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第45話

.超深海層



 喉に引っかかっているご飯粒を煩わしく思いながら今日も第一港にやって来た。

 

「ん゛っ!………取れない」


 第二港のお手伝いをしてから一週間が過ぎた、その間私とアキナミはラハムの特訓を続け、今日はいよいよ探査艇に乗って実地訓練をする日である。

 天気は生憎の曇り空、鼠色に染まった空はそれだけ寒々しくあり季節の変わり目を実感させてくれた。クローゼットの奥にしまっていた長袖のパーカーを羽織ってきたけど、それでもまだ肌寒かった。

 食堂に顔を出すと実地訓練に付き添うクルーの方々、それから目下訓練中パイロットのラハムがいた。


「おはようございま〜すっ!」

 

「ん゛っ!……おはようラハム、調子はどう?」


「………え、あっ!はい!ラハムはばっちりです!」


「アキナミはまだ?」


「アキナミさんはまだです!」


 今日もラハムは元気いっぱいである。その隣に座っているのは第一港で主に船長を務める壮年の男性だった。


「今、船で向かうポイントの説明をしているところだ。ここからそう遠くはないが潮の流れが速い、新人が海の厳しさを知るにはちょうど良い所だ」


「ん゛っ!………いきなりそんな所で大丈夫なんですか?」


「………あ、そうだな、うん、ポイントを変えようか」


 船長が慌てて海図を取り出して他の甲板部員の人たちと話し合いを始めた。


「あー……ナディさん?ラハムはそんなに気にしていないのですが……」


「ん?何の話?………ん゛っ!」


「──あ、いえっ何でもありません!」


 え、何でそんなに怯えているのか...

 皆んながどこかよそよそしく見えてきたところで、頭に寝癖をつけたアキナミが慌てて食堂に入ってきた。


「──すみません!遅れてしまいました!」


「おはようアキナミ、私も今来たところだから……ん゛っ!」


「何それ感じ悪い……ちゃんと謝ったのに」


「え?──あっ!」


 皆んながよそよそしくなった理由が良く分かった。



「あっはっはっはっ!ご飯粒!最近の若いのはほんとメンタルが弱いなあ!そのうち取れるから気にするな!」


「すみません、ほんとすみませんでした」


 白髪の船長が豪快に笑い飛ばしてくれたのであまり悪い空気にはならなかった。


「いやでもほんと、何をやっても取れないんですよ、だから気になって気になって……無意識に失礼な事をしてしまいました」


 もう一度ぺこりと頭を下げる。


「いいさいいさ。それより今日は分かっているよな?いよいよラハムの実地訓練、事故も視野に入れて臨まなければならない、君たちも十分気を引き締めるように」


「はい」


「分かりました」


 桟橋から探査艇を乗せた船へと向かう。今回訓練に使う探査艇は、アクリルドームと呼ばれる透明のパイロットシートが剥き出しになっているものだった。搭乗人数はニ人、ラハムと私かアキナミが乗り込むことになっていた。

 桟橋には見送り兼見物客の人たちがちらほらといる、先の襲撃で壊れていた港も復旧工事が完了しており、皆んな半袖(あるいは上半身裸)から長袖の船上服を着て仕事をしていた。

 主に事務棟として使われている建物から誰かが慌てて駆けて来た、その手には沢山の資料とタブレットが握られている。ロングスカートと二つに括った白い髪が後ろへと風で靡いている。

 夏の連休前にユーサを退職したライラだった。桟橋から船にかけられた渡り板の手前で大きく息をして整えている、いくら肌寒くなってきたからといってあんなに厚着をして全力疾走すればそりゃ汗もかくだろう、前髪が顔に張り付いていた。


「どうしたの?」

 

「──ま、待って!私も、つ、付いて行くから!」


「そうなの?でも今日の乗船者にライラの名前は──」


 んん?と首を傾げた隙に船長が割って入ってきた。


「駄目だ駄目だ、君の乗船は許可されていないよ」


「どうしてですか!私だってセントエルモの──」


「そうかもしれないけど君はスポンサーとしての立ち位置でしょ?色々と勉強してくれているみたいだけど、海の上ではなくて陸の上で彼女たちを支えてやってくれ」


 ああ、あの資料は...止められてしまったライラは不服そうにしながらも渡り板に乗せていた足を引いた。


「基本的に責任者の許可が無かったら部外者を乗せてはいけないんだ。すまないね」


「──分かりました」


 それを合図にしてかけられていた渡り板が取り外され、船に乗せてもらえなかったライラに私は大きく手を振ってあげた。ライラも小さくそれに応えてから、重い足取りで事務棟へと戻っていった。


「………悪いね、彼女の扱いには気を付けてくれって連合長からも言われているんだ」


 その背中を見ながらぽつりと、船長が教えてくれた。


「扱いって……どういう意味なんですか?」


「コールダーの人間、それから空軍の特別顧問という立場にあるんだよ、君のお友達は。おいそれと海の上に連れては行けんよ」


「そう………ですよね」


 私からしてみれば自慢の友達なのに...大人からしてみればそう見えてしまうものらしい。

 調査船がゆっくりと桟橋から離れた、前回乗った大型のものではなくクレーンも一つしかない中型サイズのものだ、事務棟の前で寂しげに立つライラの姿が甲板からでも見えていた。もう一度手を大きく振ると、今度はライラも大きく手を振ってくれた。


「それでいい、君はあの子を心配してやってくれ。扱いがどうのと言うのは俺たち大人だけで十分だから」


「……はい」


「じゃ、早速操舵室に行って作戦会議といこうか」


「はい」


 穏やかな海の上を行く船、ゆっくりとした足取りで歩き始めた船長の背中を追いかけた。



「実地訓練のポイントは沿岸域にある、そのため最大深度も五〇〇メートル未満、ただ潮の流れが速いから容易にコントロールを奪われてしまう。探査艇を内部からチェックする耳と勘、それから実際に操縦する感覚を今日の訓練で養ってもらいたい。いいかな?」


「はいなのです!」


「コパイロットはアキナミ、君にお願いするよ」


「分かりました」


「ナディのご飯粒が取れたら代わってあげよう」


 操舵室に集まっていたクルーたちが乾いた笑い声を上げる、いきなりイジられた私は船長の背中をばしっ!と叩いた。


「すまんすまん。では準備に入ってくれ、ナディもラハムに付いてくれ」


「分かりました」


 操舵室から船尾の甲板へ移動するため階段を降りて行く。実地訓練を目前にしたラハムの背中はやる気に溢れていた、その点アキナミはいつも通り、なるほどと、あの船長は人のことを良く見ているなと思った。


(ま、確かにアキナミの方が冷静だからね〜)


 船尾の甲板では既に探査艇がクレーンにセッティングされていた。私たち三人でくまなくチェックをし、搭乗する二人がアクリルドームの上部ハッチから中へと入っていく。

 学校で訓練を受けていた時に教わった事なのだが、本来パイロットは一から十まで乗り込む探査艇について熟知していなければならない。文字通り、自分で探査艇をバラして一から組み直せるぐらいの知識と技術を持たなければ潜航できないらしい。それだけ海に潜るという事が危険であるということだ。

 ただ、ラハムはあっさりとクリアしている。マキナ故の特権でサーバーから探査艇の図面から何から何まで頭にインプットすることができるからだ。

 後は実際に海に潜るだけ、ラハムの真価が問われる時がきた。


「頑張ってねー」


 クレーンに吊り上げられた二人に手を振る。ラハムは余裕そうだ、にっこりと微笑みながら応えてくれた、けれどアキナミは顔を強張らせている。

 アキナミ曰く、クレーンに吊り上げられる時が一番怖いらしい。深海にも耐えうる耐圧殻の中にいながら宙に吊り上げられるとえも言われぬ焦燥感に駆られてしまうんだとか。

 先に海面で待機していたダイバーたちの手を借りながら探査艇がゆっくりと着水し、つづいて耳にはめたインカムから船長の号令が聞こえてきた。


[よろしい。天気、海も穏やか、これより実地訓練を開始する、パイロットは潜航準備、コパイロットは水中通信機の確認。異常がなければそのまま潜航を開始せよ]


[オールグリーンなのです!]

[問題ありません──というかラハム、そのなのですって要らないからね?]

[了解なのです!]


 そしてついに、ラハムが操縦する探査艇が海へと潜っていった。



 問題が起こったのは潜航を開始してから五分後、つまりすぐだった。問題が無いと言ったはずなのに探査艇が海面まで浮上してきたのだ。

 慌てた船長はたまらず通信を入れる。


[何があった?!]


[通常と異なる音を確認しました、直ちに再点検を要求します]


[そんなはずは──まあいい、すぐに引き上げよう!]


 海に潜った後はパイロットの判断が全てにおいて最優先される、だからこそ探査艇の故障をいち早く見抜けるよう詳しくなっておかなければならないのだ。

 ラハムの判断を尊重した船長が引き上げ準備を指示し、程なくしてから探査艇が甲板に戻ってきた。コパイロットのアキナミは首を傾げており、降りてきた時に話を訊いてみると、


「とくに何ともなかったと思うんだけどね」


「ふ〜ん……」


 整備士、船長、それからラハムも交えて探査艇の点検を行ない"問題無し"となったため、最トライが決まった。

 しかし、一時間後に再開した潜航訓練も開始五分でラハムがまたしても戻ってきたのだ。


(これ、もしかして……)


 温厚な船長も声に険しさが宿っている。


[……ラハム、君はさっき確認した時に問題は無いと判断したよな?だから訓練を再開したんだぞ?]


 対するラハムの答えはこうだった。


[いいえ、確かに異音がしています。明らかに甲板で点検した時と潜航した時の差が生じています]


[具体的には?]


[まず油圧ユニットから三デシベル、各種スラスターから一〇デシベルの異音を感知しました。これは明らかに陸地とは異なる数値でありますのでラハムは問題有りと判断しました]


[三デシ──あのねえ、実際に探査艇が稼働しているんだからその分負荷もかかるだろう?それは許容範囲なんだよ]


[その許容範囲を数値で示してください、これぐらいは良いという曖昧な判断は深海において命取りです。ラハムは確かにそう教わりました]


[あのねえ………]


[ラハムは一二〇〇〇メートルの深海に潜航し、搭乗した人を安全に帰すことが任務でありラハムの使命なのです!いくら船長さんと言えどもこればっかり譲れません!]


 強気のラハムの話を耳に入れながら携帯で調べた、人が実際に感じ取れる音は二〇デシベルかららしい。ラハムは人間には感知できない音を訊き、全て教わった通りに実行しているに過ぎないのだ。

 まさかここで"マキナ"と"人"との価値観の違いで摩擦が起こるとは思わなかった。"これぐらいなら大丈夫"という考え方だ、確かにそれは曖昧だが、探査艇のみならず人なら誰しもが待ち合わせる判断基準の一つである。

 暫くラハムVS船長さんの口論が繰り広げられ、このままでは埒が明かないと判断した船長さんは二人を入れ替えて再度潜航するよう言い渡した。


[ラハム!君はコパ!アキナミがパイロットだ!それで潜航し、確かに多少の異音がしても問題無いとその体に分からせてこい!]


 海面で待機していたダイバーたちもお手上げと言わんばかりにポーズを取っていた。

 ダイバーたちの手を借りてそれぞれ座席を代わり、再々度潜航が開始された。当初の予定では三度の潜航でとりあえず初日の実地訓練は終わりであり、この後帰港する流れになっていた。

 つまり、ラハムの訓練が全く実施されずにただの見学潜航になってしまった。

 

「大丈夫かな〜」


 開始五分を過ぎた、海面に探査艇が現れる様子はない。

 一〇分が過ぎた、操舵室から顔を青くした船長が飛び出してきた。


「何かあったんですか?!」


「喧嘩してるんだ!今すぐ浮上しろと言ってラハムが潜航中なのに暴れている!」


「────」


「何なんだマキナってのは!倫理観が滅茶苦茶じゃないか!潜航中だという事がまるで分かっていない!」


「──はっ!アキナミはっ?!探査艇はっ?!」


 私も船長と一緒になって甲板まで走って行った。



「すみませんでした」


「ラハム」


「本当にすみませんでした」


「ラハム、顔に書いているぞ」


「潜航中に耐圧殻内で暴れたことは反省しています、確かに危険な行為でした。しかし!やはりラハムはその許容範囲とやらが納得できません!深度が増す度に音が増幅されていくのです!」


 船長と肩を並べてラハムを睨む。本当に危ないことをしでかしたラハムはそれでも悪びれた様子を見せずむしろ言い返してきた。


「だから!それが普通だって言ってるんだ!」


「ですから!その普通とやらを定義化して数値に落とし込んでください!そうすればラハムだって納得するんです!」


「俺たち人間にどうやって三デシベルの誤差を見抜けってんだ?!そんなの分かるわけないだろう!」


「分からない事なのに探査艇を作って潜航しようと言うんですか?!それはあまりに無謀過ぎます!」


「──ラハムっ!!」


 ばっ!と声を出して二人の口喧嘩に割って入った。


「めっ!船長さんやクルーの人たちに迷惑をかけるのは──」


 今日のラハムは一段と強気だった。


「ナディさんは黙っていてください!ラハムは真剣に議論をしているのです!いくらナディさんのめっ!でも引き下がりませんから!」


「………もう良い、とにかく港へ帰ろうか。話し合いは陸でも出来る」


「そうですね!」


 ふんす!と正座していた床から立ち上がって船長の後を追いかけていった。



✳︎



「失敗したらしいな、ラハムの実地訓練」


「──んぇっ?失敗?どうやって失敗したんですか?頭の中に探査艇の全てがインストールされているんでしょう?」


「それがまずかったのかもしれんな。三デシベルの異音を感知して何度も引き上げたらしい」


「三デシって、人間の聴覚を超えてますね」


「ああ、あれならパイロットではなく検査員になって製造業で働いた方が一儲けできるだろう」


「ラハムみたいなのが検査員になったらこの世から全ての生産品が無くりますよ」


「違いない」


 やっぱ格が違うわゴーダ・カズトヨ、口を動かしているのに作業している手のスピードが全く落ちていない。

 念願のゴーダ・カズトヨと共に入った仕事場、意外にもこの生けた伝説はお喋りだった。とにかく口と手が良く動く、喋りながらあれよあれよと作業を進めていく姿は圧巻だった。

 前にも一度、機関室に一緒に詰めた事があったけど今日は違う。まさしくゴーダ・カズトヨの聖地であり、第一港内に置かれた室内の作業場に私と伝説、それから複数の作業員たちがいた。

 新型の探査艇の躯体は出来上がっている、ぱっと見はタコに近い。目玉がデカ過ぎるタコといったところか、目玉に相当する耐圧殻は別の場所で作られている。操縦席とパイロットの休憩スペースの二つ、当初は丸々一つに抑えようとしていたが製造会社から「それはさすがに無理」と拒否されてしまったので"連結型"が採用されることとなった。

 一つは従来のチタン合金製耐圧殻、軽さ、耐久性は折り紙付きで現存している全ての探査艇に使用されているものだ。

 もう一つは強化ガラス製の耐圧殻、操縦席に採用する事によってパイロットたちの視界をより確保するのが目的である。

 口元が寂しくなったのか、もう何度目になるか分からない世間話が始まった。


「コールダーのところのお嬢はどうしている、最近仕事場の周りをうろちょろしておるだろう」


「──ああはい、今日も来てますよ。朝会った時は本人も調査船に乗り込むつもりみたいでしたけど」


「何を今さら、ユーサから軍に鞍替えしたんだろう?」


「それはあれですよ、自分の両親の為にそうしたんですよ」


「それでも周りの連中は良く思わんだろうさ。儂だってそうさ」


「意外ですね、もっと淡白かと思ってたんですけど」


 いやほんともう良く喋るな〜今ジャイロ装置の調整をしているから黙っててほしいんだけど...


「そんな事はないさ、一度儂らの所に来たのに何の相談も無く抜けられるのは寂しい。どんな相手でもそう思わずにはいられんよ」


「意外と寂しがり屋なんですね」


「ああそうさ、だからこっちに家を借りた時に一緒に犬も──」


 テキパキと作業が進められていく中、作業場に誰かが荒々しく入ってきた。筋骨隆々、それから禿頭、眉間に縦じわを刻んだ男だ。

 皆が視線を注ぐ中、その男が自己紹介もせず用件を切り出してきた。


「ここにライラ・コールダーが来ているはずだ。いくら同郷の好だからといって彼女を束縛するのは止めていただきたい!」


「はっ、あの娘っ子が勝手に入り浸っているだけだ。こっちも迷惑しているんだ」


「ちょっとゴーダさん──」


 さっきは寂しいって言ったくせに。


「深海探査大いに結構!だが!彼女まで引っ張り出すのはお門違いであろう!」


「人の話を聞いているのか?空軍の大将とやらは儂より耳が遠いらしいな」


「えっ!」


 驚いたのは私だけではない、ゴーダさんの言葉に他の人たちも目を白黒させていた。どうしてそんなお偉いさんがこんな所に...

 名前は確か──ガルー・ガーランド...だったはず。ナディと同じセレンの出身者で歳若くして軍のトップに上り詰めた人である。

 堂々たる佇まいでゴーダさんの前に立ちはだかった。


「彼女が!セントエルモに声をかけられているから忙しいと!我々の所に顔も出さずに油を売り歩いている!」


「知らん。儂らを捨てたあんな奴に頼む事など何も無いわ」


「──ほう、我々に嫉妬しているのか?ウッズホールの生けた伝説よ、意外と人情味があるのだな」


「同感です」


「マイヤー!減らず口を叩く暇があったら手を動かせ!」


 納得がいかない。


「老骨では話にならん。そこの君、コールダーは何処にいる?」


「彼女なら事務棟にいると思いますが……ゴーダさんが言ったように私たちからオファーをかけた覚えはありませんよ。ただ──」


「何かね?」


「そんなに暑苦しく付き纏うからライラもこっちに逃げてきたんじゃありませんか?」


「はっ!マイヤーの言う通りだ!」


 さっきは手を動かせと言ったくせに。

 私の文句にも動ずることなく、ガーランド大将が真面目くさった調子でこう言った。


「──君たちもいずれ公海に出向くのだから前もって告げるが、ここのところカウネナナイの軍艦を良く見かけるようになった」


「………何?」


 ガーランド大将の声はハキハキとしており、他の人たちの注意も引きつけていた。


「それも、奴らがハフアモアと呼ぶあの卵が眠っている海域にだ。まず間違いなく奴らもそれを狙っているだろう、最悪海の上で鉢合わせするかもしれん。そんな所に民間人である彼女を向かわせるわけにはいかない、だかこうして迎えに来たのだ」


「ほぅ、儂らは軍人とでも言いたいのか?」


「今なら先の暴言は聞かなかった事にして護衛として出動してやっても良い。どうする?ウッズホールの老骨よ、悪い話ではないと思うが」


「はっ!誰がお前さんらみたいな物好きに頼むか。ただ儂らをダシにして空を飛びたいだけだろうに」


「ウィンウィンという言葉も知らんのか、可哀想に。それでは失礼する、邪魔をした」


「とっとと出て行け!」


「それから君たちの挑戦を心から応援する、頑張ってくれたまえ」


「ありがとうございます」


「マイヤー!お前はどっちの味方なんだ!」


「筋が通っている方です」


「マイヤー!」


 生けた伝説から放たれた雷、今回ばかりはちっとも怖くなかった。



 その後暫くしてからまたしても作業場に人が現れた。男共の渦中にいるライラだった。

 作業場に姿を見せるなりゴーダさんが最速の雷を落としていた。


「部外者が何をしに来たっ!お前さんとこの飼い犬が吠えに来たばかりだというのにっ!」


 むっとした顔をしながらもライラは歩みを止めようとしない、その手には沢山の資料が握られていた。


「──私だってセントエルモのメンバーなんです、ただ手伝いを──」


「要らん!誰もそんな事頼んでおらんだろうっ!」


「作業の手伝いではなくて探査艇に必要な部品でも何でも──」


「要らんと言っておるだろうっ!素人が余計な口出しをするなっ!」


「…………」


 見てらんない、一方的に言われているライラがさすがに可哀想だ。

 作業の手を止めてライラの元へ向かおうとすると私にまで雷が飛んできた。


「何処へ行くっ!そのまま軍に鞍替えするなら出て行っても良いぞっ!二度と戻ってくるなよっ!」


「……こんのくそジジイ………」


「何か言ったかっ?!」


「……何でもありません」


 ちらりとライラに目配せすると、気にしていないと首を振ってくれた、けど、その顔は酷く悲しそうだった。

 その日の作業を終えて生けた老骨に進捗表を叩きつけ、またぞろ雷を浴びながら作業場を後にした。


「あれは一体何なの……寂しがり屋を拗らせ過ぎでしょ……」


 人としてはどうかと思うがエンジニアとしては超一流である、その手際だけ学べば良いと気を取り直してライラに電話をかけるとすぐに繋がった。


[何だジュディさんか……ナディだと思ったのに]


「あんた意外と元気じゃない、このまま切ってやろうか?」


[……すみません。先輩はもう終わりですか?]


「そうよ、気が向いたからご飯に誘おうと思ってね」


[明日槍でも降るんじゃないですか]


「で、あんたは今どこにいんの?」


 この後、食堂にいたライラと合流してバスの停留所へと向かった。

 季節も夏から秋のそれへと変わりつつある、昼間はまだあったかいが夜にもなるとさすがに冷える。ライラはきっちりとレギンスを履いて寒さ対策をしていた。

 停留所のベンチに揃って腰を下ろすとライラの方から話しかけてきた。


「ナディはどうしていますか?他の人に訊いても知らないって言われるんですよね」


「あいつならまだパイロット班の所じゃない?会議室の明かりがまだ点いていたし」


 実地訓練に向かったラハムがやらかしたエピソードを教えてあげるとライラの目に光りが宿った。


「そんな事が……それなら私もまだワンチャンありますね」


 ライラはお手伝いを諦めていないらしい、何故そこまでして私たちに関わろうとするのか訊いてみると、


「だって、仲間外れって嫌じゃないですか」


「仲間外れって……そもそもあんたが先にユーサを抜けたんでしょ?ゴーダさん、あんなに暴言吐いていたけどあんたが抜けて寂しいって言ってたわよ」


「…………そうですか」


 てっきり怒るか喜ぶかと思ったんだけど、ライラはそれっきり黙ってしまった。

 到着したバスに乗り込み何処のお店にするかと尋ねると、私の家が良いと言い出した。それなら適当に材料を買ってご飯でも作るかと提案すると、「先輩が作ったご飯でお腹が膨れる気がしない」と文句を言ってきたので「あんたそもそも少食だろうが!」と突っ込みを入れてやった。

 買い物を済ませて自宅に到着し、何も言ってないのに寛ぎ始めたライラをこき使ってやろうとすると、デスク上の壁に貼ったポスターを真剣に見やっていた。


「これが何なのか知ってるの?」


「…………いえ、これが先輩が前に言っていた大きなお船ですか?」


「それ忘れろって言った──」


 そう尋ねてきたライラの目は真剣なままだった、だからつい答えてしまった。


「……そ、私が一番好きな船、この世に存在しない架空の船よ」


「へえ〜〜〜………先輩はロマンチストなんですね」


「馬鹿にしないのね」


「まさか、」


 と、言ってから唐突にライラが語り始めた。


「──私がセントエルモに関わろうとしているのは仲間外れが嫌だからではないんです。何か一つでも自分の力になればと思っての事なんです」


「そんなにあの子から離れたくないの?」


 少しだけ目を見開いてからこう言った。


「……良く分かりましたね。そうです、私はナディから離れたくありません」


「そんなに心配しなくても良いと思うんだけど」


「違うんです、ナディに嫌われるとかじゃなくて私が自分に失望して離れてしまいそうなんです」


 この間の第二港へ手伝いをしに行った際、ライラはナディを見て強くそう思ったそうな。


「ナディは凄いですよ、あんな状況で自分から動くだなんて。それに決して偉そうにしないし周りに気を配れるし、そんな中でも私にだけちょっかいをかけてくるし」


「最後のその惚気は必要なのか」


「私はナディの隣に並び立ちたい、だから邪険にされても手伝いをしたいんです」


 大した決意だ、私は他人の為にそこまで頑張れない。


「ま、私はあんたの邪魔はしないわよ、だからと言って今の状況で応援もできないけどね」


「そんなにゴーダさんが怖いんですか?」


「ううん、今のうちに盗めるだけ技術を盗みたいの。良い技術者はね、相手の良い所を目で見て徹底的に盗んでいくのよ、そうして自分の力に変えていく」


 何も言っていないのにライラが勝手にお気に入りのチェアに腰を下ろした。


「ゴーダさんが目標ではなかったんですね」


「そうよ、ただのステップアップに過ぎないわ、憧れているのは本当だけどそれがゴールじゃない」


「この船を作ることですか?」


「そう。私は私が夢に描いた船をこの手で作りたい、その為なら何だってするわ」


 ライラがつとポスターに視線をやってから予想だにしなかった事を口にした。


「操縦する人は決まっているんですか?」


「────え?何?操縦する人?」


「そうですよ、作ってその船を動かすんでしょ?まさか考えてなかったんですか?」


「………………」


「え〜〜〜………熱く語った割にはその程度──あたた!あたたた!」


 偉そうに口を聞いてきたのでその偉そうなほっぺたを抓ってやった。


「これから考えるのよ!」


「いったぁ〜〜〜………私がその船をマネジメントしましょうか?」


「──は?あんたそれ本気で言ってるの?」


「ええ勿論。私がマネジメントすれば操縦する人はナディで確定しますけどね」


「馬鹿馬鹿しい。何であんな面倒臭がりに頼むのよ、もっとマシな人にして」


「何ですってナディの何が気に食わないんですか!」


「面倒臭がるところ」


「それ取ったらナディがナディじゃなくなってしまう!」


「あんた好きなのか馬鹿にしたいのかどっちなの?」


 それから私の夢の話をしながらご飯を作り、悲しそうにしていたライラが満足そうにして帰っていった。

 本人には決して言わないが、私の夢について真面目に考えてくれたのは嬉しかったしその話で盛り上がるのはとても楽しかった。

 だが、夢は夢だ。実現できるかどうか、そもそもその夢に着手できるかどうかも分からない。この場限りの楽しい思い出として変わっていくのも何ら不思議ではなかった。


 だが、その夢を本気で追いかけ始めるのにそう長い年月は必要なかった。



✳︎



「……………」


「……………」


「……………」


「……………」


「……………」


「ピメリア、覚悟を決めてください」


「……お前、そうは言うけどな、実家に電話するのって途轍もなく勇気がいるんだぞ」


「ですが、このままでは計画が頓挫してしまいます。ラハムの実地訓練に付き合ってくれた船長からもあれはマズいと報告をもらっているでしょう?」


「……いや、そこんとこどうなのマキナの代表」


「私ならある程度の許容は認められますが、他者を重んじるラハムには不可能なのでしょう」


「まるで自分は他者を蔑ろにしていると言わんばかりだな」


「私のことはどうでも良く、今の肝要は母親に許可をもらうことです。さあ、電話をかけてくださいまし」


「……………あ〜……嫌だなあ……」


 手元にある従業員名簿からナディとアキナミの実家の番号を調べ、意を決してボタンをタップした。

 まずはナディの実家からである。


「──もしもし、突然のお電話失礼致します。私はピメリア・レイヴンクローと申します、ナディ・ウォーカーさんのご実家でお間違いありませんか?」


[──ええ、はい、そうですけれど……確か職場の連合長……の方でしたよね?]


「はい。ヨルン・ウォーカーさんですね?」


[はい……え、うちの娘に何かあったのですか?]


「その、あー……これからある、と言いますか、実は折り入ってご相談したい事があるんです」


[……何でしょうか?]


 事の発端は第一港に在籍している船長、ショウジ・アタラシから「ラハムをパイロットとして運用するのは危険だ」という連絡をもらってからである。

 とにかくラハムは口うるさく、陸と海中における探査艇の()()な差が気に入らないらしい。口がうるさいだけならまだしも、潜航中にパイロットを務めていたアキナミと喧嘩までしたらしく、船長としては是非ともラハムを搭乗者から外してほしい苦情が寄せられた。

 じゃあどうするんだよという事になり、私とグガランナであちこちへ電話をかけて代わりのパイロットを探そうとしたのだが...やはり見つからなかった。

 

「──一二〇〇〇メートルの超深海へあなたの娘さんの手を借りて連れて行ってもらいたいのです」


[────ああ、その事──いえ、何でもありませ──え?ちょっと待ってください、今何と仰いましたか?娘の手を借りて……?]


 パニクっているらしい、無理もない。


(その事って何だ、他に何かあるのか)


 こちらの事情を詳らかに説明した。元々本人に頼むつもりはなかったことと、予定していたパイロットに問題が起こったことも告げると思いの外あっさりと了承が得られてしまった。


[娘が国の役に立つのなら、それにあの子が乗りたがっているのなら私の方から止めるようなことは致しません]


「……本当によろしいのですか?」


 優しそうな声音から一転、


[殺すつもりで乗せるわけではないのでしょう?]


 軍人よりもなお軍人らしく、殺伐とした言葉であるにも関わらず堂に入ったその質問は私を震え上がらせるのに十分だった。


「──も、勿論です!新型の探査艇も安全性が十分に確認されない限りは決行することもありません!ただ、どうしても危険が付き纏うので……」

 

[それでもあの子が納得しているのなら私は構いません、あの子の人生ですから──あ、連合長さん?代わりと言っては何ですが一つだけ頼み事をしても良いですか?]


「な、何でしょうか……?」


 あっさりと了承を得られた手前、そう無下にすることもできない。それを分かっているのかナディの母親も質問ではなく確認といった体でそう尋ねてきた。


[セントエルモが海に出た時、一度ラウェに寄ってください。大統領の演説で潜航場所の紹介がありましたけど、ラウェを通過しますよね?キャンベルさんのご両親には私の方からも口添えをしておきますから]


「え、そ………」


 言い淀む私へさらに畳み掛けてきた。


[もしかしたら何かあるかもしれません、もしかしたら私はもう娘に会えないかもしれません。それは私ではなくキャンベルさんのご家族もそうです、これぐらいの我が儘は許されると思いませんか?]


「──分かりました、日程を調整して折り返しご連絡します……」


[ありがとう!娘ったらなかなかこっちに帰ってこないものだから心配で心配で……前にも騒動に巻き込まれたと言っていたし……ねえ?私はユーサで働くと聞いていたから送り出したのにまさかこうも事件に巻き込まれるだなんて夢にも思わないじゃないですか、それにようやくその連合長さんからこうしてご連絡が──]


「わ、分かりました!分かりましたから!きちんとラウェに寄港できるように手を打ちますから!」


 そう言われてしまったら何も言い返せない。

 人の親強し。我が子の為なら一歩も引かないのが母親というものである。

 その後いくらか嫌味という名の念押しを受けてから電話を切り、私はラウェに寄港するためゴーダに探査艇の完成を一日でも早めるよう連絡したのであった。



 翌る日、セントエルモの主要メンバーを会議室に召集し、日程とパイロットに変更があった事を告げた。

 あれだけ、あれだけ散々断って喧嘩までしたナディは終始拗ねた顔つきをしていた。


「と、いうわけだ。なので改めてナディとアキナミには誓約書を提出してもらいたい」


「………………………」


 眉根を寄せてずっと私のことを睨んでいる。

 パイロットから外されたラハムについてだが、案外この件に反対するようなことはなかった。どちらにしてもラハムはコパイロットとして搭乗することが決まっているから、メインかサブか、あまり拘りはないのかもしれない。

 一つ溜息を吐いてからもう一度同じことを言った。


「ナディとアキナミには改めて誓約書を提出してもらいたい」


「…………………………」


「いやあの連合長、他に言うことがあるのでは?」


 歳上相手にも物怖じしないジュディスだ、勿論言うべきことは決まっている。


「私は嫌だったんだがな!どうしてもだ!こればっかりは仕方がない!そう!仕方なく私はお前たちに頭を下げたんだ!感謝しろ!」


 全員から非難の視線を浴びてしまった。本来なら謝ったり私の方から感謝を述べるべきなのだろう。

 こんな嫌な言い方をされたらさすがのこいつでも諦めてくれるのではないか、という淡い期待があった。しかし、


「ありがとうございます。私もアキナミもチームの皆んなの足を引っ張らないように頑張ります」


「…………………」


 ナディの方が一枚上手だった。

 それから私は出航当日までチームの皆んなから総スカンされてしまう羽目になった。これも仕方がない。



✳︎



「ご飯粒はもう取れた?」


「──え?ああ、うん!ばっちり取れたよ」


「何その話」


「ナディが喉に引っかかったご飯粒が取れないって私に泣きついてきて……先輩はそんな事も知らないんですか?同じチームにいるのに?」

  

「あんた器用なことするわね〜惚気とマウントの両方取ってくる奴なんて初めて見たわ」


 会議を終えた後、私とジュディ先輩は港の駐車場でライラと待ち合わせをしていた。今から向かう場所はリッツさんが入院している病院である。

 ピメリアさんに腹の立つ言い方をされた事や、リッツさんが入院していた事に頭の中がグルグル状態だった。


(そんな事になっていたなんて……)


 私と先輩だけチームから抜けさせてもらいお見舞いに行くことになった。ラハムは船長(あの船長はアタラシさんのお父さんらしい)と二人っきりで座学中である。主に"許容範囲"という知識だけでは理解できない考え方を学んでいる最中だ。

 ユーサの社用車に乗り込む私たち、運転席にライラが座って私が助手席、先輩が後部座席だ。

 車に乗り込むなり先輩が私に声をかけてくれた。


「そんなに落ち込まなくても大丈夫よ、リッツは元気そうにしていたから」


「そうですか……それなら良いんですけど」


「シートベルト締めた?先輩は?ちゃんと締まりました?」


「締まりましたって何、幼児体型だからシートベルトが締まらないとでも思ったの?締まるわ!シートベルト舐めんな!」


「よし!それじゃあ行くね!」


 やたらと気合いが入っているライラが車を発進させた。



「あ〜良かった助手席じゃなくて。交通事故を起こした時って助手席に座っている人が一番重傷化しやすいって知ってた?ねえ知ってた?」


「ライラ!帰りは私が運転するからね!いいね!」


「ぐすん……」


 もうほんと冷や冷やした、ライラって意外とガサツなのか運転が凄く荒かった。ドッカンブレーキにロケットスタート、さらに車がどんどんガードレールに寄っていくものだから何度も怖い思いをしてしまった。

 到着した病院は小ぢんまりとしており、沢山のヤシの木に囲まれた静かな所だった。病院に入りこれこれ何用と受付けに伝え、今は検診中だから少し待ってほしいと言われたので待ち合いロビーに三人揃って腰を下ろした。

 待ち合いロビーには私たち以外にもお見舞いにやって来た人たちが患者さんと話をしている、テレビでは最近良く見かけるようになった大統領が熱く演説をしているところだった。

 それを見るともなしに眺めていると、私と先輩から詰め寄られてしょんぼりしていたライラが秒で元気を取り戻して話しかけてきた。


「ナディってこれから先どうするか決まってるの?」


「え、何?これから先?それって未来の話?」


「そうそう、ずうっとユーサで働くの?」


「うう〜ん……考えた事もないけど……どうして?」


「船長やってみる気ない?」


「船長?」


「ちょっとライラ、それは内緒にしてって……」


 お?この二人が内緒話?知らない間に随分と仲良くなったようだ。


「ちゃんと唾付けとかないと誰に取られるか分からないでしょ?いや誰にも取られるつもりはないんですけど」


「何の話?」


 ライラの話では、どうやら先輩は自分で自分の船を作りたいそうだ。だから猛勉強をしてユーサの造船課に入り、あのお爺ちゃんの下で働きたかったそうだ。


「へえ〜〜〜ちっこい先輩がおっきな船……ロマンがあって良いですね。身長は低いけど夢は大きく──ああ!怖い!」


「こんのっ!ここが病院じゃなかったらっ……」


 今にも噛みつきそうな先輩、その背後から病院内をたたたと駆けてくる人影があった。

 髪は癖っ毛、垂れた目つき、大きな胸元。携帯の画面で良く見ていたあの姿は──


「ガングっ!」


「え!」

「え?!」


「ナディ〜〜〜っ!!」


 私が先に気付き、遅まきながら二人も声を上げながら後ろを振り返っている。焦げ茶のワンピースの裾をはためかせながら走ってきたガングが先輩もろとも私にがばりと抱きついてきた。


「ぐへっ!」


「会いたかったゼ〜〜〜!こうして現実で会うのは初めてだナ!」


「え、え、何でここに……」


「お!ライラもいるじゃないか〜〜〜!」


「何でこんな所にいるのよ………」


「ちょ、ちょっと!馴れ馴れしくっ……」


「お前は現実で見ても子供みたいだな!でもこっちの方がカワイく見えるぞ〜〜〜!」


「余計なお世話よっ!」


 ガングニールに頭をぐりぐりとされているジュディ先輩──いやでも、本当にどうして?混乱しているとガングニールが走ってきた廊下から声をかける人が現れた。


「ガングニール、病院の中ではしゃぐな」


 ホシさんだ。それから車椅子に乗ったリッツさん、普段と変わらない様子で微笑んでいた。そしてその傍らには可愛らしい男の子も。

 色んな衝撃に見舞われた私は一言。


「………リッツさん、お子さんがいたんですね」


「ヒイラギが父親?」


「違うから!」

「違うから!」


 二人仲良くジュディ先輩に突っ込みを入れている、その様子を見て私は胸を撫で下ろした。思っていたよりリッツさんが元気そうにしていたからだ。

 場所を待ち合いロビーから外のベンチに移動した、肌寒くなってきたけどリッツさんが外に出たいと言ってきたからだ。


「入院中ってほんとやる事なくてさ〜」


「体の具合はどうなのよ?」


「う〜ん……ちょっと入院が長引きそうだけど、何ともないよ」


 そう言うリッツさんの顔に翳りが生まれた、傍らに座っているホシさんも目を伏せている。さすがに額面通りに言葉を受け止めることはできなかった。

 けれど、何というか...


「……何か、あの二人距離が近くない?」


 こっそりとライラが私に耳打ちをしてきた。


「……うん、私もそう思う」


 入院している人にこんな言い方は不謹慎だけど、ホシさんに寄り添われたリッツさんはどこか幸せそうにしていた。

 

(というか普通の家族に見える)


 ガングニールに...だ、だんたおりん?人懐っこい姉に人見知りする弟って感じ、その男の子はずっとホシさんに引っ付いて一言も口を開こうとしない。

 いくらか明るい顔をしたリッツさんがセントエルモの状況を尋ねてきた。パイロット班である私と、探査艇班のジュディ先輩からそれぞれ伝えると、


「頑張ってるね〜それでライラちゃんは仲間外れにされて拗ねてるんだ?」


「………私のことはどうでも良いんですよ」


「だって顔に書いてあるし、初めて私に話しかけてきた時もそんな─「ああ!ああ!その話はもういいですから!」


 他愛のない話に花を咲かせ、そろそろお暇しようとした時、リッツさんが私たちを励ましてくれた。


「私はこんな風になっちゃったけど、セントエルモのことを応援してるからね!ちゃんと卵を取って解明してね!」


「あったり前よ、任せておきなさい」


 外のベンチでそのまま別れ、こっそりと私たちに付いてきたガングニールがホシさんに首根っこを掴まれ引きずられていったりと、賑やかしくお見舞いを終えて病院を後にした。



✳︎



 さて、ここからが本題である。思っていたより元気そうにかつ幸せそうにしていたリッツさんには悪いけど、私はそれどころではなかった。

 この後、私の家に招待する流れになっていた。

 そう、ついに痺れを切らしたパパたちが「このまま会わせてくれないのならこっちから直接出向く!」と強硬手段に訴えかけてきたのだ。

 (私は決してそんな事ないと思うけど多数決に負けてしまったので仕方がなく譲った)運転席にナディが座り、私の自宅へ行ってもらうようお願いした。


「何かあるの?」


「いえ、ちょっと……」


「ああ、ご両親に挨拶するのはいつの時代になっても筋だからね」


「違いますから!」

「え、それどういう意味なんですか?」


 ...後にして思えば、この時の突っ込みの()()にいち早く気付くべきだった。



 到着した我が家、駐車場前の扉が開いたそばから二人が「自動で開くんだ!」とか「そういえばライラの家ってヤバかったの忘れてた!」とか今さらように騒ぎ、ナディが難なく車を停車したそばから家の勝手口が開いて二人が出てきた。

  

「あれがあんたの両親?なんかすっごい険しい顔してるけど」


「そうです、あれです」


「え〜〜〜………本当に会うだけだよね?何か怖くなってきたんだけど」


「そりゃ自分の人生が決まろうってんだからビビるのも当然─「先輩は静かにしていてください!」


 何なのさっきから、何でそう僻みを言ってくるのか。

 私が先に降りて二人の傍へ駆け寄る、最後の駄目出しと言わんばかりに強く念押しした。


「喧嘩は無しだからね!怒ったら承知しないからね!」


「ようやく連れて来てくれたのか、はてさて一体どんな大切な人なのか……パパもママも興味津々だよ」


「まあ!お友達も一人連れて来たのね!おもてなししなくちゃ!」


「ママ!今はそんな事より──」


 あの事件の直後、ママはとても憔悴していたけど今は元気である。私が人を連れて来たのがそんなに嬉しいのか目を輝かせている。


(別に友達がいなかったわけじゃ……)


 二人を置いて車に戻り、まるで小動物のように縮こまっていたナディと小動物そのもののジュディ先輩を案内してあげた。

 車から降りてナディとジュディ先輩がぺこりと挨拶をすると、パパとママが何故だかピタッと固まってしまった。


「……………」

「……………」


「え、えーと………」


 二人の視線はナディに向けられている、小さく口を開けて驚いているように見える。凝視されているナディはしどろもどろになっていた。


「ちょちょ、どうしたの?今日会うのが初めてじゃないよね?」


 軍の船の中でも一緒だったはずだ。


「──ああ、いや、遠くから見ただけで……ああ!すまない!家に入ってくれ、歓迎するよ!」


 我を取り戻したパパが慌てて二人を招き入れ、ママも慌てた様子で先に家の中へ戻っていった。

 ジュディ先輩はちょっと間席を外してもらうことにして、後でうんと相手をしてあげますからと言うと「子供扱いすんな!」と返してからそっと体を寄せてきた。


「……何かあったの?さっきは様子が変だったけど……」


「……さあ、私にも分かりません……」


 勝手口から家に入り私たちはリビングへ、ジュディ先輩は二階のリビングへ行ってもらうことにした。「二階にもリビングがあるのかよ」と恨めしそうに言いながら階段へと向かっていった。

 リビングにはママが用意したティーセットが並べられ、パパとナディが斜向かいに腰を下ろし私とママはそれぞれの隣に並んだ。

 微妙な空気の下、パパたちからしつこく要請があった"話し合い"が幕を開けた。


「まずは家に来てくれてありがとう、急な話で驚いていると思うけどまずは寛いでほしい」


(パパめっちゃ本気……マジの話し合いだこれ)


「は、はあ………ありがとうございます」


 対するナディは獰猛な肉食獣を前にした草食動物のよう、今にも逃げ出しそうな雰囲気があった。

 話し合いの前にと、パパとママが目配せをしてからこんな事を尋ねてきた。


「あー……その前にいいかな、君に姉妹はいる?」


「──え?あ、はい、妹が一人いますけど……」


「妹だけ?お姉さんとかは?」


「いませんけど──」


 どうしてそんな事を訊くのか。続けられたママの質問にナディの雰囲気が一変した。


「あなたにね、良く似ている子を知っているのよ。その子の名前はスルーズっていうんだけど、あなたは─「知りません」


「…………」


「…………」


「……ナディ?」


「ほ、本当に……?目の色は違うけどあなたにそっくりなのよ、背丈が違うだけで……てっきりあの子の妹なのかと思ったんだけど……」


「知りません。私はその人の妹でも知り合いでもありません」


「ちょ、ちょっと待っててね!」


 急に頑なな態度を取ったナディ、私もパパも面食らってしまった。けれどママだけは弾かれたように動き出し、ほんの少ししてから何かを持って戻ってきた。


「これ!これはあの子が忘れていった物なのよ!見覚えは……?」


「……ありません」


「そ、そう………本当に違うのね……」


 ママが持って来たのは木製の剣のような物だった。柄の部分が黒ずんでおり使い込まれているのが一目で分かる、刃の部分に何か紋様が彫られているようだけど良く見えなかった。

 けれど私は見逃さなかった、木製の剣を見た時にナディが少しだけ目を見開いたことに。


(誰……誰?スルーズって……絶対に知っている名前だよね……)


 今さらこんな事で嫉妬したりしない、でも、ナディが何かしらの事情を抱えているのはすぐに分かった。私が分かったんだ、パパもママもナディの事に勘付いたはずだ。


「すまなかった、他人の空似のようだ。でだ、ここから本題に入るけどいいかな?」


 パパがあっさりと話を切り上げ、そしてナディはまた頑なな態度から草食動物のそれへと変わっていた。しかしほんの少しだけ雰囲気が変わっている、明らかに()()の色があった。


「………何でしょうか」


「君はライラの事をどう思っているんだい?」


「──────え?」


 パパの質問が意外だったのか、今度はナディが口をぽかんと開けて呆けている。


「私たちの可愛い娘なんだ、君と一体どういう付き合いをしているのか是非とも訊きたくてね、だからこうして家に来てもらったんだ」


「………え、その、ただの友達、なんですけど………」


「え?」


 今度は私が呆ける番だった。

 ともだち──トモダチ──友達?私とナディが...ただの友達?え、そんなはずは──あんな熱い抱擁をしたのに?私に好きって言ってもらえたことをあんなに喜んでいたのに?え、待って待って待って待って普通の友達ってここまで深い間柄になるものなの?

 口がパクパク動くだけで二人の会話に割って入ることができない。


「そうかそうか、いやすまないね、そういう経緯があったとは知らなかったからものだから。そうかそうか、君はそこまで娘のことを思ってくれているのか」


「えーと、はい、私がちょっと酷い事をしてしまったのであの時は……」


「いやいやいいんだ、ライラも君ももう大人なんだから深くまで訊いたりはしないよ、ね?ママも十分だね」


(友達………友達……なんだ……ただの友達……)


 やはり私のママである。胸中が大混乱中の私を見抜いて話を振ってきた。


「ライラはそう思ってはいないみたいだけど、本当にただの友達なの?」


「え?」


「………………」


 ナディが驚いたように目を丸くし...そしてそれが何よりの答えだと知った私は項垂れてしまった。



✳︎



(可哀想に)


 暇だったので螺旋階段の手前からこっそりと聞き耳を立てていた。

 

(ありゃライラから逃げたとかじゃなくて本気で友達と思ってたのね〜)


 リビングにあったお菓子をポリポリ食べながら様子を窺う。ライラも「はあ」とか「そんな感じ」と言った具合に適当に返事を返している、対照的なのはライラ父である、最初は険しい顔つきをしていたのに今はニンマリと嬉しそうである。


(私もいつかあんな風に誰かを紹介する時が来るのかしら……)


 リビングではナディの話からセントエルモに変わっており、いくらか出資することが決まっているコールダー家も動向が気になるようだった。


「へえ〜それじゃあ君がパイロットを?」


「はい、予定していた人が今のままではマズいってなりまして、急きょ私と同い年の友達が選ばれることになりました」


「怖くはないの?そんな深い所に潜るんでしょう?」


「う〜ん……怖くないと言えば嘘になりますけど、もう一度深海の世界に行きたいと思っていましたので。まあ、チームの責任者はあんまり良く思っていないみたいですけど」


「そりゃそうだ、未成年にそんな大任を任せなければならないんだ、それに心配で堪らないはずだよ」


「もしあなたがその深い所に潜ったら世界初の偉業を達成することになるわね!良ければ家でお祝いをしましょう!ね?ライラもそれでいいわよね?」


「……え?ああ、うんまあ……」


「探査艇の方はどうなっているんだい?そんな偉業を達成するんだ、よっぽど立派な物なんだろう?」


 隠れていた事も忘れて私が名乗りを上げた。


「当たり前じゃない!何せこの私とウッズホールの伝説が作るんだから!」


「っ!」


「──ああ!忘れていたよ!君もこっちに降りて来なさい!ライラが珍しく二人も──そう!二人も友達を連れて来たんだから!」


 ライラ父がそう声をかけてくれたけど、目の色を変えて追いかけてきたその娘から逃げ回る羽目になってしまった。後ろから「盗み聞きだなんて!」と恨みがこもった声がして「これでおあいこよ!」と言い返すが、あえなく御用となった私はライラから八つ当たりに近い仕返しを喰らうのであった。

※次回 2022/5/14 20:00 更新予定

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