第10話
.近すぎて見えない壁
「────相談?何でしょうか」
電話に出たアリーシュさんの声がとても冷たく感じられたので、思わず視線を向けた。隣に座っていたライラはまだお冠のようだけど、アリーシュさんの電話している相手の事が気になったようだ。私に顔を近付けて小声で訊ねてきた。
「…あの人も待ってたのよね?誰?」
「…さあ」
「………はい、私ですが………追加出来ないかって?今日のパーティーにユーサ側も参加したがっている?………はい………はい………」
アリーシュさんの視点は窓の向こうに固定されている、喋れば喋るほどその温度が下がっているように感じられた。というか酷くない?
「…え、何、電話の相手、待たせた相手に何喋ってんの?まずはごめんなさいじゃないの?」
「…いやでも、その相手と決まったわけじゃ……でもあんなに怒ってるからそうなのかな」
ライラもやはりそう思うらしい、厳しい視線をアリーシュさんの携帯に向けている。そしてアリーシュさんが電話を切って事情を訊き出そうとしたのも束の間、すぐさま別の所へ電話をかけていた。
「今日、予約をしたスミスです、人数の追加ってできますか?」
「ええっ!」
「ええっ?!」
最悪じゃん!飲み会の電話させてるよ?!まさかの展開にライラも遠慮なく声を上げていた。私たちの反応を見たアリーシュさんが、心なしかふっと表情が和らいだように見えた。
「はい……はい……え?貸し切りにできないか、ですか、いえそれはさすがに予算的なところで……はあ、いえ、そちらの言い分も分かりますが……」
何やらお店の人と揉めているらしい、そのアリーシュさんに向かってライラが携帯を突き出した。その画面を見たアリーシュさんがぱっと顔色を変えて貸し切りでも構わないと自信たっぷりに言い切っていた。何を見せたのか気になったのでライラの携帯を覗き込むと、「ユーサに折半させればいい!」と書かれていた。
「誰?相手は誰なの?最悪じゃない、待たせた挙句に店の予約を取り直させるだなんて聞いたことない!」
「そうだよ!そんな人の言うことなんて聞く必要ないですよ!」
電話を終えてほうと息を吐いたアリーシュさんに私とライラが揃って吠えたてた。温くなってしまったアイスコーヒーを飲んで喉を湿らせてからアリーシュさんが口を開く。
「いや、いいんだ、そもそも無理を言って約束したのは私の方だから...でもまさか、今日のパーティーの事を先に言われるだなんて夢にも思わなかったよ、さすがに我慢できなかった」
困ったように眉を下げ、照れ臭そうに頬をかいている。アリーシュさんは大人だ、もっと怒ってもいいはずなのに。ライラはこんな酷い事をした相手のことが気になるようでなおも食い下がった。
「相手は誰なんですか?」
「君、私に怒っていなかったか?」
「いやそれは………確かにそうですけどそんな事どうでもいいです、スミスさんに酷いことをした人間の方が許せないです」
アリーシュさんの切り返しにライラが鼻白む、けれどすぐに気を取り直して言い返していた。そんな様子のライラを見て、どうしてだかアリーシュさんがにんまりと、ちょっと嬉しそうに笑った。
「いいよ、もう、本人にだって悪気がないことぐらい分かるし。それに君たち二人が私の代わりに怒ってくれたからすぐに溜飲も下がったよ」
「大人ですね〜〜〜私だったら絶対そんな事言えない」
「私も。すぐに連絡先消しますね、ごめんなさいも言えない人と付き合いたくありませんから」
じ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとライラの目を見つめる。
「…………………何」
ぽっと頬が赤くなったライラが小声で訊ねてきた、それでも何も言わず再びじ〜〜〜〜〜〜〜っと見つめる、私の意図を汲んでくれたライラがアリーシュさんに「八つ当たりしてました」と消え入りそうな声で頭を下げた。
「君は本当にナディのことが好きなんだな」
「まあ……いや、普通です普通、待ち合わせしていた相手が他の人と楽しく過ごしていたら腹が立ちません?それですよそれ」
「ごめんねライラ、私だけ先に楽しんじゃってさ」
「……うん、まあ、いいよ」
ちぐはぐに答えるライラの頬はまだ赤い、そんなライラの手を取って自分の頭に持ってきて撫でさせようとした。勿論ライラははてな顔である、私が何をしたいのか分からないらしい。
「………?ん?何やってんの?」
「私は自分から謝ったから大人、頭撫でて褒めてくれる?」
ライラが「それ自分で言ったらダメなやつじゃん!」と大笑い、釣られてアリーシュさんも笑い声を上げていた。
テーブルの上には食べかけの料理と温くなった飲み物が並び、弱まった日差しのお陰で少しだけ涼しくなった店内で私たち三人お喋りの花へ、暫く水やりを続けた。
◇
「君たちも来るといい、私が招待しよう」
「いいんですか?」
「ああ、お店の場所はまた後で送っておくから、今は買い物を楽しんできてくれ」
すっかり仲良くなったアリーシュさんが別れ際に私の頭を撫でてきた。その手を払ったのが、これまた随分と仲良くなったライラだった。
「そういう子供扱いは気に入りません」
「はいはい、君も子供だろうに」
私の頭に乗せていた手を、今度はライラの頭へ──ぺい!とライラが振り払った。さっきと同じように頬が赤くなっていた。照れているらしい。
「ふふふ、それじゃあ、買い物を楽しんできてくれ。夜にまた会おう」
態度が悪くても気にならないのか、アリーシュさんは眩しそうに目を細めて笑い、手を振りながら去って行った。
✳︎
本当に可愛そうなスミスさんの背中を見送る、少しだけ弱まった日差しの下を一人だけで歩いていた。絶対にああはなりたくないなと自戒し、隣にいるナディへ視線を向けた。
ようやくだ、ようやくナディと二人っきりになれた。今日のナディは私服だ、いつもは横に流している前髪は真ん中できっちりと分けて、薄く化粧もしている、してくれている、今日が特別な日だと...思ってくれているのかな?すっぴんじゃないだけ十分マシである。
トップスはプルトップパーカーにブラウス、所々に花の刺繍が施されている...ああ、言っちゃ悪いが少しだけ子供っぽい物だ。けれどグレーのパーカーを羽織って隠しているあたり、ナディも自覚があるのだろう。良い心がけである。
ボトムスは膝上丈の茶色のフレアスカート、それは良いんだけど何故この季節にブーツを履くの?暑くないのかな、けど全体的にまとまっているのでそこまで悪くはない。ショルダーバックにどうしても目がいってしまうがそれでも及第点だった。
ナディと肩を並べて暫く街を散策する。ブティックの通りに差しかかり、私は注意深くナディのことを観察した。どういったお店に興味を持つのか調べたかったからだ。
「ここに来るのは初めてだよね、何か良いお店とかあった?」
「──え!ああ、うん、凄い所だよね……」
「…そ、そう?私は良くここに来るけど……あ!勿論ママたちと一緒にね!」
「そうなんだね……」
(えー何この温度差!さっきと全然違うんですけど!)
ナディはしきりに視線を彷徨わせてばかりいる、どちらかと言えば上の空だ。それに心なしか距離を感じる、さっきは遠慮なくスキンシップを取ってきたくせに、どうしてだろう?
(実はまだ怒ってるとか?ううーん……そんな感じでもないし……何かよそよそしいというか……スミスさんも一緒だったから?何それ、二人っきりがしんどいってこと?)
途端に喋らなくなってしまったナディと通りを歩く、道行く人は皆んな仲良さそうにお喋りをしながら、あるいは日陰に入って飲み物を片手に、もしくは肩を寄せ合って一つの携帯を見ていた。環境が変われば人も変わる、その事を良く理解していた私はどこか焦る気持ちを抱えながらとにかく話を振り続けた。好みの物や色、それから休日はどう過ごしているのか、これじゃ会話じゃなくてリサーチじゃない!と腹も立った、だってナディが答えてばかりで話を広げてくれないからだ。
ブティックが集中している区画を一通り回り、結局どのお店にもナディは入ろうとしなかった。半ばヤケになって、元々行く予定をしていたお店へと引っ張って行った。
(最悪!)
掴んだのナディの手は、全く知らない他人のように感じられた。
✳︎
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「………あ、そうだ、買い物に行こうと思っていたんだ、お前も来るか?」
「────言うに事欠いてそれっスか!他に言うことがあるだろ!」
面倒臭い女だ...
「仕方がないだろ、先約があったんだから」
「どうしてそれを先に言わなかったんスか!こんなおめかしまでしてヒイラギさんに迷惑かけちゃったじゃないっスか!」
「この世の春だな……あいつは……お、レア箱出た、何が出るかな、何が出る──いたたたっ?!怪我してるんだぞ腕を掴むな!」
私とリッツは未だ執務室で涼んでいた。休出申請を出していない部屋のエアコンを点けると、経理から親のような小言を受けてしまうが今はいいだろう。見事に撃沈したリッツが机に突っ伏しまるで動こうとしないのだ。一応、責任を感じていた私は携帯ゲームをしながらリッツの回復を待っていた、そして逆ギレされてしまった。
「もう!何なんスか!どうしてそう平然としていられるんですか!こっちは恥ずかしくて恥ずかしくて──」
「他人事だから」
「──もういいっス、会社辞めます、ありがとうございました」
「まあたそういう事言う、それ何度目だよ、ドッキリ卒業式はもう見飽きたぞ」
「ああ〜……何でこう……上手くいかないんだろ……気合いを入れた時に限ってこんな事ばっかり……変なピメリアさんに目を付けられて秘書官やらされるしカズさんには嫌われるし……」
「変なピメリアって誰のことだ、私か?」
「…………」
文句を言うだけ言ってまーた机に突っ伏しやがった。
「いいか、私だって無策じゃない、ちゃーんとパーティーにもユーサを食い込ませただろうが」
「それ私関係ない」
「────言われてみればそうだ、確かにお前はセントエルモのメンバーじゃない」
「気付いてなかったのかよ!ふざけんな!もうほんとふざけんな!!」
猫パンチの嵐が襲ってきた、肩やら顔やら滅多打ちだ、こちらと病人だっつってんのに遠慮がない。
「痛いって!お前もいい加減猫被ってないでそういう一面も見せたらどうなんだ!」
「こういう一面を見せる機会がたった今日失われました!」
「一回ぐらいで諦めんなや!そんなんだから恋人いない歴イコール年齢になるんだろ!」
「独身が偉そうなこと言うな!」
不機嫌な猫そのものだ、何を言っても噛み付いてくる。いつかあいつもこんな風に──目の前の荒ぶる猫も忘れて束の間頭の中が飛んでしまった。
(連絡の一つぐらい………いや、私からすべきなのか)
「────ピメリアさん?どうかしたんスか?」
暴れ回った弾みでキャップが脱げている、撥ねた髪の下から心配そうにこちらを見つめている目と合った。
「いや、何でもない、どうやったらお前たちがもっと面白くなるのかって考えていたんだ」
「──ほんと最悪ですね、失礼します」
ヤバいヤバい、今のトーンはマジっぽい、さすがにふざけすぎたようだ。リッツの腕を掴んでもう一度座らせた。
「何スか、やるんスか?お?」
「落ち着けって。とにかく今日のパーティーにお前も来ればいい、どうせただの飲み会なんだから」
「だから私は関係ないって──」
「関係あるだろ、ホシのことが気になってんだろ?正直に言え、自分の気持ちに嘘吐いてたら何にも出来なくなるぞ」
「……………」
「それにだ、今日会ってもう一度誘えって言ってんじゃない。ホシが何を食べるのかリサーチに行けばいい、何が好きで何が嫌いかが分かれば食べに行く時も誘いやすくなるだろ?」
「……まあ、確かに」
「で、行くのか?」
「………ピメリアさんが調べてきてくれるっていうのはダメっスか」
変なところで弱気になるなこいつ。
「自分で調べて血肉に代えろ、それが生きるということだ」
「その例え怖いっス………でもまあ、はい、分かりました、でもそこにスミスさんも来るんスよね?」
「当たり前だろうが」
当たり前だろうが、何言ってんだこいつ。しかし、若者故の理由があったようだ。
「いやあ……もし、もしっもスよ?スミスさんもヒイラギさんに好意があって誘ってるんなら、何か邪魔してるようで気が引けまスね……」
(ああそういう……)
包帯を巻いている腕を庇いながら姿勢を変えて、伏し目がちになっているリッツへゆっくりと言い聞かせるように語った。
「いいか、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んでしまえという言葉がある「初めて聞きましたよ」にせよ、お前は邪魔をしているわけではない、遠慮なく奪いに行っていいんだよ」
「いやだから、それが気が引けると──」
「恋も人生も戦いだ、自分の欲しい物があるんなら周りのことなんか気にせず手を伸ばせ、いいな?」
「まあ……はい、良く分からないっスけど、分かりました」
まだ納得していないようではある、だがパーティーに行く決意はできたようなのでこれでよし。間違いなく面白いものが見られるぞ。
◇
「暑いっスねー!かんかん照りじゃないでスか!」
ユーサの港から首都方面ではなく、アリーシュが勤務している海軍基地方面へ車を走らせること一時間ちょい、私がいつもお世話になっている市場に来ていた。海沿いの敷地に作られたこの市場にはありとあらゆる物が売られており、この暑い日差しの中でも大勢の客で賑わっていた。そこへリッツも連れ出し、予定していた買い物をしている最中だった。
それにしても本当に暑い、屋台が整然と並ぶその角では、木陰の下でぐったりしている子供もいる程だ。走り回って疲れてしまったのだろう、母親が甲斐甲斐しく世話をしていた。
(あいつもあんな風になっていなければいいんだがな……)
つい考えてしまう。また頭の中が飛びそうになった時、でかすぎる子供が私の手を引いて先を促した。
「私ちょっと欲しい物があったんスよ!行きましょう行きましょう!」
「はいはい、走り回って転ぶなよ」
「は?」
不機嫌そうに眉を顰められてしまった。
この市場は国内、それからカウネナナイの一部の品も売られており当然と言うべきか、そのカウネナナイの人間も商いに精を出していた。そのため、この市場には警察官、それから陸軍も駐留しており睨みを利かせている。私たちの前を歩く一団の中にも軍帽を被った兵士が見回りをしていた。その兵士を見かけたリッツが、どこか不安そうに訊ねてきた。
「兵士の人がいますけど、何かあったんスかね」
「あれはただの見回りだよ、気にする必要はない」
「でもここって、カウネナナイの人も働いているんスよね」
そこでふと、あのブライの事が頭をよぎった。どこでジュヴキャッチと接点を持ったのか不思議に思っていたが、案外こういう日常の中にあるものかもしれない。
三連休の食材と、それから諸々の日用品を買い付けて屋内へと避難した。大規模な市場の近くにはフードコートやら子供の遊び場を提供している建物があり、その中にあるカフェテラスでリッツと涼んでいた。私の前には無限の輝きを放つウルフラグの海があり、沿岸には他所の港から出航したらしい漁船が一隻浮かんでいた。建物のすぐ前には子供向けに開放された遊具広場がある、さすがにこの暑さの中で遊び回れる子供はいないらしい、閑散として寂しい広場になっていた。
私の隣では咥えストローをしながらリッツが携帯を弄っている、涼しいカフェテラスの中を遊び場にしている小さな子供が元気に走り回っていた。
「──うおぅっ?!」
両手を駆使してメッセージを打っていたリッツが変な声を出す、どうやら走り回っていた子供がリッツの背中に当たったらしい。その子供はきょとんとした──あの時のナディのようにリッツではなく私を見上げていた。
「ちゃんと周りは見るんだぞ、転んだら危ないだろ?」
「……ごめんなさい」
素直だ、ナディのように素直に頭を下げた。そんな折、カフェテラスの入り口がにわかに騒がしくなった。
「──ん?わ、兵士の人が……」
リッツの言う通り、入り口から大股で歩く一団がいた。軽装姿ではあるが武装もしている陸軍の兵士だ、その視線はテラスの奥にあるテーブルへ固定されている。まだ私たちの元にいた子供も異様な空気を察知して怯えているようだった。
「ほら、大丈夫だから、お母さんの所へ行きなさい」
何も言わずにたたたと駆け出した、その向かった先と言うのが──
(何で兵士の方へ?──まさか、)
そのテーブルだった、子供は兵士と同じテーブルへ向かって行ったのだ。
「あの子……」
「…………」
「え、ちょ、ピメリアさん?」
声をかけられた時はもう席を立っていた、驚くリッツを一人にして私は兵士たちが囲っているテーブルへと向かう。そのテーブルでは若い夫婦が二人、怯えた様子で兵士たちを見上げていた。
「すまないが同行願いたい、何故だか分かっているな」
先頭に立っている指揮官らしき人物がそう声をかけている、言われた夫婦は目を点にして驚いているだけだ。何やら様子がおかしい、側から見ても一方的な連行にしか見えなかった。そんな折、あの子供が夫婦の元に辿り着いた。ひしと母親に抱きつき、その母親も我が子を守るように庇っていた。
「あまり時間を取らせないでくれたまえ──ん?」
その指揮官が私に気付いた、そりゃ気付くか、陸軍の登場によってひっそりと静まり返ったテラスの中を堂々と歩いているんだから。
「あなたは?」
「すまんが他所でやってくれないか、皆んなが怯えている」
「それは失礼、すぐに終わらせますので」
指揮官は女だ、軍帽の中に髪を押し込んでいる。少しだけ見えている髪の色は黒、ほうれい線が目立っているが整った顔立ちをしている。そして何より目を引いたのがその瞳の色だ。
(──白い?白いってことがあるのか)
虹彩と呼ばれる瞳の色が白いのだ、初めて見た。私の視線の意味に気付いた指揮官がとくに気にした風でもなく、けれどはっきりとした敵意を持ってこう言った。
「私の瞳は見せ物ではない。それとここから離れるように、それとも何か?あなたもこの夫婦の関係者なのか?」
ついと視線を向ける、幸運なことにユーサのロゴが入ったパスケースをテーブルの上に置かれているのを見つけた。
「私はユーサの連合長を務めている、どうやらあなたたちはユーサで働く社員のようだが間違いはないか?」
前半は指揮官へ、後半は夫婦に向けて言った。
「そ、そうです……でも、私たちは何も!」
突然の事らしい、子供を庇っていた母親がようやくそう発言した。
「あなたの名前は?」
銛のように鋭く、白い目に睨まれた。
「ピメリア・レイブンクロー、第一港の所属だ、彼女たちの話なら私が代わりに聞いてやろう」
「────いいでしょう、どのみち責任者へ通達しなければなりませんし、ご同行願います」
遠くの席にいるリッツは不安そうにこちらを見ている。安心させるように手を上げるが、撃たれてしまった傷が障って中途半端な高さになってしまった。
✳︎
(そもそもナディが財布を欲しいって言ったんじゃない!)
ナディと一緒にやって来たお店はセレクトショップだ、数々のブランド品が並ぶショーケースの前を行ったり来たりしているだけで手に取ろうともしない、それにここは三店舗目、何がやりたいのかちっとも分からない。最初に入ったお店はさすがに高すぎたのか、おっかなびっくりとしていたのでお店を変えて、それでも同じだったからまたお店を変えて──いい加減うんざりしてきた。
全然楽しくない、思っていたデートではない、それにナディも受け身で何をしたいのか分からない、そこが一番腹が立った。どうして私ばっかり気を遣わないといけないのか、少しぐらい優しくしてくれても──
「あ、いえ、その…」
ショップの店員に声をかけられてしどろもどろになっていたナディが私に視線を寄越してきた。その顔を見てようやく────ナディがよそよそしかった理由が分かった、ような気がした。とても、泣きそうな顔になっていたからだ。
◇
「………」
「………」
楽しくない時間でもあっという間に過ぎるものらしく、ナディが待ち合わせに指定した公園にやって来た時にはもう陽も傾き始めていた。太陽の光りを受けた木々が長く影を伸ばしている、川べりに置かれたベンチもその木陰に隠れていくらか涼しそうだ。そこへナディが何も言わずに腰を下ろし、少しだけ逡巡してから私も隣に腰を下ろした。
お互い無言で過ごす、私も喋りっぱなしだったので疲れていた。あの喫茶店の会話が嘘のように、二人の間には隔たりという川が流れていた。
きっと、自分も悪かったんだと思う。ナディの事を考えず、自分が行きたいお店だけを選んで薦めて、そこに喜んでくれなかった相手に腹も立てていた、けれど──
また、一人で悶々とし始めた時にナディがぽつりとこう言った。
「恥ずかしかった?」
「────え、何が?」
恥ずかしい?そんな言葉が出てくるとは思わなかった。
「だって、私とライラの服装釣り合ってないよね?頑張ってお洒落したんだけど、これじゃどう見てもお上りさんにしか見えないなって思ってさ」
「…………………」
「ごめんね、話しかけたらライラが恥ずかしい思いをしないかなってずっと気になってたから、黙ってばっかりで」
「…………………」
木陰の下にいても、どれだけ私が澱んでいても、ナディの澄んだ瞳が翳ることはなかった。真っ直ぐに私を捉えている、自分の事しか頭に無かったこの私を、ナディが代わりに捉えてくれていた。
絶句するとは良く言うけれど、この時ばかりは何も言葉が出てこなかった。代わりに手が伸びてナディの手の上に重ねた。ナディは何も言わず、手のひらを向けて握り返してくれた。それだけで十分だった。
「あのねライラ、いい?」
「──うん、いいよ、何でも言って」
出てこないと思っていた言葉がすんなり出てきた。何を言われるか分かっている。
「高すぎだよ!あんなの買えないよ〜!」
「ナディが連れて行ってほしいって言ったんじゃない!」
「そうだけどさ!ほら!私の服装見たらだいたい分かるでしょ?!」
「言ってくれなくちゃ分かんない」
「分かってよ〜!お店に入るときほんと焦ってたんだからね!もう〜生きた心地がしなかったよ……」
「まあ、そういう楽しみ方もアリ?みたいな」
「自分で言ったらダメでしょそれ!違うお店も選んでくれてたけどさ〜、どうしてあんなに高いの?」
「言っておくけど最後のお店は学生向けのところだからね?あれでもかなり安いほうだよ」
「うっそだあ、都会の学生はあんなに高い物使ってるの?」
「そもそも物価が違うから」
「なんだとう!ラウェ島を馬鹿にするな!」
「馬鹿にしてないよ〜!何言ってんのさ」
隔てた川を繋ぐように手を握りながら、まるで時間を取り戻すようにお喋りを続けた。木陰の下にいても蒸し暑い、その暑さも気にならないぐらい楽しい時間を過ごした。
◇
「わ、もうこんな時間」
「お店の場所ってどこだっけ、スミスさんから連絡来た?」
「ちょっと待ってね〜……どこだここ、ここ分かる?」
ナディが体を寄せて私に携帯の画面を見せてきた、とんと当たったナディの感触に気を取られながらもドロップピンが刺さったマップを見やる。
「ああ、ここ。ここなら分かるよ」
やっぱアッツいわ!とナディが叫び出し、公園から移動して涼めるお店を探していたのだが、ついお喋りに夢中になってしまい結局ぐるぐると歩き回っていただけだった。そんなこんなで空は夕暮れ時をむかえて約束の時間になりつつあった。向かうお店は幹線道路を挟んだ向かいの区画だ、あそこは飲食店がしのぎを削っている激戦区でもあった。
ブティックの通りを抜けて人混みに紛れながら交差点で信号待ちをしている、その人混みの中には手は繋いでいるものの全く会話をしていない二人組みの姿もあった。
(良く分かるわ〜その空気、私もそんなんだったから)
我ながら自分の狭量さに眩暈がしてしまう、けれどやっぱりナディと仲良くしていることが嬉しいのだ。誰かに自慢したいぐらい。手汗が出るからと、ナディは私の腕に手を回している、これがまた堪らない優越感を与えてくれていた。誰かに自慢したいぐらいだ(二回目)。
ナディはスミスさんから送られてきたメッセージを読んでいる、それに少しだけムカついているとナディが画面を見せてきた。
「大盛り専門店なんだって、お腹を空かせておけって今さら言ってるよ!もう遅いよ!」
ころころと笑うナディ、その笑った理由が私ではないことにまた腹が立ってきた。
(私ってこんなに嫉妬深いんだな……気を付けよう、何に気を付けたらいいのか分かんないけど)
信号が変わり横断歩道を渡る。喧騒に満ち満ちた中でも、空から降ってきたつんざくような音が耳に障った。
「え、何?戦闘機?」
「あれは──特個体?かな」
「とっこたい……?何それ」
「え、知らないの?そんなことないでしょ」
「また田舎者を馬鹿にして!知らなくて悪かったよ!」
(んんん?そんなはずは……あれを知らない人がいるの?)
見上げた夕暮れの空には赤と緑の誘導灯?だっけ、二つの小さなランプが街を横切っているところだった。それに高度が低いのか、薄らと人の形に見えていた。特個体、軍が所有する兵器の中で「アンノウンテクノロジー」と呼ばれている曰く付きの代物だ、何度かワイドショーで取り上げられているのを見たことがあった。
横断歩道を渡り切った辺りで唐突にナディが歩みを止めてしまったので何人かがぶつかり、迷惑そうにこちらを見ながら去って行く。慌てた私はナディを見やる、視線は宙に固定されたまま、まるで魂が抜けたように呆けていたので大いに焦った。
「ナディ、ナディ!大丈夫?どうかしたの?」
「────あ、いや、ううん、何でもない、何でもないよ」
「疲れた?お店に行く前に何処かで休憩する?」
「ううん、大丈夫だから、この間こと思い出していただけだから」
この間のこと。テロリストに襲われた時の事だ。ナディが指示に従い危険な目に遭わされたという話は聞いていた、私たちといる間は平気そうだったからあまり心配はしていなかったけど、考えが変わった、まだまだ私は甘いようだった。
(しっかりしよう、近くにいるって決めたんだから)
この手を離したくない、離されたくない、その一心で私はナディを護ろうと誓った。
◇
「おーおー!仲良さそうで何より〜!」
(げっ!あんたも参加するのかよ)
大盛り専門店、と言う割には洗練された建物だった。道路に面した壁は一面ガラス張り、外からでもフィーリングライトに照らされた店内が見えていた。その入り口には事もあろうにリッツ・アーチーが立っており、呑気に手を振って声をかけてきた。調子を取り戻したナディがその手に応えている。
「アーチーさんも来てたんですね、お久しぶりっす」
「その節はどうも〜!大変だったって聞いたよ?大丈夫なの?」
「はい、何とか大丈夫っす」
(その喋り方ムカつく!後で説教して止めさせないと)
後輩口調であるリッツ・アーチーもナディが真似ていることに気付いた。馴れ馴れしくナディの頬を突いていやがる。
「なーにー、それ私の真似?可愛いことするねー」
「や、その、この喋り方凄く楽なんですよね」
「でしょ?楽だけどちゃんと敬ってます感が出ていいんだよ〜」
「なるほど、ちゃんと考えてあるんすね」
「そんな馬鹿っぽい喋り方、私は嫌いですけどね」
「もうライラ、めっ!何でライラってそんなに歳上の人に喧嘩売るの?」
そのめっ!は凄く良いけど今は良くない。それに歳上じゃなくて馴れ馴れしいから怒っているの!
などとやり取りをしている間に陸続とメンバーが現れた、その殆どが男性であり皆んなガタイが良い、陽に焼けた海軍兵士がお店の前に集まった。その後方には幹事役であるスミスさんと知らない男性が肩を並べて歩いていた。
こうして、セントエルモの打ち上げパーティーが始められた。私はナディと離れないよう臨戦態勢を取るがあっさりと切り崩されてしまうのであった。