな……起動したままこの海域に漂っているとか……ナディは何か見た?」


「見てないよ。でも、音が聞こえなくなったってことは少なくとも探査艇の故障ではないと思う」


「うん、私もそう思う。ラハム、続けるよ?」


「……はい、ラハムもお二人の意見を支持します」


「ラハム、チェックに集中してるから外を見てて」


「分かりました」


 素早く行われた話し合いの結果、"問題無し"と判断され続行が決まった。

 水深一五一〇メートルを超えた時、それは唐突に現れた。


「──っ!びっくりしたっ……」


 最初に見つけたのはパイロットであるアキナミだ、探査艇から一〇〇メートルもないその距離に海山の峰があった。

 ライトに照らし出された峰は一部分に過ぎない、だがその悠々たる姿を垣間見たアキナミは瞬時に恐怖心を覚えた。圧倒的なまでの大自然を前にして、いかに自分自身がちっぽけな存在か思い知らされたような気分になっていた。

 休憩スペースの覗き窓からも海山を確認したナディが声をかける、しかしアキナミは返事すらしなかった。


「アキナミ、気をつけてね」


「………………」


「アキナミ?」


「………あ、うん、大丈夫だから」


「流速計に変化がありました、言われていた通り海水の流れが速いようです」


 ラハムの報告も耳に届かない、アキナミはただただ海山から逃れるようにして操縦を続けていた。

 海山の山肌を縫うようにして下り続けて上部漸深層も突破し、下部漸深層へ突入した。変わらずアキナミたちの視界には荒涼とした山が見え続けており、水深二〇〇〇メートルに差し掛かった。

 休憩スペースで海山に見入っていたナディが何かを見つけ、堪らず声を上げた。


「──待って!今何か通ったよ!何今の……生き物?」


 ナディが見たという生き物はライトの照射範囲ギリギリに入り、あとは逃げるようにして上方向へと泳いでいった。

 未発見の生き物なのか、それともまたカウネナナイの無人探査機が見えただけなのか、覗き窓の外に集中していたナディは失念していたと言わざるを得なかった。


「水深二〇五〇メートル……流れも段々と速く、」


 その時、パイロットを務めていたアキナミが突然金切り声を上げた。


「いやあああああっ!!!!」


 ラハムもナディも心底驚いた。


「アキナミさん?!どうしたんですかっ?!」


「いやいやいやっ!上がって早く上がってっ!ああっ!あああっ!」


 自分の体を庇うようにしてアキナミがシートの上で縮こまった、ラハムが様子を確認しようと近づくと...パイロットシートの周りが濡れていることに気付いた。アキナミが恐怖のあまりに粗相をしたものではない、それに濡れているのは床だけではなく操縦桿にも滴が付いていた。


「──そんなまさかっ!」


 ナディの合流を待たずにラハムが上部ハッチを確認すると、そこから少量ながら海水が漏れていたのだ。


「──っ!ナディさん!漏水です!海水がハッチから漏れています!」


 パイプから這い出てきたナディが素早くハッチを確認し、同様に漏水を確認したためすぐさま潜航が中止となり浮上することが決まった。

 しかし、ここは水深二〇〇〇メートルの深海である。浮上するにしても約一時間近くかかってしまう、取り乱したアキナミでは操縦不可能と判断しパイロットを交代しようとしたが、


「アキナミ!大丈夫だから!ね?!落ち着いてっ!」


 恐怖に我を忘れたアキナミが耐圧殻で暴れ回ってしまった。

 二人がかりでアキナミを押さえシートから離し、ナディが操縦桿を握ったと同時に調査船へ連絡を入れた。


「ナディです!操縦席のハッチから漏水を確認したため今から浮上します!潜航は中止!アキナミが取り乱してしまったのでパイロットを交代しています!」


 その連絡は操舵室で待機していた皆に届けられた。


「────ああ、何ということだ──」


 魂が抜けたような顔つきになったゴーダ、すぐにその魂を引き寄せ通信機に向かって唾を飛ばした。


「──漏水はいつからだ?!いいや!量は増えておるかっ?!今確認できるかっ?!」


 少し間を空けてから返事があった。


[……分かりません!……少しずつ漏れていたようです!……今ラハムはアキナミに付いているので詳しく調査はできません!]


 オクトカーフが潜航を開始して一時間が経過していた、つまり戻ってくるのも同様の時間がかかってしまう。その間、被害が拡大しないようゴーダらは祈って待つしかなかった。


「ああっ……何ということだっ……」


 操舵室には寝坊していたライラもいた。そのライラも顔面を蒼白にしていたが、すぐさまリーに指示を出していた。


「キング中佐、探査艇にトラブルが発生しました。今から浮上して戻ってくるところです、中佐たち特個体はギリギリの水深で待機してください」


[了解した。それからライラ、私は中佐ではなく大佐だ、間違えないよう──]


「そんな事はどうでも良いのよっ!大佐になったんなら深海に潜ってナディたちを助けに行ってこいっ!」


[それは無理な相談だ、浮上してくる時間になったら我々も潜航しよう]


 呑気なリーに怒鳴り声を上げたライラは居ても立っても居られず、頭を抱えているゴーダの首根っこを掴まえて船尾の作業場へと引きずろうとしていた。


「──何をする!手を離さんかこの馬鹿タレがっ!」


「こんな所にいても仕方ないでしょっ!」


「寝坊したくせに偉そうな事を言うなっ!」


「寝ずにチェックしていたくせにどこを見ていたのよっ!今すぐ作業場に行って計測器のチェックをしなさい!あなたたちの落ち度でもあるんだからっ!」


 ライラの叱責を受けたゴーダが手を振り解き、あとは駆け出すようにして操舵室を後にしていた。



 ピメリアは生きた心地がしなかった、無事にナディたちが戻ってくるまでの間何度も回収作業を断念しようと考えていた。

 けれど、戻ってきたナディが一言。


「私、諦めたりしませんから」


「…………………………」


 絶句した、この時ばかりはいくら豪胆で快活なピメリアも絶句するしかなかった。


「お前………怖い思いをしたんじゃないのか……?それなのにまた潜ろうっていうのか?」


「はい」


 ピメリアは目の前にいる少女のことが信じられなかった。どうしてそんなに真剣な目つきをしているのか、どうして心が折れていないのか、自分はこんなにもバッキバキに折れているというのに。


「おいなあ、私への当てつけで言ってるんなら謝るよ……何回も文句を言って悪かった……面と向かって心配だからって言えなかった私が悪かったよ、な?だから今回の挑戦は止めにしよう」


 ピメリアは必死に懇願した、未成年の命が危うく失われるところだったのだ。クラウドファンディングで集めた資金や大統領から応援されたことなど、その全てをかなぐり捨ててでも早く陸へ戻りたかった。

 だというのに──


「娘のお願い事が聞けないっていうんですか?」


「おまっ………それを今言うのは卑怯だろう!」


「行きたいんです、深海へ、この願いを叶えてくれるのは私のお母さんではなくピメリアさんです」


「…………………」


 そう言われてしまえばピメリアは何も言い返せなくなってしまった。

 しかしだ、探査艇に重大な故障があった場合は続行することは困難である。その事をナディに念押しすると、ようやく理解を示してくれた。


「……分かりました、それなら私も諦めます」


「いいな、絶対だからな!この期間内に修復できないと分かればすぐに戻るからな!いいな!」


「はい」


 理解はしているが納得はしていなさそうだ。それなら自分の手で探査艇を壊しに行こうかとさえ考えたピメリアはナディの元を離れ、血眼になって不具合の箇所を洗い出している格納庫へと足を向けた。

 格納庫に収められた探査艇にはゴーダや休み明けのジュディスが張り付いていた。

 ピメリアに気付いたゴーダが上部ハッチから声をかけた。


「ナディは何と言っておった!」


「諦めていないんだとっ!それより探査艇はどうなんだっ!」


「見れば分かるだろっ!作業中だっ!」


 側から見ただけではとくに大きな損傷は無いように思える、探査艇の傍で空軍のパイロットたちと何やら話し合いをしていたライラがピメリアを見かけて近寄ってきた。


「何か分かったのか?」


「はい、おそらくですが着水作業時に問題があったのではないかと……」


 ライラの話によれば、探査艇の躯体に歪みが生じておりそのズレによってハッチから漏水が起こったのではないか、というものだった。そしてその歪みは特個体が探査艇を持ち上げた時に偏った負荷が躯体にかかり、高水圧下に耐えられず事故に繋がったと、結論付けていた。


「次のトライはどうするんだ?」


「──え?トライ?まさかまだやるつもりなんですか?」


 ピメリアの言葉にライラが驚いている。


「ああ、ナディは諦めていない」


 数瞬、呆気に取られた後ライラが答えた。


「…………探査艇にワイヤーロープなどを引っかけて、なるべく負担がかからないような持ち上げ方を検討していますが……どっちにしても次のトライが最後になるかと……」


「だろうな、私も次で最後にするつもりだ」


「あのピメリアさん、本当にナディはまだ諦めていないんですか?あんな目に遭ったのに?」


「ああ、どうしても深海へ行きたいらしい」


 躯体の歪みはゴーダらが修復している、パイロットであるナディもまだ心は折れていない。しかし、搭乗する人が足りていなかった。

 潜航中に恐慌状態に陥ってしまったアキナミは自室で待機している、極度の緊張とストレスに合わせて漏水という事故も重なり、今はかなり精神が不安定な状態だ。アキナミの続投は絶望視されており、何より本人が探査艇に近付こうとすらしていなかった。

 搭乗者が足りない、たとえ探査艇とパイロットが揃っていても潜航が困難になっていた。

 意を決したライラはナディの下へ向かうことにした。


「……私もナディと話をしてみます」


「お前の方からも中止するように言ってくれ」


 格納庫から出たライラはナディを捜すため、慌ただしい雰囲気に包まれた作業場を後にした。



 調査船の船長や医務室の担当医などに声をかけてナディの居場所を教えてもらい、ライラはひっそりとしている乗組員らの客室前に来ていた。

 誰もいない廊下を歩いてナディたちに割り当てられた部屋へ向かう、どうやらナディはアキナミの介抱をしているらしい。その部屋の前では所在なさげにラハムが立っていた。


「ライラさん……どうかされたんですか?」


「二人は中にいるの?」


 ラハムがちらりと扉に視線を寄越してから答えた。


「はい……でも誰も通すなとナディさんから言われています……」


 普段はクールなあのアキナミがパニックになり、色んな人に迷惑をかけてしまった。潜航から戻って冷静さを取り戻したアキナミは自分がしでかした事にショックを受け、担当医の面談も断って部屋に引きこもっていたのだ。


「そう……なら私もここで待たせてもらうわ」


 ライラもラハムの隣に肩を並べ、心なしかすすり泣きが聞こえてくる扉の前に立った。

 自分より少しだけ背が高いラハムについと視線を向け、ライラが尋ねた。


「深海はどうだったの?」


「……恐ろしい所でした、真っ暗で何も見えなくて、たまに通りかかるお魚さんに安堵を覚えるぐらいです」


 でも、と言葉を挟んでからラハムが答えた。


「わくわくするような所でした。サーバーにアップされていない場所は何を見ても新鮮で、早くアーカイブさせろとせがまれてしまいました」


 ラハムの目は生き生きとしていた、けれどそれは自分がマキナだから、人とは違う特異な存在だから"危険"という概念が無いのだろうとライラは判断した。

 けれど、続けられた言葉にいかにラハムが他者を思い遣っているか思い知らされ、考えを改めた。


「ですがラハムはそれを断りました、ナディさんとアキナミさんの身に危険が迫っていたからです。アキナミさんは暴れてしまってそのあとは疲れて動かなくなってしまって……ラハムもどうすれば良いのか分からなくなってしまって……本当に嫌な時間でした」


「…………そう」


「それでもナディさんは凄いですよ、冷静に探査艇の操縦を続けていましたし、途中から漏水する量も増えてきたのにそれでも取り乱すようなこともありませんでしたから。もし、ナディさんもパニックになっていたらと思うと………ラハムは初めて恐怖を知りました、大切な方々が目の前で危険に晒されているという状況がこの上なく恐ろしいです」


 ラハムとのやり取りが室内に届いたのか、扉がそろりと内側から開かれた。


「……ライラ、ちょっといいかな、それとラハムも」


「はい」


 室内は灯りも点けられておらず、カーテン越しに入ってくる太陽の光りで薄暗かった。

 だからこそと言えばいいのか、ナディの目に宿った光りの強さをライラはすぐに見抜いていた。

 

(本当だ、まだ挑戦するつもりなんだ)


 ラハムの跡に続いてライラも人室し、ベッドの上で蹲っているアキナミが真っ先に視界に入った。

 ナディがアキナミの肩を叩いて二人がやって来たことを教えている。


「アキナミ、ライラの方から来てくれたよ」


 声をかけても大丈夫なのかとライラは思案するが、顔を上げたアキナミは思っていたより元気そうだった。少なくとも、今すぐ暴れ出すような雰囲気はどこにもなかった。


「……大丈夫?」


 月並みの言葉をかけるとすぐに返事があった。


「……死にそう、最悪なまでに迷惑をかけたから……」


「迷惑って──そりゃ死にかけたんだから当たり前じゃないの?パニックにならなかった二人がおかしいんだよ」


 ライラはアキナミの事を一番に考えてそう言葉をかけた、その気遣いを理解してかおかしいと言われた二人はとくに気にした様子を見せていない。

 

「そうだと思う、けど……」


 まだ心の整理がついていないと分かったライラは無理やり言葉を重ねた。


「ううん、アキナミが悩む必要はないよ、探査艇に気を遣わずに持ち上げた私たちに責任があるんだから……無事で本当に良かった」


 ライラは心からそう言った。


「ううん、ううん、漏れてた海水は操縦席の近くに落ちていたんだ。それに気付けなかった私も悪い……それにナディたちに八つ当たりもして……気負い過ぎてたんだと思う」


 ナディが「気にしてないよ」と言いながら、アキナミの肩をぐっと抱きしめた。


「……それでねライラ、君にお願いがあるんだ」


「……何?」


 暗い顔をしていたアキナミの目にも強い光りが宿った。


「私の代わりに乗ってくれない?ナディと一緒に潜ってほしいんだ」


「それは……それはどうして?セントエルモの皆んなは中止するつもりでいるみたいだけど……」


 答えは簡単だった。


「ナディが諦めていないからだよ。私がこんな風になってるのに励ましじゃなくてずっと説得されてたんだよ?信じられる?」


 そこでようやくアキナミも笑みを溢した。


「ごめん、どうしても行きたいの……でも休憩スペースの監視役も必要だから……」


「うん、それは分かってるよ。だからね、ライラにお願いしたいんだ、私はその……できればもう乗りたくないというか、もう乗れそうにはないから」


「……………理由を訊いてもいい?どうしてそこまでしてナディは深海に行きたいの?」


 そこでライラはナディが密かに抱いていた思いを聞かされた。

 先の調査の折に深海で絶景を見られたこと、無数の魚たちが宝石に見えて綺麗だったこと、海水が虹色に輝き自分自身を招いていたことなど。

 ナディは深海の世界に心を奪われてしまったのだ、だから時折我を忘れたような表情をしていたのかとライラは合点がいき、そしてすぐに"嫉妬"にした。


「──っていう事があってね、だからもう一度深海に行きたい、理由はそれだけ」


「──いいよ、私も乗る」


 考える素振りも見せず即断したライラに、ナディたち三人が驚いた。


「………いいの?いや、お願いした自分が言うのも何だけどさ」


「いいよ。アキナミもこのままのナディって嫌でしょ?こういうのは一回見れば気が済むものだから、私も付いて行って陸に引っ張ってくるよ」


「…………?」


 ライラの遠回しな言い方にナディは気付いていないが、同じように好意を寄せているアキナミはすぐに理解した。


「…………分かった。今まで嫌な接し方をしてごめん、頼りにしてる」


「うん、私に任せて」


「え?お二人は喧嘩でもしていたのですか?」


「ま、似たようなもんよ。そうと決まればナディ、ピメリアさんの所に行こっか。実は私ピメリアさんから止めさせるようにお願いされてたんだよね」


「え?ちゃんと言ったはずなのに……ライラはそれで良いの?」


 今日までセントエルモから煙たがられていたライラは胸を張って答えた。


「いいよ、私がナディたちに付いて行くから!」



 ピメリアは生きた心地がしなかった、どう説得すればこのやる気に満ち溢れた二人を納得させられるのか、その事ばかり考えていた。


「あのなあ……頼むから分かってくれよ……確かに探査艇の修復は終わりそうだ、ゴーダたちも点検で問題無いと言っているが実際海に潜ればどうなるか分からないって解答してるんだ」


「挑戦に失敗は付きものだと思いますよ」


 ついさっきまではナディの身を案じていたはずのライラがそう反論してきた。短い間に一体何があったのか、あっさりと手のひらを返した目の前の少女のことがやはり信じられなかった。


「ピメリアさん、探査艇は無事、パイロットも無事、搭乗者の数も揃っています」


「ライラを乗せたところで何がどう変わるって言うんだ?何も知らない──」


 ピメリアの文句は途中で遮られ、二人から集中砲火を浴びてしまった。


「私は元々水産資源管理室に勤めていましたから海の事なら知識は持っています」


「それにライラはこの日の為に勉強もしていましたから、もしかしたら私たちでは気付けない事にも気付いて助けになってくれるかもしれません」


「もし学術的な発見があれば大きな貢献に繋がると思います、そうなればピメリアさんの判断も正しかったことになるかと」


「発見すれば、だろ?もし発見できなかったらどうなる?」


「すれば、ではなく、してきます。私たちが卵を回収して必ず戻ってきますから挑戦させてください」


「……………ああ!もう!分かったよ!明日の一回きりだからなっ!それで駄目なら諦めて帰る!いいな!いいなったらいいなっ?!」


 ピメリアは根負けし、二人の挑戦を認めた。

 

 三日目の朝を迎えた調査船では探査艇の整備が続けられている。誰もが『中止』の二文字を頭に思い浮かべていたが、最も危険なパイロットを務める少女二人がやる気に溢れているのだ、その熱は簡単に伝播しクルーたちを活気づかせていた。

 しかし天気まではそうもいかなかった、予報外れの悪天候に見舞われ一日船内待機が船長より言い渡された。

 溢れんばかりのやる気を持て余していたナディとライラは、部屋に引きこもってまともに食事を取ろうとしないアキナミを引っ張り出して食堂に赴いていた。


「別にいいのに……食べる気分じゃない」


「駄目、ご飯は食べないと力が出ないよ、少食の私が言うんだから間違いない」


 すっかり距離が縮んだライラとアキナミは肩を並べて座っている、何かとつんけんしていた二人がこうも仲良くなったことにナディは驚きつつも喜んでいた。


「ライラ、分かってると思うけど搭乗前はなるべく飲食は控えてね」


「どうして?ちゃんとトイレもあるんでしょ?」


 休憩スペースを知らないライラに教えるように、アキナミが椅子から立ち上がってすぐ目の前に立った。


「……何?」


「スペース内のトイレはこのぐらいの距離しか離れてない、つまり……」


 手を伸ばせばすぐライラの頭に届く距離だ、スペースの問題上トイレは緊急時に使用するのみに想定された造りになっているので"音"に配慮はされていなかった。

 その意味を理解したライラが眉を寄せた。


「………え、二人はもう使ったの……?」


「うん、テスト目的でね。結果は言うまでもない、食事前だから控えるよ」


「そ、そう………」


「だからパイロットは基本的に朝食は抜いて、探査艇の中で軽食を取るようにしているんだ。少食のライラにはぴったりじゃない?」


「そ、そうね!言われてみればそうかもね!」


 ぐっと距離が縮まった二人をニヤニヤしながらナディが眺めていると、食堂の入り口が途端に騒がしくなった。

 探査艇の調整を終え、目の下にクマを作ったゴーダが現れたのだ、雷を落としながら。


「──こんな所で油を売っておったのかライラ!ピメリアから話は聞いておるぞ!今すぐ格納庫に来い!」


「え?え?」


 突然の事に目を白黒させているライラを問題無用で引っ張って行こうとした。


「いやいや!どうしたんですかいきなり!」


「どうもこうもない!お前にオクトカーフの扱い方をみっちり教えてやると言ってるんだ!せっかく今日は一日待機になったんだ!絶好の機会を逃してどうする!」


 ゴーダの方がいくらか身長は低いのに、悠々とライラを持ち上げた、それも片腕で。


「だ!大丈夫でしょう?!ゴーダさんたちがしっかりと点検しているんですし何より安全に作られているのは知っていますから──」


 何とか言い逃れて二人と食事を取りたかったライラが口答えするがそう問屋をおろしてもらえなかった。


「馬鹿者っ!物を作ると技術と作った物を安全に動かす技術は全くの別物だ!付け焼き刃にしかならんがそれでも何も知らないよりはマシ!観念しろ!」


 ライラがえー!と叫びながら助けを求めて二人に視線を送った。


「ゴーダさんの言う通りだから諦めて!私たちも後で行くから!」


 再びえーー!と叫びながらライラがゴーダに引きずられて食堂から出ていった。

 遅まきながらやって来た司厨員に料理をお願いし、静かになったと思った二人はまた騒がしい声を聞きつけた。


「……今度は何?」


「さあ……」


 アキナミは不愉快そうに眉を寄せている。昨日の事もあってナイーブになっており、他人と接することをどこか避けている節があった。それを分かっていたナディは「周りは気にしてないよ」と伝えるためにも無理やり連れ出したのだが...早計だったかもしれないとこっそり溜息を吐いた。


「ん?何か見慣れない人が……」


 開け放っていた扉を横切った人物は調査船で見かけない人だった、というか魔法使いのような厚手のローブを着た初老の男性だった。その跡を必死になって追いかけていたのはピメリアだった。


「何かあったのかな」


「っぽいね」


 その魔法使いの男性、カウネナナイで技術府の長を務めるグレムリンを追いかけていたピメリアはほとほと困り果てていた。


「勝手に上がりこんでうろうろされたら困るのですが!」


「君のそのたくましい太腿で私の相手をしてくれるならすぐに引き返そう!」


 グレムリンが調査船に姿を見せたのは、はっきりと言って不意打ちに近い時間帯だった。朝早くに船長と相談し、一日待機と決まって操舵室から出た直後だった。いつの間にか接舷されていたカウネナナイの船からこの老人が乗り込んでいるところを目撃したピメリアは、今のように追いかけ回してとにかく退出してもらうようお願いをしていた。しかし、グレムリンから下品な冗談を言われるばかりで対応に困っていたのだ。

 相手はカウネナナイで貴族の位を持つ人物だ、手荒な真似をして禍根を残せば今後どうなるのか、政治に疎いピメリアでも分かっていた。


「ちょっと!本当に何なんですか!船内を彷徨くだけならご自分の船でもできることでしょう?!」


「私の船にはなくてここにはある!それが何か分かるかね?君が案内してくれるなら下手な真似はしないと約束しようベッドの上以外ならな!」


 船内をぐるりと回ったグレムリンが再び甲板へ、外は雨雲から落ちてくる雨によって足場も悪かった。初日とは全く違う荒れた海を見ながら、ピメリアは下品な老人を案内することに決めた。


「──分かりました!いいでしょう!格納庫に案内しますから!ただしそれだけですよ?!いいですね!」


 ようやく老人が足を止めて振り返った。


「そうとなれば早く私を案内してくれ!」


 一度船内に戻ってから船尾に設けられた格納庫へと向かう、勿論ゴーダには連絡しない、どうせ反対されるのが目に見えているからだ。

 甲板と、それから船内からも行ける格納庫に到着した二人は探査艇の前で真剣に話しをしているゴーダとライラを見つけた。


 「ほら!ここが格納庫──」と、ピメリアが言うが早いか、老人がそそくさとその二人への元へと向かっていた。喧嘩の火種にしかならない二人がものの見事に対面し、早速声を荒げていた。


「何しに来たこの盗人めがっ!ここはお前のような者が来て良い所ではないっ!」


「ほお〜〜〜………これがウルフラグの最新鋭の探査艇か………タコのようだな……」


「このっ!貴様っ!勝手にべたべたと触るでないっ!」


「うむうむ……急拵えの躯体に……ケーブルも後から思いついたようなつぎはぎだらけ……全くもって芸術性がない……今回のために慌てて作ったのが目に見えて分かるぞ」


「え。そんな事まで分かるんですか?」


「ああそうだともライラよ!良ければ詳しい話をベッドの上で聞かんか?なんならソファでも良い」


「……?どうしてベッドの上なんですか?」


 カウネナナイという国に対してあまり偏見を持っていないライラはグレムリンと当たり前のように会話をしている。


「ライラ!こんな奴と言葉を交わす必要は無い!」


「ちょ、ちょっと!私と約束したはずですよ!下手な真似はしないって!」


「眺めているだけではないか!」


 グレムリンはゴーダとピメリアの制止に従わず、オクトカーフをくまなくチェックしている。時折感嘆の声を漏らしたりしているが、ある程度見終わったグレムリンがこう宣言した。


「短い期間で良くここまで作れたものだと感心はする!だがしかし!この探査艇では一二〇〇〇メートルに行けはせんだろう!早々に諦めて国へ帰ることをお勧めするぞ!」


「余計なお世話だっ!貴様みたいな奴に何が──」


「現にお前さんたちは昨日失敗しておるではないか!途中で引き返してきただろう?そして昨日とは違う者に探査艇の説明をしている、大方ライラは代打で搭乗するのではないか?悪いことは言わないから止めておけ、深海の世界は甘くはないぞ!」


 ピメリアもその言葉には大いに賛成だった。なおも言い募ろうとしたゴーダにグレムリンが言葉を重ねてきた。


「そんな事言われなくとも──」


「良いか!この海域には間違いなく化け物が棲んでいる!重金属の牙を生やした生き物にランダー壊されてしまった!それだけじゃない!八〇〇〇メートルの水深には全長数十メートルはかくやというヒトの形をした化け物もおるんだ!」


「──はあ?寝言は海底に沈んでから言えと言っただろう!どうせそのランダーとやらもチムニーから発生したブラックスモークの直撃を受けただけではないのか?!」


「そう思いたければ思えば良い!なら八〇〇〇メートルの巨人は何と説明する?!海をこよなく愛している調査員たちが皆同様の見解にいたっておるのだ!決して見間違いではないぞ!」


「うぬぬぬっ…………」


「グレムリンさん……その話は本当何ですか?」


 ライラの質問に我が意を得たりとグレムリンがさらに語った。


「勿論だとも!我々の叡智を結集して作り上げた最新鋭のAUV!乱流に飲み込まれないようチタン製ワイヤーケーブルで補強した各種ルーター!それでもAUVをロストしてしまった!海溝に突入した途端にだ!叡智のカケラ一つ戻ってこない!そんな化け物が棲む深海に生身の人間を乗せた探査艇で潜航させるつもりかねっ?!」


 大仰な仕草を交えつつもグレムリンが語る内容は真実味を帯びていた。弱腰になっていたピメリアは彼の話を聞いただけですくみ上がってしまった。

 けれどライラはグレムリンに反論していた。


「それはAUVだからではありませんか?潜航中に何か見落としがあったのかもしれません。リアルタイムで現地を確認しながら調査を行なえる有人探査艇であれば、少なくとも危険を察知して引き返すことは可能なはずです」


「それも無事に終わればの話だ。深海は過酷だ、耐圧殻無しで生身の人間が生きて帰れるほど優しい所ではない。一瞬の判断に己の命を賭けられるというのかね?」


 凄みのある言葉にもライラは動じなかった。


「はい、私はパイロットのことを信じていますから」


「……………」

「……………」


 ライラの宣言にゴーダとピメリアが息を飲んだ。向こう見ずでも蛮勇でもない、確かにライラはナディのことを深く信じているんだと、その言葉端からでも如実に伝わってきた。

 これにグレムリンが反論し、今すぐに会わせろと言い募ってきた。


「──何と愚かな!その者は深海の怖さを知らぬだけだ!私の話を聞かせてやろう!何処にいる?!案内してくれ!」


「いいですよ、付いてきてください」


 ライラが踵を返して格納庫の出入り口に向かい、その跡をグレムリンが下卑た視線をお尻に這わせながら付いていった。


「眼福眼福……足が細いわりにはたわわな果実が二つも実っておるわい……」


 どんな時でも下品さを損なわないグレムリンの跡を年長者の二人も追いかけた。

 そんなグレムリンがいよいよ押し黙り、蛇に睨まれた蛙のように固まる瞬間がやって来た。

 食堂にいたナディの元へ到着した時だった。


「ナディ、ちょっと良い?このお爺さんが探査艇のパイロットに会わせてほしいって言ったから連れて来たんだけど」


「ん?あれ、さっきの魔法使いの人………」


「………………………………」


 テーブルにはライラが出ていった後に合流したグガランナとラハムも同席していた、アキナミと合わせて四人分の視線を注がれてもグレムリンは一言も発しようとしなかった。


「………………………………」


 ぎょろりとした三白眼が今にも溢れ落ちそうだ、それぐらいに目を見開きナディのことを凝視していた。

 まるで信じられないものを目の当たりにしたかのように。ウルフラグの人たちは知る由もないが、超深海の巨人を見つけた時以上であった。


「……?お爺さん?どうかしたんですか?」


「────あ、いや、実に可憐な娘だったから……脳内結婚をしておった………」


 下品なことを口にしているがいつもの調子ではなかった。

 何しに来たのかとライラが皆んなに説明し、それならテーブルに座ってご一緒しましょうと世話好きなラハムが提案してきた。これにグレムリンは大いに慌ててしまったのだがここでは四面楚歌、ゴーダとピメリアに囲まれて無理やり座らされてしまった。


「さっさと用事を済ませてさっさと戻ってくださいよ」


「そうだそうだ、どうせお前さんの目的は儂らをビビらせて卵の回収を止めさせようって魂胆なのだろう?それをナディたちにも説明してやってくれ」


「う、うむ………参ったぞこれは……」


「何が参ったのだ?こやつらに嘘を吐いたと暴かれることか?」


「──っ!ま、まさか!私が見たものは真実だとも!そのような事は決してない!」


 明らかに様子がおかしいグレムリンに気を良くしたゴーダが冗談を言った。


「それはそうとナディに求婚しなくて良いのか?お前さんの十八番だろう」


「────ば、そ、おそ、そ、そんな事はせんさ……」


「だったらビビってないでさっさと喋らぬかっ!」


 そう、ゴーダの言う通りグレムリンはナディに怯えている様子だった。

 ゴーダやライラの合いの手を交えつつ、額に汗をかいたグレムリンが話し終えると、パイロットたちの二人は途端に顔を輝かせた。


「深海ってそんな事になっているんですね!」


「…………え?」


「ラハムも聞いたことありません!是非この目で確かめたいと思います!」


「え?」


 グレムリンの目的は、確かにゴーダが言った通り回収作業を断念させることにあった。しかし、搭乗する二人は怯えるどころか目を輝かせて今にも深海へ赴きそうな雰囲気があった。


「あんまり無理しないでね、ライラも頼んだよ。この二人昨日は全然集中してなくて外にばっかり視線をやってたんだから」


「はあ〜……アキナミが可哀想だ、そりゃ無理もするわい……」


「そ、そうですかね……パニックになってしまいましたし……」


「それが普通だ、ラハムはともかく平然としているナディがちと変だ」


「私ってそんなに変なの?」


「案外ナディもマキナだったりして」


 アキナミの冗談にナディが食ってかかった、場はちょっとした笑いが起こっているが一人だけ無言のままだった。

 その一人とはグレムリンであり、皆が笑い終えたと同時に問い質していた。


「……君がマキナというのは本当なのか?」


「はい!ラハムはマキナです!それからグガランナさんもラハムと同じマキナですよ!」


 話を振られたグガランナが恭しく会釈をしている。


「……そうか、道理で私の股間が反応しなかったわけだ……」


「グレムリンさん、もうそろそろ……というか、誰彼構わず下ネタかますのは控えてもらえませんか?」


 目的を果たせなかったグレムリンが退席しようとしたその間際、ずっと口を開いていなかったグガランナが声をかけてきた。


「あなたは昔から変わりませんね」


「──は、は?それは私のことかね?君とこうして会うのは今日が初めてのはずだが……」


「…………ええそうでした、人違いなようです、忘れてください。昔、あなたと同じような人と出会っていたものですから、その方は特個体のパイロットを務めておられました」


「どんな人だったの?」


 ナディからの質問にグガランナが曖昧な答えで返していた。


「いえ、私も詳しくは……一度だけ面会しただけですので……その時はたくさんの褒め言葉をいただきましたけどね」


 グガランナがグレムリンにぶつけた視線には「本当にあなたではないのか」と問う意味合いが含まれていた。勿論()()()()()()グレムリンはそれに答えず、あとは逃げ出すようにして調査船を後にしたのであった。


 グレムリンの乱入によって中断していたライラの整備訓練がナディたちも交えて再開されたり、ピメリアから政府へグレムリンの事でカウネナナイに苦情を入れてもらうよう連絡をしたりなど、各々が必要な事をこなしながら三日目が過ぎていった。

 荒れていた天気も陽が沈み始めた頃には穏やかになり、深夜にはすっかり雨も上がって空は澄み切っていた。雨雲に隠れていた満天の星たちもその顔を覗かせ、凪いだ海にその淡い光りを投げかけていた。

 ワッチに則り夜勤業務をしていたジュディスは空を横切る一つの流れ星を見つけた。人前では絶対にやらないが、後輩たちの無事を祈った。


「明日は無事に終わりますように明日は無事に終わりますように明日は無事に終わりますようにっ!」


 三回言い終えた時にはもう流れ星は何処かへ消えていたが、ジュディスの祈りに応えるよう一つの星が大きく瞬いた──ように見えた。



 迎えた四日目の朝は一段と冷え込み甲板に出るのも一苦労だった。搭乗する三人は厚手の服を着込んで薄い青空の下、船尾の作業場へと向かった。

 作業場では早速探査艇の着水作業が進められており、初日には無かったロープが探査艇に取り付けられていた。特個体も軽空母の方で待機していた、準備万端である。

 整備クルーに混じってチェックを行なっているアキナミの姿があった、他の人たちから肩を叩かれたり声をかけてもらいながらハッチをくまなく見ている。


「どう?!」


 ナディが声をかけると、寒さのせいで鼻と耳を真っ赤にしたアキナミがハンドサインを送ってきた、目に見えた不具合はもう無いようだ。

 ゴーダらと一緒に探査艇の確認を行なっている間、ジュディスがぱしん!とナディの肩を叩いてきた。


「先輩に励まされるなんて縁起が悪いですよ」


 つい、いつもの調子で憎まれ口を叩いたナディに向かってジュディスは微笑んだだけだった。


「あんたたちの帰りを待ってるからね!」


「……………」


 たまにこの先輩は大人の顔をしてくる、ナディとしてはいつも通りの態度を期待していた。


「ジュディ先輩ってたまに優しくなるよね」


「はい、ラハムもそう思います」


 してやられたナディは面白くなさそうにしながら探査的の上部ハッチに手をかけた。

 最後のトライが始まる、今日は四日目、泣いても笑ってもこのトライが終わればウルフラグに戻らなければならない。

 何重にもシーリングされたハッチからナディ、ライラ、そしてラハムが探査艇へと乗り込んだ。それぞれが持ち場について再度確認作業が行われていく。

 操縦席にはナディが座り、休憩スペースにはラハムが付いた。ライラは探査艇の全てを理解できたわけではないのでコパイロットの席について水中通信機の確認を行なっている。

 ショウジから連絡が入った。


[今日が最後の挑戦だ、一日天気に恵まれるようだ。問題がなければ潜航を開始してくれ]


「ナディ、問題無しです」

「ラハム、いつでもオーケーです!」

「ら、ライラ!問題ありません!」


[よし!では始めてくれ!]


 ライラの合図で待機していた特個体が調査船に近づいてきた、予めセットしていたロープをその手に取りゆっくりと高度を上げていく。偏ったバランスにならないよう均等に設置されたロープであれば、まだ負担はかからないはずだ。


「おお……こんなに水平に上げられるなんて……」


 思わず漏らした独り言が水中通信機を通じて特個体のパイロットにも届いてしまった。音波を利用した通信機は水中でも使える優れ物だが、その音波は誰にでも届いてしまう弊害があった。


[無論だ、何せライラが乗っているのだから………ああライラよ、どうしても行くのか?]


 言葉を返したのはリーだ。


「行きますよ。昨日も説明したではありませんか、いくら空の部隊と言えども海について詳しい指揮官は一人ぐらいは必要なんです」


[それはただの方便だろう?そんな事ぐらいお見通しだ]


「──ま、乗ってしまえばあとはこっちのもんってね」


 やれやれと溜息を吐いている割には特個体の操縦はとても滑らかである、いつにも増してゆっくりと海に着水し待機していた別の特個体の力を借りてワイヤーロープが取り外された。


「バラストタンク注水開始、予定通り深海に突入したらライラはハッチの確認をお願いね。それからラハムはヘカトンケイルが近くに漂っていないか確認して」


「分かった!」

「はいなのです!」


 白い球と呼んでいた物体は『ヘカトンケイル』であるとグレムリンから教わっていた。

 オクトカーフのバラストタンクに海水が注入され、ゆっくりと降下が始まった。初めての海中にライラは水深計のチェックも忘れてただただ見入っていた。


「ライラ?」


「……………あ!ごめん!今は水深一〇〇メートル手前だよ」


「ライラは海が好きなんだね、目が生き生きしてるよ」


 ナディに見透かされたライラは恥ずかしい思いに駆られてしまった。


「え、まあうん……元々水産資源を管理している所で働いてたから……かな?」


「ふう〜ん……いつから興味を持ったの?」


「小さい頃かなあ〜……昔はパパたちの船に良く乗ってたから、どんな所なんだろうっていつも妄想してたよ」


「ラハムも、ラハムもお喋りしたいですぅ〜」


「あちょっ、ラハム!何やってんの!ちゃんと持ち場に戻らないと駄目だよ!」


 ラハムがパイプから顔だけを出してきた。


「あれ、休憩スペースにも通信機があったよね、それ使えば会話できるんじゃない?」


「周りに筒抜けになるけど」


「別にいいんじゃない?やましいことは何もしてないんだからさ」


「それもそうか。ラハム、通信機使って」


「はいなのです!」


 初回のトライと雰囲気が大きく変わって賑やかしい、三人の会話は調査船の操舵室にも勿論届いていた。


「呑気な奴らだな〜〜〜帰ってきたら説教してやる!」


 ピメリアはお冠だ、けれどショウジは父親のような柔和な笑みを浮かべていた。


「いいじゃないか、これぐらい賑やかな方が余計な事を考えずに済むよ」


 そう言ったのも束の間、通信機から三人分の悲鳴が聞こえてきた。


「──何だ?!何があった?!」


[見て見て見て見て!すっごい魚の群れ!周り囲まれちゃったじゃん!]

[凄い凄い凄い!こんなに沢山っ……こんな風に泳いでいるんだっ!]

[ラハムたちの事を餌だと勘違いしているんですかね?!こんな光景初めてです!]


 どうやら海中の世界にはしゃいでいるらしい、一瞬で緊張し、そして一瞬で気が抜けた二人は揃って項垂れていた。

 勿論言うことは決まっている。


「──三人とも!これは遊びじゃないんだっ!もっと気を引き締めなさいっ!」


 はあとか、はいとか、気もそぞろな返事を受けて再び船長は項垂れた。


 船長たちの心配をよそにオクトカーフはずんずん降下していった。

 大挙として押し寄せた魚群と別れを告げたナディたち、今度は我が目を疑うような生き物がその姿を見せてくれた。


「でっか!何あれ!」

「なになになになに?!こっちから見えないっ!」

[ラハムも確認しました!あの一匹で何皿分のお造りが出来るんでしょうか……]

「何その換算」

「ちょ────ええ、おっきい……ダイオウイカってあんなにおっきいんだ……」


 オクトカーフの近くを泳いでいたのはダイオウイカと呼ばれる深海生物だ。体長は最大で一〇メートル近くもあり(頭からゲソの先まで)、確認されている深海生物の中で最大の部類に属している。

 そのダイオウイカはのんびりと泳いでおり、オクトカーフに興味を示していないようである。さらに良く見てみやれば小さな魚たちもダイオウイカのすぐ近くを泳いでおり、時折表面の口を近づけて何かを食んでいるようだった。


「何あれ、あの魚はダイオウイカを食べてるの?」


「ううん、そんな生態では無かったはずなんだけど……何かが付着して、それを食べているんじゃない?」


[ですがダイオウイカは深海生物、表層より遥かに食べ物が貧しい所からやって来たのに何が付いているのでしょう?]


 見慣れない、聞いたこともないダイオウイカと魚の行動に頭を抱えているとオクトカーフとは違う方向に体の向きを変えて、あとはゆっくりとしたスピードで深海の闇へと消えていった。

 表層から中深層へ、その半分を過ぎた辺りでまたしても三人の前に深海生物が姿を見せた。


「ライト消して!」


「え!何?!」


 その光る生き物を先に見つけたのはライラだった、覗き窓の外に視線をやっている。

 その魚は発光器官を持つハダカイワシだった。体長は約一〇センチほど、群れを形成する時や繁殖期になると発光させる生態系を持つ。

 休憩スペースにいたラハムもハダカイワシの群れを見つけてほうと感嘆の息を漏らしていた。


[綺麗ですね………まるで光る川の流れのように……]


 群れを形成したハダカイワシが放つ光りは、つづら折りになってさらに深い所へと延びていた。まるでオクトカーフを導いているようにさえ見えた。


「うう、見られない……席から離れられない……」


 光るつづら折りがあるのはコパイロット側の方であり、パイロットであるナディは悔しそうにしていた。


「どんまい!」


「何だとうっ?!」


 と、二人が戯れ合っている間にもまた別の深海生物が現れた。初回の潜航時とは大違いである。

 その生き物を見つけたのはラハムだった、歓声とも悲鳴とも呼べる声を張り上げていた。


[ああああああれは何ですかぁあっ?!]


「なになにっ?!」

「今度は何っ?!」


[おっきな魚ですよ〜〜〜!さっきの巨大お造りと同じぐらいの大きさがあります〜〜〜!]


「あれはっ………リュウグウノツカイ!」

「やっば……素早さめっちゃ高そう……」


 水深二〇〇〜一〇〇〇メートル辺りに生息しているリュウグウノツカイが、その綺麗な背鰭(せびれ)を靡かせながらオクトカーフに近寄ってきた。滅多にお目にかかれない生物を前にして三人ははしゃぎ回っていた。


「あ!あの生き物見たことある!網で獲れたら一年豊作だって島のおっちゃんたちが言ってた奴だよ!」

「圧巻ってこういう時に使う言葉だよね……あの鰭は綺麗だなあ〜〜〜深海魚の色じゃないよ」

[はあ〜〜〜………何かに遣わされたような貫禄がありますね──ナディさん?マニピュレーターでゲットできませんか?もし獲れたら一週間は食べ物に困らないはずです!]

「食べることしか頭にないのかっ!ちょっと待っててね………」


 ナディが器用に操縦桿を握りながらマニピュレーターを起動させるが、それに慌てたリュウグウノツカイが尻尾の一部を切り離してすたこらさっさと逃げていった。


「ああっ!」

「ラハムが余計な事を言うから!」

[いやでもあの尻尾も十分美味しそうですよ?]

「まだ言うかっ!」


 ダイオウイカ、ハダカイワシにリュウグウノツカイと、深海生物の案内を受けたオクトカーフが中深層も突破し前回は途中で引き返した漸深層に突入した。

 ライラが素早くハッチを確認する、懸念されていた漏水は起こっていない。


「大丈夫!」


「おっけ!」


 それから海山の峰が見えるまでオクトカーフの周りは静かになった。闇に飲まれた暗黒の世界が広がっているだけである。

 海山の峰を越え、水深二〇五〇メートルをも越え、オクトカーフはなおも山肌のすぐ近くを降下していった。

 ライラが時折ハッチの確認をし、ラハムもくまなくチェックを続けている間、ついにその時がやって来てしまった。


(と、トレイに行きたい……でもっ)


 ライラが急に催してきたのだ、確かに朝起きて一度しか水を飲んでいないはずなのに...そう訝しむが生理現象には抗えそうにはない。

 もぞもぞし始めたライラにナディが気付き、ラハムに交代するよう指示を出した。


「ラハム、ライラがトレイに行きたいみたいだからこっちに来てくれる?」


「ちょ!」


「大丈夫、気にしないから」


 そう言うナディの目にからかう気配はない。観念したライラはラハムとバトンタッチして休憩スペースに入り、掘立て小屋のような粗末な造りをしたトレイの扉を開け放った。


(何か凄く嫌だなあ〜〜〜)


 臭いは無い、おそろしく無臭だ、かといって芳香剤の匂いもないので花を摘んだ後はどうしたってその跡が残りそうである。

 中に入って扉を閉める、ライラの体格でピッタリの広さなので成人男性の使用は想定していなさそうだ。


(あ〜〜〜!もういい!やってやる!)


 そろそろ限界も近かったので意を決して座ると、扉の向こうから二人の歌声が届いてきた。

 何て呑気な...とライラが羨む、しかし何故歌い出したのかその理由に合点がいくと途端に恥ずかしくなってきた。


(〜〜〜!〜〜〜!〜〜〜!)


 念のため持ってきた残り少ない香水で掘った穴を埋め、急いで扉から出て二人の元へ抗議をしに行った。


「──こら!わざわざ歌わなくても良いでしょう?!船長たちにバレるじゃない!」


 怒っているのに二人はおかしそうに笑っているだけだ。


「ほら!ラハムは持ち場に戻って!」


「嫌です〜!ここはラハムの席なのです!」


「何言ってんの!そこは私の席だから!」


「嫌なんです〜!一人で深海の世界を見ても──」


 アクシデントというものは唐突に起きるものだ、コパイロットの席で駄々をこねていたラハムが急に動きを止め、かと思いきやそのまま耐圧殻の固い床に倒れてしまった。


「ラハムっ?!どうしてっ………ラハム!」

「ラハム!どうしたのっ?!返事をしてっ!」


 床に蹲ったラハムはぴくりともしない、目蓋も口も開いたままで今にも喋り出しそうな表情をして止まっていた。

 この緊急事態は水中通信機を通して操舵室にも伝わり、セントエルモの副責任者であるグガランナが呼び出された。

 事の成り行きを聞いたグガランナが眉をしかめながら答えた。


「……失念していました、サーバーとの接続が切れてしまったのです」


「サーバーって……ガイア・サーバーの事だよな?!じゃあ何か?お前たちはマキナは無線通信でサーバーと接続していたって事なのか?!」


「そうです。マテリアル・コアは陸上でのみ使用が想定されていました。深海の世界までは………本当にすみません、もう少し早くに気付いていれば………」


 水は音を良く伝える性質を持つ、しかし電波まではこの限りではない。寧ろその波を阻害し通信の妨げになってしまうのだ。

 ラハムが倒れてしまったのはサーバーとの接続が切れたからだ、今頃本人はサーバーで無念の叫びを上げているはずだ。


「何とかならないのか?!二人だけで潜航させるのはちょっと………」


「あるにはあります………ただ本人の確認を取ってからではないと………」


「それは何かね?多少の無理なら通してもらいたい、ラハムの働きを欠いてしまうのはかなりの痛手だ」


 サーバーと接続を切った状態でマテリアル・コアを動かすことは可能である。

 昔、第一テンペスト・シリンダーのグガランナとアマンナがやっていたように、マテリアル・コアにエモート・コアを移動させれば動かせる、しかしそれは──


「……分かりました、ラハムとコンタクトを取りましょう。しばしお暇させていただきます」


「頼んだ」


 ショウジの方からナディたちへ詳しい状況が伝えられ、その話を聞いた二人はほっと胸を撫で下ろした。


「それなら、陸に上がればまたラハムは元気になるんですよね?」


[ああそうだ、そのような解釈で構わない]


「ああ良かった……どうなる事かと……」


[ラハムはどうしている?]


「その……何とか休憩スペースに運ぼうかと思ったんですが、私一人の手では難しくて……操縦席の近くに座らせてあります」


[分かった、引き続き潜航してくれ]


 ラハムのマテリアルは防寒着でぐるぐる巻きにされて床に座らせてあった、不思議な事にマテリアルには脈がありちゃんと心臓の音も聞こえたので体温を下げないようこのような処置になった。


「ラハム大丈夫かな……」


「大丈夫だと思う、マキナのカラクリは良く分かんないけどサーバーにいるんなら……」


 そうこうしているうちに下部漸深層を突破し深海層に足を踏み入れた。残り約半分を切った、約三〇〇〇メートルを下ればそこはいよいよ超深海への入り口である。

 変わらず続く海山の肌をライラが眺めているとぽっかりと空いた大きな空洞を見つけた。


「何あれ……こっわ」


「山なのに穴が空いているなんて………」


 その大きさは約数十メートル、それに付近の海水もにわかに濁り始めていた。

 そこでライラはある事に気がついた、危険と分かっもなおナディにその空洞へ近づいてほしいとお願いをした。


「え?何かあるの?」


「もしかしたらだけど……カウネナナイのランダーが破壊されたのはやっぱりチムニーのせいかもしれない」


 ナディがオクトカーフのスラスターの向きを変え、ゆっくりと空洞へと近づいていった。真正面に捉えた時、その穴が大きく口を開けた怪獣に見えてしまった。


「こっわ」


「流れが速いから注意してね」


 おそるおそる空洞の中にオクトカーフを進ませ、辺りを確認してみれば、


「うわあ………すっごい数………」


「びっしり………」


 そこには夥しい数のチムニーがあった、数えるのも馬鹿らしくなるほど。

 ライラの考えは当たっていたのだ、六〇〇〇メートルにも及ぶ山は山ではなく、超巨大チムニー群だったのだ。


「あ!あれ見て!」


 ナディが何かを見つけた、それはカウネナナイがロストしたと思われていた複数のヘカトンケイルだった。空洞内部の流れに弄ばれるよう何度も山肌にぶつかりながら揺蕩っていた。

 そしてさらにライラはある事実に気付いた、チムニー群が一方向に向かって群生していることと、自分たちが入ってきた側には一つもない事だ。


「あれ……ちょっと待って、この空洞ってもしかしてブラックスモークの噴出で出来たんじゃ………」


「え……ちょっと待って……それってもしかして私たちめちゃくちゃ危ないんじゃ……」


 二人が顔を見合わせたそばから一つのチムニーから黒い煙が噴出した、それを皮切りにして他のチムニーからも同様に煙が吐き出され、オクトカーフに乗って初めてのアラート音が鳴った。


「マズいマズいマズい!」

「いやもう向きは変えずに潜って!その方が早い!」


 言うが早いかナディがオクトカーフを操作し普段より速いスピードで潜航を開始、するとナディたちの直上を黒い塊が猛然と通り過ぎていった。さながら龍が吐く黒いブレス、間一髪だった。


「……………」


「……………」


 大自然の脅威を前にして言葉を失う二人、これは余計な事をやってしまったぞとライラが後悔するが、命の危険に晒されたはずのナディは喜びの声を上げていた。


「今の見た?!ビームじゃんビーム!そりゃ山だって吹き飛ばすよ!」


「いや……うん、いや、そのごめんね?」


「え?何でそんなにテンション下がってるの?」


「どうして上がってるの?」


 急に噛み合わなくなった二人はそのまま山の中を降下し、約一〇〇〇メートル近く下ったあたりで別の空洞を見つけた。そこにもやはりチムニーが群生しており、ナディが脱出の機会を窺っていた。


「気をつけてね!本当に気をつけてね!」


「分かってるから……こういうのはまず観察してから……」


 またぞろチムニーからブラックスモークが吐き出され、その後を追うようにしてオクトカーフも無事に脱出することができた。


「ああ怖かった!こんな命懸けのタイミングゲーは初めてだよ!」


「ああ……良かった………」


「ブレスに当たってたらあの世でライラに詰め寄ってたところだよ」


「そういうブラックジョークは要らないから」


 山の中から外へまろび出た二人、水深は四〇〇〇メートルであるにもかかわらず白い雪が舞っていた。

 深海に降る雪は一つ一つが大きさもまばらで、降ってくるというより漂っているように止まって見えた。

 真っ暗闇の世界に降る雪はひどく幻想的で、ナディとライラから言葉を奪っていった。

 何百メートルだろうか、外の世界と同じように静かだった耐圧殻の中でライラがぽそりと呟いた。


「綺麗だね」


「うん、本物の雪みたい」


 駆動音に包まれた操縦席でも互いの息遣いが耳に届いていた。

 静かに降る雪と一緒に舞い降りていく中で、オクトカーフがいつの間にか五八〇〇メートルを突破していた。これはウルフラグが持つ最高記録であり、外の世界に心を奪われていた二人はそうと知らずにぴょんと記録を飛び越えていた。

 

 これに大喜びをしたのは操舵室で待機していた人たちだ。ゴーダやピメリア、それからジュディスたちも自らの手で作り上げた探査艇が記録を塗り替えたことに子供のようにはしゃいでいた。


「やったーーー!私たちの船が一番だーーー!」

「それ見たことかカウネナナイめ!儂らの船が一番なんだっ!」

「ああ凄い……凄い、本当に一二〇〇〇メートルに潜っちまうんだろうな……」

「ピメリア!お前の名前も歴史に残るぞ!セントエルモの立役者としてなっ!」

「ああ、そうだな、あいつらが帰ってきたらうんとお礼を言わないとなっ!」


 水中通信機と同期していた水深計を眺めながら、誰もが緊張と疲労と不安とを忘れて喜んでいた。


 そうとは知らずにいよいよ山を下り切ったオクトカーフの中でライラは一人、痛恨のミスをしでかしたと後悔していた。


(ああ!こんなに良い雰囲気ならアタックをしかけておけば良かった!)


 ライラはまだ諦めていない、すぐ隣に座る意中の相手を仕留めることに。

 山を下った先は底層水の流れによって凪いだ深海の大平原が広がっていた。規則正しく波紋を作った平原はどこも荒らされた様子はない、ナディたちが初めて訪れた何よりの証だった。


「えーと……入り口はどこにあるんだろう」


「ライトの範囲には入ってないね……とりあえず着地したらどうかな」


「そうだね、ちょっと休憩しようか」


 ライラがちらりと背後を振り返る、そこには今なお床に座ったまま身動き一つしないラハムがいた。


「起きてくれたらいいんだけど……」


「うん、せっかくここまで来たんだから一緒に楽しみたいよね」


 その言葉にライラがぐりんと向きを変えた。


「……ね、ナディってもしかして逆境精神が強い人?」


「何それ」


「不利な状況になればなるほど燃え上がる人のことだよ。ナディが日頃だらけているのは面倒臭いからじゃなくて、燃えるようなシチュエーションが無いからじゃない?」


「考えたこともないな〜」


 またのんびりと会話をしながらオクトカーフを深海平原に着地させた。その弾みで砂がゆっくりと宙を舞い、二人の視界を悪くさせた。

 着地した場所がなだらかではなかったためオクトカーフが少しだけ傾いている。その事をライラが報告し、この探査艇にのみ備え付けられた特殊な装置を使ってアームの調節を行なった。


「きちんと動くかな」


「大丈夫、ちゃんと作動してるよ」


 傾きを計測して自動でアームの長さが変わった、これで操縦席が水平に保たれ姿勢が楽になった。

 ようやく操縦桿から手を離せたナディがはふうと息を吐き、ライラに話しかけていた。


「それを言うならライラって結構ミーハーな所あるよね」


「え?そうかな」


「何を見てもはしゃいでいたし、子供ぽかったよ」


「ええ〜こんな所に来たら誰でもテンション上がると思うんだけど」


 ここで割って入ってくる声が一つ、ナディが口を開きかけた時だった。


[私はそうでもなかったけどね]


 操舵室で待機していたアキナミだ。

 水中通信機は音波を発して海の中を進んでいく、そのため声が届くまで数秒のタイムラグがあった。

 さらに声が一つ。


[お前さんら!そんな呑気な事を言ってないでもっと喜んだらどうなんだ!記録を更新しておるのだぞ!ウルフラグで一番!いや!カウネナナイが持つ記録だって塗り替えるんだ!]


「そんな事言われても……目的地はまだ先ですよ?ちょうど折り返し地点じゃないですか」


[はあ〜〜〜っ!これだから何も分かっておらん子供はっ!まあ良い!注意して進むんだぞ!良いな!]


「はいはい」


[何だその気のない返事はっ!]


「もう!うるさいんですよ!こっちだって一生懸命やっているんですからあれこれ言ってこないでください!」


[分かるわ〜その気持ち]


[アキナミ!お前も呑気な事を言ってないでもっと──]


 などと、水中通信機を介してやり取りを行なっている間に二人は朝食を済ませていた。ナディが席から離れてううんと大きく伸びて、残したサンドウィッチをラハムの口に近づけたりしている。

 もそもそと食べていたライラも座ったままくるりと振り返った。


「起きないね」


「うん……ライラが言ってた話ってさ、つまりマキナにとって現実世界が仮想世界みたいな感じなんでしょ?」


「────そうなるのかな。そうなるのか……うん、ナディの言う通りかもしれない」


 マテリアル・コアとエモート・コア、ライラはピメリアから聞かされた話をナディにも伝えていたことがあった。

 ナディの捉え方は概ね当たっている、マキナの本体であるエモート・コアがサーバーに存在している限り、いくらマテリアル・コアが破壊されても"死ぬ"ことはない。また別のマテリアル・コアを起動すれば良い話なのだから。言うなればマテリアル・コアはサーバーからの"遠隔操作"という考え方が一番近い。

 しかし例外もある。


「もし今の状態で目を覚ましたらラハムはどうなるの?サーバーと接続できなくなったから動かなくなったんだよね」


「うう〜ん……グガランナさんは接続していない状態でも起動させることはできるって言ってたけど……それって危ないよね?」


「ライラもそう思う?私も危ないと思うんだよね」


「私たち人間だってサーバーと接続していないんだし、もしラハムが起きてきたらそれは私たちと変わらないって事だよね」


「だったらこのまま寝かせてあげた方がいいのかな……………ん?」


 マキナの有り様について、それこそ世間話のように話しをしながら核心を突き始めていたナディはラハムの異変に気付いた。

 ラハムの口がもにょもにょと動いていたのだ。


「………ラハム、いつから起きてたの?」


「え!」


 ナディに声をかけられたラハムが観念したように頭を上げた、頬は薄らと赤みが差している。


「その〜……お二人がラハムの話をしていたものですから……恥ずかし嬉しいでタイミングを逃してしまいまして……」


「ラハム………起きても大丈夫なの?私の話、聞いてたんだよね?」


「はい、ライラさんの考えは合っています。今のラハムはナディさんやライラさんと変わりません」


 今のラハムはサーバーと接続が切れている、それでもなお起動したという事はマキナにとって命そのものと言っても過言ではないエモート・コアを移したのだ。これは第一テンペスト・シリンダーのグガランナたちがやっていた事と同じ行為である。

 つまり今の状況でラハムの身に何かあればそれはリブート処置を免れないという事であり、全損してしまうような事態になればそれは"死"を意味する。

 生死観についてはまだまだ未熟な二人にとっても、ラハムが自らの危険を顧みず再び自分たちの元へ訪れたその"勇気"だけは分かった。


「……怖くないの?」


 心配そうに尋ねてきたライラにラハムは健気に答えた。


「ちっとも怖くありません。独りぼっちになってしまう方がよっぽど怖いです、ラハムはもう誰の手も離したくありません」


 その言葉にナディは目一杯の笑顔を作って応えた。


「お帰り、ラハム」


「──ただいまなのです!」


「あ、ちょちょっ!そこまで許してないよ!」


 嬉しそうにしてナディに抱きついたラハムを引き剥がすべく、ライラは陣取っていた椅子から立ち上がった。



 一時間おきに交代することを約束したライラが休憩スペースに移り、復活したラハムがコパイロットの席に着いた。

 ナディとライラの休憩も終わり、超深海へ突入するため海溝を探すだけとなった。ライトの照射範囲は約一〇〇メートル、複数重ね合わせれば数百メートルまで広がる。広大な深海平原の中から探し出すのは困難に思われたが、そう時間はかからなかった。

 休憩スペースに移ったライラが早速何かを発見したようだ。


[ぎょっ!]


「何か見つけた?」


[え……待って、あの魚って群れるの?それに軍隊みたいに整列してるし……探査艇を回転させて]


 オクトカーフのユニットは上部と下部に分かれており、その接続面を回転させて耐圧殻の位置を入れ替えることができる。この装備はまさしく今の状況下を想定されたもので、自由自在に動き回れない代わりに三六〇度の視界を確保できるように設計されていた。

 ナディが操縦桿とはまた違ったレバーを操作し回転させ、二人の視界にもその魚の群れが入った。


「ぎょっ!何あれ三脚っ?!」


「長い鰭ですね………捌いても美味しくなさそうですね」


 ライラが発見した魚はイトヒキイワシだ。主な生息域は水深五〇〇〜一〇〇〇メートルであり、最も特徴的なものは長い鰭だ。腹鰭と尾鰭の端を設置して、それこそ三脚のように立って餌であるプランクトンを待ち構える習性があった。

 そのイトヒキイワシがびっしりと、ナディたちから見て左側を向いて整列していた。


「何かあるのかな……」


 イトヒキイワシは山の麓に沿った方角を向いている、設置させていたアームを持ち上げてナディがゆっくりとオクトカーフを浮上させた。


「行ってみますか?お魚さんたちが同じ方向を向いているのはさすがに何かありそうですよ」


「うん、そのつもり。ラハム、周りを良く見ててね」


 オクトカーフが近づくにつれ、整列していたイトヒキイワシが蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 そのイトヒキイワシの列を追いかけること十数分あまり、大地の裂け目を見つけた。

 その裂け目は暗闇よりなお暗く、オクトカーフのライトも吸い込み何をも拒絶している雰囲気があった。

 超深海への入り口を見つけた三人もさすがに躊躇った、ここからさらに六〇〇〇メートル近く降下しなければならない。


「あ、あれだよね………」


「そ、そうですね………お風呂場の排水口より怖い所ですね………」


[ラハムの例えって何でそんな主婦目線なの。どうする?行く?今なら引き返せるよ]


「──ううん、行くよ。二人もいい?」


[私はナディに付いて行くだけだから]

「ラハムはお二人に付いて行くだけですから」


 それぞれの決意を耳をにしたナディは意を決し、オクトカーフを海溝の入り口へ近づけていった。

 真っ暗闇の裂け目の直上、ライトをフル活用して辺りを照らした時、三人は思いがけない物を目にした。

 この水深に到着するまで何度も深海の世界を目の当たりにして驚き、知的好奇心を大いに満たしてきた三人にとっても()()は予想を遥かに超えていた。


「────え、船が見えるんだけど……ラハム、あれは船だよね?」


「はい……あれは確かに船ですね……」


 海溝の緩やかな傾斜がついた崖に突っ伏すようにして船があった、大きさは数十メートル規模、長い年月をかけて朽ちかけているが確かに船の形を維持していた。

 超深海で見かける物ではない。予想外の出来事にショックと、決して無視できない"好奇心"を抱いたナディはさらにオクトカーフを近づけていく。海溝の裂け目は山の麓から入り、その両端は約五〇メートル近くあった。裂け目を挟んだ向かい側の平原もライトの照射範囲に入り、その方角を見ていたライラが鋭く息を飲んだ。


[……っ!待って、何あれ、家?どうしてこんな所に家があるの……?]


 向かい側の平原には朽ちて傾いた家があった、文字通り"家"である。その造りはウルフラグで良く見かけるものではなく、簡素な物だった。ただ、家の躯体に使われている素材が余程頑丈なのか、錆びたり傷んでいる様子がなかった。

 その傾いた家から点々とボロボロになった家具などが散乱し、ある場所へと続いているようだった。


「船があって家があって………昔はここが陸地だったって事なのかな?」


「分かりません……何が何やらラハムにはさっぱりです」


[ナディ、もう少し対岸に近づいてくれる?]


 言われるがままにナディが海溝の裂け目を飛び越え向かい側の平原に到着した。直上から見てもやはり家だが、まるでサイコロのような形をしているとナディは思った。


「何だっけ、他所で作って後で組み立てる家があったよね?それっぽい感じがする」


「言われてみれば──あ、あ、あ!他にもたくさん!家に……それから船……軍艦もちらほらありますね……」


 ナディたちが降り立った平原は綺麗なものであったが、向かい側の平原は酷いものだった。あちこちに朽ちた建築物が点在し、民間船から軍の戦艦まであった。

 海溝の周りを時間をかけてぐるりと回り、他のものと比べてまだ保存状態が良い船を見つけた。その大きさは数百メートル...いいや、下手をすれば一〇〇〇メートルにも及びそうな超巨大な船だった。

 船底からゆっくりと浮上し、船体に描かれた名前を見つけることができた。


「う……る、ふらぐ……ウルフラグ?」


[私たちの国の名前だよね……昔はこんなに大きな船を持っていたの?]


 超巨大な船は海溝の上に倒れ込むようにして鎮座していた。船自体が持つ重さに耐え切れなくなったのか、ブリッジがあったと思しき場所はねじ切れたように縁を境にして無くなっていた。

 その船を凝視していたラハムが、覗き窓から顔を離さずこう言った。


「ナディさん……超深海へ行きましょう。あの船はラハムたちの生みの親の物かもしれません」


「どういう事?」


 ライトの範囲に収まりきらない船を越え、すっかり恐怖心が消えてしまった三人は水深六〇〇〇メートルを突破した。

 ここから先はウルフラグ、カウネナナイの両国でも知らない世界であり、彼女たち三人がその領域に始めて足跡を残した。

 ナディの質問にラハムが答えた。


「ウルフラグという名前には二つの意味があるのです。ナディさんたちが住む国名と、それからラハムたちマキナを作った特別技術団の名前もウルフラグなのです」


 突入した海溝は今まで通ったどの水深よりも暗く感じ、底無しに見える暗闇を降りていく。けれどナディとライラはその恐怖心よりも強い"好奇心"を感じていた、だからそこまで怖くはなかった。

 水深六五〇〇メートルを越え、七〇〇〇メートルに差しかかった。


[ピメリアさんから聞いた話だけど、私たちが住む世界は筒の中にあるんだよね。それは本当なの?]


「はい、ここはテンペスト・シリンダーと呼ばれる場所なんです。そのテンペスト・シリンダーを作ったのもウルフラグなんです」


「私は信じられない、もしそれが本当なら空や海はどうなるの?この超深海も人の手で作られたってことになるよね」


「いいえ、このテンペスト・シリンダーは元々存在していた自然を囲い閉じ込めたんだと思います」


[そんな事って………可能なの?世界を閉じ込めるだなんて]


「ラハムにはその方法についてお答えはできません。ですが、先程の船はおそらく──」


 水深七〇〇〇メートルを越え、徐々に間隔が狭まりつつあった海溝内に()()はあった。グレムリンたちが八〇〇〇メートルで見たというヒトの形をした物だった。


「………………銅像?だよね、あれは」


 崖に引っかかるようにしてそれは立っていた。たいまつを持った右腕は高く掲げられ、女性と思しきその頭には中が空洞になっている冠が乗せられていた。

 

「あれは、自由の女神像です。ウルフラグの拠点があったアメリカという土地に、かつて存在していた自由を象徴する世界でも最大のモニュメントです」


「あめりか………自由の女神……」


 女神像の前を降りていく。虚な瞳に勿論生気はないがこんな所に置いてけぼりにされてしまって可哀想だと、ナディはどこか悲しんでいるように見ていた。


[ねえラハム、あなたの話が全て正しいのであれば、さっきの船や家とか、あの銅像は私たちの世界に移住するために外からやって来たってことになるよね]


「ラハムもそのように考えています。航行や主要な記録が残されているはずのブリッジを探し出せれば、彼らの行動を紐解くチャンスが得られるかもしれません」


 自由の女神像は上半身を過ぎたあたりですっぱりと失くなっていた。

 物悲しい自由の女神も通り過ぎ、崖に引っかかった人工物(家具や船の残骸、それから玩具もあった)を三人は険しい顔で眺めていた。

 

「ねえ……外の世界ってあるの?」


 ナディは外の様子から視線を外さずにそう尋ねた。


「あります。テンペスト・シリンダーの外は荒廃していてとても生物が住めるような環境ではありません。だからこそここは閉じられた筒の中なのです」


「外の世界の海ってどんな感じなのかな?」


「え?それは……ラハムにも分かりません、と言うよりテンペスト・シリンダーを建造した過去の人類も深海は未調査のままでしたから……」


「そっか、海って本当に広いんだね」


 水深八〇〇〇メートルを越えたあたりでライラとラハムがバトンタッチをし、上部ハッチの確認や各種装置の点検をしている間は静かに過ごした。

 過去においてナディたちが住むウルフラグを目指して、そして海の底へと沈んでいった人々を偲ぶように。

 

 超深海に突入してから見てきたものを操舵室に伝えたり、やっぱり催してしまったナディがトレイに駆け込み仕返しと言わんばかりに残った二人が歌を歌ったりして水深一〇〇〇〇メートルまで降った。

 変わり映えしない景色を眺めているうちに三人の口数も減り、(西暦からナディたちの時代にかけて誰もが到達していなかった)水深一〇九二七メートルをも越えた。

 

 そして──水深一一〇〇〇メートルを越えた超深海には──光りがあった。


「──え、あれ、光ってるよね……」

「光ってるね……どうして?」

[分かりません、もしかしたら過去の人たちの物が発光しているのでしょうか……いやそれにしても……]


 ナディたちが下っていく先は薄ぼんやりとした光りを放っている、カウネナナイが投入したAUVでもあそこまで光ることはないはずだ。

 光っていた理由は簡単だった、一一〇〇〇メートルを超えた場所に()があったからだ。


「わあ…………凄い………」

「綺麗………」

[はわ〜〜〜………]


 崖の窪みには数え切れない程の生物たちがいた。そのどれもが発光し、揺蕩い、共存し、天然の高層マンションの一室一室を光らせていた。

 

「あれ?あれってチョウチンアンコウだよね?何でこんな所にいるの?」


「どれ?………ああ、あの頭の先っぽが光ってる奴?ここにいちゃまずいの?」

 

 ライラが見つけた部屋の中に、ハオリムシと呼ばれる臓器を持たない生物と戯れているチョウチンアンコウの姿があった。

 ナディの質問にラハムが答えた。


[一般的に魚類は水深八二〇〇メートルを越えた深海では生息できないとされているのです。これは高圧下において体内の細胞が破壊されてしまう事が原因だとされていたのですが………]


 他の部屋にも刺胞動物門に属する、一般的に『クラゲ』と呼ばれる生物もいた。色鮮やかに発光させながらそれぞれの部屋を行ったり来たりとしている。

 さらに軟体動物門に属するスケーリーフットは淡く発光している石にしがみ付き、節足動物門に属しているゴエモンコシオリエビが眼にあたる部分を爪で隠しながらうろうろと徘徊していた。

 下っていくにつれて光りはどんどん華々しくなり、さらに生き物もその多様さを増していった。

 チョウチンアンコウ、それからハダカイワシ、フウセンウナギたちが我先にと急ぐように泳ぎ回り、その中をゆったりとした速度でクラゲたちが移動している。

 崖ではスケーリーフット、それからゴエモンコシオリエビ、他にも軟体動物門や節足動物門に属する仲間たちがお神輿を担いで移動していた。数十匹に及ぶグループが一つずつ担ぎ上げ、屹立した崖を移動している。そのお神輿は何かの部品のようであり、朽ちた様子も無く真新しさが目立った。


[んんっ?!何か出てきましたよ!]


 お神輿が移動していく先を見ていたラハムが声を上げ、もうどこに目をやっても驚きしかないと忙しなく見ていた二人もつられて顔を向けると、オクトカーフと同等の大きさがあるクラゲが窪みの中から姿を現していた。


「デカっ!………え、待ってあれって……生き物じゃなくない?」

 

「あれ機械だよね……ああ!カウネナナイが投入したAUVってあれのこと?」


「私たちがタコでカウネナナイがクラゲか〜」


 ロストしたはずのクラゲ型AUVが、それこそ本物のクラゲのように揺蕩いながらナディたちの前を横切った。クラゲの触手と見紛うアームは所々破損しており、本体には丸く窪んだ複数の穴が空いていた。

 他のクラゲと混じってAUVも遊泳し、ナディたちの視界から消えてしまった。


「一体何なのここ……どこよりも騒がしいじゃん……」


「あっ……」


 全ての生き物たちが自分の役目も忘れて遊び回って賑やかしくしているところに、息が絶えそうになっているイトヒキイワシがいた。その姿を見たナディは途端に眉を曇らせ、じいっと見つめていた。


(さっきの魚かな……)


 突入前に見たイトヒキイワシなのかは分からない、けれど弱々しく痙攣しているその魚は痛々しく、周りの状況から浮き彫りになってなおのこと可哀想に見えていた。

 すると、弱っていたはずのイトヒキイワシがぴくん!と体を跳ねさせた途端に元気を取り戻してチョウチンアンコウたちの輪の中に入っていった。

 一体何がどうなっているのか分からない、しかしナディは安堵の息を漏らしていた。


「………良かった」


「ナディ、あそこじゃない?私たちのゴール」


 そう言うライラの言葉通りナディが視線を向けた先には、夜の帳が上がった真昼のように光り輝いている場所があった。


「行こう」


「ラハムも行くよ?」


[オッケーです!]


 水深一二〇〇〇メートルの世界。


 そこは──空の中だった。


「──え?」


 薄い雲に隠れた先には大地があった。


「そんな………街があるだなんて……」


 そして大小様々な街があった。


[ここが………ラハムたちのゴール……なのですね………]


 水深一二〇〇〇メートルの世界は、地殻変動によって形成された直径数百メートル規模のドームになっていた。

 俯瞰して見たならば街と見紛うように数え切れない鉱石が集まっており、その鉱石にこれまで見てきた生き物たちがひしめきあっていたのだ。

 その街から別の場所へ移動した生き物の跡が道となって延びており、その傍らには森のようにハオリムシが群生している所もあった。

 それらの形成がナディたちに街として見えていたのだ。

 下りていくにつれ、薄い雲だと思っていたものがドームの壁から突き出していたチムニーのスモークであることが分かった。


「黒い煙じゃない……あんなものもあるんだ……」


[重金属を含む場合は黒く変色しますが……あのスモークには一体何が含まれているのでしょうか………]


「……あった!あれだ!」


 セントエルモの目的である卵を見つけたのはナディだった。その卵は概ね中心点にあり、その近くには見たこともない大きな生き物が横たわっていた。

 上半身はタガメ、そして下半身は鯨のように大きな尾鰭を持っている。保証局のホシ・ヒイラギが見かけたあの巨大生物だった。

 その巨大生物にも魚たちが群がり、ゴエモンコシオリエビやハオリムシ、それからホネクイハナムシと呼ばれる主に鯨骨生物群集に分類される生物もいた。

 それらの生き物が巨大生物を覆い、一種のモニュメントのように鎮座していた。その前に海上からの使者であるオクトカーフが降り立ち、約五時間以上にものぼる超潜航が終わった。

 降り立った三人は暫くの間無言で過ごした、周囲に展開されている景色に何と言えば良いのか分からなかったからだ。


「…………」

「…………」

[……………]


 本当にここへ来ても良かったのか、自分たちは招かれざる客ではないのか、できることなら身動ぎせずそっと立ち去りたい気分に駆られてしまった。

 モニュメントの前にある卵は、以前ナディが見た物と同じように見え、少しだけ違うようにも見えた。


 無言のままに時が流れているオクトカーフとは違い、調査船の操舵室は混乱の極地に立たされていた。


「応答しろっ!ナディ!ライラ!ラハムっ!」


「どういう事なんだ?どうして返事がないんだっ!」


 操舵室からの呼びかけに三人がまるで答えようとしないのだ、それこそ海溝に突入した直後から報告を求めているのにオクトカーフから届く声はこらちを無視したものだった。

 やれ自由の女神だとか、やれどうして明るいのかだとか、挙げ句の果てには街があるとまで言い出す始末。

 実際に目にしたわけではない操舵室の面々は困り果てていた。


「パニックになっているんじゃないだろうな?!大丈夫なのか本当にっ!」


 ピメリアは気が気ではない、目的の水深に辿り着けたというのに喜べる心境ではなかった。


「水中通信機の故障でしょ?!ナディたちなら大丈夫よ!」


 そう言い返したのはジュディスだ。


「だったら何故儂らの声が届かんのだ!もう一度見てこい!」


 雷を落とされたジュディスが不服そうにしながらも操舵室を後にし、残った面々がもう何度目になるのか分からない呼びかけを続けた。

 無言になって何も聞こえなくなった通信機から再び声が流れてきた、ナディのものである。


[……行こっか、あれを取らないと終わらないんだし……]


「ナディ!よせ!その前に報告をしろと言うておるだろうっ!」


 ゴーダの声はやはり届かない。三人の会話から目的の卵を見つけているのは何となくだが分かっていた。


[うん……ラハム、周囲を見ててね]


[分かりました]


 操舵室にいたグガランナも声を張り上げる。


「ラハム!さっき文句を言ったことは謝るから応答しなさい!」


 さっき、とはサーバーと接続が切れた後のことだ。グガランナはサーバー内でラハムとコンタクトを取り、そして喧嘩をしていた。

 グガランナの声にも応答はない。


「ああもうっ!電波通信ができるならこんな事にはならなかったはずなのに!」


 悔しそうな声に応える者はいない、誰もが通信機から流れてくる会話に集中していた。


[あの大きな生き物は動いてないよね?]

[大丈夫、動いてないよ]

[周囲にも問題はありません]

[ゆっくりね……ゆっくり………]

[………掴んだ、オッケー。あとはアームを固定して──え?!]

[え?!どうして皆んな逃げていくのっ?!何かあったの?!]

[──っ!!ナディさん!揺れています!急いでアームを──]

[何この揺れっ──怖いっ!壊れる──]

[どうしてこんな時にっ──土砂崩れまでっ──出口がっ]

[──修復を作動させて──休憩スペースはもう!]


 一瞬の出来事だった。

 水中通信機がぶつりと断絶し、そして何も聞こえなくなってしまった。



 事故が発生してから五時間が経過した。外は既に陽が沈み始め、本来であれば超潜航を遂げたオクトカーフが戻ってくる時間だった。

 けれど、調査船は静かなものだった。やるべき事を終え、あるいはやるべき事ができないクルーたちは思い思いの場所で時間を潰して過ごしていた。

 あとはピメリアが判断するだけだった、「彼女たちはもう帰ってこない」と宣言するか否か。


「……………………」


 当然ピメリアは諦めるつもりはなかった。だが、与えられた時間は明日までだ、それまでにオクトカーフが戻ってこなければ諦めるしかない。何せ一二〇〇〇メートルへ潜航できる船がそのオクトカーフしかないからだった。

 割り当てられた部屋で深く、重い溜息を吐いている彼女の元へグガランナがやって来た。控えめにノックしたあと、ピメリアの返事も待たずにゆっくりと扉を開けた。


「ピメリア………」


 さすがのグガランナもかける言葉が思い浮かばず、そっとピメリアの隣に座っただけだった。


「今、ゴーダたちがカウネナナイに救助活動に入れないかと打診しているところです」


「そうか……助けてくれるなら誰でも良いよ……あいつらを……」


 ピメリアは酷く憔悴していた、いつもの明るさは影も形もなく、通信が途絶えてから目に見えて生気が奪われていた。

 

「……申し訳ありません、私も打つ手が全く思いつかないのです。ティアマトにも連絡を入れて何とか救い出せる方法を考えてもらえないかとお願いはしているのですが……」

 

「いいさ……お前は何も悪くないよ、全部私のエゴなんだから……」


「ピメリア……」


 重々しい空気に包まれた部屋に、今度は荒々しく誰かが入ってきた。乱暴に開け放たれ扉の先に立っていたのはグレムリンだった。


「全て聞かせてもらった。悪い事は言わないからここから早々に立ち去るがいい!目障りだ!」


「……………」

「あなたっ──」


 遠慮ない物言いに殺気立ったグガランナが立ち上がるが、それをグレムリンが手で制した。


「所詮お前さんは人の命を預かる器ではなかったということだ!そんな者に戦場を彷徨かれたら迷惑だと言ったんだ!何か間違っておるか?」


「………何が言いたいんですか、私のせいだと言いたいのですか」


「そうさ!超深海に潜航するという事が命懸けであるということを理解していなかったお前たちに落ち度がある!次はどうするのかね?今回の失敗を活かしてもう一度挑戦できるかね?」


「……………」


「できんだろうさ!所詮はその程度ということだ!」


 入ってくるなり剣幕を立ててグレムリンがピメリアを罵ってきた。さすがのピメリアも椅子を蹴倒し立ち上がって言い返していた。


「──あんたに何が分かるってんだっ!全部私が始めたことなんだよ!誰のせいでもないんだよ!私のせいなんだよ!私のせいで皆んなが危険な目に遭っているんだ!」


「だからどうしたと言うのだ?他人が命を落としたぐらいで諦めるというのか?それこそ探査艇に乗り込んで散っていった者たちが浮かばれないではないか!」


「──あんた正気なのか?これ以上自分のエゴのために人を殺せって言ってんのか?」


「人間の我欲は人を殺しもすれば人を助くこともある!世界を戦火で燃やすこともあれば平和の鐘で世の中を満たすことだってできる!それを分からずただ目の前の結果に打ちひしがれて責任を全うしようとしない者は愚か者だ!──お前さんだよ!何故お前さんが真っ先に私の下へ来ないんだ!」


「──っ!!」


「だから邪魔だと言ったんだ!とっと去るがいい!」


 感極まり涙を流していたピメリアは、グレムリンの言葉でようやく何をすべきだったのかと理解することができた。

 だからこそ、ピメリアは言うべきことが分かっていた。だが、その言葉が口から発せられることはなかった。操舵室にいた船長から船内放送で呼びかけがあったからだ。


[──通信が回復した!今すぐ操舵室に来てくれ!三人は無事だ!]


 ピメリアやグガランナ、部屋の外にいたゴーダたちも弾かれたように操舵室へと走っていった。


 サンドウィッチだった、ナディが目を覚ました時は。下は大変柔らかく、上はちょっとだけ柔らかかった。

 薄暗い探査艇は大きく傾いでおり、操縦席が真横を向いていた。コンソールの上にラハムが横たわり、その上にナディ、ライラの順で倒れて気を失っていたのだ。

 先に目覚めたのは一番重かろうラハムであり、その後にナディとライラが起こされていた。


[大丈夫か?!一体何があったんだ?!]

[どうして今の今まで返事をしなかったんだ!どれだけ心配したと思っている!]

[ゴーダさん!今はそんな事どうでも良いでしょう?!──ナディ!ライラ!ラハム!オクトカーフの調子は?!動かせそうなの?!]

[今すぐ戻って来い!お願いだから戻って来い!これ以上私の胃に穴を空けないでくれ!]


(うるさい)


 いっぺんにあれやこれやと言われてしまったのでナディは思わず耳を塞ぎたくなってしまった。しかし、気を失っていた時間を考えれば心配させてしまうのも無理はないと理解できた。


「あー……えーと……マズいですね、色々と……」


 突入した時はあれだけ明るかった外の世界も今は真っ暗だ。もしかしたらさらに奥へと下ったのかもしれないと思ったが、斜めに照らされたライトの範囲にあの巨大生物が泥を被った状態で横たわったままなので、同じ水深であることは何となく理解できた。

 問題なのはオクトカーフである、操縦席側の耐圧殻が地面に突っ伏した状態で制止しており、気を失う直前に死に物狂いで閉じたパイプの先がどうなっているのか分からない。おそらく休憩スペースはもう使えないだろう、陸に上がるまで行き来するように設けられた通路のハッチを開ける気にはなれなかった。

 これこれあれこれと操舵室にオクトカーフの状況を伝え善後策を求めた。


[……………土砂崩れに巻き込まれたか………とにかく浮上するため態勢を立て直してくれ]


「イエッサー」


[お前さんはほんとっ………]


 呆れとも感心ともつかない息を吐き、ゴーダの心配をよそにオクトカーフのリカバリーが始まった。

 地面に設置していたアームは全部で四本、そのうちの一本は卵を掴んだままだった。


「このままだったら立ち上がれないんじゃない?一度離した方がいいよ」


「離して大丈夫かな?そのまま逃げたりして」


「海の上に戻ることが最優先だよ」


「それは確かに」


「ん?カニさんが戻って来たみたいですね、地面からぽこぽこ出てきましたよ!」


「さっきの揺れって地震だったの?」


「うん、そうだと思うよ。この近くに潜り込むプレートがあるんだと思う、光ってた原因は良く分からないけど海水に溶け込んだ金属類も析出していたから近くにホットプルームが通っているんだと思う」


「何言ってるのか全然分かんない」


「カニさん!皆さんカニさんが出てきましたよ!」


「分かったから!ちゃんと聞こえてるから!」


 と、気を失っていた分を取り戻すように会話しながらリカバリーを進めた。

 掴んでいた卵を一旦離し──離せなかった。


「あれ、マニピュレーターを全開にしているのに離れないぞ、これもしかして食い込んじゃったかな〜」


「さっきの揺れでそうなったのかな」


「だとしたらマズいですね、立ち上がれないですよ」


 素早くゴーダに報告し、さらに善後策を求めるとそのままの姿勢でバラストタンクを切り離すことになった。


[きちんと浮上するまでスラスターは作動させるなよ!砂利を巻き込んで使い物にならなくなってしまうからな!]


 アームに備え付けられていたバラストタンクを一つ、二つと切り離していくと、傾いでいたオクトカーフが徐々に持ち上がってきた。全てのタンクを切り離すと姿勢がようやく水平に戻り、卵を掴んだまま浮上が始まった。


「良かった、何とかなりそう」


「あの卵って見かけに反して軽いんだね──いやちょっと待って、確か出口が塞がってたような……」

 

 ライラが気を失う直前に見た光景は直上にある出口から大量の土砂が降り注いでいるところだった。


「まさかの生き埋め?」


「大きな岩とかがはさまっていなければ……だけど」


「ラハム、外に出てふんす!ってできない?」


「できませんよ!ラハムはそこまで高性能主婦ではありません!」


「いやそもそも主婦は超深海に来たりしないから十分高性能だと思うよ」


[なあお前ら……もうちょっと緊張感を持てよ]


 ピメリアの泣き言は聞こえないフリをして周囲の確認に専念する三人。来た時はとても綺麗だった深海の街、今はもう見る影もない、発光していた鉱石や生き物もその殆どが土砂の下敷きになってしまったからだ。


「やっぱり取らない方が良かったのかな……地震が起こったタイミングってちょうどアームを伸ばした時だよね」


「うう〜ん……関係ないと思うよ。寧ろ卵を掴んでいたお陰で土砂崩れに巻き込まれずに済んだかもしれないし」


「でもこいつ軽いよ?」


「生態に合わせて重量を変えるんでしょ?」


 その言葉が合図になった。

 掴んでいた卵が猛然と動き出したのだ。


「──何っ?!」

「うわあっ?!」

「ぶふっ!!」


 オクトカーフの本体に体当たりをしながら卵が浮上し、食いついて離れないアームごと引っ張っていった。下部ユニットと上部ユニットが逆さまになり、またしてもナディたちは狭い耐圧殻内でサンドウィッチ状態になってしまった。


「──またラハムが敷布団ですか!」


「そんなことより外の様子は──ちょっとライラ暴れないでっ!今はおとなしくしてて!」


「〜〜〜っ!〜〜〜っ!」


 ナディの下腹部辺りに顔を埋めているライラはもうそれは必死になって離れようとしていた。

 急な勢いで浮上を開始した卵が何かに激しくぶつかる音が耐圧殻内にも届いてきた、何とか見えていた外の景色も途端に土砂に塗れ何も見えなくなる。

 激しい動きと猛スピード、それから超高圧下において耐圧殻が耐えられるはずもなく、一二〇〇〇メートルまで守り続けてきたチタン合金製の殻にヒビが入った。


「──っ?!!」


 地上と同じ気圧に保たれていた耐圧殻内に約一二万倍の圧力が押し寄せてきそうになった、頭を殴られたような衝撃の後、その衝撃が耐圧殻自体にも発生していた。

 自動修復型耐圧殻、瞬時に防御膜を形成するそのシステムが作動したのだ。


「──カマリイちゃんのお陰──」


 ナディの声はさらに上がったスピードを前にかき消されてしまった。


 操舵室は水を打ったように静まり返っていた。

 一度は諦めもした、けれど通信も繋がり『生きて帰ってこられる』と希望を見出せたそばからまた事故が発生してしまった。

 水中通信機からはもう何も聞こえてこない、ノイズすらない。それに三人の悲鳴も聞こえていたことから誰もが絶望感に苛まれていた。

 しかし、そんな中でも諦めていない者たちはいた。


「──大丈夫!私が作ったあの修復システムがあれば三人は無事よ!無事に決まっているんだから!」


 ジュディスだ。席すら立とうとしない大人たちを睨め付けながら自信もたっぷりに言い放っていた。


「──私もジュディスの言葉を信じるよ。それに誰かがカマリイのお陰だと言っただろう?それはちゃんと作動したってことだろ!ぼやぼやするな!今すぐ海に出て救助活動に備えろ!」

 

 ピメリアが今日この日まで思い悩み続けていたのは誰もが知っていた。そのピメリアが真剣な目つきで皆を叱咤し、パイロットたちを助けるため号令をかけてきた。

 これに応えない者は存在せず、操舵室にいたクルーから調査船に乗っていた全ての人たちで準備が電光石火のごとく始められた。

 ウルフラグとカウネナナイ、どちらの領海にも含まれない海は真っ赤に燃え上がっていた。

 沈みゆく太陽の光りに照らされた海は赤く染まり、ウルフラグとカウネナナイの船も同じように染め上げていた。

 それぞれの船から救助用ボートが放たれ、どちらが先にオクトカーフを助けられるかと争い始めた。


「邪魔なんだよ変態爺いっ!ナディたちは私が助けるっ!」


 同様に最前線に出ていたグレムリンに向かってピメリアが大声を張り上げた。


「助けを請われたからには応えてやらねばなっ!互いに恨みっこなしだ!」


 歳を取っている割には良く声が通っている。

 同じ海域で待機を続けていたヘイムスクリングラの甲板でも皆が固唾を飲んで見守っていた。

 オクトカーフが潜航を開始した海面では複数の救助用ボートが走り回っている。皆が海面に目を凝らし、少しでもオクトカーフが上がってくる予兆を見つけようと必死だった。


 意外とあっけなく、その時が訪れた。先に見つけたのは幸か不幸か、グレムリンだった。


「退けぇーーー!今すぐそこから退けぇーーー!巻き込まれるぞーーー!」


 喧嘩したばかりのピメリアに向かって手を振りながらそう声を張り上げていた。何のことだとピメリアが辺りを確認する、ボートから覗き込んだ海が小さく泡立っていた。

 他の者たちも気付いた、全員が一斉に「退け!」コールを放った。


「早く早く早く!このボートを動かしてくれっ!」


 ボートが動き始めた時には沸騰しているかのように海面がボコボコと泡立っていた。

 間一髪だった、泡立つ範囲からボートが逃れた瞬間、盛大な水飛沫を上げながら何かが海から空へ躍り出てきたのだ。


「────っ!」


 その跡を追うようにしてオクトカーフも姿を見せた、上部ユニットは歪に変形し、下部ユニットは一本のアームを残してぼろぼろに壊れていた。

 猛スピードで海から空にまろび出た卵とオクトカーフが孤を描きながらピメリアたちの真上を飛び込え、その様子を呆然とした顔付きで眺めていた。

 またしても激しい水飛沫を上げながら着水し、一番近くにいたピメリアたちが灰色に膨らんだ耐圧殻へと近寄った。


 そして──超深海の水圧から三人を守った自動修復型耐圧殻が内側から弾かれるようにして一部が開き、中からナディ、ライラ、ラハムがそれぞれ自力で這い出てきた。

 決定的な瞬間だった。誰もが到達したことがない超深海一二〇〇〇メートルへ潜航し、無事に戻ってきたのだ。しかもその水深にあった卵をも回収し、誰がどう見ても完璧にやり遂げたことを証明していた。


「──ブラボーーー!ブラボーーー!あっぱれ!参った!良くやったウルフラグの諸君っ!我々の完敗だっ!!」

 

 救助用ボートの上からグレムリンが喝采を送った、そこには敵としての顔は無い、前人未到の超深海へ赴いた三人に対する純粋な喜びがあった。

 大破寸前のオクトカーフから救助用ボートに乗り込んだナディが、グレムリンの声にサムズアップで応えた。


「……っ!!」


「ブラボーーーっ!」


 茜差す海の上では両国間における溝も距離も忘れ、偉業を成し遂げた少女たちを中心に拍手が何度も起こった。

 拍手の音が風に流され海を越え、瞬き始めていた星空の元にも届いた。

 星がひっそりと、祝福するように瞬いた。



384,400km



「どうだったどうだった?!さすがに今回の催し物は感動したんじゃない?!」


「──だから、興味が無いって言ってるでしょ。お願いだから私を巻き込まないで」


 調子っ外れの若い男と嫌そうに手を振る若い女がいた。

 かつて、第一テンペスト・シリンダーにおいて中層攻略部隊の作戦を眺めていたあの二人だった。


「えー?いやいや、深海一二〇〇〇メートルに到達したんだよ?マキナとの対決なんかじゃなくて未曾有の偉業じゃないか!僕はあの時より感動したけどね〜」


「どうでも良いわ、人が何をしようが迷惑にしかならないもの。その深海に容易く行けるようになったらどうなると思う?また資源開発だの何だと言って汚されていくんだわ」


「今日は珍しくお喋りだねえ?やっぱり君も興奮しているんじゃ──あー分かった分かった、だからそうすぐに消えようとしないの」


 月面から姿を消そうとしていた女が腕を掴まれさらに眉を顰めた。

 現実と仮想が交錯する世界、電子ニュートリノと反粒子が共存し許容している空間、あるのかも分からない物質を()()と断定し成り立った場所、それが月だった。

 彼らが立っている場所は現実、仮想においても月面基地からそう遠く離れていない所だった。近くには古ぼけた椅子が二脚と使い込まれた丸テーブルがぽつんと放置されている、数年の時が経っても変わらないところを見るに仮想から現実に起こしたものだろう。

 月面基地から補給を受けて何とか維持ができているコロニーが太陽と地球の間に割って入ってきた。時代遅れの旧式である、月面からコロニーを眺めている二人がどちらも不愉快そうに顔を背けていた。


「あれに比べたらまだ深海の方がマシじゃない?」


「そうね、それには同意するわ。ところでゼウス、あなたにお願いしていた物はどうなったのかしら」


「──ああ、あれねはいはい。星管連盟の人にお願いしたよ、所謂たらい回しってやつだね──そんなに怒った顔をしないでくれ」


 ゼウスと呼ばれた男はだらしない笑みを浮かべている。

 彼だけだった、彼だけがこの月面基地にあるプロメテウス・サーバーのアクセス権限を持っていた。だからこそ彼らは一三の顔を持ち、一切の情報共有を強いられていた。

 サーティーン・ゼウスに自由は無い、あるのは限りなく無限に近い権限と有限を無視した情報収集能力、全ては目の前に立つ女の為。

 だがその女も自らの役目に飽きつつあった、関心事は他所にあるような言動が目立ち始めていたのをゼウスは見逃していなかった。

 

(はてさて……どう運ぶことやら……)


 月面基地から続くなだらかな丘陵地帯、その丘の上で話していたゼウスたちは三人組の男女がまるでピクニックに出かけているような足取りでこちらに向かってくるのが見えていた。先頭を歩いている女は金の刺繍が入ったマスクを着用しており、背中には禍々しい剣を担いでいる。他の男女もどこか英雄のような出立ちでそのマスク女の跡に続いていた。

 ゼウスが─嫌々─従っている女が迷惑そうにしていた。


「ゼウス……どうせあなたの差し金でしょう?あれは何?」


「さあ、僕も知らないよ」


 英雄二人と厨二病全開の女はゼウスたちに気付くことなく、お喋りをしながら歩いている。


「っぽい!真のラスボスが月にいるのって凄くそれっぽい!」


「アマンナさんマジぱねえ……大魔王ワンパンで沈めてエターナルソロー(※裏ボスの事)の居場所を吐かせるだなんて、大英雄から認められた俺たちが霞むレベルだぜ」


 厨二病全開のアマンナは板についた演技を見せつけていた。


「ふっふっふっ……エターナルブレッシング(※世界を創設した神様の事、ソローとブレッシングは敵対している。という設定)の子にして世界の救世主たるこの私にかかれば造作もない………」


 額に手を当ててイタイタしく笑っている、口元もマスクで覆われているので側から見たら誰が誰だか分からない。

 

「でもこれで終わっちゃうんだよね……今思えば長かったような短かったような……」


 女大英雄は名残惜しそうに顔を曇らせていた、その相棒である男大英雄もしゅんとしている。


「俺もここまで楽しかったのは始めてだったから……あの最後の街でスローライフに切り替えようかほんと悩んだよ」


 世界の申し子であるアマンナがまたくっくっと喉を鳴らしてからそれっぽく答えた。


「孤独は安寧と自由をもたらしてくれるがそこに真の充実はない……ポセイドンよ、君たち二人が共にあったからこそこの道があった……我も共にあれたこと、幸福であったぞ……」


「アマンナさん……」

「アマンナさん……」


 アマンナとポセイドンと呼ばれた二人が出会ったのはもうかれこれ一年以上も前になる(ナビウス・ネット内において)、その間に三人の仲が深まり世界を股にかけて冒険していたのだ。

 誰とでも仲良くなれる世界の申し子が、肩に担いでいた剣を抜き放ち丘の上に立っていたゼウスたち二人に向かって高らかに掲げた。


「──さあ!我々が愛した世界を根底から支配しているあの二人を倒し真の自由を!真の平和と安寧を!もう我々は神の助けなど受けない!」


「うおおおーーーっ!」

「やってやるーーーっ!」


 大いに盛り上がったポセイドンたちが己の獲物を抜き放って丘を駆け上がっていった。


「あいつら頭おかしいんじゃないの?ゼウス、早く何とかして」


「あれはアマンナだな……それからポセイドンの二人か……さてはマントリングポールの監視が嫌になって遊んでいたんだろう──ま、これも一興ってね」


「は?」


 ゼウスも板についた演技をしながら駆け上がってくる二人の前に立ちはだかった。


「──良くここまで辿り着いた大英雄たちよ!貴様らの愚かで無意味な営みをこの土地から眺めていたぞ!実に滑稽であった!」


 場がさらに盛り上がったことは言うまでもない。


「──私たちの旅が無意味だったなんてっ!」

「──たとえ世界の神であろうが言わせねえ!確かに俺たちは生きていたんだ!」


 乾電池を切ったあのロングソードも成長し、今となっては振っただけでレーザービームが出るようになっていた。そのビームを受けたゼウスはなおも演技を続けている。


「──滑稽であろう!何せそこの女が貴様らの世界を混沌に招いていたのだから!」


「──えっ?!」

「アマンナさん?!」


「大魔王の剣を奪い人間界に落としたのは奴だ!大英雄を冥界に閉じ込めたのも奴なんだ!そして!お前たちを利用しリーリンハイツ(※ポセイドンが作った異世界の名前)を我が掌中に収めようとしているのがアマンナという女なんだ!」


「そ、そんな………」

「俺たちと仲良くなったのは………そ、そんな!俺は信じないぞっ!」


「…………………」


 ゼウスの傍らにいた女がいつの間か姿を消していた、月面基地近くで戯れているのはゼウスたち四人だけである。

 

「アマンナさん!何とか言ってくださいよ!」

「…………どうして何も言わないんだよ……嘘だろ、本当に?本当に俺たちを騙していたっていうのか?!こんな人見知りが激しくて友達ができたと喜んでいた俺たちを心の中でせせら笑っていたのか?!」


 絶賛疑いの目を向けられているアマンナが、世界を破滅に導く悪き言葉を封印する(と、いう設定)マスクを外した。


「………ごめん、二人とも………私には愛する人がいるの……その人の願いを叶えるためにはどうしてもリーリンハイツを………あなたたちが愛した世界を利用するしかなかったの……」


「そんなっ……私のことが一番だと思っていたのにっ……」


 女ポセイドンが膝を折ってその場に崩れ落ちてしまった。男ポセイドンも似たようなものだった。


「あの日……あの満月の下で確かに俺のことが好きだと……そう言ってくれたような気がしていたのに……」


 二人揃って月の丘に倒れ伏し、物言わぬ人形になってしまった。

 しかし、アマンナの戦いは続く、続けなければならない。

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「ソロー、ブレッシングは何処?さっきまでいたよね?」


「さあて、何の事かな?」


「惚けないで、隣にいたあの女よ、そいつに用があってここまで来たんだから」


「…………あ、何?そういう事なの?僕はてっきりバベルの事でポセイドンに近付いたんだと思っていたけど」


「それもあるけど本題じゃない──」


 月の裏側に隠れていた中継ステーションが姿を見せた、月面からコロニーへ橋渡しをする役目を持っている。

 アマンナがゼウスから視線を外して月の夜空に浮かぶ中継ステーションを睨みつけた。


「………止めときなよ、あそこにはもう何も無いよ」


「それを決めるのは私じゃない、愛する人の思うがままに付き合うだけ」


「そんな事の為に世界に迷惑をかけようって?お勧めしないな〜」


「人の我が儘なんてそんなもんでしょ」


「それもそうだけど。教えられないよ、とくに君のような人にはね」


「──あっそ。ま、そうだろうと思っていたけどね、ただの下見だから。邪魔したね」


「……………」


 ゼウスの懐疑的な視線を受けながらアマンナが踵を返しその場を後にした。丘の上に倒れていた第一テンペスト・シリンダーと第三テンペスト・シリンダーのポセイドンたちも姿を消しており、丘の上にゼウスだけが残った。

 宇宙空間をゆっくりと横切っている中継ステーションにを見やりながらぽつりと言葉を漏らした。


「──いい加減、解放してくれないかな〜……この檻の中から」


 ──現実か仮想か、電子の海から誕生した彼ら彼女らには区別ができない。自分が今立っている場所が本物の月なのか偽物の月なのか、ゼウスに限らず全てのマキナは判断ができなかった。


 知る方法はただ一つだけだった。

※ 次回 2022/5/28 20:00 更新予定

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