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ラッキーセブン・セントエルモ・後編

前回までのあらすじ


 海で起こった異変を調べるために出航した臨時調査チーム「セントエルモ」。初日から雲行きが怪しくなるなか、調査船の護衛として着任していたスミス大尉が海底で異常を発見した。それは動き回る機雷、その正体は未知のウイルスに関連すると思われる未確認生物「ノヴァグ」であった。特個体のパイロットであるホシが確認に向かうが、その好戦的な生物により無人探査機が大破してしまう。これは不味いぞと連合長、艦長、マキナであるグガランナ・ガイアが協議し、掃海隊群に処理してもらう事になったのだが──。


 大会議室、昨日概要説明がなされた同じ部屋の前でゴーダは連合長の到着を待っていた、それと監視もかねて。大会議室に集まってくる乗組員の中に不審な人物がいないかチェックするためだ。大会議室に入る乗組員の皆がゴーダの視線に怯えている、他にもし内通者がいればゴーダの行動は牽制に繋がると踏んでのことだが、そんな強面のゴーダに声をかける者がいた。


「何やってるんですかこんな所で、中に入らないんですか?」


 ナディだ、手際と要領が良い新入社員、一仕事終えたあとなのか薄らと汗をかいていた。


「さっさと中に入れ!邪魔だ馬鹿者!」


「ええ〜……」


 首を傾げながら中に入っていくナディの背中を見送り、再びゴーダは監視のために目を見張らせた。

 彼がここまでするには理由があった。五年前の停戦協定が結ばれるまで、幾度となくカウネナナイの攻撃に身を晒された事があったのだ。その当時、国内の船の殆どを預かる「ウッズホール」の港もカウネナナイの攻撃対象として何度も侵攻を受けていた。そして決まってその時は内通者の手引きがあり、さらにカウネナナイの血を引く人間たちが国内に紛れ込み暗躍していた。ブライ・クリントンとナディ・ウォーカー、おそらくこの二人はカウネナナイの血を受け継いだ子孫である、だからこそ髪と肌が黒い。二人の経歴を調べてみればどちらもセレン、それからラウェ島の出身者であった。今となっては離島暮らしの人間を差別することはなくなってきたが、昔は酷いものであった。ただ離島に住んでいるからといって、カウネナナイに通じている「ハンパ者」として扱われていたのだった。

 大会議室に入ってくる人影も少なくなり、ようやく連合長が姿を見せた。


「連合長よ、ちと話がある」


「今からか?」


「今だから言う」


 ゴーダの誘いに眉を寄せながらも、他の課長へ中に入っておくように指示を出した。大会議室前の廊下にはゴーダと連合長の二人きりだ。


「何だ」


「この船に内通者がおる、おそらく一人は機関士のブライ・クリントンだ。昨日、二回程不審な電話を外へかけておった」


「…………」


 さらに眉を寄せて思案げになった連合長、腕を組んでゴーダの言葉を待っている。


「目的は分からんが、まず間違いなくわしらの船と軍艦を標的にしておるだろう」


「──そうか、ゴーダがそう言うのだから間違いはないのだろうな。一つ聞くが、」


「何だ?」


 そこでぐぐいと連合長が顔を近づけ、声を落としてこう言った。


「どうして今頃そんな大事な話をしたんだ?ん?もっと言うべきタイミングがあっただろうが」


 最年長のゴーダを相手にしてもこの態度、だからこそゴーダも連合長として信を置いていた。


「きちんと調べるまでは言えなんだ、それだけだ」


「──まあいい。この話を知っているのは?」


「わしとお前さん、それから機関室で働く者だけだ」


「分かった、この件は他言無用だ。それとお前はこれ以上関わるな」


 その言葉、気遣いというべきか、さすがにゴーダは笑ってしまった。


「馬鹿を言え、わしを誰だと思っている?ユーサの中でも戦争を経験したことがあるのだぞ?それとも何か、お前さんのようなひよっ子が守ってくれるというのか?」


「当たり前だ、お前の方こそ自分の歳を考えろ、人材育成に心血を注げと言っただろう」


「…………」


 ゴーダの言葉を待たずに連合長が中へと入っていった。

 最年長だろうが部下である以上は守る、そう宣言した歳下の女上司に何も言い返せなかった、それにあの迫力。クヴァイ譲りのドスの効いた声はさすがに老骨に響いてしまった。


 大会議室では連合長が入室してきたことにより、騒がしかった空気がいっぺんに静かになった。


(このままお昼?ラッキー)


 空いていた席が前方にしかなかったため、入り口近くに座っていたナディ、内心うきうきだった。それにここは涼しい、昼からまた甲板で仕事をさせられるのだから今のうちに涼んでおこうと思っていた。

 壇上に立った連合長が、前口上もなしに本題を切り出した。


「調査の途中に不発弾を見つけた、報告は昨日の夕方頃、今こっちに不発弾を処理するため軍艦が向かっている、それまで調査の一切を中止する」


 静かになっていた室内が再び喧騒に包まれた、あちこちで手を挙げる者がいた。ナディはもっと手を挙げて会議を延ばせ!と心の中で念じていた。


「昨日、護衛艦が探査機を投入したみたいですが不発弾に巻き込まれたんですか?まだ引き上げていませんよね?」


 ナディはまだ話したことはないが、質問している人も甲板部員であった。昨日、護衛艦で行われていた作業を甲板から見ていたのだろう。

 ややあってから連合長が答えた。


「…………そうだ」


 さらに騒つく室内、その間が何よりの答えであった。探査機は不発弾に巻き込まれたわけではないと誰もが話し合っていた。さらに調査員から質問があった。


「本当に不発弾のせいなのですか?未知のウイルスとやらが何か悪さしたのではないですか?」


「悪さとは?ウイルスがどうやって探査機を破壊したと言うんだ」


「それは────破壊?探査機は爆発ではなく破壊されてしまったんですか?」


 さらにさらに騒つく、どうやら連合長は嘘を吐くのが下手のようだ。隣にいる課長陣が被りを振っている。


(ウイルスってそんなに大きいの?探査機って結構大きかったよね……)


 連合長や課長陣が場を宥めにかかっているが誰も従わない、無人探査機を破壊する程のウイルスという話があっという間に広がり、皆んなが口々に自分の憶測を述べていた。ここで雷が一つ。


「静かにせんかああああっ!!!!!」


 ゴーダの雷によりようやく静かになった、怒られたわけでもないのにナディは肩身が狭い思いをしてしまった。そこへ畳みかけるようにそのゴーダから皆に質問がなされた。


「昨日から今日にかけて何か異変を感じた者はおるか!海でも船でも!お前さんらが思っておる通り探査機はウイルスの仕業だ!次はこの船かもしれんのだぞ!」


 その一言を受けてナディははっと思い出した、昨日、ジュディスに驚かされる前に見たあの船の事だ。


(いやでも、あれは船だし……ウイルスとは関係ないし……)


 それにこの空気だ、ゴーダがぴりぴりしているし室内もぴりぴりし始めてきた。そんな中で挙手できるはずもなく、結局ナディは何も言わずに口を閉じてしまった。


 そのナディの背中を見つめる視線、それは一つの席を挟んだ所に座っていたジュディスのものだ。ジュディスの隣は空席だ、後から入ってくるだろうと思っていた可愛い後輩のために確保していたのだが声をかけられなかった。


(情けない……)


 昨日のあの拒絶がまだ尾を引いていた、もし嫌がられたらどうしようとビビってしまい可愛い後輩を見て見ぬふりをしたのだ。


(びっくりさせてやろうと思っただけなのに……)


 ジュディスはワッチのせいでナディと言葉を交わすタイミングを逃していた、その短くはない時間の中で考えを拗らせてしまい、ちょっとしたスキンシップを悪く受け取った相手が悪いとドツボにハマっていたのだ。


(それに……さっきの話はウイルスじゃなくてクリントンさんの事よね……)


 探査機が破壊された件に覆い被さるようにして不審な動きがないか洗い出しにかかったのだ、その事を理解していたジュディスはさらに暗い気持ちになってしまった。


(あのプレゼント……貰っておけば良かったかな……)


 ブライはこの場にいない、今は休みに入っているのでこの後部屋まで行って引き継ぎをしなければならない。どんな顔をして会えば良いのか、そもそも自分が行くべきなのか、教科書に載っていない問題に直面したジュディスは頭を抱えるばかりだった。どうしてブライはプレゼントしようと思ったのか、そこも分からないが相手の好意を無下にしてしまった事にジュディスは引け目も感じていた。

 連合長から決して騒がないよう、仕事でミスをしないよう慎重な行動を心がけるようにと注意があり会議が終わった。それぞれが席を立って出て行く最中、可愛い後輩が辺りに視線を向けている。ジュディスは思わず前の人の背中に隠れてしまった。


(何で私がーーー!)


 一度逃げてしまえば後はずるずる、些細な事が大きく膨らみジュディスは初めて人に怯えてしまった。


 そのナディといえば、人生最大の局面に頭を抱えている先輩には気付かず、ちょうど会議室から出ようとしていた二人、ライラとクランを見つけて駆け寄った。


「今からご飯?」


「うん、ナディも一緒に行こっか」


 ナディに気付いたライラがそう声をかけ、大きい後輩に隣を取られないようがっちりと間に入った。


「クランちゃんはどう?仕事の方は」


「覚えるのが大変です……配膳するテーブルを何度か間違えてしまいました……」


 そこでおやと、ナディは思った。


「知らない人と話をしても平気なの?」


「決まったやり取りだけなので平気です、あれが会話だと思っていません」

 

「そ、そうなんだ……」


「何を話せば良いのか分からなくなるのが苦手ってこと?」


 ライラからの質問は一拍置いてから返事があった。


「話しかけても良いのかなっていつも考えてしまいます」


「分かる」


(分かるんだ)


 ライラとも仲が良くなっていたクラン、食堂に入るなり先輩の司厨員に呼び止められ、今すぐ仕事に入れと指示を出されてしまった。食堂内はナディたちと同じ考えをした人たちであふれ返っており、早めの昼食を取るようであった。申し訳なさそうにクランが「無念」と言いながら厨房の奥へと引っ込んでいった。


「クランちゃんって絶対人見知りじゃないよね」


「私もそう思う、あんな面白い冗談言わないよ」


 クランの背中を見送ってクスクスと笑い合う二人、一番奥のテーブルが空いていたのでそこに腰を下ろすことにした。

 食堂内は先程の会議の内容で持ちきりだ、誰もがウイルスについて話し合い、また軍艦についてもあれやこれやと憶測を語っていた。その騒がしい話し声を耳に入れながらメニュー表を眺めている二人、ここのテーブルだけとても静かであった。そしてその静けさをいたく気にしているのがライラ、彼女はとても動揺していた。


(まさかっこのタイミングで二人っきり!)


 ライラは気が気ではない、食堂でも一度一緒に食事をしたことはあったがその一度きりだ、まさかクランが抜けると思っていなかったので変に緊張してしまった。それにライラたちが座るテーブルだけ誰も相席しようとしない、周りの喧騒が見えない壁となって自分たちを囲っているのではないかとライラは錯覚してしまった。

 先に注文を決めたナディがメニュー表をテーブルに置いてううんと大きく伸びをした。


「そういえば、ライラはお昼からどうするんだろうね」


「えっ!あ、うん、お昼からって?」


 頭の中で、仲良くなる最も冴えたただ一つ質問は何かと考えていたライラはナディの言葉にどもってしまった。


「だって、不発弾?が処理されるまで調査の仕事ができないんでしょ?いいな〜部屋でのんびりできていいな〜」


 はあ、と息を吐きながらナディがテーブルの上に頭を乗せ、くるりと向きを変えてライラに視線をやった、まるで講義中に居眠りをしている学生のような格好だ。


「いや、採取はできないけど仕事はあるよ?」


「そうなの?めんどくさいね」


 ナディの無防備な姿を見て、ライラは少しだけ嬉しくなっていた。こんな姿を見せてくれる程に自分を信用しているのかと思ったからだ。頭の中にあった冴えた質問も何処かへ消えて、変わりにライラの細い指が持ち上がった。そしてナディの頬をつんつんとしていた。


「ナディはここへ何しに来たの?そういう事言ったら駄目だよ」


「えーお母さんみたいなことを言う……」


 ナディの頬は柔らかい、ついている感触があまり感じられない程だ、その感触もライラにとって何より刺激的でもっと触っていたいという欲求が生まれてきた。


「ふふふ、ナディみたいな家族がいたらきっと楽しいだろうね」


「ええ?そうかなあ。ライラって一人っ子なんだよね、やっぱり寂しい?」


 その欲求に従いライラはナディの前髪をかき分けた、汗をかいていたのかしっとりと濡れている。


「ううん、それが当たり前だからとくには……学生の頃はあまり友達もいなかったし」


「え?そうなの?」


 今度は揉み上げを耳にかけてあげた、小さな耳がのぞく。ナディはとくに嫌がる素振りも見せず、ライラの学生時代の話を聞いて少し驚いただけだ。


「うん、私も人見知りするんだよね、だからクランの言う事も何となく分かるんだ」


「へ〜…そんな風には見え──ああ、でもそんな感じするかな」


「うん?それはどうして?」


 ナディが途中で言い直したのでライラも気になった。


「ピメリアさんと一緒にいた時ずっと下向いてたよね、ほら、私が案内することになった時」


「ああ…あれは、」


 ぐっと距離が近くなり、それにスキンシップも取れるようになったライラは気が大きくなっていた、つまりは浮かれていた。あなたに見つめられるのが恥ずかしかったんだよ、そう口にしかけたが、テーブルに近づいて来る人影があったので言うことができなかった。


「注文は?」


「え、あ、まだなんですけど…」


 ジュディスとタメ口で話していた司厨員だ、クランの先輩でもある女性がどこか不機嫌な様子で呼んでもないのに注文を取りに来た。


「今めっちゃ人多いからさっさと決めた方がいいよ、このテーブルが一番人も少ないしそっちの方がこっちも楽なんだけど」


 知らんがなと思いながらもライラがぱぱっと料理を決めて司厨員に伝えた、どうやら一気に忙しくなったのでこの女性も慌てているのだろう、そう解釈して無理やり溜飲を下げた。


(もう!せっかく良いところだったのに!)


 ナディも伝えると司厨員がさっさと引き上げて厨房へと向かっていった、だらんとテーブルに体を預けていたナディも姿勢を正している、さっきまでの甘い空気も何処かへ行ってしまったようだ。これでは終われないと思ったライラは約束を取り付けることにした。


「ね、また二人でご飯を食べに行きたいね」


「いいね、一緒に買い物へ行った時に行こっか、私あんまり都心のこと知らないんだよね」


「そうなの?それじゃあ私が案内してあげるよ」


「うん」


 ライラはご機嫌だ、好きな相手と決める予定程わくわくするものはないからだ。


「……?」


 ナディがライラの手を取った、突然の事だったのでライラも何が何やらといった様子だ。


「ライラの手、冷んやりしてて気持ち良いね」


「──────」


 急、いや急でもない、ライラも触ったのだから急ではない。ナディがライラの手のひらを自分のおでこに当てて涼んでいる、それで涼めるの?とライラが疑問に思う、今度は頬に当てて、そこからの記憶がぷつりと途切れた、勿論運ばれてきた料理の味なんて覚えていない。ただ、それでも記憶に残っていたのはナディの横顔と、何故だかナディの唇だけだった。



 ()()()()()()()()()、ビレッジコア方面基地を出発した掃海隊群が到着した。到着したそばから早速機雷処理の作業が進められた、しかし掃海隊を指揮する艦長はただ困惑するばかりであった。


「は?」


[ですから、今回の処理は水深五百メートル辺り、まずは音響で様子を見ます。それから掃海艦に迎撃準備を指示してください]


 水深五百メートルと言えば深海域だ、それと同時に迎撃準備、所謂第二種戦闘配置を要請してくるなんてただの掃海任務とは思えない、だから二度も聞き直した。


「潜水艦を相手にしているのか?」


[違います、機雷に分類される物を相手にしています]


 通信相手は民間船の護衛についていたスミス大尉、次期左官として注目を集めている歳下だ。功を焦ってついにヤキが回ったのかと艦長は訝しんだ。


「いいか、潜水艦を相手にする程の迎撃能力は無い、悪い事は言わないから早期撤収を考えた方がいい」


 彼の言う事は最もである、掃海艦は機雷を処理する能力と同時に機雷を用いた攻撃に特化している、だがそれも海の上での話しである。海中は海中のスペシャリストに任せるべきだと、彼は忠告するが歳下艦長は首を縦に振らなかった。


[ですから、潜水艦ではありません!]


「だったら何だって言うんだ?機雷が襲いかかってくるとでも言うのか?」


 まさにそれである。


[詳しい報告は後で行いますから!今はとにかく準備をお願い致します!]


 掃海母艦にいる艦長らは「何言ってんだこいつ」と顔を顰めた、けれどスミス大尉が報告する内容に偽りはない、掃海母艦のソナーも機雷を捉えていた。

 操舵室にいる冴えない男連中を見て艦長は考える、ここいらで恩を売って部下に返してやろうと思い至った。


「良いだろう、しかし条件がある」


[……何でしょうか]


「縁が無い男連中を飯に連れて行ってやってくれ、それでとりあえずはお前の言う事を聞いてやる」


 操舵室にいた男連中がにわかに殺気立った、「あれ?違うの?」と艦長が首を傾げる。


[良いでしょう、とっておきのお店にご案内してあげます]


 あらぬ勘違いをしている歳下艦長が通信を切った、とにかくやると言ったからにはやらねばならない。急に不機嫌になった部下に指示を出して音響掃海具の準備にかかった。


 一方、掃海隊の男連中を大盛り専門店に案内しようと思っていたアリーシュ、彼女がいる護衛艦でも準備が進められていた。護衛艦に搭載された攻撃手段は一通り揃っているが特化した物は無い、ましてや未確認生物に対する迎撃手段など持ち合わせているはずがなかった。彼女が最も危惧していることは一つ、あのタガメ型機雷が誘爆せずかつ本艦や民間船を攻撃対象と見なした場合だ。海面近くまで誘導しなければ攻撃することが出来ない、けれどそれは同時に自分たちの身を危険に晒すことを意味していた。

 

「艦長、ユーサから水中ドローンを受け取りました!」


「すぐに連絡を!」

 

 グガランナ・ガイアと名乗る人物から報告があった再現能力について、アリーシュは疑問を抱いていた。確かにタガメ型機雷もソナーで捉えることができた、しかし本当に機雷としての能力を持ち合わせているのか、という事である。この疑問はユーサ側も持っていたようで、昨日投入した無人探査機を確認したいと申し出たところ、あっさりとユーサ側から水中ドローンの提供があった。無人探査機と比べると連続作動時間は極端に低い、それとカメラの撮影範囲も狭くなってしまうが何より利便性が高かった。

 ユーサの調査船から出発した水中ドローンが波に揉まれながら護衛艦に到着した、数は三機、もう一度ホシにアクセスしてもらい海底を確認する予定だ。アリーシュは操舵室を離れて尉官の部屋へと向かう、もう無理はしないように釘をさしに行くのだ。


「失礼します」


 軽くノックをして扉を開ける、ベッドには横たわっているホシと、その傍らで見守っているヴォルターがいた。


「遅かったな、もう向こうに飛んでいる」


「そうですか、何度もお願いして申し訳ありません」


「いい、これが俺たちの仕事だ」


 言葉の内容は気遣いのそれだが、声の色は拒否だった。彼らには彼らの領分があるらしいと悟ったアリーシュはそれ以上近付くことを止め、部屋の入り口からホシの様子を窺った。昨日の無人探査機は視覚のみ、けれど今回はホシ自らがドローンを操作すると聞いている、もし昨日のようにドローンを破壊されてしまったら彼の体はどうなってしまうのかと不安になった。


「ホシさんは大丈夫なんですよね?昨日、目が真っ赤に腫れ上がっていましたが……」


「超常現象を紐解くんじゃなかったのか?」


 アリーシュの質問に返ってきたのは答えではなく、皮肉に近い発破だ。アリーシュの返答を待たずにヴォルターが続きを話した。


「こんな事でいちいち怖気つくんじゃない。下手すりゃここが戦場になるかもしれん、その時前面に立つのが自分だってことを忘れるなよ」


「無論です。私たちの役目は露払い、詳しい調査は彼らユーサの仕事です」


「分かっているならそれで良い」


 つぶさにホシを観察をしていたヴォルターが体の向きを変え、入り口に立っていたアリーシュに顔を向けた。心なしか薄らと笑っているように見える。


「お前さん、一つ聞きたいことがあるんだが良いか?」

 

「答えられる範囲なら、何でしょう?」


「どうしてこいつの事を名前で呼び始めたんだ?ずっと苗字で呼んでいただろうに」


「ミョージ?それは何ですか?」


「ホシのいる故郷ではファミリーネームをそう呼ぶんだ。ファーストネームを呼び合うのは親愛の証ってことぐらいお前にも分かるだろう?」


 アリーシュは戸惑った、まさかここでプライベートな質問が来るとは思わなかったからだ。その疑問が表情に現れ居住いを正した、それを見抜いたヴォルターがさらに言葉を重ねてきた。


「言いたくないってか?」


「いいえ、少し意外だっただけです、まさかあなたのような方がそんなデリカシーの無い質問をするとは思いませんでしたので」


「言っておくが、お前のあのタイミングは誰でも気付くぞ」


 グガランナ・ガイアがホシを呼び捨てにしたあの会議のことだ。図星、とまではいかないが、当たらずとも遠からずのアリーシュが視線を下げてこう言った。


「……何となくです、これでいいですか?」


「ああ、バッチリだ、これでこいつも頑張れるだろうさ」


(……何がバッチリなの?)


 釘をさしに来たはずなのに、逆に変なモノをさされた気分になったアリーシュは部屋を後にした。


 ユーサから借りた水中ドローンが潜水を開始した、このドローンは先述した通り利便性がとても高い。水の抵抗を低減するため楕円型に作られたボディ、後方に二つ、さらに側面には上下運動を行なうため斜めに付けられた二つ、合計四つのプロペラがあった。ボディの先端にカメラアイ、その両隣には目に見えるライトがあり、正面から見たら可愛いらしいデザインをしていた。


《いいですか!僕は何も恋人を作るなとか!一生独身でいろとか!心が狭いことを言うつもりはありません!ちゃんと僕の相手をしてくれたらそれでいいのです!》


(ヴォルターさんめ……余計な映像を流して……)


《あ!また!アリーシュさんのことを想像しましたね?!僕にもその映像が見えているんですよ?!》


《ダンタリオン!今は任務に集中してくれ!君がしつこく言うから想像してしまうんだ!》


《僕のせいなんですか?!現を抜かしているホシが悪いんでしょう?!》


 ご立腹THEダンタリオンである。

ヴォルターの義眼は録画機能も付いており、何を思ってか、照れた顔をしているアリーシュの映像をホシに送ってきたのだ。そのせいでダンタリオンが怒ってしまい、先程から文句ばかり言われ続けていた。

 呑気なやり取りをしながら深く潜っていく、昨日と違ってホシもただ淡々とドローンを操作しているだけだ。一日で慣れる程、深海の世界は優しくはない、ただ今回は目的がはっきりとしているのでホシも集中することができた。昨日の無人探査機の様子を確かめに行く、あのタガメに機雷としての能力が本当にあるのか見に行くためだ。

 ホシが一機、ダンタリオンが二機を操作しながら降下していく。青から黒へ、光りが届かない深海の入り口、中深層に到着した。今日の潜水は昨日と違い、ホシの視界には白い粉のような物が舞っていた。まるで雪のようだ、これは「マリンスノー」と呼ばれ、プランクトンの排泄物や死骸などであり深海生物にとって貴重な食べ物となる。そのマリンスノーが水中ドローンのプロペラに巻き込まれ、四方八方に飛んでいく様をいくらか申し訳ない気持になりながらホシは眺めていた。

 マリンスノーと共に深海域に舞い降りた、ライトの光量を強め無人探査機をくまなく探してみるが驚きの結果が待っていた。


《どこにも……ない?そんなまさか……》


 昨日見た通りの海盆に間違いはない、ダンタリオンへ素早く確認を取る、そうだと肯定の返事が返ってくる、しかし何も見つからない、無人機に特攻したタガメも姿を消していた。


《共食いでしょうか、僕には分かりません》


 海盆の中央には亀裂もある、チムニーも存在しているが肝心のタガメが一体も見当たらない。


《ヴォルターさんに連絡、現在のソナーを教えてほしい》


 ダンタリオンが簡潔に事態を報告し、間髪入れずに返答があった。海上のソナーではきちんと反応を捉えているとのこと。それならば答えは一つだ。


《擬態!この海盆のどこかに隠れている!》


《ホシ!それならば今のうちに掃海具の投入を要請しましょう!幸い僕たちはまだ気付かれていません!》


 そうと決まれば早かった、ダンタリオンからヴォルターへ、ヴォルターからアリーシュへ連絡が入り、ものの数分で音響掃海具が海へ投入された。

 掃海母艦が所有する音響掃海具は総重量一千トン近い、四角いただの箱に見えるが潜水艦が発するノイズを真似て音を出す機能を持っている。

 あっという間に─ドローンの降下スピードと比べて─深海域に到着し、ダンタリオンの合図で掃海具が途中で静止した。冥界の大地に現れたプレゼントボックスのようだ、ついで音響掃海具がすぐさま起動し、真下に位置する場所で突然土煙りが上がった。ヒット。グガランナ・ガイアの見立ては当たっていたのだ、タガメは機雷を捕食しその機能を体内か、あるいは体そのものに再現していた。この事はすぐさま報告されて、ヴォルター、それから海軍の皆が歓声を上げた。


《よし!これで機雷を────》


 しかし、そんなに上手く事が運ぶはずもない、未知のウイルスを彼らは舐めていた。



5.Lose...



 爆発四散したタガメの遺骸が宙を舞う、辺りは土煙りに覆われて視界も悪い。その煙りを突き破るようにして、計四体のタガメが地対空ミサイルのように飛翔した。


《タガメ出現!四体!掃海具が狙われ──》


 ホシの報告は最後まで届かなかった、四体のうち一つが掃海具に接触しそのまま爆発したからだ。掃海具の破損は掃海母艦にも伝わっている、いらぬ気遣いをして嫌われ真っ最中の艦長が吠えた。


「どういう事だ!感応式じゃなかったのか?!くそくそくそ!」


 掃海母艦のレーダーには「ロスト」の文字が浮かんでいる、それと機雷の反応は三つ、あと三つもある。どうして一度目の起動で全て誘爆しなかったのか、何故四つの反応は生き残れたのか、混乱する頭を無視して歳下艦長の言う通り、第二種戦闘配置を命令した。


「第二種戦闘用意!発射された機雷は三つ!本艦真下!水中クラスター用意!対機雷シート展開!」


 掃海母艦艦長の号令を皮切りに海上が戦場に様変わりした、掃海艦二隻が退避して距離を取る、狙うは深海に潜む見えない敵だ。すぐさま護衛艦から待ったが入る。


[お待ちを!まだ特個体のパイロットが潜水しています!]


 艦長は通信機に向かってまた吠えた。


「知ったことか!ここで機雷を処理して牽制!すぐさま退避!それ以上の策があるっていうのか?!一人の野郎のために民間船を危険に晒せって言うのか!!」

 

 彼も軍人だ、命の天秤にも慣れている。誰を救って誰を危険に晒すのか、その判断を秒で済ませる胆力の持ち主だった。

 海底から飛翔した機雷が掃海母艦に接触するまで後数十秒、そんな折、上昇傾向にあった機雷が反転し再び海中へと潜っていった。


「──は?え?」


 掃海母艦の艦長からしてみれば意味が全く分からないだろう、どんなテクノロジーを使い、どんな機雷であったとしても再び海に潜るだなんて聞いたこともないし意味があるとも思えないからだ。

 間抜けな声を出して固まる艦長の足元では、海中ドッグファイトが繰り広げられていた。ホシとダンタリオンによるタッグ戦だ、そのお陰でタガメの標的を、掃海具を投入した母艦から水中ドローンへすり替えることができた。


《ダンタリオン!後方二!》


《ホシ!前方に回り込まれています!》


 ドローンの前進用プロペラを最大回転、幸運にもドローンの方がタガメよりいくらか速かった。しかし体格で負けている、ダンタリオンのドローンがタガメの射程圏内に入る、一機の操作を諦めわざと顔面にぶつけてみるがそれでも勢いは止まらない。タガメの爪が残ったもう一体のドローンを引き裂くその刹那、


《ホシ!僕の//いやっほううっ!!この時を待っていたよおお!!》


 いえええいっ!!とダンタリオンが奇声とも言える喜びの声を上げながら直上に回避してみせた、空振りに終わったタガメが再度狙いを定めるがドローンはひょいひょいと避けている。


《おらおらあ!当てられるものなら当ててみなっ!》


《ダンタリオン!調子に乗るな!海中へ──》


 ホシはダンタリオンの言動に驚き─ドン引きするとも言う─前方にいたタガメに危うく引き裂かれそうになった。すんでのところで躱し、タガメをさらに引き離すため深海へと誘う。こんな予定ではなかった、まさかいとも簡単に釣れるとは思わず、危うく海上にいる艦艇を危険に晒すところだった。

 ホシを先頭にして一体のタガメ、少し離れた位置ではダンタリオンが二体のタガメを相手に遊んでいた、そう、遊んでいたのだ。


《下手っぴ!私の方が泳ぐの上手いじゃん!そんなものかー?!お前たちの泳ぎはそんなものなのかー?!》


 有頂天THEダンタリオンである。

ホシは気が気ではない、今日のダンタリオンはどこか様子がおかしい、そう思わせる程に無茶苦茶な軌道をしていた。四枚のプロペラをまるで踊るようにして推進方向を切り替え、心なしか躍起になって引き裂こうとしているタガメの爪から逃れていた、それも二体。


《ダンタリオン!!いい加減にしろ!!》


 ホシの静止もまるで聞いていない、水を得た魚のように喜び、そしてダンタリオンは泳ぎ回っていた。

 二体のタガメの距離が徐々に近づきつつある、ダンタリオンの誘導によるものだ、撹乱し、対物距離を狂わせるように泳ぎ、二体が同時に爪を構えた。


《ハデスに抱かれて眠りなっ!》


 元ネタ不明の決め台詞の後、タガメの爪を紙一重で躱してみせた、結果はご覧あれ、見事二体を同士討ちにさせていた。


《離れろっ!!》


 間髪入れずに二体が爆発、凄まじい水圧が押し寄せホシのドローンがコントロールを失った。


《あった……//ぁいっか///…………だし、調子に………》


《この馬鹿たれダンタリオン!ちょっとは自分の事も考えろ!!》


 ダンタリオンから途切れがちの言葉が聞こえてくる、爆発に巻き込まれて海の藻屑になりかけていた。


《ごめ///……//行演習もかねてたから……//そらを飛ぶ///楽し──────》


 そう、最後に言葉を残してダンタリオンの反応が途絶した、これにより復帰しかけていたホシのドローンも動きが鈍くなってしまった。ホシの意識とドローンを繋げていた特個体がダウンした影響だ、思うように動かないホシを通り過ぎて最後の生き残りであるタガメが、大破したドローンを食べ始めた。何でも食べるらしい。そして、護衛艦艦長が最も危惧していた事態に発展した。


《まさ──か──!》


 捕食を終えたタガメが頭を持ち上げた、その方向は直上で待機している軍艦ではない、おそらく退避した民間船に狙いを定めているのだ。一体どんな原理なのか、体へのフィードバックを最小限に抑えるためのログアウトシークエンスをもどかしく思いながら、緩やかに飛翔を開始したタガメの後ろ姿を見送った。


 ヴォルターは痛感した、この作戦が失敗に終わった事を。


「ピメリア!今すぐにそこから退避しろ!何が何でも逃げろ!タガメが狙いをつけているぞ!」


 起き上がったホシが開口一番に放った言葉は「逃げろ!」だった、それで全てを悟った。暴走したダンタリオンを経由してヴォルターも戦況は把握していた、最初に観測したタガメは六体、うち五体は既に破壊し、残るは一体となった時にホシがそう叫んだのだ。軍人であるヴォルターに逃げろとは言うまい、ホシはおそらく民間船に向かっていくタガメの姿を目にしたのだ。

 今からでは水中クラスターの散布も間に合わない、一縷の望みをかけてタガメ型機雷から逃げてもらうしかなかった。ヴォルターの叫びを受けたピメリアが操舵室に檄を飛ばす、飛ばされた船長は一瞬で喉が干上がってしまった。


(くそ!何だって俺なんだ!他にいくらでもいるだろう!)


 船長は自らの立場を呪うしかなかった、初めての航海でこれはあんまりだ、どこの世界に機雷から逃げられる民間船の船長がいるというんだ!と心で罵るが、時は刻一刻と迫りつつある。


「だああくそっ!機関制御室コントロール移行!焼き切れるまで全開にしろっ!」


 船長がそう叫び、本来は機関制御室で行なうエンジン操作を操舵室から直接行なった。二基の大型ディーゼルエンジンが唸りを上げる、機関室内の温度異常によるアラート、普段は聞き慣れない耳に障る音がいよいよ操舵室の緊張度合いを高めていく。ついでソナーに反応があった、凄まじいスピードでぐんぐんとこちらに向かってくる、これが機雷だと理解した船長は最大速度に達した船の舵を目一杯、


「エンジンと一緒に切れーーー!!!」


 大きく傾ぐ船内、これが誤報だったらどんなに良い事かと束の間現実逃避した瞬間、調査船後方で水飛沫が盛大に上がった。間一髪、激しい揺れと拍手喝采のように鳴り出す警告音、エンジンを切らなかったらきっと直撃していたことだろう。そのまま船が転覆することなく水平に戻り、何とか難を逃れることができた。


「……………」


 本当に機雷が調査船を狙っていたのだ、未だに手は戦慄き、膝は生まれたての小鹿のように震えている、しかし何とかなった、何とかなるもんだ。船内用の端末から連合長の褒め言葉が延々と流れてくる、それに返礼するより先に、船長は目一杯の強がりを他乗組員に見せつけていた。


「誰だ、さっき「ヨーソロー」って言った奴!!余裕があるならお前が船長をやれ!!」



 コールダー家には一つのある家訓があった、突然だが。その家訓というのは「良好な関係を築きたかったら嘘は吐かないこと」である。「良好な」という部分がこの家訓のミソであり、良好を「望まない」のなら嘘を吐いても良いということだ。人間、誰にだって相性というものが存在する、様々な人と仕事をするコールダー家が辿り着いた一つの真理だった。無理な人間は始めから無理である、そこに自ら苦労する必要はないし、その逃げ道を示す言葉でもある、そして今日、コールダー家の一人娘は初めてその家訓を自ら破った。


「大丈夫?」


「…………」

 

 タガメ型機雷を回避するため調査船が大きく傾いだ時、船内放送で室内待機を命じられていたナディとライラは、その弾みで抱き合う形になって今もそれが続いていた。ナディが壁に背中を預け、ライラがナディの胸に頭を預けていた。それはもうがっしりと、ライラの細い腕はナディの背中に回されている。船内放送では危機が去ったことと、近くに異常と怪我人はいないかとアナウンスが流れていた。

 ナディが心配そうにライラの顔を覗き込む、声をかけるのももう何度目かになる。それでもライラは離れたくなかったから何も言わず、想い人に心配してもらえるようずっと抱きついていた。


「怖かったね、もう大丈夫みたいだよ」


「………」


 ナディの手がライラの頭を撫でている、安心させるようにもう片方の手は優しく背中に置かれていた。幸せだ。それ以外に言葉が見つからない、ライラはこのまま死んでも良いとさえ思っていた。好きな相手の心臓の音が聞こえる、きっと怖くて今も緊張しているのか少しだけ鼓動が早い、たったそれだけのことがとても特別な事に感じられた。

 絶対に離れたくなかった。こんな機会は二度やってこないだろうと腹を括っていたのに闖入者が現れた。


「大丈夫?!怪我は────何やってんの?」


 部屋に入って来たのはジュディスだ、汗だく、機関制御室から走ってきたのだ。


「あ、先輩!そっちは大丈夫なんですか?」


「大丈夫じゃないわよあちこちめちゃくちゃよ!それなのにあんたときたら────ライラ!」


「あ!ちょっと!そんな乱暴にっ」


 絶対に離れないと決めていたライラだったが、ジュディスによって簡単にひっぺがされてしまった。襟首を掴まれてナディの胸からフライハイしたライラの顔はほんのりと赤くなっていた。


「ライラ?大丈夫?顔真っ赤だよ?」


「この朴念仁!」


「いやそこ怒るところじゃないから!」


 ライラはナディの顔を見ないようにしながら身だしなみを整えてベッドから降りた、朴念仁呼ばわりされたナディは未だはてな顔である。それに何故ジュディスがそこに突っ込んだのか、ライラも思わず突っ込みを入れてしまった。


「大丈夫なの?」


「ご、ごめん、大丈夫…ごめんね?ずっと抱きついてて…」

 

「いや、それは良いんだけど、大丈夫なら大丈夫って言ってほしかった、本当にどこか悪くしちゃったのかなって心配してたから」


「ごめん…」


「別にいいわよ、好きで抱き────んぐぅ?!」


 やはりコールダー家の家訓は有能である、嫌いな相手には何をしてもいいのだから。そんな事は言ってない?まあいい、とにかくライラはこれ以上余計な事を言われないようにジュディスの口を乱暴に閉じた。


「だ、大丈夫だから!ナディのお陰で収まったから私はもう大丈夫!」


「う、うん……」


 ジュディスが何度もライラの腕をタップし、意識が落ちる寸前にようやく解放された、鼻と口を同時に押さえられていたので酸欠になりかけていた。

 騒動が収まった船内はとても慌ただしかった、壊れた備品の回収や怪我人の搬送などで甲板や廊下は人であふれ返っており、その様子を見たナディとライラは自分たちが幸運であったことを思い知らされていた。

 ジュディスの先導で二人も復旧作業に取りかかる、割れたガラス片を掃除したり動けない人を見つけたら人手をかき集めたり、とにかく忙しく動き回った。


 船内の状況をつぶさに報告を受けていたピメリアは頭を抱えた、まさかこんな事になるなんて夢にも思わなかったからだ。せめてもの救いは重傷者がいないこと、医務室に運ばれていく人の殆どがショック状態にあるだけだった。


「こいつはとんでもない事になっちまったな……」

 

「ああ…全くだ、死者がいないだけマシだ」

 

「にしてもだ、船長の奴ヤベぇなマジで、良く避けられたな機雷」


「全くだ、今ならプロポーズを受ける自信がある」


(こいつ意外と余裕あるな)


 調査室のミーティングルームにはピメリアとカズが待機していた、デスクの上には被害状況を記した船内図が置かれ、約半分近く赤色でマーキングされていた。調査に支障は無いが人員がそもそも機能していない、それに船内生活に必要な設備も軒並みダウンしていた。一刻も早く帰港する必要があり、船員の安全を確保するためにも調査を切り上げることが急務であった。しかしだ、目下の脅威は取り除かれたのだ、ここで引くにはあまりに味気ない。同じ事を考えていたのか、カズも両の手を上げて退散とは言わなかった。


「どうっすかだよな〜このまま調査を続行すると言ったら皆んなに何て言われるか……」


「間違いなくヤジだな、私でもそうする。しかしだな、ボウズで帰ってもヤジだぞこれは。ここまで迷惑かけたんだ、何かしら持って帰らないと……」


「機関室の復旧は可能なのか?」


「問題ない、ただのオーバーワークだ、水をかければすぐ直る」


「そういう問題じゃねえだろ」


「問題は人だ、こんな状況でも調査を続けてくれるのかどうか……」


「帰らせろって連中が殆どじゃねえか?」


 何せ機雷がすぐそこまで迫っていたのだ、船長の働きがなければ今頃調査船は海の藻屑になっていたに違いなかった。一度直面した危機は容易に拭えない、しこりとなって残り乗組員に不安を与え続ける。

 未知のウイルスを回収するという偉業か、それとも身の安全の確保を優先するか、天秤にかけて考えあぐねていた連合長たちは、部下たちのことを甘く見ていたと言わざるを得なかった。船が動き出した、機関室の復旧がかなったのだろう、しかしそんな指示は出していない。


「船長、何をやっている?」


 すぐさま端末から呼びかけるとこう答えが返ってきた。


[調査ですよ、続行するんでしょ?シュナイダーって方から連絡が来ましたんで]


「アーセットが?」


[ええ、動かせるなら今すぐ調査域に船を向かわせてくれと。……それより船内はどうですか?怪我人とかいましたか?]


 ほうとピメリアは小さく息を吐いた。なかなかどうして、この船長は豪胆かつ他人を気遣える繊細さも持ち合わせているらしい。


「軽傷者とショックを受けた人はいるがそれだけだ、それよりお前の名前は?」


[え?ああ、ケンジ・アタラシと言いますが…それが何か?]


「ユーサ専属の船長にならないか?お前の派遣元に話をつけてやるぞ」


[え?いやいや、今日が初の船長にそんな話持ちかけていいんですか?]


 ピメリアは端末から耳を離してこう叫んだ。


「おいカズ!この船長今日が初らしいぞ!一体どうなってんだ!あっははは!」


 馬鹿笑いである。


「マジかよ!大した奴だな!あっははは!」


 それを笑えるこの二人も十分豪胆だ。

復旧しつつある船内はそれと同様に落ち着きを取り戻しつつあった、すっかり元通り、とまではいかなくとも二次被害や混乱も発生することなく、平常運転に戻っていった。

 機関士不在のまま機関室の復旧作業にあたっていたジュディスは汗だくだ、裾から汗が滴り落ちる程である。そんな彼女は眉間にしわを寄せて機関士がいる部屋の前に立っていた。軽くノックをする、返事はない、今度は強めに、部屋の中で人が動く気配がした。


「………マイヤーさん」


 部屋の主がそろりと扉を開け顔を覗かせた、キツい目元は相変わらずだが薄らとくまができていた。その様子にジュディスは一瞬だけたじろいでしまったが、構うものかと無理やり扉を開け放った。


「こんな所で何やってたんですか、どうして機関室に来なかったんですか」


「そ、それは端末を…」


「本当にあなたが内通者なんですか?」


「──!」


「どうなんですか!はっきりしてください!」


 まるで子供のようだとジュディスは思った。自分よりも大人であるはずの相手がこうも縮こまってびくびくしているのだ、見ていられなかった。

 深く深呼吸をする、胸の内に溜まっていた暗いあれやこれやをまとめて吐き出してから最後にこう告げた。


「さっき、船が大きく傾きましたよね?近くで爆発がありましたよね?けれど私たちはこうして無事ですよね?」


「それが…何かしら」


「プレゼント、すみませんでした、ああいう風に渡そうとしてくれたのが初めてだったので、つい断ってしまいました」


「………」


「それと機関室に来てください、無理な制御であちこちの部品が駄目になっています、急いで交換しないと港まで帰れません」


「どうして……」


「命があるからです、さっきそれを学びました、以上!」


 ブライは間違いなくゴーダから室内待機を命じられている、内通者として糾弾を受けてそれを認めたのだろう。何故そんな事をやったのかジュディスには分からない、けれどこうして無事である以上は怯えるのを止めて人とぶつかろうと思っていた。

 ジュディスも我が身の幸運に感謝するようになっていた、船内を駆け回り壊れた備品や運悪く怪我をしてしまった人たちを見て考えを改めていた。そう、運が悪ければ、実力だけではどうにもならない厄介な「運」のせいで自分も大怪我を、下手すれば命を落としていたかもしれないと思い至った。その理不尽さを前にしてジュディスは心にエンジンがかかった、何でもやってやろうという向こう見ずの気焔にすぎないが、そのお陰でブライと面と向かって話をすることもできた。あとはあの可愛い後輩にどう謝るべきか、さっきは状況も状況だったしそんな事を口にする雰囲気でもなかった、どうやら向こうも気にした様子はなかったが...そんな折、船内放送が流れてきた。


「全乗組員へ、落ち着いた者から大会議室へ来るように、なお救護活動と復旧作業を最優先とする」


 おそらくこの騒動の顛末を教えてくれるのだろう、ジュディスは一度だけ鼻を鳴らしてから大会議室ではなく機関室へと向かった。


 アーセットは、普段は見せない慌てた様子で調査員に指示を出していた。


「次はいつ来るか分からない!今のうちに採取を済ませるんだ!」


 ピストンコアラーとパワーグラブは無事だ、先程の騒動でアーセットもジュディス同様にエンジンがかかっていた、それに彼にはある特別な理由があった。


(未知のウイルス、それがもし本当に存在するのなら……)


 揚収作業場から有人探査機が納められている格納庫へ視線を向けて物思いに耽っている。調査船からピストンコアラーの準備が整ったと連絡があった、すぐさま投入の指示を出し、長くて黒い円筒状の大型機械がクレーンによって持ち上げられた。

 海に投入されて順次降下していく最中、連合長から連絡が入った。


[勝手な真似はあまり嬉しくはないんだがな……作業場の様子は?]


「幸運な事にどこも破損していません、それに連合長も手ぶらでは帰れないでしょう?」


[言う事は最もなんだが……周りの人間はどうだ?疲れた様子の奴はいないか?]


「そんな事を言っている場合ではありません!未知のテクノロジーがこの海に眠っているんですよ?あのちみっ子の言う通りではありませんか!」


 ちみっ子とはジュディスの事である。


[良い、分かった、私も同席させてもらう、それでいいな?]


「邪魔さえしなければ」


 (こんな言い方は失礼だが)研究者としての気質が騒ぎ、アーセットはぞんざいな物言いになってしまった。素人が研究者の領分に足を踏み入れるなど邪魔以外の何ものでもなかったからだ、その事を良く理解していたピメリアはあっけからんとした様子でこう答えた。


[んな事は分かっている、お前は人の面倒を見られる程器用じゃないだろ?代わりに私が見てやるよ]


「………ありがとうございます」


 電話の奥から「俺にやらせんなや!」と文句が聞こえてきた、漁業課の課長と一緒にいるのだろう、その後とくに言葉を交わすことなく通話を終えてピストンコアラーのモニタリングに映った。

 

 ピストンコアラーの最大の利点、それは海の地層を乱さず堆積物を採取する所にある。一般的なやり方ではめちゃくちゃになってしまうため、得られた採取試料がいつ頃に積もったのか分からなくなってしまうのだ。

 ピストンコアラーが目的地に到着した、まずはコア・バレルと呼ばれる金属筒が海底下に貫入、長さ十メートル近くある柱状堆積物(別名、コア)試料を採取し後は引き上げるだけだ。実に早い、ピメリアが揚収作業場に到着するまでに一回目の作業を終えていた。

 晴れていた空がにわかにかき曇ってきた、薄暗い空の下でピストンコアラーが引き上げられ、精密調査をする前に一目見ようとアーセットがコア・バレルの解体にかかった、周りにいた調査員は目を剥いている、こんなに躍起になって作業に取りかかる課長を初めて見たからだ。


「何が分かった?」


 素人であるピメリアはコア試料を見てもさっぱり分からない。


「……これを」


 そこでアーセットが、コア・バレルの根元に位置する部分からある物を摘み上げた、真珠のように丸く銀色をしている物体だった。


「何だこれは」

 

「不明です、ですがそこが重要ではありません、この物体がここ最近になって出来たという事です」


「………真珠?か、これは……」


 アーセットはコア試料を回収するよう指示を出し、二回目の投入のため準備に入らせた。


「まだやるのか?これ一個で十分じゃないのか?他の奴らも疲れて、」


 ピメリアは得られる成果より乗組員を気遣った。しかし、


「邪魔するなと言ったでしょう!!」


 アーセットは激昂した、まるで虫を払うように手を振っている始末、こりゃ駄目だと諦めた連合長が作業の邪魔にならないよう甲板の隅に退避した。けれどこれが仇となってさらなる事態を招いてしまった。

 二回目を投入し、コア・バレルが着底した途端、モニターにアラートが表示された。


「何だ?どうして、」


 コア・バレルが破損してしまうような海底ではなかったはずだ、てっきり硬い地質に当たってしまったのかと考えたがさらに新たなアラートが表示された。コア試料を保護する内部のプラスチック部分にも破損が見られたのだ、硬質の底にぶち当たり破損、そこから自重によって内部も壊れたと思ったアーセットは慌てて引き上げを命じた。そして、上がってきたピストンコアラーを見てアーセットだけではなく、作業場にいた全員が驚愕してしまった。


「………食われた?」


 そう、ピストンコアラーの下部、何者かに食われたように千切れていたのだ。こんな事が出来る存在は一つしかいない、ピストンコアラーの変わり果てた姿を見たピメリアは護衛艦に連絡を入れた。


「アリーシュ!!海底にまだ奴らがいるぞ!!採取機械を食われた!!どうして報告しなかったんだ!!」


 報告を受けた艦長も盛大に慌てていた。


[そんな!こちらでは確認していない!ソナーにも反応は無い!]


「反応が無い?!嘘つけっ!!」


「……新しい個体が、いる?」


 アーセットの呟きは、不思議と皆の耳に届いた。


「新しい個体は機雷を捕食していない……だからソナーにも反応がなかった……」


 それは憶測のようで、けれど何よりの事実に思えた。

 泣きっ面に蜂とは良く言ったもので、新たに出現したタガメに困惑していた連合長へ機関室から連絡が入った。


[燃料が漏れています!ストレーナーから漏洩していました!]


「状況は?!」


 報告してきたのは機関士のブライではなくジュディスだ。


[ストレーナー自体はすぐに復旧できるんですが漏れた燃料が────来た来た!すくえるだけすくえ!集めた燃料はその容器に入れろ!]


 どうやら機関室はてんてこ舞いらしい、一体何がどうなって...恐らくさっきの揺れで何かしらの不具合が生じ、それを点検で見抜けなかったのだろう。それにブライと言えば、内通者としての疑いをかけられている、最悪の組み合わせで起こった事態とも言えた。


「人手は足りているのか?!」


[足りませんよ!!誰でもいいから人を寄越してください!!このままでは帰れなくなります!!]


 それだけはあってはならぬと疲れた様子を見せている調査員らにも声をかけ、ピメリアは作業場から機関室へと大急ぎで向かった。


 機関室では、ハケやウェス(再利用に回された衣服の切れ端)を片手に漏れ出た燃料と格闘している乗組員らが汗と油にまみれていた。燃料タンクは機関室の一階部分、そこから三階部分にあるストレーナーへ循環して液体内の異物を除去して戻ってくる仕組みだったのだが、そのストレーナーから再び噴水のように燃料が溢れ出してしまった。


「ぎゃああああっ?!?!?!」


 ジュディスが断末魔の叫びを上げる、復旧が終わってもう大丈夫だと一安心した矢先にこれだ、手にしていたバケツもほっぽり出して階段を駆け上がる、下から油を被った誰かが「ぎゃああああっ!!」と叫ぶ、まさに地獄絵図。ここで少しでも燃料の損失を抑えなければ油まみれの体を綺麗にすることもできない、機関室では得られた動力の一部を発電機に回して居住ユニットに必要な電力も賄っていたのだ。まさに油地獄。


「何で何で何で!何がどうなって!」


 ストレーナーの機構としては内部にメッシュ状の濾過装置があり、タンクから引っ張った配管とタンクに戻っていく配管の二つがあった、それと燃料を吸引するための電動モーターも備え付けられていたのだが、中に溜まっている空気を逃すための弁が空いていたのだ。その事に気付かずただただ慌てるジュディス、溢れ出る燃料と共に頭の中にあるマニュアルも一緒にこぼれ落ちていく、頭が真っ白になりかけた時、


「弁を閉じて!早く!」


「弁ってどこ?!どこにあんのよ?!」


「根元にあるでしょうが!!」とブライが怒りながら変わりに閉じた。


「何でこんなものがこんな所についてんのよ!!いい加減にしろ!!」


「怒っている暇があるなら回収に行きなさい!!」


 そこでようやくジュディスはブライの存在に気付いた、この騒動に駆けつけてくれたのだ、そうでなければ今頃どうなっていたことか。


「ふん!今さらのこのこ現れやがって!こっちは大変だったんだからね?!」


「……ありがとう、助かったわ」


 ジュディスのツンデレが即発動して素直にお礼を言えなかった、それでもブライは嬉しそうにしている。が、状況が状況である、二人とも回収道具を手にして油地獄に突入していった。

 結果として、漏れ出た燃料の総量は約半分近く、短時間にも関わらず結構な量を失ってしまった。回収した燃料もゴミを含んでおり、これでは使用出来ないと廃棄することになってしまった。


(私の苦労は一体………)


 頭から油を被っていたナディが肩を落とした、全身油塗れである。隣にいるライラも似たようなものだ、というか機関室にいる全員が汚れていた、そんな所に全く汚れていない課長陣が姿を見せた、今頃の到着である。


「マイヤー!!これは一体どういう事だお前は何を見ていたんだあ!!!」


「………っ」


 雷を落とされたジュディスが手を戦慄かせた。


「損失は?」


 落ち着いた様子で連合長が確認を取る、残った燃料だけでは明日の昼までしかもたないと説明した。


「そうか……」


 本来の予定では一週間、しかし突発的な事故によりその半分の予定に圧縮せざるを得なかった。得られた成果はコア試料の一つのみ、今ウェットラボで解析が進められているが、得られた物より失った物の方が多いように感じられた。

 油にまみれて疲れ果てた様子の乗組員の中に、室内待機を命じられていたはずのブライを見つけた。きっと、責任者として命令を破り機関室の復旧に尽力してくれたのだろう、ピメリアが声をかけるより先にゴーダがもう一度雷を落とした。


「クリントンっ!!こんな所で何をやっているっ!!部屋から出るなと言っただろうがあっ!!」


 その言葉を受けて乗組員の顔に緊張が走る、何故?その疑問は疑念に変わり、本人に悟られないよう皆が距離を空けていく中で小さな雷が反発した。


「いい加減にしてください!この人は手伝ってくれたんですよ?!」


「それが何だ!そんな事を、」


 一度放たれた雷は止まることを知らず、体内に眠っていた怒り粒子がスパークしてさらに大きな雷を放った。


「言っておくけどこんな非常事態に手伝いにも来てくれないあんたらよりよっぽどマシよ!!見てみろ自分の服を!!」


「こんのっ────クソガキがっ!!」


「何がウッズホールの生けた伝説よ!!面と向かって聞けもしない臆病者が!私と大して変わらないじゃない!!」


「どうどうどう!!落ち着け二人とも!!」


 天才と秀才が雷の応酬をしている、連合長が止めに入るが全く言うことを聞きやしない。ジュディスは機関士不在の間、いきなり責任者を押し付けられていたのだ、あのゴーダから直々の言われた事だったので最初は我慢していたが、プッツンと来てしまった。理不尽な事には敏感に反応してしまう若さも相まって、ジュディスを止められる者がいなかった。


「何でもかんでも人に押し付けやがって!クリントンさんの方がよっぽどマシよ!ウッズホールの神様は人頼みの天才だったの?!納得!ちょー納得!!」


「ジュディス!いい加減に落ち着け!」


「クビだ!お前みたいなクソガキはクビだ馬鹿たれ二度と来るなっ!!」


「ちょっ!ちょっと先輩!!止めましょうって!」


 見かねたナディが止めに入る、あれだけ雷を放っていたジュディスがぴたりと止まった。


「全員シャワールームへ行け!ご苦労だった!」


 その間にピメリアが無理やり場を締めて全員を追い出した、ブライに事情を聞こうと近寄るが、何かを悟ったジュディスが間に割って入り連合長を遠ざけようとした。


「いいから、お前は良くやってくれたよ、さっきのゴーダの言葉は無視しろ」


「………」


 まだ何か言いたそうにしているジュディスの手をナディが引っ張り機関室から出て行った、場に残ったのはピメリアとゴーダ、それから疑いをかけられているブライだけだった。


「まずは感謝する、手伝ってくれて助かったよ」

 

「いいえ」


 ブライも肚を括っているのか、強い眼差しでピメリアのことを見ていた。


「聞くが、外部へ連絡を取ったというのは本当なのか?」


「はい、相手はジュヴキャッチです、間違いありません」


 ゴーダも少しだけ身動いだ、まさか自分から認めるとは思わなかったからだ。


「自分が何を言っているのか理解しているか?テロリストの(ほう)(じょ)行為は刑事責任に問われるぞ」


「どのみち手伝わなければ殺されていましたから、私の父も奴らに殺されました」


「何だって……」


「海の発光騒ぎがあったあの日、父は自宅でジュヴキャッチのメンバーと会っていました、あとは………」


 唐突にブライが涙を流した、つい最近の事だ、本来なら喪に服すはずなのに、彼女はこうして調査船の機関士と働いていた。それだけで並々ならぬ事情を抱えていたことが容易に想像できた。


「分かった、もういい、お前も部屋で休んでいろ。ゴーダ、お前は金輪際こいつに関わるな、いいな?ブライが可愛そうだ」


「最後に聞く、これだけは答えろ、皆の命がかかっている事だ」


 ピメリアの言葉を無視してゴーダが質問を投げかけた、静かに涙を流し続けていたブライがつと顔を上げた。


「奴らの狙いは何だ?」


「……未知のウイルスです。それには森羅万象の力が宿ると……」


「………分かった。冥福を祈らせてもらう」


 ゴーダの言葉にブライがかくんと頭を下げた。



「先輩、まじかっけえっす」


「……うっさい」


「課長を相手にしてあの気迫、いやでも確かに今頃来たのかって私も思いましたよ」


「……うっさいわね」


「さっきので少しは胸もおっきくなったんじゃないっすか?」


「ふざけんな!すぐに大きくなるか!」


 隣から覗き込んできた失礼な後輩の頭を叩いた。

機関室での死闘を終えた三人は、並んでシャワーを浴びているところだ、油汚れを落とすスクラブ性の石鹸を肌に塗りたくっているので少しヒリヒリする。彼女らの足元は、(こんな言い方をすれば変態的ではあるが)誰よりも幸せな一生を終えた油が落ちて鈍い虹色となって輝いていた。敬礼。


「でも、ジュディ先輩もあんな風に誰かを庇うんですね、びっくりしました」


「そ、そう?普通よ、普通」

 

 ふふんと鼻を鳴らしている、ジュディスは可愛い後輩に褒められて嬉しいのだ。


「昨日はあんな意地悪したくせに、私もあんな風に優しくしてほしいですね」


 痛い所を突かれてしまった、ついさっきまで大騒ぎだったせいもありジュディスは未だに謝れずにいた。

 少しは成長できたジュディスがゆっくりとナディへ向いた。


「何すか」


「いや……昨日は悪かったわよ……」


「────はっ」


 素直に謝罪してきたのでナディは驚き我が耳を疑った。


「こいつっ……」


「え?まさかのごめんなさい?本当にジュディ先輩ですよね、双子の妹とかではなく?」


 テンプレ的な冗談をかましてはぐらかす、ナディも何だか照れ臭かった。


「それより、昨日はどうしてあんな所にいたのよ、私はちゃんと謝ったわよ」


 結局この誤解は解消されぬままだが、結果として仲直りできたので、まあいい。聞かれたナディの顔に翳がさした。


「何よ、まだ言いたくないって?」


「あ、いえ、そうじゃなくて……実はお腹が減っていまして……」


「はあ?お腹が減ってた?」


「はい、ピメリアさんの部屋に行こうとしたら扉が、」


 そこまで言いかけ、ナディは慌てて口を閉じた。そしてこう言い直した。


「あんな悪戯する先輩に言ったら絶対笑われるって思ってましたので」


 誤解解消である。


「何よそれ!馬鹿ばかしい!そんな夜遅くにお菓子とか食べてるから胸に脂肪がつく──アツツツ?!?!」


「はーいセンパーイ、頭に油が残ってますよー」


 ライラが、ナディの胸に手を伸ばそうとしたジュディスの頭に遠慮なく熱いシャワーを浴びせている。ナディ、ジュディス、ライラの順に並んでシャワーを浴びていたのだ、背後からの強襲に気付けなかったジュディスはまた叫び声を上げていた。


「アッついわ!あんた馬鹿じゃないの?!火傷したらどうすんの!」


「いえ、ナディが襲われかけていましたので」

 

「止め方ってもんがあるでしょうが!」


「………」


 賑やかにシャワーを浴びている最中でも、ナディはつい視線を落としてしまった。


 ようやく一息つけた船内、不穏な空気を残しつつも、一難去った後の達成感に包まれながら皆が食事をとっていた。そして、時を同じくしてクランも床に視線を落としていた。


(疲れた……休みたい、どんだけ食べに来るんだよ)


 機雷が爆発した時、クランは先輩司厨員と一緒にバックヤードで縮こまっていた、突然の事だった。切羽詰まった連合長が注意を呼びかけ、棚だらけのバックヤードに避難して大丈夫なのかと疑問に思ったのも束の間、次の瞬間には船が大きく傾き爆発音が届いてきたのだ。それだけにとどまらず、クランはしっちゃかめっちゃかになった食堂、それから厨房の後片付けに突入し、ようやく終わったかと思えばこの人の入りようである、優しい言葉を述べてくれるが一向に帰ろうとしない。


「……ご注文は?」


「か、簡単なやつで頼むよ、疲れているところすまない……」


「……簡単なやつ?それは何ですか?」


「ああ!こ、これで!これで頼むよ!」


 クランは何も怒っているわけではない、とても疲れているのだ。普段の人見知りもなりを潜め、間違った注文を取らないよう詳しく聞いたつもりだったのだが、どこからどう見ても怒っているようにしか見えなかった。体格もがっちりとしている男性乗組員の低頭平身ぶり、これはカズも言っていた「司厨長に嫌われるな」うんぬんのくだりでもある。クランは知らずのうちに絶対的立場を手に入れたのだが、そんな事本人が知る由もなかった。


「……分かりました」


「ありがとう!本当にありがとう!」


(何でそこまでお礼を言うの?)


 クランに嫌われたくない男性が必死になって礼を述べていた。

 クラン・アーチー、姉であるリッツと違って背が高く体型も女性的である。そして童顔ではあるが目鼻立ちも綺麗に整っているため、怒った─ように見える─顔も迫力があった。疲れて重い足を動かし、もう何度目になるのか覚えていないやり取りを厨房にいる司厨長と行なった。


「……これ一つ、これ二つです」


 司厨長にも見えるようにメニュー表を高く掲げて指さしで示す、料理を覚えるより客を覚えろと言われてこのやり方に変更されていた。


「それが終わったらお前は休憩に入れ!」


「…いいえ、私は大丈夫です」


「分かった!ほらこれ持ってけ!」


 司厨長はこの新人が今日この場にいて本当に助かったと感謝していた、朝からずっと働いているのにまだ休もうとしない、その労働意欲に頭が下がる思いだ。が、クランは今ここで休んだら永遠に動けなくなると理解していたから無理をしているだけだった。自分の事は自分が良く分かっている、ただそれだけの事だ。


(帰りたい)


 まだ二日目でこれ、クランは起こった騒動より食堂の忙しさに絶望していた。



6.Data check



 護衛艦の甲板に出ていたホシとヴォルターは互いに言葉を交わすことなく、灰色と茜色が不吉に混じり合った大海原の空を眺めていた。二人の心境を表すように空は曇天である、太陽の光りも一部しか見えない。

 彼ら二人は、機雷の被害を受けた調査船から呼び出しを受けていた。普段はどちらかと言えば、陽気なあの連合長からは「来い」の一言だけである。さすがのヴォルターも何を言われるやらと緊張していた。

 護衛艦が調査船に接舷し渡り板が架けられた、艦長は基地と連絡を取って協議の真っ最中である、見送りには副艦長である中尉が来てくれていた。


「ありがとうございます」


「………」


 ホシのお礼に中尉は返礼のみ、これではまるで今から裁かれに行くようなものではないかとヴォルターはさらに緊張してしまった。

 降り立った調査船は心なしかひっそりとしている、特段破損した箇所はないように見える甲板を歩き連合長の部屋に足を向けた。


(何で部屋なんだ?会議室ではないのか……)


 プライベートルームでの話し合いというのも緊張に拍車をかけていた、それだけ回りに聞かれてはならない話という事だ。

 だが、二人は勘違いをしていた。連合長が呼び出したのは保証局の二人を糾弾するためではなかった。


「内通者?」


「ああ、ここの機関士がジュヴキャッチに連絡を取っていたらしい、初日に二回だ」


 ヴォルターはほっと心の中で溜息を吐いた、要らぬ緊張だったと肩の力を抜いている。しかし、ホシは険しい顔付きになった。


「それは間違いないのですか?」

 

「本人が認めた事だ、それと一昨日にあった殺人事件についても供述してくれた、殺されたのはその機関士の父親なんだそうだ」


「相変わらず……」


 澱んだものを含んだ声でホシがそう呟いた、その言葉を聞いたピメリアがホシへ話を振った。


「相変わらずとは?奴らは身内でも手にかけるのか?」


「そうです、大方その機関士は脅されていたのでしょう?奴らの手口ですよ」


「ああ、どのみちやらなければ殺されると言っていた、彼女は今後どうなる?」


「幇助罪に問われるのは覚悟しておいてください。ただ、実刑が下りるか不起訴処分になるかは担当検事によりけりなので今は何とも言えません」


「分かった」

 

「他に内通者は?」


「機関士は知らないらしい、私らも不審人物を確認していない」


 そこへヴォルターが口を挟んだ。


「何故奴らが絡んできたんだ?奴らの目的はビレッジコア奪還だろう?」


「ウイルスだよ、どこで嗅ぎつけたのか知らんが何でも森羅万象の力が宿っているらしい」

 

 ピメリアの話を聞いて顔を合わせる二人、あのウイルスにそんな力が?言葉にせずとも表情に表れていた。


「何だそれは、あの元気っ子が言っていたように取り込もうって腹なのか?」


 元気っ子とはジュディスの事である。


「それも知らん、とにかくテロリスト集団がこの船に狙いをつけている事だけは確かなんだ。お前たち二人に対応してもらいたい、まさかやりたくないなんて言わないよな?」


 ヴォルターは鼻白む、機雷の件に触れなかったのはこの事を二人に頼むためだったのだ。なかなかどうして、目の前にいる女連合長は取引きの進め方も上手いらしい。


「……ああ、いいだろう」


「分かりました。それと機雷による損害報告も一緒にお願い致します、厚生省に補填してもらえるか交渉を、」


 ピメリアがホシの話に待ったをかけた。


「いや、そこまでしてもらう必要はない。何せ調査がまだ済んでいないんだからな、成果がないのに尻拭いしてもらうのはあまりにダサすぎる」

 

(マフィアみたいな女だな)


 ホシからしてみれば、ピメリアの発言は責任者としての矜持を窺わせる高潔なものとして受け止められているが、ヴォルターからしてみれば「得られた成果によっては独り占めしたいのでお前たちは絡んでくるな」と解釈していた。損害賠償までやったのなら厚生省も遠慮なく成果を寄越せと言えるのだが、それを分かっていたピメリアは先んじて断ったのだ。


(どこで覚えたんだその交渉術)


「……分かりました、今回は僕たちの不手際でご迷惑をおかけしました」


「良い、気にするな」


 ピメリアがそう微笑みこの場はお開きとなった。

ホシとヴォルターは早速対応に移る、海軍へ連絡し不審な船舶が近くにいないか監視してもらうことにした。海底に潜む新たなタガメ、それから海上ではテロリスト集団、一気に事態が緊迫し護衛艦と掃海母艦の艦長は頭を悩ませるばかりであった。



 調査船のミーティングルームでは、グガランナ・ガイアを交えて協議が進められていた。今のところセントエルモは撤退する意志を持っていない、それよりも未知のウイルスについて関心が向けられていた。


[森羅万象の力、ですか……そのような話は聞いておりませんでしたが……]


「だが、隣国のテロリスト集団は海底に潜むウイルスを狙っているようだぞ?やはりそれだけの価値があるという事ではないのか」


 どうやら今日はあの愛らしい子供はいないようである──いや、グガランナ・ガイアの背後に見切れてはいるが亜麻色の頭が少しだけ出ていた。

 ピメリアの言葉を受けてやる気になっている者がいた、開発課の課長であるアーセットだった。その様子を意外そうにカズが見つめている。


「我々の手で回収致しましょう、おそらくカウネナナイは横取りを目論んでいるはずです。そうでなければ民間船の跡をつけたりはしないはずですから」


(こいつでもこんなやる気を見せることがあるんだな……)


 てっきりカズは今すぐに撤退すべきだと、尻尾を巻いて逃げ出すものとばかり思っていた。


[ううん……ですが、今皆様が置かれている状況はとても逼迫しているのですよね?]


 ガイアが最もな事を言う、しかしそれを挑戦と受け取ったカズがこう返した。


「何言ってんだ、海でのアクシデントは付きもの、ここで帰るなんざ男が廃るぜ」


「お前はさっきまで………まあいい、ご覧の通り私たちは引き上げるつもりはない、何とかウイルスを回収したいと思っている。そこでだグガランナ、お前たちは回収したウイルスをどうするつもりなんだ?」


[どうとは……回収した後の話ですか?]


「そうだ」


 顎に手を当てて考え込むガイア、その背後ではやはり隠れていたカマリイがぴょこんと顔を出し、そして何も言わずにまた引っ込めた。


[そうですね……これ以上被害が出ないよう破棄する以外には……]


 待ってましたと言わんばかりにピメリアが言葉を重ねてきた。


「捨てるんなら私たちに渡してくれないか?テロリストの連中が奪いたがっているのも興味がある、というか絶対に渡したくはない」


[いえ、ですが……]


「どうせ捨てるんだろ?いいじゃないか」


 顔を隠したままカマリイが、


[あさましいのね、貰える物なら何でも貰うだなんて]


 隠れてないで顔を見せろと言ってからピメリアがこう返した。


「それの何が悪い、それに第一人任せにして回収を依頼したのはそちらさんだろう?なら取得物の所有権は我々に依存すると思うがね。それに回収したウイルスをこの目で見たいとは思わないのか?」


 その時、視線を下げて考え事をしていたガイアが勢い良く頭を上げ、それを見計らったようにカマリイが後ろから押さえつけた。一体何をしているのか、突然始まったやり取りにユーサの面々はただ黙って見守っているだけだった。


[ティアマト!ああもう!いきなり何ですか!]


[あなたの考えなんて全てお見通しよ!いいからここは破棄を命じなさい!あーだこーだとそれらしい事を言っているけど要は自分たちの好きにさせてくれと言っているだけよ!]


[そんな注釈をしなくても分かっています!私はただ二次被害に繋がらないか心配を──ティアマト!]


 頭をぐりぐりされ続けていたガイアがついにカマリイの手を払いのけた。


[何よ!私はただあなたの事を心配して──もういいわ!好きになさい!あなたの事なんてもう知らないんだから!べえーー!!]


 手にしていた人形をガイアの顔面に投げつけてからフレームアウトした。


「あー……大丈夫か?」


 ピメリアは心配そうにガイアの様子を窺う、喧嘩の原因を作ってしまったので申し訳ない気持ちになってしまった。けれど、ガイアは床に落ちた人形を拾いながらこう言った。


[気にしておりません、それよりも皆様の方から是非私へ招集をかけていただけたらと思います]


「それはやぶさかではないんだが、理由を聞いてもいいか?」


[────必要な手続きなのです、そうしていただかなければ破棄を命ずる他にありません、何せ私が直接関われないのですから]


 脅しだ、それをすぐに見抜いたピメリアは数秒の間考える。


(マキナ、という存在がいまいちピンとこないが……政府とパイプを持っているのは間違いない、それなら)


 答えはすぐに出た。


「良いだろう、ユーサとしてお前の技術提供を望む。回収したウイルスの解体あるいは解明に協力してくれ」


[──分かりました!喜んで伺いましょう!]


「お、おう…よろしく頼む」


 気色ばんだ返答にピメリアと他ユーサ陣が身構えた、一体何がそんなに嬉しいのか。

 そうと決まれば後は回収方法だ、だがここで一つの決定的な問題が浮上する。


「回収方法についてもそうだが、チャンスはあと一度きりということだ。調査船の燃料や私らが置かれた状況を鑑みれば明日の昼までには帰港しなくてはならない、それ以上の続行は非難の的になる」


「だろうな」


「回収方法はどうしますか?」


「パワーグラブを使おう、あれにはカメラも搭載されていたはずだから確認しながら行なえる」


「すぐに準備に入らせます」


 返事も待たずに飛び出そうとしたアーセットをピメリアが呼び止めた。


「待て待て、チャンスは一度きりなんだ、そう急ぐな。グガランナ、出来る限りで構わないからウイルスの外観を予想してくれないか?」


「そんな事も出来るのか?」


[え──はい、まあ……何とか──いいえ、何とかします!]


「よしその意気だ、ホシに頼んで水中ドローンの映像をそっちにも送ってやる。それとアーセットはコア試料の情報もグガランナに提供してやれ」


「調査は我々で行ないます、その必要はないかと思いますが」


 意外と負けん気が強い、ピメリアではなくガイアを睨め付けていた。


「私が誰だか忘れたのか?良いから渡せ、これは命令だ」


「………分かりました」


 後はもう一直線に部屋から出て行った。



 セントエルモ首脳陣により調査の続行が決定し、各乗組員に伝えられた。それと同時に帰港予定も伝えられ、明日の昼にはユーサ港へ戻ることも約束した。その船内放送を聞いていたナディはいやっほう状態、つまり夜間業務は今日一日限りである。


「嬉しそうだな」


「は──いいえ!」


「そうか?俺は嬉しいぞ、一週間の航海予定が三日に短縮されたんだからな、後は全部休みになる」


「それはいいですね!」


「お前ほんと素直な奴だな。今から休みに入れ、その後は時間通り操舵室まで来るように、明日は明け方から港に着くまで働きっぱなしになるが、まあそこは我慢してくれ」


「よーそろー!」


「それ使い方間違えてるからな?」


 船長から突っ込みを受けたナディは操舵室を後にした。

 操舵室から見下ろす海はもう暗黒のそれに変わりつつあった、突発的な事態により本来は休みであったナディも復旧作業に駆り出されており、夜のワッチまであと二時間足らずではあったが休めるのなら何でも良いと思っていたナディはるんるんだった。

 甲板から船内に入り食堂へと向かう、その道すがらでナディは保証局の二人と鉢合わせした。


「お前か、しっかり働いているのか?」


「今は休憩中です、夜の勤務に備えて今からご飯です」


 虫眼鏡おじさんと馬鹿にしたヴォルターの方から声をかけてきた、その後ろには優しそうに見えて気遣いができないホシという青年もいた、そのホシもナディに声をかけていた。


「君もジュヴキャッチの件について何か聞いてるかな?」


「え、はい……まあ、一応は…」


 機関室で油地獄をくぐり抜け、シャワールームでさっぱりした後、赴いた会議室で教えられていた。


「何か不審なものは見てないかな?もしくは人でも船でも」


「いえ、見ていません…」


「…………そう、それならいいよ、仕事頑張ってね」


 ホシの質問で再びナディは暗い気持ちになってしまった、この人とは何かと馬が合わないらしい、せっかくるんるんだったのにナディはまた思い出してしまっていた。


(昨日のあれ……やっぱりそうなのかな……)


 二人と別れて食堂へ──けれど何だか気乗りせず、ナディは食堂に向けていた足を自室に変えた。

 帰ってきた部屋はがらんとして誰もいない、もし誰かがいたらお喋りでもして気分を紛らわせようと思っていたのにあてが外れてしまった。


(今からでも言った方がいいのかな……いやでも絶対怒られる)


 ナディが失敗したわけではない、偶然見かけた小船にすぎない。けれど報告するタイミングを逃してしまったばかりに段々と言い辛くなっていた。

 逃げるように見始めたアニメも全く頭の中に入ってこなかった。夜の勤務時間までずっと悶々とした気持ちで部屋の中で一人、ナディは過ごしていた。



7.and...and...and...(dram roll)



「……………………」


 ユーサの開発課から送られてきたコア試料のデータを眺めながらガイアは絶句していた。


「何ですか………これは………」


 コア試料は先述した通り、積もった堆積物の年代を崩さず採取された柱状の地層であり、上から順に古くなっていく。そしてその一番上、その地層には真珠のような物体がいくつも存在し、その真珠を解析した結果が容易に信じられるものではなかった。


「ティアマト──は、部屋に籠っていましたね………」


 もう一度精査結果に目を通す、解析プロセスに問題は無い、つまり事実であるという事。カウネナナイの集団が「森羅万象」と評していたのも頷けるというものだ、何せこの真珠には約半数近くの元素が含まれていることになっている──ガイアはもう一度解析し直すが、結果は同じであった。


「信じられません……何故このような物が存在しているのか……」


 人体を構成している元素の数で言えば、微量元素など含めても十数種類である、しかしこの真珠にはその五倍近い元素が含まれていた。異様だ、いや異質、異次元と言ってもいい、こんな異物がこの世に存在している事自体が不思議でならなかった。幸い、ユーサはまだこの事実に気付いていないようだ。


(やってしまいました…つい魔がさしてしまいました、これなら早期に破棄を命じておけば……)


 ガイアは頭を抱えた、この真珠が一つでもあれば殆どの物質を再現出来る。それはまさしく夢のテクノロジー、人が奪い合う未来が容易に想像できた。この真珠はおそらく未知のウイルスから発生した物だ、コア試料の地層と照らし合わせてみても(おおよ)そ出現した時期と一致している。

 ガイアは外に出たかった、その橋渡しをユーサからしてもらう事ばかりに気を取られ、未知のウイルスについて失念していたと言わざるを得ない。


「いいえ、一度決まったものは仕方がありません。ええ、仕方がないのです」


 ()()()()よりも、ガイアは外に出られる高揚感に身を委ねていた。それがどれ程危険的な思考であるか、その事実に気付くことなくガイアはユーサを成功に導くため、ありとあらゆるプログラムを駆使して外観予想図の完成に没頭していた。



 夜間勤務が始まったナディは、人が変わったように仕事に勤しんでいた。とくに見回りだ、ここでもし不審な船舶を見つけられたら、黙ってしまった気後れを払拭できると踏んでいたからだ。作業場、外通路、甲板をひたすら練り歩く、しかし、一向に見つけることができない。そんな折、船長から指示があった。


[俺はそろそろ休みに入る、その前に点検してくれるか]


「はい!」


[急にやる気になったな……慌てなくていいからしっかりな]


 船長の指示通り、ナディが点検業務に入った。船外に取り付けられた救命ボートや各種設備の異音や油漏れなどないか見て回っているうちに作業場に到着し、先程まで誰もいなかったはずなのに夜間作業用のライトが点けられていた。


(今から仕事?大変だな)


 それに結構な人数である、皆が一生懸命に長いロープを手にして運んでいるところだ。少し離れた所にはピメリアとカズ、それから眼鏡をかけた開発課の課長も作業の様子を見守っていた。


(あの人誰だっけ、喋ったことないから覚えてないや)


 あまりに見すぎていたせいか、ピメリアがナディに気付いて良く通る声で話しかけてきた。


「ナディ!ちょうど良い!こっちに来てくれ!」


(げっ)


 食堂前の出来事がフラッシュバックした、これはまた何かやらされるぞと身構えていると案の定であった。


「お前は今何しているんだ?」


「え、点検の仕事をしていますけど…」


「すまんがこっちに入ってくれ」


 人の話聞いてましたかーとナディが眉を顰めた。


「ケンジにはこっちから話しておくから頼むよ、ビックプロジェクトなんだ」


(ケンジって誰、ああ船長のこと?それにビックプロジェクトって何さ)


 (心の中で)ぶつくさと文句を言いながらも手伝いに入ることにした、元々装着されていたロープを外して別の機械に繋げているようだった。運び終えたロープを装着具に繋げ直している、それらの一団にナディも加わって無心で手を動かした。


「もういいぞ!助かった!」


「あ、いえ」


 矢継ぎ早にやり方を教えてくれた先輩がそうお礼を言ってくれた、それだけでナディの心が少しだけ晴れやかになった。


 ピストンコアラーに装着されていた降下用ロープをパワーグラブにセットし、揚収用クレーンによって持ち上げられた。後は海に投入するだけである。ここまで急ピッチに事を進めたのには理由があった。


「タガメが夜行性なのは分かったが……本当に大丈夫なのか?」


「投入すれば分かるだろ」


「いやいや、巣から離れていなかったらどうする?」


「強行突破。パワーグラブが最も硬い、それを信じるしかないだろ、どのみち」


 タガメが夜行性であることから、その生態を利用し夜間にウイルスの回収を済ませようという計画になっていた。今までタガメと接敵したのは全て昼間だ、それなら夜間であれば捕食のために巣を離れているはずと睨んでの事だった。


「ウイルスが潜伏しているあの穴の周辺にあったチムニーはあらかた食われているんだろ?だったら餌を求めて遠出しているはずだ」


「そうなんだがなあ〜、そう上手くいくか?」


「私の勘を信じろ、当たる確率は半々だ」


「いやそれ駄目だろ」


「半分もあったら上出来だろうが」


 呑気なやり取りをしている間にパワーグラブが投入された、あとは着底を待つのみである。パワーグラブの操作はゲームのようにモニター付きのコントローラーで行なう、その重要な役割についているのがアーセットだ。


「頼んだぞ」


 ピメリアが声をかけるも返事は返ってこない、余程集中しているらしい。

 しばらくしてパワーグラブが海底に到着したようだ、目論見通り周囲にタガメの姿はない。しかし、


「何だこれは……」


 アーセットがそう呟きモニターを見つめたまま固まってしまった。何事かとピメリアたちもモニターを覗き込む、パワーグラブに取り付けられたカメラ映像を見てピメリアは遠慮なく渋い顔を晒した。


(あった〜そうくるのか……あの時何が何でも止めておけば……)


 合計七つの穴が空いていた、昨日確認した時は一つしかなかった穴が増えていたのだ。ピストンコアラーを捕食したタガメがその機能を再現し、ウイルスが潜伏している穴を誤魔化しにかかったのだ。これはしてやられた、どうやらタガメには知性というものがあるらしい。

 ずっとモニターを眺めていたアーセットが突然吠え出した。


「──ふざけるなよ!どこまで邪魔をすれば気が済むんだ!!」


 彼は一つの職場の長にして研究者でもある。その血が騒ぎ、予定通りに進まない物事に酷い苛立ちを見せていた。作業場にいた誰もが驚き、遠巻きに眺めていたナディにもその声が届いていた。

 カズもモニターを覗き込んだ、「勝てない試合には出ない」を信条にしている彼がアーセットにこう言った。


「俺に代われ、一発で穴を当ててやるよ」


「ふざけるな!邪魔をするなと──」


「だったらお前が当ててみろや、確率は七分の一。パーセントに直したら十五を切ってるぞ、できんのか?」


「一発で当てる必要がどこにある!地道に一つずつ潰していけば──」


「そんな悠長なことやってられんのか?その間にタガメが戻ってきたらどうすんだよ、パワーグラブは平気かもしれんがロープならすぐに切られんだろうが」


「…………」


「代われ、俺が当ててやる」


 自信たっぷりにそう宣言した。彼は海の女神に愛された男だ、その裏打ちされた自信が声に乗り、アーセットを黙らせた。

 ただ、彼にそこまでの使命感はない、なかった。


(これこれ、こういうのだよ俺が待ってたのは!)


 そのギラつき、快楽主義とも言える「楽しければ何でもオッケー!」的な思考は目にも力を宿していた。この土壇場で彼ほどの覇気を持った人は他にはいない、あのピメリアでさえ尻込みするほどだった。


「カズ、やれんのか?」


「誰に聞いてんだよ、勘と運だけでのし上がった男だぞ?ここで勝負に出ないギャンブル好きがどこにいるってんだ」


「──お前!!遊びじゃないんだぞっ!!」


「んな事分かってらあ、さっさと貸せや」


 アーセットは追い詰められた、この状況でその自信、到底彼には持ち得ないものであり、カズの目に怖気ついたアーセットは結局コントローラーを奪われてしまった。


「おーおー、そっくりな穴がこうも……周りにあったあの煙突もすっかりならされてやがる」


「おいカズ、楽しむのはいいが一回きりだからな?もしかしたら穴を掘ったまま中にタガメが潜んでいるかもしれん」


「そうだ!ここは一旦作戦を考え直して──」


「そんな暇もねえだろが、周りにテロリストの連中も潜んでんだろ?」


 カズは慣らしのためか、しきりにコントローラーを操作してパワーグラブを動かしている、その度にクレーンが盛大に軋む音を立てるものだからピメリアとアーセットは気が気ではなかった。

 カズが言った通り、タガメは目印になるチムニーも破壊し撹乱するために全く同じに見える穴を六つも作っていた。裏返しにされた七枚のカードから一枚を引き当てる、この微妙な確率、確かに「運」が良ければ出来る芸当ではあった。しかし、それを今この場で出来るのかと言われたら誰もが「ノー」と答える確率でもあった。

 ついにカズが一つの穴に狙いを定めた、パワーグラブの降下レバーを操作して穴の中に投入させる。すると、他の穴から一斉にタガメが姿を現した。


「やっぱり隠れていやがったのか!おい!カズ!」


「うっせえ!黙って見てろや!」


 まだ穴の底には届いていない、クレーンに吊るされたロープがどんどん下りていく。姿を現したタガメがロープに群がりその爪を突き立てた瞬間、


「何かに当たった!当たったぞ!」

「さっさと引き上げろ!」

「丸い!丸い?!何だこれ?!」

「早く早く早く早く!」

「きたきたきたきたっ!掴んだ掴んだぞ!」

「絶対に離すな!離すなよ!」

「そーらみてみろ!やってやったぜえ!フィーバーーーーっ!!!!」


 当てた、七分の一を見事引き当てたカズが喜びの声を上げた。穴の底に沈んでいたウイルスをパワーグラブが掴み、勢いよく引き上げていった。そして、穴の中からついにウイルスがその姿を見せた、丸い、まるで貝殻のような形をしていた。


「何だこれっ?!これがウイルスかっ?!」


「いいから船まで上げろ!そうすりゃ私らの勝ちだっ!」


「残念だが──」

 

 誰かがそう発言した、続いて良く耳に届く発砲音。


「──っ?!」


「ピメリアさんっ!!」


「動くなっ!!」



8.ジュヴキャッチ、聖戦の狼煙



 作業場にいる誰もが凍りついた。暗闇に同化した人間が銃を片手に殺気を放っていたからだ。


「そのコントローラーを渡せ、早く!」


 唐突に現れた人間にピメリアが撃たれた、左腕を抑えて呻いている。


「──カズ!絶対に渡すなよ!こんなクソ野郎の言うことなんざ──」


 黒いスーツに身を包んでいた乱入者がピメリアの顔面を蹴り上げた、血が宙を舞う、その軌跡をナディはどこか夢見心地で眺めていた。ピメリアがもんどりを打ち仰向けに倒れた、ぴくりとも動かない。


「このっ──」


「さっさと渡せ!次はお前だ!」


 作業場より奥、次々と黒いスーツ姿の人間が現れ始めた、その全員が銃を持っており予断なく構えている。


「………てめぇらがジュヴキャッチか……」


 ピメリアを撃った人間がカズにも銃を構えた、威嚇射撃を一発、カズには当たらず暗闇の海へ消えていった。それでもカズは渡そうとしない、ゆっくりと後ろへと下がり作業場の縁に立った。


「答えろや、これが欲しいんだろ?」


「そうだ」


「何の真似だ、こんなふざけた事しやがって!どこに隠れていたんだ!」


「………」


 カズは怯むことなく、コントローラーを掲げたままテロリストへ吠えている。手を離せばコントローラーは海へ真っ逆さまだ。


「答えねえってんならこのコントローラーを海へ落とすぞクソがっ!!よくも連合長を──」


 またしても発砲音、今度は作業場からではなく全てを黒色に染め上げている海上からだった。死角からの発砲音にカズが驚き、テロリストを前にして視線を逸らしてしまった。その隙を見逃すはずもなく、船の外壁から現れた別のテロリストに体を抑えつけられてしまった。


「こいつ!どこから──」


 銃のグリップで後頭部を殴られ、気絶したカズの手からテロリストがコントローラーを取り上げた。


「全く、手間をかけさせやがって……」


 コントローラーを手にしたテロリストがそう呟き、モニターに視線を落としている。作業場には合計で十人近くのテロリストが銃を持って乗組員を囲っていた、誰も動けない。その中には身をすくめているナディもいた。銃を突きつけられている恐怖だけではない、彼女は激しい後悔に苛まれていた。


(私のせいだ!私のせいだ!私のせいで!)


 昨夜見たあの船はユーサのものではなかった、辺りに潜伏していたテロリストの船だったのだ。もし、忘れていなかったら、勇気を出して報告していたら、そう何度も自分を責めるが起こった現実は変えられそうになかった。

 モニターを見ていたテロリストが頭を上げる、全身を包んでいるため顔も分からない。


「この中で潜水船を操作出来る奴はいるか、いるならこちらの指示に従え」


 誰も何も答えない、答えられるはずがない。


「死にたくなければ指示に従え!!これは脅しではない!!」

 

 ピメリアを蹴り上げたテロリストがもう一度銃を突きつけた、未だに動かないピメリアに向かって。それでも誰も答えない、だが、その中でゆっくりと歩みを進める者がいた。

 ナディだ。


「………できます」


 さっと人垣が割れる、皆信じられないものを見るような目をしている。モーセが行なった海割りのように、テロリストへと続く道を作っていた。


「………………」


「何をすればいいですか」


「…潜水船でロープを繋ぎ直せ」


 テロリストがナディにも見えるようにモニターを掲げた。そこにはパワーグラブにセットされていたロープが切られている様子が映っていた、さっきまで喜んでいたカズが言った通り、貝殻のような段状になった丸い形をしているウイルスも映っていた。


「分かりました、その代わり命だけは取らないでください」


 ナディがそう発言した、テロリストを前にして。


「ハフアモアさえ回収すればお前たちに用はない」


「………ウイルスのことですよね」


「そうださっさとしろっ!!」


 テロリストがそう唾を飛ばし、ナディが有人探査機がある格納庫へと足を向けた。それに釣られるような形で数人の乗組員も跡に続いた。

 その様子を場違いにも、羨ましそうに眺めている人がいた、アーセットである。


(……………)


 彼の視線に気付かないナディの一団が格納庫へと姿を消した。


 この異常事態は民間船だけではなく、護衛艦でも起こっていた。操舵室を占拠されたアリーシュは屈服した姿勢を見せるも、強い眼差しでジュヴキャッチの面々を睨みつけていた。迂闊だった、彼らは敵味方識別信号を偽装し掃海隊群の真下に潜伏していたのだ。操舵室から辛うじてジュヴキャッチが使用していた潜水艦が見えていた。


(それにしたって手が回るのが早すぎる!)


 あっという間の出来事だった、ノックもせずに入室してきた不届者を叱りつけてやると、視線を向けた途端に背後から羽交締めにされてしまい、一言も発することなく占拠されてしまった。操舵室の中からでも船内へ行くことができる、つまり組織的な犯行であることは明白だ、それも高度に訓練を受けた者たち、アリーシュはすぐにジュヴキャッチであることを見抜いていた。

 奴らは銃を向けてくるだけで何も要求してこない、それに民間船には内通者がいると保証局の二人から報告も受けていた。狙いはおそらく...


(未知のウイルス!どこで嗅ぎつけたのか…)


 時折部下が抵抗を見せた時に反応する程度で、操舵室を占拠したテロリストは自分から一切動こうとしない。なれば目的は一つだけ、この海域において最大戦力を有する海軍の動きを封じているのだ。

 アリーシュは歯軋りした、敵を目前にして何も出来ない悔しさ、それに民間人を危険に晒してしまった己の失態、この場にいる意味が無いに等しかった。

 護衛艦が占拠されたように、掃海母艦でも同じ事が起こっていた。ただ、少しだけ違うのは艦長の対応の仕方についてである。


「ハフアモア?何だそれは」


「お前たちが探している物の名だ、我々の国ではそう呼ぶ」


「お前の国ってどこにあんだよ、まさかウルフラグなんて言わないよな?お前らみたいなゲス野郎見たことないぞ」


「──っ!」


 もうこの艦長が良く喋るのだ、身柄を拘束されてものの数分もしないうちに次から次へと、黙らせようと応対したテロリストの一人が彼の話術にはまってしまいつい会話を続けてしまっていた。

 暴言を吐いた艦長の顔面にグリップを叩き込んだ、呻き声を上げて痛みを堪えている。


「──ってえ……口の中が切れてやがる……」


「静かにしろと言ってるだろっ!!」


「…で、そのハフハフってのは何なんだ?そんなに良い物なのか?ま、そうだろうな、今から横取りしようってんだから、おたくら恥ずかしくない?」


「…………」


「カウネナナイの人間は横取りするのが普通なのか?そりゃテロ行為に手を染めるのも無理はないわな、可哀想に」


「…………」


「星人様も大したことねぇな、テロ行為をする前にちゃんと物乞いしてきたのか?ん?」


「────このっ!!」


「いい加減にしろっ!!これ以上構うなっ!!」


 他のテロリストが銃を構えた仲間を叱責した。


「お前、殺されたくなかったらそれ以上喋るな」


 面と向かって脅されても艦長は負けなかった。


「やれるもんならやってみろ、この中で一人でも殺されたら停戦協定は白紙、明日の朝にでも報復戦が開始される。だから手出しもせずにただ見張ってるだけなんだろ?情けない野郎だねえ、ちゃんと国に許可取ってないのか?何がやりたいのお前ら」


「…………」


 掃海母艦を占拠したテロリストたちはただただ自らの不運を嘆くしかなかった、それと早く事が終われと祈る他になかった。早くこのお喋り艦長から離れたくて仕方がなかった。



 ナディは何度も何度も、お礼を言われそして頭を下げられた、ありがとうと、そして悪かったと。けれどナディの心は晴れない、ちっとも嬉しくなかった。テロリストの指示に従ったのは言うなれば贖罪のつもりだ、そうでもしなければ自分の胸が爆発しそうだった、だからやった。それだけの事だ。

 有人探査機、あるいは潜水調査船と呼ばれる機体にナディは搭乗を済ませクレーンによって吊り上げられていた。球体状の強化アクリルの内側からでも作業場が見えている、銃を持ったテロリストに囲われて突きつけられていた。寧ろ、私の方こそごめんなさいだ、この状況を作ってしまった一因も自分にあるんだと、ナディは贖罪のため海に投入されるのをひたすら待った。まさか専門校で有人探査機の操縦を学んでいた時、こんな事になるなんて誰が予想できただろうか。

 夜の海に突入するのは初めてだった、何も見えない、当たり前だ、ここは冥界の空なのだから。ライトを灯すとナディは自分の立場も忘れ、眼前の光景に見入ってしまった。


「────綺麗だなあ………」


 ナディの周囲を泳ぎ回る魚の群れが、ライトの明かりを反射して煌びやかに輝いていた。数え切れない程の魚の群れを追いかけ回す大型魚類の姿もある、必死になって泳ぎ、踊り、餌を求めてひたすら冥界の空を飛び回っていた。ナディは息を飲みながらも、自分の役目をこなすためゆっくりと降下していく。その深度が増せば増す程に、海そのものが虹色に輝いていることに気付いた。どれだけ深く潜っても魚の群れが途絶えることはない、贖罪のためにやって来た、勇気ある小さな戦士をまるで迎え入れているようにさえ見えた。

 無数の宝石群が踊り狂う絢爛の空を眺めながらナディは操作を続ける、始めから常闇の海ではあったがその密度が増したように感じられる。無心で、けれど撃たれてしまった連合長に何と言えばいいのか、悩みながらもついに海底へ到着した。モニターで見せられた通り、パワーグラブにセットされていたロープは切られ底に沈んでいる、その弾みで爪から外れてしまったウイルスが横たわっていた、虹色の奔流を放ちながら。


「何あれ……もしかしてあのウイルスのせい……?」


 ホシも見ていたマリンスノーが白い筋となってウイルスに吸い込まれている、それと同じように虹色の何かが四方八方へ飛び出していた。ゆっくりと近づく、周囲には銀色の昆虫のような生き物もいるが、皆ひっそりとしており動く気配がない。それならば今のうちにと、探査機のマニピュレーターを使って何とかロープを掴む、しかしそこからどう繋げばいいのかまるで分からなかった。


「ええ、どうすればいいんだろう……ウイルスってそんなに重たいのかな……」


 探査機内にある水中通信機からノイズが聞こえてくる、それを耳に入れながらも集中していたナディは、ロープを諦めて直接ウイルスを掴むことにした。マニピュレーターがウイルスの外殻を掴んだ、近くで見てみれば今なお放っている奔流より虹色に輝いているようだ。浮上するためバラストタンク内に注入してあった海水を放出すると、有人探査機がふわりと持ち上がった。見た目とは裏腹にどうやら軽いらしい、周囲にいた昆虫がウイルスの跡を追うため、けれどゆっくりとした動作で泳ぎ始めた。


「手伝ってくれてるの?」


 その昆虫は取られると分かっているのかいないのか、ナディが掴んだウイルスを持ち上げるように下から爪で支えていた、それも一体だけではない、他の個体も群がるようにしてナディと共に浮上していた。


[──ているか!──応答しろ!ナディ!]


(っ!!この声は……)


 昆虫とウイルスと、陸地では絶対にお目にかかれない宝石群を抜けていると通信機から呼びかける声があった。低くしゃがれた声だ。


[お前はもういい!何もするな!絶対に海の中から出てくるな!]


「何を言って──もう無理ですよ!タンクを空にしたので後は上がっていくだけです!」


[ガキが生意気な事を──あと十分だけ持ち堪えろ!いいな!]


 その言葉にはさすがに腹が立った、人の気も知らないで何が生意気か。


「何言ってるんですか!皆んな脅されているんですよ?!」


[だからと言ってお前が出しゃばる必要はなかったんだ!]


(こんのくそ虫眼鏡!)


「大事な時にいなかったくせに!」


 痛烈な批判を浴びたヴォルターは、民間船の甲板の上で歯噛みした、まさしくその通りだったから悔しくて堪らなかったのだ。


《ガングニール!!!さっさと来い!!!》


 その苛立ちを搭乗機体にぶつけた、ぶつけるしかなかった。


《無茶言うなオッサン!これでも全速力なんだぞ!》


 作業場で起こっていた事態はヴォルターも確認していた、グガランナ・ガイアから今夜中にウイルスを回収するという旨を聞いて様子を見に行こうとしたその矢先だった。ヴォルターはいの一番に駆け出そうとしたがそれをホシが静止してきたのだ。「自分たちまで巻き込まれたら対応ができなくなってしまう」と、ヴォルターは非情な判断を下したホシを殴り倒したかった、しかし結果として彼の判断は間違っていなかった。

 首都がある方角から、ようやく誘導灯の明かりを確認した時作業場がにわかに慌ただしくなった。攻撃を受けて昏倒していたはずの連合長が怒鳴り声を上げ、その勢いに乗せられた他の乗組員たちも騒ぎ立てていた。


《おいオッサン!奴ら逃げるみたいだぞ!》


《そこから狙撃しろ!何が何でも逃すな!》


《馬鹿言うなよ味方の船もあるんだぞっ!!》


 ガングニールの機体が遠目からでも確認─彼の目は義眼である、その能力をもってして─できた時、その排気ノズルの轟音を聞いてかはまたま別の方法か、作業場を占拠していたテロリストたちが迷うことなく海へ飛び込んでいた。

 

「最悪だよクソがっ!!」


 ヴォルターは吠えた。ちょうど海の底から有人探査機が浮上し、海面に姿を現すタイミングと被ってしまった。あの生意気な子供が搭乗している有人探査機、それから二本の爪に見える船外操作端末が掴んでいるウイルスがついに海上へ浮上してきた。


「聞こえているなナディ!!何があってもハッチを開けるなっ!!」


 返事はない、この距離であれば間違いなく聞こえているはずなのに。案の定、テロリストたちは有人探査機に取りつき作業場に向かって何事か吠えているようだ。勢いをつけたユーサ側も再びおとなしくなった。


《ホシ!いつまで待たせるんだ!》


《あともう少しだけ待ってください》


 相棒、相棒だと思っていた青年から返ってきた言葉は一言だけ、それに酷く落ち着いているようだ。それに全くもって間が悪い。敵にイニシアティブを握られた時にようやくガングニールの機体が民間船の直上に到着した、遅い、遅かった。


「聞こえているなっ!!今すぐこの特個体を退避させろっ!!」


 ナディはまたしても、夢見心地の中にいた。探査機に取り付いたテロリストは手に何かを握っている、強化アクリルで歪んで見えるが「C4」と書かれた黒い塊だった。それに空には冥界から抜け出せたのか、大粒の宝石が飛んでいた。夜空に紛れて良くは見えない、人の形をした宝石が眩い星屑を散らしながら飛んでいる、まるで夢を見ているようだ。

 ナディは、とくに緊張した様子も見せず、内側からこんこんと叩いてテロリストを振り向かせた。


「──なんっ」


「早く持って行ってください、私は勤めを果たしました」


 構うもんか、こっちは言われた通りやったんだ、さっさと持って行け。ナディは自分からハッチを開けてやった、間違いなくこの人たちは自爆する気など毛頭ないと踏んで。


 当たり前のように、場を理解していないかのように出てきた少女を男はただ見上げる他になかった。


「……………」


「ハフアモア、命の卵」


 少女が何を言っているのか、一瞬だけ分からなかった、祖国の言葉であるはずなのに。浅黒く、闇に溶けてしまいそうな髪の色、子供の未成熟さを思わせる唇が開きかけた時、発砲音が一つ。


「──っ!撤収、撤収せよ!!」


 男は怖気ついた、恐れを抱いた、こんな事は初めてだ。頭上で待機している()()()()よりも少女に──見下ろされている自分が当たり前だと──恐れてしまった。



 テロリストたちが去った後の海はとても静かなものだった。揚収クレーンで引き上げられるまでの間、とんでもない事をしでかしたナディは探査機の中で待機しており、昏倒から復活したピメリアは自分の体よりも彼女の事を心配していた。

 マニピュレーターで掴んでいたウイルスは未だ海面に浮かんでいる、何故だかウイルスだけ持ち上げることが出来なかった。けれど、今はそれよりもナディの保護が最優先だ。作業場に下ろされた探査機から何故だかナディが出てこようとしない、さらに心配になったピメリアは自分からハッチを開けて、シートで蹲っているナディに声をかけた。


「おい!大丈夫か!」


 ナディがゆっくりと顔を上げる、その頬には沢山の涙が流れていた。


「──私、私、本当は──」


 うわ言のように何かを言っている、極限状態にあったナディは一時的に感情のストッパーが作動していたのだ。そしてそれが今外れた、感情の決壊を制御できる人間などいやしない。ピメリアが痛む体を無視して無理やり中に入り込む、とても窮屈ではあったが何故だか安心できた。


「私が何だって?聞いてやるよ、ゆっくり言いな」


「私、私──本当は、知ってたんで──す、昨日、船を──見ていたのに──知らない、ふりをして…………皆んなに迷惑を──ピメリアさんが………怪我を──」


 ナディの手は細かく、壊れたように震えている。きっと黙っていた事があって、その後悔とテロリストに襲われた恐怖がいっぺんに来てしまったのだ。ピメリアがゆっくりとナディの手を握る、すると手の震えがぴたりと止まった、まるで握ってもらえるのを待っていたかのように。


「お前のせいじゃない、私が断言してやる。それでもお前のせいだと文句を言う奴がいたら私が守ってやる、な?だから泣くな」


 握ってもらえた手を、大事そうに抱えながらナディが嗚咽を漏らし始めた。


 落ち着いた作業場より少し離れた位置で、大の大人二人が拳で語り合っていた。


「見損なった!見損なったぞホシ!お前のことは相棒だと思っていたんだがなっ!!」


「誰がっ、僕は部下であって相棒じゃない!」


 ヴォルターの肉体から放たれる拳はそれだけで凶器である、それを逃げもせずにホシは受け止め、お返しに拳を叩き返していた。


「人命を後回しにして工作活動なんざ反吐が出るっ!!」


「好きなだけ出せばいい!奴らはああでもしないと捕まえられないんだ!それにあんたただって民間人がいたのに発砲しただろう!」


 首都からスクランブル発進したガングニールはただ見下ろすばかりであった。この機体の僚機とも言えるダンタリオンは待機中、言い換えるならば出撃拒否だ。


《まーた、良い歳した人間が泥臭いケンカをしていやがる……》


 特個体を素早く感知したジュヴキャッチはもう海の中だ、彼らはダイビングベルと呼ばれる旧式の潜水艇で民間船の下に取り付き機会をずっと窺っていた。船内にいくつか盗聴器も仕掛けており、連合長らが突発的に行なった回収作業も事前に分かっていた。

 甲板の上ではなおも拳の応酬が続けられていた、先に根を上げたのは意外にもヴォルターであった。


「くそ!くそくそ!くそったれが!どうしてお前らガキは──俺たち大人を頼りにしない!何のためにいると思っているんだ!」


 かくいうホシもボロボロだ、彼には再三に渡ってダンタリオンからの呼びかけがあったがそれを無視し続けていた。水中ドローンを使用したあの時、あの暴走を前にしてホシはダンタリオンへスクランブルを要請することに強い拒否感があった。


「……何の役に立つと思っているんですか、あんたら大人が情けないからこんな事になったんだろ!!セレン島でどれだけの命が──」


 言葉も途中で口を閉じた。それを言われたヴォルターも酷く傷付いた顔をしている。


「………」


「………」


 口から滴り落ちる血を拭う、ここまで激しく体を動かしたのは久しぶりだった。ヴォルターの取り乱しようは酷いものだ、装着した義眼レンズに小さなヒビが入っているほど。口を大きく空けて喘ぐように呼吸をしている、飢えた、孤独な獣のように酸素を、罪滅ぼしを求めていた。

 喧嘩に割って入る者が現れた、というより頭上でずっと見守っていたガングニールだ。


《いい加減にしてくんねえかな二人とも、殴り合うのは勝手だが後にしてくれや》


「………」


「……ああ、ああ、そうだな、すまない」


 「船内禁煙」のプレート前でヴォルターが煙草を取り出して火を付けた。一口吸うその直前、当たり前だが火の気を感知した警報器が作動しけたたましい音が鳴り響いた。


「黙ってろ!」


 警報器にすら八つ当たりをしているヴォルターを見て、ホシは馬鹿ばかしいと肩を竦めただけだった。



 こうして、臨時調査チーム「セントエルモ」の航海が終わった。日程としては一週間を予定していたが、度重なるトラブルに見舞われその約半分に短縮されて帰港した。それでも成果は十分と言える、海の異変の解明にこそ至らなかったがその元凶と思しきウイルスと、そのウイルスが影響を与えたとされるコア試料の採取に成功した。ナディが引き上げたウイルスは夜明けまでに回収を済ませており、有人探査機の代わりに格納庫に納められていた。

 ビレッジコア方面基地から出動した護衛艦ならびに掃海隊群も、ジュヴキャッチの再度の襲撃に備えてユーサ港まで護衛することになっている。テロリストに操舵室を占拠されたものの、人的被害はなく艦艇も無傷のまま取り戻していた。

 

「………」


「………」


「………」


 そして、帰港途中の船の中、食堂の入り口で鉢合わせをした三人。泣き腫らして目を真っ赤にしたナディ、それから顔全体を真っ赤に腫らした大人二人、しばらくの間見つめ合う。

 先に痺れを切らしたのは短気なヴォルターだった。


「何だ、何か用か?」


「……いいえ、別に」


「ちっ、だったら先に入れ」


「舌打ちするぐらいならお先にどうぞ」


「ま、まあまあ……昨日は色々とあってね、ちょっとご機嫌斜めなんだよ……」


 廊下の窓から差し込む光りの柱が辺りを照らしている、清々しい朝だった。


「はあ……昨日はすみませんでした、色々と文句を言ってしまって」


「………」


「その、私も色々あって、わあー!ってなって、ヴォルターさんの静止も聞かずに────」


 昨日の続きだ、ここにも生意気なガキがまだいた。


「賢しらにもの言ってんじゃねえ!一人で何とかしようと思う前に大人を頼りやがれ!それだけで救われる奴がいんだよ!」


「────っ?!脱げる脱げる脱げるっ!」


「なっ!ちょっ!違う!」


「あーあ、僕は知りませんからね」


「変態!変態虫眼鏡!今すぐ離せ!離してーーー!いやあーーー!」


 ヴォルターに向かって頭を下げようとしていたナディは胸ぐらを掴まれ持ち上げられていた。ヴォルターに他意はなかったのだが、結果としてナディのベストを脱がしてしまう形になり、こんな時に限って女の子らしい悲鳴を上げられてしまった。


「ほら!離した!離したぞ!」


 慌てふためくヴォルターが面白くて堪らなかったナディはさらにからかった。


「じゃーん!下は水着ですぅー!」


 ベストを開いて紺色のスポーツタイプの水着を見せびらかした。(相手によってそれだけでも十分悩殺的ではあるが)からかわれたと即座に理解したヴォルターはすぐさま、


「ふざけんなよこのクソガキがっ!!」


 この日初めて、司厨長に嫌われてしまった客が誕生した。ユーサ港に着くまでの間、ヴォルターは一口も食事にありつくことができなかった。

 

 ナディのベストからころりと落ちた真珠、誰かに見つけてもらうこともなく、朝日を受けてひっそりと輝いていた。

※次回更新 2022/1/29 20:00 予定

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