第29話
.That is...
食卓に焚かれた蝋燭の火がゆらゆらと蠢く、ハリエの島では一般的な光源だ。その明かりに照らされているのは私を含めて六人、皆沈痛な面持ちでテーブルに視線を落としている、決して祈りを捧げている訳ではない。
そんな中でも我らの隊長は違った、目の前に並べられている料理に熱い視線を送っていた。
「……アマンナさん、駄目ですよ」
「……分かってるって、食事は重たい話が終わってから」
本当かなぁ...今にも口にしそうな感じがしたけど...
白髪の偉丈夫が私たちの会話を耳に入れたのか、それとも重苦しい空気に耐えかねたのか、柔和な笑顔と共に話しかけてきた。
「お前はいつもでも食に関心を注ぐな、見ていて気持ちが良いぐらいだ」
その人の名前はデューク、位は公爵である。
他にも同じ読みをする"侯"爵なる位があるが、デュークさんの方が立場は上である。同席しているエノールさんは"子爵"であり、国王から統治を任される最低の位でもあった。
カウネナナイは主に北欧地方で採用されていた貴族階級を取り入れている、私も最初は貴族の位が分からなかったのであれやこれやと調べたりした。
貴族の階級は上から順に、
公爵 (デューク)
侯爵 (マーキス)
伯爵 (アール)
子爵 (ヴァイカウント)
男爵 (バロン)
一部地域では公爵の上にある大公爵 (グランドデューク)なる位も存在するらしいがカウネナナイにはない。この大公爵は国王に匹敵する権力を有するようなので、カウネナナイでは採用を見送ったのだろう。
ここで気になる点が一つある、デュークさんだ。彼の名前は"デューク"、そして貴族の階級もデュークである、偽名を使っている可能性が極めて高い。それなのにも関わらずアマンナさんは微塵も警戒せずに接しているのだ。
(私がしっかりしないと……)
デュークさんの発言で他の面々も落としていた視線をついと上げ、避難がましく何故だかアマンナさんを睨んでいた。
「余所者は呑気で良いな、羨ましい」
文句をつけたのはミガイ・マクレガンという男性だ、一発で嫌いになった。
この場を重たくしたのは紛れもなく彼だ、ウルフラグから持ち帰ってきたウイルスについて報告し、皆を苦渋の思考へと落としていた。
──いや、私も一役買っていた。この中では比較的マシな部類に入るエノールさんが私に確認を取ってきた。
「……マリサさん、先程のお話は本当なのですね?ハフアモアが人々を襲う化け物に変わったと……」
「間違いありません、今頃ウルフラグはてんやわんやのはずです」
「あんな連中の事はどうでも良い、どうしてハフアモアが化け物に変わったんだ?このままじゃ宝の持ち腐れだぞ」
「何を気に病む必要がある、ルヘイにいるユーレットに売りつければいい」
「公爵様……それはさすがに非道に過ぎます。化け物と知りながら売りつけるなど、それにルヘイの民は元々私が国王から預かっていたのです」
そう、彼らの目的は生まれ故郷であるルヘイの奪還だった。
現国王であるガルディアが即位した際、王位争いに敗れた一派が王都を離れ、その中に混じっていたのがユーレット・ルイマン侯爵であり、ルヘイに目を付けた彼は当時治めていたエノールさんをハリエへと追いやったのだ。
また、ミガイ・マクレガンも当時は男爵としてエノールさんに仕えていた。位を失い没落したミガイ・マクレガンは国外遊撃隊として国王から任命を受け、ウルフラグへと赴いていた。
その結果がこれである、せっかく持ち帰った貴重な取引き材料が得体の知れない物だと分かって皆が頭を抱えていた。
「ふうむ………どう思う、バベル」
「んんん?俺に訊くなよ」
そう答えたのはバベルと呼ばれるマキナ、それもオリジナルの"グラナトゥム・マキナ"だ。
黒とも茶ともつかない髪は強い癖毛であちこち跳ねており、顎には無精髭も生えている。群青色のスーツを着崩し真新しい黄色のネクタイが彼の性格を表すようにだらしなく垂れていた。
アマンナさんとは同郷のはずだが互いに触れ合うことは一切ない。案外、お互い誰だか分かっていないのかもしれなかった。
エノールさんが私からバベルへと視線を向けてこう尋ねていた。
「バベル様、我々が手にしたハフアモアを解析することは可能ですか?もし、それが安全だと分かればまだいくらかやりようはあるのですが……」
エノールさんの心情を知ってか知らずか、バベルはばっさりとその願いを切り捨てた。
「無理だな、あれにはどうやったってアクセスできない」
「………そうですか」
「それに第一どうやってガイア・サーバーにアクセスするんだ、あんたにはそんな権限ないだろうが」
「あなた様もマキナ──いえ、失礼しました」
「……止めておこう、無理にアクセスして明るみに出てしまえば処刑は免れない」
「デューク様でもか?」
「ああ、ガイアにアクセスできるのは王として認められた者だけだ」
「それも郷に入らばってやつ?」
「…………………」
(どうして黙るの?)
意味深な会話をしている二人に注がれる視線、しかしアマンナさんだけが見ていなかった。
◇
「え?それ本当なの?」
食事会という名の会議を終えて私たちは客室に引き上げていた。お腹いっぱいになったアマンナさんは満足そうにしていたけど、あの場では黙っていた事を告げると目を見開いていた。
「はい、ウルフラグで管理されているレプリカが二つともサーバーから切り離されてしまいました──どうしてか分かりますか?」
「え、何で急に強気なの……」
ベッドの上で胡座をかいていたアマンナさん、ドレスの裾が捲れているのに全く気にしていない。
「アマンナさんが無理に介入したからですよ、そのバイパスを通じてダンタリオンが離脱、それに釣られてガングニールもサーバーから離れたんです!」
「…………ん?それって私が悪いの?」
「アマンナさんのせいでしょ────ん?」
あれ、ちょっと待てよ...確かにあの時アマンナさんはダンタリオンを乗っ取って遊び回っていたけど...そのバイパスを使って記憶を統合したのは私...あれ、残したままにしてた?
「あっれ〜……私のせいか……あちゃ〜」
「もしかしてガイアに流れてきた?そこんとこ分かる?」
「ちょっと待ってください、すぐに……」
アマンナさんが自分の足をぱしぱしと叩いた、その意味が分かった途端、私の胸がどくんと強く脈を打った。
「………いいんですか?」
「うんいいよ。なんなら添い寝してあげよっか?」
「あ、そっちでお願いします……」
くすくすと笑うアマンナさんがベッドの上に寝転び、私はそれに向かい合うようにして横になった。
蠢く蝋燭の火に照らされたアマンナさんの顔が目の前にある、最後に食べたフルーツの香りがいつにも増して甘く鼻についた。
アマンナさんが小さく息を吐き、その息が私の唇に優しく当たった。
「このまま寝てもいい?」
「………いいですよ」
アマンナさんの手が私の背中に回され引き寄せられた、何だかガイア・サーバーにアクセスするのが勿体無く感じる...いやさっさと終わらせばいいんだそうしよう。
大好きな人の温もりを感じながら、まるで温かみを感じない電子の海へと旅立った。
✳︎
コールダー夫妻と顔を合わせた翌る日、ヴァルキュリア部隊の母艦、強襲揚陸艦「ヘイムスクリングラ」の作戦会議室に皆が集められていた。
オーディン司令官はまだ来ていない。ヴァルキュリア部隊のシンボルマークである白馬とカラスが刺繍された絨毯を囲うように配置されたソファには、私から順にヒルド、フロック、レギンレイヴ、ヨトゥルが座っていた。
コネクトギアの装着命令はまだ下りていないので出撃ではないらしい、けれど集められた理由が分からないので皆そわそわとしていた。
一番端に座っていたヨトゥルが私に声をかけてきた。
「スルーズ様、オーディン司令官は何と……?」
「さあ、私も聞いていないわ」
「そうですか……」
すっぱりと切り揃えられた前髪に隠れた鋭い目つきはまるでハゲワシのようだ、それなのに彼女はいつも自信なさげに視線を彷徨わせてばかりいる。
ヨトゥルの隣に座っていたレギンレイヴも口を開いた、武家の出らしく口調は固い。
「スルーズも知らぬとあれば些か不安であるな、貴君が最も好かれていただろう?」
「いやいや、何言ってんの?スルーズが一番ってことはないでしょ何言ってんの?」
「同じ言葉を二度も使うな」
「オーディン様は皆んなを等しく愛してくれているの、そしてちょびっとだけ私を多く愛してくれているの、オッケー?」
「難しい横文字を使うでない」
「ぷふっ」
「何がおかしい、フロック」
「あ、いえ………」
レギンレイヴの切れ長の瞳が小柄なフロックを捉えている、お馬鹿発言をしたヒルドはツインテールにしている髪の毛先をもてあそんでいた。
レギンレイヴに射すくめられたフロックが私に助けを求めてきた。求めた、と言ってもじっと見てきただけだが。
「レギンレイヴ、そうじろじろと見るのは止めてあげて、フロックが怖がっているわ」
「うん?手前が悪いのか?鼻で笑ったフロックが悪いのだろう?」
「わ、笑っていません……会話が面白かったので、つい……」
「それを笑うというのだろうが」
「あんたら漫才する暇があるならオーディン様を呼んできたらどう──」
ヒルドが言い終わらないうちに会議室の扉がスライドした、すぐさま皆が立ち上がり胸に手を当てて敬礼した。
(危ない、私も口を挟むところだった)
オーディン司令官が席につき、私たちもソファに腰を下ろした。
深みがあって慈愛が込められた声でオーディン司令官が話し始めた。
「ご苦労、朝から急な招集をかけてすまなかった。お前たちも知っての通り、ウルフラグが我が同胞をこちらに強制送還するとの声明を発表した、これにより国王陛下から斥候を務めよとのご下命があった」
「斥候………ですか?」
「不満か?」
オーディン司令官のモノアイが私に真っ直ぐ向けられた、たったそれだけで心臓を鷲掴みにされた恐怖が全身を駆け巡った。
「いえ!とんでもありません!失礼致しました!」
ヒルドが薄く笑っている、大方私の失言を喜んでいるのだろう。
「スルーズには既に話をしているがコールダー夫妻がルカナウアに滞在している、ウルフラグはこれを機に身柄の確保を画策していると予測し、不審な機体や人間が侵入してこないかお前たちに監視をしてもらいたい。もし、侵入者を認めた場合には即刻排除しろ、その為にヴァルキュリアに白羽の矢が立ったのだ」
嫌だ嫌だ、こういう時は隊長である私にしか発言権が与えられていない事が。また余計な事を口にして気分を損ねたくなかったけど、尋ねるしかなかった。
「その……ご質問してもいいでしょうか……?」
「何だ」
「斥候の任はいつからなのでしょうか…?ギアを装着せず招集を受けたのが初めての事でしたので…その…皆が不安がっています」
四人分のじろりとした視線を確かに感じ取った、自分たちをダシにするな!と言いたげだ。
ウサギのように突き出た二本のアンテナを下げた、オーディン司令官が考え事をしている証だ。
(可愛い……)
その仕草に一時和みはしたがすぐに地獄へと叩き落とされてしまった。
「………スルーズ、隊長を務められそうなパイロットは誰になる?」
「────え」
「お前を暫く部隊から切り離す、後任の者を考えておけ」
「え…………何故ですか?!そんないきなりっ──部隊を離れてまで護衛しなければならないのですか?!」
「これは命令だ」
皆のじろりとした気配は同情のそれへと変わっていた。
◇
失意の底に沈んだまま私は身支度を済ませて一人一人に割り当てられた豪華なロッカールームに来ていた。
頭の中は疑問符ばかりである、何故?どうして?私が何か悪いことした?それならそうと言ってほしい...
ヴァルキュリアの正装を鞄の中に詰め込む、ロッカー内にあったマリオネットも手に取ろうかと悩んだ。
マリオネットと言っても私の自作だ、関節人形に紐を括り付けただけの粗末な物、けれどこれこそが私の原点と言ってもいい。自然と持つ手に力がこもる、みしみしと嫌な音を立てた。
(いつか必ず………)
ロッカールームの扉が一人でに開いた、ここに入室できる者は使用している私か...司令官のみだった。
「スルーズ………」
入って来たのはやはり司令官だった、着替えを済ませておいて良かった、あと少しで粗末な──手に持つマリオネットのように─私の裸体を見せるところだった。
さっきと打って変わってオーディン司令官に覇気はない、どこか弱々しく頭のアンテナも垂れ下がっていた。
「急な命令で悪かったと思っている、ただ国王陛下から直々の命令が下ってしまってな……」
「そう……なのですね……」
不細工なマリオネットを後ろ手に回してオーディン司令官の声に耳を傾けた。
「ああ、私としてもお前を手放したくはなかった。他の者たちは──ああいや、陰口は良くないな」
「ふふっ………」
二人だけの会話、そして私にだけ見せてくれる弱々しい姿。失意の底に沈んでいた気持ちもあっという間に空へと駆け上った。
普段は凛々しく、そして甘えを許さず皆を厳しく導く司令官だ。けれど、たまにこうして私の前では隠している本音を曝け出してくれる、時には甘えてくることだってあるのだ。
自慢の司令官を安心させるように胸を張ってこう言った。
「任せて下さい司令官、無事に任務を終えてあなたの元に戻ってきます」
「……分かった。ただ、あの侯爵には気をつけてくれ、お前の事を良からぬ目で見ていたからな」
「そんな……侯爵様は女であれば誰でも良いのでしょう。私のような貧相な体が誰かを惹きつけるとは思えません」
「そういう卑屈さは止めろと言ったはずだぞスルーズ、お前がお前自身を傷つけるのは見るに耐えない」
「………はい」
垂れていた耳をピンと張った司令官が私に命令を下した。
「──ではスルーズ、コネクトギアの装着を命ずる。今回の任務はルカナウアに滞在しているコールダー夫妻の警護、期間は王都から迎えの部隊が到着するまでだ。ウルフラグに限らず国内においても不審者を見かけた場合はその場で排除しろ、この場で全ての戦闘を許可する」
「はい!」
「──そうだ、お前はワタリガラスのように自由な翼を持つ戦乙女、駿馬のように真っ直ぐな瞳こそが似合う。頼んだぞ」
司令官から直接コネクトギアを手渡された。古めかしくも彫り細工がなされた木箱の中に私の──いいや、スルーズ専用である純白のギアが二枚納められていた。
それを手にして後頭部のジョイントにセットする、初めは違和感をともなうがそれも直におさまり重たさも感じなくなる。視界がクリアになった、オーディン司令官の声も良く耳に届くようになる。
「さっきの話は内密にしてくれ、いいな」
「さっきとは……一体の何の事でしょうか?」
冗談めかしに言った私の言葉に司令官が肩を竦め、代わりに鞄を持ってくれた。
「司令官、私の後任についてですが──」
「いい、お前が考える必要はなかった、私の不手際だ、忘れてくれ」
「……分かりました」
「見送ろう」
「ありがとうございます!」
こうして私はヴァルキュリアの母艦から離れ、一人任務に就いたのであった。
✳︎
[酷くないか、一日中放置されるとは思わなかったゾ]
「いやごめん……最近忙しくて疲れてたから……」
[オレとの出会いより疲労回復が優先なのか?言っちゃ何だがオレ、特個体だぜ?]
「それはさっきも聞いた、で、私に何をお願いしたいの?」
そう、私はガングニールが実は女の子で凄まじい構ってちゃんだという事に衝撃を受けながら、爆睡していたのだ。だって疲れていたのは本当だし、ガングニールがあれやこれやと口にしているのを耳に入れながらすとんと眠りについていた。
あれかな、私は誰かと一緒の方が寝付きが良くなるのかな?前はナディと一緒に寝た時も...
(ナディに会いたい)
画面の中のガングニールはご立腹だ、3Dよろしく大仰に表現された眉は大きく釣り上がり口をへの字にしていた。
組んでいた腕を解いて(意外と胸も大きいな…)用件を切り出してきた。
[オレを元に戻してほしい、このままじゃオッサンに怒られちまう]
「元に戻せって言われても……具体的には?」
[分からん!]
「……………」
[いや、本当に分からないんだ……どうしてこうなったのかもサッパリだし]
「基本的な質問いい?─[どうぞ]─何で私の携帯の中にいるの?」
そこだ、そこがまず根本的な疑問である。
特個体は全ての電子機器にアクセスが可能だというのは知っている、何かしらの手順が必要だと一度見たワイドショーでは言っていたけど、どうして私の携帯にアクセスしたのかが分からなかった。
訊かれた本人は然もありなんとこう答えた。
[オレの機体に一番近い所にいるから]
「あー………あなたの機体を預かっている人たちよりもってこと?」
[そりゃそうだろ。いきなりこんな姿で現れて誰が信用すると思う?お前さんだったら前に一度話したコトもあるからな!]
そういう事か...
「もしかしてクーラントさんにバレずに解決したいっことなの?─[そうそう]─理由を訊いてもいい?」
[間違いなく怒られる。オッサンはカウネナナイのハッキングのせいだと勘違いしているからな、今のうちに現状復帰したい]
「………めんどくさ」
[そんなコト言うなよ!な?頼むよ〜]
ガングニールが両手を合わせて拝んでいる、意外と愛嬌もあるらしい。
「って言ってもね〜……あなたが今どういう状況にあるかも分からないのに……どうすればいいの?」
今度は大きく眉をハの字にしてガングニールが頭を捻った。
[うう〜ん………サーバーに繋がっていることは間違いない、こうしてオレが存在しているコトがその証だからな。けど、何故だか機体にアクセスできない、そこがモンダイだ]
「クーラントさんとも連絡が─[取れるんならお前さんにそもそも頼んでない!]─何ですって?!」
ベッドの宮棚に立てかけていた携帯を手に取り部屋の窓を開け放った。
「口の聞き方に気をつけなさい!それが人にものを頼む態度か!」
[な!何をするつもりだ!まさか携帯を外に投げるのか?!やめろ!お前さんの携帯だって─「あんたと違ってまた買い直せばいいだけの話よ!」─わ、悪かった!オレが悪かったからやめてくれ〜!]
振りかぶっていた手を戻して画面を見やれば、ぺこぺことガングニールが頭を下げていた。
「調子が良いんだからほんと……はぁ〜ナディに電話しようと思ってたのに……」
会議に出席するのは昼前だ、その後は軍上層部の方々と会食してからキング中佐の案内でハウィの基地を見学することになっていた。
今の時間帯だけがフリー、貴重な時間を棒に振ってしまったとつい愚痴をこぼしてしまった。
けれど言われた本人は気にした様子もなく、ガングニールが女の子だった以上の衝撃に見舞われてしまった。
[あん?ナディ?あいつなら今頃大変なんじゃないか?昨日は街中でタガメが孵化して、その騒動に巻き込まれていたからな]
「──────は?」
[知らないのか?ちょっと待ってろ今動画引っ張ってくるから]
タガメが...孵化した?騒動に巻き込まれた...?何を言っているの?それにナディがって──
言葉の意味を理解し胸に浸透した時、私は堪らず声を張り上げていた。
「どういう事なのよ!ちょっと!ガングニール!」
携帯画面が真っ暗になっている、かと思えば何の操作もしていないのに動画が流れ始めた。動画というよりかは定点カメラから撮影された映像だった。
「何よこれ!こんな物が見たいんじゃ──」
映されていた街はしっとりと濡れている、確かに昨日は夜中から朝方にかけて雨が降っていた。その街を全力で駆けていく人たち、少し遅れてからとんでもない物が映っていた。
ガングニールの言う通り、全身を銀色に染め上げた大きな虫が街を歩いている、それも一体だけではなく複数、まるで作り物の映像を見ているような気分だった。
「何よこれ………本物なの?」
私の呟きに動画が斜めにずれ、その隙間からガングニールがコミカルに顔を覗かせた。
[本物だ、政府はまだ公式に発表してないけどナ。お前さんが乗船していた調査船の時にもこいつらが海底にいたんだ]
「………何で、どうして街の中にいるのよ、こんなに大きいなら侵入してきた時に分かるはずよね……?」
[ユーサが回収した試料の中に銀色の小さな玉があっただろ?どうやらあれがコイツらの卵らしいんだ。それを裏でコソコソと回収していた輩のせいで街へ流出してしまったんだ]
「………そんな、ナディが…………どうして………」
体中の力がベッドへと落ちていく──けれどすぐに戻ってきた、あとついでに血も頭に上った。
[ん?ナディなら無事だゾ、幸いにも民間人に犠牲者は出ていな──いや何で?!何で構えるんだ!おいコラ!─「そういう事は早く言えぇ!!」─やめてー!投げないでー!]
思い込みが激しいお前さんが悪いんだろう!と喚く携帯を外へと投げる間際、部屋の扉が控えめにノックされた。
「コールダーさん?どうかされましたか?」
「──い、いえ!何でも!」
「そろそろ会議が始まりますのでご準備の方をお願いしますね」
「は、はい!」
この部屋に案内してくれた軍の人だった。
◇
[寝ホンって何?初めて聞いたゾ]
「……あんた特個体のくせにそんな事も知らないの?寝ながら付けられるイヤホンのことよ」
[………………あ、コレかぁ……ふむふむ、人間はこんなモノも使ってるんだなぁ……]
右側の耳にはめたイヤホンからガングニールの声が流れてくる、私としては是非とも携帯を部屋に置いていきたかったのだが本人が激しく拒んだためこういう形になった。
いつもは括っている髪も今日だけ下ろしている、揉み上げで耳を隠しているのでイヤホンは誰にもバレることはないだろう。
「それでは会議を始めたいと思います。まず初めに我々空軍と手を取ってくれた彼女から挨拶を」
大きな滑走路と海を見渡せる会議室には、キング中佐を初めとした空軍のお歴々が集まっていた。進行役の人に話を振られてゆっくりと立ち上がった。
[緊張しなくていいゾ、あのオッサン昨日は奥さんと喧嘩して家を飛び出しているからナ!]
「……ライラ・コールダーと申します。この度は父と母の為にこのような作戦を立案していただけましたこと、深く感謝致します」
余計な事をっ...だから少し目が腫れぼったいのか勘繰ってしまった。
奥さんと喧嘩したらしい進行役の人が私の言葉に応えた。
「コールダー夫妻は我が国の要です。また、それはカウネナナイにとっても等しく、ここは身を挺してでも救出すべきだと判断致しました。ライラさん、あなたが気負う必要はありません、ただご両親の無事を祈っているだけで良いのです」
[趣味で集めたプラモデルを身を挺して守っただけのことはあるな、言葉の重みが違う]
「ライラさん?」
「……いえ、すみません、お気遣い、嬉しく思います」
ガングニール...っ!お願いだから静かにしていて!思わず笑ってしまいそうになった。
辿々しい言い方が逆に良かったのか、進行役を含めた軍の人たちがどこか感動している様子だった。
椅子に腰を落ち着けるなりポケットの中に手を伸ばし、手探りで電源ボタンに指をかけた。
[何で?!オレはただお前さんが緊張しないようにだナ!オッサンたちの秘密を教えてやっているだけだぞ?!]
「…………静かにっ」
わちゃわちゃやっている私たちを他所に会議が進んでいく、主な内容は今し方言った作戦についてだった。
「テロリストを乗せた船は早くとも今日の夕刻には出港します。護衛には海軍のアッシリア、それから海上航空団に出てもらうつもりです」
「ただの移送なのに?そこまでする必要があるのかね」
「あります。カウネナナイと言っても一枚岩ではなくそれぞれの派閥に分かれていますので、ジュヴキャッチの帰国を快く思わない連中が存在します」
「政府としても送還すると宣言した以上は無事に届けなければならない、テロリストと言えどももし何かあれば揚げ足を取られるのはこちらですからね」
「──それが建前、ということか?」
「はい。移送船には陸軍の特殊部隊を潜ませています、彼らにコールダー夫妻の位置を特定してもらいカウネナナイに対して身柄の返還を要求、拒まれるようであれば彼ら特殊部隊にルヘイの港まで護衛してもらいます」
そう上手くいくのだろうか...しかし、軍の作戦について私は門外漢であるため良し悪しについてはさっぱり分からない。
私をこの場に連れ出したキング中佐はただ黙って耳を傾けているだけだった。
「この作戦で協定が破られる恐れは?現地で戦闘になる可能性が極めて高いではないか」
停戦協定については私も気になっていた、けれどプラモデルを庇って奥さんと喧嘩したらしい進行役の人がつらつらと答えていた。
「そうはならない為の作戦です。位置の特定と夫妻の状況確認、それから正式な返還要求を経て拒むのであれば、それはあちら側の落ち度として国民も捉えるはずです。それに何りより、通信妨害を受けていますのでこのような作戦に出たとしてもそう角が立つこともないでしょう」
ああ...この人たちが気にかけているのは協定ではなく"自分たちの立場"か...けれど、私がどうこうと言える立場ではない。
なるほど、と理解した。キング中佐が私に持ちかけてきた契約について、何の後ろ盾も持たない私のような人間がぽんとこの場に投げ入れられていたら、今頃好き勝手に扱われていたことだろう。パパとママの為にと、身を挺して救出したのだからと言って私にあれやこれやと要求したに違いない。
しかし、私は今や空軍のお膝元だ、今回の作戦に参加する海軍も陸軍も下手に接触できない事だろう。
(……………)
ちらと、向けた視線にキング中佐が返してきた。
(状況判断……ね)
口の端をにやりと上げただけで、すぐに視線を逸らしていた。
その後も作戦について事細かく打ち合わせが進められていく中で、そういえば耳元が静かになっていることに気付いた。周りにバレないようポケットに忍ばせていた携帯を見やれば、
(あっ)
画面が真っ暗、それにバックライトも消えている。どうやらバッテリーが切れてしまったらしい。
(ま、いいか、部屋に帰った時にでも充電すれば……)
しかし、携帯が復帰した時に私はガングニールからこれでもかと文句を言われる羽目になってしまった。