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第32話

.作られた大地



 リッツ・アーチーと名乗った女性は驚いた事に秘書官を務めているらしい。一見して男の子のような彼女であったが、港における損害について事細かく報告するその内容は舌を巻くのに十分であった。


「──以上です」


「ありがとうございます。今回の騒動につかれましては内閣府の代表として心より謝罪致します、後の事は我々が責任を持って対処致しますのでご安心ください。暫くの間は仕事に支障をきたすかと思いますが、それはご辛抱ください」


「なあ?言っただろう?彼女は優秀なんだよ、まるで自分の家のように港を熟知していたから壊れていた箇所なんかがすぐに分かったのさ」


「そのようですね」


「いいえ、そのような事は……他の社員の皆さんからの情報提供があったお陰ですから」


 現場の視察に同席していたヒルナンデス大統領が何故だか得意気になっている、少し離れた位置に座っているアーチー秘書官はまるで肩の荷が下りたような顔つきになっていた。

 本来であれば彼女の役目は連合長であるクヴァイの()が行なうはずなのだが、今はクックで開かれている臨時の連合長会に出席しているはずだ。


(いや、私たちとの関係を持たない彼女に任せたのは懸命な判断だと言えるのかもしれない)


 まあ...失意の底に沈んでいる彼女がそこまで見越せているかは甚だ疑問ではある。

 アーチー秘書官の報告をもってカウネナナイ襲撃の件は一段落したと言えるだろう、彼女同様に私も肩の荷が下りた気分だった。

 弛緩した空気に当てられたのか、ヒルナンデス大統領がこんな事を口にした。


「ミスター・クトウ、彼女をこっちに招待してあげてはどうだ?」


「──え?」


「さっきも言ったがリッツはとても優秀だ、政府内に席を置けばその真価が君にも分かることだろう」


「いやいやいやっ!ちょっと待ってくださいっス──あ、いえ、すみません……大統領っ」


 知らないうちに二人は仲が良くなったようだ、私に聞こえないよう内緒話をしている。


「大統領、政府内にと言いましたが、自分の下に置きたいだけでしょう?」


「その通りだとも!」


「……まだ話終わっていないっスよ!」


「リッツ!君のその喋り方は愛嬌があっていい!私の代わりに交渉役をやってほしいぐらいだ!」


「…それは冗談のつもりで言ってただけでっ」


「私は本気さ」


「大統領、その辺りで。彼女が困っています」


「ふうむ……まあいいさ、アプローチは一回で通るものじゃないからね!」


「……いやいやいやいや」


 と、本人は言っているが本気で困っているわけではなさそうだ。


(確かに、マキナとのやり取りを経験しかつカウネナナイの襲撃も経験した人となれば稀有ではある………ん?)


 和やかに話しをしている二人に一言入れてから、メッセージが入った携帯を確認した。相手はグランムール政務官、内容は──


(ガングニールを発見した?一体どこで……)



✳︎



「何だったんだろうね、さっきの」


「さあ。ガングサンキュー」


「さ、サンキュー……です」


[敬語カワよ。お前さんもタメ口でいいぞ]


「ほえ〜……ガングさんはとても凄い力を持っているのですね」


[嫌味か?ん?お前さんの方がスゴいくせに……]


「ええ、謎の喧嘩腰……ラハムが何かしましたか?」


「ほら、あれだよあれ、ふんすってやつ。あれ?でもあの時ってガングはもういなかったよね?グループから退会してなかった?」


[あれ、オレのあだ名ガング固定なの?まあいいけどさ。グループから抜けたけど監視カメラからずっと見てたんだよ]


「いやでもどうしてお姉ちゃんの切符だけ通らなかったんだろうね」


 会話がループしている。

 到着した駅は何というか...とても広かった。バスターミナルはいくつも存在し、その停留所から露店が軒を連ねておりこれでは何の施設か分からない程に混沌としていた。

 混沌と言ってもあれだ、決して悪い意味ではなくホテルであったりレジャー施設であったり、駅利用以外にも裾野を広げて商売をやっているイメージだ。

 大勢の利用客と一緒にお店を冷やかしながらホームに辿り着き、建物の中なのに整然と並ぶヤシの木アーチには度肝を抜かれた。

 そして券売機でピッ!をして買った切符で改札口をピッ!として通ろうとしたのだが、何故だか私だけ弾かれてしまったのだ。何をやっても通らない、慌てて駅員さんを呼んで機械を見てもらっても駄目、挙げ句の果てには電子決済をした定期券カードを確認される始末、事務所からのじっとした視線に怯えていると(何も悪いことしてないのに!)ポケットから「オレの出番だナ」の一言で何とか改札口を通ることができたのだ。


(え、これっていいんだよね……キセル乗車にならないよね?)


 小さな穴が空いた切符を見やる、とくに変な所はない...と思いたい、何せ今日が初乗車なんだし、見ても良く分からなかった。

 ガングニールと初顔合わせ?をした二人は私の携帯を覗き込みながら会話を続けている。

 ちなみに二人にはガングニールのお陰とは伝えていなかった。


「機械の故障じゃない?」


[ま、そういうコトだな。オレにかかればちょちょいのちょいサ!]


「久しぶりに聞いたその言い方。ちょちょいのちょいって」


 フレアもさっそくガングニールに慣れたのか、ふふふと笑みを溢している。


「で、結局ガングは何?ラハムさんと同じタイプなの?」


 すっかり機嫌も良くなったフレアが私のすぐ隣から首を傾げてそう尋ねてきた。ううんと数瞬悩んだ末、その本人が答えていた。


[似たようなモンだ、オレたちもサーバーにいるのが常だからな。そこはマキナとあまり変わらない]


「そうなのですか?ラハムはガングニールというマキナの方は存じませんでしたが……」


 改札口を過ぎても沢山のお店が並ぶ通りを歩き、目を奪われながらもエスカレーターに乗り込んだ。立地的な関係からかホームは駅の建物より下側にあるらしい。煌びやかなライトに照らされながら、ずんずんと下に降りていく。


「というか、たち?ガング以外にもいるってこと?」


[そうだゼ、オレの他にダンタリオンっていういけ好かないガキもいる。そいつのせいでオレもこんな目にあってるんだが……ま、それはこの際水に流そう、お陰で色んな奴と話せているからナ!]


 画面のガングはご満悦そうだ、腕を組んで偉そうに笑っている。というかダンタリオンという特個体は子供なのか...

 エレベーターから降りた辺りからそれはもう凄い電車が視界に飛び込んできた。初めて見る私もラハムさんもガングそっちのけで食いついた。


「わ!何あれ!家じゃん!」


「は〜〜〜!豪華な電車ですね〜〜〜!」


 でかっ!二階建てぐらいの大きさがある電車はさながらレールを走る家そのものだった。電車の入り口は外付けの階段を使って入るらしく、他の利用客も驚きながら中へと足を進めていた。

 

「中はもっと凄いよ!部屋も一つずつ割り当てられてるし!レストランやシャワールームまで付いてるし!まさに至れり尽くせりってやつ!」


「何それ!乗り物じゃないじゃん!本当に家じゃん!」


「早く行きましょう!ラハムはもう待てません!」


 三人揃ってたたたと駆け出し階段を登って電車の中に突入した。入り口で待機していた添乗員の案内に従って足を進めてみやれば、


「えー!サロンがある!凄い!」


 それにふかふかの絨毯!まるで高級なホテルのようである。中央に円型の受け付けがあり、その奥には両サイドに設けられた螺旋階段もある!何か、螺旋階段は豪華であることの証なのか?確かライラの自宅にも──


(……………)


 浮かれていた気持ちに翳りが生まれた、昨日はライラに酷いことをしてしまって...それっきりにしていた。

 受け付けに駆けて行く二人から少し離れて携帯画面を見やる、ガングニールが拗ねた顔つきになって「こんな豪華電車よりオレの方がな……」とやっぱり拗ねていた。


「ねえ、ライラの携帯はまだ電源が切られてるの?」


[……ん?ああ、そうだな、ちょっと待ってろ]


 そのまま画面から移動し、見切れてはいるけどガングニールが何かやっている様子だった。受話器が飛んできたり、メール便のアイコンが飛んできたり、アニメ調に表現される様子は見ていて面白かったけど、素直に楽しめる心境ではなかった。

 何をやったらそんなにボロボロになるのか、でっかい絆創膏を頭に付けたガングニールがひょいと顔だけ覗かせた。


[駄目だな、あれこれ試してみたけど繋がらない。お嬢は昨日から電源を落としたままだ]


「それって……やっぱり私のせい……だよね?」


[だろうな。それと、ちょっといいか?お前さんに話さないといけないコトがある]


 え、何だろう...この流れで良い話ではあるまい、少し身構えながら近くにあった一人用のソファに腰を下ろした。受け付けにいる二人を見やれば、こっちを見向きもせずに添乗員の案内に付いて行っている。


「……いいよ、それで何?」


[お前さんは今、保証局に監視されている。何故だか分かるか?]


「……………………………ああ、ウィゴーさんのこと?」


 ガングニールの口からすっと出てきた言葉は少なからずショックだった。どうして私が?そう疑問に思い、テロリストであるウィゴーさんを助けた事も思い出した。

 さっき改札口で私だけが弾かれてしまったのはそれが原因らしい。


[あの時は色々と起こってお前さんの事情聴取が後回しにされているから、あまり遠くへ行かせたくなかったんだと思うゾ。電子決済を通じて改札口でブロックしたんだよ、それをオレが解除したってワケだな]


「そんな事して大丈夫だったの?」


[自分のコトよりオレの心配か?……お前さんホント変わってんなぁ〜]


 しみじみとした視線で私を見ている。


[そういえばさっきオレの説明もはぐらかしただろ、それは何でなんだ?]


 改札口の一件だ、それには明確な理由があった。


「ガングって全部の電子機器にアクセスできるんでしょ?フレアがそれを知ったら絶対とんでもない要求をしてくると思ったから」


[…………]


「あの子、ラハムさんにもタダで買わせようとしてたし……悪い事に使わないと思うけど念のために……って、ガング?」


 口をぽかんと開けた状態で固まっている。


(そんな驚くような事かな………って、ちょっと待って本当にフリーズしてるんだけど!)


 いくら時間が経っても元に戻らない、試しに携帯を振ったりガングニールが嫌がる電源ボタンを押しても反応がまるでなかった。


「ええ……大丈夫かな……」


 さてどうしようかと逡巡したが、サロンの奥からずだだだと走ってきたフレアとラハムさんに連れて行かれてしまい、それどころではなくなってしまった。



✳︎



 ホシ君とは久しぶりに顔を合わせた、その時に色々な事を言いたかったし聞きたかったけど、私の口から真っ先に出たのは大佐の事だった。

 薄らと漂う消毒液の匂いを嗅ぎながらハンドルを握る、向かう場所は首都内にある空軍の基地だった。どうやら敷地内に特個体の専用ハンガーがあるらしい、噂だと思っていたが本当の事だった。

 助手席に座っているホシ君にちらりと見やる、彼は窓の向こうに視線を投げかけているだけだった。


「本当に私が入っても問題はないのか?」


 眠いの?私の言葉に顔を向けたホシ君はどうやらうつらうつらとしていたらしい、ほんの少しだけ再起動に時間を要してから答えていた。


「……ああ、はい、大丈夫ですよ、保証局にはもう伝えてありますから」


「……そうか。その、眠いのか?」


「はい、病院ってあんまり好きじゃなくて、変に緊張してしまって昨夜はあまり眠れなかったんですよね」


「……そうか」


 そう言いながら背もたれにぼすんと体を預けている。

 今日はいつもの雰囲気ではない、何というか、年相応というかあまり肩肘張っていないように思う。つまりリラックスしているということだ。

 以前会った時はもっと緊張していたように思うが...けれどそれには理由があった。


「僕、もしかしたらこのまま任期が終わるかもしれないんですよね。ダンタリオンは不在だし、再起動してしまえばパイロットも替えないといけないので」


「……それは、良い事なのか?私には良く分からないけど」


「どうなんでしょう...心残りはないと言えば嘘になりますが…ただ、もう二度空を飛ぶことはないでしょう」


 ちょうど信号に捕まってよかった、ホシ君の言葉があまりに意外だったのでつい前方から視線を逸らしてしまった。


「それはどういう事なんだ?君はパイロットだろう?任期が終わっても空軍に戻れば……」


 見やったホシ君の顔は──リラックスしていたのではなく、"諦め"からくるものだった。


「それはできないんですよ。特個体のパイロットになった人間は、脳内に埋め込んだインプラントを摘出したと同時に全ての事柄を忘れてしまうんです。それがルールなんですよ」


「全てって……」


「ああ、全てっていうのは特個体に関することだけでそれ以外の記憶は残ります。だから日常生活に支障をきたすことはありません。ただ、空の飛び方も一緒に忘れてしまうってことです──あ、青になりましたよ」


 促されるままアクセルペダルをゆっくりと踏み込む、ストップしていたエンジンのシリンダーが動き始め私たちを乗せた車が進み始める。

 空軍基地はもう目前だ。長らく続いていた住宅地がいきなり途切れ、鉄柵に囲われた広大な敷地が見えてきた。滑走路に何機か特個体が並んでいる、今から訓練飛行でもするのだろう。

 またちらりと見たホシ君の顔は、どこか懐かしんでいるようだった。



「お連れの方、ですか……確かにあなたが来ることは連絡を受けていますが……」


「彼女の介護がなければ歩けませんので。よろしいですね?」


「…………ボディチェックはさせてもらいますね」


 そりゃそうだろうと思う。陸軍も採用したゴーグル型の端末に隠れているので見えはしないが、この人の目は疑いに満ちていることだろう。何せ私は海軍の人間だ、いくらパイロットが立ち入りを許可してもあまり内部へ入れたくはないだろう。

 それでもホシ君は気にした様子を見せていない、されるがままにボディチェックを受けて案内人の跡に続いた。

 そうだ、うん、こういう事はきちんと訊かないといけない、うん。


「あ〜…その、何………痛くはないか?」


「………はい、大丈夫ですよ」


 ホシ君は負傷しているため満足に歩くことができない、そしてそのホシ君を私が支えている。どうやって?それは勿論体を密着させて──いやいや、肩を貸してあげているだけだ、これは密着と言わない。ホシ君の頬が薄らと赤いのは気のせいだろうか?そもそも君が言い始めたことなんだぞ?

 私たち二人を奇異の視線で眺めている案内人、事務棟から出てだだっ広い敷地内を歩き特個体専用のハンガーへと向かっている。

 暑い日差しが鬱陶しい、これ以上汗をかきたくないというのに暑さからか緊張からか、腕や脇がじっとりと濡れているのがどうしても気になった。


(臭くはないだろうか……臭くはないだろうか!こんなことになるなら何か羽織ってくれば良かった!)


 しかし時既に遅し。

 特個体のハンガーに到着する頃にはもう二人とも汗だくになっていた、涼しい顔をして歩いている案内人に腹を立てたぐらいだ。

 真新しい扉を開けた先は予想通り空調が効いていたので心底助かった。けれど、彼を支える役目はまだまだ続くので体を密着させ──肩を貸したままである。

 入り口から少し進んだ所にエレベーターがあり中に乗り込む、ここまでの間案内人は一言も口を開かない。緩やかに動きだしたところでホシ君の頬が赤いままになっていることに気が付いた。


(恥ずかしいの?!だったらどうして私に頼むんだ!私だって恥ずかしいのに!)

 

 ここに来た理由を忘れかけていたけど、到着した地下フロアでそれをすぐに思い出すことができた。


「まるで……無菌室みたいな所だな……」


「そうですね、僕もそう思います」


 照明も何もかもシンプルなデザインに統一されており、廊下にはごみはおろかちり一つとして落ちていない。ここが本当に軍事施設なのかと疑う程、特個体という存在がそれ程に特殊なのだろうということが分かった。

 ようやくだ、ようやくお目当ての場所に辿り着いた。案内人とホシ君がそれぞれパスコードを入力し扉を開けている、その案内人が去り際「くれぐれもおかしな真似はしないでください」と遠慮なく私にだけ釘を刺してきた。


「分かっています」


 まだ顔が赤いホシ君がそっとお礼を言ってくれた。


「……ありがとうございます、ここまで来てくれて」


 だが、どうしてだか、ここに来て急に私は意地悪になってしまった。


「そのお礼よりも、私はこの間の事について詳しく訊きたい………かな」


「…………」


 (この例えはどうかと思うが)缶ビールの蓋を開けた時と同じ音を立てながら扉が開いた、それでもホシ君は歩みを進めようとしない。これは困らせただけだなと思い助け舟を出した。


「まあ……いいよ、その内ゆっくりと訊かせてもらうから」


「………もしかしたら、僕はあなたの事を覚えていないかもしれません。それでもですか?」


「ああ、私は君の事を覚えているから問題ない。その時に振ら──」


 ああ!柄にもない事を言うんじゃなかった!まだそうだと決まったわけじゃないのに口がもう恋人うんぬんの事を──てっきりまた言いはぐらかされると思ったが、とても真摯な答えが返ってきた。


「……そう言ってもらえると嬉しいです。きちんとお話しますので、それまで待っていてもらえませんか?」


「……うん、分かったよ」


 頬がかぁっと熱くなるのを感じた。

 これでおあいこだなと謎の上から目線で自分の気持ちを落ち着かせている間、ホシ君がそろりと歩みを進めた。この中がどうやら特個体の精神的なメンテナンスルームになるらしい。ちなみに、外部の者がここに足を踏み入れたのは私が初めてなんだそうだ。


「多分ですけど、ここを出る時に口外しないようあれやこれやと契約書を書かされると思いますが……」


「今さらだよ。覚悟はしていた、それに私の方から大佐の事で持ちかけたんだ」


 メンテナンスルームはひっそりとしていた、それに照明も十分に点けられておらず薄ぼんやりとしている。広さはどうだろうか...薄暗いせいで全体を見回せることができない。


(ん?……この匂いは……何だろうか)


 中央に近づくにつれて異臭が鼻をついた。消毒液の匂いの中に、甘い香りやすえた臭い、雑多に混じっている印象を受けた。


「この匂いは──」


 そう声をかけた時、ホシ君がある一点に視線を注いでいることに気づき私も同じように向けてみると、一人の男の子が壁に背中を預けてぐったりとした様子で座っていた。

 ホシ君が私からそっと離れ、その男の子に離しかけた。


「ダンタリオン、僕のことが分かるかい?」


(………ダンタリオン?あれが?どういう事なんだ……)


 壁に背中を預けている男の子、長い髪の毛が顔を隠しているため良く見えない。服装は...あまりこちらでは見かけないものだ、どちらかと言えば貴族のそれに近いと言える。胸元と服の裾にフリルが付けられている、そしてそのどちらとも空と見紛う程に綺麗な青色をしているのが印象的だ。

 一人で歩くことができないホシ君が四つん這いになってまでダンタリオンと呼んだ男の子に近づいていく、その姿は──滑稽に見えて、そしてとても一生懸命のように感じられた。ここへ初めて来た私は口を挟むことすら憚れた。


「……ダンタリオン」


 負傷した足を庇うように床に座り込み全く反応を示さない、それこそ人形のような男の子の頬に手を添わせた。


「……まさか、お別れの挨拶もできずに終わってしまうなんて思わなかったよ……色々とありがとう」

 

 ホシ君がそっと顔を持ち上げた、顔はやはり良く分からないが目蓋が閉じられているように見える。


(まるで恋人のよう……いや、兄弟のようだな……)


 別れを惜しんでいる、あまりダンタリオンと呼ばれる存在について口にすることはなかったけど、彼にとっては余程大事だったらしい。

 と、一人で勝手にしみじみとしていたが、


「──最後にごめん、迷惑かけるよ」


「──ん?」


 何を...迷惑をかけるとは?私の疑問を他所にホシ君がポケットから端末を取り出しどこにでもあるようなケーブルを挿しこんでいる。そしてそれをあろう事か男の子の頭に──


「ちょちょちょっホシ君?!一体何を──」


 頭に挿すって、いくらなんでも動揺し過ぎなのではと慌てて止めに入った。けれど、私の声は言葉途中でアラート音に掻き消されてしまった。


「なんっ?!これは?!というか少しぐらい私に説明してくれても──」


 艦内で耳にするアラート音とはまた違う、電子機器のエラー音にも似ていた。

 私の抗議が耳に届かなかったホシ君は何やら必死になって携帯画面をタップしている。


「ちょっと待ってください──やっぱり生きてる、ハッキングされたわけじゃない、パスコードが有効──あとは、」


「いや、ちょっとほんとっ」


 頼むから説明を!このエラー音は部外者である私のせいではないのかと気が気ではなかった。

 こちらを一切見ようともしないホシ君が携帯のインカメラを自分に向け始めた、こんな時に自撮り?!と混乱してしまった。そしてそのままパシャリ、あんなに近づけてしまったら瞳しか映らないのでは?と思い、すぐに合点がいった。網膜を読み込んでいるのだ──そう理解したのと、ずっと薄暗かったメンテナンスルームに明かりが灯ったのが同時だった。


「まぶしっ!」


「スミスさんはまるでヴォルターさんと同じですね。テンパるとお喋りになってしまう所が良く似ています」


「あのね君ね、おじさんと似ていると言われて喜ぶ女性はいないと思うぞ?」


「すみませ────」


 自然に、そしてどこか悪戯っぽく笑うホシ君はとても魅力的だった。

 中途半端に終わってしまった謝罪の言葉、また視線が一点に注がれている、それは私より後ろ、そしてやや上だった。


「何だ………あれは…………」


 振り返って上向けば、そこには──

 ネオンに彩られた大きな文字でデカデカと「SI★RO★NA★GA★SU★くじら」と浮かんでいた。そしてさらにその上、


「しろ……ながす、くじら?」


 つぶらな瞳が真っ先に目についた、その瞳の大きさも通常の生物より遥かに大きい。口に相当する部分は窄まっていて、その顎からお腹にかけて白い模様が幾重にも入っている。細長い胴体には魚で言う鰭のような物が対になってついており、尾鰭はさらに大きく菱形に近い形をしていた。

 そして何より、大きさだ。部屋を埋め尽くさん程の巨体さは今まで見たことがない。差し渡って一〇...一五メートルは下るまい。それにこのメンテナンスルーム自体も一つのハンガーのように広々としている所だった。

 生まれて初めて見るショックさから回復し、私はホシ君に詰め寄った。


「な──な──なんっ何だあれはっ!ホシ君!あれが何なのか分かるのか?!」


「──え、いや、ちょっと待ってください…………あったあった、これだ!」


 今さら汗臭いだのと気にしていられない、私もホシ君が手に持つ携帯の画面を覗きこんだ。


「………………哺乳類?!これがか?!」

「体長は最大で……三〇メートル?!特個体より大きいじゃないか!」

「というかあれは生き物なのか?!」

「体重が一九九トン……いやでも確かにあの時見たものと似てはいるけど……」

「……これ、年表がおかしくないか?創作物なのか?」

「え?」

「一九六六年に捕獲が全面的に禁止、二〇一八年に絶滅危惧種指定と書かれているけど…今は一八四三年だろう?」

「あ、本当だ……未来の話?いや違うな……」

「どっちにしても、あんな大きな生き物が存在していたのであれば私たちやユーサが見逃すはずがないし……」


 つい夢中になっていた、そう言わざるを得ない。思っていたより広いメンテナンスルームにもっと気を配るべきだった。


「いえ、実はですね、この間の襲撃事件の時に──」


 ()()()。何かが嫌な音を立てて私たちの注意を引きつけた。壁に背中を預けて座っていたのは男の子だけではなかった。年齢、性別もバラバラ、十数人近くの人間たちがまるでマリオネットのような動きで立ち上がり始めていた。

 もう何が何やら、ここに来てから驚かされてばかりである。不気味な集団の先頭に立っていた老婆が、何かに釣り上げられるように頭を上げてこう言った。


「これ以上の情報漏洩は見逃せない。ダンタリオンのパイロット、ホシ・ヒイラギ君、君を拘束させてもらう」

 

「喋ったっ!」


 老婆とは思えない、というより声音は男性のそれであった。

 差し迫っている危機にものともせずホシ君が答えた。


「……お久しぶりです大臣、と言ってもお声しか知りませんが。何が情報漏洩になるのですか?」


 老婆の背後に立っていた青年、それから学者風の男、さらに私とそう歳が変わらない女性がゾンビのように腕を持ち上げた。


「見れば分かるだろう?これだよ、これ。秘匿し続けていたこの生き物は、今は亡き地球の姿の一側面を表したものだ」


「今は亡き……?それはどういう──」


「グガランナ・ガイアから聞いていないのか?奴の話は全てが真実だ。ところでアリーシュ・スミス、君にお願いしたい事がある」


 何の脈絡もなく急に何を...ホシ君を半ば無理やり立たせて距離を取った。


「何故私の名前を知っているのか、お訊きしても?」


「住民票から割り出しただけだ、そこは重要ではないので割愛するが、聞き届けてくれるなら君にかけられている嫌疑を晴らしてやろう」


「……嫌疑?」


「君は海軍上層部の審議会で虚偽の申告をしただろう、可哀想な事だ……同時に呼ばれたリーゼント大尉はきちんと報告したというのに、シュナイダー大佐を庇ったがために今度は自分が疑われてしまうとは」


「……そう、だったんですか?」


 気遣わしげなホシ君の視線が私の頬に刺さった。

 こちらの事などお構いなしに話しが進められていく。


「私に協力してくれたらその嫌疑を解いて君を大尉の座に戻してあげよう。何、そう難しい事をお願いするつもりはない、ダンタリオンが原初に近づいたんだ彼の頭からその軌跡を辿りたいだけなんだいいだろう?」


 一言で言って、


(ヤバい!)


 気持ちが悪い!後半は早口で何を言っているのか良く聞き取れなかった程だ。ダンタリオンが...何?何に近づいたって?目的は良く分からないがホシ君に何かしようとしている事だけは理解した。

 必然的に距離を空ける、それに合わせて例の三人組がゾンビのように近づいてくる。


「何故逃げる?良い取引きだと思うが……仕方がない」


 ゾンビの目の色がはっきりと変わった。打つ手なし、こうなったら最後までホシ君を庇うしかないと強く抱きしめ──予想していた痛みや衝撃がやって来なかった。


《さすがは腐ってもパイロットってところか!そこは評価してやるゼ!》


 代わりに頭上から声が振ってきた。男の子ようで女の子ようで、言葉使いが悪かった。まずはゾンビ衆を確認した、どこから飛んで来たのか真っ直ぐに伸びる槍に貫かれて動きを封じられていた。

 もう驚くまい、これ以上私の価値観というの名の防波堤が壊されることはない──いいやそうはさせない!と息巻きながら振り向くと、


「なんっ?!何でこんな所に特個体がっ!というかいつの間にっ?!」


《的確なツッコミ感謝するぜお嬢さん!そういうのをオレは待っていたんだ!そんな事よりソコのお前!こいつは確かにいけ好かないがイジくり回されるのを黙って見過ごす程仲が悪いわけでもない!─「どっちなんだ!」─それにダンタリオンについても詳しいようだな!答えろ!》


 じょ...え?地面から特個体の上半身だけ露出して──露出というのかこれ、生えていると言った方が良いのかもしれない。

 機体カラーはオレンジ、頭部のアンテナ、肩の装甲板はそれ自体が鋭利な刃物のように鋭い。そして何より歪なその腕、バトル漫画に出てきそうな筋肉キャラのイメージを持ってしまった。

 さらに──


「ん?!女の子?!肩に女の子が乗ってるぞ!」


 偉そうにニヤリと笑う女の子、けれど目は少し垂れ気味で愛嬌があった。表情と合っていない。

 先頭に立っていた老婆が女の子の呼びかけに答えた。


「ガングニール……邪魔はしないでくれ。それより彼女の監視は続けているんだろうね?これでも私は一応政府に身を置いているから見過ごすことはできないんだ」


《あん?誰のコトを言ってんだよ》


「勿論、ナディ・ウォーカー」


《ああん?何でそんなコトまで知ってんだよ!オレは今お忍びで仕えて─「いや全然忍べてないぞ!」─うるさいんだよ!おいそこの!言っておくけどこの場面はライブ中継されてっからナ!下手なコトして拡散されて炎上騒ぎになりたくなければおとなしくお縄につきやがれ!》


「はあ……ガングニール、私がホシ・ヒイラギとヴォルター・クーラントのボスである事がまだ分からないのか?」


《でたな!これが本当のオレオレ詐欺ってヤツだ!絶対騙されないからな!》


「いやいや、いやいや……私は本当に彼らのボスなんだ。ホシ・ヒイラギ、彼女の胸を堪能していないで何とか言ってくれないか」


「なんっ?!」


 そうだ!私はホシ君を抱きしめたままだ!真下にあった彼の顔を見やれば─間違いなく─上気している頬が真っ先に目についた。


「君という奴は!君という奴は!こんな時に何を呑気にっ!君の為に争っているんだぞ!」


「──だっ、そ、抱きしめたアリーシュさんが悪い!免疫がないのに僕を抱きしめるから!」


「口答えするのかっ?!この場面でか?!君は意外と肝が座っているようだな!」


《それを言うならお前さんも十分肝が座って─「口を挟むな!」─お前が言うな!》


「ああもう…収集がつかない……いいかい?トリオ漫才をするなら後にしてほしい、私はただ彼の頭に入りたいだけ─《それが一番ヤバいってんだよ!「そうだ!そんな事を言われてはいどうぞ差し出す奴があるか!」


「そうは言うけれどね?このままでは間違いなく作戦が失敗してしまう。ダンタリオンに釣られて今目の前にいるガングニールもシャムガイアから離脱したんだ。コールダー夫妻の救出に向かった陸軍の特殊部隊だって二機の援護が必要不可欠、せっかくライラ・コールダーと契約を結んだ空軍のイカれたパイロットたちも二の足を踏まされてしまう。ホシ君の脳内インプラントからダンタリオンを追跡することは一重に、ウルフラグの為でもあるし私の好奇心を満たすことになるんだ。だから協力してくれ」


「最後の一言さえなければ……」


 とりあえず、私は一発だけホシ君の頭を叩いた。

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