表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
145/335

第15話



 状況整理をしよう。整理することはとても大事である、俯瞰的に己の立場を理解し打開策を考案するためにも必要なプロセスである。


「………zzz」


 今、私は、私のベッドでナディと一緒眠っている。手を伸ばせば...そんなちゃちな距離ではない、肌と肌が触れ合える至近距離で彼女が眠っている。


「zzz……うぅん………」


 ナディが寝返りを打った、無防備なその背中を私に向けている。後ろから何だって出来る、試しにぴとっとおでこをくっつけてみた。


(あ、これめちゃくちゃ良い……)


 呼吸をするたびに動く体、すぅすぅという音が頭から浸透し胸に落ちていく、最良の子守り歌だ。腕を伸ばしてナディの体を抱きしめ──あ、言っておくけどこれ夢じゃないからね?現実だからね?


(どうしてこうなった……………)


 なーにが状況整理か、打開策だ、ナディが私のベッドで眠っているという事実以上に大事なことなんか......ある、もんか...幸せ...

 ...zzz



.ライラ・コールダーの試練:1st Attack



「え、今から国会議事堂へ行く?」


 急。


「ああ、私の──まあ何だ、親みたいな相手と会いに行くんだがな、お前も付いてこい」


「え、何で私なんですか?というかウイルスは大丈夫なんですか?」


「私が聞いても良く分からん。それにグガランナも調査に参加してくれているからな、問題ないだろ」


「はあ………え、国会議事堂へ行くんですか?」


 二度も同じことを訊いてしまった。

私が救急車で運ばれたのがもう三日も前。ライラへ鍵を渡しに行ったその日も休んで次の日から働き始めていた。そして班の人たちにとてつもなく心配されて、優しくされて、今日に至る。今は遠洋漁業で獲った魚たちを移すためのケースを皆んなで丸洗いしているところだ。そんな折にピメリアさんが現れて、いきなり議事堂へ行くとか言い出してきたのだ。

 全身びしょ濡れだった、でもそれでちょうど良いぐらい、班の皆んなもこの暑さに耐えかねて自分から水を浴びているぐらいだ。


「昼飯食ったら駐車場に来い」


「はあ……ええ、でも私でいいんですか?こういう時ってリッツさんの役目じゃないんですか?」


 ホースの先を窄めて水の勢いを強くする、ケースの角に溜まった汚れを飛ばそうとしたのだが、勢い余ってピメリアさんにもかかってしまった。


「あ!」


 すみませんと言いながら持っていたハンカチを渡そうとすると、これぐらい平気だと言って断られた。いや、下着透けてますよ?


「リッツはグガランナの傍に付かせている、だから忙しい、分かったか?」


 うう〜ん...そうかもしれないけど、だからと言って私が選ばれる?それに何だか...


「ピメリアさん、何か隠していません?」


「!」


「あ、やっぱりそうだ、全然私の方を見ようとしませんよね?何か隠してますよね?」


「そんなわけないだろ、お前ちょっと上司に対して失礼じゃないか?」


「今頃それ持ち出すんですか?この間は散々親っぽいことしてたくせに?」


 班の皆んなと、それから他班の人たちも一斉に掃除をしたので桟橋には沢山のケースが並べられていた。私に突っ込まれたピメリアさんが早々に逃げ出し、今は他の港で班長研修会に参加しているイチアキさんの代わりに皆んなを仕切っている人の元へ向かって行った。声をかけられて「ああ?」とか「そんな急に…」とか聞こえてくる。私とピメリアさんの会話を遠くから見守っていた先輩方が近寄ってきた。


「おいナディ、連合長に何て言われたんだ?怒ったからって水かけたら駄目だぞ」


「いや違いますから、たまたまですから」


 昼から国会議事堂へ行くことを伝えると、先輩もごっつい眉を曇らせた。


「ああ?何だってお前が、ただの荷物持ちで行くのか?」


「そうみたいですけど、何か隠してるっぽいんすよね」


「………まさか、ライラ嬢の代わりにお前が政府に転属……とかか?」


「えええ?私があ?そりゃないっすよ、この私ですよ?」


「お前、手際も良いし覚えるのも早いからなあ〜、そういう奴ってどこに行っても重宝されやすいんだよ」


「あ、そっすか……」


 これである。折に触れて私のことを褒めてくるので恥ずかしいったらない。


(プウカさんもこんな風に褒めていたら……)


 割り当てられたケースの掃除を終えた後なのか、先輩方は雑談に興じている。異動したと聞かされてからずっと気になっていたことを質問してみると、目尻を下げながら教えてくれた。


「いや、それなあ、お母さんって本当に良い奴でさ、俺らが無理言って残るようにお願いしてたんだよ」


「無理を言って、ですか?」


「そうそう、本人は観光課を希望してたみたいなんだけどさ、抜けられたら困るって言ってな」


(そういう事だったのか……)


 ユーサに入った新入社員(一般採用のみ)は半年間だけ必ず漁業課で研修を受けるシステムになっていた、それ以後は本人が希望する課へ異動することが可能であり、どうやらプウカさんは周りのお願いを聞いて留まっていたらしい。それを聞いてホッとしたような、けれどまだモヤッとするような...

 班長代理の先輩が怒った顔をしたままこっちに歩いて来た。


「おらあ!終わってんなら他所へ手伝いに行けやあ!」


 先輩方が蜘蛛の子を散らすようにして逃げて行く、それに班長になった人は皆んな怒りっぽくなるらしい、この先輩は私に「よし!お前の役目だな!」と言った人である。


「ナディ!ちょっといいか!お前昼から抜けるって本当なのか?!」


「え!まだ行くだなんて一言も言ってませんよ!」


「ああ?!連合長が連れて行くってうるせえんだよ!何とかしてくれや!こっちはお前に抜けられたらたまったもんじゃねえんだよ!」


「あ、そっすか……」


 怒りながら「お前のことが必要だ!」宣言止めてくれませんかね、ストレート過ぎて居た堪れない。


「おらあ!お前!ナディに怒ってどうすんだよ!モノ言ってんのは私だぞゴラぁ!こっち向けや!」


 怒り肩でピメリアさんが乱入してきたのであっという間に修羅場になってしまった。ちなみに「モノを言う」とは「主に話をしている」という意味であり、漁業課で働く人はなにかと口が悪い、働き始めた時は毎日ビビりまくっていた。


「今鉄火場になってんのが分かんねえのか?!今日中に終わらせねえと明日も仕事になっちまうんだよ!」


「見りゃ分かんだよんなことぐらい!新入りにおっ被せて恥ずかしくねえのか?!ああ?!そんなんだから観光課に逃げられたんだろうが!」


「こんなクソみたいな仕事押し付けてんのどっちだっ!ちったあ現場の事も見やがれや!てめえの不手際だろうがボケえ!」


「私に文句を言う暇があるなら片付けてからにしやがれえ!それでも──」


 わあ、なんて下品なことを...そういえばピメリアさんも元々漁業課で働いていたんだっけ...こんなにどんぱちしてるところ久しぶりに見たな...

 大喧嘩を始めた二人、それでも周りからしてみれば日常茶飯事らしく誰もとり合わない、かく言う私も口の悪い喧嘩には慣れていたので掃除を再開していた。慣れって怖いね。



「見苦しいところを見せたな」


「今さらですよ、何言ってんすか」


 がくーっとピメリアさんが食堂の机に突っ伏した。


「……違う、違うんだよ、なあ、どうしても駄目か?」


「まーだ言うんですか?だからどうして私何ですかって聞いてるんすよ」


 午前の仕事を終えた後、ピメリアさんが私の跡をちょこちょこと付いて来ていた。今日はどうしたというのか、まるで子供のように駄々をこねていた。

 一つ息を吐いてから体を起こし、ちらりと私へ視線を寄越しながらこう言った。


「そんなに嫌か?」


「理由を言ってください、いきなり来いって言われても戸惑います」


「ん〜〜〜言ったら絶対来ないからなあ…」


 じゃあ行きません!と食い気味に答えるとピメリアさんが席を立ってどこかへと行ってしまった。


(何だったんだろほんと…)


 そんな背中を見送りつつこんがりと焼かれた肉団子を頬張っていると、ウイルスの調査をしている開発課の一団がぞろぞろ食堂に入ってきた。その中心にはびっくりぐらい綺麗な人がいて、その周りを男性社員が囲っている。あの日、ライラと一緒にいた人が先頭に立って他の社員の人たちへ手を振っていた、道を空けろということらしい。

 その最後尾にライラがひょこっと現れた、すぐ私に気付いてくれたので隣の席をばしばし叩くとこくんと頷いた。


(めっちゃあからさまやないかーい)


 この間はライラを護衛していたのに今度はグガ...ガンナ?ランナ?どっちだっけ。束の間首を捻っていると姿を消したはずのピメリアさんがお皿を片手に戻ってきた。


「ほら!これでどうだ?付いてくる気になったか?」


「買収じゃないですか!」


 私今ご飯食べてるでしょ?!大食いキャラのイメージでも持ってるだろうか。

 私が断ったせいで、こんもりとおかずが乗ったお皿を持ってピメリアさんが途方に暮れていると、トレイを持ったライラが現れた。ライラは少食でいつも少ない。それを見た私たちは、


「ちょうど良かった!」

「ちょうど良かった!」


「え?え?何が?」



 何やかんやあって今、私はユーサの社用車の中にいる。結局根負けしてピメリアさんの言う事に従ったのだ。


「何なのもうー……でもまいっか、これ終わったら帰れるし」


 そう、ピメリアさんから「受け取りが終わったらそのまま直帰なんだけど「行きます!」と食い気味で答えていたのもある。けれどやっぱり、ピメリアさんが私に固執する理由は分からないままである。

 少し遅れてピメリアさんが駐車場に現れた、私が乗っている車を探しているのか辺りをきょろきょろとしていたので、クラクションを軽く鳴らしたつもりが「早くしろ!」と怒っているみたいに鳴ってしまった。

 走ってやって来たピメリアさんが少し驚いた顔をしていた。助手席のドアを開けるなり、


「お前が運転するのか?私が運転するぞ?」


「こういう時じゃないと運転する機会がないのでやらせてください」


「ちゃんと免許は持ってるよな?」


「自宅に置きっぱなしです」


 軽い冗談だったのに、真に受けたピメリアさんと束の間ハンドルの奪い合いをして私が勝ち取り、そしてようやく車を発進した。


「ったくお前、そういう冗談は止めろ」


「すみません、久しぶりに運転できるのでテンション上がってました」


 普段はバスから眺めてばかりの景色を、車の運転席から見るのはどこか新鮮だった。ずんずん後ろへ流れていくヤシの木、それからびゅんびゅん過ぎ去っていく対向車、それらにドキドキしながら運転をしているとピメリアさんがカーラジオを操作し始めた。


「ピメリアさんはラジオ派なんですか?」


「いいや、ロックがんかけ派。今日はちょっとな」


(がんかけって何──ああ、"がんがんかける"って意味か)


 もし私が自分の車を持つならば、運転している時は何派になるのだろうと考え、やっぱりアニソンばっかり流すんだろうなと思い至った。

 ピメリアさんがあるラジオ番組を選び、早速パーソナリティーの渋い声が流れてきた。


[──先日の殺人事件に対して新たな証言がありました。情報提供者はユーサに勤務する二〇代の女性であり、捜査関係者によりますと亡くなったのは実の父親であることが分かりました──]


 その後はかくかくしかじかと、当時の現場の様子や捜査状況を述べて、それこそ流れていくヤシの木のようにさっさと話題が移っていった。

 それに耳を傾けていたピメリアさんはさっきとはまるで別人のようである。険しい顔付き、何かを考えているのが一目瞭然だった。

 一般道から高速へ乗り上げた時、ポッケに入れていた携帯にメッセージが入った。信号もない道路ならいいだろうとハンドルから手を離すと、横から素早くぺちん!と叩かれてしまった。


「ながら運転禁止」


「………じゃあピメリアさんが見てください」


 何故だか「すみません」と言いたくなかったのでそう言い返すと、ったく、とか、何で私が、と言いながらも私のポッケに手を入れている。メッセージのお相手はライラのようだった、お昼ご飯の料理のせいで腹痛を起こしているらしい。


「あいつ少食なんだな、それにしてはそんなに痩せ型でもないし」


「ああいう人種はどこの世界にでもいるものなんすよ、食生活に気を付けなくても体型を維持できる系」


「それな」


「そういうピメリアさんだってスタイルいいじゃないっすか」


「毎朝ハンバーガー食ってっから、それがスタイル維持の」平日の昼間ということもあり車もまばら、かと思いきやトラックやら私と同じ社用車が「自分から話広げといて無視するなよ……」──ピメリアさんの突っ込みに思わず笑ってしまった。


「ふふふ、それもそうっすね」


「前を見なさい前を!」

 


✳︎



 何とか連れて来れた...歳下の運転ってのも落ち着かなかったがまあいい。それに久しぶりの運転の割にはとても丁寧だった、前にも有人探査船を扱っていたのだからそういうスキルがあるのかもしれない。

 首都のど真ん中に位置する国会議事堂には、各省庁のトップに君臨する大臣の執務室があった。その一室に私は用があった。

 きちんと手入れがされた、一般向けに開放されている議事堂前の公園をナディと肩を並べて歩く。開放されてはいるが人もまばらだ、こんな所でリラックスできる人間なんて数が知れているからだろう。


「あの、ピメリアさん?私作法とか良く知りませんからね、粗相してもピメリアさんのせいにしますから」


「はいはい、思う存分私のせいにしろ」


 実際そうなんだが、それでも安心していない様子である。

 ここには何度か足を運んだことがある、と言っても数える程だが、勝手知ったると言わんばかりに堂々と正面入り口から入ろうとしたら警備員がすっ飛んできた。


「ひっ!」


 怯えるナディを庇うようにして警備員にこれこれ何用と説明し、連絡を受けた大臣の秘書官が私たちの所へ駆けて来た。


「申し訳ありません、何分急な話でしたから入場パスの発行も遅れてしまって」


「いいえ、それより大臣はお元気にされていますか?」


「…………は、はい!レイブンクローさんのことをお待ちです、どうぞこちらに」


 秘書官の返答に間があった、私が連れて来たナディをじっと見ていたからだ。

 ようやく入れた議事堂内はとても涼しかった、藍色に染められた絨毯には各省庁のシンボルマークが刺繍されており、建物内にもかかわらず中央には噴水も置かれていた。あれだけびくびくしていたナディもさぞ目を奪われるかと思ったが、「涼しい〜」と案外余裕のある独り言を呟いていた。

 さてさて、政権争いを繰り広げる伏魔殿の一角に御坐す奴の所へとやって来た。大臣の執務室の割には質素な扉をノックをし来訪したことを告げる、中から早速返事があった。


「そんな行儀の良いマネはするな気持ち悪い、自分の家だと思って入って来い」


 それは嫌だなと思いながら扉を開けた。驚いたことに、クヴァイと会話をしていたのは総理大臣だけではなかった。国民の代表として票をかっさらった大統領その人もいたのだ。


「どうも初めまして、大統領のつもりのマクレーン・ヒルナンデスだ」


「これはこれは、連合長をやっているつもりのピメリア・レイブンクローと申します。お会いできて光栄ですプレジデント」


 お返しの冗談に笑っている、ナディは緊張してガチガチになってしまっているが。


「クヴァイ!お前の言った通りだ、私の冴えないジョークに返してくれたのは彼女だけだよ!」


「そんな事はどうでも良い、その後ろにいる女の子は何だ?」


 そんな事、大統領に対してなんつう態度。

この男には散々言い負かされて何一つ言い返せてこなかった、だから─総理大臣と大統領を前にしながら─尊大に胸を張ってこう言ってやった。


「──私の可愛い娘だよ」


 しんと静まり返ったかと思えば、前と後ろから盛大な声が上がった。


「はあああっ?!?!」


「だぁっーはっはっはっはっ!!そうきたかっ!!だぁっーはっはっはっ!」


 クヴァイはテーブルを叩きながら遠慮なく笑っている、ウルフラグにおいて()()トップに立つ二人をそっちのけにしてだ。案の定二人は何が何やら(ついでにナディも何やら)といった体で目を合わせているだけだ。

 ひーひー言いながらクヴァイが笑い声を抑え、すまんすまんと全く悪びれた様子を見せず謝った。

 お喋り好きなプレジデントが恐る恐ると声をかけた。


「あー…ミスタークヴァイ、今のは何かな?我々も仲間に入れてほしいんだが……」


 ()()()


「ああいや何、奴は戦災孤児というやつでな、こいつらの世代には多くて珍しくもないんだが……俺が所帯も持たずに面倒を見ていたんだよ」


 現役を引退してから丸々と太ったクヴァイの眼は、今なお眼光鋭く二人に向けられていた。丸くて綺麗な頭は刈り込みがいれてある、上背はないがとにかくガタいが良い男にこうも真正面から睨みつけられたら、さしものこの二人も黙らずを得なかった。


「………」

「………」


 いつもの手だった、イニシアティブを握るための常套手段に過ぎない。そんな中でもナディは違ったようだ。


「…ちょっとどういう事なんですかそんな話聞いてませんよ私にはちゃんとお母さんがいるんですからあ!」


 小声であって小声ではない、蛇に睨まれた蛙のように固まっていた二人も、ナディの抗議を聞いて金縛りが解けたようだ。


「………」


 おーおー怖い怖い、思い通りにいかなかったからすぐキレる。

 私はゆっくりと振り返り、()()()()にこう言った。


「そういう事だ、諦めろ」



✳︎



 ラハムは気が気ではありません!それだというのにこの人たちは何の話をしているのですか?肝心のカマリイさんに訊ねても返答がありませんでした。


[いやいや!いやいや!]


[あぁ、あぁ、いいかな?とにかく我々の要件を君に伝えたい]


 ずっとモニターを眺めていたカマリイさんがようやく私へ振り向きました。


「この人間があなたと言っていた"あれ"?」


「"あれ"ではありません!あの方はナディ・ウォーカーさんというとても優しい方なのです!」


「はいはい。まあ、その"あれ"があの場に来たのは幸運な事なのかもしれないけど……」


 ラハムよりうんと長い髪の毛を弄りながら再びモニターへと向き直りました。

 ここはカマリイさんの物理的な私室です、本来ラハムたちはサーバー内にいるのですが、たまにこうして外の世界へとやって来ることがあるのです。その時に使う部屋、と言いましょうか、とにかくカマリイさんの私室には沢山のお人形さんが置かれていました。

 薄暗い部屋の中に点けられたモニターをハラハラしながら見守ります、私の命運がかかっているのですから!


[お騒がせして申し訳ありません、この男とはこういうやり取りをするのが常なのです]


[そういう事か、良く分かったよ。それでだね、君には是非ともこれを受け取ってほしいんだ]


 そう言いながら髪の毛をくるりんぱにしている男の人が小さな端末を取り出しました。それはラハムの敵です!


「そんなもの要らないはずですよ!ラハムが皆様のお手伝いを──「うるさい、静かにしなさい」


 カマリイさんにお人形さんを投げつけられてしまいました、大事にしているのか雑に扱っているのか良く分かりません。


[………これは?何かのガジェットに見えますが……]


[ロドリゲス大臣から聞いていないのかな?それが特個体のハッキングを防いでくれる"フリーフォール"さ]


 ラハムの敵を受け取った女の人が肩をすくめて「これがあの遊園地にある?」と冗談を言っています。


[違う違う、それは高い所から一気に降りて叫ぶジェットコースターの事だろ?それはいつでもどこでもファイヤウォールを形成してくれる代物なのさ!]


[………???有用性がイマイチぴんと………ああ、そういう事ですか]


 カマリイさんと揃ってラハムも首を傾げました、カマリイさんの長い髪の毛が床に垂れています。この女の人は何を理解したのでしょうか?


[それなら特個体とは関係がないと?]


[それが分からないから君にお願いしているんだ]


 今度は逆方向に首を傾げました、勿論カマリイさんと一緒にです。話についていけません!あの二人はさっきから何を話しているのでしょうか。

 くるりとカマリイさんが振り返ってきました。


「…ねぇラハム、この二人は一体何の話をしているのかしら?とっこたいという奴からハッキングを防ぐ物のはずよね?」


「はい、そうだと認識していますが、関係がないとは一体どういう事なのでしょうか……」


 会話についていけないラハムたちを置いて、どんどん話が進んでいきます。


[直接窺ってはどうですか?何なら私の方から話をしてみましょうか?こういう手合いはあまり好みません、もし万が一彼女に何かあったら我々ユーサが矢面に立たなくてはなりませんから]


[良く分かっているとも、だが彼女に一番近い存在は君たちだ。我々も準備を進めていたが、どうやら一歩及ばなかったみたいだね]


[………]


 んんん?どうしてそこで眉を曇らせるのでしょうか、この男の人は純粋に相手を心配しているように見えますが...


[それにだ、これにはさらなる機能があってね?ちょっと貸してくれないか]


[何ならそのままお持ちになってくださっても構いませんよ]


[いやいや………ええとだな………]


 くるりんぱの男の人が必死に端末を操作しています、そのまま頭もくるりんぱになってしまえ!と行儀も悪く念じてしまいました。


[お、出来た出来た、これには人工学習機能も搭載されていてね、ユーザーに合わせて生活をアシストしてくれるんだ。いずれはこの端末毎に独立した自我を持たせたいと考えている]


[ほぉ〜それは面白いですね、つまりこれがそのプロトタイプという事ですか?]


[そうだ、ユーザーの一人一人に合わせた人工知能が育ち、生活を支え、家族の一員となっていく。どうだ!面白い考えだろう!]


 むわあっ!と叫んでしまいました、その役目は!ラハムのものなのに!


「カマリイさんカマリイさん!ラハムにさらなるパワーアップをお願いします!あんな物に負けるわけには──」


 カマリイさんの言葉はとても辛辣でした、いや、分かっていた事ではありました。


「──あのねえ、誰もあなたの事を求めていないでしょ?」


 そして、あなたを人間にプレゼントしたのは失敗だった、と。ラハムは失敗なんですか...?それを言われたラハムはどうすれば良いのですか...?

 やっぱり駄目なのかなと思いました、そう思うと頭が下がってしまいまし──[あの、これは何ですか?]


「…………」


[ん?ああ、それは五年前に……って君も知らないのか、そりゃ人気も出ないはずだよ]


[私、五年前にラウェ島へ引っ越ししたんですけどこんな物ありませんでしたよ?]


[………何処から?──ああいや、]


[セレン島です]


[………]

[………]

[………]

[………]


[これって名前とかあるんですか?]


[──あ、ああ、それはラハムだよ]


 そう言ってくれました。


[……私これが良いです、駄目ですか?]


 ぐりぃん!と下を向いていた頭が動きました、思わず首の骨を折りかけてしまいました。


[これが……いやいや、それはもうお払い箱なんだよ、生産はしないことになっているんだ]


[ピメリアさん、私これがいいです]


[……いや、あのな?これはもう貰える物じゃ、]


[これがいいです]


 大人の人たちに向かってそう言い切るナディさんの瞳が不思議と潤んでいました、頬も赤くなっていました、ああ、無理して言っているんだとすぐに気付きました、それは何故?ラハムのためだとすぐに思い至りました。

 もう、ラハムは吹っ切れました!


「カマリイさん!もういいです!」


「──んえっ?な、何が?」


 どこかぼうっとした様子でカマリイさんがこちらを振り向きました、また眉が曇っていたことが気になりながらもラハムはこう言いました。


「ラハムはあの方の元へ行こうと思います!もうパワーアップの件は結構です!沢山のラハムたちがいなくなってしまうことは悲しいです!でもラハムたちも行け!と応援してくれています!それでは!」


「ちょちょちょちょ!ま、待ちなさい!あなたどうやって行くつもり──」


 ラハムは軽やかに駆け出しました!あそこまで言ってくれる方の元へ!カマリイさんの私室を後にしました!



✳︎



「………ああ、何だ、その悪かったよ、お前を利用して」


「………」


「あの男はな、私の父親同然の男なんだよ。昔あった戦争に両親が巻き込まれて独り身になって、その時の支援策として政府が……ああいや、とにかく私はあの男に世話になったんだ」


「知ってます、政府が労働支援策として各企業へ斡旋したんですよね。学校でそう習いましたから」


「ああ、その時いの一番に名乗りを上げたのがユーサなんだ。だから政府はユーサに頭が上がらない、今は開発課と呼ばれている所と合併した時もうちらが主導権を……って、どうでも良いなこんな話は」


「どうして頭が上がらないんですか?ただその支援策に応えただけですよね?」


「………私たちが住んでいた町にもカウネナナイの子供たちが居たんだよ、それだけだ。そしてそれ以降、ウルフラグ軍は政府から独立した」


「………」


「すまん、こういう話じゃないな、あの男に一泡吹かせてやりたかったんだ。散々結婚しろって言われていてな、それが鬱陶しかったから結婚相手じゃなくて娘を連れて行けばさぞかし驚かせてやれるだろうって……思って──ただ、「最悪ですね」………だろうな」


 高速道路をひた走る車がトンネル内に入った。オレンジ色の灯りが後ろへと流れていく。隣で運転しているピメリアさんに視線を向ける気なんて全く起きなかった。


(何それ──信じられない!)


 急に来たかと思えば無理やり連れて行かれて、挙句の果てに「私の娘だ」宣言?自分勝手にも程がある!危うく人様の子になるところだった、私にはちゃんとお母さんもいるのに、それにその理由が驚かせたかったから?そんな理由であそこまでするの普通。

 ほいほい付いて来てしまった自分が馬鹿だったと、窓ガラスに頭をつけながらそう思った。世の中こんな人もいるんだと、気が抜けると言えばいいのか呆れたと言えばいいのか...

 そういえば何か言いかけていたなと思い、車に乗り込んでから初めて視線を向けた。するとピメリアさんと目が合った。


「何でこっち見てるんですか、危ないですよ。それよりさっき何か言いかけていましたよね」


「ああーいやぁ、何でもない、大した話じゃないよ」


「何ですか」


「ああ〜…うん、まあ、うん」


「いや何ですか、そんなに言い難い事なんですか?」


 車がトンネルを抜けて、輝かしい太陽の光りが目にささってきた。そしてピメリアさんがこう言った。


「……あの時のお前がな、本当に守ってやりたいって思ったんだよ」


「………あの時のって、テロリストに襲われた時ですか?」


「そうだよ、座席に縮こまって震えているお前が私に縋ってきて……まあ、そう思ったんだ。だから娘というのもあながち嘘ではない、それぐらいにって、あ〜…そんな感じだ」


 何だそれは、話し方がぐちゃぐちゃじゃないか、何を言いたいのかも良く分からない。


「…………そう思ってこんな事します?」


「それは悪かったと思っている、これがきっかけになればと思っていた」


 ぼすんとヘッドレストに頭を預け、また気が抜けていくような感覚を味わった。

 その後はとくに話すこともなく無事にユーサの駐車場に到着した。車を停車してもエンジンをかけっぱなしにしている、ピメリアさんは何か言いたそうにしていた。


(はあ〜〜〜不器用、自分が器用ってこともないんだけど…)


 歳上の人にこんな感情を抱くなんて初めてだった、何か言ってあげないと可哀想、だなんて...


「……ピメリアさんは酔うとどうなるんですか?」


「んんっ?酔う?それは……酒を呑んで酔うってことか?」


 いきなりの質問に面食らいながらもそう返してきた。


「そうです。私は倒れ上戸になるみたいです」


 ふふっと鼻を鳴らしてから、


「何だそれは、初めて聞いたぞ」


「で、ピメリアさんは?」


「私か?私はな、酔ったことがないんだよ」


 うっそだあと遠慮なく言うと、ピメリアさんの目が少しだけ潤んだ。それを見た私はあっさりと溜飲を下げたのであった。



 国会議事堂で端末を受け取ったピメリアさんはそのまま職場に復帰し、「直帰って職場に戻ってくるって意味じゃないよね」と独り言を言いながらロッカールームへ向かう。まだお昼を過ぎたあたりでまだまだ就業時間中である、あ、そうだと思い出して携帯を取り出すと、


「おっほー凄いメッセージ……」


 ライラからだ。腹痛だとメッセージを貰った時は運転していたから返せていなかった、携帯の画面には十数件に及ぶ未読のメッセージが溜まっていた。


(ライラってこういう所あるよね〜…)


 最初のメッセージはどうして返しくれないのかと怒っており、最後らへんは気にしていないからねと締め括られている。今はどうやら医務室にいるらしい、ロッカールームへ行く前にライラの所へ向かって直接謝りに行こう。

 この間の連休中にも似たような事があった、私とアリーシュさんが喫茶店に入っていた時も次から次へとメッセージが来ていたし、それに返さなかっただけでライラはぷりぷりしていた。


(ライラって他の人にもこんな感じなのかな…)


 初めて出会った時はそんな印象もなかったけど。

ユーサの医務室はS字の中間点にあるので駐車場からそんなに遠くはない、綺麗に清掃されている建物に入り仮眠室兼病室になっている部屋の扉を開けると、ベッドに腰かけているライラがいた。手には携帯が握られている。


「ゔーゔー」


「──っ!!……ああもう、おどかさないでよ……」


 携帯バイブの口真似をしながらこっそりと近づくと案の定ライラが驚いた。


「ごめんね、メッセージ返せなくて」


「いやっ……え、というか今仕事中……だよね?」


「あれ、私言ってなかったけ?」


「?」


 ライラに国会議事堂へ行っていた事をかくかくしかじかと説明してあげると仰向けに倒れてしまった。


「というかさ、ライラは私が仕事中だと分かっててこんなにメッセージ送ったの?」


「いやそれは…あ〜ごめん、一人で盛り上がって恥ずかしい……」


 ライラが腕を上げておでこにくっ付けている。撥水性が高いスカートが捲れ、羽織っているベストも脱げかけていた。顔を隠している隙にゆっくりと近付き、ライラの傍に寄った。


「お腹が痛いってのは──」

 

 腕をゆっくりと下ろしたライラと目が合う、あの日見た時と同じようにすみれ色をした綺麗な瞳だった。もう少し近付く、まるでこれからキスをする恋人のように肘をついてライラを上から覗き込んだ。

 さすがに分かるよ、いつか朴念仁と言われたことはあるけど──。


「……ねぇ、私の何が良いの?」


「…………え、いや、何が………」


「ライラ、私の前では良く取り乱すよね」


「…………」


「私ってそこまで馬鹿じゃないよ」


 ライラの瞳は私の瞳を捉えている、お腹が痛いという話も嘘なんだろう。私がメッセージを返さないから業を煮やして、本当の話にしてしまえと医務室にやって来たに違いない。

 どんと、肩を突き飛ばされた、びっくりしたけど痛くはなかった。


「──ち、違うから、そういうんじゃないから、か、勘違いしないで」



✳︎



 やってしまった...思いの丈をぶつけるチャンスだったというのに...ナディを突き飛ばしてしまうし、いやでもあんなに──


(落ち着け、落ち着くのよ私)


 ナディに吸い込まれてしまいそうになった。あんなに私の事を見つめてくれたのは初めてだ、私以外が視界に映っていないのも良く分かった、私だけの事を考えてくれているのも良く分かった。さっき見つめ合ったあの時間は、文字通り私とナディしかこの世にいなかった。あのまま──告白して──いや、ナディの言葉を認めていたらきっと私はこっちの世界に帰ってこられなくなってしまうと、分かってしまった。

 だから仕切り直し。それにだ、決して少なくはない時間をナディと一緒に過ごして分かった事がある、彼女は何かと"リード"をしたがるということ。私より一歩前に出たかったから強襲をしかけてきたのだ、普段からスキンシップをとる彼女だけど「ライラ?」まさかあんなに距離を縮めてくるだなんて、それも予備動作なし、心臓が口からミサイルのように飛び出ると──「ライラ」


「あ、うん!」


 ナディの声に慌てて振り向く、ナディもベッドに腰かけている。さっき見せた強気の顔ではなく、どこか恥ずかしそうにしていた。瞳も心なしか潤んでいる。


「……私の方が勘違い………なのかな」


 さっきの表情─今からキスをすると言わんばかりの大人の顔!─と打って変わって今は眉尻を下げて泣きそうになっていた。そんな事ないよ!と心から言いたかったのに、


「……さっきのナディはちょっと怖かった」


 である。自分でもはぁっーーー?!だけど、何故か、今のナディを見ているととてもイジメたくなってしまった。


「……ご、ごめん……いやでもさ、こんなにメッセージを送ってくれたり前は私に抱きついていたよね、ね?」


「……あの時は本当に怖かったから、多分ナディじゃなくてもその人に抱きついていたと思うよ」


 何だそれ、である。とんだ尻軽女じゃないかと自分で自分を馬鹿にしてしまったが、思いの外クリーンヒットしたようだった。


「……え?そうなの?他にも仲が良い人いるの?」


 ナディがこちらに体を傾けてきた、私の人間関係が気になるらしい。胸の奥から甘くて危険な気持ちがじわりじわりと染み出してきた。無視できない。


「それ、ナディに関係あるの?」


「いや……そういう言い方しなくても……」


 けれど、すぐに後悔にした。傷付いた顔を見てしまい、染み出してきた気持ちもさっさと奥へ引っ込んだようだ。


「いや、その、ごめん、前にも言ったと思うけど、私あんまり仲良い人っていなかったから、また言わないといけないのかなって思ってさ」


「あ、そうだよね、ごめん……じゃあ、」


 私はその仲が良い人に含まれる?と、ナディが訊ねてきた。私はお返しに、今日泊まりに来ない?と誘った。それが精一杯だった、私も案外意気地なしのようだ。ナディはうん、泊まりに行くよと、答えてくれて一気に頬が熱くなり、ここは私も勇気を出さないとと思い、ナディが初めて泊まりに来る相手だよ、と伝える。するとナディも、頬がぽうっと赤くなって、嬉しいと言ってくれたあたりで奴らが入ってきた。


「ライラー、あんたお腹壊したって本当なの?というか、私らまで一緒に休まされるのいい加減うんざりなんだけど」


「私はこういう時のためにいつも自前のタブレットを持ち歩いていますから」


「うん、そんな事誰も訊いてないから。ライラ?ん?なんだ、あんたも来てたのか」


 セントエルモの括り何とかならないの?ここ一番という時に来やがって...!でも、


「………」


「………!」


 ナディがそっと私の手を握って、そして二人にバレないようすぐに離した。

 秘密のスキンシップだった。



 で、何で?何でこうなるの?


「デカっ!──え?デカくない?」


「お屋敷そのものですね……ここにお一人で住んでいるんですか?」


「まあまあじゃない、私の家と比べても遜色ないわ」


「その強気はどこから出てくるんすか?言っておきますけどコールド負けっすからね」


「何ならスタジオに入れていないまでありますよ」


「今伝説的な負け方をしているんすよ?そこんとこ自覚ありま──ああっ!こっわ!無言で殴りかかってくるの止めてくださいよ!」


(はあ〜もういいわよもう)


 戯れ合う二人を避けて皆んなを招くため我が家の扉を開けてあげた。

 ついポロっと、ナディが溢してしまったのだ。今から私の家へ遊びに行くと、えじゃあ私も私もと謎のアピールが始まり今に至る。

 まあ、途中で寄ったスーパーでディナーの買い出しをするのは新鮮で楽しかったけどね。あれやこれやと食べ切れもしないのに、皆んな口座に塩漬けにしている給料を使い切らんばかりにカゴへ商品を入れていくのは面白かった。

 それに私の家までユーサの社用車を使っている、連合長と何かあったのかナディがやたらと強気で車を貸してほしいと電話をし、何やらこそこそとやり取りをして了承を得たのであった。後できっちりと教えてもらおう。

 そんなこんなで私たち四人だけのドライブに買い出し、そして私の家で皆んなでお泊まり会、まあ?そんなに悪くはないのかもしれない。


(できればナディと二人っきりが良かった……何て言いはするけど……)


 正直この二人には助けられたという思いもある、だから招いてやった。

 エントランスに入った皆んなは目を丸くしてあちこちくまなく見ている、ちゃんと掃除しているのか気になったけど、誰もそんな所は見ていないようだった。


「白い!白い!先輩、これ何て言うんですか?」


 ナディがエントランスに使われている大理石を指さし、年長者であるジュディ先輩に訊いている。私が説明してあげても良かったんだけど、何と説明するのか気になったので黙っていた。


「拝金主義者のステー──うわ!ごめん!悪かったわよ!」


 何て事言うの!私のパパたちが選びに選んだこの大理石を!

 ぶつつもりはなかったのに、ナディまでもが私へ意地悪をしてきた。


「ライラって家だとそんなに乱暴になるんだね〜私も気を付けないと〜」


「もう!そんなわけないでしょ!今の冗談よ!」


 ナディの柔らかい頬を軽く抓ってやった。もっとイチャイチャしたかったけど、あと二人余計な人間がずんずんと家の奥へと向かって行ったので慌てて止めに入った。


「ちょっと!勝手に彷徨かないの!とりあえずリビング!」


 目を離した隙にナディも別の方向へと歩いて行く、そっちはレストルームがあるんだけどまだ早い!とナディの首根っこを捕まえた。


「こら!」


「いいじゃあーん!こんなホテルみたいな家初めてなんだもん!」


「お金取るわよ!」


「いくらですか!」


 もう!収集がつかない!



「ライラ様、私をここのホームメイドとして雇ってください、お給金は要りません!必要な物だけ買ってくだされば一生働きます」


「いやそれお金貰っているのと一緒じゃない。それよりこれ運んでくれる?」


「はい、お嬢様」


 今日のクランは随分とテンションが高い。調査船で培ったウェイタースキルを発動してささっと料理を運んで行った。

 残りの二人は天井に収納してあったテレビモニターに釘付けである。


「これいくらぐらいするんですかね、普通に買ってもこのテレビも高いでしょ」


「三〇年ローン」


 そんなに高くない!


「家じゃないですかこのテレビ、家の中に家がある……」


 ダイニングから料理を運んで行ったクランがバタバタと走って来た、そして無言で二人を引っ張って行った。


(ああ、リビングが珍しいのか……)


 一人で生活をしていればダイニングルームさえあれば事足りる、なのでリビングを使うことが滅多になかった。

 私も料理を持ってリビングへと向かう。ダイニングからリビングへは外に面するガラス張りの廊下を歩く、その廊下からは首都の街並みが見えていた。ここに住み始めた時は珍しくて良く眺めていたけど今ではすっかり飽きてしまっていた。今の私は首都の夜景よりナディの笑顔、怒った顔でもいい、泣きそうに落ち込んだ顔でもいいから見たかった。

 廊下を渡って私もリビングに入り開口一番こう言った。


「何やってんすか」


 あれだけ嫌いだと言っていた後輩口調が口からついと出てしまっていた。だって、皆んながスカートが捲れるのも厭わずリビングの床に大の字で寝ていたからだ。

 リビングの造りはまるでお城のようである。夜景を全面に見られるガラス張りの前には大型のモニターもあり、そこが一家団欒の場になっていたのでソファなども置かれている。そしてリビングには螺旋階段もあって二階にある私室から直に来られる間取りになっていた。

 リビングのど真ん中で寝ていたジュディ先輩が、


「…………完敗だわ」


 ソファの奥からにょきっと足を生やしたナディが、


「今頃かよ!」


 と、叫んだ。



「でも寂しくない?こんな広い家で一人ってさ」


 口にケチャップを付けたままジュディ先輩がそう私に訊ねてきた。


「そりゃそうですけど、私はこっちで働きたかったので」


「ふうん、両親は今に何処にいるの?」


「カウネナナイ領のルカナウアにいます、ここからでもあれやこれやで二日はかかるんじゃないですか」


「あーそりゃこっちに残るわ、通勤なんかできたものじゃないもんね」


 ジュディ先輩との会話にナディが入ってきた、そういえばナディの実家はルカナウアから近いラウェだったはずだ。


「そうなんだ、ライラの両親はラウェも知ってるのかな」


「うん、ラウェは海産物がとても美味しいって言ってたよ。こっちと違って産地直送だから魚も臭くないって言ってた」


「へえ〜ライラの両親と仲良くやれそう〜」


 口に運んでいたマッシュポテトを思わず吹き出してしまった。それはどういう意味なの?!幸い私の粗相は誰にも気付かれなかった。


(あれ……ちょっと待てよ……何か忘れているような……)


「魚が臭いのは当たり前じゃないの」


「いや違うんですって、こっちの魚は獲れたてでもスーパーとかに並ぶのは時間がかかるでしょ?あっちとは微妙に違うんすよ」


「ああ、無駄に舌が肥えた系ね」


「そうそれ。ライラはこっちの魚って平気なの?」


「ん?私は別に、それよりステーキの方が──」


「肉の良し悪しが分かるのは…」


「……セレブの証ね」


 二人がにじりにじりと私から離れていく、その仕草がとても嫌だったので二人まとめて抱きついてやった。

 私たち三人は会話をしながら食事をしているがクランはと言うと、食事を疎かにしながらテレビに釘付けになっていた。リビングのテレビでは、クランが持ち寄ったタブレットを繋げてアニメを流している。ぼーっとしているようにも見えるし、真剣に見ているようでもある。いつもこんな感じなのだろう、何気にクランが一番馴染んでいるのかもしれない。

 食事を終えてどの部屋を使うのかという話になり、部屋を選べるのかと二人が驚きたたたと螺旋階段を上って走って行った。その音に気付いたクランがテレビから目を離し、何事かと私に訊いてくる。早く選びに行かないと良い部屋が取れないよと教えてあげると、アニメそっちのけでクランも駆けて行った。


「ほんと賑やか」


 他人の足音が聞こえるのは新鮮だ、ここに来るハウスキーパーの人たちも皆静かに掃除をするので、他人の存在を感じられるのは不思議な感覚があった。

 アニメからニュースに切り替えてぼんやりと見やる、例年超えの温度で飲料水関係の売り上げが伸びていることや、もう間もなく停戦協定が結ばれて六年目を迎えることを報道している。どれもこれもパッとしない話題ばかり、どの局もユーサが調査を進めているウイルスについて報道しているところはなかった。

 ナディがひょっこりと戻ってきた、どうやら二階をぐるりと回って来たようでダイニングの方からリビングへ戻ってきた。

 私の隣に遠慮なく座り、食べかけのピザをちびりと食べてから炭酸飲料で流している。


「………」


「………」


 残りの二人はまだ家中を探検─私の部屋の鍵を忘れてたぁっ....!─しているのだろう、足音が響いてくる中、二人揃って何も喋らずテレビを眺めている。あれ、こういう時って何を話せばいいんだろう、昼間にあんな事があって間違いなくナディとの距離は縮んだはずだ、それなのに言葉が何も出てこない。すぐ隣にいるナディの気配を窺ってばかりである。

 冷めたピザトーストに飽きたのか、ナディがてい!とテーブルの上に放った。少しだけ行儀の悪さが気になりつつも、ちらりと視線を向けると目が合った。それだけで心臓が跳ねてしまう。


「……ナディは寛いでいると行儀が悪くなるのね」


 さっきのお返しだ、軽い冗談を放った。ナディはそうだと言って、


「だから気をつけてくれる?私ってズボラだからさ」


「何を──」


 とんと肩をぶつけてきた、かと思えばそのままずるずるともたれかかり、私の膝に頭を乗せてきた。ナディの柔らかい髪の毛が太ももに当たっている、本人はそのままううんと伸びをしてさらに寛ぎ始めてしまった。


「ライラって冷んやりしててやっぱり気持ちいいね………ふわぁ〜」


 私は何も答えず、ナディのおでこに手を当てて軽く撫でてあげた。それだけでナディは嬉しそうに目を細めた。

 二人の時間を邪魔するように、ポケットに入れてあった携帯電話が震え出した。それを無視してナディに一生懸命になっていると、今度は電話ではなくメッセージが入った。


(もう何!邪魔しないでほしいんだけど…)


 ナディに悟られないようこっそりと携帯の画面を見やると、ルカナウアにいるパパからだった。バナーに表示されたメッセージは「船舶の洗い出し………」


「ああっ!!!」


「っ?!」


 ......忘れてた。



[はい、こちらでも確認しました。遅くまでありがとうございます]


「いえ、こちらこそ遅くなりました」


[提供していただいた情報に関しては警察と共有し、捜査に役立たせていただきます。一度カイルさんへお問い合わせをさせていただいたのですが、]


「ええはい、私も父から連絡をもらいましたのでこちらから報告しておきます」


 相手の男がそうですかと言ってから、


[それではよろしくお願いします。それとお渡しした船舶リストの受け取りもお願いしてよろしいですか?]


「……誰からですか?」


[誰からとは……あなたの父であるカイル・コールダーさんからです、船舶リストはカイルさんから受け取ったのですよね?]


 何を言っているんだこの人は...休日の朝一番に呼び出して私に預けたではないか。


「いいえ、私が直接そちらまで伺って当日対応してくださった職員から受け取りましたよ。父は船舶リストを持っていません」


[あ、そういう………いやでも、当日は──あ、こちらの手違いのようですね...うん?]


 電話口では相手の男性が別の人と何やら話をしている。

 ...何なの、早くしてよ。遅くなりはしたけどこっちはちゃんと務めを果たしんだ。私も早く皆んなとお風呂に入りたいのに!


(良かった、うちに大きめのバスがあって……)


 まさかナディがお風呂好きだったなんて。船舶の洗い出しをすっかり忘れていた私はナディに謝り膝から退いてもらい、今は自室にこもっていた。

 誰かと話し合いをしていた男性が再び受話器を取ったようだ、けれど何かあったらしく声を潜めてこんな事を訊ねてきた。


[……失礼ですが、当日対応した職員の事を教えていただけませんか?]


「…………覚えておりません、その日は用事もあってバタバタしていましたので相手の顔もろくすっぽ見ていませんでしたから」


 これは面倒事に巻き込まれるぞと勘を働かせて逃げの手を打ったのだが、そう問屋を卸すつもりはないらしい。


[そうですか……事情についてはこちらに来られた時にご説明しますので、一度来ていただけませんか?]


(げぇ〜〜、何、何なの?私関係ないじゃん)


「それは何故ですか?私の入館履歴も──」


 こっちはきちんと手続きをしてリストを受け取ったんだ、その事を伝えようとしたのだが、


[ライラさんの記録も残っていないんですよ、今監視カメラをチェックさせていますが……もしカメラにすら記録が残っていないのであれば……]


「いやいやいやいや、それはそちらの不手際ですよね?どうして私まで疑われなければならないのですか?」


[そうとは申していません。とにかく一度こちらに来てください、よろしいですか?]


 はいとか、まあとか、曖昧な返事を返して電話を切った。


「知らないよー!私なにも悪いことしてないのにー!」


 苛立ち紛れに携帯をベッドへ投げ付けた、そしてそれと同時に驚いた。私の部屋にいつの間かナディが入っていたからだ。


「わーライラもズボラだねー」


「……びっくりした。いやごめん、ちょっとトラブルがあったみたいでさ」


「トラブル?」


 お風呂上がりのナディは何というか...無防備にも程があった。今は頭からすっぽりとタオルをかけてわしわしとしている。持ち上がった腕の隙間から綺麗な脇も見えていた。


「うんまあ……パパたちの仕事の手伝いって感じかな。もう皆んなシャワー済ませたの?」


「ああ、うん、ライラのこと待ってたんだけどさすがに遅いねって言って上がっちゃった」


「いいよ別に、私も入ってくるから──あ!あれこれ見るのはナシだよ!」


「え〜?何の事かな〜ゆっくり入ってきな──ああ!嘘うそ!何にもしないからあ!」


 悪戯っぽく笑うナディの脇腹やらを突いてから私もシャワールームへ向かった。

 そして──



 目が覚める、いつもの寝室、私の部屋。けれど今はすぐ隣に他人の温もりがあった。


「…………」


 私は寝付きが良くない方である、毎晩考え事をしながら眠る癖があるのでどうしたって悪い。けれど今日はすとんと眠れてしまった、その事に驚きつつ、また目を覚ましたことに感謝した。


(無防備にも程があるよ……)


 シャワーから帰ってくると、ナディは私のベッドですやすやとで眠っていたのだ。何処かに仕舞っているキャンプ用の寝袋を持ってこようかと考えていたけれど、その必要もなかった。いや待ってこれどうしよう?!とテンパりはしたけど、私も横になってみるとこれが案外悪くない、とても安心出来たのだ。そしてあっという間に寝てしまい、今は無防備に眠るナディの寝顔を見ながらぼんやりとしていた。

 手の甲を彼女の頬に当てる、起きる気配はなく、薄く開いた唇から安らかな息が出たり入ったりしていた。このまま何でもできるという邪な気持ちと、いやいやちゃんと起きている間にと、どちらにしても口付けをすることしか頭になかった。

 そこでふっと、保証局のヒイラギさんに言われた言葉が頭をよぎった。


 ── 迷惑をかけるのはご両親だけではなく君の友人にも及んでしまうことだ。


 もし、もし仮にパパたちがカウネナナイの側に付いたら...そんな事あり得るのかと疑問に思うが世の中何が起こるか分からない。あれだけ戦争を繰り返していたカウネナナイと停戦協定を結んだのだ。それこそ明日にだって協定を覆してウルフラグが侵攻を開始するかもしれない。そうなればパパたちはカウネナナイから退去せざるを得ないし、情勢が悪化すればそのまま残ることにもなる。

 そんな立場に置かれたコールダー家の一人娘である私が今まで通り、自由に生活を送れることができるのだろうか。


(ああ……あんな事聞くんじゃなかった……)


 生まれて初めて、自分の家柄を疎ましく思った。邪魔でしょうがない、ナディと共に在りたいと思うが、無視することもできない。

 悶々としながら、結局ナディに手を出すことを止めて、勿体ないと思いながらも眠りについたのであった。

※次回 2022/2/19 20:00 更新予定

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ