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第35話

.Make up②



「何ぃ?もぬけの殻ぁ?」


[そうです侯爵殿、現地に行かせた隊員からの報告です。さらにルイマン侯爵や他の兵士らは毒か何かを盛られたようで昏睡していたそうです]


「………………そんな莫迦な話が……何か、誰かのお陰で特殊部隊がルイマンの下から離れたと?そう申すかオーディンよ」


[失礼ながら、虚偽の報告をなさった侯爵殿に詳しく説明する義務はないかと存じますが?]


「オーディンよ、お前の伏兵が勝手な事をした訳ではあるまいな。確か名をフロックと言ったか?そやつはこういった事が得意な手合いだろう」


[それは無いと断言致します。私が指揮する戦乙女は手足も同然、指示なき行動は生物の摂理に反します]


「………………」


[それからスルーズの発言許可も取り消し、今後はヘイムスクリングラに合流し私の下で動いてもらいます。よろしいですか?]


 そりゃそうだと心底思う。

 リアナさんに別れの挨拶をして再び戻ってきてみればご覧の有り様、ルイマン侯爵に捕まったという公爵の子飼いは館を脱出していたようでグレムリン侯爵の報告そのものに疑いの目が向けられていた。

 確かにルイマン侯爵の館で何かが起こったようである。オーディン司令官の報告を聞く限り現地に赴いたのはヨトゥルだろう、彼女は何でもそつなくこなすが突出したものは持っていない。それ故に指示にも従順で決して嘘を吐いたりはしないはずだ。

 わざわざ兵を割いてやったというのにお目当ての子飼いがもう姿を消していたのだ、本当に存在していたのか疑われるのも当然という話だ。

 目を手のひらで覆い、被りを振り続けていたグレムリン侯爵がようやく答えた。


「……それで良い。どのみち王都の部隊が到着すればこの娘ともお別れなのだ、今のうちに目で楽しんでおくさ」


(この変態野郎が……)


[では。スルーズ、返事は良い、王都の部隊をヴルホルの街まで護衛した後はヘイムスクリングラに帰投せよ。今後の指示は船で出す]


 ぷつり、たったそれだけを言って通信が切れた。

 手元にあったヘルメットを持ち直しながら、私はグレムリン侯爵に声をかけた。


「それではグレムリン侯爵、これにて失礼致します。それと、コールダー夫妻の護衛に任命してくださり感謝致します。とても素敵な時間を過ごすことができました」


「…………………………………………」


 ゆっくりとこちらを振り向いたグレムリン侯爵の目が、そのままぽろっと落ちてしまうのではないかというぐらい見開いている。それもそうだ、何せ私は司令官の指示を破っているのだから。

 自分でも驚きだ、けれど言わねばならないことは─それが感謝の意であれば尚のこと─命令に背いてでも言わなければならない、それぐらいの甲斐性は私にでもある。


「では」


「────ああ、今のは聞かなかったことにしておこう」


 ただ、誰しもがその甲斐性に応えてくれるわけではないようだった。



 スルーズ専用機に乗り込みすぐさまコンソールを立ち上げる、ヘッドレストに預けた後頭部からすうっと力が抜けていく。機体の動力部と直結しているケーブルがコネクト・ギアに接続し、機体が私をスルーズであることを認めた。


《お帰りなさいスルーズ、ここはあなただけの特等席です》


「そりゃどうも」


《何かお困りですか?私で良ければあなたの悩みを聞きましょう》


「結構よ。それよりスケッギョルドからヴルホルにかけて展開しているディリン家の兵団をマッピングしてちょうだい。それから念のために機人軍の機体も」


《それがあなたの望みであれば、全力を尽くしましょう》


(御託はいいからさっさとやりなさい!)


 ワタリガラスの翼をイメージして作られたという飛行ユニットに装着されたエンジンが、滑らかな回転音と共に始動した。排気ノズルから吹く爆風が周囲の木々を煽り、大地の軛から解き放たれた。

 今日は不思議と勘に障るAIオペレーターから返事があった、相変わらず仕事だけは早い。


《スケッギョルドからヴルホルにかけて点在する部隊は二つの小隊に分かれています。一つがスケッギョルド周辺、あと一つがヴルホル周辺です》


(もう?──いや、昨夜から行軍を開始していたのか……)


 指示した通り、コンソールに無数の光点が生まれた。さらにゆっくりと動く点も、これがおそらく王都から派遣された部隊だろう。

 道のりとしてはちょうど中間点辺り、予定時刻通りにヴルホルの街に到着しそうだった。


《それから機人軍はルカナウア近海、ルヘイ近海に展開しています。さらに高高度偵察機も複数存在しています》


 あっという間にヴルホルの街が眼下に収まった、丸い形をした小さな雲が三つ、ちょうどリアナさんたちがいる館の上を漂っているところだった。


「……念のため、ウルフラグの軍も索敵してちょうだい」


《同様です。敵艦隊も展開している模様です》


 やっぱりそうか、機人軍が偵察機を放っているのはウルフラグを警戒しての事だ。


「ありがとう。ルカナウアの中に機体はないのね?」


《こちらが把握している限りは存在していません》


「よろしい。それでは威嚇飛行と行きましょうか」


 ──見てくれるかな、いや見えているのかな、そうだったら少しだけ嬉しい。

 ふわっとした気持ちと共に機体を旋回させ、部隊がいる空へと舵を切った。



✳︎



「けっ!良かったなあ!純血散らさずに済んでっ!」


「馬鹿言えとっくに散らしている!そんな事よりさっさとこいつを動かせ!」


「喧嘩は向こうに着いてから!」


「向こうってどっちだぁ?!ああん?!ルカナウアか?!俺たちの故郷かっ?!」


「皆んな五体満足で帰れたら私が相手にしてやるよっ!だからそのうるさい口を今すぐ閉じろ!」


「本当ですかっ?!」

「マジかっ?!」

「マジでっ?!太っ腹!」

「いやぁ言ってみるもんだなぁ!文句言い続けた甲斐があったよっ!」

「向こうに着くまでに順番を決めましょう!」


 ルイマンの館から脱出した私たちは再び港町に訪れ、やはりというかお尋ね者扱いを受けていたので駐在していた兵士にこれでもかと追いかけられた。

 元々待機していた他部隊の人間と共にホバークラフトに乗り込み、すんでの所で追手から逃れられた──と、思ったのだがあちらさんにも同様にホバークラフトを所持していたため慌てて発進作業に入ったところだった。

 特殊部隊の全員が無事、なんなら下品な会話を続けながらテキパキと動いていた。まあ、ただハイになっているだけだろう、そうだと信じたい。


「というかお前!私の胸に恨みでもあるんじゃないのか!さっき目に毒とか言っていただろう!」


「あんな時に見るものではないと言っただけですよ!本当に触らせてくれるんですよね?!嘘だったら承知しませんからね!」


「分かった分かっただから早くしろ!」


 もうフードで隠す気がないのか、小柄な隊員も顔を露わにして作業を続けていた。クラウンは私を特殊部隊の紅一点だと言っていたが、この隊員も見ようによっては女性に見えなくもない。

 そんな事より──


「──っ?!撃ってきたぞっ!」


「はぁぁっ?!何でホバクラに大砲載せてんだよ!これだからカウネナナイの兵器はおっかない!」


 ホバークラフトの操舵室から別部隊の人間が顔だけ出してきた。


「もういい!片道切符になるが我慢しろ!発進する!」


「馬鹿たれどうやって帰る──」


 クラウンの罵声は海の上に置いていかれてしまった、速度重視のホバークラフトが猛然とした勢いで発進したからだ。


「──あっぶねぇ!海に落ちるところだった!」


「そのまま落ちたら良かったのに」


「ああ?お前な、少佐に優しくされているからってあんま調子に乗るなよ」


「…………」


 初めて会った時とは打って変わり、今度はクラウンから距離を空けて私に寄ってきた。どうやら嫌われてはいないらしい。

 最高速度に達したホバークラフトがみるみる兵士たちを離していく、何とか作戦の初期段階をクリアしたようだった。



 クリアしたのは作戦の段階であって私たちの目的ではない、予定より大幅に遅れてしまい一刻の猶予も残されていなかった。

 ルカナウアにある港町に停泊することができず、比較的ヴルホルという街に近い浅瀬にホバークラフトを寄せることになった。

 そこではルカナウアで待機していた別部隊が指定した浅瀬に既に移動しており、合流するなりカウネナナイ側の状況を教えてくれた。


「色々あるのは良く分かっているつもりなんだけどな、もうちょっと何とかならなかったのか?コールダー夫妻の元にもう部隊が到着してしまう、用意した馬車で向かってもとんとんだ」


「しょうがないだろ、色々あったんだから」


「ここから馬を殺すつもりで走らせてもざっと一時間ってところだ」


「いや一時間ぐらいなら馬は死なないだろ」


「いちいち口を挟むな!」


「それから予想通りと言えばいいのか最悪と言えばいいのか、ヴァルキュリアの機体も目撃した。誰を警戒しているのか知らんがヴルホルの上空で旋回行動を続けている、何とかしてくれ」


「無理に決まってんだろ!それ、俺たちを警戒しているのか?そうにしてはちょっと大袈裟のような気もするが……」


「俺もそう思う。もしかしたら身内でいざこざを抱えているのかもしれんが……まあ要心するに越したことはない。最悪お前たちは全滅してもいいから目標だけは達成してくれよ」


「任せておけ!」


(馬鹿じゃないのかこいつら……)


 色々と突っ込みたいことはあったがぐっと堪えた。

 これが特殊部隊の空気感か、何というかあけすけで互いに気遣いというものがまるで無い。けれど、冗談を交えて交わす言葉はなかなかの面白味があった。

 ホバークラフトから降りて別部隊の人間について行く、向かう先はちょっとした崖であり高さは五メートル程だろうか、他の隊員らが当たり前のように登っていくものだから少し驚いてしまった。

 立ち止まった私に小柄な隊員が気付いて声をかけてくれた。


「ナツメさん?行かないんですか?」


「いや何、ボルダリングに馴染みがなくてな……すまんが手解きしてくれないか」


「ならボクが一番最初ですね」


 ここにはスケベしかいないのか。


「ところで、お前の名前は何という?」


「……ラクスとお呼びください」


「分かったラクス、よろしく頼む」


 登り始めたラクスの跡を追い私も何とか崖をよじ登った。その先は鬱蒼とした森があり、脇目も振らずに進む別部隊の人間に私たちも続いた。

 濃い匂いがする森の中は都市部で生まれ育った私からしてみればそれだけで別世界だった。他の皆は足場が悪いなかでもすいすいと進んでいく、しかし私はいちいち足を取られてしまい、苔むした木の根っこに足を滑らせ何度も転倒しかけた。その度にラクスに手を貸してもらい─ついでに胸や尻を触られ─最終的には恋人よろしく手を握りながら森を抜けた。

 抜けたと言っても木々が立ち並ぶ街道だ、そこには一台の馬車が木漏れ日の下に停められており、今から殺されるかもしれない馬がのんびりと草を食んでいた。

 ラクスと手を握っていた私をクラウンが目敏く見つけてからかってきた。


「おーおーお熱いことで、なんなら馬車の中で一発やってもいいぞ」


「くだらないこと言ってないでさっさと乗れ。ラクス、助かったよ」


「いえ、こちらこそ」


「後でお仕置きしてやるから覚悟しておけよ」


 私の冗談半分本気全部の言葉ににっこりと微笑んだだけだった。

 乗り込んだ馬車で皆が装備の手入れに入る、その傍らクラウンが馬の手綱を握って馬車を走らせた。

 乗り心地は酷いものだがこういうのも悪くはない、悪路を通る度に車輪が乗り上げるものだから揺れも酷いが気にはならなかった。

 木々の通りを抜けるとそこはまたしても広い平原部、そして遠目にはコールダー夫妻がいると思しき街があった。


「見えました、あれがヴルホルの街です」


 すっかり私に懐いたラクスがすぐ隣から教えてくれた。


「ヴァルキュリアの機体というのは………ここからでは見えんな………」


 他の隊員らも整備をそっちのけにして外に視線を注いでいる。


「う〜ん……良く分かりませんね、紫色の機体じゃなければいいんですが……」


「カラーリングでもされているのか?」


「はい、ヴァルキュリアは全部で五機、それから飛行ユニットがそれぞれ白、赤、緑、青、紫に別れているんですよ」


「それで、その紫色の機体が一番厄介なんです、とくに生身の人間に対して」


「それはまた何故なんだ?特個体なら特個体を相手にするのが定石だろうに」


 向かいの席に座っていた隊員が言うには、どうやらその紫色の機体は地上で戦う対人間用に特化した装備を身につけているらしい。何でも自律兵器を空からぽんぽん投げてくるんだとか。


「最悪だな」


「ええ、出会わないことを祈るばかりですよ」


「……フラグにしか聞こえません」


(こいつは一言言わないと気がすまないのだろうか)


 私たちの不安を乗せたまま馬車が平原部を突き進む。もう間もなく街に到着するという時、私から見て右手の空に赤い線のようなものが走った。



✳︎



《緊急回避緊急回避、本機は地上の味方からロックオンされています。速やかに誤解を解き、関係修復に努めることをお勧めします》


「────!!!」


 セミオートマチック制御にしていたレバーのコントロールを無理やり奪い、地上から走る砲弾の群れを裂帛の気合いと共に避け切った。

 王都の部隊とディリン家の兵団との間に小競り合いが発生していた。私はただ空から見守っていただけだが、何故だかその矛先がこちらにも向けられてしまったのだ。それにだ──


「オペレーターっ!どうしてきちんと報告しないのっ!対空砲を所持しているじゃないっ!」


《私は何も間違っていません、敵味方識別信号にも異常なし、データベースも参照しましたが既存の兵器はこの周辺に存在していません》


「こんのっ──!!!」


 さらに次の砲弾が放たれた。こちらの回避を予測した曲射軌道を取っている、避けきれないと判断し一発だけライオットシールドで受け止めた。


《被弾被弾被弾、損壊率一〇パーセント、これは明らかな異常事態です。速やかに誤解を解き、関係修復に努めることを強くお勧めします》


「黙っていなさいこのポンコツがっ!」


《スルーズ、あなたは本当にスルーズ?そんな汚い言葉は使わないはずです。速やかにメンタルヘルスケアを受けてください》


「あんたが黙ればすぐに良くなるわよっ!」


《それがあなたの望みとあれば、本当にあなたはスルーズ?全力で尽くしましょう》


 オペレーターが預かるコンソールの一つが沈黙、これでこの機体の操作がフルマニュアルになった。レバーが途端に重たくなる、しかしこういった有事の訓練もこなしていたのでそう慌てることはない。

 それよりも今は地上だ、何故私が狙われたのか、それにディリン家が何故新型兵器を所有しているのか。不明な点が多いがやることは一つだ、私を狙った兵器を沈黙させる。


「私に喧嘩を売ったこと後悔させてやるんだから!」


 既存の兵器は周辺に存在しないとあれば、ディリン家が新型を持ち出したに違いない。IFFも設定せずに投入したのはディリン家の落ち度だ、いくらか破壊したところでこちらが咎められることはない──そう思ったのだが司令官から見計らったように通信が入った。


[スルーズ、オペレーターから通報があった、直ちに帰投せよ。その場はレギンレイブに任せる]


「そんなっ!私は何も悪いことはしていないっ!」


[いつも注意しているだろう、熱くなり過ぎるなと。それよりウルフラグに動きがあった、お前には海の方に出てもらう、マリオネットが所属している飛行隊も確認した]


「っ!!──分かりました、すぐに帰投します」


[誰も殺してはいないな?ディリン家の暴動と言えど王族の傘下にいる貴族だ、下手な事をして睨まれるのは避けたい]


「まだ一発たりとも撃ってませんよ!」


[それでいい、すぐに戻ってこい]


 レバーを再度反転、地上に屯する新型の()に目もくれず母艦へ機体を急がせた。



「待って!待って!お願いだからそれだけは止めてください!」


「駄目だ、これは命令だ」


「嫌……それだけは嫌!お願いですからっ……もう何も……」


「お前は何も失うものは無い。戦乙女に人のしがらみは必要ないんだ」


「嫌……嫌、いやいやいやいやっ!あなたがそうしろと命じたではありませんか!私に行けと!あの人たちを護衛しろと!」


「仲良くなれと命じた覚えはない」


「そんなっ……そんなのって……だったら初めから私に行けと命じてほしくなかった!」


「もういい。装着しろ」


「待って……待って待って!お願いだか─────」



 ころりと、何かがポケットから落ちた。


「……………何、これ」


 コクピットに落ちていた物を拾い上げる、それは小さくて粗末なイヤリングだった。決して高価でもない、どこにでも売っているような代物だった。


「………また、か。何だろこれ、誰から貰ったんだろ……」


 ()()だ、また私は知らない間に人様からプレゼントされたようだった。その事を覚えていない、という事はまた私は失敗して調整を受けたのだろう。

 

「はあ……まあいいか、どうせ──」


 いつもは捨てる、捨てていた、けれど──


「…………もういい、二度と失敗しない、こんな目にもう遭いたくない」


 イヤリングを握る手が壊れたように震えていた、だから捨てるのを止めた。

 ヘイムスクリングラの格納庫で待機していると司令官から通信が入った。


[スルーズ、調子はどうだ?]


「問題ありません司令官、いつでもいけます」


[よろしい。もう察していると思うが……その、何だ、すまなかったよ。お前が泣くところはいつ見ても胸が痛む]


「……いいえ、きっとその時の私が間違っていたのでしょう、司令官が気に病む必要はありません」


[そうか……いつも無理強いをさせてすまない……お前には心から期待している、皆を引っ張ってくれ]


「はい!」


[では、別命あるまで待機せよ]


 通信が切れたコンソールに向かって唾を吐いた。

 それが自分に対するせめてもの慰めだった。



✳︎



 鼠色の高い壁に囲われた街、ヴルホルに到着した私たちは思っていたよりもすんなりと入ることができた。

 というよりかは誰も表に出ていなかったと言った方が良い、時折耳に届く砲撃音は街全体を駆け巡り市民を不安にさせていた。

 これなら余計な邪魔も入らず夫妻を捜す手間が省ける──と楽観したのだが、現実はさらに簡単だった。


(通信が遮断されているのは外に対してだけ、そりゃそうか)


 クラウンにどうやって捜すのかと尋ねると、「電話すりゃすぐに分かるだろ」の一言だけだった。そして今、ようやく私たちは夫妻が滞在している館へ到着することができた。

 今クラウンが夫妻に対して状況説明をしているところだ、私や他の隊員は警備にあたっている。館の庭にいても街の外で行われている戦闘音が届いてくる、クラウンの見立てではカウネナナイ同士の争いらしい、理由は分からない。

 私と同様に庭で待機していたラクスが木の根元で何かを見つけたようだ、それは使い込まれたように見える木製の剣だった。


「それは?」


「……分かりません、あの人たちが使っていたんでしょうか。これは訓練用の木剣ですね」


 鍔がないものだ、真っ直ぐに伸びる刃に黒ずんだ柄、ここ最近放置されたようにも見える。

 ぼっけんから再び館へと視線を向ける、クラウンの前に座っている夫妻の顔があまり喜んでいるようには見えないのが気になった。


(ありがた迷惑だったか?)


 クラウンが私たちに視線を向けて来るようにとハンドサインを送った。ラクスがぼっけんを木の根本に立てかけ、それを見届けてから館に向かった。

 庭からリビングに入る、思っていたよりも悪い雰囲気ではなかった。


「旦那さんがこっちの自警団と手を組んでいるらしい、何でも俺たちが来る来ないに関わらず外に出る算段を立てていたんだと」


「それは何故?」


 私の質問に答えたのはクラウンではなく、カイル・コールダーという人物だった。線が細くいかにも商売人といった風情があった。


「娘と話がしたかったからさ。ただ………ああ、未だに信じられないよ、まさかあの子が……」


「?」


「言ってなかったか?この二人の娘が空軍と手を組んで今回の作戦を依頼したって話」


「そりゃまた大きく出たな」


 それでそんな顔色になっていたのか...どのみちこの二人も街を離れるつもりなら後の話は簡単だった。

 ただ、この二人にとっては子供の行動が余程ショックらしい。茫然自失といった体であまり話し合いが進んでいなかった。


「そんなに驚くことか?」


「……え?それはどういう意味なのかしら」


 カイル・コールダーの隣に座っているのがその妻、リアナ・コールダーという人物だった。私の言葉に遠慮なく不機嫌な視線をぶつけてきた。


「商売人よろしく旦那と同じように取引きをしているじゃないか」


「ははっ!違いない、あんたが自警団で娘が空軍だ。子供の方が大きい商談を成功させたみたいだがな、それであんたはショックを受けているんだろ」


 クラウンが私の言葉を引き継ぎ、然もありなんとそれらしいことを告げていた。

 言われた本人たちもようやく顔色が戻りつつあった。


「ああ……確かにそうかもしれない……ああ、君の言う通りだよクラウン、驚きと悔しさが同時に押し寄せてきたから混乱してしまったんだ」


「気にするな、子供に背中を追い越されるのはどんな親だって悔しいはずだ」


「お前に子供がいたのか?」


「想像だけどな!」


 けらけらと笑うクラウンに釣られて二人も小さく笑みを溢した。

 夫妻はウルフラグにいる子供と連絡を取るため、自警団の集団に紛れ込ませてもらい街の外まで出るつもりだったらしい。その後はまた何事もなくこの館まで戻ってくるつもりらしいが、その予定をこの場で変更してもらうことにした。


「悪いがその手筈で頼む、あんたらは今から帰る準備を始めてくれ」


「それで良いのか?」


 最終確認のつもりだ、私の質問に旦那があっさりと答えた。


「構わない、正直に話せば僕たちはカウネナナイの政権争いに巻き込まれていただけだからね。いくら商売相手だからと言っても超えていい領分じゃないさ」


「そりゃ確かに、引き止めて悪かった」


 腰を上げてリビングから出て行こうとした二人にラクスがさらに声をかけていた。


「あ、あの、この木剣に見覚えは?あの木の根元にあったんですが……」


「…………」


 差し出された木剣を何のてらいもなく受け取ったのは奥さんの方だった、その目に宿るのは他者を想う優しい色だった。


「これ、あの子が忘れていったのね………」


「お知り合いの物ですか?」


「ええ、見つけてくれてありがとう。これは私が預かっておくわ」


 奥さんが優しくラクスの頭を撫でて今度こそリビングから出て行った。


「お前ほんと見境ないな、優しそうなら誰でもいいのかよ」


 クラウンがすぐさま毒を吐いた、案の定ラクスは私の方へと寄ってくる。


「……落とし物を届けただけではないですか」


「ぐちぐち言ってないで私たちも準備を進めよう。街の外に出たら定時連絡をするんだろ?」


「お、分かってきたじゃないか。斥候に出させよう、それから馬車が無事か確認してもらわないとな、下手すりゃ港町まで徒歩になるかもしれない」


「それをフラグって言うんじゃないのか?」


「こんなんでフラグがぽんぽん立つなら元から無理ゲーってことだろ、そん時は潔く諦めよう」


「そうだな」


 その後、半時間程経ってから自警団の者たちが館に現れた。皆、目深にフードを被った屈強な男たちである、私たちの事を知るや否や剣呑な雰囲気を放ってきたがカイル・コールダーが間を取り持ってくれた。


「下手な真似はしないでおくれよ、これでも僕のお客さんなんだから」

 

「……まあいいでしょう、こちらも背に腹は変えられませんから」


「助かるよ。それから──」


 その後はいくらか商談をして話をまとめたようだ。夫妻は国内外に多くの倉庫を持っている、その一つについてあれやこれやと話を進めて手打ちにしたようだ。


(目先の利益か先行き不透明の確執か、どっちを取るかと言われたらそりゃ利益を選ぶな、私だってそうする)


 夫妻の下ではカウネナナイもウルフラグも平等らしい。

 支度を終えて後は出した斥候の帰りを待つばかりであった、外は不思議な程に静かになっていた、そうだと気付くのにあまりに遅過ぎた。

 外の様子を見に行かせた二人が血相を変えて館に戻ってきた、最悪の事態に直面したらしい。


「ヴァルキュリアの機体!紫色の機体がこの街を見張っています!」



 空に向けた双眼鏡からの視界の中を時折通り抜けていく機体、隊員に教えてもらった通り紫色の羽を携えておりそのお腹には蛙の卵のような物が張り付いていた。


(あんな醜い鳥もいたんもだ……)


 その一部が窪んだように見えるのはもう既に卵を落としたからだろう、街の外で行われていた戦闘もあれのせいで鎮められたと見ていい。

 さらに青色の羽をした機体も目撃したと自警団の者から教えてもらった。今この街は二機の特個体に支配されていると言ってもいい、作戦の折り返し地点で一番の難に直面してしまった。

 紫色の機体はヨトゥル、あるいは"味方殺しのヨトゥル"と言うらしい。


(懲罰部隊のようなものか……)


 青色の機体がレギンレイブ、二つ名は"力任せのレギンレイブ"だそうだ。いかにも馬鹿っぽい。


(いや、ゴリ押しされるのが何かと苦になる時はある……ヴァルキュリアの指揮官は個々に役割を振っているようだ)


 館の二階のある部屋から監視を続ける、と言っても双眼鏡で醜い鳥を眺めているだけだが。

 こうして監視を続けてもう二時間近く足止めを食らっていた、澄み切ったように晴れ渡っていた空も今は燃え盛る炎のように赤く染まり、自由な空を醜い鳥に奪われてしまった勝手気ままな者たちもその姿を見せていない。

 双眼鏡を外して室内に視線を向ける、質素な部屋でとくに何も無いがこれだけで良かった。

 いや、何も無いことはない、いつの間にかラクスが部屋の角の方に立っていた。


「何をしているんだそんな所で」


「……いえ、別に、居場所もなかったので……」


 ラクスの茶色の髪も外から差し込む光りによって赤く染まっている、あとついでに子供っぽい顔もだ。


「こっちに来い、距離を空けられる方が居心地が悪い」


「……………」


 思っていた通りすっと近寄ってきた。遠慮なく私の隣に座り、その小さな膝頭を太ももにぶつけてきた。


「私の何が良いんだ?自慢じゃないが、他人に自慢できるのはこの胸くらいだ」


 ふふふと小さく笑い、そしてとくに何も言わなかった。

 暫くの間無言で過ごす、無言と言ってもそれは口だけでラクスの手はとても忙しなかった。ボディタッチをしているわけではない、胸やら尻を触ろうものなら窓の外に放り投げるつもりだったが、私の手を握ってひたすら感触を確かめていた。


(こういう懐かれ方は初めてかもしれんな……)


 手は忙しないので退屈はしないがそれでも口は寂しかったので私の方から切り出した。


「ヴァルキュリアのパイロットはそれぞれ二つ名が与えられているらしいな。味方殺しのヨトゥルに力任せのレギンレイブ、」


 その後を意外にもラクスが引き取った。


「知っていますよ、騙し屋フロックに赤い死神、でしょう?」


「ああ、だがスルーズというパイロットにだけ二つ名が無い。最初は地味な奴かと思ったんだが、これだけ癖が強そうな奴らをまとめないといけないからな、おそらくリーダーを務めているんだろう」


 変わらず私の手をにぎにぎしていたラクスに視線を向けてこう尋ねた。


「ところでだ、そのスルーズってのはどういう奴なんだ?お前は知っているんだろう」


 ぴたりと、忙しなかった手が止まった。


「ボクがヴァルキュリアのパイロットだって言いたいんですか?」


 その声音はとくに緊張した様子はなかった。


「さっき木剣を預けた時に落とし物だと言っただろう。それだけじゃない、ルイマンの館でも連行されていく味方の中にお前だけの姿がなかった。騙し屋フロックってお前のことじゃないのか?」


 陽に焼けているのか、はたまた元からそういう肌をしているのか、浅黒く焼けた顔を真正面に向けてからこう言った。


「今のスルーズは歴代の中でも一番優しいスルーズです。それから情にも厚くて、けれど不器用で、それがボクの知るスルーズですね」


「歴代の中でも………?」


「はい、ヴァルキュリアのパイロットは入れ替わりが行われているのです。その名を受け継いだパイロットが死亡するか、あるいは身体的思春期の終わりを迎えるか、そのどちらかと言われています」


 ラクスの視線は変わらない、何の気負いもなく私の瞳を覗き込んでいる。まるで出来の悪い生徒に教える先生のように、つらつらと語っていた。


「それから、パイロットたちは定期的な記憶整理が行われています。戦乙女のコネクトギアは外付け、それも自分の脳細胞の一部を移植した物を使っています」


「………(むご)い事をする」


「いえ、コネクトギアの中に脳の一部があるのではありませんよ。インプラントと接続率を高めるために細胞の電気パルスを真似ているだけですから」


「じゃあ何か、パイロットとしての役目を終えた奴は記憶を消されるということなのか?」


「ええ、その辺りは保証局のパイロットと同じです。ナツメさん、手を貸してください」


「胸じゃなくて?」


「それはまた後で」


 ラクスの小さな手が私の手を持ち上げた...もうここまで来たらこいつを疑う余地などないのだが、本人は納得していないらしい。


「戦乙女は後頭部、第一脊椎と呼ばれる辺りにコネクトギアを装着しています。どうしてか分かりますか?」


 悪戯っぽく、ものの見事に推理を外してしまった私を嘲笑うかのように、窄められた目を上向けて私を見ている。


「…………全身の神経が集中しているところ、だからか?」


「そうです、彼女たちのコネクトギアは特別性なんですよ。装着するだけで身体運動も飛躍的に向上する優れ物なんです」


 小さく開いた唇から、吐息が漏れるようにこう告げた。


「………あなたの手でボクを触ってください」


 言われた通りに触れてみる、そこにはおよそ機械的な物はなにもなく、あるのは柔らかい感触だけだった。


「──疑って悪かったよ」


「ふふふ……これでナツメさんはもうボクに逆らえなくなりましたね」


 こいつもこんなナリをしているがやはり男らしい、ルイマンと良い勝負をする下卑た笑いをしながら遠慮なく私に抱きついてきた。

 だが、不思議と嫌な気はしなかった。


「はいはい、終わってから好きにすればいいさ、それぐらいの罪滅ぼしならお安い御用だよ」


「ふふふ……言質は取りましたからね」


 何ならこのまま押し倒されそうな雰囲気になったが、こういう時に入る邪魔者はどこの世界にも存在しているらしい。荒々しい足音を立てながら他の隊員らが私の部屋に入ってきた。


「──!お前!抜け駆けすんなよ!」


「ナツメさんは皆んなのナツメさんなんだぞ!」


「ボクが一番先ですからね!」


「で、用件なんだ?」


「作戦が決まりました、すぐにリビングに来てください。このままここで待機していても拉致が明きません」


「だろうな、すぐに行くよ」



 泥縄で決められた作戦はとても単純なものだった。夫妻を匿うグループと味方殺しのヨトゥルを引きつけるグループに別れて館の外に出る、ただそれだけだった。


「ヨトゥルが持つオートマタは屋内にいる人間に対して使用してはならないという決まりがあります。だからこうして時を持っていたのですが……外からあなた方を迎えに来る部隊が進行を開始したとの報告を受けました。これ以上は待てません、彼らがやって来たらあなた方を逃すことができなくなってしまいます」


「奴さんも痺れを切らしたんだろうさ、炙り出しにかかったんだろ」


「それで?グループ分けはどうするつもりなんだ」


 自警団を預かる団長が説明に入った。


「囮は我々が引き受けます、それらしい格好をさせた二人を我々が囲い街の大通りを歩きます。その間、特殊部隊がコールダーさんらを護衛してこの館から続く雑木林を抜けてください。抜けた先は街の外にまで続く川がありますから、それで何とか………」


「待ち伏せの危険性は?」


「我々の危険性も考慮していただけたらと思いますが?」


 自分たちで調べろということか。


「だな、そこまでお前たちに世話になるのもダサい話だ。ラクス、行ってくれ」


 ラクスが無言のまま館を飛び出していった。


「じゃ、それで決まりだな。お二人も頼んますよ」


 コールダー夫妻が無言で頷き、作戦の決行が決まったようだ。

 夫妻も特殊部隊に一応見えるように変装させてから、囮役を引き受けた自警団の者たちが館を後にした。あとはヨトゥルが彼らに反応したのを見届けてから、私たちも雑木林に足を踏み入れる算段だ。

 自警団が館を後にして十数分、ヨトゥル機を監視していた隊員が二階の部屋から声を張り上げた。


「卵が落下!行きましょう!」


 彼らの無事は祈るしかない、私たちも無言のままリビングから館を出て雑木林へと入っていった。

 先にあの鬱蒼とした森を歩いて正解だったといたく思った。雑木林の中は過去に誰かが手入れでもしていたのか、獣道が薄らと続いていたので足を取られるようなことはなかった。私の手を引いてくれていたラクスは傍にいない、けれど気持ちにいくらか余裕があった。

 だからこそ木立の中の異変にすぐ気付くことができた。


(あれがオートマタか……)

 

 先に様子を見てくれているラクスが先んじて撃破したのだろう、それは全体的に丸いフォルムをしており奇妙なまでに細い手足が覗いていた。一言で言って気味が悪かった。


「…………」

 

 夫妻の足取りに合わせて雑木林の中を駆け抜ける、私の悪い癖が騒ぎ立て必要以上に警戒を続けながら。



✳︎



「…………………」


 街に夜の帳が下りつつある。茜色と紺色が角逐し、劣勢と見た蟲たちが月の軍門に下るのも最早時間の問題であった。


(勿体ないことをした勿体ないことをした勿体ないことをした勿体ないことをしたあの足!)


「何がどうなっている……ディリン家の目的……暴動……蜂起した理由、新しい兵器の投入……その全ての辻褄が合わない……」


 過去のグレムリンが築いた城の一角、互いの軍勢が激しく空を奪い合う様子が見て取れる部屋、煩悩と苦悩に満ち満ちた私の独り言が露となって消え失せた。


(あの瑞々しい太腿!その付け根の歪な三角形!ああ……何て勿体ないことをしたんだ私!命令を破って声をかけた時にあの手この手で手籠めにしておけばよかった〜〜〜!!だがもう遅い!あんなチャンスは二度もやっては来んだろう!)


「何故、王族に仕える者たちが争うのだ……どちらが先にと角逐でもしておったのか……?それならば何故、ヴァルキュリアのパイロットを私に付けたのだ……だから新型の兵器を投入したのか?ヴァルキュリアより上だと知らしめるために………それなら王都の部隊が到着するまで事を起こさなかった理由が分からない……何故、部隊が到着してから動き出したのか……やはりコールダー夫妻の身柄を横取りするのが目的なのか……いやいや……」


 太陽と月が巡り巡るように、煩苦悩に支配された私の心と頭も同じ思考を辿りながら星々の軌道をなぞらえていた。


(毎朝毎夜拝みたい!日に二度は拝みたいあの足!頬擦りだってしたい……もういっそのことストレートに触りたいと今からオーディンに頼み込もうか……それが良いような気がしてきた……侯爵の位?そんな物よりこの世の中には大切なものがある!男は一時の快楽の為に命だって投げ捨てる浅はかな生き物──論点がずれている修正しよう)


「大事なのはディリン家の目的を暴くことではない、どうやってコールダー夫妻を王都に送り届けるかだ、このままでは私の立ち位置までもが危ぶまれてしまう」


(そうなってしまえば今日まで貯めに貯め込んだ人形たちが質屋に入れられてしま──そうか……ただ眺めるだけならあの足を人形師に作ってもらえば良い!何故こんな単純な事に気が付かなかったのだ!)


 部屋に置かれたモニターをすぐさま起動させ、詰所にいるパイロットへ指示を出した。


「兵士長を私の部屋に、それから一個小隊を街の外に待機させておけ」


[鼠狩りですか?]


「ヨトゥルに先取られるな、何としてでもお前たちが先に見つけ出せ、良いな?」


[ディリン家の兵団はいかがしますか?さすがに刃を交えるのは気が引けます]


「先に見つければ良いだけの話だ、そうすればいくらでも交渉できる」


[了解致しました]


(まずは木の選定からか……いや、どうせならあのハフアモアとやらを使ってみるか──いやいやいやいや!あれを使えば人形師などに頼まなくともすぐに出来るのではないか?!──早まったか!!)


「──待て!!特個体の出撃は夫妻が街の外に──」


 "時"と"機"、それは似ているようで非なるもの。

 "時"とは周囲が己に合致することを言い、"機"とは己の中が満ちることを言う。

 この"時"と"機"を履き違えた者の末路は星々の軌道よりさらに明確であり、蟲たちよりも一層醜く、夜の帳が下りても隠れることはない。

 思っていた通り私のモニターに通信が入った。相手はオーディンではない、デューク公爵だった。


[グレムリン、いかがお過ごしかな?]


「これはこれはデューク殿、突然の連絡で戸惑いが隠せませんな。私のような者に何か御用でも?」


[無論だ。ところで、君は将棋という遊びは知っているかな?何、この国でも嗜まれているチェスのようなものだ]


「聞き及びませんな。それで?」


[あといくつ駒を動かせばチェックメイト出来るのか、という思考ゲームの一種だよ。是非とも君に勧めたいと思ってね]


「考えておきましょう。他に御用は?」


[良く考えておいてくれたまえよグレムリン、あと一手という時こそ人は良く間違えるものなんだ。駒を動かす時が来たと、盤面に置かれた駒を履き違え誤った手を打ってしまう]


「……………」


[それと、将棋はチェスには無い独特のルールがある。ポーンと同等の歩という駒は、敵陣の奥深くでキングと似た動きをする金という駒に成り上がるのだ。これをと金と言い、どんな局面においても盤面をひっくり返す程の力を持つ駒になる]


「……………」


[まだ謝罪を口にしないのかね?私が何の為にディリン家を放ったと思っている、全てはウルフラグを欺く為だ。それだと言うのに君は何の発令もされていない、見かけは平穏そのものの街の外に一個小隊を配置させたのだ、それも特個体をだ。ここまで言ってもまだ分からないのなら今すぐ盤面から下りたまえ、君は大将に向いていないよ]


「………勉強させていただきましょう」


[その方が良い。それから今回の責任は取ってもらう、いずれ連絡が来ると思うのでその時は潔く王都に出向くように]


「……お言葉ですが、見誤ったのは公爵殿も同じではありませんかな?」


[だから怒っているのさ、私も君の機が熟していなかったといたく反省しているよ]


「………ご賢察痛み入る」


[こうなったらウルフラグと事を構えてでもコールダー夫妻の身柄を押さえよ、そうすればいくらか王の機嫌も良くなるだろう。では]


 ...空の角逐も終えようとしている、軍配は予定通り夜に下りるようだ。駆逐されつつある茜色の軍勢が、私の股間と同様に勢いを衰えさせていた。

 機嫌がすこぶる悪かった公爵との会話を終え、心身共に疲れ切りこう言葉を溢した。


(欲に走るのは良くないな……)


「欲に走るのは良くないな……」



✳︎



(あれは──確か……いやでも、そんなはずは……)


 雑木林を駆け抜けていた私たちの前に、ある女性を先頭にして武装した一団が立ちはだかっていた。

 黒い髪、浅黒い肌はこの国では良く見かける色だ、しかしあの顔は──良く似ている、だが、決してあの子ではない、あの子であるはずがない。


「ご機嫌ようコールダー殿、このような手荒な真似をお許しください」

 

 声は...違うようだった、彼女の方がまだ大人びている。


「君は………カルティアン家の……」


「あなた方を王都に連れて行きたく、カルティアン家当主の私がお迎えに上がらせていただきました」


 涼やかで、まだ子供らしさが残る瞳を私たちに向けてきた。その彼女の名を──


「初めましてウルフラグの皆様方、私はナディ・ゼー・カルティアンと申します。どうかこの場からお引き取りください、悪いようにはいたしませんので」

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