第28話
.That is loved one
「どうします旦那、えらいのが釣れてしまいましたよ」
「どうもこうもない、事務次官の身柄を押さえろ。話はそれからだ」
「押さえろって言われてもねぇ……リヒテンの野郎が教会に顔を出した以上にビッグニュースじゃないですか」
「次から次へと……グリル!」
特別機器管理室は食べ物の匂いで充満している、それと煙草の煙もだ、室内は酷い臭いになっていた。
ヤニ臭い中でも平気な顔をして食べ物を口に運んでいたグリルが俺たちの方へ振り向いた。
「いやぁ〜……ダンタリオンのこと好きになっちゃいそう……凄く可愛いんだねこの子……うぷっ」
「んなことはどうでもいい、ジュヴキャッチの方はどうなっている!」
「順調順調〜このペースで推移すれば今日中には全部のアジトを押さえられるんじゃないかな。漸進的に掌握していた甲斐があったよ」
花柄のシャツに包まれたデカい腹を叩いている、食べている物が関係しているのか油ぎったように見える髪をかき上げていた。
「こっちの損害率は?事務次官の方へ回せそう──」
まだ話は終わっていないのに、緊急解放されたダンタリオンと一時的に繋がっていたグリルが猫撫で声で応答していた。
「はぁ〜いダンタリオン、何かな?……うんうん……君は偉いね〜、それじゃあそのまま防衛班の援護に回ってくれるかな?……彼なら大丈夫だよ〜気にしないで、君は本当に良い子だね〜」
その様子を眺めていたサイトウも渋い顔をしていた、中年に差しかかる男の猫撫で声なんざ誰が聞いても気色悪いだろう。
「グリル!」
「あ〜はいはい損害率だよね、協力してもらっている公安や警察に被害が出たみたいけどこっちは大丈夫だよ。これならそっちに人手を回せるんじゃないかな」
また新しい包みを開けている、奴曰く頭を使う仕事は油分が必要らしい。
デスクに食べカスを散らしながらうっとりとした表情になっていた。
「あ〜…俺も拝顔の栄に浴したい…いや溺れたいね…ホシも可愛いけどダンタリオンも……」
煙草をもみ消したサイトウが「意味が分からない」と呟き、男色家のどうしようもない変態野郎を嗜めている。
「おいグリル、坊やの任期もあと一年切ってるんだ。変なトラウマだけは残さないでくれよ」
「良いじゃないか別に、どうせ記憶は消されるんだろ?」
「心の傷までは消せないんだよ馬鹿たれ。ビーリとイシカワを呼び戻せ、サイトウに付かせる」
「はいはい」
「旦那はどうするんですか?また局長の顔でも拝みに行くんですか?」
「それを栄に浴するって言うんだよ」
大仰に肩を竦めただけで何も言わず、サイトウが管理室から出て行った。
◇
《あの野郎!オレの装備を持って行きやがった!おいオッサン!あんたの方からも言ってくれよ!》
《緊急事態だ我慢しろ、ゲイルは使い勝手が良いんだよ》
《それよりオレは?出なくていいのか?街がヤバいことになっているんだろ?》
《その必要はない。それより事務次官の方はどうなっている?》
《まーた人探しかよ……ダンタリオンの野郎が羨ましいゼ……》
サイトウの跡を追いかけるように俺も退出し、局長の元へ急いでいた。
エレベーターで乗り合わせた別の職員にこれ見よがしに咳をされてしまった、相当臭うらしい。
(全く……文句があれば言えばいいものを……)
ホシに然り、最近の若い奴はこんなのばっかりだ──いや、あいつは違ったな。
人様の頭の中を勝手に見ていたガングニールが、俺の心を見透かしたような報告を上げてきた。
《ナディとジュディスなら無事だぜ、陸軍の防衛班に護衛されて区画を脱出した、怪我もない》
《人の話を聞いていたのか、事務次官はどこに──》
顔を顰めた職員が途中でエレベーターから降りた、もう誰も乗せたくなかったので急いで扉を閉めた。
《その事務次官も交番に姿を見せている、二人と何やら会話していたみたいだが音声記録が無い》
《──何?交番にか?》
《ああ。コイツは一体何がしたいんだ?ダンタリオンからの報告と統合してみてもジュヴキャッチと関わりがあるのは間違いない。四年前にウィゴー・ヴィシャスに対して貸付制度を認可した職員も事務次官の息子だ》
《ジュヴキャッチに拠点を与えていたという事か。その息子とやらはどこにいる?》
《あー……あった、港を襲撃された日にハウィの精神病棟に入院している。病名は双極性障害、不思議な事にカルテが殆ど無い。それから療養中のナツメ・シュタウトも入院している所だ……偶然か?》
《必然だ、奴は関係者もろともカウネナナイに逃げるつもりでいる。ガングニール、C3型に換装して待機していろ》
《マジか!………いやちょっと待て、3型って言えばただの索敵じゃねぇかっ!》
喚くガングニールを無視して《いやでも空を飛べるだけマシか……》局長が待つ執務室の扉を開けた。
入室するなり一言。
「ヴォルター、今からハウィに飛びなさい。グリーン事務次官とその息子の居場所を割り出して公安に連絡、出来るわね?」
「シュタウトの身柄は?奴も同じ所に入院しています」
「彼女は陸軍に任せるわ。手隙になっている人間を事務次官に回しなさい、数十分前に監視カメラで確認しているからそう遠くへはまだ行っていないはず。どのみちにあなたはハウィの港を押さえていなさい」
「サイトウに二名付けて追跡にあたらせています。ガングニールはC3型に換装して待機させていますのですぐにでも発てます」
これだから局長には頭が上がらない、こちらの行動もこれからの出来事も全て把握しているかのような言動はいつでも痺れてしまう。
カツラギ局長がにんまりと笑みを作ってこう言った。
「上出来ね。後はあなたに任せるわ」
✳︎
──君たちが余計な事をしなければこの街は無傷だった。亡くなった警察官たちに何と言うつもりかね。
...街はどうなったんだろう、護送車の中からでは分からない。固い座席の隣にはジュディ先輩も乗っている、私と同じようにずっと下を向いたままだ。
護送車を運転している陸軍の人が話しかけてきた、声音は優しく私たちを気遣ってくれているのが分かる。
「街はもう大丈夫みたいだよ。君たちがいたバーは……まあ、大変な事になってるみたいだけど」
「……そうですか。すみません」
謝る必要なんてないはずなのに、そう言いたくして仕方がなかった。
「……どうして君が謝るの?」
「いえ、その………何でもありません」
まだ何か言いたそうな雰囲気があっだけど、結局何も言わずにハンドルを握り直していた。
◇
一瞬だった、何もかもが一瞬で通り過ぎていった。
あの時駆け込んできた警察官と一緒に年配の人も飛び出して、少ししてから数人の警察官を連れてスーツ姿の人が交番にやって来た。
そして一方的に言われてしまったのだ、私たちが余計な事をしたから亡くなってしまった人たちがいるんだと。何で、どうして、その疑問も耳をつんざくような音に埋もれてしまい、ヘルメットを被った人たちも交番に現れて──あの日以来聞いていなかった銃の発射音に怯えながら車に乗り込んでいた。
怖かった、それと同じぐらいの後悔もあった。スーツ姿の人が、あの真珠は化け物の卵なんだと、そう教えてくれたのだ。
もし私たちがウィゴーさんを助けず通報していたら...大きな虫に街が襲われることも、警察官の人も殺されることはなかった...のかもしれない。そう思うと駄目だった、胃が悪いものに締め付けられるように、お尻から力が抜けていくような感覚に囚われてしまった。
それにだ、あの真珠は私も一つだけ持っていた、何処で失くしたのか分からない、分からないけどその真珠も本当に卵であれば、今頃何処かで孵化して...
ぐるぐると同じ事ばかり考えている間に車が停車した。場所は街中にも流れているあの大きな川の終着点、広い敷地を持っている陸軍の基地だった。
隣に座る先輩にもう一度視線を向けると、窓の向こうを見やっていた。いつもの元気はまるでない、もしかしたら先輩も気に病んでいるのかもしれなかった。
ドライバーの人が私たちの扉を開けてくれた、綺麗な金色の髪をしている人だった、ヘルメットから溢れるように出ていた。
「落ち着くまではこの基地にいて、家族の人に連絡を取って迎えに来てもらうから」
「あ……はい、あ、でも私の家族はラウェにいるんですが……」
「…………………あ、遠い所にいるの?もしかしてこっちに来るまで時間がかかる?」
...ラウェを知らないの?
「はい……早くても明日とかになるんじゃないでしょうか」
「大丈夫です、この子は私が連れて帰りますから」
ジュディ先輩がそう言ってくれた、陸軍の人もどこか安心した様子だった。
促されるまま下車した私たちは駐車場から一番近い建物に入った、中はひんやりと涼しくかいていた汗もすうっと引いていった。
ここまで運転してくれた陸軍の人が建物の中にいた別の人に私たちを預け、颯爽と踵を返して出て行った。ヘルメットの付け心地が悪かったのか、建物から出たと同時に脱いでおり腰まで伸びる長い髪が露わになった。
(わ、凄い髪……)
アリーシュさんよりも長い、軍人というよりオリーブさんと似てどこか芸能人のような印象を受けた。大きなゴーグルも付けていたので顔は分からなかったけど、きっと綺麗な人なんだろう。
ふくよかな体型をした人に付いていく、あちらこちらの部屋から騒がしい声を聞く限りあの大きな虫の対応に追われているらしい。
案内された場所は食堂のようだった、長机が整然と並んでおり薄らとだが食べ物の匂いもする。さらに驚いた事に食堂には私たち以外にもちらほらと一般の人たちもいたのだ、皆んな居心地が悪そうにおとなしく席についていた。
その後、代わる代わるやってきた人たちに色んな事を聞かれた。てっきりまた責められるのかと思ったけど、皆んな私たちの身を案じてくれた。そのお陰で沈んでいた気持ちも幾分マシになり、先輩もいくらか顔色が良くなっていた。
手渡されたスポーツ飲料をちびりちびりと飲みながら、やっぱり私たちはウィゴーさんの事を口にしていた。
「どうなったんでしょうかウィゴーさん……」
「さぁ……無事だといいけど」
「……テロリストだと知ってショックですか?」
「そりゃまあ……でも、助けたことに後悔はないわ」
つい、先輩に甘えてしまった。
「……街があんな事になってもですか?」
そんなに弱気になるな、とか。私たちは立派な事をやったんだ、とか。あの真珠が化け物に変わるなんて知らなかったから私たちのせいじゃない、とか。そんな風に励まして欲しかった。
けれど、
「………分からない、他に助ける方法があったのかもしれない」
「何ですか、それ、救急車を呼んだ方が良かったって言うんですか?」
じろりと先輩が私を睨みつけてきた、その瞳にはいつもの意地悪さがない、あったのは"不愉快"という冷たい色だった。
「そんな事私に言ってどうするの?」
「………すみません」
「いや………ごめん」
居た堪れない雰囲気になって私も先輩も口を閉じた。別のテーブルでは知り合いと再会したのか、喜びの声を上げながら抱き合っている人たちがいた。
私たちの沈黙を破ったのは携帯の着信音だった、ポケットに入れてあった携帯が震え出したので手に取ってみやれば意外な事にガングニールからだった。
「誰?」
「……ガングニールです」
私一人で話すのも躊躇われたのでスピーカーに切り替えてから通話ボタンをタップした。
「も、もしもし?」
[大変だったみたいだな、でも安心しろ、何せこのオレが出撃することになったんだからナ!]
調子っ外れのガングニールの声が宙に浮いてしまった、それは本人も自覚していたことなのかわざとらしい咳払いをした後にこう切り出してきた。
[すまない。こんな時にこんな事を聞くのはどうかと思うんだがな……あー……ジョン・グリーン事務次官って分かるか?お前さんが交番で会ったあの男だ]
「それが何?」
答えたのはジュディ先輩だ、声音がいつも通りだったので少しだけ安心した。
[あん?これスピーカーにしてるもしかして]
「そうだけど……」
[今度はお手柔らかに頼むぜジュディス、もう下手な言い方しないから]
「分かってるわよ。それでその人がどうかしたの?」
[お前さんらが会ったあの男がジュヴキャッチと内通していた事が分かった。今はその調査をしているところなんだがな、お前さんらと会話した内容が不正アクセスによって消されているんだよ、だからその内容を知りたい]
先輩と目線を合わせた。そんな事になっているなんて全然知らなかった。
「私が教会にいた時もそんな事言ってたわよね、あの時も不正アクセスがあったって事なの?」
「……え?教会?」
先輩が小さな声で「後で話すから」と言った。
[あの教会はカウネナナイと共通のサーバーを通して管理されている、だから映像しか取得できなかったんだよ]
「そういう事……あの人とは──」
あの人との会話は先輩が話してくれた、私はどうしても口にすることができなかった。
一通り聞いたガングニールがいきなり声を荒げたので私も先輩もびっくりしてしまった。
[あぁん?!んな訳あるかっ!あのオッサン頭がイカれているんじゃないのかっ?!ふざけやがって!オレのゲイルで──]
ぷつりと音声が途切れ、今度は低くしゃがれた声が流れてきた。
[ヴォルターだ。お前たちの話は聞いた、いいか?これから言う事は肝に銘じろ、誰に何を言われても必ず言い返せ]
どこか怒っている様子だった、恐る恐る続きを促した。
「な、何でしょうか………」
──それは、少なくとも私にとって一番言って欲しい言葉だった。
[お前たちは何も悪くない。タガメが街中で孵化したのはお前たちのせいじゃないし、亡くなった警察官もお前たちのことを恨んでいない。いいな?]
ぶわりと熱い涙が私の瞳を覆った、見えている訳じゃないのに堪らず下を向き、その弾みで涙が溢れた。
その後はジュディ先輩が引き取りいくらか会話した後通話を切っていた。そして、私の頭に優しい小さな手が置かれた。
「………ごめん、私もそう言ってあげれば良かったね、ごめん、気が回らなかったわ」
その言葉にまた涙が溢れそうになった。
✳︎
《優しいんだから、もう》
C3型に換装したガングニールを離陸させ、今はまだ穏やかな風を突っ切るように高度を上げていく。
風向きは南東、レティクルの向こう側に縁がギザギザ状になっている小さな雲の群れがあった。ラズグリーズの面々は「ネコの舌」と名前を付けていた、風が強くなる日に限って見る雲だった。
中年の猫撫で声は不愉快だが、中性的な声をしているガングニールはまだいくらかマシだった《だったら返事ぐらいしろよ》
《うるさいんだよ、静かにしていろ》
《えぇ〜?オレにはえらく冷たいじゃないかラズグリーズのエースパイロットさんよ》
《誰から聞いたんだ》
《コールダーのお嬢だよ。オッサンもこそこそ隠れて周りと親睦を深めているじゃねえか、仲間外れにされてるオレの気持ち分かる?ん?》
《下らない事言ってないでハウィの港に連絡を取れ、そろそろジュヴキャッチを乗せた護送車が到着する頃合いのはずだ》
《もう到着している、先発組に目星の人間は乗っていなかったゾ》
《紛れている可能性もある、船の電算システムに枝を付けておけ、出港を遅らせるんだ》
《人使いが荒いんだから、もう》
《うるっさいんだよっ!!》
高度が一万を超え、飛び立った空軍基地が砂粒程度になった。
薄い空気層では空も水色に見える、ここから折り返して高度を下げていけばハウィに到着する。そこでふと─今の今まで疑問に思うこともなかったし、何の前触れもなかったが─この国は小さなと、そう思った。
多少のアクシデントはありつつも作戦が順調に進んでいる余裕か、あるいは空を飛べた高揚感からか、ついとガングニールに尋ねてしまった。
《ガングニール、このまま高度を上げるとどこに辿り着くと思う?》
《あん?そんな事オレに訊いてどうすんだよ………そうだな、このまま成層圏を抜ければそこは宇宙だな》
《どうして誰も行こうとしないと思う?》
《そんなの、宇宙空間に行く技術がないからだろ、それがどうした?》
技術がない、か。確かにそうだ、だが、特個体自体が一定の高度以下でなければ運用できないと定められているのも関係しているだろう。ガングニールにも例外ではないし、かと言って新たに特個体を製造することはできない。それは何故か、全ての特個体はガングニールとダンタリオンを基にして製造することが義務付けられているからだ。
(──いや、そうじゃない)
一定の高度以上飛行可能な特個体は作れないようになっていると言った方がいい。
なら、ガングニールとダンタリオンを解体して一から組み直せば良い話なのだがそれも出来ない。機体、マテリアルパーツはいくらでも組み直せるが肝心のコアは誰にも分からないのだ、これが"アンノウン"と言われている由縁だ。
(きな臭い……もしここが本当に筒の中なら……)
それを今、確かめる術はない。
◇
ハウィの港が視程に収まった時、ガングニールがにわかに慌て出した。
《なん?!もう!うるっさいんだよ!ピーピー泣くなっ!》
港で待機していた保証局の支部員が開けた場所で誘導灯を振っている、わざわざ積荷のコンテナを移動させてくれたらしい。操縦に専念したかったがそうもいかなかった。
《急に喚くなっ!一体何が──》
そう尋ねはしたが背中に冷たい汗が伝った。
《あぁ?!ダンタリオンが泣いているのが聞こえないのかっ?!》
聞こえない、あり得ない。ガングニールと接続しているのにも関わらず俺にだけその音声が流れない。
異常事態だ。"接続"とは文字通り意識まで同調させることを言う、その一方のみ異変が起きたとすれば答えは一つ、それにここはカウネナナイに最も近いハウィだ。
(──ハッキング!!)
そうだと認識した途端コンソールの明かりが全て消失、コントロールレバーもロックされてしまった。あれだけ騒がしかったガングニールも応答しない、高度は千を切ったところだ、このまま自由落下してしまえばひとたまりもなかった。
パイロットシートを射出するボタンに手をかける、コクピットは真下を向いているためこのままではハッチを吹き飛ばすことができない──いやそうも言っていられない、自由落下によりぐんぐん高度が下がっている、腹からお尻にかけてみるみる力が抜けていく──ふわりと、機体が重力に逆らった。何故?ガングニールが機体を起こしたのか?それならそれで良い、何とか助かったようだ。
「はぁ……生きた心地がしない……」
久しぶりに、本当に久しぶりに誰にも聞かれることがない独り言を呟いた。
だが、港に降り立った俺は最も屈辱的な方法で助けられたと知るのであった。
リーだ。
✳︎
(怖かった)
怖かった、ただただそれだけである。
え、何なのいきなり、遊覧飛行とか言って私を特個体に乗せるのは止めてほしい。大昔に一度だけ、ウルフラグとカウネナナイを結ぶ貨物飛行機に乗ったことはあるけどその一回限りだ。重力に逆らったあの独特な感覚はやっぱり慣れそうにはない、大地がこんなにも恋しくなるなんて。
私を強引に連れ出したキング中佐はご満悦そうだ、バイザー越しでもニヤニヤしているのが良く分かる。
コクピット内を埋め尽くすようにして並ぶコン...何だっけ、コンソール?を見回しながら話しかけてきた。
「どうかな、私の機体は」
「何か……思ってたよりも滑らかでしたね、もっとキビキビ動くのかと思ってましたけど……」
「んん〜良い褒め言葉だ。君が酔わないようにフレキシブルブースターを全稼働させていたからね、並のパイロットにはできない芸当さ」
「はあ」
「んん〜その釣れない反応も悪くない、帰りが楽しみだ」
(ええ…何て言えばこの人に嫌われるんだろう…)
何だフレキシブルって、そんなにちょこちょこ動くの?私の頭の中では携帯を挟んでグネグネと動くアームが再現されていた。
紙を裂くような音と共にハッチが開いた、キング中佐は自立できないので補助が必要だった、私だけ先に降りることになっている。
まだ少しだけお尻の辺りをふわふわとさせながらコクピットの外に出ると、コンテナ積載場にはパイロットスーツ姿の人が腕を組んで仁王立ちでこちらを見上げていた、さっきキング中佐が助けた人だろう。
(……ん?)
その人がヘルメットをコツコツと叩いてた、フルフェイスになっているので顔は分からない。
取れという事だろうと解釈してヘルメットを脱いだ。顔が外気に触れた途端、潮の香りがぶわりと鼻についた。
仁王立ちになっていた人が組んでいた腕を解き、私の姿を見て呆気に取られているようだ。そりゃそうか、航空祭でもないのに一般人が特個体に乗っているのだから。
呆気に取られていた人が良く通る声で話しかけてきた。
「──何でお前さんがそんな物に乗っているんだ!ライラ・コールダー!!」
「……え!え?」
誰?!いや、この声は確か──それに地面に横たわっている機体は良く見てみれば...ガングニール!空を飛んでいた時は周りを見ている余裕なんてちっともなかった。
固まっていた私に分かるようにか、パイロットスーツの人もヘルメットを乱暴に脱いでいた。案の定、その人はクーラントさんだった。
◇
「どういう事だ説明しろ!何で未成年のガキを連れ回しているんだ!リー!」
「ガキとはまた失礼な物言いだなヴォルター。喧嘩を売る前に何か言う事があるんじゃないのか?それとも保証局に移って当たり前の礼儀すら忘れてしまったというのか?いや、お前は元々失礼な奴だったな」
カウネナナイへと続く大海原を背景にクーラントさんがこれでもかと吠えている、強く吹きつける風や潮騒も何のそのだ。
吠えられたキング中佐もどこ吹く風で受け流している。けれど、普段の様子はなくはっきりとした嫌悪感を露わにしていた、どうやらこの二人は昔からの知り合いらしい。
「……何だと」
「そんな調子で女のケツを追いかけて行ったのか?可哀想に...お前の上司に心から同情するよ」
ヴォルターさんが手にしていたヘルメットを地面に叩きつけてキング中佐の胸ぐらを乱暴に掴んだ。あ!と思ったのも束の間、遠慮なく頬に拳を叩きつけていた。
「カツラギは関係ねぇだろうがっ!!」
「止めなさい!!」
キング中佐の手伝いをしていた人が仲裁に入った、余程腹を立てているのかクーラントさんがその人にも拳を振り上げ綺麗な一本背負いで海へと投げ入れていた。
殴られてしまったキング中佐は口の端から少しだけ血が出ていた、地面に血が混じった唾を吐いてからこう言った。
「……さすがは狂犬。敵艦を沈めていなければお前は今頃独房の中だよ」
「だったらどうしたっ!!お前ら攻撃部隊が二の足踏んでいたから──」
「あの果敢さを初めから発揮していたら助かった命もあっただろうに」
(ヤバいヤバいヤバいヤバい……)
キング中佐の言葉は明らかにクーラントさんを抉っている、何があったのか分からないがあれだけ暴れていたクーラントさんがフリーズした。その隙を見て他の人たちが一斉にクーラントさんにしがみ付き、キング中佐から引き剥がしていた。
「やれやれ……」
「あの……大丈夫なんですか?」
「ん?ああ、君が気に病む必要はない、あれは空軍きっての問題児だ」
しまった、私の事を忘れていたならこのままとんずらこけば良かった、と思うが後の祭りだ。
連れて行かれるクーラントさんを見送った後、私たちは港に併設されている空軍の基地へと足を向けた。何故ガングニールを基地内に降さなかったのかと尋ねると、
「保証局から許可が下りなかったからだ、同じ特個体だが管轄が違うものでね」
「はぁ……そうなんですね」
今度は何も言われなかった。
◇
「疲れたぁ〜ナディに会いたいよぉ〜」
基地に到着した後着替えを済ませ、そこから色んな人と挨拶を交わした。相手の気分を損ねないよう、あまり隙を見せないようにしていたので気は張り詰めっぱなしだった。
夕食まで時間があったので私に当てがわれた部屋に入りベッドにダイブイン、一気に力が抜けていくのを感じた。
(連休明けに辞職届け……それから軍会議に出席……クックに新居を借りて引っ越し……)
やる事は沢山ある、そしてそのどれをもナディに告げられずにいた。昨日電話した時も...
(ごめんねって、今さらだよ……)
電話口でナディはひたすら謝っていた、あまり気を遣わせたくなかったからと。本当は別に怒っていた理由もあったのだが私は許した、だって、あんなにも一生懸命謝ってくれたから。あのアキナミという子にはここまで謝ったりしないだろうと思うと、醜い優越感と意地汚い満足感を覚えて溜飲を下げたのだ。
(はぁ〜ほんと嫌になる……けど、ナディの声って気持ち良いんだよね)
何と言えばいいのか、聞いていて飽きないというか、耳に心地よいと言えばいいのか。こんなにぐちゃぐちゃになっていても私の心はナディに奪われたままだ、それがまた心地よく嬉しかった。
そうだナディの声を聞こうと携帯を手に取ると、私はクーラントさんのようにフリーズしてしまった。
「……………………え」
私は携帯ゲームをする習慣はない、ナディたちみたいにアニメや動画を常日頃から鑑賞する趣味もない。それなのに、ロックされているはずの携帯画面に3Dの女の子が表示されていた。
「あれ……何これ」
ホームボタンを押しても反応がない、電源ボタンを長押ししてもシャットダウンされない、3Dの女の子にも変化がまるでない。
初めはアプリを起動したままになっていたと思ったけど、何をやっても反応がなかった。画面に映っている女の子は薄い茶色の髪でくりくりだ、目も大きく少しだけ垂れている。服は...ゲームっぽい?それに背中には禍々しい槍も映っていた。
「────わっ!」
じ〜っと見ていると画面の女の子がぱちりと瞬きしたので驚いた。そして言葉まで発したのでさらに驚き、自己紹介まで始めたのでまたまた驚いてしまった。
[あ〜……急に悪いな、邪魔したみたいで。ちょっとお前さんに頼みたいことがあってだな、こうしてアクセスさせてもらったんだ]
「……………」
[あれ、誰だか分かってない?オレだよオレ]
「……………」
[ガングニールだよ]