第31話
.ライラ・コールダーの試練:2nd Defence
空軍のお歴々と会食を終え、一旦部屋に引き上げ携帯を充電コードにぶっ挿してからキング中佐と一緒に基地内を見学させてもらった。
そこで見た物に特筆すべき点はない、私が見ても良く分からなかったし、それよりもキング中佐から興味深い話を教えてもらっていた。
赤焼けに染められたクックの街を、私を乗せた車がひた走る。これから自宅へ帰って引っ越しの準備をするためだ。所狭しと建てられた建物、毛細血管のように伸びる道には大勢の人が歩いていた。
(どこの世界にも派閥ってあるのねぇ〜……)
事の発端は何気ない質問だった。何故、カウネナナイの人がカウネナナイを狙うのか、いくらテロリストと言えども同じ仲間ではないのか、と。それに対する初めの返答が"派閥"だった。
少なくとも、ウルフラグと戦争状態にあった五年前までは現国王ガルディア・ゼー・ラインバッハを支持するグループと、王位継承の二人目として名乗りを上げていたナディ・ゼー・カルティアン(同じ名前!)を支持する二つのグループがあったらしい。
カルティアン家を支持していた派閥はラインバッハ家を擁する派閥との争いに負け、停戦協定が結ばれたその年に王城から撤退したらしいのだ。だが、撤退したとは言えど王位を諦めた訳ではなく、国内に散らばりながらも復権を目標とし日々復讐の牙を磨いているとの事だった。
カウネナナイは絶対王政を敷いている、ガルディアと呼ばれる人物もナディと呼ばれる人物も互いに同じ身内であるはずだが、何でもあちらの習慣として母方の性を受け継ぐ制度があるらしい。だからファーストネームに違いがあるし、"王族"を示す証として"ゼー"というミドルネームが付けられるんだとか。ややこしい。それに前の国王は何人もの女性との間に子供を作ったとんでも野郎である。けれど向こうではそれが一般的らしい。
(ジュヴキャッチの帰還を快く思わない連中がいる……ねぇ〜)
彼らの目的は聖地であるウルフラグの奪還、しかしながら突如として発生したあのウイルスのせいでその根本目標が大きくすげ替えられ、せっかく負かした連中を国外へ追いやったというのに"ハフアモア"なる未知のテクノロジーを持ち帰られ復権の足がかりとされるのを嫌っている、だから移送船を狙って妨害しようとしているのだ、というのがキング中佐の見解だった。
さらにこのカルティアン家の派閥も細かく分かれていくため身内争いも絶えないとか何とか...
(大変そう)
そんな所にどうしてパパとママが赴いたのか良く分からない。いや仕事の為だと言うのは理解しているが、子供である私からしてみれば良く行けたものだというのが率直な感想だった。私だったら絶対に行ったりしない、面倒事に巻き込まれるのが目に見えているからだ。
[そろそろ到着するみたいだゾ。気をしっかりな]
「……ああ、ありがとう」
どうやらクックの街から考え事をし過ぎていたようだ、ガングニールに言われるまで自宅近くまで来ていることに気が付かなかった。
運転してくれた人にお礼を伝え、何だかやけに久しく感じる自宅へと足を向けた。引っ越しの準備と言っても必要な日用品や着替えやらを鞄に詰め込むだけだ、必要な物はクックで買い揃えるつもりでいた。
(何が気をしっかりなの……?)
緩やかな坂を下りる、生垣を通り過ぎれば我が家の正面玄関だ。ガングニールの一言に気を取られながら─事前に聞いておけばとすぐに後悔した─我が家に到着してみれば。
「……………」
薄暮でもその輝く黒い髪、家から飛び出してきたようなラフなスタイル、遠目からでも寄せられたのが分かるその綺麗な眉。
「…………お帰り」
ナディが私の家の前で立っていた。
◇
もう、何度も何度も携帯をベッドに叩きつけていた。怒りに任せてそれはもう何度も何度も。
ナディからの着信は今日のお昼を過ぎたあたりからずっとあった、けれどガングニールのせいでその着信に気付けなかったのだ。
最初はガングニールも「オレが悪いのか?!」と反論していたが、最後は「本当に申し訳ありませんでした……」と殊勝な態度で謝罪していた。それでも私のお腹の虫は収まらない。
(今はそんな事よりもっ!)
ナディだ、あんなに怒った彼女は初めてだ。カードキーをわざわざホテルに届けてくれたあの時とは比にもならない。
無言のナディをリビングで待たせている、とにかく機嫌を取らなければと色んなお菓子をトレイに乗せて、喉も乾いているだろうとジュースもパックごと運んだ。
(そりゃ怒るよね!仲直りしたそばからこっちがブッチするだなんて!)
気が気ではなかった、渡り廊下から見えるお気に入りの景色も視界に入らない。
リビングのソファに座っていたナディは備え付けのクッションを抱きしめ、視線を下に向けていた。眉はしわが残ってしまいそうになる程深く寄せられている。
「ごめん!本当にごめんね?」
「………………」
「こ、これ!良かったら食べて!ジュースも沢山あるから……」
「………………」
彼女の前にトレイを置く、私もそろりと隣に腰を下ろした。それでもナディは視線を上げようともしない。
「あ、あの……電話を無視してたわけじゃなくて……」
「…………………」
私の言葉がリビングの空間を漂った、痛い程の静寂がその答えだった。
「…………」
「…………」
何を言えばいいのか...いっその事ガングニールについて話をしようか...そう思った時、ずっと無言だったナディがようやく口を開いた。
「………辞めるって本当なの?」
「…………………………」
「………どうして黙ってたの?」
不安、不満、悲しみ、怒り、私がこんな表情をさせてしまったのかと──すぐさま理解し、そしてすぐに後悔した。
「……………………ごめん」
溢れる想いの割に出てきた言葉は一言だけだった。
「……ずっと黙ってるつもりだったの?」
「違う、そうじゃ……ないけど……」
「じゃあどうして?」
「言えない、事情があって………ナディは誰からの聞いたの?」
「ピメリアさん。昨日、大変な目にあったからその事を連絡したら、もう挨拶は済んだのかって訊かれて、その時に初めてライラが会社を辞めること知ったの」
「…………………………………………」
まただ、まただ、これで何度目になるんだろう。また私は自分の事ばかり、ナディは昨日死ぬ思いまでしたというのに私の事を心配してやって来てくれたのだ。
頭が上がらない?嬉しい?過去の自分は何を思い上がっていたというのか。返す言葉が何も無い、この時ばかりは何も言えなかった。
(いや、何か言わなきゃ……)
このまま黙りなんてあんまりだ、せっかく会いに来てくれたのに...
ナディの細い足を見ながら、相手の気配を探りながら何とか言葉を繋げた。
「その、ナディは私のこと、心配してくれてたんだよね」
「……うん」
「黙ってた事、怒ってるんだよね」
「……うん」
「それは、その……嫌だから?辞めるのが嫌だって……ことなの?」
「うん」
「……………」
「……………」
一つの言葉しか返ってこない。これでは会話にならない、それに私は相手の気持ちを訊くばかりで自分の事はそっちのけだった。
「その……あのねっ、私は──」
力なくクッションを抱きしめていたナディの腕を握った──この時に止めておけばとまた後悔をしてしまった。
「──ナディのこと、好きだよ」
私は伝えようと思ったんだ、怒り悲しむ彼女にそんな事はないと言いたくて、けれど上手くできないから自分のありったけの想いを伝えてその誤解を解こうと思ったんだ。
「ユーサに来て、ナディのことを一目見た時から好きだった。こんなに誰かを好きになったのは初めて、だから──」
掴んでいた細い腕が強張った。
(────あっ)
──失敗した、そう思った。
ナディの顔色は一向に変わらない、自分の想いを伝えたのに。
ナディは私の想いに応えてくれなかった。掴んだ細い腕も拒絶しているように強張ったままだ、私はそっと離した。
もうこうなってしまえばナディの顔を見る勇気だってない、何を話せばいいのかも全く分からない。
他人から拒絶される悲しさと虚しさ、そして冷たさ。その絶望感に苛まれていると、いつの間にかリビングが真っ暗になっていたことに気付いた。
テーブルの上には手付かずになったお菓子がある、封が空けられていないパックもあった。ソファにはくしゃくしゃになったクッションが一つ、リビングには私だけ、ナディの姿はなかった。
「………………ぅっ、うぅ、」
誰もいなくなったリビングで一人、声を上げて泣き続けた。泣いても泣いても熱い涙が枯れることはなかった。
✳︎
夜の街を走るバスの車内には私一人だけ、他に乗客はいなかった。バスに乗り込んでから窓の景色に視線を向けることなく、ひたすら自分の足を見続けていた。
(そうじゃないよ……)
どうして辞める理由を教えてくれなかったのだろう。空軍の人たちと何かあったのだろうか、それとも違う理由で辞めてしまうのだろうか。
まただ、また私の傍にいる人が去って行く。理由も告げずにひっそりと去ろうとしている。
確かにプウカさんには、日頃お世話になっていたお礼を伝えていなかった。ライラにだって変な気を遣わせて挙げ句に怒らせてしまった。
(私が悪いのかな……それとも考え過ぎなのかな……)
分からない。教えてほしい、私にも落ち度があるのならそうだと教えてほしい、けれど誰も教えてくれない。
黙っていなくなられるのは本当に悲しい、心がぎゅううっとなって何も考えられなくなってしまう。
あの時も──
「………ん?」
ハーフパンツのポケットに入れてあった携帯が震え出した。気怠いままに取り出して見やれば画面に知らない女の子が映っていた。
「…………」
[…………あ〜……]
その女の子は大きく眉尻を下げて申し訳なさそうにしていた。
[そのだナ……何て言えばいいのか……]
「………何?」
[というかだな、お前さんは驚かないのか……?その、オレが誰だか分かるの?]
「ガングニールでしょ、何となく分かったよ」
確かに最初はおや?と思った、アプリを開きっぱなしだったかなと勘違いしたけど、携帯に落としているゲームは全部2D表示の物しかない。それに声を聞いてすぐにピンときていた。
[そ、そうか………そのだな、あんまりお嬢のことを責めないでやってくれ……ないか?]
「お嬢って誰さ」
[ライラだよ、あいつも今は色々と大変なんだ]
「…………………」
[………ナディ?]
どうして私だけっ──ガングニールは知っているのにっ。
[それにだな……あ〜…オレが携帯にアクセスすると履歴が表示されなくなるみたいなんだ。それでさっきお嬢にこれでもかと怒られた]
「……だったら何、私はそんな事で怒ったりしない」
[じゃあ、何に怒ってたんだ?]
3D表示になったガングニールの表情がころころと変わっている、申し訳なさそうにしたり不思議そうにしたりと。
それにだ、その質問はライラから──大きく息を吐いてから答えた。
「辞める理由を教えてくれなかったから、結局ライラは教えてくれなかったし……それが凄く寂しくて悲しくて、だから怒ってたの」
[そうなのか?拗ねているようにしか見えなかったゾ]
「拗ねてるようにって──」
──あれ、そういえば私、ちゃんと言ったっけ?
「いやでも、どうして辞めるのって訊いたよね?それなのにライラは教えられないって」
[そうだな。でもお前さん、今の話はしていなかっただろ。ダメだぞ、そういう事はきちんと言わないと、伝わるだろうじゃ何も伝わらない。お嬢も困ってたじゃないか]
「…………………」
ああ、そうだ、確かにそうだ。私はずっと黙っていただけで何も伝えていない。黙っていなくなられるのは寂しいと、私にも悪いとこがあったのなら教えてほしいと、そう思っていただけで言葉にすることはなかった。
どうして?
(怖かったんだ………)
自分の思いを伝えることが、それなのに──
「ちょっとガングニール、邪魔」
[ジャマって!そんな事言うなよ〜、アクセスする携帯限られてるんだからさ〜]
「電話したいだけ、でもガングニールがアクセスしてたらできないんでしょ?」
[誰にかけるんだ?もしかしてお嬢?]
「そう、謝りたい。あんな酷い顔させたのは私なんだから」
[う、うう〜ん……今はソッとしておいた方が……それにだな、お嬢は携帯の電源切ってるゾ、だからお前さんの携帯に居候させてもらってるんだ]
「………………そう、分かった」
私たちを乗せたバスがいつの間にかターミナルに着いたようだった。
◇
翌る日、朝から我が家は騒がしかった。妹のフレアがラウェに帰る支度をしていたからだ。
「……うるさいな〜」
「ご、ごめん………」
フレアの旅行鞄がパンパンになっていた、お母さんたちに買ったお土産が殆どだ。
注意を受けたフレアが途端に眉尻を下げた、この子は叱られると滅法弱くなる。まぁ...昨日から気を遣わせてしまっているのは私なんだけど...
「その、」
「……もう行くの?」
「あ、うん……そろそろバスの時間だから」
「私も行く、ちょっとだけ待ってて」
まだ何か言いたそうにしている妹を置いて洗面所に駆け込むと、この前買ってあげた服を着てご満悦そうにしているラハムさんがいた。
「……ふぅむ……ラハムももっとお洒落などした方が良いのでしょ──いたたたっ?!」
「どいて、顔洗いたいから」
「は、はぁ……ナディさんもお見送りですか?ラハムが行くから大丈夫ですよ?あんな事があったばかりなんですからご自宅でゆっくりと……いたたたっ!!」
綺麗な背中をバシバシと二度叩いてようやくラハムさんが離れていった。
すぱぱぱっ!と支度を済ませてリビングに戻ってくると、肩を強張らせて座っているフレアと心配そうに見つめていたラハムさんが私に視線を向けてきた。その瞳は何か言いたげである。
「……何?」
「……ナディさん、今日で一旦フレアさんとはお別れなのですから、そう怒った顔はなさらない方が良いとラハムは思います。それにフレアさんも怯えていますよ」
「あ──ごめん」
「う、ううん!別に、私は……その……」
そっか...フレアは私に気を遣っていたんじゃなくて怯えていたんだ、気が付かなかった。
黒いキャップの下に隠れたフレアの顔は今にも泣きそうになっていた、ラハムさんがこうして面と向かって言ってくれなければ気付くことはなかった。
「……ごめんね?私、八つ当たりしてたよね」
「…………」
ふるふると頭を小さく振るだけで何も言ってくれない、そこへラハムさんがさらに追い討ちをかけてきた。
「ナディさんは機嫌が悪くなるとすぐ態度に出ますから、昨日帰ってきた時からフレアさんがずぅっと気にかけていましたよ」
「………ありがとう、教えてくれて」
「いいえ、ラハムもナディさんから教えてもらいましたから」
「それにフレアもごめん、もう八つ当たりしないから、ね?」
ラハムさんの言葉はぐさりぐさりと胸に刺さったけど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「私もハウィまで着いて行くから、いい……よね?」
「……うん!」
怯えさせてしまっているなら着いて行かない方が...そう思ったけど、ようやくフレアが笑顔になってくれた。
「では行きましょうか!ラハムも電車に乗るのは初めてなので楽しみです!」
「荷物、私が持とうか?─「……え、いいよ、自分で持つから」─「いいよ、私が持つから、フレアは船にも乗らなくちゃいけないんだからさ。忘れ物とかないよね?」─「う、うん、ない、大丈夫」─「あのぉ〜ラハムのこと忘れていませんか?いきなり仲良しさんなられても困りますぅ……」
◇
ビレッジコアの郊外にある駅はバスを使ってターミナルまで行き、そこから乗り換える必要があった。
夏の連休も明日で終わり、駅へ向かうバスの停留所にはフレアと同じように帰郷する人たちが多く並んでいた。残暑というにはまだ早いけど、朝から強い日照りの中でバスを待っていたので三人とも汗だくだった。
駅までの定期バスが到着し、乗り込んだはいいもののやっぱり人で溢れ返っていたので席を取るのに苦労した。
むんずと掴んだ椅子にフレアを座らせた。
「え、いいの?」
「いいよ」
ふぅ〜っ!と言いながらラハムさんも人垣をかき分けて私の隣に立った。
駅を利用する人は帰郷だったり旅行だったり、どっちにしてもハウィ周辺に用事があることは確かだった。親子連れ、恋人同士、中には難しい顔をしたスーツ姿の人もいた、どうやら仕事らしい。
(可哀想)
視線を戻すとフレアが上目使いでこっちを見ていた、私と目が合うとすすすと逸らしたのでまだ気にしているのだろう。
キャップ越しに妹の頭を撫でてあげた。
「今度からは気をつけるよ、私もそこまで意識してなかったから」
主語はなかったけどフレアには伝わったようだ。
「……うん、まぁ、そうしてもらえると嬉しい……かな。怒ってるお姉ちゃんってほんと怖いんだからね?」
「……実家にいた時もそうだった?」
「うん」
「うぅそうなのか……そうとは知らずに……」
大勢の利用客を乗せたバスがゆっくりと発進した、強い日差しに照らされた首都の街並みをかき分け郊外へと向かっていく。
フレアがするりと帽子を脱いだ、少し汗ばんだつむじが露わになっている。
どうしたのかと尋ねてみれば、
「撫でて。それで許します」
「ふふっ……何それ」
つんとした顔で甘えられたのはこれが初めてかもしれない、駅に到着するまでの間ずっとフレアの頭を撫でてあげた。
途中からラハムさんも割り込みフレアの頭を奪い合ったのは余談である。
✳︎
「いえ!そんなはずはありません!僕は確かにこのペットボトルに──」
「ただの水じゃないか、本当にこのペットボトルにハフアモアを入れたのか?」
お見舞いにやって来てくれたグリルさんの手に握られているペットボトル、そこにあるべき物がなく、あってはならない物が入っていた。
緊急搬送されてそのまま検査入院となった病院は、ナディ・ウォーカーも滞在していた総合医療センターだった。窓の外から気怠い暑さを含んだ風が入り込み、僕とグリルさんを撫でていく。そして、グリルさんから受け取ったペットボトルは透明な液体で満たされ、太陽光を反射してキラキラと輝いていた。
堪らず蓋を開けて匂いを嗅いでみる、無臭だ、薬品が入っているわけではないらしい。自分の手の甲に少しだけ落としてみるがとくに刺激や痒みもなかった。
(何なんだ……どういう事なんだ……)
ギシギシと嫌な音を立ててパイプ椅子に座ったグリルさんへ尋ねた。
「これ、本当に僕のスーツに入っていたペットボトルですか?」
「そうだ、お前が報告した通り芽が生えた真珠を確認しようと思って漁ったらご覧の有り様だ。お前の方こそ間違えたんじゃないのか?」
「あのヴィスタがこれと同じ物をすり替えた可能性は──」
目の前で起こった事が信じられない僕は考え得る可能性を口にしてみたが、言いながら自分でもそれはないなとすぐに否定した。
「──ないですね……わざわざ別の物を僕のスーツに忍ばせる意味が……」
「無いな、追われている奴がそんな手間な事をするとは思えない。となると、考えられるのは…………」
「……………中にあった真珠が水になった?」
「それは水で間違いないのか?ちょっと貸してみろ」
僕から受け取ったペットボトルをどうするのかと見守れば、そのまま蓋を開けてちびりと飲んでいるではないか。一瞬ギョッとした。
「……う〜ん、普通の水より美味く感じるのは気のせいかな」
(それ僕の持ち物じゃないんだけどな、黙っておこう)
言わぬが花。
「ただの水のようだが……これを持ち帰ってすぐに成分を分析しよう」
「お、お願いします……」
「それとだ、ダンタリオンについてだが未だに途絶状態が続いている。このままいけばダンタリオンを破棄する事になりそうだ」
「破棄?それはどうして……」
「決まっている、悪用されないためだ。破棄と言っても今の人格を消去して再設定、もう一度マテリアルに組み込んで再利用するってのがお上の判断だよ」
「……今のダンタリオンはどうなるのですか?」
少しだけ呆気に取られた後、太陽光を浴びて眩しそうに目を窄めているグリルさんがこう言った。
「気にしてどうする?元からそういう流れじゃないか。任期が終われば特個体もパイロットもおさらば、また次の人格を作って保証局の犬として使うんだよ、それが複製型特殊個機群体ってもんだろう?」
「…………………」
「ああ、勿論お前はそうじゃない、言葉が悪かった。ただ……任期を終えたパイロットがどうなるかは分からないし俺たちにも知らされることはない」
「……前任のパイロットがどんな人だったのか──ああ、いえ、忘れてください」
「その方が良い──」
ぬめりと光る髪を掻き上げてからグリルさんがこう締めくくった。
「今のダンタリオンの事は忘れろ、今回のような異常事態が発生していなくてもどのみちお別れの時は来るんだ」
「……そう……ですね」
「じゃあな。俺はこいつを調べてくるから、お前は最後の休暇だと思ってゆっくり休んでいろ」
そう言って、ペットボトルを片手にグリルさんが病室を出ていった。
◇
本当にダンタリオンはいなくなってしまったのだろうか...信じられない。いやでも、誰かがいなくなるという事は得てしてこういうものなのかもしれない。
僕が実家にいた時もそうだった。本土の争いに急に巻き込まれてしまい、遊びに出かけていた友達がそのまま帰ってこなかった。悲しむとか、憎むとか、そういった感情よりも「本当に?」という疑問が強かったのを今でも覚えている。
後々になって自分たちに何の関わりもなかった人たちが起こした争いだと知って、カウネナナイを憎むようになっていた。
(今の状況が続けば僕もお払い箱……か)
撃たれた右足に視線を向けながらぼんやりと考える、何故ダンタリオンは戻ってこないのか...ヴォルターさんの言う通りカウネナナイからハッキングを受けてしまったのか...それがもし本当なら奴らの狙いは機体なのだろうか。
しかし、特個体についてならカウネナナイの方が技術的にも生産体制についてもウルフラグより上だ。今さらこっちの機体を鹵獲して何の意味があるというのか...
分からない事ばかりをベッドの上で悶々と考えていると、控え目なノックが僕の思考を遮った。健診ならグリルさんが来る前に終えたばかりである、看護師ではあるまい。
「……どうぞ」
滑らかに開いた扉の先にはスミス大尉が立っていた。初めて会った時に見せたつんとした表情でも、艦長としての凛々しい表情でも、あのパーティーで見せた怒った表情でもなかった。
「………」
一言で言えば元気がない、これではどちらが患者なのか分からなかった。
「お久しぶりです、スミスさん」
「……その、入ってもいいだろうか」
「何のおもてなしもできませんが、入ってください」
そろりと踏み出した足は白いチノパンに隠れている、上はノースリーブのブラウス、髪もきちんと手入れされているように見えるけどやっぱり覇気がない表情に目がいってしまう。
グリルさんが座っていたパイプ椅子に腰を下ろし、小さな鞄の中からビニール袋を取り出した。
「簡単な物だけど、良かったら」
受け取った袋の中には栄養食品がこれでもかと入っていた。
「病院の食事は少ないから、寝る前に空腹にならないようにと思って」
「ありがとうございます………」
色々と言いたい事や聞きたい事はあった、主にパーティーの件についてなのだが。けれど、今はそういう浮ついた会話はスミスさんの顔色を見れば憚れるのも当然だった。
ダンタリオンを失った僕に何ができるのか、という疑問を胸に抱きながらこっちから切り出した。
「……シュナイダー大佐の事で何かお悩みですか?」
スミスさんが勢い良く顔を上げ、不安に彩られた視線を真っ直ぐにぶつけてきた。
「大佐は本当にカウネナナイと繋がっているのだろうか、その事を君から直接教えてもらおうと思って連絡をしてみればこの病院に入院していると聞いて、不躾なのは重々分かっているつもりなんだが──」
堰を切ったようにスミスさんが話し始め、その勢いに押されつつも何とか答えた。
「大佐がそうだとまだ決まったわけではありませんよ」
「まだ、なんだろう?やはり君たちもそういうつもりで調査を進めているのだろう?」
言葉尻を捕らえて食ってかかってきた、余程大佐のことが気になるらしい。
「それが仕事ですから仕方がありません。それから今のところ明確な証拠は出てきていませんよ、大佐は純粋に通っているみたいですし」
「そうなのか、でも何故大佐が教会に……?」
「それは分かりません、信仰の自由は個人に帰結するものですからどのみちスミスさんがあーだこーだと言える立場ではありません。とにかく少し落ち着いてください」
スミスさんが呆けたような顔つきになり、また幾分か眉尻を下げて僕から視線を逸らしてこう言った。
「……すまない。審議会に呼ばれたり大佐が裏切り者だと言われたり、気が気ではなかったんだ」
「シュナイダー大佐のこと、信頼されているのですね」
「……ああ、どうにか身の潔白を証明できないかと思って、けれど船から降りればただの人だ、私にはどうする事もできない……」
大型連休も終わりが近い、後は秋までまっしぐらだというのに外は嘘のように暑い日差しが照り付けている。それに僕は負傷している身だ、一人では思うように動くことすらできない。
だけど、もし協力してくれるなら──
「……スミスさん、来て早々申し訳ないのですが、お願いしてもいいですか?」
「うん?何を?」
「僕を空軍基地まで連れて行ってください、もしかしたら大佐の事を調べられるかもしれません」