第16話
.それぞれの思惑
今はウルフラグ陸軍の歩兵連隊に所属している、私の名前はナツメ・シュタウト、ウルフラグ軍の中でもとくに地味だと言われている陸軍に所属してから約半年が過ぎた。
移動する前から「陸軍はつまらない所だ」と言われていたが全くもってその通り、空を飛ぶこともなければ海に出ることもない。日がな警察と一緒になって市街地を巡回しているだけである、軍人にとっては墓場に等しいとまで揶揄されているのも頷けるというものだ。
しかし、ここ最近はそうでもなかった。ユーサがウルフラグ領海内で採取したあのウイルスが、つまらない日常にスパイスを加えてくれたのだ。
(今日も今日とて訪問はお断りか……)
連合長へ面会希望を伝えに行かせた部下が、私が乗る車に足早く戻ってきた。
「どうだった?」
「見れば分かるでしょ、今日も断られましたよ」
慣れないヒールに足を痛めたのか、助手席に座るなりさすっている。すらりとして筋肉質な足がストッキング越しにも見えていた。
「あの時、何が何でも食いついておけば良かったな……」
「国交省に睨まれますよ?ここってロドリゲス大臣を輩出した企業なんでしょう?」
それもある、国会内で最大議席を獲得している与党の支援母体という事もあり、こちらとしても表だった動きが出来ずにいた。ジュヴキャッチというテロリスト集団と、意図的ではなかったとしても接触しているユーサの社員がここにいるのだ。それを取っ掛かりにして内部へ踏み込みたいのだが...ユーサのガードが恐ろしく固かった。
助手席で遠慮なく汗を拭いている年頃の部下が私に訊ねきた。
「そんなにウイルスってのは凄いんですか?私にはさっぱりですよ」
「ああ、少なくともお前の下着姿に比べたら見るだけでも価値はある、何せ未知のテクノロジーが詰め込まれているみたいだからな」
「へえ〜、私だって案外"未知"かもしれませんよ?何なら調べてみますか?」
「歳下に興味はない」
「いや隊長、歳考えてからいいましょうよ」
長い金髪を纏めた部下がこちらに挑発的な視線を送ってくる、涼しくするためボタンを外したブラウスから白い下着が見えていた。
(こいつもこいつで謎だがな…一月前に転属してきたかと思えばいきなり尉官?聞いたこともない)
隣に座る部下の名前はオリーブという、つい最近までセレン島の駐在軍に所属していたらしい。あそこは今なお両軍の睨み合いが続いている係争地である、戦闘行為は固く禁じられているため戦果だって上げられない。それなのに...
(まあいいさ、嫌になるまでこき使えばいい)
得体の知れない軍人なんざ珍しくもない、大方政府が放った"子飼い"か何かだろう。一月前と言えば、政府が件の人物にどう対応すべきか熱く議論が交わされていた時期でもある。そしてそのお鉢が保証局へ回され、ユーサを味方につけて見事成果を出したという事だ。
車内のエアコンを強めにして暫くユーサの建屋を見やってから、車のサイドブレーキを解除した。この女、体温が高いのか傍にいられるだけで蒸し暑くなってしまう。
✳︎
「これはどういう事だ?」
大統領として日夜奮闘しているマクレーンがそう言葉を放った。彼の手元には回収してきたウイルスに関しての報告書がある。一枚、二枚と捲り、自分で考える事を止めたのか、私に詳細を訊ねてきた。
「ミスタークトウ、ここに書いてある事が分かるかね、俺にはさっぱり分からん」
「私もだよ──まあ…分かる範囲で言えば……」
報告書には「ウイルスの生態」について書かれており、結論としては「既存の生態系に当てはまらない」とされている。
「海の生き物は三つのグループに分けることができる。ここまではいいか?」
「馬鹿にするなよ、何とか理解できた」
下らない冗談を交えつつ、海の生き物について解説してやった。
「魚のように泳ぎ回る生き物を「ネクトン」、海中を漂う生き物は「プランクトン」、海底を住処にしている「ベントス」という三つに分かれる。ウイルスはこの内の二つに分類することができると書かれているな」
「うん?実際そんな生き物は存在しないはずだろう?」
すっかり陽に焼けたおでこを摩りながら最もな事を言う。彼の言う通り、"貝"としての性質と"魚"としての性質を合わせ持つ生物は存在しない。
「回収したウイルスはプール底においてはベントスとして、海面近くまで浮上させてやればプランクトンとしての性質を持つらしい。これの推測は、環境に合わせて自らを変異させているのではないかと書かれている」
「………それが必要最低限だからか?」
「そうなるな、このウイルスは最小限のエネルギー消費を選択して生存しているのではないかともある」
「そんな事が可能なのか?俺も実際の映像を見てみたがただ丸い形をしていただけだろう?」
「さらにだ、このウイルスの体内には──」
私の説明にマクレーンが待ったをかけた、そして私も言葉に違和感を覚えた。
「体内?細胞内ではなく?」
「ううん……しかしそう書かれている……ウイルスというのは細菌の事を言うのだが……」
「もしかしてマキナの入れ知恵か?"ウイルス"というのは言葉の綾で実際は"未確認生物"のことじゃないのか」
「だったらお前はこの世界が"機械仕掛けの筒の中"だと信じるのか?」
責任よりも娯楽を求めている彼らしい答えが返ってきた。
「いいじゃないか!素晴らしい!まるでSFのようで面白い!──俺はそう思うがね」
彼にではなく、五年前にもたらされた情報を馬鹿にするように鼻で笑ってから話を戻した。
「馬鹿ばかしい……とにかくこのウイルス内には未使用になっている器官が存在し、その器官がネクトンとベントスの"切り替え"を行なっているのではないかと推測している。そして、今はその実験を行なっているそうだ」
「大丈夫なのか?パニックホラーは映画だけで間に合っているぞ」
「なら、早速使ってみるか」
「──ああ、忘れていたよ、そうだな」
彼も先日の事を思い出しているのか渋い顔つきになった。当時の内閣は酷いものだった、政界に足を突っ込み始めた私から見ても。その時のお荷物が一人だけならまだしも、二人いっぺんに顔を見せに来たのだ。さしものロドリゲス大臣も黙りを決めていた。
(また話をしに行かなければならんのか…あれはマフィアとそう変わらんぞ…)
一体どんな対価を払わされるのやら...それでもあの連合長に持たせたフリーフォールを経由して情報を聞き出す必要があった。手元にある報告書も特個体を経由して入手したものだ、間違いなく何らかの検閲がされているに違いなかった。
✳︎
私は今、とても機嫌が悪い。それなのに周りにいる人たちはこれっっっぽっちも気づこうとしない。プールの底に沈んでいるノヴァウイルスに首ったけだ。そんな物より他にいくらでも見なければならない物が沢山あるというのに...
(何が良いのでしょうか……こんな物……)
実験用プールの前には今日も今日とて大勢の人間たちが詰めかけている、ユーサのロゴマークが入ったベストを着ている人や白衣姿の人、それからスーツ姿の人も時折見かけるが、皆揃いも揃って私には目もくれずウイルスに首ったけになっていた。ぷんぷんなのです、これでは外に出た意味がまるでなかった。
私は実験用プールをモニタリングする部屋の中にいた、傍には誰もいない、たまに入室者が来たと思えば皆早々に立ち去って行く、これではろくに対話することもできない。ここに入ってもう八日目、指定されたホテルとの行き来に飽きてしまっていた私は社内電話の受話器を取ってこう言った。
「息抜きを要求します」
電話の相手はここを束ねる連合長のピメリアだ、挨拶もなしにいきなり言ったものだから向こうは何が何やらと言った様子。
[──え?何?何だって、いきなり用件を言うもんじゃない]
「ストレス緩和を目的としたリラクゼーション行為を要求します」
いやそういう意味じゃないんだがとピメリアが言ってから、
[分かった分かった、そっちに人を寄越すから──]
「いいえ、これは私の我が儘に該当しますのでこちらからそちらに伺わせていただきます。よろしいですね」
[はあ……とりあえず、人が来るまでそこから勝手に出るなよお姫様。あんたが自分の事をどう評価しているのか知らないが、今の私たちにとって国王と何ら変わりがない。言っている意味が分かるな?]
「分かりました。もし、この場で用件を済まそうものなら──」
[分かってるって、そうツンケンしなさんな、私の部屋まで来い]
かちゃんと受話器を置いた。これで良し、少しの間だけでも外の世界を堪能することができる。
ピメリアが寄越すといった人が来るまでの間、私が詰めている部屋に代わる代わる研究者がやって来た。ウイルスの生態を調べるため実験をしているのだが、そのおうかがいを私に取りに来たのだ。ああでもない、こうでもないといくらか会話をした後は、一目散にまたプールへと走って行った。
(つまらないです、あのウイルスが違うテンペスト・シリンダーから感染したものだと何度も説明しているのに…)
絡繰はとても簡単だ、第一テンペスト・シリンダーのマキナ三名がこちらにやって来た際、第三テンペスト・シリンダーのガイア・サーバー内にノヴァウイルスが感染、いくらかの潜伏期間を経て現実の世界に現界したのだ。協力者からカウネナナイにも現界した痕跡があったと報告を受けている、つまりこの世界には複数のノヴァウイルスが存在していることになる。
(その理由については……まさに神のみぞ知る……といったところでしょうか……)
何故現界したのか、何故複数に分かれる必要があったのか、いくら私でもそこまでは分からない、分からないが今の私にとってはどうでも良い事である。
ピメリアが寄越したという人物がようやく私の部屋に訪れた、その相手というのが今日も愛らしく化粧をしているリッツだった。
「遅れてすんませーんっス!ピメリアさんから言われてやって来ましたー!何やらぷんぷんとしていると聞きましたが何かあったんスか?」
「息抜きをしたいのです!」
「ああ、そりゃまた。では!今から行きましょうか!」
予想通りの人物が来てしめしめ、です。
◇
「これは……?」
外の爽やかな風と輝かんばかりの日光を堪能しつつやって来たピメリアの部屋で、私は見慣れない端末を受け取った。研究者たちが良く使っている長方形の端末ではなく、正方形のタイプだ。
「お前さんの携帯だよ、それを持っていろ」
私の後ろからリッツが手元を覗き込み、わっと声を上げている。
「え!何スかその形、初めて見ましたよ!もしかして新型っスか?」
「そうさ、グガランナの為に政府が専用で作ったのさ。外に出たいならそれを持つことが条件だ」
「………?いえ、私は常時サーバーと繋がっていますからいつでも連絡は取れますよ?」
珍しく机に向かって事務仕事をしていたピメリアと、すぐ隣に立っていたリッツが同時に驚きの声を上げた。
「え!」
「え!」
「言っていませんでしたか?」
「聞いてませんけど!」
「そうなんスか?!……え?どういう事なんスか?」
口をあんぐりと開けてこちらを見ているピメリアを面白く思いながら答えてあげた。
「私はマキナです、ガイア・サーバーと接続していますからいつどもどこでも連絡のやり取りは可能です。さすがにあなた方と音声通話は出来ませんが、メッセージなら可能ですよ」
「…………なら、お前にコードを繋げたら私の携帯も充電できるのか?」
「その発想は何なんスか。グガランナさんもヒイラギさんと似たような事が出来るということなんスかね?」
あ、そういう捉え方...
「ん〜〜〜………そうだと言えますし、違うと言えますね。私はそもそもサーバー内に存在しているプログラムですので、こうしてマテリアル・コアを──」
二人がさらに口をぽかんと開けていたので口をつぐんだ、いきなりこんな事を言われても理解できないだろう。代わりにピメリアが私にこんな事を訊ねてきた、そしてようやくこの世界に対して理解を得た。
「そのサーバーとやらに私たちはアクセスできるのか?」
(──できないのですね)
ピメリアたち人間はガイア・サーバーにアクセスする事ができない、だからテンペスト・シリンダーという存在そのものを知らなかったのだ。
「できないのであれば、どのみちこいつを持ってもらうしかないな。嫌ならまた缶詰に──「持ちます!」
食い気味に答えた私を見てピメリアとリッツが笑い声を上げた。
おかしな形をした携帯端末を受け取り執務室を後にする、リッツにお手洗いへ行くから外で待っていてほしいと伝え部屋の前で別れた。案の定リッツは駐車場へ直接行ける二階の外に出た、私はしめしめと思いながらこっそりと一階に下りて、後は一目散になって逃げ出した!気分はまるで鳥籠の中に閉じ込められていたお姫様のよう!見つかる前に遠くへと足がこれでもかと動く!
(──ああ!私は今自由なのです!)
蹴り上げる木板の音は脱走が成功したファンファーレに!照りつける太陽の光りはスポットライトのよう!どうせすぐにバレてしまうのですから今のうちにと、あの大きな船の元まで走って行きました!
✳︎
遠洋に赴いていた大型の漁猟船がついに帰ってきた。私たちの班も迎え入れるため大忙しである、ボラードに繋げられた船から沢山の荷物と魚たちを運び出していく。先週末に大掃除をした桶にばっさばっさと放り込み、放り込まれたそばから卸市場に移されていった。今から臨時の競をやるためだ、市場には一般の人から業者の人まで数多くのお客さんで賑わっている。
荷運びがひと段落したところで、漁に参加していた特別班の皆んなが下船してきた。皆んな精悍な顔つきをしている、何せ一月近くも船の上で生活をして漁をしていたんだ。私には絶対無理だなと思っていると、アキナミの姿を見かけた。
「アキナミー!」
私の声が届いたのか、同じ黒髪をしてちっとも日焼けしないと嘆いていたアキナミがくるりと振り返った。とても偉そう(悪い意味ではなく)な人に会釈をしてからこっちに駆けて来た。
「ただいま、ようやく帰ってきたよ」
「お帰り。船上生活どうだった?」
「大したことないね、思ってたよりも快適だったかな」
「え〜本当にぃ?行く前はあんなに嫌がってたのに?」
同期で卒業をしたアキナミが、どこか照れ臭そうに微笑んだ。
「そんなに嫌がった覚えはないけど?」
「まーたすぐそうやって強がり言うんだから。ね、アキナミが離れている間に色んな事あったよ」
アキナミの腕を取ってぐいっと引っ張った、すっかり魚の匂いが染みついたアキナミが引っ張られるままに付いてくる。ここを離れる前はさらさらだったアキナミの髪が少しだけごわついていた、本当に快適だったのかな疑わしいものだ。
「ちゃんと髪の毛洗ってたの?ぱっさぱさじゃん」
アキナミの前髪を触ってみるとやっぱり傷んでいる。
「子供扱いするのはやめてくれ」
「それに髪の毛も適当に括ってるし、変に形になったらどうするの?」
「やめてくれって、もう。それより色々あったって何?」
私より少しだけ長い髪を後ろで束ねている、揉み上げも癖になってくりくりになっていた。
アキナミは嫌そうに手を振るばかりだ。そんな釣れない態度をとっていても、やはり同じラウェで過ごした友達と一緒にいるのは心が安らいだ。
桟橋から移動して荷運び真っ最中の集団を通り過ぎ、アキナミの荷物を回収してから食堂へ向かおうとすると慌てた様子のリッツさんがこちらに駆けて来た。私たちの前まで走り切ってから立ち止まり、肩でぜぇぜぇと息をしている。
「何かあったんすか?」
「はぁ…はぁ、ちょ、ナディちゃん、ぐ、グガランナさん、見なかった、かな」
「ぐ、ぐがらんな?って誰?」
汗びっしょりのリッツさんを見つめてからら、アキナミがこちらに訊いてきた。
「ん〜〜〜凄い人?」
「何だそれ、凄いって何が凄いの?」
アキナミはずっと遠洋に赴いていたから、ウイルスについて何も知らないのだ。どう説明しようか考えあぐねていると、息が整ったリッツさんが体を起こした。
「…あのお姫様め〜、私が目を離した隙にトンズラこきやがって〜」
「携帯とか持ってないんですか?」
肩を竦めて首を横に振っている、どうやら繋がらないらしい。
スカートの裾をくいっと引っ張られた、話についていけないアキナミが私を睨め付けていた。
「まーたそうやってすぐ拗ねるんだから」
「拗ねてない、私の質問に答えてくれないからだろ」
私たちのやり取りを見たリッツさんが、
「そういえば、二人は同じ学校の卒業生だったね。仲良し?」
「まあ……ほどほど?」
「はあ……それなりには……」
二人揃って似たような事を言い首を傾げ、その拍子にこつんと頭が当たってしまった。リッツさんは何が嬉しいのかニヤニヤとしていた。
「……これは大変そう……」
少しだけ痛む頭を摩りながら何がですかと訊ねると、ああ!と声を上げてまた走って行った。あのとんでもなく綺麗な人を見つけたのだろうか。
✳︎
「何でしょうか今忙しいんですが」
「えーと……ライラは今何をしているのでしょうか……」
物凄く不機嫌になっているライラと再会しました。
ただ、虫のいどころが悪いのか、真夏の太陽と違って真冬のように冷たい声をしていた。彼女の手には大量の紙束が握られている、潮風にやられてしまったのか多少萎びているようだった。
「見ての通り仕事ですグガランナさん遠洋漁業から帰ってきた特別班から今回の漁で得られた魚の総量と種類と──」
(うわあ、早口にまあ……どうやら私個人に怒っているようではなさそうですけど……)
早口に捲し立てたあと、すっと視線を変えて私より後方を見やった。その視線の先を辿ると、大型の船から出たり入ったりを繰り返している人たちにぶつかった。
ピメリアから預かった携帯電話のバイブを無視しながらライラにさらへ声をかけた。
「そういえば、この間レストランまで足を運ばれたお友達と一緒ではないのですか?」
「────はい」
(おぉー……これは地雷を踏み抜いてしまったようですね……)
さっきまではまだ冷たさを感じるだけの温度があったけど今はない。仄暗い感情が渦巻く虚な瞳がそこにはあった。どうやら彼女は友達の事を気にかけているようだ、さらに突っ込んで話を訊き出そうとしたが、今度はライラの方から話を振ってきた。
「──それはそうと、こんな所に一人でいても平気なんですか?ボディガードのヒイラギさんは一緒ではないのですか?」
「ボディガードと言うより監視役でしょう。今は傍にいませんよ、一緒にいてもあまり対話をしてくださらないシャイな方ですし」
「……シャイ?フロアのど真ん中で二人の女性から言い寄られていたのにシャイ?それはないでしょう」
「いえいえ、そういう奥ゆかしさがリッツとアリーシュには良かったのですよ。あのお二人は"強い男性"に囲まれていますから、無駄に目が肥えてしまったのでしょう。ヒイラギさんのあの躊躇いがちな性格はお二人にクリーンヒットしているはずですよ」
「……なるほど……そういう見方も……」
対話をするにつれてライラの機嫌も徐々に上向き始めた、この場にいないあの二人を思い浮かべているのかふむふむと考え事をしている。さあ、興も乗ってきたぞという時に、
「……ん?リッツさん?」
(もう見つかったのですね!)
ライラが首を傾けて私より後ろに視線をやった、その眉が怪訝そうに寄っているので大方全速力で走って来ているのだろう。そうだと予測し、失礼だと思いながらも私はライラに挨拶もせずさっと駆け出した。
「ライラちゃーん!その人捕まえてー!」
「え!え?」
そう、声を発した時にはもう、私は遠くまで走っていた。
✳︎
大海原を背景に美女たちが駆け抜ける、真夏の太陽は煌めき、それを遮る雲など一つもありはしない。
[おい、これ、こんな感じでいいのか?]
[ん〜?いやそれもう焦げてんじゃん]
買ったばかりの真新しいバーベキューセットを前にして、あの方の隊長を務めていた黒髪の女性がしまった...と呟いた。仮想世界では「常勝不敗のアイリス」と謳われた女性が、片面が黒焦げになったお肉を指さしている。それを他の人たちも覗き込み、一斉に文句を言っている。
[下手っぴじゃん、だからアヤメに任せておけって言ったのに]
[あ〜…ナツメさんってバーベキューしたことなかったですもんね…]
[んー………海に捨てちゃいましょう!]
皆が一斉に「駄目だろ!」と突っ込んだ。
本当は私もこの場に参加したかった、人型機の訓練校近くにあるビーチであの方と過ごしたかった。
私を、マリーンでは除け者にされていた私を「天使様」と言ってくれたあの方、まだお可愛い姿のアマンナさんがこちらに視線を寄越した...ような気がした。これはただの記録映像だ、そんなはずはないと知りながらも、あの当時行われた仮想世界での訓練の際、マリーンから参加した私を見つけてくれたように、また私を見つけてくれたのかと心臓がドキリと跳ねた。
海辺で遊んだ後は皆がそれぞれ帰宅をし、着替えを済ませてから神社に集まる予定だった。この後の記録は何度も観たからもういい、今も変わらない食いしん坊のアマンナさんが頬いっぱいに食べ物を詰め込む姿と、今はいなくなって清々する副隊長を務めていた男性と仲睦まじく屋台を冷やかす場面が繰り返されるだけだ。
暇潰しに映像を観ていた私の元へ連絡が入った。鈴のように軽やかに、胸の奥を掻きしむる甘い蜜のような声が届いた。
[マリサ、ちょっと調べ物してくれない?保証局の二人が何処にいるのか調べてほしい]
[あーはいはい……ちょっと待ってください。それは現在地のことですか?]
[そ。この間民間船を襲撃したテロリストの潜伏場所が分かったから、それをダシにして内輪に入れてもらおうと思ってね]
[はあ……いやあの──あー……オリーブさん?私たちの役目は陸軍のお手伝いではありませんよ?ウイルスの回収が、]
[分ーかってるって!これも必要な手続きなのだよ天使様]
[天使天使と言えば何でもやってくれると思ったら大間違いですからね]
[珍しく機嫌が悪い……ま、とにかくよろしくね!]
もう少しかまってほしかった私は、こんな事を訊ねてしまった。
[──バーベキューは楽しかったですか?]
[バーベ………キュー………]
考える素振りを見せた後、すぐに思い出したようだ。
[──ああ!バーベキューね、何でマリサがそんな事知ってるの?あの時は私を置いてさっさと帰っちゃったよね]
[別に帰ったわけでは!もう訓練をする必要はないとゼウスさんに言われて……自前の機体で帰っただけです]
[ふ〜ん……ま、何れにせよあの時から私たちはもう結ばれていたって事だね、天使様。話しかけられた時はほんとびっくりした──]
昔話に花が咲くかという時、唐突にノイズが入った。酷い耳鳴りの後は何も聞こえなくなってしまった、保証局から邪魔が入ったのだ、何とも煩わしい。
(まあいいや……ちゃっちゃと調べてメールしよう)
この生を得てから嫌な事ばかり続いていた私にとって、あの方との再会はまさに奇跡の中の奇跡だった。
何でも捧げるつもりでいる、"私"という存在そのものが欲しいと言われたら献上するし、死ねと言われたら死ぬし、身籠もれと言われたらいくらでも子をなすつもりでもいた。
(いやまあ、そんな事は出来ないんだけどさ…)
保証局。彼らが唯一ガイア・サーバーに近い存在だ、だからこそ特個体などというアンノウンテクノロジーを使役し、この世の中を管理出来ているのだ。
しかし、こちらはそのオリジナル。仲間外れにされたお陰で私は今なお健在である、ウルフラグが管理しているサーバーから離れ、保証局の特個体パイロットの居場所を掴むため母なる電子の海へと潜っていった。