第27話
.That is homeland
パーティーを楽しんだ翌る日、ジュディ先輩からこんなメッセージが入った。
ジュディス:確かめたいことがあるから付き合ってくれる?
(え、何だろ……)
ジュディ先輩が私物をばら撒いてくれたお陰ですっきりとしていたロフトに上がり、朝食後の惰眠を貪っている時だった。横にだらんと寝そべりながら、はて何の事だろうかと一瞬考えてすぐに思い出した。
あのバーのマスターの事だ。
◇
私と同じようにリビングで寛いでいた二人に出かけてくると伝えて家を後にし、ジュディ先輩が下車するバスの停留所へとやって来た。
深夜から朝方にかけて降った雨が街を濡らしている、そのきらきらと輝く道を歩くジュディ先輩を見かけ手を振った。
「おはようございます」
「おはよ。悪いわね朝から、どうしても気になる事があって……」
先輩にしては珍しく歯切れが悪い。
「……バーの方ですよね」
「そう、あんたあの時見たって言ってたでしょ?私も気のせいかと思ったんだけど……」
どうやらあの日以来、行きつけのバーが閉店したままらしいのだ。もし本当にあのマスターがそうであれば、先輩は警察に通報するつもりのようだがその前に調べたいらしい。
「危なくないですか?」
「う〜ん……私もそう思うんだけど、あのマスターには何かとお世話になったこともあるから、いきなり通報するって何か嫌なのよね……」
キャスケットに隠れた先輩は思案顔だ、今日の服装はまるで変装と言わんばかり、それに私もラハムさんからハットを借りて被っていた。
二人揃って朝の通りを歩く、ここにこうしてやって来るのは二度目だ。
開いていたり閉まっていたり、朝の繁華街を抜けてお目当てのバーにやって来た。地下に下りる階段の先には「CLOSE」のプレートが掛けられていた。
「電話とかしてみたんですか?」
先輩は何も言わずに肩を竦めただけだ。その後、ゆっくりと階段を下りていった先輩の跡に続き扉の前に立った。
「……どうするんすか」
また先輩は何も言わずに扉をノックした、もう誰もいないのか返事は勿論人の気配も感じられない。二度、三度とノックをしてから先輩が扉のノブに手をかけてゆっくりと回すと...
「……開いた、鍵がかかってない」
「……え!マズいですよ、不法侵入になるんじゃ……」
「……言っておくけどこのバー、たまに朝も開いていたりするのよ。だから大丈夫なんじゃない?」
そういう事は事前に言ってほしい!
「……なら、入ってみますか?」
またまた先輩は返事もせずに薄く開いていた扉を大きく開いた。入店を知らせるベルが鳴り、少し埃っぽい店内が視界に入った。あの日と同じように壁にはポスターが貼られている、その壁をまた眺めながら先輩の跡に続いた。
普段と変わらない、けれど少し上擦った調子の声で先輩が呼びかけている。
「マスタぁ、後輩連れてやって来たわよぉ」
「お、お邪魔しまぁす」
誰も返事をしない、階段を下りてフロアに到着しても物音一つしなかった。
「これ、やっぱりもう閉めてるんじゃ……」
「うう〜ん……そうっぽいわね……うわっ?!」
先輩が床を見ながら声を上げた、何か踏んづけてしまったらしい。身を屈んで拾い上げた物に私は強い既視感を覚えた。
「……何これ、BB弾?いや、こんなに大きかったっけ」
「──あ、それって……」
先輩が摘んでいた物は、プウカさんと一緒に見つけた銀色の真珠だった。床をよく見てみればあちこちに散乱している、そしてその真珠は散らばりながらもカウンターの奥へと続いているようだった。
初めて見るであろう先輩にかくかくしかじかと説明してあげると、大きく目を見開いた。
「何でこんな物がここにあるのよ」
「分かりませんけど……でもこれって開発課で研究されていたんじゃ……」
私も一つ持っていた、セントエルモの調査の際に持ち寄ったのだが失くしてしまっていた。
「……まさか本当にマスターが……」
ここにあること自体が不自然だ、背中に冷たい汗が流れ始める。もしかしたら私たちは余計な事に首を突っ込んでいるんだろうか。
固まってしまった先輩の腕を取り、退店しようと促すとカウンターの奥からはっきりとした物音が聞こえてきた。
「……聞いた?」
「……聞きました、誰かいるみたいですね」
ついで、何かが倒れる派手な音も聞こえてきた。瓶が割れる甲高い音や椅子が倒れるような音だ、私も先輩も身を強張らせるがその後は再びしんと静まり返った。
どちらからともなく動き出した、もし本当にマスターがテロリストの人なら私たちは大変危険だ、けれど一体何があったのかという好奇心もあり歩みを止めることなく奥へと向かっていく。
カウンターの羽根板を開いて中へと進む、そこには奥まで続いている廊下があり部屋が四つ程並んでいた。手前の部屋は事務所なのか「Office」というプレートが貼られており、残り三つの扉には何も貼られていなかった。
この廊下にもやっぱり真珠が転がっていた、いくらか踏みながら物音が鳴った部屋の前まで辿り着くと中から人の呻き声が微かに聞こえてきた。男性の声である、とても苦しそうだ。
律儀にも先輩が扉をノックする、返事はない、ゆっくりと開くと室内には横たわっている男性がいた。
「──ちょっと!どうしたのよっ」
バーのマスターだ、お腹を押さえながら肩で息をするように喘いでいた。
「……誰かと思えば、ジュディスちゃん……それにナディちゃんも……」
顔は青白い、無理して作っている笑顔も痛々しかった。
「何があったの?もしかして──」
マスターは床に接している体半分が濡れていた。きっと割ってしまったお酒だろうと思っていたけど違った、お腹から血が流れているのだ。
「図々しいのは……良く分かってるんだけど……助けて、くれないかな……」
「図々しいって……やっぱりあの時……」
「そう……君たち、友達だったんだね……いやぁ、罰が当たったと心底思っ……たよ……」
怪我したお腹が痛むのか、激痛を堪えるようにたどたどしく話をしている。
(見間違いじゃなかったんだ……)
確かにあの日、バーのマスターはライラを連れ去ったグループの中にいた。けれど私とジュディ先輩の存在に気付いたのか、大きく開かれた目もまた私は目撃していた。
初めて会った時は常に見上げていたので気付かなかったけど、ツーブロックに刈り上げたマスターの頭に薄らとタトゥーが入っていた。その頭と体を支えながら私と先輩でマスターの体を起こす、起こしはしたけどどう助ければ良いのか分からなかった。
「助けるって言ってもどうすればいいの?この怪我なら病院に行かないと……」
「それは……勘弁、してほしい……止血できる、布でも何でも……それから、鎮痛薬を……それさえあれば何とかなるから……」
すっかり青白くなってしまった顔をこちらに向けてこう言った。
「それと……携帯の電源も、切ってくれると、ありがたい……」
「どうして──」
そう言いかけて、私も先輩も気付いた。
特個体だ。
悩んだ、このまま通報した方が良いのかどうか。
「それから……君たちは、後で、ちゃんと通報してね?……僕を逃した後で──」
マスターが大量の血を吐いた、映画やアニメ、フィクションの世界でしか見なかった光景だ。その姿を見ただけで気が動転した、動悸も激しい、けれどこの人はもっと苦しいんだと思うと踏ん切りがついた。
✳︎
《携帯の電源が切られました!至急現地に向かって下さい!》
監視対象であるジュディス・マイヤーの自宅近くに到着したばかりだった。
《洗い出しをしてくれ!こっちで把握していないテロリストだ!》
《分かりました!それからナディ・ウォーカーがバーを退店しました!おそらくテロリストの指示に従っていると思われます!》
逃しちゃ駄目だ、逃してしまえばあの二人は罪に問われてしまう。
車の運転席から降り立った途端、足元にあった水溜りを盛大に蹴ってしまった。上がった汚い飛沫がスーツの裾を汚したが気にならなかった。
バーはここから近い、スーツの下に忍ばせた自動拳銃の重みを意識しながら朝焼けの街を駆け抜けた。
《テロリストの名前はウィゴー・ヴィシャス、抵当にかけられているバーの経営者です!住民票もありますが偽装されています!》
《抵当権を所有している所を洗い出せ!それから街の防犯カメラから人の出入りがないか調べろ!》
《了解しました!》
ジュディス・マイヤーの自宅からバーまで歩いて一〇分とかからない、ビルの間にある道を駆けた。連休中に仕事をするのは僕たちだけではないらしい、ビルの一階にあるオフィスではスーツ姿の人たちがデスクに向かっていた。
水溜りを跳ね上げ室外機から吐き出される臭いを突っ切りながらバーへと向かう、調べがついたダンタリオンから緊迫した様子で報告があった。
《抵当権を所有しているのは厚生省です!ウィゴー・ヴィシャスは四年前に特別貸付制度を利用しています!》
《それは本当なのか?!きちんと調べたのか?!》
《調べました!その時の担当職員の名前も把握しています!それから一八時間前に街の防犯カメラに不正アクセスが認められました!消去された映像は約五分間!IPアドレスはジョン・グリーン事務次官です!》
頭を殴られたような衝撃があった──いいや、実際に殴られたのだ。
ビルの角を曲がった途端だった、鈍い衝撃は頭から足に伝わりつんのめるようにして水溜りの地面に倒れた。
ダンタリオンの叫び声が頭の中に木霊する、背後から...
「面倒な……まぁいい──」
意識を手放す間際...ダンタリオンを緊急解放した。
✳︎
ドラッグストアの人に不審がられながらも何とか大量のガーゼや包帯、それから痛み止めの成分が入った薬を買いつけてバーに戻ってきた。
バーのマスターはウィゴーという名前らしい、慣れた手つきで止血しながらそう教えてくれた。
やはりこの人もジュヴキャッチの人だった。
「……祖国の為にと、海を渡って、拠点を作れと言われてバーを開いて……この有り様だよ……」
「それじゃああんたは……カウネナナイの人だったのね」
「……嫌かい?──そりゃ嫌だろうね、仲良くしていた相手がっ………」
ウィゴーさんがまた激痛に顔を歪めた、止血は済んだけと肝心のお腹は傷口が開いたままだ。
震える手つきで梱包された錠剤を一つずつ開けていく、見ていられなかったので私も手伝った。
「……ありがとう、けど、あんまり手伝わない方がいいよ、僕は犯罪者だからね……それに、真似しないでね」
「え?」
取り出した錠剤を鷲掴みにして口の中に放り込み、飲み物が注がれていたグラスを一気に飲み干した。
「ちょっとあんたまさか!」
注がれていた飲み物はお酒だ、ウィゴーさんの頬がみるみる赤くなっていった。
「はぁ〜………これで時間は稼げる……んん〜気分悪い、最悪だよ」
「……え、すぐにどうこうなる訳じゃ……」
確か、お酒と薬は同時に飲むと命に関わると聞いたことがあった。しかし、少しだけ違ったようだ。
「アルコールのせいで薬の作用が強くなるだけさ。ま、危険な事に変わりないけど今はこうするしかない──んん〜っ!ありがとう!助かったよっ!」
「わっ」
酔うのが早いのか、ウィゴーさんががばりと私に抱きつき、今度はジュディ先輩にも同じことをやっていた。
「……あんたこれからどうすんの?」
すっかりお酒が回ったウィゴーさんがジュディ先輩の頭に手を置いてわしわしと撫でた。
「そりゃ逃げるよ、もう会えないけど気にしない気にしない。こんなに良い後輩が出来たんだから、羨ましいぐらいさ」
「…………」
「そんな悲しそうな顔しない!ナディちゃん、分かってるね?いや、というか今すぐにでも通報して、それから僕の指示を聞いたやった事だときちんと説明して、いいね?」
「………はい」
本当にこの人はテロリストなんだろうか...大怪我をしているのに私たちに気を遣ってくれる、こんな人は初めてだった。
ゆっくりと、お腹を庇うように立ち上がったウィゴーさんに声をかけた。
「もう、バーを開いたりしないのですか?……その、私ここが初めてだったので、残念だなって……」
「……僕には才能無いよ」
「そう……ですか?ポスターの貼り方とか、テーブルに置いていた花とか……あれって季節毎に分けているんですよね、お洒落だと思ったんですけど……」
ウィゴーさん、それから先輩も目を見開いた。
「……そうだったの?」
そう訊かれたウィゴーさんは何故かとても悲しそうな顔つきになった。間違っているのかなと思ったけど、違う理由があった。
「………まさか、気付いてくれる人がいるなんてね、しかもこんな時に……しょうがないか、それじゃ」
悲しそうにしたまま、今度は自然な笑みを湛えて部屋から出て行った。
◇
ウィゴーさんの言った通り私たちは警察に通報し、最寄りの交番にやって来ていた。
それはもう、大変お叱りを受けてしまった。何故すぐに通報しなかったのか、何故相談もなしにテロリストがいるかもしれないお店に入ったのか、何故外に出た時にそのまま逃げなかったのか。
年配の警察官から一方的に怒られている間、先輩は終始俯いたままだった。私は私で言い方に腹を立ててカチンと来ることもあったけど、結局何も言い返さず先輩と揃って項垂れていた。
「全く………無事だから良かったものの……いいね?!今後二度とこんな真似はしないように!」
「……人助けもするなってことですか」
「人助け?!とんでもない!彼らは犯罪者!人殺しだって平気でするような野蛮な輩だ!私たちと同じように見ていたら痛い目にあう!………それとも何?君たちは善意で助けたって言うのかい?」
「…………言われた通りに、やっただけです」
「そうだろう?けれどそれにお礼ではなく仇で返すのが奴らなんだ!」
...何て言えばいいのだろう、難しい。確かにあの人は自分でも犯罪者だと言っていた、そしてそれを分かった上で私たちに接して助けを求めた。
かたやこの人はどうだろう、街や人を守る仕事に就く警察官だけど全てが頭ごなしだ。こっちの言い分なんてまるで訊きやしない、この人は自分が大怪我をした時は今のように怒鳴りながら助けを求めるのだろうか。
ちらりと隣に視線を向ける、私と同じように怒鳴られていた先輩も唇を噛んで必死に堪えていた。
迎えの警察官が来るまでの間に先輩から教えてもらった。あの人は、ウィゴーさんは友達が少なかった先輩に随分と優しくしていたらしいのだ。先輩はその事を強く感謝していた、寂しさを紛らわせてくれた人だと、だから調べもせずに通報することを躊躇っていたのだ。
正解だと思う。私はそう思った。先輩が必死に堪えているのも、感謝している人がこうも非難されているからだろう。
ようやく怒鳴るのも飽きたのか、眉間に縦じわが刻まれて醜く見えてしまう警察官がほうっと息を吐いた。
「君たちがテロリストに関与したことは事実だからね、これから本署に出向いて取り調べを受けることになると思う。それはいいね?嫌だと言っても逃げられないからね?」
ずっと下を向いていた先輩が顔を上げ、胸がすくような言葉を返した。
「勿論です。正直に話してもし裁判にかけられるようなら、所詮この国は人助けもできない狭量な人間たちの集まりだということが分かるだけですから」
警察官がぽかんと口を開け、先輩が何を言ったのか理解した途端、また声を張り上げたのは当然の事だった。
けれど私たちは警察官の言った通りにはならなかった。
交番に駆け込んでくる別の警察官、一気に慌ただしくなる、その警察官も良く見てみれば怪我を負っていた。また年配の警察官が何故連絡しないのかと怒鳴っている、この人は怒ることしか能がないのだろうか。
バーを、厚生省の人たちと一緒に検分していたら襲われたと、駆け込んできた人がそう叫ぶように言った。
「ジュヴキャッチかっ?!」
「違います!虫です!大きな爪を持った虫に襲われました!」
✳︎
室外機から吐き出される煙草の臭いで目が覚めた、気分は最悪である。意識が戻ると鈍い痛みを感じ、思い出したかのように体が途端に怠くなった。
地面に手を突いて体を起こす、どうやら僕は昏倒させられてそのまま放置させられていたらしい。一体何の目的で攻撃してきたのか、素早く所持品を確認するとあるべき物が失くなっていた。
自動拳銃だ、スーツの下にしまっていた拳銃だけが失くなっていた。
「何てことっ……最悪だ……」
でも一体誰が...?何故奪う必要がある?調べようにもダンタリオンを解放してしまっているのでどうすることもできない。
その場から立ち上がり、バーがある方へ歩みを進めた。脳震盪からくる体の怠さを堪えながら携帯を取り出す、既に僕の異変を察知していた保証局から着信があった。そういえば、こうして普通に電話をかけるのも久しぶりだなと思いながら通話ボタンをタップした。
電話に出たのはバックアップを担当しているグリルさんだった。
[無事で良かった。こう言っちゃ悪いがお前は運が良い、襲ってきた犯人に感謝しろ]
「意味が……分かりませんが……」
[今、その区画に緊急退避命令が出ている、陸軍の到着まであと少し、対応にあたっていた警察官は全滅だ]
まさか...ジュヴキャッチが報復に攻撃を...?けれど僕の予想は大きく外れた。
[タガメだ、ユーサ港で保管されていた例の真珠をバー店内で発見、報告にあった通りその場で孵化しやがったんだ]
朦朧とする意識でも、どうやら衝撃というものは伝わるらしい。路地裏から表の通りに出る手前で足が止まった。
「馬鹿な……どうして──ああ、いやまさか……」
グリルさんが何か言っているが耳に入ってこない、僕の視線は閑散とした街に釘付けになっていた。
誰もいない、大型の連休中だというのに一人っ子一人いやしない。確か、この辺りは夜に栄える繁華街だったと思うけど、それでも不自然極まりなかった。
何故真珠が外に出回っているのか、何故ジュヴキャッチのアジトにあったのか、何故テロリストにも関わらず厚生省は特別貸付制度を認可したのか。住民票が偽装されていたから?
違う。
[──聞いているか、ホシ!しっかりしろ!あと数分でそっちにダンタリオンが──]
耳に浸透するように届いたグリルさんの声も、歪な金属音によって掻き消された。表の通りは商業ビルに挟まれている片側一車線の道路だ、その先はT字路になっておりさらにその先は歩行者天国になっているのだが──
常にカメラ越しに見ていたあのタガメを肉眼で確認したのはこれが初めてだった。区画を整理するためのポールを平然とへし折りながら、タガメが二体、歩行者天国になっている広場から姿を現した。
(大きい……思っていたよりも大きい)
高さは僕とそう変わらないだろう、長さは人の背丈を軽く超えている。何よりあの爪だ、一メートルは優に超えているあの鋭利な爪が獰猛だった。それに赤く濡れている...既に犠牲者が出ているのだ。
「……っ!」
タガメの無機質な目が僕を捉えた、動いていた足をぴたりと止めて様子を窺っている。さらにもう一体も僕の存在に気付いたようだ、無手だ、それにダンタリオンもいなければ逆立ちしたって太刀打ちできない。
生き残っていたポールを造作もなくへし折りタガメが広場からさらに歩みを進めた、視線は僕に固定されている、けれどもう一体のタガメは僕にではなく道路の先に向けられているのが気になった。
(何だ──ああいや、間に合ったのか……)
白い尾を引く飛翔体が道路を突っ切り先頭にいたタガメに着弾した、鼓膜を破らんばかりの炸裂音の後に被弾したタガメが体を傾がせた。
陸軍の首都防衛班だ、思っていた以上に到着が早かった。
高機動戦車二両、それから市街地戦に特化した軍用SUVが後輪を滑らせながら停車し隊員らを次から次へと吐き出していた。戦車のハッチから上半身を出していた隊員が中距離多目的誘導弾の発射装置を構えていた。
戦闘用ヘルメットにゴーグル型の端末を装着しているため顔は良く分からないが、驚いたことに女性だった。陣形を組み突入していく防衛班に檄を飛ばしていた。
「何があっても建物に傷を付けるな!ノヴァグを優先的に破壊しろ!」
(ノヴァグ……って、タガメの事か……変わった言い方を……いや、確かグガランナさんも同じような言い方を……)
防衛班の背中を見送り発射装置を戦車内にしまった後、狙いすましたかのように僕へ視線を向けてきた。隠れる必要もなかったので脳震盪から回復した足を進めると、
「そこの民間人!早くこちらに!」
(民間人って……僕のことだよね)
どうやらあの人は隊長らしい、手招きされるままに戦車へと近づいていった。
戦車から身を躍らせ、あちらも僕に素早く近付いてきた。
「怪我は?!」
「い、いえ、ありませんが……」
「そうか!それならいい!………ったく」
ぶつくさと何やら言っている...この人は?一体誰なのか、首都防衛班を指揮しているのは確かシュタウト少佐だったと思うけど...前回の作戦の審議中だったはずだ。
後方からさらに応援の車両を見かけ、手にした通信機で他の部隊と連絡を取っている。それを見届けてから僕は声をかけた。
「あの、失礼ですが…シュタウト少佐ですよね?」
「それが何だ?」
「あ、いえ……審議の方はもう大丈夫なのですか?」
ゴーグル型端末が煩わしいのか外してヘルメットにかけている、シュタウト少佐の白い目が露わになった。
「大丈夫もないだろ!こうしてノ──タガメが街中で悪さしてるんだから!ほっぽり出してこうして駆けつけたんだ!」
何で今言い直したんだろうか...それにいつもと雰囲気が違う。コネクトギアの移植手術に失敗したシュタウト少佐はいつも諦観しているきらいがあったけど、今日の少佐はどこか...子供っぽいというか、感情的になっている印象があった。
作戦の失敗、それから審議会を経て吹っ切れたんだろうか...いやそれにしても...
陸軍は市街地戦であれば大変強力である、その頼もしさから油断していた僕に何かが太陽の光りを遮り視界を薄暗くさせていた。頭上を仰ぎ見れば雲一つない晴天、では一体何が──
「離れて!」
「──っ!!」
シュタウト少佐の体を引っ張った直後、高機動戦車に何かが着地した。いや、何かではない別のタガメだ、ビルの屋上から跳躍し飛翔体も防ぐ防御力を有した戦車を踏み潰してみせた。
「──こいつっ!」
(胸が………え?)
思わずシュタウト少佐の...いや、今はそれよりもタガメだ。踏み潰した戦車に爪を立てて切り裂いている、そして思っていた通りに食べ始めた。
「何だこいつ!食うのか?!」
「あれには捕食した物体を再現する能力があります!急いで離れてください!」
不味い、言ってるそばからタガメの体に変化があった。のっぺりとした背中から一門の砲身が生え始め体格も通常の大きさから膨らみつつあった。
シュタウト少佐が手持ちの拳銃で攻撃を試みるがまるで効いていない、跳弾こそしないが中途半端に柔らかい外皮に弾が張り付いていた。あれも高機動戦車に採用された防御機構の一つである、最悪の形でその利便性の高さを実感する羽目になった。
こうなったら僕たちにやれることは逃げる以外にない、それなのにシュタウト少佐はこの場から離れようとしなかった。
「何やっているんですか!今のうちに早く逃げないと!」
「これが私の仕事なんだよ!お前の方こそさっさと逃げろ!」
「あなた──そんな正義感が強い人ではなかったでしょう?!」
「私の何を知っているんだ言ってみろええ?!初対面のくせにああだこうだとうるさいんだよ!」
──誰だこの人、少佐じゃない。
「僕はホシ・ヒイラギ!元ラドグリーズ部隊に所属していた空軍のパイロット!あなたがコネクトギアの移植手術に失敗して陸軍に移動したのは知っています!あの時僕の肩を叩いて励ましてくれましたよね?!」
敵を目前にしてシュタウト少佐に似た女性が口を半開きにさせた。
「──え゛」
「……本当に少佐なんですか?」
答えを聞くことはできなかった、戦車を半壊させ二回りも大きくなったタガメが足を地に付けたからだ。たったそれだけの動作で舗装された道路にひびが入った。
女性が僕の肩を突き飛ばし、そして回り込むようにしてタガメの側面に移動した。疑いをかけられても職務は全うするつもりのようだ。
ダメージを与えられないと知ったタガメが後続の防衛班も無視して移動を開始した。多目的誘導弾を立て続けに食らっても揺るぎもしないタガメを前に、他の防衛班が距離を開け始める。
優位に立ったと理解したのかタガメが体を前傾姿勢に移行し、生えたばかりの砲身を構え──その砲身に一本の槍が突き刺さった。
(ダンタリオンか……間に合った……)
飛び散るコンクリート片と舞う砂埃、背中から三メートルジャストの槍を貫かれたタガメは一瞬のうちに絶命した。
再び空を仰ぎ見る、逆光で輪郭しか分からないが確かにダンタリオンがいた。その汎用性の高さを利用し、毛嫌いしているはずのガングニールの専用装備である「点型制圧連続投射武器ゲイル」を構えていた。
パイロットの身に危険があった際、掌握されないための措置としてダンタリオンを解放している。今のダンタリオンはまさに自由の身だ、誰とも繋がっていないし誰からも命令を受けることもない。
逆光でありながらダンタリオン特有の黒いカメラアイに数瞬間見つめられ、そしてダンタリオンがどこか名残り惜しそうに再び空へと舞い上がっていった。
こうして、突如として発生した国をも揺るがす騒動は一旦幕を引いた。
そう、一旦だ。これらの事態を引き起こしたのは誰でもない、その一角として名を上げられたのがジョン・グリーン事務次官だった。