第14話
.アンノウンテクノロジー
あまりの寒さに目が覚めてしまった。
「へっくしゅっ!!」
いつもの癖でエアコンを最低温度に設定していたのが不味かったらしい、体はきんきんに冷えて室内もまるで真冬のようになっていた。枕元に置いてあった携帯もすっかり冷たくなっている。
「……あれ、誰、こんなに早く……」
早い、と言っても始業時間も過ぎた頃だ。昨日は...昨日の事は良く覚えていない、若年性の健忘症を疑うレベルで記憶が曖昧だった。ナディだ、全部ナディのせいだ。私を一人部屋に入らせて狂わせて、かと思えば私が知らない人間を匂わせて、天国と地獄を行き来していればそりゃ記憶だって曖昧になるはずだ。
夢現とした脳みそでもすぐに蘇ってくる...アキナミ、誰なんだろう、仲良いのかな、私より?私より仲が良い人がいるのだろうか。何だそれ、悔しいったらない、二人の思い出の時間を奪いたくて仕方がない。けれど──何も出来ない、それがさらに悔しい。
携帯に着信があった、履歴を確認するとナディからだった。かけ直そうか、どうしようかと思い留まっているともう一度着信があった。
「も、もしもし、ナディ?」
[ライラ?あのさ、私の家にカード忘れていってない?下駄箱の上に置いてあったんだけど]
下駄箱って何──ああ、シューズボックスのこと?ナディの一言一言がまるで清涼剤のように体へ染み込んでいった。
「ああうん、それ私の」
[これ何のカード?もしかして家の鍵?]
室内をぐるりと見回す、私があの時置いていったのはナディの言う通り家のカードキーだった。だから私は家に帰れず、パパたちが懇意にしているホテルに無理を言って一部屋借りていたのだ。
さてどうしようかと考える、下手に言って気を遣わせるのもあれだし...かといってキャッシュカードと言うのも何だかおかしいよう感じがしたので、結局素直に答えた。
「うん、それ私の家の鍵なの、昨日は慌ててさ、間違えて自分の鍵出しちゃったんだよね」
[えー!大丈夫なの?今どこにいるの?]
ナディのえー!がとても可愛かった、その声を耳に入れただけで胸の澱みが綺麗になっていった。
「今はホテルだから大丈夫。後で取りに行ってもいい?というか行かないと家に帰れないからさ」
よし、思惑通りに事が進んだ。ばっちり決まったので部屋の寒さも気にならなくなった。しかし、
[いいよ、今から渡しに行くよ?ホテルってどこ?]
(そうくる〜〜〜?その優しさ今は嬉しくないよ〜〜〜!)
あーだこーだと言い訳をするも結局折れて電話を切ってしまった。せっかく届けてくれると言っているのに、それを断り続ければ逆に不審がられると思ったからだ。
(あ〜〜〜ナディ〜〜〜その優しさは後に取っておいてほしかった〜〜〜はっ!)
また自分の事ばかりだ、ナディの体調を訊くのを忘れていた。慌ててメッセージを送るとすぐに返事があった。
ナディ:私は大丈夫、ライラは?
ライラ:私?私は平気だよ、どうして?
ナディ:何かいつもの調子じゃなさそうだったからさ、どこか悪くしてない?
枕に顔を突っ伏し、足をばたばたさせる。ナディには頭が上がらない、昨日は自分だって大変な思いをしていたのに私の事を心配してくれていたのだ。けれどやっぱり嬉しい、私がいない所でも、私の事を考えてくれているのは滲むような嬉しさがあった。
「〜〜〜〜あぁいったぁっ?!」
足をばたばたさせすぎてベッドフレームに打ち付けてしまった、痛すぎる。
こんな事している場合ではない、メッセージを返さないと。
ライラ:大じy
打っている途中ではたと思いつく、これは件のアキナミという人間について訊くチャンスなのでは?何と訊こうか、「あなたの友達の事が気になっていたんだよ」ストレートすぎない?「気になっていつもの調子じゃなかったの、だから教えてくれない?」キモくない?いやそれは事実なんだけど。
うんうん頭を捻ってようやくメッセージを打った。
ライラ:大丈夫。アキナミってナディの友達なの?昨日初めて聞いたから気になってさ
うん。いやうんじゃない、昨日言えなかった言葉をただメッセージに乗せただけである。けれどこの言葉しか思い付かなかったので...
「ふぅ〜……いけぇ!」
枕に顔を埋めたまま送信ボタンをタップした、あとは返信を待つのみである。これで返ってこなかったらどうしようとか「私の大事な人なんだ……」とか「好きな人なの」とか「何でそんな事訊いてくるの?」とか、悪いイメージばかりが浮かんできて胸がドキドキしてくる。早く来い、早く来い!
しかし返ってこなかった。
◇
(何なのナディって……私を惑わせる天才か何かなの?)
あんなにテンポ良かったのにそこで悪くなる?あの質問をするのにどれだけ時間がかかったと──私のせいか、メッセージ返すの遅かったし、その間にナディは何かやり始めたのだろう、既読も付いてなかったし。
携帯は部屋に置いてきた。もやもやしても仕方がないと割り切って私は遅めの朝食をとりに来ていた。この時間帯だ、一人でゆったりご飯を食べられると踏んでいたのだが先客がいた、それも男女の二人。
(お熱いことで…………ん?)
ホテルの最上階にあるレストラン、人の視界を遮るように配置された植物の隙間から見えた人影、それはあの日ちらりと見たグガランナ・ガイアと呼ばれる女性だった。その向かいの席に座っている男性にも見覚えがあった。
(あれは確か、ヒイラギさん、だっけ?)
ウェイターが私の元にやって来る、それが視界に映ったのかちらりと視線を上げて私に気付いた。
(げっ)
グガランナ・ガイアが気さくに手を上げている、ヒイラギさんも私に気付いて軽く会釈をしてくれた。どうして二人でいるんだろうか、できることなら近付きたくなかったけど、向こうが招いてくれているのだから無視するわけにもいかなかった。
「おはようございます」
「おはようございます、あなたは先日のパーティーにも参加されていましたよね?可愛らしい方なので良く覚えています」
どの口が、あなたは絶世の美貌をお持ちではありませんか。
「恐縮です。お二人でお食事中ですか?」
「ええ、ホシと一緒に。良ければあなたもどうですか?まだ料理が来ていませんので一緒にとりましょう」
「誘っていただいてありがとうございます、お言葉に甘えさせていただきます」
二人の間に腰を下ろした。
(それにしてもこの人……)
失礼のないように少しだけ視線をずらして視界に入れた。ヒイラギさん、あのパーティーで二人の女性に言い寄られておきながらよくもまあこんな綺麗な人と...外見とは裏腹に冷淡な人のようだ、涼しげな顔を崩さずグラスを傾けているだけだった。
その反対側に座っているグガランナ・ガイア、この人もはっきりと言って不気味だ。こんな美貌は持てるものではない、人間味がまるで感じられないのだ。
ヒイラギさんが僅かに動いた、そして咳払い、きっと私に話を振ってくれるのだろう。
「ところで、コールダーさんはどうしてこのホテルに?仕事の方は行かなくてもいいのかな」
「昨日、職場で倒れてしまった方がいるのでその付き添いで病院まで行って来たんです。けれどその人の自宅に家の鍵を置いてきてしまって」
「そういう事だったんだね」
(……納得しているの?どうして?こんなイベントそうそうあるものじゃ………ああ、この人は私がここに泊まっていたことを知っていたのか)
ヒイラギさんに目にあったのは「驚き」ではなく「納得」だ、きっと私が受け付けにいる所を見たのだろう。
グガランナ・ガイアが何の動作もなくすっと言葉を挟んできた、今の会話に興味があったらしい。
「一つよろしいですか?どうしてライラはその方の自宅に行かれたのですか?」
いきなり呼び捨てである、変わった間合いの人だなと少し警戒しながら答えた。
「病院に泊まりますので、着替えなどを私が代わりに取りに行ったんです。その時に慌てて自分の家の鍵を出してそのまま置いてきてしまったので、このホテルに泊まっているんです」
「そうだったのですね、教えてくださってありがとうございます」
「その方というのは女性かな、もし男性だったらあまりに不用心が過ぎると思うけど」
「はい、私と同性の方ですよ」
「仲がよろしいのですか?」
質問責めだ、この二人あまり会話していなかったのだろうか。
「ええと、そうですね」
「自身のプライベートエリアに入ることを許可するぐらいですから、きっとそうなのでしょうね」
あれ、実はこの良い人?良く分かってんじゃん。
「その割には他人行儀な呼び方が気になったけどね」
──探られてる。でもどうしてだろう、こんな人が私みたいな人間に探りを入れて一体何の得があるというんだろうか。明らかに棘がある言葉だと自覚しながら、それでもなお発言する理由はそれしかない。ヒイラギさんに対する警戒レベルが一気に跳ね上がった。
「本人の事もありますので名前を伏せただけです、自分が職場で倒れて色んな人に迷惑をかけた事を言いふらされるのは良い気がしないと思いましたので」
「そうだね、僕の言い方が悪かったよ」
✳︎
未成年だと思って舐めていた。
(すっかり警戒されてしまったなあ〜)
コールダー家の令嬢がどうしてこのホテルに泊まっているのか気になった、それもよりにもよってこの人と一緒にいる時にだ。偶然とは考え難い。
《ダンタリオン、付近の病院を調べてくれる?》
《仰せのままに》
今日は執事のつもりらしい、下手な事は言わずすぐにハッキングを開始した。
僕は彼女の護衛を任されていた、先日のパーティーで顔を見せてからというもの、ずっと付きっきりである。ヴォルターさんはユーサに出向いて調査の進捗状況を確認している、それと不審な人物がいないか、その洗い出しもかねて今日も一人で赴いているはずだ。
僕たち保証局がここまで監視の目を強化しているのにも理由がある。各省庁が僕たち特個体の目から隠れて何やら画策しているという事だ、目的は明快、あのウイルスだ。グガランナ・ガイアさんが提出した報告書には一部不明瞭な点があるにせよ、未知のテクノロジーが詰め込まれているのはまず間違いない。その利益を少しでも得られるように各省庁の幹部陣があちこちと手を組み動き回っている。キング中佐とグリーン事務次官がそうであるように、僕たちの目が届かない場所では日夜会談が行われているはずだ。
だからこそ、今目の前にいるグガランナ・ガイアさんはきっちりと護衛しなければならない。この人は今や誰もが接触をしたがる中心人物である、そしてその接触が穏やかで終わる保証はどこにもなかった。
(それだと言うのに……)
本人はまあ呑気なものだった。本人も言っていた通り、外の世界をまるで知らないらしく、目にする物全てに興味を持ち、自分が置かれている立場も忘れてとにかく良く手を伸ばした。身体検査に訪れた医療センター然り、車の移動中でも然り、信号待ちをしている時に一度、勝手に車から降りてお店に入ったこともある程だった。気が気じゃない。それに人と接する時もまるで警戒心がない、「胸襟」という言葉をまるで知らないかのように、包み隠さず何でも話すのだ。下手に事実を暴露されないよう、話題誘導に徹するだけで精一杯だった。
僕たちのテーブルに料理が運ばれてきた、グガランナ・ガイアさんと行動を共にしてから、緊張の糸を緩められる唯一の時間だった。食べ物を口に含んでしまえば会話は出来ない。と、思っていたけれど今日は違った。
「ライラは普段もこういった場で食事をとっているのですか?」
「いいえ、普段はコンビニのお弁当を食べていますよ。それと私は少食なので食べない日もあります」
「……こんびに、それはどういった場所なのですか?」
「コンビニを知らないんですか?二十四時間営業の小さなスーパーのような所ですよ」
「そうですか………それはとても便利ですね、私のエリアにあるパブリックスペースを店舗化したような所でしょうか」
「どういった所なんですか?」
「身体活動に必要なエネルギーを即時摂取出来るように工夫されている場所ですよ。自分で調理をする楽しみはありませんがとても便利ですね」
えー!とコールダーさんが素っ頓狂な声を上げた、その瞳に警戒心はなくあるのは好奇心だった。
(良く食事をとりながらお喋りできるな……いやというかグガランナ・ガイアさんもぺらぺらと喋りすぎだろ)
「凄い!便利ですね〜羨ましいです。そんな所に寝泊まりしたら一生出られなくなってしまいそう」
「ふふふ、良ければ今度来てみますか?歓迎いたしますよ」
「いいんですか?」
「ちょ、ちょっと申し訳ないけどそれはさすがに控えてくれるかな?」
さすがに言葉を挟んだ、けれどそれが失敗だった。僕の発言でコールダーさんが悟ったらしい、またあの目で僕を一瞥してからグガランナ・ガイアさんとお喋りを始めた。
(あ〜〜〜!だから僕には荷が重いって言ったんだよ!女性の扱いに慣れていないのに……)
チーズ入りのスクランブルエッグをフォークで突き回す、自然とパーティーで起こったの騒動が脳裏に浮かんできた。スミスさんとアーチーさんの事だ...テンパり過ぎて本当に馬鹿な事を言ってしまったし、そして同時に二人を傷付けてしまった。
(忘れたかったのに……)
二人の軽やかな会話を耳に入れながら一人で反省しているとダンタリオンから報告があった。どうやらコールダーさんの話は本当らしい。
《ビレッジコア総合医療センターのバスターミナルで彼女の姿を監視カメラから確認しました。来院目的も洗い出しますか?》
《お願い》
言下にそう指示を出すとすぐに報告が上がってきた。
《ユニオン・サイエンス・エージェンシー第一港に勤務しているナディ・ウォーカーの見舞いに来院したようです。その他にもジュディス・マイヤー、クラン・アーチーの二名の姿も確認しました》
《ナディ・ウォーカーの病名は?》
《亜急性疲労による風症候群に類似した身体的不調とあります。検査入院で一日、点滴静脈注射を経て回復、翌日に退院履歴が残っています》
《入院費用の支払い元は?》
《ユニオン・サイエンス・エージェンシー第一港経理課です》
ふうむ...このタイミングで倒れる?倒れるか...ウォーカーさんはテロリストと間近に接触した人物でもある、その時の精神的な疲労が体に表れたとなれば何ら不思議は感じない。けれど念のためだ、ユーサからコールダーさんを放って接触させたという否定にはならない。僕はさらに追加で指示を出した。
《ビレッジコア総合医療センターとユーサの関係性を調べてくれる?ナディ・ウォーカーのカルテが偽装されていないかチェックしてほしい》
すぐに報告が上がってきた、ダンタリオンはびっくりするぐらい優秀である。
《いえ……あの、そのお言葉は大変恐縮なのですが、些か急ではありませんか?こちらにも心の準備というものが、》
《勝手に心を読むなっていつも言ってるだろ!報告!》
優秀と言われて照れ始めたダンタリオンが報告の続きを行なった。
《び、ビレッジコア総合医療センターの院長と国土交通省大臣政務官の会話記録が多数出てきました。再生しますか?》
国土交通省?──ああそうか、ユーサは確か、ロドリゲス大臣が所属している政党の支援母体だったな...ええ、そうくる?やっぱり白と断定出来ないのか。
《結構。ダンタリオンの方で精査して後で報告してくれる?》
《仰せのままに》
さあ〜て、どう切り込もうか...いいか、どうせ僕は警戒されているんだ、そこから話を進めよう。
「コールダーさん、ちょっといいかな?」
「──何でしょうか?」
グガランナ・ガイアさんとお喋りをしていたコールダーさんが会話を切り上げ、こちらに視線を寄越してきた。
「君も知っての通り、僕は今任務中でね、特個体から色々と情報収集しているんだ。何故だか分かるかい?」
「ガイアさんを護衛するためですよね?私が来院した事を疑っているんですか?」
「──────」
「本人の名誉のためにもはっきりと申し上げますが、ウォーカーさんは確かに体を崩し、昨日から今日にかけて入院していました」
「──ちょ、え?待ってくれない?」
何でこの子は僕の訊きたい事が分かったんだ?頭の中身を見透かされているようで大変気味が悪い、上手く言葉が出てこなかった。
「体の具合いまで調べる事が出来ないから、違いますか?大方、私がここに宿泊していたことも事前に知っていたのでしょう?」
何なんだこの子、どっからそんな覇気が──
「いや、そう、それはそうなんだけどね?君こそどうしてそんな事が分かるの?」
「ガイアさんと仲良くするのが好ましくないと私が理解した後に、直接そう質問されたからですよ。訊きたいことはウォーカーさんが本当に体調を崩していたのかという事だけですよね?さっきも言いましたけど情報収集だけではそこまで調べられませんから」
「ホシ。あなたの仕事に対する熱心さは大変良く理解しました、けれどさすがに水を差しすぎではありませんか?ライラが可哀想です」
僕の思考が全て筒抜けだ...この子、何者なんだ、ただのご令嬢ではないぞ...
(しまった〜……こんな事になるならそもそも接触自体すべきではなかった……)
というかだな、僕はあなたの身辺警護でやりたくもない探偵の真似事をやっているんだ!どうして僕が怒られないといけないんだ!とは言うまい、ここはぐっと堪えた。
「分かった、分かったよ、白状するよ、君の言う通りさ」
「…………」
「そうです、会話するなら心を開いた方がより有意義な語らいになるでしょう」
(何でそんなに偉そうなの?)
《──排除しますか?》
《黙ってて!》
警戒心たっぷりのコールダーさんの目をしっかりと見つめながら話を切り出した。
「確かに僕たち保証局の人間はこのホテルに誰が泊まっているのか全て把握している、とくにウイルスへ興味を持ちそうな人をピックアップしてね。君がこんな時間帯に現れたから疑って探りを入れたんだ、それは理解してくれる?」
それはさすがに自覚があったのか、コールダーさんが少しだけ目線を下げた。
「それはまあ、はい、分かりました」
「それと、ウォーカーさんの件についても君をここへ差し向けるきっかけ作りに利用したのではないかと疑ったんだ。たまたま昨日病院の付き添いをして、たまたま鍵を他人の家に置いてきて、たまたまこのホテルに泊まっていたなんて容易に信じられると思う?」
「偶然は二回まで、三回目は必然である、と言う格言があるぐらいですからね。私もホシがそこまで疑う理由については納得しました」
「あ、ありがとうございます……」
急な合いの手だな...いやこの人は何も考えていないのだ、きっと人と会話をするのが楽しくて仕方がないのだろう。
「そして最後に、君がコールダーの名を冠する人間だから、細かく調べさせてもらった」
「──差別ですか?」
一切の温かみを排除した視線を僕にぶつけてきた、けれど怯むつもりはなかった。彼女の為にもならない、言わなければならないことはきちんと言わないと。
「勿論だよ、コールダー家は数々の功績を上げてウルフラグ政府に長年貢献し続けてきた、その中でも群を抜いているのが軍需産業だね。カウネナナイと強い繋がりを持っているコールダー家があったればこそ、今日のウルフラグ国防軍はあると言ってもいい、コールダー家から提供された物がそのまま国民を護る武器に繋がっているんだ」
「母はその仕事が一番の失敗だったと言っていました」
また急な合いの手だな...どうしてその情報を僕に伝えたのか分からない、とり合わないことにした。
「そして、そのコールダー家の人間がウイルスに深く関わっているグループに在籍し、かつ中心人物に接触をしたとなれば、周りからどう見られると思うかな?」
眉根を寄せて思案している、これが分からなければ彼女をすぐに水産資源管理室に戻さなければならない。
「………待ってください、まさかカウネナナイの取引きに利用すると思っているのですか?それはいくらなんでも邪推に過ぎます!」
良かった、彼女はとても頭が良い。
「君たちコールダー家がどうあろうとも、周りの人間たちはそう解釈して手を進めてくる。だから、君がここに来た理由を探らなければならなかったんだよ、分かってくれた?」
「………ええ、分かりました、良く分かりました」
「不愉快な思いをさせてしまって悪かった。けれど、これからは自分の立場というものを良く考えてから行動してほしい、迷惑をかけるのはご両親だけではなく君の友人にも及んでしまうことだ」
「ご忠告ありがとうございます」
そう言う彼女の瞳にはもう、警戒心の色はなかった。
✳︎
「申し訳ございません、よろしいですか?」
呼んでもないのにウェイターが現れ、そっと私に声をかけてきた。
「……何でしょうか?」
口元をハンカチで拭ってからそう問い返す、言われた言葉を聞いて私は勢いよく席を立った。
「お連れの方がレストランの入り口にお見えになって──」
◇
「ごめん!ほんとーにごめん!ごめんね?待ってた?」
「……………」
ナディだ、レストランの入り口で腕を組み尊大に胸をのけぞらせて私を睨んでいる。小さな胸が持ち上がり、不愉快そうに寄せられた眉、怒った顔もなかなか魅力的だった。私はひたすら謝り倒した。
「ほんとごめんね?食事に夢中になっちゃってさ、あ!良かったら食べていく?ここは私が奢るからさ!ね?お願いだから機嫌直して〜〜〜」
ナディの細い肩に手を置いて懇願する、するとナディがぺいっ!と手を振り払って怒ってきた。
「そういうことじゃないよ!言っておくけどめちゃくちゃ受け付けの人に疑われたんだからね?!部屋にいないし確認取れないし!身分証まで見せろとか言われて!」
「ごめん!ごめん!」
「それでようやくレストランにいますのでって案内されたら全然来てくれないし!もう!」
「……それは私が悪いの?「ん゛?!」ご、ごめんなさい……」
怖い...けれどナディの怒った顔も可愛い。
「全くもう!はいこれ!ライラの家の鍵!」
ぺちん!と私の手にカードキーを叩きつけてきた。
「あ、ありがとう!」
ようやく溜飲を下げてくれたのか、魅力的な顔から普段通りに戻っていった。
「………ライラってさ、やっぱりお嬢様?こんな所で朝ご飯食べてたの?」
その言葉にぎくりと体が反応した、さっきのヒイラギさんの話がフラッシュバックしてきた。
「ち、違うよ、たまたま!そう、たまたまだから!普段はコンビニのお弁当で済ませてるよ」
「それにカードの鍵って、私初めて見た。もしかしてとんでもない豪邸だったりする?」
質問責めだ、私に興味を持ってくれている。
「う、う〜〜〜んどうかなぁ、そうでも、ない?かな」
「え〜〜〜本当にい?ライラの家に遊びに行ってもいい?確かめてみたい」
「!」
「駄目?いいよね、私の家も見たんだし」
ぐいぐいとくる、こうなったらナディは強い。
「え、ええ〜〜〜どうしようかなあ〜………おいおい?」
「駄目、遊びに行きたい」
「う、う〜〜〜ん……」
まあ、本当はめちゃくちゃ嬉しい。はぐらかしているのも、もっとナディに食い付いてほしいからだった。
「家ってどこにあるの?」
「え、それはプライバシーの侵害、」
「何をう!私の家知ってるでしょ?!ギブアンドテイク!いいでしょ〜?駄目?」
ナディに懇願されただけでグラグラした。
その後、家に招待する約束をしてからナディと別れ、夢見心地のまま食事を済ませた。ヒイラギさんにはおかしな目で見られていたけど知ったことではない、全く気にならなかった。
食事を済ませて部屋に帰ってくると、携帯にメッセージが入っていた。あ、そうだよ!と慌てて確認するとナディからこう返信があった。
ナディ:専門校の同期だよ、ライラが来る前に遠洋漁業で遠出しちゃったからそりゃ知らないよね
「何だもう〜〜〜それならそうと早く言ってよ〜〜〜」
良かったあ〜...ただの同期か〜...それにその言い方はそんなに仲良くないのかな、少なくとも深い間柄ではない、そんなに仲が良い相手を「同期」という言い方はしないはずだ。
心の重りも取れて、ナディを家に招待する約束もして、私は幸せに入り浸りながらナディとメッセージのやり取りを続けた。
けれど、それでも、ヒイラギさんに言われた言葉がずっと胸の奥に、銛で突かれたように抜けずに引っかかっていた。私が、コールダー家だからナディに迷惑をかけてしまう?それだけは嫌だ。けれどどうすればいいのか、まるで分からなかった。今の目の前にある幸福にしがみついて目を逸らすことでしか、この現実に抗う方法がなかった。
✳︎
やはり人と会話をするのはとても楽しい、有意義である。様々な事柄に触れて、理解して、知識を得て、そして獲得したその知識でまた人と会話を重ねていく。あのエリアでは到底味わえない深い感動と充実感があった。
「グガランナ・ガイアさん、先程も申し訳上げましたけど、これ以上不要な接触は控えてください」
「分かっています、私もはしゃぎすぎてしまいました。これからは自分のなすべき事に邁進するつもりです」
「そうならいいんですけどね……」
おや?ホシも包み隠さず言うようになりましたね、そんな風に溜息を吐くだなんて新鮮です。
ホテルを出た私たちはホシの運転で、ウイルスが保管されているユーサの港へと向かっていた。車内は空調が効いて心地良い、窓ガラスの向こうは照りつける太陽のせいで今日も街が熱せられているようだ。
高く聳える建築群を抜け、自然が残る道路をひた走る。この近くには「キラ」と呼ばれる山が存在し、その役目を一人でひっそりとこなしていた。
猛スピードで駆け抜ける車と共に走ること一時間近く、分岐された坂道を下って緩やかな道に入った。進路を古巣へと向けて少しばかり、お目当てのユーサに到着した。
車が整然と並ぶ場所では、ピメリアとあの愛らしい方が私たちのことを出迎えてくれた。
「ようこそ我がユーサへ、歓迎するよ」
「ありがとうございます」
「どうもっス〜!」
車から降り立ち早速挨拶をすることにした。
「ご機嫌よう、あなたのお名前を窺ってもよろしいですか?先日は訊きそびれてしまったのであなたのお名前が分からないのです」
「ああ!すんません!私はリッツ・アーチーと言いまス!ご丁寧にどうも」
「はい、リッツですね、今後ともよろしくお願いします」
リッツと名乗った女性がやたらとホシの様子を窺っていたので、はてと思い、ああ!すぐに思い至った。
「ホシ、あの後ちゃんとリッツと話し合いをしたのですか?」
びっくりしたことに二人揃って同じ言葉を放った。
「なん?!」
「なん?!」
「あっはっはっは!いいね〜グガランナ、お前さん凄く良いよ〜」
「?……良く分かりませんが、きちんと話し合っていないのなら早急に、リッツに失礼でしょう?」
「ちょちょちょ!何でそんなこと──というかですね、いやいや!」
酷い慌てようだ、ホシがあたふたとし始めた。
「いやいやグガランナさん!あれは私が勝手にやったことなのでヒイラギさんには、その、関係ないと言いまスか、そのっスね、」
「関係ないことはないでしょう?リッツもきちんと向き合うべきですよ、自分の気持ちというもに。ほら、ホシもちゃんと、」
逃げた、いつの間にかホシが建物の方へと歩き出しているではないか。
そうですかそうですか、ああいう事もする方なのですね、これは面白い、人というものは本当に分からない生き物です。
逃げ出したホシの後を追うようにして、私たちも建物へと向かった。
楽しみだ、これからの日々が、楽しみで仕方がない。ウイルスの精査よりもそちらが肝心である。
ここ数話、一気にライラがブラッシュアップされましたので補足させていただきたいと思います。
まず、本人も言う通りライラは元来人見知りであり、人と接する際は「この人本当に大丈夫なの?」という視点で相手の事を見ています。ここで言う「大丈夫」というのは「自身にとって害をなすかそうでないか」という意味であり、自身にとって不利益となる場合は即座に縁を切ります。怖いですね。
次に、作中にもありました通り、ライラは相手の仕草(コップに口を付けるタイミング、目を逸らすタイミングなど)や動作(話題を振るタイミング、会話を断ち切るタイミングなど)で心理、思考、所謂内面的な部分にまで考えを巡らせる考察力を持っています。ホシ・ヒイラギを一例とするならば、
・新しい人が席に着いても何ら関心を示さなかった(涼しい顔をしてグラスを傾けているだけ)→冷淡な人間
・病院に付き添ったと聞いても驚かなった(そういう事だったんだね、という一言のみ)→瞳が揺らがなかったので事前に知っていたと判断
次に、ホシ・ヒイラギの視点に移り会話をしていく中で二人がどんどん距離を縮めていきます。パブリックスペースに招待する流れになり、身辺警護を務めていたホシ・ヒイラギはそれを良しとしないため待ったをかけます。この時、ホシ・ヒイラギはなりふり構わず制止したため、ライラに不自然な動作として受け止められたと理解します。
・さすがにそれは控えてくれるかな?(一瞥をくれる)→グガランナ・ガイアをマークしている、だから私に探りを入れてきたんだ、ふん!
そして、ホシ・ヒイラギはダンタリオンから細かな報告を受けてた後ライラに直接問い質そうとします。視点の関係もあり二人の会話を描写することが出来なかったのですが、この時の二人の会話は主にライラの私生活が中心でした。
・コールダーさん、ちょっといいかな?(本人の名誉のためにも……)→マークをしている人の話題でもないのに割り込んできた、つまりそれだけ重要な事を訊くつもりでいる。
また、ライラはワイドショーなどで特個体が「アンノウンテクノロジー」と呼ばれていることを知っており、その性質についてもある程度の知識を持っています。ホシ・ヒイラギがグガランナ・ガイアをマークするにあたり、自身にまつわる情報を取得済みであると理解しています。
さらに、ホシ・ヒイラギが慌てて待ったをかけた後、スクランブルエッグを突くなどして不貞腐れている様子から「あ、この人、私に全部バレたと思っているな」と合点がいきます。
これらの事柄から、ライラはホシ・ヒイラギの割り込みを受けて「私の好きな人にまで疑いの目を向けるのか、この野郎!」と頭に来るわけです。そんな相手に一泡吹かせてやろう、あるいは釘をさしておくためにも先回りをしてナディ・ウォーカーの身の潔白を言い切り封じ込めたわけです。
長くなりましたがここからが本題です。
ライラという人物は、(とくに)初対面の人間と会話をする時はその相手の事しか考えていません。先述した通り、相手を見極めなければならないので自分の事はそっちのけです、隙を与えるわけにもいきませんのでなおのこと隠さなければなりません。
ですが、一目惚れをしたナディ・ウォーカーの前だけは違います。本人がナディ・ウォーカーの自宅で暴走モードへ突入したように、自分の気持ちをありのままに曝け出すことができます。普段は隠している分、その反動がナディ・ウォーカーの前で出てしまうのかもしれません。
好きになってほしい、両想いになりたい、もっと相手の事を知りたい、この純粋に相手を求める気持ちは隠してどうこう出来るものではないと思います、だからこそ、ライラはナディ・ウォーカーの前ではありのままに振る舞えるのでしょう。
以上になります。長ったらしくて申し訳ありません。この説明の中に心理学上矛盾している箇所があるかもしれませんが、この後書きで伝えたかったのはライラ・コールダーが持つ主人公への「好きだ!」という気持ちです。それを少しでもご理解いただけたら幸いに思います。
まあ、だからと言って好きな人の自宅で記憶を失くす程興奮して良い理由にはなりませんが。