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第38話

.海面



「西暦二〇一九年に資産家であるヴィクター・ベスコーヴォが深海探査艇で一〇九二七メートルの潜水記録を打ち立てた、これが僕が知る限りの記録の中で一番だ。次に西暦一九六〇年、当時のイタリアで製造された潜水船バチスカーフに搭乗したジャック・ピカールとドン・ウォルシュが一〇九一六メートルの深度に潜っている。実に六〇年振りに記録を書き換えたことになるね」


「何だいきなり」


「ゼウス、今食事中なんだけど」


「アヤメ、僕の話聞きたい?」


「…………(咥え箸でこくこくと頷く)」


「お前!飯食ってる人間に訊くなんて卑怯だぞ!」


「で、何故六〇年もの間記録が更新されなかったのかという点と、六〇年経っても一〇メートルしか記録を伸ばせなかった点についてだけど、これには明確な理由がある、僕にでも分かることだ」


「海の底にお前みたいな奴がうじゃうじゃいるからだろ。どれだけ技術が発展してもお前に会いたがる人間なんてどこにもいないさ」


「深海はね、とても危険な所だからさ。僕たち生物は地表で一気圧相当の力を受け続けて生活をしている。けれど何も感じないだろう?それは体内に一気圧相当の力を持っているからなんだ、つまりプラスマイナスゼロってことだね。けれど、海の中は違う。一〇メートル潜る度に一気圧ずつ力が増していくのさ例えばこんな風にっ……「いたたたっ?!!頭!頭を押さえ──痛いだろうが!」


「二人仲良いよね」


「つまり、深海は超高圧の世界なんだ。今僕がナツメにやってあげた力の加わり方の何倍、何万倍となってその人に襲いかかる、その圧力から身を守れるのは耐圧殻のみだ。その耐圧殻に一ミリの歪みでも存在していたら終わりだ、あっという間に押し潰されてパイロットもろとも帰らぬ人になってしまう」


「あなたの言いたいことは良く分かったわ。今からあなたが歪みがある耐圧殻の中に入って深海に潜るのね」


「違うわ!いい加減僕の話を聞きなよ!」


「………ああ、ノヴァウイルスが見つかったんですか?」


「そ、ウルフラグ側の特別個体機が遭遇したあの超大型生物に付けたビーコンを辿ってね、また新しいウイルスを発見したんだ」


「その超大型生物ってのは本当にウイルスから生まれたのか?」


「そう見ているよ、今のところはね。カウネナナイの人たちが盗んでいったウイルスを取り返そうとしていたから──まあただの状況判断なんだけど」


「で、その新しいウイルスとやらは何メートルの深海にあるのかしら」


「一二〇〇〇メートル、ジャスト」


「…………」

「…………」

「…………」


「分かってるよ、さすがにこのウイルスの回収は不可能だから見送ることになった。というか僕がそうした、潜れないからね」


「……あ〜良かった、またぞろお前に取りに行ってこいと言われるものかと……」


「そこまで鬼じゃないよ」


「どうだかな〜………」


「──ほら!この僕!こんなに好青年で献身的なスーパーマキナ人を一からプログラムするような人類がだよっ?!そこまで高度な技術と文明を誇っていた過去の人類ですら深海は未調査のままなんだっ!僕だって深海がどんな世界なのか本当に知らないんだよっ!そんな所に行けだなんて言わないさっ!信じてくれよっ!」


「分かった分かった、引くから落ち着け」


「それは文句のことかなっ?!それとも取り乱した僕にかなっ?!」


「ゼウスさん、静かにしてください」


「…………」

「…………」

「ほら!アヤメが怒ったじゃない!」


「…珍しく機嫌が悪いね、彼女」ヒソヒソ


「…ちょっとな、色々あって」ヒソヒソ


「…生理がやって来ないとか?まあ、彼女も引く手数多の女性だから無理もないだろうけど……」ヒソヒソ


「…何でそうなるんだよ、アマンナだよ」ヒソヒソ


「…ついに男性器まで生やしたか……いずれこうなるとは思って──」ダッシュ


「ゼウスさん!!ちょっと!!」


「落ち着けって、あのアマンナが浮気なんかしやしないよ、気にしすぎなんだって」


「もしプエラが……そうだって言ったら?ナツメは平常心でいられるのかなあ……」


「……………おいグガランナ、何でお前この状況でハンカチ噛んでるんだよ」


「悔しいっ……!だって、だって!傍にいないのに心を奪っているだなんてっ……!羨ましい!」


「悔しいのか羨ましいのかどっちなんだ」


「はあ〜〜〜………いやいずれこうなるとは思ってたからいいんだけどさ、心の準備ってのものが……」


「いやだからそうだと決まったわけではないだろ、お前も信じてやれよ」


「……………」


「な、何だよ……」


「いや別に〜〜〜、街を歩けば振り向かれる人は言うことが違うな〜〜〜って思ってさ」


「あ?喧嘩売ってるのかそれ?それお前のことを見ているんだぞ」


「……ごめん」


「いや別に……」


「…………」

「…………」

「…………」


ヒョコ「ね?僕って有能だと思わない?最近微妙な空気になりつつある君たちに気を遣って盛り上げた僕の有能さがさ、アヤメもいい加減機嫌直しなよ〜、そこの二人はいつまでもいつまでも君に甘えるようなお子ちゃま──」ダッシュ


「待て!」ダッシュ

「待ちなさい!その話詳しく!」ダッシュ


「…………はあ〜あ、ほんと何やってんだろ。でも連絡取れないのってキッツいな〜………ん?」



✳︎



「遠路はるばるご苦労だグレムリン、顔を上げてくれ、そのままでは話ができない」


「………先の件につきましては、」


「うん、それについては親にかけた迷惑の数程聞きたいことがあるのだがな、今は良い─「結構ありそうですな」─これでも昔は相当やんちゃしていたからな、未だに母上には頭が上がらん。でだ、グレムリンよ、お前に頼んでいたものはどうなった?」


「芳しくはありませんな、いくらハフアモアのお陰で潤沢な資源が手に入ったとしても、そもそもの設計理念から無理があるから未だ机上の空論の域を出ない。私の上に乗せたらどんな女でも─「今はそういうのは良い」─そんなにお困りの事が?」


「ああ。先日奴らが渡った航路の途中でな、新しいハフアモアを発見することが出来たんだ。ただ……その深度があまりに深くてな……既存の潜水艦や学術府に預けている探査艇では手もナニも出せないんだ─「国王も言っておるではないか!」─だから、先ずお前に話を訊いたんだ」


「その深度とは?六〇〇〇メートル程度であればイケそうな気もするのですが………いや私は三メートルぐらいの早漏なんですが、」


「聞いて驚け、一二〇〇〇メートルだそうだ」


「……………あいやまたそれは………不可能ですな。そもそも長時間潜航するためのスペースもなければ酸素もない、パイロットの人権を奪って糞尿垂れ流しで────「妄想は後にしてくれ、結構本気で悩んでいるんだ」────「おい!誰かこいつの首をはねろ!ふざけやがって!まだトリップしていやがる!」──すまんすまん。国王よ、その深度まで潜水することは技術的には可能だが、パイロットの問題が解決せん。それならマキナを連れて潜らせた方が早いが……」


「それは無理だ────致し方あるまい、今回のハフアモアは諦めるか……」


「その方がよろしい、パイロットたちの居住空間を確保するのとそれに見合ったサイズの耐圧殻を作るのはちと無理がありますゆえ、ではこれにて──」


「と、思うだろ?それがそうもいかん、こっちの話も終わったことだし先の件について洗いざらい喋ってもらう」


「ええ……結局………」


「当たり前だ」



✳︎



「行くか、その一二〇〇〇メートルとやらに」


「────は?」


 私の言葉がそんなに意外だったのか、会議室に集まった面々が無遠慮な視線をぶつけてきた。

 夏真っ盛りを抜けてもまだ暑い、もうじき山の緑も夕焼けのそれへと変わりゆこうかとする時季だった。

 ビレッジ・クックのレアノス内、ユーサ合同本部エリアに置かれた会議室にはそれぞれの港を預かる課長たちが一同に会していた。

 その中でも私の後任としてユーサ第一港の課長の就任が決まった男が、ぽつりと漏らしたのだ。「新しいウイルスが超深海層で見つかった」と、退任が決まっていた私は「これだ!」と食い付いていた。

 研究者とはまた違った神経質そうな男がすぐさま馬鹿にしてきた。


「冗談ですよね?」


「いいや」


「………あのですね、ただの世間話ですよ?保証局の方からこんな報告がありましたよっていう程度の話であって──」


「それが何だ、潜ったらあるんだろ?だったら取りに行けばいいじゃないか」


「────」


 神経質そうな眼鏡を取って目頭を押さえている、他の面々も「何言ってんだこいつ」とシラけた顔をしていた。


「まさか、最後の打ち合わせでこんな話になるなんて夢にも思いませんでしたよ」


 第二港の課長だ、体格は良く頭は禿げ散らかしている、何よりあの顔、私が「港が生んだオランウータン」と呼んでいる男だった。

 第三港の課長はこの中でも若手だった、どんな時でも笑顔を見せないギラギラとした野心を持った男だ、そいつは口を挟まずただ成り行きを見守っている。

 そして私、第一港という花形中の花形の座に就いていたが先の一件で合同本部の市場調査室という、まあ端的に言って窓際部署の転属が決まっていた。

 後任の男...というより第四港の課長が自らの立ち位置を誇示するように若手の男に話を振っていた、嫌味ったらしく。


「君、よかったら彼女に潜水の最高記録を教えてやってくれないか」


「深海探査技術団が学術調査として潜水した時の記録が最高だったはずです。確か五八〇〇メートル程だったと思いますが」


「回りくどい奴らだな、はっきりと言ったらどうなんだ」


 では遠慮なくと枕言葉を置いてから、


「不可能なんですよ、そんな深海域に潜ること自体が。それに保証局内でも議論された事なんです、それをただ私が皆さんにお伝えしただけなんです」


「何故潜れないんだ?」


 失笑が起こった。


「……そうですね、何も知らなければそう思うのも無理はありませんね。まず問題として挙げられるのが水圧です、この水圧というものは──」


「それぐらいは知っているさ、一〇メートル潜る度に一気圧分増加するんだろ?」


「──では、具体的に計算なさってください。一二〇〇〇メートルの水圧というものを」


「……ざっと一二万ってところか」


「計算早いですね……おっほん!そうです、地表付近の圧力を約一〇〇キロパスカルとするならば水深一二〇〇〇メートルは約一二万キロパスカルとなります。十二万倍ですよ?」


「で?」


 私の切り返しに嫌々ながらもきちんと答えていた。


「……それで次は潜航時間。潜水艇の降下速度は毎分四〇メートル程、その深海域まで潜航しようとするならば片道だけで約五時間近くかかります、往復で約一〇時間、その間パイロットはどうしますか?」


「………退屈そうだな」


 港が生んだオランウータンが無言で顔を下向けた、肩が細かく揺れている。


「そうですね。その間パイロットたちは操縦を続けながら生理欲求も満たさなければなりません。ご飯を食べる、喉を潤す、他にもトイレであったり疲れたら睡眠を取ったりと、パイロットたちの休憩スペースも確保しなければなりません」


「すれば良いじゃないか」


「水圧の話をもう忘れたのですか?全て均等にという訳ではありませんが、水圧というものは全体にのしかかってくるものなんです。例えば、一メートル四方の物体よりも一〇メートル四方の物体の方がより多くの圧力を受けることになります」


「──長い潜航を目的とした物を作ろうとすればするほどより危険が多くなるという事か」


「そうです、分かっていますよね?パイロットたちの休憩スペースを確保したらその分圧力を受け、その分危険が多くなり、その分些細なミスも許されなくなることが」


「…………」


「潜航速度だって上げればいいってものでもありません。速度が上がればその分水圧の力も増しますからより強固な耐圧殻が必要となります、あなたに作れますか?計測不能な水圧に耐え得るだけの耐圧殻を。無理なんですよ、我々人類にそんな馬鹿みたいに深い所を潜ること自体が」


「私では作れんが、作れそうな奴なら心当たりがある、というかゴーダだ」


「…………」

「…………」

「…………」


 無遠慮、何言ってんだこいつ、という視線から「え、本当に?」というものに変わっている。私が冗談を口にしているわけではないとようやく理解してきたらしい。

 最年少課長が初めて自分から口を開いた。


「……確か、調査船の一般公募がちょうど一週後から解禁になったはずです。先の軍事行動を受けて海運庁が船舶の入出港を全面的に禁止していましたけど……良ければ応募されては?」


「君も面白い冗談を言うねぇ」


「一週間か、そりゃいい。その間に人を集めてみるさ」


「あのですね……」


「有志を募る、一週間で駄目ならそれまで。調査船を押さえられなくてもそれまで。先に言っておくが、別にあんたらから許可を貰うつもりもない」


 外していた陰険そうな眼鏡をかけ直して締め括りに入った。


「私は反対です。先の一件をお忘れですか?そんな事はないでしょう、ウイルス絡みで社員の一人が命を落としているんです、世間だってあなたの行動を応援したりしないでしょう」


「私も反対です、仮に人が集まって船を押さえられたとしても資金はどうするのですか?言っておきますがユーサから出してもらえるわけではないんですよ、自腹切れますか?」


「同じく反対です、あまりに先行きが不透明過ぎて話についていけませんから」


 そりゃそうだ、こんな所で賛成してくれるだなんて私も思っていなかった、ま、それに思い付きだしな。

 けれど、散々言われっぱなしだった私はゴーダの雷を真似て、溜まりに溜まった鬱憤をぶち撒けた。


「──だったらそこで黙って見とけやボケえっ!!絶対取ってくるからなあっ!!吠え面かかせてやるから今に見とけえっ!!」



 そろそろここを引き払うというのに我が物顔で執務室にいたグガランナが一言。


「馬鹿じゃないんですか?」


「…………」


「無理ですよ、一二〇〇〇メートルの海底なんて。彼らの方が正しい知見を持っているではありませんか」


「はあ……お前なら味方してくれると思ったんだがなぁ……」


「いくらピメリアのお願いでも無理なものは無理なんです。ガイア・サーバーにも深海に関するデータが殆ど無いんですから」


「お前はガイア・サーバーが無ければ何も出来ないのか?」


「………………」


「そうか〜〜〜出来る女発言は嘘だったのか〜〜〜なら無理だな〜〜〜」


「あのですね……深海だけはどうしようもないのです!既存の潜水艇では諸々の問題を解決できないですし、」


「新しく作ればいいじゃないか」


「……………」


「いや、それも無理か〜〜〜お子ちゃまには新しい物は作れないか〜〜〜しょうがない、他を当たるか」


 (暇だからと)私の代わりに引継ぎ資料を作成していたグガランナが、真剣さを帯びた瞳を私にぶつけてきた。あの会議室にいた連中にも見せてやりたいぐらいの真剣さだった。


「ピメリア、あなたはウイルスのせいで嫌な思いをしたのではありませんか?今日の今日までずっと引き摺っていたのに、それがどうしてそんな危険を犯してまで取りに行こうとするのですか、今のあなたは矛盾していますよ」


「嫌だからだよ」


「………?」


 私も何故?という疑問はある、何故ここまでウイルスに執着するのか。綺麗さっぱり忘れて窓際に座っていた方が人生も楽である。

 でも、嫌なんだよ、このままずるずると引き摺ってしまう事が。あの一件で私は宙ぶらりんになったままだ、向かうべき方向性もなく、だから退任という名の落とし前も受け入れた。

 だが、それはそれだ、私は自分の気持ちにまだ落とし前をつけていなかった。スッキリさせたかった、本当に自分がやろうとしていた事はユーサにとってプラスにはならないのだろうか、と。だからあの男の話に食い付いたんだ。

 その事を掻い摘んで説明してあげると、随分と人間臭くなった表情でグガランナが溜息を吐いていた。


「はあ〜〜〜………ほんと、ピメリアってそういう所……正直ですよね〜〜〜自分に嘘を吐かないというか……」


「まあな、私の人生だからな」


「………良いでしょう、私に何が出来るか分かりませんが協力します」


「お、じゃあ早速いいか?」


「…………ピメリア」


「悪いけどお前にはスポンサー探しをしてほしい。こんな計画にユーサは絶対金を落としてくれないだろうからな」


「……ピメリア」


「お前のその美貌と人懐っこい性格だったらすぐ見つかるさ」


「いいでしょう、人懐っこいこの私が無尽蔵に資金を提供してくれる世間知らずを探してきます」


「よし!そうと決まれば私の自宅へ向かうぞ、まずはお前をドレスアップしてから──グガランナ?」


 はて、私の家に良い服はあったかと天井を見上げて考えていると、目の前に座っていたグガランナが姿を消していた。そしてすぐ背後からグガランナの声がした。


「ピメリア!何をやっているのですか早く行きましょう!こんな部屋いい加減飽き飽きしていたところなんですから!」


「分かったよ、そう慌てなさんな」


 無邪気に笑うグガランナ、まずは一人目だ。



✳︎



[いや私ってほんと、へタれだなあって思いましたよ。だって、あのままキスすることだってできたのに、映画みたいな仲直りしてそれで満足しちゃって……このまま顔を近づけても大丈夫だよねってあれこれ考えてたらママたちが──聞いてます?]


「聞いてる聞いてる」


[それでね、その後ナディと一緒に──]


 私も色々と忙しいんだけどな...

 まさか自分が取るとは思わなかった有休消化、さぞかし毎日のんびり過ごせるだろうと思っていたけど、これが案外そうではなかった。

 辞表届の作成は勿論、そこから色んな所に出向いて手続きをしなければならない。私の場合は既に次の職場が決まっていたのでそこまで多くはなかったのだが、それでも毎日やらなければならないことがあったのでそこまで暇することもなかった。

 転職を経験しているライラちゃんに近況報告がてら電話したのが運の尽き、延々と惚気られてしまっていた。

 ウルフラグ大統領行政室選任補佐官。それが私が次に新しく持つ肩書きだった。


(大丈夫かな〜……私が選任補佐官て……)


 ライラちゃんに相槌を打ちつつ頭を悩ませる。本当にこれで良かったのか、私にそんな大それた事が務まるのか、ピメリアさんには電話で連絡しただけだった。

 それもある、あの一件からピメリアさんとの間に"わだかまり"のようなものが生まれていた。何故生まれたのか自分でも分からない、けれど以前のようにピメリアさんとは噛み合わなくなっていた。だから、ヒルナンデス大統領の誘いに乗ったとも言える。

 行政室の公務内容についてつらつらと書かれた紙面を目で追いかけながらライラちゃんの相手をしていると、改まった口調でずばりと訊かれてしまった。


[どうしてユーサを辞めたんですか?ピメリアさんと何かあったんですか?]


「……いや別に、何で?」


 胸の内ド直球だったのでついはぐらかした。


[リッツさんって元々観光課にいたんですよね、抜けて大丈夫だったんですか?]


「それは業務的な話で?」


 分かっている人には分かっているらしい、はぐらかしても駄目だった。


[違いますよ、ちゃんとピメリアさんと話をしたのかって事です。観光課から引き抜かれる程、課長秘書って大変なんでしょ?そう簡単に次が見つかるとは思えませんけどね]


「ピメリアさんも転属することが決まってるから」


 この話題から逃げるようにそう話を振った、その返答は意外性でも私に対する糾弾でもなかった、一番胸に来るものだった。


[このままお別れしちゃうんですね、あんなに仲が良かったのに……]


「……別に、私もピメリアさんも人当たりが良いだけだよ、特別ってことはなかったと思う……」


 しんみりとした声音から一転。


[はあ〜〜〜…………そんなんだからヒイラギさんにも逃げられるんですよ全く……]


「おーおー言うねぇ、さすが両思いになっただけのことはあるよ」


[逃げても解決しませんよ、大統領の下についたからってリッツさんが偉くなるわけじゃありませんから]


「……………」


[ピメリアさんがリッツさんを選んでくれたから大統領にも選ばれたんですよね?そのお礼も言わずに出ていくのはさすがに不義理に過ぎますよ]


 ついカチンと来てしまった。


「……何でそんなことまで言われなくちゃならないの?最近良い思いをしたからって調子乗ったら──」


[私に文句言ってないでピメリアさんの所に行ってこい!あなたが私に構ってくれないからこのまま他所に行きますよいいですかって泣きついてこい!]


「っ?!」


[後悔しますよ。それじゃ、頑張ってください、私の惚気も聞いてくれてありがとうございました]


 ぷつりと切れた携帯電話を暫く持ったまま固まってしまった。


「………………よし」


 夏の連休中にあったあの事件を経てライラちゃんは変わったようだ、随分と芯が強くなったように思う。

 人は変われるのだ、ならば私もと思うのはさすがに思い上がりなんだろうか──



「…………」


「…………」


「…………」

 

 勇気を出して訪れたピメリアさんの自宅、リビングにあったキッチンカウンターで並んで座る三人。

 端からピメリアさん、私、どこの女社長だよと言わんばかりのグガランナ。何でこんなこんな格好をしているのかと尋ねてから早数分。

 静寂を破るように声を張り上げた。


「……何でこんな……何でこんな事に……何でこんな面白そうな事になってるんスかあっーーー!!!」


 そのままカウンターに突っ伏した、慰めるようにグガランナが優しく手を置いて、


「……どんまいリッツ、タイミングが悪かったんです」


「こんのっ──何なんスか!ほんと!何でそんな面白そうな事になってるのに声かけてくれなかったんスか!」


「お前会社辞めただろ」


「それは──!そうスけど!でも!──ああ!ちょー楽しそう何それ!一二〇〇〇メートルに行くって人類にとっての挑戦じゃないスか!」


「お前良い事言うな!」


「その挑戦を私とピメリアから始めるのです、そしてリッツはその軌跡を指を咥えて眺め──あっは!痛い痛い!」


 何なの!この二人はほんと何なの!グガランナも何だか垢抜けた感じだし!この二人に挟まれて仕事がしたかったのに!

 そうだと自分の気持ちを認めるともう止められなかった。


「ピメリアさん!言っておきますけどあの時の事気にしてなかったんスからね!それなのに何だかよそよそしくなるし!それで私もっ……そうなったんスけど……」


 口から出た遠慮ない言葉を受けてもピメリアさんは薄らと微笑んでいるだけ、その反応に言葉が尻すぼみになっていった。


「リッツ、お前が思っているほど私は出来た人間じゃないよ。あの時八つ当たりしてしまったことを未だに後悔しているし、港の為に奮闘していたお前の姿を羨ましくも思っていたんだ。グガランナから散々お前に会いに行けって言われていたけど、結局お前がこうして会ってくれるまでこの足は動かなかったわけだから」


「…………本当に行っていいんスか、私が行政室に……」


「行けばいいさ、お前が決めたことなんだから」


「…………」


「と、思うでしょ?けれどねリッツ、ピメリアはあなたが栄転すると知ってとても悔しがっていました─「そういう余計な事は言わなくていいんだよ!」─ピメリア、彼女に対して誠実であるべきですよ」


 ピメリアさんが...?悔しがってた...?


「ああそうだよ!あんなに腐ってたっていうのにお前一人だけ良い思いしやがって!って思ってた」


「何スかそれ……はあ〜〜〜」


「言っただろうが、私はそんなに良い人間じゃないって」


「それでも私はピメリアさんの下で仕事がしたかったっスよ。でも、いいです、吹っ切れました」


「おや?ついにピメリアも愛想が尽かされましたね」


「違うからそんなんじゃないから」


 本音を伝えた時、ピメリアさんは初めて見る表情をして俯いた。嬉しそうな悲しそうな...それを見れただけで十分だった、私もこの人に大事に思われていたんだと知ることができたから。

 けれど、それはそれである。この面白いミッションに是非とも参加したかった私はこんな事を切り出した。


「で、スポンサーの当てはあるんスか?」


「それがな〜無いんだよな〜何か紹介してくれる奴がいたら助かるんだけどな〜」


 わざとらしい演技にグガランナもくすくすと笑っている。


「なら、私が紹介してあげてもいいっスよ。人脈だけは自信ありますから」


「おっ!いいねーそういうのを待っていたんだよ!」


 瞳が少しだけ潤んでいるピメリアさんが──以前と同じように私の肩をぱしぱしと叩いてきた。

 けれど以前と同じ、というわけにはもういかない。だってその気安さの中に優しさがあることを知ってしまったのだから。



✳︎



「お食事の用意ができましたよ〜」


「うーん今行くー」


 ライラと通話を終えてぽすんとベッドに投げ、すっかり当たり前になってしまったラハムのご飯をあやかりにいく。

 人が来る時はリビングのテーブルを囲うけど、今日は一人だけなのでキッチンカウンターで食事を取る。

 今日も今日とて大変美味である、無言でぱくぱく食べているとラハムがじっと私のことを見ていた、いつものことである。


「大変美味しゅうございます」


「そうですか……」


 ちょっと前までなら褒めると「むっふぅ〜」と私にしがみついてきていたけど、最近はおとなしいものだ。

 それに呼び方もさん付けから呼び捨てに変わっている、ラハムからのお願いでもあった。


「仕事の調子はどう?」


「大丈夫ですよ、今日も褒められましたから」


 そう、ラハムは仕事をするようになった、これはジュディ先輩の提案でもある。居候もいいけど仕事をこなして対等の立場になったらどうなんだとお説教をし、素直に従ったラハムは先週ぐらいから近所のスーパーに通い始めていた。

 ちなみにこの事をヴォルターさんに報告すると「別にいいんじゃないのか」の一言だけだった。


(あんな他人行儀に言わなくてもね〜)


 ヴォルターさんと言えば保証局である、そして保証局と言えばあの時大活躍したガングニールだ。

 豪華な電車の中でライラの事情をライブ中継という形で知った私はハウィで妹のフレアと別れ、その足で海軍の基地へと向かった。

 ガングニールの話では、自分の機体に戻ることが出来れば後は何とかなるとのことだったのでその事を海軍基地の保安員に伝えたところ、中から凄い勢いで軍人さんが走ってきたのだ。「まさに出かけの船だな!」と初めて聞く諺を口にしながら私とラハムの腕を掴んでずんずんと連れて行ったのだ。

 助けたかった、それだけ──と言えば嘘になるけど、これぐらいは何かしないとライラに会わせる顔もなかった。まあ、船に乗せられてまさか私までカウネナナイに向かうとは思わなかったけど。

 向こうに到着してからも大変だった。無事に復活を遂げたガングニールだったけど、このままではアクセスできないと騒ぎ出し、皆んなで真夜中の海に浮かぶ観測用ブイを探すことになった。あれは大変だった...何でもカウネナナイとウルフラグとでは使用しているサーバーが違うのでアクセスできないんだとか。そこでカウネナナイが使用している─気が遠くなるぐらい探してようやく見つけた─ブイからガングニールが直接ケーブルを挿し、間一髪のところで間に合ったということである。

 ライラとは無事に仲直りすることが出来た、前よりも距離が近くなったように思う。


「ごちそうさま」


「お粗末様でした」


「今日は私が後片付けするよ、ラハムは休んでて」


「では、お言葉に甘えて」


「……………」


 ラハムがキッチンカウンターから離れてロフトに上がっていた、あそこが寝床になっているからだ。


(う〜ん……引っ越しとかした方がいいのかな。最近ラハムのテンションが低いのって……)


 おとなしいというよりそれだった。もしかしたら色んな人と接していくうちに自分の境遇についてあれやこれやと考えるようになったのかも...しれない。さすがにロフトが自分のプライベート空間っていうのも...それを言うならなし崩し的に我が家に泊まっているのも...


(う〜ん……ちょっと真剣に相談した方が良いのかもしれない)


 頼みの綱のヴォルターさんは塩対応、仕事の話から相談しようかと思っていたんだけど...おっ!とそこで妙案を思いついた。


(リッツさんに電話しよう、確かヒイラギさんと仲が良かったはず)


 後片付けをぱぱぱ!と終わらせて部屋に戻り、ぱし!っと掴んだ携帯に着信履歴があった。


「もしもし〜?ライラ〜?もう何ぃ〜さっきも話したばっかりじゃん」


 あの時が嘘のように私はライラと毎日お喋りを楽しんでいた。

 そうして、相談しようと思ったそばからそれを忘れ、またいつものように長電話をして今日も過ごした。

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