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第19話

.臨界点



 熱帯夜の街を駆け抜ける、向かう先は厚生省、タクシードライバーはエアコンの風が苦手なのか窓を開け放っているだけである。そのせいでじっとりとした熱気が車内にも入り込み、せっかく着替えてきたのにもう汗で濡れていた。

 首都の幹線道路は今日も今日とて大変混んでいた、右折待ちのレーンで渋滞に捕まってしまい「これはなかなか抜けられそうにありませんね」とタクシードライバーがようやくエアコンをつけてくれた。

 牛の歩みのようにとろとろと車が進むなか、一通のメッセージが入った。


ナディ:ピメリアさんが軍人さんを背負い投げして警察なう


(何事?!)


 あまりに突飛な内容に、自分が疑われている事も忘れてしまった。


ナディ:任意同行で私も呼ばれた


ライラ:何で?ナディは関k


 メッセージを打ってるそばから追加で、


ナディ:アキナミも一緒だから多分大丈夫だよ、あまりの非日常感にライラと共有したくなった


 心の中でんあっ!と叫ぶ、また出たアキナミ!と思う反面、真っ先に私へメッセージを送ってくれたのは少しだけ嬉しかった。


(ん〜〜〜!私に嘘吐いたくせに!ただの同期じゃないじゃん!)


ライラ:分かった、帰ったらまたメッセージくれる?心配だから


ナディ:ピメリアさん今めっちゃ怒られてるw前代未聞だってw


ナディ:分かった


ナディ:(´-`)ノシ


(変な顔文字)


 ふうと息を吐く、ようやく車が渋滞を抜け出せたようで後はすいすいと厚生省へと向かっていった。



 アキナミ...どうして私が疑われるのか...あんなに仲良さそうに引っ付いて...監視カメラの映像がないって知りませんけど...あれは距離が近すぎるから「ただの同期」って...案内された部屋には偉そうな壮年と神経質そうな青年が待っていた。


(駄目だ、頭の中がバグってる)


 遠洋漁業から帰ってきたアキナミ何某とナディが戯れ合うように会話をしているところを目にしてしまった。それからというもの私は大変機嫌が悪い、そこへ追い討ちをかけるように厚生省から呼び出しがかかった。船舶リストを受け取った当日、入館履歴はおろか監視カメラにも私の姿が映っていなかったらしいのだ。これは由々しき事態として、私も取り調べを受ける羽目になってしまった。

 安っぽいスチール製の椅子に腰を下ろすなり、早速向こうの方から切り出してきた。


「ご足労感謝致します、ライラさんのお父上には常々お世話になっています」


「どうも」


「早速ですが、当日の詳しい状況を教えていただいてもよろしいですか?──ああ、その前にまずは船舶リストをこちらに預けてください」


 鞄からリストを出してぺい!と渡してやった。


「………………本物ですね、それもコピー品じゃない、ちゃんと受理印がありますし……」


 若い職員がリストを覗き込みそう呟いた。


「ううん……あ、いえ、申し訳ない。それでは教えていただけますか?」


「はい、当日は──」


 かくかくしかじかと、急な連絡があって訪れた事と損害証明書も一緒に提出するよう言われたこと、そして本人から受け取った名刺を渡しながら説明した。

 名刺を受け取りすぐさま携帯で何やら調べ始めた、どうやら職員名簿と照らし合わせているらしい、そしてお目当ての人物が出てきたようだ。


「──この名前の職員は一月前に退職していますね、どんな人物でしたか?」


「え?退職している?……ええと、確か……」


 顔は本当に覚えていない、どこにでもいるような顔付きだったし、若かったことだけは覚えている。それから今年一番の暑さだった当日にも関わらず、きっちりと上着も着用していたことを告げた。


「………そうですか、ここに書かれている番号へ実際に電話をかけたことは?」


「お恥ずかしながら、父から洗い出しの件についてメッセージを貰うまですっかり忘れてしまっていたのでかけておりません」


「かけてみますか?退職した人の名前を借りてリストを持ち出すなんて怪しいにも程があるでしょう」


「それは分かるが止めておけ、いらぬ飛び火はもう懲りごりだぞ」


 若い職員を壮年の男性が注意している。何やら只事ではないと、自分が置かれている状況がようやく飲み込めてきた。もし、その番号にかけていたら──そう思うと背中が冷やりとしてしまった。


「……国交省の方は何と?当日の職員は特個体に不備が見つかったから直接受け渡しをするしかないと言って、国交省からリストを預かったと……」


 私の言葉に二人がぎょっと目を剥いている。


「それは本当なのですか?我々は同じ省庁と言えども保証局内のことは何も知らされないはずなんですが……」


「ええ?じゃあどうやってその人はそんな事を……」


「これ、もう僕たちでは手に負えませんよ課長。きちんと報告しましょう」


「ううむむ………そうみたいだな……一体何がどうなって……」


 さっきとはまた違う()()()が背中を伝った。ここで話が終わらないという事は...それに私はコールダー家の一人娘。

 課長と呼ばれた男性が携帯を取り出してどこへ連絡を取っている、そして相手先に繋がるまでの間、私にこう言った。


「コールダーさん、すみませんが暫くの間民間の方へ出向くのは控えてください──あ、もしもし……」


(げえっー!やっぱりそうなるのか……)


 何やら私たちの見えない所、影で何かが動き回っている。その気配を十分に感じ取った私はかくりと項垂れる以外にできることがなかった。



✳︎



「総長、どうやら厚生省が匿うつもりのようです」


「分かった、続けろ」


 埃に塗れた汚い部屋の空気を胸いっぱいに吸い込み、そしてやるせなさと同時に吐き出した。こうも予定が狂ってしまうとは...ここで遮二無二になってハフアモアを奪っても後始末が大変だった。

 こっち(ウルフラグ)の煙草はあっち(カウネナナイ)と比べてとても旨い、この部屋に詰める前に買ってきた煙草がもう無くなりかけている。それでも箱に手を伸ばして火をつけようとしたのだが、俺の記憶違いのようで既に空になっていた。

 空き箱をゴミ箱へ投げる、見事に外れた。前回の作戦で失敗した間抜けな副総長が俺の代わりにゴミ箱へと捨てた。


「そんな事をしても帳消しにしてやらんからな、あっちに帰った時は覚悟していろ」


「………ありがとうって言えないのですか?」


「そりゃ悪い、どうもありがとう」


 厚生省内に仕掛けた盗聴器に耳を傾けている奴以外が俺たちのやり取りにニヤリと笑った。

 頭痛と共にコールが入った、無理やりインプラントを後付けしているものだから電話をする度に酷い痛みに襲われる。けれど、それにももう慣れてしまった。


[ミガイ、俺たちの寝ぐらに誰かが来たようだ]


 ミガイは俺のことだ、お国の為に無駄死にした両親がつけてくれた名前だった。

 電話の相手は俳優のように顔立ちが整ったヴィスタという男だ、奴には国内中を走らせて情報収集にあたらせていた。


[誰かって誰だ、何か盗られたりでもしたのか?]


[それが何も盗られていない、おそらく二人組、二階の会議室を最後に寝ぐらから出て行ったようだが……]


 二人組...?


[保証局と陸軍の動きは?]


[ちゃんと押さえている、作戦開始を早めた方がいいのでは?]


[ヴィスタ、てめえの不始末を俺たちになすりつけてくるなよ。こっちも色々と予定が狂っているんだ]


[大したことないな、人の事が言えるのか?]


[っせえ!カイルんとこのガキをまだ押さえられていないんだよ、損害証明書は書かないわ電話はかけてこないわ……最近のゆとりはこんなんばっかか?]


 コールダーの両名はまだカウネナナイ領内にいる、そこへライラ・コールダーも引っ張り込めれば後はいつ停戦協定を覆らされてもこっちが優位に立てる、そういう算段だったんだが...何を思ってか全く連絡を取ってこなかった。


[俺たちの世代は皆んなそんなものだ。それよりライラ・コールダーは何処にいる?直接会いに行った方が早いならそうしよう]


[それを今調べているから待て、すぐに連絡する]


[よろしく頼む]


 けっ!ガキのくせにまあ偉そうな態度を取りやがって...いくら王の妾の子だからって...


(まあいいさ、荒事をやってくれるんならそれで良い)


 ライラ・コールダーが厚生省指定のホテルに滞在することが決まり、そのホテルの特定を終わらせたところで俺たち"清掃員"はさっさと引き上げることにした。

 複合ビルの最上階に置かれた用具室からぞろぞろと表に出る、盗聴器の後始末、それからユーサ港の侵入作戦の為に何名かをアジトへ帰らせて、残りは今日の晩飯代のために労働に勤しむことにした。

 若い人間が皮肉な笑みを浮かべながら、去り際に俺へこう言った。


「これがほんとにお国の為になるんですか、なんならオレ、こっちにこのまま住みたいぐらいですよ」


 俺も皮肉な笑みを浮かべながらこう返してやった。


「心配するな、うち(ジュヴキャッチ)に所属した人間は皆んなそう言うんだよ。向こうに帰ったら"出戻りカルチャーショック"で死にかけるから覚悟しておけよ」


 ゲラゲラ笑っている部下を尻目に、煙草代を稼ぐ労働に戻っていった。



✳︎



 厚生省から指定されたホテルへ着くと同時に、私はいつもお世話になっているハウスキーパーの会社へ連絡を入れた。急に来なくても良いと言われた相手側が、何かこちら側に不備があったのかと、しつこく食い下がられてしまったが、正直に事情を打ち明けるわけにもいかずまた後で連絡をすると言って慌てて電話を切ってしまった。

 あの二人が「そうだ」と断定したわけではない、けれど私がジュヴキャッチというテロリスト集団に目を付けられてしまっているのが一目瞭然だった。だから念のために、ハウスキーパーの会社へ暫くの間訪問しないようにと連絡を入れたのだ。

 広いベッドルームのソファに腰を沈めてもう一度携帯を確認する、まだナディからの返事はなかった。いくらかヤキモキしながら、こちらからメッセージを送るとすぐに返信があった。


ライラ:もう大丈夫なの?


ナディ:忘れてた、ごめん


ナディ:m(_ _)m


ナディ:もう家に着いたよ、ピメリアさんも今回は厳重注意だけで済んだって


 あんな人の事はどうでも良い、大きく息を吐きながら自分の置かれた状況を告げようか悩んでいると、再び追加でメッセージが送られてきた。


ナディ:ライラって途中で帰ったんだよね?何かあったの?


ライラ:秘密


ナディ:何それ、ライラこそ大丈夫なの?


ライラ:メッセージがなかったから少しだけ元気がなかった

 

ナディ:ごめんってば


ナディ:(>人<;)


ナディ:今家にいるの?電話していい?


 ぐいっと心が傾いてしまった。けれど、厚生省の人から今夜だけでも私用の電話は控えるように言いつけられていた。

 電話したい、電話して直接甘えたかったけどぐっと堪えてこうメッセージを返した。


ライラ:ごめん、まだ出かけ先だから電話できない、ちょっとイライラしてたから甘えたかっただけ


ナディ:この甘えん坊さんめ!


ナディ:私の心配を返せ!


ナディ:(*´ω`*)ノシ


「ふふっ……」


 文面と顔文字が合っていない、その可笑しさにくすりと笑ってしまった。

 その後、メッセージのやり取りに没頭していると部屋に備えられている電話が鳴り始めた。今度こそイライラしながら受話器を取り上げると、


[コールダー様……ああ、ハインハイム社の方がお見えになっていますがお通ししてもよろしいですか?]

 

「はあ?」


 遠慮なくそう声を出してしまった、ハインハイム社はさっき電話をしたばかりの派遣会社である。ハウスキーパーの件で直接こちらにやって来たのだろうか...それにしたって凄い行動力だ。

 直接会って事情を説明すれば分かってもらえるだろうと思い、通してもらうことにした。ハウスキーパーの責任者が来るまでの間、少し乱れていた衣服を整えて鏡に映った自分の顔を見やる──あれ、そういえばどうやってここが分かったんだと思った矢先、早速呼び鈴が鳴らされた。

 いや...そんなまさか、本当に私が狙われているなんて。そんな思いを否定するように扉を開けてやると──


「静かに」


「っ!!」


 拳銃を持ったスーツ姿の男性が立っていた。黒い肌と髪、彫りは深いけどきりっとした細い眉毛が良い塩梅を加えている、まるで舞台俳優か芸能人のような人だった。

 さらに二人、室内に問答無用で入ってきた。どちらもスーツに身を包んではいるが、こんな人たちがハインハイムの人間であるはずがない。

 突きつけられた拳銃、引き金に指が添えられている。単なる脅しにすぎないと分かっていても、体がひどく強張っていた。そんな私に向かって男性がこう言った。


「付いて来てくれ」


「………」


 どうやって?どうやってここが分かったんだろうか、私はハウスキーパーの人たちに来ないでくれと電話しかしていないはず──ああそうかと、合点がいったが後の祭りだ。

 私は本当に狙われていたのだ。


「これ以上手荒な真似はしたくない、俺たちに付いて来てくれ」


「私はどうなるんですか」


 思っていた以上に声が出たことに感謝した、目の前に立つ男性が少しだけたじろいだ...ように見えた。


「ただの人質だ、俺たちが国外に出るまでの保険にするつもりでいる。手荒な真似はさせないと約束しよう」


「私が電話をかけなかったからこうして直接来たんですよね」


「……先に言ったはずだが、これ以上問答を続けるようなら無理やりにでも君を連れて行くことになる」


「このまま何もせず、私と──いいえ、コールダー家と取引きをしてから帰られることを強くお奨めします」


 男の人が私の言葉を無視してすっと視線をずらした、そこへ畳みかけるようにブラフを張った。


「あなた方が私を狙っていたように、保証局もあなた方を狙っています。どうして電話をしなかったと思いますか」


「──俺たちを泳がせていたと?」


 ──釣れた。


「嘘だと思うなら私をこのまま連れて行けば良い、ホテルから出た時が最後、あなた方は故郷ではなく天国の地を踏むことになるでしょう。どうしますか?」


「…………」


 男の人が躊躇った、おそらく私の後ろに回った二人が手荒な真似をするつもりでいたのだろう。

 拳銃を手にした男の人が、澄んだ─とてもこんな事をするような人には見えない─瞳を私へ向けている。薄い唇が開きかけた時、素早く動いて室内に入ってきた、私もろとも吹き飛ばす勢いでだ。

 床に投げ出されるように倒れた私の腕を掴み、無理やり立たされてしまった。私の頭上から怒鳴られるような言い方をされてしまったが、耳に届かない、何故ならホテルの外側から何かが鋭く回転する爆音が響き始めたからだ。


「……そっ!……の言う通りかよっ!」

「もういい諦めろっ!」


 何が何やら...けれど室内に入ってきたこの人たちが酷く慌てている様子を見て、どうやら私の読みは当たっていたようだと理解した。

 男の人が掴んでいた腕を離し、窓際へ走って行く。逃げ道などないはずなのに、ガラスへ向かって発砲し、この煩い中でも甲高く割れていく音が耳に入った。

 何かが空から降ってくるのか、暴れるような風が部屋に入り思わず顔をしかめた。次に目蓋を開いた時には──


「………………」


 夜空そのものを彩る黒色の瞳があった、荒れ果てた土地のように、くすんだ茶色のボディをした大型の機体が宙に浮かんでいたのだ。のっぺりとした、とてもシンプルなデザインをしている機体の名前は確か...


「──ダンタリオン」


 たったの一度だけ、テレビに露出したことがある特個体の内の一機が私の目の前にいた。

 私に一瞥をくれたダンタリオンが再び空へと昇っていった、そしていつの間に部屋の中に入ってきたのか、酷く荒らされたベッドルームにはナディが"虫眼鏡おじさん"と小馬鹿にしていた人が拳銃を持って立っていた。


「無事で何よりだ」


「……………」


「手荒な救出ですまない、すぐに移動するぞ、立てるか?」


 あまりの出来事に、あまりの非日常に、無事に済んだと理解した私は知らずのうちに床へ座り込んでいたのであった。



✳︎



 社員の皆が言う、"深残"と呼ばれる時間帯に戻ってきたピメリアはむくれっ面のまま、港に残っている全ての管理職を呼び集めた。港中を探索した私は結局リッツに御用となり、執務室に縛り付けられていたためその緊急会議に必然的に参加することが決まった。

 くたくたに疲れているリッツの代わりに私がお茶汲みの任を命ぜられた、マキナであるこの私がこうも顎で使われてしまうなんて...とても新鮮です。

 私が煎れた冷たいお茶で喉を潤してからピメリアが話し始めた。


「先に言っておくが、明日の午後からこの港を閉鎖することが決まった」

 

「……んえっ?!なっ、何かあったんスか?」


 突然の閉鎖宣言にリッツがお茶を溢しかけた。かくいう私も少々驚いてしまった。


「それは何故ですか?今のところウイルスにおかしな動きはありませんが」


 ピメリアもお茶を口に含んでからこう答えた。


「その周りが物騒になっているんだよ。前回、私らの船を襲撃したテロリストがこの港を狙っていると報せを受けてな、明日の朝一番に社員へ通達して午後を目処に退避させる予定だ」


「そんな……まじっスか……テロリストに狙われるだなんて……ああ、だから陸軍の方がうちに来てたんスね」


「それですよそれ。ピメリア、いくらなんでも軍の方を背負い投げするだなんて……」


 逃げ出した甲斐があったというもの、その事について対話を膨らませようとしたのだが、何故だか二人から冷めた目で見つめられてしまった。

 どうやら今は雑談をする気になれないらしいと理解した私は、燻る胸の内を宥めながら口を閉ざした。そんな折、ピメリアの前に置かれた電話が鳴り始めた。迷うことなくピメリアが受話器を取り上げ、一拍置いてから短く叫び声を上げていた。


「ライラは平気なのか?!」


「!」


 ただならぬ気配で耳を傾けているピメリア、リッツも気が気ではない様子である。それにライラと言えば...あの不機嫌そうに眉を寄せていた女の子を思い浮かべた同時に、持たされていた携帯に電話がかかってきた。


(こんな時に…何て不躾な電話なのでしょう…)


 いちいち端末を取り出してボタンをタップするのが面倒だったので、普段使いの通信機能に無理やり繋げていた。プツリと音が鳴ってから、ウイルスを調査している現場責任者が開口一番、


[ガイアさん、ウイルスの生体反応が途絶えました………]


「──は?」


 ...幸いにも、つい口から出てしまった言葉は二人の耳には届かなかった。

 もう一度訊き直した。


[今、何とおっしゃいましたか?]


[ですから、実験中にウイルスの生体反応が途絶えてしまったんです。原因は分かりません、過度な設定にはしていなかったのですが……今すぐこちらに来れますか?]


(────いやいや、そんなはずはありません、生体反応が途絶えたというのはつまり)


 ノヴァウイルスがその機能を停止したという事、それは生物で例えるなら"死"を意味する。いくらあのウイルスが第一テンペスト・シリンダーでその猛威をふるい、好きな所に好きなだけ何をも現界させる力があったとしても、自ら"死"を選ぶことは断じてあり得ない。

 一体何が──いいえ、ここは直に見に行かなければなりません。もしかしたら彼らが誤った判断を下している可能性だってあるのです。

 ピメリアとリッツに実験用プールに戻ると伝え、二人の制止も聞かず執務室を飛び出した。

 そして待っていたものが──


「ああそんな……浮いている……」


 ノヴァウイルスが...プールの底に沈んで貝の真似事をしていた出来損ないが、二対一枚の殻を半壊させた状態でプールの水面に浮いていたのだ。これは性質変化によるものではない、プランクトンとしてではなく、ただの遺骸に成り果てていた。

 傍にいた調査員に唾を飛ばし、実験課程が分かるタブレットを要求した。差し出されたタブレットをひったくるように受け取り画面に視線を落としてみれば、


(………どこにもおかしな所はありません)


 あの小さな真珠の中に通信機器を発見したことから、ウイルスの本体内にも何かしらの機器があると予測した調査員らが片っ端から特定の音波をぶつけていた。それに音波だけではなく、電気信号や光、進む力を持つ全ての波でウイルスとコンタクトを図ろうとしていた。そしてその実験の途中でいきなりウイルスが浮かび上がってきたらしい。

 すぐさまティアマトへ連絡を入れた、すぐに応じてくれたがどこか様子が変だった。


[……何かしら、今この世の全てに絶望しているところなんだけど]


[あなたが世を憂うだなんて珍しいこともあるのですね。ティアマト、あなたに訊きたいことが、]


[……何?家出した私の可愛い子供が見つかったの?]


 何だそれ、私がいない間に面白い事が起こっている。いやいやと頭を振ってこちら用件を伝えた。


[ノヴァウイルスが機能を停止しました。おそらくガイア・サーバーとのアクセスが絶たれたからだと思うのですが……]


[……どうせ、人間たちがあれやこれやと進行波を当てて"ジャミング"してしまったのが原因なのでしょう?何て野蛮なやり方なのかしら……]


 私も最初はそう思った、しかし調査員らの実験に不備がないことを伝えると、さすがのティアマトも色めき立った。


[ええ?そんなはずはないわ。あのウイルスはこちらのサーバーに感染してから現界、つまり素粒子流体をパクって自分のマテリアル・コアを生成したのでしょう?──まさか"自殺"したの?]


 それこそあり得ないと否定するが、他に推測の立てようもない。


[自殺する………それで得られるメリットに何か心当たりはありますか?]


[……少し前の私なら、何て馬鹿ばかしいと否定していたところだけど今なら少しだけ分かるわ……この暗澹たる気持ちから逃れられるのなら……]


(重症)


 これでは話にならない、余程あのラハムを大切に思っていたのだろう。それならもう少し接し方を変えろと言いたいが、もう本人が家出してしまっているので後の祭りも良いところだ。

 

[ああラハム……私の可愛い子……ちゃんとあの子の話に耳を傾けていればこんな事には……]


 機嫌が悪い私を前にしてあたふたとしていた調査員に詳しく調査するよう指示しながら、ティアマトの話を訊いてあげることにした。


[……何があったのですか、あなたにして珍しいではありませんか]


[あの子が…ラハムが、人間の元へ行くと言って出て行ってしまったのよ。あんなに相手にされなくて泣いていたのに、「もういいです!私はナディ・ウォーカーさんの元へ行きます!」って──[あなたそんなに落ち込んでいないのでは?]


 ラハムの声真似はとても良く似ていた、そんな事はどうでも良く。


(うん?その名前は確か──)


 面白い所で人とマキナが繋がった、ナディ・ウォーカーといえばセントエルモにも参加していた()()()だ。

 調査員でごった返すプールを後にする、監視室には戻らずそのまま屋外へと歩いていった。鉄製で重い扉を開けると、暗黒に支配された海が目前にあった。今日の出来事─私の大脱走劇!─を経て、港内なら自由に出歩いても良いと許可をもらっていた。

 

「………ん?あれは………」


 暗黒に支配されているはずの海が、ほんの少しだけ光った...ように見えた。海面ではなく海中だ、海の中に何かがいるのだろうか。

 しかし、いくら目を凝らせど光りの正体を見つけることはできなかった。



✳︎



 清掃の仕事を果たして煙草代を稼いだ翌る日、会議室に詰め掛けた皆が押し黙っていた。

タブレットを見ながらだ。


[はーいどうもー!私は今ですね、話題沸騰中のユーサ港に来ています!私も昨日はですね、こちらの市場で直接お魚さんを堪能させていただいたのですが、誰もが羨むウイルスは一体どんな味がするんでしょうね〜!それでは早速行ってみましょう!]


 馬鹿な女の横に立っているのはユーサ第一港の連合長だ。「焼いて食うのかよ」と突っ込みを入れながら、駐車場と思しき場所から港内へと歩いて行く場面が映し出されていた。

 この場にいる誰もが殺気立つ、これはつまり──


「総長、これどう思います?」


「どうもこうもねえよ、黙って見てろ」


 一番最初にこの動画を見つけた部下がそう問いかけてきたが、わざわざ口にすることではなかったので黙らせた。

 全員起き抜けだ、だらしない格好のまま動画に釘付けになっている。駐車場を後にした馬鹿な女が食堂らしき場所に入りあれやこれやと語っていた。


[ここの食堂はメニューが豊富ですね〜是非ともうちの軍も見習ってほしいぐらいですよ。おや?今日はあまり人がいませんね……]


[わざとらしい……この港は臨時閉鎖が決まったんだよ]


[それはどうして?]


[聞いた話だと、何でも釣れた大物欲しさによろしくない人間どもが押し寄せてくるんだとさ。だから大事を取って閉鎖するんだよ、くそ迷惑な話だ……]


 これが演技なら大したものだ。間違いなくこの動画はジュヴキャッチ(うちら)に当てたメッセージだ。


「この女……わざとやってますよね」


「見りゃ分かんだろ」


 その後、馬鹿な二人が港中をぐるぐると回りながらご丁寧にもくまなく紹介してくれた。

 そして()()()()()がいるらしいある棟にやって来ていた。港の端も端、すぐ近くには侵入経路に向いていない断崖絶壁があった。

 軋む音を立てながら馬鹿な女が中に入り、明度調整のため一瞬だけ暗転した後、


「っ!!」


「おいこれ!」


「黙れっつってんだよ!!」


[あらまあ、これは?]


[グガランナ、これは何だ?まさか待ちきれずにもう食ったのか?]


 出やがった、新参者のマキナだ。

いいや、それよりもあの映っているものは何だ、中途半端に開いた貝のような物がプールに浮いていた。素早く副総長に目配せすると静かに頷いてみせた。


[ええはい、それはそれはもう、とても美味しかったですよ]


[何……だと……っ!楽しみにしていたのにぃ〜〜〜!]


 馬鹿な女が新参者のマキナと戯れ合う世にも下らない場面が流れ、そしてこう締め括られた。


[以上!ユーサ第一港からこの私オリーブがお届けしました!残念ですがウイルスは自決してしまったみたいなので、これから港では告別式が行われるんです──[そんなものはしない!]だそうです!いやあ惜しいですね、解明まであと少しだったんですけどね、仕方ないでしょう!こんな事もありますよ!]


 それでは!と。


「………どう思います?」


 副総長が俺に尋ねてきた。答えは決まっている。


「ただのハッタリだ、それにわざわざあちらさんが人払いをやってくれたんだ。作戦開始を正午に前倒しにする、今すぐ準備に入れ」


 ウイルスが自決する?そんな馬鹿な話があるか。"ウイルス"と言うが要はただのプログラムだ、二次元コードの集合体が自ら消えることを望むはずもない。

 指示を受けた部下たちが何も言わずに会議室を後にする、それと入れ替わるようにして昨夜ヘマをやらかしたヴィスタのグループが入ってきた。ようやく追っ手を撒けたらしい。


「何しに来た、ここはもうお前たちの居場所じゃない」


 面が割れたら即帰国するのが俺たちのルールだ、それを破ったからには余程の事があるんだろうと思って声をかけてやったが...


「ライラ・コールダーに気をつけろ」


「あん?そんな事言うためにわざわざ来たのか?」


「あれには特個体が付いている、即時作戦の中止を求める」


「馬鹿言え、もう指示は出した」


「港に手を出したら後戻りはできないぞ、向こうには俺たち以上の切れ者がいるらしい」


 馬鹿かこいつ、ヘマしてビビってんのか?

煙草を取り出しただけで嫌そうに顔をしかめやがった、構わずそのまま火を付けてやった。一口だけ吸ってからこう返した。


「レプリカ対策はもう済んでいる、それから良い気になっているやっこさんの意表を突いて奇襲をしかけてやるつもりだ」


「そうじゃない、作戦の有無について進言しているんだ。あそこのウイルスは諦めた方が身の為だ」


「お前ビビってんのか?」


「恐れをなして何が悪い、生き抜く上で最も必要なことだ。あの港は俺たちが調べてきた以上に何かが張っている、そう捉えれば──」


 半分しか吸っていない煙草を指で弾いてヴィスタへと飛ばした、心底迷惑そうにしながらそれを避けて、強い眼差しで俺を睨みつけてきた。そういう仕草は第一王子と何ら変わりがない。


「良いか、腹違いの息子よ。俺たちはお前と違って戻る道ってもんがないんだよ、ここで成果を出さなきゃどのみちおまんまの食い上げ、母国で飢え死にすることになっちまう。分かるか?」


「………これでもここを好いていたんだがな、余計なお節介だったようだ」


「ああ、小さな親切大きなお世話、ってな。失せろ」


 そう言って、ようやくヴィスタのグループが会議室を後にした。

 机の上に置かれていた、くすんで汚れたオリーブの実を窓の外へ投げてから俺も準備に入った。

※次回更新 2022/3/5 20:00 予定

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