第41話
.漸深層
心から楽しめたパーティーの翌る日、まるでバランスを取るかのような事が起こった。
"良い"と"悪い"は必ず巡ってくるものだと、決して短くはない人生の中でそれを知っていたのに再認識させられてしまうような事が起こった。
ヒルナンデス大統領から呼び出しを受けてしまったのだ。
「リーねえ……大丈夫、リーねえの分まで私が稼ぐから」
妹の的外れな声援を受けて家を後にする、まだ有休消化中の身だ、それなのに緊急の呼び出しをするというのは決して良い話ではない──かもしれない。
けれど、電話で話した大統領の声はとても頑なだった、あの陽気な大統領がだ。
(ええー何かやったかな私……せめて用件を伝えてくれたら……)
気もそぞろでやって来た国会議事堂、各省庁のシンボルが刺繍された絨毯を渡って大統領行政エリアに足を踏み入れた。
これこれ何用ですと受付けの人に伝え、大統領が待つ執務室に案内してもらった。こういった担当は基本女性がやるものだと思っていたけど、私の前を歩いているのはボディービルダーのように筋骨隆々とした男性だった。
無言のまま案内され、緊張感がピークに達した時執務室に着いた。何も言わずに去る男性、ええいままよと扉をノックするとすぐに返事があった。
「入りたまえ」
「し、失礼します……」
室内に入ると冷んやりとした風が襲ってきた、もう秋だというのにこの冷房、大統領はどうやら暑がりの人らしい。
当の本人は室内に置かれたテレビに視線を送っていた、私もちらりと見やれば移籍したばかりの選手が打ったホームランのハイライトが流されていた。
「そこに座ってくれ」
「は、はい」
促されるままソファに腰を下ろす、ここまで大統領は私の顔を見ようともしない。
テレビの電源を落とし、大統領が手にタブレットを持って私の前に腰を下ろした。
ここに来てようやくヒルナンデス大統領が私の顔を見た、その目はとても険しい。
「リッツ、私は今とても悲しんでいる、何故だか分かるかい?有休消化中の君をわざわざ呼び出す程だ、その程度が分かってもらえたらこれからの話し合いもいくらかマシになるだろう」
「………………」
「リッツ、私の目を見なさい」
「は、はい………」
ええーーーっ………何かした私?経歴詐称?いやいや、履歴書に不備があった?いやいやちゃんと大真面目に書いた、じゃあ一体何をそんなに怒っているのかさっぱり分からない。
大統領がタブレットの電源を入れて私に手渡してきた。
「今日、部下からこれは何だとしつこく問い質されてしまってね、勿論私は知らなかったから分からないと返答したさ、それでも彼は納得してくれなかったよ、だから君を呼んだんだ」
「………………」
タブレットにはしっかりと作り込まれたクラウドファンディングのホームページが、そしてそのチーム責任者の名前に私のものがあった。見出しはこう「一二〇〇〇メートル、前人未到の地へ!」大変分かりやすい。
(あっーーー!!これカマリイちゃんに頼んでやつっ!!)
凄いくないあの子?いやいやそこに感動している場合じゃない!大統領はこれに怒っているんだ!
「いやちょ!あのですね大統領!これには訳がありまして!」
「それを訊きたかったんだ──」
大統領の顔色もピーク...どこかで聞いたことがあるような台詞を言いながら、
「こんな……こんな事……こんな面白そうな事を何故我々に黙っていたんだリッツ!!水くさいじゃないか!!」
「────あ、んぇ?あ、大統領?怒っているんじゃ……」
険しい顔から一転、破顔一笑させながらこう言った。
「そりゃ怒るさ!こんな面白そうな事を我々に黙っていたんだから!一二〇〇〇メートル?!前人未到の挑戦?!良いじゃないか私はこういうのを待っていたんだよ!」
「え、あ、そうっスか……」
「リッツ、これは命令だ、我々行政室も一枚噛ませろ、いいや噛ませてくれ!いやいやもう君は行政室の一員なんだから噛むのは当然だ!」
「噛むって────協力してくれるんスか?」
「勿論だ!スタンドに入ったボールをあれはホームランなのか?と聞く奴はいないだろう?!」
「マジっスか?!協力してくれるんスか?!」
「そうとも!部下もこんな面白いイベントに参加できないのなら今すぐ行政室を辞めてやると怒ってきたんだから!怒られる私の身にもなってくれ!」
「マジっスか!!ピメリアさんも喜びますよっ!!いやーヒルナンデス大統領も分かってまスねえ〜〜〜!!──あ、すんません……」
テンションが上がり過ぎてつい大統領の肩を無遠慮にバシバシ叩いてしまった、本人は全く気にした様子はない。
「いいかリッツ、人類が過去に到達できた最大深度は一〇九二七メートルなんだ!それを君たちのチームが越えようというんだ!これは全人類にとっての挑戦でもある!それを国が応援しないというのは国民に対する裏切りに──」
「いやもうそういうのは良いので具体的に私たちはどうするんスか?資金の方はクラファンとスポンサーで当たりは付けています、それからチームのメンバーも集まりつつありまスよ?」
盛り上がり過ぎて大統領の話を遮った、それでも大統領は気にした様子を見せない。本当におおらかな人である。
「我々は広報に力を入れようと思う、それに国民に対して情報を発信していくのが行政室の役割だからね!それからカウネナナイにも連絡を入れて当日はその海域に近づかないよう言っておかなければならない」
「あ!それもそうか………ん?大統領は潜る目的を知っていたんスか?」
「勿論だ、保証局からの報告でウイルスを公の海域で発見したと報告をもらっていたんだ。ただ、その深度があまりに深いものでね、政府側では採取を一度断念している。だから君たちの挑戦が心から嬉しいのさ!」
「そういう事だったんスね!いやぁ〜呼び出さたれ時はどうなることかと……」
「些細なミスや犯罪を犯してしまうようなミスならいくらでも目を瞑るがね─「いやそりゃ駄目でしょ」─私たちを退け者にすることだけは許さない!良く覚えておくように!いいね?ここには君と同じお祭り好きが大勢いるんだから!」
「了解っス!」
「リッツ!悪いが有休消化を切り上げてくれ!今日からこっちに入って仕事をしてもらうぞ!」
「はい!」
こうして私は公の立場からピメリアさんたちを応援することになった。
これが転職して初めての仕事、言うことなしだった。
✳︎
「駄目だ、お前の参加は認めない」
「どうしてですか!私だって探査艇の経験はあるんですよ?!というかこの間の調査の時にも──」
「駄目なものは駄目!」
「ピメリアさん!ちゃんと説明してください!」
「駄目ったら駄目!」
「ピメリアさん!」
パーティーの翌日、私たちはグガランナさんが約束してくれた通り国立海洋研究所と呼ばれる場所に向かっていた。
休憩がてらに寄ったサービスエリア、キラの山も見たことだしさあ行こうと車に乗り込む直前だった。連合長がナディを呼び止めて何やら話をしていると思えば口喧嘩が始まっていた。
車内に乗り込んでいた私以外にはジュディさんやアキナミ、それからラハム、ドライバーのグガランナさんが二人の様子を見守っていた。
話から察するに連合長はナディがパイロットになることを反対しているらしい。
「あんなにやる気になってるナディってのも珍しいのに……」
知った風な口を利くアキナミがそうぽろっと呟いた。
「危険だからでしょ、超深海に潜るのが」
そりゃそうだ、帰ってこられる保証はどこにもない。聞けばチームへの参加は誓約書を提出することが義務付けられているらしい。その誓約書にははっきりと"命の保証は無い"と明記されているとのこと。そのチームに未成年であるナディを参加させるのはモラルとして反すると、大人的な立場から連合長が判断したのだ。
けれど、今日のナディはいつにも増して連合長に食ってかかっていた。
「昨日は何も言ってませんでしたよね?!私が参加したいって言っても!何で今さらそんなことを言うんですか!」
「昨日は酒の席だったからだ!何度も言うが潜った後はどうなるか分からないんだぞ!」
「誓約書を書けばいいんでしょ!それぐらい書きますよ!」
「書きぁ良いってもんじゃないんだよ!その誓約書は死んでも誰にも文句は言いませんってやつなんだよ!」
「死んだら文句なんか言えないでしょうが!」
「そういう意味じゃない!命を落としても自己責任という意味だ!」
「だからそれを納得した上で私は参加するって言ってるんですよ?!ピメリアさんにそれを拒否する権利なんかないでしょう!それが誓約書を提出するって事でしょう?!」
「……っ!!」
おお...あのナディが大の大人を言い負かしている...
このままでは埒が明かないと踏んだのか、ナディの絶対的味方であるアキナミが車から降りて二人の間に割って入った。
「連合長さん、ナディの参加を認めないんなら私も一緒に抜けますね」
「何ぃっ?!子供が喧嘩に口を挟むんじゃ──」
「今から代わりのパイロットが見つかるんですか?探査艇のパイロットってすっこぐ人数が少ないんですよね」
「……………」
「私はナディに付いて行っているだけですので。ラハムに付くパイロットが他にもいるんなら私たちはラハムの実家に行った後そのまま帰りますから」
「ぐぬぬぬっ……こまっしゃくれたことを言いやがって……」
ここでグガランナさんからの援護射撃、ものの見事に連合長が撃沈した。
「ピメリア!ここは一旦でもいいから彼女たちの参加を認めてくださいまし!今からパイロットを見つける時間的猶予はどこにもありませんよ!インストラクターとしての参加なら誓約書も必要ないでしょう!」
「──分かった、分かったよ!インストラクターだ・か・ら・な!セントエルモへの参加は絶対認めない!いいな?!」
「べえっーーー!!!!」
「──こんのくそガキぃっ!!何だその態度はっ?!」
お冠になった連合長がぶわんとナディへ腕を伸ばし、それを華麗に躱したナディがたたたと車に駆けてきた。まだ連合長は車に乗っていないのにぴしゃん!とドアまで閉めている。
「落ち着きなって」
「何なんですかほんと!腹が立つ!」
「どうどう、連合長さんの言う事も最もなんだから。とりあえずラハムの実家に行こうよ、ね?」
「ふんっ!!」
(はーーー……ナディってマジギレするとあんなになるんだ……)
舌を突き出した顔は破壊力があった、あれが私に向けられなかったことに対して嫉妬しているのは──まあ、今はよそう。
怒りすぎて無言になった連合長も車に乗り込み、ようやくマキナがいるエリアに向けて発進した。
◇
「よ、ようこそ!あ、あなたたちを、歓迎しゅるわ!」
「…………」
「…………」
「あらあら、随分な気合いの入りようですね」
「皆さんをお連れしました!」
「…………」
「…………」
「…………」
グガランナさんが運転するボックスカーが山を越え森を抜け、到着した研究所のエントランスでこの世の者とは思えない程可愛い子供が私たちを歓迎してくれた、その頭に花の冠を載せて。そして噛んだ。
あんなに怒って不機嫌だったナディがよろよろと一歩前に踏み出した、何をするのかと見守れば可愛いらしい子供──ティアマト・カマリイに抱きついていた。
「………可愛いっ!!」
そのティアマト・カマリイは顔を(><)にして強く抱きしめ返していた。
「──次私!私だからね!」
可愛い過ぎる。私だ!って言ってるのにカマリイを離そうとしないので二人まとめて抱きしめた。
「可愛いっ!!」
「あ、あなたがライラね!そしてこっちがな、ナディ?ス──」
「ナディ!私の名前はナディだよ!よろしくねカマリイちゃん!んっ〜〜〜!!」
「も、もう!止めなさい!頬擦りだなんてそんなっ………」
「ちょっと!後がつかえているのよ早くしなさい!」
「はぁ〜〜〜先輩を超える天使がこの世に存在しているなんて……」
「そんなお世辞はどうでも良いから!──あなたがカマリイね!腕は大丈夫なの?!この前ソファから落ちていたわよね?!」
カマリイが細くてぷにっぷにの腕を持ち上げて答えていた。
「だ、大丈夫よ、心配には及ばないわ。ほら、見てご覧なさいこの腕を。あなたがジュディスね、よ、よろし──」
あの先輩までもが「あーー!」と奇声を発しながら抱きついている、またカマリイは(><)にしてそれにも応えていた。
こういう時でもアキナミは騒がない、クールな奴だと視線を向けると──いや全然そうでもない、自分も構いたいのか目をキョロキョロとさせていた。そしてそれにカマリイが気付いて先輩を抱きしめながらも声をかけていた。
「あ、あなたがアキナミね、ほら、早くこっちにいらっしゃい」
「あ、うん……よ、よろしくね、カマリイちゃん」
「遠慮なんてしなくていいから、あ、あなたもぎゅっとしてあげるわ」
あーーー!いや何あの生き物、何でそう上から目線なの?まるで自分が母親だと言わんばかり。体格と内面がまるで合っていない、けれどそれがギャップとなってとんでもない破壊力を持ち合わせていた。
挙げ句に後ろの方に立っていた連合長にも声をかけていた。
「ピメリア、あなたがピメリアね。あの時のあのお説教は今でも覚えているわ」
「………何か言ったか?」
「ええ、どんな些細な事でも言葉を交わして信頼を築くと、ピメリアの言葉よ。ほら、あなたも」
とてとて歩き、あの連合長にすら顔を(><)にして抱きしめていた。
ブロークンハート、いやキャッチザハート、私たちは一瞬でカマリイの虜になってしまった。
✳︎
(あんなに怒ってたくせに……って思うのはさすがに私が大人気ないのか……)
確かにここは素晴らしい所なんだろう、一面ガラス張りの外は海が広がっている。ここまで大パノラマに展開する水族館もありはしない。
無数の魚、それからびっしりと群生している珊瑚礁は見栄えもするだろう。けれど私の心はあいつの怒った顔に奪われたままだった。
それだというのに本人はまあ──
「こら!走り回ったら危ないでしょう!」
ちっこいカマリイが二人を追いかけている、ナディとライラだ。二人は競い合うようにして水族館内をさっきから縦横無尽に走り回っていた。
私もグガランナたちが日頃過ごしているスペースを見せてもらった、確かにあれは便利なものだ。
ガラス張りの近くに置かれたソファルームが対談用のスペースらしい、水族館内は円形をしておりマキナたちのスペースはその中央にあった。
ぐるりと走って来た二人がまたスペースへと入っていく、その後をかなり遅れてやって来たカマリイもぜいぜい言いながら入っていった。それに代わるようにして、一応年長者であるジュディスがひょっこりと出てきた。
「もう満足したのか?」
「え、はい、あそこはヤバいですよ……ふぅ……」
「満足そうだな」
「いえ、別に、私ははしゃいだりしてませんよ」
「今さらじゃないのかそれ」
「うぐっ」
澄ました顔をしているがツヤツヤとしている、ジュディスもあのスペースで堪能してきたのだろう。
ラハムとグガランナは席を外している、マテリアルの調整だと言って中央にあるスペースのさらに奥へと入っていった。
グガランナが出してくれた飲み物で喉を潤した後、ジュディスが少しだけ声を潜めて話しかけてきた。
「連合長、ここはヤバいですよ、本当に」
「それはさっきも聞いたぞ。どうヤバいんだ?」
「技術力がおかしい、このエリアだけ向こう何十年先をいっています」
「……お前もそう思うか」
「はい、ボタン一つで食べ物から飲み物、何でも出てくる。まるで映画の中のようですよ」
「そんな奴らでも深海を知らないってんだから相当ヤバい所なんだろうな。なあジュディス、私の判断は間違っていたと思うか?」
主語はなかったが難なく伝わった。
「ナディのことですよね、いいえ、私も連合長の方が正しいと思いますよ、あいつが意固地になっているだけです」
でもまあ、と言葉を挟んでから、
「あいつがあそこまでやる気になっているのは珍しいことです、その理由を訊いてみてもいいんじゃないですか?カマリイに言ったんでしょ?どんな些細な事でも信頼に繋がるって」
「……………」
「どっちも一方的なんですよ、そりゃ喧嘩にもなりますよ」
「手厳しいな、お前は」
「あいつに慕われるまで周りは全員敵だと思ってましたから、言う時は遠慮なく言うようにしてるんです」
「そうか……」
こいつも色々あったんだろう、物憂げに視線を下げながらもう一度カップに口をつけている。私は何も言わず、ジュディスに倣ってカップを手にした。
またあの二人がスペースから出て来た、今度はカマリイと手を繋ぎながらゆっくりと歩いている。こっち側ではなく、反対側の方へ歩きながらガラス張りの外に視線をやっていた。その後を続くようにしてグガランナも顔を出した、その視線は妬ましそうにナディたちへ向けられていた。
(あいつもほんと人間臭いな、混ざりたかったら言えやいいのに)
そのグガランナが二人だけの車座に加わった、ラハムと一緒に自分自身も調整をしていたらしい。
「遅くなりました。ラハムの調整が終わり次第セントエルモの作戦会議といきましょうか」
「会議の前に一ついいか?お前の言う調整ってのは何なんだ?」
「それ、私も訊きたいですね」
ジュディスの合いの手を受けてグガランナが嬉しそうに微笑んだ。
「構いませんよ。調整というのはあなた方で言うところの体、マキナで言えばマテリアルの事です」
「自分の体を調整するっていうことなのか?」
「車検みたいなもん?」
その例えはどうなんだと突っ込むと、ジュディスが顔を赤らめながら似たようなもんでしょと言い返してきた。
「ふふふ、当たらずも遠からずと言ったところでしょうか。他にも私たちにはエモート・コアと呼ばれるものが存在しています」
「………感情、精神とか……そういった意味合いの?──ああ、心のことですか?」
「その通りです、私たちマキナはこのマテリアルとエモートの二つがあって現界することができます。本来私たちマキナはサーバー内にいることが常なのですが、このマテリアルにエモートを移すことによって現実の世界に介入することができるのです」
「自分の魂を行ったり来たりさせることができるのか………そりゃとんでもないな」
「そういう解釈なんですか?心臓を取ったり付けたりすることではなくて?」
「ん?何が違うんだ、似たようなもんだろ。ま、ここはグガランナ先生に訊くのが一番だな」
先生と呼ばれたグガランナはさらに嬉しそうにニンマリとしている。
「お二人の解釈はどちらとも合っていますよ。マテリアルが心臓、エモートが心、あるいは魂と呼ばれる概念に近いかと。そしてそのどちらも本体があるのです」
「んんん?」
「本体?どういう事?」
「それぞれコアと名付けられたマキナ専用のマテリアルとエモートがあるのです。オリジナル・マテリアル、それからエモート・コア。ここに来る途中にあったあのフロア、あそこに私たちのコアが収められています」
「……ああ、あの素通りした所か」
「んんん?マテリアルとエモートと……そしてコアと………じゃあ何か、今のグガランナさんは本当の姿では──ない?ってことよね」
「良くお分かりになりましたね、確かにこの姿は人の形を取っただけで本来の私ではありません」
「どんな姿なんだ?」
ぞわっとした。
「それは秘密です、おいそれと口にできるものではありません」
「…………あ、ああ、そうだな」
「──ああ、グガランナさんのマテリアルは取っ替え引っ換えができる、心の本体とやらもコアの中にある……ってことですよね?」
「ジュディスはとても賢いようですね。だからこそ、我々マキナの方が次の作戦に適任だと言えるのです。つまり──」
「──死ぬことがない?」
「はい、我々マキナに死という概念は適用されません。だからこそ長い時の間を存在し続けていたのです」
「そんな奴らでも深海の世界は知らないってんだから……」
「ええ、私があの時ピメリアを罵倒した気持ちが分かりましたか?」
「……良く分かったよ」
何故だか、グガランナと目を合わせるのがとても怖かった。
◇
さっきのグガランナの様子は気のせいか、そうかな?と顔色を窺っている時、カマリイがよたよた歩きでスペースから出てきた。
「ひ、人の子はぁ……げ、元気が、あって……た、大変、よろ、よろしいぃ……」
「おいおい大丈夫か?」
「へ、平気よ……」と言いつつ、ソファまであと少しというところでその場にぺたんと座り込んでしまった。
「ティアマト、疲れているところ申し訳ないけど本題に入りましょう。例のプランを彼女たちに見せてくださいまし」
「鬼か」
すっかり打ち解けたジュディスが物怖じせず突っ込みを入れている。
「そ、な、何のこれしき……」
頭に乗せてあった花の冠もよれよれだ、あの二人に連れ回されてくたびれたようだ。
生まれたての小鹿のように立ったかと思えばまたしてもその場でへにゃついていた、見ていられなかったのかジュディスがカマリイを介抱している。
「ほら、手を貸してあげるから。そんなになるまで付き合わなくてもいいのよ?私の方からきつぅくお灸を据えてあげよっか?」
「こ、子供たちの前で、は、恥はかけないわ……あなたも、優しくて、り、立派なのね……」
(どっからどう見てもお前の方が子供だけどな)
ジュディスもカマリイの虜らしい、手を戦慄かせながら二人が遊び回っているスペースへ突撃していった。あんなにへにゃへにゃになっているのにカマリイが「け、喧嘩はよしなさい!」とまた走っていった。
このままでは話が進まない、グガランナを促して私たちもスペースへ足を踏み入れると、
「あらあらまあ……」
「はあ……」
もうそこはぬいぐるみと食べ物の遊園地、と言えばいいのか、とにかくしっちゃかめっちゃかになっていた。
怒りにいったはずのジュディスも、ナディやライラと肩を並べてカマリイが持つタブレットの画面を覗き込んでいた。そのカマリイはライラの膝の上に座っている、あれだけ疲れていたはずなのに本人もご満悦そうだった。
「これカマリイが作ったの?」
「……ええそうよ、これは採取したノヴァウイルスの生態から着想を得て作った自動修復型耐圧殻。二枚貝が持つ炭酸カルシウムとその接着を果たす複合タンパク質のコンキオリンから──」
「カマリイちゃーん、そういう難しい話じゃなくてさー」
「そう?じゃあどんな話をすればいいのかしら、ナディはどんな話をすれば喜んでくれるの?」
これじゃあ話し合いが進まない。
こういう嫌な役目は私がすべきだと思って声を張り上げた。
「──いい加減にしろ!会議ができないだろ!」
三人──いやカマリイまでもがしゅんとしていた。
✳︎
「あーめんどくさーい、めんどくさいめんどくさいなー、誰か私の代わりに行ってくれないかなー」
この間はあんな危険な目に遭ったというのにさ、もうちょっと私にも気を遣ってくれてもいいんじゃないの?
もうそろそろ客人たちが到着する頃合いだ、開け放った窓から怠惰な風が入り込み、私からやる気という名のエネルギーを奪っていく。
というかだよ、どうしてガルディアと敵対している私たちにグレムリン侯爵がやってくるの?マジで意味分かんないんだけど。でも来るからには相手をしなければならない。面倒臭い。
(どうせ金寄越せだの便宜を図ってやるだのと言われるんでしょうよ。好きにすればいい!私はただの町娘!そう!今からただの町娘になってやるんだから!)
いやそもそもそういう設定のはずなんだけどどうしてこうなった。
部屋の扉が控えめにノックされ、私はベッドに寝転んだまま「どうぞ〜」と返事をする。入ってきたのは、朝起きてから夜眠るまで真面目であり続ける私の天敵のような近衛長だった。
「ナディ様………早く支度をしてください!もうお見えになる時間ですよ!」
「知らない、適当に相手しといて」
「……………」
軽装鎧の音を鳴らしながら部屋に入ってくる、どうせ連れて行かれるんだろうと思っているとやっぱり連れて行かれそうになった。
「──ナディ様!その足は飾りですか!自分の足で立ってください!」
「このまま衣装チェンジもよろしく」
「ナディ様っ!!」
◇
「ご機嫌ようグレムリン様、このような所に足を運んでいただき大変恐縮です。前もってご連絡くださればおもてなしもできたのですが……」
やんわり放った皮肉にもグレムリンは動じない。
「おお……あのカウネナナイが生んだ秘宝とされるヨルン・カルティアンの美貌をここまで……今日も大変お美しいですぞ、足を舐めさせていただきたいぐらいだ」
(私の母親じゃないんだけどな)
ルカナウア・カイの外れにある私の館に変態侯爵ことグレムリンが側近を連れて本当にやって来た。連絡が来たのは今朝方、急な来訪だった。
年がら年中ルカナウアに篭って人形を愛でていると噂されているこの侯爵が王都にまで足を運んでいるのだ、何かあったと見て間違いない。
変態発言は聞かなかったことにしてこっちから切り出した。
「それで御用向きはなんでございましょうか?」
「ふむ……こんな街の外れにある館まで歩くのにちと疲れてしまってな。いやはや、王城からこの距離は老骨には堪える、休める場所に案内してくれたら──いやいや、君の寝室にとまでは言わぬから……」
まあ華麗に皮肉を返してくれちゃって。
グレムリンを客室に案内し、雇いの手伝いたちに飲み物の配膳をお願いした。カルティアン家に未だ残ってくれているのは天敵近衛長のナターリアと他数名程だ、それ以外の者たちは全員他所の貴族へ鞍替えをしていた。
飲み物が運ばれ、本当に疲れていたらしいグレムリンが喉を潤すまで私たちは無言で過ごした。一息吐いた彼が前口上もなく口火を切った。
「カルティアン当主よ、君が持つハフアモアを全てこちらに渡してほしい。そちらの言い値で買い取らせてもらう」
「理由をお尋ねしても?」
「カウネナナイの飽くなき探究心ゆえ、とだけ申しておこう。何、他所の連中と違って無駄にばら撒いたりはせんさ」
「失礼ながら、ハフアモアを管理しているのは公爵ですのでそちらに問い合わせてください」
「────そういう事か。君がナイトかね、先の一件ではしてやられたよ」
「さて、何のことでございましょうか。私は王位争いに敗れたただの町娘ですので」
分厚い生地のローブの裾を捲り、グレムリンが出された菓子の一つを遠慮なく摘んでいる。音を立てずに咀嚼してから続きを話した。
「まあ良いさ、盤面を見誤ったのは私の落ち度だ。では、デューク公爵に話を付けてくれるかな、これでも急いでおるのでな、他の連中に買われる前に回収せねばならん」
「──星人様のお恵みだと信じられていたあのハフアモアが、人の子に牙を向いた話はもう既にご存知なのでしょう?それでもなお欲すると申しますか」
「はっ、そういった宗教的な概念は生憎と持ち合わせておらんよ」
「…………ハフアモアがこの国を堕落させつつあるのもご存知のはず、」
グレムリンが私の話を遮ってきた。
「それを分かってなおジュヴキャッチを支援していたのは君だろう?ナディ・ゼー・カルティアン、ここで王位に返り咲くための足がかりが得られるというのに何故躊躇う」
「あなたがくれと言うからですよ。ここを訪ねたのが他の貴族であれば私もノエールも喜んで手放していたことでしょう。もう一度お尋ねしますがその探究心とやらは何なのでしょうか?この質問は個人的なものだと捉えてください」
「公爵と手を切れるかね、私の下に付くなら答えよう」
「切るも何も公爵はこの国を憂いている人物の一人です、そのような言い方は国王であるガルディアの顔に泥を塗ることかと、」
またしてもグレムリンが私の話を遮ってきた。
「そういう事ではない。良いか?私が言いたいのは国家経済の話ではなく盤面上の事だ。奴は何故あそこまでしてこの国をコントロールしようとしているのか、考えた事はあるか?私利私欲の為なら頷ける、しかし奴はそうではない、まるでバランスを取るかのような立ち回りをしておるではないか。私から言わせてみれば私欲を果たせぬのに動き続けるのは機械のそれと変わりはせん」
「──彼が禁じられたマキナであると、そう言いたいのですか?」
マキナ。あるいは機械生命体。この世界の遥かな昔から私たち人を支配し続けていた存在、その存在から星人様が私たちを救ってくれたとされている。
「調査府の情報によればウルフラグでマキナが確認されたらしい、それも複数体だ」
「……っ!」
「カルティアンよ、我々は知らぬ間にもう囲われておるやもしれんぞ。で、どうするかね、私にハフアモアを譲ってくれるのかね」
「めん─「んむ?」─いいえ、ノエールと話をしましょう、返事はまた後日になりますが」
「すぐにはできんか?」
「公爵に知られても良いのなら今日中に話は付けられるかと思いますが……」
「──なら良い。ではここで小話を一つ、国王からは口外するなと言われておるが、何、私の独り言なら罰せられることもないだろうさ」
「…………」
「ハフアモアを欲しがるのには理由があってな、先日ウルフラグの船が渡った航路の途中に新しいのを発見したんだ。だがその深度が既存の探査艇では潜航不能という結論に至ったために、かねてから立案されていた新型艦の製造に着手することになった」
「信じられない……まだ欲するというのですか」
「毒も少量であれば薬になる。ま、そういう事だから君が持つ卵を欲したというわけだ。私の独り言に付き合ってくれて感謝しよう、何なら私の独りの夜に付き合って、」
今度は私が話を遮った。
「それでは、ノエールから返事が届き次第そちらに便りを送ります。道中お気をつけて」
隙あらば変態発言をかます変態侯爵だが、他の貴族と違って彼には気前の良さがあった。
「お気遣い感謝する、それではな。この菓子は美味だったぞ、また食べに来よう」
そう挨拶をするグレムリンの顔は近所のおっちゃんと何ら変わりがなかった。
✳︎
[お前さんらに勘というものはあるのか?]
カマリイの説明の下、新型探査艇についてある程度話し合いが終わった後、港で早速作業に取り掛かっていたゴーダらとオンライン会議を始めて開口一番に言われた言葉だった。
新型探査艇に搭載する技術の説明を続けていたカマリイはお眠りタイム中、ライラの胸に頭を預けてすやすやと寝息を立てていた。
ゴーダに返事を返したのはグガランナだった。
「勘、と仰いますと?」
[根拠のない自信だ。お前さんらがパイロットを務めれば確かに休憩スペースを設けなくて良いし、ピメリアの話を鵜呑みにすれば命の危険も無い。だが、深海の世界では勘がものを言う]
「勘………勘ですか………」
グガランナたちの話はゴーダにも伝えていた。マテリアルにエモート、もし潜航中に重大な事故に見舞われてもマキナであれば生還することができる...これでパイロットは決まったようなものだと勝手にたかを括っていたのだがゴーダの意見は違ったようだ。
画面の向こうにいるゴーダがいきなり握り拳を作った両手を見せてきた。
[このどちらかにボルトが入っている。お前さんはどっちだと思う?]
「………………………………」
言われるがままにグガランナが画面を睨んでいる、適当に答えれば良いようなものだがずっと固まったままだ。
ふんと一つ、鼻息を鳴らしてからゴーダが当てっこゲームを切り上げた。
[駄目だな、話にならん]
「ちょ!ゴーダが勝手に始めたのでしょう?!もう少し時間があれば手の膨らみや指の関節具合から──」
[そんな時間は深海には無い!]
「おいおいゴーダ、ちょっと待ってくれよ、こんなゲームでグガランナたちを候補から外すのか?ちゃんと説明してくれ」
[ただ潜るだけならこいつらでもいいかもしれんが、ウイルスとやらを取ってくるのが目的なんだろ?その形や大きさは分かっているのか?]
「────ああ、そういう事か。失念していたよ……」
ゴーダの話を要約すると、深海の世界は全くの手付かずでその全容は殆ど分かっていない。数少ない資料や画像からお目当ての深海生物の調査として潜航しても、そもそもどこを泳いでいるのか分からないし、解明されていない生態に則り砂の中や岩場に隠れている場合がある。そういった時、つまり探し物をする時はパイロットや研究者の知識や経験、"勘"による判断が重要になってくるらしいのだ。
その勘がマキナ、言わんやグガランナたちに備わっているのかというと...微妙なところだった。
[勘に正解も不正解もない。ただ自信を持って当たり外れを引けば良い、それができるか?]
「当たりを引く自信は備えられますが、実際に当たりを引けるかは運次第でしょう?確かに結果と検証を積み重ねていけばあるいは──」
[ピメリア、グガランナたちがパイロットを務めることは賛成だが、人間が搭乗しない事には反対する。潜るだけ潜って何も得られないという結果に終わるぞ]
「ぐぬぬぬっ………う〜〜〜ん…………」
意外にも、ゴーダに反論したのはジュディスだった。
「別にぶっつけ本番じゃなくても良いんじゃないですか?無人探査機を使って事前にウイルスの形を調べておけば、グガランナさんたちでも潜航する事は可能でしょう?」
[そのウイルスが移動しないのであればな]
「うぐっ……そう言われてみれば……」
[だがお前さんの意見は良い。ピメリア、マイヤーが言った事は覚えておけよ]
「はいはい。で、その人間とやらは誰を乗せればいいんだ?深海探査の連中に声をかけてみるか?」
ゴーダにお褒めの言葉を頂戴したジュディスはにんまりとして嬉しそうだ。
[シュナイダーの坊主がいただろう。あいつは確か、過去に五八〇〇メートルの深海層に潜ったことがあるはずだが──]
「駄目だ、アーセットはその時の事故で耐圧殻に入れなくなっている」
[──そうだったな。となれば……ウイルスを見たことがある、それから探査艇に乗ったことがある奴となれば………]
首を捻りながら条件を挙げていたゴーダがはっとした顔になった。そして、話し合いに参加せずひたすらカマリイの頭を撫でていたナディがドヤ顔で手をゆっくりと、しかし真っ直ぐに上げていた。
「私です」
[…………グガランナたちを推薦していたお前さんの気持ちが良く分かったわい。これは事前調査を真剣に考えねばならんな─「何でですか!私がいるじゃないですか!」─未成年の子供には荷が重い、諦めろ]
まだまだナディの顔色は気になるが、それでも意見を曲げるつもりはなかった。
「言ったはずだぞナディ、インストラクターとしての参加しか認めないって」
「………ぺっ!」
小さく舌を突き出してそっぽを向いた。
(全くガキそのものだ────「うおっ?!」
バチン!と音がしたかと思えば、辺り一面が真っ暗闇になってしまった。
✳︎
「うおっ?!」
ピメリアさんが叫ぶ前か同時か、私たちがいたスペースが途端に真っ暗になってしまった。
「……停電?」
誰かがそう小さく呟いた、本当に真っ暗で何も見えない。食べ物がぽこぽこ出てくるフロアの入り口は薄らと明るい、しかし続けて何かがゆっくりと閉められていくシャッター音が届いてきた。
この事態に一番慌てていたのがグガランナさんとパワーアップした─らしい─ラハムだった。
「な!え?!どういう事なの?!どうして電力が──ティアマト!ティアマト!」
「任せてくだだだださい!ラハムがナディさんたちをお守りりりりりしますから!」
「落ち着けって!ただの停電だろ?」
ピメリアさんの顔がぼうと浮かび上がった、きっと携帯のライトを使っているのだろう。
「て、ててて停電なんて!今まで一度もなかったことなのに!!どうして急に!!早く何とかしないと海水が!!ガラスが割れてしまう!!」
「それなら大丈夫なんじゃないですか?さっきシャッターが閉じていく音がしましたけど……」
「ラハム!あなたは聞いた?!」
「きききき聞いてませんんっ!!それにガラスが割れるってどういう事なんでででですか?!」
「こういった不測の事態に備えてシャッターが閉じるようになっているの!けれど電力が来ていないのならっ!」
だから閉じる音が聞こえたって言ってるのに。
「そんなに慌てるような事なの?停電って別に珍しいことじゃないのに」
この声は分かる、ジュディ先輩だ。先輩もピメリアさんに倣って携帯のライトを点けている。
「おや、こんな海底に天使に似たお化けが……」
「逆光で怖く見えるって素直に言えないの?」
「天使って言ってもらえるだけ有り難いと思ってください」
「何であんたが上から目線なの?」
慌てふためく二人と違って私たちはのほほんとしている。
「な、なななんでそんなに平ぜぜぜぜんとしていられるのですか?!緊急事態なんですよ?!」
「いや別に……ラハムこそ慌て過ぎじゃないの?そのうち復旧するんでしょ?」
ラハムが次に言った言葉を聞いて私たちも悲鳴を上げることとなった。
「このエリアはそもそも停電しないようにシステムが組まれているんでででですっ!誰かがががが意図的に電力を落とした以外に考えられまままません!!つまり侵入者ですすすっ!!」
「ええーーー?!」
「ええーーー?!」
「ええーーー?!」
「う、うるはい……」
「──そういう事は早く言えっ!!おい皆んなっ──?!」
「うわっ?!」
「きゃあっ?!ちょ!もう!ナディ!胸触らないでよ!」
「触ってないよっ!それより今誰か通らなかった?!」
「絶対誰かいたぞ!私の携帯を取られた!今そっちに──ああ?!誰だこんな所に食べ物置いた奴!!」
「うるはい……ひずかに……」
「幽霊なんかいない幽霊なんかいない幽霊なんかいない幽霊なんかいない──ひっ?!」
「わはぁっ?!ナディさん?!どうしてこんな状況で胸を触ってくるのですか!!」
「だから私じゃないって言ってるでしょ!!スケベキャラにしないで!!」
「あーーー!私も触られた触られた胸無いのに触られたぁーーー!嫌ぁーーー!」
「おいグガランナ!こんな所にいても胸を触られるだけだ!配電盤まで案内しろ!」
「見えないのにどうやって案内しろって?!言っておくけど私たちもサーバーからログアウトさせられているのよ?!」
「勘だよ!さっきもゴーダが言っていただろ!」
「いやもう何か慣れてきた」
「だったらナディ!私と一緒に来なさい!ピメリアは皆んなを守って!年増の胸には興味が無いみたいだから!」
「ああっ?!言い方考えろっ!!」
「ナディ?!もうどれがナディの手か分からないわ!!」
「頑張って当ててください」
「そういうのはいらないから!あなたも手を伸ばしなさい!!」
「はぁっ?!頭掴まれた頭掴まれたぁー!」
「んむぅ……まだ……お乳は……出ないわ……」
「わっ?!もうびっくりしたそれ私の手だから!!」
「もう!もう!もう!ちょっとぐらい協力してよっ!何にも見えないのよっ?!」
「当たりー」
「ナディ!ようやく捕まえたわ!」
そのままぐいっと力強く引っ張られた。立った拍子に誰かの足を踏んづけてしまったけど誰も声を上げなかった。
(ん?)
最初は私もパニックになりかけたけど、こうも自分より騒がしい人たちを見ると却って落ち着いてしまうのは何故だろう。ちょっとは暗闇にも慣れてきたけど、ぼんやりと輪郭が分かるぐらいだった。そんな中、グガランナさんに手を引かれてエリアの入り口へと歩いく。
「あれ?配電盤があるのは──」
「しっ!今頑張って思い出しているところだから静かにしてっ!」
いつもは丁寧な口調のグガランナさんも、こういった事態に直面するとタメ口になるらしい。
色んな物を踏みつけながらエリアを出ると、ピメリアさんたちが話し合っていたソファ辺りがぼんやりと、停電してから一番強い明かりに照らされていた。目を凝らして見やればシャッターが少しだけ開いている、その明かりを頼りにゆっくりと歩みを進めていった。
「信じられない……一体誰がこんな事を……」
前を歩くグガランナさんがぶつくさと言う文句は、海中を漂う魚の群れと一緒に周囲へ散っていった。
ソファの前を横切った時にはもう、私の視線は海へと注がれていた。こっちにおいでよと海中を泳ぎ回る魚たちが誘っているよう、吸い寄せられるような感覚に囚われた。
「ナディ!何をやっているの!」
「──あ、うん」
もう少しだけ──いいや、私も彼処に行けばいいんだと思い直してグガランナさんに引っ張られるままついていった。
唯一の明かりから再び離れて暗闇の中へと入っていく、確かこの先はエレベーターしかなかったはず...文字通り手探りの状態で進んでいるが果たしてこっちにお目当ての場所はあるのだろうか?
「あの、グガランナさん?こっちってエレベーターしかありませんでしたよね」
「だから何?!館内図では確かこの辺りに電算室があったはずなのよ!」
「あ〜〜〜………それ下の階じゃないですか?」
「──え?」
「カマリイちゃんたちの部屋があるエリアに電算室があると思うんですけど……」
さっきまでいたパブリックスペースからさらに下の階へと降りられる、というかグガランナさんがラハムを連れて行った所だ。
「どうしてそう思うのよ?」
「機械系の部屋って一つにまとめた方が管理し易い……から、電算室だけ離れていると面倒臭いでしょ?」
「────それが勘ってやつなのね」
「あ、そうっすね」
じゃあ戻りましょう!と振り返った途端、
「なっ!」
「人!」
開いたシャッターから漏れ出る光りに照らされた人影があった。私たちの声に反応したのかぱっと消え失せて、少しだけ開いていたシャッターがゆっくりと閉じていく。
「なんかホラゲっぽい!」
「テンション上げてる場合じゃないでしょ!あの時も私から逃げ回ってきゃいきゃいはしゃいで──」
「え?何の話ですか?」
「──いいから!早く皆んなの所に戻らないと!」
ゆっくりと閉じていくシャッターに合わせて闇がどんどん濃くなっていく、完全に見えなくなる前に何とか皆んなの所へ──一度通ったからか、それともグガランナさんも"勘"とやらが分かったのか、見えない中でも迷うことなくスペースへと走っている。
「楽ちんである」
「ほんと、何でこんな状況でそう気楽でいられるのかしら」
「そういうグガランナさんもさっきより落ち着いていますよ」
「そりゃ少しは慣れてくるわよ」
「そういう喋り方も素敵ですね。というか──」
抱いていた印象を告げようと思ったのだが...スペースに戻ってくるなり鮮烈な閃光が目に焼きついてきた。
「ぎゃっ!まぶしっ!」
「んんっ?!何も見えな──」
「敵襲ぅ!敵襲ぅぅ!!」
「まぶしっ!」
「zzz……zzz……」
「……明るいんならもう何も怖くないわっ!!」
「はあ〜〜〜やっと復旧したのかよ……ん?」
真っ暗闇からいきなり真昼の外に投げ出されかのようだ、次第に明るさに目が慣れてくるとスペースのど真ん中に人が立っていることに気付いた。
髪は夕焼けのように赤く長い...のは襟足だけのようで、前髪や揉み上げは男の子のようにさっぱりとしている、というか不機嫌そうに眉を顰めている男の子だった。
(サーファーっぽい)
港の近くにあるビーチで良く見かける格好をした男の子が、私たちに視線を配った後いきなりこう言った。
「今すぐこっから出てけよ」
「……ああ?というかお前誰なんだよ」
ピメリアさんも不機嫌そうに誰何している。
「言う必要があるか?いいからこっから出てけ、お前たち人間が来るような場所じゃない」
他の皆んなは何も言わず成り行きを見守っている、さすがの私でもこの男の子が何なのか検討はついていた。
「えー……と、君もマキナなの?」
「は?中途半端な胸した奴め、絶壁より魅力が無いくせに気安く声をかけてくるな」
「何だってえ……それ今関係あるのか!」
「ハデス、いいえ、ハデス・ニエレ、この茶番はあなたが仕掛けたものなのね」
「茶番?これのどこが?俺が本気を出せばこいつらここから永遠に出られなくなるんだぞ?お前が居なくなったお陰で権能を行使できたんだ、口の利き方に気を付けろ」
まあ〜何て生意気な...ハデス・ニエレと呼ばれた男の子は今なおキツく私たちを睨め付けていた。
それにだ、それは私にとって脅しにはならない。
「別にいいよ閉じ込めても」
「──は?それ本気で言ってんの?」
「うん、ここから出なくていいんならもう仕事しなくていいし、カマリイちゃんいるしご飯も無限に出てくるから困らないというか寧ろそうして」
「え……こいつヤバいんだけどどうしよう……」
「何だってえ………」
きっとこめかみに青筋を立てていることだろう、いい加減ハデス君にチョップの一つでもかましてやろうかと近づくと、
「お前、深海に潜りたいんじゃなかったのか」
「………潜らせてくれないのはどっちなんですか」
ピメリアさんがそう言葉を放ってきた、サービスエリアで喧嘩をしてから初めての会話である。
「………なあ、どうしてそんなに潜りたいんだ?何か理由でもあるのか?」
「馬鹿にされるので言いたくありません」
「ナディ、ちゃんと言いなさい」
今度はジュディ先輩が言葉を挟んできた。
「何で先輩が………」
「不誠実だって言ってんのよ。あんたは死ぬ覚悟ができているんでしょうけど、だからといってそれを当てにする大人がいると思う?連合長は口が悪いだけであんたのことを心配してんの」
「……………」
「その心配にあんたは暴言を返すわけ?側から見たらあんたの方が失礼よ」
ジュディ先輩はこういう時遠慮が全くない、けど有無言わせぬ力があった。
「………私が潜りたい理由は─「俺のことを無視するなあああっ!!!」─きゃああっ?!?!?!」
真正面から!真正面から!真正面からっ!!
「お前ら俺をのけ者にして何クライマックス迎えてんだよ!!そういうところだぞっ!俺が嫌いな理由はっ!いっつも仲間外れにしや────な、何だよ!いいだろ別に胸くらい!減るもんじゃないんだから!」
目のハイライトが消えた頼もしい味方たちがぬらりと立ち上がってくれた。
「今日日そんな悪役めいたセリフを吐く奴がいるなんてなあ……私の胸にはノータッチのくせして……」
「私も……あんたに触られたのよね……」
「あんた、自分が何をやったのか……自覚あるの?私ですらまだだというのに……」
「zzz……んぁっ……あれ、ハデスじゃない……おはよう……」
「いいわ、ハデスに遠慮なんかしなくていいからやってちょうだい」
「ラハムも胸を触られたのであっかんべー!です!」
「なっ!おい!お前ら俺の味方──あああっ!!怖い怖い怖い怖い!!ちょっと悪戯しただけ──ああああっ!!!!」
ハデス君が三人に追いかけられ始め、カマリイちゃんの部屋で失神していたアキナミがようやく顔を出してきた。やっぱりあの子は豪胆である。停電騒ぎをものともせず大好きなぬいぐるみを堪能していたのだから。
「……もう、何?さっきから騒がし──いやあああっ?!」
「こんのっ!!アキナミから離れなさいっ!!」
「うるせえっ!こうなりゃ死ねば諸共だっ!─「あなたは死なないでしょう……ハデス……むにゃむにゃ……」─何呑気に寝てんだよティアマトっ!こいつらをここから──ぐほっ?!」
アキナミを後ろから羽交締めにしていたハデス君が肘を鳩尾に入れられてしまっている、拘束が解けた隙にライラがアキナミを庇い距離を空けている。どこかつんけんしていた二人がちょっとだけ仲良くなった瞬間だった。
(ああいう男の子クラスにもいたな〜女子全員敵に回すタイプ。ある意味スター性があるんだろうけど……)
もう端まで追い詰められたハデス君は涙目になっている、さっき乱暴に触られた所が痛むのを感じながら皆んなに号令をかけた。
「捕まえろっーーー!!」
しかしそれはそれである。
「あああっーーー!!!」
どうでも良い話なのだが、その後ハデス君は暫くの間女性恐怖症になったそうだ。自業自得である。
※次回更新 少しお時間頂きます。2022/5/7 20:00予定